「2000.8.19(土)」・ふるさと雑感
お盆で帰省した際に実家の所在する焼津市近隣の静岡県清水市を少し歩いてみた。
清水市には「駅前銀座」「清水銀座」という二つのメイン商店街がある。
「清水銀座」に隣接して、やはり古い商店街らしきものがある。
そういえば清水は次郎長でも名を馳せた港町であるが、市内を流れる巴川沿いに松があったりして、どこからともなく「港町の匂い」みたいものが漂ってくる。それと一緒に街全体に哀愁が漂いまくっている。なんだろう?この哀愁は、と思うくらい儚く切ない思いが漂う。
静岡と清水を結ぶ東海道の裏街道みたいので「北街道」というのがある。
どうも僕は街の哀愁にいつも心地よく逃げこんでいるような気もする。 * * * さて我が故郷焼津市なのであるが、こちらにも遥か昔に東海道が通っていたらしい。
僕は高校時代、花沢にあるなら市内には旧東海道の残骸は無いのか?と散策してみたことがあった。確かに現在焼津市街には旧東海道と銘打った道は無い。
ちょっとここで余談だが、僕の経験からくる旧道の特徴を幾つかあげてみる。
ところで焼津市は小泉八雲が晩年夏の休暇を過ごした場所でもある。
もし八雲が現在のこの景色を目の当たりにしたらどう思うだろう?
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「2000.8.18(金)」・ヤツとの関係
お盆の帰省でしばらく家を空けたのであるが、上京の際に僕を憂鬱にさせ、再び東京での自分の部屋に入ることを躊躇させる点が一点あった。
ところが部屋に戻ってホイホイを覗くと、予想をくつがえすように何も捕獲されてはいなかった。 部屋は僕が留守の間は雨戸を閉めきり、冷房もかけないから蒸し暑くジメジメし、何より主である僕の存在も無いし、それはもうヤツが暴れ回り好き放題にするには絶好の環境になってしまっているはずであった。おそらくゴキブリホイホイの中は、苦悶にうごめく沢山のヤツ達が阿鼻叫喚の地獄絵図を展開してくれているに違いなかった・・・ しかし帰宅した時の僕の部屋は意外な程静かであり、ホイホイにはヤツの面影すらもなかった。 これはどうしたことか?
そういえば僕自身の意外な心境の変化というか側面を感じさせたことも最近あった。 実は、最近訪問した友人の家、それから帰省した実家で、黒々とした大きなヤツの出現に出くわした。
いつも露骨にヤツにうろたえているこの僕の、心境の変わりようは何か?
例えば実家ではヤツとは台所で遭遇したが、そこは僕が寝泊まりする場所とは離れたところにあった。
考えてみると、ヤツは人間と同じように都市空間にシブトク居住している。
そんなわけで、ヤツは人間がいるところにこそ出て来るように思えてきた。
次回は、そのメッセージとは何かについて考えてみたい・・・(えー、本当?・・・)。 |
「2000.8.12(土)」・男女の違い
おとといのTBS「回復!スパスパ人間学」で「女の脳・男の脳」と題して、その違いを探求するような内容のことを放送していた。
私は一応オス類に属するので、この男性が電話中は電話に集中するということが、とても良く理解できる。よほど時間が無く忙しい時なら何かをしながらということもあり得るが、そうで無い限り普段電話中は相手の発言に注意を向けているし、他のことにも集中するという発想はあまり思いつかない。 まあ、このこと自体は男女の違いということであれば、それはきっとそうなのだろう。 女性は右脳と左脳を繋ぐ脳梁というのが男性より太いらしく、左右の脳の連携がスムーズにいっているらしい。だから男性よりかは一度にいろいろなことを同時にこなしやすいようにできているいるらしい。
ここでモテナイ独身青年(僕のこと)は、ふと今までを振り返ってみた。 ということは今まで私が女性が何かをしている時に気を遣って話しかけないでいたことは、全くの取り越し苦労だったということになるではないか?
そーなってくると、今まで随分タイミングをはずしまくっていたことになる。
これからは女性が何かをしていても構わずアタックしよう!(「それだけじゃ解決しねーだろ・・・の声有り」)。 とはいえ、女性側に「空室有・即入居可・日当良好」などの看板がかかっていれば、こちらとしても躊躇無く入居しやすいんですがね・・・(「そういう問題でもねーだろ・・・の声有り」)。 |
「2000.8.11(金)」・泣き虫
普通「泣き虫」というのは女子供に対して使われる場合の多い言葉だと思うが、自分を振り返ってみると今の自分の方がよっぽど泣き虫のような気がする。大人になってからのほうが涙を流している回数が多いような気もする。テレビの何でもないようなシーンに泣いてしまう時などが度々ある。これもオヤジ化現象かもしれない。オヤジ諸氏には結構身に覚えがある方も多いことと思う。 私の場合物心つかない頃はもちろん良く泣いていたと思うが、その後小学校から大学入学前までの間は、ほとんど泣いた記憶が無い。
いつ頃から泣き虫になったか振り返ってみたが、幼少以来久しぶりに「泣く」という体験をしたのは、大学入学で東京へ出てきた1年目の頃だった。
そんな時家族の皆から励ましの手紙が届いた。
次に大泣きしたのは、大学4年の頃だった。
それ以降は歳と共に年々涙腺は緩む傾向にある。 大泣きの後では、明らかに家族や恋人に対する思いが変わってくることがある。
オヤジになるといろいろと自分では整理のつかない面倒ごとが増えてくるので、しょっちゅう浄化作用ばかりしてるのかもしれない。 |