Diary3 (1998.9.20〜1998.11.3)


「1998.11.3(火)」・お江戸でござる
・本日のテレビ週間視聴率の13位にNHKのバラエティ「お江戸でござる」がランキングされておりました(19.9%)。番組の最後に15分程の枠で、漫画家(元?)の杉浦日向子さんが番組セットの時代考証をしつつ江戸の文化を解説してくれるコーナーが非常に面白くためになるので、私は毎週楽しみにしております。もう一つの魅力はやや不純でありますが、私の青春時代のマドンナ竹下景子さん、あと演歌系から長山洋子さん、藤あや子さん等私のタイプの女性が出演していることであります。劇の方は、コメディでほのぼのしてもちろん良いのですが、最近は結構泣かせる場面もとりまぜてきたりして、かなり番組として充実してきていると感じておりました。それが高視聴率につながったのかもしれません。
 昔私は江戸時代なんてほとんど興味が無く、むしろ現代社会の弊害は江戸に始まる位に思っていて、どちらかというと抵抗を感じておりました。ところが近年、種々の理由(話すと長くなるので今日は話しませんが)からだんだん江戸時代に興味を持ち始めるに至りました。この間知人に、日本の歴史上の人物で好きな人を聞かれた時に、今まであまり考えたことが無かったので返事に困りましたが、咄嗟に頭に浮かんだのは、なぜか葛飾北斎や山東京伝といった江戸時代の文化人達でした。ほとんどあまり知らない人達なのですが、この日本において自由に自分を表現していた人達のように感じどこか羨望の念を抱いていたのだと思います。普通好きな日本の歴史上の人物だったら、家康・信長とか、坂本竜馬あたりの名が出てくるのでしょうね。私は断然江戸の文化人が良いです。


「1998.10.31(土)」・視線
・よく「相手の目を見て話せ」と言われますが、正直なところ私にとって、これは結構時折つらい時があります。視線を合わせるというのは、結構自分としては「さあ、合わせるぞ」などと最初に気合いを入れなければならない位の(ちょっと大袈裟?・・)作業であります。相手の目を見ていると何かこう、語られない暗い秘密や、なんとかしてくれという悲痛な叫びみたいなのが液体のように流れ出して来て全部こちらの胸のあたりに流れ込んで来てしまうような錯覚に襲われるのであります。なぜそういう気持ちになるのかわかりませんが、私のような人が存在するから「相手の目を見て話せ」などと殊更に言われるのではないかとも思っています。ところで道で、向こうから来る人や自転車と鉢合わせをして、避けようと左右どちらかに動くと相手も同じ方向に動いてしまう、ということをほとんどの人が経験したことがあると思います。こんな時大抵相手と視線が合っているはずです。言い換えると相手の視線にキャッチされ釘付けになってしまっているわけです。もちろん相手もこちらの視線に釘付けにになって、お互い同調してしまっているのです。私は向こうからくる人と目が合い、「あ、これは鉢合わせパターン」と察知すると、すぐ視線を少し落として相手との視線をはずします。そうすると何ごともなかったように、お互いスレ違うことができます。
 この間久しぶりにブルースリーの「燃えよドラゴン」を見たのですが、以前は気付かなかったことに気付きました。それはブルースリーが大勢の敵と闘う時は、相手をほとんど見ていないということです。視線をやや下に落とし、気配だけで相手の攻撃を察知しているようでした。まさに考えるのではなく「感じ」ているのでしょう。1対1の闘いの時は相手の目を見ていますが、これは一人の相手にまさに集中しているからでしょう。つまり視線を合わせるというのは相手と1対1のコンタクトを取り集中することといえます。視線を合わせるというのは人とのコミュニケーションにおいて非常に重要なコンタクトの手段なのだと思います。使用方法を間違えなければ有効に使えますが、誤ると相手との摩擦を起こしかねません。ですから、簡単に「相手の目を見て話せ」などというのは、視線の重要性をあまり認識していない粗雑な考えに思えてなりません!(やれやれ、ちょっと感情的になってきましたね)。もし言うとしたら私は「相手の目を注意深く見ながら話せ」と言いたい。ところが、ここにもっと良い方法がありました。私の愛読書「聖なる予言」にも書いてあったことですが、相手と話す時は「相手の顔全体に焦点をあてて話す」ようにすれば良いらしいのです。こうすれば相手に失礼にもならないし、相手の視線にキャッチされ相手のペースに巻き込まれてしまうこともないのです。さらに良いことに(まだ未検証ですが)相手の顔全体に焦点をあてることによって、相手とのコミュニケーションをスムーズにし、相手がこちらに伝えるべき情報をうまく引き出せるらしいのです。もちろん只相手の顔に焦点を当てるだけではないので、この続きは「聖なる予言」を読めば書いてありますので、興味のある方はどうぞ。


「1998.10.30(金)」・バスケットもがんばってるよ
・今年1998年はスポーツの話題が大変盛り上がった年でした。長野オリンピック、サッカーのW杯、大リーグ、そして横浜が優勝した日本のプロ野球・・・ところで私の大好きなNBAは本来なら11月から開幕ですが、今年はロックアウトのおかげで早くても12月からの開幕になるということです。引退が噂されているマイケルジョーダンの去就もそれと共に保留になっているようで、ファンとしてはやきもきしている状態です。ちなみに今日のスポーツ新聞でひっそりと報道されていましたが、能代工業高校が秋期国体を制し3連覇を飾りました。能代自体圧倒的な強さを誇り大した記録ではありますが、更に注目すべきは能代3年のエース田臥君が高校時代の全国制覇が、これで8度目になり、あと一つ12月の高校選抜を制すれば前人未到の高校9冠を達成するということです。田臥君は背が低いのが難点なのですが、プレイスタイルは超高校級で、魅せるバスケットができるスター性をもった選手だと思います。日本バスケット界は低迷していると言われてるようですが、是非田臥君等に盛り上げていってほしいと思います。


「1998.10.11(日)」・私の嫌いなもの、にぼし

 ・ほかほか弁当を買ったら惣菜として、にぼしの佃煮のようなものが入っておりました。幼少の頃からどうしてもダメな食べ物です。生ゴミで捨てるには忍びなく、そうしてしまってしばらくにぼしの匂いが出るのが何よりもいやなので、泣く泣く水で流し込みながら食べました。味噌汁のだしくらいなら我慢できますが、ダイレクトはやっぱりきついです。人には食わず嫌いの食べ物と、どうしても生理的にダメという食べ物と二種類あると思います。にぼしは私にとって後者の食べ物です。酒がダメな人は単なる飲まず嫌いの人の他に、身体にアルコールを分解する成分が無くて、本当に酒を受け付けないタイプの人があるということです。私の場合もしかしたら、にぼしを受けつけない身体的要素があるかもしれません。小さい頃は嫌いなものが沢山ありました。肉、寿司、納豆、トマトジュース、お汁粉、セロリ、パセリ、レーズン等々・・・今ではほとんど克服し大好物にまでなったものもあります。成人してからやっと食べられるようになったものもあります。ところがにぼしだけは、今でもどうしてもダメ。食べろと言われれば食べられますが、咽越しの生臭さがどうしてもダメで、じっくり味わっていると吐き気をもよおす程です。考えますにこういう食べ物はきっと神が食べなくても良いといっておるのではないかと思います。きっと誰でも一つは全く受け付けない食品があると思いますが、そういうものは無理して食べるのはどうか思います。私のお嫁さんになってくれる人は、にぼしのだしの味噌汁が好物という人じゃない方がいいなあ・・・等と思う今日この頃でした。


「1998.10.10(土)」・外人にうろたえる

 ・めづらしく、外人に声をかけられました。といってもかわした会話は「ロッポンギ?」「ノー」だけでしたが。

 私は都営新宿線から、市ヶ谷で乗り換え王子まで行きそこから西新井までのバスに乗ろうとしておりました。
 その為都営地下鉄南北線の市ヶ谷駅のホームで、赤羽方面行きの電車を待っておりました。電車が来てさあ乗ろうとすると、私の背中の方で男性が二人慌てふためいてこちらに駆け寄ってくる気配を感じました。
 私は一瞬殺気を感じましたが、振り返ると、いかにもカントリー風の、レストランでも経営してそうな恰幅の良い白人男性が、私の乗ろうとしている電車を指して私に「ロッポンギ?」(独断意訳:私達はこれから六本木に行こうとしているのだが日本語がわからず、どう行けば良いのか知りたい。すでに電車は来てしまっているが、もしかしたら貴君の今まさに乗らんとしている電車は我々の行きたい六本木方面に行く電車ではないのか?)と問いかけてきました。
 六本木は全然方向が違うのでとにかく咄嗟に「ノー」(意訳:あなた方は随分慌てていらっしゃるようだが、日本語の分からない外人の方と見た。私はこれから王子へ行くのであるが、ちなみに六本木はこの電車の行く方向にはない)と答えました。その後(六本木に行きたいのであれば、おそらく貴君は反対側の電車に乗らなければいけない。それについては・・・)という意味のことを説明しようとしましたが、外人は私のノー情報のみで十分だったらしく、オーケーというようなジェスチャーをして去って行きました。

 ともあれ電車が来てたので私は乗り込みましたが、電車に乗った後も自分の語学力の貧弱さを恥じ、先程のシーンを思い起こし「彼は果たして英語圏の外人だったのか?もしかしたらイタリア人だったのではないか?」等と、その場で必要とされたコミュニケーションは取れていたのにも関わらず、ウジウジと考える始末でした。

 話は飛びますが地下鉄の南北線はできたてなのでコギレイで、いつも空いており、駅のトイレ等も奇麗で、駅自体のスペースもあって、非常にストレス無く乗れる線です。私は非常にいいと思っております。


「1998.10.9(金)」・蚊を防ぐために

 ・例年夏場過ぎても、秋になっても、夜寝ているときに来る蚊にはずっと悩まされてきました。ところが今年は夏にちょっと刺されたくらいで夜は全然蚊には刺されていません。蚊がいなくなった訳ではないと思います。
 果たしてこれは全てに有効な方法かどうかはわかりませんが、これをしだしたら蚊に刺されなくなったので、あくまでも参考のためですが、この方法を紹介してみたいと思います。
 薬品の類いは使用しません。使用するのは電灯です。自分の寝ている部屋の蚊が入ってきそうな入り口の外を明るくして自分の寝る部屋の中は蛍光灯はやめ白熱灯等でちょっと暗めにします。蛍光灯はどうしても必要な時だけつけます。寝る時は部屋の電気はもちろん消します。これで私の部屋には蚊が入ってこなくなりました。これに気付いたのは、蚊の出所を調べた時でした。最初部屋の戸をいくら閉めてもどこからか蚊が入ってくるので、どこから入ってきやがる!と思っておりましたが、どうも風呂場の排水溝から上がってくるらしいということが判明しました。というのも昼間風呂場に行くと必ず蚊やいろんな虫がいるのです。私のところは風呂場に窓が無いので、風呂場と外界とのつながりは、排水溝か換気扇しかありません。きっとこのいずれかをかいくぐって彼等は入って来ていたのでしょう。いずれにしろこれは閉めておく訳にはいかないので、仕方なく今まで蚊には薬品で対応しておりました。ある時ゴキブリが突然出られるのが恐いので風呂場の電気をつけたままにする日が何日か続きました。そうこうしているうちに、ふと気がつくとそういえば蚊にも最近刺されなくなっておりました。私の部屋の入り口の外にすぐ風呂場があるので寝る時は入り口側が明るくなります。どうやら今までは風呂場の電気を消すと、さあ行け!と言う感じで、まだテレビ等を見て明るい私の部屋めがけた蚊が来襲していたようなのですが、それが今度は風呂場はいつも明るい、私の部屋は電気を消してしまうので結局蚊はずっと風呂場にいるしかない、こういうことになってるらしいのです。もしこれが本当なら、彼等は空腹よりも光を求めているのです!。なんと単純な・・・ま、蚊の勝手ですが。電気がもったいない、電気がついてるのはダメという人にはお勧めできませんが、私以外の人がやるのでしたら例えば部屋の外の廊下の電気を付けたままにしておくとかそういうことになると思いますので、誰かやって試して下さい。蛍光灯より白熱灯の方が身体のオーラにはいいようです。でも本当にこんな単純なんでいいのかな?


「1998.10.3(土)」・愛を語る作品

 ・当ホームページでも取り上げている谷沢邦彦氏の最新個展「GARDEN」を見てきました。自然の草木や動物等をモチーフにした、クレヨン・色鉛筆で描かれた色鮮やかな作品が出典されておりました。テーマは「愛」とのことです。現代では多少陳腐に聞こえがちな「愛」について、作品を通じてもう一度見つめなおそうという意図もあるようです。
ところで谷沢氏は私の高校時代の同じ美術部の同級生でありまして、現在は空間デザイナー等として活躍しております。趣味でそれまで描きためていた作品を昨年初個展「Mamaliga」として公表し、今回また個展という形で第二弾が開催されました。まだ作品を御存じない方のために私が個展に出品した作品の写真を、このページに掲載しておりますので、そちらを是非御覧になって見て下さい。素人写真なので、ちょっと雑に写ってしまっている感もありますが、大体の雰囲気は伝わると思います。加えて谷沢氏が挿絵で参加している、ソニーコミュニケーションネットワーク(株)の世界の童話を紹介したインターネットページ「ストーリーゲート」もありますので、そちらも是非御覧になって見て下さい。
◆「GARDEN」
◆「ストーリーゲート」


「1998.9.25(金)」・人生楽ありゃ苦もあるさ

 ・仕事帰り、日も暮れかかった頃、とある遊歩道をとぼとぼと駅に向かって歩いておりました。
 その遊歩道が県道と交わるところに横断歩道があり、当然信号もあり、赤だったので私は信号待ちをしておりました。
 いつもウォークマンをしていて、その時も曲を聴きながら遠くの空が暗くなっていくのをボンヤリ見ておりました。
 信号がなかなか変わらず、信号待ちの人も増えてきました。

 私のちょうど当面にはやはり仕事帰りのOL風が自転車に乗って信号を待っておりました。
 実はこの信号、押しボタン式の信号で、ボタンは押されていない状態だったので、信号が変わらないのも無理ありません。

 私の斜めすぐ後ろにはボタンがありました。
 その当時のシチュエーションとしては、私が最もボタンに近く、私が気付いてボタンを押すのが最も妥当なパターンでありました。
 しかし先程も述べたように、私と言えば曲を聴きつつボーッとしていたので、ボタンは押されるべくもありません。
 すると向いのOLが「なによ、これ!ボタン押されてないんじゃないの?!」という感じで、サッと自転車を降り、当面側の少し離れたボタンに駆け寄りボタンを押してくれました。

 さて、そのOLがサッと自転車を降りた時ですが、ちょうど私の真正面だったので、降りる時に私に向かって膝を一旦上げる形になり、夕方ということもあり、はっきりとは確認できなかったのでありますが、スカートの奥の見えてはいけないものがチラッと私の視界に入ったような、一瞬ですが、ラッキーが起りました。
 
 信号はすぐ青に変わり人々が一斉に横断歩道を渡りはじめました。私はそのOLとすれ違う時に、「僕の変わりにボタンまで押してくれたうえに、パンティーまで見せてくれて本当にありがとう!」と、もちろん心の中で謝辞しつつ、心の中で軽く会釈をし、心の中で拝み、横断歩道を渡ったのであります。
しかし・・・

 この後、やや浮かれ気味の私に対し、神が天罰を下すことになるとは・・・。

 電車が自宅の最寄り駅に到着し、駅まで自転車で来ているので、自転車置き場まで行き、自転車に乗って帰路につきました。
 途中コンビニに夕食を買いに寄り、自転車を降りて駐輪した時のことでありました。

 ふと私の自転車の後輪に目をやると、レンガ色のような粘着性の物体が名刺大位の大きさで、タイヤにべっとりと付着しているのが見えました。

 「ナ、ナ、ナ、ナヌ?!」、
 戦慄が身体中を駆け巡り、次の瞬間、私は固まってしまいました・・・ウンコでした。
 そう、どうやら犬のウンコを見事にふんずけてしまったようなのです。

 コンビニでの買い物もそこそこに、私は家に着くまでに水たまりを見つけそこでウンコを払い落としました。
 しかし全部とれなかったので結局家まで持ち帰り(持ち帰りだけはしたくなかった・・・)ホースの水で払い落とすことになりました。

 さっきまでのラッキーも台無し、夕食への食欲もそがれ、散々な帰宅になってしまいました。
 たかが一握りのウンコでこれだけ引っ掻き回されるとは・・・。
 ・・・の多い一日でありました。


「1998.9.23(水)」・私のホームページの題名の由来

 ・ホームページの表紙や、他のページの見出しの一部等をリニューアルしてみました。
 私のホームページの題名「1st 河童星人 on the earth」(地球に降りた最初の河童星人)についてですが、どういう意味かと申しますと、あまり深い意味はありません。たまたま、何となく星人というコンセプトに合致してはおりますが。

 実を言うと、この題名は、私の崇拝するアーチスト元ザ・ビートルズのポールマッカートニーのウイングス時代のアルバム「レッドローズスピードウエイ」に「ループ」というインストロメンタルの曲がありまして、この曲の副題が「1st Indian on the moon(月に降りた最初のインディアン)」となっておりまして、ここから拝借というか、この題名になぞらえてこのページの題名も付けた訳であります。ちなみにこの「ループ」という曲は私自身それ程好きな曲という訳ではありませんが、アルバムで次にくるメドレー曲の導入的な役割を果たしている感じがして、それが結構良い感じではあります。


「1998.9.20(日)」・首相と番記者

新聞
1998.9.19(土)朝日新聞

 ・日テレの深夜番組「号外!!爆笑大問題」でも以前紹介された朝日新聞の首相(現小渕)と番記者のインタビューコラムです。
「人間だでな」なんて、お前は小泣きじじいカイ!そのあと自分で「ボキャヒン」などと今時風に略していったまでは良かったのですが、さすがに分かりにくいと感じたのか、すぐ自分で解説してしまっているところはちょっと悲しいものがあります。せっかく「しばらく間を置い」た間に自分でうまいこと考えたと思ったんでしょうに・・・「行ってきます、アメリカに。」おつかいじゃないんだから・・・



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