「2000.7.28(金)」・蠍座輝きアップ
僕は蠍座の男である。
しかしながらこの事実は「蠍座だからといって必ずしも女性にモテルわけでは無い」という定理を実に鮮やかに証明していることになる。 ちなみに余談だが、僕は蠍座B型タヌキである。
さて無駄話はこれくらいにして、そんな蠍座であるが、本家の蠍座のほうが、最近輝きをアップしたそうで、今日の夕刊にその記事が出ていた。 蠍座の中の一つの星が、ガスを大量に放出したらしく、輝きがそれまでの60%増しになったそうである。こんな明るい「変光星」が見つかるのは、新星を除けば極めてめずらしいそうである。
ところでこの星は約600光年の距離にあるそうなので、この「ガス放出」は単純に考えると、地球時間で西暦1400年頃に既に行われていたことになる。 地球人はこの事実を今頃になってようやく知ったことになる。宇宙的に見れば「地球(知るのが)おせえぞー」てなとこだろう。
日本で1400年頃というと室町時代で足利義満の頃、能の世阿弥などが活躍していた時代である。
だが地球人は悲しいかな光の反射でしか視覚的認識ができないので、光の到着を待ってようやく他の星の事実を知ることになる。 こう考えると、時間とは?宇宙とは?光とは?認識とは?といろいろな疑問で頭が混乱してくる。
とにかく我々の些細な生活とは、時間的にも物理的にも遥かにスケールのレベルの違うことが、宇宙では行われているようである。 |
「2000.7.27(木)」・そんなことしてていいのか?
靴下やハンカチを普段ラックに入れているが、最初は整頓していたそのラックも、時が立つにつれ、次第にグチャグチャになっていた。
今日はそのラックを久しぶりに整理してみた。
ハンカチは駅の売店やコンビニでも安く入手できるので、外出時にハンカチを忘れた際、その都度購入を続けてきた結果、こんなことになってしまっていたのである。更に洗った新しいのがラックの一番取り易い位置に突っ込まれ、それをまた使用して・・・などとしていたため、奥に入ってしまったものは、二度と陽の目を見ることができないような状態になってしまっていたのである。 「あっ、そういや、こんなのあったっけなあ・・・」
次から次へと出てくるハンカチからは、今まで奥の奥に押し込まれていた苦しさからくる呻き、そしてその事実への怒り・苦悩・恨み・つらみをヒシヒシと感じた。
使用されずクシャクシャになっていた痛ましい姿のハンカチ群を目の当たりにし、僕は「スマン!申し分けなかった!」と反省の気持ちで一杯になる。と、同時にこんなに沢山ハンカチあって、一体どーすんダ?というヤヤ逆切れ的な疑問も沸いてくる。ハンカチは沢山あんのに、なんで女は寄ってこねえんだ?と、話がまた変な方向へ行きそうになる。 そこで古びたハンカチはもう処分してしまうおうと思い、いるのといらないのに仕分けしようとしたところ、ハンカチ達の氷のように冷たい視線攻撃を一斉に浴びることとなった。 「ご、ご、ゴメん、ゴメン、ウソ、ウソっすよ・・・皆さん・・・」
今僕は山積みされたハンカチを目の前にし、そごうの方達の今後の行く末を考えるのとはレベルは違うが、彼女(ハンカチのこと)達の、今後の人生(?ハンカチ生?)について、どのようにしてやるのが一番良いか、思案し苦悩し途方にくれている。 まず自分の人生何とかしろよ!と言われそうなのにな・・・。 |
「2000.7.26(水)」・今ヤツ再び
部屋の脇で、突然カサカサカサと非日常的な音がした。
音の出所は大方予想はついていた。
「ヤツだ・・・」
ゴキブリホイホイにヤツが捕獲されていることは、僕にとってはかなり複雑な事態である。
ゴキブリホイホイからは、尚も定期的にカサカサという音がしている。
恐る恐るゴキブリホイホイの中を遠巻きに覗いて見た。
ギャーッ!
しかも恐ろしいことに、ヤツはホイホイの側面から入室したらしく、身体の側面数ミリは、ホイホイからはみ出していた。ヤツは横にスライドすれば逃げ出せると考えついたようで、横に一生懸命身体を動かしている。
僕は恐いものみたさに、もう一度ヤツの動きを監視した。
僕は確実にいつもの平静さを失っていた。
ヤツはもう今にも出てきそうであった。
恐怖に脅える僕の脳裏に、ヤツの脱出が成功裏に終わった場合の戦慄の情景が一瞬よぎった。
そして次の瞬間、ほとんど本能的に、側にあった分厚い電話帳を、ゴキブリホイホイの屋根の上に満身の力を込めて叩きつけていた・・・ 言いしれぬ疲労感と、虚脱感、そして目一杯の後味の悪さが僕を包み込む。
本件のパニックの影響により僕はその日の用事の一部を失念してしまうこととなった。
そこには一匹のゴキブリに人生を翻弄されている、哀しいモテナイ独身青年の姿だけがあるのみであった・・・ |
「2000.7.25(火)」・願い
いろいろ叶ってほしい願いは人それぞれあると思う。
それは何だ?ということであるが、それは「現象に色づけをしたい」ということである。
どういうことか? 僕は自分で夢を実現できなかった原因を自分で色々分析したりしているのだが、それは一つには夢が定まらずに、力の入れどころがどこか違っていたのではなかろうかと思ったからである。 一生懸命生きているつもりだが、一生懸命の力の入れどころが、どうも間違ってき続けたような気もしている。どうもポイントがはずれた部分に力を入れすぎて、大切な時間をそれに費やしすぎてしまったような気もしている。下手に力を入れすぎたばかりに、その結果招いてしまった樹海のような出来事に決着をつけられずに、未だに足をとられてしまっているような気もしている。そして夢はどんどん遠のいているような気もしている。
そこで次のようなことを、空想してみる。 自然現象、人との出会い、テレビ・雑誌・新聞などの情報、目の前に起こるいろいろな出来事、事件、・・・
目の前に提示される現象から、自分の夢の実現に必要なものだけを選んで、それに対して力を入れることができたとしたら、もしかして夢実現の流れに乗れていたのでは無いか?という気もしないではない。 そんなわけでいろんな現象に色がついていたらなあ、と思うのである。
・新聞の記事を読んでいて、いろんな悲しい記事に心を痛める。世の中をなんとかしなくちゃと思う。しかし、それらの記事には何も色がついていない。ふと新聞の片隅に目を移すと、とある本のレビューの小さな記事が金色を放っている。僕にはこの記事の方が実は重要な記事だった。
・・・と、こんなように様々な現象が色分けされていたら、今頃樹海に迷いこんだような生活はしてなかったのになあ、などと思う。 ・・・と、まあ、こんなこと考えてる暇あったら、とっとと自分のやりたいことしろよ、というのが本日の結論です。無駄なことは考えずに、もっと夢に集中しろよ、というのが本日の結論2であります。 今日は比較的真面目でしたかな。たまにはこんなのもはさんどかないとね。
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「2000.7.24(月)」・大相撲名古屋場所の一風景2
大相撲名古屋場所は相変わらず見所満載であった。 序の口に「大露羅」という名の力士がいる。序の口あたりだと結構普通の名字っぽい名前なども多い中、この「大露羅」という字は結構目立つ。
これは「大」「露」「羅」と書いて、「オーロラ」と読むそうである。ロシア出身で今場所は調子が良いらしい。 「大露羅」は、いわゆる「当て字」である。
それにしても、別にそのままカタカナで「オーロラ」でも良くはないか?とも思う。
ま、こういう力士名があった方が話題にもなるし、見ているほうも楽しいから良いと思うが、じゃあギャグなのか、ボケなのか?というと、そうでもないらしい。
かなり前のほうの席に若者が座り、座った途端すかさず携帯を取り出し、自分が画面に映っている事実を誰かに連絡していた。僕は「オヤオヤ、最近の若者は・・・」などと思っていたが、その若者のすぐ斜め後ろの中年婦人に視線を移すと、彼女の耳にも携帯電話があてがわれていた。 現在十両に番付されている水戸泉の取り組みが始まると、場内が一気に沸く。かなりの人気者である。
さて、全然話は変わってしまって、まことに申し訳ないが、新生プッチモニの新曲「青春時代1.2.3!」は良かったです。
自分今歳幾つだ?、全く・・・。 |