Monologue29 (2000.7.24〜2000.7.28)

「2000.7.28(金)」・蠍座輝きアップ

 僕は蠍座の男である。
これはキムタクと同じだと言うことを、是非強調しておきたい。
いいね、くれぐれも言っておくが、キ・ム・タ・ク・と・オ・ン・ナ・ジ・ダ・カ・ラ・ネ!
もう、いいか。

 しかしながらこの事実は「蠍座だからといって必ずしも女性にモテルわけでは無い」という定理を実に鮮やかに証明していることになる。

 ちなみに余談だが、僕は蠍座B型タヌキである。
なんか、フォアグラと舌平目の納豆巻、みたいな感じ。

 さて無駄話はこれくらいにして、そんな蠍座であるが、本家の蠍座のほうが、最近輝きをアップしたそうで、今日の夕刊にその記事が出ていた。

 蠍座の中の一つの星が、ガスを大量に放出したらしく、輝きがそれまでの60%増しになったそうである。こんな明るい「変光星」が見つかるのは、新星を除けば極めてめずらしいそうである。
 その星に何があったか知らぬが、きっとなんかあったんでしょう。

 ところでこの星は約600光年の距離にあるそうなので、この「ガス放出」は単純に考えると、地球時間で西暦1400年頃に既に行われていたことになる。

 地球人はこの事実を今頃になってようやく知ったことになる。宇宙的に見れば「地球(知るのが)おせえぞー」てなとこだろう。
 地球人が「なんかあったの?」と尋ねても、「ガス放出」星の人から見れば、「え?いつのこと言ってんの?」となる。

 日本で1400年頃というと室町時代で足利義満の頃、能の世阿弥などが活躍していた時代である。
もし他の星の人が、日本人に「今度の総理大臣足利尊氏さんスカ?」とか「今度建てた金閣寺すごいっすねえ!」などと言っていたら、「アンタ何言ってんの?」と言われかねない。

 だが地球人は悲しいかな光の反射でしか視覚的認識ができないので、光の到着を待ってようやく他の星の事実を知ることになる。

 こう考えると、時間とは?宇宙とは?光とは?認識とは?といろいろな疑問で頭が混乱してくる。
 我々が普段見ているものは、光の反射を見ている。じゃあ今目に映っている出来事は光の幻影なのか?今太陽や蛍光燈の光で見えている色は本当の色なのか?そういえば赤い光の部屋では色が全然違って見える。
 そもそも物に「本当の色」などというものがあるのか?
いろいろ疑問はつきない。

 とにかく我々の些細な生活とは、時間的にも物理的にも遥かにスケールのレベルの違うことが、宇宙では行われているようである。

「2000.7.27(木)」・そんなことしてていいのか?

 靴下やハンカチを普段ラックに入れているが、最初は整頓していたそのラックも、時が立つにつれ、次第にグチャグチャになっていた。
 入れているというよりは、もはや突っ込んでいる、という感じになってしまっている。

 今日はそのラックを久しぶりに整理してみた。
すると奥から忘却の彼方に置き去りにされていたハンカチが、膿のように次から次へと出てきた。
もちろんグシャグシャになっている。

 ハンカチは駅の売店やコンビニでも安く入手できるので、外出時にハンカチを忘れた際、その都度購入を続けてきた結果、こんなことになってしまっていたのである。更に洗った新しいのがラックの一番取り易い位置に突っ込まれ、それをまた使用して・・・などとしていたため、奥に入ってしまったものは、二度と陽の目を見ることができないような状態になってしまっていたのである。

「あっ、そういや、こんなのあったっけなあ・・・」
「あれっ?、こんなの持ってたっけ?・・・」

 次から次へと出てくるハンカチからは、今まで奥の奥に押し込まれていた苦しさからくる呻き、そしてその事実への怒り・苦悩・恨み・つらみをヒシヒシと感じた。
 中にはうす黄ばんだものもあり、ハンカチとしての全盛はとうに過ぎ去り、すっかり精彩を欠いてしまったものもある。そうしたハンカチからは「なぜ私の一番美しい時に愛してくれなかったの?」という悲痛な嘆きすら聞こえてきそうであった。

 使用されずクシャクシャになっていた痛ましい姿のハンカチ群を目の当たりにし、僕は「スマン!申し分けなかった!」と反省の気持ちで一杯になる。と、同時にこんなに沢山ハンカチあって、一体どーすんダ?というヤヤ逆切れ的な疑問も沸いてくる。ハンカチは沢山あんのに、なんで女は寄ってこねえんだ?と、話がまた変な方向へ行きそうになる。

 そこで古びたハンカチはもう処分してしまうおうと思い、いるのといらないのに仕分けしようとしたところ、ハンカチ達の氷のように冷たい視線攻撃を一斉に浴びることとなった。

「ご、ご、ゴメん、ゴメン、ウソ、ウソっすよ・・・皆さん・・・」
結局僕は、クシャクシャになったハンカチは、もう一度洗濯機で洗い直すことにした。

 今僕は山積みされたハンカチを目の前にし、そごうの方達の今後の行く末を考えるのとはレベルは違うが、彼女(ハンカチのこと)達の、今後の人生(?ハンカチ生?)について、どのようにしてやるのが一番良いか、思案し苦悩し途方にくれている。

 まず自分の人生何とかしろよ!と言われそうなのにな・・・。

「2000.7.26(水)」・今ヤツ再び

 部屋の脇で、突然カサカサカサと非日常的な音がした。
恐怖感がジワジワと押し寄せてくる。

 音の出所は大方予想はついていた。
脇にあったゴキブリホイホイに、おそるおそる視線を移す。
しばらく緊張と恐怖のうちにゴキブリホイホイを凝視していると、再びカサカサと鳴った。

 「ヤツだ・・・」
あきらかにヤツが獲れている・・・

 ゴキブリホイホイにヤツが捕獲されていることは、僕にとってはかなり複雑な事態である。
1.(普段見かけないと思っていたが)やっぱりいやがったか・・・という、絶望と落胆。
2.捕獲されたヤツを目で確認することの言いようの無い恐怖。
以上の2点により、捕獲されたことが必ずしも喜ぶべきことでは無いのである。

 ゴキブリホイホイからは、尚も定期的にカサカサという音がしている。
何か次第にそれは大きくなって今にも僕に襲ってきそうな気配すら漂わせてきた。
それはヤツの悶え・怒り・執念、地球上のありとあらゆる邪悪な想念を全て凝縮したような空恐ろしい音であった。
この狂気のサウンドが続く限り、僕はそれを放置したままにしておく気にはとてもなれなかった。

 恐る恐るゴキブリホイホイの中を遠巻きに覗いて見た。
するとゴキブリホイホイの粘着面とはあきらかに色の違う、黒光りした大きな物体が視界に入ってきた。

 ギャーッ!
僕は声こそあげなかったが、心の中ではムンクの「叫び」状態になっていた。

 しかも恐ろしいことに、ヤツはホイホイの側面から入室したらしく、身体の側面数ミリは、ホイホイからはみ出していた。ヤツは横にスライドすれば逃げ出せると考えついたようで、横に一生懸命身体を動かしている。
邪悪な触覚が何か不敵な余裕をもってでもいるかのように、ユックリと左右に動いていた。

 僕は恐いものみたさに、もう一度ヤツの動きを監視した。
ヤツは後ろ足を真っ直ぐ目一杯のばし、ちょうど猫が背伸びをするような状態で足を粘着液から取ろうとしていた。その動きがまた非日常的なグロテスクさと生命の異常な執念の炎を感じさせ、僕に一そうの恐怖感を与えた。更に僕の恐怖感を煽った事態は、尚も必死に抵抗するヤツの身体が心なしか、一歩一歩脱出に向かって着実に外側にはみ出しているようにも僕の目には見えてきたことである。

 僕は確実にいつもの平静さを失っていた。
人生は云々、恋愛は云々、芸術は云々などと普段ノホホンと語っていた僕はすでにいなかった。
恐怖に脅える地球の片隅のいっかいの動物と化していた。

 ヤツはもう今にも出てきそうであった。
ヤツの後ろ足は相変わらず力強く、そしてしなやかに一定のリズムをもって伸縮を繰り返し、背中の羽は生き生きと黒光っていた。
そこには捕獲された諦観など微塵も無かった。
その怒りは無機的で氷のように冷たく感ずるかと思えば、一方ヤツの脱出への底知れぬ無限大とも思える執念があった。
必ず逃げてやる、いやオレがここから逃げられないわけが無い、という不敵な自信すら窺えた。
この小さい箱の中で、全てを覆してやる!とでも言いたげな恐るべき反逆が、着実にそして威圧感すら持って進行されていた。
なんという恐ろしい生命力!、生きることへの飽くなき執念!、そしてなんというグロテスクさ!無気味さ!
まるでこの世の悪という概念を全て集め象徴しているかのような異様な臨場感を帯びたその肉体!

 恐怖に脅える僕の脳裏に、ヤツの脱出が成功裏に終わった場合の戦慄の情景が一瞬よぎった。
今ここに殺虫剤は無い。
最悪のケースはどうしても避けたい。
僕は完全にパニックに陥っていた。
恐怖という亡霊に完全に取り憑かれていた。

 そして次の瞬間、ほとんど本能的に、側にあった分厚い電話帳を、ゴキブリホイホイの屋根の上に満身の力を込めて叩きつけていた・・・

 言いしれぬ疲労感と、虚脱感、そして目一杯の後味の悪さが僕を包み込む。
僕はほとんど機械的に身体が動くままに、コンビニの袋を二重三重にしてゴキブリホイホイを包み、収集日にはまだ幾日かあるアパートのゴミ収集場に、それを捨て去りに行く。

 本件のパニックの影響により僕はその日の用事の一部を失念してしまうこととなった。
恐怖というのは、疲労感・絶望感・虚無感を自身に再生産させるのみで、一利も無い。

 そこには一匹のゴキブリに人生を翻弄されている、哀しいモテナイ独身青年の姿だけがあるのみであった・・・

「2000.7.25(火)」・願い

  いろいろ叶ってほしい願いは人それぞれあると思う。
僕としては美人を周りにはべらして、悠々自適に暮らしたい、なんて願いもあるが、それよりも何よりも差し迫って叶ってほしい願いがある。

 それは何だ?ということであるが、それは「現象に色づけをしたい」ということである。
それこそ何だそりゃ?と思われた方もあろう。

 どういうことか?

 僕は自分で夢を実現できなかった原因を自分で色々分析したりしているのだが、それは一つには夢が定まらずに、力の入れどころがどこか違っていたのではなかろうかと思ったからである。

 一生懸命生きているつもりだが、一生懸命の力の入れどころが、どうも間違ってき続けたような気もしている。どうもポイントがはずれた部分に力を入れすぎて、大切な時間をそれに費やしすぎてしまったような気もしている。下手に力を入れすぎたばかりに、その結果招いてしまった樹海のような出来事に決着をつけられずに、未だに足をとられてしまっているような気もしている。そして夢はどんどん遠のいているような気もしている。
 自分の情けなさを露呈するようで気恥ずかしいが、自分の今の生活は、まさに「樹海」に入り込んでいるような気もしている。

 そこで次のようなことを、空想してみる。

 自然現象、人との出会い、テレビ・雑誌・新聞などの情報、目の前に起こるいろいろな出来事、事件、・・・
それらの現象は今までは全て自分にとって、どれも一様に同じような起り方で、同じような重大性をもって目の前に提示されてきた。
僕はそれが繰り広げられるごとに、同じ力の入れ具合でリアクションしてきた。
どうもこれがいけなかったような気もしている。最悪の場合は、自分の流れとは無関係なことに過剰なリアクションをしてきたこともあっただろう。

 目の前に提示される現象から、自分の夢の実現に必要なものだけを選んで、それに対して力を入れることができたとしたら、もしかして夢実現の流れに乗れていたのでは無いか?という気もしないではない。

 そんなわけでいろんな現象に色がついていたらなあ、と思うのである。
例えば、自分にとって重要な現象には「金」色がつくとする。危険な現象には「赤」などとする。それは何かオーラみたいな光を放つとする。

・新聞の記事を読んでいて、いろんな悲しい記事に心を痛める。世の中をなんとかしなくちゃと思う。しかし、それらの記事には何も色がついていない。ふと新聞の片隅に目を移すと、とある本のレビューの小さな記事が金色を放っている。僕にはこの記事の方が実は重要な記事だった。
・台風がくる。かなり大きな台風だけれど、その台風には色がついていない。その後に来た小さな台風には「赤」がついている。これは「この台風は危険だから注意せよ」という印。
・電話がかかってくる。ベルが鳴っている間、電話が金色に光っている。新しいワクワクするような仕事の電話である。また電話がかかってくる。ベルが鳴っている間、電話が赤色に光っている。怪しい勧誘の電話である。
・人の集まりに出席する。随分熱心に会話をかわした人がいる。しかしこの人には色が何もついていない。ふと遠くでにこやかに微笑んでいる人がいたので、見ると金色に光っていた・・・

・・・と、こんなように様々な現象が色分けされていたら、今頃樹海に迷いこんだような生活はしてなかったのになあ、などと思う。

・・・と、まあ、こんなこと考えてる暇あったら、とっとと自分のやりたいことしろよ、というのが本日の結論です。無駄なことは考えずに、もっと夢に集中しろよ、というのが本日の結論2であります。

今日は比較的真面目でしたかな。たまにはこんなのもはさんどかないとね。
以上、めっちゃ迷える子羊がお送りしました。

「2000.7.24(月)」・大相撲名古屋場所の一風景2

 大相撲名古屋場所は相変わらず見所満載であった。

 序の口に「大露羅」という名の力士がいる。序の口あたりだと結構普通の名字っぽい名前なども多い中、この「大露羅」という字は結構目立つ。
ダイツユラ?ン?なんて読むんじゃこれ?

 これは「大」「露」「羅」と書いて、「オーロラ」と読むそうである。ロシア出身で今場所は調子が良いらしい。

 「大露羅」は、いわゆる「当て字」である。
本気と書いてマジ、親友と書いてマブダチ、みたいな類いのものである。ちょいと違うか。

 それにしても、別にそのままカタカナで「オーロラ」でも良くはないか?とも思う。
何も当てなくても・・・とも思う。
相撲界は、そこまで漢字にこだわるか?とも思う。

 ま、こういう力士名があった方が話題にもなるし、見ているほうも楽しいから良いと思うが、じゃあギャグなのか、ボケなのか?というと、そうでもないらしい。
「大露羅」に対しては誰もつっこま無い。相撲界にツッコミはいない。ツッコムのは土俵の上だけだぜ、オレたちゃよ!、てなことなのだろう。
何しろお堅い相撲界であるから、ギャグなんて言ってる場合じゃネエゼこっちはよ、いつもオレたちゃ本気と書いてマジなんだよ、いつも!、てなことなのだろう。
確かにカタカナで「オーロラ」だと、メルヘン系少女マンガの主人公的な名前になってしまう。
「輝子」などとつけると演歌歌手にもなりかねない。
やはり力士的には「大露羅」で良いのだろう。
 
 対面に少女が座っていたが、股を開けっぴろげて観戦している。気になる。かなり気になる。
途中席を立った時に確認したが、どうやらスカートを履いているようなので、タイミングと角度さえ合えばスカートの中が御開帳といった事態になりかねない。
僕はこの一件に気を取られること数十分を費やした。
その内こちらの希望に水を注すように、少女の前席に人が座り、少女の下半身は画面上視界から被われ中身は永遠に封印されることとなった。

 かなり前のほうの席に若者が座り、座った途端すかさず携帯を取り出し、自分が画面に映っている事実を誰かに連絡していた。僕は「オヤオヤ、最近の若者は・・・」などと思っていたが、その若者のすぐ斜め後ろの中年婦人に視線を移すと、彼女の耳にも携帯電話があてがわれていた。

 現在十両に番付されている水戸泉の取り組みが始まると、場内が一気に沸く。かなりの人気者である。
ここでアナウンサーが「十両とは思えない大きな歓声が沸き上がります」と、思わず言ってしまう。
「十両とは思えない」という点に、着目していただきたい。
これは十両は普段は盛り下がっているよ、ということを暗に認めてしまっているということになる。
しかし、ま、事実は事実だから、これもいた仕方なかろう。

 さて、全然話は変わってしまって、まことに申し訳ないが、新生プッチモニの新曲「青春時代1.2.3!」は良かったです。
 今はどんな曲を歌っても、それを歌いこなすプッチモニの三人のパーソナリティが、私にはフィットしてしまいますな。特に新加入のヨッスィこと吉澤ひとみ嬢は、魅惑的な光を放っていて実にいいですな。
 私がもし他のモー娘のメンバーだったとしたら「オレもプッチモニやってみてえ」と思っていたと感じさせる曲であったことは正直に告白いたしときます。

 自分今歳幾つだ?、全く・・・。

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