Monologue28 (2000.7.17〜2000.7.23)

「2000.7.23(日)」・無意識への依頼事項

 モテナイ独身青年(僕のこと)の部屋には、当然ながら女性が来訪するということは無い。
こちらから呼んでいる訳では無いので、来ないのは当たり前といえば当たり前であるが、こちらから呼びもしないのに訪れて来てくれるという奇特な者たちも結構いる。

 夜のゴキブリなどは、その代表であるが、昼間も頻繁にやって来てくれる奇特な者たちもいる。

 日中窓の外を見ていると、いろんな者たちが来訪してくる。
カメムシ・ハエ・てんとうむし・カマキリ・バッタ・コオロギ・カナブン・チョウ・ハチ・素性の良くわからないアブ等々。
時にはスズメバチという脅威の招かれざる客もいる。
もちろん彼らはその手に手土産を持って来てくれるわけでも無い。
アブについては呼んでもいないのに、わざわざ部屋の中まで来訪していただいたため、帰っていただくのに大変骨を折った記憶がある。

 ウグイス・ハト・スズメといった、鳥類もいる。
それからたぶんカケスの類いだと思うが、頭がインデアンの飾りのような冠状になっている見たことも無いような鳥が飛んできて、こちらを覗いているのと視線が合い、お互いに大変驚愕しあったこともあった。きっと遠路はるばるやって来てくれたことと思われ、その節は大変ご足労をおかけした。
部屋の近くまでは来ないが、邪悪そうなカラスの一団も近所を我が物顔で飛んでいるのを良く見かける。

 その他、トカゲ、ムカデといった、いかにも女性に人気の無さそうな者たちも、こちらが女性にモテナイと知ってか知らぬか、同類と思うのか、寄って来たりする。

 ところで呼んだ覚えが無いのに来る来訪者があるかと思うえば、置いた覚えが無いのに存在する物体というのもある。
部屋の至る所に散乱する「毛」の類いがそうである。それらの形状は真っ直ぐなもの、ヒネクレタもの、様々である。

 寝室に毛が落ちているのは多少ながらもその理由は想像できる。
しかし、普段滅多に訪れる事のないような部所や、立った覚えの無い想像もつかぬ場所にまで毛が落ちていることがある。

 これ誰のだ?と思う。形状等からどうやら人間のものらしいことはわかる。
そこで、ここ数日来の我が家に侵入した人間について、どういう人物が侵入したか頭の中で状況を反芻してみることにした。
「え〜と、あの時がまず僕でしょ・・・、それから次が僕でしょ・・・、それから僕で、この後僕、と。更にあの時が僕でしょ・・・も、いいか。」。要するに「僕」しかいないのである。
ということは、これらの毛の元々の所有者は、どうやら「僕」らしい、ということが判明する。

 しかし僕には、これらの毛を室内に散布させて回った記憶は全く無い。
「一体いつ誰が、この毛を搬送・設置させたのだ?」
疑問は尽きない。

 実際のところ、これらの毛が確かに僕自身の持ち物だったらしいことは、どうやら認めざるを得ない。
きっと裁判に持ち込んだとしても、こちら側の敗訴の可能性は非常に大きい(誰と争うんだ?)。
DNA鑑定でもされた日にゃあ、たまったもんじゃなかろう。一発敗訴であろう。

 推測するに、移動に際して身体に付着したそれらの毛が、目的地に着いたと同時に、何らかの衝撃で(僕の意識としては無意識の内に)散布されたものと推測される。

 このように毛の頒布は、こちらが意図せぬまま無意識の内にやっていたことのようである。
これはちょっと考えると大変なことである。それは「毛」を無意識の内に「屋外」にも頒布していないと、誰が言えようか?いや言える。ということである。
カワイコちゃんのいるコンビニ、貴婦人達の集うスーパーなどに、己のジンジロゲを無意識に頒布させて回っている、などという空恐ろしいことが予想されるのである。

 しかしもうどうあがいたって、これを何とかするのは無理である。
それは無意識の為せるワザだからである。意識してやったことなら、その意識を無くせば良いが、無意識の場合はどうこうしても所詮徒労に終わるだけである。

 こちらが望んでもいないことが無意識に行われていることだとするなら、我が家へ幾度となく来訪するあの昆虫をはじめとした様々な来訪者達も、実は僕が無意識に呼んでいるのかもしれないでは無いか。

 ということは、考えるに僕は元々無意識には「女性」は呼んでいないってことか?
それはいかんな〜・・・?
早速「無意識」に「女性の訪問」を依頼しなくちゃ。

 無意識さん!、今度一つかわいい女性が我が家に来訪してくれるようお願いしますよ!。
えっ?今他の仕事で手一杯だから、また今度にしてくれって?
そんな〜。

「2000.7.19(水)」・懲りない輩

 インターネット上で注文した本が、最寄りのセブンイレブンで受け取れるというe-shoppingなるものを今回利用した。
注文してから数日かかるという点が多少難はあるが、モテナイ独身青年にとっては、ちょっと便利な点もある。

その理由は下記による。
1.「入手しにくい本」が都心に行かなくても手に入る。
2.「入手しにくい本」が確実に手に入る。
3.「入手しにくい本」の内容が、店員、その他の客にばれずに済む。

 上記の「入手しにくい本」を、まあ例えばの話だが、「ヌード写真集」という単語に置き換えてもらうと、モテナイ独身青年の胸中が良くご理解いただけると思う。例えばね、例えば。

1.については「ヌード・・・」は、身近な書店だと売れ筋は置いてあるが、ちょっとマニアックな当方の要望するようなものだと、ほとんど置いてない。ヌード関係の本は、ダメ!という雰囲気の書店すらある。こういう書店でのモテナイ独身青年の肩身はせまい。
結局神保町まで出ていって、大書店で購入することになるが、そうなると電車賃で往復1000円はかかる。
こんな場合手数料も1000円以下のe-shoppingは割安ということになる。

2.については、もしベストセラーになった場合、大書店に赴いていっても品切れの場合もある。
 e-shopping では注文時に在庫の確認が出来るので出向く無駄が無いのと、注文後は確実に入手できるという安心感がある。

3.これはかなり大きな理由だが、セブンイレブンに取りにいくと、商品がちゃんと梱包されていて、僕が何を購入したかは、その場の人間にはバレナイ。大書店で購入する時は、周りが皆同好の氏なので、購入時もそれほど恥ずかしくも無いが、レジがカワイコちゃんだったりで若干後ろめたさはまだある。その点e-shoppingは心置きなく購入できる。

 その他上記1〜3以外の理由として、僕も時々利用してる「本の宅配」だと、留守中に来てもらって、また出直して一日、下手すると一週間入手が遅れるということがあるが、e-shoppingは何しろコンビニに取りに行くだけなので、その心配も無いという利点がある。

 さて、じゃあおまえはその便利なe-shoppingで一体何を購入したんだ?と思われる方もあろう。
実は私の購入したのは、なんと「聖書」と「ゲーテ全集」です!・・・

・・・すみません、ウソをついておりました。

 本当は「in NATURAL」中島史恵写真集でやんす。
中島史恵嬢はシェイプアップガールズのメンバー。昔はショートカットだったので、また髪切ってもらいたいけどね・・・
今回の写真はオールヌードのカットもあるので、モテナイ独身青年としては、どうしても押さえとかなきゃイカンとオタクの血が騒ぎ、買ってしまいました。

 でもまあ、美しいというか、かわいいというか、いいですな。目の保養になります。
 そうだ。今日はこの写真集を枕の下に敷いて、彼女が夢に出てくるようにしよう!。
あれ?何か、まだ枕の下にはさまってるぞ?・・・何々?「キューティー鈴木写真集」?・・・

「2000.7.18(火)」・行く

 言葉というのは不思議と言うか怪しいもんである。
結構我々は言葉尻に惑わされることがしばしばある。

 「人間の運命はあらかじめ決まっている」などと言われると、人生もう自由も無く何か虚無的なもののように聞えてくる。
しかし「人間はあらかじめそれぞれの目的使命を持って生まれてきている」などと表現すれば、たちまち前向きで希望に満ちたように聞える。
両方とも同じことを表現しようとしているのに。

 そういえば少し話は変わるが、国によって同じことを表現するのに、全く逆の表現をしたりする時がある。

 日本では、とある行為をして最高潮に上りつめた時の感覚を称して「イク」という表現を一般的に使用しているようである。
ところが英語圏になると、同じ感覚を「COME」と表現するらしい。「COME」は単純に和訳すると「来る」なので、日本の「行く」とは逆の言い方になる。
 念のため英和辞典を紐解くと、「COME」の意の9番目にちゃんと「オルガスムに達する いく」と堂々と表記されている。英英辞典でもちゃんと「reach orgasm」と記載されている。市民権を得ているのである。
 一方広辞苑の「行く」の欄には、僕の探していた出てきてほしかった「オルガスム」という単語は出てこなかった。日本では市民権を得ていないのか?。いやいやもう十分得ているはずである。日本辞書界ではこの「行く」は見て見ぬふりをされているようである。「ま、そーゆー意味で使ってもいいけど、ここには載せんからねー」ということらしい。

 さて、こんな絶頂時に発する叫びの違いだが、これがもうちょっと突っ込んで見ると、次のような事柄に気づいた。

 英語圏では、「COME」は「I'm cominng」と現在進行形で使用されることが多い。和訳すると「私は現在、キテイル」もしくは「私は現在、キチャッテイル」となる。
一方日本もでも現在進行形的に「イ、イ、イッテル!」もしくは「イ、イ、イッチャッテル!」などと表現されることが多い。

 ここで僕は頭にパッとグラフが浮かんだ。
x軸とy軸のある簡単なグラフを思い浮かべていただきたい。
絶頂点を仮にy=3とした時に、日本的に言うと「イク」時の高まり曲線はy=-x2 + 3の曲線で表される。
このグラフを見るとわかっていただけると思うが、日本ではグラフのy軸を中心とした左側の部分に関しての状態、すなわち絶頂点以降の「イッタ」後の状況を表現していて、片や英語圏ではグラフの右側の部分での状況、すなわち絶頂点に至るまでの「来る」状態を表現していることに気づく。

結局どちらも高揚した気分を表現していることにはかわりないが、時間的な問題の違いで表現にも相違が出てきていたといえる。

僕は一体何をこんなに力を入れて説明したかったのか、自分でもわからぬが、まあそんな程度のことである。

「2000.7.17(月)」・大相撲名古屋場所の一風景

 BSでは昼過ぎの午後1時から大相撲の中継をやっている。
夕方6時まで延々とやっている。地上波のNHKでは見られない下位の人達の取り組みも放映している。
きっとマニアにとってはたまらない放送なのであろう。

 放送開始直後など、会場はまだ早い時間とあってハッキリ言ってしまえば、かなり閑散としている。
弁当を食う者、同行者との会話に花を咲かす者、真面目に観戦する者、観客の様子は様々であるが、一様にリラックスした、いや、リラックスしきったムードが漂っている。
ほとんどは中年以上である。平均年齢はかなり高い。

 良い試合というか、割とメリハリのある試合には、それなりの拍手と歓声が飛ぶ。
平凡な試合だと、終了後も場内はシーンとしている。いつ終わったのかわからぬくらいシーンとしている。
何の声援も無い。そういう場合は只淡々と事務的に試合が運行されていく。

 客席にはポツリポツリと人がいるのであるが、これが画面で見ると結構目立つ。
アップにすると、かなり詳細な様子がわかってしまう。周りに人がいないだけに余計目立つ。
これから観戦しようと考えている方達は、この初期放映時の映像の意外な明瞭さには、十分注意するべきであろう。うっかり気を抜いて鼻クソでもほじっていようものなら、そのあからさまな人間味溢れる映像を、克明に色鮮やかに全国津々浦々に放映されてしまうこととなる。

 画面の正面に見えていた、とある中年の紳士は取り組みが始まる、それこそ直前の直前まで手持ちの新聞らしきものに目を落としていた。行事の「ハッケイヨイノコッタ!」の声でも顔をあげない。力士と力士がぶつかり合った時に出される「バチン!」という音でようやく観戦体勢に入るのである。
もちろん勝敗が決すると、途端に新聞に目を落とす。新聞をみつつ観戦ということは無い。新聞の時には新聞に集中し、取り組みの時にはちゃんとそちらに集中している。この紳士はその後もこの方式で試合を観戦していた。
 この紳士は推測するにアンパンを食する時は、外のパンには全く目もくれず、中のアンコだけを狙ってヒタスラ食べるような人物かもしれない。
 この紳士、不可解なことに幕内の取り組みが始まってしばらくしてから姿を消してしまった。
そして、その日は二度とその席に戻ることは無かった。BS画面上から謎の失踪を遂げたのである。

 その紳士の数席隣に、見るからに上品では無い容貌の老人の姿があった。
上半身には明らかにTシャツでは無いと思える、どうみても半袖の下着と思えるシャツを着ていた。
下は普通のズボンであるが、ステテコでも履いていたら、もうバッチリという感じの老人である。
競馬場等のギャンブル系の会場が良く似合いそうな老人である。
 この老人の座っている席は、かなり良い席なので、もしかしたら関係者かもしれないし、かなりの実力者かもしれない。その世界では「源さん」などと呼ばれ、一目おかれている存在かもしれない。
 この源さん、容貌に似合わずなぜかキチンと正座をされていてその点は行儀が良い。随分熱心に取り組みを見ている。他の客は胡坐をかくなどリラックスして座っているが、この源さん、周りに人がいなくて広々としているのにもかかわらず、窮屈そうに正座をなさっている。
 しかし全体的な正座の格好があまり良くない。画面で見ると、右肩がヤケに上がっている。いや左肩がヤケに下がっていると言うべきか。座りごこちが悪そうである。どうやら正座はかなりきついらしい。
 案の定、幕内の取り組みが始まる頃から、足を伸ばしリラックスした源さんの映像が見られるようになった。
結局源さんは、最終の取り組みまでそこの席に居た。熱心な相撲ファンらしい。あなどれない方かもしれない。

 さすがに時間が立つにつれ若い女性の姿も増えてくるが、十両以前の取り組み時には、若い女性がほとんどいない。
 ごくまれに若い女性もいる。
 そんな中先述の紳士と同じように、なぜか幕内の取り組みが始まって程なく姿を消した女性がいた。ここでも「幕内後の謎の失踪」を目撃する。
幕下しか興味のない相当の通なのか?それとも幕下力士に知り合いがいて義理で見に来ていたのか?それとも単純に用事があって帰ったのか?それとも何か秘密の訳ありの女性なのか?。
 静かな幕下時映像の謎は深まるばかりである。

 ところで、女性の相撲ファンというのは相撲のどこに興味を惹かれているのか、ということに僕は興味を惹かれる。
 というのは女性の中には太った男性を好むいわゆるデブセンと呼ばれる種類の方達がいると聞く。
 そんなデブセンの女性にとっては。この相撲界こそは、まさにパラダイスなのではないか?
 相撲界は元来太った男性の宝庫であるが、それだけでは無い。
 相撲というのはユニフォームが、まわしのみである。ほとんど半裸の状態の男性が、汗を出し互いの肉塊を土俵上でぶつけあう格闘技なのである。もし僕が女性のデブセンだったら、これはもう失神状態すら呼び起こしそうな天国的状態なのではなかろうかと、そんな思いもする。
 この間は力士の回しがはずれ男性の大切な一物が見えた、という事件すらもあったというではないか。
 この会場に来ている女性の多くはデブセンなのだろうか?。力士のふくよかな肉体に涎もたらさんばかりに食い入るように見つめているのか?。などといったような興味も尽きない。

 BSでは副音声で英語の解説放送もある。これも興味深い。
 いろいろ食いつき所満載のBS相撲放送である。

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