Monologue26 (2000.7.1〜2000.7.7)

「2000.7.7(金)」・設計者でてきなさい2

 台風3号が現在日本に上陸しているらしい。
最近はインターネット上で「ひまわり画像」が見られるので、我々でも簡単に台風の形を見ることができるようになった。
台風側からすれば、フォーカス誌さながら、よもや自分のあられもない形状を上から写真を撮られていたなどとは、予想もつかなかったであろう。
台風氏は、自分が欲望のままに荒れ狂い、貪り、喚き散らし、のたうちまわり、悶え、喘ぎ、官能のままに白目を剥く様を、まるで天井から覗かれているが如く写真に撮られていたのである。

 今まで自分を上から見られるということは全然考慮に入れられていなかったので、自分の形状などなんら気にせずに好き放題しまくっていたようだが、もうそうはさせん。只台風諸氏には自分が盗撮されていることに気づいている気配は無い。それだけ昨今の盗撮技術(?)は進歩し気づかれにくくなっている。

 ところで「台風」と称される雲の形を見ると、必ず反時計回り、すなわち「左巻き」になっている。
左から右にうずを巻いている。

 この「左から右に」という部分、一体誰が決めたのか?
もちろん僕には決めた覚えはない。
「台風のうずは、左から右にお願いします」と、誰かに発注した覚えは無い。
そもそも僕が存在する以前より台風はあったはずである。
そうすると、この「左から右に」と決めた提案者・設計者はだいぶ昔の方であるとの推測がつく。

ひまわり画像を見ていると台風のうずは、ちょうど排水溝に水が流れこんでうずをつくる時の様に似ている。いつも必ずそうである。

 一言言わせてもらうと「たまには、右に巻いてみたら?」と、言いたい。
「自分に相当自信あるみたいだけど、もしかして君、右に巻くことできないんじゃないー?」
「え?ウソ?、左にしか巻けないの?、やー、マジー?、恥ずかしー!」

 台風側からすれば、僕の中傷には反論したいところであろうことは予測がつく。
「最初っから設計が、左巻きだからしょーがねえじゃん!」というとこであろう。

 そういえば台風諸氏は、設計・指示を忠実に守るかなり律義な性格の方々らしい。
うずの方向もそうだが、季節だって大体夏近辺に出没し、冬のさなかに突如「オレオレ!、わかるう?台風。来ちゃったよー。来るとは思ってなかっただろうー?」なんて風に勝手に来訪することはまず無い。
 進路だって、発生したら律義に北上してくる。バイトでちょっと余裕ができたので、ヨーロッパやアメリカにも3泊4日で出かけてくる、ということはまず無い。本当は「オレだって、たまにはアメリカでも行ってみてえよ」と思っているのかもしれないが、まるで誰かの命令を律義に守っているかのように北上する。
 おそらくアメリカにはアメリカの台風があって、それはお互いの領分を犯しちゃあいけねえという台風界の厳しい掟があるからなのかもしれない。仮にこの掟を下っ端の微弱な台風が破ったりとすると、アメリカ側では「親分!日本が殴り込んできましたぜ!」などとなって大騒ぎになることは間違い無い。

 こうしてみると、台風諸氏は乱暴だが上からの命令には忠実な律義な方々らしい。
台風界にはそれなりの仁義ってえもんがあるのかもしれない。
いずれにしても我々は逆らわずに、只ひたすら去っていってくれるのを待つのが賢明なのかもしれない。

 それにしても、これだけパワーのある乱暴な台風に、左巻きでいけ!日本にいけ!と厳格に命令・指示を出している人物(?)は、相当力を持った、かなりあなどれない、手強い存在らしいということは、どうも予測がつく。あれだけパワーのある台風諸氏も逆らえない人だから、かなりの絶大な権力のある人かもしれない。長年裏の世界で台風諸氏を掌の上で転がすように操っている影の黒幕かもしれない。

「2000.7.6(木)」・プチCDレビュー「ラプンツェル」Cocco

 先日Coccoのニューアルバム「ラプンツェル」を聴きましたが「樹海の糸」という曲が私好みで、これは大変良かったですな。この曲はサビのあとのコーラスの終わり方のフレーズがいいです。
 サビがすごくいいのに、コーラスのシメのフレーズが弱くて曲がヘナっちゃうケースが良くある中、Coccoの曲はその点センスがあると思いました。
 具体的に言うと、サビの後「あふれでる、にーくしみを」の「を」のところでF#がCdim7(たぶん)になるのが、大変良い!。ちと音楽がわからない人には何のことか、わからん話でしたな。失敬。

 アルバム全体的に、結構ロック色も強く、私は個人的には「樹海の糸」系7割でも良いとは思うのですが、まあこんなところでわめいても好きずきですから、仕方ありませんな。
他には「ポロメリア」、「しなやかな腕の祈り」が良いと思いました。
「けもの道」はシングルカットされています。

また東京の街をぶらつくときのBGMにしたいと思っております。

本当に表面的なレビューでお粗末さまでーす。

「2000.7.5(水)」・設計者でてきなさい

 アゴヒゲをなぞってみる。
昔チャールズブロンソンという映画俳優が、男性化粧品マンダムのCMで「Oh、マンダム」などとやっていたように。
ちと喩えとしては古すぎましたか。

 それは、いいとして、僕のあごひげは、左から右になびいている。
左からアゴヒゲをなぞってみると、抵抗が無くゴワゴワ感のみが指先に残る。
片や右からアゴヒゲをなぞってみると、ヒゲが突き刺さるように逆立つ。
「ちょっと、ちょっと、何よ今頃、そっとしておいてくれよ」とでも言われんばかりの、かなりの抵抗がある。
明らかにアゴヒゲ氏諸君は、左から右にきれいに一本の乱れも無く流れを作っている。

 ところで、この「左から右に」という部分、一体誰が決めたのか?
当の持ち主である、僕にはこれを決めた覚えなど全く無い。
「アゴヒゲは左から右にお願いします」などと誰かに発注を依頼した記憶は全く無い。

 製造請負者であるところの両親に確認したところ、やはり同じように「当方には貴君のアゴヒゲを左から右にするという仕様にした覚えは無い」との回答を得た。

 アゴヒゲの流れを見ると、何か法則性でもあるかのように、一糸乱れずキレイに流れている。
まるで京都あたりの日本庭園でも見るかのような、素晴らしさである。
かなりイイ仕事をしているといえる。
これだけの立派な仕上がりは生半可な技術では到底達成不可能であろう。かなりの熟練のワザともいえる。
相当年季のある国宝級の方の仕事かもしれぬ。
我々にこれと同じようにしろと言われたって、まずこうはできない。

 しかし、せっかくの素晴らしい仕事にイチャモンをつける気は無いが、僕にはこのようにしてくれと頼んだ覚えは全く無い。
当方に何らの許可も無くいつの間にか、勝手にヒゲのラインができてしまっている。

 これは良く考えたら、裁判沙汰にもなりかねない大問題では無いか。
ヒゲというのは、その人の重要な窓口である「顔」に装着される重要な装飾品である。いわば、家の玄関に飾る装飾品のようなものである。
それを、主の僕の断り無しに「左から右に流そう」などと一体誰が勝手に決めたのだ!

 こちらとしては玄関の絵に洋画を飾ってほしかったのに、書道の掛け軸になってしまっていた、などというようなもんである。
これは下手したら賠償問題である。

 僕はこのヒゲのラインの方向問題について、「貴社におかれては、何故持ち主本人の意向を全く無視したヒゲライン設計をしたのか?」と、設計元に抗議の連絡をいれたいと思っているのであるが、設計元の行方が今現在全くわからない状態で非常に困っている。
勝手に設計しておいて、夜逃げでもしてしまっている可能性も充分有り得る。
まさかとは思うが、もう既にこの世にいらっしゃらない可能性だって充分有り得る。

 もしこの文章を我がアゴヒゲ設計者の方見ていたら、是非当方に至急一報をいただきたい。
本件については、当方においてかなり緊急度の高い懸案事項となっている。
怒らないから、是非一報をいただきたい。

「2000.7.2(日)」・女流棋士

 モテナイ独身青年(僕のこと)が見るテレビ番組は時間の制約なども有りかなり限られてくる。
一応テーマらしきテーマは、あることはある。
上位3つを挙げると、
1.お笑い、2.NBA、そして3.が「美しい女性が出演しているもの」、ということになる。
3.については、非常に曖昧な定義ダゾとのご指摘もあろう。
確かにこれについては、自分でも正直厳密には定義できなくなっている。

 そんなわけで、3.のテーマに沿うと、普段ではほとんど見ることも考えつかないものも見ることがある。
例えば、MXテレビ(東京都のローカルテレビ)の「女流将棋トーナメント」などというのもある。

 この間は、清水市代女流三冠が出演なさっていたので、謹んでお姿を拝見させていただいた。
清水嬢は、僕の中では当然「美しい女性」の範疇に入っている。
なぜ?と問う男性諸氏もあろう。
僕の中では非常に明確な理由がある。
それは清水嬢のヘアースタイルが、「ショートカット」だからである。

 ところで僕の将棋歴のお話をすると、一応当年で30年程になる。ソリャスゴイじゃないか!と思われるかもしれない。
これは、もしかしたら、恐れ多くも清水嬢よりも将棋歴としては長いといえるかもしれない。
 ここで読者諸氏に誤解があるといけないので、一言補足しておくと、僕の将棋歴の中で、実際に駒に触れていない期間が28年程あることを、補足しておきたい。それ以外の期間は「将棋」という単語を、年に数回思い浮かべていたので、それも一応歴史の厳然たる事実として、僕の将棋歴のページに加えていただきたい。
 正味年数は何年か?という問題になると、その点は今回はコメントを差し控えさせていただきたい。

 まあ、これで大体僕の将棋の認識度についてのご理解がいただけたと思う。
これで、僕が番組の中で、何に主眼をおいて、番組を観察していたかが、ご理解できると思う。

 番組内では将棋の盤の映像の横に、対局する女流棋士の顔の映像が挿入される。
当然だが、真剣で厳しい。時に凛然として、女性が普段見せることの無いような表情を見せる。
この「普段見せることの無いような」という点に、僕の変態的感性、いや違った、芸術的感性が刺激される。
清水嬢の真剣な眼差しを見るたびに、「叱られてみたい・・・」と思う。いや、違った「美しい・・・」と、思う。

 この番組、進行役の目黒貴子嬢という女性が、また結構カワイイ。
こちらは、ショートカットでは無いが、目のクリっとした活発そうな子であり、こういう女性も結構いい。
進行途上で、自分の天然の質問に気づき、苦笑する解説者を前に、笑いながら自分で自分にツッコンでいる姿を、ハタから見て「カーワーイーイー」(太字にアクセント)などと思いながら見てしまう。

 そのうち「あれ?これ何の番組だっけ?」ってなことにもなる。
いつの間にか対局が終了していて、清水嬢が勝ったことのみが、僕の脳に情報として記憶される。

 こんな調子で毎週こうした見方をしていても、果たして僕が将棋ファンであるという言い方が出来るのか、甚だ疑問ではある。
かろうじて、清水市代ファンということは、若干でも言えるかもしれない。
でもこういうファンがついたとして、果たして清水嬢が喜んでくれるかは、甚だ疑問ではある。
いずれにしても、見方としては非常に不純ではあるが、こういう見方をしている輩もいるということを、覚えておいていただきたい。

 世間ではこういう輩を「ミーハー」などと称するらしい。
モテナイ独身青年は、どうもミーハー状態に陥りやすい。

「2000.7.1(土)」・大切な薬

 僕にとって、笑うことは体に相当いい気がする。
  酒を飲み過ぎた翌日、二日酔いで、しかもタバコ吸いすぎのダブルパンチを食らった日にゃあ、どういうわけかズーンと落ち込んでブルーになる。まる
  で体の中にブルー因子がタップリ蓄積してしまったかのようである。もう二度と飲みゃあせん!と誓う(この誓いは毎回破られる)。

   なんか一日中モヤっとして、気分がすっきりしない。
  体調は水分の補給や十分な睡眠等で徐々に回復してくるが、ブルーな気分はなかなかとれない。
  良く晴れた日なら、外出して太陽の光を浴びることでエネルギーが補給でき、ブルー気分も解消するが、天気の悪い日だと、こうはいかない。

   こんな時は「笑い」が体に良い。
  笑いと言っても、微笑程度ではいけない。
  できれば、大爆笑したい。

  大爆笑すればするほど、その度に、ブルー因子が体の中でシューッと解消していくような感じがある。

   そんなわけで、「笑い」は僕にとっての、何よりの、そして大切な薬になっている。
  そんなわけでお笑い番組や面白エッセイなどが大好きなのである。

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