Monologue25 (2000.6.27〜2000.6.29)

「2000.6.29(木)」・いましたすごい人

 フジテレビの「ごきげんよう」というトーク番組がある。
今日は東大卒のジャズヴォーカリスト鈴木重子嬢が出演していた。
KDDの宣伝で、ブルーノートで日本人として、初めて単独ライブをやった人、「いましたすごい人」というフレーズで、御覧になられて、その名を留められている方もあろう。

 今日の「ごきげんよう」は、失礼ながら爆笑してしまった。
「いましたすごい人」であった。
 違う意味で。

 鈴木重子嬢は、いわゆるチョット、アンニュイな感じのヴォーカルで、ボサノヴァなども録音されていて、声だけ聴くと、やはり知的なイメージがある。アントニオ・カルロス・ジョビンの名曲「ジンジ」など、とてもアダルティに歌いこなしておられ、さすがブルーノート級ともいうべき味を醸し出している。

 その鈴木嬢が、まさかこんなに天然素材丸出しな方だったとは・・・
「いましたよ、見つけましたよ!(バラエティ的に)すごい人」

 性格は上品でノンビリホワッとという感じで、トークのテンポが、まさに歌唱そのものの、ゆったりとしたマイペースなテンポで、東大法学部で弁護士をめざしていたとのことであるが、「いや、断念して、正解ですよ」と、思わず画面に、語りかけたくなったほどである。
三田寛子と瀬 川 瑛 子を足して3倍してルートした感じ(なんじゃ?そりゃ)。

曰く「・・・ステージで、鼻水が出たらどうするかってえと、流しっぱなしにしておくんですよ、ダーッと・・・」
曰く「ここ(口)まできちゃったやつ(鼻水)は、しょうがないから、お口に入れて、あーショッパイナーとか思いながら・・・」

 もちろん私としては、この貴重な性格、一発でお気に入りになってしまったことは、言うまでもない。
ショートカットで静岡県出身という、私としては追加ポイントを挙げたい項目も保持しておられ、今後も追って行きたい方である。

「2000.6.28(水)」・深みを出すチャンス

  テレビ東京の「アスリート」という番組に、カズ(三浦知良)が出演していました。
スポーツ選手として、他の選手と一味違う成長ぶりを感じさせてくれましたが、特に印象に残った発言が、ワールドカップの日本代表に落選したことを振り返って「今だからいえるが、プレーヤーとしての自分に深みを出せるチャンスだと思った」と語っておりました。

 男たるもの年齢が高くなるにつれ、それだけ活動の幅がせばまってくる。それはサラリーマンもスポーツ選手も同じだけど、特にスポーツ選手のように、体が資本の職業はなおさらそれが深刻な現実問題として直面してくることでありましょう。
 しかしカズは、それを全部吸収し、普通の人が不幸と考えてしまうような逆境も自分に深みを出してくれるチャンスとして受け入れ、更にその姿を、同じ中高年のリストラ等で苦しんでいる人達に見てもらいたい、ということも語っていました。

 スポーツ選手というのは、競技場で素晴らしいプレーを見せるのが、もちろん身上だけれど、時としてその生き様を見せ、それが人に感動を与えられるようになると、それはそれで、結果は別としてスポーツ選手である意義があり、もしかすると、その人間的な深みが逆に、プレーに味を出すのかもしれません。

 私も自分の身の上に降り懸かるマイナス要因を、自分の深みに繋げていくよう、カズの爪のアカでも煎じて飲みたいもんであります。
 いや?、うーん、それは、ちと勘弁か。山口もえちゃんの爪のアカくらいならいいが。
 

「2000.6.27(火)」・シナリオ通り

 聴く音楽に関しては、あまりジャンルにこだわらないようにはしている。
ま、私なんぞはまだまだ甘っちょろもんであるが、良いと思った音楽をドンドン摂取していったら、こうなってしまったというのはある。

もう一つには、各ジャンルの代表的名曲達に運良く出会えたからというのもある。

 クラシックに関しては、「たまたま」家にレコードがあったというのがやはり大きい。
小学校までは、「ドナウ河のさざ波」「新世界より」「乙女の祈り」などの、有名なクラシックの通俗名曲に親しんだ。
クラシックの通俗名曲と、あとは日本の歌謡曲に親しむという、ごく一般的ともいえるパターンであった。

 中学に入ると、ビートルズを代表とする洋楽が、ドット自分文化に雪崩込んでくる。
この辺で、モテナイロック少年のルートが定まり、後の洋楽聴取環境の素地が固まった。
ここでも、「たまたま」周りにビートルズが好きだった人間がいたことが大きい。

 クラシックについては、その後の洋楽の登場で追求が途絶えそうになったが、高校時代にショパンとドビュッシーに出会い、その華麗なピアノ作品に魅せられてからは今に至るまで、ほぼコンスタントな聴取をしている。ここで大体クラシックの素地が固まった。
ショパンに関しては、同級生でショパンを弾きこなす人間がいて、主にそれに影響を受けた。
ドビュッシーに関しては別なところでも述べているが、「たまたま」友人がくれたレコードに入っていた曲を聞いたのがきっかけだった。
ここでもやはり周りの人間の影響がある。

 ジャズは自分文明史の中では、最も登場が遅い。
本格的に聞き出したのは、社会人になってから「たまたま」周りにジャズ好きの人達がいたので、それらの人の影響を受け聞くようになった。
ある人に教えてもらった「ジョン・コルトレーン&ジョニー・ハートマン」を聴いたときは、これぞ求めていた音だ!などと思った記憶がある。

 こうしてみると、当たり前であるが、どれも「たまたま」いた周りの人間の影響や、その時の周りの環境がきっかけになっている。

 もっと深く考えてみると、今まで自分の音楽環境が、このように発展してきたのは「たまたま」周りがそうだったからなのでは無く、「今このようになっている為に、皆どうしても必要な出会いであり、環境であった」、そう考えてもいいのでは無いかとも思える。

 つまり、一見「たまたま」に見える、今までの出来事のそれぞれは、今があるためには、実はどれ一つ欠けてはいけない出来事ではなかったかということ。
それらが、偶然にある時期に突発的に起こる事の方が、はるかに確立が低く起こりにくいのではないかということ。
それより、最初から起こるべくして起こっていると考える方が、今の音楽好きの自分を考えると、すんなり受け入れられる。

 それは、もし今までのあの出来事が、自分に起こっていなかったら?と考えると、きっと良くわかるかもしれない。
「もし家にあったレコードが、クラシックでは無くて民族音楽だったら、どうなっていたか?」
「もしあの時、たまたま同級生が休み時間の音楽室で目の前で弾いてくれた「英雄ポロネーズ」の体験が無かったら、これほどピアノ好きになっていただろうか?」
「もし会社の友人が皆、演歌の好きな人達ばっかりだったら、どうなっていたか?」
しかし、それらの「もし?」は、果たして自分にとって、どれほど有り得たことのようにイメージできるのだろうか?
やはり「今まで実際にあったこと」が、一番可能性の有り得る現象だったのでは無いか?

 つまり、全ては今の音楽好きの自分を作っていくための、適切な時期に用意された適切な出会いだったのでは無いか?と・・・
元来音楽好きで生まれてきた自分が、まず居て、その自分の音楽好きを方向づけ完成させるためのシナリオ通りの出会いだったのでは無いか?と・・・
 

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