Monologue23 (2000.6.8〜2000.6.18)

 「2000.6.18(日)」・愛の力

 偉そうに言うが、きっと今の世の中のいろんな問題を解決できるのは、愛の力だと思う。
愛、すなわち「感動」の体験が、その人をきっと善なる方向に導いていくのだと思う。
我々の多くが、誰しも内に狂気を秘めつつも、踏みとどまっていられるのは、きっと感動の体験を少しでも重ねてきたからなのだと思う。

 このように、頭では何が問題を解決できるのかは十分わかっている。
でも我々凡人には、じゃあ具体的にどうしたらいいのかというのが皆目見当がつかない。
何をやっても、的外れ、空回り・・・

 ビートルズに「ザ・フール・オン・ザ・ヒル」という歌がある。
来る日も来る日も丘の上にただ一人立っている愚か者。周りのものは、彼を馬鹿にして誰一人相手にしない。
それでもそんなことにはお構い無しに、また丘の上に立ちつづける愚か者。
周りのほうが愚かだと彼は知っているから。
彼の心の目は、世界を、回る地球を見つづけている。

・・・と、こんな歌の内容である。

 我々は時に、周りの不理解や周りとの摩擦に、世の中が信じられなくなり、孤独に陥ったりする。

 「ザ・フール・オン・ザ・ヒル」は、そんな周りからつまはじきにされて孤独に陥っている人間に対する応援の歌なんだと、今にしてわかってきた。仮にそうでなかったとしても、作った動機がそうでなくても、この歌を聴けば、きっと孤独な人間にとっては、この歌は自分に向けて送られたメッセージだと、受け取ることができるように思う。

 詩や歌は、すごいと最近つくづく思う。
僕があれこれ策を弄し、言葉を連ね、もがいて表現しようとしているようなことを、たった数行、たった3分くらいの中に、実に効果的に表現している。時に悔しいまでに効果的に。

 「ザ・フール・オン・ザ・ヒル」のポールの歌声なんて、僕にはまるで神の声のように聞こえてくる。
この歌は発表されて後は、ビートルズのものではなく、もう既に世界の、そして神のものにでもなったかのように・・・
きっとポール本人は、そんなことを意識すらしなかっただろう。
芸術というものは、いつしか創作者の手を離れ、一人歩きしていくのである。
そして神の手に戻っていく。

 あれこれ、どうしようこうしようと苦しまなくても、もしかしたら思うとおりに何かをしていると、それが愛の力によって、力強いメッセージとして、誰かに伝わっていってくれるのでは無いか?そんな希望も無いことは無いのである。

 今日はいつになく真面目になりましたな。あまり堅っ苦しいってのもいけませんな。
でもAll you need is Love。

 「2000.6.17(土)」・リニューアル

 最近ホームページの立ち上げ当初に書いた文をリニューアルしたいなと思っていて、まず音楽コーナーのポピュラー・ジャズの記事の文章を若干リニューアルしてみました。あとついでにフォーマットも変えてみました。
 音楽欄はお気に入りのアルバムの紹介なのですが、最終的にどういう風にしたらいいのかは、正直なところ、未だに暗中模索であります。
 貴重な情報などは、できるだけ正確に詳しく載せたほうがいいのでしょうが、やはり個人のHPなので、いかに自分らしさを出せるか、という点にポイントを絞りました。

 HPも人間と同じく成長していくようで、いわば子供のようでもあるのかもしれませんな。
 

 「2000.6.12(月)」・人脈という街々

  昔いただいた名刺や、その他昔のものを見ると、そういえば、こんな人と会ったなとか、よく遊んだな、とかいろんなことが想い出されて感慨深いものであります。
 今では会えなくなってしまった人、一度だけだが強烈な印象のあった人、今も交際が続いている人、もう名前しか想い出せない人、などなど。
 こうしてみると、人との出会いは、当たり前だけど、自分が意識的にどうこう操作してきたわけでなく、風の流れのように、自分の目の前に現れては消え、消えては現れしてきたもののように自分には感じます。
 これが、「縁」ってやつなんでしょうか。
 人脈というのが、自分が築いたという感じではなく、旅の途中の「人脈」という街々に、自分が立ち寄ったり、泊まったり、再訪したりしながらグルグルさまよい歩いているような、そんな感じです。

 「2000.6.11(日)」・深キョン

 最近何かと占いがブームなようですな。
今はそうでもありませんが、私も一時期かなり凝った時期があって、いろいろと手を出したりしました。
占いを鵜呑みにしろとはいいませんが、特に占星術の元になっている天体というものは、確かに人間の生活にかなり影響を与えている気はします。まだ人間はそのメカニズムを解明しきっていないので、巷には諸説が流布しまくっていろいろ誤解を招いているようですが、いつかこの天体と人間の関係も科学的に解明されていく気はしております。ま、とはいえ、まだまだ様子見というとこでしょうか。

 ところで占星術からいくと、誕生日が同じということは、何らかの共通点があるということになりますが、以前この欄でも書いたのですが、私は深田恭子、深キョンと同じ誕生日であります。
 彼女がブラウン管で活躍していると、同じ星回りよしみで、何かこう元気づけられますな。
こういうのは占いの予想外のメリットってやつかもしれませんな。
今度の日清のスパ王のCMなんか、彼女の良さが引き出ていて、私的には実にイイデスな。

 「2000.6.10(土)」・二人のBGM

 昨年あたりからピアソラがブームになっているようですが、私も後輩に薦められて、チェリストのヨーヨーマの出したピアソラのアルバムなんかを最近聞いています。これがまた実にいいですな。
 ピアソラというとタンゴの範疇でくくられるようですが、音楽的には、もうタンゴを越えてクラシックともジャズとも言える、まあ近代の音楽の一つの方向性を示しているような感じですな。
バンドネオンというのが、まあ実に哀愁を帯びた音色で、心地よいのであります。
「ムムーキ」「天使のミロンガ」など特にいいですが、こういう曲は恋人と二人でいるときに、バックで流れてくれてたりすると、ヴェリーグッドですな。えっ?おまえは恋人いるのかって?
ボロが出そうなので、これにて失礼・・・

 「2000.6.8(木)」・2階

 小さい頃、子供の自分にとって、階段というのは、ある種裕福の象徴みたいなイメージがありました。

 友人達の家には、お寺の息子や、商売をしている家や、町工場をしている家があり、彼らの家には2つ以上の階段が必ずあったもんです。

 玄関側に一つと、奥の方にもう一つの階段があり、玄関側から上がったら、奥の方からまた1階に降りることができる!。もうこれだけで私には信じられないことでした。
 私の家も一応2階屋ではありましたが、上下の直線的上昇下降の世界でしか生きていなかった私にとって、子供心に家の中を上下に「循環」できるなんて、驚愕の事実でありました。

 もっとすごいのは、別の階段を登っていくと、別の棟の2階へ行くことができるのであります!。
つまり、一つの家に、2階と呼ばれる空間が2つ存在するのであります!。
きっと2階を増築してたんでしょうな。
これも子供の私にとっては、夢の世界のような出来事でありました。
しかも嬉しいことに、この一見別の2階同志も、物干し場等を通じて2階から直接行き来ができるようになっていたりするのであります!
普段訪れている2階とは別な2階に行くと、そこはご兄弟やご両親の部屋があったり、また違った独特の雰囲気で大人の香りが感じられるような神秘的な世界が繰り広げられたりしておりました・・・

 てなわけで、私はいつか自分もこの階段がたくさんある家を建てることをいつも夢見ております。

 ところで小さい頃随分大きく見えたものが、大人になって改めて見ると、とても小さく見えるなんてことがありますな。
現在身長が幼少時代から2倍位になっているとしたら、小さい頃の周りのものの体感認識度は、やはり2倍、もしくはそれ以上だったかもしれません。
物理的に大きさが2倍に感じられるということは、もしかしたら心理的にも感受度が2倍になっていたのかもしれません。

 きっと小さい頃見た、金持ちの夢のような2階の世界も、今見ると「なんだ、こんなもんだったのか・・・」と思うかもしれません。当時のその夢心地度は現在の2倍程だったのかもしれませんな。

 こう考えると、人間は自分の体の大きさ、発達の度合に応じて物の見方を変えているのかもしれませんな。

 そうすると、もし地球を作ったような、神がいるとしたら、地球上で起こっている大事件なんぞは、「なんだ、まーたやってんのか、しょうがねえなあ・・・」くらいな感じかもしれませんぞ。

 でも、あれですな、子供の頃に、物が大きく見えた時の感受性というのは、いつまでも失わずに持っていたいもんですな。
それには結局、あるものを子供の頃のように「大きいもの」として見るというか、イメージするのがいいんでしょうかね?

 例えば小さい飴玉は、大福くらいに見えるかのように思ってみるとか・・・
犬は熊ぐらいに見えるかのように思ってみるとか・・・
自分のモノは、馬並みに見えるかのように思ってみるとか・・・それは、違うってか。
 

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