Monologue20 (2000.4.29〜2000.5.15)

 「2000.5.15(月)」・感動、あなたは遠く・・・

 今日NHKのBS2で、「萩本欽一と小堺一機の熱海珍道中」というのをやってました。
最初小堺一機が大将欽ちゃんを前にして緊張している姿が伝わってきて、どうなるかと思って見てましたが、終わってみれば、結構感動の一編に・・・。

 テレビや映画を見たりして感動することは、良くありますが、ふと我に返って、「そういえば自分の人生に感動できる局面はあったのだろうか?」と自問自答してしまいました。
よく考えると自分の人生は、感動とは無縁の何とも情けない人生ぢゃないか・・・?ナサケネー!

 自分としては、やはり人に感動を提供できるような生き方をしなくちゃいかんな、といつも自分を叱咤激励しているのですが、こいつがなかなかね・・・。
 感動ではなくて、浣腸くらいなら簡単に提供できるんだけどね。
 いや、つまらんオヤジダジャレをぶっこいてしまいました。失礼。まだ、我が人生、感動にはほど遠いようである。

 「2000.5.14(日)」・H系クラシック

 普通クラシック音楽というと格調高く上品なものだと思われている。
 ところがである。そこのお兄さん!
 クラシックでもエロイのがあるんですぜ、これがまた。
 ま、またこんな話をすると、クラシックのイメージを悪くするとお叱りをうけそうで、心がチクチクと大変痛むのでありますが(本当か?)、ま、いいや。

 リヒャルト・シェトラウスのオペラ「サロメ」。
これはイギリスの作家オスカーワイルドが新約聖書から題材をとった戯曲をもとにした悲劇であります。話の内容はちょっと省略するとして、中に「7つのヴェールの踊り」というのがあって、主人公の今で言うとちょっとストーカー的な王女サロメが、踊るシーンがあります。ここでなんとサロメは裸になる、という設定になってるんでありますな。これが。まあ、演出によって裸になるにしてもいろんな表現の仕方があるので、なんともいえませんが、でもクラシックにしては結構大胆なモノになっているので、スケベオヤジは必見。まあ、ぶっちゃけていえば今で言うストリップてなとこでしょうな。

 昨日プレステ2を買ったのをいいことに、早速何かDVDのソフトを見ようということで、何かいいのは無いかと探していたのでありますが、理性が別なソフトに目を惹かせていたのですが、どうも本能が・・・
 知らず知らずのうちに私は、この「サロメ」を持ってレジに並んでおりました。

 このソフトは、カールベーム指揮ウイーンフィルの伴奏で、演出はゲーツ・フリードリヒという人。
 さて「7つのヴェールの踊り」の踊りですが、最後にチラっとですがサロメが全裸になる、という演出でした。私としては、もっと長い時間全裸であってほしかったのですが、それでもオペラにいきなり女性の白い臀部が出てくると、男性陣としては、おっともう一回、と巻き戻し(DVDは「巻く」では無いか)せざるを得ません。ハイ。補足ですが、このDVDでは、召し使いの黒人女性で、オッパイを出したままの方がおりました。
 えっ?肝心の音楽はどうなんだって?
 す、す、す。すみません、集中して聴いてませんでした・・・、ままま、まあ、そんな目くじらをたてなさんな・・・
 

 「2000.5.13(土)」・人それぞれ

  深田恭子ちゃんについては、彼女が私と誕生日が同じということを知り、その途端急に親しく思えてきてしまって、最近では陰ながら応援しております。単純なもんです。
人間何が理由でその人を見る目を変えるかわからんもんですな。

人の好き好きもいろいろで、世の中にはいろんな人がおります。
かくいう私も実はそうなんでございますが・・・

ここからは、毛深い女性の方!朗報ですよ!
私はへんな話、フランス人と同じ感覚で、女性の脇毛が全然気になりません。
むしろあまり剃らないで、そのままにしておいてもらった方が良いとさえ思います。
それは体中の他の部位のヘアーにも同じ事がいえます。ナチュラルな状態を好みます。足、お腹、背中、その他もろもろ・・・

もちろん剃ってしまっていても、嫌いというわけじゃありませんから別にそれはそれで、それでも、いいです。
要するに剃ってなくても全然OKということです。ちょっと変なのかなー?自分ではわからんですが。

あと女性が汗をかいている姿も好きです。
それから女性の吐く煙草の煙・・・

これ以上自分の嗜好を書くと、変態というのがバレてしまうかもしれませんな。
えっ?、自分で言ってるって・・・

いずれにしろ、私は世の男性とはちょっと感覚がズレてるのかもしれませんが、その分毛深いと、お悩みの女性も、こういう男性もいますよ、ということで、ご安心を。以上(毛フェチな)モテナイ独身青年がお送りしました。
えっ?、気色悪いって?

 今日は自分用にプレステ2を購入。これでDVDが見れるんで嬉しいです。
 そろそろドラクエも発売されるというし・・・

 「2000.5.12(金)」・最近聞いている曲では

 この間キリンジのニューマキシシングル「グッデイ・グッバイ」を購入いたしました。これヒットチャートなんかに入ってんのかな?
 すごくいい曲だと思いますが、こういう曲がチャートにもっと出てこないかな、なんて思う今日此の頃。最近家でよく聞いています。

 それから小田さん(小田和正)のニューアルバム「個人主義」の、特にラスト2曲、「風のように」「とくべつなこと」なんかも良く聞いてますな。これはもう小田さんお得意の小田さん節、という感じの曲だけど、基本的に生理的に私もこういうのが好きなんですな。

 キリンジも小田さんも、それぞれ違った味だけど、どこか忘れていたものを思い出させてくれるような、私にとっては、心ときめくサウンドであります。

 「2000.5.10(水)」・千円札のチ○○○

 今日日テレの「号外!爆笑大問題」で放送してましたが、今巷の女の子の間で、千円札のチ○○○が話題なんだそうです。夏目漱石の側の、すかしの脇の印鑑の右上の字の一部が、男性のチ○○○に見えるんだそうです。
 アレアレ、ほんとだ・・・かわいいですわ、こりゃ。女性曰くこれは子供のやつということなのだそうですが・・・。

 「2000.5.9(火)」・どうやら私も歴史の・・・

 ちょっとオヤジくさい話になってしまいますが、年をとってくると、歴史なんぞに興味が出てくるようになりますな。なんでそうなるのか、いろいろ考えてみました。

 一つには、普段我々が歴史上の人物なんかをイメージすると、その情景はどうしてもセピア色というか、なんかすすけた映画のフィルムみたいのをイメージしてしまうのですが、それがある日突然リアルなイメージが感じられてハッとする瞬間を体験して、とてもワクワクしてしまい、そこから興味を持つということがあるから、ということがあるような気がします。

 以前奈良県は飛鳥の甘樫丘に行った時に、かつて豪族の蘇我氏の邸宅があったといわれている場所に立ってみたことがありました。その日は天気が大変良く緑もとても鮮やかに私の目に映ってきました。よく考えてみたら、千年以上前だろうが二千年以上前だろうが、この空や緑の感じは全然変わってないはずであります。それで変わっているといえば、当時の人々の服装くらいで、あとは木造だけどきらびやかな家が建っていたんだな、などと考えると、別に昔も今も、私が感じているのと同じような感覚で、ここに人がいたんだということが感じられ、遠い時代が急に身近に感じられてきたのであります。
 そう考えると、今までセピア色だった歴史が、かえってリアルでそれ以上に神秘なものとして感じられてきました。

 まあ、こんな体験によって、更に歴史上の由緒のある場所へ行って、そこで古の人々の感覚を追体験してみたくなるのであります。これが近年歴史に興味を持ち出した自分の心境の断片みたいなもの、てなとこであります。

 「2000.5.7(日)」・旅先で

 今回の連休も一人旅をしてきました。
えっ、また一人かよって?ま、いいじゃないすか。
今回は日本の往年の文学者の故郷を訪ねてきましたが、天気にもめぐまれ良かったと思います。
詳細はこのHPでいつか・・・きっと・・(いつか、というのは、いつかそのうちということで時期不定ということであります。いつのことになるやら)。

 ところで今回の旅行では、九州に行った際に、博多・佐賀に宿泊をしたのでありますが、タイミングがいいのか悪いのか、西鉄のバス乗っ取り事件が発生した後で、なんだか他人事には思えない感じでした。
 ニュースを見ていても「なぬ?、佐賀バスセンター?」「なぬ?、西鉄天神駅?」と、聞いたような名前が出てきたりして妙にリアルに感じてしまいました。
 行った先で事件が発生するなんて、きっと何か意味があるのでしょうけれど、おいおいゆっくり考えたいと思います。きっと今時の少年の心について考えろということかもしれませんな。

 今回キリンジのデビューアルバムをBGMに持っていったのですが、とても合っていて良かったであります。日本の田舎じみた地方都市の五月の風に良く合っていた、というところですかな。

 「2000.4.29(土)」・2つのアダージョ

 今日から9連休じゃ。何もかもせいせいしますな!。

 今回も旅行に行くので行く前にいろいろとやることもあるが、とりあえずせっかくの休みなので普段あまり聴けないような、長〜いクラシックの曲をたまに聞いてみる。長いと言えばこの御方、という感じのブルックナーの交響曲から第9番ニ短調を選択。

 これは長い。何しろ全部通すと1時間を越えてしまふ。最後の楽章のアダージョだけでも25分。
 これは最後のアダージョなんかは特にいいですな。
 てなわけで、結局聴き方としては邪道かもしれないが、いきなりアダージョから聴いてしまう。

 ここには悲しみ・苦しみ・喜び、といったような人間の様々な感情の表出があり、ロマンチシズムに溢れる美しい響きが聞こえてくる。
 まるで、悩み苦しんだ人間がようやく達した悟りの境地のように、悲しみが浄化されたかのように、清浄に鳴り響いてくる弦の音色・・・。

 曲が終わる。

 次はモーツアルトを取り出し聴き比べる。
 ヴァイオリンソナタ第41番、変ホ長調 K481。第2楽章 のやはりアダージョ。

 それにしても同じアダージョでありながら、何とこの2曲は違うのだろう!
 確かに年代も100年近くも離れているのだし、音楽的にも交響曲とヴァイオリンソナタという形式の違いもあるけれども、そうした形や時代以前に何か根本的に異質の音楽という印象を受ける。

 モーツァルトのこの曲には人間的な感情のうねりというものが聞こえてこない。
 そこからは、ただただ澄み切った、青い空のようなものが聞こえてくる。

 ブルックナーはきっと僕らと同じ視点に立っているのかもしれない。
 同じ視点から同じ心で人間を見、世界を見ているのかもしれない。

 モーツァルトは違う。僕らとは全然別なところから、別な場所を、もしかしたら僕らには見えない場所を見ているのかのようだ。

 モーツァルトのこの曲からも、かなしみは、もしかしたら聞き取れるかもしれない。
 しかし、それは小林秀雄が著書「モーツァルト」で述べていたような『万葉の歌人が、その使用法をよく知っていた「かなし」という言葉の様』なものかもしれない。

 人間が地球上に誕生し、もう幾多の愚かな過ちを繰り返しながら、数々の生の営みをこの地球上で繰り広げてきた。しかしながら、それでも我々のそうした生の悲喜劇の繰り返しにもかかわらず、青い空はいつでも青い空で有り続けてきたように、モーツアルトはモーツァルトであり続ける。

 モーツァルトは天才と言われているが、それには二つの意味があるような気がする。
 一つは、いわゆる僕らが普通に使う「天才」という意味。
 もう一つは「天を体現している才」という意味での天才。

 そういえばモーツァルトの音楽は、「空」ともいえるかもしれない。青く澄みきった姿を見せたかと思うと、時に陰影に満ちた、夕焼けや朝焼けを見せる。そして時に雷鳴が轟くような激しい様相を見せる。それらはいつも僕らの頭上に有り、気紛れにその姿を変えていくのである・・・。

     *  *  *

 (さて、私事ではありますが、ゴールデンウイークは旅行に出ますので、次回河童星人がこのHPに登場するのは、5月6日以降とあいなります。ご了承の程)。
 

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