Diary2 (1998.8.5〜1998.9.15)
「1998.9.15(火)」・老人の憩う街

 ・今日は敬老の日でした。老人といえば、先日老人の原宿と言われている豊島区は巣鴨地蔵通り商店街を歩きました。以前私はこの近辺に住んでいたことがあり、久しぶりに歩いてみようということで、都電の庚申塚駅よりJRの巣鴨駅に向かって歩いておりました。巣鴨駅近くまで来た時にそこにマクドナルドハンバーガーがあり、そこでいかにも巣鴨ならではという光景に出くわしました。と申しますのは、通りに面したところにオープンカフェというんでしょうか、そうした感覚でテーブルが歩道に設置されていて、そこに女子高生ではなく、女子高生を遥か昔に通過した老婦人数人がテーブルを占拠し、ハンバーグを食し、談笑しておりました。巣鴨の風景にマッチした光景ではありましたが、老婦人達の活き活きとした表情が印象的でした・・・・「彼女達は女子高生に戻っている・・・」。ふと私は考えました、老婦人達は本当は普段ものびのびと自由に、それこそ若い女性達と同じように、友人とハンバーグなんぞを食べて楽しい時間を満喫したいのではないか?と。女性にとってはいくつになっても、そうしたことが楽しいのではないか?と。巣鴨はそんな老人のささやかな願望を満たしてくれる、懐の広い街なんだと、改めて感じました。


「1998.9.14(月)」・芸能人は羨ましい

 ・テレビをつけると「SMAP×SMAP」に純名理沙さんが出ておりました。ルックス的にはタイプです。まあそれはいいとして、このスマスマのビストロスマップでは、そうした純名嬢のような美しい女優が、勝ったチームに、いとも簡単にキスをしてくれるという仕組みになってるのですが、まあやはり芸能人は実に羨ましい限りであると、つくづく思った今日この頃でありました。以上。


「1998.9.13(日)」・心強い路線バス

 ・本日は日光街道を歩く第二段、ということで、また足立区は西新井近辺を散策しました。こうした都内散策後、帰宅時にどういう交通手段で帰るかは、いつも私が迷うところです。通常は鉄道を使用する訳でありますが、場合によっては来た時と同じ路線を帰らなければならないので、個人的にはあまり面白くありません。そこで私がたまに利用しているのが路線バスであります。都バスだと一定料金で、しかも路線によってはかなり長い区間もあるので鉄道より割安になる場合もあります。その日は西新井から池袋まで乗りましたが料金は200円、東武線〜千代田線〜JRと乗り換える鉄道パターンを考えると割安です。これでバスが空いてれば最高。実際、休日に乗ることが多いせいか大体空いたバスに当たります。都バスでは料金前払いなので、先に金を払ってしまえば、後は後ろの方の空いている席に座り、空調のきいた車内で車窓の景色を眺めつつ、ゆっくりウォークマンを聴く。これが結構楽しみであります。たまに隣に変なおじさんが座ったりして興醒めになる時もありますが。その日は途中までは良かったのですが、とあるバス亭で客がドッと降り、私の座っていた最後尾の席も母子連れが降りて席が空きました。すると前の方でベチャクチャ喋っていた男子高校生数人が目ざとく私の座っている最後尾の座席を見つけ、座る気配を見せました。私は内心ガッカリし、「ああ・・・楽しい旅が台無し・・・」と思いましたが、よくよく見ると、ゾロゾロ私の隣に座っていく高校生の列の最後尾にポツンと女子高生が一人ついてきておりました。高校生は私のいる反対側の奥からつめて座っていったので、結局私の隣には密接するような感じで女子高生が座ることになりました。私も短いズボンを履いていたので、女子高生の生足とバスが揺れる度に接触するほどであります。私は先程のガッカリは撤回し、「楽しい旅再復活!」と密かに小さいガッツポーズをすることとなりました。ちなみに女子高生は終点の池袋までずっと乗っておりました。と、まあ結構愉快な路線バスは私の街道めぐりの旅の心強いサポートとなっております。


「1998.9.3(木)」・笑いながら歩く人

 ・道を歩いていると向こうから、何が可笑しいのかクスクスあるいはゲラゲラ笑いながら歩いてくる人を時折見かけます。
時には自分が笑われているのでは、と不安になるので「何でオレがあいつのせいで不安にならなきゃいかんのだ」と急にムカついたりする時もあります。

と、こう書くと「笑いながら歩く人」を攻撃するのではないかと思われる方もおりましょう。今日は「笑いながら歩く人」を弁護したいと思います。なぜって?それは私が「笑いながら歩く人」になってしまったからです。

 私が笑ってしまった理由は本当に下らないことでした。おそらく大多数の「笑いながら歩く人」はきっと下らないことで笑っているに違いありません、しかし止めようと思っても笑いが止まらないのです。

 新宿のポイント還元制を採用している、とあるパソコン専門ショップの、ポイントがかなりたまっていたので、そのポイントで久々に新しいソフトでも購入しようと、その店に出かけました。
  お目当ての二種類のソフトを発見し早速清算の為にレジにいきました、定価で買ったら二つで5万円はいくだろうと思われるので、このポイント還元制は非常に助かる制度です。
 品物とポイントカードを店員に渡し、ポイントは全て使用する旨を告げ、ポイントとの差額をすぐ支払えるように財布を準備しました。たまったポイントのはっきりした金額はわかりませんでしたが、かなりたまっているはずなので、「もしかしたら現金はいらないかもしれない、まあたとえ差額を支払っても1000円か2000円位だろう」そう判断し、財布の中の1000円札をつかんで待機しておりました。店員が金額を入力し、さて清算ということになりました。

  (店員が端末の画面を見ながら)「えーっと、お客様、そういたしますと、差額が・・・えーっと・・・(少し間)、4円です。」「えっ?4円?」思わず聞き返してしまいましたが、まずは握っていた千円を離し札用の財布を持っていたバッグにそそくさと戻す作業をいたしました。
 そののち今度はバッグの奥の方の小銭入れを取り出し4円を支払おうとしました。しかし4円ぴったりなかったので10円玉で支払うことにし、釣りの6円を受け取りました。「ありがとうございました」やや苦笑気味に挨拶する店員の言葉を背に受け、店を出た途端、急になぜか無性におかしくなってきて、笑いがこみあげてきました。

 何にでしょう?こちらが全く予期していなかった「4円」という昨今あまり品物の値段としてはお目にかかる機会の少ない一桁の金額に対してなのでしょうか?
 それとも人類の英知が結集された新作のコンピューターソフトが「4円」という金額で取り引きされたことに対してでしょうか?
 それとも端数のあるポイントと、端数のあるソフトの代金で販売価格は分からず選んだのに、しかも万単位の値段なのに、両者の金額差が4円という、殆ど10円の位までは金額がピッタリと合っているということの爽快さに対してなのでしょうか?
 それともわざわざ新宿まで足を運び、大きな買い物をしようと勇んでいた自分の今までの行為の総決算が「換算すると4円に相当する」となぜか天の声から言われたような気がしたからでしょうか?
 いずれにしても私の笑いをひき起こしたのは「4円」には違いありません。

 困ったのは店を出ると、すぐ新宿の駅があることです。しばらく「笑い」を何とか「微笑み」にまでレベルダウンしようとしましたが、こういう時はどうにもなりません。周りはどこを見回しても人だらけ。
 自分の将来とか昨今の不況について等何とか深刻な話題をイメージしようとしましたが、思い浮かぶのは「4円」そしてまた「4円」。結局地上よりは人通りが少なそうな地下に降りる通路に逃げ込み、ウォークマンのカセットを交換する振りをし、笑いが引くまでそこでじっと待つことにいたしました。

 街で変な人を見かけたらその人をせめてはいけません。その人達にはそれなりの理由があるでしょうし、何よりも、あなたもいつかは私のように、その変な人になってしまう可能性はあるのですから。


「1998.8.26(土)」・裏切られた!?

 ・ 有線では非常にありがたいチャンネルがあって、その週の話題の新譜アルバムのいくつかを全曲流してくれるチャンネルがあります(和洋ポップス・演歌)。今週は露崎春女のニューアルバムを録音しようと有線をつけましたところ、なかなかいい感じの女性ボーカルの曲が流れてまいりました。「あれ?これボニーピンクかな?」と最初思いましたがチャラにも歌い方が似ております。誰だろうと思い早速インターネットの有線のホームページで曲の素性を確認することにしました。現在時刻とホームページに記載されている情報を照らし合わせてみると判明したアーチスト名は「原田知世」でした。「え?これが、原田知世?あの?時をかける?」。彼女の所属するフォーライフのページも確認したところ、確かに8/21に新譜「Blue Orange」を発売しているとの情報が記載されておりました。ちょっとびっくり・・・。
 こんなことを述べると原田知世に失礼になってしまうかもしれませんが、このアルバム、実に意外な程高い水準に仕上がっているという印象を受けました。なかには昔のユーミンを彷佛させるような洗練された女性らしいマイルドな曲もあり、アレンジもしっかり(外人の方らしいですが)しております。手許に資料がないので誰が作曲した等の情報はわかりませんが、結構いいスタッフを集めたのではないでしょうか。しかしなんといってもボーカルがこんなに映えるとは、良い意味で裏切られました。私は(大多数の他の人もそうだと思いますが)彼女に関しては「時をかける少女」のイメージしかなかったのですが、彼女はもうとっくに、その世界を卒業していたのでありました。松田聖子のアルバム、斉藤由紀のデビューアルバム、に次いで良い意味で期待を裏切られた感じでした。露崎春女に次いで録音したのはいうまでもありません。
 ちなみに露崎春女のニューアルバム「Believe Yourself」の方は、良い意味で期待通りの作品です。


「1998.8.16(日)」・昔歩いた道?

 ・北千住から旧日光街道を歩いて日光街道の千住新橋を渡ります。この近辺は芭蕉が奥の細道へと出発した場所でもあります。橋を渡って旧街道を行きたかったのですがすっかり近代化してわかりません、でもしばらく行くと真直ぐのびた商店街があったので、ここだと思い歩くことにしました。東武線の梅島駅附近までくるとこの商店街の道が左側からくるくねった道と合流している地点にきました。ふと見るとその合流点に朽ちかけたような石標がたっていてそれによると、私が今まで来た道は、東武線の旧線路跡、そしてくねった道が旧日光街道だったようです。「なるほどねえ」私は妙に感心し、その商店街の由来に思いを馳せ人通りが結構ある道で一人うなずいて突っ立っておりました・・・と、まあこんなことをよくやっています。本日のテーマは芭蕉を歩く、そしてその日のゴール目標は西新井大師でした(結局道を間違えてたどり着けず仕舞でしたが)。私はなぜか若い頃から、旧街道や街道跡にやけに興味を惹かれてきました。そしてその街道を歩くのがひそかな趣味になっています。街道が商店街として残っていたりすれば最高です。東京は幸いなことに古い街道の跡がいたる所に残っていて散歩ネタにはことかきません。何が楽しいか自分でも言葉にするのが難しいのですが、楽しいのです。ウォークマンは必ずしていきます。強いていうと楽しみの一つは、例えば自分が前世でこの街道をかつて歩き、そしていろんな人と出会い、別れ、もしかしたら地元の女性とせつない恋に落ちていたかもしれない、旅立ちの朝その女性に挨拶もせず去っていく、旅を住処とする自由であるがゆえに孤独な人生・・・そんなことを勝手に空想しながら歩いているとなぜかとてもハッピーな気分になりエネルギーが沸いてくるような気になります。あとは先にも述べたような意外な発見があること、それも楽しみの一つです。歩いていると何かが明らかにされていくような感覚がある、それも快感の一つです。とにかくいろいろな理由があって私は時折東京の旧い道を散策することにしています。


「1998.8.15(土)」・ガンバレオジサン

 ・買ったばかりの大切なデジカメを海没させ壊してしまいました。このところハード面でのトラブルが続いてます。とにかく修理してもらおうと買った先の新宿の某カメラ系の量販店に行きました。デジカメコーナーには三人の店員がいて私が行った時には皆対応中でした。しばらく待っていると真ん中の店員さんが空きましたが、いかにも売り場主任という感じの恰幅の良い典型的オジサンで、私としては電車では近付かないでほしいタイプの方でした。私はただでさえ自分のカメラが直るか不安だったうえに、こちらの過失なので、何か怒られてしまうのではないかと、いらぬ心配までが頭を持ち上げてきました。とはいえここで引き下がる訳にもいかず若干抵抗を感じつつもこちらの用件を切り出しました。
 「うん。結構あるんだよね。海は。」オジサンのこの一言で私の緊張感は解けました。結局私は最初に抱いたこのオジサンに対する抵抗感を恥じることになりました。こちらの意に反してその方は実に気さくに、しかも親切に対応してくれました。カメラの方は保険に入っていたのでたとえ修理不能でも全額戻ってくるとのことでした。
 最近世の中不景気で中高年のリストラなどが話題になっていますが、中高年だからこそ、その経験を生かしてできる職場はまだまだあると感じました。売り場の接客などはそうしたのにうってつけだと思うのですが。よく若い店員でいかにも「何でそんなこと聞いてくんの?」とでも言いたげに冷たい対応する人を良く見かけます。それに比べるとこうした中高年の方は経験からなのか応対が適切な方が多いです。私が考えるに学校の先生なんかはこうした熟年の方がやった方がいいのではないかと思ったりします。だから中高年の方でも気軽に教員免許を取得できるようにしたらいいのではとも思います。知人の知人には長年の人事の経験を生かして占師になった人もいると聞きます。私は中高年の人生経験が必要とされている局面はまだまだ沢山あると思いますしそれが仕事に繋がればなおいっそういいなと願うばかりです。


「1998.8.6(木)」・老いても消えぬもの

 ・少し前のことですが、コンビニの帰りに、久しぶりに煙草でも吸うかという気になり、自販機に寄って購入をすることにしました。
 自販機の横ではその家の住人と思われる50代〜60代の婦人と、その家の修復作業を請け負っている建築作業の青年とが何か話をしておりました。
 私は煙草を購入しつつ、ふと何か視線を感じその方向を見ると、煙草屋の3件程隣の家の門前に、70〜80代のステテコ姿の老人がじっとこちらを凝視しているのに気付きました。

 私は購入を終え帰途につこうと、その老人の家の前を自転車で過ぎていこうとした時でした。
 突然その老人が私を呼び止めてきました。私はやや不審に思いましたが、忙しかった訳でもなかったので、その呼び止めに応ずることに致しました。
 すると老人はやや興奮した面もちで(貴君は先程、かの自販機の家の御婦人と会話をかわしていたであろう)という意味のことをまくしたててきました。私はどうやら建築作業の青年と勘違いされたのだと思い、[なんだこの親父、若者に嫉妬かよ]と思いつつも、(会話をしていたのは建築作業員で、私は建築作業員ではない、御老人は勘違いをしておられる)という意味のことを説明しようとしましたが、老人は途中で私の言葉を遮るように(いや貴君は確かに会話をかわしていた)といって聞きません。

 私もあまりに老人が主張するので、先程の情景を頭の中で再現してみました。
 そういえば、婦人が建築作業員と会話を終え、煙草の自販機の横にあるジュースの自販機に製品を詰めようと製品を家の中から持ち出してきた時に、自転車に乗ったままやや無理な体勢で煙草を購入する私の背後を気づかって通るため、私に会釈をしたのに思い当たりました。
 成る程と思いつつも、やはり老人の誤解には違いないので、それを説明しようとした時に、老人と私とのやりとりを聞き付け、その老人の家から奥方と思われるやはり70〜80代の老婦人が出てきました。老婦人は私に向かってすまなそうに(亭主は既に軽い痴呆症に入っている、この場は気にせずにお引き取り願って結構である)という意味のことを言ってくれたので、私はホッとし、丁寧に謝辞しつつその場を辞すことにしました。老婦人も家の中に入っていきました。

 [なんだったんだ]と思いつつ、とにもかくにもさあ帰ろうとすると、何と再び老人が私を呼び止めてきました。
 私は[はい、はい。だから何なのよ。]と思いつつも老人を無下にするには忍びなかったので、一応老人の言うことを良く聞いてみると、今度は(実は貴君に頼みがある。先ほどの煙草屋の婦人と会話をしていた貴君は婦人の知り合いと小生は見た。そこでその知り合いの貴君を見込んで、貴君の力で是非婦人をここに引き連れてきて欲しい)という意味のことを私に語りかけてきたのでありました。
 [なんだよパシリさせたかったのかよ]と思いつつも私は事態を収拾するには、煙草屋の婦人とコンタクトを取らなければと判断し、先程から時折私と老人とのやり取りを心配そうに見つつ、ジュースの自販機に詰め込み作業を続けている煙草屋の婦人に説明をしに行くことに致しました。

 婦人は既に事態がわかっているらしく、私が老人の申し出を報告すると(老人の痴呆については、この近辺で周知のことであり、こういった事態は頻繁に発生している。この件に関しては貴君は無視して差し支えない)という意味のことを言ってくれたので私も(婦人の指示に従う)という意味のことを述べ、改めて状況を老人に報告することにしました。

 老人には(煙草屋の婦人は現在業務遂行中につき職場を離れることはできない、よってその申し出を受ける訳にはいかない)という意味のことを説明しました。
 老人はガッカリしつつも納得したようでありましたが、(それでは一体いつになれば、婦人はこちらに来訪してくれるか)と聞いてきたので[オレに聞いてどうすんだよ]と思いつつも私は(その件に関しては既に先方には老人の意志が伝わったいるようなので、是非老人自ら行動を起こすべきである)という意味のことを述べようとした途端、再び老人の奥方の老婦人が中から出てきました。
 老婦人は老人を叱咤しつつ、私に向かい(貴君の貴重な時間を無駄にして申し訳ない、この場はすみやかに辞してほしい)という意味のことを言ってくれたので、私も潮時と思いつつ、自転車ですみやかにその場を去りました。老人の私を見る不完全燃焼の姿が印象的でした。

 老人の症状を考えますと、おそらくその日の私とのやりとりは忘却してしまうに違いありません。しかし煙草屋の婦人への慕情?はおそらくずっと持ちつづけるのではないかという気が致します。
 あんなに近い距離にいるのに、それも自分の意志が相手に分かってしまっているのに、自分からは直接話し掛けることができない、まるで少年の恋のようです。私はどこか寂しさ、もどかしさを感じつつも人間とはこういうものなのかと、妙に微笑ましさも感じました。

 そういえば老人のことを煙草屋の婦人に報告した時、婦人の戸惑っている表情の中にも、まだ男性に言い寄られている「女」が見隠れしていたように感じました。


「1998.8.5(水)」・パワーマックG3に替える

・ 以前大切なデータを保存したMOディスクが壊れてしまい、失意の底にあったのも束の間、今度はパソコンがおかしくなってしまうという事態になってしまいました。原因はパソコン側が古いOSにもかかわらずそれに対応していない新しいソフトを無理矢理導入してしまったからです。そのソフトが使えないのはもちろんですが、変なエラーが出始めてきたので、これはいかんということでOSをなんとか新しくしようと、市販のCD-ROMにのっていたOSのアップデータを継ぎはぎして、導入を試みたのですが、何かやるごとにおかしくなり、ハードディスクの初期化までしましたが結局うまくいきませんでした。新しいソフトをあきらめ今までの古いままでだましだましいくか、ちゃんと最新のOSを新規で購入しもう一度導入を試みるかの選択にせまられました。しかし後者はうまくいく確立は低く、そうするとOS代金も損するし、なにより最新OSをいれてしまうと今のパソコンではメモリーとハードディスクが足りなくなってしまう恐れがあります。結局私の選んだ道は前者でも後者でもなく「新しいパソコンを購入」というものでした。私にとってはそれこそ「清水の舞台から飛び下りる」決断でした。これはかなりの経済的ダメージが発生する事態です。古いパソコンは4年間使用しましたが最近、新ソフトが使用できないという不便さを感じてはいたところでした。古い機種はそのままのOSの状態で、パソコン未経験の家族に譲ることに決めついに新しいパソコンを購入したのでした。
 いろいろと紆余曲折ありましたが、我が家にパワーマックG3(MT266)が同居することになりました。先代のパソコンとは桁違いの仕様の機種です。今までインターネットはネットスケープしか使用できなかったのですが、今度はインターネットエクスプローラーも使えます。しかもメモリーも多少増設したのでネットスケープと同時に使用しても全然ビクともしません。モデムが変わらないので転送の速度は変わらないのですが、表示はかなり速くなったようです。今のところお金がないのでこの機種で使用してみたいソフト(フォトショップ等)が使えないのが難点ですが、既存のソフトは快適にうごくのでホットしました。それより何より新しいパソコンを買って良かったのは、何と壊れて諦めていたMOが復活できたことです。捨てないで取っておいたそのMOディスクを、何の気なしに新しいパソコンでマウントしたら、今まで読み取り不可のエラーメッセージが出ていたのが、何ごともなかったように読めているではありませんか。ホントに諦めずにMO取っておいて良かった・・・そのMOをハードディスクにコピーし、他のMOにすぐさまコピーしてバックアップを取りました。思えばMOが壊れたのは今回新しいパソコンを購入するまでのストーリーの伏線だったように思えてなりません。


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