Monologue19 (2000.4.22〜2000.4.28)

 「2000.4.28(金)」・で3しょ。

 笑いの影には失敗あり。
 芸人は失敗を意識的に創作して笑いを誘う。

 もちろん通常は失敗というものは意識してできるものでは無い。

 今日もパソコンで文を打っている時、「〜でしょ。」と打ちたかったのに、「で」のローマ字変換の場合「d + e」 の「e」のキーのすぐ上が「3」のキーなので、手が滑って、「3」も一緒に押してしまった。

 「で3しょ。」になってしまった。

 何、「で3しょ。」って?。

 この「で3しょ。」という綴り、自分が間違った言い回しだということにも気づくことなく、平然とテキスト上に居座っている。

 むしろ、出てきて何が悪いのだ、とでも言いたげに居座っている。

 僕もそっちがその気ならと、ずっとこの「で3しょ。」を睨み続ける。

 「で3しょ。」
 「で3しょ。」
 「で3しょ。」

 そのうちこの「で3しょ。」が急に変な太鼓持ちのタヌキオヤジのように思えてきて、なぜか怒りが込み上げてきた。
 僕はワナワナと手を震わせながら、「3」と「し」の間にカーソルを置き、一気にdeleteキーを押す。
 ザックリ。

 ふう〜、「〜でしょ。」になった・・・
 そして保存。これでやつの息の根を止めた。

【ここからは石原裕次郎調で読むこと】。

 「で3しょ。」のやつはもう、オレ達の前に姿を現すことはないだろう。

  (窓に手を掛け、眼下の大都会の景色を見つつ、誰にともなくつぶやくように)
  でも・・・おかしなやつだったぜ・・・「で3しょ。」・・・。

 「2000.4.27(木)」・僕も結局日本人

 以前はゴールデンウイークに観光地につめかける人達を映したニュースなんかを見て、「あ〜あ、こんな混んでるのに良くいくねえ・・・ご苦労さん」などと思っていたのであるが、今自身を振り返って見ると、たまにまとまった休みがあると、典型的アクセク日本人さながらどこかへ行かずにはおれない自分になっているのに気づく。
 結局今度もそんなわけで、また一人旅の計画をしているのですが、いつもは大体行く場所だけ決めておいてあとは行き当たりばったりなのですが、今回はめづらしく、宿も切符も全て手配済み!これはものぐさな私としては、かなりの快挙といえよう。
 それも一つには、今の世の中パソコンのソフトで時刻表・経路のシミュレーションができるので、旅の計画が立て易くなったのもあります。ありがたいこってす。

 さて、一人旅で悲しいのは、「一人で行く」こと自体などでは無い。
 何が一番悲しいかと申しますと、評判の旅館なんぞの予約を取ろうとすると、「一人もんはお断り!」と言われることです。それが何よりつらい。
 大抵電話で応対してくれる宿の人は、最初はものすごく愛想がいいのであるが、一人もん、と言った途端に、何か空気が変わり、一瞬間があり、「うち、お一人さんはやってないんですけどー」と、冷たく言い放たれる。
 相手がおばちゃんやオジサンなら、いいけど、若い女性なんかだと、告白してフラレタかのような気分になる。落ち込む。
 何しろ告白なら出直しがきくかもしれぬが、予約は出直しがきかない。断られればそれで終わり。全人格を否定されたような錯覚に陥る。スゴスゴと受話器を置き失意のうちに竹内まりやの「元気を出して」を、そっと取り出し聴く・・・というのは冗談ですが、もちろん一人もんもOKというところもあるので、とりあえずは今のところまあ困ることは無いのであります。ま有名旅館には、いい人見つけてから二人で行けよ!という神のおぼしめしですかな・・・。

 今回の旅のテーマはいくつかあって、まず「西へ」行くこと。自慢じゃありませんが、現時点で私の最西到達地は広島なので、今回は更に西、島根の津和野等を経由、それから初九州上陸を計画しています。
 もう一つのテーマは「古い町並み」。津和野、柳川であります。
 更にもう一つが河童星人往年の文学者のゆかりの地をゆく、ということで、津和野の森鴎外、山口は湯田温泉の中原中也、島根は益田の柿本人麻呂(雪舟もこの地にゆかりがあるとか)、柳川の北原白秋、・・・と結構ありますが、この連休中に一気に訪れようと思っておりますので、結構今回もハードかも。ヤレヤレ。

 「2000.4.26(水)」・秘湯ロマン

 最近良い番組だと思って見ているのが、テレビ朝日の「秘湯ロマン」という番組。
  水曜の午前9:55から30分、金曜の同じ時間に再放送があります。

 毎回2つ程の日本の秘湯を、女性リポーターを旅人に見立て紹介していきます。
 しかしよくありがちな観光地を紹介するチャラチャラしたような雰囲気は無く、秘湯の神秘的な雰囲気、旅の時に感じる、別世界にトリップするような雰囲気を良く映し出しているように思います。旅の情緒が家にいながらにして味わえるようです。
 ナレーションの水橋和夫氏の語り口も落ち着いていて番組にマッチしています。そしてさり気なく挿入される、円広志の歌うテーマ曲「静かな戦士」が実に味を出しています。そして何より出てくるレポーターの女性が皆良い。
 いいですなあ・・・旅、温泉!

 と、こんな「秘湯ロマン」が今度ビデオ化され、5月19日に発売されるとのこと。全5巻、各3000円だそうです。私も購入予定であります。

 「2000.4.25(火)」・なぜ生きているのだろう and 愛PART3
 
  誰しも一度は死にたいと考えたことがあるかもしれません。
 私は最近は生活も落ち着きを取り戻し、あまり思わなくなったのですが、以前仕事で忙殺され自分を見失いかけていた頃、このまま毎日こんな苦しい生活を続けていくくらいなら、いっそ死んでしまった方が、楽なのでは無いかと思い続けていた時期がありました。

 結局幸い死ぬということ以外にも、別な道に移りかえるという選択肢があったので、そのまままだずるずると生き長らえていくことになりましたが、まだ生きていかなければいけない、というからには、やはり生きることに何か意味が無いと生きていても張り合いが無いというものです。

 今私が乗り換えた、別な道も「本当に合っている道なのか?」、という、今まで幾度と無くぶち当たってきて解決されずにいる大きな問題が、また最近ムクムクと頭を持ち上げてきました。

 生きてることに意味を探すなんて、馬鹿げていると言われるかもしれないけど、まだそこまで達観できるにはいたっていないのであります。
 生きる意味など考えることを忘れる程、日々納得の行く何かに没頭できていればいいけど、それも無い。
 それが無いから、生きる意味が無いのだと思ってしまうのかもしれない。
 悪循環。

 生きている意味が無ければ、この不況下、食べたり、住むことさえ大変な世の中、死ぬという選択肢も時にはありなのでは無いかという気さえしてしまいます。

 よく病気や事故から奇跡的に生還した人達が、生きているだけで嬉しい・有難いということを実感したということをききますが、やはり人間そこまで痛切な体験をしないと、そんなつらい思いまでしないと生の意味がわからない動物なのか?それが大変な疑問であり、そういう方法しか無いのだろうか?、そういうものなのか?とずっと思ってきました。

 やっぱりここは何とか人には誰しもこの地球上で生きる意味というのがある、といつもはっきり自覚していたい。そう思いながら生きていたい。
 生きることにはそれぞれ納得の行く意味があるんだ、と力強く天でも神でもいいから言ってもらいたい。

 でも現時点で自分が納得できる意味があることなど、到底わからない。
   わからないままこの年まできてしまった。同じ年のマイケルジョーダンは、既に1時代を築き世界の子供たちに夢と希望を与えた。シューベルトやモーツァルトは自分より若くして既に世を去った。もうすぐショパンやジョンレノンの生きた年になってしまう・・・

 そこでわからないなりに、少ない知恵を振り絞って推測してみると、それは2つあって、
 1.自分の能力を生かし世の中に貢献すること。
 2.その為に自分の欠点を直し、完成された人間に近づくこと。

 1は、まだ実現しそうも無いから、まず2について考えると、自分が今欠けていることは、なんだと自分に問うてみると、沢山ありすぎて分からないのでありますが、その中で一つ意識に浮かんできて、自分で重要と思えるのは、「意志が弱い(すてばちになってあきらめてしまう)」、という性格。
 これは確かにいけないと思うので、これを克服することに今はとりあえず重点を置いています。

 それから先は、また後で考えよう。難しいから。
 それに、これくらいしか今の自分にはできそうもないし。
 そんなこんなしている内にどんどん年をとってしまったりして。このまま結局わからずに終わっていったりして?・・・

 そんなわけで、今現時点で私が生きている、本当の理由は、実はどのようなものか挙げてみると、世の中に貢献というレベルまでいってなくて、全部自分自身の思いという情けない有り様なのですが、
 1.生きていて何か問題が解決したら、先の展開が変わってくる、というかすかな望みがあるから。
 2.このままでは悔しくて死ねん、という、変なプライドからくる思いがあるから。
 3.家族に嫌な思いはさせたくないから。
 という3つが正直なところです。

 しかし、もしかしたら、この先、生きる意味を考えるのをやめたら、途端に生きてる意味に気づく、というようなことももしかしたらあるのかもしれないな、などとも思ってみる。
 何も考えないで、宇宙に身を委ねてしまって楽に生きるのが一番いいのかもしれない。
 何がいけないかって、「なんで、自分は生きてるんだ」などと堅っ苦しく考えること、それ自体が、そもそも一番いけないのかもしれない。そんな思いじゃ、どだいそこから明るい人生はスタートしないかもしれない。

          *    *     *

 ところで、人間として完成されているというのは、どんなことなのか?
 これも難しい問題であります。
 人格が良いことがいいのか、すぐれた業績を残すことがいいのか?

 只そんな中、人間を差別無く愛することのできる人は、もうスタートラインがそれだけで、他人より完成に近い位置にあるのかもしれないと思います。
 そんな人は、それだけで自分より偉いな、と思わせてくれます。

 私に欠けていることの、もう一つとして、他人を素直に愛せない、というのがあるのですが、以前それについて、市井の平凡な1市民に偉大な愛を感じた経験があったので今日はそれをお話します。

 ちょっと汚い話で申し訳ないのですが、(お食事中だった人は、ここで「戻る」ボタンをクリック!。いないか、そういう人は)、だいぶ以前会社のトイレで用を足し終えたので(ビッグの方です)、さあ、水を流すべと、流したところ、なんと便器に何かつまっていたのか、はたまた排水機構が壊れていたのか、たぶん両方だったのかもしれませんが、流した水が穴に吸い込まれずどんどんゴボゴボと不気味な音を立て逆流して増水してきました。確かに最初から便器内の水量が多かったので、なんか変だとは思っていたのですが。
 そしてアワアワと慌てる私を尻目に、いやな予感が的中し、勢い良く流れでる水はみるみるうちに水かさを増し、とうとう便器からドバ!っと溢れ出してしまいました。
 当然水と一緒に、汚物も一気に散乱!
 ワッ、こりゃ大変まずい!
 あふれ出た汚水は個室からも漏れ出して、結局トイレ内全域にまで、汚水が広がってしまいました。

 幸い他には人がいなかったので、何とか早めに片づけてしまおうと、ティッシュを大量に使って、悲鳴をあげつつ片づけようとしたのですが、何しろ大量の水で、なかなかはかどらない。
 ビッグ汚物は水に溶解してしまい、散乱してしまっている。
 とりあえず、何はおいてもまず先にビッグ汚物と思い、何とかビッグ汚物系をあらかた拭き取って捨てて、便器に入れるが、今度は水が流せないので、どうしましょ、と途方にくれてしまった。

 その時、トイレに人の入ってくる気配が!
 マズッ!

 しかしドアを開けて入ってきたのは、掃除のオジサンでした。

 オジサンは、室内を見渡すと、すぐに事情を察したらしく、「あ、いいですよ、あとやっときますから。」

 私としては、意外だったこの反応に、一瞬ハッとしました。

 もし私が、このオジサンだったら、このセリフが出る前に、「あーあ、またやっちゃったよ、このガキ・・・」みたいな、一瞬ちょっと嫌な顔を絶対してしまうと思う。

 しかしオジサンは、嫌な顔一つぜず、むしろその姿勢には自分が後処理をするのは当たり前という感じすら窺えた。

 私も、自分の汚物の後処理を任せてしまうのは、忍びないので、ちょっと躊躇していたが、「大丈夫ですよ、お仕事いって下さい。」と言葉をかけてくれた。
 確かに仕事にも戻らなければいけない時間だったので、この場は素直にオジサンに全権をお任せすることにした。そして、それまでの経緯と、自分がした後処理の説明をして処理を引き継がせてもらった。

 オジサンの仕事に対する姿勢、謙虚さはもちろん素晴らしいが、やはり、何より素晴らしかったのは、オジサンに「他人に対しての思いやり」の心があったこと、すなわちその姿勢の基本に「愛」の思想が流れていたこと、でありましょう。

 仕事とはいえ、他人の汚物を誰だって好き好んで後始末したくはない(カワイイ異性だったら、ちょっと話は違うかもしれないけど)。
 しかし、このオジサンは、そんな表情を微塵も出すことなく、ただただ、ありのままを、ありがたく行うかのごとく自分に与えられた仕事をこなされていた。

 先程「カワイイ異性だったら」とちょっとこぼしましたが、私自身は異性や子供に対して、愛を発揮するのは、自分にとっては比較的簡単なことではあるような気がします(えー、本当?)。
 しかし同性で、不始末をしでかしたボケた人(この場合の私?)や、どうみても自分より劣っていそうにみえる人、人格に問題がある人、見た目が好ましく無い人等々に対して、今自分は素直に愛を発揮できるのか?
 私がこのオジサンと同じ立場だったら、オジサンと同じ振る舞い・対応ができるのかどうか?
 甚だ自信は無い。

 これはきっとまだ生き続けて、「愛について学ばなければいかんぞ、生きる意味は、まず愛について学ぶことぞ!」、ということかもしれませんな。ヤレヤレ。
 

 「2000.4.22(土)」・ちょこっとテレビっ子
 
 最近民放テレビの映りが良くなって、ついついいろんなものを見てしまいます。

 日本テレビのドラマ「伝説の教師」では、ダウンタウンの松ちゃんと中居君の共演で話題になっていますが、展開・演出にわざとらしさはあったものの、今日は見ていてちょっと感動してしまいました。

 NHKの爆笑バトルというお笑い番組では、ダイノジという漫才コンビが大変面白かった。

 CMで奇麗な子が出ていると、嬉しくなってしまいますな。
 テレビに出る女性って奇麗なんだなと、今さらながら改めて思ってしまいます。
 最近本上まなみ嬢がCMに良く出ていますが、彼女は本当目の保養に良いというか、目に優しい女性で良いと思います。

 民放が映り悪い時期には、いっそのことスカパーに加入しようと思ったけど、この分じゃそっちを見てる暇ないから、保留にした今日此の頃。
 

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