Monologue13 (2000.2.19〜2000.2.22)

「2000.2.22(火)」・恋愛

 普段恋愛ドラマは、自分のキャラクターとも程遠いし、こそばゆくなるし、あまり見ないのですが、今日たまたまフジテレビの松たか子・ユースケ主演の「お見合い結婚」を見ていて、不覚にも結構感動してしまいました。
こりゃ私としたことが、年がいもなく、きっと恋愛に飢えているのかもしれませんな?

 やっぱ恋愛っていいもんですな。
 私はよく、偉そうに地球に自分の生まれた意義、生きていく意義について、考えたりするのですが、とかく男女間の色事については、軽視してしまいがちになる傾向があります。しかし、この世から恋愛が無くなったら、きっとこの世界は随分と味気ないものになってしまうでしょうね。
 恋愛が全てとは思わないけれど、やはり恋愛なくして、何が人生ぞ、という気もします。

 ちなみに「お見合い結婚」のエンディングで、松たか子嬢が自分の曲に乗せて、自転車に乗っているシーンが出てくるのですが、バックの風景が、どうも家の近くの風景と似ている・・・
来たのか・・・?松たか子が・・・あそこに?。ちょっと調べて見たい・・・はっきりさせたい・・・
 

「2000.2.21(月)」・驚愕!

  既成概念の崩壊、自分のそれまでの認識・価値観の崩壊というものには、言い知れぬ快感があります。

 驚き。考えて見れば私は常に、いろいろなものに対して、このいい意味での「驚き」を求めているのでは無いのかと思えてきました。驚かされることを楽しんでいるのでは無いか、という気がしてきました。

 例えばブラジル音楽に対して、自分が今までいかに貧弱な先入観しか持っていなかったか。それをブラジルの素晴らしい音楽に驚かされ叩き壊され、いい意味での自分の認識の崩壊がありました。
 江戸に暮らしていた人々の生活を徐々に知っていくうちに、その意外に近代的で合理的生活様式や人々の意識に、驚かされ、また価値観の崩壊がありました。
 そして日本の謎に包まれた古代。日本の古代史には、またまた私を驚かせてくれそうな事柄が、沢山ありそうなのであります。

 今日もまた一つ驚きのニュースがありました。
 それは埼玉県秩父市の小鹿坂で、なんと約50万年前の建物跡が発見されたそうです。
それまで住居跡というのは30〜40万年前のフランスのものが最古で、日本ではせいぜい2〜3万年前のものが最古であったようです。
 それが今回は更に50万年前・・・。もう大幅な記録更新どころか、カッとび、ぶっちぎりの記録更新であります。
 我々がせいぜい縄文時代くらいのものと考えていたような生活様式が、もう50万年前には行われていたかもしれない。・・・となるとその間の空白期には一体何があったのだろう・・・!。50万年もあったら、いろんな時代が何回も繰り返せそうだ・・・
 それを考えると、もうワクワクドキドキ、楽しくなってきます。

 飛躍して考えると、今の人類の祖先が、宇宙からやってきた、などという話も、まんざら絵空事では無いかもしれないのであります。

 ともあれ、今後このように、私の既成概念をぶち壊してくれるような発掘・発見が今後どんど出てきてほしいと、切に願う今日此の頃であります。そして自分もいい意味で人を驚かせることができたらいいな、ともちょっぴり思う此の頃です。

 

「2000.2.20(日)」・出雲につのる想い

 私の「出雲」という言葉に対する反応の速さは、最近益々加速の度合を強める傾向にあるのであります。
 今日NHKのBS2で司馬遼太郎氏の「街道をゆく」スペシャルの放送がありました。ロケ場所は島根県で、テーマは「鉄」。奥出雲のたたら製鉄をめぐる旅に関しての特集でありました。
 
 ところで、番組の中の識者のコメントで、「街道をゆく」が始まった理由の一つは、「日本人は単一民族などでは無い」という発想から、では日本人のルーツとは何か?それを探る為に発した、というものがありました。私も常日頃それを考えておりまして、「確かに。」と一人首肯しているのでありました。

 私たちの意識の底には、日本人は単一民族である、あるいは「日本人の心云々」など、いかにも日本人が純血な民族であったかのような思いが、まだ根強くあるようです。

 しかしながら、やはり日本人がどうやら純血の民族では無いようであるという思いを、最近益々強くしております。
 だって、周りの日本人の顔を見回してごらんなされ。
東洋系あり、西洋系あり、黒人系あり、どうみても外人としか思えない顔も沢山あり、日本人の顔は実に多種多様であります。

 かくいう私も、出は静岡で、両親も生粋の静岡人で、外国人のハーフでもなんでもありません。
ところが、自分で言うのもなんですが、私の顔はどっちかというと、中東アラブ系、もしくは南欧系の顔をしております。
 私の祖先が、そういった人種であったとしか考えられないのであります。

 かつて日本という地には、大陸その他からいろんな人種が流れ込んできていた、と考えるほうが合点がいくのであります。

 なぜ日本が単一民族的な意識を持ってしまったか?
それは一つには江戸時代の長い鎖国の影響があったかもしれません。
鎖国によって、外国人の流入は激減し、それにより日本人が、日本は古来より単一民族であったかのように錯覚してしまったのでは、なかろうか?300年という時間は、十分それを可能にし得る気もいたします。

 最近日本も国際化し、西洋の外来語が日本語に混ざって、美しい日本語が見失われつつある、などとマスコミが取り上げたりする時もありますが、これに関しては全く心配する必要は無いのではなかろかと思いますし、日本人の特性といわれているものを考慮すると、必然の流れであると思っております。
 この何でも取り入れてしまう節操の無さこそが、実は真に日本的なものでは無いのか?などとも思ったりいたします。
ですから、本当に日本的な言葉を追求するならば、逆説的な言い方になりますが、どんどん外来語を取り入れるのが、真に日本的な手法なのでは、なかろうか、などとも思って見たりもするのであります。

 考えてもみてごらんなされ。例えば
「僕は学生です」という一見純日本語風の文章があったといたします。
よく考えて見れば、「僕・学生」は漢字なのであります。つまり元は中国から入ってきた言葉であります。
 漢字は当時最も最先端の文化を誇っていた、かつての中国から輸入された言葉でありまして、元々の日本語らしきものは、「は」と「です」しかありゃしません。
 この文章に対し、もし当時今のマスコミがいたなら「最近の日本人は、最先端の中国の漢字なぞを使って、全く日本古来の美しい言葉が失われてきている。嘆かわしいことだ。」などと叩いていたに違いありません。

 じゃあ古来からの日本語とは、ナンダロナ?、ということになるが、とりあえずは、「やまとことば」というものになるといたします。すると「僕は学生です」を古来日本調にすると、「わはまなびびとなり」みたいな言い方になるでしょうか。これが純日本的な言い方ということになるかもしれません。

 でも今の私には、こういう言い方すら本当に日本的なのかすら、疑わしいのであります。
「やまとことば」?、これもやっぱり元は輸入されたものなのでは???

 しかしながら、「僕は学生です」を日本語では無い、と考える人は今はほとんどいませんし、もう日本語として十分通用しております。

 であるから、「フィーリングのマッチしたカップル」などという言い方も何百年もたてば、日本語として、十分通用しているのでは無いでしょうか?
 きっと何百年後、若者が「フィーリングのマッチしたカップル」を表現するのに、メチャクチャな新外来語を使ったとしたら、日本人の大人は「ちゃんと、『フィーリングのマッチしたカップル』と言え!」などと説教しているかもしれないのですぞ。今はほとんど冗談に聞こえるこんな話も、何百年も経てば全く当たり前のことになっていることでありましょう(?)。
 今となっては全く笑えない諺の類いも、元はギャグだった、などというのもあるようでございますから。

 今のところ日本的と思われているものは、元々がかつて中国からもたらされたものであるケースが多いように思われます。
それを考えると、現代において、外国からもたらされた文化が、何百年もたてば、チャッカリ日本化して居座っているというのは、想像に難くありません。
パソコンなどもすっかり日本に根づき、「やはり彼女がパソコンを打ち込む姿にこそ、私は日本的風情を強く感じるのである」などという言い回しが、小説などでなされるようになるかもしれないのですぞ(んなこたないか)。

 そんなわけで、古代の日本には、そうした文化を持ってきた外来人と、先住人との対立がいたるところにあり、民話や神話みたいな形で残っていると思っておるのでありますが、今の日本人のルーツの謎を解く鍵を、出雲という地がもっている、そんな気がして、近年特に私の興味を惹いている地こそが、「出雲」なのであります。

今日はかなり堅い話でしたな。ま、たまにはいいか・・・。

(写真は、出雲に走るセンチメンタルな電車、「一畑電鉄」の川跡(かわと)駅。おまけ画像です。)

「2000.2.19(土)」・江戸につのる想い

  叶えられるものなら、叶えてみたい願い、いくつかあるのですが、そのうちの一つに、江戸時代初期の東京の姿を見て見たい、というのがあります。
 なぜ、と言われても困ってしまうのですが、なぜか無性に見て見たい。でもほとんど不可能に近い願いでありますな。
sunshine

 王子から石神井川に沿って西へ行ったところは、今でも結構深い谷で、かなり下のほうを川が流れております。江戸時代は、この渓谷が、とても東京とは思えないような、自然の見事な景観を呈していたんだろうな、と思います。桜が咲いた川岸を東ヘ歩いていくと、飛鳥山が現れる。王子を更に下っていくと、豊島氏の居住していた豊島地区があり、更に行くと隅田川、そして荒川がある。荒川を渡ると先には西新井薬師があり、参拝客で賑わっている・・・

 護国寺から池袋方面へ行く道は、今は首都高速が走っていますが、なだらかな長い坂になっております。ここも昔はどんなになってたんだろう、と思います。右へずっと行けば中山道、左のほうは雑司が谷や鬼子母神があります。狸や狐なんかが出たりして、夜は物騒だったのかな、などと想像したりしてみます。坂を登りきると、池がいっぱいあったんでしょうな。

 一漁村だった江戸の真ん中に、突如建造された最新鋭の高層建築江戸城。江戸は当時はさぞ新しい気分に満ち満ちていたんだろうな、と思います。

 東京は坂が多いです。東京の坂は大抵がかつて川が流れていて、その川によってできたものが多いようです。だから大抵の坂を降りたところには、川が流れています。でももう川をつぶしたり、無くなってしまった川も東京には多いようです。昔は川にはいろんな魚がいて、ほのぼのした景色だったんだろうな、などとも思ったりしてみます。

 こんなように、昔の景色を想像しながら東京を散歩してみるのが、私のひそかな楽しみであります。

 (写真は、すっかり変わり果てた(?)、今の護国寺からサンシャイン60あたりまでの風景。サンシャイン60から見下ろした図であります)

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