「2000.2.22(火)」・恋愛
普段恋愛ドラマは、自分のキャラクターとも程遠いし、こそばゆくなるし、あまり見ないのですが、今日たまたまフジテレビの松たか子・ユースケ主演の「お見合い結婚」を見ていて、不覚にも結構感動してしまいました。
やっぱ恋愛っていいもんですな。
ちなみに「お見合い結婚」のエンディングで、松たか子嬢が自分の曲に乗せて、自転車に乗っているシーンが出てくるのですが、バックの風景が、どうも家の近くの風景と似ている・・・
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「2000.2.21(月)」・驚愕!
既成概念の崩壊、自分のそれまでの認識・価値観の崩壊というものには、言い知れぬ快感があります。 驚き。考えて見れば私は常に、いろいろなものに対して、このいい意味での「驚き」を求めているのでは無いのかと思えてきました。驚かされることを楽しんでいるのでは無いか、という気がしてきました。 例えばブラジル音楽に対して、自分が今までいかに貧弱な先入観しか持っていなかったか。それをブラジルの素晴らしい音楽に驚かされ叩き壊され、いい意味での自分の認識の崩壊がありました。
今日もまた一つ驚きのニュースがありました。
飛躍して考えると、今の人類の祖先が、宇宙からやってきた、などという話も、まんざら絵空事では無いかもしれないのであります。 ともあれ、今後このように、私の既成概念をぶち壊してくれるような発掘・発見が今後どんど出てきてほしいと、切に願う今日此の頃であります。そして自分もいい意味で人を驚かせることができたらいいな、ともちょっぴり思う此の頃です。
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「2000.2.20(日)」・出雲につのる想い
私の「出雲」という言葉に対する反応の速さは、最近益々加速の度合を強める傾向にあるのであります。
私たちの意識の底には、日本人は単一民族である、あるいは「日本人の心云々」など、いかにも日本人が純血な民族であったかのような思いが、まだ根強くあるようです。 しかしながら、やはり日本人がどうやら純血の民族では無いようであるという思いを、最近益々強くしております。
かくいう私も、出は静岡で、両親も生粋の静岡人で、外国人のハーフでもなんでもありません。
かつて日本という地には、大陸その他からいろんな人種が流れ込んできていた、と考えるほうが合点がいくのであります。 なぜ日本が単一民族的な意識を持ってしまったか?
最近日本も国際化し、西洋の外来語が日本語に混ざって、美しい日本語が見失われつつある、などとマスコミが取り上げたりする時もありますが、これに関しては全く心配する必要は無いのではなかろかと思いますし、日本人の特性といわれているものを考慮すると、必然の流れであると思っております。
考えてもみてごらんなされ。例えば
じゃあ古来からの日本語とは、ナンダロナ?、ということになるが、とりあえずは、「やまとことば」というものになるといたします。すると「僕は学生です」を古来日本調にすると、「わはまなびびとなり」みたいな言い方になるでしょうか。これが純日本的な言い方ということになるかもしれません。 でも今の私には、こういう言い方すら本当に日本的なのかすら、疑わしいのであります。
しかしながら、「僕は学生です」を日本語では無い、と考える人は今はほとんどいませんし、もう日本語として十分通用しております。 であるから、「フィーリングのマッチしたカップル」などという言い方も何百年もたてば、日本語として、十分通用しているのでは無いでしょうか?
今のところ日本的と思われているものは、元々がかつて中国からもたらされたものであるケースが多いように思われます。
そんなわけで、古代の日本には、そうした文化を持ってきた外来人と、先住人との対立がいたるところにあり、民話や神話みたいな形で残っていると思っておるのでありますが、今の日本人のルーツの謎を解く鍵を、出雲という地がもっている、そんな気がして、近年特に私の興味を惹いている地こそが、「出雲」なのであります。 今日はかなり堅い話でしたな。ま、たまにはいいか・・・。 (写真は、出雲に走るセンチメンタルな電車、「一畑電鉄」の川跡(かわと)駅。おまけ画像です。) |
「2000.2.19(土)」・江戸につのる想い
叶えられるものなら、叶えてみたい願い、いくつかあるのですが、そのうちの一つに、江戸時代初期の東京の姿を見て見たい、というのがあります。
王子から石神井川に沿って西へ行ったところは、今でも結構深い谷で、かなり下のほうを川が流れております。江戸時代は、この渓谷が、とても東京とは思えないような、自然の見事な景観を呈していたんだろうな、と思います。桜が咲いた川岸を東ヘ歩いていくと、飛鳥山が現れる。王子を更に下っていくと、豊島氏の居住していた豊島地区があり、更に行くと隅田川、そして荒川がある。荒川を渡ると先には西新井薬師があり、参拝客で賑わっている・・・ 護国寺から池袋方面へ行く道は、今は首都高速が走っていますが、なだらかな長い坂になっております。ここも昔はどんなになってたんだろう、と思います。右へずっと行けば中山道、左のほうは雑司が谷や鬼子母神があります。狸や狐なんかが出たりして、夜は物騒だったのかな、などと想像したりしてみます。坂を登りきると、池がいっぱいあったんでしょうな。 一漁村だった江戸の真ん中に、突如建造された最新鋭の高層建築江戸城。江戸は当時はさぞ新しい気分に満ち満ちていたんだろうな、と思います。 東京は坂が多いです。東京の坂は大抵がかつて川が流れていて、その川によってできたものが多いようです。だから大抵の坂を降りたところには、川が流れています。でももう川をつぶしたり、無くなってしまった川も東京には多いようです。昔は川にはいろんな魚がいて、ほのぼのした景色だったんだろうな、などとも思ったりしてみます。 こんなように、昔の景色を想像しながら東京を散歩してみるのが、私のひそかな楽しみであります。 (写真は、すっかり変わり果てた(?)、今の護国寺からサンシャイン60あたりまでの風景。サンシャイン60から見下ろした図であります) |