Monologue2006-10 (2006.23.x〜2006.6.25)

 「2006.6.25(日)」曇時々雨・ウンコフォース

 思い出してみると高校生の頃、随分変な格好をして学校に行っていた。
 セミドカンという若干幅広のズボンに短ラン、ベルトはせず、サスペンダー、それも真っ赤なサスペンダー、たぶん矢沢永吉を気どっていたと思われ、髪の毛はほとんど手入れもしないザンギリカット、一応当時流行っていたロックシンガーのロッドスチュアートなどを意識していた。
 別に不良を気どっていた訳では無かったが、少年期にありがちな、ある種の目立ちたがりな屈折した自己表現であったことは確かであろう。こう書くとカッコイイロック少年みたいなイメージに聞こえるが、実際のところは、出来そこないのみすぼらしいカンフー役者といった風体を呈していたようである。

 それでとりたてて個性的だったわけでも無い、この少年期のファッションにおいて強いて特筆すべきことをあげるとするならば、これらの服装が自ら購入したものでは無く、全て友人・親類のお下がりによって賄われていたことであろうか。

 本当は学生服自体でとりたてて自己主張をしたいとも思っていなかった記憶はあるのだが、実際自分にフィットした学生服を買う気も無く、たぶん経済的な事情もあった為、下がって来たものを、そのまま着ていたのが、結果として奇妙な格好をさせた、すなわち運命7意志3くらいの割合のファッションだったようだ。

 最近の高校生でも、たまに変な格好をした輩に出くわす。
 でも僕は自分の過去があるので、彼等に関しては、かなり広い心で見つめてやっているつもりだ。

 ところがこないだ、さすがにコレは・・・、という高校生を電車の中で見つけた。
 今流行のズボンをかなり下げた状態で履く履き方をしているのである。
 その下げ方が尋常では無い。
 普通はお尻の上の部分くらいまで下げるようだ。
 彼は、完全に尻の下からズボンが始まっていた。
 尻とズボンの尻とでフタコブラクダ状のふくらみができていた。
 思わず”ウンコ途中かよっ!”、と言いたくなったくらいだ。

 ファッションには、奇抜性、奇異性も時には必要かと思われる。
 しかし僕は彼を見た時に、まず「悲哀」という単語が脳裏に浮かんでしまった。
 彼の、いわゆる「ファッション」は、僕に対して非常に切実なものを訴えかけているように感じた。
 ファッションが例え奇異であっても、衆人の凝り固まった常識を覆し、創造力を刺激し喚起するものであれば、何ら問題は無い。
 しかし、単に己の未熟さを露呈するだけのものであれば、そこに漂うのは哀愁でしか無いのである。
 「彼は自分の世界だけで生きている、この電車という公共物の中で己を知らない」、彼の守護霊が、そうとでも言いながら悲しんでいるかのように感じた。

 エロジェダイたる僕は、これはマズイと思い、彼の「救済」に立ち上がることにした。
 いつもは電車の中で積極的に野郎に近づくことはしないのであるが、この日は、彼のすぐ後ろに立って彼に、ある種の念、スターウォーズ風に言えば「フォース」を送ることにした。
 直接言えば反発を食らうだけなので、ここは回りに空気を作り自ら目覚めさせるという、ジェダイとしては非常な高等テクニックを用いたのである。

 どんなフォースかというと以下のようなフォースである。
 ”わっ、やべっ、やっちゃったよ、自分ではカッコイイと思ってるかもしれないけど、たぶん、この電車の中の乗客全員失笑してるわ。たぶん、皆、心の中で言ってる「ウンコ途中かよっ!」、わー、ウンコの途中で地震が起きたのかよっ、ドリフのトイレコントかよっ!、今心の中で総突っ込み状態、ま、自分で選んだ道なら、とやかくは言わないけど〜、ハッキリ言っちゃうと相当カッコワルイ、つーか、なんか悲惨、オレだったら絶対恥ずかしくてここにはいられんな、逆に勇気買うわ〜、つーか、走ったら必ずズボンに引っかかって転ぶ、ドリフの運動会コントかよっ!、つーかツッコミ所満載・・・、あっ、もしかして、これワザと?、もしかして笑いの為にやってる?、だったらスゲエ。だったらゴメン。ウケ狙いだったならゴメン。それはスゴイ、確かに笑える。ハリウッドから映画化の話来ちゃうよ〜、「全米を震撼させた、アイツがまたやって来た!・・・U、N、N、K、OーT、O、C、H、U、UNKO-TOCHU!」みたいな・・・”

 すると、どうであろう。
 彼の横に彼女らしき女子高生がいたのであるが、そっちがまず僕のフォースに気づいたらしく、彼に「履きなよ」的なことを告げたようだ。
 そうしたら、なんと、彼もすぐに「だよな」的な感じで抵抗もせず素直にズボンをずり上げ出したのである。
 しかも、腰の途中で止めるのでは無く、ちゃんと上まで、なんとワイシャツもズボンの中に全部入れて、普通のサラリーマンみたいに、こざっぱりした感じに履き直したではないか!。
 こうしてウンコから出て来た少年は普通のカワイラしい高校生に戻ったのである。

 かくしてエロジェダイは、ウンコフォースにより、少年の自我を目覚めさせたのであった。
 かくしてエロジェダイは、日夜人生の悲哀に喘ぐ者が居れば、南武線経由で駈け付けウンコフォースを駆使し、その魂の救済に当るのであった・・・オシマイ!。
 ん?、余計なおせっかいだと?。
 「2006.6.24(土)」曇時々晴一読の価値有

 小林正観氏の「宇宙を味方にする方程式」という本を読んだ。
 氏の著書は初めてだったが、大変面白く読めた。

 最近スピリチュアルな風潮も大分世の中に浸透して来た。
 そんな中にあって氏は自分を「唯物論者」と呼んで憚らない。
 真意は勿論僕にはわからない。しかし氏の言う所には共感できる部分は多くあった。
 特に「神様にお願いをしてはいけない」というのはヨカッタ。
 つまり神に願う 、ということは「現状に不満をたらたらタレている」ということで、それは宇宙が用意した完璧な環境に文句を言ってる、つまり神に祈っておきながら、実は神が用意したものに文句を言って反逆してるということになる、というのである。これじゃあ確かにうまくいくはずが無い。欽ちゃん風に言えば「願っちゃダメえ〜!」
 なかなか痛快な言だ。一読の価値有り。

 それからスピリチュアル系のサイトを見ている中、とあるサイトで、いいもの見っけた。
 真偽とか、裏事情とか、そうしたことはとりあえず置いといて、一読の価値有り。
 「2006.6.23(金)」曇時々晴格力高百奇

 「格力高百奇」
 はて?、なんのこっちゃ?、と思われることだろう。
 これは20世紀の怪奇小説の類いでは無い。

 同類の物件にこういうのもある。
 「格力高百力滋」
 朝鮮の武闘家では無い。
 どうも百が出てくるので、何かそうした数字にまつわる何かとお考えかもしれぬが、そうでは無い。

 はてさて何これ?

 正解は誰しもが良くご存じの、あのアヤヤも宣伝している銘菓。
 正確な読み方はわからぬが、上者の意味が「ぐりこぽっきい」、下者が「ぐりこぷりっつ」である。

 察する所、「格力高」が「グリコ」らしい。
 「百奇」は、その菓子がとんでも無い異様な世にも珍しい食物とも何ともつかない物体、というわけでは無く、どうも発音からくる当て字らしい。

 最近職場の方がちょくちょく出張で大連(中国)というとこに行くので買ってきてくれる土産に、こうした日本の菓子の中国バージョンがある。

 下記はそのうちの百力滋の写真。
 プリントされたラベルの白抜きの字は何が書いてあるかわからん。職場の方の推測だと、どうも広東なんちゃら風味の何者か、らしい。
 味は期待通りで、ラベルが無ければ異国の情緒は醸し出さない、ということだけは言っておこう。


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