Monologue2006-4 (2006.2.11〜2006.2.16)
 「2006.2.16(木)」雨・振返りたくねえ

 今年はまた確定申告しなくちゃ。
 面倒臭せえ。ヤダなあ。
 ああいうのって過去に遡って伝票なり領収書何なり探してこなくちゃなんねえからなあ。
 なんか一度来た道を逆戻りするような不愉快さがあるな。
 オレは過去を振返るのがイヤなんだヨオッ!。
 男が一旦決めた道、二度と振返るんじゃネエッ!!、カッキーン!、アッチャン、カックイイッ!(勿論オリエンタルラジオのノリでお願いします)。
 ・・・てなわけにもいかねえか・・・。
 「2006.2.15(水)」晴・ジェダイの尊大

 スターウォーズでは、シスが悪の象徴として描かれている。対するジェダイが善の象徴として描かれている。
 しかしスターウォーズは徹底したジェダイの賛美というわけでもないのである。

 シスの言動の端々には、ジェダイに対する批判と、意外にも少しの真理が見え隠れする。

 ”大いなる神秘を知るには、あらゆる側面を学ばねばならぬ。賢い指導者になるにはフォースの全てを受け入れるのだ(それがダークサイドでも)”。
 これはジェダイでは無く、シス、パルパティーン=ダースシディアスの言だ。

 そもそもジェダイが滅びたのは、その尊大さによる、とシスは言う。
 確かにジェダイは目の前にシスがいたのに全く気づかなかった。スッカリ騙されていたのである。
 それはあまりにも傲慢に陥っていたからだ、尊大になってダークサイドが見えなくなっていたからだ、とシス、ダース・シディアスは言う。

 僕がそれを象徴的に感じることができると思ったのは、エピソード3で、アナキンが自分の見た悪夢についてヨーダに相談に行くシーンである。
 ヨーダは、アナキンの話を受け、助言をする。
 ジェダイらしい、尤もな正論をアドバイスする。

 ところがその当時のアナキンには、ヨーダの言は至極真っ当だと感じながらも、それがあまりにも現実とかけ離れていすぎた為、全く琴線に触れてこなかったのである。

 これは映画の世界を離れて、我々の日常生活でも起りがちな事態だ。
 人から相談を受けたとき、人に助言するとき、我々はつい自分の視点だけで、ともすれば上からの目線だけで、物事を対処しがちになる。

 人生先へ進んでいくと、つい自分を過信し、後進の視点や、他人の視点を忘れがちになる。
 全くの正論を述べても、時にそれが相手に相応しく無いレベルのコンタクトであったと全く気がつかなかったりする。
 こうなると、せっかく後輩などを育成したり回りに呼びかけようと思っても、その声は現実とは懸け離れていすぎて届かない。
 若者が大人に対して反発を抱くことの多くのケースは、大人が自分の通ってきたはずの道を忘れ、尊大な大人の視点から物事を論じてしまうことにもよる。

 スターウォーズでは、そうなってしまったジェダイに、シスが強烈なシッペ返しを食らわせたのである。
 アナキンにとっては、騙されはしたものの、ダース・シディアスの助言のほうが、よっぽど親身で現実的だった。
 勿論シスのような、即効的な助言が絶対良いということは無い。でもアナキンの視点でアナキンの現実的な心配に焦点を当てたぶんだけ、その時だけシスはヨーダよりもアナキンの心を掴むことができたのである。
 (但しシスはここでアナキンの人の良さに上手くつけこんだ。これがダークサイドの常套手段なのだが)。

 本当の賢者とは、強大なパワーを持っていながらも常に他人や、自分より目下の者でも、その視点に立って物事を考え発言できる人物、しかもその視点を自由自在に変えることのできる人物、それこそが真の賢者に相応しいと言えるのでは無いか?。

 仮にもジェダイマスターを目指している僕にとっては、この点はくれぐれも注意しなくてはいけないポイントだ。
 ま、ジェダイ目指さないなら別にいいけど。
 ん?、そもそもジェダイというもの自体が現実的では無い?。
 ですよねえ・・・。
 「2006.2.14(火)」晴・奇妙な風習

 今日はバレンタインであった。
 ホームページをやり始めた時は30代だった僕も、もう今年は4のゾロ目にならんとしており、こうしたイベントも年々疎遠になる傾向にある。
 そんな中、今年は有り難いことに2件のおこぼれに預かった。

 一件は職場の女性が皆に配っているののおこぼれに預かった。
 世に言う義理チョコというやつである。3時になるとニワトリにエサを配るが如く配給され、我々オンドリ勢は大人しくエサにありつき式次第は静粛に行われた。

 昨今この奇妙な風習を忌避する女性陣の意見も多々出ているという。
 うちの職場はと言うと、見ていてそんなに嫌なことをしている感も無く、しかも結構お金をかけてくれたようだったので、このイベントも結構満更では無いようにも見えた。

 もう一件は、なぜかコンビニのネエチャンがくれた。
 ここまで来ると義理チョコを越え、営業チョコの次元に突入する。本命チョコが天上界、義理チョコが人間界とするならば、営業チョコはその下層の動物界に相当するといっても過言では無い。

 がしかし、こんな営業チョコでも我々モテナイ独身中年界からすれば、天上から差し込んだ一筋の光明にも相当する。
 嫌なのか?と言われれば、別に嫌では無いし、どちらかと言えば、有り難い、と思う。
 しかもネエチャンが臥せ目がちに「あの・・・良かったらこれ・・・」などと恥ずかしげに差し出すもんであれば、かなり勘違い系に走りかねない。
 職場の場合は、女性:オンドリ=1:nの等式の下になされるが、コンビニにおいては、1:1になるので、尚更勘違いを招きやすい。
 思わず店を出る時にニヤっと、にやけの一つも出てきてしまう。チョコの裏に銘記されたコンビニのクレジットを見て、ちょっと冷静になり我に返ったりする。

 しかしコンビニも、よくやるもんだ。コンビニなぞほとんど毎日行くようなもんだから、どんなモテナイ独身中年でもコンビニに行けば最低1個は営業チョコを貰えることになる。我々モテナイ独身中年界にとってはウレシイような哀しいような、もはや慈善事業じみた奇妙なシステムだ。当然のことながらコンビニのネエチャンがカワイければ、その営業チョコにも特別ポイントが加算される。

 ちょうど「笑っていいとも」のテレフォンショッキングで、最後にタモリ氏が「じゃ、お友達を・・・」と言った時に「エーーッ?!!」となる、アレを出演者が”ワザとらしいとわかっていてもウレシイっすね”などと言ってるのと、この営業チョコの喜びは酷似しているかもしれない。

 このバレンタインという風習も、今や義理だの営業だの任侠Vシネ路線の如き、ある部分当初の意図とは違うステージに向かっていってしまっている向きも無いでも無い。
 だが我々モテナイ独身中年の勘違いがある限り、この奇妙な風習は、しばらくの間は続くのだろう。
 「2006.2.13(月)」晴・青春に乾杯!2

 おとといの日記にも書いた30年来の時を経てやっとその素性が明らかになった「青春に乾杯」という歌について、今も繰り返し聴きながら、この時期に巡り合えた意味を考え続けている。

 よくよく調べると、この曲ジェーン・バーキンなどもカヴァーしていたらしく、もっとフレンチ方面に踏み込んでおけば、もっと早くわかっていたかもしれない。
 しかし、タイミングは30年という時を経た、今この時期だった。

 最近ではインターネットのおかげで、知りたい曲なども大抵は情報が入手できるようになった。
 だが僕にとってこの「青春に乾杯」は、何しろメロディしかわからず他に有力な手がかりは無かったので、この進化したネット時代に素性のわからぬ最後の大物曲だった。

 それが僕は別に血眼で探していたわけでも無く、アンテナを張り巡らしていたわけでも無く、どちらかと言えば忘れて何もせずノホホンとしていたところに、向こうからトントンとドアを叩くように”やってきた”感じだ。
 ”あのう・・・お忙しいところ大変恐れ入りますが〜、わたくしだいぶ以前に静岡のCMの方でお世話になっておりました”青春に乾杯”と申すものですけれども〜、お邪魔いたします〜、一応、はじめまして〜と申し上げた方がよろしいでしょうか〜?・・・”。
 こちらとしても突然の訪問に驚きつつも、ずっと待ち侘びていた訪問者だっただけに、すぐ迎え入れたわけである。

 それにしても、なぜ今やってきたのか?。
 これだけのインパクトを僕に与えたのだから何か意味はあるはずだ。
 現時点でわかっているものとしては、
 「願いというのは、いつかは叶う。それが例え30年という長い時を経たとしても」という大きな教訓がある。
 ただこれだけだと何も「青春に乾杯」で無くても別の事象でも良かったはずだ。
 この曲だから、という意味があるはずだ・・・。
 あー。当分この問題でオレの生活持ち切りになりそうだな。

 ちなみにこの「青春に乾杯」という曲、歌詞は”君とつきあえるなら何だってするよ、ダサイと言われてもかまわない”みたいな感じのもので、本当に若々しい青春ノリノリの微笑ましい感じの曲なのである。
 もしかしてオレ最近心身共にめっきりオッサンオッサンしてきたから、気持ちを若く持て、という意味か?。
 「2006.2.12(日)」晴・いよいよ切替時せまる

 今月下旬にはツーカーからauへの携帯機種切替えに、電話番号だけで無く、Eメールアドレスも変更せず引き継げるようになるらしい。
 そうなったらいよいよ切替えるか。とりあえずauに。
 モバイルsuicaも出て来たし、auの新機種も出るみたいだし。
 僕のツーカーユーザー時代の終焉も時間の問題になってきたな。
 「2006.2.11(土)」晴・青春に乾杯!
 
 極々個人的にスゴイことがあった。
 30年来の謎が急に解けたのだ。
 それは、ある曲のことで、僕がまだ小学生の頃、テレビのCM、SBS静岡放送かテレビ静岡でBGMとして流れていて、何という曲なのか知りたかった。
 僕の記憶では日曜の午前中にやるデパートの宣伝だったような気がするが今はちょっと定かでは無い。ただ勿論メロディはハッキリ覚えていて、今でも口ずさめるくらいだ。
 昔は今のようにインターネットなど無いし、回りに知っている人はいないし、自分も子供で、こういう時どうしたらいいのかわかる術もなかった。

 ただ変な確信があって、その曲は、たぶんビートルズの曲なのだ、と当時は思い込んでいた。
 とてもポップな曲で、こういう曲は大抵ビートルズなのだ、と思い込んでいた。
 しかもそれは、ビートルズの「ヘルプ」という曲なのだ、となぜか思い込んでいた。きっと「ヘルプ」という曲が、あの曲なのだ!、そう思い込んでいた。

 それでビートルズを聴くようになって、実際「ヘルプ」を聴いてみたら全然違う曲だった。
 その後ビートルズは全曲聴いたし、ソロになってからの曲もくまなく調べた。しかしあのポップなメロディは全然出てこなかった。
 やっぱり、何かのカヴァーじゃ無くて、あのCM用だけに作られた曲だったのかなあ?・・・。
 こうしてこの謎の曲問題は迷宮入りした・・・。

 あれから30年。
 あの曲のことは、もう大分記憶の底に沈んでいた。
 ところが、こないだふとテレビを見ていたら、なんと、紛れもない、あの懐かしい聞き覚えのあるメロディが流れて来たではないか!。
 これじゃんっ!!、この曲ぢゃ〜ん!!。
 ホンダのストリームという車のCMだった。

 急いでホンダのサイトを調べたら、ミッシェル・デルペッシュの「青春に乾杯(Pour Un Flirt)」という曲だった。
 昔僕が聞いた当時のCMでは、ホーンセクションがメインのインストロメンタルのBGMだったので、やっぱりそれはカヴァーだったらしい。
 それから何となく、ウスウスそんな感じもあったのであるが、当時流行っていたミシェルポルナレフなどに代表されるフレンチポップスのヒット曲だったようだ。1971年のヒットだったらしい。急いでCD音源も入手した。
 いろんなことを思い出して来た。
 日曜の午前中にやってたテレビのこととか、「ヘルプ」を初めて聴いた時、実は「青春に乾杯」では無くて、ガッカリしたこととか・・・。「ヘルプ」は、後にギターを弾けるようになって、 やっとカッコヨサに気づきはじめて好きになったので、それまでは”青春に乾杯じゃ無かったショック”が尾を引き、しばらくあまり好きになれなかったこととか・・。

 今ではインターネットのおかげで、こういう知りたい曲の情報などがすぐわかる時代になった。ありがたいことだ。
 それにしても30年経った今、急にわかるなんて・・・。
 何年も生きてると、なんかあるんですな、こういうことが。
 極々小さいことではあるが、夢って叶うもんなんですなあ・・・感無量の今日この頃でありました、とさ。
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