Monologue2005-10 (2005.12.1〜2005.12.9)
 「2005.12.9(金)」晴・MUSIC BOOK
 
 前回書いたような、さだまさしの歌以外にも、精神的エネルギーを高める時に聴く歌が沢山ある。
 やはり古い歌ではあるけれども、山下達郎の「MUSIC BOOK」(”FOR YOU”収録)も僕にとっては、そんな歌の一つだ。

 この歌で僕は良く泣かせてもらう。
 この曲は良く晴れた日に屋外で聴くのがイイ。
 太陽と青空のサポートを身体一杯受けながら聴くのがイイ。

 実のところ普通だったら、この歌を聴いて泣くようなことはあまり無いだろう。
 逆に、こんな明るく楽しい歌が、なんで泣けるの?と問い返されそうだ。
 でも音楽をこよなく愛する人だったら、きっとこの歌の語りかけるところを、僕の言わんとするところを、感じとってもらえるに違いない。

 歌詞は吉田美奈子が手がけている。
 抽象的ながらも、素晴らしい世界を展開するこの韻律は、大まかに言ってしまうと「音楽賛歌」なのである。
 人生の難しいしがらみやドラマはそこには無い。そこがイイ。この極めてニュートラルな歌詞によって、疲れた時に全てを忘れ純粋に音楽に身を委ねることができる。

 いわゆるミディアムテンポで軽快に曲は始まる。
 そのメロディは明るく、歌詞はゆったりとして、心地好いサウンドが流れていく。

 サビでの巧みなコード進行によって聴く者は、そのボルテージを次第に無意識にも高められていく。
 それはMUSE(芸術の神)達の波長へと僕らをチューニングすべく、この音楽が徐々に徐々に導いてくれているかのようでもある。

 2番の歌詞で、僕はまずウルッとくるのである。
  ”心に留めておきたいもの 
   一つ一つを歌えるならば
     突然の雨も 美しい話 
      外へ出るのもいい”
 まるで音楽が、今までの諍いや悲しみを、全て報いてくれるような、そんな気にさせてくれる。
 肩を濡らすのは冷たい雨じゃない。
 メロディの雨なのだ。

 そしてこのフレーズの後、サビと間奏が入り、また”突然の雨〜”のフレーズを繰り返した後、3回目のサビに入る。
 この時、1〜2回目のサビには入っていなかった女声のバックコーラスが入ってくる。

 達郎の力強い”Oh ow”という歌唱が合図となり、そのあとの達郎の”MUSIC〜”という言葉と同時に入ってくるこのコーラスは、かつてロマン派の天才達が夢見るように歌い上げようとしたのと同じ美しいハーモニーで、僕を一気に彼岸の高みの如き高揚した精神状態へと押し上げてくれる。

 やがて曲はメロディと女神達の共演で締めくくられていく。

 この一点の曇も無い奇跡のような音楽が醸し出す善なる世界、ブライトサイドに、一筋の光明と希望を、僕は見いださずにはいられないのである。
 「2005.12.7(水)」晴・涙は愛のオシッコ
 
 昨日さだまさしの歌の話をしていたが、今日のフジの”ごきげんよう”で岩崎ひろみ嬢が最近涙もろくなって、さだまさしの”関白宣言”を聴いて号泣したという話をしていた。
 さだまさしの歌には、確かに非常に良い波動を出す歌が沢山ある。
 暗い歌もあることはある。
 ただ悲しい詞の内容でも癒しの波動が出ているのもあるで、ヒーリングにはもってこいである。
 他に「引き潮」「天までとどけ」「つゆのあとさき」「想い出はゆりかご」「桃花源」などが僕は好きな曲である。

 夜、テレ東で団塊の世代の未来は・・・みたいなテーマでホリエモンなんかが出ていた番組を見た。その後すぐテレ朝で”オーラの泉”中島啓江の巻を見た。
 まあ、なんと両極端な内容だったこと!。
 どっちが良い悪いは言わないけど、なんか今の時代の二極化の原因を象徴していたな。同時にこれからのカギも。
 冒頭で美輪・江原両氏が”今日のオーラの泉はいつもと全然雰囲気が違う”と言っていたのが、見ていくうちにわかった。
 人間いろいろあるけれど、やっぱり親子の絆って、思ってる以上に深く大きなもんだよな。

 ところでこないだモー娘新メンバーの久住小春の夢を見て以来、急に彼女が気になりだした。
 加入当初は、いくらモー娘とはいえ子供だし、僕に子供がいたら、これくらいになっていっても全くおかしくない年だし、まずまあもう対象外だな、などと思っていた矢先・・・。
 なんか急に大人びて見えだした。やべえ。オレは悪く無い。夢に勝手に出てきたアッチが悪い(何様のつもりなんだよ)。
 確かに名前とかもイイよな。
 13才かあ。1992年生まれ。こないだじゃん!。たぶん親御さん、オレと年が同じくらいなんだろうな、ははは(枯れた苦笑)。
 「2005.12.6(火)」曇後晴・風を聴いてる
 
 昨日のテレ朝のアメトークにキングオブコメディが出ていた。そこで関根さん(勤)も言っていたが、あのキンコメの今野というのは、ムカツクやつをやらせたら今ピカ一だな。あの小憎らしさが、なんか小気味良い。

 ところで通勤電車や仕事などでイライラしたりして波長がダウンしてしまった時、時間がある場合は帰りに少し適当な場所を歩いてウォークマンで音楽を聴くことで随時回復するようにしている。
 さだまさしの曲なんかは、結構即効性がある。
 ちょっと古い歌であるが「夢一匁」というのがあって、これは効き目大だ。
 この歌は、まず詞が良い。
 ”老人達は、おだやかに吹いてくる、風を聴いている”などといったように、言葉づかいが実に詩情に溢れている。風を聴く、だよ!。

 歌詞カードを見ていても、言葉がキラメイて歌詞がピカピカ光ってるような錯覚に陥ったりする。
 たぶん歌のバックに親の愛みたいなのが流れているからだと思う。
 「2005.12.5(月)」晴・老化?
 
 新宿の三越の上がジュンク堂書店になってたとは知らなかったあ〜。
 キョンキョン離婚してたとは知らなかったあ〜。
 ”コンサート”じゃなくて”ライヴ”だって。知らなかったあ〜。
 ”汽車”じゃなくて”電車”だって。知らなかったあ〜。ん?、古すぎるか。

 ちょっと気を抜くと、すぐ時流に乗り遅れる。
 最近とみに、この”時流に乗り遅れ度係数”が上がって来ている気がする。
 若い頃はこんなじゃ無かった気もする。

 以前職場の先輩と話をしていて、人間は年取ると段々動きの無いものへと興味が移っていく、という話になった。
 若い頃はスポーツとか動物とか動きのあるものに興味を持つが、年をとると石とか盆栽とか動かないものに興味を持つ。それをジっと眺めていても飽きない。

 ちなみに僕は、まだこの境地になっているわけでは無い。
 ただ確かに以前に比べたら嗜好が徐々には変わってきている実感はある。
 いや、変わってきたというよりも、あまりアンテナを広く張り巡らさなくなった、というのが本当かもしれない。
 広く触手を伸ばすのが億劫なので、確実なものにピンポイントで当たる、というある意味ずるい方法を覚えた。冒険をしなくなってきた。
 アンテナ以外の範囲で起こってる出来事については”ま、いいか感知しなくても”などと腰は非常に重く漬け物石の如しである。なので、たまーにお恥ずかしながら世間を賑わせている事件や有名人を全然知らなかったりする。

 そういう意味では確かに”動かなくなって来た”かもしれない。
 「2005.12.2(金)」晴・大フーガも銭
 
 こないだベートーヴェンの弦楽四重奏曲の一つ「大フーガ」のピアノ版の自筆楽譜が発見されたというニュースがあった。
 僕なぞは「そんなんがあったんか!」という驚きとか「誰か才能のあるピアニストに弾いて欲しい」という考えがまず浮かんだ。

 ちょっと苦笑というか、そうなんだろうなあ、と思ってしまったのが、この関連のニュースではこの自筆楽譜が「いくらで売れるか!」とか「〜億円になるだろう!」といったような、最終的にゼニの話にすり変わってオチているとこなのであった。

 やっぱ今の地球のレベルは、こうなんだろうなあ・・・。確かに音楽に興味なければ、そこに行き着くんだろうなあ・・・。
 ベートーヴェンの自筆楽譜=金。金が最も人を動かすものになってる。金に支配された社会。

 ベートーヴェンを慕っていたシューベルトやシューマンなんかが生きていたら、この話を聞いて「金とかじゃねえからっ!、売るかよっ!(三村口調で)」などとキレてたかもしれんな。
 でもベートーヴェン本人は意外に「えっ?、そんなに高値で買ってくれんの?。じゃ、ちょちょちょっと本格的に販売の方検討させて下さいよ(アンガールズ田中口調で)」みたいなノリ気できたりして。
 「2005.12.1(木)」晴・本当にやってほしいのは
 
 最近女性の間でホットヨガなどが流行ってるそうだな。
 あれは常時汗を流し水を補給し、体の中の毒素を流そうという目的があるそうだ。
 確かに効きそうだ。

 でも本当にこれをやって身体の毒素をスッカリ流しきってほしいのは、野郎の方だな。
 ま、女性がやって益々奇麗になれば越したことは無い。

 野郎、特に日本のサラリーマンは、朝の電車で一緒になるのはキツイ。ドス黒い気で毒素一杯じゃねえか。洗い流せっ!。

 ん?、オマエも毒素一杯じゃねえかって?。
 ありゃ、めっかちゃった。
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