Monologue2004-42 (2004.12.24〜2004.12.31)
 「2004.12.31(金)」雪・少しでも愛を
 
 今日は東京でも2度目の雪だった。
 夕方自転車に乗って外へ出る。既にもう自転車では走りにくい状態だ。

 なかなか前に進まない自転車に乗りながら、明日の元旦の新聞配達は大変だな、と思う。元旦の新聞は量が多い。
 昔僕もやっていたので、それを思い出す。
 雪は降った当初よりも、夜になり時間が経って路面が凍結した時の方が、配達では危険が伴う確率が大きい。
 自動車が通って、轍を作ってくれると大分助かる。
 大きな道では自動車が良く通るので、比較的走行し易い。だが細い道、あまり車の通らない道では、雪かきをしてもらわない限り、自転車では非常に困難な走向を強いられる。
 普段細い道では鬱陶しい自動車も、雪の時は有り難いのである。

 そう言えば奈良の女児誘拐事件の犯人は新聞配達員だったらしい。
 何かとても複雑な気持ちだ。
 勿論しでかしたことは許されるものでは無いだろうし、個人的にも援護するつもりもサラサラ無い。
 只、誤解を招かないで欲しいのだが、僕には気持ちが全然理解できないということは無いのである。勿論僕が殺人を犯す気持ちには到底成り得ない。しかしそうなってしまった心情を理解はできてしまう自分は、事実いるのである。

 今更こんなことを言っても始まらないのであるが、僕が見て来た新聞配達店には様々な人種が集まっていた。
 なかには人に言えない家庭の事情を抱えた人達や、触れられない過去を持った人達もいた。多くは経済的に困難な状況にいた。
 僕がいた当時は、世の中、貧乏とか根暗が嫌われていて、日本経済も今のような不況では無かった。学校での友人は一様に裕福であったし、貧乏という言葉は昔のものかと思われた。ところが新聞配達店では、そうした日本の社会の陰の部分を見るように、やっぱり陰の人生を背負った人達が沢山いたのである。
 僕は通学した学校で会う人達と、生活を共にした新聞屋の人達の、生活観のギャップに、いつも戸惑いを覚えていたものであった。

 今は、そうしたある種の人種の生活事情が明るみに出るのは、こうした悲しい事件が起こった時くらいだろう。そうでもなければ、自分のことで精一杯のこのご時世、なかなか一人の新聞屋が、どんな人生を送って来たか、などといちいち考えることは無かろう。
 それでもマスコミの情報のみでは、なかなか真実を把握しにくいものだ。
 ただこの事件に関係した人間が生まれ、関連した存在に出会うまでの人生の長い過程の中で、どこかで愛が救いを差し伸べていてくれたら何か変わっていたのでは無いかと思ってしまうのである。

 閑話休題。
 それにしても今日は昨日と打って変わった雪の日で、昨日の快晴が嘘のようだ。12月に雪に挟まれた快晴の日など珍しい。
 社会人になってから、年末ギリギリまで働き、それまでの日々は全く日常で、大晦日くらいに突然解放され、それ新年だ、となる。
 しかしその頃になると、年内のゴミ出しの日も終わっておりゴミは年越し、いろんな店も年末年始の休業に入っていて、何かスッキリしない気分のまま、回りだけが新年気分の煮え切らない新年を迎えることが多かった。

 そんな僕も昨日の晴れた日、自分のなかでは大きなものを整理した。
 それは「お札(ふだ)」である。
 家には伊勢神宮を始めとして、幾つかの古い寺社のお札があった。全て、引っ越して来て当初くらいの、たぶんもう10年以上前のもだ。
 随分前から納札しようと思っていたのであるが、出雲大社などそう滅多に行ける場所では無く、ついそのまま来てしまった。

 今年の厄年の自分の有り様を省みて、こりゃ何かを変えねばいけない、と思った。
 それで、少しでも運気を上げようと思い、思いこみかもしれぬが、物には魂が宿るとも言われるし、今までずっと一番気になっていた古札の納札をしようと思い立った。霊能者の方が僕の家を見たら「アンタッ!、あの沢山ある古いお札、早く捨てなさいッ1」と真っ先に言われてしまうかもしれない。

 関東近辺で、僕が一番良く行く、大宮の氷川神社で、古札納札をやっていたので、大宮まで行って来た。
 氷川神社には大変失礼になってしまったかもしれぬが、氷川神社のものは1枚も無かった。全て他社のものだ。
 でも大宮の氷川様なら大目に見てくれるだろう、そうした信頼感の元、無事納札を済ませ、よろしくお願いします、とお参りしてきた。
 昨日の快晴が、氷川神社のお答えであったと思っている。これで心の大きな荷物が一つ肩から下りた。
 来年も引き続き、古くなった考えやものを少しづつでいいから自分のペースで整理していこう。

 その後、いつものように大宮第二公園から大和田、七里と東武野田線の沿線を歩いた。
 このコースには、もう既に僕のお決まりのルートがあって、そこを歩いた。ただここを歩く時に、あんなに晴れていたのは久しぶりだったので、とてもリフレッシュできた。
 中島美嘉の「Love」というアルバムを聴きながら歩いた。特に「雪の華」という曲が心に染みた。その日歩いたルートにとても馴染んでいた。

 僕が沈んでいる時でも、こうして好きな場所を歩けば、元気が回復できる。
 全く大したやつらだ、青い空と、音楽と、僕の好きな場所。
 「2004.12.25(土)」晴・叡智の人々
 
 こないだゲリーボーネルゆう人の「アトランティスの叡智」ゆう本を読んどったら、エエ言葉に出会った。
 「宗教の基本理念は、別にそれが実際に役立つかどうかを証明する必要が無い。日常生活を直接指導するものではないからだ。だが、あらゆる文化に存在する叡智の人々がもたらす希望に心を傾けよ。人間の残酷さから最終的に自由になるために」

 ワシゃ今まで音楽や本なぞに随分助けられてきよった。

 人間、問題があっても希望が有ればやっていける。
 希望が無くとも問題もなきゃ、ただただ生きてはいられる。
 困るンは、問題だけあって希望が無い時じゃのう。こがな時、人は死ゆうもんを意識するもんじゃ。
 じゃが、ふとしたことで偶然「あらゆる文化に存在する叡智の人々がもたらす希望」に「心を傾け」るこんがでけた時、再びそっから歩みが始まるこんもあるもんじゃ。

 ま、できりゃ自分が「あらゆる文化の叡智の人々」になってみたいもんじゃがのう。
 ん?、エロビデオばっか見とったら、そりゃでけんじゃと?。
 「2004.12.24(金)」晴・しぶといスパム
 
 プロバイダーさんのメールサービスでスパムブロックいうのを設定した。
 おかげさんでスパムメールが直接メールソフトに取り込まれてくるんは大分減ったわい。
 最初は、おまかせ設定ゆう初期設定の状態じゃったが、今は更に50以上の微細な設定を追加し、ガードを強化した。
 ところがよう、ほいでもこの頑強な防御線の網目ををスルスル潜って、まあだ取り込んでまう極悪メールがあるんじゃのう。
 ほとほとあきれたゆうか、あきれを通り越して感心してもうたわい。

 こないだはよう、「同窓会のお知らせ」じゃゆうて、こっちへアクセスしろゆう不審なURLが指定されておった。
 こんだけ単純で平凡なメールじゃ、もうガードはでけんぞ。
 無視して即削除するしか無いのう。

 まあ同窓会のメールにしちゃ、なんも挨拶も自己紹介もワシのことについて言及もなんも無あで、怪しいメールゆうは、即座にわかるがのう。
 まあずあの手この手、良う考えるもんじゃ。
 そんだけのエネルギーがあったら、そりょ被災地の援助や地球の温暖化防止の為なんぞに使こうてもらいたいもんじゃのう。あんだけのシブトさと頭がありゃ、かなりの奉仕がでけるぞ、きっと。
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