Monologue2004-24 (2004.7.17〜2004.7.19)
 「2004.7.19(月)」晴・旅の動機

 外国にほとんど行ったことがないので、いつか行ってみたい。
 オーストリアに行って、ウイーン、ザルツブルグに行き、古の偉大な音楽家達の旧跡を巡ってみたい。ドイツ、フランスにも足を伸ばしたい。
 それからイギリス。
 ロンドンやリバプールにあるビートルズゆかりの地を巡ってみたい。

 これらの偉大なアーチスト達の足跡を辿りつつ、そこで彼らの音楽を聴く。
 僕の夢である。

 考えてみれば、全くミーハーな発想だ。
 だが、かつて芭蕉が、古の偉大なアーチスト達、すなわち西行などの残した歌の、歌枕を尋ねに奥の細道に向かったことも、つきつめて考えると、僕と同じような、ある種ミーハーな発想から出ていたとも言えなくは無いのでは無いか。

 芭蕉は西行と同じ足跡を辿ることができれば、そこで客死するとも本望なりと思ったことだろう。
 すなわち命懸けだ。
 自分の崇拝するアーチストと同じ空気を感じ同じ波長になる、ということは、それ程重要で意義あることなのである。

 だから旅の動機がミーハーだろうが何だろうが、それはどうでもイイことなのだろう。
 時には女性を追いかけて行くのだって許されるかもしれない。
 大事なのは、その旅が自身にどう関り、ひいては何を産み出していくのか、ということなのだろう。
 それが後代、第三者に良き啓示を与えられるものにまで昇華するならば、その旅、男子一生の業とするに足る、ということなのだろう。
 「2004.7.18(日)」晴・雨のちスキ

 ここ2日ほどテレビと自転車の無い生活が続いている。
 確かに不便は不便だ。でもたぶん無くても過ごせるのだろう。
 冷蔵庫の時もそうだった。
 冷蔵庫が壊れて途方に暮れ、買おう買おうと思っていながらも、結局買わず終いのまま数年が過ぎてしまった。
 今はとうとう、もう無くてもイイや・・・になってしまった。

 この調子でいろんな物が壊れ、無くてもイイや、が続いていくと、最終的に本当に必要なものは何なのだろう?。

 突き詰めて考えていくと、僕自身さえあれば・・・という話になってくる。
 確かに人間裸一貫でも、意志さえあれば、この地球上では何とかなりそうだ。

 でも更に考えを進めると、その「僕自身」ですら、本当に「必要なのかよっ!?」と思ってしまう。
 生きているだけで、地球の資源を食いつぶしていないか?、人に気を使わせていないか?、そうしたことが非常に気になる。
 ゴキブリ連中にしてみたら、天敵の僕がいない方が、自分達の繁栄には好都合だろう。

 こうなると、僕のいつもの堂々巡りの問題、お馴染みの問題、「何の為に、この地球上で生きているか?」というところにブチ当たる。

 今までこの問題の解決法は「難しいこと考えるな」というものだった。
 確かに何も考えずに生きていくというのは、結構力が抜けて、良い解決策だった。
 只それにももう飽きた。
 こういうところで息詰まってしまうのは、いかに自分が、この地球上で真剣に生きていないか、ということの現れだ。
 どうせ嫌な仕事からも、近い将来向こうから三行半を提示してくることだろう。
 そうしたら、その時又考えるか・・・。進歩無し。

 ちょうど良いタイミングで、この間撮っておいた「エリン・ブロコビッチ」を見た。
 良かった。難しいことはさておいて勇気づけられた。

 やっぱり人間、自分の力を生かして、一生懸命生きて、生きている充実感を得たいもんだ。
 「何の為に生きているか?」と思ってしまうのは、僕が心身ともに孤独だからだろう。
 宇宙のサポートを受ける用意があれば、そんなことは思わないはずだ。宇宙のサポートを受ける為には、本当に心からしたいことをやるしかない。今はそれを見つけるのに四苦八苦してしまってるけれど・・・。

  *  *  *

 「エリン・ブロコビッチ」の後は、この間買って来た、アヤヤとモー娘のDVDを見た。テレビが見られ無い、ということは、こういうものから見ろ、という天からの指令だと解釈しつつね。

 客観的に見ると、残念ながら正直モー娘の世間的な人気は下火傾向だろう。
 だが皮肉なことに、DVDを見ていると、今の彼女達はエンターテイナーとしては、とても充実してるように見える。踊りもイイし、楽曲も例えば「晴、雨、のちスキ」とか「さくら満開」なんて、すごく良い曲だ。名曲だ。できることなら、オレ、自分でこの曲カヴァーしちゃいてえ!、とすら思うくらいである。
 「ラブ・マシーン」はかつて大ヒットした。僕も嫌いなわけじゃない。でも純粋に音楽的観点から見ると、「晴、雨、のちスキ」と比べたら雲泥の差がある。

 彼女たちに非は無い。むしろ僕などは、今が一番イイくらいに思う。
 この点に関しては完全に世間が悪い。いや悪い、わけでは無い。これはいかに大衆が音楽的な部分を重視していないか、別の観点から芸能を捉えているか?、だけの問題なのだろう。
 大衆は意外にシビアだ。
 芸術的な質よりも、「時の流れに乗ったパワー」というものに、敏感に反応する。それが無いと反応しない。
 逆に「時の流れに乗ったパワー」さえあれば、質に多少難点があっても売れる。
 大衆に「時の流れに乗ったパワー」が必要なのは至極当然だ。
 大衆は「時の流れに乗ったパワー」を欲しているし、芸能人とはある意味「時の流れに乗ったパワー」を大衆に与える為にあるとも言えるのだから。

 時代を越えて何かを残そうとするなら「時の流れに乗ったパワー」だけでは全然ダメだ。
 時代を越えて残ろうとするなら、時の流れ、では無く、もっと高次の普遍的なものにレベルを合わせていく必要がある。
 この作業は、時として何も利益を生まず厳しい作業になる可能性がある。もしやるとしたら、それだけの覚悟と、純粋にそれに向かう意志が必要だ。今の僕にはチト難しいな。

 アヤヤはイイ。
 画面からパワーが出てる。こういう子こそ、持って生まれた芸能人・アイドルの素質があると言えるのだろう。
 ちとパワー強すぎて、もし仮に一緒に居たら鬱陶しそうだがな。
 ん?、んなことあるわきゃない?。ご尤も。

  *  *  *

 更に、やはり録画しておいたブルース・リーの「ドラゴンへの道」を見た。
 僕はブルース・リー主演作品の中ではこれが一番好きだ。
 ブルース・リーに関しては、僕はもう、客観的な評価はできない。
 たぶん脚本とか映像とかは、名作と呼ばれる映画から比べれば、三流などと言われてしまうかもしれない。
 でも、僕はそれでもイイ。それがイイ。むしろ、そうでなくてはいけない。

 一つだけ、客観的に評価するとすれば、それはブルース・リー自身の凄さ、になるだろうか。
 この人は、今見ても、スターとしてのオーラというか、風格がある。
 まさしく出るべくして出た逸材だったのだろう。
 この「ドラゴンへの道」でも、最初は役に立たそうな田舎青年だったのが、ローマのチンピラを最初に相手にした時に、一瞬で気を入れ込んで空気をガラリと変えて、中国拳法の達人に変身するところが、今見てもすごくカッコイイ。

 これは普通の素人さんではできない芸当だろう。アニメやヒーローもののテレビなら、ヒーローが変身するところはCGなどでいくらでも加工できる。
 でもブルース・リーは自分の「気」を変えることで、それをやってしまうのである。
 少年時代の僕は、かつてこれでブルース・リーにヤラれてしまった。
 ブルース・リーは、その後ビートルズに首位を奪われるまでの僕の心酔するアイドルであった。

 今現在ブルース・リー映画に関して残念なのは、当時僕らが見た、英語版主題歌入りの日本編集版が、全然世に出まわって無いことだ。
 これをもう一度だけでイイから見てみたい・・・。

 ちなみに今日の表題は、今日の天気とかけたモー娘駄洒落です。失礼。
 「2004.7.17(土)」晴後曇・週間12支天気予報で

 以前ここでも書いたが、リンクフレンドの小雪さん発行の占いメルマガ「週刊12支天気予報」にコラムを書かせてもらっとる。
 今度、そんコラムのバックナンバーを小雪さんの方で纏めてくれて独立のページを作ってくれた。
 小雪さんのページに行くと見れるで、興味のある人は見たってつかあさいな。
 ・小雪さんのページ
 ・ワシのコラムの場所

 ちなみによう「週刊12支天気予報」は、ワシも毎週読ませてもろうとるが、これが当たるんじゃのう。たまにあまりにもピタっときててドキッとするくらいじゃった。
 皆さんも是非購読したってつかあさい。小雪さんのページに行くと登録でけます。まぐまぐです。
 それから小雪さんのページに、小雪さん自身の「週刊12支天気予報」のコラムもバックナンバーページを作ってくれたそうで、占いが好きな人は是非見るとエエじゃろう。
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