「2002.3.16(土)」曇後晴・スポーツ紙で一発
僕は割合長いことスポーツ紙を愛読している。金が無くて本紙を止めた時でもスポーツ紙だけは取っていたくらいである。
但し”愛読”、というと言い過ぎかもしれぬ。
僕がスポーツ紙で良く目を通す欄は、テレビ欄・芸能欄・3面記事、それからNBAの試合結果である。
他のスポーツ欄も、話題に応じてざっと目を通す。
しかしスポーツ紙を構成しているのは、これらの欄からなる紙面だけでは無い。
スポーツ紙を語る上で絶対外してはいけない紙面がある。
それが競輪・競馬・競艇などの「ギャンブル系紙面」である。
ちなみに僕のとっている日刊スポーツ紙の今日の紙面でいくと、全28紙面中、9紙面、実に3分の1をギャンブル系紙面に割いている。
ギャンブル系に強いらしいデイリースポーツ紙などは、おそらくこれを越える驚愕のパーセンテージを叩き出しているに違いない。
政治家がもし有権者の構成要員の内3分の1を占める集団を無視したら、その集団から、いや全有権者からヒンシュクを買うことであろう。
そんなわけで、普段は芸能面の話題ばかりに笑点を、あっ・・・いや失礼、焦点を当てているが、たまにはギャンブル系紙面にも焦点を当ててみたい。
さて、ギャンブル系紙面でも、競馬、競艇、競輪、と各種ある。
今日は僕の住んでいる所からも近い”京王閣競輪”の字に目が止まった(近く遊興施設ばっかですな)。
その京王閣競輪のレースも載っている競輪紙面は”レース”と銘打たれた紙面で、そこは細かい専門用語らしき文字や暗号めいた数字がギッシリと埋まっている。
僕は競輪は全く素人なので、パッと見には何が書かれているのか判別がつき兼ねる。
しかしながらよーく見ると、出走者の”出身県”らしきものが重要なのだ、ということが次第に判明して来た。
レース表の横に、表題に”特選こう戦う”と銘打たれた、どうやら出走者のコメントらしきものと思われる、ほとんどが一段1行の短文が掲げられていた。
それを見ると
「静岡勢の後ろにつけて様子を見ていきたい」
とか
「関東ラインで堀君に絞る」
などとあり、どうやらやはり県の看板を背負って出走しているらしいことがわかる。
「同県の福森君に前任せる」
とか
「同県の佐藤君に前任せる」
といったように同県人同志の固い絆、友情、が垣間見られるコメントもある。
かと思うと中には、
「東京同士の滝口君追走」
などと、何やら不穏な動き、同県内での裏切りの予兆を感じさせるものもある。
「関東で松本君にマーク」
などと、「松本君」を関東全体で一気にマークしちゃおう、というある種集団イジメともとれる非道徳的なものすら感じさせるものもある。
更には
「北海道の後ろから攻める」
などと、北方領土問題で心痛める方々にとっては只ならぬ発言に映ると思われるコメントもある。
「東北ラインで奈良君目標」
などという、「何県の戦いだよっ!」と突っ込みたいような、ややこしいのもある。
ちなみに先程も言ったように、この紙面は狭い領域を一杯に使い、隙間が無いくらい多くの情報を詰め込んでいる。従って字数節約の為に、なるべく手短に取りまとめた苦心の跡がある。
上述したコメントでも、比較的余裕のある欄では
「感じは戻って来ている。ラインの三井君を目標です」
と、紙上では2行23文字も割いた、いかにもコメントらしい、コメントとすぐわかるものもある。
一方
「任されたら前前で」
などと何やら暗号めいた、社内の怪しげな根回し風というか、火曜サスペンスの被害者生前残したメモ風、みたいに8字という俳句を遥かに上回る凝縮度を余儀なくさせられるまでにシビアに切り詰められたものもある。
余裕がある欄は、なぜスペースを割けてもらえたのか理由は今の所はわからぬ。そうした欄では節約欄では絶対有り得ない文面パターンもある。
例えばこんなので、
「小島君が駆けてくれるなら、もちろん目標にします」
と、「もちろん」という日本語文法では「副詞」と呼ばれている品詞までも使用されており、副詞を駆使したことで叙情性が加味された詩的余裕すら感じさせる。
節約欄では、そんなこと有り得ない。副詞の使用どころか、文の最も基本的な構成要素である「述語」を省略されてしまったものもある。
「南関で荘司君に」
なんてのがそうだ。こちらとしては「(被害者が”南関で・・・荘司・・・君に・・・ガクッ”みたいなのがあった後に)えっ!?、荘司君に何だって?!、どーしたんだ、オイッ!!」などと火曜サスペンスの被害者を看取る役柄じみたセリフが出て来そうになってしまうものもある。どうも競輪欄と火曜サスペンスは切っても切れないようである。
紙面節約は確かに節約らしいのであるが、なぜか相手選手名に付する「君」だけは絶対略さない。敬称不略、である。
野球やサッカーなどでは極普通に敬称を略している。「イチローが良かった・・・」と普通に呼び捨てにしているのを良く見かける。
上記の
「南関で荘司君に」
というのも、「君」さえ取れば
「南関で荘司追走」とか
「南関で荘司目標」とか、もっと意味が明確になったのに・・・、と返す返す残念に思う。
これだけ切羽詰まった状態でも敬称だけは略さない所に、競輪の只ならぬコダワリを感ずるのであった。
この紙面で、良く目につくのが「まくり」、「一発」、「一本」などと言う単語である。
「杉浦貴君に一本」
とか
「まくり一発」
とか
「石丸がバックからまくり・・・」
などと、使用されている。
他にもレースだから「抜く」という言葉も出てくる。
独身男性としては、「まくり」「一発」「一本」「抜く」「バック」などといった単語を並べられると、どうしても違う方向性を指し示して行きたくなる衝動に駆られる。
「穴は見目の一発か」
などというように意味はサッパリわからぬが、なぜか男性として本能的に納得させられてしまうようなコメントもあるのに加え、
「狂えば小磯の一発もある」
などというコメントもあり、男性同志として、”確かに。そうだろう、あるだろう、狂うだろう”と深く頷けるものもあった。
追い打ちをかけるのが
「清水君ジカがいい」
などというコメントで、思わず「えっ!?、今日は大丈夫な日なの!?」と聞き返したくなるコメントに出くわしたりもする。
結局競輪欄を読んでいて最後は
「吉澤君にまくり一発」
「石川君ジカがいい」
「加護君がバックからまくり」
などと、モー娘。メンバーに当てはめて競輪用語駆使し、面白がっている自分に気づく、四十前の春の一日、なのであった、とさ。
おまけのゴナゴト(五七五)。
”ヒンシュク(顰蹙)は〜、多用するけど、漢字書けない(字余り)”。 |