Monologue2002-12 (2002.3.6〜2002.3.15)
「2002.3.15(金)」晴・堕落

 電車の車内広告にあった週刊誌の見出しの「テレビは人間を堕落させる」というフレーズが目に飛び込んで来た。
 僕なんか人生40年、結構テレビを見て来ている。
 僕の生き方はこうした人達から見たら、さぞかし堕落してんだろうな・・・。
 40間際で独身、これといった定職らしきものも無く派遣で辛うじて食いつないでいる。40間際でアイドル好き。部屋にはビデオCDが散乱、選挙も行かず国民年金も払わず社会的責任感のカケラもない。
 好きなこと・・・「放浪」「自由」。
 かなりの堕落である。

 確かにテレビを見ている比率と僕の堕落度は表面的には相関関係が無いとはいえない。

 只自分の中では、僕のこうした放浪性自由性は、テレビ・・・とはあまり関係無い気もする。

 やっぱりビートルズの影響が大きいと言うのはいえる。
 人と違ったことが好きなことや、社会に対する離反的な雰囲気も、中学時代にビートルズに洗脳させられた面がかなり影響しているように思える。

 しかし同じようにビートルズ好きがいて、同じようにテレビを見ている人がいても、必ずしも堕落しているとは限らない。

 堕落はテレビやビートルズが誘発するものでは無く、本人が堕落の人生を選んだ時に、ツールとしてテレビやビートルズを使うだけなのだろう。
 今ではとてもじゃないがビートルズにはなれないことは重々わかったが、少年時代の僕には少なくとも断然魅力的な生き方に写った。

 それから堕落も、本人が堕落を選んで、それが本人の人生に最も適切な教訓を残すから、その道を選んだのである。つまり堕落しないと成長しないから、堕落しているのである。
 だからほっといてほしいのである(あれ、いつのまにか、堕落キャラ認めちゃったよっ!)。

「2002.3.14(木)」晴・3月も早半ば

 日テレのモー娘。出演番組「モーたいへんでした」が終わってしまった。
 この時期視聴率が良く、深夜から格上げになる番組もあれば、ひっそり終わって行く番組もある。

 3月は何かしら別れと出会いがつきものだ。
 この花粉も舞い、沈丁花も香る、どこか物憂げな空気が一層寂寥感を煽ったりするもんである。

 ちなみにオレは早く今の仕事と別れてえー!(なんだ別れたいのかよ)。

 ところで、CMタイム。 
    僕の高校時代の友人、外山泰三氏がカメラを担当した番組が又々放送されるので興味のある人は見てやって下さいね!。
 ★3月17日(日)22時〜 
   全国TBS系列放送局「世界ウルルン滞在記」
   パリ・バンドーム広場にあるハイ・ジュエリーの老舗モーブッサンに伊藤歩と言う女優がジュエリー作りに挑戦します。

「2002.3.13(水)」晴・不満解消

 カラオケで歌うと良い曲、ウケの良い曲、盛り上がる曲は、やはり圧倒的にノリの良い歌である。
 しかしながら、本当に自分が歌いたいのは皆のほとんど知らないような昔のスローナンバー、という場合が多々ある。
 これを盛下がるからといって、毎回我慢してると結構欲求不満になってきそうでもある。

 こんな時、意外に役立つな、と思ったのが、自動車の通りの激しい道の歩道を歩きながら、もしくは自転車で通りながら、その歌を歌う、という方法なのである。
 できれば歩く人はほとんどいない自動車だけの殺風景な幹線道路が良い。ま、誰も聴いていないからあくまで練習の域を越えないが、大声を出すだけでもストレス発散になることはなる。
 僕は自動車の多い大通りは苦手に思っていたのが、これでかえって大通りを歩きたくなるくらいなのであった。
 但し帰ったらウガイを忘れずに。それからやりすぎて度を越すのも注意、変人と思われてしょっぴかれるかもね。

「2002.3.12(火)」晴・シュワキマセリ

 ヘンデル作と言われている賛美歌に「もろ人こぞりて」というのがある。
 僕の小さい頃は「8時だよ、全員集合」の中で、この歌をやっていたりしたので、結構同じくらいの世代の人だと馴染みのある歌なのではないか。
 ところで、この歌サビのところは「主は来ませリ」という歌詞が出てくる。
「主」すなわち、神、もしくはこの場合、キリストかもしれぬが、その主がやってこられた、という意の「日本語」、である。

 僕は長いこと、これをずっと「シュワキ・マセリ」という、西洋のお題目というか、まじないの言葉だろうと思い込んで来た。
 これが「主は来ませリ」という「日本語」だと突然気がついたのは、大分後も後、成人してから、ふと何気なくこの歌を口ずさんでいた時であった。思わず「あっ、そうか!、”主”ね!・・・、”主”が来ませリなわけね!」と、叫んでしまったくらいであった。

 あれ?、この話前にも書いたかなあ・・・?、ま、いいか、ダブったとしても、それはそれでネタになるし・・・。ともあれ実に非タイムリーな話題でしたな・・・。ほんじゃ今日のところは、これにて御免。

「2002.3.11(月)」晴・ムーミン谷の・・・

 日テレの「秘密の爆笑問題」を見ていたら、「はんぺん」の語源は、その昔駿河の国の半平(はんぺい)という料理人が作ったのが始まりで、それが訛って「はんぺん」になった、という話が出て来た。
 僕は、それこそ駿河の国の焼津、というところ出身で、静岡生まれ静岡育ちの僕にとっても、いかにも半平さんの話は有りそうにも思える。
 唯実は焼津辺りは「はんぺん」と言えば「黒はんぺん」が主流であった。
 しかも「はんぺん」では無く「はんべ」と言っていた。
 もしかしたら「半兵衛さん」だったかもしれぬ。

 ま、真実は必ずどこかにあるだろうから、誰かに調べて貰うこととして、今日は気になったのは、この「訛る」ということである。
 良く「〜が訛って〜という言い方となった」などと言う。
 大抵の人は「へえ〜、そーなんだあ」などと感心したりする。

 しかし、である。
 感心してちゃいけないのである。
 半平さんが、せっかく「は〜んぺえ、でっす」、とちゃんとした名前を持っているのに、最終的に「は〜んぺん、でっす」になっちゃったら、きっと悲しむことだろう(ん?、そっちの方がウケルからいい?)。
 今だったらこんなことをしたら、辛辣な論説委員が「最近の日本語は乱れ切っている」などと言って、目くじらを立て、恰好の糾弾の的、マスメディアの餌食にされてしまうことであろう。

 例えば、「モー娘。」などという呼称は、既に相当略されているが、これが訛って行ったらどうなってしまうだろうか。
 まず真っ先にお尻の「す」辺りが、脱落することは間違い無いであろう。そうすると「もーむー」などとなる。
 これが今度は「はんぺん」の時のように、お尻に「ん」がついたりする。「うんこ」じゃないからね、言っとくけど、くれぐれも。
 そうすると「もーむん」、になる。
 これが時代を経るに従って次第に「もーむん→もーみん→まーみん」、などとなり、最終的にはなんと「むうみん」になってしまうかもしれない。
 こうして数百年後の未来の人達が、”「ムーミン」と言うのは、13人の少女アイドルグループであった”・・・、などとまことしやかに誇らしげに歴史を語ってる、などという図ができてきてしまうかもしれないのである。こうなるとムーミン谷の人達は、どっかへいってしまう、歴史の中に埋もれてしまうかもしれないのである。

 ・・・、と、まあこんな下らぬことを書いたが、訛って行くこと自体は、おそらく避けられぬことであろう。
 だから、僕は現在の言葉で、訛った為に、何だか訳のわかんなくなっちゃた言葉、例えば、そうさねえ・・・「なんまいだ」とか、「なんみょーほーれんげきょう」とか(なんで念仏ばっかなんだよ)、そうした言葉を、埋もれた歴史から救い上げてやりたい。
 ムーミン谷の人達のように・・・・(まだ、埋もれてねえっちゅうの!)。

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