Monologue2002-10 (2002.3.1〜2002.3.5)
「2002.3.5(火)」曇・まだまだ先

 愛が大事と、とこれだけ言われる意味を痛感している。
 やっぱり愛は今の僕等のレベルでは非常に難しいもんだ。
 その状況が良いか悪いかということより、そこに愛があるかどうかがきっと重要なのだろう。
 これは相当難しい、もしかしたら一番難しいのでは無いか。

 日常生活は陥れる言葉や、荒い気で満ち溢れている。
 この状況で愛など考えもつかない。それどころか自分も人を拒絶し、貶めようとしてしまっている。
 下方修正は、なんて簡単なのだろう。そして上方修正は、なんて難しいのだろう。憎むのはいとも簡単、愛することは想像もつかないくらい困難だ。

 だからこそ愛を成就した時に感動するのだろう。

 僕の今の日常には一欠けらの感動も無い。乾き切っているし殺伐としている。
 兎に角今の僕は愛を体現するレベルまでいけてないから、とりあえず自分ではコントロール不可能な嵐のような状況に対して、無理に変えようと躍起にならず、静かに何が起こっているか、自分に何が出来るか考える時間を持つことが大切だと言い聞かせている。できれば嵐が過ぎるのを心穏やかに待ちたい。

 どうやら愛は、その後のようだ。

「2002.3.4(月)」晴・悪夢

 何かに追われている夢、というのは何かストレスというかプレッシャーがかかっている状態を意味していることは間違い無いようだ。
 最近僕が良く見るのは、もの凄い高い塔のようなものの上で足場もほとんど無いような狭い所に立っている。
 それでそこが風に吹かれたり、誰かに揺らされたりして、落ちそうになる、という恐い夢である。
 もしそのまま落ちちゃったら、どうなるか?、今度試してみようかとも思っている。
 意味はまだ分析中であるが、まあまず十中八九、今やっている不本意でつまらないのに、やたら大変でシンドく、僕の鬱状態の原因となっている仕事のことであることは間違い無さそうだ。鬱々。

「2002.3.2(土)」曇・君の瞳に恋してる

 今日フジの「めちゃイケ」を見ていたら、「君の瞳に恋してる(Can't take my eyes off you)」という曲が随所で流れていた。
 これは僕も大変好きな曲だ。
 元はと言えば、オールドロックファンにはお馴染みのフォーシーンズというグループのヴォーカリスト、フランキーヴァリが、まだビートルズも全盛時代の1967年にソロとして出した曲で、全米チャートでも2位までいっている。作ったのはフォーシンズンズのソングメイカ−、ボブ・ゴーディオ、ボブ・クリューのコンビ。若い人にはピンと来ないかもしれぬが「シェリー」とか、ベイシティーローラーズもカヴァーした「バイバイベイビー」などヒット曲が沢山ある。

 本家の「君の瞳に恋してる」もフランキーヴァリの切なげなヴォーカルが味を出しているが、僕等の世代には、やはりボーイズタウンギャングの名カヴァーがお馴染みである。
 最近でも日本のアーチストなどが割とカヴァーしており、おそらくこのボーイズタウンギャングのヴァージョンに触発されてのことと思われる。

 僕が東京に来て初めてディスコというものに足を踏み入れた時期に、この曲が良くかかっていた。
 今で言えば”クラブ”になるのだろうか。
 ちなみにぶっちゃけて言うと新宿の「ニューヨーク・ニューヨーク」という店だった。
 この曲は常に大トリ、オオラスにかかる。
 この曲がかかると、今まで踊らないでテーブルでくっちゃべっていた輩も皆フロアに集まってきて、もうそれこそフロアは大騒ぎさ、の芋荒い状態になったものであった。
 もうそうなるととても踊りどころでは無いが、もう踊りなど関係無く、皆がこの曲に合わせてガムシャラに叫び上下に飛び跳ねた。今のクラブのお兄さん達が見たらさぞかしミットモナく恰好悪い有り様に映るに違いない。狂って抑制の効かなくなった幼稚園児の学芸会じみたものだったかもしれない。しかし最高に盛り上がった瞬間であった。
  この曲が終われば店も終わる。まさに祭りのあとの切なさよ。また終電だね、みたいな。
 ともあれ今思えばやっぱりいろいろと楽しかった日々であった。

 今のクラブでもリバイバルで、この曲をかけたりして、それで若い人にも曲が知れるということもあると聞く。
 それからたまに、この曲がテレビなどで使われていたりすると僕はいつも、きっと制作サイドのプロデューサー辺りが、僕と同じくらいの世代で、この頃のディスコフィーバーを共有体験していた人なのかもな、と思ったりするのである。
 それだけ青春を彩るBGMとしては、なんか泣けてしまうほどピッタリの曲、という感じがするのであった。

「2002.3.1(金)」曇・かつてジャイアンツファン

 先日1981年の日本シリーズ「巨人ー日本ハム」のDVDを買った。この年のジャイアンツには個人的に思い入れがある。
 僕は何を隠そう実は以前熱狂的なジャイアンツファンだった時期があった。
 それがこの1981年で、その時は大学浪人をしていた年なのであった。
 この年、ちょうど現在のように長嶋監督が辞め、次期監督に藤田元嗣氏が就任した年で、その後ジャイアンツは快進撃をし結局日本一になってしまった。
 受験のストレスをナイターで晴らすという、日本の典型的オヤジ生活習慣をこの頃から密かに身につけていたのであった。
 あの当時はジャイアンツが毎夜結構勝ってくれたから、もしかしたら受験も合格できたのでは無いか、などという思いも今となってはしてくるくらいである、

 江川・原・中畑といったスターもさることながら、西本の気合いの入ったピッチング、角の鮮やかなセーブ、俊足松本の盗塁、山倉の忘れた頃の大きな一発、なども醍醐味であった。
 そして何より僕はセカンド篠塚が大好きであった。しなやかで華麗なフィールデング(守備)、現在のイチローの源流を見るような左右自在に打ち分けるバッティング、華奢で小兵ながらポイントで活躍できる度胸の良さ。
 翌1982年に進学で上京した時も、当時篠塚が住んでいたと言う文京区の小日向の自宅を探しに行ったくらいであった。

 大学に入ってからは酒も飲めるようになって、夏にはナイターでビール、なんてオヤジじみたこともするようになり、ジャイアンツの勝敗に一喜一憂したもんであった。
 1983年には当時の後楽園球場での念願の巨人戦観戦を果たすことができ、中畑が打席に立った時の外野席ジャイアンツファンの大歓声に胸を熱くしたものであった。

 こうしてその後1983年の日本シリーズで西本が西武に打たれて負けるまで、割と熱狂的だった僕のジャイアンツファン時代は続いた。
 この西本での負けは当時かなりショックで、西武の時代が来てしまったことを認めない訳にはいかず、何かが確実に終わったと、寂寥感がヒシヒシと迫りくるのを禁じ得なかったのであった。
 当時は宿敵広島の選手ですら名前をソラで言えたのに、今では現在のジャイアンツファンの人と話しても全然話がわからないくらいまで、地に堕ちてしまった。

 今年は巨人に原監督が就任した。
 そういえば1981年も原が選手としてジャイアンツに入団した年だった。
 あの頃も昔のV9のイメージも影を潜め、伝統を誇るジャイアンツがスッカリ新しく様変わりした感が合った。
 それで結構離れて行った昔のファンも多かったのでは無いか。
 それでも結局ジャイアンツは新しく蘇った。
 僕も浪人からようやく大学に合格し、上京という今のところでは最大の転機を迎えることになった。

 今年もジャイアンツにとっては新しい時代の幕開けになってくれることを及ばずながら祈りたい。
 なぜなら昔のように、ジャイアンツの転機が僕の人生の転機と同期をとってくれることを密かに期待していたりもするからである。

back to ●Monologue Index
back to●others
back to the top