「2002.2.20(水)」晴・息苦しくて
朝起きて、若干鼻づまり気味のままシャワーを浴び洗髪する。
ところが全く同じ体調でシャワーを浴びているのに、何とも無い時もある。
どうやら「息苦しいゾ」、ということを一旦考え始め、そこに焦点を当て始めると、息苦しくなってしまうようである。逆に、そんなことを全く意識していないと、何事も無く通り過ぎて行ってしまうのである。 何かについて思う、考える、ということは意外に重大なことであるような気がして来た。
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「2002.2.19(火)」晴・サムシング
昨年亡くなったone of the beatle、ジョージ・ハリソンも数々の名曲を残したが、ジョージのソングライターとしてのピークは、ビートルズ時代というよりも、むしろそれ以降にあるといえるようだ。ビートルズ晩期から解散以後に名曲と呼ばれる作品が多く出ているようである。
ところでビートルズ時代においては事実上のビートルズ最終録音アルバム「アビーロード」で、その才能もジョン、ポールに比肩し得るまでに開花したのがわかる。
「サムシング」では曲全体が既に超越的な雰囲気で非常に完成度が高い。
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「2002.2.18(月)」晴・郊外の高層マンション
一昔前は高層ビルと言ったら都心だけのようなイメージがあった。
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「2002.2.17(日)」曇後雨・何の為に旅するか
今日のNHKBS2の番組「心の旅〜プエルトリコ・晩年のカザルス」という番組の中で、尊敬するカザルスが晩年を過ごした縁の地プエルトリコに行くことができ、そこで念願のチェロ演奏をすることができたチェリストの溝口肇氏が、そこで感じたことをしたためていた日記の言葉が印象的だった。
芭蕉の「奥の細道」には事実と相違する創作的な部分も多分にあるようだ。
ちょうど昨日アウトドア派とインドア派のことを話題にした。
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「2002.2.16(土)」晴・自称アウトドア派
良くアウトドア派かインドア派か、ということが言われる。
僕は何を隠そう、アウトドア派、である。
アウトドア派だったら、40近くにもなってアイドル好きじゃないよね。
ま、冗談はさておき、確かに僕の部屋を見たら、昔幼女暴行か何かで捕まった某の部屋にソックリと言え無いことも無く、確かにCDコレクション、夥しいビデオ・DVD括弧エロも含む括弧閉じ、の類い、を見るにつけ、どこからどう見てもインドア派、ハッキリ言っちゃうと、”オタク”の部屋と呼んだ方が近い。 それでもそれでも僕は声を大にして言っておくが、アウトドア派、なのである。 アウトドア派の方々は、休日などは家でジッとしてられない、などと聞く。
ここで薄々感づいてこられた方もあるかもしれぬが、僕の自称”アウトドア派”分類は、実の所、かなり条件付きの派閥分類であることを告白せねばいけない時間になってきたようである。 ”アウトドア”とは”屋外”の意である。
きっと逆に、外へは一歩も出ぬが常に家に人を呼んでパーティなどをしている大変社交的な人でも、それは外に出ぬ限りはアウトドア派とは言えぬだろう。
ところで僕は、外を歩いている時は必ずウォークマンをして音楽を聴いている。
音楽を聴いたり、街の風景を眺めたりしていると、瞑想的な状態になってくる。
”インドア派”と言えば、”オタク”、”オタク”と言えばアイドル好き、”オタク”の方々は家でアイドルなどのビデオを鑑賞なさったりもするであろう。
そう、僕のアウトドアは、精神的にはどうもインドアなのである。
従って敢えて僕の自称”アウトドア派”分類を正確に再定義し直すとしたら、若者の分類に”渋谷系”などというのがあるように「精神的インドア派系アウトドア派」などと分類してもらった方が良いかもしれない。
ま、いずれにしろ女性から「まっ、活動的ー」などと言われモテルような”アウトドア派”閥、では無いことだけは確かなようである。 |