Monologue2002-01 (2002.1.6〜2002.1.12)

「2002.1.12(土)」晴・明け方の稲田堤を

 木曜の日記の予言通り、金曜日は御蔭様で夜通し飲み明かし今朝帰ってきた。
 この歳にもなって、なんと若い女性と合コンで、ですぞ、合コン。
 3対3のコジンマリしたものであったが、男性陣の年齢を一応ご報告しておくと、僕の39を筆頭に、41の先輩と33の後輩と言う、寂しいモテナイ独身オジサマトライアングルである。企画主は41才の先輩なのである。
 そして女性陣の年齢だが、アンタ、これがですな・・・・。
 ハッキリ言って、自慢しちゃうけどお〜。
 全員僕とは実に16年の年齢差、すなわち23才なのですぞ、アンタ。
 どうだ。オジサンでもまだまだやればできるのだ。

 ほんでもってハッキリ言って、又自慢しちゃうけどお〜。
 昨日は女性陣3人の内、一人は都合で3次会途中タクシーで帰られたが、残りの2人とは、オール、すなわち朝までカラオケですぜ、旦那。
 どうだ。オジサンでもまだまだやればできるのだ。
 今後、又次の展開があるのかはわからぬが(今までの経験上まず無い)、まあゴチソウオジサンの役目は立派に果たし終え、僕的には及第点の出来だった故、新年早々自分を誉めてあげたい。

 ちなみに余談だが、女性陣のリクエストにより2次会にオカマバーを挟んでみたのであるが、オカマのオネエサン達はなんか審美眼があるというか目が確かというか直感鋭いと言うイメージがあって、オネエサン方の言うことは真実を述べているというか的を得ているような気がしてしまう。オネエサンの言うこと当たってるう〜、みたいな。

 さて、会も無事お開きになり僕は新宿から始発で京王線に乗って帰った。
 最終的には南武線に乗りたかった為、京王線の京王稲田堤駅で南武線の稲田堤駅に乗り換えたのであるが、この2駅同士は直接連絡しておらず、乗り換えの為には一般道、商店街なのだが、そこを200m程歩かなければならない。

 京王稲田堤駅から降りると、暗い空も東のほうから次第に明るみ始めて来た。
 土曜の早朝、このほんのり暗い小さな商店街には、まだ人の姿は無い。
 酔っぱらった頬に冷たい冬の空気が、なぜか心地好い。
 こうして日ノ出を待つかの如く朝焼けに向かって朦朧とした意識のまま一人歩いていると、何だかとても陶酔的な良い気分になってきた。
 軽やかに颯爽と歩いたり、ふと一歩一歩踏みしめるように歩いてみたりする内に、オレ、今自由なんだ、などと嬉しくなる。一人なのだがなぜか全然寂しく無く、街の建物も冬の空気も紫色に輝き始めた遠くの空も、皆今の僕の独り歩きシーンを演出してくれるスタッフのように感じられてくる。

 朝帰りは翌日からは大層辛いが、こんな朝の、爽やかで、どこか神秘的な瞑想的な時間を一度味わってしまうと、又いつかあの時間を味わいたい、という気分になってきてしまうものだ。

 ウォークマンのBGMは、なぜかベートーヴェンのあの有名な5番のピアノ協奏曲第一楽章。
 この華麗でメリハリのきいたパンチのある音楽は、酔った頭をちょうど良い具合に刺激してくれ、背景としてのこの明け方の誰もいない小さな街にヤケにマッチしてくる。
 冒頭からキラビヤカなピアノのソロで始まる一種ロック的とも言えるこのサウンドは当時の聴衆には相当前衛的に聞こえていたようであるが、現代でもレッド・ツェッペリンのハートブレーカーを聴いてギターに目覚めたロック小僧がいたように、この技巧に富んだ実に堂々たる風格のピアノ協奏曲を聴き密かにショックを受けていた当時の若手の気鋭新進ミュージシャンなどもいたのかな、などと思いを巡らせてみたりする。

 ようやく家に辿りつくと、すぐにでも寝たかったのであるが、諸事務作業・シャワー・朝食などもあり、すぐには床に入れない。
 これら雑事を全て済ませた後、雨戸を開け部屋を明るくし、もうすっかり青空が見えて来た外の空気を一度吸った後、朝日の中で布団に入る時ほど至福の時は無い。
 床に入りながらワーグナーの楽劇「ニュルンベルグのマイスタージンガー」の第3幕以降をマッタリと聴きつつ、いつしか眠りに入っていってしまったようだ。

 ・・・と、こんな感じで僕の、2002年オネエチャン求めて何処へ行くの巻、は幕を開けていくのであった。

「2002.1.10(木)」晴・2002年も又

 1月から又新しい職場に行っているのであるが、同じ都心なのに朝電車でカワイコちゃんを見かける頻度がメッキリ減ってしまった。
 路線によってカワイコちゃん密度が歴然と違うのである。
 ああ・・・東急線は良かったにゃあ・・・。
 路線によって、こうも違うものなのか・・・くそ。

 フジテレビの「恋のチカラ」では堤真一氏が出ていたので思わず見てしまった。
 矢田亜希子ちゃんや西村雅彦氏など「やまとなでしこ」連中が出ていて、それも見所だが今回は最初から問題ありありで始まって今後どうなることやら、またついつい見てしまいそう。
 「やまとなでしこ」ではMISHAの印象的な主題歌だったけど、今回は誰が歌うんだろ?と聴いていたら、なんと!小田さん(小田和正)のハイトーンボーカルが聞こえてきたではないか。

 てなことを言いつつ、また夜も更けて来てしまった。
 今日はラブサイケデリコのニューアルバムを聞きながら一日を締めくくることになりそうだ。
 このバンドの曲は、何しろ何かと刺激を与えてくれるので、今の日本のグループの中でも特に、かっているバンドである。

 フジの連ドラを見、ラブサイケデリコを聞き・・・もしかして、オレ、キャラに似合わない若ぶったことしてるかな・・・。
 やっぱモテナイ独身エトランゼは、エロビデオの話題だよな・・・やっぱり。
 ん?・・・いい加減に卒業しろって?。
 それがね、アンタ、今日ビデオ屋見たら、あのソフトオンデマンドの・・・、やっぱ、やめとこ。この話題は又いつかどこかで・・・(やっぱ、すんのかよッ!)。

 明日は、なんとこの歳にもなって合コンなのであるが、きっと又オチャラケてイイ人でおわるんだろなあ・・・。ま、兎に角それでも明日中に帰宅する可能性は低そうなので日記は一日お休みしそうなことだけは確かそうだな、ははは(なんかヤケクソじゃねえか)。
 そうだ・・・明日は日テレで風の谷のナウシカだ・・・。合コンで見れんが、このアニメ映画はいいやね。

「2002.1.8(火)」晴・洗濯からショパンから

 今日は新年会であったが、何とか一次会でお開きになって、いつもならカードを切ってまで駆け付けようとする渋谷のオネエチャンの店に行くのを踏みとどまった自分を、新年早々誉めてやりたい。

 しかし帰宅すると時間は12時も過ぎて、まああとはゆっくり寝るだけだ、などとノホホンと荷物を下ろした次の刹那、目の前の洗濯機を発見し、タイマーをかけていた洗濯物を干さなければいけないことを思い出した時ほど憤怒の時は無い。
 洗濯物を干す、ということは同時に今干してあるものも取り込んで格納する、という付加作業の発生することも意味する。この全行程は30分程の時間は要する。
 明日も仕事、もう深夜で飲み疲れて寝ようとしていた時に、30分を超過するような家の大雑事が降りかかってくることほど己の神経を逆なでることは無い。
 かくして、こんな駄文を書きつつも(んな時間あるなら干せよ、の声)、この後干すか干すまいか、非常なる逡巡に次ぐ逡巡をしているところである。

 全く話は変わるが・・・てゆーか変えてみるのであるが、ショパンは僕にとって非常に不思議な作曲家である。
 バッハの平均率を最初から通して聞くのは抵抗無いのに、ショパンの夜想曲やマズルカなどの全集を最初から通して聞く、という作業は時として結構骨が折れる時がある。
 それなのに、そのバッハや他の作曲家の大曲を聴いた後に、ふとショパンの明るめの曲を何か一曲流してみたりすると、何だかとてもホッとするような、心休まるような気になるのである。

 もしかしたらショパンには失礼になってしまうのかもしれないが、ウォークマンにクラシックの曲を入れる時も、壮麗な曲や重厚な大曲の合間合間にショパンを挟むと、すごく良い感じになったりする。

 どうも繋ぎのような役割を与えてしまっている向きもあるが、しかしショパンの、特に長調の曲に特徴的な、僕の中では日曜の朝をイメージさせるような、あの夢見るようなキラメク和声の響きは、僕にとっては絶対無くてはならない音楽である。

 さて・・・と、干すか・・・。

「2002.1.7(月)」晴・消え行く街を

 良く晴れた休日の午前中などに、商店街を歩くのは気持ち良いものである。
 休日の為か、少し静かな商店街もあれば、早い時間から賑わっている商店街もある。

 商店街を歩いていると、ふと何かを思い出す。
 おそらく少年時代の記憶だと言うことはわかるのだが、ハッキリしたイメージは雑踏の喧騒にかき消されて無くなってしまう。只昔を思い出したと言う、記憶だけが残る。

 今年も正月に帰省したのであるが、いつも帰ると、わずかながらではあるが毎回何かが無くなって新しいものができ、街は少しづつ変わってゆくのを目の当たりにする。
 しかしながら今年は故郷の目抜き通りだった商店街「昭和通り」のアーケードが全廃され、その様は大きく変わってしまった。
 無くなった店舗も増え、もはや僕が思い出そうとしていた少年時代の頃の街の姿を見いだすのは相当難しくなってしまった。

 それから、海。
 少年時代に遊んだ浜辺は、もう既に新しい人達を迎え入れる為の綺麗な道路を支える土台の奥底に沈んでしまっていた。

 世相は、故郷を出てしまった一出身者の感傷を待っていてくれるほど悠長では無かったようである。

 でも僕はこの事実を素直に受け入れようと思う。
 返ってこの感傷が、小さかった頃の故郷の街の姿を何か別の形で残したい、という痛烈な欲求を呼び起こし始めているからである。

「2002.1.6(日)」晴・初夢は

 今年の初夢はうなされる様な息苦しいヤナ感じの夢だったように記憶するし、その他三箇日に見た夢も、どちらかというとあまり良い夢では無かった。
 只僕の今までの経験上、今まで結構正月に目出度い夢、良い夢、綺麗な富士山の夢などを見てきて今年こそは良いことがあるんじゃ無いかと思って来たが、ロクなことは無かった。てゆーか、社会人になってから、ずっとロクなことが無いのであるが。
 だから嫌な夢を見た今年は、いつもとはパターンが違うので、もしかしたら良いことが・・・などと淡い期待を抱かせるのであった。

back to ●Monologue Index
back to●others
back to the top