ここはプライベートです。入らないでください。
Get up, open the door.
窓の外に海が広がっている。森の向こうに入江があって、その向こうが海なのだ。入江は淡い水色で、外洋は遠くに行くにしたがって緑から青へさらに濃紺へとグラデーションになっている。
僕は風景をこわさないよう気をつかいながらベッドを抜け出す。まだ昨日の夜が少し残っていて、首がしっかりしていないような気がする。柔らかな風が木枠の窓を通ってシャツを揺らすと潮の香りがした。この風は未来から吹いてくると知っているので、僕は水を一杯飲みたくなる。
僕は今まで海を知らなかった。海はブラウン管の向こうにあるものだと信じていたのだ。海は海から切りとってはいけないものだったのに。
でも今朝は窓の外に海が広がっている。僕は東京の安アパートの一室にいたのではなかったか。
何年か前、部屋の外に出ればきっと海に出られる気がした。でも部屋のドアを開けると、路上駐車と自転車の商店街に出ただけだった。灰茶色の建て物に原色のプラスチックの花が音をたてていた。空は薄く晴れていたが、僕の影はなかった。
でも今朝は違っている。窓の外には海が見えるし、潮風には排気ガスが混じっていない。
あれから海のことばかり考えていた。この部屋からどうすれば海にいきつくのか。海はどこにあるのか。いつになったら見られるのか。もし海が近かったらドアを開けて走っていくだろう。そして海の向こうの水平線にたどりついたら、この街を振り返ろう。水平線はきっと混じり気のない白だ。緑の海に真っ白な水平線が引かれているのだ。僕は水平線をまたいで、こちらの世界とあちらの世界を行き来してみるだろう。だけど僕は二度とドアを開けなかった。また商店街に出るのが恐かったからだ。
でも今朝はこのドアが開けられそうな気がする。ドアの外には海が広がっているのだから。
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