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6月下旬の田んぼは、あたり一面が、海のように見える。20日前後にかけて、田植えが終わったばかりで、まだ苗が小さい。だから、田んぼの水ばかりが目立って、このように見える。
本当に、田植えが終わると様子が一変する。用水の水も増え、いつもはどぶ川のような小さい排水路も、きれいな水が流れ、魚が帰ってくる。でも、一番喜んでいるのは、カエルたちかもしれない。毎晩朝まで大宴会を開き、騒ぎ回っている。
前号で紹介した「長船農学クラブ」が、中央公民館の公開講座として、4月2日にスタート、月一回のペースですでに3回開催した。メンバーは総勢16人。大規模専業農家の方、農協・役場の職員の方、流通業者の方、自然農法で家庭菜園をする女性の方、町会議員の方、農機具会社の方など、非常に多彩な顔ぶれだ。
それだけに、最初からまとめることは考えず、テーマを定めた自由討論と、一人15分の時間を定めての「私の農業論」の発表との二本立てで行っている。また、農業の恵みをみんなで分かち合おうと、旬ごとの作物を持ち寄り、試食会をしている。7月は、6月に収穫したばかりの「しらさぎ小麦」を使い、「しらさぎうどん」を、一文字でみんなで食べた。
「こんな楽しい会合は初めてだ」との出席者の話は、今講座がとりあえずは順調なスタートをきったことをうかがわせる。
4月18・19日、岡山の春の最大のイベント「桃太郎祭り」で、しらさぎうどんが華々しいデビューを飾った。町と商工会のバックアップを受け、会場で私がしらさぎうどんの「実演販売」をした。「小麦の違うしらさぎうどん」をうたい文句に売り出したところ、大うけし、売れに売れた。「生産」が追いつかなくなり、最長で30分待ちの列。
「今自分が打っているうどんを、お客さんが食べるために並んで待っていてくれる」ということが、いかに職人冥利に尽きるものか、いかに気持ちのいいものかということが、よーく分かった。
5月1日、「テレビせとうち」という岡山香川のローカル放送で、一文字のしらさぎうどんが紹介された。約5分の放送だったが、わざわざ穂の出揃った田んぼまでしらさぎ小麦を撮影にいき、石臼製粉から、こねて、踏んで、打って、切って、茹でて、食べるところまで、非常に丁寧に放送してくれた。
担当ディレクターさんは、まじめな方で、事前にちゃんと試食しにこられた。なんでもおもしろおかしくやればいいという風潮の中で、これは大したもんだと思った。
(このビデオは、一文字のホームページで放送中です)
5月22日早朝、いつものように犬と散歩をしているとき、農道の道ばたに、ひばりの巣があるのを見つけた。車こそほとんど通らないとはいえ、朝な夕な多くの人が犬の散歩をさせている場所だ。いくら引っ張っても、犬が動こうとしないため、よく見るとそこに巣があった。卵から孵ったばかりのような雛が3羽と卵がひとつあった。雛は口をからだよりも大きくあけ、餌をねだっていた。親は近くには見えなかった。
私は一瞬に、不幸なこの雛たちの将来が予想できた。家に連れて帰って、育てようかと思った。でも、この状態から育てるのはまず困難に思えた。親鳥が面倒を見ているのだったら、それも酷な話だ。結局、自然界の法則にまかせるしかないと自分に言い聞かせ、草で少しだけ覆ってやり、その場を去った。
明朝、散歩の途中にのぞいてみた。すると親鳥がぱっと飛び立ち、すぐ前の田んぼに降り、侵入者の気をひこうと必死の演出をしていた。かまわず巣をのぞくと、雛が4羽になっていて、きのうと同じように餌をねだっていた。私は、もしかしたらと、かすかな期待を寄せた。
次の日の朝、同じようにのぞくと、雛は3羽しかいなかった。人間を含めた何らかの天敵が襲ったのだろう。それでも3羽の雛は、口を大きく開け無邪気に餌をねだっていた。
そして4日目の朝、巣には何もいなくなっていた。犬か、ヘビか、カラスか、トンビか、キツネか、イタチか、それとも子供が持ち去ったのか。
6月4日、昨年より10日早く、しらさぎ小麦の刈り取りを行った。少し前に梅雨入り宣言が出されており、雨を気にしながらこの日を待った。過去には、収穫適期を迎えながらも雨のために収穫できず、田植えをするためにそのままトラクターで鋤き込んでしまったこともあるらしい。だから、刈り取りまでは落ちつかない日々が続くらしい。私以上に回りが。
1110キログラム。今年の収穫量だ。去年よりおよそ60キロ多かった。全体的に今年のできは悪い。去年より少しでも多かったのだから、よしとしなければいけないだろう。
さて、今年産のこの小麦、どんなドラマをつくってくれるでしょうか。
6月30日、岡山で再び暮らすようになって、ちょうど5年が過ぎた。
7月1日、6年目に入った。(つづく)
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