「海峡の光」へ

(N)


 何年ぷりかで強く引き込まれた小説に巡り会った。辻仁成の「海峡の光」。彼がこんな力強いものを書くとは、正直いってかなり意外だった。この小説をコピーして(「新潮」’96年12月号)薦めてくれた後輩にとても感謝した。
 「海峡の光」に出てくる“花井修”は、私にすぐにある人物を想起させた。あの人もこんなタイプの人だったような気がする。すると私は、小説のなかの“私”(斎藤)のような面を持って、彼に接していたのだろうか。

 そんなある日、私はカレに出会った。雑念を感じさせない不思議な印象を受けた、カレの話を聞いていると、私の左胸の辺りがポカポカとした暖かみを感じた。私は気が付いたらこの暖かみに惹かれてしまったようだった。

 この暖かみぱ、その後しばらくして、じわじわと私の申に浸食し、私のそれまでの「バランス」が一気に崩れ始めてしまったようである。
 これまで肩の力が思いきり入っていたことにも気づかず、枯渇しきった状態にいた自分の姿が、一気に白日のもとにさらされて、私は私のその自分の姿にかなりの動揺を覚えた。けれど、「あっ、なんだ。私も結局“花井修”だったんだ。」と思ったら、なんだか肩の力もスウッと抜けてしまった。

 周りから見る私のイメージと私自身とのギャップに、ここ何年か随分ジレンマを感じることが多かったけれど、それ以外に(それに呼応するように)自分自身も無意識に演じてしまっている「私」もいるんだということを明確に自覚した。私はもっと「カッコ悪いこと」や「私らしくないこと」も好きにやってみた方がいいのかもしれない、と思い始めている。周りからの信用や信頼を、少々、失うこともあるかもしれないけど。

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