今、自分は人生の分岐点にいる・・・

「そんな大袈裟な」と思わなくもないのだが自称(?)十代の、しかし少年と呼ぶにはあまり相応しくない風貌の男。レオリオは、
それ程真剣に悩んでいたのだ。
今はハンター試験の真っ最中。一次試験、二次試験と、・・・多少イザコザは有ったものの何とかクリアーし、
第三次試験会場へとハンター協会の用意した飛行船に乗り、受験者達は全員次の難関に備え束の間の休息を摂っていた。

「・・・っと、十二時位か・・・・?」

レオリオは飛行船の窓から見える月の位置から大体の時刻を読み取り、溜息を付いた。
一次試験がマラソンだったので、元々そんなに体力も根性も無いレオリオなら
今頃疲れ切って泥のように熟睡してても可笑しくないはずなのに、こんな時間になっても未だ寝付けずにいた。
普段、あまり物事を深く考えようとしないレオリオが、思考回路がショートするほど悩むその全ての原因は、今彼の隣で壁に寄り
掛かり、毛布にくるまって穏やかな寝息を立てている奴のセイだった。レオリオはちらっと横を見て、大きく溜息を付いた。

窓から差し込む月の光が夜の闇で薄暗い室内を照らし、その悩みの種の姿を浮き上がらせた。

彼の名はクラピカ。試験の最初の方で出会ってから・・・・腐れ縁とでも言うのだろうか、今までずっと行動を共にしている。
何故コイツがこんなにもレオリオの頭を悩ませてるのかというと、その理由は一重に彼の容姿に在った。
一目見ただけだと女の子の様な、しかし少年特有の儚さも持つその顔立ちは、有無を言わさず人の目を惹きつける何かがあった。
今は閉じられているが、薄い赤色を含んだ瞳は揺るぎ無い、何等かの強い決意に裏打ちされた、
しかし何処か切なく頼りなげな印象も与えるその瞳は、不思議な魅力を持つ鋭い光を放ち、見る者を魅了した。
脚や手首は異様に細く、肌は硝子のように透明感のある白い色をしていて、触ったら壊れてしまいそうだ。
薄い茶色をしたふわっとした細い髪が時折風に靡くと、普段は見えない左耳に付けた血のように紅いピアスと首筋が露わになり、
それが何だか妙に刹那的で色っぽかったりするのだ。

・・・そんな歩くお色気マシーンみたいな奴が隣で無防備に寝ていたら、レオリオじゃなくても思わず頭を抱えたくもなるだろう。
そんな訳でレオリオは悩み、
(もとい理性と欲望が頭の中で戦っている、と言った方が適切だろうか)
苦しんでいたのだ。


「・・・・・・・・・・・っう」

レオリオの理性もそろそろ限界に近づいてきた時の事だった。
今まで気持ちよさそうに寝入っていたクラピカの様子が突然変わったのだ。

「う・・・・・・・・ぁ・・・・っ」

綺麗な顔を歪め、・・・悪い夢でも見ているのだろうか。苦しそうに呻く。
レオリオはその異変に気付き、慌ててクラピカの顔を覗き込んだ。
────  閉じられたクラピカの瞳からは、睫をつたって大粒の涙が零れていた。
唇が薄く開き途切れ途切れに言葉を紡ぎ出す。

「・・・お父・・・さ・・・ん・・・母さ・・・・っ
や・・・だ・・・・・・ぼく・・・置いてかない・・で・・・よぉ・・・っ」

それは心の奥から絞り出すような、
クラピカの「想い」だった。
レオリオは言葉を失い、呆然とクラピカを見つめた。
クラピカは夢の中で尚も必死に懇願していた。

「やめっ・・・一人にしな・・・い・・・でっ」
「クラピカ!」

クラピカの痛いほど切ない、悲痛な叫びに、レオリオは居てもたってもいられなくなってクラピカの名を呼び、
細い肩を掴んで揺さぶった。

「クラピカ!おい!クラピカっ」
「・・・・・・・・・・・・あ」

何度か名前を呼ぶと、クラピカが掠れた小さな声を出し、うっすらと目を開けた。
その涙で潤んだ瞳は、吸い込まれそうな深い、深い緋色に染まっていた。
それはこれまでレオリオが見た事のあるどの赤より、
いや、どんな色より美しかった。

「レオリオ・・・・・・?」

レオリオはただただ絶句して見惚れていた。
クラピカはまだいまいち状況が掴めていなかったのだが、程なく自分の目が焼けるように熱くなっているのに気付き、
慌てて目を伏せた。そしてまだ少し放心状態のレオリオに小さく一言、
すまない。と呟いて、まだ瞳の縁に溜まっていた涙を手の甲で拭い去り、俯いた。

「クラピカ・・・大丈夫か?」

やっと放心状態から立ち直ったレオリオが、心配そうにクラピカに声を掛けた。
その言葉に顔を上げたクラピカの瞳は、元の薄い赤色に戻っていた。

「ああ、大丈夫だ」
そう言ってクラピカは微笑んだが、その笑みは弱々しく、今にも壊れてしまいそうな微笑で、全然説得力が無かった。

「・・・・・・・・・・・・・・」

クラピカが昔の夢を見ていたのは明白だった。
「緋の眼」のせいでクラピカの一族は「幻影旅団」に皆殺しにされ、そしてクラピカだけが生き残ったのだ。
クラピカは瞳を刳り抜かれ、後はゴミのように捨ててあった仲間の体を埋葬しながら一人、復讐を誓った。
そしてこの事実を知っているのは他ならぬレオリオだけ。
当然レオリオはクラピカがどんな夢を見ていたか位は見当が付いた。しかしその事を聞くわけにもいかない。
暫く沈黙が続いた後、ふいにクラピカが口を切った。
「レオリオ、明日の試験に響く。・・・もう寝よう」
「あ・・・・・・ああ」

そう言ってクラピカは毛布を被り、うずくまってしまった。
レオリオは少し拍子抜けして、・・・まだ心配は残るものの大人しく従うことにした。
しかしさっきのクラピカの瞳の色が、まだ脳裏に焼き付いていて眠れなかった。

・・・それから五分位たった頃だろうか。
クラピカが急に・・・殆ど独り言のようにぽつりと言った。

「レオリオ・・・起きてるか・・・?」

レオリオは驚いて隣にうずくまってるクラピカに視線を向けた。

「ああ。・・・どうかしたのか?」
クラピカは顔を上げてジッとレオリオを見つめた。レオリオは自分の心臓の音が急激に早くなったのに気付き、密かに苦笑した。
クラピカは暫くレオリオをみつめていたが、決心したように口を開いた。

「レオリオ」
「何だ?」
「あの・・・だな。お前さっき私のこと心配・・・してくれただろ?」
「あ・・・ああ。まあな」

あらためて確認されると気恥ずかしいものがあるのだが。

「えっと・・・・その」

そこでクラピカは一呼吸置き、レオリオに向かい殆ど消え入りそうな声でこう言った。

「・・・・ ありがとう」
───そう言ってクラピカは微笑んだ
・・・レオリオは再び絶句した。
あのクラピカが素直に礼を言ったのも驚くべき出来事なのだが、それよりも何よりも、
レオリオが言葉を失った原因はクラピカの表情に在った。
頬を真っ赤に染めて、上目遣いでレオリオを見るクラピカは、世界中の女が束になっても勝てないくらい可愛くて。
少しはにかみながら笑った顔が、世界中の花を集めてきてもかなわないくらい、綺麗で。
・・・可愛さもココまで来ると、もはや既に立派な犯罪だろう。
そんなことをぼーっと考えながら、レオリオは言葉もなくただクラピカを仰視していた。

「レオリオ?」

レオリオが黙りこくってる理由が分からないクラピカは、訝しげにレオリオの顔を覗き込んだ。

「えっ?あ・・・ なっ・・・なんだ?」

その一言で我に返ったレオリオは、何だか妙に恥ずかしくなり、慌ててクラピカから目線を逸らした。
自分でも少し声が裏返ってしまったのが分かる。

「・・・・・・・・・・・・・・?」

クラピカはさっきから奇妙な行動を取りまくっているレオリオに疑問を抱き目線を合わせようとレオリオに近づいた。
空気が動き、レオリオの所にふわっと春風のようないい匂いが届いた。
それがクラピカの匂いだと知るとレオリオの心拍数はまた跳ね上がり、それと同時に頭の中で危険信号が鳴った。

このままだと自分はクラピカに何をしてしまうか分からなかった。
「おい、レオリ・・・」
「もう寝ようぜクラピカ。もうかなり遅い時間だし、寝不足で勝てるほど、敵も甘くねぇしな」

そう言ってレオリオは くしゃっとクラピカの頭を撫でてから、毛布にくるまり横になった。
これ以上クラピカと話してると、どんどん自分を押さえられなくなりそうで。
だから自分から会話を中断したのだ。

そして数分が経過しただろう時、レオリオのシャツが遠慮がちに ちょん、と引っ張られた。
レオリオが顔を上げると、クラピカはレオリオのすぐ横に座り込んで、下を向き、俯きながらぽそっと喋った。

「・・・怖い」
「え?」
・・・瞬間、レオリオはクラピカが何を言っているのか分からなかった。
レオリオの動揺をよそに、クラピカは
一つ、また一つと言葉を綴った。

「この頃、眠るのが怖いんだ」

クラピカの、滅多に見せない心の中。

「眠ると、あの時の出来事が、まるで昨日の出来事のように夢に出て来る」

クラピカ自身も、自分が何故ここまで自分の気持ちに正直になれるのか、不思議だった。

「目を逸らしたらいけない現実なんだって。分かってるんだ」

ここまで素直になれるのは多分相手がレオリオだから。

「だけど・・・怖いんだ」
レオリオと居ると、何故かすごく安心する。
レオリオが側にいてくれれば。
レオリオに触れていればなんだか少し楽になれそうな気がしたから。
クラピカはレオリオのシャツの端をぎゅっと握る。

「こうして夢に見ると言うことは、怒りが失われてないと言う意味で、喜ばしいことの筈、なんだ」

毎夜繰り返される悪夢に、疲れて。

「なのに・・・」

消えない情景。だけどこれは消しようにない事実だから。

「いっそのこと、記憶が全て消えてくれたらどんなに楽だろう、って何度も思った。・・・・私は最低だ」

復讐、無念、恨み、憎しみ。全てがクラピカの肩にのしかかる。

「逃げちゃダメだと分かってるのに」

こんな悪夢、本当は見たくなんかない。

「怖くて・・・・・・・」

安心して眠りたかった。

「・・・私はどうすればいい・・・?」

もし死ねば楽になれるのだろうか。

「レオリオ・・・・私は、どうすれば・・・」

そんなことを考えるほど、クラピカは追いつめられていた。

「どうすれば・・・・・・・・いい・・・・・?」

下を向いているクラピカの肩が震えている。・・・泣いているのだろうか。
小刻みに震えるその姿は、すごく小さく、淋しく見えた。
放っておいたら消えて無くなってしまいそうなほど。

「・・・・クラピカ」

────考えるより先に体が動いた。
レオリオはシャツを掴んでいたクラピカの手首を掴み、強く引き寄せ、その細い躰をきつく抱きしめた。
・・・これ以上クラピカが泣いているのを見ていられなかった。
だけどレオリオには言葉で慰めるなんて気の利いたことはできない。
だからせめてクラピカの涙が止まるように。想いを込めて強く抱きしめた。

「レッ・・・レオリオ?」

クラピカは驚いて抵抗したが、レオリオの力は思いの外強かった。
レオリオはクラピカを抱きしめたまま呟いた。

「・・・寝ろよクラピカ。悪い夢なんか
見ねぇように俺がずっと守っててやるから。だから・・・・安心して寝ろ。」

クラピカが抵抗を止めたので、レオリオは力を抜き、子供をあやすように優しく抱きしめた。

「レオリオ・・・・」

クラピカは一気に気持ちが軽くなったのを感じた。
いつの間にか自分の中でこの不器用で優しい男の存在が大きくなっていたのだ
クラピカは ふっと笑ってレオリオに身を委ねてみた。レオリオの体温が心地よかった。

「・・・・・・暖かいな」

そう言ってクラピカは目を閉じた。
・・・今日は久しぶりに良い夢が見れそうな気がした。
クラピカが目を閉じたのを確認して、
レオリオも目を閉じ、クラピカの柔らかい髪に顔を埋めた。

・・・互いの匂いに包まれ、
レオリオもクラピカも同じ事を考えていた。
──── 「このまま時が
       止まればいいのに」