「ママ様…僕は」

 

「ジュゲム、お前はそのままでいろ」

 

「パパ様…」

 

「ママの云うことは、間違ってないよ」

 

 

 

『………ママ様もパパ様も僕がキライだからイラナイの……?』

 

 

 

ふと目が覚めて、目尻を擦る。少し仮眠をとっただけなのに、夢を確り見てしまった。
…それも、あまり見たくないものを。

「…よっ、と…」

気だるそうに身体を起こし、髪をぐしゃぐしゃと混ぜた。何年前の事か。あんな昔の事。
今更夢に見るなんて。それともまだ、心に残っているのか。――――傷として。

「…はんッ」

云ったところでどうにもならない。それは昔の事だから。今のところ、戻る手段はまだないから。
過去を変える事は出来ないから。あんな夢、もう二度と見たくないのに。
もう何度も見ている。そこまで苦しめるのか。

「二神ジュゲムになったんだろ、俺は」

それにはもう何の不満も違和感もない。逆に今突然『二神』と名乗れなくなるほうが嫌だ。
自分は『二神ジュゲム』なのだから。

―――たとえ本当の名でないとしても。

 

「たーろーおー」

呻くようにそう云うと、眼鏡をかけた少年は『やれやれ』と云いたげな表情で振り返った。
その目は、『なんだいもう』と云っている。
そんなに面倒臭そうにしなくたっていいのになぁと虚ろな視線で見つめた。

「お前ってさぁ、親との思い出ってイイモンある?」
「はぁ? また何云ってんのさ」
「………別にぃ」

とんとんとんとん、と人差し指を机に軽くぶつけて鳴らす。音が不満そうにしている。
太郎はまた『なんだいもう』の目でジュゲムを見た。
ジュゲムは何も云わずにぼけぇっと何処かを見ている。
何か考え事をしているのだろうか。きっとろくでもない事だろう、と太郎はまた何かを始めた。
太郎が何をしているのかなんて、ジュゲムの思考の隅にも置かれていなかった。
ただその脳裏にあるのは、父と母の像だった。

「そういえば」
「んー?」
「二神君のご両親からメールがきてたよ」
「は?」
「近日中にこちらへ来るって」
「へ?!」
「そういえば二神君のご両親って知らないなぁ。どんな人達なの?」
「…………ゴーグルとGペン」
「は?」
「まぁそれが一番解りやすい説明ダヨ」

はぁああぁ…とジュゲムは項垂れ、机に額をつけた。
どうして突然…と頭の中は親の事で一杯だった。
あの人達はグラナダの科学より謎だよ…とまた溜め息が出る。
その暗いオーラに太郎は少しジュゲムとの距離をとった。

「ああいう時の二神君はウィルスよりタチ悪いからなぁ…」

ぽつりと呟いて、おっと、と口を掌で塞ぐ。余計な言葉を漏らすとすぐ叩かれるからなぁ、と肩を竦める。

「そういやさぁ」
「何?」
「……いつ、来るんだって?」
「何が?」
「親だよ! 他に何があるってんだ」
「ああ、今日」
「へぇ…………………………今日ぉおお?!」
「うん」

がたんっ、とジュゲムは勢いよく立ち上がり、部屋を出て行こうとした。
ドアノブに手をかけようとした瞬間、それは自然に廻った。
どうやら向こう側から開けられるらしい。

まさか、まさか。


「おーっす、ジュゲムー!」
「元気かぁ?」

ずべっとジュゲムはその場に座り込んだ。
ああ、遅かった。
というかこっちに着いてからメールを寄越したんじゃないのか? 早すぎるだろう。

「お、お久しぶり」
「あれ、ジュゲム、お友達?」

太郎を見て、父・Gペン眉の炉暖が云った。
赤いゴーグルに自信満満な笑みを浮かべた母・青春は扇子をばさりと拡げて、くす、と笑った。

「のび太君か、よろしく。ジュゲムが世話してやってるってトコか」
「違うでしょお青春さん! ジュゲムがいつもお世話になってます。ええとのび太さん?」
「あ、太郎です。いえ、こちらこそ」

炉暖が深深と頭を下げると、太郎も続けて頭を下げた。
どうも似た者同士のように見えるなぁ、とジュゲムは眉を顰めた。

「久しぶりだな、ジュゲム」
「母様…」
「なんだますます俺と炉暖の子供らしくなってんな」
「そう、ですか…?」
「まぁ顔は炉暖似だな。性格は思いっきり俺のジュニアらしくなってるみたいだけど」

どうも不満そうな顔をしているジュゲムの顔を下から覗き込み、青春はその顔をじぃっと見つめた。
視線を絡められ、目を反らす事が出来ずにジュゲムはただ固まっていた。
青春はその紅の混じる瞳で炉暖を幼くしたような顔をじっと見た。

「……ホントに、あの頃の炉暖にそっくりだ」
「…………」

青春が、あまりに優しく微笑んだので、あまりに母のそれだったので、
ジュゲムは瞳の奥が熱くなり、ぐっと唇を噛んだ。

「しっかし俺の遺伝子ホントに受け継いでんのかぁ?
 なんか炉暖がどっかの女と作ってきたんじゃねぇのって勢いなんだけど」

「は?」
「ま、炉暖にそんな甲斐性があれば俺も一安心なんだけどな」
「…どういう意味ですか?」

ずずいっと炉暖がジュゲムと青春の間に入ってきた。
家族三人でこんなに顔を近づけるのは久しぶり…初めて?のように感じて、
ジュゲムは気持ち頬を赤らめた。
何だか恥ずかしい。温かい。

太郎はやれやれ、と肩を竦めてそっとパソコンを抱えて部屋を出て行った。
どうも自分がいていい空間のようではない、と感じたらしい。

「俺が先に死んだら、炉暖に後追う以外の道が残ってないのは、困るってことさ」
「青春さん?」
「ほら、美人薄命だし」
「………自分で云ってられる間は死なないですよ、母様」

呆れ顔でジュゲムは溜め息を吐いた。
今日何度目の溜め息か。
というより、親が来ると知った瞬間から何度目か、と云ったほうが正しい気がする。

「なぁ、ジュゲム」

突然、炉暖と青春が真剣な顔になってジュゲムに話しかけてきた。
どき、とジュゲムも少し心臓が高鳴った。二人が揃って、『親』の顔をするから。

「な、なんですか…?」
「戻ってくる?」
「え?」
「俺達のとこに、戻ってくるか?」

ぎゅ、と心臓が鷲掴みにされた。

 

 

マッテイタコトバ?

ノゾンデイタコトバ?

イッテホシカッタコトバ?

 

 

沈黙。そして、口がぱくぱくと、動く。動くだけ。
言葉は詰まって空気に触れず。言葉としては空気に触れず、二酸化炭素として吐き出された。

「そんなこと……急に云ったって………」
「解ってたんだよ、でも、あの時は他に方法がなくて…」
「やっぱりお前には『親がいなくちゃ何も出来ないお坊ちゃま』には
 なって欲しくなかったんだよ、俺も、炉暖も」

俯き、強く拳を作る。掌に、爪がきつく喰い込んでいく。

 

 

そんなの云い訳でしかないんじゃないの? 

 

 

そんな刺刺しい言葉が出てきそうになって引っ込めた。
混乱し、戸惑い、そしてどこかでそれを望んでいた自分を理解できずに振り払おうとした。

「なぁ、ジュゲム?」

再び青春に顔を覗き込まれる。じっと、その深い瞳に吸い込まれそうになって少し、怯えた。
目を反らせずに、固まっていた。

「本当は、さ、一緒にいたいんだよ、俺達が」

ぎゅ、とそのまま抱き締められた。
びくり、と身体が大きく強張り、そしてその温かい温もりに涙が零れそうになるのを感じた。

 

 

イマサラナニヲカッテナコトヲ…。

ソンナコトイワレタッテ、イマサラ、イマサラ…。

 

 

「大事な俺達の子なんだ、お前は。もう充分だろ? 俺達もお前も」

何だかとってもいい匂いがした。母の匂い? これが? それとも、この、『青春』という人間の匂い?
何なんだろう?

「青春さんも、強がりすぎるから」
「うっさい!」

肩に埋められた青春の顔。その声は強い口調なのに、どこか涙混じりのようで。

「ジュゲムも、青春さんの子なんだよ」

強がってばかりで、周りに解ってもらえない。そんなことばっかり。
それは、青春から受け継いでいるもので。

ああ、親子なんだ、って、今更思う。

「一緒に行こう?」

青春の、その言葉にジュゲムは迷った。行きたい。

けれど、けれど…………。

 

どんっ!

 

 

青春の身体は炉暖に押し当てられた。ジュゲムは俯いて震えている。
炉暖も青春の肩を抱き、次の言葉を待っていた。そう、もうジュゲムも『コドモ』ではない。
云う通りにばかりなってはいられない。解っているけれど、解らないフリを二人でしていた。

「俺、やらなきゃならないことがあるから!」

ばっと顔を上げて涙で潤んだ瞳でそう告げた。
その、まだ少し頼りない目は、それでも夢に向かって一直線で
それに気付けない程、炉暖も青春も夢を知らない人間でもなくて。
むしろその目が夢ばかりを追っていた自分の目のようで、胸が痛くなった。

「夢、実現したら俺が自分から二人のところに戻るから」

「………そうか」

「だから待ってて。俺も、待ってたから、今度は二人が待ってて」

「ああ、解ったよ」

目元を袖でぐいぐいっと擦って、あれ、太郎は?ときょろきょろした後、
ばたばたと部屋を出て行ったジュゲムを見て、青春は溜め息を吐いた。

「あんなトコばっかり似たってなぁ…」
「しょうがないですよ、僕達だってああだったんだから」


くすくすと笑いながら、二人はしばらく抱き締めあっていた。