伊福部家への訪問

 5月5日午後、人生道場首座である伊福部高史先生宅を夫婦と息子の三人で訪問した。先生は練馬区石神井台の住宅街にお住まいでした。私たち夫婦だけではとても行けない、息子が車で同行してくれたので、約30分程度で順調に到着した。先生宅では、ご夫婦で待っていただき、先生とは3年振りの再会でした。奥様とは初対面でしたが、初対面とは思えないほどすぐ打ち解けて、家庭的な雰囲気の中にお迎えいただきました。
 お酒、心尽くしの料理で歓迎いただき感激でした。先生自らホタテを焼き、濁り酒、新鮮なおすし等でのおもてなしですっかり心をほぐして遠慮なくいただきました。
 高史先生とお近づきになったのは、「人生道場」という一冊の冊子からであった。今は亡くなられた父君伊福部隆彦先生が創設主宰され、いま、高史先生が継いでおられる会の機関誌です。昭和56年頃?、歯の治療に通っていた歯科医院の待合室でその冊子を手にしてからである。内容は、老子の教えをもとにした精神修養的なものであった。隆彦先生が智頭町出身(息子注:両親は鳥取県八頭郡智頭町に住んでいる)だったこともあって、早速誌友会員となって以来機関誌の配布を受けている。
 その後、平成8年2月、私が会長をしていた地区の社会福祉協議会が、福祉大会を開くことになって、その会に高史先生をお招きして講演をしていただいたのが、最初の出会いであった。その夜わが家に泊まっていただき、遅くまで父君隆彦先生のことや、諸活動などについて語り合ったことが思い出されます。
 ここで、智頭町出身の有名人としての父君の伊福部隆彦先生のことを書いておきます。
 昨年1月、文化協会主催の「郷土作家作品展」開催するに当たり、隆彦先生の作品も六点程展示され反響を呼んだ。いずれも格調高く、訪れた人から多くの賛辞をいただいた。その際の隆彦先生の紹介文を転載します。


 明治31年智頭町に生まれる。昭和43年逝去、数え年71歳。
 本名は高輝、別に無為・崑崙山人等十指に余る号がある。
 伊福部という姓は天火明命の子孫で、智頭町南方の三輪明神の神主となって以来、父君まで九代にわたって続いた。
 県の教育会講習会を卒え、以後は全くの独学。
 23歳家職を嗣がずして上京、生田長江に師事した。25歳以後、文芸評論として知られ、かたわら都市の社会学を研究、昭和12年、40歳以降、老子の研究を中心として東洋哲学及び禅の実践探求に転じ、人生道場無為修道場を主宰した。
 才能は、実に多彩で、東洋哲学・教育者・詩人・書家・画家・篆刻家として独特の境地を歩かれた。

 伊福部家における談話は続く。父君のこと、書・絵・作品集を見ながらそれらに関わる余話、世情のこと、はてには犬・猫のことまでに話がはずんだ。
 先生は、修道者らしい物静かな口調で、いろんな話をしていただきました。奥様も話仲間に入っていただき、家内や息子も話の中に入って和やかに談話が続いた。
 話は尽きなかったが、夕方も近づいていたので再会を約してご歓待に感謝しながらお暇しました。お別れの際、父君隆彦先生著のすばらしい書画集をいただいて、楽しかったひとときにお別れを告げました。
 伊福部先生、奥様その節にはご歓待をいただき有り難うございました。厚くお礼申し上げます。


《石神井とは》

 先生宅の住所石神井台、息子のアパート近くを流れている石神井川。この石神井について、河畔を散策中説明板がありましたので、その内容を記しておきます。
 昔、上流の村で、井戸を掘っていたところ、土の中から石の棒が出てきた。村ではこの石の棒を「神の石」として祀った。そして村の名を「石神井」と付け、また、この村を通って流れている川を石神井川とした、と説明してあった。