相田さんは何をやって生活していたのか? この問の答えは大変難しい。筆一本で生きて来たことを思えば「書家」と言えるが、そうとも言い切れないところもある。
相田みつを著「しあわせはいつも」の中に、息子さん一人氏の人間相田みつを、という文があるので転載してみよう。
「・・・父は文字通り筆一本で生きておりましたが、ろうけつ染めやデザインも手掛けるなど、いわゆる「書家」ではありませんでした。そうかといって詩人やエッセイストというふうにもくくれません。・・・」息子さんさえ、このようでは他人に解るはずがない。
また、自著「おかげさん」の中で、こう言っている。
「私の書くものは書でも詩でもありません。私は書家としても詩人としても世間に通用しません。そのことを一番知っているのは自分自身です。私には、自慢できる学歴や肩書きは何一つありません。
私は書という形式を借りて、人間としてのありよう、本当の生き方を語っているだけです。誰に対して?自分です。自分ぐらい厄介なものはないからです。...」
このように、本人が書家としては世間に通用しないと言っておられるので、他人がとやかく言う必要はないであろう。
現代の書家という人たちは、よく中国の古い時代の書家たちの作品や有名な人たちの言葉などを書にしているが、相田さんは自分が思った言葉、自分が考えた言葉を、自分だけの言葉しか書作品にしていない。
こうしてみると、書家とか、詩人とかに限定せず、一人の「人間相田みつを」として受け止めておくのが妥当ではなかろうかと、私流の結論を下した。
これは、私だけの考えなので、多くの作品を読んだ人たちが、それぞれの解釈をされるのは自由であることは言うまでもない。
既に作品を読み、書を見た人も沢山あるであろうが、未だの人たちには一読されるようお勧めします。
作品の一部を転載します。ただし、書作品の書体は、相田さん独特の字体で、とても活字では表現できません。是非にと思われる方は一度、実物をご覧下さい。
《雨の日には》
雨の日には
雨の中を
風の日には
風の中を
《そらもゆうやけ》
そらもゆうやけ
みずもゆうやけ
かえりゆく
わたしも
つばめも
ゆうやけの
なか
このように、相田さんは誰にも判るようにと、難しい表現は用いていない。けれども、なまくらな技術では言葉をここまで彫り込むことは出来ないのではないだろうか。思ったことをそのまま書いているようにみえるとしたら大きな間違いでしょう。「言葉に関しては実に潔癖だった。」「思いつきや独り善がりの<説教>ではありません。」と、息子さんの一人氏の言のように自分なりの厳しい推敲を重ねて作品が作られている。そんな気迫が読む人に感動として伝わってくるような作品ばかりです。
この日は、探していた「百点満点のビリ」という作品が載っている一冊が蔵書に加わった好日であった。