因幡の素兎

 鳥取県生れの私にとって「因幡の素兎」(いなばのしろうさぎ)は身近な物語だった。子供の時から海水浴に行っていた「白兎(はくと)海岸」は神話の舞台と言われている。海岸から少し入ったところには「白兎(はくと)神社」もある。思いのほか小さい神社で、行く途中にある小さな池が、兎が身体を洗ったという「不増不減の池」だ。以前行った時は夏であったが、白兎神社には私と友人達の他、誰も居なかった。話の本筋から外れるが、題名を「因幡の白兎」ではなく「因幡の素兎」としたのは、古事記に「素兎」と書いてあるからだ。いつ「白兎」となったのか謎である。
 なぜ、こんな話をしているかと言うと、以前この閑話の閑話で実家の住所に「八頭(やず)郡」や「智頭町」(ちずちょう)の文字が含まれていて、八岐大蛇(やまたのおろち)と関係があるのかな、などと勝手なことを書いた。ずっと、宙ぶらりんのまま楽しんでいたのだが、その後、気になって調べてみた。
 文献に「智頭」が出てくるのは、平安時代に編纂された「日本後記」(にほんこうき)で「大同3年(808年)6月、因幡国智頭郡道俣(みちまた)駅馬2疋(ひき)省く」と書かれている。智は道のことであり、頭は始めのこと、即ち都から因幡国に入る最初の郡の意だと言うのが定説の様だ。
 八頭郡に関してはもっと新しくて、因幡国の東部は智頭郡と八上(やかみ)郡に分かれていたが、平安時代末期に八上郡の一部が独立して八東(はっとう)郡になった。それが、明治29年に八上郡、八東郡、智頭郡が合併して八頭郡となったのである。
 従ってと言うか、やはり、八岐大蛇とは全然関係は無かったと言うことになる。結果として楽しみを一つ減らしたわけだが、別に一つ面白いな、と思ったことがある。
 それを言う前に、「因幡の素兎」神話を簡単に振り返ってみよう。

 大国主命(おおくにぬしのみこと)と大勢の兄弟神達は稲葉(因幡)国の八上比売(やかみひめ)に求婚しに行く事になった。兄弟神達は大国主命に荷物を持たせ従者の様に従えて歩いていたが、気多(けた)の岬を通りかかると赤裸の兎が泣いている。それを見た兄弟神達は海水に浸かり風に当たれば直る、と兎に言った。兎は言われる通りにしたが、皮膚がひび割れて更に酷いことになった。遅れて来た大国主命が訳を聞くと、淤岐(おき)の島からこの浜に渡るのに、鰐族と兎族の数を比べようと鰐を騙して、彼らを島と浜の間に並ばせて数を数えながらその背の上を渡ったが、もう少しと言う所で騙した事を喋ってしまい、怒った鰐族に皮をはがれてしまった、と言った。可哀想に思った大国主命は、川に行って身体を洗い、蒲の穂をまき散らした上を転がれば元に戻ると言った。感謝した兎は、兄弟神達ではなく、あなたが八上比売に選ばれるでしょう、と言った。

 一般に知られている話はこんな所だろう。物語には続きがあり、更に簡単に書くと「八上比売と結婚の約束をした大国主命は、兄弟神達に何度も殺されながら生き返り(!)、その後、須佐之男命(すさのおのみこと)の娘、須勢理毘売(すせりひめ)と結婚し、更に約束通り八上比売とも結婚した」と言う事になっている。
 もうお気付きの人も居ると思うが、結論を言うと、先に書いた八上郡の八上とは八上比売の八上であろうと言う事だ。
 また、古代では、自分の名前を人に知られてはいけなかった。呪術などが日常的であった古代に於いて、口から出た言葉自体に呪術的な力がある、と信じられていた。そして、名前=その人自身という図式も信じられており、名前を知られると言うことは、例えば、呪い殺される恐れがあると言う事である。これはいわゆる、言霊(ことだま)信仰であり、今でも不吉な事を言うと、縁起でもない事を言うな、と叱られるのと同じ事である。従って、八上比売も名前ではなく八上と言う土地に住んでいる姫と言う意味であろう。
 そして、八上比売が居たのは智頭町とも近い、八頭郡河原町だと言う説がある。河原町にある「売沼(めぬま)神社」は、社伝では「八上姫神社」、拝殿扁額には「稲羽八上姫命神社」とあり、八上比売が祭られている。
 実家の住所の由来を調べていたら、子供の頃から慣れ親しんだ神話と思いがけず繋がったので、ちょっと驚いた次第である。