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 Chapter 10 迷走する「共催」 その1(未定稿)

10−1 共催企画の行方


 2003年12月の,手賀の丘での観察会の成功を受け,手賀の丘少年自然の家と鳥の博物館で,観察会を共催する話が進んだ。鳥の博物館側の窓口となっている時田さんの話によれば,2004年度は合計6回の共催観察会を計画し,そのうち3回は,鳥の博物館の企画主導で進めると言うもの。労力を減らしつつ,観察会が増えるなら,良い話だ。
 しかし,観察会の開催場所は,手賀の丘とその周辺。鳥の博物館から見れば,手賀沼の対岸となる。やはり我孫子市側での観察会も設定しないと,我孫子市民にとっては参加しにくい。我孫子市側で前年度通りに6回やるとなると,手賀の丘との共催分だけ負担が増える計算だ。しかも,定例探鳥会も増えた。現状の人材で,これだけのイベントを切り盛りするのは大変だ。例によって,3人であれこれ相談しつつ,結局,私が確実に講師をすることの出来る,夏から秋の「虫シリーズ」観察会を,こちらの独自イベント……「あびこ自然観察隊」として設定してもらった。今年は,昨年好評の「セミの羽化」と,秋の虫の観察会を「鳴く虫」と「バッタ取り&トンボ取り観察会」の2つに分けて,合計3回。それから,年明けには岡発戸の谷津田の観察会も,独自色の強いイベントなので,何とか開催しよう,と言うことで,設定。
 結局,2004年度の観察会は,定例12回,共催6回,単発4回。前年度が6回だったことを思うと,ちょっと大変かも知れない。でも,博物館に必要だと思うものは,とにかく開催してしまおう。

 その心配が,ひとつ,現実になった。

 手賀の丘少年自然の家サイドで共催イベントの窓口になっていた担当の方が,3月いっぱいで代わってしまったのだ。……完全に仕切り直し。意思疎通から始めなくてはいけなかった時田さんの御苦労は,大変なものだったと思う。調整もなかなか進まないまま,開催告知日が迫る……。

10−2 とりあえず開催


 第1回目の共催観察会では,手賀の丘の春の里山の観察をする。担当は双方から出し,鳥の博物館側が主導のときは,資料の準備や内容の企画なども,こちらで行う。行事案内の出し方や募集定員,参加受付窓口など,細かい調整もあれこれ。
 送迎バスは,少年自然の家の都合で,使えないことになった。我孫子市民は自力で,自家用車かバスで行くしかない。これだけでもかなりのマイナスだ。

 開催間際となった4月下旬,参加受付状況を聞いてみると,時田さん曰く

  「80人受けちゃってますよ」

……え?! そんな大人数で,大丈夫なの?
こちらでは40人規模しか想定していない。えーい!受けてしまったものは仕方が無い。40人×2セットで行動するしかない。

 はじめての本格的な共催事業とは言え,段取りが悪い。
 この段取りの悪さが,参加者に及ばなければ,まぁ,結果的には問題が無いのだろうけど…。

 そうこうしているうちに,あっという間に本番。こういうときに限って,準備の時間もなかなか取れない。

 当日は好天。とりあえず,これで満足度の半分は保証されたようなものだ。ひたすらお天気に感謝。2グループに分かれ,コースを変えて出発。私は春の花や昆虫を中心に喋り,鳥の観察案内は他の人に任せると言う「分業」で,何とか,大人数を相手にすることが出来た。しかし,田んぼの畦に40人で入るのは,ちょっと気が引ける。もう少し,フィールドのキャパシティに見合った人数で設定しないと。
 サシバの声が聞こえたり,キンランが咲いていたり,なかなか良い場所なのだが,ゴミの不法投棄も多い。いいんだか悪いんだか良く分からないまま,終了。やはり,参加人数が膨らみ過ぎると,伝えたいことが上手く伝わらない部分も増える。我孫子では,一貫して,コンパクトでいいから「血の通った」「気持ちの伝わる」観察会であることを重視して作ってきたので,それに比べると,大雑把な感じは否めない。昔風の,教えて,道案内するだけの観察会になってしまう。

 疲れた。あまり心地よい疲れではない。

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