ハーシェル式アイピース


ハーシェルの時代

 18世紀末に天王星を発見した,ウイリアム・ハーシェル(1738-1822)。ハーシェルは,天王星の発見だけでなく,宇宙モデルの構築,天体カタログの編纂,望遠鏡の製作などの天文学史に残る功績を残し,さらには音楽家としての才能もあったという,多芸多才な学者でもあった人物です。
 この時代,既に望遠鏡は大型化の道を歩んでおり,「ハーシェルの大望遠鏡」として知られる,口径120cmの反射望遠鏡など,大望遠鏡が作られていました。
 しかし実際のところ,反射鏡は金属鏡の時代。使っているとすぐに曇りが出て,温度変化にも敏感な反射鏡のメンテは,非常に大変だったわけで,かの120cmの大望遠鏡も,現代の低膨張ガラスの反射鏡とは比べものにならないほど,運用に手間のかかる代物だったと思われます。事実,ハーシェルが最も愛用していたのは,口径15cm程度の望遠鏡だったと言う話です。
 「ハーシェル式」反射望遠鏡と言うのがあります。これは,ニュートン式の反射望遠鏡の変形とも言えるもので,ニュートン式では凹面鏡で集めた光を,光路途中に置いた平面鏡で90度折り曲げ,望遠鏡の横から観測するようになっています(今でもこの方式は最もポピュラーな光学系の1つです)が,光路途中に斜鏡による遮蔽があり,これが光量損失と像の劣化の原因となります。しかも,金属鏡の反射率は60%程度。ニュートン式の光学系では,2回の反射が必要なので,60%×60%=36%。さらに斜鏡による遮蔽も考えると,望遠鏡に入ってきた光の約7割を失っていることになります。ハーシェルはこれを嫌い,あえて光軸を少し外し,凹面鏡の主焦点を遮蔽の無い場所に斜めに引き出し,そこにアイピースをつけて観測しました。これがハーシェル式反射望遠鏡。「軸外し光学系」ですから,光軸を外したことによる収差の増加を,口径比を伸ばすことによって軽減させていました。いまどきの15cm反射望遠鏡の焦点距離は75〜120cmぐらいで作られていますが,ハーシェルの15cm望遠鏡の焦点距離は,2mを少し越えていたようです。今ではハーシェル式望遠鏡は,まずお目にかかることは無いと思いますが,軸外し光学系に関しては,特定の用途に限られますが,形を変えながらさまざまな形のものが作られていますから(非常に珍しい例ですが,軸外し反射望遠鏡の一種であるシーフシュピグラーの市販モデルもあります),ハーシェルのアイデアが今も生きている,と言えなくもありません。

 ところが,意外と後世に残っていないのが,ハーシェルの使ったアイピース。
 ハーシェルの観測記録をみると,200倍なんて朝飯前。900倍とか,とんでもない高倍率が使われています。この高倍率を実現するために,ハーシェルは水晶を溶かして小球を作り,それをアイピースに使っていたと伝えられています。ケルナー式アイピースが開発されたのはハーシェルの死後。今でも高倍率に耐える高性能アイピースとして知られるアッベ式,プローゼル式のアイピースは,100年ぐらいの歴史しかありませんから,この時代のアイピース事情は,現在とはかなり違っていたことと思われます。

 なぜ,ハーシェルのアイピースは現代まで生き残れなかったのか。実際,どんな見え味だったのか。ちょっと興味を持った人はいませんか?
 私も少しばかり気になっていたのです。どの程度の性能で,どの程度の実用性があるのか,実際に見てみたい……。
 そこで,なるべく入手しやすい材料を使って,ハーシェル式アイピースの再現を試み,検証してみることにしました。

ハーシェルのアイピースを再現してみる

 ハーシェルのアイピースを作るぞ,と言っても,たいして資料が集まりません。分かっているのは,水晶球であったこと,現代の感覚ではクレイジーに思えるほどの高倍率,そしてハーシェル愛用の望遠鏡の焦点距離。

 ハーシェルが使用した望遠鏡は,いくつもあります。いちばん大きいのは口径120cmですし…。常用品は口径157mmだったのでは?と言う話もあります。天王星を発見したときも,口径157mmで,焦点距離約7フィートの反射鏡を使っていたと伝えられています。ハーシェルはこのとき,200〜900倍ぐらいの倍率を使っていたと言う話ですから,これから逆算すると,アイピースの焦点距離は,おおよそ2.3〜10mmぐらいのものを使っていたことになります。これを水晶球の大きさに換算すると,約4〜14mmとなります。……まぁ,焦点距離10mmぐらいなら,当時,既にハイゲンス式アイピースがありましたから,ハイゲンス式で十分に成り立つサイズですね……。おそらく,高倍率を得るために,通常の薄いレンズよりも遥かに度の強い,水晶球を利用したものと思われます。ハイゲンス式で焦点距離2.3mmと言うのは,非常に作りにくいと思います…。

 小さな水晶玉かガラス玉(ビーズやビー玉)みたいなものが手に入れば,ハーシェルのアイピースに近いものが作れそうです。光学ガラスでこういう小球を入手するのは,ちょっと大変なので(そこいらの望遠鏡ショップやカメラ屋で市販されているようなものではありません…),なるべく安価に,かつ簡単に,実験してみたかったので,適当に精度の高いガラス玉を探すことから,作業開始です。



 ……で,こんなもん,買ってきました。



 東急ハンズの「パワーストーン」コーナーで見つけました。直径約10mmの水晶球です。250円でした。「万能のお守り・癒しの石」などと書いてありますが,なにやら天文工作とはかけ離れた,非科学的ムードが漂っておりますね……。
 最近,「パワーストーン」と称して,天然石や天然石を磨き出したものを所有し,石から精神的パワーをもらったり,癒しの効果を得ようと言うのが流行しています。その効果についてのお話は別のサイトにお任せするとして,ちょっとした癒し系グッズ売り場とかアクセサリ売り場でも,比較的安価に天然石が手に入るのです。
 この石は,けっこう透明度が高くて,不純物も無く,値段の割には,天然石の削り出しとは思えないほどの仕上がりです。天然の大きな結晶から磨き出した水晶は複屈折するので,天然石を溶かして不純物を取り除き,再結晶させたもののほうが,光学的には優れると思われるのですが,果たして……。

 ビー玉でも実験出来るかなー?と思って,同じ売り場にあった,数十個入って350円の,お店のウインドウディスプレイなんかに使うための小さなビー玉も,一緒に買ってきました。しかし,やはりビー玉はビー玉なりの精度で,表面の精度がかなり悪い。大きめの玉には気泡が含まれるものが多く,気泡入りでは使い物にならない。水晶球のほうは,「レンズ」と言ってもいい位の,かなりの精度です。このまんま,レーベンフックの顕微鏡に仕立てても,なかなか良好な結像を示します。……おっと,顕微鏡作って遊んでいる場合じゃない。

 ざっと計算しましょう。
 直径10mmの水晶玉。水晶の屈折率をおおまかに1.55として,概算で,焦点距離はおおよそ7mm強となります。単玉のアイピースでは,レンズの焦点距離を越えるアイレリーフはあり得ず,アイレリーフは実測でもおおよそ2〜3mmとなりました(玉が小さくてきちんと測れない……)。1群構成のアイピースとしては,モノセントリックタイプのアイピースがありますが,モノセントリックは屈折率の違う光学ガラスを3つ接合したデザインとなっています。ガラスと空気の境界面の反射を嫌った作りなんですね。ハーシェルタイプのアイピースにも,モノセントリックと共通したメリットがありそうです。

アメリカンサイズの「ハーシェル式アイピース」……

 水晶球を現代の望遠鏡で使うには,現在のアイピースの規格に合わせないといけません。そこで,適当にプラ段(プラスチック製で段ボールの構造を持った板)を使って水晶球をホールドし,アメリカンサイズのスリーブにセットします。


 ……黒ビニールテープで仮止めしただけですけど……

 これでとりあえず完成。後は使いながら適当に球の向きをいじって,良く見えるポジションを探すことにします。もともと球ですから光軸はどこでも出せそうですけど,天然石だと言うことなので,屈折に癖があるかも知れませんし,どの程度の真円度があるのかも分かりませんから,ここから先は現物合わせです。


使ってみる

 とりあえず,そこいらの景色を見てみます。
 アイレリーフが短くて大変ですが,とりあえず結像しますね。ただ,良像範囲は広くありません。歪曲がきつい。球面収差も当然,あるでしょうけど,この像の歪みはすごいなぁ……。そう言えば,モノセントリックも1群構成で,やたら視野が狭かった。絞り環でもつけて視野を狭く取れば,コントラストも上がるし,中心像もそれなりにきっちり見えるのでは?
 一緒に買ってきたビー玉でも試してみましたが,景色は一応結像してくれました。ただ,表面の精度が悪いので,少しコントラストが悪く,星はあまり期待出来そうもありません。


 さて,次は星です。
 8cmF5鏡筒で検証します。
 ビー玉アイピースのほうは,予想通りと言うか,結像が甘く,星が不整形の面積を持ちます。これは使いものになりません。
 さて,水晶玉のほうは………ありゃ??星が2つずつ見えるよ〜???……これが噂の「複屈折」ですか?……。ビー玉の向きをくるくる変えながら,様子を眺めてみると,二重像の向きや方向が変わって行きます。とりあえず,視野の中心で星が1つに見えるように,球を少しずつ回しながら,「光軸合わせ」を試みます。……なんとか,ほぼ点像に収束する位置を見つけました。改めてじっくり眺めてみると……視野はそこそこ広いんですけど,使える範囲はモノセントリックと大差無いのでは? でも,木星の縞はなんとか見えます。意外とゴーストも目立ちません。光学製品ではありませんから,当然,コーティングは施されていませんけど…。


今後の展開はどうしよう……

 複屈折がしっかり発生していると言うことは,この石は本当に天然石だったようですね……って,感心している場合じゃありませんよ。
 やはり望遠鏡はデリケートで高精度の光学製品だったのだと,再認識させられました。光学ガラスと言うのは,伊達じゃない。見た目に透明で綺麗な水晶でも,光学的には均質ではない。せめて,再結晶させたものとか,ちょっと贅沢だけど石英球みたいなものが手に入れば,さらなる展開が期待できるのですが……今度はビーズ売り場に出没し,クリスタルの小球でも探してみますか。運良くスワロフスキーのクリスタル球でも手に入れば,スワロフスキーのオーナーになれるわけだし……(笑)。(注:スワロフスキーはオーストリアのコンツェルンで,天文マニアや野鳥マニアにはオプティクス部門の双眼鏡やスポッティングスコープが,高級機材として知られており,宝飾部門ではクリスタル製品なども製造していて,クリスタルビーズは,ビーズ細工をする人の間でも,高い評価を得ています。)


 ……とりあえず,ネット上を徘徊し,この実験に使えそうなガラス玉を探してみました。……パワーストーン,ビーズ,アクセサリ………と,目に止まったのが,光学ガラス製の球の存在。「ボールレンズ」とか「球レンズ」と言うキーワードで検索してみてください。結構見つかります。
 ボールレンズの主要な用途は,光ファイバ関係(ジョイントなどに使うコリメーション用レンズ),カメラ付きケータイとかミニサイズのデジカメなどの小型のカメラレンズとして需要が伸びているんだそうです。小型で短焦点のレンズで,しかも方向性が無いから,組み立ても楽。意外と身近に使われていたんですね。
 ただ,あくまでも製品製造用のパーツですから,小口の取り扱いが,あまり無いのです。しかも,バラ売りをしてくれる所では,BK7で作った10mm径のボールレンズが2000〜3000円ぐらいの値付け(!)。……デジカメやケータイの製造プラントには,ずーっと安く納品しているんだろうなぁ……。ボールレンズ1つ3000円では,レンズ遊びの材料としては,ちょっと高いなぁ………。

 いずれにしても,世の中に,光学ガラスで出来た球体がたくさん出回っていて,私達の暮らしに役に立っていることは分かりました。だとすれば,検査不合格品とか,カメラ付きケータイの廃品などから,お安くボールレンズを手に入れることは出来ないだろうか……などと考えているのですが……。

 ボールレンズが安く入手できたら,もう一度実験して見ます。
 格安で大量に入手できるようでしたら,子ども向けの科学実験教室で,レーベンフックの顕微鏡作りにも利用してみたいですね。ビー玉や自作ガラス球よりも,格段に性能が向上すると思います。


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