惑星コラム(第1集)


第1集もくじ


誤訳から生まれた火星人


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誤訳から生まれた火星人

 火星人論争。

 火星には高度に知能の発達した生命体があるのか?
……この論争がいちばん盛り上がったのは,いまから100年ぐらい前,1900年頃ではないかと思います。

 1900年頃と言えば,光学望遠鏡が完成の域に達してきた時代。17世紀初頭に実用化した望遠鏡は,既にこの時代にも火星に向けられていたことが,ホイヘンスの残したスケッチなどからも,知られています。現在もその基本的な光学設計を変えていない「ケプラー式屈折望遠鏡」「ニュートン式反射望遠鏡」も,1900年前後には,現在でも通用する光学系となっていました。事実,世界最大の屈折望遠鏡である,ヤーキス天文台(米)の口径101cmの望遠鏡は,1897年製で,今もなお世界最大の屈折望遠鏡として知られています。

 この時代,火星には大気が存在することが,すでに知られていました。地球に近い星で,しかも大気がある,となれば,生命体の存在に期待がかかるのは当然のことでしょう。

 19世紀末,イタリアのスキアパレリは,火星にすじ状の模様があることを発見し,スケッチを残しています。彼はこれをイタリア語でCanali(カナリ=「すじ」「溝」の意)と表現しています。ところがこれをフランス語に約した際,Canal(カナル)とされました。語源の同じ単語なのですが,Canalには「運河」と言う意味があったのです。英語で言えばChannelですね。
 スキアパレリの発見は,「火星に運河を発見」と言う話に変わり,さらには,「これは高度に発達した文明を持った火星人の作った構築物であろう」という話にまで膨らんでいったのです。この説を信じた米国人ローウェルは,自らの観測結果を元に,火星面にある「運河」の地図まで完成させました。あの,タコのような火星人の想像図も,この時期に作られたのではないでしょうか?
 もちろん,運河説に反対する天文学者も居て,運河に関する論争は白熱していったようです。

 しかしその後,さらに解像度の高い,口径2.5mの反射望遠鏡がウイルソン山に完成し(1917年),この望遠鏡で火星面の運河が認められなかったことから,運河説には,あっけなく終止符が打たれたのでした。



 顕微鏡の黎明期,人の精子の頭の中に赤ちゃんの姿をスケッチした学者がいました。
 今となっては笑い話ですが,まさに,信じた者だけが見える世界だったのかも知れません。
 ローウェルの火星運河の地図も,そんな,時代の最先端で試行錯誤している研究者の笑い話だったのでしょう。

 …それにしても,今もなお,「火星人」の存在について語られているのだから,すごいですね。

 ホイヘンスの見た地形は,「大シルチス」ではないかと言われています。今でも小型望遠鏡で,この,約350年前に発見された地形を見ることが出来ます。


 中央よりやや右下の暗黒部が大シルチスです。


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