- 「代議士のつくられ方--小選挙区の選挙戦略」('00/04/28記)
- 著者 朴チョル煕 (バクチョルヒー) チョルは吉が二つ縦に並んだ字、
- 発行 株式会社文藝春秋 文春新書
- 発行日 2000/02/20
- ページ数 206ページ
- 内容
1996年衆院が小選挙区での選挙に変更された結果、選挙の方法がどう変わったか、変わらなかったかを調べています。
そのためのフィールドワークとして作者は都市型選挙、新人、勝ち目のある、自民党候補者という条件で選挙区を判定し、東京17区の平沢勝栄候補を選びました。
そして、東京17区の政治構図、自民党の公認取得、選挙戦略、地方議員の支持の獲得、中間集団の支持の獲得、流動層の支持の獲得、そして選挙結果といった感じでまとめてあります。
- 感想
読んだ結果では当り前な事ですが、候補者は選挙に当たって当選できるようにきちんと努力しているのだという事に感銘を受けました。
特に自民党の場合は他の政党が極めて限られた層の人間しか支持を集められないのに、非常に多くの層から支持を集めるように努力し実際に集めている事がわかります。
ただ、組織されていない有権者、無党派層から支持の獲得はできず、P152の「特に、二十代、三十代の若者の集まりにもほとんどいかなかった。」という文にあるように、獲得する方法も見出せていないのが印象的です。
自民党は現在組織化されている有権者の大部分から与党である強みによって多くの支持を集める事ができます。
しかし、そのために組織化されていない有権者からの支持を逆に取り付けられなくなっているようです。
自民党が負けるには野党の統一が必要だというのが作者の意見ですが、現在の政局では結果的に民主党以外に野党といえる政党がないのは今回の選挙が自民党にとってそんなに楽観できないということです。
共産党はあまりにもはっきりと支持者層が限られているし、社会民主党と自由党はほとんどの選挙区に候補者を立てられないですから。
民主党は選挙に勝てるかもしれません。
しかし、組織化されていない有権者の支持を背景にした場合、一体どんな政策を実行できるのか難しいです。
議員に圧力をかける組織がないですから、民主党に参加している一部の労働組合の力が大きくなるのかもしれません。
そうでない場合には少数の人間の恣意的な政治になるのでしょうか。
日本の政治はやはり混迷の中にある気がします。
- 「東京異聞(正式なタイトルは京の字の口の真中に横線があります)」('00/04/23記)
- 著者 小野不由美
- 発行 新潮社
- 発行日 1994/04/20
- ページ数 322ページ
- 内容
明治の東京を土台にしつつ、それとは違った別の世界での推理小説です。
怪奇な連続殺人事件が発生している内に、それを追っていた新聞記者はある華族のお家騒動が原因ではないかと判断し、相棒の助手と共に事件を解決します。
厳密には解決してないのかも知れませんが、まあだいたい解決します。
- 感想
「屍鬼」が面白かったので、小野不由美さんの作品を連続して読んでみました。
魑魅魍魎の話を主題にすえながら、一応本格推理小説を目指しているような作品です。
ただ、本格推理小説はルールがはっきりしていないとアンフェアなのですが、その境界線ぎりぎりというか、出ているという感じでちょっと苦しい所です。
犯人の意外さはかなりのもので、私は驚きましたが。
やはり、本格推理小説と魑魅魍魎を二つとも満足させるのはちょっと無理気味です。
「屍鬼」みたいに本格推理小説的観点を完全に外した方がいいように思いました。
ホラー小説や懐古主義的な話はまったくだめなのですが、なにか引き付けるものがあります。
何にひかれているかよくわからないのですが、それを探して次は「十二国記」のシリーズを読んでみます。
- 「屍鬼」('00/04/22記)
- 著者 小野不由美
- 発行 新潮社
- 発行日 1998/09/30
- ページ数 上巻 545ページ 下巻 726ページ
- 内容
ネタバレになるので内容については割愛します。
- 感想
あまり予備知識なく読んだら、上巻は意外な展開で怖かったです。
下巻は話が見えてしまうので怖くはなくなってしまいましたが、一気に読ませてもらいました。
たくさん、人が死にますがまあハッピーエンドでしょう。
私は人間のあがきが大好きなので、愚かであっても精いっぱい生きているのは気持良く感じます。
私は割り切ってしまうので、登場人物の哲学的な悩みは受け付けませんが、そんなに悪くはないです。
作者に興味を持ったので他の作品も読んでみます。
- 「世界の歴史9 大モンゴルの時代」('00/04/22記)
- 著者 杉山正明 北川誠一
- 発行 中央公論社
- 発行日 1997/08/25
- ページ数 482
- 内容
杉山さんが前半を書いて、モンゴル帝国を世界史的な観点から年代的に追うのではなく、いろいろな側面から語っていきます。
後半は北川さんが書いていて、モンゴル帝国へのイスラム伝播の状況について記しています。
- 感想
杉山さんが書いた部分に興味を持って読んでみました。
今回は文化的な側面に強く焦点が当てられているようです。
染め付けの陶磁器や篆刻、日本に来た宋銭の時期などが語られています。
かなりおもしろいです。
ただ、年代記のような記述をしていないので、普通の歴史書の感覚でいるととまどうかも知れません。
北川さんの書いた部分は、はっきり言ってよくわからないです。
モンゴル帝国にどのようにしてイスラム教が広まったかを書いているみたいなのですが、その史実を描くというよりその宗教論を描いている感じなのです。
伝説を語っているのか、それとも歴史を語っているのかもよくわからないです。
とにかく、語っている分野があまりにも狭すぎます。
監修はいったい何をしているのかという部分でした。
- 「危機と克服 ローマ人の物語VIII」('00/03/11記)
- 著者 塩野七生
- 発行 新潮社
- 発行日 1999/09/15
- ページ数 373
- 内容
ネロの死後の内乱状態から、ヴェスパシアヌスが皇帝となって秩序を回復し、そのフラヴィウス朝が3代続いて断絶した後、即位した一年半の中継ぎの皇帝ネルヴァの死去までを描きます。
- 感想
アウグストゥス以来の内乱が勃発しましたが、たいした事もなく、ローマは危機を克服していきます。
表面的にはいろいろあっても、その下で流れているローマの精神というものは変わりなく維持されているのでしょう。
ローマの精神が何かというのは一言で語るのは難しいというか、この大歴史物語自体がそれを語るためにあるようなものだから語れなくてもしょうがないと思います。
しかし、その精神を何か感じとることができるようになったのがこのシリーズを読んでの最大の成果です。
そして、これからなにゆえその精神が変わっていったのかが、語られると思うのですが、実に興味深く待ち遠しいです。
この巻だけでなく、前の巻でも語られていたと思うのですが、ローマは階級社会だったからこそ多くの民族をローマ化する事ができたというのは示唆に富んでいるように感じられます。
アテネは政治的には完全な平等社会を築きましたが、その結果としてアテネは市民権を他の人間に与える事をしなくなりました。
完全に平等だということは、市民権を与えた場合元いた市民と新参の人間が同じになり、元いた市民には直接民主主義であるかぎり政治的には明らかに損することになります。
ですから、それをしません。
それに対してローマの場合、階級社会ですから権利を与えてもそれによって国家に利益がある場合、元いた市民にも得になるわけです。
でから、その場その場の状況に合わせてローマ市民権を与える事ができ結果として他民族をローマ化していく事ができるようになります。
日本というのは基本的には平等な社会だと信じていますから、他の民族を排斥する傾向が強いように感じます。
上の考えからそれはある意味しかたがないことかも知れませんが、だからといってそのまま是認してもいいとは感じられず引っかかるものがあります。
どちらかというと平等社会を維持したいと思っているのですが、難しいところです。
後、ユダヤ民族の反乱がこの時期に起こっているのですが、私は全然知識がなく新鮮な驚きでした。
古代の「ユダヤ戦記」という本が紹介されているので読むつもりです。
- 「赤いツァーリ〜スターリン、封印された生涯」('00/02/29記)
- 原題 STALIN
- 著者 エドワード・ラジンスキー(Edvard Radzinsky)
- 訳者 工藤精一郎
- 発行 日本放送出版協会
- 発行日 1996/04/25
- ページ数 上巻 483 下巻 487
- 感想
ソ連崩壊に伴い、ソ連共産党の内部文書も公開されるようになり、それに基づいたスターリンの伝記です。
新事実、新解釈がいろいろあって面白く興味深い本でした。
スターリンが革命前にはロシア秘密警察の二重スパイだったというのには信憑性がありそうです。
革命時におけるスターリンの評価を今までの解釈と異なり非常に高くしているのは、逆にしすぎではないかと思うくらいですが、説得力があります。
革命時の功績が低いのにスターリンが何ゆえレーニンの後継者になれたかというのは、一つの疑問だと思うのですが、つまり、レーニンにとって最も信頼でき、自分に忠実な人間、党のためならば慈悲というものがまるでなく人を殺せる人間というのがスターリンだったわけです。
そのため、レーニンが実質的に後継者として選んだわけです。
スターリンの書記長解任を求めた有名なレーニンの遺言状というのがありますが、あれは逆にレーニンの衰えだと感じます。
この本を読むとスターリンがレーニンの正当な後継者であり、あの大粛清がスターリンの個人的現象というよりもマルクス=レーニン主義的な共産党の持つ特有な特徴ではないかと強く思わせます。
- 「28年目のハーフタイム」('00/02/29記)
- 著者 金子達仁
- 発行 文藝春秋
- 発行日 1997/09/25
- ページ数 217
- 感想
前にざっと立ち読みしたことがあるのですが、きちんと読んでみました。
中田英寿の事を書いた本という印象が強かったのですが、今回読み返してみるとそれは一章だけで、もっといろいろ書いてありました。
しかし、今回読んで疑問に感じたのはチームの団結が完全に壊れてしまったと主張していますが、それは本当だったのかということです。
オリンピック本選の時チームワークがそれほどばらばらだったらなぜ西野監督はそれに対応しなかったのか、そしてなぜ2勝もできたのかが強く疑問にかんじられます。
一言で言うとちょっと大げさではないのかということです。
- 「ジョーダン」('00/02/29記)
- 原題 PLAYING FOR KEEPS
- 著者 ディヴィッド・ハルバースタム(David Halberstam)
- 訳者 鈴木主税
- 発行 集英社
- 発行日 1996/06/30
- ページ数 623
- 感想
アメリカバスケットボールのスーパースター、マイケル・ジョーダンの伝記というか、むしろマイケル・ジョーダンがスーパースターになるにつれてのチームやスポンサーなどのうつり変わりについての本です。
ディヴィッド・ハルバースタムのファンなので今まであまり興味を持っていない分野でしたが読んでみました。
解釈を交えず、事実の膨大な羅列によって語っていきます。
マイケル・ジョーダンがなぜスーパースターなのか、納得させられ、ビデオを見たくなりました。
特に劇的な最後の試合での最後のゴールを見たいです。
- 「エンディミオンの覚醒」('00/02/25記)
- 原題 THE RISE OF ENDYMION
- 著者 ダン・シモンズ(Dan Simmons)
- 訳者 酒井昭伸
- 発行 早川書房
- 発行日 1999/11/30
- ページ数 814
- 感想
相変わらず圧倒的に読ませる力を持つ、ダンシモンズのハイペリオンシリーズの完結編です。
非常に厚い本ですが、最初少しだけもたついたのを除けば一気呵成に読めてしまいました。
もっとも読み終っても、かなりの謎がよくわからないでいます。
訳者の解説が最後にあるのですが、これだけヒントを出せばわかるだろうと書いてある事が、理解できないでいます。
今月号のSFマガジンがちょうどハイペリオン特集ですがそれを読んでもよくわかりません。
もう一度最初から読み直すとなんかわかるのではないかと思いますが、時間がなくてできませんでした。
でも、ハイペリオンシリーズは本当に面白い作品だから、機会があれば全部買って最初から読み直そうと考えています。
内容について全然触れていませんが、一つだけうまいなと思った所を書いておきます。
前作「エンディミオン」では主人公が絶対絶命のピンチにある状態で過去の回想をしています。
私はその回想の絶対絶命のピンチになる状態まで「エンディミオン」で語られ、それを脱出する所から、今回の話につながるかと思っていたのでした。
ところが、前作は回想まで話が届かず終ってしまい、とても早く次が読みたいと思わせる終りかただったのです。
だから、今回は回想までで話が半分語られ、残り半分はピンチからの脱出話かと思ったのですが、実は回想までたどりつくと話は終っていたのでした。
話はもう少し続くけど基本的にはエピローグなのです。
なんていうかうまいテクニックだなと感心しています。
- 「ロスト・ユニバース5 闇終るとき」('00/02/06記)
- 著者 神坂一
- 発行 富士見書房 富士見ファンタジア文庫
- 発行日 1999/04/25
- ページ数 295
- 感想
何感想を書いていいかちょっと難しいです。
面白かったと言えば一言で済んでしまうのですが、それじゃしょうもない。
シリーズ5作目の宇宙冒険物の完結編で、今までの伏線をうまくつなげていき、最後に明るい未来を予感させて終るという、非常に読んだ後さわやかにさせる作品です。
神坂さんはテレビアニメ版のスレイヤーズから入ったのですが、アニメと違いギャグだけでなくストーリがうまくて、全作品読みたい作家です。
- 「連立政権 日本の政治 1993〜」('00/01/30記)
- 著者 草野厚
- 発行 文藝春秋 文春新書
- 発行日 1999/10/20
- ページ数 230
- 感想
1993年細川内閣の成立に始まった日本の政治を分析しています。
これといった目新しい話はありませんが、全体を通してこの時代を見てみると、政治も少しずつ改革されよくなっているんだというのが主張みたいです。
外からぼーっと見ているだけでは、あまり変わったという感じはしませんが、変革の芽は少しずつ育っているかもしれません。
しかし、変革が遅すぎて結局は何の役にも立たないのではないかと危惧します。
- 「愚行の世界史 トロイアからヴェトナムまで」('00/01/09記)
- 原題 The March of Folly : From Troy to Vietnam
- 著者 バーバラ・W・タックマン(Barbara W.Tuchman)
- 訳者 大杜淑子
- 発行 朝日新聞社
- 発行日 1987/12/20
- ページ数 434
- 感想
人間の歴史の中で政治は全然進歩していない愚かしさの極みのようなものがあります。
著者は愚かな政治の中でも愚行と名付けた現象について考察します。
この場合、愚行というのは第一に後付けでなく当時の社会内部でも間違った政策だという認識を持ち、二番目に選択可能な政策があり、最後に一個人の間違いではなくグループの間違いというものです。
そして、トロイア戦争での木馬に対する対応、ルネサンス期の法王の行動、アメリカ独立戦争の時代のイギリス政府の政策、ヴェトナム戦争でのアメリカの対応について考察しています。
トロイアの話は愚行の原型として扱っていて、歴史的にはあやふやなので別にしておきます。
ルネサンス期の法王はイタリア内部の戦争の話が続くのですが、その個々の戦争の政策がどうとかいうより法王の個人的な態度があまりにも奢侈に走ったため、教会の権威を失墜し、ついにはプロテスタントの離反をまねいたと主張しています。
読んでみて思ったのは本当に愚行なのかということです。
正しいような気はします。
しかし、奢侈というか愛人を持ったり、贅沢な暮らしをしたり、戦争に陣頭指揮をしたり、建設や美術を振興した事は私には悪い事には思えません。
その行動によってプロテスタントが離反したとしても考え方の相違でしかたがない事であり、愚行とは思えないのです。
もちろん、そのために税金が上がっただから悪いという話なら納得できるのですが、必ずしもそういう論拠ではないみたいです。
アメリカ独立戦争の時にイギリス政府の話はあまり知らないので新鮮でした。
何も考えていない税金をかけようとする行動が結局アメリカを反乱させるわけですが、アメリカに対する無知が致命的だったと感じます。
ヴェトナム戦争の時のアメリカ政府の対応については、アメリカの面子が大事であるあまりにどうしても撤退に踏み切れなくなってしまったように感じます。
そして、ニクソンが再選の時に圧倒的勝利を飾ったのを見ると、少なくともニクソンにとってはヴェトナム戦争の遂行自体は愚行といえるのでしょうか。
結局、愚行といってもその行動を取った人間にとってはそれなりに合理的であり、それが国益と乖離してしまう所に最大の問題があると思います。
アメリカ独立戦争の時のイギリス政府の行動は単なる馬鹿のようですが、でも当時のイギリスの国民の感情を代表しているために変更できないのでしょう。
個人ではなくグループでの間違いには、国民の感情が反映されているので方向転換できない感じを強く受けました。
もちろん、国益と乖離した政策を取ってしまうのは大問題ですがそれを改善する方法は難しいとしかとりあえずいいようがありません。
- 「クビライの挑戦 モンゴル海上帝国への道」('99/12/17記)
- 著者 杉山正明
- 発行 朝日新聞社(朝日選書)
- 発行日 1995/04/25
- ページ数 270
- 感想
モンゴルの今までの偏見を変更し、クビライ(私の小さいころはフビライと言っていたと思う)に焦点をあててモンゴル帝国の国家と経済のシステムを描こうとしています。
現実を直視した帝国は人種的偏見や宗教的な差別を持たない事によって、実利を中心にして運営され、その通商システムはユーラシア全土を緊密に結びつけ、大交流時代を起こし世界史に巨大な変革を起こしたというのが大まかな主張みたいです。
今までのモンゴル帝国の歴史において紙幣は過大評価されすぎているというのも私には面白かったです。
主張の当否はともかくとして、描かれているモンゴル帝国はけっこう素敵です。
「星界の紋章」で描かれたアーブ帝国は魅力的なのですが、モンゴル帝国をモデルにしているような気がすごくしてきました。
類似点は下記のようにたくさんありますが、どうなんでしょう。
- 小さな支配地域が巨大に膨張
- 支配民族は全体からみれば小数
- 帝室を中心とした貴族国家
- 軍事が国家の機構の中心
- 通商を核にした支配システム
- 連邦的な構成で小王国が内部に存在
- 別民族から能力ある人間の登用
- 支配している住民からの評価に無関心
- 言論の自由を結果的に保証
- 宗教やイデオロギーに無関心
- 敵からは野蛮、傲慢ということでひどく嫌われ、恐怖されている
- 「仮想空間計画」('99/12/02記)
- 原題 REALTIME INTERRUPT
- 著者 ジェイムズ・P・ホーガン(James P.Hogan)
- 訳者 大島豊
- 発行 東京創元社(創元SF文庫)
- 発行日 1999/07/23
- ページ数 553
- 感想
久しぶりに読んだホーガンの本です。
映画マトリックスの原作みたいな話で、コンピュータの仮想空間に閉じ込められた人間がそれをいかに脱出するかを描いています。
もっともらしい事はもっともらしくて、技術的な部分は楽しく読めました。
しかし、小説の面白さとしては問題はありありです。
出だしはまあまあです。
実験の失敗から12年が過ぎそこで女性と出会って自分が実は仮想空間に取り残された事を知ります。
ここはいいのですが、そこからが全然ダメになります。
まず、いきなり過去の話を出てきますが、あまり面白くないです。
技術的部分は女性に話す感じで処理できなかったでしょうか。
それから、あまりにも話しがせこすぎます。
これだけの枠組みを用意したのだから、もっと陰謀を大きくして話を発散させるようにすべきです。
12年の歳月は実際には3週間にしてしまうのが問題で、技術ホラとしても納得いきません。
12年の歳月を実際に12年たったことにし、それを起こした人間たちを許さないという感じで物語を作るべきではないかと強く思います。
- 「三本の矢」('99/10/31記)
- 著者 榊東行
- 発行 早川書房
- 発行日 1998/04/30
- ページ数 上巻373 下巻406
- 感想
仕組まれた大蔵大臣の失言から金融恐慌の再来、と出だしはスリリングに始まるのですが段々と尻つぼみになって終わります。
面白いことは面白いのですが、ミステリの面白さというより現役の大蔵官僚が書いたと言われているように官僚の生態がリアルに書かれていて、その部分が面白いです。
近未来小説としては話が現実味に欠けています。
真の犯人はばれてもリスクがないとしていますが、発覚してマスコミに叩かれたらひどい事になる可能性は高いのではないでしょうか。
複雑系の話も無意味なような。
ミステリだから話を凝ったのでしょうが、むしろ単純に大蔵省の派閥争いの話にしてしまった方ができがよくなったでしょう。
話の中で特に違和感を感じたのは、主人公が新入りに対して官僚内部の陰語を教育する点と女性が年上の同僚に対して倒産しそうな銀行から預金を降ろすように勧めてはては通帳を預ってまで降ろそうとした点です。
最初のは陰語で話す事が当然という閉ざされた精神が感じられて好きになれないし、後のは今までの恩義を捨てるのは当然であり合理的であるというのが私の感覚に合いません。
預金通帳を預ってまで実行しようとするのはそんなのその人の勝手だろと思ってしまいます。
結論として、官僚理解には役立ちそうだけど、それ以外はいまひとつです。
- 「銀河の荒鷲シーフォート 決戦!太陽系戦域」('99/10/29記)
- 著者 デイヴィッド・ファインタック
- 訳者 野田昌宏
- 発行 早川書房 (ハヤカワ文庫)
- 発行日 1999/08/31
- ページ数 上巻526 下巻478
- 感想
最近読み始めたシリーズですが、最新巻が図書館にすぐ入っていたので読む事ができました。
キリスト教への信仰を強く持った軍人が戦いに勝つために、神との契約を破らざるを得なくなってしまう苦しみが見所なんでしょうが、主人公のヒーローぶりを単純に格好よく思っても十分に読ませる本です。
ああ罪の意識が強くては本当の危機の時には切れてしまいそうな気がして、主人公の現実味が疑問に感じられますが、でもそこが魅力です。
今回の作品のクライマックスに関してはまだ考えがまとまりませんので、これだけにしておきます。
- 「官僚たちの縄張り」('99/10/29記)
- 著者 川北隆雄
- 発行 新潮社 (新潮選書)
- 発行日 1999/02/25
- ページ数 283
- 感想
最近よく見かけるような気がする、官僚制批判の本です。
具体的かつ一般的に全体をうまくまとめあげていて「政官業」の問題のざっとした理解に向いています。
同じような本を何度も読んだ気がするのですが、大蔵省の主計局長が給料の点で他のすべての省庁の局長より格が上という点は初めて知ってちょっとした驚きを感じました。
こういうえらく不平等に見える事が堂々とあるということに、病んだものを感じます。
本の中では結論として日本の官僚制を無責任の体系と断じ、それを改善するための機構制度を作らなくてはいけないということで終わっています。
しかし、それは何か違うと思うのです。
組織は本質的に自己の保存拡大を願い、制約がなければ膨張していきます。
しかし、永久に膨張する組織なんてありません。
民間企業は利益を上げ続けるという制約があるので無限に膨張はできません。
というよりこの制約が強いので組織の自己拡大の機能は表面的には見えないのです。
国家の官僚組織も国家国民に対して役立たなければ本質的には拡大できないはずです。
しかし、今まであまり役立っていないように見えるにもかかわらずその力は拡大してきました。
そして弊害があまりにも強くでていると思われるので、現在、行政改革が強く叫ばれています。
でも役に立っていないなどという事はないのです。
政権の座を握っている政治家たちとそれを支える諸団体にとって役だってきたからこそ官僚システムは膨張してきたのです。
そして官僚システムから利益を受ける集団が政権の中枢にいるかぎり膨張する力は常に働きます。
この大きな仕組み全体の改革がないかぎり官僚システムを個別にいじくってもそれは基本的に無意味です。
一律の人員削減、政治任命職の拡大、天下りの廃止やキャリア制の改善、省庁割拠主義を見直すための人事の統一化など、改革案はすぐ考えられます。
しかし、それを迂回する手段はいくらでもあります。
たとえば一律の人員削減など明らかにおかしいはずです。
仕事には適正な人員があるはずでそれを上回っても下回っても問題がでてきます。
その適正な人数を把握できなければ単なる数合わせにすぎません。
また、政治家は省庁に一人で入ってスタッフも何もないから、官僚たちのいいなりなってしまう、それを改善するために政治任命職を増やすとかいうのもおかしい話です。
意味がないのではありません。
大きな変革が起ころうとする時には非常に意味ある事でしょう。
しかし、政治任命職を増やせば改革が起こるというのは逆なのです。
今まででもやろうと思えば自民党はシンクタンクなどを作って政策の立案システムを作ることなどはいくらでも可能だったはずです。
それができなかったのは、官僚たちの力が強かったからではなく、自民党にとって最も望ましい政策を官僚が立案してくれるので、わざわざ作るのは無意味だったからです。
そして、政治任命職の増大も官僚と政権党の利害が一致するならば無意味になるのは目に見えています。
倫理観の喪失などといった現象は少なくなる気がしますが、結局の所今の政治家たちが官僚たちの上に形式的に乗るのとほとんど変わらないでしょう。
それから、予算の査定権限を大蔵省から取り上げ内閣府などに移せば、行政改革などというのもばかげています。
内閣府が大蔵省の変わりになるだけであって本質的には何も変わらないのです。
国会の意見がより反映されるようになる事が本質的な解決であるならば大蔵省に査定権があっても問題は全くないはずです。
国会の審議を通して変えていけばいいだけなのですから。
行政改革における政治家のリーダーシップというのはある意味で詭弁にすぎません。
政治家がリーダーシップを取ったからこそ、官僚たちの力は拡大しているのです。
政治家が力を持てるのは選挙民の支持です。
官僚制度の改革に対して選挙民の支持がないからこそ、政治家のリーダーシップは期待できないのです。
官僚たちが組織の拡大を願うのは当り前です。
首を切られる事、権限が減る事、そういう行政改革を行うとしたら、官僚たちが死に者狂いに抵抗するのは当然であり、それがおかしいと批判する方がむしろ何か変です。
その仕事についている人間はその仕事が役に立ち意味がある仕事だと信じているからこそ、働けるわけです。
それを改革する力は有権者によるその作業が役立っていないというメッセージです。
有権者が政党政治家を通して官僚たちをチェックする意識を強くもつようになることが本当の改革の始まりです。
- 「宿命 「よど号」亡命者たちの秘密工作」('99/10/19記)
- 著者 高沢こう司(こうは白へんに告げる)
- 発行 新潮社
- 発行日 1998/08/30
- ページ数 527
- 感想
よど号事件で北朝鮮に亡命していった人間たちのその後を描いた本です。
なんとなく、よど号事件で亡命した人たちは北朝鮮にずっといるのだろうという印象を持っていましたが、実は海外に何度もでかけていて、果ては日本自体に潜入もしていたというのがこの話です。
結局、彼らは金日成主義者に変わり、北朝鮮の指示のもとでスパイのような活動家になったのです。
そこらへんは正にスパイ小説のような面白さでした。
洗脳のような感じも受けて怖いのですが、本の中では日本では到底比べ物にならないような生活を保証されているようで、ある意味金で転んだとも言えます。
単純に北朝鮮の洗脳による犠牲者とは到底言えません。
ただ、この作品でもっとも気になったのは語られていない事の多さです。
日本に潜入して捕まって、すでに服役を終え釈放されている人間の近況はどうなのかとか、同じくスパイ容疑で逮捕され釈放されているその妻はいったいどうしているのか非常に興味を覚えます。
また、この話にはすべて裏付けがあるといいながらも、ある意味詳しすぎる話があってその真偽を疑います。
作者はこの本を書く前までは北朝鮮よりだったみたいで、それがなぜ急に反北朝鮮的な本を書くのか、そこらへんの理由がよくわかりません。
何か作者にとっては都合の悪い事は全て隠してしまっているようで、北朝鮮の嘘偽りで固められた世界から出てくると、やはり別の偽りの世界のようです。
面白いのですがなんとなくすっきりしない感じで話が終わりました。
- 「突破者−戦後史の陰を駆け抜けた五十年」('99/10/19記)
- 著者 宮崎学
- 発行 南風社
- 発行日 1996/10/20
- ページ数 469
- 感想
「キツネ目の男」に擬された人が書いた本として、何年か前に有名になった作品を読みました。
ヤクザの組長の息子に生まれ、大学の時には共産党に入って学生運動をやり、雑誌記者になり、倒産寸前の家業の建設会社の経営を行い、結局倒産した後地上げ屋まがいをしている、何というかすごい人物です。
特に家業の建設会社が倒産寸前の時の資金繰りは犯罪すれずれどころか、犯罪そのものでちょっと私には共感が持てませんでした。
そして、昔の事はそれなりに詳しく書いてあるのですが、今何をしているのかがよくわからず今現在も犯罪に手を染めている雰囲気を出していて怖い所です。
ただ、ヤクザというものが生まれてくる理由というか人間社会に必然的に生まれてくる暗闇みたいな物に社会はどうやって対応しなくてはならないのかを考えさせられました。
今の私には難しい話だと、とりあえず逃げる言葉しか出てきません。
また、正念場での人間のあり方も考えさせられます。
私はとりあえずその場にはぶつからない事を祈り、そしてぶつかったら逃げるしかないでしょう。
そういう意味で小市民である私にはとうてい真似できない人生であり、したくもない人生ではあります。
- 「突破者列伝」('99/10/19記)
- 著者 宮崎学
- 発行 筑摩書房
- 発行日 1998/03/10
- ページ数 206
- 感想
「突破者」に出てきた人間で、宮崎さんが突破者と思う人物を抜き出して紹介しています。
でも、その割には描写もそれほど深くはなっていない感じだし、暴力団対策法がらみで紹介されている「突破者」にはでていなかったヤクザの組長にはそれほど魅力があるような感じがしません。
これは他の人物が子どものころから知っている身内の人間なのに対して、それとは外れているからでしょう。
結局、「突破者」に便乗した作品のようだけな気がして、今一つおすすめできません。
「突破者」だけ読んでいれば十分です。
- 「悪名高き皇帝たち−ロ−マ人の物語VII」('99/10/14記)
- 著者 塩野七生
- 発行 新潮社
- 発行日 1998/09/30
- ページ数 500
- 感想
アウグストゥス以後のユリウス=クラウディウス朝の皇帝4人について書かれています。
アウグストゥスの生み出した帝政がどう定着していったのかが、テーマとも言えるでしょうか。
広大な領土を統治するためには、責任ある一人が対処する必要があるという意見には、納得できるのですが、それを世襲でなくてはいけないというのは納得できません。
選出システムは世襲の方が安定するというのがアウグストゥスの考えだと、塩野さんは指摘していますが、選挙による大統領制という考え方が何ゆえうまれなかったのか、そのへんに非常に興味をかきたてられました。
後、ユダヤ人の話が結構語られています。
ユダヤ人は自らの「特殊」を強く言い立てる事により、ローマという「普遍」に取り込まれませんでした。
しかし、「普遍」に取り込まれないことによって、皇帝や元老院議員に選出される道を自らふさいでしまったというのが、塩野さんの意見です。
でも、「普遍」とか「特殊」とか言うと普遍のほうに優位があるというイメージですが、それをとっぱらってしまうと、結局ローマというものを受け入れないというだけであって、ローマという「特殊」、ユダヤという「特殊」があるだけのように思います。
- 「法王庁殺人事件」('99/09/06記)
- 著者 塩野七生
- 発行 朝日新聞社
- 発行日 1992/01/01
- ページ数 258
- 感想
シリーズ完結作です。マルコとオリンピアの恋(一応恋なんだろうなあ)の行方とその結末を語っています。どういう史実を扱うのかと思っていたのですが、私にとっては意外な内容でした。
今までの主人公が傍観者といった感じなのに対し、今回は主人公に焦点をあてた、最終作にふさわしい内容になっていて、小説としては一番いい出来のような気がします。
- 「メディチ家殺人事件」('99/09/05記)
- 著者 塩野七生
- 発行 朝日新聞社
- 発行日 1990/01/20
- ページ数 326
- 感想
「聖マルコ殺人事件」の続編です。フィレンツェを舞台にメディチ家の人間の暗殺というたぶん史実が描かれています。物語の形式的な主人公は前作に続きマルコ・ダンドロとオリンピアになります。どうやら、このシリーズはヴェネツィア、フィレンツェ、ローマの3都市各々を舞台にして、塩野さんが語りたい16世紀始めの史実を、2人に経験させるみたいです。
今回の事件は愚かな傀儡の暗殺で、理由がはっきりしていない点があったとしても歴史としてはありふれていてあまり面白みはないように感じられます。前回の話が史実と小説の部分の区別がよくわからないのに比べれば今一つです。
- 「惨敗 二〇〇二年への序曲」('99/09/01記)
- 著者 金子達仁
- 発行 幻冬舎
- 発行日 1998/11/15
- 感想
金子さんの「28年目のハーフタイム」を読んでから、にわか中田ファン、にわかサッカーファンになりました。その金子さんが書いた'98年フランスワールドカップの本です。書き下ろしではなく、その当時の雑誌にリアルタイムに書いたものをまとめています。読んでみると、一貫してワールドカップでの惨敗が予想されていて警世家として感心しました。直接の原因は練習試合不足やら監督の力量不足が挙げられていますが、一番大きな原因として、ワールドカップ出場に満足してしまってそれ以上を日本が望んでいなかったと指摘しています。私もその当時を顧みて、あまりワールドカップでの活躍を期待していなかったように感じます。これがやはり三戦全敗をまねいたのでしょう。にわかサッカーファンとして次のオリンピック、次のワールドカップでは、優勝を信じて念を送るつもりです。
- 「聖マルコ殺人事件」('99/08/31記)
- 著者 塩野七生
- 発行 朝日新聞社
- 発行日 1988/11/18
- 感想
殺人事件が題名につき、主人公が同じで3部作らしいから、私はてっきり歴史推理物かと思っていました。読んでみると、今までの塩野さんの作品と同じ普通の歴史物といった感じです。ただ、小説らしさを強めているのでどこまで事実を元にしているのかよくわかりません。主人公は実在の人物なのでしょうか。この殺人事件の被害者、トルコに仕えるヴェネツィア元首の庶子のキリスト教徒の政商兼傭兵はきっと実在の人物のような気がします。彼が歴史に翻弄され、結果的にヴェネツィアに裏切られて死んだ事を、聖マルコによる殺人としています。聖マルコはヴェネツィアの象徴ということであり、そして主人公の名前がマルコである事から結果的にヴェネツィアの代表として友を裏切った主人公の殺人も暗示しているようです。
トルコに仕えるヴェネツィア元首の庶子というのは意外性があって、面白かったです。主人公同じでどう話を続けるのかと思って続編もいきなり借りて読んでいます。
- 「図解暗号と情報セキュリティ」('99/08/25記)
- 著者 岡本龍明
- 発行 日経BP社
- 発行日 1998/07/25
- 感想
ppsdにも暗号機能を入れたいのでとりあえず概要を知ろうと暗号の本を借りて来ました。図書館にはこれしかなかったので、さらっと見た感じでは若干不満があったのですが仕方無く借りました。不満というのは、簡単な部分と難しい部分が分かれていて何か読みにくそうだったからです。一応、読み通してみて同じ感想を持っています。技術書にけっこうある、簡単な部分は極端に簡単だけど難しい部分は急に難しくなってその間を踏み越えるのが大変という本です。これはどういうわけなんですかね。
内容としては、暗号の初歩から始まって公開鍵暗号を説明し、それを利用した応用、電子決裁、電子マネー、電子契約、電子投票、電子ゲームについて説明しています。応用の個々の例ごとにたぶんその実例に合わせた形式で説明しているので統一が取れていません。そのため、よくわかりませんでした。個々の技術を個別に説明するのではなく、全体を通した技術の位置付けをはっきりして欲しい感じです。
応用の中の電子マネーは、複製防止が無理に思えるので特に興味があったのですが、その解説が簡単に片付けられているのが残念でした。
応用の各プロトコルは、理論としてはできるだけ完璧な方法を目指しているみたいですが、実際社会に適用する場合は、ネットの中の閉じた世界でのセキュリティよりも今まである社会との接点においてセキュリティ上の問題がでてきそうで、ある意味机上の空論のような気がします。
- 「株は死んだか」('99/08/18記)
- 編 日本経済新聞社
- 発行 日本経済新聞社
- 発行日 1991/01/22
- 感想
バブル崩壊後株価が休息に下落している時に今後株がどうなり、そして市場を立て直すためにどういう措置を取る必要があるかを語っている本です。読んでみて驚いたのはその状況認識が正確な事で、それから約10年の今までを正確に予測しているように見えます。惜しむらくは、その状況を起こさないために何らかの対策が取られるだろうと期待して、その現実から目をそむけているように見えることです。
人は現実を見たいように見ている事の実例だと感じます。
- 「市場対国家 世界を作り変える歴史的攻防」('99/08/18記)
- 著者 ダニエル・ヤーギン・ジョゼフ・スタニスロー
- 訳者 山岡洋一
- 発行 日本経済新聞社
- 感想
第二次世界大戦後のイギリスで社会主義的な流れが主流になってから、それが逆転し世界各地で市場重視の経済こそが主流になった状況を描いています。各国の状況を描きながら、市場経済重視の流れを世界的な現象として表そうとしていますが、なにか雑然としていてあまりはっきりしていません。また、市場対国家という感じで市場の優位性を示そうとしているかというと、必ずしもそんな風には読み取れません。
むしろ一番印象に残ったのは、まず思想の変革があってそれを引き継いで改革が始まっていったことです。その思想の力というのは市場の実際の効果よりもずっと強い力を持っているように読めました。そういうわけで、この本に引用されていた、ケインズの『一般理論』 での言葉という「思想が少しずつ既成の考え方を蚕食していく力とくらべて、既得権益の力はきわめて過大に評価されている」というのが記憶に強く残っています。