アレン・ギンズバーグ
(June 3, 1926〜April 5, 1997)追悼
ビート・ジェネレーションの中核的存在として、大きな影響力をふるってきた詩人アレン・ギンズバーグが肝臓ガンで亡くなりました。日本でも、諏訪優氏の紹介によって60年代から多くの読者を持ち、ベトナム戦争以降のアメリカの社会現象・文化現象の象徴的な存在として知られていました。彼の詩集『吠える』は、ジャック・ケルアックの小説『路上(オン・ザ・ロード)』とともに、70年代のヒッピーたちの教科書の役割を果たし、20世紀後半の北米の精神的傾向に一つの決定的な側面を与えました。
彼は社会の支配的な力に対してもう一つの存在形式を掲げることを続けてきました。学識ある書き言葉に対して、路上の声を。ベトナム戦争に対して、反対の声を。キリスト教文化に対して、仏教文化を。男女間の愛に対して、女々しいと蔑まされてきたゲイの愛を高らかに掲げたのです。いずれの活動も身をもって実践した行為の人でした。
88年の6月3日にサンフランシスコのパレス・オブ・ファイン・アーツで開催された、沖縄の珊瑚礁を救うためのポエトリー・リーディングに、滞在中だった私は足を運びましたが、日本からナナオ・サカキを迎え、ギンズバーグの他に、ゲーリー・スナイダー、マイケル・マックルーア、ジョーン・カイガーが登場するまさにビート派の集会でした。その司会を務めた俳優のピーター・コヨーテがギンズバーグのことを「シャドー・プレジデント(影の大統領)」と紹介して、聴衆が笑いや歓声で応えていたのを思い出します。
彼の影響力の強さと広さは、彼が肝臓の末期ガンで余命4日から12カ月であることが4月3日に報じられてから、インターネット上で情報が流れ始め、死が伝えられた5日からは記念のページが開設されたり、関係の深い多くのホームページでは丁寧な追悼記事が掲載され、お互いに関連のホームページへのリンクを張ってきていることに、端的に示されています。また、ジェリー・ガルシアの場合にも見事に示されたことですが、反応の速さ、情報の伝播の越境性、トピックの集中性などが充分に機能していて、アメリカでのインターネットの利用の良い面を窺うことができます。
Allen Ginsbergで検索すればいくつものウェッブ・サイトが見つかりますので、関心のある人は試してみて下さい。「Allen Ginsberg Memorial page」、「Literary Kicks」、「Patti Smith Babeloque Honors」などがまずアクセスするにはよいと思います。
アレン・ギンズバーグの主な詩集
Howl and Other Poems (1956)
Kaddish (1961)
Reality Sandwiches (1963)
Planet News (1969)
The Fall of America(1972)
Collected Poems, 1947-85 (1995)
White Shroud (1987)
合掌