カオスの縁へ


アメリカン・ポエトリー・コラム・
                        野坂政司


 私がアメリカ詩についてのこのコラムを断続的ながらも書き始めて長い時間がたった。書き始めたのは、1987年夏から1年間サンフランシスコに滞在していたときである。その時期、私は、サンフランシスコ州立大のポエトリー・センターに併設されているアメリカン・ポエトリー・アーカイブに蓄積されているポエトリー・リーディングのオーディオ・テープやビデオ・テープで60年代以降の声の記録に耳を傾ける一方で、サンフランシスコ・ベイ・エリアのそこかしこで大小さまざまな規模で開催されているポエトリー・リーディングに足を運んでいた。
 アメリカ合衆国の西海岸は、東海岸、南部、中西部の何れに対しても対抗的文化空間として機能してきたが、サンフランシスコは西海岸においてもその対抗的資質が際立っており、観光都市としての猥雑さの表皮の裏側で、多文化の混沌とした錯綜状態が活発に沸き立っているような都市である。
 路上を通り過ぎるさまざまな文化の視線に相互にさらされる機会が重層的に折り畳まれているサンフランシスコは「アーツィー(芸術っぽい)」と形容されることもある都市で、表現活動の諸々の領域は複雑な全体を成すように隣接し合っている。たとえば、詩は音楽と隣接し、音楽は美術と隣接している。このようなサンフランシスコでの経験を起点として、私は、詩集・雑誌・新聞・CD・TV・インターネットなどのメディアにさまざまな角度から光を当て、アメリカ現代詩の重層的で境界横断的な面を浮かび上がらせようと試みてきた。
 90年代後半の現在、技術的条件さえ整えば世界のどこからでもインターネットに接続して情報の受容と供給ができる。私は、アメリカ詩の情報を入手するのにも日常的に利用しているが、個々に独立している分野で展開されていることを総合し、その情報を蓄積していこうとする場合に、電子ネットワークが処理できる範囲が加速度的に増大してきており、情報の流通形態がこれまでとは変わってしまったことを実感している。その変化が有意的に立ち現れてくる位相をデジタル・ネットワークとアナログ文化の両面から見据えていきたいものだし、その作業の過程でアメリカの今日の詩の動向の文脈を具体的に跡づけていきたいものだと考えている。
 しかし、ここで、このような方向に視線を向けていこうとする場合に心に留めておくべき姿勢を確認しておきたい。それは、「シャリヴァリとしてのノイズ、ノイズとしてのシャリヴァリとは、そのような危機と衝突そのものの表現だった」とする立場から「世界音楽の闘争」を明晰に解剖して見せた平井玄による『破壊的音楽』(インパクト出版会、1994)を貫いている視線である。彼は、エドワード・W・サイードの声に読者の耳を向けさせ、次のようにサイードの論点を要約している。

 すなわち、1935年イギリス委任統治下のエルサレムに生まれ、カイロで教育を受け、そしてアメリカに渡ったパレスチナ人。つまりシオニストによるイスラエル建国によって母郷フィラスティーンを追われた難民の一人であるエドワード・W・サイードは、その著書『カヴァリング・イスラム』(イスラムを報道/隠蔽する、邦題『イスラム報道』)の中で、まず「西洋が非西洋世界について身につけている知識の大部分は植民地主義を通じて得たものである」と喝破した上で、他者の文化を理解するために不可欠な二つの前提条件を挙げている。
 第一にそれは、理解しようとする者は自らの対象とする文化および人々に責任を持ち、かつそれらと強制されることなく接触していると自覚していること。
 第二に、知識とは始源のオリジナルなき不断の解釈の運動であるーーとするミシェル・フーコーが生涯にわたって奏で続けた「真理」批判のテーゼを基調低音としつつ、解釈とは社会的な活動であり、政治的社会的な状況と濃密に絡み合っているとこと。従って解釈はこの状況を無視できないし、異文化へのいかなる解釈も自らの置かれた状況自体の解釈なしには完全ではありえないと知ること、としている。
 サイードは、この確認の後、異質文化のなかで生まれたテキストを読む際に最初に意識されるべきことは、当のテキストと解釈者の置かれた時間的、空間的な位置との間の「距離」であると強調している。
 今このことがもう一度確認されなくてはならないであろう。電子メディアの惑星的なネットワークがこの「距離」をゼロにしたと見えるのは明らかに一つの幻覚なのである。
        平井玄『破壊的音楽』(113-14頁)

 彼のこの本には、現在の世界音楽の深層に隠されていたさまざまな地域の危機的時代の社会状況・政治状況の相互連関についての、筋金入りの未来の音楽考古学者による報告書のような趣がある。音楽と社会を一括して論じることができる広い視野のなかで、彼は、自己の批評精神と対象との適切な距離を保ちながら、正確な認識を織りあげている。特に、異質な文化を解釈しようとする時に、その他者の文化のテキストと解釈者との間の距離を最初に意識すべきだというサイードの主張を受けて、「電子メディアの惑星的なネットワークがこの「距離」をゼロにしたと見えるのは明らかに一つの幻覚なのである」と明言しているところに、平井玄の身体感覚の強度が息づいている。彼はインターネットのような電子メディアが掬いあげる情報伝達力の有効範囲をはっきりと承知しているのである。
 サイードを踏まえながら平井玄自身がどのように音楽に耳を傾けていこうとしているか、という点について同じ本のなかで具体的に触れている箇所もあわせて読んでおきたい。

 1991年初頭、アラブの大地を覆った巨大な爆撃音の間断なき持続は、彼の地の音楽をその深いところからどのように変化させていくことになるのだろうか。
 レバノンのファイルーズやカーリッド・アル=ハベルは、パキスタンのヌスラット・フェテ・アリ・ハーンは、アルジェリアやパリのライ・ミュージシャンたちは、ここから一体どんな音楽を創り出していくのか。
 その時再び、かのパレスチナ人の声が聞かれるべきであろう。とりわけ、あの四つの眼差しの重なり合うところから視えてくる振動する廃虚からの声を。
 一つの音楽を、複数の聴覚を持って聞き取ること。
 例えば電子メディアの惑星規模のネットワーク上に、ただ幻覚としてのみ成立する世界共和国市民の聴覚において。あるいは「日本文化」への統合を摺り抜け他者へと開かれてゆく、多数の
アジアン・エスニックが交差する場としての東アジア人の聴覚において。そして何よりも、依然として血を吸い続ける側にいる、日本人マジョリティーの悪辣な植民地主義の聴覚において。さらにまたここに、現在の総ての音楽を古楽として聴き、総ての古楽を未来の音楽として聴いていく、ノスタルジーなきアルシヴィストの耳が付け加えられるべきだろうか。
 こうした、いくつかの聴くことの快楽あるいは不快の衝突する只中において、私自身の「聴くことのエチカ」が浮かび上がってくることだろう。
                同書、(125-26頁)

 ここで平井玄が宣言している「一つの音楽を、複数の聴覚を持って聞き取る」という行為は、自己と世界が交錯する境界線上に生まれる複数のリアリティーのそれぞれの場面で自己をその場のサウンドスケープに向けて開いていくことであると言い換えることができるだろう。ここで注意を向けておくべきことは、彼が快楽だけを選び取るようなことはしないということである。彼は、自己を向き合わせる世界がたとえ不快なものであっても、不快であるというだけでその不快な世界に対して自己を閉ざしはしない。逆に、自己を開き、その不快が快楽とどのように衝突するかを経験していこうとするようだ。あえて単純な要約を試みれば、彼は、このような態度によって楽音とノイズを二項対立の関係から解き放ちながら、身体性から遊離せずに知的認識に接続する音楽経験の場に立とうと企図しているのだろう。
 さて、電子メディアに関しては、彼はその受容についての世間一般の傾向を不快に感じているようである。上に引用した、「電子メディアの惑星的なネットワークがこの「距離」をゼロにしたと見えるのは明らかに一つの幻覚なのである」とか、「電子メディアの惑星規模のネットワーク上に、ただ幻覚としてのみ成立する世界共和国市民の聴覚」という彼の表現に窺える調子は、感情というよりも極めて知的な認識であると正確には言うべきだろうが、ともかくこの表現に潜む不快感は決して電子メディアのネットワーク自体から引き出されたものではない。彼の言葉が撃つのは、私たちが電子的なネットワークによってすんなりと「グローバル・ヴィレッジ」(M・マクルーハン)の住民となり、時代や社会環境などを切断している「距離」が「ゼロ」になると思いこむような感覚、あるいは無知なのである。
 私自身は、「電子メディアの惑星的なネットワーク」を、有効で強力なデータベースだと考えているし、そのアクセスの簡便さにはほぼいつも感心してしまう。従って、その点において私には電子メディアのネットワークに対して何の不快感もない。しかし、一方では、インターネットで調べものをしていて色々な角度から検索しても情報によっては何も出てこない場合も多いし、検索によってある問題に関するデータを引き出すことができても、その情報の深さが不足していて役に立たないと感じることも多い。当然のことながら、データベースはデータとして入力されたものだけしか出力できないのであるから、入力されたデータの総体がたとえいかに強力な情報ネットワークを形成してきているとしても、そのネットワークの外部は情報が流通しない闇の世界ということになる。最初にそのことを踏まえたうえでインターネットにアクセスするのであれば、幻覚に包囲されながらもわずかな切断面を押し広げ、外部への通路を見つけることができるだろう。
 それでは、ここでアメリカ詩に焦点を合わせながら、インターネットの可能性と問題点を検討していくことにしたい。最近知った「イシス」というアフリカ系黒人女性の芸術・文化のホーム・ページをとり上げてみよう。
 イシスはもちろん古代エジプトで崇拝された女神である。『日本大百科全書』(小学館)の記述に従えば、「イシスというのはギリシャ読みで、古代エジプト読みではシェト、イシェトとなる。地の神ゲブと天の女神ヌトから生まれた四神のうちの一神で、ほかの三神は男神のオシリスとセト、女神のネフティスであった。オシリスと兄妹婚をして、男神ホルスをもうけた。プルタルコスが伝える『オシリス神話』によれば、夫オシリスがセトに殺されてその遺体をナイル川に投げ込まれたのち、イシスは各地をさまよってオシリスの遺体を探し出し、生き返らせたという。また、息子のホルスを育てて父の仇討ちをさせたことから、イシスは良き妻、良き母、すなわち女性の典型とみなされた。他方、太陽や牝牛とつながりを持つ豊饒の女神としてエジプト各地で崇拝され、エジプトが衰退したのちは、ギリシャ、ローマでイシス崇拝が広く行われた。」
 古代エジプト神話を背景とする原型的女性(女神)としてのイシスを名に持つインターネットのホームページとはどのような情報空間なのだろうか。このホームページに興味を引かれたのは、最初に出会った「ウェルカム・トゥー・イシス・プラス」というページの冒頭にジョゼフィン・ベーカーの写真と並んで掲げられていた数行の詩の引用が目にとまったからである。それは、次のような詩行だった。

私はとてもヒップだ
 私の失敗さえ正しい

私はとても完全、とても神聖
 とても微妙、とても超現実的
私の許可なしには
 私を理解することはできない

私が言いたいのは 私は
 鳥のように空を飛べるということ

これは、アメリカ黒人女性詩人ニッキ・ジオヴァンニの作品「エゴ・トリッピング」からの引用である。この詩は、彼女の詩集『リ・クリエーション』(ブロードサイド・プレス、1970)、『エゴ・トリッピングと若い人々のためのその他の詩』(ローレンス・ヒル、1973)などに収められている作品で、彼女の作品のなかでは良く知られているものだろう。ここには、文化の始源へ遡る枠組みのなかで自信に満ちた力強い精神が描かれている。長くない作品なので全体を訳出しておきたい。

「エゴ・トリッピング」

私はコンゴで生まれた
私は肥沃な三角州へと歩いていき
 スフィンクスを建てた
私はがっしりとしたピラミッドを 
 デザインした 百年毎にだけ輝く星が
 その中心に落ち 神聖で
 完全な光を放つ
私はすごい

私は玉座に座り
 アラーとともにネクターを飲む
暑くなったので渇きをいやすために
 ヨーロッパに氷河期を与えた
私の最初の娘はネフェルティティ
 産みの痛みの涙が
 ナイルを創った
私は美しい女

私は森を見つめた そして
 一包みのヤギ肉と着替えとともに
 サハラ砂漠を焼き付くした
私はそこを二時間で横切った
私はガゼル とても速い
 とても速くてあなたには私は捕まらない

 息子のハンニバルの
  三歳の誕生日の御祝いに
私は象を贈った
 母の日に彼は私に
  ローマを贈ってくれた
私の力は溢れ続ける

息子のノアは新しい箱船を造り
気持ちよい夏の日に船を走らせて
私は誇らしく舵を取った

私は自分自身を自分自身に変え
 ジーザスとなった
 男たちが詠唱した
 親愛を込めた私の名を

皆が讃える 皆が讃える
私が救うものである

私は裏庭にダイヤモンドをまいた
私のお腹はウラニウムをひねり出した
 私の爪に詰まっていたのは
 準宝石だった
 北への旅で
私は風邪を引き 鼻をかんで
アラブ世界に油を与えた
私はとてもヒップだ
 私の失敗さえ正しい
私は西に航海し東に到着した
 進みながら
 大地を丸くしなければならなかった
 私の髪は薄くなり 三つの大陸に
 金が敷かれた

私はとても完全、とても神聖
 とても微妙、とても超現実的
私の許可なしには
 私を理解することはできない

私が言いたいのは 私は
 鳥のように空を飛べるということ

 これは1970年に書かれた詩である。人類史がアフリカ的文脈から読み直されているこの作品を読むだけで、ニッキ・ジオヴァンニが60年代後半から70年代にかけてのアフロ・アメリカンに愛読された詩人になり得た理由が察せられるのではないだろうか。対談『われわれの家系』(晶文社)で対談相手のジェームズ・ボールドウィンが厳しくやりこめられていたことを思い出すが、そんな彼女の気の強さと黒人女性の集合的無意識に通底していく歴史感覚とが溶け合うことによって、この詩は黒人女性の希望の地平の拡大に貢献したであろうと想像できる。
 私は、70年代後半から80年代にかけて出版されたきたその後の数冊の詩集を読み続けながら、彼女の詩からそれまでのエネルギーが次第に失われてきたことを複雑な気持ちで受けとめてきた。そして今回思いもよらないことだったがインターネット上で彼女の詩の数行に出会ったのである。
 「ウェルカム・トゥー・イシス・プラス」のページには、「イシスは、離散したアフリカ人女性の芸術と文化を特色とするワールド・ワイド・ウェッブのページである」という説明や、このページを提供しているのは「ネットディーヴァ・コミュニケーションズ」であるという説明が書き込まれている。「ネットディーヴァ」の「ネット」はネットワークの意味、「ディーヴァ」の語源はラテン語で女神の意味であるから、このホームページの背後に、女性の、特に黒人女性の社会的ネットワークが存在していることが想像できる。 さて、「ウェルカム・トゥー・イシス・プラス」のページは、本でいえば目次の役割を果たしており、全体がどのようなセクションに枝分かれしているかということが、以下のように示されている。

*特集の場所
*フィルム、ビデオ、視覚芸術
*私たちの話
 歴史的・文化的に
  重要な人々、場所、事物
*パフォーミング・アート
 音楽、ダンス、演劇
*書かれた言葉
 文学、詩、ノンフィクション
*スピリット
 主に西アフリカを中心とする
  精神性そして精神的表現
*組織、機関、催し物

 「ウェルカム・トゥー・イシス・プラス」の場合と同様に、各々のセクションの冒頭でさまざまな詩人から数行の詩が引用されている。「スピリット」のセクションには、このコラムで何度も言及してきたヌトザケ・シャンゲの詩が引用されているし、「書かれた言葉」のセクションにはオードリ・ロードの詩が引用されている。そのようなところから、このホームページにおける詩の比重の大きさがわかる。
 問題はその先にある。それは、これらのセクションの内容が、ここから接続できる多彩なホームページのリストに他ならない、ということである。次から次へと接続を繰り返して、関連する網の目を辿りながら遠いところまで到達して情報を入手することがネットワークの有効性であれば、リンクして得られる情報の範囲、深さ、精度が問われなければならない。そこで、一つの例として「書かれた言葉」の内容を考えてみたい。このセクションからは、その先の多くの有名な詩人や作家の作品やページへ接続していける。まずそのリストにどのような名前が挙げられているか、ある程度知名度の高い詩人たちを拾い上げていくと、アリス・ウォーカー、グウェンドリン・ブルックス、ルシール・クリフトン、マヤ・アンジェロー、ニッキ・ジオヴァンニ、ヌトザケ・シャンゲ、オクタヴィア・バトラー、、ソニア・サンチャス、トニ・モリソンなどの名前が目に付く。そこで、例えばニッキ・ジオヴァンニのホームページに接続してみると、そこはすでに「イシス」から離れたところであり、ネットワークを介して知らない内にそこへ跳び移ったことになるのである。さて、そこにもやはりそれより先に接続していくためのいくつかのセクションがある。

*ニッキ・ジオヴァンニの伝記的情報
*名誉学位
*受賞

 それぞれを覗いてみるとどれも詳細な情報が網羅されているので、このような内容に関して調べるときにはかなり役に立つことがわかる。しかし、こうして接続を続けていても不思議なことに詩作品にはたどり着かない。これが問題なのである。ヌトザケ・シャンゲや、リタ・ダヴなどのページでは、数篇の詩作品が載っているとはいえ、所詮きわめて少なすぎる数の作品にしか触れることができないわけで、詩人たちの詩の世界を奥深くへと進んでいくことはできない。関連している諸々の情報はさておき、詩自体を「イシス」で求めようとすることはどうも見当違いの試みになりそうである。
 前に触れたことがあるように、インターネットのいくつかのホームページでは電子テクストのデータベース化が進められている。そのような企画が展開されている一方で、この「イシス」のように詩人たちを紹介するセクションを持ちながらも、詩のテクストにはきわめて限られた範囲でしか接続できないものもある。この差、この距離が、問題なのである。
 この距離は、まずは、ホームページの内容と構成の差であるが、また、ホームページという文化テクストと、インターネットにアクセスする文化テクストの解釈者との距離でもある。平井玄が指摘したように「電子メディアの惑星的なネットワークがこの「距離」をゼロにしたと見えるのは明らかに一つの幻覚なのである」と考えることは正確だった。
 それではその幻覚から覚醒して、なおかつ文化テクストと解釈者との距離をゼロに向かって縮めようとすれば、電子ネットワークのなかに電子テクストを発見しつつ解読を持続するか、仮想空間から現実に立ち返り、作品そのものを詩集によって読んだり、作品を朗読する音声に耳を傾けていくかしかないだろう。
 現実の世界では、人々が交流する場としての書店、ライブハウス、画廊などのような空間は、都市空間の内部にリゾーム状に張り巡らされた情報の交通の結節点である。身体的な比喩でおきかえれば、表現活動の現場で情報が集合・離散する場所は、いわば、人体におけるつぼ(経穴)として機能している。ちょうど良い刺激がつぼに加えられて、つぼから響きが立ち現れる状態を考えればいいだろう。この微妙な変化を、詩的経験の生成の喩として考えたい。それはM・ミッチェル・ワールドロップが『複雑系』(新潮社、一九九六)で記述している「カオスの縁」に接近している状態かもしれない。ワールドロップは次のように書いている。

 これらすべての複雑系は、秩序と混沌をある特別な平衡に導く力を有している。しばしば<カオスの縁>と呼ばれるこの平衡点は、システムの構成要素が秩序に固定されてもいないし、それでいて分解して混乱もしていないような状態である。カオスの縁とは、生命がみずからを支えるのに十分な安定性を有しているところ、生命という名に値する十分な創造性を有しているところ、である。 同書(11頁)