CDから響く声  
アメリカン・ポエトリー・コラム 20
(『gui 』52号、1997年12月)

野坂政司



 アレン・ギンズバーグが四月に亡くなって、ウィリアム・S・バロウズが八月に亡くなった。彼らの死に対する反応の速度と広がりはインターネットのビート・ジェネレーション関係のサイトが突出していたが、他のメディアもそれぞれの持ち味を活かして追悼の意を示している。
 たとえば、ビート・ジェネレーションに縁の深いサンフランシスコ・ベイ・エリアでよく読まれている『ポエトリー・フラッシュ』(六月/七月号)は、第1面にギンズバーグの写真を飾り、スティーブン・ケスラーによる追悼の記事、ジャック・フォーレイが九六年一〇月におこなったギンズバーグへのインタビュー、そしてケン・ボットによるギンズバーグのソロ・パフォーマンスの姿を描いた小品の十一点のデッサン、を掲載している。
 これらの記事を読むと、インターネットでのメモリアル・ページに掲載された多くの記事の速報性に比べて時期的にはかなり遅れてしまったことがまったく気にならない。むしろ、ギンズバーグという存在をあらためてじっくりと振り返るよいきっかけになる。
 ケスラーの追悼記事は「偉大な結び手」と題された文章で、ギンズバーグの生涯の幾つかの時期についてケスラー自身が見聞したエピソードを綴ったものだ。そのなかで興味深いがあまり知られていない話だと思ったものを紹介したい。ケスラーがフェルナンド・アレグリアから聞いた話だということだが、一九七一年頃に、パブロ・ネルーダが自作を朗読するためにUCバークレーを訪れて、ギンズバーグもそこに出席した時のことである。ケスラーは、フェルナンドの言葉を引用している。

  ネルーダは内気な人で、ギンズバーグ(ネルーダはジンズバーグと発音した)が乱暴なことをするんじゃないかと怖がっていた。朗読が終わって、ギンズバーグは私たちと一緒に私の家まで行きたいと思った。私の家にネルーダが泊まっていたんだ。ギンズバーグが近づいてくるのをネルーダが見かけたとき、ネルーダは私にこう言った。「外に出かけよう。いいかい、彼は服を脱ぎたがるんだ。」(十七〜十九頁)

 パブロ・ネルーダとギンズバーグの出会いの滑稽なエピソードが、ギンズバーグを取り囲む当時の良識ある人々の空気を雄弁に物語ると同時に、ネルーダがどのような詩人であったのかということを鮮やかに示している。ギンズバーグ自身の写真集『スナップショット・ポエティクス』(クロニクル・ブックス、一九九三)には、三点のヌードが収められていて、六一年にグレゴリー・コーソと並んで写したもの、六三年の日本の海辺で写した見事なもの、八五年に浴室の鏡に映る姿を写したものである。ネルーダがどのようにして知ったのかはともかく、服を脱ぐというギンズバーグの風聞は遠くにまで届いていたことがわかる。
 さて、フォーレイによるインタビューは、もともとは九六年の十二月四日と十一日にバークレーのFMラジオ、KPFAから放送されたものだが、ギンズバーグの死の三日後、四月八日と、その一週間後の四月十五日にも再放送されたという。フォーレイは『ポエトリー・フラッシュ』の編集スタッフの一人であり、またKPFAの「カヴァー・トゥー・カヴァー」という詩の番組のホストも長年にわたって務めているので、このようにタイミング良く再放送された事情はよくわかる。そしてまた、このような反応が現れてくることがいかにもサンフランシスコ・ベイ・エリアらしい。
 さて、このインタビューから興味深いところを拾い上げ、ここに紹介しておきたい。フォーレイは、ギンズバーグの『選詩集 一九四七〜一九九五』(ハーパーコリンズ、一九九六)に収録されている「ラロンに倣って」という作品について、この詩人自らの意見を求めるところからインタビューを始めている。それに対しギンズバーグはあまり知られていないラロンと自分との関係から説明する。

  ラロン・シャーは十九世紀のベンガルの歌手、詩人、聖人、音楽家で、タゴールに影響を与えました。そして、カルカッタに住む、私の友人で素晴らしい詩人のスニル・ガングリがラロンの翻訳を送ってくれて、私を夢中にさせたのです。それで私はある夜に起きあがり彼の模倣を始めました。私は夜にずっと眠らずに少しずつ詩行を書き加えたのです。大事なのは、各連の最後で、「ラロンはこう言う、もしお前が私の道を辿るなら、お前は地獄に堕ちるだろう」、あるいは「その象は蜘蛛の巣にとらえられ、蟻がどっと笑い始める、とラロンは言う」と書いていることです。それで私はその形式で書きました。(一頁)

 その後、ギンズバーグはこの作品を、『選詩集 一九四七ー一九九五』では脱落してしまったセクション五と六も落とさずに、朗読するのだが、彼は確かにラロンの形式を利用していて、各セクションの最後で「アレン・ギンズバーグは言う……」という詩句を、少しずつ変形しながら、繰り返している。これを読んで私が思いだしたのは中世インドの詩人・神秘家であるカビール(一三九八〜一四四八)も同じ形式を使っているということである。
 カビールもタゴールに影響を与え、タゴール自身に英訳までさせたほどだが、そのタゴール訳がロバート・ブライによって平易な米語に翻案されていることもあり、彼は英語圏(の一部)ではある程度知られている詩人である。私はカビールを日本語に訳してこれまでいろいろな場所で朗読を繰り返してきているが、「カビールは言う……」と頻出する詩句が個人的な形式であるのか、あるいは文学的慣習に即したものなのか、これまでずっとはっきりしない状態だった。それが、思いがけず、ここでベンガル語圏の他の例が見つかったのである。
 ラロンの詩句の調子については、その文脈がわからないのでここでは触れないこととし、カビールとギンズバーグが同一の形式を使いながらどのような違いを生み出しているかということに言及してみたい。先に指摘しておくと、カビールの場合にこの形式は、口承の宗教的伝統のなかで独自な派を立てた人物の固有名の磁力が他の固有名を引き寄せる枠組みを形成するように感じられ、それに対し、ギンズバーグの場合は、固有名を明示することが、感情のレベルでも意識のレベルでも、自分自身を対象化し戯画化するはたらきをしているように感じられる。
 では、それぞれの詩行を引用しながら、具体的に比較してみよう。まず、ロバート・ブライによる『カビール・ブック』(ビーコン、一九七七)から三五番を私の訳によって引く。

聞きなさい 
ともよ
このからだは 
かれのダルシマ
かれが 
弦をぴんと張ると 
そこから 
内宇宙の音楽が現われる
その弦が切れ 
駒が倒れると
塵でできたこのダルシマは 
塵に帰る

カビールは語る
ブラーフマが
そこから音楽を引き出せる
ただ一人のもの

 ここでは、有限の肉体が超越的次元への回路となる秘儀が、ブラーフマの奏でるダルシマとしての肉体という暗喩によって浮き彫りにされている。「聞きなさい/ともよ」と語りかける者のバクティ(信愛)の熱情が、その平明な比喩の背面に貼り付いているようである。このような調子の詩句のなかに「カビールは語る」という形式が現れる。語り手の固有名が不意に示されることによって、詩行の意味の相が一気に転換されて、前段の「かれ」という代名詞に導かれたイメージの展開が「ブラーフマ」という固有名に収斂する瞬間を準備するのである。
 ではギンズバーグはどうだろう。「ラロンに倣って」のセクション四と六を訳出してみよう。

 四

眠れずに私は起きている
 そして自分の死を考える
ーー確実に、それは近づいている
 私が一〇才で
この宇宙が
 どんなに大きいのかと
  考えた時よりもーー
もし私が休息を手に入れなければ
 より早く死ぬだろう
もし私が眠りにつけば
 自分の救いのチャンスを
  失うだろうーー
眠っていても目覚めていても
 アレン・ギンズバーグは真夜中に
  寝ている

 六

私は自分のチャンスを手に入れ
 そしてチャンスを失った
多くのチャンス そして
 それを真剣には受けとめなかった
ああ、そうだ、私は感動した
 恐怖でほとんど気が狂った
私はその永遠のチャンスを
  失うだろう
 人はそれを失った
アレン・ギンズバーグは
 君に警告する
 死滅への
 私の道を辿ってはいけない

 ギンズバーグが亡くなった後にこのような詩行を読むと、彼がいかに生と死を誠実に注視していたかがよくわかる。インタビューのなかで、ギンズバーグは、この詩の最後が意味の相において曖昧さを帯びていると認めているが、その曖昧さは、生の矛盾を真っ直ぐに見つめる率直さから生み出されるものだ。そのような意識のはたらきは、視野に現れるどのような対象も極めて冷静に受けとめることだろう。この詩行のなかの「アレン・ギンズバーグ」という固有名は、この客観的対象化が自己自身に向けられた意識の焦点として作品を支えているように感じられる。この詩が「ラロンに倣って」書かれたものであっても、この点で、まぎれもなくギンズバーグの作品になっていると言えるだろう。
 さて、インタビューの他の部分にも目を向けてみよう。話題は、人生における選択ということから、キーツの「ネガティブ・ケイパビリティー」に関する言及、さらにそこからチャールズ・オルソン、オブジェクティビストの詩人たち、ブレイクの声とギンズバーグの声などをめぐって展開し、そこでギンズバーグの朗読の新しい録音『ザ・バラッド・オブ・ザ・スケルトンズ』(マーキュリー・レコード、一九九六)に触れる。ギンズバーグによれば、『選詩集』の最後の作品である「ザ・バラッド・オブ・ザ・スケルトンズ」は、一種のスウィフト的皮肉を込めた三十三連の政治的解説であり、中絶、イラク、クウェート、チベット、同性愛嫌い、反婚姻法、反同性愛者婚姻法、ガット、ナフタなど、多くの問題を扱っている。ギンズバーグは、フォーレイの依頼に応じて最後の数連を朗読して、録音に協力してくれたミュージシャンについてつぎのように語る。

  録音に加わってくれたのは、ポール・マッカートニー、フィリップ・グラス、レニー・ケイ、デイヴィッド・マンスフィールド、マーク・リボットなどの、有能なミュージシャンばかりです。で、マッカートニーが率先して、私の声のイントネーションに応じて、ドラム、オルガン、マラカス、そして彼自身の非常に卓越したギターを入れてくれました。
  彼は、私たちがベース・トラックとボーカルを入れて彼に送った二十四トラックというものにそれを加えたのです。そして彼は本当にきっちりとそれに手を入れて、圧倒的な劇的構造を与えたのです。そしてマッカートニーが仕事を終えた後、フィリップ・グラスが、他の人たちの先頭に立って、古典的なラグタイム・ピアノのアルペジオで編集し、最後の仕上げをしてくれました。それがマーキュリー・レコードから出たわけです。(八頁)

 優れたミュージシャンが音づくりに心を込めて参加したことによって、このCDはギンズバーグの朗読の最高の記録になったと思う。彼の声について、これまでに聴いてきた経験から受けた印象は、深く豊かに響く声ではなく、むしろ喉を中心として胸から上で響く声で、私にとっては耳に心地よいとは言い難いひび割れた声である、というものだったが、しわがれ気味で少し震えるように聞こえる彼の声は、その力強い独特な調子で私の記憶にしっかりと残ってもいた。その声に音楽を合わせた形式の彼の朗読に関しては、ライブでも、レコードやCDなどでも聴いているが、実際のところあまり感心したことがない。というのは、音楽と合わせた朗読では、彼の声のピッチとテンポが楽器の音から微妙に外れているように聞こえていたからである。むしろ、初期の頃に録音された「吠える」の朗読のように、音楽なしの方がはるかに出来がよかったと思う。しかし、インターネットを利用して取り寄せた『ザ・バラッド・オブ・ザ・スケルトンズ』を聴いてみたら、このCDでは音程とテンポの問題が払拭されて、声の調子が楽器と見事に一致している。この成功の貢献者は、まず第一に、ポール・マッカートニーだろう。
 さて、ギンズバーグのインタビューを読みながら『ポエトリー・フラッシュ』のページをめくっていると、いろいろなページに掲載されている広告に目が向いた。たとえば、一〇頁には、ジャック・ケルアックへのトリビュート・アルバムである『ケルアック キックス・ジョイ・ダークネス』(ライコディスク、日本盤:ビデオアーツ、一九九七)の広告がある。
 このCDについては、日本盤の発売前に試聴版を聴く機会があり、そのことを別冊ミュージック・ライフ『ザ・ディグ』五月/六月号(シンコー・ミュージック、一九九七)掲載の「リアルタイムの即興舞台」という小文のなかで簡単に紹介したことがある。 このCDでは、二〇人以上の詩人、ロッカー、映画俳優がケルアックの作品を朗読していて、とても興味深い内容になっている。『ポエトリー・フラッシュ』の広告をぼんやりと見ているだけでは見落とすかもしれないが、ケルアックの写真の右となりに参加したメンバーの名前が小さな活字で印刷されていて、上から読んでいくと最初にケルアック、次にウィリアム・バロウズ、アレン・ギンズバーグと続いていく。その後を見ていくと、ビート・ジェネレーション関係はローレンス・ファーリンゲッティくらいで、圧倒的に年下の世代の参加者が多いことがわかる。そのなかには、ロバート・ハンター、パティ・スミス、ジム・キャロルなどのいかにもこのCDにふさわしい詩人・歌手たちをはじめ、エリック・アンダーソンのように懐かしいシンガー・ソングライター、ジョニー・デップ、マット・ディロンのような映画俳優、マギー・エステップのような九〇年代のスポークン・ワード界の詩人などが含まれ、その他、ロック、パンク関係のシンガー、ミュージシャンが並んでいて、ケルアックがいかに広い範囲に影響を及ぼしていたかが察せられるメンバーとなっている。
 ここに収録されているのは、このように多彩な参加者がいろいろなセッティングでケルアックの作品を朗読したものであり、ほとんどがこのCDのために録音されている。録音の形態でもっとも唸ってしまったのは、ロバート・ハンターである。彼は『ビジョンズ・オブ・コーディー』の一節を朗読しているが、英文テクストの説明によると、ハンターは自分の車のカセット・プレーヤーでケルアックのスキャットを小さく流しながら、「路上」の車のなかで自分で録音したという。そのコンセプトにおいて、他の洗練されたスタジオ録音による参加者のだれよりも、ケルアックの追悼にふさわしいものになっているように思う。
 ギンズバーグについては、九六年のニューヨーク大学のケルアック・トリビュートで彼が朗読したケルアックの未発表作品「ザ・ブルックリン・ブリッジ・ブルース」が収録されている。この録音では、ギンズバーグの声は豊かな響きが一貫して保たれていて、以前よりもはるかに魅力的な声で朗読している。この朗読は音楽なしに声のみでおこなわれており、スタジオで時間をかけて制作された『ザ・バラッド・オブ・ザ・スケルトンズ』とは好対照をなしている。他の朗読のほとんどが音楽を伴っているから、声のみの朗読はかえって際立つ結果となっている。
 それに対して、バロウズは、「オールド・ウェスターン・ムービーズ」という詩を、ギター、ベース、パーカッションなどの演奏とともに読んでいるのだが、これがまたいいのである。ジェームズ・レイボウのギターが西部劇風のムードをたっぷりと掻き立て、喉の奥まったところで響くバロウズのかすれ声がゆっくりと進んでいく。バロウズの自作朗読もLPレコード、CDなどで親しんでいたが、ケルアックの作品の見事な朗読ぶりを聴くと、あらためてバロウズの死が惜しまれる。ギンズバーグもバロウズも、その衝撃的な生涯の最後に、ケルアックへの追悼の朗読を、各々の声の深化の魅力とともに、CDのなかに記録として残したわけで、このようないい朗読を聴くと、本という形式とは違ったCDの音声メディアとしての力を実感する。さらに、日本盤では、CDサイズのハード・カバーの本として、ケルアックの英語テクストと、その邦訳が収録され、それに含まれる形で、オリジナルCDと、さらに日本盤だけのボーナスCDが添付されている。本とCDの両方の良い点が結び合わされた『ケルアック キックス・ジョイ・ダークネス』は、ケルアックに対する優れたトリビュート・アルバムであると同時に、ギンズバーグとバロウズの最後の時期の魅力的な声を記録した記念すべき作品にもなったのである。
 『ポエトリー・フラッシュ』に掲載されている他の広告に目を向けてみると、十八頁は全面がマーキュリー・レコードの広告で、ニュー・アルバムとして、ザ・ラスト・ポエツ『タイム・ハズ・カム』(マーキュリー・レコード、一九九七)と、シーコー・サンディアータ『ザ・ブルー・ワンネス・オブ・ドリームズ』(マーキュリー・レコード、一九九七)が上下に大きく紹介されている。ここには宣伝されていないが、マーキュリー・レコードは他にも詩のCDを発売しており、『グランド・スラム ベスト・オブ・ザ・ナショナル・ポエトリー・スラム VOL1』(マーキュリー・レコード、一九九六)、マギー・エステップ『ラブ・イズ・ア・ドッグ・フロム・ヘル』(マーキュリー・レコード、一九九七)などが注目すべきものだろう。
 これらはすべてインターネットを通じて購入できるのでとても便利である。私は四枚全部入手したが、詩と音楽の統合の度合いにおいて水準が高いと感じられる点で、以前にこのコラムで紹介したことがあるサンディアータのCDが、私には、もっとも魅力がある。これについては、少し詳しく紹介してみたいので別の機会に言及することにしよう。
 『グランド・スラム』には、合衆国各地の州から集まった詩人たちが次々と登場して、聴衆からの熱い反応を求めて自分の作品を思いを込めて朗読するポエトリー・スラムならではの雰囲気が十分に感じられる。登場するのは若手の詩人ばかりであるが、『ケルアック キックス・ジョイ・ダークネス』にも参加していたマギー・エステップがこれにも登場している。ここでは彼女の代表的な作品「西半球の性の女神」を自信たっぷりに読んでいる。これがライブの場であったら、聴衆の感情面に訴えることを最大限に狙って劇的に朗読する姿勢をそのまま受け入れやすいとは思うが、CD全体を通して聴いていると、全般的に声の表情の肌理が粗すぎるところが目立ち、チャンピオンを決定するために朗読を競い合うというポエトリー・スラムの基本コンセプト自体を疑問に思ってしまった。 
 マギー・エステップの最新アルバム『ラブ・イズ・ア・ドッグ・フロム・ヘル』は、彼女の最近の創造力の集約した結果として、その元気な姿勢がよくわかる。ただ、音楽がいささかデジタル・サウンド的単調さに傾いているのが私には食い足りない。彼女のアルバムのタイトルの由来についてはどこにも触れていないので断言できないが、チャールズ・バコウスキーの一九七八年の詩集のタイトルからとったものだと思われる。エステップの詩の背景において、バコウスキーの精神への連関性があるとすれば興味深いところである。この辺の事情については今後の課題として考えてみることにしたい。
 さて、『ポエトリー・フラッシュ』の二十一頁には、四分の一頁大の広告として、CD四枚組の『イン・ゼア・オウン・ボイスィズ 録音された詩の一世紀』(ライノ、一九九六)が掲載されている。この声のアンソロジーは、ホイットマン(一八一九〜一八九二)の非常に珍しい肉声に始まり、一九五七年生まれの中国系アメリカ詩人、リ・ヤング・リーの声までが集められている。英詩人のイェーツ、オーデン、スペンダー、ディラン・トマス、ロシアからの亡命詩人であるジョゼフ・ブロツキーなども含まれているので編集上の意図が曖昧な点があるけれども、アメリカ詩の民族的背景の広がりと、それに対応する詩の主題の多様性が理解できることは確かである。収録されている詩人のなかにはもちろんギンズバーグも含まれていて、ここでは初期の作品「アメリカ」の朗読を聴くことができる。私はこれもインターネットを通じて入手していたが、収録されている詩人の数が多いので、この四枚組CDに関しては別の機会にあらためて紹介したいと思う。
 『ポエトリー・フラッシュ』の広告にある詩のCDをとり上げてみたが、三頁には名刺サイズくらいの広告で、リサ・ベルロという初めて目にした名前の詩人のCD、『ホーム』(トゥーンズ・レコード)が小さく紹介されている。レコード会社の連絡先としてコロラドの住所が載っているので、この詩人もおそらくコロラド在住の詩人ではないかと思われるが、詳細は不明である。この例のように、アメリカにおける詩のCDの制作の現状はまだまだ広いのであって、インターネットでは入手できないものの方が多いようである。現に、この数年間に制作された詩のCDで、聞いたこともないところで制作されているものを、私は数枚持っている。サンフランシスコ・スポークン・ワード・バンド『ヒーヴィング・イン・タングズ』(ラディカル・ハウス、一九九三)、ピリ・トマス『サウンズ・オブ・ザ・ストリート』(シェベロウト、一九九四)、ナサニエル・マッケイ『ストリック』(スポークン・エンジン、一九九五)などだが、いずれも旅行中に書店でたまたま見つけたもので、インターネットでも、新聞・雑誌でもこれらの広告は目にしたことがないからかなり珍しいものではないかと思う。
 このような入手しにくいCDは別としても、本とは異なり、実際に詩人の声が響いてくる詩のCDが制作される状況は今後ますます盛んになることだろう。メディアの表現可能性としては、音声、画像(静止画・動画)、文字テクストのすべてを記録できるCD−ROMの方が優位に立っていることは事実で、『ポエトリー・イン・モーション』(ボイジャー、一九九二)、『ポエトリー・イン・モーション・』(ボイジャー、一九九五)、『ジャック・ケルアック・ロムニバス』(ペンギン、一九九五)などをモニター上で読んで、見て、聴いていくと、そのことがはっきりと実感できる。ただ、制作の容易さ、機器の値段の安さ、普及範囲の広がりから考えれば、CDの方がはるかに利用しやすいメディアであって、その状況はまだ数年は変わらないだろうと思う。
 こうした状況の一端が『ポエトリー・フラッシュ』の記事の周辺に埋め込まれた広告に反映されているわけだが、詩人の生涯、詩人の肉声、文字テクストなどの情報が結びつけられ、交錯する現場から立ち昇る響きにこれからも私の耳を傾けていよう。