サンディアータって誰

アメリカン・ポエトリー・コラム (17)

『gui 』47号(1996)より


野坂政司



 アメリカ合衆国で詩が情報の網にすくいあげられる形態を考えてみると、旧来の活字メディアにおいても変化はあるが、最新の電子メディアにおいては急速に大きく変化してきていることが強く感じられる。活字メディアでの変化については、『ニューヨーク・シティー・ポエトリー・カレンダー』の変化に触れておきたい。これまでは、A3版を縦長に少し拡大したサイズの一枚の裏表に、ニューヨークで開催される一ヶ月間のポエトリー・リーディング、ワークショップ、イベントなどの予定が小さな活字でぎっしりと詰め込まれていた。それが、一九九五年の九月から、紙名が『ポエトリー・カレンダー』に変わるとともに、大きさがA4版の縦を少し縮めたサイズ(縦二七センチ三ミリ、横二〇センチ九ミリ)に変わり、ページ数が一気に増えて十六ページになったのである。十月号は同じページ数だったが、十一月号はさらに増えて二十四ページになっている。このコラムでよく言及する『ポエトリー・フラッシュ』(B4版を縦横に少し拡大したサイズで、九五年の十/十一月号では三十六ページある)と比べると、新しい『ポエトリー・カレンダー』は小さくてスリムであり、とてもスマートである。

 『ポエトリー・カレンダー』は創刊から数えて九五年九月で二十年目に入ったところであるという。創刊以来まったく紙型が変わらずにいたこの情報紙の思いきった変身は、シャロン・マトリン(これまで十五年間その任を務めていた)からマーティン・パディオに編集者が交代して、おこなわれた。この情報紙はポエトリー・リーディングが提供されるスポットなどで無料で配布されているが、毎月一万部を上回る部数が読まれているようであり、そのうち七百部前後が直接購読されているとのことである。ニューヨーク市の芸術のための財団の援助を受けているとはいえ、それに加えて、ほんのわずかの直接購読料(これまでは年間十ドルだったが、この変身に伴い年間二十ドルに値上げとなった。日本からの購読にはそれに十五ドルの郵送料を合わせて払い込むことになる。)と寄付があって、やっと発行が可能になっている状態で、懐具合はまことに厳しいものであるようだ。直接購読者の一人である私のところにも、新しい編集者のマーティン・パディオ名で寄付の依頼がきていたくらいである。

 この変身は読者には幸いにも好意的に受けとめられたようで、十月号には、読者からの好意的な便りが多くあったことへの編集者の感謝の辞が載っていた。しかしながら、十九年続いた紙型がかわったことへの異議も寄せられたようで、パディオ氏はニューヨークでの催しが一枚のカレンダーにはおさまりきらないほどに多いのでこれもやむを得ないのだという弁明をして、ニューヨークの活気を生み出している多彩なポエトリー・リーディングのすべてをここで紹介していきたいと前向きの姿勢を示している。確かに毎日多くのポエトリー・リーディングがおこなわれていて、平日で少なくとも五、六カ所、土、日になると十カ所から十五カ所くらいのスポットでおこなわれているのである。リーディングが盛んにおこなわれていることに関してはサンフランシスコ・ベイ・エリアでも同じ状況にあるわけで、創造活動への制度的支援については暗い時代へと傾斜してきているとしても東海岸と西海岸の詩の二大中心都市の創造的活力は健在である。

 さて、ここで電子メディアにおける詩をめぐる状況に目を向けてみたい。焦点はインターネットの電子テクストである。私はインターネットを使い始めてまだ八カ月しか経っていないが、インターネットが情報手段としてどれほど大きな力を秘めているかということはこの短い期間の経験でも十二分に感じさせられてきた。それまでの数年間は、ネットワークに関してはニフティサーブの会員としてパソコン通信の一端に触れてきただけである。海外のネットワークについては、未詳の人名について調べる必要がある時に、ニフティからアメリカのコンピュサーブにアクセスして人名の検索をしたことがあるという程度だった。そのような経験しかなかったので、インターネットでアクセスできるデータの深さと広さ、その操作の容易さを知ってすっかり驚いてしまった、というのが率直な印象である。

 さて、インターネットの電子テクストだが、私が感心したのはその図書館の機能である。西暦二〇〇一年までに一万点の英語の古典的な作品をどんどん電子テクスト化してネット上で提供していこうとする現在進行中のグーテンベルグ・プロジェクトはその代表的なものだろう。その他にも、バージニア大学や、カーネギー・メロン大学で文学作品の電子テクスト化が進行中であるし、ニューヨーク州立大のバッファロー校のEPC(エレクトロニック・ポエトリー・センター)でも現代アメリカ詩のデータベース化を進めつつある。また、文学雑誌の電子化も進んでおり、さまざまなタイプの電子文学雑誌がネット上で公開されている。作品の電子化以外にも、一人の作家・詩人の多様な情報を提供するものや、文学運動やジャンルに関するものは数多くあって、ビート作家・詩人に関するホームページはかなり良質のものである。

 ここで、前回に言及したビル・モイヤーズのドキュメンタリー・フィルム、『ザ・ランゲージ・オブ・ライフ』に目を向けてみたい。このフィルムが気に入った私は、ダブルデイ社から出版されているこの本の最後にビデオ販売の広告が載っているのを見つけ、結局注文して、シリーズの全巻を入手した。実は電話で注文したところ、ビデオの販売に関する条件があって日本からは直接購入することができないと言われたので、ニューヨークの知人に送ってもらい、そこから私のところに送ってもらうという遠回りの方法をとったのである。時間はかかったが、実際それだけの収穫があった。このフィルムに登場する、日本ではほとんど知られていない何人かの詩人たちの素晴らしいパフォーマンスに出会ったからである。

 そんな詩人の一人がシリーズの第一回に登場した詩人のシーコウ・サンディアータである。サンディアータの朗読と、クレイグ・ハリスに率いられたバンドの演奏のコンビネーションがなんと魅力的なことか。バンドの楽器編成は、バンドリーダーのハリスのトロンボーン、他にピアノ、ギター、ベース、ドラムスとなっている。ビデオのクレジットによると、ミュージシャンは、ハリスの他に、ダレル・グラント、カルビン・ジョーンズ、トニー・ルイス、ウィリアム・ホワイトである。アメリカ現代詩におけるこのタイプの詩と音楽の組合せにはかなり親しんできていたにも関わらず、まったく不明なことに、私はそれまでこの詩人のことを全然耳にしたことがなかった。本の『ザ・ランゲージ・オブ・ライフ』によると、彼はニューヨーク市のイースト・ハーレム生まれのアフロ・アメリカンで、現在はニューヨークにあるザ・ニュー・スクール・フォー・ソーシャル・リサーチという学校で教えており、バンドと共に国内、ヨーロッパでポエトリー・リーディングのツアーしている、ということである。モイヤーズによるインタビューへの返答から彼の考え方や姿勢などについてかなり情報を得ることができたのであるが、残念なことに彼の年齢のような単純なことがよくわからない。映像に映し出される外見からは三十代後半から四十代前半くらいかに見えるが、ビデオでも本でも年齢はわからないのである。それで、インターネットを使って調べたら、多少の伝記的データを手に入れることができるかもしれないと思って、彼の名前で検索してみた。すると一件だけ該当するものが見つかったのだが、これがまた発見だった。

 というのは、ネット上に、この『ザ・ランゲージ・オブ・ライフ』のホームページが開設されていて、検索の当然の結果として彼の名前が出てきたということだったのである。さっそくアクセスしてみると、最初にこのシリーズに登場する詩人名一覧が示され、そこから詩人名をクリックして個々の詩人の作品と詩人の紹介へと進んでいくことができるようになっている。そこに掲載されているのは、詩作品のテクストを中心に、詩人の簡単な略歴、発言の一部、これまでに発行された詩集の情報などである。ところが、その情報量は、本の『ザ・ランゲージ・オブ・ライフ』のそれにも、ビデオのそれにも、全然及ばない。つまり、そこには、本に掲載されているインタビューの部分がほとんど落ちており、ビデオの画像も音声も無いのである。これはどういうことなのだろうか。画像や音声を取り込むことが可能なウェッブサイトで文字テクストだけを、しかも本のなかのごく一部に過ぎないテクストを、提供することにどんな意図があるのだろう。このネット版はあくまでも本やビデオの販売を促進するためのデモ版程度の意味しか与えられていないように思われる。このことは、ネットワークでの情報の送り手あるいは受け手の思惑によっては、多彩な表現力の可能性を秘めた電子メディアが既存の表現力の範囲内で使用されるだけにとどまる、という退屈な真実を示しているのだろう。ともあれインターネットでもシーコウ・サンディアータの背景についてはよくわからないということがわかった。

 現在入手可能な出版物に関して調べるときに役に立つ出版目録の『ブックス・イン・プリント』には、サンディアータの詩集として『フリー』(シャマル・ブッックス、一九七七)が一点のみ掲載されているだけである。他に彼の作品を収録しているアンソロジーに、ミゲル・アルガリン、ボブ・ホルマン(編)『アラウド ニューヨリカン・ポエツ・カフェからの声』(ヘンリー・ホルト、一九九四)があるが、この詩選集にしても彼の作品は三篇しか収録されていない。また、この『アラウド』には詩人の簡単な紹介が載っていて役に立つこともあるけれども、彼については簡略すぎる説明しかない。他の詩人たちには生年の記述があるのに、彼についてはそれもないのである。彼に関する情報がこのように限られているので、この詩人の考え方を知るには、本の『ザ・ランゲージ・オブ・ライフ』からインタビューに答える彼の発言を読んでいくのが一番だろう。これから彼の発言を読んでいくが、その前に作品を一つ訳出しておこう。


「まばたきをしてごらん」
 (スターリング・A・ブラウンを思い出して)

俺の彼女に会いに行く途中だった
でも警官がこう言った
赤信号、赤信号、赤信号なのに
進んでいるぞ
彼女に会ったら
君だってわかるだろう
俺はまさに男だっただけだ
信号なんて関係なかった
車に乗っていたんだ
俺が車に乗ってるのを見れば
それがわかっただろうな
サンルーフ
ステレオ・ラジオ
黒いレザー
バケットシートに低くおさまって
車体はクールだ
でもタイヤはすりへっている
つらい時間がくれば
車に乗って
それが消えれば 
つまり信号が緑になれば
車に乗って

目覚ましがなくたって
朝に目を覚ますことはできただろうに
そして俺の世界は違っていただろうに
まばたきをしてごらん
すべては すべては肌次第だ
すべては
自分の棲み込んでいる肌次第だ

窓まで警官が来る
手には銃を持っている
どうした? どうなっているんだ?
俺は言った
その時に
自分が本当に法を犯したんだと思う
彼は決まり文句を口に出した
車から出るんだ
決まり文句、姿勢をとれ
両手を上にあげろ
決まり文句だよ
ちょうど君が注意を払わないような
免許証と登録証
夜は深く、北極星の光が
車のドアに、デジャヴュ
前にこんなことがあった
どうして俺を止めたんだ?
誰かが
お前を止めなけりゃならなかった
俺はニュースを見る
お前はいつも負ける
お前は信頼できない
それは否定できない
本気で言うんだが
お前はたぶん危険な奴だ

目覚ましがなくたって
朝に目を覚ますことはできただろうに
そして俺の世界は違っていただろうに
まばたきをしてごらん
すべては すべては肌次第だ
すべては
自分の棲み込んでいる肌次第だ

ニューヨーク・シティー
警官がいる
ブラザーたちは運転できない
外で
ある地区で、特定の道路で
ある種の人々の近くや周りで
警官がいる
すべては すべては肌次第だ
すべては
自分の棲み込んでいる肌次第だ


 この詩では、ニューヨークの生活のリズムが、劇場でもなく、高層ビルでもなく、まさに街路に生きる若者の呼吸によって生気づけられている。語り手は、恋人のところへ行こうと車をとばして、信号無視をしてしまい、警官に尋問されている黒人の若者である。他愛ないと思われたエピソードが、皮膚の色による差別の言及によって、巨大な都市における人種問題と警察の権力の問題へとその言説の枠組みを拡大していく。インタビューで「実際のところ、この詩は有色人種の男性、アフロ・アメリカとラテン・アメリカの男性にとって共通の経験を示している」(三九八頁)と説明を加えているように、この詩は、黒人男性に限定されない民族性と差別の爆発寸前の状況を描いている。

 ビデオでは、この詩の朗読が、音楽の演奏と共に映像として提示される。その映像を見ていて最も強く印象づけられるのは、バンドの演奏と相互に働きかけあいながら共同の場を生成する音声の領域に向かって活字の引力圏から軽やかに離脱する詩人の声である。表現の簡潔さを感情の深さと融合させるサンディアータの声が、ステージから聴衆に向けて放たれるメッセージの魅力的なメディアとなっていることがよくわかる。

 聴衆と同じ場面を共有するポエトリー・リーディングの経験を詩人本人がどのように認識しているのかということは、興味深い問題である。サンディアータは、聴衆との双方向的な関係を求めようとする自分のスタンスが、黒人文化における語りの伝統、とくに黒人バプティスト教会でのその経験に根ざしていると認めており、そのことについて、インタビューで次のように述べている。


 私の詩の実践は、自分の黒人文化の経験に、とりわけニューヨークや南部の黒人バプティスト教会に、根ざしています。私は生まれも育ちもイースト・ハーレムですが、私の片足はずっとサウス・キャロライナにあったし、またフロリダに親戚もいます。それで、北部と南部の両方の黒人バプティスト教会の文化の影響で、私は言葉、演劇、劇場、音楽、そのすべてに魅了されるようになったのです。(三九一頁)

 私が聴いた最初のものは言葉だったと思います--いずれにしても私は言葉に惚れ込んでいました--もっと正確に言うと、説教壇から語られる言葉と音楽との間に存在する全体的概念としてのテクストを聴いたんだと思います。それは別々のものですが、どうにかして、語られる言葉と音楽は共に一種の生きたテクストを形成します。もちろん、子どもの頃にはそんな風に表現することはできませんでしたが、私は牧師さん一人一人の説教のスタイルがわかりましたし、それを真似することもできました。私はそのリズム--呼吸するところや停止するところ--に耳を傾けたものでした。それから、私は、合唱隊と、ピアノ奏者あるいはオルガン奏者と、牧師の説教の関係に耳を傾けたものでした。(三九一〜三頁)

 牧師がなにかを言うとしましょう、すると次にオルガン奏者が、それに対する自分の意見として、あるコードか二・三の音符だけを鳴らすかもしれません。あるいは、合唱隊が自分の意見をなんらかのやり方でするかもしれません。聴衆からの声による反応が常にあります。その言葉やテクストが真実だと感じたものについて誰かが証言するわけです。私は現在自分がしていることの中にこうした要素がすべて生きていると思います。(三九三頁)

 長い引用になったが、このような発言から、アフロ・アメリカンの文化的伝統、とりわけ黒人バプティスト教会によって伝えられてきた口承文化の雰囲気の中で、この詩人が成長してきたことがよく理解できる。個人の経験を超えた大きな枠組みである伝統の連続性という視点から見れば、彼と共通の経験を持つものは少なくないであろう。しかし、声と音楽のこの伝統にたっぷりと浸かってきた彼の経験は、世代や地域などの個別的な観点から言えば、どのような範囲で共有されるものなのだろうか。というのは、ニューヨークのイースト・ハーレムという地域に限定しても、そこに生まれ育ったアフロ・アメリカンの誰もが彼と共通の文化を生き抜いてきているとは限らないからである。従って、彼がどのような文化の波をどのような年齢でくぐり抜けてきたかという固有の経験が、より大きな枠組みの中で占める彼の位置を知るよい指標となる。その意味で、ジャズに多くを学んできたことを自認する彼にモイヤーズが「どんなジャズ・ミュージシャンがあなたに最も影響を与えたのでしょうか」と質問したときの、彼の答えはとても参考になる。彼は次のように語っている。

 チャーリー・パーカーと、ジミー・ヘンドリックス、そしてジョン・コルトレーンと彼の楽器、テナー・サキソフォンのサウンドです。この北部の都市と南部の田舎の両方の経験があるのは面白いものです。というのは、私が初めてコルトレーンを聴いたときに--十四歳か十五歳だったと思う--私に聞こえたのですが、それをはっきり言えなかったのが、朝の雄鶏の声のようなあの田舎の農業の音だったからです。私にはあの音楽がわからなかったのですが、そこになにか十分に馴染みのあるものがあることはわかったのです。(三九三〜四頁)

 チャーリー・パーカーとジョン・コルトレーンと共にジミー・ヘンドリックスの名前があげられているので、彼がどういう世代かがわかる。チャーリー・パーカーは彼がジャズに親しむようになってからLPで聴いたのだろう。しかし、コルトレーンとジミー・ヘンドリックスに関してはリアルタイムで聴いたに違いない。彼はブラック・ムーブメントが白熱していた六十年代に思春期を迎えジャズとロックの両方を聴いていたはずである。しかもその音楽的経験を支える彼の音一般の受容の枠組みには、ニューヨークのイースト・ハーレムの都市的サウンドスケープと、南部の田舎の農場のサウンドスケープが二重に組み込まれていた。それによって、彼が中学生の年齢でコルトレーンを初めて聴いたときに、その音楽をまず馴染み深い音として聴くことができたのである。

 音楽への接触がこれまで見てきたように非常に恵まれていて豊かなものであったのに対し、詩についてはどのような接触をしてきているのだろうか。小学校、中学校の頃は、本を読むのが好きで、図書館も好きだったというのに、詩に特に関心はなかったようである。宿題で詩を暗記したこともあったようだが、彼の想像力に訴えたことはなかったということである。彼の詩との最初の出会いについて、彼は次のように語っている。

 私が詩として考えるような詩に初めて出会ったのは一九六〇年代の終わり頃です。私が聞き始めたのは、アミリ・バラカや、このフェスティバルに実際来ているヴィクター・ヘルナンデス・クルスのような詩人たちです。(三九五頁)

 驚いた。バラカもクルスも、このコラムで何度か言及してきているが、この二人の詩人から詩に親しみ始めたということは、とても面白いことである。今日のアフロ・アメリカンの若い男性詩人にとって、アミリ・バラカの名を挙げるのは極めて自然なことである。しかも、バラカは、ジャズ評論も書き、ジャズ演奏と共に詩の朗読を繰り返してきた詩人であるから、サンディアータと同じ文化的系譜に位置することになるし、黒人文化を基底とする革命的闘争と文化運動に身を投じてきた筋金入りの大先輩詩人である。バラカの詩の何が彼を惹きつけたのかという点について、彼はこう語る。

 アミリ・バラカに「ウィズ・ユア・バッド・セルフ(お前のとびきりの一面で)」という詩がありました。私は詩の中でそんなことが言えるなんて知らなかったのです。つまり、近所の人々の間では私たちはいつでもそう言っていたのですが、彼はそれを詩の中で言っていたのです。……ジェームズ・ブラウンのヒット曲でその行を含んだものがありました。それで、それはスラングの言い方だったのですが、彼はそれから文学を創り出したのです。それが本当に私にできるようにしてくれたのです。それはドアを開いて、こう言ったのです、「ちょっと待ってくれ。自分が話している言葉の中に詩がある。だから、私の文化の中に、そしてこの場所に詩があるんだ」。
(三九五頁)

 バラカの詩の言葉はサンディアータの日常生活で普通に使われている言葉と一致していた。その点が、学校で学んだ詩と決定的に違っていたのである。彼にとって自分の黒人文化の豊かさに目を向ける窓が、ジャズだけではなく、詩に対しても開かれたわけである。詩の主題に関して言えば、バラカの場合はアフロ・アメリカンの精神風土から同時代の第三世界の政治状況に及んでいた。そのことは、サンディアータが都市生活で遭遇したはずの文化の多様性という現実に対応していたに違いない。一つの例をあげれば、レゲーを今日のレゲーたらしめた最大の功績者であるボブ・マーレーの死後に彼を追悼する力強くて痛切な詩をバラカが書いていたことをこのコラムで前に紹介したが、その作品は、北米に押し寄せるヒスパニック文化の潮流の波頭で輝くカリブ海域文化の力をアフロ・アメリカンの精神風土に刻印したものだった。そのような作品を読む、あるいはバラカの圧倒的な迫力の朗読を聴くということは、ボブ・マーレーという卓越したシンガーの生を追体験しながら、同時に、背景の異なる文化表象が国家という制度的境界線を越えて浸透し合う過程から現実が構成されていることを知らされることでもあった。もちろん、サンディアータがバラカの詩に出会ったのはこの詩が書かれた時よりも十数年前のことである。しかし、五十年代から第三世界に目を開いていたバラカの詩によって詩に導かれたということは、日常的語彙がそのまま詩的言語として成立することを知らされただけにとどまらず、詩によってアフロ・アメリカンの精神的ルーツを掘り下げていくことがそのままアクチュアルな世界認識に通底するという意識の地平に導かれることでもあった。

 では、プエルト・リコ出身のクルスの詩との接触はどうだったのだろうか。ニューヨークにヒスパニック系の住民が大勢住んでいるということと、ニューヨークに住む若者がヒスパニック系の詩人の作品に触れることとはほとんど関係がない。彼がクルスの詩を読むことになった事情について述べている箇所を読んでみよう。

 
私は住宅提供事業の環境で育ちました。私たちがこの住宅提供事業のことを考えたりすることは一度もありませんでした。私たちはただそこに住んでいただけです。ところが、ヴィクター・ヘルナンデス・クルスや他の詩人たちがこの住宅提供事業やその地区に住む人々のことについて書き始めたのです。そうして、考えるようになり、内省するようになったのです。彼らの詩はこの世界を特定のやり方で命名し、学校では背景にあったり周縁あるいは外部にさえおかれたりしていたものを前景化したのです。(三九五頁)

 クルスの詩の主題がサンディアータの生活環境に結びついていたのだった。クルスの詩はイースト・ハーレムの住宅提供事業という環境を初めて詩の主題として対象化した。そのことによって、自分の身の回りの環境をあらためて考えるきっかけが彼に与えられ、彼は現実に対する新しいまなざしを持つことができた。いわば、それは認識の枠組みの図と地が入れ替わるような経験だったのである。しかも、その経験は、具体的で身近な指示対象を持つ言葉に出会うことによって生じたのであった。彼はそれについて次のように語っている。

 彼はこの地域社会のことを語ります。彼が使う名前はまさにその隣人たちから採られています。たとえば、私の知っている人でリトル・マンと呼ばれている人がいますが、それは彼が使っている名前の一つなのです。そして、こういう名前は学校で見せられた詩の中にはないのです。従って、私がこの詩を見つけたとき、それは、詩が学校の外で存在できる、また法律をちょっと越えたところで存在できるという考えを公認してくれたのです。学校のカリキュラムには法に従うところや権威的なところがありますからね。(三九六頁)

 地域社会の日常性の中から作品に使われる語彙が選ばれているということである。ただ、ここで確認しておきたいのは、日常生活の中からとられた語彙や主題がただ単に平明でわかりやすいからという理由で彼がクルスの詩を読むようになったのではなく、その平明な表現による詩の世界が、学校で読まされた詩では出会えなかった新しいリアリティーを彼に確信させたということである。彼は「詩が学校の外で存在できる、また法律をちょっと越えたところで存在できるという考え」が公認されたと述べている。この発言に示唆されているのは、詩の言葉の力によって、イースト・ハーレムの地域社会で生きている無名の人々の個々の生の状態が固有の名を備えた生となりうることを実感できたということだろう。クルスの詩では、このコラムですでに紹介しているように、カリブ海域の文化圏から中南米全体に対して彼の視線が向けられているし、詩の言葉そのものにもスペイン語の響きが入り込んでいる。ところが、サンディアータは、クルスの詩の中に織り込まれているヒスパニック的要素の連想の拡がりに目を向けるより先に、クルスのもう一つの面である北米の都市生活の要素に自分自身の生活環境との同一性を発見したのである。特に明言していないことだが、スペイン語を混ぜることによって英語の統語が変わってもいいと後に書くことになるクルスの言語意識に共振したのかもしれない。そのような言語こそ学校の外で出会うものであり、異文化の境界が滲んで重なり合う都市の現実を反映するものであるから。

 さて、若いサンディアータがバラカとクルスの詩によって詩への目が開かれたということ、そしてそれが生活環境に根ざした音楽や言語の共通性を基礎としていたことを、見てきた。彼の詩の出発点はアフロ・アメリカンの文化とヒスパニック文化の交錯するところにあったのである。このようなところから出発して、彼がどのように進んできているかが窺えるもう一つの作品がある。ビデオではそれを朗読する場面が収録され、本でも、インターネットでも引用されている作品である。


「ディジェリドゥー」

正気の心で
君は言う、そんなことは
できない、「ワイヤーなしの
高吊りワイヤー歩き」なんて。
君は、息を吐き、息を吸う、
休止なしで、
継ぎ目のない流れが
感じられるくらい長く。
音楽は決して中断しない
君が止めるとそれは止む。
その言葉はディジェリドゥー、
循環呼吸だ、
聞こえるものと
信じる気に
させられるものとの間の
変換点、風が
木のなかを通り抜ける
静脈の内壁に逆らう
血圧
卵子と精子の引力
眠気を誘ううなりに変わる
州間高速自動車道の
夢のようなマントラ
いったんこんなに遠くまで来ると
道に迷ってもいいくらいだ
君が夢に見ることは
君が知っていることよりも深い。
心が根元で
たてる音のように
思考の習慣よりも
低いところで、
シナプスと突起の
見えない動きの下で、
溜息の、視線の、
見えない動きの下で。
それはどんな話をするのだろうか?
私たちが知っているような
呼吸の終わりの
木と肺と空気
私たちには説明できないこと
私たちがかけられたいと思う呪文


タイトルの「ディジェリドゥー 」というのは、バンド・リーダーのクレイグ・ハリスがオーストラリアを旅していたときに出会ったアボリジニーの人々からその儀式的使用法と演奏法を教えてもらった木管楽器で、ビデオでは、ハリスが演奏しているところが映されるが、尺八を巨大にしたような形状で、直径が十センチ近くで、長さは一メートル数十センチくらいだろう。サンディアータは、この楽器の深い響きだけではなく、その演奏に必要な循環呼吸の技術に魅了されたという。実際、作品の内容は循環呼吸を切り口として、理性的な心と常識、呼吸と循環呼吸、肉体と性、高速道路とマントラ、アボリジニーの夢の時間、思考の習慣と無意識、などの観念が折り重ねられていく。この楽器で演奏される切れ目のないサウンドに導かれるように、観念の連想が循環しながら夢の起源に降り立つ過程を辿っていくようである。
 本には見あたらなくて、インターネットの作品への注解にあったものだが、「ワイヤーなしの/高吊りワイヤー歩き」という詩行は、あるインタビューで、アメリカ人作家のE・L・ドクトローの、身につけた技術でどういうことをしようとしているかという質問に答えた「ワイヤーなしの高吊りワイヤーの芸」という表現が典拠だということである。この引用が、作品の焦点である循環呼吸の妙技の隠喩として使われていること、そして以下の観念の連想を展開させるきっかけになっていることに気づくと、サンディアータの作品が緻密な構成意識によって組み立てられていることが納得できる。
 このような作品を読むと、バラカとクルスの詩によって詩に対する目を開かれたこの詩人にはこれから目が離せないと思う。また、多くの人がアフロ・アメリカンの声の伝統に根ざした彼の朗読を聴く機会があればいいと思う。
 今回は、サンディアータとの比較のために『ザ・ランゲージ・オブ・ライフ』からクルスの新しい作品を訳出して、この稿を閉じよう。


「今日は大いなる喜びの日」

彼らが
郵便物のなかの詩を
引き止めて、そして 詩に合わせて
手をたたき、踊る時

詩のそばで
女たちが妊娠して
河を進ませる最も強い
響きになる時

それは大いなる日

レストランの
バーの映画の群衆のもとに
詩が降りかかるので

詩が壁を打ち壊し始めて
政治家たちの息を
詰まらせる時

詩が悲鳴をあげ そして
空気を引き裂き始めるとき

それは真の詩人たちの
時それは
偉大さの時

一人の真の詩人が
詩の狙いを定め そして地面に
ものが落ちるのを見つめる

それは大いなる日