聖書で聖書を読む

ローマ書講読

 

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ローマ書講読の方針

2000.11.10 高橋照男

 

長 い間取りくんできたヨハネ文書(ヨハネ福音書、ヨハネ書簡)を離れて、今度はローマ書に取り組むことにする。本年7月に脳出血で倒れ、最近の検査で今度は 脳梗塞の症状が出ていると宣告され、いつ「死」がやってくるか分からなくなった。そのために何かせかされる気がするようになり、この際、聖書中の聖書と言 われキリスト教の歴史を作ってきたローマ書だけはこれを深く読んでおきたいと考えるようになった。

私の手元には、4月の火災で焼け残ったローマ書の研究に関する有力な次の参考書がある。

 カールバルト  ローマ書  カールバルト著作集14  662ページ

            (16世紀宗教改革以後の最大の神学的事件といわれる名著)

 ケーゼマン   ローマ人への手紙 (ケーゼマンはブルトマンの弟子で本書は古今の説を網羅解説したロマ書注解の決定版とされる) 976ページ

 ウルリッヒ・ヴィルケンス EKK新約聖書注解Y-1650p)Y-2556p)Y-2(未刊)

 パウル・アルトハウス   NTD新約聖書注解 404ページ

 内村鑑三    ロマ書の研究 日本の有識者の多くを導いた名著 712ページ

 塚本虎二    ロマ書 塚本虎二著作集第9、第10巻 合計871ページ

 黒崎幸吉    註解新約聖書 149ページ

 高橋三郎    高橋三郎著作集第6巻 573ページ(新刊)

 白井きく    ローマ人へ 284ページ

しかしこれらの本全部に目を通すには、残念ながらいま体力と時間と意欲がない。そもそもパウロの手紙は難しいと聖書にも書いてある。

 

ペテロの第二の手紙 3:15−16[塚本訳]

 15また私達の主の寛容をもって(君達の)救い(の保証)と考えよ。私達の愛する兄弟パウロも授けられた知恵に従って君達に書いた通りである。

16これについて述べているその凡ての手紙においても同様であるが、その中には難解なものも少なくないので、教養のない者や心の定まらない者は他の(聖)書と同様これをも曲解して自分の亡滅を招いている。"

 

し たがって難解なパウロの手紙のそのまた注解を読むとなるとますます難しくなる。それは本質理解にはあまり関係のない言語上のまた神学的論争が多い。そこで 独自に新しい方法で読むことにする。それはローマ書を「イエスとパウロに解説してもらう」方法である。これは塚本虎二先生に「聖書の読み方」の本道として 教えられた方法でもある。

それは 

・よい翻訳を複数読む。

・聖書の引照をあちこち引いて「ああそうか」と自分自身の心で納得すること。

・不明な単語は原語にあたること。(しかしそれは本質理解に大した問題ではない)

こ の3点を忠実に守ることである。それはいわゆる「素人読み」「百姓読み」といわれる方法で、この方法で「心に響く」(胸が熱くなる)ものがあれば真に聖書 を読んだことになるというのである。「ああそうか」と自分が思えばそのとき聖書が初めて読めたことになり、読み間違いはないというのである。聖書の読み方 にはこの「素人性」が大切で、それが本質理解に迫る方法であると解する。もともとローマ書は素人に向けた「手紙」なのである。難しく読む必要はないはずで ある。幸い私は聖書勉強の道具としてパソコンソフトの便利なもの(ロゴス聖書ソフトウェアー、Jバ イブルなど)を保有しており、これを駆使して新しい方法でローマ書の「心の響き」に接し、胸が熱くなる読み方をしたいと考えている。パウロの言わんとして いることをイエスはどのようにやさしく言っているか、またパウロはその部分を別の個所でどのように表現しているか、それを探求するという方法でローマ書を 読む。これは多分はじめての方法ではないかと考える。事実そのようにして「聖書で聖書を読む」と心が満たされて「足れり」と思うのである。そうなると人間 の書いた本は色褪せて見え、魅力がなくなる事実がある。それは太陽の光と月の光の差のようでもある。

  さらに私にはまたもうひとつの課題がある。それは無教会読みの姿勢で貫いてみたいと思うことである。無教会読みとは「神がなさってくださる。神ご自身が働 いてくださる。」という心(信仰)をもって読むことである。この方法で読むと解釈上で難しい論争になっている部分も註解書に頼らずともよくわかるという不 思議な現実がある。この「神がなさってくださる。神ご自身が働いてくださる。」という信仰の姿勢は無教会が持っている独特の雰囲気(目)であり、わたしの (日本人の)心にしっくり、ぴったりするものである。「神がなさってくださる」ということに注目して読むこの無教会的読み方、これが解読のためのマスター キーである。そのマスターキーなる言葉は□□□のように下線で示した。

ここを何回も読めば自ずと意味が見えてくる。わからないとしたらそれ以上に人間的手だてはないのであとは神の介入を待つほかはない。それは本人自身の祈りの姿勢にかかわる。

  

もし神許したまえば最終の章(16章)に至る日まで私の命が保たれるように祈るものである。

このようにしてわたし自身が「来世実在の希望」を抱きつつ「死の川」を渡る準備をしたい。パウロがそうであったように。

 

われ思うに、今の時の苦難(くるしみ)は、われらの上に(あらわ)れんとする榮光にくらぶるに足らず。

(ロマ書8章18節)

 

 

略号 JCV=日本聖書協会口語訳 JNICV=日本聖書協会新共同訳

 

ローマ人への手紙 1:1

  [口語訳] キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び別たれ、召されて使徒となったパウロから――

 [新改訳] 神の福音のために選び分けられ、使徒として召されたキリスト・イエスのしもべパウロ、

 [新共同訳] キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び出され、召されて使徒となったパウロから、――

 [塚本訳]キリスト・イエスの奴隷であり、(また)神に召され、その福音のために選ばれた使徒であるパウロから、──"

 [文語訳]キリスト・イエスの僕、召されて使徒となり、神の福音のために選び別れたるパウロ・・

 [前田訳]パウロ、キリスト・イエスの僕、召されて神の福音のため選ばれた使徒から・・

NCVFrom Paul, a servant of Christ Jesus. God called me to be an apostle and chose me to tell the Good News.

(RSV)Paul, a servant of Jesus Christ, called to be an apostle, set apart for the gospel of God

 

[解読の鍵]

ルカによる福音書 5:10-11 [新共同訳] シモンの仲間、ゼベダイの子ヤコブもヨハネも同様だった。すると、イエスはシモンに言われた。「恐れることはない。今から後、あなた

は人間をとる漁師になる。

11 そこで、彼らは舟を陸に引き上げ、すべてを捨ててイエスに従った

 

マルコによる福音書 8:33-35 [口語訳]イエスは振り返って、弟子たちを見ながら、ペテロをしかって言われた、「サタンよ、引きさがれ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」。 34 それから群衆を弟子たちと一緒に呼び寄せて、彼らに言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。 35 自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのため、また福音のために、自分の命を失う者は、それを救うであろう。

 

ルカによる福音書 14:25-26 [口語訳]

大ぜいの群衆がついてきたので、イエスは彼らの方に向いて言われた

26 「だれでも、父、母、妻、子、兄弟、姉妹、さらに自分の命までも捨てて、わたしのもとに来るのでなければ、わたしの弟子となることはできない。

 

マタイによる福音書 19:29[塚本訳]

そしてわたしのために家や兄弟や姉妹や父や母や畑をすてた者は一人のこらず、

(この世で)その幾倍を受け、また(来るべき世では)永遠の命をいただくのである。

 

ヨハネによる福音書 21:18-19[口語訳]

18 よくよくあなたに言っておく。あなたが若かった時には、自分で帯をしめて、思いのままに歩きまわっていた。しかし年をとってからは、自分の手をのばすことになろう。そして、ほかの人があなたに帯を結びつけ、行きたくない所へ連れて行くであろう」

19 これは、ペテロがどんな死に方で、神の栄光をあらわすかを示すために、お話しになったのである。こう話してから、「わたしに従ってきなさい」と言われた。

 

使徒行伝 9:3-6 [口語訳]ところが、道を急いでダマスコの近くにきたとき、突然、天から光がさして、彼をめぐり照した。 4 彼は地に倒れたが、その時、「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。 5 そこで彼は「主よ、あなたは、どなたですか」と尋ねた。すると答があった、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。 6 さあ立って、町にはいって行きなさい。そうすれば、そこであなたのなすべき事が告げられるであろう」。

 

ガラテヤ人への手紙 1:1[塚本訳] 人々から(使徒にされたの)でなく、また人によってでもなく、(すなわち人間的の命令や委任によってでなく、)イエス・キリストと、彼を死人の中から復活させられた父なる神とによって使徒となったパウロと、

 

 

 

ローマ人への手紙 1:

    [口語訳] この福音は、神が、預言者たちにより、聖書の中で、あらかじめ約束されたものであって、

 [新改訳] ――この福音は、神がその預言者たちを通して、聖書において前から約束されたもので、

 [新共同訳] この福音は、神が既に聖書の中で預言者を通して約束されたもので、

 [文語訳]この福音はその預言者たちにより、聖書の中に預じめ御子に就きて約し給ひしものなり。

 [塚本訳]この福音は、神がその預言者たちにより、聖書においてかねて約束されたもので、"

 [前田訳]この福音は、神がその預言者たちによって聖書でかねて約束されたもので、

(NCV) God promised this Good News long ago through his prophets, as it is written in the Holy Scriptures.

 

 [解読の鍵]

ルカによる福音書 4:21[塚本訳]イエスは、「(今)あなた達が聞いたこの聖書の言葉は、今日(ここで)成就した」と言って話を始められた。

 

マタイによる福音書 16:21[塚本訳]この時から、イエスは自分が(神の計画どおり)エルサレムに行って、長老、大祭司連、聖書学者たちから多くの苦しみをうけ、殺され、そして三日目に復活せねばならないことを弟子たちに示し始められた。

 

ルカによる福音書 18:31[塚本訳] イエスは(また)十二人(の弟子だけ)をそばに呼んで、こう話された、「さあ、いよいよわたし達はエルサレムへ上るのだ。人の子(わたし)について預言者たちが(聖書に)書いてあることは、ことごとく成就する。"

 

マルコによる福音書 8:31[塚本訳](この時から、)イエスは、「人の子(わたし)は多くの苦しみをうけ、長老、大祭司連、聖書学者たちから排斥され、殺され、そして三日の後に復活せねばならない。(神はこうお決めになっている)」と弟子たちに教え始められた。

 

ルカによる福音書 24:25-27 [口語訳]そこで、イエスは言われた。「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち

26 メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。」

27 そして、モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明された。

 

ルカによる福音書 24:44[塚本訳]それから彼らに言われた、「(あなた達が見聞きした)これらのことは、わたしがまだあなた達と一しょにいたとき、わたしについてモーセの律法と預言書と詩篇と[聖書]に書いてあることは一つのこらずきっと成就する、と話したその言葉(が実現したの)である。

 

ルカによる福音書 24:25[塚本訳]彼らに言われた、「ああ、預言者たちの言ったことを何一つ信じない、悟りの悪い、心の鈍い人たちよ

ルカによる福音書 24:26-27[塚本訳]救世主は栄光に入るために、そのような苦しみを受けねばならなかったのではないのですか。」"27そして(預言者)モーセから始めて、すべての預言者が御自分につき聖書全体において言っていることを説明された。"

 

マルコによる福音書 12:10[塚本訳]あなた達はこの聖書の句をすら読んだことがないのか。・・“大工たちが(役に立たぬと)捨てた石、それが隅の土台石になった。"

 

ヨハネによる福音書 5:3[塚本訳]あなた達は聖書(旧約)をもっていることが永遠の命を持っていることのように思って、それを研究している。ところがこの聖書は、(永遠の命である)このわたしのことを証明しているのに、

 

 

 

ローマ人への手紙 1:

  [口語訳] 御子に関するものである。御子は、肉によればダビデの子孫から生れ、

[新改訳] 御子に関することです。御子は、肉によればダビデの子孫として生まれ、

[新共同訳] 御子に関するものです。御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、

[文語訳]"御子肉によれば、ダビデの裔より生れ

[塚本訳]その御子、すなわち、人間としてはダビデの末から生まれ、"

[前田訳]そのみ子についてのことです。彼は肉によればダビデの末から生まれ、

 

 (NCV) The Good News is about God's Son, Jesus Christ our Lord. As a man, he was born from the family of David. But through the Spirit of holiness he was appointed to be God's Son with great power by rising from the dead.

 

 [解読の鍵]

マタイ1:1[塚本訳]アブラハムの末のダビデの末のイエス・キリストの系図・・

 

マタイによる福音書 1:20-23[口語訳] 彼がこのことを思いめぐらしていたとき、主の使が夢に現れて言った、「ダビデの子ヨセフよ、心配しないでマリヤを妻として迎えるがよい。その胎内に宿っているものは聖霊によるのである。

21 彼女は男の子を産むであろう。その名をイエスと名づけなさい。彼は、おのれの民をそのもろもろの罪から救う者となるからである」。

22 すべてこれらのことが起ったのは、主が預言者によって言われたことの成就するためである。すなわち、

23 「見よ、おとめがみごもって男の子を産むであろう。その名はインマヌエルと呼ばれるであろう」。これは、「神われらと共にいます」という意味である。

 

ルカ福音書 1:31-33 [口語訳]見よ、あなたはみごもって男の子を産むでしょう。その子をイエスと名づけなさい。

32 彼は大いなる者となり、いと高き者の子と、となえられるでしょう。そして、主なる神は彼に父ダビデの王座をお与えになり

33 彼はとこしえにヤコブの家を支配し、その支配は限りなく続くでしょう」。

 

ルカによる福音書 1:69[塚本訳] ,"わたし達のために、僕“ダビデの”家に救いの(力強い)“角(なる救い主)をお立てになる”からである、

 

ルカ福音書 2:4-5 [口語訳]ヨセフもダビデの家系であり、またその血統であったので、ガリラヤの町ナザレを出て、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った

5 それは、すでに身重になっていたいいなづけの妻マリヤと共に、登録をするためであった。

 

マタイによる福音書 9:27[口語訳]そこから進んで行かれると、ふたりの盲人が、「ダビデの子よ、わたしたちをあわれんで下さい」と叫びながら、イエスについてきた。わたしの右に座していなさい』。

 

ヨハネによる福音書 1:14[塚本訳]この言葉は肉体となって、(しばらく)わたし達の間に住んでおられた。(これが主イエス・キリストである。)わたし達はその栄光を見た。いかにも父上の独り子らしい栄光で、恩恵と真理とに満ちておられた。"

 

ヨハネによる福音書 7:42[塚本訳]『救世主は〃ダビデの末〃から、ダビデの住んでいた村〃ベツレヘムから出る〃』と聖書が言っているではないか。

 

ガラテヤ人への手紙 4:4[塚本訳]しかし(定められた)時が満ちると、神はその御子を女から生まれさせ、律法の下に置いて、(この世に)お遣わしになった

 

 

 

ローマ人への手紙 1:

  [口語訳] 聖なる霊によれば、死人からの復活により、御力をもって神の御子と定められた。これがわたしたちの主イエス・キリストである。

 [新改訳] 聖い御霊によれば、死者の中からの復活により、大能によって公に神の御子として示された方、私たちの主イエス・キリストです。

 [新共同訳] 聖なる霊によれば、死者の中からの復活によって力ある神の子と定められたのです。この方が、わたしたちの主イエス・キリストです。

 [文語訳]潔き靈によれば、死人の復活により大能をもて神の子と定められ給へり、即ち我らの主イエス・キリストなり。"

 [塚本訳]聖なる霊としては死人の中から復活して力ある神の子と定められた方、わたし達の主イエス・キリストに関するものである。"

 [前田訳]聖い霊によれば死人たちからの復活によって力ある神の子と定められた方、すなわちわれらの主イエス・キリストです。

 (NCV) But through the Spirit of holiness he was appointed to be God's Son with great power by rising from the dead.

 

[解読の鍵]

マタイによる福音書 12:42[塚本訳]また、南の国(シバ)の女王がこの時代の人と一しょに(最後の)裁きの(法廷に)あらわれて、この人たちの罪が決まるであろう。というのは、彼女は地の果てからソロモン(王)の知恵を聞きに(エルサレムに)来たが、(この人たちは、)いまここにソロモンよりも大きい者がいる(のに、それに耳を傾けない)からである。"

 

マタイによる福音書 22:42-44[口語訳] 「あなたがたはキリストをどう思うか。だれの子なのか」。彼らは「ダビデの子です」と答えた。

43 イエスは言われた、「それではどうして、ダビデが御霊に感じてキリストを主と呼んでいるのか。

 

コリント人への第二の手紙 13:4[塚本訳]

ほんとうに、彼は弱さのゆえに十字架につけられ(て死なれ)たけれども、神の力によって、いま生きておられるからである。同様に、わたし達も彼と結びついているので弱いけれども、彼と共に、神の力により、あなた達に対して(強く)生きるだろうからである。

 

使徒行伝 4:10[塚本訳]あなた方御一同はもとより、イスラエル国民全体も、このことを知ってほしい。ナザレ人イエス・キリスト・・あなた方が十字架につけ、神が死人の中から復活させられた方・・その名で、この人がよくなって、あなた方の前に立っているのです。

 

使徒行伝 17:31 [口語訳]

神は、義をもってこの世界をさばくためその日を定め、お選びになったかたによってそれをなし遂げようとされている。すなわち、このかたを死人の中からよみがえらせ、その確証をすべての人に示されたのである」

 

マタイによる福音書 21:4[塚本訳]イエスは彼らに言われた、「あなた達は聖書で(この句を)まだ読んだことがないのか。・・“大工たちが(役に立たぬと)捨てた石、それが隅の土台石になった。これは主のなされたことで、われわれの目には不思議である。”

 

 

 

ローマ人への手紙 1:5

  [口語訳] わたしたちは、その御名のために、すべての異邦人を信仰の従順に至らせるようにと、彼によって恵みと使徒の務とを受けたのであり、

 [新改訳] このキリストによって、私たちは恵みと使徒の務めを受けました。それは、御名のためにあらゆる国の人々の中に信仰の従順をもたらすためなのです。

 [新共同訳] わたしたちはこの方により、その御名を広めてすべての異邦人を信仰による従順へと導くために、恵みを受けて使徒とされました。

 [文語訳]我等その御名の爲にもろもろの國人を信仰に從順ならしめんとて、彼より恩惠と使徒の職とを受けたり。

 [塚本訳]わたし達はこの方によって恩恵の使徒職を戴き、御名を広めるために、すべての異教人をして従順に、この信仰を受けいれさせようとしている"

 [前田訳]われらはそのみ名のために信仰の従順がすべての民に及ぶようにと、彼によって恩恵と使徒性を受けました。 

 

(NCV)Through Christ, God gave me the special work of an apostle, which was to lead people of all nations to believe and obey. I do this work for him.

 

[解読の鍵]

ガラテヤ人への手紙 1:15-16[塚本訳] しかし“わたしが母の胎内にいる時から”(すでに)わたしを聖別し、また恩恵によって“召された”お方[神]が、16異教人に福音を伝えさせるため御子をわたしに啓示する決心をされたその時、わたしはじきに血肉[人間]と相談をせず

 

コリント人への第一の手紙 9:2[塚本訳] ほかの人たちには使徒でなくても、少なくともあなた達にはそうである。なぜなら、あなた達は主にあってわたしの使徒職を証明する印鑑であるから

 

使徒行伝 6:7[塚本訳] こうして神の言葉は成長し、エルサレムにおける(主の)弟子の数は猛烈にふえていった。また(ユダヤ教の)祭司までが大勢、従順に信仰を受けいれた"

 

ローマ人への手紙 3:29[塚本訳] それとも神はユダヤ人だけの神であろうか。また異教人の神ではなかろうか。もちろん異教人の神でもある

 

ローマ人への手紙 15:16 [口語訳]このように恵みを受けたのは、わたしが異邦人のためにキリスト・イエスに仕える者となり、神の福音のために祭司の役を勤め、こうして異邦人を、聖霊によってきよめられた、御旨にかなうささげ物とするためである

 

ローマ人への手紙 16:19[塚本訳]なぜなら、あなた達の(福音に対する)従順は、すべての人に知れ渡っているのだから。そのことをわたしはあなた達のために喜ぶが、善いことに対しては知恵があり、悪いことに対しては純真であってもらいたい。"

 

 

 

ローマ人への手紙 1:6

[口語訳] あなたがたもまた、彼らの中にあって、召されてイエス・キリストに属する者となったのである――

 

[新改訳] あなたがたも、それらの人々の中にあって、イエス・キリストによって召された人々です。――このパウロから、

 

[新共同訳] この異邦人の中に、イエス・キリストのものとなるように召されたあなたがたもいるのです。――

 

[文語訳]汝等もその中にありてイエス・キリストの有とならん爲に召されたるなり・・

 

[塚本訳]あなた達もその中にあり、イエス・キリストのものになるようにと(神に)召された者である。──"

 

[前田訳]あなた方も、民の中にあって、イエス・キリストへと召された人々です・・

 

(NCV)And you who are in Rome are also called to belong to Jesus Christ.

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙 9:24[塚本訳]神はこの憐れみの器としてわたし達をも召されたのである。ただユダヤ人の中からだけでなく、異教人の中からも。

 

コリント人への第一の手紙 1:9[塚本訳] 神は誠実であられる。この神によって、御子なるわたし達の主イエス・キリストとの交わりに、あなた達は召されたのである。"

ローマ人への手紙 9:24[塚本訳]神はこの憐れみの器としてわたし達をも召されたのである。ただユダヤ人の中からだけでなく、異教人の中からも。

 

コリント人への第一の手紙 1:9[塚本訳]

神は誠実であられる。この神によって、御子なるわたし達の主イエス・キリストとの交わりに、あなた達は召されたのである。"

 

ガラテヤ人への手紙 1:6[塚本訳]

わたしが(実に)不思議に思うことは、あなた達が、キリストの恩恵によって召されたお方[神]からこんなに早く別の福音に離れおちつつあることであるが、

 

エペソ1:11 [口語訳]わたしたちは、御旨の欲するままにすべての事をなさるかたの目的の下に、キリストにあってあらかじめ定められ、神の民として選ばれたのである。

 

ペテロの第一の手紙 2:9-10[口語訳] しかし、あなたがたは、選ばれた種族、祭司の国、聖なる国民、神につける民である。それによって、暗やみから驚くべきみ光りに招き入れて下さったかたのみわざを、あなたがたが語り伝えるためである。

10 あなたがたは、以前は神の民でなかったが、いまは神の民であり、以前は、あわれみを受けたことのない者であったが、いまは、あわれみを受けた者となっている。

 

コロサイ人への手紙 1:21-22 [口語訳]あなたがたも、かつては悪い行いをして神から離れ、心の中で神に敵対していた。

22 しかし今では、御子はその肉のからだにより、その死をとおして、あなたがたを神と和解させ、あなたがたを聖なる、傷のない、責められるところのない者として、みまえに立たせて下さったのである。

 

テモテへの第二の手紙 1:9-10[口語訳] 神はわたしたちを救い、聖なる招きをもって召して下さったのであるが、それは、わたしたちのわざによるのではなく、神ご自身の計画に基づき、また、永遠の昔にキリスト・イエスにあってわたしたちに賜わっていた恵み、

10 そして今や、わたしたちの救主キリスト・イエスの出現によって明らかにされた恵みによるのである。キリストは死を滅ぼし、福音によっていのちと不死とを明らかに示されたのである。

 

ペテロの第一の手紙 2:9 [口語訳]しかし、あなたがたは、選ばれた種族、祭司の国、聖なる国民、神につける民である。それによって、暗やみから驚くべきみ光りに招き入れて下さったかたのみわざを、あなたがたが語り伝えるためである

 

 

 

ローマ人への手紙 1:

[口語訳] ローマにいる神に愛され、召された聖徒一同へ。わたしたちの父なる神および主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。

 

[新改訳] ローマにいるすべての、神に愛されている人々、召された聖徒たちへ。私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安があなたがたの上にありますように。

 

[新共同訳] 神に愛され、召されて聖なる者となったローマの人たち一同へ。わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。

 

[文語訳]われ書をロマに在りて神に愛せられ、召されて聖徒となりたる凡ての者に贈る。願くは我らの父なる神および主イエス・キリストより賜ふ恩惠と平安と汝らに在らんことを。"

 

[塚本訳]それでわたしは、神に愛される人、(また)召された聖徒であるローマ(集会)のあなた達一同に、この手紙をおくる。わたし達の父なる神と主イエス・キリストから、恩恵と平安、あなた達にあらんことを。"

 

[前田訳]神に愛され、召された聖徒、ローマにある皆さんへ。われらの父なる神と主イエス・キリストからの恩風と平和があなた方にありますように。

 

 (NCV) To all of you in Rome whom God loves and has called to be his holy people: Grace and peace to you from God our Father and the Lord Jesus Christ.

 

[解読の鍵]

コリント人への第一の手紙 1:2[塚本訳]コリントにある神の集会、すなわちキリスト・イエスにあって聖別され、(神に)召された聖徒たちに、および、到る所でわたし達の・・わたし達ばかりでなくまた彼らの・・主イエス・キリストの名を呼ぶ人一同に、この手紙をおくる。"

 

ピリピ人への手紙 1:1[塚本訳]キリスト・イエスの奴隷であるパウロとテモテ(の二人)から、キリスト・イエスに在るピリピの凡ての聖徒達、並びに取締りと世話役達にこの手紙を遺る。願わくは"

 

コロサイ人への手紙 1:2[塚本訳] 手紙をキリストにある信仰の兄弟なるコロサイの聖徒達に遺る。願う、我らの父なる神よりの恩恵と平安、君達にあれ。

 

 

 

罪が分かるということ

罪が分からなければロマ書は分か らない。罪ということが分からなければロマ書も聖書も神も十字架も贖罪もキリスト教も分からない。罪の発見が神発見の入り口である。しかし罪を分からせて くださいという祈りは普通は人間の唇には上らない。むしろその先にある平安や喜びを頂きたいという祈りの方が先である。私達はそれを模索していた。しかし その喜びを頂くためには宿命として我々はまず生みの苦しみを経なければならなかった。

 

ヨハネによる福音書 16:21[塚本訳]

女が子を産む時には、女の(宿命の)時が到来したので悲しみがあるけれども、子が生まれると、一人の人間が世に生まれ出た喜びのために、もはや(お産の)苦しみを覚えていない。"

 

人生において自分の罪が分かる時がくる。それは実に恐ろしい「宿命の時」である。その時われわれは自分の罪を知って、戦慄、懊悩、恐怖におののくのだ。だからだれもこの恐ろしい瞬間を望まない。自分も周囲も。それは「死の陰の谷」(詩篇23編4節)だからである。

 

ルカによる福音書 23:30-31

その時人々は“山にむかっては、『われわれの上に倒れかかって(殺して)くれ』、丘にむかっては、『われわれを埋めてくれ』と言い”続けるであろう。

31(罪のない)生木(のわたし)でさえ、こんな目にあわされるのだ。まして(罪にくされた)枯木は、どうなることであろうか!」"

 

自 己の罪を知って「殺してくれ」と叫ぶときその背後には「救い」が備えられているのだ。罪が分かって救いが分かり神が分かるとき、それは第二の誕生、霊の命 という新しい命の誕生、永遠の生命への誕生である。これは肉の父ではなく、本当の父(造り主)に出会うときである。このつらい経験なくして人生は片面であ り、半人前である。この恐ろしい瞬間は人間にいつかは訪れる。肉の父としては生んだ子供にその苦痛が訪れるのはかわいそうに思うが、それは肉の割礼ではな く霊の割礼の時が到来した宿命の時と考えなければならない。肉の割礼のときに子は痛がって泣くが親はそれに耐えねばならない。「苦しみは瞬時にして喜びは 永遠である」(ヒルティ幸福論)。人生は神を知るための旅路である。

で は人間にとってその第二の誕生はいつ訪れるのか、それは神ご自身が定めることなので「神のみぞ知る」ことなのだ。早い人もいれば、人生の最後になって神を 知る人もいる。しかし神が生もうとするので早い遅いは関係なく「救いは確実に神の手の中にある」ことを信じてわれわれは一切を神の主権にゆだねることがで きるのだ。そして最後は「全人類が救われる」日がくるであろう。これがロマ書の結論のようである。(ロマ書11章25-32)

 

 

 

ローマ人への手紙 1章8節

  [口語訳] まず第一に、わたしは、あなたがたの信仰が全世界に言い伝えられていることを、イエス・キリストによって、あなたがた一同のために、わたしの神に感謝する

 

[新改訳] まず第一に、あなたがたすべてのために、私はイエス・キリストによって私の神に感謝します。それは、あなたがたの信仰が全世界に言い伝えられているからです。

 

[新共同訳] まず初めに、イエス・キリストを通して、あなたがた一同についてわたしの神に感謝しますあなたがたの信仰が全世界に言い伝えられているからです。

 

[文語訳]汝らの信仰、全世界に言ひ傳へられたれば、我まづ汝ら一同の爲にイエス・キリストによりて我が神に感謝す

 

[塚本訳]まずもってあなた達の信仰が世界中で評判になっていることを、イエス・キリストにより、あなた達一同のために、わたしの神に感謝したい

 

[前田訳]まず、イエス・キリストによって、あなた方皆さんのためにわが神に感謝したいのは、あなた方の信仰が全世界にいい伝えられていることです。

 

(NCV)First I want to say that I thank my God through Jesus Christ for all of you, because people everywhere in the world are talking about your faith.

 

[解読の鍵]

マタイによる福音書 24:14[塚本訳]

すなわち、あらゆる国々の人に(わたしとわたしの業を)証しするために、(まず)この御国の福音が全世界に説かれ、それから最後(の裁きの日)が来るのである。

 

ローマ人への手紙 16:19[塚本訳]

なぜなら、あなた達の(福音に対する)従順は、すべての人に知れ渡っているのだから。そのことをわたしはあなた達のために喜ぶが、善いことに対しては知恵があり、悪いことに対しては純真であってもらいたい。

 

テサロニケ人への第一の手紙 1:8-10[口語訳]

すなわち、主の言葉はあなたがたから出て、ただマケドニアとアカヤとに響きわたっているばかりではなく、至るところで、神に対するあなたがたの信仰のことが言いひろめられたので、これについては何も述べる必要はないほどである。

9 わたしたちは、どんなにしてあなたがたの所にはいって行ったか、また、あなたがたが、どんなにして偶像を捨てて神に立ち帰り、生けるまことの神に仕えるようになり、

10 そして、死人の中からよみがえった神の御子、すなわち、わたしたちをきたるべき怒りから救い出してくださるイエスが、天から下ってこられるのを待つようになったかを、彼ら自身が言いひろめているのである。

 

 

 

ローマ人への手紙 1章9節

  [口語訳](9-10) わたしは、祈のたびごとに、絶えずあなたがたを覚え、いつかは御旨にかなって道が開かれ、どうにかして、あなたがたの所に行けるようにと願っている。このことについて、わたしのためにあかしをして下さるのは、わたしが霊により、御子の福音を宣べ伝えて仕えている神である。

 [新改訳] 私が御子の福音を宣べ伝えつつ霊をもって仕えている神があかししてくださることですが、私はあなたがたのことを思わぬ時はなく、

[新共同訳] わたしは、御子の福音を宣べ伝えながら心から神に仕えています。その神が証ししてくださることですが、わたしは、祈るときにはいつもあなたがたのことを思い起こし、

[文語訳]その御子の福音に於て我が靈をもて事ふる神は、わが絶えず祈のうちに汝らを覺え、

[塚本訳]わたしはこの神を霊をもって、すなわち、その御子の福音を伝えることをもって、礼拝しているのであるが、神がわたしの証人として、"

 [前田訳]神がわが証人です。わたしはわが霊によって、すなわちみ子の福音によって神に奉仕し、つねに祈りのうちにあなた方を覚えています。

God, whom I serve with my whole heart by telling the Good News about his Son, knows that I always mention you

 

[解読の鍵]

ヨブ記 16:19 [口語訳]見よ、今でもわたしの証人は天にあるわたしのために保証してくれる者は高い所にある。

 

コリント人への第二の手紙 1:23[塚本訳] しかしわたし個人としては、自分の命をかけ、神を証人に立てる、・・わたしはあなた達をひどい目にあわせたくなかったので、もうコリントには行かなかったのである。(行けば、敵対者たちを厳重に処分しなければならないではないか。)

 

ガラテヤ人への手紙 1:20[塚本訳] ・・いまあなた達に書いていることは、神の前に、決して嘘ではない。・・

 

ピリピ人への手紙 1:8[塚本訳] 実際、神が私の(ために)証人になって下さるように、私は(いつも)キリスト・イエスの愛情をもって君達皆を慕っているのである。"

 

テサロニケ人への第一の手紙 2:5[塚本訳]君達が知っている通り、私達はかつて(一度も)お世辞を使ったこともなく、また口実を設けて貪ったこともない・・(これについては)神が証人であり給う。"

 

ヨハネの第一の手紙 5:9[塚本訳] もし人の証しを(真実なものとして)受けいれるならば、

(御霊と水と血とによる)神の証しは、もっと有力である。なぜなら、これは神の証しであり、彼が御子について証しをされたのだからである。

 

 

 

ローマ人への手紙 1章10節

  [口語訳] (9節に合節)

 [新改訳] いつも祈りのたびごとに、神のみこころによって、何とかして、今度はついに道が開かれて、あなたがたのところに行けるようにと願っています

 

[新共同訳] 何とかしていつかは神の御心によってあなたがたのところへ行ける機会があるように、願っています

 

[文語訳]如何にしてか御意に適ひ、いつか汝らに到るべき途を得んと、常に冀かふことを我がために證し給ふなり。

 

[塚本訳]わたしが祈りのたびごとに絶えずあなた達を思い、いつか一度は、神の御心によって都合よくあなた達の所に行けるようにとお願いしていることを、証明してくださるであろう。"

 

[前田訳]神のみ心によって、いつかはあなた方のところへ行くよい道が開かれるようお願いしています。

 

 (NCV)every time I pray. I pray that I will be allowed to come to you, and this will happen if God wants it.

 

 [解読の鍵]

ローマ人への手紙 15:22-23 [口語訳]こういうわけで、わたしたちはあなたがたの所に行くことを、たびたび妨げられてきた。

23 しかし今では、この地方にはもはや働く余地がなく、かつイスパニヤに赴く場合、あなたがたの所に行くことを、多年、熱望していたので、・・

 

テサロニケ人への第一の手紙 2:18[塚本訳]というのは、私達は君達の所に行こうと思ったけれども・・そして私このパウロは、一度ならず二度までも・・(しかし)サタン(の奴)に邪魔され(て行けなかっ)たのである。

 

テサロニケ人への第一の手紙 3:11[塚本訳] 願わくは私達の父なる神彼自らと私達の主イエスが、私達のために道を備えて君達に到らしめ給わんことを

 

ピレモンへの手紙 22 [口語訳]ついでにお願いするが、わたしのために宿を用意しておいてほしい。あなたがたの祈によって、あなたがたの所に行かせてもらえるように望んでいるのだから。

 

ヘブル人への手紙 13:19[口語訳] わたしがあなたがたの所に早く帰れるため、祈ってくれるように、特にお願いする。

 

使徒行伝 19:21[口語訳] これらの事があった後、パウロは御霊に感じて、マケドニヤ、アカヤをとおって、エルサレムへ行く決心をした。そして言った、「わたしは、そこに行ったのち、ぜひローマをも見なければならない」。

 

使徒行伝 18:21[塚本訳] 「神の御心ならばあなた達の所に引き返してこよう」と言って別れを告げ、エペソから船出して、

 

 

 

ローマ人への手紙 1章11節

 

[口語訳] わたしは、あなたがたに会うことを熱望している。あなたがたに霊の賜物を幾分でも分け与えて、力づけたいからである。

 

[新改訳] 私があなたがたに会いたいと切に望むのは、御霊の賜物をいくらかでもあなたがたに分けて、あなたがたを強くしたいからです。

 

[新共同訳] あなたがたにぜひ会いたいのは、“霊”の賜物をいくらかでも分け与えて、力になりたいからです。

 

 [文語訳]見んことを切に望むは、汝らの堅うせられん爲に靈の賜物を分け與へんとてなり。"

[塚本訳]わたしはほんとうにあなた達に会いたくてたまらない。あなた達(の信仰)が強められるために、何か霊の賜物を分けあたえたい、"

 

[前田訳] 本当にあなた方にお会いしたく思います。あなた方の支えに何か霊の賜物をお分けしたいのです。  "

(NCV)I want very much to see you, to give you some spiritual gift to make you strong.

 

[解読の鍵]

 

ローマ人への手紙 15:32[口語訳] また、神の御旨により、喜びをもってあなたがたの所に行き、共になぐさめ合うことができるように祈ってもらいたい。

 

ピリピ人への手紙 1:8[塚本訳]実際、神が私の(ために)証人になって下さるように、私は(いつも)キリスト・イエスの愛情をもって君達皆を慕っているのである。"

 

ピリピ人への手紙 4:1[塚本訳]

だから、愛し慕うわが兄弟達よ、わが歓喜と冠よ、かく主にあって確り立って居れ、(ああ、わが)愛する者よ!"

 

ローマ人への手紙 15:29[塚本訳]しかしあなた達の所に行くときは、キリストの満ちみちた祝福をもって行けるだろうとわたしは信じている。"

 

使徒行伝 16:5[塚本訳]

 さてもろもろの集会は信仰を強められ、日ごとに(信者の)数を増していった。"

 

テサロニケ人への第一の手紙 3:2[塚本訳]

 私達兄弟で、キリストの福音における神の共働者であるテモテを(君達の所に)遺った。これは(彼によって)君達をその信仰において強め、また励まし、"

 

テサロニケ人への第一の手紙 3:13[新共同訳]  そして、わたしたちの主イエスが、御自身に属するすべての聖なる者たちと共に来られるとき、あなたがたの心を強め、わたしたちの父である神の御前で、聖なる、非のうちどころのない者としてくださるように、アーメン。

 

テサロニケ人への第二の手紙 2:17[塚本訳]

 君達の心を慰め、あらゆる善き業と言とにおいて(君達を)強くし給わんことを!"

 

ペテロの第一の手紙 5:10[塚本訳]

しかしキリストにおいて君達を永遠の栄光へと召し給うたあらゆる恩恵の神は、暫く受難せねばならぬ君達を自ら武装し、強め、力づけ、堅く立て給うであろう。"

 

 

 

ローマ人への手紙 1章12節

 

 [口語訳] それは、あなたがたの中にいて、あなたがたとわたしとのお互の信仰によって、共に励まし合うためにほかならない。

 

[新改訳] というよりも、あなたがたの間にいて、あなたがたと私との互いの信仰によって、ともに励ましを受けたいのです。

 

[新共同訳] あなたがたのところで、あなたがたとわたしが互いに持っている信仰によって、励まし合いたいのです。

 [文語訳]即ち我なんぢらの中にありて、互の信仰により相共に慰められん爲なり。"

 [塚本訳]いや、あなた達のところで、お互の信仰によってあなた達もわたしも、元気づけられたいのである。

 

[前田訳]いや、あなた方の、またわたしの、お互いの信仰によって御地でともに慰められたいのです。  "

(NCV)I mean that I want us to help each other with the faith we have. Your faith will help me, and my faith will help you.

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙 15:32 [口語訳]また、神の御旨により、喜びをもってあなたがたの所に行き、共になぐさめ合うことができるように祈ってもらいたい。

 

コリント人への第二の手紙 7:4-7 [口語訳]わたしはあなたがたを大いに信頼し、大いに誇っている。また、あふれるばかり慰めを受け、あらゆる患難の中にあって喜びに満ちあふれている。5 さて、マケドニヤに着いたとき、わたしたちの身に少しの休みもなく、さまざまの患難に会い、外には戦い、内には恐れがあった。6 しかるに、うちしおれている者を慰める神は、テトスの到来によって、わたしたちを慰めて下さった。 7 ただ彼の到来によるばかりではなく、彼があなたがたから受けたその慰めをもって、慰めて下さった。すなわち、あなたがたがわたしを慕っていること、嘆いていること、またわたしに対して熱心であることを知らせてくれたので、わたしの喜びはいよいよ増し加わったのである。

テサロニケ人への第一の手紙 2:17-20 [口語訳]兄弟たちよ。わたしたちは、しばらくの間、あなたがたから引き離されていたので・・心においてではなく、からだだけではあるが・・なおさら、あなたがたの顔を見たいと切にこいねがった

18 だから、わたしたちは、あなたがたの所に行こうとした。ことに、このパウロは、一再ならず行こうとしたのである。それだのに、わたしたちはサタンに妨げられた。

19 実際、わたしたちの主イエスの来臨にあたって、わたしたちの望みと喜びと誇りの冠となるべき者は、あなたがたを外にして、だれがあるだろうか。

20 あなたがたこそ、実にわたしたちのほまれであり、喜びである

 

テサロニケ人への第一の手紙 3:7-10 [口語訳]兄弟たちよ。それによって、わたしたちはあらゆる苦難と艱難との中にありながら、あなたがたの信仰によって慰められた

8 なぜなら、あなたがたが主にあって堅く立ってくれるなら、わたしたちはいま生きることになるからである。

9 ほんとうに、わたしたちの神のみまえで、あなたがたのことで喜ぶ大きな喜びのために、どんな感謝を神にささげたらよいのだろうか。

10 わたしたちは、あなたがたの顔を見、あなたがたの信仰の足りないところを補いたいと、日夜しきりに願っているのである

 

テサロニケ人への第一の手紙 3:8[塚本訳](君達は私達の生命である。)君達が主に在って確く立っていれば、(私達は生きている。然り、)私達は今生きているのだ!"

 

 

 

ローマ人への手紙 1章13節

 

[文語訳]兄弟よ、我ほかの異邦人の中より得しごとく、汝らの中よりも實を得んとて、屡次(しばしば)なんぢらに往かんとしたれど、今に至りてなほ妨げらる、此の事を汝らの知らざるを欲せず。"

 

[塚本訳]兄弟たちよ、このことを知らずにいてもらいたくない。──ほかの異教人の中でと同様あなた達の中でも、何か(福音の)実を刈り取るため、わたしは幾たびもあなた達の所に行こうと思い立った。ただし今まで妨げられている。

 

[口語訳] 兄弟たちよ。このことを知らずにいてもらいたくない。わたしはほかの異邦人の間で得たように、あなたがたの間でも幾分かの実を得るためにあなたがたの所に行こうとしばしば企てたが、今まで妨げられてきた。

 

[新改訳] 兄弟たち。ぜひ知っておいていただきたい。私はあなたがたの中でも、ほかの国の人々の中で得たと同じように、いくらかの実を得ようと思って何度もあなたがたのところに行こうとしたのですが、今なお妨げられているのです。

 

[前田訳]兄弟よ、このことを知らずにはいないでください。ほかの異邦人のところでと同じく、御地でも何か実りを得るためにたびたび御地へ行こうと思い立ちましたが、今まで妨げられています。"

 

[新共同訳] 兄弟たち、ぜひ知ってもらいたい。ほかの異邦人のところと同じく、あなたがたのところでも何か実りを得たいと望んで何回もそちらに行こうと企てながら、今日まで妨げられているのです。

 

 (NCV) Brothers and sisters, I want you to know that I planned many times to come to you, but this has not been possible. I wanted to come so that I could help you grow spiritually as I have helped the other non-Jewish people.

 

 [解読の鍵]

テモテへの第二の手紙 4:17[塚本訳]しかし私によって宣教が全うされ、異教人が皆(これを)聴く(ことが出来る)ために、主は私を援け、力づけ給うて、私は“獅子の口から”救い出されたのである。

 

ピリピ人への手紙 4:17[塚本訳] これは贈り物が欲しいからではない。君達の貸の勘定を殖やす信仰の果実が欲しいのである

 

コロサイ人への手紙 1:6[塚本訳] (そして今や)この福音は君達の所まで来て、君達の間でも真に神の恩恵を聴き知った(最初の)日から、全世界におけると同様、(豊かに)果実を結び成長しているのである。"

 

テサロニケ人への第一の手紙 1:8[塚本訳] というのは、主の御言は君達から出て、ただマケドニヤとアカヤとに響いたばかりでなく、神に対する君達の信仰(が篤いと言う評判)は至る所に知れ渡っているので、私達は(今更)何も言う必要はない。

 

テサロニケ人への第一の手紙 2:18-20[口語訳] だから、わたしたちは、あなたがたの所に行こうとした。ことに、このパウロは、一再ならず行こうとしたのである。それだのに、わたしたちはサタンに妨げられた。

19 実際、わたしたちの主イエスの来臨にあたって、わたしたちの望みと喜びと誇りの冠となるべき者は、あなたがたを外にして、だれがあるだろうか。

20 あなたがたこそ、実にわたしたちのほまれであり、喜びである。

 

ローマ人への手紙 15:23-28 [口語訳]しかし今では、この地方にはもはや働く余地がなく、かつイスパニヤに赴く場合、あなたがたの所に行くことを、多年、熱望していたので、・・

24 その途中あなたがたに会い、まず幾分でもわたしの願いがあなたがたによって満たされたら、あなたがたに送られてそこへ行くことを、望んでいるのである。

25 しかし今の場合、聖徒たちに仕えるために、わたしはエルサレムに行こうとしている

26 なぜなら、マケドニアとアカヤとの人々は、エルサレムにおる聖徒の中の貧しい人々を援助することに賛成したからである。

27 たしかに、彼らは賛成した。しかし同時に、彼らはかの人々に負債がある。というのは、もし異邦人が彼らの霊の物にあずかったとすれば、肉の物をもって彼らに仕えるのは、当然だからである。

28 そこでわたしは、この仕事を済ませて彼らにこの実を手渡した後、あなたがたの所をとおって、イスパニヤに行こうと思う

 

 

 

ローマ人への手紙 1章14節

 

 [口語訳] わたしには、ギリシヤ人にも未開の人にも、賢い者にも無知な者にも、果すべき責任がある。

 

[新改訳] 私は、ギリシヤ人にも未開人にも、知識のある人にも知識のない人にも、返さなければならない負債を負っています。

 

[新共同訳] わたしは、ギリシア人にも未開の人にも知恵のある人にもない人にも、果たすべき責任があります。

 

[文語訳]我はギリシヤ人にも夷人(えびす)にも、(かしこ)き者にも愚なる者にも負債(おひめ)あり"

 

[塚本訳]わたしはギリシャ人にも野蛮人にも、教養のある者にも教養のない者にも、(福音を伝える)義務がある。

 

[前田訳]ギリシア人にも異人にも、知識人にも大衆にもわたしは責任があります。 

 

(NCV)I have a duty to all people -- Greeks and those who are not Greeks, the wise and the foolish.

 

[解読の鍵]

 

使徒行伝 9:15[塚本訳] 主が彼に言われた、「(恐れることはない。)行け。あの人は、異教人と王たちとイスラエルの子孫との前に、わたしの名を運んでゆく(ために選んだ)わたしの選びの器であるから。

 

使徒行伝 22:21[塚本訳] 主はわたしに言われた、『行け、わたしが君を遠く異教人につかわすのだから。』」

 

使徒行伝 26:17-18 [口語訳]わたしは、この国民と異邦人との中から、あなたを救い出し、あらためてあなたを彼らにつかわすが、

18 それは、彼らの目を開き、彼らをやみから光へ、悪魔の支配から神のみもとへ帰らせ、また、彼らが罪のゆるしを得、わたしを信じる信仰によって、聖別された人々に加わるためである』。

 

ローマ人への手紙 16:19[塚本訳]なぜなら、あなた達の(福音に対する)従順は、すべての人に知れ渡っているのだから。そのことをわたしはあなた達のために喜ぶが、善いことに対しては知恵があり、悪いことに対しては純真であってもらいたい。"

 

マタイによる福音書 11:25[塚本訳] その時イエスは声をはげまして言われた、「天地の主なるお父様、(神の国の秘密に関する)これらのことを(この世の)賢い人、知恵者に隠して、幼児(のような人たち)にあらわされたことを、讃美いたします。"

 

ルカによる福音書 10:21[塚本訳] この時イエスは聖霊にみたされ、感激にあふれて言われた、「天地の主なるお父様、(神の国の秘密に関する)これらのことを(この世の)賢い人、知恵者に隠して、幼児(のような人たち)にあらわされたことを、讃美いたしますほんとうに、お父様、そうなるのがあなたの御心でした。

 

コリント人への第一の手紙 1:19-21[口語訳] すなわち、聖書に、「わたしは知者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さをむなしいものにする」と書いてある

20 知者はどこにいるか。学者はどこにいるか。この世の論者はどこにいるか。神はこの世の知恵を、愚かにされたではないか。

21 この世は、自分の知恵によって神を認めるに至らなかった。それは、神の知恵にかなっている。そこで神は、宣教の愚かさによって、信じる者を救うこととされたのである。

 

 

 

ローマ人への手紙 1章15節

  [口語訳] そこで、わたしとしての切なる願いは、ローマにいるあなたがたにも、福音を宣べ伝えることなのである。

 

[新改訳] ですから、私としては、ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を伝えたいのです。

 

[新共同訳] それで、ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を告げ知らせたいのです。

 

[文語訳]この故に我はロマに在る汝らにも福音を宣傳へんことを頻りに願ふなり。"

 

[塚本訳]だからローマのあなた達にも福音を伝えることが、わたしの願いである

 

[前田訳]それでローマのあなた方にも福音を伝えたいのです。"

 

(NCV)That is why I want so much to preach the Good News to you in Rome.

 

 

コリント人への第一の手紙 1:21 [口語訳]

この世は、自分の知恵によって神を認めるに至らなかった。それは、神の知恵にかなっている。そこで神は、宣教の愚かさによって、信じる者を救うこととされたのである。

 

[塚本訳]

なぜなら、(この)世(の人)が自分の知恵により(判断し)、神の知恵(の現われである御業)において神を認めることをしないので、神は馬鹿な(ことと見える十字架の)説教によって信ずる者(だけ)を救おうと、お決めになったからである。"

 

マタイによる福音書 11:25[塚本訳]

その時イエスは声をはげまして言われた、「天地の主なるお父様、(神の国の秘密に関する)これらのことを(この世の)賢い人、知恵者に隠して、幼児(のような人たち)にあらわされたことを、讃美いたします"

 

コリント人への第一の手紙 1:18[塚本訳]

なぜか。この十字架についての言葉は、滅びゆく者には馬鹿なことであるが、わたし達救われる者には、神の力(の現われ)であるから。"

 

コリント人への第二の手紙 5:13-14[塚本訳]

なぜなら、もし(非難されているように)わたし達が「気が狂った」のなら、神に対して(熱心だから)である。もし正気なら、あなた達に対して(そのためを考えるから)である。

14なぜというか。キリストの愛がわたし達を駆り立てるからである。わたし達はこう考える、・・ただの一人の人(キリスト)がすべての人の身代りに死なれた、従ってすべての人は(キリストと一緒に一度)死んだのである、"

 

ペテロの第一の手紙 1:8-10の第一の手紙 1:8-10

 あなたがたは、イエス・キリストを見たことはないが、彼を愛している。現在、見てはいけないけれども、信じて、言葉につくせない、輝きにみちた喜びにあふれている。

9 それは、信仰の結果なるたましいの救を得ているからである。

10 この救については、あなたがたに対する恵みのことを預言した預言者たちも、たずね求め、かつ、つぶさに調べた。

 

ローマ人への手紙 1:16[塚本訳]わたしは(決して)福音を恥じない。福音は神の力で、これを信ずる者を一人のこらず、すなわち、まずユダヤ人、次に異教人を、救いに入れるからである。"

 

 

 

ローマ人への手紙 1章16節

  [口語訳] わたしは福音を恥としない。それは、ユダヤ人をはじめ、ギリシヤ人にも、すべて信じる者に、救を得させる神の力である。

 

[新改訳] 私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。

 

[新共同訳] わたしは福音を恥としない。福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。

 

[文語訳]我は福音を恥とせず、この福音はユダヤ人を始めギリシヤ人にも、凡て信ずる者に救を得さする神の力たればなり。"

 [塚本訳]わたしは(決して)福音を恥じない。福音は神の力で、これを信ずる者を一人のこらず、すなわち、まずユダヤ人、次に異教人を、救いに入れるからである。

 [前田訳]わたしは福音を恥じません。これは神の力で、まずユダヤ人、さらにギリシア人をも、すなわち、信ずる者すべてを救うからです。"

 (NCV) I am proud of the Good News, because it is the power God uses to save everyone who believes -- to save the Jews first, and also to save those who are not Jews.

 

ルカによる福音書 2:10-11[口語訳]

 御使は言った、「恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。

11 きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである。

 

ローマ人への手紙 2:9-10[口語訳]

 悪を行うすべての人には、ユダヤ人をはじめギリシャ人にも、患難と苦悩とが与えられ、

10 善を行うすべての人には、ユダヤ人をはじめギリシャ人にも、光栄とほまれと平安とが与えられる。

 

ローマ人への手紙 10:17-18[塚本訳]

17〔だから、(いま言ったように、)信仰は(福音を)聞くことから、聞くことはキリストの(伝道の)命令から生まれる。〕

 

コリント人への第一の手紙 1:18[塚本訳]

なぜか。この十字架についての言葉は、滅びゆく者には馬鹿なことであるが、わたし達救われる者には、神の力(の現われ)であるから。

 

コリント人への第一の手紙 2:4[塚本訳]

そしてわたしの話も説教も、人を感服させる知恵の言葉によらずに(神の)霊と力との(直接の)立証によった

 

 

 

ローマ人への手紙 1章17節

 

[口語訳] 神の義は、その福音の中に啓示され、信仰に始まり信仰に至らせる。これは、「信仰による義人は生きる」と書いてあるとおりである。

 

[新改訳] なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる。」と書いてあるとおりです。

 [新共同訳] 福音には、神の義が啓示されていますが、それは、初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです。「正しい者は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。

 [文語訳]神の義はその福音のうちに顯れ、信仰より出でて信仰に進ましむ。録して『義人は信仰によりて生くべし』とある如し。

 [塚本訳]信仰から出て信仰に終る、(徹頭徹尾信仰本意の)神の義が、この福音において現わされているからである。“信仰による義人は生きる”と(聖書に)書いてあるとおりである。"

 [前田訳]そこに、信仰から信仰へという神の義が示されています。聖書に、「信仰による義人は生きる」とあるとおりです。"

 (NCV)The Good News shows how God makes people right with himself -- that it begins and ends with faith. As the Scripture says, "But those who are right with God will live by trusting in him."

 

[解読の鍵]

ハバクク書 2:4 [口語訳]

見よ、その魂の正しくない者は衰える。しかし義人はその信仰によって生きる

 

ヨハネによる福音書 3:36[塚本訳]

(だから従順に)御子を信ずる者は永遠の命を持つが、御子に不従順な者は命にはいることができないばかりか、神の怒りがその人からはなれない。」

 

ヨハネによる福音書 3:16[塚本訳]

そのゆえは、神はその独り子を賜わったほどにこの世を愛されたのである。これはその独り子を信ずる者が一人も滅びず、永遠の命を持つことができるためである。

 

ヨハネによる福音書 1:12 [口語訳] しかし、彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。

 

ローマ人への手紙 3:21[塚本訳]

しかしながら今、律法に関係なく、神の義は現わされた。しかし律法と預言書と[聖書]によって(すでに)証しされているものである。"

 

ガラテヤ人への手紙 3:11 [口語訳]そこで、律法によっては、神のみまえに義とされる者はひとりもないことが、明らかである。なぜなら、「信仰による義人は生きる」からである。

 

ピリピ人への手紙 3:9[口語訳]

 律法による自分の義ではなく、キリストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基く神からの義を受けて、キリストのうちに自分を見いだすようになるためである。

 

 

 

ローマ人への手紙 1章18節

 

[口語訳] 神の怒りは、不義をもって真理をはばもうとする人間のあらゆる不信心と不義とに対して、天から啓示される

 

[新改訳] というのは、不義をもって真理をはばんでいる人々のあらゆる不敬虔と不正に対して、神の怒りが天から啓示されているからです。

 

[新共同訳] 不義によって真理の働きを妨げる人間のあらゆる不信心と不義に対して、神は天から怒りを現されます

 

[文語訳]それ神の怒は、不義をもて眞理を阻む人の、もろもろの不虔と不義とに對ひて天より顯る。"

 

[塚本訳]なぜ(この福音が必要であった)か。人々が不道徳をもって真理を押えつけているので、神の怒りが彼らのあらゆる不信と不道徳とに対して、天から現わされているからである。"

 

[前田訳]神の怒りは人々のあらゆる不信と不義に対して天から示されています。人々は真理を不義で押えています。  "

 

(NCV)God's anger is shown from heaven against all the evil and wrong things people do. By their own evil lives they hide the truth.

 

[解読の鍵]

ヨハネによる福音書 3:19-21[新共同訳]

19光が世に来たのに、人々はその行いが悪いので、光よりも闇の方を好んだ。それが、もう裁きになっている

20 悪を行う者は皆、光を憎み、その行いが明るみに出されるのを恐れて、光の方に来ないからである。

21 しかし、真理を行う者は光の方に来る。その行いが神に導かれてなされたということが、明らかになるために。

 

ローマ人への手紙 1:28[塚本訳]

こうして彼らは神を知ることを役に立たぬものと考えたので、神の方でも、彼らの心が役に立たなくなるに任せられた。その結果彼らは(人として)なすべからざることをするようになったのである。"

 

ルカによる福音書 12:46-47[口語訳]

46その僕の主人は思いがけない日、気がつかない時に帰って来るであろう。そして、彼を厳罰に処して、不忠実なものたちと同じ目にあわせるであろう

47主人のこころを知っていながら、それに従って用意もせず勤めもしなかった僕は、多くむち打たれるであろう。

 

 

 

ローマ人への手紙 1章19節

 

[口語訳] なぜなら、神について知りうる事がらは、彼らには明らかであり、神がそれを彼らに明らかにされたのである。

 

[新改訳] なぜなら、神について知りうることは、彼らに明らかであるからです。それは神が明らかにされたのです。

 

[新共同訳] なぜなら、神について知りうる事柄は、彼らにも明らかだからです。神がそれを示されたのです。

 

[文語訳]

その故は、神につきて知り得べきことは彼らに顯著なればなり、神これを顯し給へり"

 

[塚本訳]

というのは、神について知り得るほどのことは、彼らに明らかなのである。神が現わしてくださったから。"

[前田訳]そもそも神について知りうることは人々に明らかです。それは、神が彼らに現われたもうたからです。"

 

(NCV)God shows his anger because some knowledge of him has been made clear to them. Yes, God has shown himself to them.

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙 1:20[塚本訳] すなわち神の性質は、永遠の能力も神性も、人の目には見えないものであるが、世界創造の時から、理性の目をもって造られた物の中に見ることができるのである。従って(全然)言い訳は立たない。

 

詩篇 19:1-4 【聖歌隊の指揮者によってうたわせたダビデの歌】[口語訳]

もろもろの天は神の栄光をあらわし、大空はみ手のわざをしめす。

2 この日は言葉をかの日につたえ、この夜は知識をかの夜につげる。

3 話すことなく、語ることなく、その声も聞えないのに、

4 その響きは全地にあまねく、その言葉は世界のはてにまで及ぶ。神は日のために幕屋を天に設けられた。

 

詩篇 19:13-15[新共同訳]  知らずに犯した過ち、隠れた罪からどうかわたしを清めてください。 14 あなたの僕を驕りから引き離し支配されないようにしてください。そうすれば、重い背きの罪から清められ、わたしは完全になるでしょう。 15 どうか、わたしの口の言葉が御旨にかない、心の思いが御前に置かれますように。主よ、わたしの岩、わたしの贖い主よ。

 

詩篇 8:4-5 [新共同訳] 

4あなたの天を、あなたの指の業をわたしは仰ぎます。月も、星も、あなたが配置なさったもの。 5 そのあなたが御心に留めてくださるとは人間は何ものなのでしょう。人の子は何ものなのでしょうあなたが顧みてくださるとは。

使徒行伝 17:23[塚本訳]その証拠には、町を通りながらあなた達の聖殿を注意して見ていたところ、知らぬ神に(献ずる)という銘のある祭壇すらありました。だからあなた達が(こうして)知らずに敬っているもの、それをわたしは伝えよう。

 

ヨハネによる福音書 1:9-10 [塚本訳]

すべての人を照すまことの光があって、世にきた。

10 彼は世にいた。そして、世は彼によってできたのであるが、世は彼を知らずにいた

 

 

 

ローマ人への手紙 1章20節

 

[口語訳] 神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被造物において知られていて、明らかに認められるからである。したがって、彼らには弁解の余地がない。

 

[新改訳] 神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。

 

[新共同訳] 世界が造られたときから、目に見えない神の性質、つまり神の永遠の力と神性は被造物に現れており、これを通して神を知ることができます。従って、彼らには弁解の余地がありません。

 

[文語訳]それ神の見るべからざる永遠の能力と神性とは、造られたる物により世の創より悟りえて明かに見るべければ、彼ら言ひ遁るる術なし。

 

[塚本訳]すなわち神の性質は、永遠の能力も神性も、人の目には見えないものであるが、世界創造の時から、理性の目をもって造られた物の中に見ることができるのである。従って(全然)言い訳は立たない。

 

[前田訳]というのは、神の見えぬ諸性質すなわち彼の永遠の力と神性は、世の創造以来、いろいろなみわざのうちに人々に感得されて見えているのです。したがって人々はいいわけできません。

 

 (NCV)There are things about him that people cannot see -- his eternal power and all the things that make him God. But since the beginning of the world those things have been easy to understand by what God has made. So people have no excuse for the bad things they do.

 

[解読の鍵]

詩篇 8:4 [新共同訳]あなたの天を、あなたの指の業をわたしは仰ぎます。月も、星も、あなたが配置なさったもの

 

詩篇 33:6 [新共同訳]

御言葉によって天は造られ、主の口の息吹きによって天の万象は造られた

 

詩篇 139:13-15 [口語訳]あなたはわが内臓をつくり、わが母の胎内でわたしを組み立てられました。

 

 

 

ローマ人への手紙 1章21節

 

 

[口語訳] なぜなら、彼らは神を知っていながら、神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなったからである。

 

[新改訳] というのは、彼らは、神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなったからです。

 

[新共同訳] なぜなら、神を知りながら、神としてあがめることも感謝することもせず、かえって、むなしい思いにふけり、心が鈍く暗くなったからです。

 

[文語訳]神を知りつつも尚これを神として崇めず、感謝せず、その念は虚しく、その愚かなる心は暗くなれり

 

[塚本訳]彼らは神を知っていながら、神として賛美せず、感謝をささげず、かえってその考えは空虚になり、その愚かな心は(ますます)暗くなったからである。

 

[前田訳]人々は神を知りながら神として栄化し感謝せず、自分の考えに迷わされてむなしくなり、そのまちがった心は暗くなりました

 

(NCV)They knew God, but they did not give glory to God or thank him. Their thinking became useless. Their foolish minds were filled with darkness.

 

[解読の鍵]

ヨハネによる福音書 3:19[新共同訳]  光が世に来たのに、人々はその行いが悪いので、光よりも闇の方を好んだ。それが、もう裁きになっている。

 

ルカによる福音書 17:15-18[塚本訳]

15ところでそのうちの一人は自分が直ったのを見ると、大声で神を讃美しながら帰ってきて、

16イエスの足下にひれ伏してお礼を言った。それはサマリヤ人であった。"

17イエスは言われた、「十人とも清められたのではなかったか。九人はどこにいるか。"

18この外国人一人のほかには、(九人のユダヤ人のうちに)帰ってきて神に栄光を帰する者はだれもないのか。」"

 

創世記 6:5[口語訳]

創世記 6:5 主は人の悪が地にはびこり、すべてその心に思いはかることが、いつも悪い事ばかりであるのを見られた。

 

 

 

ローマ人への手紙 1章22節

 

 [口語訳] 彼らは自ら知者と称しながら、愚かになり

 

[新改訳] 彼らは、自分では知者であると言いながら、愚かな者となり

 

[新共同訳] 自分では知恵があると吹聴しながら愚かになり

 

[文語訳]自ら(かしこ)しと稱へて愚かとなり

[塚本訳]自分では賢いと言っているが、馬鹿になっている

[前田訳]自分では賢いといいながら愚かになり

(NCV)They said they were wise, but they became fools.

 

[解読の鍵]

箴言 26:12[新共同訳]  自分を賢者と思い込んでいる者を見たか。彼よりは愚か者の方がまだ希望が持てる

 

マタイによる福音書 6:23[塚本訳]

目が悪いと、体全体が暗い。だから(天に宝を積まないため、)もしあなたの内の光(である目、すなわち心)が暗かったら、その暗さはどんなであろう

 

コリント人への第一の手紙 1:19-21[新共同訳] それは、こう書いてあるからです。「わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さを意味のないものにする。」

20 知恵のある人はどこにいる。学者はどこにいる。この世の論客はどこにいる。神は世の知恵を愚かなものにされたではないか。

21 世は自分の知恵で神を知ることができませんでした。それは神の知恵にかなっています。そこで神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです。

コリント人への第一の手紙 3:18[塚本訳] だれでも自分をごまかしてはならない。あなた達の中にこの世で知恵者だと思う者があるなら、まず馬鹿になれ。(本当の)知恵者になるために。"

エレミヤ書 10:14[新共同訳]

人は皆、愚かで知識に達しえない。金細工人は皆、偶像のゆえに辱められる。鋳て造った像は欺瞞にすぎず霊を持っていない。

 

箴言 26:12-13 [新共同訳] 自分を賢者と思い込んでいる者を見たか。彼よりは愚か者の方がまだ希望が持てる。

13 怠け者は言う、「道に獅子が、広場に雄獅子が」と。

 

コリント人への第一の手紙 1:19-21[塚本訳]

19(聖書に)こう書いてあるではないか、“知恵者の知恵をわたしは滅ぼし、賢い者の賢さをわたしは無にする”と。

20“どこに知恵者が”、“どこに聖書学者が、どこに”この世の議論家がいるのか。神は(この)世の“知恵を馬鹿なものにされた”ではないか。"

21なぜなら、(この)世(の人)が自分の知恵により(判断し)、神の知恵(の現われである御業)において神を認めることをしないので、神は馬鹿な(ことと見える十字架の)説教によって信ずる者(だけ)を救おうと、お決めになったからである。"

 

コリント人への第一の手紙 1:23-25 [新共同訳] わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものですが、

24 ユダヤ人であろうがギリシア人であろうが、召された者には、神の力、神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです。

 

コリント人への第一の手紙 2:4-8[新共同訳]  わたしの言葉もわたしの宣教も、知恵にあふれた言葉によらず、”霊”と力の証明によるものでした。

5 それは、あなたがたが人の知恵によってではなく、神の力によって信じるようになるためでした。

6 しかし、わたしたちは、信仰に成熟した人たちの間では知恵を語ります。それはこの世の知恵ではなく、また、この世の滅びゆく支配者たちの知恵でもありません。

7 わたしたちが語るのは、隠されていた、神秘としての神の知恵であり、神がわたしたちに栄光を与えるために、世界の始まる前から定めておられたものです。

8 この世の支配者たちはだれ一人、この知恵を理解しませんでした。もし理解していたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう。

 

 25 神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。

 

 

 

ローマ人への手紙 1章23節

 

 [口語訳] 不朽の神の栄光を変えて、朽ちる人間や鳥や獣や這うものの像に似せたのである。

 

[新改訳] 不滅の神の御栄えを、滅ぶべき人間や、鳥、獣、はうもののかたちに似た物と代えてしまいました。

 

[新共同訳] 滅びることのない神の栄光を、滅び去る人間や鳥や獣や這うものなどに似せた像と取り替えたのです。

 

[文語訳]朽つることなき神の榮光を易へて、朽つべき人および禽獸・匍ふ物に似たる像となす。

 

[塚本訳]その証拠には、朽ちぬ“栄光”の神“の代りに、”朽ちはてる人間や鳥や四足や長虫の“像を”おがんでいる。

 

[前田訳]朽ちぬ神の栄光と朽ちる人や鳥や獣や虫の像をとりちがえています。

 (NCV)They traded the glory of God who lives forever for the worship of idols made to look like earthly people, birds, animals, and snakes.

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙 1:25 [新共同訳] 神の真理を偽りに替え、造り主の代わりに造られた物を拝んでこれに仕えたのです。造り主こそ、永遠にほめたたえられるべき方です、アーメン。

詩篇 106:20[口語訳]彼らは神の栄光を草を食う牛の像と取り替えた。

 

エレミヤ書 2:11[口語訳]その神を神ではない者に取り替えた国があろうか。ところが、わたしの民はその栄光を益なきものと取り替えた。

 

イザヤ書 44:13 [新共同訳] 木工は寸法を計り、石筆で図を描き、のみで削り、コンパスで図を描き、人の形に似せ、人間の美しさに似せて作り、神殿に置く

 

使徒行伝 17:29[塚本訳] だから、わたし達は神の子孫、(すなわち神に造られた者)である以上、神性を金や銀や石など、(わたし達)人間の技巧や考えで刻んだものに似ていると考えてはならない。

 

コリント人への第一の手紙 12:2[口語訳] あなたがたがまだ異邦人であった時、誘われるまま、物の言えない偶像のところに引かれて行ったことは、あなたがたの承知しているとおりである。

 

ペテロの第一の手紙 4:3 [新共同訳] かつてあなたがたは、異邦人が好むようなことを行い、好色、情欲、泥酔、酒宴、暴飲、律法で禁じられている偶像礼拝などにふけっていたのですが、もうそれで十分です。

 

 

 

ローマ人への手紙 1章24節

 

 [口語訳] ゆえに、神は、彼らが心の欲情にかられ、自分のからだを互にはずかしめて、汚すままに任せられた

 

[新改訳] それゆえ、神は、彼らをその心の欲望のままに汚れに引き渡され、そのために彼らは、互いにそのからだをはずかしめるようになりました。

 

[新共同訳] そこで神は、彼らが心の欲望によって不潔なことをするにまかせられ、そのため、彼らは互いにその体を辱めました。

 

[文語訳]この故に神は彼らを其の心の欲にまかせて、互にその身を辱しむる汚穢に付し給へり。

 [塚本訳]だから神は、彼らが情欲にかられて不品行を行うに任せられた。自分で自分の体を辱しめさせるためである。

 

 [前田訳]それゆえ神は彼らが心の欲によって不潔をなすにまかせられました。彼ら自ら体をはずかしめるためです。

 (NCV)Because they did these things, God left them and let them go their sinful way, wanting only to do evil. As a result, they became full of sexual sin, using their bodies wrongly with each other.

 

[解読の鍵]

詩篇 81:11-12 [口語訳]しかしわが民はわたしの声に聞き従わず、イスラエルはわたしを好まなかった。

12 それゆえ、わたしは彼らをそのかたくなな心にまかせ、その思いのままに行くにまかせた。

 

ホセア書 4:17-18 エフライムは偶像に結びつらなった。そのなすにまかせよ

18 彼らは酒宴のとりことなり、淫行にふけっている。彼らはその光栄よりも恥を愛する。

 

マタイによる福音書 15:13-14[塚本訳]

13イエスは答えられた、「わたしの天の父上がお植えにならないものは皆、引き抜かれる。

14あの人たちを放っておけ。盲人の手引をする盲人だ。盲人が盲人の手引をすれば、二人とも穴に落ちよう。」

 

エペソ人への手紙 4:17-18 [塚本訳]

17(かく君達はキリストの体を建てねばならないの)だから、

(今)私は主にあってこのことを言いまた厳命する・・君達は最早、異教人が空っぽの考えで歩いているように歩いてはならない。"

18彼らは理解力が曇っており、彼らの中に在る無知の故に、またその頑迷な心の故に、神の(賜わる永遠の)生命に縁無き者となっている。"

 

 

 

ローマ人への手紙 1章25節

 

  [口語訳] 彼らは神の真理を変えて虚偽とし、創造者の代りに被造物を拝み、これに仕えたのである。創造者こそ永遠にほむべきものである、アァメン。

 

[新改訳] それは、彼らが神の真理を偽りと取り代え、造り主の代わりに造られた物を拝み、これに仕えたからです。造り主こそ、とこしえにほめたたえられる方です。アーメン。

 

[新共同訳] 神の真理を偽りに替え、造り主の代わりに造られた物を拝んでこれに仕えたのです。造り主こそ、永遠にほめたたえられるべき方です、アーメン。

 

[文語訳]彼らは神の眞を()へて虚僞(いつはり)となし、造物主(つくりぬし)()きて造られたる物を拜し、且これに事ふ、造物主は永遠に讃むべき者なり、アァメン。

 

[塚本訳]彼らは真の神を偽りの神(偶像)にかえて、造物者の代りに創造物を崇めもしおがみもしたからである。造物者こそ永遠に賛美すべきである、アーメン。

 

[前田訳]彼らは神の真理を偽りにかえ、創造主のかわりに被造物をあがめ、かつ拝みました。創造主こそとこしえに讃むべきです、アーメン。

 

(NCV)They traded the truth of God for a lie. They worshiped and served what had been created instead of the God who created those things, who should be praised forever. Amen.

 

[解読の鍵]

マタイによる福音書 6:24[塚本訳] (わたし達の心は天か地かに引かれる。)だれも(同時に)二人の主人に仕えることは出来ない。こちらを憎んであちらを愛するか、こちらに親しんであちらを疎んじるか、どちらかである。あなた達は神と富とに仕えることは出来ない。"

 

マタイによる福音書 10:37[塚本訳] わたしよりも父や母を愛する者は、わたし(の弟子たる)に適しない。わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたし(の弟子たる)に適しない。

 

 

 

ローマ人への手紙 1章26節

 

[口語訳] それゆえ、神は彼らを恥ずべき情欲に任せられた。すなわち、彼らの中の女は、その自然の関係を不自然なものに代え、

 

 [新改訳] こういうわけで、神は彼らを恥ずべき情欲に引き渡されました。すなわち、女は自然の用を不自然なものに代え、

 

[新共同訳] それで、神は彼らを恥ずべき情欲にまかせられました。女は自然の関係を自然にもとるものに変え、

 

[文語訳]之によりて神は彼らを恥づべき慾に(わた)し給へり。即ち女は順性の用を易へて逆性の用となし、

 

[塚本訳]このゆえに神は彼らが恥ずべき肉欲におぼれるに任せられた。すなわち、女はその自然の交わりを不自然な交わりにかえ、

 

[前田訳]このゆえに神は彼らを恥ずべき官能におまかせでした。女性はその自然な交わりを不自然な交わりにかえ、"

 

 (NCV)Because people did those things, God left them and let them do the shameful things they wanted to do. Women stopped having natural sex and started having sex with other women.

 

[解読の鍵]

レビ記 18:22[口語訳]あなたは女と寝るように男と寝てはならない。これは憎むべきことである。

 

申命記 23:17-18 [口語訳]イスラエルの女子は神殿娼婦となってはならない。またイスラエルの男子は神殿男娼となってはならない

18 娼婦の得た価または男娼の価をあなたの神、主の家に携えて行って、どんな誓願にも用いてはならない。これはともにあなたの神、主の憎まれるものだからである

 

コリント人への第一の手紙 6:8-10 [塚本訳]

8あなた達は自分の方でかえって不正をし、奪い取っている、しかも兄弟たちに対して。"

9それとも、不正な人たちは神の国を相続しないことを、あなた達は知らないのか。思い違いをするな。不品行な者も、偶像礼拝者も、姦淫する者も、男娼も、男色をする者も、"

10泥坊も、貪欲な者も、大酒飲み、罵る者、掠奪者も、神の国を相続することはない

 

エペソ人への手紙 5:12-13 彼らがひそかに行っているのは、口にするのも恥ずかしいことなのです。 13 しかし、すべてのものは光にさらされて、明らかにされます

 

 

 

ローマ人への手紙 1章27節

 

 [口語訳] 男もまた同じように女との自然の関係を捨てて、互にその情欲の炎を燃やし、男は男に対して恥ずべきことをなし、そしてその乱行の当然の報いを、身に受けたのである。

 [新改訳] 同じように、男も、女の自然な用を捨てて男どうしで情欲に燃え、男が男と恥ずべきことを行なうようになり、こうしてその誤りに対する当然の報いを自分の身に受けているのです。

 [新共同訳] 同じく男も、女との自然の関係を捨てて、互いに情欲を燃やし、男どうしで恥ずべきことを行い、その迷った行いの当然の報いを身に受けています

 [文語訳]男もまた同じく女の順性の用を棄てて互に情慾を熾し、男と男と恥づることを行ひて、その迷に値すべき報を己が身に受けたり

 [塚本訳] 同じく男も女との自然の交わりをすてて互に情熱をもやし、男と男とが恥ずべきことを行い、迷いに対する当然の報いをその身に受けている

 [前田訳]同じく男性も女性との自然な交わりを捨てて互いに情を燃やし、男性と男性とが恥ずべきことを行ない、まちがいの当然の報いを身に受けています

 (NCV)In the same way, men stopped having natural sex and began wanting each other. Men did shameful things with other men, and in their bodies they received the punishment for those wrongs.

 

 [解読の鍵]

ローマ人への手紙 1: 24 ゆえに、神は、彼らが心の欲情にかられ、自分のからだを互いにはずかしめて、汚すままに任せられた。

 

 

 

ローマ人への手紙 1章28節

 

 [口語訳] そして、彼らは神を認めることを正しいとしなかったので、神は彼らを正しからぬ思いにわたし、なすべからざる事をなすに任せられた

 

[新改訳] また、彼らが神を知ろうとしたがらないので、神は彼らを良くない思いに引き渡され、そのため彼らは、してはならないことをするようになりました。

 

[新共同訳] 彼らは神を認めようとしなかったので、神は彼らを無価値な思いに渡され、そのため、彼らはしてはならないことをするようになりました。

 

 [文語訳]また神を心に()むるを善しとせざれば、神もその邪曲(よこしま)なる心の(まま)()まじき事をするに任せ給へり

 

 [塚本訳]こうして彼らは神を知ることを役に立たぬものと考えたので、神の方でも、彼らの心が役に立たなくなるに任せられた。その結果彼らは(人として)なすべからざることをするようになったのである

 

[前田訳]彼らは神を知ることを無価値としましたので、神も彼らを無価値な精神におまかせでした。それで、彼らはしてならぬことをしました 

 (NCV) People did not think it was important to have a true knowledge of God. So God left them and allowed them to have their own worthless thinking and to do things they should not do.

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙 1:21[塚本訳]

彼らは神を知っていながら、神として賛美せず、感謝をささげず、かえってその考えは空虚になり、その愚かな心は(ますます)暗くなったからである

 

ヨブ記 21:14-15 [新共同訳] 彼らは神に向かって言う。「ほうっておいてください。あなたに従う道など知りたくもない。

15 なぜ、全能者に仕えなければならないのか神に祈って何になるのか。

 

箴言 1:7-8[口語訳] 主を恐れることは知識のはじめである、愚かな者は知恵と教訓を軽んじる。 8 わが子よ、あなたは父の教訓を聞き、母の教を捨ててはならない。

 

コリント人への第二の手紙 4:4[塚本訳] 彼らの場合、この不信者たちの考えをこの世の神(である悪魔)が盲にして、神の影像である救世主の栄光をつげる福音の光を見ることができないようにしたのである。

 

コリント人への第二の手紙 10:4-5[塚本訳] なぜなら、わたし達の戦いの武器は人間的のものではなく、(霊の武器であり、)神のために(あくまで)強力であって、(福音の邪魔をするすべての)砦を打ち破るからである。わたし達は(すべての)詭弁と、"05神を知る知識に逆らい立つすべての(高慢の)櫓とを打ち破り、すべての(悪魔の)たくらみを捕虜にして、従順にキリストを受けいれさせようとしているのである。"

 

 

 

ローマ人への手紙 1章29節

 

  [口語訳] すなわち、彼らは、あらゆる不義と悪と貪欲と悪意とにあふれ、ねたみと殺意と争いと詐欺と悪念とに満ち、また、ざん言する者、

 

[新改訳] 彼らは、あらゆる不義と悪とむさぼりと悪意とに満ちた者、ねたみと殺意と争いと欺きと悪だくみとでいっぱいになった者、陰口を言う者、

 

[新共同訳] あらゆる不義、悪、むさぼり、悪意に満ち、ねたみ、殺意、不和、欺き、邪念にあふれ、陰口を言い、

 

[文語訳]即ちもろもろの不義・惡・慳貧(むさぼり)・惡意にて滿つる者、また嫉妬・殺意・紛爭・詭計・惡念の溢るる者、

 

[塚本訳]彼らはあらゆる不道徳・悪意・欲張り・悪念に満ちた者、妬み・人殺し・喧嘩・悪巧み・よこしまで一ぱいな者、陰口をきく者、

 

[前田訳]彼らはあらゆる不義、悪意、むさぼり、悪念に満ちたもの、妬み、人殺し、争い、悪巧み、邪念でいっぱいのもの、陰口をいうもの、

 

(NCV)They are filled with every kind of sin, evil, selfishness, and hatred. They are full of jealousy, murder, fighting, lying, and thinking the worst about each other.

 

[解読の鍵]

 

ローマ人への手紙 3:10[塚本訳]

(聖書に)こう書いてある。・・“正しい人がいない、一人もいない、"

 

詩篇 41:7 [口語訳]

すべてわたしを憎む者はわたしについて共にささやき、わたしのために災いを思いめぐらす。

 

箴言 16:28-30 [口語訳]

偽る者は争いを起し、つげ口する者は親しい友を離れさせる。

29 しえたげる者はその隣り人をいざない、これを良くない道に導く。

30 めくばせする者は悪を計り、くちびるを縮める者は悪事をなし遂げる。

 

箴言 26:20-22 [新共同訳]

木がなければ火は消える。陰口を言う者が消えればいさかいは鎮まる。

21 炎には炭、火には木、争いを燃え上がらせるのはいさかい好きな者

22 陰口は食べ物のように呑み込まれ、腹の隅々に下って行く。

 

コリント人への第二の手紙 12:20[塚本訳]

 なぜなら、わたしが行って、わたしが願っているようでないあなた達を見たり、あなた達が願っていないような(きびしい)わたしをあなた達に見られることがあってはと、心配しているのだから。すなわち、(まだあなた達の間に)争い、嫉妬、激怒、利己的行動、そしり、陰口、高ぶり、無秩序(など)があってはと、心配している。"

 

 

 

ローマ人への手紙 1章30節

 

 [口語訳] そしる者、神を憎む者、不遜な者、高慢な者、大言壮語する者、悪事をたくらむ者、親に逆らう者となり、

 

[新改訳] そしる者、神を憎む者、人を人と思わぬ者、高ぶる者、大言壮語する者、悪事をたくらむ者、親に逆らう者、

 

[新共同訳] 人をそしり、神を憎み、人を侮り、高慢であり、大言を吐き、悪事をたくらみ、親に逆らい、

 

[文語訳]讒言(ざんげん)する者・(そし)る者・神に憎まるる者・侮る者・高ぶる者・誇る者・惡事を企つる者・父母に逆ふ者、

 

[塚本訳]悪口を言う者、神の敵、無法者、高ぶる者、法螺吹き、悪事の発明家、親不孝者、

 

[前田訳]悪口をいうもの、神を憎むもの、傲慢なもの、高ぶるもの、ほら吹き、策動家、親不孝、

 

 (NCV) and say evil things about each other. They hate God. They are rude and conceited and brag about themselves. They invent ways of doing evil. They do not obey their parents.

 

[解読の鍵]

マタイによる福音書 15:4 [口語訳]神は言われた、『父と母とを敬え』、また『父または母をののしる者は、必ず死に定められる』と。

 

ヨハネによる福音書 7:7[塚本訳] この世はあなた達を憎むことはできないが、わたしを憎む。(あなた達はこの世のものだが、)わたしはこの世の(ものではなく、この世の人々の)することを悪いとはっきり言うからだ。"

 

ヨハネによる福音書 15:23-24[塚本訳]わたしを憎む者は父上をも憎むのであるから。

24もしわたしがほかのだれもしたことのない業を彼らの間でしなかったら、彼らに罪はなかった。しかし今彼らは(わたしの言葉と業とによって)わたしをも父上をも見て、しかも憎んだのである。

 

テサロニケ人への第二の手紙 2:4[塚本訳] これは“凡て神”とか聖なるものとか呼ばれるものに反抗して自ら“高ぶり”、斯くして(遂に)“神の”聖殿“に坐り込み”、自分を”神”なりとする者である。"

 

テモテへの第二の手紙 3:2-5 [口語訳]その時、人々は自分を愛する者、金を愛する者、大言壮語する者、高慢な者、神をそしる者、親に逆らう者、恩を知らぬ者、神聖を汚す者

3 無情な者、融和しない者、そしる者、無節制な者、粗暴な者、善を好まない者、

4 裏切り者、乱暴者、高言をする者、神よりも快楽を愛する者

5 信心深い様子をしながらその実を捨てる者となるであろう。こうした人々を避けなさい。

 

テトスへの手紙 3:3[塚本訳] 私達とてもかつては無智で、不従順で、(道に)迷い、様々な慾と快楽の奴隷となり、悪意と妬みとに(日を)過ごし、(人に)嫌われ、(また)互いに憎み合っていたのである。"

 

ペテロの第二の手紙 2:18-19 [口語訳]彼らはむなしい誇りを語り、迷いの中に生きている人々の間から、かろうじてのがれてきた者たちを、肉欲と色情とによって誘惑し、

19 この人々に自由を与えると約束しながら、彼ら自身は滅亡の奴隷になっている。おおよそ、人は征服者の奴隷となるものである。

 

ユダの手紙 16 [新共同訳] こういう者たちは、自分の運命について不平不満を鳴らし、欲望のままにふるまい、大言壮語し、利益のために人にこびへつらいます

 

 

 

ローマ人への手紙 1章31節

 

 

[口語訳] 無知、不誠実、無情、無慈悲な者となっている。

 

[新改訳] わきまえのない者、約束を破る者、情け知らずの者、慈愛のない者です。

 

[新共同訳] 無知、不誠実、無情、無慈悲です。

 

[文語訳]無知・違約・無情・無慈悲なる者にして、

 

[塚本訳]無知・不誠実・無情・無慈悲の者である。"

 

[前田訳]無知、不誠実、無情、無慈悲のものです。

 

 (NCV) They are foolish, they do not keep their promises, and they show no kindness or mercy to others.

 

[解読の鍵]

 

ローマ人への手紙 1:20-21 神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被造物において知られていて、明らかに認められるからである。したがって、彼らには弁解の余地がない。

21 なぜなら、彼らは神を知っていながら、神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなったからである

 

ローマ人への手紙 3:11 [塚本訳]

悟りのある人はいない、神を求める人はいない

 

箴言 18:2 [口語訳]

愚かな者は悟ることを喜ばず、ただ自分の意見を言い表わすことを喜ぶ。

マタイによる福音書 15:16-20 [口語訳]

イエスは言われた、「あなたがたも、まだわからないのか。

17 口にはいってくるものは、みな腹の中にはいり、そして、外に出て行くことを知らないのか。

18 しかし、口から出て行くものは、心の中から出てくるのであって、それが人を汚すのである。

19 というのは、悪い思い、すなわち、殺人、姦淫、不品行、盗み、偽証、誹りは、心の中から出てくるのであって

20 これらのものが人を汚すのである。しかし、洗わない手で食事することは、人を汚すのではない」。

 

 

 

ローマ人への手紙 1章32節

 

 [口語訳] 彼らは、こうした事を行う者どもが死に価するという神の定めをよく知りながら、自らそれを行うばかりではなく、それを行う者どもを是認さえしている。

 

[新改訳] 彼らは、そのようなことを行なえば、死罪に当たるという神の定めを知っていながら、それを行なっているだけでなく、それを行なう者に心から同意しているのです。

 

[新共同訳] 彼らは、このようなことを行う者が死に値するという神の定めを知っていながら、自分でそれを行うだけではなく、他人の同じ行為をも是認しています。

 

[文語訳]かかる事どもを行ふ者の死罪に當るべき神の定を知りながら、(ただ)に自己これらの事を行ふのみならず、また人の之を行ふを可しとせり。

 

[塚本訳]彼らは、このようなことをするものは死に当たるとの神の定めを知りながら、自分でそれをするばかりか、人がするのにも同意しています。

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙 1:18[塚本訳]

なぜ(この福音が必要であった)か。人々が不道徳をもって真理を押えつけているので、神の怒りが彼らのあらゆる不信と不道徳とに対して、天から現わされているからである。"

 

ローマ人への手紙 1:21[塚本訳]彼らは神を知っていながら、神として賛美せず、感謝をささげず、かえってその考えは空虚になり、その愚かな心は(ますます)暗くなったからである。

 

ローマ人への手紙 6:21[塚本訳]その時いったいどんな実を得たのであったか。今なら恥ずかしいものではないか。それらのものの最後は死だからである

 

マルコによる福音書 14:10-11 [口語訳]

10ときに、十二弟子のひとりイスカリオテのユダは、イエスを祭司長たちに引きわたそうとして、彼らの所へ行った。

11 彼らはこれを聞いて喜び、金を与えることを約束した。そこでユダは、どうかしてイエスを引きわたそうと、機会をねらっていた。

 

詩篇 50:17-22[口語訳] あなたは教えを憎み、わたしの言葉を捨て去った

18 あなたは盗びとを見ればこれとむつみ、姦淫を行う者と交わる

19 あなたはその口を悪にわたし、あなたの舌はたばかりを仕組む。

20 あなたは座してその兄弟をそしり、自分の母の子をののしる。

21 あなたがこれらの事をしたのを、わたしが黙っていたので、あなたはわたしを全く自分とひとしい者と思った。しかしわたしはあなたを責め、あなたの目の前にその罪をならべる。

22 神を忘れる者よ、このことを思え。さもないとわたしはあなたをかき裂く。そのときだれも助ける者はないであろう。

 

 

 

罪が分からなければ贖罪は分からない

 

贖罪は聖書の本質でありキリスト 教の本質であるが、罪が分からなければ贖罪は分からない。しかし罪とは普通考えられるように「煩悩」ではない。罪とは神の顔をつぶす事である。神の顔に泥 を塗ることである。これに対しわが国では「煩悩」が罪であると考えられているがそれは人間に「自然に備わった欲望」であり人間はこれから脱却することは不 可能である。煩悩といわれる人間の欲望は108つあるといわれる。(大晦日に除夜の鐘が108つ打たれるのはここからくる。私には煩悩が108つ以上ある らしい。)この108つの煩悩を克己奮励、人間の努力で我慢滅却することが罪を清めるということではない。それができれば神も贖罪も必要でない。罪の本質 を描いた創世記3章によれば、アダムとエバはリンゴを食べて神との約束を破壊した。この場合神の掟は人間の食欲を否定するものではない。食欲も神に備えら れたものである。神は人間との間の「心の交わり」を「食欲」以上に重視して「約束」の徴として「りんごは食べるな」と命じたのである。だからアダムとエバ がこの「約束を無視して」リンゴを食べたときそれは「神の顔をつぶした」のである。「神の顔に泥を塗った」のである。食欲が悪いのではない。リンゴを食べ たことが悪いのではない。神との心の交わりを破壊したことがいけなかったのである。これが罪なのである。創世記3章は罪とは何かを説明する最高最大の「神 話文学」である。

 ではこの「心の交わり」を回復 するのにはどうしたらよいのか。人間の世界でも顔をつぶされた場合、謝られただけではすまない。約束を無視され顔をつぶされた神の怒りも簡単には収まらな い。代償を要求する。人間が神の顔の泥を拭くことではすまない。その精神は「善行」である。「善行」で取り繕っても罪は消えない。罪は「死」を要求するほ ど大変なことだったのだ。聖書はそれを言う。それほどまでに神の顔は「聖なる」ものだったのだ。人間の側でいくら取り繕っても神との「心の交わり」は回復 できない。

そこで神は自分の「満足」のため に自分で自分を打って「血を流した」のである。それほど「顔をつぶされた」ことが悩みであったのだ。代償としての血を流さなければすまなかったのだ。それ がイエスの十字架である。十字架の血である。「罪には代償が必要である」。この世はそのような原理でできているのだ。もしこの原理に不服で神も罪もあるも のかという「独自の思想・人生観」で歩いてみようとすれば、それもひとつの生き方であるから結構であるが、その場合でも、まず人生の先輩としてのミルトン の「失楽園」ダンテの「神曲」など古今の大文学、バッハ、ベートーベンら大作曲家の「ミサ曲」など先人の言うことを学んでから「独自の道を歩」んでも遅く はない。人生の「効率」のためにもまずこれら人生の諸先輩に聞くべきである。一回きりない人生だから先人を無視して「自分独自の道を歩いてみよ」と言って 険しくクレバスのある道に送り出すほど彼らは好好爺ではない。バカではない。彼らには愛があったから大文学や「ミサ曲」が誕生したのだ。神は預言者を立て て神を無視した道に行くことを警告している。それが旧約聖書である。              

2001.1.4 高橋照男

 

 

 

 

ローマ人への手紙2章1節

 

 [口語訳] だから、ああ、すべて人をさばく者よ。あなたには弁解の余地がない。あなたは、他人をさばくことによって、自分自身を罪に定めている。さばくあなたも、同じことを行っているからである

 

[新改訳] ですから、すべて他人をさばく人よ。あなたに弁解の余地はありません。あなたは、他人をさばくことによって、自分自身を罪に定めています。さばくあなたが、それと同じことを行なっているからです。

 

[新共同訳] だから、すべて人を裁く者よ、弁解の余地はない。あなたは、他人を裁きながら、実は自分自身を罪に定めている。あなたも人を裁いて、同じことをしているからです。

 

[文語訳] されば凡て人を審く者よ、なんぢ言ひ遁るる術なし、他の人を審くは、正しく己を罪するなり。人をさばく汝もみづから同じ事を行へばなり。

 

[塚本訳] だから、ああ人[ユダヤ人]よ、あなたは(人を)裁いているが、

あなたがだれであろうと、言い訳は立たない。あなたは人を裁いて、実は自分の罪を定め

ている。裁きながら、同じことをしているからである。

 

[前田訳] それゆえ、すべて裁く人よ、いいわけはできません。他人を裁くというその点で、あなたは自らを裁いています、裁くあなたが同じことをしていますから。 

 (NCV)If you think you can judge others, you are wrong. When you judge them, you are really judging yourself guilty, because you do the same things they do.

 

[解読の鍵]

マタイによる福音書 7:1-5[口語訳] 人をさばくな。自分がさばかれないためである。

2 あなたがたがさばくそのさばきで、自分もさばかれ、あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられるであろう。 3 なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか。4 自分の目には梁があるのに、どうして兄弟にむかって、あなたの目からちりを取らせてください、と言えようか。5 偽善者よ、まず自分の目から梁を取りのけるがよい。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からちりを取りのけることができるだろう。

 

ヨハネによる福音書 8:7-9[口語訳]彼らが問い続けるので、イエスは身を起して彼らに言われた、「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」。8 そしてまた身をかがめて、地面に物を書きつづけられた。9 これを聞くと、彼らは年寄から始めて、ひとりびとり出て行き、ついに、イエスだけになり、女は中にいたまま残された。

 

 

 

ローマ人への手紙2章2節

 

 [口語訳] わたしたちは、神のさばきが、このような事を行う者どもの上に正しく下ることを、知っている。

 

[新改訳] 私たちは、そのようなことを行なっている人々に下る神のさばきが正しいことを知っています。

 

[新共同訳] 神はこのようなことを行う者を正しくお裁きになると、わたしたちは知っています。

 

[文語訳]かかる事をおこなふ者を罪する神の審判は眞理に合へりと我らは知る。

 

[塚本訳]わたし達が知っているように、(いま言った)こんなことをする者を、神は真理によってお裁きになる。

 

[前田訳]われらは知っています、真理に従って神の裁きはそのようなことをする人々に及ぶことを。"

 

(NCV)God judges those who do wrong things, and we know that his judging is right.

 

[解読の鍵]

テサロニケ人への第二の手紙 1:5-10[塚本訳] 05(実はかく)君 達が苦しんでいることが(とりも直さず)神の正しい(最後の)審判の(既に切迫している)兆であり、(またそれにより)君達が神の国に相応しい者とされる ためであって、君達は(今)その御国のために苦しんでいるので、"06神は(きっと)・・これは神において正しいことであるから・・(今)君達を苦しめて いる者達には患難をもって、"07また(これに反し今)苦しめられている君達には私達と一緒に安息をもって報い給うのであって、そのことは主イエスが天か らその能力なる天使(の群)と共に“火焔の中に”現れ給う時に実現し、"08(その時)主は“神を知ろうとせぬ(異教の)者”と、私達の主イエスの福音に “従順でない者に仕返しをし給う”ので、"

09 これらの人達は罰を受けて“主の御顔とその御力の栄光とから”永遠に滅び失せる・・10そしてこれは主が“聖徒達の間に崇められ”、凡ての信者の間にて 【(もちろん君達の間にても)・・私達の(福音の)証は君達の所で信じられたのだ!】“誉めたたえられんとて来たり給うかの日に”実現するのである。

 

ローマ人への手紙 2:5[塚本訳] こうしてあなたは頑固な悔改めない心によって、神の正しい裁きの現われる怒りの日に臨む(神の)怒りを、自分のために貯蓄している。"

 

ヨハネの黙示録 15:3-4[口語訳]3 彼らは、神の僕モーセの歌と小羊の歌とを歌って言った、「全能者にして主なる神よ。あなたのみわざは、大いなる、また驚くべきものであります。万民の王よ、あなたの道は正しく、かつ真実であります

4 主よ、あなたをおそれず、御名をほめたたえない者が、ありましょうか。あなただけが聖なるかたであり、あらゆる国民はきて、あなたを伏し拝むでしょう。あなたの正しいさばきが、あらわれるに至ったからであります」

 

ヨハネの黙示録 16:5 [新共同訳] そのとき、わたしは水をつかさどる天使がこう言うのを聞いた。「今おられ、かつておられた聖なる方、あなたは正しい方です。このような裁きをしてくださったからです

 

詩篇 19:9-10 [口語訳]主を恐れる道は清らかで、とこしえに絶えることがなく、主のさばきは真実であって、ことごとく正しい。 10 これらは金よりも、多くの純金よりも慕わしく、また蜜よりも、蜂の巣のしたたりよりも甘い。

 

 

 

ローマ人への手紙2章3節

 

 [口語訳] ああ、このような事を行う者どもをさばきながら、しかも自ら同じことを行う人よ。あなたは、神のさばきをのがれうると思うのか

 

[新改訳] そのようなことをしている人々をさばきながら、自分で同じことをしている人よ。あなたは、自分は神のさばきを免れるのだとでも思っているのですか。

 [新共同訳] このようなことをする者を裁きながら、自分でも同じことをしている者よ、あなたは、神の裁きを逃れられると思うのですか

 

[文語訳]かかる事をおこなふ者を審きて自己これを行ふ人よ、なんぢ神の審判を遁れんと思ふか。"

 

[塚本訳]ああ人よ、あなたはこんなことをする者たちを裁きながら、自分で同じことをしているが、それで自分(だけ)は神の裁きを免れると思っているのか

 

[前田訳]お考えなさい、このようなことをする人々を裁き、自ら同じことをする人よ、あなたは神の裁きをのがれるでしょうか

 

(NCV) You judge those who do wrong, but you do wrong yourselves. Do you think you will be able to escape the judgment of God?

 

[解読の鍵]

マタイによる福音書 23:23-33[新共同訳]  律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。薄荷、いのんど、茴香の十分の一は献げるが、律法の中で最も重要な正義、慈悲、誠実はないがしろにしているからだ。これこそ行うべきことである。もとより、十分の一の献げ物もないがしろにしてはならないが。 24 ものの見えない案内人、あなたたちはぶよ一匹さえも漉して除くが、らくだは飲み込んでいる。 25 律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。杯や皿の外側はきれいにするが、内側は強欲と放縦で満ちているからだ。 26 ものの見えないファリサイ派の人々、まず、杯の内側をきれいにせよ。そうすれば、外側もきれいになる。 27 律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。白く塗った墓に似ているからだ。外側は美しく見えるが、内側は死者の骨やあらゆる汚れで満ちている。 28 このようにあなたたちも、外側は人に正しいように見えながら、内側は偽善と不法で満ちている。 29 律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。預言者の墓を建てたり、正しい人の記念碑を飾ったりしているからだ。 30 そして、『もし先祖の時代に生きていても、預言者の血を流す側にはつかなかったであろう』などと言う。31 こうして、自分が預言者を殺した者たちの子孫であることを、自ら証明している。 32 先祖が始めた悪事の仕上げをしたらどうだ。

33 蛇よ、蝮の子らよ、どうしてあなたたちは地獄の罰を免れることができようか。

 

ローマ人への手紙 2:1[塚本訳] だから、ああ人[ユダヤ人]よ、あなたは(人を)裁いているが、あなたがだれであろうと、言い訳は立たない。あなたは人を裁いて、実は自分の罪を定めている。裁きながら、同じことをしているからである。"

 

 

 

ローマ人への手紙2章4節

 

[口語訳] それとも、神の慈愛があなたを悔改めに導くことも知らないで、その慈愛と忍耐と寛容との富を軽んじるのか。

 

 [新改訳] それとも、神の慈愛があなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と忍耐と寛容とを軽んじているのですか。

 

[新共同訳] あるいは、神の憐れみがあなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と寛容と忍耐とを軽んじるのですか。

 

[文語訳]神の仁慈なんぢを悔改に導くを知らずして、その仁慈と忍耐と寛容との豐かなるを輕んずるか。

 

[塚本訳]それとも、神の豊かな慈愛と忍耐と寛容とを誤解し、憐れみ深いこのお方があなたを悔改めさせようとしておられることが、わからないのか。

 

[前田訳]それとも、彼の善意と寛容と忍耐との豊かさをあなどって、神のあわれみがあなたを悔い改めに導くのがわかりませんか。

 (NCV)He has been very kind and patient, waiting for you to change, but you think nothing of his kindness. Perhaps you do not understand that God is kind to you so you will change your hearts and lives.

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙 6:1[塚本訳] それでは、どういうことになるのだろうか。(罪が増せば恩恵も豊かになるならば、)恩恵が増し強まるために、わたし達は罪(の生活)を続けるべきであろうか。

 

ローマ人への手紙 6:15[塚本訳] それでは、どうだろうか。わたし達は律法の下にいるのでなく恩恵の下にいるのだから、罪を犯そうではないかということになるのだろうか。もちろん、そんなことはない。"

 

マタイによる福音書 24:48-51 [口語訳]もしそれが悪い僕であって、自分の主人は帰りがおそいと心の中で思い、 49 その僕仲間をたたきはじめ、また酒飲み仲間と一緒に食べたり飲んだりしているなら、50 その僕の主人は思いがけない日、気がつかない時に帰ってきて、 51 彼を厳罰に処し、偽善者たちと同じ目にあわせるであろう。彼はそこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう。

 

ローマ人への手紙 10:12-13[塚本訳] 12(「すべて」と言う以上、)ユダヤ人も異教人も、その間になんの差別もないのである。なぜなら、同じ一人の方がすべての人の主であって、御自分を呼ぶすべての人に、あり余る恩恵をお与えになるからである。"13ほんとうに(預言者ヨエルが言うように、)“主[キリスト]の名を呼ぶ者はすべて救われる。

 

 

 

ローマ人への手紙2章5節

 

 [口語訳] あなたのかたくなな、悔改めのない心のゆえに、あなたは、神の正しいさばきの現れる怒りの日のために神の怒りを、自分の身に積んでいるのである。

 [新改訳] ところが、あなたは、かたくなさと悔い改めのない心のゆえに御怒りの日、すなわち、神の正しいさばきの現われる日の御怒りを自分のために積み上げているのです

 [新共同訳] あなたは、かたくなで心を改めようとせず、神の怒りを自分のために蓄えています。この怒りは、神が正しい裁きを行われる怒りの日に現れるでしょう

 

[文語訳]なんぢ頑固と悔改めぬ心とにより己のために神の怒を積みて、その正しき審判の顯るる怒の日に及ぶなり。

 

[塚本訳]こうしてあなたは頑固な悔改めない心によって神の正しい裁きの現われる怒りの日に望む(神の)怒りを、自分のために貯蓄している。

 

[前田訳]頑固な、悔い改めない心によって、あなたは神の正しい裁きの現われる怒りの日のお怒りを自らに貯えています 

 (NCV)But you are stubborn and refuse to change, so you are making your own punishment even greater on the day he shows his anger. On that day everyone will see God's right judgments.

 

[解読の鍵]

エゼキエル書 3:7 [新共同訳] しかし、イスラエルの家は、あなたに聞こうとはしない。まことに、彼らはわたしに聞こうとしない者だ。まことにイスラエルの家はすべて、額も硬く心も硬い

 

ゼカリヤ書 7:11-12 [新共同訳] ところが、彼らは耳を傾けることを拒み、かたくなに背を向け、耳を鈍くして聞こうとせず、

12 心を石のように硬くして、万軍の主がその霊によって、先の預言者たちを通して与えられた律法と言葉を聞こうとしなかった。こうして万軍の主の怒りは激しく燃えた。

 

ヘブル人への手紙 3:13[口語訳] あなたがたの中に、罪の惑わしに陥って、心をかたくなにする者がないように、「きょう」といううちに、日々、互に励まし合いなさい。

 

ローマ人への手紙 9:22-23[塚本訳] 22それで、もし神が、(御自分の)怒りを示し御自分の力(の恐ろしさ)を知らせようとお思いになるので、(今日まで)いとも気長に、“滅びのために”つくられた”怒りの器[滅びる人]を辛抱された”とすれば、23またそれは、栄光のためにあらかじめ用意された憐れみの器[救われる人]に、御自分の豊かな栄光を知らせるためであったとすれば、どうだ。(かれこれ言うことはないではないか。)

 

マタイによる福音書 16:27[口語訳] 人の子は父の栄光のうちに、御使たちを従えて来るが、その時には、実際のおこないに応じて、それぞれに報いるであろう

 

 

 

ローマ人への手紙2章6節

 

 [口語訳] 神は、おのおのに、そのわざにしたがって報いられる

 

[新改訳] 神は、ひとりひとりに、その人の行ないに従って報いをお与えになります

 

[新共同訳] 神はおのおのの行いに従ってお報いになります

 

[文語訳]神はおのおのの所作(しわざ)に隨ひて報い

 

[塚本訳]神は“ひとりびとりの行いに応じて報いられる”(と聖書は言う。)

 

[前田訳]神は各人にそのわざによって報われましょう

 

(NCV)God will reward or punish every person for what that person has done.

 

[解読の鍵]

ヨブ記 34:11-12 [口語訳]神は人のわざにしたがってその身に報い、おのおのの道にしたがって、その身に振りかからせられる。

12 まことに神は悪しき事を行われない。全能者はさばきをまげられない

 

イザヤ書 3:11 [新共同訳] 主に逆らう悪人は災いだ。彼らはその手の業に応じて報いを受ける。

 

エレミヤ書 17:10 [口語訳]「主であるわたしは心を探り、思いを試みる。おのおのに、その道にしたがい、その行いの実によって報いをするためである」

 

エレミヤ書 32:19 [新共同訳] その(はかりごと)は偉大であり、御業は力強い。あなたの目は人の歩みをすべてご覧になり、各人の道、行いの実りに応じて報いられます。

 

エゼキエル書18:30[口語訳]  それゆえ、イスラエルの家よ、わたしはあなたがたを、おのおのその行いに従ってさばくと、主なる神は言われる。悔い改めて、あなたがたのすべてのとがを離れよ。さもないと悪はあなたがたを滅ぼす。

 

マタイによる福音書 16:27[口語訳] 人の子は父の栄光のうちに、御使たちを従えて来るが、その時には、実際のおこないに応じて、それぞれに報いるであろう

 

コリント人への第一の手紙 4:5[塚本訳] だから主がおいでになるまで、まだ時でないのに、あなた達は何も裁いてはいけない。主は(来て)、暗闇に隠されたことを(何もかも)明るみに出し、(人の)心のなかの企てをお現わしになる。するとその時、栄誉がひとりびとりに、(善い行いに対して)神からあたえられるであろう

 

コリント人への第二の手紙 5:10[塚本訳] なぜなら、わたし達は(最後の日に)一人のこらずキリストの裁判席の前に自分を現し、ひとりびとりがその体によってしたことに従い、善いことにせよ悪いことにせよ報いを受けねばならないからである

 

ガラテヤ人への手紙 6:8-9[塚本訳] というのは、肉に蒔く者は肉から滅亡を刈取り、霊に蒔く者は(最後の日に神の)霊から永遠の命を刈取るであろう。09わたし達は気を落さず善いことをしようではないか。怠けずにおれば、時が来ると(かならず)刈取るのだから。

 

ヨハネの黙示録 2:22-23[塚本訳]見よ、わたしはこの女を病の床に投げ入れる。この女と姦淫する者をも、悔い改めて彼女のわざから離れなければ、大きな患難の中に投げ入れる。

23 また、この女の子供たちをも打ち殺そう。こうしてすべての教会は、わたしが人の心の奥底までも探り知る者であることを悟るであろう。そしてわたしは、あなたがたひとりびとりのわざに応じて報いよう。

 

ヨハネの黙示録 20:12[口語訳] また、死んでいた者が、大いなる者も小さき者も共に、御座の前に立っているのが見えた。かずかずの書物が開かれたが、もう一つの書物が開かれた。これはいのちの書であった。死人はそのしわざに応じ、この書物に書かれていることにしたがって、さばかれた。

 

 

 

ローマ人への手紙2章7節

 

 

 [口語訳] すなわち、一方では、耐え忍んで善を行って、光栄とほまれと朽ちぬものとを求める人に、永遠のいのちが与えられ

 

[新改訳] 忍耐をもって善を行ない、栄光と誉れと不滅のものとを求める者には、永遠のいのちを与え、

 

[新共同訳] すなわち、忍耐強く善を行い、栄光と誉れと不滅のものを求める者には、永遠の命をお与えになり

 

[文語訳]耐へ忍びて善をおこない光榮と尊貴と朽ちざる事とを求むる者には、永遠の生命をもて報い、

 

[塚本訳]すなわち、忍耐して善を行うことによって栄光と栄誉と不滅とを求める者には、神は永遠の命をおあたえになるが、

 

[前田訳]忍耐をもってよいわざをし、栄光と誉れと不滅を求める人には永遠のいのちを

 

(NCV)Some people, by always continuing to do good, live for God's glory, for honor, and for life that has no end. God will give them life forever.

 

[解読の鍵]

マタイによる福音書 24:12-13[塚本訳] また(兄弟たちの間に)不法がふえるので、多くの人の愛が冷える。13しかし最後まで耐え忍ぶ者は救われる

 

ルカによる福音書 8:15[塚本訳] しかし良い地のもの、これは御言葉を聞くと、りっぱな善い心でこれをしっかり守り、忍耐をもって実を結ぶ人たちである。

 

コリント人への第一の手紙 15:58[口語訳] だから、愛する兄弟たちよ。堅く立って動かされず、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからである

 

ヤコブへの手紙 5:7 [口語訳]だから、兄弟たちよ。主の来臨の時まで耐え忍びなさい。見よ。農夫は、地の尊い実りを、前の雨と後の雨とがあるまで、耐え忍んで待っている

 

ヨハネの黙示録 2:10 [口語訳]あなたの受けようとする苦しみを恐れてはならない。見よ、悪魔が、あなたがたのうちのある者をためすために、獄に入れようとしている。あなたがたは十日の間、苦難にあうであろう。死に至るまで忠実であれ。そうすればいのちの冠を与えよう。

 

ローマ人への手紙 8:18[塚本訳] (しかもこの苦しみは恐れることはない。)なぜなら、わたしはこう考える。今の世の苦しみは、わたし達に現われようとしている栄光(・・キリストと一しょに神の国の相続人になる最後の日の大いなる光栄・・)にくらべれば、言うに足りない。

 

コリント人への第二の手紙 4:16-18[口語訳] だから、わたしたちは落胆しない。たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく。

17 なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させるからである

18 わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくのである。

 

 

 

ローマ人への手紙2章8節

 

  [口語訳] 他方では、党派心をいだき、真理に従わないで不義に従う人に怒りと激しい憤りとが加えられる

 

[新改訳] 党派心を持ち、真理に従わないで不義に従う者には怒りと憤りを下されるのです

 

[新共同訳] 反抗心にかられ、真理ではなく不義に従う者には怒りと憤りをお示しになります

 

[文語訳]徒黨により眞理に從はずして不義にしたがう者には、怒りと憤恚とをもて報い給はん

 

[塚本訳]自分本意で、真理に従わず偽りに従う者には、怒りと憤りとが待っている

 

[前田訳]私欲にかられ、真理に従わず、不義に従うものには怒りといきどおりをお与えになります

 

(NCV)But other people are selfish. They refuse to follow truth and, instead, follow evil. God will give them his punishment and anger.

 

[解読の鍵]

テモテへの第一の手紙 6:3-6[口語訳] もし違ったことを教えて、わたしたちの主イエス・キリストの健全な言葉、ならびに信心にかなう教に同意しないような者があれば、

4 彼は高慢であって、何も知らず、ただ論議と言葉の争いとに病みついている者である。そこから、ねたみ、争い、そしり、さいぎの心が生じ、

5 また知性が腐って、真理にそむき、信心を利得と心得る者どもの間に、はてしのないいがみ合いが起るのである

6 しかし、信心があって足ることを知るのは、大きな利得である。

 

テサロニケ人への第二の手紙 1:8-10[口語訳] その時、主は神を認めない者たちや、わたしたちの主イエスの福音に聞き従わない者たちに報復し

9 そして、彼らは主のみ顔とその力の栄光から退けられて、永遠の滅びに至る刑罰を受けるであろう。

10 その日に、イエスは下ってこられ、聖徒たちの中であがめられ、すべて信じる者たちの間で驚嘆されるであろう・・わたしたちのこのあかしは、あなたがたによって信じられているのである。

 

ペテロの第一の手紙 4:16-17[塚本訳]

しかしもしクリスチャンとして(受難するの)ならば恥じるな、むしろこの(クリスチャンたる)名において神の栄光を顕せ。17審判が神の家“から始まる”時(は既に近づいているの)だからしかしもし(審判が)まず(神の家すなわちキリストを信ずる)私達から(始まる)とすれば、神の福音に従わぬ者の最後はどうであろう!"

 

テサロニケ人への第二の手紙 2:9-12[新共同訳]  不法の者は、サタンの働きによって現れ、あらゆる偽りの奇跡としるしと不思議な業とを行い、

10 そして、あらゆる不義を用いて、滅びていく人々を欺くのです。彼らが滅びるのは、自分たちの救いとなる真理を愛そうとしなかったからです。

11 それで、神は彼らに惑わす力を送られ、その人たちは偽りを信じるようになります

12 こうして、真理を信じないで不義を喜んでいた者は皆、裁かれるのです。

 

 

 

ローマ人への手紙2章9節

 

 [口語訳] 悪を行うすべての人には、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも患難と苦悩とが与えられ、

 

[新改訳] 患難と苦悩とはユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、悪を行なうすべての者の上に下り、

 

[新共同訳] すべて悪を行う者には、ユダヤ人はもとよりギリシア人にも苦しみと悩みが下り、

 

[文語訳]すべて惡をおこなふ人には、ユダヤ人を始めギリシヤ人にも患難と苦難とあり

 

[塚本訳](つまり、)苦しみと悩みとは悪を働くすべての人、まずユダヤ人、次に異教人に、

 

[前田訳]苦しみとなやみはすべて悪をするもの、ユダヤ人をはじめギリシア人に

 

(NCV)He will give trouble and suffering to everyone who does evil -- to the Jews first and also to those who are not Jews.

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙 1:16[塚本訳] わたしは(決して)福音を恥じない。福音は神の力で、これを信ずる者を一人のこらず、すなわち、まずユダヤ人、次に異教人を、救いに入れるからである。"

 

ローマ人への手紙 3:29-30 [口語訳]それとも、神はユダヤ人だけの神であろうか。また、異邦人の神であるのではないか。確かに、異邦人の神でもある

30 まことに、神は唯一であって割礼のある者を信仰によって義とし、また、無割礼の者をも信仰のゆえに義とされるのである

 

ルカによる福音書 2:30-32 [口語訳]わたしの目が今あなたの救を見たのですから。

31 この救はあなたが万民のまえにお備えになったもので、

32 異邦人を照す啓示の光、み民イスラエルの栄光であります」。

 

ルカによる福音書 24:4[塚本訳] また罪を赦されるための悔改め(の福音)が、その名においてすべての国の人に説かれる、エルサレムから始まって、と(聖書に)こう書いてある。"

 

使徒行伝 11:18[塚本訳] これを聞いて人々は沈黙し、「それでは異教人にも、神は(永遠の)命を得させる悔改めをお与えになったのだ」と言って、神を讃美した。

 

使徒行伝 13:46-47[塚本訳] そこでパウロとバルナバとは公然こう宣言した、「神の言葉は(お約束どおり)まず第一に、君たち(ユダヤ人)に語られねばならなかった。(だから、そうしたのだ。)しかし君たちがそれをはねつけ、自分で自分を永遠の命にふさわしからぬ者とするので、それでは、よし、異教人(の伝道)へ方向をかえる。47主はこのようにわたし達(伝道者)にお命じになっているから。 “わたしはあなたを立てて異教人の光にした、あなたが地の果てまで救いを伝えるために

”」"

 

 

 

ローマ人への手紙2章10節

 

 [口語訳] 善を行うすべての人には、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも光栄とほまれと平安とが与えられる

 

[新改訳] 栄光と誉れと平和は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、善を行なうすべての者の上にあります。

 

[新共同訳] すべて善を行う者には、ユダヤ人はもとよりギリシア人にも栄光と誉れと平和が与えられます

 

[文語訳]凡て善をおこなふ人には、ユダヤ人を始めギリシヤ人にも光榮と尊貴と平安とあらん

 

[塚本訳]また栄光と尊敬と平安とは善を行うすべての人、まずユダヤ人、次に異教人にのぞむであろう。

 

[前田訳]栄光と誉れと平和すべて善を行なうもの、ユダヤ人をはじめギリシア人に及びます

 

 (NCV) But he will give glory, honor, and peace to everyone who does good -- to the Jews first and also to those who are not Jews.

 

[解読の鍵]

ルカによる福音書 9:48[塚本訳] 言われた、「わたしの名を信ずるこの子供を迎える者は、わたしを迎えてくれるのである。わたしを迎える者は、わたしを遣わされた方をお迎えするのである。あなた達の間ではだれよりも一番小さい者が、一番えらい。」

 

ローマ人への手紙 8:5-6[塚本訳] なぜ(霊によって歩けばそれができる)か。肉による者[生まれながらの人]は肉のことを追い求めるが、霊による者[キリストを信ずる者]は霊のことを追い求めるからである。06肉を追い求めることは死をもたらすが、霊を追い求めることは命と平安とをもたらすからである。

 

マタイによる福音書 10:13[塚本訳] もしその家が(その祈りをうけるのに)ふさわしければ、あなた達の(祈った)平安はかならずその家に臨み、もしふさわしくなければ、その平安はあなた達にもどってくる。(そしてあなた達のものとなるのである。)

 

ルカによる福音書 1:79[塚本訳] “暗やみと死の陰とに住まう人々を照らし、”われらの足を“平和の道”へと導くであろう

 

ルカによる福音書 19:42[塚本訳] そして言われた、「(ああエルサレム、)お前ももし(「平安を見る」という自分の名のように、)きょうでも平安への道が見えたなら(まだ遅くはないのに!)しかし今それはお前の目に隠されている。"

 

ヨハネによる福音書 14:27[塚本訳] (今別れにのぞんで)平安をあなた達にのこしておく。わたしの平安をあなた達に与える。わたしが与える平安は、この世(の人)が(『平安あれ』と)いのるような(言葉だけの)ものではない。(だから)心騒がせるな、気を落すな。

 

ピリピ人への手紙 4:7[塚本訳] そうすれば全く思いもよらぬ神の平安が君達の心と考えをキリスト・イエスにおいて守るであろう

 

 

 

ローマ人への手紙2章11節

 

[口語訳] なぜなら、神には、かたより見ることがないからである。

 

[新改訳] 神にはえこひいきなどはないからです。

 

[新共同訳] 神は人を分け隔てなさいません。

 

[文語訳]そは神には偏り視給ふこと無ければなり

 

[塚本訳]神にはえこ贔屓がないからである。

 

[前田訳]神には偏見がないからです。

 

(NCV)For God judges all people in the same way.

 

[解読の鍵]

ルカによる福音書 20:21-22[口語訳] 彼らは尋ねて言った、「先生、わたしたちは、あなたの語り教えられることが正しく、また、あなたは分け隔てをなさらず、真理に基いて神の道を教えておられることを、承知しています。

22 ところで、カイザルに貢を納めてよいでしょうか、いけないでしょうか」。

 

コロサイ人への手紙 3:25[塚本訳] 何故なら、(善い事をする者はその善い事に対して報いを受け、)悪い事をする者はその為た悪い事の報いを受けるのであって、主には決して依怙が無いのだから"

 

申命記 16:19[口語訳] あなたはさばきを曲げてはならない。人をかたより見てはならない。また賄賂を取ってはならない。賄賂は賢い者の目をくらまし、正しい者の事件を曲げるからである。

 

 

 

贖罪はなぜ信じにくいのか

なぜわが国の同胞に福音が伝わらないのか。これはプロテスタント宣教100年以上にわたるわが国の先人達の苦悩であった。

しかしその答えは簡単である。難しいことはない。深く悩むことはない。悪魔が人間に噛み付き毒素を体中に注いでいるので身動きができず、わが同胞は福音を信じようにも信じられなくなっているのである。

 

民数記 21:6-7 [新共同訳] 主は炎の蛇を民に向かって送られた。蛇は民をかみ、イスラエルの民の中から多くの死者が出た。 7 民はモーセのもとに来て言った。「わたしたちは主とあなたを非難して、罪を犯しました。主に祈って、わたしたちから蛇を取り除いてください。」モーセは民のために主に祈った。

 

ヨハネによる福音書 3:14[塚本訳] そして、ちょうどモーセが荒野で(銅の)蛇を(竿の先に)挙げたように、人の子(わたしも十字架に)挙げられ(て天に上ら)ねばならない。

 

福 音の説き方が悪いのではない。汎神論的日本精神(思想構造)が悪いのではない。聖書が難しいからではない。わが国が岩地だからではない。すぐれた人物がい ないからではない。ただただ同胞が悪魔に噛み付かれて盲にさせられているからである。このことはパウロも当時のことを次のように言う。

 

コリント人への第二の手紙 4:4[塚本訳]

彼らの場合、この不信者たちの考えをこの世の神(である悪魔)が盲にして、神の影像である救世主の栄光をつげる福音の光を見ることができないようにしたのである。

 

し たがってわれわれの戦いは「この世の人間的諸悪」にあるのではない。人間的諸悪は枝葉であって根ではない。枝葉は切ってもまた出てくる。根を絶やさねばな らない。キリスト教は常に周辺のことが中心的になる傾向を持つ。(ブルンナーの教会主義批判、ブルンナー著作集第4巻(上)160ページ)周辺的なことと は教会主義にとっては教会運営、教会組織の維持、会堂建築、信者の増加運動。無教会主義にとっては体制批判、社会批判、国家批判、近代化に伴う諸相の批 判。これら批判は信仰の受肉展開ではないのだ。それは神抜きの人間の力で地上に神の国を作ろうとする悪魔の策略に陥ってしまっているのだ。(マタイ4:1 −11を精読の必要あり)。戦争反対で真の平和はこない。クリスチャンの教師が、学生が、公務員が、企業人が、専門の仕事を持つ者が本職をさておき信仰の 立場からと言って社会批判の活動と運動に狂奔して、あたかもそれを行っていることがそれをしないクリスチャンより神のためにひとかどのことをしていると 思っている。それが間違いなのだ。わたしはある時彼らがイエスの有体的復活を信じていないという共通点を持っていることを知った。復活は「神が」イ エスを起こしたもうたのである。彼らはそういう神の力を信じられずにいる。彼らには神の力を信ずる信仰がない。!!だから自分達の活動に期待をかけるの だ。しかし彼らの活動は枝葉を切っていることに過ぎず、それは福音の定着、受肉、展開でもなんでもない。近頃は、昔もだが,牧師や伝道者までが本業を忘れ てこの世の人の尻馬に乗って社会批判の活動を行っている。これは滑稽を通り過ぎて怠慢の罪悪である。彼らには神の力を信じるという「信仰」があるのだろう か。人生という限られた時間の使い方が間違っている。彼らをして社会を批判せしめよ、その批判は自己自身の内面批判になっていることに気が付く日の早から んことを祈る。我々の戦うべき相手は闇の本源たる「悪魔」(サタン)そのものである。こう言うとそれは信仰の空転、空回りだと感じる自己の義を立てるこの 世的クリスチャンがいる。

イエスにとってもパウロにとっても相手はサタンそのものであったのだ。 

 

マタイによる福音書 4:9-11 [塚本訳]

10そこでイエスは言われる、「引っ込んでいろ、悪魔!(聖書に)“あなたの神なる主をおがめ、”“主に”のみ“奉仕せよ”と書いてあるのだ。」"

 

マタイによる福音書 16:23[塚本訳]

イエスは振り返って、ペテロに言われた、「引っ込んでろ、悪魔、この邪魔者!お前は神様のことを考えずに、人間のことを考えている!」

 

マルコによる福音書 1:41-42[塚本訳]イエスは(そのあわれな姿を見て悪魔に対する)怒りに燃え、手をのばしてその人にさわり、「よろしい、清まれ」と言われると、

 

エペソ人への手紙 6:11-12[塚本訳] 12私達の戦いは(この世の)血肉に対するものでなく、「権威」に対するもの、「権力」に対するもの、この暗の世界の主権者(なる悪魔)に対するもの、天上における悪霊(の軍勢)に対するものであるからである。

 

悪魔の業を滅ぼすのは子羊イエスキリストの犠牲の血である。黙示録はそれを言う。

人間を蛇の毒から救うのはただただ御子イエスの血による血清である。我々はただこれをのみ伝承する必要があるのだ。

 

ヨハネの黙示録 1:5[新共同訳]更に、証人、誠実な方、死者の中から最初に復活した方、地上の王たちの支配者、イエス・キリストから恵みと平和があなたがたにあるように。わたしたちを愛し、御自分の血によって罪から解放してくださった方に、

2000.1.8 高橋照男                  

 

 

 

ローマ人への手紙2章12節

 

 [口語訳] そのわけは、律法なしに罪を犯した者は、また律法なしに滅び律法のもとで罪を犯した者は、律法によってさばかれる。

 

[新改訳] 律法なしに罪を犯した者はすべて、律法なしに滅び、律法の下にあって罪を犯した者はすべて、律法によってさばかれます。

 

[新共同訳] 律法を知らないで罪を犯した者は皆、この律法と関係なく滅びまた、律法の下にあって罪を犯した者は皆、律法によって裁かれます

 

[文語訳]凡そ律法なくして罪を犯したる者は律法なくして滅び律法ありて罪を犯したる者は律法によりて審かるべし

 

[塚本訳]すなわち、律法なしに罪を犯した者[異教人]はみな、律法なしに滅び律法の下に罪を犯した者[ユダヤ人]はみな、律法によって罰される"

 

[前田訳]律法なしに罪を犯したものは、みな律法なしに滅び、律法の下に罪を犯したものは、みな律法によって裁かれましょう

 

 (NCV)People who do not have the law and who are sinners will be lost, although they do not have the law. And, in the same way, those who have the law and are sinners will be judged by the law.

 

[解読の鍵]

マタイによる福音書 11:22[塚本訳]

ところでお前たちに言うが、裁きの日には、ツロやシドンの方が、まだお前たちよりも罰が軽いであろう。"

 

ルカによる福音書 10:13[塚本訳]

ああ禍だ、お前コラジン!ああ禍だ、お前ベツサイダ!わたしがお前たちの所で行っただけの奇跡をツロやシドンで行ったなら、(あの堕落町でも、)とうの昔に粗布を着、灰の中に坐って悔改めたにちがいないのだから

 

使徒行伝 17:30-31[塚本訳]

ところで神は(こんな)無知な時代を大目に見ておられるが、今や人類に対し、どこの者でも皆、悔改めねばならないことをお告げになっています"31神は一つの日を決め、その日に御自分の定めた一人の人(イエス)を使って“正しく(全)世界を裁こうと”計画しておられるからです。そして彼を死人の中から復活させて、すべての人に(彼が世界を裁くべき人であるという)その保証をお与えになったのであります。」

 

ローマ人への手紙 3:19[塚本訳] ところでわたし達が知っているように、(右の)律法[聖書]が言うことはみな、律法に生きる者(すなわちユダヤ人)に対して語られるものである。(しかし)こうして(ユダヤ人だけでなく)すべての(人の)口がふさがり、世界中の人が、神に対して罪なしと言うことはできないのである

 

ローマ人への手紙 4:15[塚本訳]律法(の目的)は、(人に罪を犯させ、神の)怒りをもたらす(ことにある)からである。律法のない所には、その違反もあり得ない

 

ローマ人への手紙 7:7[塚本訳] それでは、どういうことになるのだろうか。律法(自体)が罪であろうか。もちろん、そうではない。(しかし罪と無関係ではない。)むしろ律法によらなければ、わたしは罪を知らなかった。なぜなら、律法が“(人のものを)欲しがってはならない”と言わなければ、わたしは欲を知らなかったであろう。

 

 

 

ローマ人への手紙2章13節

 

 [口語訳] なぜなら、律法を聞く者が、神の前に義なるものではなく、律法を行う者が、義とされるからである。

 

[新改訳] それは、律法を聞く者が神の前に正しいのではなく、律法を行なう者が正しいと認められるからです。

 

[新共同訳] 律法を聞く者が神の前で正しいのではなく、これを実行する者が、義とされるからです。

 

[文語訳]律法を聞くもの神の前に義たるにあらず、律法をおこなふ者のみ義とせらるべし。・・

 

[塚本訳]なぜなら、律法を聞く者が神の目に義であるのでなく、律法を行う者が義とされるからである。

 

[前田訳]それは、律法を聞くものが神の前に義人ではなく、律法を行なうものが義とされるからです。

 

 (NCV)Hearing the law does not make people right with God. It is those who obey the law who will be right with him.

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙 2:14[塚本訳] すなわち、律法を持たない異教人が、その天性によって律法の命ずるところと同じことを行えば、律法を持たなくても、彼ら(の心)が彼らにとっては律法なのである。

 

マタイによる福音書 7:21[塚本訳] わたしに『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るのではない。わたしの天の父上の御心を行う者(だけ)が入るのである

 

ルカによる福音書 8:21[塚本訳] イエスは答えられた、「わたしの母、わたしの兄弟は、神の御言葉を聞いて行う人たちである。"

 

ルカによる福音書 10:25-29 [口語訳]するとそこへ、ある律法学者が現れ、イエスを試みようとして言った、「先生、何をしたら永遠の生命が受けられましょうか」。

26 彼に言われた、「律法にはなんと書いてあるか。あなたはどう読むか」。

27 彼は答えて言った、「『心をつくし、精神をつくし、力をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。また、『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』とあります」。

28 彼に言われた、「あなたの答は正しい。そのとおり行いなさい。そうすれば、いのちが得られる」。

29 すると彼は自分の立場を弁護しようと思って、イエスに言った、「では、わたしの隣り人とはだれのことですか」。

 

ルカによる福音書 18:14[塚本訳] わたしは言う、あの人でなく、この人の方が(神から)信心深いとされて、家にかえっていった。自分を高くする者は皆低くされるが、自分を低くする者は高くされるのである。

 

ヨハネの第一の手紙 2:29[新共同訳]  あなたがたは、御子が正しい方だと知っているなら、義を行う者も皆、神から生まれていることが分かるはずです

 

ローマ人への手紙 3:20[塚本訳] というのは、律法が命ずる行いによっては“だれ一人神の前に義とされる者はない。”律法によって(は)罪を知る(ことができるだけで、人を罪から救うことはできない)からである。

 

 

 

ローマ人への手紙2章14節

 

  [口語訳] すなわち、律法を持たない異邦人が、自然のままで、律法の命じる事を行うなら、たとい律法を持たなくても、彼らにとっては自分自身が律法なのである

 

[新改訳] ――律法を持たない異邦人が、生まれつきのままで律法の命じる行ないをするばあいは、律法を持たなくても、自分自身が自分に対する律法なのです。

 

[新共同訳] たとえ律法を持たない異邦人も、律法の命じるところを自然に行えば、律法を持たなくとも、自分自身が律法なのです。

 

 [文語訳]律法を有たぬ異邦人、もし本性のまま律法に載せたる所をおこなふ時は、律法を有たずともおのづから己が律法たるなり。

 

[塚本訳]すなわち、律法を持たない異教人が、その天性によって律法の命ずるところと同じことを行えば、律法を持たなくても、彼ら(の心)が彼らにとっては律法なのである。

 

 [前田訳]すなわち、律法を持たぬ異邦人が自然に律法のことを行なえば、律法はなくても、彼らにとって自らが律法です。 

 

 (NCV) (Those who are not Jews do not have the law, but when they freely do what the law commands, they are the law for themselves. This is true even though they do not have the law.

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙 2:12[塚本訳] すなわち、律法なしに罪を犯した者[異教人]はみな、律法なしに滅び、律法の下に罪を犯した者[ユダヤ人]はみな、律法によって罰される。"

 

使徒行伝 14:16-17[塚本訳] 過ぎた時代には、神はすべての異教人に自分の(好きな)道を歩かせておられたが、17それでも、天から雨を振らせて実りの季節を与え、(豊かな)食べ物の楽しみであなた達の心を満たすなど、かずかずの恩恵を施されたのであって、御自分のことを証明せずにおられたわけではない。」

 

使徒行伝 17:30[塚本訳] ところで神は(こんな)無知な時代を大目に見ておられるが、今や人類に対し、どこの者でも皆、悔改めねばならないことをお告げになっています

 

ローマ人への手紙 2:27[塚本訳] 従って、肉に割礼のない者が律法を全うすれば、彼の方があなたを・・(律法の)文字に通じ、割礼を受けていながら律法を犯すあなたを・・裁くであろう。"

 

エペソ人への手紙 2:1-3[塚本訳] 君達も(私達と同様に)自分の咎と罪によって死んだ者であって、"02かつてはこの世の世界の流れに従い、すなわち空中の権威と、今も不従順の子らの中に働いている(悪)霊との首領に従って、その咎と罪の中を歩いたのであった。"03(否、)私達も皆かつてはこの人達に伍して自分の肉の欲の中に生活し、肉と欲望の欲するままに振舞って、他の(異教)人達のように生まれながら(神の)怒りの(審判に定められた)子であった。"

 

 

 

ローマ人への手紙2章15節

 

[口語訳] 彼らは律法の要求がその心にしるされていることを現し、そのことを彼らの良心も共にあかしをして、その判断が互にあるいは訴え、あるいは弁明し合うのである。

 

[新改訳] 彼らはこのようにして、律法の命じる行ないが彼らの心に書かれていることを示しています。彼らの良心もいっしょになってあかしし、また、彼らの思いは互いに責め合ったり、また、弁明し合ったりしています。 ――

 

[新共同訳] こういう人々は、律法の要求する事柄がその心に記されていることを示しています。彼らの良心もこれを証ししており、また心の思いも、互いに責めたり弁明し合って、同じことを示しています。

 

[文語訳]即ち律法の命ずる所のその心に録されたるを顯し、おのが良心もこれを證をなして、その念、たがひに或は訴へ或は辯明す。・・"

 

[塚本訳]それは取りも直さず、律法の命ずる行いが彼らの心に書きつけられていることを彼らが示すのであり、彼らの良心も(同じく)これを証明し、また彼らの考えが互に咎めあるいは弁明することも、これを証明してくれる。

 

[前田訳]彼らは律法の行ないがその心に書かれいることを示しており、彼らの良心もそれを証し、彼らの考えも互いに訴え、または弁明もしてそれを示しています。

 

 (NCV) They show that in their hearts they know what is right and wrong, just as the law commands. And they show this by their consciences. Sometimes their thoughts tell them they did wrong, and sometimes their thoughts tell them they did right.)

 

[解読の鍵]

ヨブ記 27:6[口語訳]わたしは自らの正しさに固執して譲らない。一日たりとも心に恥じるところはない。

 

ヨハネによる福音書 8:9[塚本訳] これを聞くと、彼らは皆(良心に責められ、)老人を始めとして、ひとりびとり出ていって、(最後に)ただイエスと、真中に立ったままの女とが残った。

 

 

 

ローマ人への手紙2章16節

 

 [口語訳] そして、これらのことは、わたしの福音によれば、神がキリスト・イエスによって人々の隠れた事がらをさばかれるその日に、明らかにされるであろう

 

[新改訳] 私の福音によれば、神のさばきは、神がキリスト・イエスによって人々の隠れたことをさばかれる日に、行なわれるのです

 

[新共同訳] そのことは神が、わたしの福音の告げるとおり、人々の隠れた事柄をキリスト・イエスを通して裁かれる日に、明らかになるでしょう。

 

[文語訳]わが福音に云へる如く、神のキリスト・イエスによりて人々の隱れたる事を審きたまふ日に成るべし。"

 

[塚本訳]そしてこれらのことは、わたしの福音によれば、神がキリスト・イエスをもって人の隠れたことを裁かれる(最後の)日に、すべて明らかになるであろう

 

[前田訳]これらは、わが福音によれば、神がキリスト・イエスによって人々の隠れたことをお裁きの日に明らかになるでしょう。

 

 (NCV) All these things will happen on the day when God, through Christ Jesus, will judge people's secret thoughts. The Good News that I preach says this.

)

 

[解読の鍵]

 

マタイによる福音書 16:27 [新共同訳] 人の子は、父の栄光に輝いて天使たちと共に来るが、そのとき、それぞれの行いに応じて報いるのである。

 

マタイによる福音書 25:31-36[口語訳] 人の子が栄光の中にすべての御使たちを従えて来るとき、彼はその栄光の座につくであろう。

32 そして、すべての国民をその前に集めて、羊飼が羊とやぎとを分けるように、彼らをより分け、33 羊を右に、やぎを左におくであろう。 34 そのとき、王は右にいる人々に言うであろう、『わたしの父に祝福された人たちよ、さあ、世の初めからあなたがたのために用意されている御国を受けつぎなさい。 35 あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせ、かわいていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し、36 裸であったときに着せ、病気のときに見舞い、獄にいたときに尋ねてくれたからである』。

 

コリント人への第二の手紙 5:10[塚本訳] なぜなら、わたし達は(最後の日に)一人のこらずキリストの裁判席の前に自分を現し、ひとりびとりがその体によってしたことに従い、善いことにせよ悪いことにせよ報いを受けねばならないからである。"

 

ヘブル人への手紙 9:27-28[塚本訳] そして、ただ一度死ぬことと、そのあとで(神の前に出て)裁きを受けることとが人間にきまっていると同様、28キリストも、ただ一度“多くの人の罪を負う”ために捧げられ、(それから)二度目に、(しかし今度は)罪と関係なく、救のため、彼を待っている者に自分をあらわされるのである。

 

 

 

イエスは自分の死を贖罪の死と自覚していたのか

「イエスは自分の死を贖罪の死と自覚していたのか?」これは近代聖書学の最重要課題であった。その結論 は「ノー」である。イエスは自分の死が人類の罪を救うためであるなどとは知らずに死んだのだ。自分は神の子だとか自分の血は人類の罪の赦しのために流す血 だなどと自覚することなしに「エリ、エリ、ラマサバクタニ(我が神我が神何ゆえわれを見捨てたもうや)と神に絶望して死んでいったのだ。イエスは神の子だ とかその死は贖罪の死だと思い込んだのはパウロを筆頭とする弟子達でイエス本人はそんなことは考えていなかったのだ。」これが近代聖書学の結論である。聖 書学は良くやってくれた。こんなとき聖書学は有用である。これを否定して「イエスは自分の死を贖罪の死と考えていたのだ」と弁護する聖書学者がいるがそれ は「ひいきの引き倒し」である。イエスが自覚していなかったのはそれは「神が」なさった事だからである。神は人類を愛するのあまり「我が子 を」殺したのである。そのとき父なる神は愛する「我が子」に「おまえは人類のために死んでもらう」などとは言わない。それはあまりにかわいそうなことであ る。しかしその死の意味を真に理解したのはその神の心を深く知ったパウロたち弟子なのだ。イエス自身は「自分の死は人類の罪のための贖罪だ」などと「おこ がましいこと」を言わずにただひたすら神の強引な方針に従い憤死したのだ。しかしその背後に潜む神の「愛の心」を知った後の弟子達が「イエスは神の子」と か「その死は罪の赦しのため」と自覚したのだ。「先生」という概念や「お父さん」という概念はその愛を自覚した人の唇にはじめて上るのであって、「先公 (せんこう)」とか「親父(オヤジ)」とか思っているところには「先生」や「父」の概念は実在しないのだ。イエスはひたすら弟子の足を洗ったそのときイエ スは「あとでわかる、いつか分かる」と多分つぶやきながら弟子の足を拭いたのだ。(ヨハネ13:7)。そしてあとになって悟った弟子達の自覚において「神 の子」概念、神の子信仰が発生実在したのだ。

 

ヨハネによる福音書 13:7[塚本訳]

イエスが答えて言われた、「わたしが何をしているのか、いまはあなたにわからない。(わたしがいなくなった)あとでさとるだろう。」

(近代聖書学によればこの言葉こそ後代の加筆とするのだろうが、そこまで分析して読むと音楽でいう「音楽性」が失われて、聖書そのものの本質すら見失う。聖書はイエスを「神の子」と信じた人が書いたものなのだ。)

「あとで悟る」。その時はいつか。それは終末の時である。イエスにとって生きているうちは実を見ることができなかった。人生にとって苦難の意味は本人には最後の時まで隠されているらしい。我々はイエス以上に楽な道は歩めないのだ。

2001.1.14       高橋照男

 

 

 

表 題 ・ 要 約

 

 

ユダヤ人の罪(2章)・・・内村

ユダヤ人の矛盾生活(2.17-24)肉の割礼と心の割礼(2.25−29)・・・塚本

ユダヤ人は律法を持ちながら守らない(2.17-29)・・・塚本

ユダヤ人の律法違反(2.17−24)割礼は人を義としない(2.25−29)

・・・ケーゼマン

人を裁くな(2章)・・・高橋三郎

ユダヤ人は律法によって神を辱めている(2.17−29)・・・白井

肉のユダヤ人は真のユダヤ人にあらず(2.17-29)・・・黒崎

人間の義(2章)審判(2.14-29)・・・バルト

律法によってはユダヤ人は救われない(2.17-24)

割礼によっては救われない(2.25-29)・・・フランシスコ会

ユダヤ人と律法(2.17-29)・・・青野(岩波)

ユダヤ人の罪(2.17-3.8)・・・八木(講談社)

ユダヤ人に対する告発(2.17-29)・・・アルトハウスNTD

ユダヤ人の罪(2.18-32)律法を誇るユダヤ人に対するわざによる審き(2.17-24)

割礼を誇るユダヤ人に対するわざによる審き(2.25-29)

    ・・ヴィルケンスEKK

ユダヤ人と律法(2.17-3.8)・・・新共同訳

 

 

ローマ人への手紙2章17節

 

 [口語訳] もしあなたが、自らユダヤ人と称し、律法に安んじ、神を誇とし

 

[新改訳] もし、あなたが自分をユダヤ人ととなえ、律法を持つことに安んじ、神を誇り

 

[新共同訳] ところで、あなたはユダヤ人と名乗り、律法に頼り、神を誇りとし

 

[文語訳]と稱へられ、律法に安んじ、神を誇り

 

[塚本訳]あなたが自分はユダヤ人だと言い、律法を頼りにし、神との(特別の)関係を誇るならば、"

 

[前田訳]しあなたがユダヤ人を名のり、律法に頼り、神を誇り

 (NCV) What about you? You call yourself a Jew. You trust in the law of Moses and brag that you are close to God.

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙 2:28-29[口語訳]は、外見上のユダヤ人がユダヤ人ではなく、また、外見上の肉における割礼が割礼でもない。

29 かえって、隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、また、文字によらず霊による心の割礼こそ割礼であって、そのほまれは人からではなく、神から来るのである。

 

マタイによる福音書 3:9[塚本訳] 『われわれの先祖はアブラハムである(から大丈夫だ)』などと考えてはならない。わたしは言う、神はそこらの石ころからでも、アブラハムの子供を造ることがお出来になるのだ。"

 

マタイによる福音書 8:11-12[塚本訳] わたしは言う、(最後の日には、このような信仰のあつい)大勢の人が“東から西から”来て、天の国でアブラハムやイサクやヤコブと共に宴会につらなり、12(かんじんのイスラエル人、すなわち)御国の子供たちは外の真暗闇に放り出され、そこでわめき、歯ぎしりするであろう。」"

 

ヨハネによる福音書 8:33[塚本訳] しかし彼らは(その意味がわからずに)答えた、「わたし達はアブラハムの子孫で(自由人で)ある。いまだかつてだれの奴隷にもなったことはない。どうして『あなた達は自由になる』と言われるのか。」

 

ピリピ人への手紙 3:3[塚本訳] (割礼は無いが、)私達こそ本当の割礼者である。(その証拠には、)私達は神の霊によって神に仕え、(ただ)キリスト・イエスを誇りとし、(決して)肉に、(人間の特権に)頼らないからだ・・"

 

ヨハネによる福音書 7:19 [塚本訳] (いったい)あなた達に律法を与えたのはモーセではないか。しかしあなた達のうちにだれ一人、その律法を守る者がない。(モーセ、モーセと言いながら、)なぜわたしを殺そうとするのか。(モーセは『殺してはならない』と言っているではないか。)」

 

ローマ人への手紙 9:32[塚本訳] なぜか。イスラエル人は信仰によってでなく行いによって(義とされ得るか)のように考え(て、追い求め)たからである。彼らは”躓きの石に“躓いた。"

 

コリント人への第二の手紙 11:22[塚本訳] あの人たちはヘブライ人だというのか、わたしもだ。イスラエル人だというのか、わたしもだ。アブラハムの子孫だというのか、わたしもだ。

 

ローマ人への手紙 2:23[塚本訳] (要するに、)あなたは律法を誇りながら、律法を破って神を辱しめている。

 

 

 

ローマ人への手紙2章18節

 

  [口語訳] 御旨を知り、律法に教えられて、なすべきことをわきまえており

 

[新改訳] みこころを知りなすべきことが何であるかを律法に教えられてわきまえ

 

[新共同訳] その御心を知り、律法によって教えられて何をなすべきかをわきまえています

 

[文語訳] その御意を知り、律法に教へられて善惡を辨へ

 

 [塚本訳] "またあなたが律法によって教えられて(神の)御心を知り、何が大切であるかが分り、

 

[前田訳] "律法から教えられてみ心を知り、何が大切かをわきまえ

 

(NCV)You know what he wants you to do and what is important, because you have learned the law.

 

[解読の鍵]

詩篇 119:105 [口語訳]あなたのみ言葉はわが足のともしび、わが道の光です

 

ルカによる福音書 12:47[塚本訳] 主人の心を知っていながら用意せず、あるいは主人の心に従って行動しなかった僕は、(鞭で)打たれることが多い。

 

ヨハネによる福音書 13:12-17 [口語訳]こうして彼らの足を洗ってから、上着をつけ、ふたたび席にもどって、彼らに言われた、「わたしがあなたがたにしたことがわかるか。

13 あなたがたはわたしを教師、また主と呼んでいる。そう言うのは正しい。わたしはそのとおりである。

14 しかし、主であり、また教師であるわたしが、あなたがたの足を洗ったからには、あなたがたもまた、互に足を洗い合うべきである。

15 わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしは手本を示したのだ。

16 よくよくあなたがたに言っておく。僕はその主人にまさるものではなく、つかわされた者はつかわした者にまさるものではない。

17 もしこれらのことがわかっていて、それを行うなら、あなたがたはさいわいである。

 

ヤコブへの手紙 4:17[塚本訳] だから善を為ることを知ってしないのはその人にとって罪である。"

 

テモテへの第二の手紙 3:14-17 [新共同訳] だがあなたは、自分が学んで確信したことから離れてはなりません。あなたは、それをだれから学んだかを知っており、

15 また、自分が幼い日から聖書に親しんできたことをも知っているからです。この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を、あなたに与えることができます。

16 聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。

17 こうして、神に仕える人は、どのような善い業をも行うことができるように、十分に整えられるのです。

 

コリント人への第一の手紙 8:1-3[新共同訳]  偶像に供えられた肉について言えば、「我々は皆、知識を持っている」ということは確かです。ただ、知識は人を高ぶらせるが、愛は造り上げる。

2 自分は何か知っていると思う人がいたら、その人は、知らねばならぬことをまだ知らないのです。

3 しかし、神を愛する人がいれば、その人は神に知られているのです

 

 

 

ローマ人への手紙2章19節

 

 [口語訳] さらに、知識と真理とが律法の中に形をとっているとして、自ら盲人の手引き、やみにおる者の光、愚かな者の導き手、幼な子の教師をもって任じているのなら、

 

[新改訳] また、知識と真理の具体的な形として律法を持っているため、盲人の案内人、やみの中にいる者の光、愚かな者の導き手、幼子の教師だと自任しているのなら、

 

[新共同訳] -20また、律法の中に、知識と真理が具体的に示されていると考え、盲人の案内者、闇の中にいる者の光、無知な者の導き手、未熟な者の教師であると自負しています。

 

[文語訳]また律法のうちに知識と眞理との式を有てりとして、盲人の手引、 暗黒にをる者の光明、

 

[塚本訳]20節合節 かつ律法の中に具体化した知識と真理とを持っているので、「盲人の手引」、「暗やみに迷う者の光り」、「無知な人の教育者」、「児童の教師」をもってみずから任じているならば、──"

 

[前田訳]自ら任じて目しいの案内、闇の中のものの光、

 

 (NCV) You think you are a guide for the blind and a light for those who are in darkness.

 [解読の鍵]

マタイによる福音書 6:23[塚本訳] 目が悪いと、体全体が暗い。だから(天に宝を積まないため、)もしあなたの内の光(である目、すなわち心)が暗かったら、その暗さはどんなであろう。"

 

マタイによる福音書 15:13-14[塚本訳] イエスは答えられた、「わたしの天の父上がお植えにならないものは皆、引き抜かれる。14あの人たちを放っておけ。盲人の手引をする盲人だ。盲人が盲人の手引をすれば、二人とも穴に落ちよう。」"

 

マタイによる福音書 23:24-27[口語訳] 盲目な案内者たちよ。あなたがたは、ぶよはこしているが、らくだはのみこんでいる。

25 偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。杯と皿との外側はきよめるが、内側は貪欲と放縦とで満ちている。

26 盲目なパリサイ人よ。まず、杯の内側をきよめるがよい。そうすれば、外側も清くなるであろう。

27 偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは白く塗った墓に似ている。外側は美しく見えるが、内側は死人の骨や、あらゆる不潔なものでいっぱいである。

 

ヨハネによる福音書 9:34[塚本訳] 彼らも負けずに言った、「罪だらけで生まれたお前が、このわれわれを教えるのか。」そして彼を(礼拝堂)追放にした

 

ヨハネによる福音書 9:40-41[塚本訳] イエスと一しょにいたパリサイ人たちがこれを聞いて、彼に言った、「まさか、このわれわれも盲だというのではあるまい。」"41イエスが言われた、「盲だったら、罪はなかった。たが今、『見える』と言うから、あなた達の罪はいつまでもなくならない。(光に来ようとしないのだから。)

 

マタイによる福音書 4:16[塚本訳] 暗闇に住まう(これらの地方の)民は大いなる光を見、死の陰の地に住まうこの人々に光がのぼった、”

 

使徒行伝 26:16-18[新共同訳]  起き上がれ。自分の足で立て。わたしがあなたに現れたのは、あなたがわたしを見たこと、そして、これからわたしが示そうとすることについて、あなたを奉仕者、また証人にするためである。 17 わたしは、あなたをこの民と異邦人の中から救い出し、彼らのもとに遣わす。 18 それは、彼らの目を開いて、闇から光に、サタンの支配から神に立ち帰らせ、こうして彼らがわたしへの信仰によって、罪の赦しを得、聖なる者とされた人々と共に恵みの分け前にあずかるようになるためである。』」

 

 

 

ローマ人への手紙2章20節

 

  [口語訳] (19節に合節)

 

[新改訳] (19節に合節)

 

[新共同訳] (19節に合節)

 

[文語訳]の守役、幼兒の教師なりと自ら信ずる者よ、

 

[塚本訳] (19節に合節)

 

[前田訳] 無知なものの導き手、幼子の教師として、律法の中に形をとった知識と真理を持つとするならば

 

 (NCV) You think you can show foolish people what is right and teach those who know nothing. You have the law; so you think you know everything and have all truth.

[解読の鍵]

 

テトスへの手紙 1:16[塚本訳] (口では)神を知っていると公言しながら、(その)業で否定している。彼らは(神の目に)忌まわしく、不従順で、凡ての善い業に不適当である。

 

テモテへの第二の手紙 3:5[塚本訳] 彼らは敬虔を装うが(真面目な生活をしようとせず、)その(乱れた生活によってかえって敬虔の)能力を否定している。彼らを離れよ。

 

マタイによる福音書 11:25[塚本訳] その時イエスは声をはげまして言われた、「天地の主なるお父様、(神の国の秘密に関する)これらのことを(この世の)賢い人、知恵者に隠して、幼児(のような人たち)にあらわされたことを、讃美いたします。

 

コリント人への第一の手紙 3:1 [口語訳]兄弟たちよ。わたしはあなたがたには、霊の人に対するように話すことができず、むしろ、肉に属する者、すなわち、キリストにある幼な子に話すように話した。

 

ヘブル人への手紙 5:13 [新共同訳] 乳を飲んでいる者はだれでも、幼子ですから、義の言葉を理解できません。

 

ペテロの第一の手紙 2:2 [新共同訳] 生まれたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい。これを飲んで成長し、救われるようになるためです。

 

ローマ人への手紙 6:17[新改訳]神に感謝すべきことには、あなたがたは、もとは罪の奴隷でしたが、伝えられた教えの規準に心から服従し

 

[新改訳]神に感謝すべきことには、あなたがたは、もとは罪の奴隷でしたが、伝えられた教えの規準に心から服従し、

 

   [新共同訳] しかし、神に感謝します。あなたがたは、かつては罪の奴隷でしたが、今は伝えられた教えの規範を受け入れ、それに心から従うようになり

 

[口語訳]しかし、神は感謝すべきかな。あなたがたは罪の僕であったが、伝えられた教の基準に心から服従して

 

テモテへの第二の手紙 1:13[塚本訳] 私から聴いたことを健全なる教えの模範とせよ。キリスト・イエスにある信仰と(彼に対する)愛とをもってこれを宣べよ。"

 

 

 

ローマ人への手紙2章21節

 

  [口語訳] なぜ、人を教えて自分を教えないのか。盗むなと人に説いて、自らは盗むのか。

 

[新改訳] どうして、人を教えながら、自分自身を教えないのですか。盗むなと説きながら、自分は盗むのですか。

 

[新共同訳] それならば、あなたは他人には教えながら、自分には教えないのですか。「盗むな」と説きながら、盗むのですか。

 

[文語訳]何ゆゑ人に教へて己を教へぬか、竊む勿れと宣べて自ら竊むか、

 

[塚本訳]それで、人を教えながら、あなたは自分を教えないのか。盗んではならないと説きながら、盗むのか。

 

[前田訳]人を教えて自らを教えないのですか。盗むなと説いて盗むのですか

 

[解読の鍵]

マタイによる福音書 23:3[塚本訳] だからなんでも彼らがあなた達に言うことを行い、また守れ。しかし、そのすることを真似てはならない。あの人たちは言うだけで行わないのだから。

 

ルカによる福音書 11:46[塚本訳] イエスが言われた、「ああ禍だ、君たち律法学者も!君たちは人には負いきれない荷を負わせながら、自分では(担ってやるどころか、)ただの指一本、その荷にさわってやらないからだ。

 

ルカによる福音書 12:47[塚本訳] 主人の心を知っていながら用意せず、あるいは主人の心に従って行動しなかった僕は、(鞭で)打たれることが多い

 

ルカによる福音書 19:22[塚本訳] 彼に言う、『悪い僕よ、あなたのその言葉で罰してやろう。このわたしが、預けないものを取り立て、まかないものを刈り取る厳しい人間だと知っていたのか。

 

マタイによる福音書 21:13[塚本訳] それからこう言われた、「“わたしの家は祈りの家と呼ばれるべきである”と(聖書に)書いてあるのに、あなた達はそれを“強盗の巣”にしている。

 

ガラテヤ人への手紙 6:13[塚本訳] というのは、割礼を受けている彼ら自身が、律法を守らない。彼らがあなた達に割礼を受けさせたいのは、あなた達の肉において誇ろうとするのである。

 

詩篇 50:16-21[新共同訳]  神は背く者に言われる。「お前はわたしの掟を片端から唱え、わたしの契約を口にする。どういうつもりか。

17 お前はわたしの諭しを憎み、わたしの言葉を捨てて顧みないではないか。

18 盗人と見ればこれにくみし、姦淫を行う者の仲間になる。

19 悪事は口に親しみ、欺きが舌を御している。

20 座しては兄弟をそしり、同じ母の子を中傷する。

21 お前はこのようなことをしている。わたしが黙していると思うのか。わたしをお前に似たものと見なすのか。罪状をお前の目の前に並べてわたしはお前を責める

 

イザヤ書 56:11 [口語訳]この犬どもは強欲で、飽くことを知らない。彼らはまた悟ることのできない牧者で、皆おのが道にむかいゆき、おのおのみな、おのれの利を求める

 

コリント人への第一の手紙 9:26-27 [口語訳]そこで、わたしは目標のはっきりしないような走り方をせず、空を打つような拳闘はしない

27 すなわち、自分のからだを打ちたたいて服従させるのでる。そうしないと、ほかの人に宣べ伝えておきながら、自分は失格者になるかも知れない

 

 

 

ローマ人への手紙2章22節

 

 [口語訳] 姦淫するなと言って、自らは姦淫するのか。偶像を忌みきらいながら、自らは宮の物をかすめるのか。

 

[新改訳] 姦淫するなと言いながら、自分は姦淫するのですか。偶像を忌みきらいながら、自分は神殿の物をかすめるのですか。

 

[新共同訳] 「姦淫するな」と言いながら、姦淫を行うのですか。偶像を忌み嫌いながら、神殿を荒らすのですか。

 

[文語訳]姦淫する勿れと言ひて姦淫するか、偶像を惡みて宮の物を奪ふか、

 

[塚本訳]姦淫をしてはならないと言いながら、姦淫をするのか。偶像を忌みきらいながら、宮荒しをするのか。

 

[前田訳]姦淫するなといって姦淫するのですか。偶像を忌みきらって宮荒しをするのですか。

 

(NCV)You say that others must not take part in adultery, but you are guilty of that sin. You hate idols, but you steal from temples.

 

[解読の鍵]

エレミヤ書 5:3-9 [新共同訳] 主よ、御目は、真実を求めておられるではありませんか。彼らを打たれても、彼らは痛みを覚えず、彼らを打ちのめされても彼らは懲らしめを受け入れず、その顔を岩よりも固くして、立ち帰ることを拒みました。 4 わたしは思った。「これは身分の低い人々で、彼らは無知なのだ。主の道、神の掟を知らない。

5 身分の高い人々を訪れて語り合ってみよう。彼らなら、主の道、神の掟を知っているはずだ」と。だが、彼らも同様に軛を折り、綱を断ち切っていた。

6 それゆえ、森の獅子が彼らを襲い、荒れ地の狼が彼らを荒らし尽くす。豹が町々をねらい、出て来る者を皆、餌食とする彼らは背きを重ね、その背信が甚だしいからだ。

7 どうして、このようなお前を赦せようか。お前の子らは、わたしを捨て、神でもないものによって誓う。わたしは彼らに十分な食べ物を与えた。すると、彼らは姦淫を犯し遊女の家に群がって行った

8 彼らは、情欲に燃える太った馬のように、隣人の妻を慕っていななく。

9 これらのことをわたしが罰せずにいられようかと、主は言われる。このような民に対し、わたしは必ずその悪に報いる

 

エレミヤ書 7:9-10[新共同訳]  盗み、殺し、姦淫し、偽って誓い、バアルに香をたき、知ることのなかった異教の神々に従いながら、

 

マタイによる福音書 5:27-28[塚本訳] 27あなた達は(昔の人がモーセから、)“姦淫をしてはならない”と命じられたことを聞いたであろう。"

28しかしわたしはあなた達に言う、情欲をもって人妻を見る者は皆、(見ただけで)すでに心の中でその女を姦淫したのである。

 

ヨハネによる福音書 8:7[塚本訳] しかし彼らがしつこく尋ねていると、身を起こして言われた、「あなた達の中で罪(をおかしたこと)のない者が、まずこの女に石を投げつけよ。"

マルコによる福音書 11:17[新共同訳]  そして、人々に教えて言われた。「こう書いてあるではないか。『わたしの家は、すべての国の人の祈りの家と呼ばれるべきである。』ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にしてしまった。」

 

ヤコブへの手紙 4:4 [新共同訳] 神に背いた者たち、世の友となることが、神の敵となることだとは知らないのか。世の友になりたいと願う人はだれでも、神の敵になるのです

 

マラキ書 1:14[新共同訳] 群れの中に傷のない雄の動物を持っており、それをささげると誓いながら、傷のあるものを主にささげる偽り者は呪われよ。わたしは大いなる王で、わたしの名は諸国の間で畏れられている、と万軍の主は言われる。

 

 

 

ローマ人への手紙2章23節

 

[口語訳] 律法を誇としながら、自らは律法に違反して、神を侮っているのか。

 

[新改訳] 律法を誇りとしているあなたが、どうして律法に違反して、神を侮るのですか。

 

[新共同訳] あなたは律法を誇りとしながら、律法を破って神を侮っている

 

[文語訳]律法に誇りて律法を破り神を輕んずるか

 

[塚本訳](要するに、)あなたは律法を誇りながら、律法を破って神を辱しめている

 

[前田訳]あなたは律法を誇りながら、律法を破って神をはずかしめています

 

 (NCV) You brag about having God's law, but you bring shame to God by breaking his law,

 

[解読の鍵]

マルコによる福音書 10:17-22 [新共同訳] イエスが旅に出ようとされると、ある人が走り寄って、ひざまずいて尋ねた。「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか。」

18 イエスは言われた。「なぜ、わたしを『善い』と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない。

19 『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、奪い取るな、父母を敬え』という掟をあなたは知っているはずだ。」

20 すると彼は、「先生、そういうことはみな、子供の時から守ってきました」と言った。

21 イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた。「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」

22 その人はこの言葉に気を落とし、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。

 

ルカによる福音書 10:26-29 [口語訳]彼に言われた、「律法にはなんと書いてあるか。あなたはどう読むか」

27 彼は答えて言った、「『心をつくし、精神をつくし、力をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。また、『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』とあります」。

28 彼に言われた、「あなたの答は正しい。そのとおり行いなさい。そうすれば、いのちが得られる」

29 すると彼は自分の立場を弁護しようと思って、イエスに言った、「では、わたしの隣り人とはだれのことですか」。

 

ルカによる福音書 18:11[塚本訳] パリサイ人は(得々と)ひとり進み出て、こう祈った、『神様、わたしはほかの人たちのように泥棒、詐欺師、姦淫する者でなく、また、この税金取りのような人間でもないことを感謝します。

 

ヨハネによる福音書 5:4[塚本訳] (しかし)わたしが(最後の日に)あなた達を父上に訴えるなどと考えてはならない。いつも訴えている者がいる。あなた達が頼みとしているあのモーセである

 

ヨハネによる福音書 9:28[新共同訳]そこで、彼らはののしって言った。「お前はあの者の弟子だが、我々はモーセの弟子だ

29 我々は、神がモーセに語られたことは知っているが、あの者がどこから来たのかは知らない。」

 

 

 

ローマ人への手紙2章24節

 

 [口語訳] 聖書に書いてあるとおり、「神の御名は、あなたがたのゆえに、異邦人の間で汚されている」。

 

[新改訳] これは、「神の名は、あなたがたのゆえに、異邦人の中でけがされている。」と書いてあるとおりです。

 

[新共同訳] 「あなたたちのせいで、神の名は異邦人の中で汚されている」と書いてあるとおりです。

 

[文語訳]録して『神の名は汝らの故によりて異邦人の中に涜さる』とあるが如し。

 

[塚本訳]神の御名はあなた達のために異教人の中で冒涜される”と書いてあるとおりである。

 

[前田訳]「神のみ名はあなた方によって異邦人の間でけがされる」と聖書にあるとおりです。

 

 (NCV) just as the Scriptures say: "Those who are not Jews speak against God's name because of you."

 

[解読の鍵]

イザヤ書 52:5 [新共同訳] そして今、ここで起こっていることは何か、と主は言われる。わたしの民はただ同然で奪い去られ、支配者たちはわめき、わたしの名は常に、そして絶え間なく侮られている、と主は言われる。

 

哀歌 2:16-17[新共同訳]  敵は皆、あなたに向かって大口を開け、歯をむき、口笛を吹き、そして言う、「滅ぼし尽くしたぞ。ああ、これこそ待ちに待った日だ。たしかに見届けた」と。 17 主は計画したことを実現し、約束したことを果たされる方。昔、命じておかれたところのゆえに、あなたを破壊し、容赦されなかった。敵はそのあなたを見て喜び、あなたを苦しめる者らは角を上げる。

 

エゼキエル書 36:20-23 [口語訳] 21 しかしわたしはイスラエルの家が、その行くところの諸国民の中で汚したわが聖なる名を惜しんだ 22 それゆえ、あなたはイスラエルの家に言え。主なる神はこう言われる、イスラエルの家よ、わたしがすることはあなたがたのためではない。それはあなたがたが行った植民の中で汚した、わが聖なる名のためである。

23 わたしは諸国民の中で汚されたもの、すなわち、あなたがたが彼らの中で汚した、わが大いなる名の聖なることを示す。わたしがあなたがたによって、彼らの目の前に、わたしの聖なることを示す時、諸国民はわたしが主であることを悟ると、主なる神は言われる

 

ペテロの第二の手紙 2:1-2 しかし、民の間に、にせ預言者が起ったことがあるが、それと同じく、あなたがたの間にも、にせ教師が現れるであろう。彼らは、滅びに至らせる異端をひそかに持ち込み、自分たちをあがなって下さった主を否定して、すみやかな滅亡を自分の身に招いている。

2 また、大ぜいの人が彼らの放縦を見習い、そのために、真理の道がそしりを受けるに至るのである。

 

テモテへの第一の手紙 6:1 軛の下にある奴隷の身分の人は皆、自分の主人を十分尊敬すべきものと考えなければなりません。それは、神の御名とわたしたちの教えが冒涜されないようにするためです

 

テトスへの手紙 2:5 [口語訳]慎み深く、純潔で、家事に努め、善良で、自分の夫に従順であるように教えることになり、したがって、神の言がそしりを受けないようになるであろう。

 

テトスへの手紙 2:8 [口語訳]非難のない健全な言葉を用いなさい。そうすれば、反対者も、わたしたちについてなんの悪口も言えなくなり、自ら恥じいるであろう

 

 

 

ローマ人への手紙2章25節

 

 [口語訳] もし、あなたが律法を行うなら、なるほど、割礼は役に立とう。しかし、もし律法を犯すなら、あなたの割礼は無割礼となってしまう

 

[新改訳] もし律法を守るなら、割礼には価値があります。しかし、もしあなたが律法にそむいているなら、あなたの割礼は、無割礼になったのです

 

[新共同訳] あなたが受けた割礼も、律法を守ればこそ意味があり、律法を破れば、それは割礼を受けていないのと同じです

 

[文語訳]なんぢ律法を守らば割禮は益あり、律法を破らば汝の割禮は無割禮となるなり

 

[塚本訳]なぜか。律法を守れば、割礼も役に立つが、律法を犯せば、あなたの割礼は割礼がないと同じである

 

[前田訳]律法を守れば割礼は役立ちますが、律法を破ればあなたの割礼は無割礼になります。

 

(NCV)If you follow the law, your circumcision has meaning. But if you break the law, it is as if you were never circumcised.

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙 2:28-3:2[口語訳] というのは、外見上のユダヤ人がユダヤ人ではなく、また、外見上の肉における割礼が割礼でもない

29 かえって、隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、また、文字によらず霊による心の割礼こそ割礼であって、そのほまれは人からではなく、神から来るのである。

1 では、ユダヤ人のすぐれている点は何か。また割礼の益は何か。

2 それは、いろいろの点で数多くある。まず第一に、神の言が彼らにゆだねられたことである。

 

ローマ人への手紙 4:11-12 [新共同訳] アブラハムは、割礼を受ける前に信仰によって義とされた証しとして、割礼の印を受けたのです。こうして彼は、割礼のないままに信じるすべての人の父となり、彼らも義と認められました。

12 更にまた、彼は割礼を受けた者の父、すなわち、単に割礼を受けているだけでなく、わたしたちの父アブラハムが割礼以前に持っていた信仰の模範に従う人々の父ともなったのです。

 

申命記 30:6 [新共同訳] あなたの神、主はあなたとあなたの子孫の心に割礼を施し、心を尽くし、魂を尽くして、あなたの神、主を愛して命を得ることができるようにしてくださる。

 

ガラテヤ人への手紙 5:3-6[新共同訳] 割礼を受ける人すべてに、もう一度はっきり言います。そういう人は律法全体を行う義務があるのです。4 律法によって義とされようとするなら、あなたがたはだれであろうと、キリストとは縁もゆかりもない者とされ、いただいた恵みも失います。 5 わたしたちは、義とされた者の希望が実現することを、”霊”により、信仰に基づいて切に待ち望んでいるのです。 6 キリスト・イエスに結ばれていれば、割礼の有無は問題ではなく、愛の実践を伴う信仰こそ大切です。

 

 

 

ローマ人への手紙2章26節

 

[口語訳] だから、もし無割礼の者が律法の規定を守るなら、その無割礼は割礼と見なされるではないか。

 

[新改訳] もし割礼を受けていない人が律法の規定を守るなら、割礼を受けていなくても、割礼を受けている者とみなされないでしょうか

 

[新共同訳] だから、割礼を受けていない者が、律法の要求を実行すれば、割礼を受けていなくても、受けた者と見なされるのではないですか

 

[文語訳]割禮なき者も律法の義を守らば、その無割禮は割禮とせらるるにあらずや

 

[塚本訳]反対に、割礼のない者が律法の要求することを守れば、割礼はなくても、割礼があると同様にみなされるではないか

[前田訳]無割礼のものが律法の条項を守れば、無割礼は割礼と認められませんか

 

 (NCV) People who are not Jews are not circumcised, but if they do what the law says, it is as if they were circumcised.

 

[解読の鍵]

イザヤ書 56:6-7[新共同訳]  また、主のもとに集って来た異邦人が、主に仕え、主の名を愛し、その僕となり、安息日を守り、それを汚すことなく、わたしの契約を固く守るなら

7 わたしは彼らを聖なるわたしの山に導き、わたしの祈りの家の喜びの祝いに連なることを許す。彼らが焼き尽くす献げ物といけにえをささげるなら、わたしの祭壇で、わたしはそれを受け入れる。わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる。

 

マタイによる福音書 8:11-12[塚本訳] わたしは言う、(最後の日には、このような信仰のあつい)大勢の人が“東から西から”来て、天の国でアブラハムやイサクやヤコブと共に宴会につらなり、"12(かんじんのイスラエル人、すなわち)御国の子供たちは外の真暗闇に放り出され、そこでわめき、歯ぎしりするであろう。」

 

マタイによる福音書 15:22-28 [口語訳]すると、そこへ、その地方出のカナンの女が出てきて、「主よ、ダビデの子よ、わたしをあわれんでください。娘が悪霊にとりつかれて苦しんでいます」と言って叫びつづけた。

23 しかし、イエスはひと言もお答えにならなかった。そこで弟子たちがみもとにきて願って言った、「この女を追い払ってください。叫びながらついてきていますから」。

24 するとイエスは答えて言われた、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊以外の者には、つかわされていない」

25 しかし、女は近寄りイエスを拝して言った、「主よ、わたしをお助けください」。

26 イエスは答えて言われた、「子供たちのパンを取って小犬に投げてやるのは、よろしくない」。

27 すると女は言った、「主よ、お言葉どおりです。でも、小犬もその主人の食卓から落ちるパンくずは、いただきます」。

28 そこでイエスは答えて言われた、「女よ、あなたの信仰は見あげたものである。あなたの願いどおりになるように」。その時に、娘はいやされた。

 

ピリピ人への手紙 3:3[塚本訳] (割礼は無いが、)私達こそ本当の割礼者である。(その証拠には、)私達は神の霊によって神に仕え、(ただ)キリスト・イエスを誇りとし、(決して)肉に、(人間の特権に)頼らないからだ・・"

 

コロサイ人への手紙 2:11[塚本訳] 君達はまた彼において手にてせざる(真の)割礼、すなわち(モーセ律法によりただ体の一部に施すものでなく、)肉の体を(悉く)脱ぎ去るキリストの割礼によって割礼された。"

 

 

 

ローマ人への手紙2章27節

 

  [口語訳] かつ、生れながら無割礼の者であって律法を全うする者は、律法の文字と割礼とを持ちながら律法を犯しているあなたを、さばくのである。

 

[新改訳] また、からだに割礼を受けていないで律法を守る者が、律法の文字と割礼がありながら律法にそむいているあなたを、さばくことにならないでしょうか。

 

[新共同訳] そして、体に割礼を受けていなくても律法を守る者が、あなたを裁くでしょう。あなたは律法の文字を所有し、割礼を受けていながら、律法を破っているのですから。

 

[文語訳]本性のまま割禮なくして律法を全うする者は、儀文と割禮とありてなほ律法をやぶる汝を審かん。

 

[塚本訳]従って、肉に割礼のない者が律法を全うすれば、彼の方があなたを──(律法の)文字に通じ、割礼を受けていながら律法を犯すあなたを──裁くであろ

う。

 

[前田訳]したがって、内において無割礼のものが律法を全うすれば、彼のほうがあなたを裁くでしょう、あなたは律法の文字と割礼がありながら律法を破っていますから。

 

 (NCV) You Jews have the written law and circumcision, but you break the law. So those who are not circumcised in their bodies, but still obey the law, will show that you are guilty.

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙 8:3-4[塚本訳] 律法が肉に妨げられて無力になったために出来なくなったことを、神は(御子によって)成し遂げてくださった。すなわち(わたし達の)罪の(征服の)ためにその子を罪の肉の形で(この世に)遣わし、その肉(を殺すこと)において罪を罰されたのである。04これはわたし達が(もはや)肉によって歩かず、霊によって歩き、律法の要求することがわたし達において完全に果たされるためである。

 

ローマ人への手紙 13:10[新共同訳]  愛は隣人に悪を行いません。だから、愛は律法を全うするものです。

 

マタイによる福音書 5:17-20[口語訳]わたしが律法や預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するためにきたのである。

18 よく言っておく。天地が滅び行くまでは、律法の一点、一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである。

 

ガラテヤ人への手紙 5:14[塚本訳] (もしあなた達がたがいに愛するならば、律法を守らずして、実は律法を完成することができる。)というのは、律法全体は一言で成就するからである、すなわち、“隣の人を自分のように愛せよ”。

 

 

 

ローマ人への手紙2章28節

 

[口語訳] というのは、外見上のユダヤ人がユダヤ人ではなく、また、外見上の肉における割礼が割礼でもない。

 

[新改訳] 外見上のユダヤ人がユダヤ人なのではなく、外見上のからだの割礼が割礼なのではありません。

 

[新共同訳] 外見上のユダヤ人がユダヤ人ではなく、また、肉に施された外見上の割礼が割礼ではありません。

 

[文語訳]それ表面のユダヤ人はユダヤ人たるにあらず、肉に在る表面の割禮は割禮たるにあらず。

 

[塚本訳]なぜなら、みかけだけのユダヤ人はユダヤ人ではなく、みかけだけの肉的な割礼は割礼ではない。

 

[前田訳]それは、うわべのユダヤ人はユダヤ人でなく、肉によるうわべの割礼も割礼ではないからです。 

 

 (NCV)They can do this because a person is not a true Jew if he is only a Jew in his physical body; true circumcision is not only on the outside of the body.

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙 9:6-8[塚本訳] (ところがイスラエル人は、この約束の成就であるイエス・キリストを十字架につけて殺してしまった。)しかしこれは、神の(約束の)言葉が反故になったなどというのでは決してない。なぜなら、(祖先)イスラエル[ヤコブ]から出た者が皆、イスラエル人だという訳ではないからである。07またアブラハムの子孫だからとて、それが皆その子供とはかぎらない。(その証拠には、神は女奴隷ハガルとの間のイシマエルを正当の子とみなさず、“正妻サラとの間の約束の子)イサクから生まれる者が、あなたの子孫となるべきである”と(仰せられたと聖書に)ある。"08すなわち、(アブラハムの)血筋を引く子供が、当然に(彼の子孫として約束にあずかる)神の子供ではなく、約束の(言葉によって生まれた)子供(だけ)が、(彼の)子孫と見なされるのである。"

 

マタイによる福音書 3:9[新共同訳] 『我々の父はアブラハムだ』などと思ってもみるな。言っておくが、神はこんな石からでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。

 

ヨハネによる福音書 1:47 [口語訳]イエスはナタナエルが自分の方に来るのを見て、彼について言われた、「見よ、あの人こそ、ほんとうのイスラエル人である。その心には偽りがない」

 

ヨハネによる福音書 8:37-39[塚本訳]

37あなた達がアブラハムの子孫であることをわたしは知っている。ところがあなた達は(わたしを信ずるには信じたが、)わたしを殺そうとしている。(それは当然だ。)わたしの言葉が、あなた達の(心の)中で根を張らないのだから。"38わたしは父上のところで見たことを語り、あなた達も同じく(自分の)父から聞いたことをする。」"39彼らが答えて言った、「われわれの父はアブラハムだ。」イエスが言われる、「もしアブラハムの子供なら、アブラハムの(子供らしく、アブラハムと同じ)行いをするはずだ。

 

ガラテヤ人への手紙 6:15[塚本訳] なぜなら、割礼があるのも、割礼がないのも、なんの意味もない。ただ意味があるのは、(キリストによる)新しい創造。

 

 

 

ローマ人への手紙2章29節

 

  [口語訳] かえって、隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、また、文字によらず霊による心の割礼こそ割礼であって、そのほまれは人からではなく、神から来るのである。

 

[新改訳] かえって人目に隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、文字ではなく、御霊による、心の割礼こそ割礼です。その誉れは、人からではなく、神から来るものです。

 

[新共同訳] 内面がユダヤ人である者こそユダヤ人であり、文字ではなく“霊”によって心に施された割礼こそ割礼なのです。その誉れは人からではなく、神から来るのです。

 

[文語訳]隱なるユダヤ人はユダヤ人なり、儀文によらず、靈による心の割禮は割禮なり、その譽は人よりにあらず、神より來るなり。

 

[塚本訳]隠れた(心の中の)ユダヤ人こそ(まことのユダヤ人、)また(律法の)文字によらない、霊的な心の割礼こそ(まことの割礼であり、こんなユダヤ人が、)人間からでなく、神からの栄誉をうけるのである。

 

[前田訳]隠れたところにあるユダヤ人こそ、また、文字によらず霊による心の割礼こそ、人からでなく神からの誉れを受けるのです。 

(NCV) A person is a Jew only if he is a Jew inside; true circumcision is done in the heart by the Spirit, not by the written law. Such a person gets praise from God rather than from people.

 

[解読の鍵]

申命記 10:16 [口語訳]それゆえ、あなたがたは心に割礼をおこない、もはや強情であってはならない。

 

マタイによる福音書 23:25-28 偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。杯と皿との外側はきよめるが、内側は貪欲と放縦とで満ちている。26 盲目なパリサイ人よ。まず、杯の内側をきよめるがよい。そうすれば、外側も清くなるであろう。

27 偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは白く塗った墓に似ている。外側は美しく見えるが、内側は死人の骨や、あらゆる不潔なものでいっぱいである。 28 このようにあなたがたも、外側は人に正しく見えるが、内側は偽善と不法とでいっぱいである。

 

ヨハネによる福音書 4:23[塚本訳] しかし(ユダヤ人もサマリヤ人もなく、)本当の礼拝者が霊と真理とをもって父上を礼拝する時が来る。いや、今もうきている。父上もこんな礼拝者を求めておられるのである。

 

テサロニケ人への第一の手紙 2:4[塚本訳] 私達は神に(心の中を)験され(た後、選ばれ)て福音を託されたのであるから、そのように・・人間の気に入ろうとせず、(ただ)私達の“心を験し給う”神の御意に適うように・・語るのである

 

 

 

復讐心は贖罪によって静まる

「復讐!!」「復讐!!」、 人を赦せない夜。メラメラと燃え上がる「復讐心」。何をしても心に平安がこない「眠られぬ夜」(ヒルティ)。復讐したい。正義のためにも復讐したい。自分 で自分をどうしようにもできなくなってしまうそのような夜は人生で一番つらく苦しいときである。

民数記 35: 21 [口語訳] または、敵意を抱いて殴りつけて、人を死なせた場合、手出しをした者は必ず死刑に処せられる。彼は殺害者である。血の復讐をする者は、その殺害者に出会うとき殺すことができる

 

詩篇 22:2[口語訳] わが神よ、わたしが昼よばわっても、あなたは答えられず、夜よばわっても平安を得ません。

 

こんなときはパウロの「戒め」の言葉も心に通じず慰めを得ない。「パウロ様ゴメンナサイ」

ローマ人への手紙 12:19 [口語訳]愛する者たちよ。自分で復讐をしないで、むしろ、神の怒りに任せなさい。なぜなら、「主が言われる。復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する」と書いてあるからである。

 

また申し訳ないがイエスの「戒め」の言葉すら耳に入らないのだ。「イエス様ゴメンナサイ」

マタイによる福音書 5:44[塚本訳]

しかしわたしはあなた達に言う、敵を愛せよ。自分を迫害する者のために祈れ

 

狂おしく「復讐心」に燃えて苦しんでいるとき、心に静かに小さな声がささやかれる。「お前も同罪だ!!」。このときまた瞬間に「十字架」が示されて自分の罪が赦される。不思議なる贖罪の体験。奇跡。そして心の重荷が降りる。

ローマ人への手紙 7:23-25[塚本訳]

わたしの肢体にもう一つの(わたし、罪の)法則(を喜ぶ外の人としてのわたし)があり、(その神の律法を行おうとする)わたしの理性の法則と戦って、肢体にあるこの罪の法則の捕虜にすることを、経験するのである。24なんとわたしはみじめな人間だろうだれがこの死の体から、わたしを救い出してくれるのだろうか。

25・・神様、感謝します、わたし達の主イエス・キリストによって!・・従って、このわたしは理性では神の律法に仕えるが、肉では罪の法則に仕えるのである。"

 

そして驚くべき平安が到来し、心に「平安」という大河が流れる。そして心の重荷苦しみからの解放、安らぎ、自由。これこそが人間の真の解放、これぞ「福音」なのだ。

イザヤ書 48:18 [口語訳]どうか、あなたはわたしの戒めに聞き従うように。そうすれば、あなたの平安は川のように、あなたの義は海の波のようになり

 

そしてわれわれはそのとき初 めて人を赦せることができるのだ。「金持ちけんかせず」という、心に平安という莫大な富をいただいて我々は初めて人を赦せるのだ。それまでは「無い袖は振 れない」ので人間は努力しても人を赦せない。ヒューマニズムでは無理なのだ。ユネスコ憲章第一条の「戦争は人の心の中で始まる」とは至言である。地上の平 和はまず贖罪の奇跡による人間の「心の平安」が土台なのだ。「復讐心」が静まることが真の平和の基礎で、それは「贖罪」の道以外にはないのだ。

歴代志下 14:5 主が安らぎを与えられたので、その時代この地は平穏で戦争がなかった。そこで彼は、ユダに砦の町を次々と築いた。

2001.1.17 高橋照男

表  題 ・ 要  約

 

人類の罪(3・1−20)・・・内村

しかしユダヤ人の特権は動かない(3.1-8)・・・塚本

ユダヤ人の特権問題(3・1−8)・・・塚本

神の正しい裁き(2.1-3.16)・・・新共同訳

神の約束によっても救われない(3.1-8)・・・フランシスコ会

ユダヤ人と律法(2.17-3.5)・・・青野(岩波版)

ユダヤ人の優越は神の審判を不義とせず(3.1-8)・・・黒崎幸吉

神の義・・律法(3.1-20)・・・バルト

ユダヤ人の罪(2・17−3・8)・・・八木

ユダヤ人の抗議に対する論駁(3・1−8)・・・ヴィルケンスEKK

イスラエルの罪にもかかわらず、神の真実は揺らぐことも弱まることもない。しかしだからといって、罪がとがめられないで済まされることにはならない(3・1−8)・・・アルトハウスNTD

ユダヤ人の特権、神の義と人の罪(3・1−8)・・・白井

論争(3・1−8)・・・高橋三郎

神の義の啓示の必然性(1・18−3・20)

ユダヤ人に対する審き(2・1−3・10)

抗議(2・1−8)・・・ケーゼマン

 

 

 

ローマ人への手紙3章1節

 

 [口語訳] では、ユダヤ人のすぐれている点は何か。また割礼の益は何か。

 

[新改訳] では、ユダヤ人のすぐれたところは、いったい何ですか。割礼にどんな益があるのですか。

 

[新共同訳] では、ユダヤ人の優れた点は何か。割礼の利益は何か。

 

 [文語訳]さらばユダヤ人に何の優るる所ありや、また割禮に何の益ありや。

 

[塚本訳] それでは、ユダヤ人の特権はどうなるのか、また何が割礼の利益であるか。

 

[前田訳]それなら、ユダヤ人の長所は何ですか。割礼の取柄は何ですか。

 

 (NCV)So, do Jews have anything that other people do not have? Is there anything special about being circumcised?

 

[解読の鍵]

 

ローマ人への手紙 2:25-29 [口語訳]もし、あなたが律法を行うなら、なるほど、割礼は役に立とう。しかし、もし律法を犯すなら、あなたの割礼は無割礼となってしまう

26 だから、もし無割礼の者が律法の規定を守るなら、その無割礼は割礼と見なされるではないか。

27 かつ、生まれながら無割礼の者であって律法を全うする者は、律法の文字と割礼とを持ちながら律法を犯しているあなたを、さばくのである。

28 というのは、外見上のユダヤ人がユダヤ人ではなく、また、外見上の肉における割礼が割礼でもない。

29 かえって、隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、また、文字によらず霊による心の割礼こそ割礼であって、そのほまれは人からではなく、神から来るのである。

 

 

創世記 25:32 [口語訳]エサウは言った、「わたしは死にそうだ。長子の特権などわたしに何になろう」。

 

ヘブル人への手紙 13:9[塚本訳] あなた達はさまざまな、異様の教義に惑わされてはいけない。(近ごろ食物が救いに役立つように言う人があるが、それは大きな誤りである。)なぜなら、食物によらず、(神の)恩恵によって、心を確かにされることがよろしいからである。食物によって(信仰の道を)歩いた者たちは、(食物ではすこしも)益されなかったではないか。

 

イザヤ書 1:11-15[口語訳] 主は言われる、「あなたがたがささげる多くの犠牲は、わたしになんの益があるか。わたしは雄羊の燔祭と、肥えた獣の脂肪とに飽いている。わたしは雄牛あるいは小羊、あるいは雄やぎの血を喜ばない。

創世記 25:32 エサウは言った、「わたしは死にそうだ。長子の特権などわたしに何になろう」。

 

伝道の書 6:11-12 [新共同訳] 言葉が多ければ空しさも増すのものだ。人間にとって、それが何になろう。

12 短く空しい人生の日々を、影のように過ごす人間にとって、幸福とは何かを誰が知ろう。人間、その一生の後はどうなるのかを教えてくれるものは、太陽の下にはいない。

 

イザヤ書 1:11-15 [新共同訳] お前たちのささげる多くのいけにえが、わたしにとって何になろうか、と主は言われる。雄羊や肥えた獣の脂肪の献げ物にわたしは飽いた。雄牛、小羊、雄山羊の血をわたしは喜ばない。

12 こうしてわたしの顔を仰ぎ見に来るが、誰がお前たちにこれらのものを求めたか、わたしの庭を踏み荒らす者よ。

13 むなしい献げ物を再び持って来るな。香の煙はわたしの忌み嫌うもの。新月祭、安息日、祝祭など、災いを伴う集いにわたしは耐ええない。

14 お前たちの新月祭や、定められた日の祭りをわたしは憎んでやまない。それはわたしにとって、重荷でしかない。それを担うのに疲れ果てた。

15 お前たちが手を広げて祈っても、わたしは目を覆う。どれほど祈りを繰り返しても、決して聞かない。お前たちの血にまみれた手を

 

マラキ書 3:14 [新共同訳] あなたたちは言っている。「神に仕えることはむなしい。たとえ、その戒めを守っても、万軍の主の御前を喪に服している人のように歩いても、何の益があろうか。

 

コリント人への第一の手紙 15:32[塚本訳]

もしわたしが(復活の信仰からでなく、)人間的な思いからエペソで獣と戦ったとすれば、わたしにとってなんの得があろう。死人が復活しないのなら、“食おうじゃないか、飲もうじゃないか、どうせあしたは死ぬ身だ”である。"

 

ヘブル人への手紙 13:9[塚本訳]

あ なた達はさまざまな、異様の教義に惑わされてはいけない。(近ごろ食物が救いに役立つように言う人があるが、それは大きな誤りである。)なぜなら、食物に よらず、(神の)恩恵によって、心を確かにされることがよろしいからである。食物によって(信仰の道を)歩いた者たちは、(食物ではすこしも)益されなかったではないか。

 

 

 

ローマ人への手紙3章2節

 

[口語訳] それは、いろいろの点で数多くある。まず第一に、神の言が彼らにゆだねられたことである。

 

[新改訳] それは、あらゆる点から見て、大いにあります。第一に、彼らは神のいろいろなおことばをゆだねられています。

 

[新共同訳] それはあらゆる面からいろいろ指摘できます。まず、彼らは神の言葉をゆだねられたのです。

 

[文語訳]凡ての事に益おほし、先ず第一に彼らは神の言を委ねられたり

 

[塚本訳] あらゆる点において多くの特権がある。まず第一には、神の言葉が彼らにまかせられた。"

[前田訳]あらゆる点に多々あります。まず彼らは神のことばをゆだねられました

 

(NCV)Yes, of course, there is in every way. The most important thing is this: God trusted the Jews with his teachings.

 

 [解読の鍵]

申命記 4:7-8[口語訳] われわれの神、主は、われわれが呼び求める時、つねにわれわれに近くおられる。いずれの大いなる国民に、このように近くおる神があるであろうか

8 また、いずれの大いなる国民に、きょう、わたしがあなたがたの前に立てるこのすべての律法のような正しい定めと、おきてとがあるであろうか

 

詩篇 147:19-20 [口語訳]主はそのみ言葉をヤコブ示し、そのもろもろの定めと、おきてとをイスラエルに示される。

20 主はいずれの国民をも、このようにはあしらわれなかった。彼らは主のもろもろのおきてを知らない。主をほめたたえよ。

 

ルカによる福音書 16:29-31[塚本訳] しかしアブラハムは言う、『(その必要はない。)彼らにはモーセ(律法)と預言書と[聖書]がある。その教えに従えばよろしい。』

30彼が言った、『いいえ、父アブラハムよ、もしだれかが死人の中から行ってやれば、きっと悔改めます。』"

31しかしアブラハムは答えた、『モーセと預言書との教えに従わないようでは、たとえ死人の中から生き返る者があっても、その言うことを聞かないであろう。』」

 

 

ヨハネによる福音書 5:39-40[塚本訳] あなた達は聖書(旧約)をもっていることが永遠の命を持っていることのように思って、それを研究している。ところがこの聖書は、(永遠の命である)このわたしのことを証明しているのに、40あなた達はその命を得るためわたしの所に来ようとしない。

 

ローマ人への手紙 1:2[新改訳] ――この福音は、神がその預言者たちを通して、聖書において前から約束されたもので、

 

ローマ人への手紙 2:18[新改訳] みこころを知り、なすべきことが何であるかを律法に教えられてわきまえ

 

ローマ人への手紙 9:3-4[塚本訳] ほんとうに、兄弟すなわち血を分けた同胞の(救われる)ためならば、このわたしは呪われて、救世主(の救い)から離れ落ちてもよいと、幾たび(神に)願ったことであろう。04(言うまでもなく、)それはイスラエル人のことである。(彼らは神の)子たる身分(を与えられ、神の)栄光(はその中に住み、)かずかずの契約(は神との間に結ばれ、比類のない)律法、(荘厳な)礼拝、多くの(恩恵の)約束は、(ことごとく)彼らのものである

 

エゼキエル書 20:11-12[口語訳] わたしの定めを彼らに授け、わたしのおきてを彼らに示した。これは人がこれを行うことによって生きるものである。

12 わたしはまた彼らに安息日を与えて、わたしと彼らとの間のしるしとした。これは主なるわたしが彼らを聖別したことを、彼らに知らせるためである

 

ネヘミヤ記 9:13-14 [新共同訳] あなたは天からシナイの山に降って彼らと語り正しい法、真実の律法優れた掟と戒めを授け

14 あなたの聖なる安息日を布告し僕モーセによって戒めと掟と律法を授けられた

 

 

 

ローマ人への手紙3章3節

 

 [口語訳]

すると、どうなるのか。もし、彼らのうちに不真実の者があったとしたら、その不真実によって、神の真実は無になるであろうか。

 

[新改訳]

では、いったいどうなのですか。彼らのうちに不真実な者があったら、その不真実によって、神の真実が無に帰することになるでしょうか

 

[新共同訳]

それはいったいどういうことか。彼らの中に不誠実な者たちがいたにせよ、その不誠実のせいで、神の誠実が無にされるとでもいうのですか

 

[文語訳]

されど如何ん、ここに信ぜざる者ありとも、その不信は神の眞實を癈つべきか

 

[塚本訳]

 すると、どうなるのだろうか。もしある人たちが(神の言葉に)不忠実であったら、その不忠実が神の忠実を無にするのではなかろうか

 

[前田訳]

それはどういうことでしょう。あるものが不信であったとしても、その不信は神のまことを無にしますか。"

 

 (NCV)

If some Jews were not faithful to him, will that stop God from doing what he promised?

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙 9:6[塚本訳]

(ところがイスラエル人は、この約束の成就であるイエス・キリストを十字架につけて殺してしまった。)しかしこれは、神の(約束の)言葉が反故になったなどというのでは決してない。なぜなら、(祖先)イスラエル[ヤコブ]から出た者が皆、イスラエル人だという訳ではないからである。

 

ローマ人への手紙 10:16[塚本訳]

ところが、だれもが(このように伝えられた)福音を、従順に受け入れたわけではない。イザヤも(こう)言っているから。“主よ、だれがわたし達に聞いたことを信じましたか”と。(実際イスラエル人は信じなかったのである。)"

 

マタイによる福音書 24:35[塚本訳]

 天地は消え失せる、しかし(いま言った)わたしの言葉は決して消え失せない。

 

ヘブル人への手紙 4:2[新共同訳]

というのは、わたしたちにも彼ら同様に福音が告げ知らされているからです。けれども、彼らには聞いた言葉は役に立ちませんでした。その言葉が、それを聞いた人々と、信仰によって結び付かなかったためです

 

テモテへの第二の手紙 2:13[新共同訳] 

わたしたちが誠実でなくても、キリストは常に真実であられる。キリストは御自身を否むことができないからである。」

 

ローマ人への手紙 11:2神の賜物も招待も、(一旦与えられた以上は永遠に)取り消されないからである。

 

イザヤ書 54:9-10 [新共同訳] これは、わたしにとってノアの洪水に等しい。再び地上にノアの洪水を起こすことはないとあのとき誓い、今またわたしは誓う、再びあなたを怒り、責めることはない、と

10 山が移り、丘が揺らぐこともあろう。しかし、わたしの慈しみはあなたから移らず、わたしの結ぶ平和の契約が揺らぐことはないとあなたを憐れむ主は言われる

 

マタイによる福音書 5:18[塚本訳] アーメン、わたしは言う、天地が消え失せても、(そこに書かれている)すべてのことが実現するまでは、律法(と預言書)から、その一点一画といえども決して消え失せない。"

 

イザヤ書 51:6[口語訳] 目をあげて天を見、また下なる地を見よ。天は煙のように消え、地は衣のようにふるび、その中に住む者は、ぶよのように死ぬ。しかし、わが救はとこしえにながらえ、わが義はくじけることがない

 

 

 

ローマ人への手紙3章4節

 

 [口語訳] 断じてそうではない。あらゆる人を偽り者としても神を真実なものとすべきである。それは、/「あなたが言葉を述べるときは、義とせられ、/あなたがさばきを受けるとき、勝利を得るため」/と書いてあるとおりである。

 

[新改訳] 絶対にそんなことはありません。たとい、すべての人を偽り者としても、神は真実な方であるとすべきです。それは、「あなたが、そのみことばによって正しいとされ、さばかれるときには勝利を得られるため。」と書いてあるとおりです。

 

[新共同訳] 決してそうではない。人はすべて偽り者であるとしても神は真実な方であるとすべきです。「あなたは、言葉を述べるとき、正しいとされ、/裁きを受けるとき、勝利を得られる」と書いてあるとおりです。

 

 [文語訳]決して然らず、人をみな虚僞者とすとも神を誠實とすべし。録して、『なんぢは其の言にて義とせられ、審かるるとき勝を得給はん爲なり』、とあるが如し。

 

[塚本訳] “もちろん、そうではない。”人間を皆嘘つき”にしても、神を真実とせねばならない。(聖書に)”これは、御言葉によってあなた[神]が正しいとされ、あなたがさばかれる時、勝利を得られるためでる。”と書いてあるとおりである。

 

[前田訳]断じて否です。人はすべて偽りでも神は真実とすべきです。これは、聖書にあるとおりです、「みことばによってあなたが正しいとされ、み裁きによって勝ちたもうため」と。

 

 (NCV) No! God will continue to be true even when every person is false. As the Scriptures say: "So you will be shown to be right when you speak, and you will win your case."

 

[解読の鍵]

申命記 32:4-5[新共同訳] 主は岩、その御業は完全で、その道はことごとく正しい。真実の神で偽りなく、正しくてまっすぐな方

5 不正を好む曲がった世代はしかし、神を離れ、その傷ゆえに、もはや神の子らではない。

 

詩篇 51:4 [口語訳]わたしはあなたにむかい、ただあなたに罪を犯し、あなたの前に悪いことを行いました。それゆえ、あなたが宣告をお与えになるときは正しく、あなたが人をさばかれるときは誤りがありません。

 

詩篇 116:10-12 [口語訳]「わたしは大いに悩んだ」と言った時にもなお信じた。

11 わたしは驚きあわてたときに言った、「すべての人は当にならぬ者である」と。

 

マタイによる福音書 11:19[塚本訳] 人の子(わたし)が来て飲み食いすると、『そら、大飯食いだ、飲兵衛だ、税金取りと罪人の仲間だ』と言うのだから。しかし(神の)知恵の正しいことは、(ヨハネと人の子とによる)その業が証明した。」"

 

ローマ人への手紙 7:7[塚本訳]それでは、どういうことになるのだろうか。律法(自体)が罪であろうか。もちろん、そうではない。(しかし罪と無関係ではない。)むしろ律法によらなければ、わたしは罪を知らなかった。なぜなら、律法が“(人のものを)欲しがってはならない”と言わなければ、わたしは欲を知らなかったであろう。"

 

 

 

ローマ人への手紙3章5節

 

[口語訳] しかし、もしわたしたちの不義が、神の義を明らかにするとしたら、なんと言うべきか。怒りを下す神は、不義であると言うのか(これは人間的な言い方ではある)。

 

[新改訳] しかし、もし私たちの不義が神の義を明らかにするとしたら、どうなるでしょうか。人間的な言い方をしますが、怒りを下す神は不正なのでしょうか

 

[新共同訳] しかし、わたしたちの不義が神の義を明らかにするとしたら、それに対して何と言うべきでしょう。人間の論法に従って言いますが、怒りを発する神は正しくないのですか

 

[文語訳]然れど若し我らの不義は神の義を顯すとせば何と言はんか、怒を加へたまふ神は不義なるか(こは人の言ふごとく言ふなり)

 

[塚本訳]しかしもしわたし達の不道徳が神の義を明らかにするならば、どういうことになるのだろうか、お怒りになる神の方が──これは人間的に言うのだが──間違っているのではなかろうか。

[前田訳]もしわれらの不義が神の義を明らかにするならば、何と言うべきでしょう。これは人間的にいうのですが、怒りをおくだしの神は不義ですか

 

 (NCV) When we do wrong, that shows more clearly that God is right. So can we say that God is wrong to punish us? (I am talking as people might talk.)

 

[解読の鍵]

申命記 32:39-41 [口語訳]今見よ、わたしこそは彼である。わたしのほかに神はない。わたしは殺し、また生かし、傷つけ、またいやす。わたしの手から救い出しうるものはない。

40 わたしは天にむかい手をあげて誓う、「わたしは永遠に生きる。

41 わたしがきらめくつるぎをとぎ、手にさばきを握るとき、わたしは敵にあだを返し、わたしを憎む者に報復するであろう。

 

詩篇 58:10-11 [口語訳]正しい者は復讐を見て喜び、その足を悪しき者の血で洗うであろう。

11 そして人々は言うであろう、「まことに正しい者には報いがある。真に地にさばきを行われる神がある」と。

 

詩篇 94:1-4[口語訳]あだを報いられる神、主よ、あだを報いられる神よ、光を放ってください。

2 地をさばかれる者よ、立って高ぶる者にその受くべき罰をお与えください。

3 主よ、悪しき者はいつまで、悪しき者はいつまで勝ち誇るでしょうか。

4 彼らは高慢な言葉を吐き散らし、すべて不義を行なう者はみずから高ぶります。

 

ナホム書 1:2-3 [口語訳]主はねたみ、かつあだを報いる神、主はあだを報いる者、また憤る者、主はおのがあだに報復し、おのが敵に対して憤りをいだく

3 主は怒ることおそく、力強き者、主は罰すべき者を決してゆるされない者、主の道はつむじ風と大風の中にあり、雲はその足のちりである。

 

ローマ人への手紙 6:1-2[塚本訳] それでは、どういうことになるのだろうか。(罪が増せば恩恵も豊かになるならば、)恩恵が増し強まるために、わたし達は罪(の生活)を続けるべきであろうか。02もちろん、そうではない。わたし達は罪との関係ではすでに死んでいるのに、、どうしてなお罪の中に生きていられよう。"

 

ローマ人への手紙 7:6-7[塚本訳] しかし今は縛られていた律法に対して死に、律法から解かれたので、(律法の)古い文字によらず、(福音の)新しい霊において(神に)仕えるのである。"

07それでは、どういうことになるのだろうか。律法(自体)が罪であろうか。もちろん、そうではない。(しかし罪と無関係ではない。)むしろ律法によらなければ、わたしは罪を知らなかった。なぜなら、律法が“(人のものを)欲しがってはならない”と言わなければ、わたしは欲を知らなかったであろう。

 

ローマ人への手紙 9:11-16 まだ子供らが生れもせず、善も悪もしない先に、神の選びの計画が、

12 わざによらず、召したかたによって行われるために、「兄は弟に仕えるであろう」と、彼女に仰せられたのである。

13 「わたしはヤコブを愛しエサウを憎んだ」と書いてあるとおりである。

14 では、わたしたちはなんと言おうか。神の側に不正があるのか。断じてそうではない。

15 神はモーセに言われた、「わたしは自分のあわれもうとする者をあわれみ、いつくしもうとする者を、いつくしむ」。

16 ゆえに、それは人間の意志や努力によるのではなく、ただ神のあわれみによるのである。

 

 

 

ローマ人への手紙3章6節

 

 [口語訳] 断じてそうではない。もしそうであったら、神はこの世を、どうさばかれるだろうか。

 

[新改訳] 絶対にそんなことはありません。もしそうだとしたら、神はいったいどのように世をさばかれるのでしょう。

 

[新共同訳] 決してそうではない。もしそうだとしたら、どうして神は世をお裁きになることができましょう。

 

[文語訳]決して然らず、若し然あらば神は如何にして世を審き給ふべき。

 

[塚本訳]もちろん、そうではない。もしそうだとすれば、どうして神はこの世をお裁きになることができよう。

 

[前田訳]断じて否です。もしそうならどうして神はこの世をお裁きになれましょう。

 

 (NCV)  No! If God could not punish us, he could not judge the world.

 

[解読の鍵]

 

創世記 18:25[口語訳]

正しい者と悪い者とを一緒に殺すようなことを、あなたは決してなさらないでしょう。正しい者と悪い者とを同じようにすることも、あなたは決してなさらないでしょう。全地をさばく者は公義を行うべきではありませんか」。 

 

 

 

ヨブ記 8:3[口語訳]曲げられるであろうか。全能メは正義を曲げられるであろうか

 

ヨブ記 34:17-19 [新共同訳] 正義を憎む者が統治できようか。正しく、また、力強いお方を、あなたは罪に定めるのか。

18 王者に向かって「ならず者」と言い、貴い方に向かって「逆らう者」と言うのか。

19 身分の高い者をひいきすることも、貴族を貧者より尊重することもないお方、御手によってすべての人は造られた

 

詩篇 9:8[口語訳] 主は正義をもって世界をさばき、公平をもってもろもろの民をさばかれます 

 

詩篇 11:5-7 [口語訳]主は正しき者をも、悪しき者をも調べ、そのみ心は乱暴を好む者を憎まれる。

6 主は悪しき者の上に炭火と硫黄とを降らせられる。燃える風は彼らがその杯にうくべきものである。

7 主は正しくいまして、正しい事を愛されるからである。直き者は主のみ顔を仰ぎ見るであろう。

 

詩篇 50:6-7[新共同訳]  天は神の正しいことを告げ知らせる。神は御自ら裁きを行われる。

7 「わたしの民よ、聞け、わたしは語る。イスラエルよ、わたしはお前を告発する。わたしは神、わたしはお前の神。

 

詩篇 96:13 [新共同訳] 主を迎えて。主は来られる、地を裁くために来られる。主は世界を正しく裁き、真実をもって諸国の民を裁かれる

 

詩篇 98:9 [新共同訳] 主を迎えて。主は来られる、地を裁くために。主は世界を正しく裁き、諸国の民を公平に裁かれる。

 

使徒行伝 17:31[塚本訳] 神は一つの日を決め、その日に御自分の定めた一人の人(イエス)を使って“正しく(全)世界を裁こうと”計画しておられるからです。そして彼を死人の中から復活させて、すべての人に(彼が世界を裁くべき人であるという)その保証をお与えになったのであります。」"

ローマ人への手紙 3:4[塚本訳] “もちろん、そうではない。”人間を皆嘘つき”にしても、神を真実とせねばならない。(聖書に)”これは、御言葉によってあなた[神]が正しいとされ、あなた

がさばかれる時、勝利を得られるためでる。”と書いてあるとおりである。"

 

 

 

ローマ人への手紙3章7節

 

  [口語訳] しかし、もし神の真実が、わたしの偽りによりいっそう明らかにされて、神の栄光となるなら、どうして、わたしはなおも罪人としてさばかれるのだろうか。

 

[新改訳] でも、私の偽りによって、神の真理がますます明らかにされて神の栄光となるのであれば、なぜ私がなお罪人としてさばかれるのでしょうか。

 

[新共同訳] またもし、わたしの偽りによって神の真実がいっそう明らかにされて、神の栄光となるのであれば、なぜ、わたしはなおも罪人として裁かれねばならないのでしょう。

 

[文語訳]わが虚僞によりて神の誠實いよいよ顯れ、その榮光とならんには、いかで我なほ罪人として審かるる事あらん。"

 

[塚本訳]しかしもしわたしの(説いた福音が嘘であっても、その)嘘によって神の真実がいよいよ明らかになり、その栄光があらわれるとすれば、なぜそのわたしが、罪人としてなおも罰されねばならないのか。"

 

[前田訳]けれども、もしわたしの偽りによって神の真実が増して彼の栄光になるならば、なぜそのわたしがなおも罪びととして裁かれねばなりませんか。

 

 (NCV) A person might say, "When I lie, it really gives him glory, because my lie shows God's truth. So why am I judged a sinner?"

 

[解読の鍵]

 

マタイによる福音書 26:34[塚本訳] イエスはペテロに言われた、「アーメン、わたしは言う、今夜、鶏が鳴く前に、三度、あなたはわたしを知らないと言う。

 

マタイによる福音書 26:69-75 [口語訳]ペテロは外で中庭にすわっていた。するとひとりの女中が彼のところにきて、「あなたもあのガリラヤ人イエスと一緒だった」と言った。

70 するとペテロは、みんなの前でそれを打ち消して言った、「あなたが何を言っているのか、わからない」。

71 そう言って入口の方に出て行くと、ほかの女中が彼を見て、そこにいる人々にむかって、「この人はナザレ人イエスと一緒だった」と言った。

72 そこで彼は再びそれを打ち消して、「そんな人は知らない」と誓って言った。

73 しばらくして、そこに立っていた人々が近寄ってきて、ペテロに言った、「確かにあなたも彼らの仲間だ。言葉づかいであなたのことがわかる」。

74 彼は「その人のことは何も知らない」と言って、激しく誓いはじめた。するとすぐ鶏が鳴いた。

75 ペテロは「鶏が鳴く前に、三度わたしを知らないと言うであろう」と言われたイエスの言葉を思い出し、外に出て激しく泣いた。

 

使徒行伝 2:23[塚本訳] このイエスを、神は一定の御計画と予見とによってくれてやられたところ、あなた達は律法を知らぬ(異教の)人々の手で磔にして殺してしまった。"

 

使徒行伝 13:27-29[口語訳] エルサレムに住む人々やその指導者たちは、イエスを認めず刑に処し、それによって、安息日ごとに読む預言者の言葉を成就した。

28 また、なんら死に当る理由が見いだせなかったのに、ピラトに強要してイエスを殺してしまった。

29 そして、イエスについて書いてあることを、皆なし遂げてから、人々はイエスを木から取りおろして墓に葬った。

 

ローマ人への手紙 9:19-20[口語訳] そこで、あなたは言うであろう、「なぜ神は、なおも人を責められるのか。だれが、神の意図に逆らい得ようか」。

20 ああ人よ。あなたは、神に言い逆らうとは、いったい、何者なのか。造られたものが造った者に向かって、「なぜ、わたしをこのように造ったのか」と言うことがあろうか。

 

ローマ人への手紙 5:20[塚本訳] (それなら律法は人を義として永遠の命を与えるためには役立たないのか。その通り。)律法は、過ちを増し強めるために第二義的に来たのである。しかし(神に感謝する、人の犯す)罪が増し強まれば、恩恵は豊かにあふれる。"

 

 

 

ローマ人への手紙3章8節

 

[口語訳] むしろ、「善をきたらせるために、わたしたちは悪をしようではないか」(わたしたちがそう言っていると、ある人々はそしっている)。彼らが罰せられるのは当然である。

 

[新改訳] 「善を現わすために、悪をしようではないか。」と言ってはいけないのでしょうか。――私たちはこの点でそしられるのです。ある人たちは、それが私たちのことばだと言っていますが、――もちろんこのように論じる者どもは当然罪に定められるのです。

 

[新共同訳] それに、もしそうであれば、「善が生じるために悪をしよう」とも言えるのではないでしょうか。わたしたちがこう主張していると中傷する人々がいますが、こういう者たちが罰を受けるのは当然です。

 

[文語訳]また『善を來らせん爲に惡をなすは可からずや』(或者われらを譏りて之を我らの言なりといふ)かかる人の罪に定めらるるは正し。"

 

[塚本訳]そして──これをわたし達の言葉だと考えて中傷する者があるそうだが──「善いことを出かすために悪いことをしようではないか」ということにならないだろうか。この連中が罰されるのは当然である。"

 

[前田訳]これは、ある人々がわれらのいうこととして中傷するのですが、「善を来させるために悪をしましょう」とならないですか。このような人が罰せられるのは当然です。"

 

 (NCV) It would be the same to say, "We should do evil so that good will come." Some people find fault with us and say we teach this, but they are wrong and deserve the punishment they will receive.

 

[解読の鍵]

 

マタイによる福音書 5:11[塚本訳] わたしゆえに罵られたり、迫害されたり、あらん限りの根も葉もない悪口を言われたりする時、あなた達は幸いである。"

 

 

ローマ人への手紙 5:20[塚本訳] (それなら律法は人を義として永遠の命を与えるためには役立たないのか。その通り。)律法は、過ちを増し強めるために第二義的に来たのである。しかし(神に感謝する、人の犯す)罪が増し強まれば、恩恵は豊かにあふれる。"

 

ローマ人への手紙 6:1[塚本訳] それでは、どういうことになるのだろうか。(罪が増せば恩恵も豊かになるならば、)恩恵が増し強まるために、わたし達は罪(の生活)を続けるべきであろうか。"

 

ローマ人への手紙 7:7[塚本訳] それでは、どういうことになるのだろうか。律法(自体)が罪であろうか。もちろん、そうではない。(しかし罪と無関係ではない。)むしろ律法によらなければ、わたしは罪を知らなかった。なぜなら、律法が“(人のものを)欲しがってはならない”と言わなければ、わたしは欲を知らなかったであろう。"

 

ペテロの第一の手紙 3:16-17 [新共同訳] それも、穏やかに、敬意をもって、正しい良心で、弁明するようにしなさい。そうすれば、キリストに結ばれたあなたがたの善い生活をののしる者たちは、悪口を言ったことで恥じ入るようになるのです

17 神の御心によるのであれば、善を行って苦しむ方が、悪を行って苦しむよりはよい。

 

ユダの手紙 3-4 [口語訳]愛する者たちよ。わたしたちが共にあずかっている救について、あなたがたに書きおくりたいと心から願っていたので、聖徒たちによって、ひとたび伝えられた信仰のために戦うことを勧めるように、手紙をおくる必要を感じるに至った。

4 そのわけは、不信仰な人々がしのび込んできて、わたしたちの神の恵みを放縦な生活に変え、唯一の君であり、わたしたちの主であるイエス・キリストを否定しているからである。彼らは、このようなさばきを受けることに、昔から予告されているのである。

 

 

 

旧約聖書に現れた神の贖罪の心

旧約聖書に現れた神は「義」(峻厳なる審判者)の神で新約聖書に現れた神は「愛」(救い)の神であると 解すると十字架の意味は希薄になる。神は昔も今も永遠に変わり給わない。父なる神は厳しく恐ろしい存在だと思っていた人類がその厳しさは「愛」の故だと 悟った段階が新約である。そのことをよーく理解したのがパウロである。パウロはそれをロマ書にまとめた。神においてはその心の中に義と愛が渾然一体で不可 分である。義を立てれば愛が立たず、愛を立てれば義がたたず、苦肉の策として他人となった人類を救おうと我が子を殺して義と愛の両方を満足させたのが十字 架の贖罪である。

 では旧約の段階で「贖罪」の心はどこにあるかというと旧約聖書を学問的また聖書学的にでなくまた大家の註解書によらず「心でしみじみと」読むと随所に見えてくる。

 リンゴの事件で約束を破られ顔をつぶされた神はアダムとエバに「出て行け!」と怒ったが、そのあとで2人に皮の衣を与えて寒くないようにした。(創世記3:21)

 人類最初の殺人事件。弟のアベルを殺した兄カインはその土地から追放される身となるが、神はカインの追放にあたってよその土地でさまよいさすらう時誰にもいじめられないようにとカインの顔(多分)に徴をつけた。(創世記4:15)

 人類の堕落ぶりに怒った神は全地から人類を滅ぼそうと思って大洪水を起こしたが、もう二度とこんなことはすまいと思ってその約束の徴として虹をあらわした。私の場合は2000年4月23日に家を焼かれたが翌日南の空に大きな虹が現れた。(創世記8:21、9:13−15)

神は堕落町ソドムを怒ってこれを滅ぼそうとしたが、ほんのわずかでも正しい人(10人)がいれば滅ぼさないと言った。(創世記18:32)

 こんなことを何度も繰り返さないために神は十字架の贖罪で永遠に解決したのだ。ヘブル書はそのことを言っている。イエスは永遠の大祭司だと。  2001.1.29高橋照男

 

表  題 ・ 要  約

 

ユダヤ人も異邦人も神の前に罪責がある(3.9-20)・・・ヴィルケンスEKK

 

正しい者は一人もいない(3.9-20)・・・新共同訳

 

神の義(3章)律法(3:1−20)・・・バルト

 

正しい人は一人もいない(3:1-20)・・・フランシスコ会

 

ユダヤ人と律法(3:1-20)・・・青野(岩波)

 

全人類の罪(3:9-20)・・・八木(講談社)

 

ユダヤ人を含めて世界中が神に申し開きできぬ罪に陥っていることの聖書による証明(3:9-20)

・・・アルトハウスNTD

 

全人類の罪(3:9-20)・・・黒崎

 

正しい人は一人もいない(3.9-18)・・・塚本註解

 

律法の力(3:18-19)・・・塚本註解

 

しかし異郷人にもユダヤ人にも、正しい人は一人もいない(3.9-20)・・・塚本訳

 

罪の問題(3:9-20)・・・高橋三郎

 

神の義の必然性(1:18-3.20) 帰結(3:9-20)・・・ケーゼマン

 

全世界に正しい人は一人もいない・・・・白井

 

 

 

ローマ人への手紙3章9節

 

  [口語訳] すると、どうなるのか。わたしたちには何かまさったところがあるのか。絶対にない。ユダヤ人もギリシヤ人も、ことごとく罪の下にあることを、わたしたちはすでに指摘した。

 

[新改訳] では、どうなのでしょう。私たちは他の者にまさっているのでしょうか。決してそうではありません。私たちは前に、ユダヤ人もギリシヤ人も、すべての人が罪の下にあると責めたのです。

 

[新共同訳] では、どうなのか。わたしたちには優れた点があるのでしょうか。全くありません。既に指摘したように、ユダヤ人もギリシア人も皆、罪の下にあるのです。

 

[文語訳]さらば如何ん、我らの勝る所ありや、有ることなし。我ら既にユダヤ人もギリシヤ人もみな罪の下に在りと告げたり。

 

[塚本訳]それでは、どうなるのだろうか。(ユダヤ人である)わたし達には、(異教人より)優れたところがあるのか。全然ない。わたし達が前から強く主張してきたように、ユダヤ人も異教人もことごとく、罪の(支配の)下にいるからである。

 

[前田訳]それならどうでしょう。われらに特権がありますか。全くありません。われらが前から主張してきましたように、ユダヤ人もギリシア人も皆罪のもとにいます

 

 (NCV)So are we Jews better than others? No! We have already said that Jews and those who are not Jews are all guilty of sin.

 

 

[解読の鍵]

コリント人への第一の手紙 10:19-20[塚本訳]

19では、いったい何をわたしは言っているのか。(晩餐や犠牲の場合と同じように、)偶像に供えた肉が何か(本当の供え物)で(でも)あるというのか。あるいは、偶像が何か(本当の神)で(でも)あるというのか。"

20そうではない。(聖書にあるように、異教の)人々が犠牲を捧げるのは、“悪鬼にであり神でないものに捧げている”、というのである。あなた達には悪鬼の仲間になってもらいたくない。"

 

ローマ人への手紙 3:22-23[塚本訳]

22この神の義は、イエス・キリストを信ずる信仰(だけ)によって、これを信ずるすべての者にあたえられる。(すべてというのは、そこに人間的の)なんの差別もないからである。

23なぜか。すべての人が罪を犯したため、いまだれ一人、(かつて持っていた)神の栄光をもたない。"

ルカによる福音書 18:9-14 [口語訳]

9自分を義人だと自任して他人を見下げている人たちに対して、イエスはまたこの譬をお話になった。

10 「ふたりの人が祈るために宮に上った。そのひとりはパリサイ人であり、もうひとりは取税人であった。

11 パリサイ人は立って、ひとりでこう祈った、『神よ、わたしはほかの人たちのような貪欲な者、不正な者、姦淫をする者ではなく、また、この取税人のような人間でなもないことを感謝します。

12 わたしは一週に二度断食しており、全収入の十分の一をささげています』。

13 ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天にむけようともしないで、胸を打ちながら言った、『神様、罪人のわたしをおゆるしください』と。

14 あなたがたに言っておく。神に義とされて自分の家に帰ったのは、この取税人であって、あのパリサイ人ではなかった。おおよそ、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」。

 

ローマ 2:1[塚本訳]

だから、ああ人[ユダヤ人]よ、あなたは(人を)裁いているが、あなたがだれであろうと、言い訳は立たない。あなたは人を裁いて、実は自分の罪を定めている。裁きながら、同じことをしているからである。"

 

ローマ人への手紙 2:3[塚本訳]

ああ人よ、あなたはこんなことをする者たちを裁きながら、自分で同じことをしているが、それで自分(だけ)は神の裁きを免れると思っているのか。

 

ローマ人への手紙 3:22[塚本訳]

この神の義は、イエス・キリストを信ずる信仰(だけ)によって、これを信ずるすべての者にあたえられる。(すべてというのは、そこに人間的の)なんの差別もないからである。

 

 

 

ローマ人への手紙3章10節

 

[口語訳] 次のように書いてある、/「義人はいない、ひとりもいない。

 

[新改訳] それは、次のように書いてあるとおりです。「義人はいない。ひとりもいない。

 

[新共同訳] 次のように書いてあるとおりです。「正しい者はいない。一人もいない

 

[文語訳]録して、『義人なし、一人だになし、

 

[塚本訳](聖書に)こう書いてある。──“正しい人がいない、一人もいない

 

[前田訳]聖書にあるとおり、「義人はない、ひとりもない。

 

 (NCV) As the Scriptures say: "There is no one who always does what is right, not even one.

 

[解読の鍵]

詩篇 14:1-3 [口語訳]【聖歌隊の指揮者によってうたわせたダビデの歌】愚かなる者は心のうちに「神はない」と言う。彼らは腐れはて、憎むべき事をなし、善を行う者はない

2 主は天から人の子らを見おろして、賢い者、神をたずね求める者が、あるかないかを見られた。

3 彼らはみな迷い、みなひとしく腐れた。善を行う者はない、ひとりもない。

 

ヨブ記 15:14[口語訳]人はいかなる者か、どうしてこれは清くありえよう。女から生れた者は、どうして正しくありえよう。

 

ヨブ記 25:4 [口語訳]それで人はどうして神の前に正しくありえようか。女から生れた者がどうして清くありえようか。

 

詩篇 53:1-3 [口語訳]【聖歌隊の指揮者によってマハラテのしらべにあわせてうたわせたダビデのマスキールの歌】愚かな者は心のうちに「神はない」と言う。彼らは腐れはて、憎むべき不義をおこなった。善を行なう者はない

2 神は天から人の子を見おろして、賢い者、神を尋ね求める者があるかないかを見られた。

3 彼らは皆そむき、みなひとしく堕落した。善を行なう者はない、ひとりもない

 

エレミヤ書 17:9 [口語訳]心はよろずの物よりも偽るもので、はなはだしく悪に染まっている。だれがこれを、よく知ることができようか。

 

マルコによる福音書 7:21-22[塚本訳]

21内から、つまり、人の心からは、邪念が出るからである。(すなわち)不品行、盗み、人殺し、"

22姦淫、欲張り、悪意、悪巧み、道楽、妬み、悪口、高ぶり、愚かさ(など)。

 

マルコによる福音書 10:18[塚本訳]

イエスは言われた、「なぜわたしを『善い』と言うのか。神お一人のほかに、だれも善い者はない。"

ローマ人への手紙 3:23[塚本訳]

なぜか。すべての人が罪を犯したため、いまだれ一人、(かつて持っていた)神の栄光をもたない。"

ガラテヤ人への手紙 5:19-21[口語訳] 肉の働きは明白である。すなわち、不品行、汚れ、好色、

20 偶像礼拝、まじない、敵意、争い、そねみ、怒り、党派心、分裂、分派、 21 ねたみ、泥酔、宴楽、および、そのたぐいである。わたしは以前も言ったように、今も前もって言っておく。このようなことを行う者は、神の国をつぐことがない。

 

エペソ人への手紙 2:1-3 [口語訳]さてあなたがたは、先には自分の罪過と罪とによって死んでいた者であって、 2 かつてはそれらの中で、この世のならわしに従い、空中の権をもつ君、すなわち、不従順の子らの中に今も働いている霊に従って、歩いていたのである。 3 また、わたしたちもみな、かつては彼らの中にいて、肉の欲に従って日を過ごし、肉とその思いとの欲するままを行い、ほかの人々と同じく、生れながらの怒りの子であった。

 

コロサイ人への手紙 3:5-9 [口語訳]だから、地上の肢体、すなわち、不品行、汚れ、情欲、悪欲、また貪欲を殺してしまいなさい。貪欲は偶像礼拝にほかならない。 6 これらのことのために、神の怒りが下るのである。7 あなたがたも、以前これらのうちに日を過ごしていた時には、これらのことをして歩いていた。 8 しかし今、これらいっさいのことを捨て、怒り、憤り、悪意、そしり、口から出る恥ずべき言葉を、捨ててしまいなさい。9 互にうそを言ってはならない。あなたがたは、古き人をその行いと一緒に脱ぎ捨て、

 

テモテへの第二の手紙 3:2-5 [口語訳]その時、人々は自分を愛する者、金を愛する者、大言壮語する者、高慢な者、神をそしる者、親に逆らう者、恩を知らぬ者、神聖を汚す者、

3 無情な者、融和しない者、そしる者、無節制な者、粗暴な者、善を好まない者、

4 裏切り者、乱暴者、高言をする者、神よりも快楽を愛する者、

5 信心深い様子をしながらその実を捨てる者となるであろう。こうした人々を避けなさい。

 

テトスへの手紙 3:3[塚本訳] 私達とてもかつては無智で、不従順で、(道に)迷い、様々な慾と快楽の奴隷となり、悪意と妬みとに(日を)過ごし、(人に)嫌われ、(また)互いに憎み合っていたのである。"

 

ヨハネの第一の手紙 1:8-10 [口語訳]もし、罪がないと言うなら、それは自分を欺くことであって、真理はわたしたちのうちにない。 9 もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる。 10 もし、罪を犯したことがないと言うなら、それは神を偽り者とするのであって、神の言はわたしたちのうちにない。

 

 

 

ローマ人への手紙3章11節

 

 

[口語訳] 悟りのある人はいない、/神を求める人はいない。

 

[新改訳] 悟りのある人はいない。神を求める人はいない。

 

[新共同訳] 悟る者もなく、/神を探し求める者もいない。

 

 [文語訳]聰き者なく、神を求むる者なし。

 

[塚本訳]物のわかる人がいない、神をさがし求める人がいない。

 

 [前田訳]"良識の人はない。神を求める人はない。

 

 (NCV) There is no one who understands. There is no one who looks to God for help.

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙 3:11 悟りのある人はいない、神を求める人はいない。 (JCV)

 

ローマ人への手紙 1:28[塚本訳] こうして彼らは神を知ることを役に立たぬものと考えたので、神の方でも、彼らの心が役に立たなくなるに任せられた。その結果彼らは(人として)なすべからざることをするようになったのである。"

 

詩篇 14:2-4 主は天から人の子らを見おろして、賢い者、神をたずね求める者が、あるかないかを見られた。

3 彼らはみな迷い、みなひとしく腐れた。善を行う者はない、ひとりもない。

4 すべて悪を行う者は悟りがないのか。彼らは物食うようにわが民をくらい、また主を呼ぶことをしない。 (JCV)

 

詩篇 53:2-4 神は天から人の子を見おろして、賢い者、神を尋ね求める者があるかないかを見られた。 3 彼らは皆そむき、みなひとしく堕落した。善を行なう者はない、ひとりもない。 4 悪を行なう者は悟りがない。彼らは物食うようにわが民を食らい、また神を喜ぶことをしない。 (JCV)

 

箴言 1:7-8 主を恐れることは知識のはじめである、愚かな者は知恵と教訓を軽んじる。

8 わが子よ、あなたは父の教訓を聞き、母の教を捨ててはならない。 (JCV)

 

箴言 1:29-32 彼らは知識を憎み、主を恐れることを選ばず、

30 わたしの勧めに従わず、すべての戒めを軽んじたゆえ、

31 自分の行いの実を食らい、自分の計りごとに飽きる。

32 思慮のない者の不従順はおのれを殺し、愚かな者の安楽はおのれを滅ぼす。 (JCV)

 

エレミヤ書 4:22 「わたしの民は愚かであって、わたしを知らない。彼らは愚鈍な子どもらで、悟ることがない。彼らは悪を行うのにさといけれども、善を行うことを知らない」。 (JCV)

 

マタイによる福音書 13:13-14 だから、彼らには譬で語るのである。それは彼らが、見ても見ず、聞いても聞かず、また悟らないからである。

14 こうしてイザヤの言った預言が、彼らの上に成就したのである。『あなたがたは聞くには聞くが、決して悟らない。見るには見るが、決して認めない。 (JCV)

 

マタイによる福音書 13:19[塚本訳] だれでも御国の言葉を聞いて悟らないと、悪者[悪魔]が来て、心の中にまかれたものを奪ってゆく。これは道ばたにまかれた人である。"

 

テトスへの手紙 3:3[塚本訳] 私達とてもかつては無智で、不従順で、(道に)迷い、様々な慾と快楽の奴隷となり、悪意と妬みとに(日を)過ごし、(人に)嫌われ、(また)互いに憎み合っていたのである。"

 

ローマ人への手紙 8:7[塚本訳]

というのは、肉を追い求めることは神への敵対である。肉は神の律法に服従せず、服従することも出来ないからである。

 

ヨブ記 21:15 全能者は何者なので、われわれはこれに仕えねばならないのか。われわれはこれに祈っても、なんの益があるか』と。 (JCV)

 

イザヤ書 31:1 助けを得るためにエジプトに下り、馬にたよる者はわざわいだ。彼らは戦車が多いので、これに信頼し、騎兵がはなはだ強いので、これに信頼する。しかしイスラエルの聖者を仰がず、また主にはかることをしない。 (JCV)

 

イザヤ書 55:6-7 あなたがたは主にお会いすることのできるうちに、主を尋ねよ。近くおられるうちに呼び求めよ。

7 悪しき者はその道を捨て、正しからぬ人はその思いを捨てて、主に帰れ。そうすれば、主は彼にあわれみを施される。われわれの神に帰れ、主は豊かにゆるしを与えられる。 (JCV)

 

ローマ人への手紙3章12節

 

[口語訳] すべての人は迷い出て、/ことごとく無益なものになっている。善を行う者はいない、/ひとりもいない。

 

[新改訳] すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。善を行なう人はいない。ひとりもいない。」

 

[新共同訳] 皆迷い、だれもかれも役に立たない者となった。善を行う者はいない。ただの一人もいない。

 

[文語訳]みな迷ひて相共に空しくなれり、善をなす者なし、一人だになし

 

[塚本訳]だれもかれも迷って、みんな堕落してしまった。善をする人がいない、ただの一人もいない。

 

 [前田訳]皆が迷い、皆ともに身をもちくずした。善をする人はない。ただひとりもない"

 

 (NCV) All have turned away. Together, everyone has become useless. There is no one who does anything good; there is not even one."

 

[解読の鍵]

出エジプト記 32:8 彼らは早くもわたしが命じた道を離れ、自分のために鋳物の子牛を造り、これを拝み、これに犠牲をささげて、『イスラエルよ、これはあなたをエジプトの国から導きのぼったあなたの神である』と言っている」。 (JCV)

 

詩篇 14:3 彼らはみな迷い、みなひとしく腐れた。善を行う者はない、ひとりもない。 (JCV)

 

イザヤ書 53:6 われわれはみな羊のように迷って、おのおの自分の道に向かって行った。主はわれわれすべての者の不義を、彼の上におかれた。 (JCV)

 

イザヤ書 59:8-9 彼らは平和の道を知らず、その行く道には公平がない。彼らはその道を曲げた。すべてこれを歩む者は平和を知らない。

9 それゆえ、公平は遠くわれわれを離れ、正義はわれわれに追いつかない。われわれは光を望んでも、暗きを見、輝きを望んでも、やみを行く。 (JCV)

 

エレミヤ書 2:13 まことに、わが民は二つの悪を行った。生ける水の源であるわたしを捨てて、無用の水溜めを掘った。水をためることのできない、こわれた水溜めを。 (JNICV)

 

エペソ人への手紙 2:3 わたしたちも皆、こういう者たちの中にいて、以前は肉の欲望の赴くままに生活し、肉や心の欲するままに行動していたのであり、ほかの人々と同じように、生まれながら神の怒りを受けるべき者でした。 (JNICV)

 

ペテロの第一の手紙 2:25[塚本訳] 何故なら、君達は(かつては)“迷える羊のよう”であったが、今や君達の霊魂の牧者また監督者に戻ったからである。"

 

創世記 6:6-8 地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められた。

7 主は言われた。「わたしは人を創造したが、これを地上からぬぐい去ろう。人だけでなく、家畜も這うものも空の鳥も。わたしはこれらを造ったことを後悔する。」

8 しかし、ノアは主の好意を得た。 (JNICV)

 

マタイによる福音書 25:30 この役に立たない僕を外の暗闇に追い出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』」 (JNICV)

 

ピレモンへの手紙 11 彼は、以前はあなたにとって役に立たない者でしたが、今は、あなたにもわたしにも役立つ者となっています。 (JNICV)

 

詩篇 53:1-3 指揮者によって。マハラトに合わせて。マスキール。ダビデの詩。

2 神を知らぬ者は心に言う、「神などいない」と。人々は腐敗している。忌むべき行いをする。善を行う者はいない。

3 神は天から人の子らを見渡し、探される、目覚めた人、神を求める人はいないか、と。 (JNICV)

 

イザヤ書 64:7 あなたの名を呼ぶ者はなく、みずから励んで、あなたによりすがる者はない。あなたはみ顔を隠して、われわれを顧みられず、われわれをおのれの不義の手に渡された。 (JCV)

 

ピリピ人への手紙 2: 13 あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである。 (JCV)

 

 

 

ローマ人への手紙3章13節

 

[口語訳] 彼らののどは、開いた墓であり、/彼らは、その舌で人を欺き、/彼らのくちびるには、まむしの毒があり、

 

[新改訳] 「彼らののどは、開いた墓であり、彼らはその舌で欺く。」「彼らのくちびるの下には、まむしの毒があり、」

 

[新共同訳] 彼らののどは開いた墓のようであり、/彼らは舌で人を欺き、/その唇には蝮の毒がある。

 

[文語訳]彼らの咽は開きたる墓なり、舌には詭計(たばかり)あり、口唇(くちびる)のうちには蝮の毒あり、

 

[塚本訳] “彼らの咽は口のあいた墓のよう、その舌であざむき、”“蝮の毒が唇の下にある。”

 

 [前田訳]"彼らの咽は開いた墓のよう、その舌であざむき、唇の下にはまむしの毒がある。"

(NCV)Their throats are like open graves; they use their tongues for telling lies." "Their words are like snake poison."

 

[解読の鍵]

詩篇 5:9 彼らの口には真実がなく、彼らの心には滅びがあり、そののどは開いた墓、その舌はへつらいを言うのです。 (JCV)

 

マタイによる福音書 23:27[塚本訳] ああ禍だ、君たち聖書学者とパリサイ人、この偽善者!君たちは白く塗った墓に似ているからだ。外側はりっぱに見えるが、内側は死人の骨とあらゆる汚れとでいっぱいである。"

 

詩篇 36:3 その口の言葉はよこしまと欺きである。彼は知恵を得ることと、善を行なう事とをやめた。 (JCV)

 

詩篇 52:4 お前の考えることは破滅をもたらす。舌は刃物のように鋭く、人を欺く。 (JNICV)

 

詩篇 57:5 わたしの魂は獅子の中に、火を吐く人の子らの中に伏しています。彼らの歯は槍のように、矢のように、舌は剣のように、鋭いのです。 (JNICV)

 

イザヤ書 59:3 あなたがたの手は血で汚れ、あなたがたの指は不義で汚れ、あなたがたのくちびるは偽りを語り、あなたがたの舌は悪をささやき、 (JCV)

 

エレミヤ書 9:3-5 彼らは弓をひくように、その舌を曲げる。真実ではなく、偽りがこの地に強くなった。彼らは悪より悪に進み、またわたしを知らないと、主は言われる。

4 あなたがたはおのおの隣り人に気をつけよ。どの兄弟をも信じてはならない。兄弟はみな、押しのける者であり、隣り人はみな、ののしって歩く者だからである。

5 人はみな、その隣り人を欺き、真実を言う者はない。彼らは自分の舌に偽りを言うことを教え、悪を行い、疲れて悔い改めるいとまもなく、 (JCV)

 

マタイによる福音書 12:34[塚本訳]蝮の末よ、あなた達(自身)が悪いのに、どうして善いことが言えよう。心にあふれて口に出るのだから。

 

ヤコブへの手紙 3:5-8 それと同じく、舌は小さな器官ではあるが、よく大言壮語する。見よ、ごく小さな火でも、非常に大きな森を燃やすではないか。

6 舌は火である。不義の世界である。舌は、わたしたちの器官の一つとしてそなえられたものであるが、全身を汚し、生存の車輪を燃やし、自らは地獄の火で焼かれる。

7 あらゆる種類の獣、鳥、這うもの、海の生物は、すべて人類に制せられるし、また制せられてきた。

8 ところが、舌を制しうる人は、ひとりもいない。それは、制しにくい悪であって、死の毒に満ちている。 (JCV)

 

ヨブ記 20:14-16 その食物は彼の腹の中で変り、彼の内で毒蛇の毒となる。

15 彼は貨財をのんでも、またそれを吐き出す、神がそれを彼の腹から押し出されるからだ。

16 彼は毒蛇の毒を吸い、まむしの舌は彼を殺すであろう。 (JCV)

 

詩篇 140:3 彼らはへびのようにおのが舌を鋭くし、そのくちびるの舌にはまむしの毒があります。 (JCV)

 

 

 

ローマ人への手紙3章14節

 

 [口語訳] 彼らの口は、のろいと苦い言葉とで満ちている。

 

[新改訳] 「彼らの口は、のろいと苦さで満ちている。」

 

[新共同訳] 口は、呪いと苦味で満ち、

 

 [文語訳]その口は(のろひ)(にがき)とにて滿つ。

 

[塚本訳] “口には呪いと苦い言葉とがいっぱいである。

 

[前田訳]口にはにがい呪いが満ちている。

 

 (NCV)"Their mouths are full of cursing and hate."

 

[解読の鍵]

 

詩篇 10:7

その口はのろいと、欺きと、しえたげとに満ち、その舌の下には害毒と不正とがある。 (JCV)

 

口に呪い、詐欺(さぎ)搾取(さくしゅ)を満たし、舌に災いと悪を隠す。 (JNICV)

 

詩篇 59:12

 彼らの口の罪、そのくちびるの言葉のために彼らをその高ぶりに捕われさせないでください。彼らが語るのろいと偽りのために (JCV)

 

口をもって犯す過ち、唇の言葉、傲慢の罠に、自分の唱える呪いや欺く言葉の罠に彼らが捕えられますように。 (JNICV)

 

詩篇 109:17-18

 彼はのろうことを好んだ。のろいを彼に臨ませてください。彼は恵むことを喜ばなかった。恵みを彼から遠ざけてください。

18 彼はのろいを衣のように着た。のろいを水のようにその身にしみこませ、油のようにその骨にしみこませてください。 (JCV)

 

彼は呪うことを好んだのだから、呪いは彼自身に返るように。祝福することを望まなかったのだから、祝福は彼を遠ざかるように。

18 呪いを衣として身にまとうがよい。呪いが水のように彼のはらわたに、油のように彼の骨に染み通るように。 (JNICV)

 

ローマ人への手紙 3:14

彼らの口は、のろいと苦い言葉とで満ちている。 (JCV)

 

口は、呪いと苦味で満ち、 (JNICV)

 

[塚本訳]“口には呪いと苦い言葉とがいっぱいである。”

 

[新改訳] 「彼らの口は、のろいと苦さで満ちている。」

 

ヤコブへの手紙 3:10

同じ口から、さんびとのろいとが出て来る。わたしの兄弟たちよ。このような事は、あるべきでない。 (JCV)

 

同じ口から賛美と呪いが出て来るのです。わたしの兄弟たち、このようなことがあってはなりません。 (JNICV)

 

[塚本訳](すなわち)同じ口から讃美と呪詛が出るのである。(しかし、)兄弟達、そんなことがあってはならぬ。"

 

[新改訳] 賛美とのろいが同じ口から出て来るのです。私の兄弟たち。このようなことは、あってはなりません。

 

 

 

ローマ人への手紙3章15節

 

[口語訳] 彼らの足は、血を流すのに速く、

 

[新改訳] 「彼らの足は血を流すのに速く、

 

[新共同訳] 足は血を流すのに速く、

 

[文語訳]その足は血を流すに速し、

 

[塚本訳] “その足には血を流すにすばしこく、

 

 [前田訳]足は血を流すに速く、

 

(NCV) They are always ready to kill people.

 

(KJV)Their feet are swift to shed blood:

 

(NIV)Their feet are swift to shed blood;

 

(NRSV)Their feet are swift to shed blood;

 

(RSV)Their feet are swift to shed blood,

 

 [解読の鍵]

 

箴言 1:16-19

彼らの足は悪に走り、血を流すことは早いからだ。

17 すべての鳥の目の前で網を張るのは、むだである。

18 かれらは自分の血を待ち伏せし、自分の命を伏してねらうのだ。

19 すべて利をむさぼる者の道はこのようなものである。これはその持ち主の命を取り去るのだ。

(JCV)

 

箴言 1:16-19 彼らの足は悪事に向かって走り、流血をたくらんで急ぐ。

17 翼あるものは見ている。網を仕掛けるのは徒労だ。

18 待ち伏せて流すのは自分の血。隠れて待っても、落とすのは自分の命。

19 これが不当な利益を求める者の末路。奪われるのは自分の命だ。

(JNICV)

 

箴言 6:16-19

主の憎まれるものが六つある、否、その心に、忌みきらわれるものが七つある。

17 すなわち、高ぶる目、偽りを言う舌、罪なき人の血を流す手、

18 悪しき計りごとをめぐらす心、すみやかに悪に走る足、

19 偽りをのべる証人、また兄弟のうちに争いをおこす人がこれである。 (JCV)

 

箴言 6:16-19

主の憎まれるものが六つある。心からいとわれるものが七つある。

17 驕り高ぶる目、うそをつく舌、罪もない人の血を流す手、

18 悪だくみを耕す心、悪事へと急いで走る足、

19 欺いて発言する者、うそをつく証人、兄弟の間にいさかいを起こさせる者。 (JNICV)

 

イザヤ書 59:4-8

4 ひとりも正義をもって訴え、真実をもって論争する者がない。彼らはむなしきことを頼み、偽りを語り、害悪をはらみ、不義を産む。

5 彼らはまむしの卵をかえし、くもの巣を織る。その卵を食べる者は死ぬ。卵が踏まれると破れて毒蛇を出す。

6 その織る物は着物とならない。その造る物をもって身をおおうことができない。彼のわざは不義のわざであり、彼らの手には暴虐の行いがある。

7 彼らの足は悪に走り、罪のない血を流すことに速い。彼らの思いは不義の思いであり、荒廃と滅亡とがその道にある。

8 彼らは平和の道を知らず、その行く道には公平がない。彼らはその道を曲げた。すべてこれを歩む者は平和を知らない。 (JCV)

 

4 正しい訴えをする者はなく、真実をもって弁護する者もない。むなしいことを頼みとし、偽って語り、労苦をはらみ、災いを産む。

5 彼らは蝮の卵をかえし、くもの糸を織る。その卵を食べる者は死に、卵をつぶせば、毒蛇が飛び出す。

6 くもの糸は着物にならず、その織物で身を覆うことはできない。彼らの織物は災いの織物、その手には不法の業がある。

7 彼らの足は悪に走り、罪のない者の血を流そうと急ぐ。彼らの計画は災いの計画。破壊と崩壊がその道にある。

8 彼らは平和の道を知らず、その歩む道には裁きがない。彼らは自分の道を曲げ、その道を歩む者はだれも平和を知らない。

(JNICV)

 

 

 

ローマ人への手紙3章16節

 

[口語訳] 彼らの道には、破壊と悲惨とがある。

 

[新改訳] 彼らの道には破壊と悲惨がある。

 

[新共同訳] その道には破壊と悲惨がある。

 

[文語訳]破壞と艱難とその道にあり、

 

[塚本訳]その行く所には破壊と悲惨とがある、

 

 [前田訳]その道には破壊と悲惨がある。

 

 (NCV) Everywhere they go they cause ruin and misery.

 

[解読の鍵]

 

箴言 1:14-19 あなたもわれわれの仲間に加わりなさい、われわれは共に一つの金袋を持とう」と言っても、

15 わが子よ、彼らの仲間になってはならない、あなたの足をとどめて、彼らの道に行ってはならない。

16 彼らの足は悪に走り、血を流すことは早いからだ。

17 すべての鳥の目の前で網を張るのは、むだである。

18 かれらは自分の血を待ち伏せし、自分の命を伏してねらうのだ。

19 すべて利をむさぼる者の道はこのようなものである。これはその持ち主の命を取り去るのだ。

(JCV)

 

イザヤ書 59:7 彼らの足は悪に走り、罪のない血を流すことに速い。彼らの思いは不義の思いであり、荒廃と滅亡とがその道にある。

(JCV)

 

 

 

ローマ人への手紙3章17節

 

[口語訳] そして、彼らは平和の道を知らない。

 

[新改訳] また、彼らは平和の道を知らない。」

 

[新共同訳] 彼らは平和の道を知らない。

 

[文語訳]彼らは平和の道を知らず。

 

[塚本訳]彼らは平和の道を知らない。

 

 [前田訳]平和の道を彼らは知らず、

 

 (KJV) And the way of peace have they not known:

 

 (NCV) They don't know how to live in peace."

 

 (NIV)and the way of peace they do not know."

 

 (NRSV) and the way of peace they have not known."

 

 (RSV) and the way of peace they do not know."

 

[解読の鍵]

 

イザヤ書 57:20-21

しかし悪しき者は波の荒い海のようだ。静まることができないで、その水はついに泥と汚物とを出す。

21 わが神は言われる、「よこしまな者には平安がない」と。 (JCV)

 

神に逆らう者は巻き上がる海のようで、静めることはできない。その水は泥や土を巻き上げる。

21 神に逆らう者に平和はないとわたしの神は言われる。 (JNICV)

 

イザヤ書 59:8-12

彼らは平和の道を知らず、その行く道には公平がない。彼らはその道を曲げた。すべてこれを歩む者は平和を知らない。

9 それゆえ、公平は遠くわれわれを離れ、正義はわれわれに追いつかない。われわれは光を望んでも、暗きを見、輝きを望んでも、やみを行く。

10 われわれは盲人のように、かきを手さぐりゆき、目のない者のように手さぐりゆき、真昼でも、たそがれのようにつまずき、強壮な者の中にあっても死人のようだ。

11 われわれは皆くまのようにほえ、はとのようにいたくうめき、公平を望んでも、きたらず、救を望んでも、遠くわれわれを離れ去る。

12 われわれのとがは、あなたの前に多く、罪は、われわれを訴えて、あかしをなし、とがは、われわれと共にあり、不義は、われわれがこれを知る。 (JCV)

 

彼らは平和の道を知らず、その歩む道には裁きがない。彼らは自分の道を曲げ、その道を歩む者はだれも平和を知らない。

9 それゆえ、正義はわたしたちを遠く離れ、恵みの業はわたしたちに追いつかない。わたしたちは光を望んだが、見よ、闇に閉ざされ、輝きを望んだが、暗黒の中を歩いている。

10 盲人のように壁を手探りし、目をもたない人のように手探りする。真昼にも夕暮れ時のようにつまずき、死人のように暗闇に包まれる。

11 わたしたちは皆、熊のようにうなり、鳩のような声を立てる。正義を望んだが、それはなかった。救いを望んだが、わたしたちを遠く去った。

12 御前に、わたしたちの背きの罪は重く、わたしたち自身の罪が不利な証言をする。背きの罪はわたしたちと共にあり、わたしたちは自分の咎を知っている。 (JNICV)

 

マタイによる福音書 7:13-14[塚本訳]

13狭い門から入りなさい。滅びに至る道は大きく、かつ広く、ここから入る者が多いのだから。

14命にいたる門はなんと狭く、道は細く、それを見つける者の少ないことであろう!"

 

ルカによる福音書 1:78-79[塚本訳]

78これは(みな)われらの神の(深き)憐れみの御心によるのである。またその憐れみによって、高き所よりの光がわたし達を訪れ、"

79“暗やみと死の陰とに住まう人々を照らし、”われらの足を“平和の道”へと導くであろう。

 

ローマ人への手紙 5:1

このように、わたしたちは、信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストにより、神に対して平和を得ている。 (JCV)

 

このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、 (JNICV)

 

 [塚本訳] だから、わたし達は信仰のゆえに義とされたのであるから、わたし達の主イエス・キリストによって、いま神と平和ができた。"

 

[新改訳] ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。

 

 

 

ローマ人への手紙3章18節

 

[口語訳] 彼らの目の前には、神に対する恐れがない」。

 

[新改訳] 「彼らの目の前には、神に対する恐れがない。」

 

[新共同訳] 彼らの目には神への畏れがない。」

 

 [文語訳]その眼前に神をおそるる畏なし』とあるが如し。

 

[塚本訳] “その目の前には神をおそれる恐れがない。”

 

 [前田訳]その目の前には神へのおそれがない」

 

"(NCV)They have no fear of God."

 

[解読の鍵]

創世記 20:11 アブラハムは答えた。「この土地には、神を畏れることが全くないので、わたしは妻のゆえに殺されると思ったのです。 (JNICV)

 

詩篇 36:1-5 指揮者によって。主の僕の詩。ダビデの詩。

2 神に逆らう者に罪が語りかけるのが、わたしの心の奥に聞こえる。彼の前に、神への恐れはない。

3 自分の目に自分を偽っているから、自分の悪を認めることも、それを憎むこともできない。(JNICV) 

 

箴言 16:6慈しみとまことは罪を贖う。主を畏れれば悪を避けることができる。(JNICV)

 

ルカによる福音書 23:39-40 十字架にかけられた犯罪人のひとりが、「あなたはキリストではないか。それなら、自分を救い、またわれわれも救ってみよ」と、イエスに悪口を言いつづけた。

40 もうひとりは、それをたしなめて言った、「おまえは同じ刑を受けていながら、神を恐れないのか。 (JCV)

 

ヨハネの黙示録 19:5 その時、御座から声が出て言った、「すべての神の僕たちよ、神をおそれる者たちよ。小さき者も大いなる者も、共に、われらの神をさんびせよ」。 (JCV)

 

 

 

ローマ人への手紙3章19節

 

 [口語訳] さて、わたしたちが知っているように、すべて律法の言うところは、律法のもとにある者たちに対して語られている。それは、すべての口がふさがれ、全世界が神のさばきに服するためである。

 

[新改訳] さて、私たちは、律法の言うことはみな、律法の下にある人々に対して言われていることを知っています。それは、すべての口がふさがれて、全世界が神のさばきに服するためです。

 

[新共同訳] さて、わたしたちが知っているように、すべて律法の言うところは、律法の下にいる人々に向けられています。それは、すべての人の口がふさがれて、全世界が神の裁きに服するようになるためなのです。

 

 [文語訳]それ律法の言ふところは律法の下にある者に語ると我らは知る、これは凡ての口ふさがり、神の審判に全世界の服せん爲なり。

 

[塚本訳]と ころでわたし達が知っているように、(右の)律法[聖書]が言うことはみな、律法に生きる者(すなわちユダヤ人)に対して語られるものである。(しかし) こうして(ユダヤ人だけでなく)すべての(人の)口がふさがり、世界中の人が、神に対して罪なしと言うことはできないのである。"

 

 [前田訳]さて、われらの知るように、すべて律法のいうことは律法の下にあるものに語られています。それはすべての口がふさがって全世界が神に対して罪びととなるためです。"

 

 (NCV) We know that the law's commands are for those who have the law. This stops all excuses and brings the whole world under God's judgment,

 

[解読の鍵]

 

ローマ人への手紙 2:12-18 そのわけは、律法なしに罪を犯した者は、また律法なしに滅び、律法のもとで罪を犯した者は、律法によってさばかれる。

13 なぜなら、律法を聞く者が、神の前に義なるものではなく律法を行う者が、義とされるからである。

14 すなわち、律法を持たない異邦人が、自然のままで、律法の命じる事を行うなら、たとい律法を持たなくても、彼らにとっては自分自身が律法なのである。

15 彼らは律法の要求がその心にしるされていることを現し、そのことを彼らの良心も共にあかしをして、その判断が互にあるいは訴え、あるいは弁明し合うのである。

16 そして、これらのことは、わたしの福音によれば、神がキリスト・イエスによって人々の隠れた事がらをさばかれるその日に、明らかにされるであろう。

17 もしあなたが、自らユダヤ人と称し、律法に安んじ、神を誇とし、

18 御旨を知り、律法に教えられて、なすべきことをわきまえており、 (JCV)

 

ヨハネによる福音書 15:25 それは、『彼らは理由なしにわたしを憎んだ』と書いてある彼らの律法の言葉が成就するためである。 (JCV)

 

ガラテヤ人への手紙 3:23[塚本訳] しかし信仰が来る前には、わたし達は(みな)律法の下に閉じこめられ、監督されて、信仰が現れねばならぬ時にまで及んだ。

 

ガラテヤ人への手紙 4:5[塚本訳] これは律法の下に(奴隷になって)いる者を贖い出して、わたし達に子たる身分を受けさせるためである。

 

ガラテヤ人への手紙 4:21 律法の下にとどまっていたいと思う人たちよ。わたしに答えなさい。あなたがたは律法の言うところを聞かないのか。 (JCV)

 

 

 

ローマ人への手紙3章20節

 

[口語訳] なぜなら、律法を行うことによっては、すべての人間は神の前に義とせられないからである。律法によっては、罪の自覚が生じるのみである。

 

[新改訳] なぜなら、律法を行なうことによっては、だれひとり神の前に義と認められないからです。律法によっては、かえって罪の意識が生じるのです。

 

[新共同訳] なぜなら、律法を実行することによっては、だれ一人神の前で義とされないからです。律法によっては、罪の自覚しか生じないのです。

 

 [文語訳]律法の行爲によりては、一人だに神のまへに義とせられず、律法によりて罪は知らるるなり。

 

[塚本訳]というのは、律法が命ずる行いによっては“だれ一人神の前に義とされる者はない。”律法によって(は)罪を知る(ことができるだけで、人を罪から救うことはできない)からである。"

 

 [前田訳]律法の行ないによってはだれひとり神の前に義とされません。律法によっては罪を知るばかりです。 

 (NCV) because no one can be made right with God by following the law. The law only shows us our sin.

 [解読の鍵]

ローマ人への手紙 3:28 わたしたちは、こう思う。人が義とされるのは、律法の行いによるのではなく、信仰によるのである。 (JCV)

 

ローマ人への手紙 2:13-14 なぜなら、律法を聞く者が、神の前に義なるものではなく律法を行う者が、義とされるからである。

14 すなわち、律法を持たない異邦人が、自然のままで、律法の命じる事を行うなら、たとい律法を持たなくても、彼らにとっては自分自身が律法なのである。 (JCV)

 

ローマ人への手紙 4:13[塚本訳](このように義とされるのは割礼に関係がない。)なぜなら、アブラハムとその子孫とが世界の相続人になるという約束(が与えられたの)は、(モーセ)律法(を行ったこと)によるのではなく、信仰の義によるからである。"

 

ローマ人への手紙 9:32[塚本訳]なぜか。イスラエル人は信仰によってでなく行いによって(義とされ得るか)のように考え(て、追い求め)たからである。彼らは”躓きの石に“躓いた。"

 

使徒行伝 13:39[塚本訳] 信ずる者は一人のこらず、このイエスによって義とされるのです。"

 

ガラテヤ人への手紙 2:16[塚本訳] けれども、人は(モーセ)律法を行うことによっては(神の前

に) 義とされない、ただキリスト・イエスを信ずる信仰によらねばならぬことを知ったので、わたし達も(ユダヤ人でありながら、)キリスト・イエスを信じたので ある。律法を行うことによらず、キリストを信ずる信仰によって義とされるためである。というのは、律法を行うことによっては、人は“すべて義とされない” からである。"

 

ガラテヤ人への手紙 3:10-13 いったい、律法の行いによる者は、皆のろいの下にある。「律法の書に書いてあるいっさいのことを守らず、これを行わない者は、皆のろわれる」と書いてあるからである。

11 そこで、律法によっては、神のみまえに義とされる者はひとりもないことが、明らかである。なぜなら、「信仰による義人は生きる」からである。

12 律法は信仰に基いているものではない。かえって、「律法を行う者は律法によって生きる」のである。

13 キリストは、わたしたちのためにのろいとなって、わたしたちを律法ののろいからあがない出して下さった。聖書に、「木にかけられる者は、すべてのろわれる」と書いてある。 (JCV)

 

ガラテヤ人への手紙 5:4[塚本訳] 律法によって義とされようとするあなた達は、実はキリストから離れ、恩恵から落ちているのである。

 

エペソ人への手紙 2:8-9 あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である。

9 決して行いによるのではない。それは、だれも誇ることがないためなのである。 (JCV)

 

テトスへの手紙 3:4-6 ところが、わたしたちの救主なる神の慈悲と博愛とが現れたとき、

5 わたしたちの行った義のわざによってではなく、ただ神のあわれみによって、再生の洗いを受け、

6 聖霊により新たにされて、わたしたちは救われたのである。この聖霊は、わたしたちの救主イエス・キリストをとおして、わたしたちの上に豊かに注がれた。 (JCV)

 

 

 

贖罪は日本語で説明できるか

 

尻拭いする

  これは賀川豊彦の言葉である。神の贖罪は母親が子供の不始末を尻拭いすることだと説明した。母親は自分の赤ん坊の便は汚いものと思わないらしい。

 

水に流す

  これは亀井勝一郎が贖罪の概念は日本にもあると言ったときに持ち出した言葉。神道の清め。「今日のことは水に流そう」という使い方をする。しかし我々の罪は水ではなく「血」で清められたのだ。罪は水道(井戸)の水などでは清まらないほど重い。

 

清算する

  人間関係のもつれを解くときに使われる。「彼はその関係を清算するために彼女を殺した」などと。神は人間との関係のもつれを我が子を殺して精算してくれたのだ。

最近の経済ニュースでは、「負債の清算」という言葉が多い。「穴を埋める」とも言う。

 

保釈金を払う

  刑 務所に入った大物が保釈金を支払って出所する例がある。罪の大きさと保釈金の関係はどのようになっているのだろうか知りたい。興味がある。地獄の沙汰も金 次第なのか。地獄にはいくら持っていけばよいのか。否、支払い不能な金額をイエスが全額支払ってくれるのだ。「ありがたい」「かたじけない」

 

禊(みそぎ)

  刑務所に入った政治家が再び選挙に出馬するとき、「禊(みそぎ)」を澄ませてきましたという。しかし彼の過去の罪は消えない。日本人の罪概念の浅さが露呈している。過ぎ去った過去は神でもとりもどせない(三浦綾子)のだ。

 

自腹を切る、身銭を切る

  我々は本当にやりたいことは「自腹を切って」でも行うものだ。十字架は神が自腹を切って我々を救い出してくれたのだ。「もったいない」

 

胸が痛む

  北 森嘉蔵に「神の痛みの神学」がある。(無教会ではこういうことを神学にはしない。ただ生きるのみ。)十字架の本質は痛みではなく「愛」からである。神の名 誉のためからである。神のプライドのためでもある。神の義を立てるためである。神の心を一つの概念で頭で神学的に説明しようとすると急に力と命がなくな る。

 

人身御供(ひとみごくう)

  ロマ書3章25節の「宥めの供え物」(塚本、新改訳)はこれに近いか。これは人間が神の怒りを和らげるために人間(あるいはわが身を)を捧げる古来からある概念だが、捧げものは神がそれを受け入れるかどうかは別。十字架 は神のほうからの業である。

 

出血

  あるプロジェクトで。「もう少し貸し出し金利を下げてもらえませんか」(私)。「わが方も出血しているのでこれ以上は無理です」(銀行)という場面があった。

 

恩賜 

上野動物公園の表札に「恩賜記念公園」と書いてあった。十字架も神からの賜りものである。賢き妻は神より賜るという。賜物は素直に受けるときにその本質が分かる。

 

罪滅ぼし・償い

  「罪 滅ぼしのために行っています。償(つぐない)のつもりで行っています。」という言葉も日本語になっている(朝の連続テレビドラマで聞く)。しかしどんなに 良いことをしても過去の罪は消えず、また心の重荷が降りないところが我々の悩みなのだ。よく「盗んだ金は返しました」という人がある。人生それで済むなら 簡単なのだが、そうはいかないところが悩みなのだ。

 

駆け込み寺

 これは実に分かりやすいよい言葉である。人生はしばしば駆け込み寺に行きたくなる場面がある。あるいは四国四十八箇所霊場の行脚に出かけたくなるときもある。 十 字架は神の怒りを避ける我々の駆け込み寺である。思わざる失敗やまた深刻な悩み事は何でも聞いて受容してくださる。我々は日ごと夜ごとにイエスに(あぐら をかいていずに腰を上げて・・・そこがバルトとは違う)「駆け込む」必要がある。そこで深刻な悩み事や心配事を洗いざらい話す必要がある。イエスの十字架 は我々が神の怒りから逃れる隠れ家である。

 

以上はすべて説明であって贖罪そのも のではない。栄養学は栄養そのものではない。楽譜は音楽そのものではない。栄養は自分で摂取して、音楽は居住まい(姿勢)を正して聞いて心に響いてはじめ て自分のものになる。栄養も音楽も説明を聞いて頭で考えていただけでは自分のものにはならない。居住まい(姿勢)を正して聞き、信じて摂取しなければ栄養 にならず、心に響かない。贖罪も姿勢を正して聞き(大工になるための訓練も最低7年はかかるのだ)、求める姿勢で信じることにより現実に「今のこのとき」 にわが身に贖罪が起こることによって初めて自分のものになる。パウロ書簡は全部これ「説明」なのである。だから罪の赦しの体験のないものがいくら頭で読ん でもさっぱり分からない。しかし「体験者」にはどんなまずい説明(註解)でも「ピンとくる」ものなのだ。だから「贖罪」もいくら日本的に日本語で説明して も伝えることはできない。「贖罪」は人間の言葉による説明では伝達不可能である。神の「超自然的」な介入でその人の「心の目」が開かれるときにはじめて分 かるものなのだ。(大工の徒弟も仕事を体でおぼえて開眼する。大工に限らずどんな仕事でも最低7年の訓練が必要。)だから同胞に対しては個人的に神の介入 の働きが下ることを切に祈るものである。

初代キリスト教徒は同胞に対する福音の弁明に人間的な業のすべてを断念し、ただひたすらに神の介入としての終末を祈った。「主よ、来たりませ!」と。

                              

2001.1.20    高橋照男

 

 

 

 

表  題 ・ 要  約

 

神の義の啓示(3:21-31)・・・・・・高橋三郎

神の義の啓示(3:21-31)・・・・・・ヴィルケンスEKK  

   テーゼ ――― キリストの死における神の義の贖罪行為に基づく信仰の義(3.21-26)

   ユダヤ人および異邦人に対する信仰の義の普遍性(3:27-31)

神の義は律法に関係なく現われた(3:21-31)・・・・・・塚本訳

信仰による義(3:21-31)・・・・・・新共同訳

塚本ロマ書講演・・・・・・塚本虎二

   大いなる「今」(3:21-22)

   贖罪(3:23-24)

   付 栄光・贖罪

   宥めの供え物(3:25-26)  

      付 ヒラステーリオン

   信仰だけ(3:27-28)

      付 他力と自力

   また異郷人の神(3:29-31)  

黒崎註解新約聖書・・・・・・黒崎幸吉

   救拯論(3:21-11:36)

    第一 個人の救い(3:21-8:29)

       義とせらるる事(3:21-5:21)

         神の義は顕れたり(3:21-26)

         信仰によりてのみ義とせらる(3:27-31)

アルトハウス・・・・NTD

   信仰によって義を得させる神の義の福音(3:21-8:39)

      キリストを信ずる信仰による義(3:21-4:25)

         信仰に対して示された、キリストの死による義の啓示(3:21-31)

八木誠一・・・講談社

   信仰による義(3:21-5:21)

      神の義の啓示(3:21-31)

信仰による義の実現・・・・・・青野(岩波)

信仰によって人は正しい者とされる・・・・・・フランシスコ会訳

バルト

   神の義(3:1-30)

         イエス(3:21-26)

      ただ信仰によってのみ(3:27-30)

白井きく

   イエス・キリストによって神の義は現われた(3:21-26)

   恩恵の特質と義の一般性(3:27-31)

ケーゼマン

   信仰の義としての神の義(3:21-4:25)

    テーゼ(3:21-26)

    〔テーゼ〕の論争的先鋭化(3:27-31)

神の義(3:21-3:26)・・・・・・内村鑑三

 

 

 

ローマ人への手紙3章21節

 

[口語訳] しかし今や、神の義が、律法とは別に、しかも律法と預言者とによってあかしされて、現された。

 

[新改訳] しかし、今は、律法とは別に、しかも律法と預言者によってあかしされて、神の義が示されました。

 

[新共同訳] ところが今や、律法とは関係なく、しかも律法と預言者によって立証されて、神の義が示されました。

 

 [文語訳]然るに今や律法の外に神の義は顯れたり、これ律法と預言者とに由りて證せられ、

 

[塚本訳]しかしながら今、律法に関係なく、神の義は現わされた。しかし律法と預言書と[聖書]によって(すでに)証しされているものである。"

 

[前田訳]しかし今や律法に関係なく神の義が示されました。今や、といっても、それは律法と預言書によって証されているものです。"

 

 (NCV) But God has a way to make people right with him without the law, and he has now shown us that way which the law and the prophets told us about.

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙 1:17[塚本訳] 信仰から出て信仰に終る、(徹頭徹尾信仰本意の)神の義が、こ

の福音において現わされているからである。“信仰による義人は生きる”と(聖書に)書い

てあるとおりである。"

 

ローマ人への手紙 5:19[塚本訳]すなわち、一人の人の不従順によって多くの人が罪人になったように、一人の人の従順によっても多くの人が義人になるのである。"

 

ローマ人への手紙 5:21[塚本訳]これは罪が死を持って支配したように、恩恵も義をもって支配し、わたし達の主イエス・キリストによって、(わたし達を)永遠の命に入れるためである。"

 

ローマ人への手紙 10:3-4

3すなわち、彼らは(キリストを信ずることによって義とされる)

神の義(の道が開けているの)がわからず、(自分の力で律法を守って)自分の義を立てようとしたため、神の義に服従しなかったのである。"

4(では律法を守ることが、なぜいけないか。律法はキリストによって目的を達し、もうなくなってしまったからである。)すなわち、キリストは(御自分を)信ずる者が一人のこらず義とされるために、律法の終りとなられたのである。"

 

イザヤ書 46:13 わたしの恵みの業を、わたしは近く成し遂げる。もはや遠くはない。わたしは遅れることなく救いをもたらす。わたしはシオンに救いを、イスラエルにわたしの輝きを与えることにした。 (JNICV)

 

エレミヤ書 23:5-6 主は仰せられる、見よ、わたしがダビデのために一つの正しい枝を起す日がくる。彼は王となって世を治め、栄えて、公平と正義を世に行う。6 その日ユダは救を得、イスラエルは安らかにおる。その名は『主はわれわれの正義』ととなえられる。 (JCV)

 

エレミヤ書 33:15-16 その日、その時になるならば、わたしはダビデのために一つの正しい枝を生じさせよう。彼は公平と正義を地に行う。

16 その日、ユダは救を得、エルサレムは安らかにおる。その名は『主はわれわれの正義』ととなえられる。 (JCV)

 

ダニエル書 9:24 あなたの民と、あなたの聖なる町については、七十週が定められています。これはとがを終らせ、罪に終りを告げ、不義をあがない、永遠の義をもたらし、幻と預言者を封じ、いと聖なる者に油を注ぐためです。 (JCV)

 

申命記 18:15 あなたの神、主はあなたのうちから、あなたの同胞のうちから、わたしのようなひとりの預言者をあなたのために起されるであろう。あなたがたは彼に聞き従わなければならない。 (JCV)

 

使徒行伝 15:11 わたしたちは、主イエスの恵みによって救われると信じているのですが、これは、彼ら異邦人も同じことです。」 (JNICV)

 

コリント人への第一の手紙 1:30[塚本訳] この神ゆえに、あなた達は(はじめて)キリスト・イエスにあるのであり、このキリストが、神から賜わるわたし達の知恵、また義、また聖さ、また(罪の)あがないになられたのである。

コリント人への第二の手紙 5:21[塚本訳] 神は罪を知らなかった方をわたし達の身代りに(十字架につけて)罪に定められた。わたし達がこの方において神の義(をいただく者)となるためである。

 

ピリピ人への手紙 3:9 律法による自分の義ではなく、キリストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基く神からの義を受けて、キリストのうちに自分を見いだすようになるためである。 (JCV)

 

ルカによる福音書 24:44 それから彼らに対して言われた、「わたしが以前あなたがたと一緒にいた時分に話して聞かせた言葉は、こうであった。すなわち、モーセの律法と預言書と詩篇とに、わたしについて書いてあることは、必ずことごとく成就する」。 (JCV)

 

ヨハネによる福音書 1:45[塚本訳] (すると今度は)ピリポがナタナエルに出合って言う、「わたし達はモーセが律法に書き、預言者たちも書いている人を見つけた、ヨセフの子、ナザレ人イエスだ。」"

 

ヨハネによる福音書 3:14-15[塚本訳]

14そして、ちょうどモーセが荒野で(銅の)蛇を(竿の先に)挙げたように、人の子(わたしも十字架に)挙げられ(て天に上ら)ねばならない。

15それは、(蛇にかまれた者がその銅の蛇を仰いで命を救われたように、)信ずる者が皆(天に上った人の子を仰いで、)彼にあって永遠の命を持つためである。

 

ヨハネによる福音書 5:46-47[塚本訳] もしもあなた達がモーセ(の言うこと)を信じたら、わたしを信じたはずである。モーセはわたしのことを書いているのだから。47しかし彼の書いたものを信じないなら、どうしてこのわたしの言葉を信ずることができようか。」"

 

ローマ人への手紙 1:2[塚本訳] この福音は、神がその預言者たちにより、聖書においてかねて約束されたもので、"

 

ローマ人への手紙 16:26[塚本訳]今現わされ、預言者たちの書き物により、永遠の神の命令に応じて、従順に信仰を受けいれさせようとしてすべての国の人に知らせられたのである・・"

 

使徒行伝 3:24-25[塚本訳] 24また(モーセだけでなく)、サムエルとそれに続くすべての預言者も、神の言葉を)語った者はみな、その(休息の)日のことを告げ知らせました。"25 あなた達はこれらの預言者の子であり、神がアブラハムに、“またあなたの末(なる救世主)によって地上のすべての民族が祝福をうける”と仰せられて、あな た達の先祖と結ばれた契約は、当然あなた達に適用があるのです。

 

使徒行伝 28:23[塚本訳]そこで彼らは日を決め、もっと大勢でパウロの宿に来た。彼は早朝から夕方まで、神の国のことを彼らに証しして説明し、モーセ律法と預言書[聖書]とから、イエスの(救世主である)ことについて彼らを説得しようとした。

 

使徒行伝 15:11 わたしたちは、主イエスの恵みによって救われると信じているのですが、これは、彼ら異邦人も同じことです。」 (JNICV)

 

ヘブル人への手紙 10:1 いったい、律法には、やがて来る良いことの影があるばかりで、そのものの実体はありません。従って、律法は年ごとに絶えず献げられる同じいけにえによって、神に近づく人たちを完全な者にすることはできません。 (JNICV)

 

 

 

ローマ人への手紙3章22節

 

[口語訳] それは、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、すべて信じる人に与えられるものである。そこにはなんらの差別もない。

 

[新改訳] すなわち、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、それはすべての信じる人に与えられ、何の差別もありません。

 

[新共同訳] すなわち、イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義です。そこには何の差別もありません。

 

 [文語訳]イエス・キリストを信ずるに由りて凡て信ずる者に與へたまふ神の義なり。之には何等の差別あるなし。

 

[塚本訳]この神の義は、イエス・キリストを信ずる信仰(だけ)によって、これを信ずるすべての者にあたえられる。(すべてというのは、そこに人間的の)なんの差別もないからである。

 

 [前田訳]すなわち、イエス・キリストのまことによる神の義で、信ずるものすべてのためのものです。そこに差別はありません。 

 

 (NCV) God makes people right with himself through their faith in Jesus Christ. This is true for all who believe in Christ, because all people are the same:

 

 [解読の鍵]

ローマ人への手紙 4:5-8 しかし、働きはなくても、不信心な者を義とするかたを信じる人は、その信仰が義と認められるのである。 6 ダビデもまた、行いがなくても神に義と認められた人の幸福について、次のように言っている、 7 「不法をゆるされ、罪をおおわれた人たちは、さいわいである。

8 罪を主に認められない人は、さいわいである」。 (JCV)

 

ローマ人への手紙 5:1[塚本訳]だから、わたし達は信仰のゆえに義とされたのであるから、わたし達の主イエス・キリストによって、いま神と平和ができた。"

 

ローマ人への手紙 8:1-2[塚本訳] (こうしてわたし達はみな救われている。)だから今では、キリスト・イエスにある者は絶対に罪を罰されることはない。02なぜなら、キリスト・イエスによる命の霊の法則が、死と罪との法則からあなたを自由にしたからである。"

 

ピリピ人への手紙 3:9 律法による自分の義ではなく、キリストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基く神からの義を受けて、キリストのうちに自分を見いだすようになるためである。 (JCV)

 

マタイによる福音書 22:11-14 王は客を迎えようとしてはいってきたが、そこに礼服をつけていないひとりの人を見て、 12 彼に言った、『友よ、どうしてあなたは礼服をつけないで、ここにはいってきたのですか』。しかし、彼は黙っていた。 13 そこで、王はそばの者たちに言った、『この者の手足をしばって、外の暗やみにほうり出せ。そこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう』。 14 招かれる者は多いが、選ばれる者は少ない」。 (JCV)

 

ルカによる福音書 15:22-23 しかし父は僕たちに言いつけた、『さあ、早く、最上の着物を出してきてこの子に着せ、指輪を手にはめ、はきものを足にはかせなさい。

23 また、肥えた子牛を引いてきてほふりなさい。食べて楽しもうではないか。 (JCV)

 

ガラテヤ人への手紙 3:7-9 だから、信仰による者こそアブラハムの子であることを、知るべきである。 8 聖書は、神が異邦人を信仰によって義とされることを、あらかじめ知って、アブラハムに、「あなたによって、すべての国民は祝福されるであろう」との良い知らせを、予告したのである。

9 このように、信仰による者は、信仰の人アブラハムと共に、祝福を受けるのである。 (JCV)

 

ローマ人への手紙 10:12-14[塚本訳] (「すべて」と言う以上、)ユダヤ人も異教人も、その間になんの差別もないのである。なぜなら、同じ一人の方がすべての人の主であって、御自分を呼ぶすべ ての人に、あり余る恩恵をお与えになるからである。13ほんとうに(預言者ヨエルが言うように、)“主[キリスト]の名を呼ぶ者はすべて救われる。14と ころで、(呼ぶだけで救われると言うが、)信じたことのない者を、どうして呼ぶことができようか。聞いたことのない者を、どうして信ずることができよう か。説く者がなくて、どうして聞くことができようか。

 

使徒行伝 15:7-9 激しい争論があった後、ペテロが立って言った、「兄弟たちよ、ご承知のとおり、異邦人がわたしの口から福音の言葉を聞いて信じるようにと、神は初めのころに、諸君の中からわたしをお選びになったのである。

8 そして、人の心をご存じである神は、聖霊をわれわれに賜わったと同様に彼らにも賜わって、彼らに対してあかしをなし、

9 また、その信仰によって彼らの心をきよめ、われわれと彼らとの間に、なんの分けへだてもなさらなかった。 (JCV)

 

 

 

ローマ人への手紙3章23節

 

[口語訳] すなわち、すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており、

 

[新改訳] すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、

 

[新共同訳] 人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、

 

 [文語訳]凡ての人、罪を犯したれば神の榮光を受くるに足らず、

 

[塚本訳]なぜか。すべての人が罪を犯したため、いまだれ一人、(かつて持っていた)神の栄光をもたない。"

 

 [前田訳]すべての人は罪を犯したため、神の栄光を欠いています。"

 

 (NCV) All have sinned and are not good enough for God's glory,

 

[解読の鍵]

 

ローマ人への手紙 3:9[塚本訳]

それでは、どうなるのだろうか。(ユダヤ人である)わたし達には、

(異教人より)優れたところがあるのか。全然ない。わたし達が前から強く主張してきた

ように、ユダヤ人も異教人もことごとく、罪の(支配の)下にいるからである。

 

ローマ人への手紙 3:19[塚本訳]

と ころでわたし達が知っているように、(右の)律法[聖書]が言うことはみな、律法に生きる者(すなわちユダヤ人)に対して語られるものである。(しかし) こうして(ユダヤ人だけでなく)すべての(人の)口がふさがり、世界中の人が、神に対して罪なしと言うことはできないのである。

 

ローマ人への手紙 1:28-2:1

そして、彼らは神を認めることを正しいとしなかったので、神は彼らを正しからぬ思いにわたし、なすべからざる事をなすに任せられた。

29 すなわち、彼らは、あらゆる不義と悪と貪欲と悪意とにあふれ、ねたみと殺意と争いと詐欺と悪念とに満ち、また、ざん言する者、

30 そしる者、神を憎む者、不遜な者、高慢な者、大言壮語する者、悪事をたくらむ者、親に逆らう者となり、

31 無知、不誠実、無情、無慈悲な者となっている。

32 彼らは、こうした事を行う者どもが死に価するという神の定めをよく知りながら、自らそれを行うばかりではなく、それを行なう者どもを是認さえしている。

1 だから、ああ、すべて人をさばく者よ。あなたには弁解の余地がない。あなたは、他人をさばくことによって、自分自身を罪に定めている。さばくあなたも、同じことを行っているからである。

 

ローマ人への手紙 11:32

すなわち、神はすべての人をあわれむために、すべての人を不従順のなかに閉じ込めたのである。 (JCV)

 

伝道の書 7:20 善を行い、罪を犯さない正しい人は世にいない。 (JCV)

 

ガラテヤ人への手紙 3:22[塚本訳]

し かし(律法は命を与えるものでなく、人を罪に閉じこめる力をもつだけである。)聖書はすべての人を(律法によって)罪の下に閉じこめ、イエス・キリストを 信ずる信仰によって、信ずる者に約束が与えられるのである。(律法は約束に矛盾しない。むしろこれに導く家庭教師である。)

 

ヨハネの第一の手紙 1:8-10

もし、罪がないと言うなら、それは自分を欺くことであって、真理はわたしたちのうちにない。

9 もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる。

10 もし、罪を犯したことがないと言うなら、それは神を偽り者とするのであって、神の言はわたしたちのうちにない。 (JCV)

 

ヘブル人への手紙 4:1[塚本訳]

だから、神の休みに入る約束は(今日もまだ)満たされていないのに、あなた達のうちだれかが、(それに)入ることができぬと考えることのないように、わたし達は注意を払おうではないか。

 

 

 

ローマ人への手紙3章24節

 

[口語訳] 彼らは、価なしに、神の恵みにより、キリスト・イエスによるあがないによって義とされるのである。

 

[新改訳] ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。

 

[新共同訳] ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。

 

 [文語訳]功なくして神の恩惠により、キリスト・イエスにある贖罪によりて義とせらるるなり。

 

[塚本訳](さりとて失った栄光を回復する力はないので、何一つ)代価を払わず、(ただ)神の恩恵によって、キリスト・イエスによるあがないの力で、(神に)義とされる(道が設けられた)のである。

 

 [前田訳]しかし、代償なしに、神の恩恵によって、キリスト・イエスのあがないのおかげで、義とされるのです。

 

 (NCV) and all need to be made right with God by his grace, which is a free gift. They need to be made free from sin through Jesus Christ.

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙 4:16[塚本訳]そうであるから、(相続人にされるのは)信仰のゆえである。こ

れは恩恵によらせるためであり、(アブラハムの)子孫全体に対して──ただ律法の子孫[ユダヤ人]だけでなく、アブラハムの信仰の(足跡を踏む)子孫[異教人]に対しても──(神の)約束が不動であるためである。彼はわたし達すべての者の(信仰の)父である。

 

ローマ人への手紙 5:16-19[塚本訳]

16なお、(キリストの)賜物と一人の罪を犯した人の場合とは、同じではない。なぜなら、一人の人(の罪)に対する(神の)裁きは、(多くの人に)死の宣告を下したのであるが、(神の)賜物は、多くの(人をその)過ちから(救い出して)義とするからである。"

17 一人の人によって、すなわち一人の人(アダム)の過ちによってすら死が支配するようになったくらいであるから、ましてあふれるばかりの恩恵と義とされる賜 物とを戴いた者が、一人の人イエス・キリストにより(永遠の)命をもって支配するのは、もちろんであるからである。・・

18従って、一人の人の過ちによって全人類に死の宣告が下されたと同じに、一人の人の正しい行いによって、全人類に命を与える義が臨んだのである。"

19すなわち、一人の人の不従順によって多くの人が罪人になったように、一人の人の従順によっても多くの人が義人になるのである。"

 

コリント人への第一の手紙 6:11[塚本訳] そして(かっては)あなた達も幾人かは、こうした者であった。しかしもはや(洗礼を受けて汚れを)洗っていただいたのであり、聖別されたのであり、義とされたのである、主キリストの名によって、またわたし達の神の霊によって。"

 

エペソ人への手紙 2:7-10 それは、キリスト・イエスにあってわたしたちに賜わった慈愛による神の恵みの絶大な富を、きたるべき世々に示すためであった。

8 あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である。

9 決して行いによるのではない。それは、だれも誇ることがないためなのである。

10 わたしたちは神の作品であって、良い行いをするように、キリスト・イエスにあって造られたのである。神は、わたしたちが、良い行いをして日を過ごすようにと、あらかじめ備えて下さったのである。 (JCV)

 

テトスへの手紙 3:5-7 わたしたちの行った義のわざによってではなく、ただ神のあわれみによって、再生の洗いを受け、

6 聖霊により新たにされて、わたしたちは救われたのである。この聖霊は、わたしたちの救主イエス・キリストをとおして、わたしたちの上に豊かに注がれた。

7 これは、わたしたちが、キリストの恵みによって義とされ、永遠のいのちを望むことによって、御国をつぐ者となるためである。 (JCV)

 

テトスへの手紙 2:14[塚本訳] 彼は私達を“凡ての不法から贖い出し”、また(私達を)“潔めて”、善い仕事に熱心な“自分の選民にしよう”として、私達のために自分を与え給うたのである。"

 

ペテロの第一の手紙 1:18-19 あなたがたのよく知っているとおり、あなたがたが先祖伝来の空疎な生活からあがない出されたのは、銀や金のような朽ちる物にとったのではなく、

19 きずも、しみもない小羊のようなキリストの尊い血によったのである。 (JCV)

 

 

 

ローマ人への手紙3章25節

 

[口語訳] 神はこのキリストを立てて、その血による、信仰をもって受くべきあがないの供え物とされた。それは神の義を示すためであった。すなわち、今までに犯された罪を、神は忍耐をもって見のがしておられたが、

 

[新改訳] 神は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、なだめの供え物として、公にお示しになりました。それは、ご自身の義を現わすためです。というのは、今までに犯されて来た罪を神の忍耐をもって見のがして来られたからです。

 

[新共同訳] 神はこのキリストを立て、その血によって信じる者のために罪を償う供え物となさいました。それは、今まで人が犯した罪を見逃して、神の義をお示しになるためです。

 

 [文語訳]即ち神は忍耐をもて過來しかたの罪を見遁し給ひしが、己の義を顯さんとて、キリストを立て、その血によりて信仰によれる宥の供物となし給へり。"

 

[塚 本訳]すなわち神は御自分の義を示すために、宥めの供え物としてキリストを提供された。これはキリストの血でなされたものであり、(人は)信仰によ(って この恩恵にあずか)るのである。このことは──神が(長いあいだ)忍耐をもって過ぎし日に犯した罪を罰せずにおられたので──"

 

 [前田訳]神はキリストを宥めの供え物として差し出されました。これは血を流すまでの彼のまことによるものです。このようなことは、人々の過去の罪を神ならではの忍耐で見のがしてご自身の義を示すためであり、"

 

 (NCV) God gave him as a way to forgive sin through faith in the blood of Jesus' death. This showed that God always does what is right and fair, as in the past when he was patient and did not punish people for their sins.

 

[解読の鍵]

使徒行伝 2:23-25 このイエスが渡されたのは神の定めた計画と予知とによるのであるが、あなたがたは彼を不法の人々の手で十字架につけて殺した。 24 神はこのイエスを死の苦しみから解き放って、よみがえらせたのである。イエスが死に支配されているはずがなかったからである。

25 ダビデはイエスについてこう言っている、『わたしは常に目の前に主を見た。主は、わたしが動かされないため、わたしの右にいて下さるからである。 (JCV)

 

使徒行伝 3:18[塚本訳] しかし神はすべての預言者の口をもって、その救世主が苦しみをうけることを予告しておられたのであって、それをこんな風に成就されたのです。"

 

使徒行伝 4:27-28[塚本訳] 27(そして、この預言は成就しました。)実際ヘロデ[アンテパス]

(王)と(総督)ポンテオ・ピラトとは”異教人らや”イスラエル人の“民ども”と共に、

“あなたに油を注がれて(救世主として聖別され)た、”あなたの聖なる僕イエスに敵対してこの(エルサレムの)都に“集まり、” 28あなたの力強い御心をもって実現しようとあらかじめ定められていたことを、なしとげたからであります。"

 

ペテロの第一の手紙 1:18-20 あなたがたのよく知っているとおり、あなたがたが先祖伝来の空疎な生活からあがない出されたのは、銀や金のような朽ちる物にとったのではなく、 19 きずも、しみもない小羊のようなキリストの尊い血によったのである。20 キリストは、天地が造られる前から、あらかじめ知られていたのであるが、この終りの時に至って、あなたがたのために現れたのである。 (JCV)

 

出エジプト記 25:17-22 また純金の贖罪所を造らなければならない。長さは二キュビト半、幅は一キュビト半。 18 また二つの金のケルビムを造らなければならない。これを打物造りとし、贖罪所の両端に置かなければならない。 19 一つのケルブをこの端に、一つのケルブをかの端に造り、ケルビムを贖罪所の一部としてその両端に造らなければならない。 20 ケルビムは翼を高く伸べ、その翼をもって贖罪所をおおい、顔は互にむかい合い、ケルビムの顔は贖罪所にむかわなければならない。 21 あなたは贖罪所を箱の上に置き、箱の中にはわたしが授けるあかしの板を納めなければならない。 22 その所でわたしはあなたに会い、贖罪所の上から、あかしの箱の上にある二つのケルビムの間から、イスラエルの人々のために、わたしが命じようとするもろもろの事を、あなたに語るであろう。 (JCV)

 

ヘブル人への手紙 9:5[塚本訳] 箱の上には、(翼で)贖罪所をおおう栄光のケルビムがあった。

これらのことについては、今一々述べることはできない。

 

ヨハネの第一の手紙 2:2[塚本訳] そして彼こそわたし達の罪のための宥め(の供物)である。しかしただわたし達の罪のためだけでなく、この世全体のためでもある。

 

ヨハネの第一の手紙 4:10[塚本訳] わたし達が神を愛したことではなく、彼がわたし達を愛し、その子をわたし達の罪のための宥め(の供物)として遣わされたそのことに、愛があるのである。

 

ローマ人への手紙 5:9[塚本訳]それならばキリストの血で義とされている今、わたし達がキリストによって(最後の日の神の)怒りから救われるのは、もちろんである。"

 

イザヤ書 53:11 彼は自らの苦しみの実りを見、それを知って満足する。わたしの僕は、多くの人が正しい者とされるために、彼らの罪を自ら負った。 (JNICV)

 

ヨハネによる福音書 6:47-48 よくよくあなたがたに言っておく。信じる者には永遠の命がある。

48 わたしは命のパンである。 (JCV)

 

ヨハネによる福音書 6:53-55 イエスは彼らに言われた、「よくよく言っておく。人の子の肉を食べず、また、その血を飲まなければ、あなたがたの内に命はない。

54 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者には、永遠の命があり、わたしはその人を終りの日によみがえらせるであろう。 55 わたしの肉はまことの食物、わたしの血はまことの飲み物である。 (JCV)

 

コロサイ人への手紙 1:20-23 そして、その十字架の血によって平和をつくり、万物、すなわち、地にあるもの、天にあるものを、ことごとく、彼によってご自分と和解させて下さったのである。

21 あなたがたも、かつては悪い行いをして神から離れ、心の中で神に敵対していた。

22 しかし今では、御子はその肉のからだにより、その死をとおして、あなたがたを神と和解させ、あなたがたを聖なる、傷のない、責められるところのない者とし て、みまえに立たせて下さったのである。 23 ただし、あなたがたは、ゆるぐことがなく、しっかりと信仰にふみとどまり、すでに聞いている福音の望みから移り行くことのないようにすべきである。この福 音は、天の下にあるすべての造られたものに対して宣べ伝えられたものであって、それにこのパウロが奉仕しているのである。 (JCV)

 

ヘブル人への手紙 10:19-20[塚本訳] わたし達は今や旧約の律法から解放されて、新約の時代に入った。)だから、兄弟たちよ、わたし達はイエスの血により、安心して聖所に入ることができるので ある。20それは(イエスが)わたし達のために開かれた新しい生きた道である。わたし達は(彼自身である)幕、すなわち彼の肉体を通るのである。

 

ローマ人への手紙 3:26[塚本訳] 今の世において、御自分の義を示そうとされたのである。すなわち御自分が義であること、またイエスを信ずる者を義とするお方であることを、(この世に)示されたのである。"

 

使徒行伝 13:38-39 だから、兄弟たちよ、この事を承知しておくがよい。すなわち、このイエスによる罪のゆるしの福音が、今やあなたがたに宣べ伝えられている。そして、モーセの律法では義とされることができなかったすべての事についても、 39 信じる者はもれなく、イエスによって義とされるのである。 (JCV)

 

使徒行伝 17:30[塚本訳] ところで神は(こんな)無知な時代を大目に見ておられるが、今や人類に対し、どこの者でも皆、悔改めねばならないことをお告げになっています。"

 

テモテへの第一の手紙 1:15[塚本訳] (まことに)「キリスト・イエスは罪人を救うために世に来給うた」という言は信ずべく、また無条件に承認さるべきである。そしてこの私がその罪人の第一人者である。"

 

ヘブル人への手紙 9:15-22 それだから、キリストは新しい契約の仲保者なのである。それは、彼が初めの契約のもとで犯した罪過をあがなうために死なれた結果、召された者たちが、約束された永遠の国を受け継ぐためにほかならない。 16 いったい、遺言には、遺言者の死の証明が必要である。

17 遺言は死によってのみその効力を生じ、遺言者が生きている間は、効力がない。

18 だから、初めの契約も、血を流すことなしに成立したのではない。 19 すなわち、モーセが、律法に従ってすべての戒めを民全体に宣言したとき、水と赤色の羊毛とヒソプとの外に、子牛とやぎとの血を取って、契約書と民全体とにふりかけ、 20 そして、「これは、神があなたがたに対して立てられた契約の血である」と言った。 21 彼はまた、幕屋と儀式用の器具いっさいにも、同様に血をふりかけた。 22 こうして、ほとんどすべての物が、律法に従い、血によってきよめられたのである。血を流すことなしには、罪のゆるしはあり得ない。 (JCV)

 

ヘブル人への手紙 9:25-26 大祭司は、年ごとに、自分以外のものの血をたずさえて聖所にはいるが、キリストは、そのように、たびたびご自身をささげられるのではなかった。 26 もしそうだとすれば、世の初めから、たびたび苦難を受けねばならなかったであろう。しかし事実、ご自身をいけにえとしてささげて罪を取り除くために、世の終りに、一度だけ現れたのである。 (JCV)

 

ヘブル人への手紙 10:1-4 いったい、律法はきたるべき良いことの影をやどすにすぎず、そのものの真のかたちをそなえているものではないから、年ごとに引きつづきささげられる同じようないけにえによっても、みまえに近づいて来る者たちを、全うすることはできないのである。 2 もしできたとすれば、儀式にたずさわる者たちは、一度きよめられた以上、もはや罪の自覚がなくなるのであるから、ささげ物をすることがやまったはずではあるまいか。3 しかし実際は、年ごとに、いけにえによって罪の思い出がよみがえって来るのである。4 なぜなら、雄牛ややぎなどの血は、罪を除き去ることができないからである。 (JCV)

 

ヨハネの黙示録 5:9-10 彼らは新しい歌を歌って言った、「あなたこそは、その巻物を受けとり、封印を解くにふさわしいかたであります。あなたはほふられ、その血によって、神のために、あらゆる部族、国語、民族、国民の中から人々をあがない、10 わたしたちの神のために、彼らを御国の民とし、祭司となさいました。彼らは地上を支配するに至るでしょう」。 (JCV)

 

 

 

ローマ人への手紙3章26節

 

 [口語訳] それは、今の時に、神の義を示すためであった。こうして、神みずからが義となり、さらに、イエスを信じる者を義とされるのである。

[新改訳] それは、今の時にご自身の義を現わすためであり、こうして神ご自身が義であり、また、イエスを信じる者を義とお認めになるためなのです。

 

[新共同訳] このように神は忍耐してこられたが、今この時に義を示されたのは、御自分が正しい方であることを明らかにし、イエスを信じる者を義となさるためです。

 

 [文語訳]これ今おのれの義を顯して、自ら義たらん爲、またイエスを信ずる者を義とし給はん爲なり。

 

[塚本訳]今の世において、御自分の義を示そうとされたのである。すなわち御自分が義であること、またイエスを信ずる者を義とするお方であることを、(この世に)示されたのである。"

 

 [前田訳]さらに、今の世でご自身の義を示すためでもあります。すなわち、ご自身が義にいますとともに、イエスのまことによるものを義とする方であるためです。"

 

 (NCV) And God gave Jesus to show today that he does what is right. God did this so he could judge rightly and so he could make right any person who has faith in Jesus.

 

 [解読の鍵]

詩篇 85:10-11 いつくしみと、まこととは共に会い、義と平和とは互に口づけし、11 まことは地からはえ、義は天から見おろすでしょう。 (JCV)

 

イザヤ書 42:21 主はおのれの義のために、その教を大いなるものとし、かつ光栄有るものとすることを喜ばれた。 (JCV)

 

イザヤ書 45:21 あなたがたの言い分を持ってきて述べよ。また共に相談せよ。この事をだれがいにしえから示したか。だれが昔から告げたか。わたし、すなわち主ではなかったか。わたしのほかに神はない。わたしは義なる神、救主であって、わたしのほかに神はない。 (JCV)

 

ゼカリヤ書 9:9 シオンの娘よ、大いに喜べ、エルサレムの娘よ、呼ばわれ。見よ、あなたの王はあなたの所に来る。彼は義なる者であって勝利を得、柔和であって、ろばに乗る。すなわち、ろばの子である子馬に乗る。 (JCV)

 

使徒行伝 13:38-39 だから、兄弟たちよ、この事を承知しておくがよい。すなわち、このイエスによる罪のゆるしの福音が、今やあなたがたに宣べ伝えられている。そして、モーセの律法では義とされることができなかったすべての事についても、

39 信じる者はもれなく、イエスによって義とされるのである。 (JCV)

 

ローマ人への手紙 4:5[塚本訳]反対に、仕事をしない者、すなわち(善い行いは出来ずとも、信ずれば)どんな悪人でも義とするお方(神)を信ずる者に対しては、その信仰が義と見なされるのである。"

ガラテヤ人への手紙 3:14[塚本訳] これは、(モーセ律法を知らぬ)異教人に、(律法を行なわずとも、)イエス・キリスト(につながっているというだけの理由)によってアブラハムの祝福が臨 むため、(然り、キリストを信ずる)信仰によって、(アブラハムに対する)約束の御霊をわたし達がいただくためである。

 

 

 

ローマ人への手紙3章27節

 

 [口語訳] すると、どこにわたしたちの誇があるのか。全くない。なんの法則によってか。行いの法則によってか。そうではなく、信仰の法則によってである。

 

[新改訳] それでは、私たちの誇りはどこにあるのでしょうか。それはすでに取り除かれました。どういう原理によってでしょうか。行ないの原理によってでしょうか。そうではなく、信仰の原理によってです。

 

[新共同訳] では、人の誇りはどこにあるのか。それは取り除かれました。どんな法則によってか。行いの法則によるのか。そうではない。信仰の法則によってです。

 

 [文語訳]さらば誇るところ何處にあるか、既に除かれたり、何の律法に由りてか、行爲の律法か、然らず、信仰の律法に由りてなり。"

 

[塚本訳]それでは(ユダヤ人の)誇りはどうなるのか。誇ることは出来なくなった。なんの法則によって(出来ないの)か。行いの(完全を要求するモーセ律法の)法則によってか。そうではない、信仰の法則によってである。"

 

 [前田訳]それなら誇りはどうなりますか。もう誇れません。それはどの律法によってですか。行ないの律法によってですか。否、まことの律法によってです。 

 

 (NCV)So do we have a reason to brag about ourselves? No! And why not? It is the way of faith that stops all bragging, not the way of trying to obey the law.

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙 4:2[塚本訳]わたしは答える、)もし実際アブラハムが(りっぱな)行いによって義とされたのならば、(たしかに)誇る理由がある。しかし(誇ると言っても、人間に対してであって、)神に対してではない。"

 

ルカによる福音書 18:9-14 自分を義人だと自任して他人を見下げている人たちに対して、イエスはまたこの譬をお話になった。

10 「ふたりの人が祈るために宮に上った。そのひとりはパリサイ人であり、もうひとりは取税人であった。

11 パリサイ人は立って、ひとりでこう祈った、『神よ、わたしはほかの人たちのような貪欲な者、不正な者、姦淫をする者ではなく、また、この取税人のような人間でなもないことを感謝します。

12 わたしは一週に二度断食しており、全収入の十分の一をささげています』。

13 ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天にむけようともしないで、胸を打ちながら言った、『神様、罪人のわたしをおゆるしください』と。

14 あなたがたに言っておく。神に義とされて自分の家に帰ったのは、この取税人であって、あのパリサイ人ではなかった。おおよそ、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」。 (JCV)

 

エペソ人への手紙 2:8-10 あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である。

9 決して行いによるのではない。それは、だれも誇ることがないためなのである。

10 わたしたちは神の作品であって、良い行いをするように、キリスト・イエスにあって造られたのである。神は、わたしたちが、良い行いをして日を過ごすようにと、あらかじめ備えて下さったのである。 (JCV)

 

ガラテヤ人への手紙 2:16[塚本訳] けれども、人は(モーセ)律法を行うことによっては(神の前

に)義とされない、ただキリスト・イエスを信ずる信仰によらねばならぬことを知ったので、わたし達も(ユダヤ人でありながら、)キリスト・イエスを信じたのである。律法を行うことによらず、キリストを信ずる信仰によって義とされるためである。というのは、

律法を行うことによっては、人は“すべて義とされない”からである。"

 

ローマ人への手紙 7:23[塚本訳] わたしの肢体にもう一つの(わたし、罪の)法則(を喜ぶ外の人としてのわたし)があり、(その神の律法を行おうとする)わたしの理性の法則と戦って、肢体にあるこの罪の法則の捕虜にすることを、経験するのである。

 

ローマ人への手紙 8:2[塚本訳] なぜなら、キリスト・イエスによる命の霊の法則が、死と罪との法則からあなたを自由にしたからである。"

 

ガラテヤ人への手紙 3:22[塚本訳] しかし(律法は命を与えるものでなく、人を罪に閉じこめる力をもつだけである。)聖書はすべての人を(律法によって)罪の下に閉じこめ、イエス・キリスト を信ずる信仰によって、信ずる者に約束が与えられるのである。(律法は約束に矛盾しない。むしろこれに導く家庭教師である。)

 

ヨハネによる福音書 3:36[塚本訳] (だから従順に)御子を信ずる者は永遠の命を持つが、御子に不従順な者は命にはいることができないばかりか、神の怒りがその人からはなれない。」

 

 

 

ローマ人への手紙3章28節

 

[口語訳] わたしたちは、こう思う。人が義とされるのは、律法の行いによるのではなく、信仰によるのである。

 

[新改訳] 人が義と認められるのは、律法の行ないによるのではなく、信仰によるというのが、私たちの考えです。

 

[新共同訳] なぜなら、わたしたちは、人が義とされるのは律法の行いによるのではなく、信仰によると考えるからです。

 

 [文語訳]我らは思ふ、人の義とせらるるは、律法の行爲によらず、信仰に由るなり。"

 

[塚本訳]わたし達の信ずるところでは、(すでに言ったように、)人は律法

の命ずる行いに関係なく、(ただ)信仰(だけ)で、義とされるからである。

 

 [前田訳]われらの考えでは、律法の行ないとは別に、人はまことによって義とされます。"

 (NCV)A person is made right with God through faith, not through obeying the law.

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙 3:20-22 なぜなら、律法を行うことによっては、すべての人間は神の前に義とせられないからである。律法によっては、罪の自覚が生じるのみである。

21 しかし今や、神の義が、律法とは別に、しかも律法と預言者とによってあかしされて、現された。

22 それは、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、すべて信じる人に与えられるものである。そこにはなんらの差別もない。 (JCV)

 

ローマ人への手紙 3:26[塚本訳] 今の世において、御自分の義を示そうとされたのである。すなわち御自分が義であること、またイエスを信ずる者を義とするお方であることを、(この世に)示されたのである。

 

ローマ人への手紙 4:5[塚本訳] 反対に、仕事をしない者、すなわち(善い行いは出来ずとも、信ずれば)どんな悪人でも義とするお方(神)を信ずる者に対しては、その信仰が義と見なされるのである。"

 

ローマ人への手紙 5:1[塚本訳]だから、わたし達は信仰のゆえに義とされたのであるから、わたし達の主イエス・キリストによって、いま神と平和ができた。"

 

ローマ人への手紙 8:3[塚本訳] 律法が肉に妨げられて無力になったために出来なくなったことを、神は(御子によって)成し遂げてくださった。すなわち(わたし達の)罪の(征服の)ためにその子を罪の肉の形で(この世に)遣わし、その肉(を殺すこと)において罪を罰されたのである。"

 

ヨハネによる福音書 3:14-18 そして、ちょうどモーセが荒野でへびを上げたように、人の子もまた上げられなければならない。

15 それは彼を信じる者が、すべて永遠の命を得るためである。

16 神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。

17 神が御子を世につかわされたのは、世をさばくためではなく、御子によって、この世が救われるためである。

18 彼を信じる者は、さばかれない。信じない者は、すでにさばかれている。神のひとり子の名を信じることをしないからである。 (JCV)

 

ヨハネによる福音書 5:24[塚本訳] アーメン、アーメン、わたしは言う、わたしの言葉を聞き、わたしを遣わされた方を信ずる者は、(今すでに)永遠の命を持っていて、(最後の日に)罰を受けない。その人はもはや死から命に移っているのである。"

 

ヨハネによる福音書 6:40[塚本訳] 子(なるわたし)を見て信ずる者が皆永遠の命を持ち、わたしがその人を最後の日に復活させること、これがわたしの父上の御心であるから。(だから信じない者は、父上がわたしに下さらない人たちである。)」"

 

使徒行伝 13:38-39 だから、兄弟たちよ、この事を承知しておくがよい。すなわち、このイエスによる罪のゆるしの福音が、今やあなたがたに宣べ伝えられている。そして、モーセの律法では義とされることができなかったすべての事についても、

39 信じる者はもれなく、イエスによって義とされるのである。 (JCV)

 

コリント人への第一の手紙 6:11[塚本訳] そして(かっては)あなた達も幾人かは、こうした者であった。しかしもはや(洗礼を受けて汚れを)洗っていただいたのであり、聖別されたのであり、義とされたのである、主キリストの名によって、またわたし達の神の霊によって。"

 

ガラテヤ人への手紙 2:16[塚本訳] けれども、人は(モーセ)律法を行うことによっては(神の前

に) 義とされない、ただキリスト・イエスを信ずる信仰によらねばならぬことを知ったので、わたし達も(ユダヤ人でありながら、)キリスト・イエスを信じたので ある。律法を行うことによらず、キリストを信ずる信仰によって義とされるためである。というのは、律法を行うことによっては、人は“すべて義とされない” からである。"

 

ガラテヤ人への手紙 3:24[塚本訳] だから(モーセ)律法は(わたし達を)キリストへつれて行く家庭教師となった。信仰によってわたし達を義とするためである。

 

 

 

ローマ人への手紙3章29節

 

 [口語訳] それとも、神はユダヤ人だけの神であろうか。また、異邦人の神であるのではないか。確かに、異邦人の神でもある

 

[新改訳] それとも、神はユダヤ人だけの神でしょうか。異邦人にとっても神ではないのでしょうか。確かに神は、異邦人にとっても、神です

 

 [新共同訳] それとも、神はユダヤ人だけの神でしょうか。異邦人の神でもないのですか。そうです。異邦人の神でもあります

 

 [文語訳]神はただユダヤ人のみの神なるか、また異邦人の神ならずや、然り、また異邦人の神なり。"

[塚本訳]それとも神はユダヤ人だけの神であろうか。また異教人の神ではなかろうか。もちろん異教人の神でもある

 

 [前田訳]それとも、神はユダヤ人だけの神かですか。また異教徒の神でもありませんか。もちろん異教徒の神でもある、

 

 (NCV) Is God only the God of the Jews? Is he not also the God of those who are not Jews?

 

 

 [解読の鍵]

ローマ人への手紙 1:16[塚本訳]わたしは(決して)福音を恥じない。福音は神の力で、これを信

ずる者を一人のこらず、すなわち、まずユダヤ人、次に異教人を、救いに入れるからである。

 

ローマ人への手紙 9:24-26 神は、このあわれみの器として、またわたしたちをも、ユダヤ人の中からだけではなく、異邦人の中からも召されたのである。

25 それは、ホセアの書でも言われているとおりである、「わたしは、わたしの民でない者を、わたしの民と呼び、愛されなかった者を、愛される者と呼ぶであろう。

26 あなたがわたしの民ではないと、彼らに言ったその場所で、彼らは生ける神の子らであると、呼ばれるであろう」。 (JCV)

 

ローマ人への手紙 11:12-13[塚本訳]

12しかしもし、彼らの過ちが、(福音を外に溢れさせて異教人の)世界を富ませ、また彼らの失敗が異教人を富ませることになったとすれば、まして彼らが(一人のこらず信仰に入って神の御心を)満たす時(の幸福と喜びと)は、どんなであろう。"

13しかしわたしはあなた達(ローマ集会の)異教人諸君に言いたいことがある。・・わたしは異教人の使徒として、この自分の職務を重く考えて(全力を尽して)いる。"

 

ローマ人への手紙 15:9-13 異邦人もあわれみを受けて神をあがめるようになるためである、「それゆえ、わたしは、異邦人の中で  あなたにさんびをささげ、また、御名をほめ歌う」と書いてあるとおりである。

10 また、こう言っている、「異邦人よ、主の民と共に喜べ」。

11 また、「すべての異邦人よ、主をほめまつれ。もろもろの民よ、主をほめたたえよ」。

12 またイザヤは言っている、「エッサイの根から芽が出て、異邦人を治めるために立ち上がる者が来る。異邦人は彼に望みをおくであろう」。

13 どうか、望みの神が、信仰から来るあらゆる喜びと平安とを、あなたがたに満たし、聖霊の力によって、あなたがたを、望みにあふれさせて下さるように。 (JCV)

 

ローマ人への手紙 15:16[塚本訳]この恩恵とは、わたしが(神に選ばれて)異教人のためにキリスト・イエスにつかえる者になり、神の福音のために祭司の職をすることであって、こうして異教人が聖霊によって聖別され、御心にかなう捧げ物になるようにしているのである。"

 

詩篇 67:2-3 これはあなたの道があまねく地に知られ、あなたの救の力がもろもろの国民のうちに知られるためです。

3 神よ、民らにあなたをほめたたえさせ、もろもろの民にあなたをほめたたえさせてください。 (JCV)

 

イザヤ書 54:5-6 あなたを造られた者はあなたの夫であって、その名は万軍の主。あなたをあがなわれる者は、イスラエルの聖者であって、全地の神ととなえられる。

6 捨てられて心悲しむ妻、また若い時にとついで出された妻を招くように主はあなたを招かれた」とあなたの神は言われる。 (JCV)

 

マタイによる福音書 28:19[塚本訳] それゆえに、行ってすべての国の人を(わたしの)弟子にせよ、父と子と聖霊の名で洗礼を授け、"

 

マルコによる福音書 16:15[塚本訳] 彼らに言われた、「行って、全世界のすべての人間に福音を説け。"

 

ルカによる福音書 24:46-47 言われた、「こう、しるしてある。キリストは苦しみを受けて、三日目に死人の中からよみがえる。

47 そして、その名によって罪のゆるしを得させる悔改めが、エルサレムからはじまって、もろもろの国民に宣べ伝えられる。 (JCV)

 

使徒行伝 9:15[塚本訳] 主が彼に言われた、「(恐れることはない。)行け。あの人は、異教人と王たちとイスラエルの子孫との前に、わたしの名を運んでゆく(ために選んだ)わたしの選びの器であるから。"

 

使徒行伝 26:17-18[塚本訳] 17(かずかずの迫害や危険がのぞむが心配するな。)わたしは君をこの(イスラエルの)民(の手)から、また”異教人(の手)から”“(かならず)救い出してやる。”“彼らの中にわたしが君を遣わすのは、”"

18彼らの”目をあけて”彼らが“暗闇から光に、”悪魔の権力から神に帰るため、そうして彼らがわたしに対する信仰によって罪の赦しを得、きよめられた人たちの仲間に入れていただくためである』と。"

 

ガラテヤ人への手紙 3:14[塚本訳]これは、(モーセ律法を知らぬ)異教人に、(律法を行なわずとも、)イエス・キリスト(につながっているというだけの理由)によってア ブラハムの祝福が臨むため、(然り、キリストを信ずる)信仰によって、(アブラハムに対する)約束の御霊をわたし達がいただくためである。

 

ガラテヤ人への手紙 3:25-29

しかし、いったん信仰が現れた以上、わたしたちは、もはや養育掛のもとにはいない。

26 あなたがたはみな、キリスト・イエスにある信仰によって、神の子なのである。

27 キリストに合うバプテスマを受けたあなたがたは、皆キリストを着たのである。

28 もはや、ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もない。あなたがたは皆、キリスト・イエスにあって一つだからである。

29 もしキリストのものであるなら、あなたがたはアブラハムの子孫であり、約束による相続人なのである。 (JCV)

 

エペソ人への手紙 3:4-9 あなたがたはそれを読めば、キリストの奥義をわたしがどう理解しているかがわかる。

5 この奥義は、いまは、御霊によって彼の聖なる使徒たちと預言者たちとに啓示されているが、前の時代には、人の子らに対して、そのように知らされてはいなかったのである。

6 それは、異邦人が、福音によりキリスト・イエスにあって、わたしたちと共に神の国をつぐ者となり、共に一つのからだとなり、共に約束にあずかる者となることである。

7 わたしは、神の力がわたしに働いて、自分に与えられた神の恵みの賜物により、福音の僕とされたのである。

8 すなわち、聖徒たちのうちで最も小さい者であるわたしにこの恵みが与えられたが、それは、キリストの無尽蔵の富を異邦人に宣べ伝え、

9 更にまた、万物の造り主である神の中に世々隠されていた奥義にあずかる務がどんなものであるかを、明らかに示すためである。 (JCV)

 

コロサイ人への手紙 3:11[塚本訳] そして其処・・(この新しい人間の住む世界)・・には(最早)ギリシヤ人とユダヤ人、割礼(の者)と無割礼(の者、また)野蛮人、スキテン人、奴隷、自由人(の別)がなく、ただ凡てがキリスト、凡てにキリストである。"

 

 

 

ローマ人への手紙3章30節

 

[口語訳] まことに、神は唯一であって、割礼のある者を信仰によって義とし、また、無割礼の者をも信仰のゆえに義とされるのである。

 

[新改訳] 神が唯一ならばそうです。この神は、割礼のある者を信仰によって義と認めてくださるとともに、割礼のない者をも、信仰によって義と認めてくださるのです。

 

[新共同訳] 実に、神は唯一だからです。この神は、割礼のある者を信仰のゆえに義とし、割礼のない者をも信仰によって義としてくださるのです。

 

 [文語訳]神は唯一にして、割禮ある者を信仰によりて義とし、割禮なき者をも信仰によりて義とし給へばなり。"

 

[塚本訳]神がただお一人である以上は。すなわち神は、割礼のある者を信仰により、割礼のない者をも信仰によって、義とされる。"

 

 [前田訳]神がひとりにいますかぎりは。神は、割礼あるものをまことによって、無割礼のものをもまことによって、義とされます。

 

 (NCV) Of course he is, because there is only one God. He will make Jews right with him by their faith, and he will also make those who are not Jews right with him through their faith.

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙 3:28[塚本訳]わたし達の信ずるところでは、(すでに言ったように、)人は律法の命ずる行いに関係なく、(ただ)信仰(だけ)で、義とされるからである。"

 

ローマ人への手紙 4:11-12[塚本訳] 11そしてアブラハムが(あとで)“割礼なる徴を”受けたのは、(まだ)“割礼をうけない”時、信仰によって義とされたことの証拠としてである。これは彼 が、(一方ではユダヤ人でない信者、すなわち)割礼なしで信じて義とみなされるすべての人の父になるためであり、12また(他方ではユダヤ人の信者、すな わち)割礼があるだけでなく、わたし達の父アブラハムが割礼をうけない時(に信じて義と見なされたそ)の信仰の足跡を踏む、(まことの)割礼のある人たち の父になるためであった。

 

ローマ人への手紙 10:12-13[塚本訳] 12(「すべて」と言う以上、)ユダヤ人も異教人も、その間になんの差別もないのである。なぜなら、同じ一人の方がすべての人の主であって、御自分を呼ぶすべての人に、あり余る恩恵をお与えになるからである。

13ほんとうに(預言者ヨエルが言うように、)“主[キリスト]の名を呼ぶ者はすべて救われる。”"

ガラテヤ人への手紙 2:14-16 彼らが福音の真理に従ってまっすぐに歩いていないのを見て、わたしは衆人の面前でケパに言った、「あなたは、ユダヤ人であるのに、自分自身はユダヤ人のよ うに生活しないで、異邦人のように生活しながら、どうして異邦人にユダヤ人のようになることをしいるのか」。 15 わたしたちは生れながらのユダヤ人であって、異邦人なる罪人ではないが、

16 人の義とされるのは律法の行いによるのではなく、ただキリスト・イエスを信じる信仰によることを認めて、わたしたちもキリスト・イエスを信じたのである。 それは、律法の行いによるのではなく、キリストを信じる信仰によって義とされるためである。なぜなら、律法の行いによっては、だれひとり義とされることが ないからである。 (JCV)

 

ガラテヤ人への手紙 3:8[塚本訳] すなわち聖書は、神が異教人をも信仰(のみ)によって義とされることを前から知っていたので、アブラハムにあらかじめ福音を伝えた、“お前によって、すべての異教人が祝福をうける”と。

 

ガラテヤ人への手紙 3:2[塚本訳] (神の子には、)もはやユダヤ人もなければ異教人もなく、奴隷もなければ自由人もなく、男もなければ女もない。あなた達はみなキリスト・イエスによって一つであるからである。

 

ガラテヤ人への手紙 5:6[塚本訳] キリスト・イエスを信ずる者においては、割礼があるのも、割礼がないのも、なんの価値もない。ただ信仰(、信仰だけ)が愛によって働くのだから。

 

ガラテヤ人への手紙 6:15[塚本訳] なぜなら、割礼があるのも、割礼がないのも、なんの意味もない。ただ意味があるのは、(キリストによる)新しい創造。

 

ピリピ人への手紙 3:3-4 神の霊によって礼拝をし、キリスト・イエスを誇とし、肉を頼みとしないわたしたちこそ、割礼の者である。4 もとより、肉の頼みなら、わたしにも無くはない。もし、だれかほかの人が肉を頼みとしていると言うなら、わたしはそれをもっと頼みとしている。 (JCV)

 

コロサイ人への手紙 2:10-11 そしてあなたがたは、キリストにあって、それに満たされているのである。彼はすべての支配と権威とのかしらであり、

11 あなたがたはまた、彼にあって、手によらない割礼、すなわち、キリストの割礼を受けて、肉のからだを脱ぎ捨てたのである。 (JCV)

 

 

 

ローマ人への手紙3章31節

 

 [口語訳] すると、信仰のゆえに、わたしたちは律法を無効にするのであるか。断じてそうではない。かえって、それによって律法は確立するのである。

 

[新改訳] それでは、私たちは信仰によって律法を無効にすることになるのでしょうか。絶対にそんなことはありません。かえって、律法を確立することになるのです。

 

[新共同訳] それでは、わたしたちは信仰によって、律法を無にするのか。決してそうではない。むしろ、律法を確立するのです。

 

[文語訳]然らば我ら信仰をもて律法を空しくするか、決して然らず、反つて律法を堅うするなり。"

 

[塚本訳]それではわたし達は、信仰(による救いの道)によって(モーセ)律法を廃止することになるのか。もちろん、そうではない。(結果から見ると、)むしろ律法の効力を発揮させるのである。"

 

 [前田訳]まことのためにわれらは律法を無にするのでしょうか。断じて否です。むしろ律法を強化するのです。"

 

(NCV)So do we destroy the law by following the way of faith? No! Faith causes us to be what the law truly wants.

 

[解読の鍵]

マタイによる福音書 5:17[塚本訳] わたしが律法や預言書[聖書]を廃止するために来たと思ってはならない。廃止するどころか、成就するために来たのである。"

 

マタイによる福音書 15:6[塚本訳]

父または母を敬わなくてよろしい(、扶養の義務をまぬかれる)』と。こうして、あなた達は自分の言伝えで神の言葉を反故にしている。"

 

ローマ人への手紙 7:7-14ローマ人への手紙 7:7-14 それでは、わたしたちは、なんと言おうか。律法は罪なのか。断じてそうではない。しかし、律法によらななければ、わたしは罪を知らなかったであろう。すな わち、もし律法が「むさぼるな」と言わなかったら、わたしはむさぼりなるものを知らなかったであろう。

8 しかるに、罪は戒めによって機会を捕え、わたしの内に働いて、あらゆるむさぼりを起させた。すなわち、律法がなかったら、罪は死んでいるのである。

9 わたしはかつては、律法なしに生きていたが、戒めが来るに及んで、罪は生き返り、

10 わたしは死んだ。そして、いのちに導くべき戒めそのものが、かえってわたしを死に導いて行くことがわかった。

11 なぜなら、罪の戒めによって機会を捕え、わたしを欺き、戒めによってわたしを殺したからである。

12 このようなわけで、律法そのものは聖なるものであり、戒めも聖であって、正しく、かつ善なるものである。

13 では、善なるものが、わたしにとって死となったのか。断じてそうではない。それはむしろ、罪の罪たることが現れるための、罪のしわざである。すなわち、罪は、戒めによって、はなはだしく悪性なものとなるために、善なるものによってわたしを死に至らせたのである。

14 わたしたちは、律法は霊的なものであると知っている。しかし、わたしは肉につける者であって、罪の下に売られているのである。 (JCV)

 

ローマ人への手紙 7:22-23 すなわち、わたしは、内なる人としては神の律法を喜んでいるが、

23 わたしの肢体には別の律法があって、わたしの心の法則に対して戦いをいどみ、そして、肢体に存在する罪の法則の中に、わたしをとりこにしているのを見る。 (JCV)

 

ローマ人への手紙 7:25 わたしたちの主イエス・キリストによって、神は感謝すべきかな。このようにして、わたし自身は、心では神の律法に仕えているが、肉では罪の律法に仕えているのである。

(JCV)

 

ローマ人への手紙 8:4[塚本訳]これはわたし達が(もはや)肉によって歩かず、霊によって歩き、律法の要求することがわたし達において完全に果たされるためである。"

 

ローマ人への手紙 10:4[塚本訳]

(では律法を守ることが、なぜいけないか。律法はキリストによって目的を達し、もうなくなってしまったからである。)すなわち、キリストは(御自分を)信ずる者が一人のこらず義とされるために、律法の終りとなられたのである。"

 

ローマ人への手紙 13:8-11[塚本訳]

 8(官憲ばかりでなく、)だれにも何も、借りがあってはならない。ただし、互に愛することだけは例外である。(この借りは、いつまでも返してしまわないように。)人を愛する者は(モーセ)律法を完全に果たしたのである。

9なぜなら、“姦淫をしてはならない、殺してはならない、盗んではならない、(人のものを)欲しがってはならない”など、このほかにどんな掟があっても、“隣の人を自分のように愛せよ”というこの一言に帰するからである。

10愛は隣の人に悪事を働かない。だから愛は律法の完成である。

 

エレミヤ書 31:33-34 しかし、それらの日の後にわたしがイスラエルの家に立てる契約はこれである。すなわちわたしは、わたしの律法を彼らのうちに置き、その心にしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となると主は言われる。

34 人はもはや、おのおのその隣とその兄弟に教えて、『あなたは主を知りなさい』とは言わない。それは、彼らが小より大に至るまで皆、わたしを知るようになるからであると主は言われる。わたしは彼らの不義をゆるし、もはやその罪を思わない」。 (JCV)

 

マタイによる福音書 3:14-15 ところがヨハネは、それを思いとどまらせようとして言った、「わたしこそあなたからバプテスマを受けるはずですのに、あなたがわたしのところにおいでになるのですか」。

15 しかし、イエスは答えて言われた、「今は受けさせてもらいたい。このように、すべての正しいことを成就するのは、われわれにふさわしいことである」。そこでヨハネはイエスの言われるとおりにした。

(JCV)

 

マタイによる福音書 5:20[塚本訳]

わたしは言う、あなた達の行ないが聖書学者やパリサイ人以上にりっぱでなければ、決して天の国に入ることはできない。

 

コリント人への第一の手紙 9:21[塚本訳]

わたしは神の律法を知らないのではなく、むしろキリストの律法に縛られているのではあるが、律法を知らない者たちには律法を知らない者のようになった。律法を知らない者たちを得るためである。"

 

ガラテヤ人への手紙 2:19[塚本訳]

というのは、神に対して生きるために、わたしは律法によって律法(との関係)に(おいて)死んでしまったのである。キリストと一緒に十字架につけられたのである。

 

ガラテヤ人への手紙 5:18-23 もしあなたがたが御霊に導かれるなら、律法の下にはいない。

19 肉の働きは明白である。すなわち、不品行、汚れ、好色、

20 偶像礼拝、まじない、敵意、争い、そねみ、怒り、党派心、分裂、分派、

21 ねたみ、泥酔、宴楽、および、そのたぐいである。わたしは以前も言ったように、今も前もって言っておく。このようなことを行う者は、神の国をつぐことがない。

22 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、

23 柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。 (JCV)

 

ヘブル人への手紙 10:15-18 聖霊もまた、わたしたちにあかしをして、

16 「わたしが、それらの日の後、彼らに対して立てようとする契約はこれであると、主は言われる。わたしの律法を彼らの心に与え、彼らの思いのうちに書きつけよう」と言い、

17 さらに、「もはや、彼らの罪と彼らの不法とを、思い出すことはしない」と述べている。

18 これらのことに対するゆるしがある以上、罪のためのささげ物は、もはやあり得ない。 (JCV)

 

 

 

人生に贖罪は必要か

 

人 生に贖罪は必要か。それは人様々である。ただ罪が「苦しい・つらい」と感じる人にとってのみ必要である。しかし生まれつきの人間は罪が「苦しい・つらい」 というまでの自覚に至らない。「罪」は人間に自然に備わっている「煩悩」だとして苦しみなどを感じないで通過する。しかし「煩悩だから仕方がなかった」で はすまされないほど人生が「ひどい」ことになったとき、その泥沼の中で初めて「自分の罪の醜さ」がわかり窒息状態になり必死に救われたいと思うのである。 このとき救いの必要を感じる。それまでは人生の淋しさ、むなしさ、生きがいのなさなどが罪の故に生命の本源たる神と交わりができていないことが原因である とは知らず、人間的手段でその「淋しさ、むなしさ、生きがいのなさ」を埋めて、その日その日を、紛らわせてしまって救いの必要を感じることなく従ってキリスト教とは「縁」がなく一生を終わる。これが同胞99%の現実である。

こ こにおいて我々は同胞に向かって「罪の自覚」や「贖罪の必要」を喚起することはできない。それは余計なおせっかいで無駄なことなのだ。人に「ニーズ」(必 要)を喚起することほど時間がかかってまた効率の悪いことはない。指揮者の斎藤秀雄はめったな人を自宅に呼ばなかったという。それは「無駄」だからと語っ ていた。かって私に「自分はクラシック音楽は何を聞いても同じに聞こえる」と言った人がいたが、そんな人に「音楽の楽しさ」を説くのは徒労である。以前私 がある人の家に客になったとき食事の前に盆栽の話しを延々とされて閉口したことがあった。私は盆栽に興味はなく早く目の前の夕食を食べたかったのである。 主人にとっては私に盆栽の話をするのは無駄なことであった。わたしはそれを求めていなかったからである。

 神 は人の状態を見て、ちょうど良いときに(それはしばしば人生の泥沼を通して)彼の心を照らし出して罪を示し、救いの必要を感じさせ,同時に「救い」を与え る。人間にとって自分の醜い罪が照らし出されるとき、救いとしての贖罪はその背後に待ち構えている。神は無駄なことはしない。

 

詩篇 94:18 [口語訳]しかし「わたしの足がすべる」と思ったとき、

主よ、あなたのいつくしみはわたしをささえられました。

 

医者(神)も癒す(救う)場合以外は「病気の宣告」(罪の宣告)をむやみに行わない。罪が示されるつらい日は同時に贖罪の救いの日なのだ。その救いの日、恩恵の日が同胞の若き日に来ますように。年老いて諦めばかりで「救い」を求める意欲すら薄れるまえに。

伝道の書 12:1 あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。悪しき日がきたり、年が寄って、「わたしにはなんの楽しみもない」と言うようにならない前に、 (JCV)

2001.1.19高橋照男

 

 

 

 

表  題 ・ 要  約

 

 

アブラハムが義とされたのは信仰による(4:1−8)・・・塚本訳

 

アブラハムの信仰(4:1−8)・・・塚本註解

 

アブラハムが義とされたのは恩恵による・・・白井きく

 

信仰の福音の型たるアブラハムの歴史(4:1−25)・・・アルトハウスNTD

   信仰によって義とされたアブラハム(4:1−12)

 

アブラハムの信仰(4章)・・・内村鑑三

 

聖書による信仰の義の証明(4:1−25)・・・・ヴィルケンスEKK

   信仰の義としてのアブラハムの義(4:1−8)

 

アブラハムの模範(4:1−12)・・・新共同訳

 

アブラハムの例(4:1−12)・・・フランシス会訳

 

アブラハムの信仰(4:1−25)・・・黒崎新約聖書註解

   アブラハムは信仰によって義とせられた(4:1−8)

 

信仰は奇跡である(3:31−4:8)・・・バルト

 

不信心なものを義とされる神(4章)・・・青野(岩波)

 

アブラハムは信仰によって義とされた(4:1−8)・・・八木(講談社)

 

信仰の義としての神の義(3:21−4:25)・・・ケーゼマン

   アブラハムの物語による聖書証明(4:1−25)

      アブラハムは信仰によって義とされた(4:1−8)

 

 

 

ローマ人への手紙4章1節

 

[口語訳] それでは、肉によるわたしたちの先祖アブラハムの場合については、なんと言ったらよいか。

 

[新改訳] それでは、肉による私たちの先祖アブラハムのばあいは、どうでしょうか。

 

[新共同訳] では、肉によるわたしたちの先祖アブラハムは何を得たと言うべきでしょうか。

 

[文語訳]さらば我らの先祖アブラハムは肉につきて何を得たりと言はんか。

 

[塚本訳]それでは、わたし達(ユダヤ人の)肉の先祖アブラハムが得たものは、どういうことになるのだろうか、(何も得なかったことになるではないか、とある人は言うかも知れない。

 

 [前田訳]それでは、われらの肉の父祖アブラハムが得たものは何であるといいましょう。"

(NCV)So what can we say that Abraham, the father of our people, learned about faith?

 

[解読の鍵]

マタイによる福音書 3:9[塚本訳] 『われわれの先祖はアブラハムである(から大丈夫だ)』などと考えてはならない。わたしは言う、神はそこらの石ころからでも、アブラハムの子供を造ることがお出来になるのだ。"

 

ルカによる福音書 3:8[塚本訳] (ほんとうに悔改めたのか。)それなら(洗礼を受けるだけでなく、)悔改めにふさわしい実を結べ。『われわれの先祖はアブラハムである(から大丈夫だ)』 などという考えを起してはならない。わたしは言う、神はそこらの石ころからでも、アブラハムの子供を造ることがお出来になるのだ。

 

ルカによる福音書 16:22-31 この貧しい人がついに死に、御使たちに連れられてアブラハムのふところに送られた。金持も死んで葬られた。

23 そして黄泉にいて苦しみながら、目をあげると、アブラハムとそのふところにいるラザロとが、はるかに見えた。 24 そこで声をあげて言った、『父、アブラハムよ、わたしをあわれんでください。ラザロをおつかわしになって、その指先を水でぬらし、わたしの舌を冷やさせて ください。わたしはこの火炎の中で苦しみもだえています』。 25 アブラハムが言った、『子よ、思い出すがよい。あなたは生前よいものを受け、ラザロの方は悪いものを受けた。しかし今ここでは、彼は慰められ、あなたは苦 しみもだえている。 26 そればかりか、わたしたちとあなたがたとの間には大きな淵がおいてあって、こちらからあなたがたの方へ渡ろうと思ってもできないし、そちらからわたしたち の方へ越えて来ることもできない』。27そこで金持が言った、『父よ、ではお願いします。わたしの父の家へラザロをつかわしてください。 28 わたしに五人の兄弟がいますので、こんな苦しい所へ来ることがないように、彼らに警告していただきたいのです』。 29 アブラハムは言った、『彼らにはモーセと預言者とがある。それに聞くがよかろう』。 30 金持が言った、『いえいえ、父アブラハムよ、もし死人の中からだれかが兄弟たちのところへ行ってくれましたら、彼らは悔い改めるでしょう』。31 アブラハムは言った、『もし彼らがモーセと預言者とに耳を傾けないなら、死人の中からよみがえってくる者があっても、彼らはその勧めを聞き入れはしないで あろう』」。 (JCV)

 

ヨハネによる福音書 8:33[塚本訳] しかし彼らは(その意味がわからずに)答えた、「わたし達はアブラハムの子孫で(自由人で)ある。いまだかつてだれの奴隷にもなったことはない。どうして『あなた達は自由になる』と言われるのか。」"

 

ヨハネによる福音書 8:37-41 わたしは、あなたがたがアブラハムの子孫であることを知っている。それだのに、あなたがたはわたしを殺そうとしている。わたしの言葉が、あなたがたのうちに根をおろしていないからである。

38 わたしはわたしの父のもとで見たことを語っているが、あなたがたは自分の父から聞いたことを行っている」。

39 彼らはイエスに答えて言った、「わたしたちの父はアブラハムである」。イエスは彼らに言われた、「もしアブラハムの子であるなら、アブラハムのわざをするがよい。

40 ところが今、神から聞いた真理をあなたがたに語ってきたこのわたしを、殺そうとしている。そんなことをアブラハムはしなかった。

41 あなたがたは、あなたがたの父のわざを行っているのである」。彼らは言った、「わたしたちは、不品行の結果うまれた者ではない。わたしたちにはひとりの父がある。それは神である」。 (JCV)

 

ヨハネによる福音書 8:53[塚本訳] 君はまさか、われわれの父アブラハムよりもえらいというのではあるまい。アブラハムは死んだではないか。また預言者たちも死んだのに、いったい君は、自分を何だと思っているのか。」

 

ヨハネによる福音書 8:56[塚本訳] あなた達の父アブラハムは、生きてわたしの日、(わたしが来て神の契約を成就するその日)を見ることを、楽しみにしていた。そして(実際)それを見て、喜んだ。」"

 

使徒行伝 13:26[塚本訳] 兄弟の方々・・アブラハムの子孫の方々と、あなた達の中の敬神家の方々よ、(神から)わたし達に、この(イエスの)救いを知らせる“言葉は送られたのです。”"

 

コリント人への第二の手紙 11:22[塚本訳] あの人たちはヘブライ人だというのか、わたしもだ。イスラエル人だというのか、わたしもだ。アブラハムの子孫だというのか、わたしもだ。"

 

 

 

ローマ人への手紙4章2節

 

 [口語訳] もしアブラハムが、その行いによって義とされたのであれば、彼は誇ることができよう。しかし、神のみまえでは、できない。

 

[新改訳] もしアブラハムが行ないによって義と認められたのなら、彼は誇ることができます。しかし、神の御前では、そうではありません。

 

[新共同訳] もし、彼が行いによって義とされたのであれば、誇ってもよいが、神の前ではそれはできません。

 

 [文語訳]アブラハムは若し行爲によりて義とせられたらんには誇るべき所あり、然れど神の前には有ることなし。"

 

[塚本訳]わたしは答える、)もし実際アブラハムが(りっぱな)行いによって義とされたのならば、(たしかに)誇る理由がある。しかし(誇ると言っても、人間に対してであって、)神に対してではない。"

 

 [前田訳]もしアブラハムが行ないによって義とされたなら、誇っていいわけです。しかし神に対してではありません。"

 

 (NCV) If Abraham was made right by the things he did, he had a reason to brag. But this is not God's view,

 

[解読の鍵]

 

ローマ人への手紙 3:20-28 なぜなら、律法を行うことによっては、すべての人間は神の前に義とせられないからである。律法によっては、罪の自覚が生じるのみである。

21 しかし今や、神の義が、律法とは別に、しかも律法と預言者とによってあかしされて、現された。

22 それは、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、すべて信じる人に与えられるものである。そこにはなんらの差別もない。

23 すなわち、すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており、

24 彼らは、価なしに、神の恵みにより、キリスト・イエスによるあがないによって義とされるのである。

25 神はこのキリストを立てて、その血による、信仰をもって受くべきあがないの供え物とされた。それは神の義を示すためであった。すなわち、今までに犯された罪を、神は忍耐をもって見のがしておられたが、

26 それは、今の時に、神の義を示すためであった。こうして、神みずからが義となり、さらに、イエスを信じる者を義とされるのである。

27 すると、どこにわたしたちの誇があるのか。全くない。なんの法則によってか。行ないの法則によってか。そうではなく、信仰の法則によってである。

28 わたしたちは、こう思う。人が義とされるのは、律法の行いによるのではなく、信仰によるのである。 (JCV)

 

ピリピ人への手紙 3:9 律法による自分の義ではなく、キリストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基く神からの義を受けて、キリストのうちに自分を見いだすようになるためである。 (JCV)

 

ローマ人への手紙 3:27[塚本訳] それでは(ユダヤ人の)誇りはどうなるのか。誇ることは出来なくなった。なんの法則によって(出来ないの)か。行いの(完全を要求するモーセ律法の)法則によってか。そうではない、信仰の法則によってである。"

 

ローマ人への手紙 15:17[塚本訳] だからわたしは誇りをもっているが、それは(ただ)キリスト・イエスにおいて、神(の福音)に関してのことである。"

 

エレミヤ書 9:23-24 主はこう言われる、「知恵ある人はその知恵を誇ってはならない。力ある人はその力を誇ってはならない。富める者はその富を誇ってはならない。

24 誇る者はこれを誇とせよ。すなわち、さとくあって、わたしを知っていること、わたしが主であって、地に、いつくしみと公平と正義を行っている者であることを知ることがそれである。わたしはこれらの事を喜ぶと、主は言われる」。 (JCV)

 

コリント人への第一の手紙 9:16[塚本訳] なぜなら、たとい福音を伝えたところで、わたしの誇りにはならない。なぜなら、(神に)強要されているのだから。なぜなら、もし福音を伝えないならわたしは禍だからである。"

 

コリント人への第二の手紙 5:11-[塚本訳].

このようにわたし達は主の(裁判の)恐ろしさを知っているので、(非難者の言葉を借りれば、)人々を「説得している」のであるが、わたし達(に私心)の(ない)ことは神には知られている(筈である)。しかしあなた達の良心にも知られることを望むのである。"

12(前にも言ったが、)わたし達はまたあなた達に「自分を推薦する」のではない。ただわたし達のことを誇る手掛りを与えて、内面でなく外面を誇るあの連中に受け答えできるようにするまでである。"

 

 

 

ローマ人への手紙4章3節

 

[口語訳] なぜなら、聖書はなんと言っているか、「アブラハムは神を信じた。それによって、彼は義と認められた」とある。

 

[新改訳] 聖書は何と言っていますか。「それでアブラハムは神を信じた。それが彼の義と見なされた。」とあります。

 

[新共同訳] 聖書には何と書いてありますか。「アブラハムは神を信じた。それが、彼の義と認められた」とあります。

 

 [文語訳]聖書に何と云へるか『アブラハムは神を信ず、その信仰を義と認められたり』と。"

 

[塚本訳]では聖書は何と言っているか。“アブラハムは神を信じて、そのことが彼の義と見なされた”とある。(アブラハムが義とされたのは行いのゆえではなく、恩恵である。)"

 

[前田訳]聖書は何といいますか。「アブラハムは神を信じ、それが彼の義と認められた」とあります。"

 

(NCV) because the Scripture says, "Abraham believed God, and God accepted Abraham's faith, and that faith made him right with God."

 

[解読の鍵]

ルカによる福音書 10:38-42 一同が旅を続けているうちに、イエスがある村へはいられた。するとマルタという名の女がイエスを家に迎え入れた。

39 この女にマリヤという妹がいたが、主の足もとにすわって、御言に聞き入っていた。

40 ところが、マルタは接待のことで忙がしくて心をとりみだし、イエスのところにきて言った、「主よ、妹がわたしだけに接待をさせているのを、なんともお思いになりませんか。わたしの手伝いをするように妹におっしゃってください」。

41 主は答えて言われた、「マルタよ、マルタよ、あなたは多くのことに心を配って思いわずらっている。

42 しかし、無くてならぬものは多くはない。いや、一つだけである。マリヤはその良い方を選んだのだ。そしてそれは、彼女から取り去ってはならないものである」。 (JCV)

 

ルカによる福音書 18:9-14 自分を義人だと自任して他人を見下げている人たちに対して、イエスはまたこの譬をお話になった。

10 「ふたりの人が祈るために宮に上った。そのひとりはパリサイ人であり、もうひとりは取税人であった。

11 パリサイ人は立って、ひとりでこう祈った、『神よ、わたしはほかの人たちのような貪欲な者、不正な者、姦淫をする者ではなく、また、この取税人のような人間でなもないことを感謝します。

12 わたしは一週に二度断食しており、全収入の十分の一をささげています』。

13 ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天にむけようともしないで、胸を打ちながら言った、『神様、罪人のわたしをおゆるしください』と。

14 あなたがたに言っておく。神に義とされて自分の家に帰ったのは、この取税人であって、あのパリサイ人ではなかった。おおよそ、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」。 (JCV)

 

創世記 15:6 アブラムは主を信じた。主はこれを彼の義と認められた。 (JCV)

 

ガラテヤ人への手紙 3:6-8 このように、アブラハムは「神を信じた。それによって、彼は義と認められた」のである。

7 だから、信仰による者こそアブラハムの子であることを、知るべきである。

8 聖書は、神が異邦人を信仰によって義とされることを、あらかじめ知って、アブラハムに、「あなたによって、すべての国民は祝福されるであろう」との良い知らせを、予告したのである。 (JCV)

 

ヤコブへの手紙 2:23 こうして、「アブラハムは神を信じた。それによって、彼は義と認められた」という聖書の言葉が成就し、そして、彼は「神の友」と唱えられたのである。 (JCV)

 

ローマ人への手紙 4:5[塚本訳] 反対に、仕事をしない者、すなわち(善い行いは出来ずとも、信ずれば)どんな悪人でも義とするお方(神)を信ずる者に対しては、その信仰が義と見なされるのである。"

 

ローマ人への手紙 4:9[塚本訳]それではこの幸福の讃美は、割礼のある者(だけ)についてか、それとも割礼のない者にも及ぶのか。わたし達は(くりかえして)言う、“アブラハムの信仰が義と見なされた”と。"

 

 

 

ローマ人への手紙4章4節

 

  [口語訳] いったい、働く人に対する報酬は、恩恵としてではなく、当然の支払いとして認められる。

 

[新改訳] 働く者のばあいに、その報酬は恵みでなくて、当然支払うべきものとみなされます。

 

[新共同訳] ところで、働く者に対する報酬は恵みではなく、当然支払われるべきものと見なされています。

 

 [文語訳]それ働く者への報酬は恩惠といはず、負債と認められる。

 

[塚本訳]いったい、仕事をする者に対しては、報酬は債務であって、恩恵とみなすべきではない。"

 

 [前田訳]行ないをするものにとっては、報酬は恩恵ではなくて義務とみなされます。

 

 (NCV) When people work, their pay is not given as a gift, but as something earned.

 

[解読の鍵]

マタイによる福音書 20:1-16 天国は、ある家の主人が、自分のぶどう園に労働者を雇うために、夜が明けると同時に、出かけて行くようなものである。

2 彼は労働者たちと、一日一デナリの約束をして、彼らをぶどう園に送った。

3 それから九時ごろに出て行って、他の人々が市場で何もせずに立っているのを見た。

4 そして、その人たちに言った、『あなたがたも、ぶどう園に行きなさい。相当な賃銀を払うから』。

5 そこで、彼らは出かけて行った。主人はまた、十二時ごろと三時ごろとに出て行って、同じようにした。

6 五時ごろまた出て行くと、まだ立っている人々を見たので、彼らに言った、『なぜ、何もしないで、一日中ここに立っていたのか』。

7 彼らが『だれもわたしたちを雇ってくれませんから』と答えたので、その人々に言った、『あなたがたも、ぶどう園に行きなさい』。

8 さて、夕方になって、ぶどう園の主人は管理人に言った、『労働者たちを呼びなさい。そして、最後にきた人々からはじめて順々に最初にきた人々にわたるように、賃銀を払ってやりなさい』。

9 そこで、五時ごろに雇われた人々がきて、それぞれ一デナリずつもらった。

10 ところが、最初の人々がきて、もっと多くもらえるだろうと思っていたのに、彼らも一デナリずつもらっただけであった。

11 もらったとき、家の主人にむかって不平をもらして

12 言った、『この最後の者たちは一時間しか働かなかったのに、あなたは一日じゅう、労苦と暑さを辛抱したわたしたちと同じ扱いをなさいました』。

13 そこで彼はそのひとりに答えて言った、『友よ、わたしはあなたに対して不正をしてはいない。あなたはわたしと一デナリの約束をしたではないか。

14 自分の賃銀をもらって行きなさい。わたしは、この最後の者にもあなたと同様に払ってやりたいのだ。

15 自分の物を自分がしたいようにするのは、当りまえではないか。それともわたしが気前よくしているので、ねたましく思うのか』。

16 このように、あとの者は先になり、先の者はあとになるであろう」。 (JCV)

 

ローマ人への手紙 9:30-33 では、わたしたちはなんと言おうか。義を追い求めなかった異邦人は、義、すなわち、信仰による義を得た。

31 しかし、義の律法を追い求めていたイスラエルは、その律法に達しなかった。

32 なぜであるか。信仰によらないで、行いによって得られるかのように、追い求めたからである。彼らは、つまずきの石につまずいたのである。

33 見よ、わたしはシオンに、つまずきの石、さまたげの岩を置く。それにより頼む者は、失望に終ることがない」と書いてあるとおりである。 (JCV)

 

ローマ人への手紙 11:5-8 それと同じように、今の時にも、恵みの選びによって残された者がいる。

6 しかし、恵みによるのであれば、もはや行いによるのではない。そうでないと、恵みはもはや恵みではなくなるからである。

7 では、どうなるのか。イスラエルはその追い求めているものを得ないで、ただ選ばれた者が、それを得た。そして、他の者たちはかたくなになった。

8 「神は、彼らに鈍い心と、見えない目と、聞えない耳とを与えて、きょう、この日に及んでいる」と書いてあるとおりである。 (JCV)

 

ローマ人への手紙 11:34-36 「だれが、主の心を知っていたか。だれが、主の計画にあずかったか。

35 また、だれが、まず主に与えて、その報いを受けるであろうか」。

36 万物は、神からいで、神によって成り、神に帰するのである。栄光がとこしえに神にあるように、アァメン。 (JCV)

 

 

 

ローマ人への手紙4章5節

 

[口語訳] しかし、働きはなくても、不信心な者を義とするかたを信じる人は、その信仰が義と認められるのである。

 

[新改訳] 何の働きもない者が、不敬虔な者を義と認めてくださる方を信じるなら、その信仰が義とみなされるのです。

 

[新共同訳] しかし、不信心な者を義とされる方を信じる人は、働きがなくても、その信仰が義と認められます。

 

[文語訳]されど働く事なくとも、敬虔ならぬ者を義としたまふ神を信ずる者は、その信仰を義と認めらるるなり。"

 

[塚本訳]反対に、仕事をしない者、すなわち(善い行いは出来ずとも、信ずれば)どんな悪人でも義とするお方(神)を信ずる者に対しては、その信仰が義と見なされるのである。"

 

 [前田訳]行ないをしないものにとってはすなわち不信のものを義となさる方を信ずるものにとっては、その信仰が義と認められます。"

 

 (NCV) But people cannot do any work that will make them right with God. So they must trust in him, who makes even evil people right in his sight. Then God accepts their faith, and that makes them right with him.

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙 4:24 わたしたちのためでもあって、わたしたちの主イエスを死人の中からよみがえらせたかたを信じるわたしたちも、義と認められるのである。 (JCV)

 

ローマ人への手紙 3:22[塚本訳] この神の義は、イエス・キリストを信ずる信仰(だけ)によって、これを信ずるすべての者にあたえられる。(すべてというのは、そこに人間的の)なんの差別もないからである。"

 

ローマ人への手紙 5:1-2 このように、わたしたちは、信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストにより、神に対して平和を得ている。

2 わたしたちは、さらに彼により、いま立っているこの恵みに信仰によって導き入れられ、そして、神の栄光にあずかる希望をもって喜んでいる。 (JCV)

 

ローマ人への手紙 10:3[塚本訳] すなわち、彼らは(キリストを信ずることによって義とされる)

神の義(の道が開けているの)がわからず、(自分の力で律法を守って)自分の義を立てようとしたため、神の義に服従しなかったのである。"

 

ローマ人への手紙 10:9-10 すなわち、自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。

10 なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである。 (JCV)

 

使徒行伝 13:38-39 だから、兄弟たちよ、この事を承知しておくがよい。すなわち、このイエスによる罪のゆるしの福音が、今やあなたがたに宣べ伝えられている。そして、モーセの律法では義とされることができなかったすべての事についても、

39 信じる者はもれなく、イエスによって義とされるのである。 (JCV)

 

ガラテヤ人への手紙 2:16-17[塚本訳] けれども、人は(モーセ)律法を行うことによっては(神の前に)義とされない、ただキリスト・イエスを信ずる信仰によらねばならぬことを知ったので、わた し達も(ユダヤ人でありながら、)キリスト・イエスを信じたのである。律法を行うことによらず、キリストを信ずる信仰によって義とされるためである。とい うのは、律法を行うことによっては、人は“すべて義とされない”からである。"

17しかしながら、キリスト(を信ずる信仰)によって義とされようとする結果、(モーセ律法を捨てるので)わたし達自身が罪人となるとすれば、キリストは罪の扇動者ではないか。とんでもない!

 

ガラテヤ人への手紙 3:11[塚本訳] しかし(人は一切の律法を守ることはできない。)律法によっては、だれ一人神の目に義とされないことは明白である。“信仰による義人は生きる”からである。

 

ローマ人への手紙 3:26-30 それは、今の時に、神の義を示すためであった。こうして、神みずからが義となり、さらに、イエスを信じる者を義とされるのである。

27 すると、どこにわたしたちの誇があるのか。全くない。なんの法則によってか。行ないの法則によってか。そうではなく、信仰の法則によってである。

28 わたしたちは、こう思う。人が義とされるのは、律法の行いによるのではなく、信仰によるのである。

29 それとも、神はユダヤ人だけの神であろうか。また、異邦人の神であるのではないか。確かに、異邦人の神でもある。

30 まことに、神は唯一であって、割礼のある者を信仰によって義とし、また、無割礼の者をも信仰のゆえに義とされるのである。 (JCV)

 

ヨハネによる福音書 5:24[塚本訳] アーメン、アーメン、わたしは言う、わたしの言葉を聞き、わたしを遣わされた方を信ずる者は、(今すでに)永遠の命を持っていて、(最後の日に)罰を受けない。その人はもはや死から命に移っているのである。"

 

ガラテヤ人への手紙 3:8[塚本訳] すなわち聖書は、神が異教人をも信仰(のみ)によって義とされることを前から知っていたので、アブラハムにあらかじめ福音を伝えた、“お前によって、すべての異教人が祝福をうける”と。

 

ローマ人への手紙 5:6-8 わたしたちがまだ弱かったころ、キリストは、時いたって、不信心な者たちのために死んで下さったのである。

7 正しい人のために死ぬ者は、ほとんどいないであろう。善人のためには、進んで死ぬ者もあるいはいるだろう。

8 しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである。 (JCV)

 

テモテへの第一の手紙 1:13 わたしは以前には、神をそしる者、迫害する者、不遜な者であった。しかしわたしは、これらの事を、信仰がなかったとき、無知なためにしたのだから、あわれみをこうむったのである。 (JCV)

 

テモテへの第一の手紙 1:15[塚本訳] (まことに)「キリスト・イエスは罪人を救うために世に来給うた」という言は信ずべく、また無条件に承認さるべきである。そしてこの私がその罪人の第一人者である。"

 

テトスへの手紙 3:3-7 わたしたちも以前には、無分別で、不従順な、迷っていた者であって、さまざまの情欲と快楽との奴隷になり、悪意とねたみとで日を過ごし、人に憎まれ、互に憎み合っていた。

4 ところが、わたしたちの救主なる神の慈悲と博愛とが現れたとき、

5 わたしたちの行った義のわざによってではなく、ただ神のあわれみによって、再生の洗いを受け、

6 聖霊により新たにされて、わたしたちは救われたのである。この聖霊は、わたしたちの救主イエス・キリストをとおして、わたしたちの上に豊かに注がれた。

7 これは、わたしたちが、キリストの恵みによって義とされ、永遠のいのちを望むことによって、御国をつぐ者となるためである。 (JCV)

 

 

 

ローマ人への手紙4章6節

 

[口語訳] ダビデもまた、行いがなくても神に義と認められた人の幸福について、次のように言っている、

 

[新改訳] ダビデもまた、行ないとは別の道で神によって義と認められる人の幸いを、こう言っています。

 

[新共同訳] 同じようにダビデも、行いによらずに神から義と認められた人の幸いを、次のようにたたえています。

 

 [文語訳]ダビデもまた行爲なくして神に義と認めらるる人の幸福につきて斯く云へり。曰く、

 

[塚本訳]同じようにダビデ(王)も、行いに関係なく、(ただ信仰のゆえに)神が義と見なされる人の幸福を讃美して、こう言っている。"

 

 [前田訳]同じようにダビデも、行ないに関係なく神が義と認められる人のさいわいを賛美します、"

 (NCV) David said the same thing. He said that people are truly blessed when God, without paying attention to good deeds, makes people right with himself.

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙 4:9[塚本訳] それではこの幸福の讃美は、割礼のある者(だけ)についてか、それとも割礼のない者にも及ぶのか。わたし達は(くりかえして)言う、“アブラハムの信仰が義と見なされた”と。"

 

詩篇 112:1 ハレルヤ。いかに幸いなことか、主を畏れる人、主の戒めを深く愛する人は。 (JNICV)

 

詩篇 146:5-6 ヤコブの神をおのが助けとし、その望みをおのが神、主におく人はさいわいである。

6 主は天と地と、海と、その中にあるあらゆるものを造り、そこしえに真実を守り、 (JCV)

 

マタイによる福音書 5:3-12 「こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。 4 悲しんでいる人たちは、さいわいである、彼らは慰められるであろう。

5 柔和な人たちは、さいわいである、彼らは地を受けつぐであろう。

6 義に飢えかわいている人たちは、さいわいである、彼らは飽き足りるようになるであろう。

7 あわれみ深い人たちは、さいわいである、彼らはあわれみを受けるであろう。

8 心の清い人たちは、さいわいである、彼らは神を見るであろう。

9 平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。

10 義のために迫害されてきた人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。

11 わたしのために人々があなたがたをののしり、また迫害し、あなたがたに対し偽って様々の悪口を言う時には、あなたがたは、さいわいである。

12 喜び、よろこべ、天においてあなたがたの受ける報いは大きい。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。 (JCV)

 

ガラテヤ人への手紙 3:8-9[塚本訳] すなわち聖書は、神が異教人をも信仰(のみ)によって義とされることを前から知っていたので、アブラハムにあらかじめ福音を伝えた、“お前によって、すべての異教人が祝福をうける”と。

09だから信仰の人は、(ユダヤ人、異教人の別なく、)信仰のアブラハムと共に祝福される。

 

ローマ人への手紙 1:17[塚本訳] 信仰から出て信仰に終る、(徹頭徹尾信仰本意の)神の義が、この福音において現わされているからである。“信仰による義人は生きる”と(聖書に)書いてあるとおりである。"

 

ローマ人への手紙 3:22[新改訳] すなわち、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、それはすべての信じる人に与えられ、何の差別もありません。

 

ローマ人への手紙 5:18-19 このようなわけで、ひとりの罪過によってすべての人が罪に定められたように、ひとりの義なる行為によって、いのちを得させる義がすべての人に及ぶのである。

19 すなわち、ひとりの人の不従順によって、多くの人が罪人とされたと同じように、ひとりの従順によって、多くの人が義人とされるのである。 (JCV)

 

コリント人への第一の手紙 1:30[塚本訳] この神ゆえに、あなた達は(はじめて)キリスト・イエスにあるのであり、このキリストが、神から賜わるわたし達の知恵、また義、また聖さ、また(罪の)あがないになられたのである。"

 

コリント人への第二の手紙 5:21[塚本訳] 神は罪を知らなかった方をわたし達の身代りに(十字架につけて)罪に定められた。わたし達がこの方において神の義(をいただく者)となるためである。

 

 

 

ローマ人への手紙4章7節"

 

 [口語訳] 「不法をゆるされ、罪をおおわれた人たちは、/さいわいである。

 

[新改訳] 「不法を赦され、罪をおおわれた人たちは、幸いである。

 

[新共同訳] 「不法が赦され、罪を覆い隠された人々は、/幸いである。

 

[文語訳]『不法を免され、罪を蔽はれたる者は幸福なるかな、":

 

[塚本訳] “幸いである、その不法をゆるされ、その罪をおおわれた人たちは。"

 

 [前田訳]「さいわいなのは不法をゆるされ、罪をおおわれた人。"

 

 (NCV) Happy are they whose sins are forgiven, whose wrongs are pardoned.

 

[解読の鍵]

 

詩篇 32:1-2 【ダビデのマスキールの歌】そのとががゆるされ、その罪がおおい消される者はさいわいである。

2 主によって不義を負わされず、その霊に偽りのない人はさいわいである。

(JCV)

 

詩篇 51:8-13 わたしに喜びと楽しみとを満たし、あなたが砕いた骨を喜ばせてください。

9 み顔をわたしの罪から隠し、わたしの不義をことごとくぬぐい去ってください。

10 神よ、わたしのために清い心をつくり、わたしのうちに新しい、正しい霊を与えてください。

11 わたしをみ前から捨てないでください。あなたの聖なる霊をわたしから取らないでください。

12 あなたの救の喜びをわたしに返し、自由の霊をもって、わたしをささえてください。

13 そうすればわたしは、とがを犯した者にあなたの道を教え、罪びとはあなたに帰ってくるでしょう。 (JCV)

 

詩篇 85:2-5 あなたはその民の不義をゆるし、彼らの罪をことごとくおおわれました。

3 あなたはすべての怒りを捨て、激しい憤りを遠ざけられました。

4 我らの救の神よ、われらを回復し、われらに対するあなたの憤りをおやめください。

5 あなたはとこしえにわれらを怒り、よろずまで、あなたの怒りを延ばされるのですか。 (JCV)

 

詩篇 130:2-4 主よ、どうか、わが声を聞き、あなたの耳をわが願いの声に傾けてください。

3 主よ、あなたがもし、もろもろの不義に目をとめられるならば、主よ、だれが立つことができましょうか。 4 しかしあなたは、ゆるしがあるので、人に恐れかしこまれるでしょう。 (JCV)

 

イザヤ書 40:1-2 あなたがたの神は言われる、「慰めよ、わが民を慰めよ、

2 ねんごろにエルサレムに語り、これに呼ばわれ、その服役の期は終り、そのとがはすでにゆるされ、そのもろもろの罪のために二倍の刑罰を主の手から受けた」。 (JCV)

 

エレミヤ書 33:8-9 わたしは彼らがわたしに向かって犯した罪のすべてのとがを清め、彼らがわたしに向かって犯した罪と反逆のすべてのとがをゆるす。

9 この町は地のもろもろの民の前に、わたしのために喜びの名となり、誉となり、栄えとなる。彼らはわたしがわたしの民に施すもろもろの恵みのことを聞く。そして、わたしがこの町に施すもろもろの恵みと、もろもろの繁栄のために恐れて身をふるわす。 (JCV)

 

ミカ書 7:18-20 だれかあなたのように不義をゆるし、その嗣業の残れる者のためにとがを見過ごされる神があろうか。神はいつくしみを喜ばれるので、その怒りをながく保たず、

19 再びわれわれをあわれみ、われわれの不義を足で踏みつけられる。あなたはわれわれのもろもろの罪を海の深みに投げ入れ、

20 昔からわれわれの先祖たちに誓われたように、真実をヤコブに示し、いつくしみをアブラハムに示される。 (JCV)

 

マタイによる福音書 9:2[塚本訳] するとそこに、人々が寝床にねている一人の中風の者をつれて来た。イエスはその人たちの信仰を見て(驚き)、中風の者に言われた、「子よ、安心せよ、いまあなたの罪は赦された。」"

 

ルカによる福音書 7:47-50[塚本訳]

47だから、わたしは言う、この婦人の多くの罪は赦されている。(いま)多くわたしを愛したのがその証拠である。赦され方の少ない者は、愛し方も少ない。」"

48そしてその女に言われた、「あなたの罪は赦されている。」"

49同席の者が(憤慨して)ひそかに考えた、「罪さえ赦す(という)この人はいったい何人だろう。」50しかしイエスは女に言われた、「あなたの信仰があなたを救った。“さよなら、

平安あれ。”」"

 

ルカによる福音書 7:47 だから、言っておく。この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない。」 (JNICV)

 

 

 

ローマ人への手紙4章8節"

 

[口語訳] 罪を主に認められない人は、さいわいである」。

 

[新改訳] 主が罪を認めない人は幸いである。」

 

[新共同訳] 主から罪があると見なされない人は、/幸いである。」

 

 [文語訳]主が罪を認め給はぬ人は幸福なるかな』"

 

[塚本訳]幸いな人である、主がその罪を認められない人は。”

 

 [前田訳]さいわいなのは主が罪を認められぬ人」と。"

 

 (NCV) Happy is the person whom the Lord does not consider guilty."

 

[解読の鍵]

 

イザヤ書 53:9-12 彼は暴虐を行わず、その口には偽りがなかったけれども、その墓は悪しき者と共に設けられ、その塚は悪をなす者と共にあった。

10 しかも彼を砕くことは主のみ旨であり、主は彼を悩まされた。彼が自分を、とがの供え物となすとき、その子孫を見ることができ、その命をながくすることができる。かつ主のみ旨が彼の手によって栄える。

11 彼は自分の魂の苦しみにより光を見て満足する。義なるわがしもべはその知識によって、多くの人を義とし、また彼らの不義を負う。

12 それゆえ、わたしは彼に大いなる者と共に物を分かち取らせる。彼は強い者と共に獲物を分かち取る。これは彼が死にいたるまで、自分の魂をそそぎだし、とがある者と共に数えられたからである。しかも彼は多くの人の罪を負い、とがある者のためにとりなしをした。

(JCV)

 

コリント人への第二の手紙 5:19-20 すなわち、神はキリストにおいて世をご自分に和解させ、その罪過の責任をこれに負わせることをしないで、わたしたちに和解の福音をゆだねられたのである。

20 神がわたしたちをとおして勧めをなさるのであるから、わたしたちはキリストの使者なのである。そこで、キリストに代って願う、神の和解を受けなさい。

(JCV)

 

ピレモンへの手紙 18-19 もし、彼があなたに何か不都合なことをしたか、あるいは、何か負債があれば、それをわたしの借りにしておいてほしい。

19 このパウロが手ずからしるす、わたしがそれを返済する。この際、あなたが、あなた自身をわたしに負うていることについては、何も言うまい。

(JCV)

 

ペテロの第一の手紙 2:24[塚本訳]

彼は“自ら私達の罪を”自分の身に“負って”木の上に“上り給うた”。私達が罪によっては死に、義によっては生きるためである。彼の“傷によって君達は医された”。"

 

ペテロの第一の手紙 3:18 キリストも、あなたがたを神に近づけようとして、自らは義なるかたであるのに、不義なる人々のために、ひとたび罪のゆえに死なれた。ただし、肉においては殺されたが、霊においては生かされたのである。

(JCV)

 

 

 

「もうだめだ」と思ったときに思い出す「贖罪」

 

文化文明の進歩は人間をして「もうだめだ」という場面をもたらさないようにとの願いがその原動力になっている。

文明の進歩、それは「自己の保存」への要求である。国家の保存永続、自己の生命の保存永続。そのために人間は非常に高度なものを発案してきた。

民主主義という政治体制、医学医療の発展、延命医術(そのおかげでボケ老人が大量に増えている)自然災害から身体を守る技術(土木建築・・ところが地震では建物が人を押しつぶして殺す)など、これらはみんな人間の「自己保存」の本能が発明をもたらしたものである。

そ してこれらこの世のことはだれがやったということなしに次第次第に改善されてよくなってきたのである。わたしの若い頃の建築現場の休日は月に一回がせいぜ いであったが,今では大工さんも日曜日には必ず休んでいる。これは健康保持のためである。このようなことはだれがやったということなしに世の中は次第次第 に改善されていくのである。身体的、政治的、環境的のこの世のことは次第次第に自然に良くなっていくことをわたしは知った。

  しかし人生には「どうしようにもならない」絶体絶命の「もうだめだ」ということがある。それは罪の現実である。つける薬がない。罪があるということは理論 ではなく「良心」が証明し、またいやがおうにもそのような現実にぶつかるものである。人間は神の手から逃れることはできないのである。

 

 

詩篇 139:9-11

曙の翼を駆って海の中に行き着こうとも

10 あなたはそこにもいまし、御手をもってわたしを導き、右の御手をもってわたしをとらえてくださる。

11 わたしは言う。「闇の中でも主はわたしを見ておられる。夜も光が照らし出す。」 (JNICV)

 

罪は人間の文化 文明ではどうしようもないものである。がんばってもだめである。そのとき人間は直感的に本能的に「もうだめだ」と感じるものである。そのとき思い出すべき ことがある。「贖罪」。幼いときから耳で聞いていたところの「神はイエスの死で罪を贖ってくださった。」との千古不易の伝承である。われわれはそのとき、 その伝承に(教会にではない)「参った」すべきである。柔道でも参ったをすれば救われる。この人生も「参った」をすれば逃れる道がある。むずかしいキリス ト教や聖書を勉強しなくても神の攻撃にただ「参った」をすればよいのである。そのとき神の攻撃は我々を滅ぼすためにあるのではなく,救うためにあったこと を知る。信仰は難しいことではない。人生のある日に、もうだめだと思ったときに、人類の歴史の壁に染み付いた贖罪の伝承に(一人の人間にではない)「参っ た」をして救いを受け入れればよいのだ。            

 

20001.2.6 高橋照男

 

 

 

表  題 ・ 要  約

 

アブラハムは割礼以前に義とされた(4:9−12)・・・ケーゼマン

 

アブラハムの信仰義認は割礼以前(4:9−12)・・・八木(講談社)

 

不信心な者を義とされる神(4章)・・・青野(岩波)

 

アブラハムの例(4:1−12)・・・フランシスコ会訳

 

信仰は始原である(4:9−12)・・・バルト

 

アブラハムの模範(4:1−12)・・・新共同訳

 

信仰によって義とされたアブラハム(4:1−12)・・・アルトハウスNTD

 

義とみなされたのは割礼のためではない(4:9−12)・・・白井きく

 

救いと割礼(4:9−12)・・・塚本註解

 

割礼のためではない(4:9−12)・・・塚本訳

 

アブラハムはしんこうによりて義とせられた(4:1−12)・・・黒崎註解

 

無割礼の者および割礼の者のすべての信仰者の信仰上の父としてのアブラハム(4:9−12)

     ・・ヴィルケンスEKK

 

アブラハムの信仰(4章)・・・内村鑑三

 

 

 

ローマ人への手紙4章9節"

 

[口語訳] さて、この幸福は、割礼の者だけが受けるのか。それとも、無割礼の者にも及ぶのか。わたしたちは言う、「アブラハムには、その信仰が義と認められた」のである。

 

[新改訳] それでは、この幸いは、割礼のある者にだけ与えられるのでしょうか。それとも、割礼のない者にも与えられるのでしょうか。私たちは、「アブラハムには、その信仰が義とみなされた。」と言っていますが、

 

[新共同訳] では、この幸いは、割礼を受けた者だけに与えられるのですか。それとも、割礼のない者にも及びますか。わたしたちは言います。「アブラハムの信仰が義と認められた」のです。

 

 [文語訳]されば此の幸福はただ割禮ある者にのみあるか、また割禮なき者にもあるか、我らは言ふ『アブラハムはその信仰を義と認められたり』と。"

 

[塚本訳]それではこの幸福の讃美は、割礼のある者(だけ)についてか、

それとも割礼のない者にも及ぶのか。わたし達は(くりかえして)言う、“アブラハムの

信仰が義と見なされた”と。

 

 [前田訳]さて、この讃美は割礼あるものについてですか、無割礼のものについてもですか。われらはいいます、「アブラハムの信仰が義と認められた」と。

 

 (NCV)Is this blessing only for those who are circumcised or also for those who are not circumcised? We have already said that God accepted Abraham's faith and that faith made him right with God.

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙 3:29-30 それとも、神はユダヤ人だけの神であろうか。また、異邦人の神であるのではないか。確かに、異邦人の神でもある。

30 まことに、神は唯一であって、割礼のある者を信仰によって義とし、また、無割礼の者をも信仰のゆえに義とされるのである。 (JCV)

 

ローマ人への手紙 9:23-24 かつ、栄光にあずからせるために、あらかじめ用意されたあわれみの器にご自身の栄光の富を知らせようとされたとすれば、どうであろうか。

24 神は、このあわれみの器として、またわたしたちをも、ユダヤ人の中からだけではなく、異邦人の中からも召されたのである。 (JCV)

 

ローマ人への手紙 10:12-13 ユダヤ人とギリシヤ人との差別はない。同一の主が万民の主であって、彼を呼び求めるすべての人を豊かに恵んで下さるからである。

13 なぜなら、「主の御名を呼び求める者は、すべて救われる」とあるからである。 (JCV)

 

ガラテヤ人への手紙 3:14[塚本訳] これは、(モーセ律法を知らぬ)異教人に、(律法を行なわずとも、)イエス・キリスト(につながっているというだけの理由)によってアブラハムの祝福が臨 むため、(然り、キリストを信ずる)信仰によって、(アブラハムに対する)約束の御霊をわたし達がいただくためである。

 

エペソ人への手紙 2:11-13 だから、記憶しておきなさい。あなたがたは以前には、肉によれば異邦人であって、手で行った肉の割礼ある者と称せられる人々からは、無割礼の者と呼ばれており、

12 またその当時は、キリストを知らず、イスラエルの国籍がなく、約束されたいろいろの契約に縁がなく、この世の中で希望もなく神もない者であった。

13 ところが、あなたがたは、このように以前は遠く離れていたが、今ではキリスト・イエスにあって、キリストの血によって近いものとなったのである。 (JCV)

 

コロサイ人への手紙 3:11 そこには、もはやギリシヤ人とユダヤ人、割礼と無割礼、未開の人、スクテヤ人、奴隷、自由人の差別はない。キリストがすべてであり、すべてのもののうちにいますのである。 (JCV)

 

ローマ人への手紙 4:3[塚本訳]

では聖書は何と言っているか。“アブラハムは神を信じて、そのことが彼の義と見なされた”とある。(アブラハムが義とされたのは行いのゆえではなく、恩恵である。)

 

 

 

ローマ人への手紙4章10節"

  

 

[解読の鍵]

 

創世記 15:5-6 そして主は彼を外に連れ出して言われた、「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみなさい」。また彼に言われた、「あなたの子孫はあのようになるでしょう」。

6 アブラムは主を信じた。主はこれを彼の義と認められた。 (JCV)

 

創世記 17:1-2 アブラムの九十九歳の時、主はアブラムに現れて言われた、「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前に歩み、全き者であれ。

2 わたしはあなたと契約を結び、大いにあなたの子孫を増すであろう」。 (JCV)

 

創世記 17:10-12 男子はみな割礼をうけなければならない。これはわたしとあなたがた及び後の子孫との間のわたしの契約であって、あなたがたの守るべきものである。

11 あなたがたは前の皮に割礼を受けなければならない。それがわたしとあなたがたとの間の契約のしるしとなるであろう。

12 あなたがたのうちの男子はみな代々、家に生れた者も、また異邦人から銀で買い取った、あなたの子孫でない者も、生れて八日目に割礼を受けなければならない。 (JCV)

 

創世記 17:23-25 アブラハムは神が自分に言われたように、この日その子イシマエルと、すべて家に生れた者およびすべて銀で買い取った者、すなわちアブラハムの家の人々のうち、すべての男子を連れてきて、前の皮に割礼を施した。

24 アブラハムが前の皮に割礼を受けた時は九十九歳、

25 その子イシマエルが前の皮に割礼を受けた時は十三歳であった。 (JCV)

 

コリント人への第一の手紙 7:18-19 召されたとき割礼を受けていたら、その跡をなくそうとしないがよい。また、召されたとき割礼を受けていなかったら、割礼を受けようとしないがよい。

19 割礼があってもなくても、それは問題ではない。大事なのは、ただ神の戒めを守ることである。

(JCV)

 

ガラテヤ人への手紙 5:4-6 律法によって義とされようとするあなたがたは、キリストから離れてしまっている。恵みから落ちている。

5 わたしたちは、御霊の助けにより、信仰によって義とされる望みを強くいだいている。

6 キリスト・イエスにあっては、割礼があってもなくても、問題ではない。尊いのは、愛によって働く信仰だけである。 (JCV)

 

ガラテヤ人への手紙 6:12−15 [塚本訳]

12(兄弟たち、)肉において見えを張りたい連中がみな、あなた達に割礼を強いる。(それは)ただキリストの十字架(を説くこと)によって、(ユダヤ人から)迫害されまいとするだけである。

13というのは、割礼を受けている彼ら自身が、律法を守らない。

彼らがあなた達に割礼を受けさせたいのは、あなた達の肉において誇ろうとするのである。

14しかし少なくともわたしは、わたし達の主イエス・キリストの十字架以外に、誇ることがないように!この十字架によって、世はわたしに対し、わたしは世に対して、十字架につけられている。

15なぜなら、割礼があるのも、割礼がないのも、なんの意味もない。ただ意味があるのは、(キリストによる)新しい創造。

 

 

 

ローマ人への手紙4章11節"

 

[口語訳] そして、アブラハムは割礼というしるしを受けたが、それは、無割礼のままで信仰によって受けた義の証印であって、彼が、無割礼のままで信じて義とされるに至るすべての人の父となり、

 

[新改訳] 彼は、割礼を受けていないとき信仰によって義と認められたことの証印として、割礼というしるしを受けたのです。それは、彼が、割礼を受けないままで信じて義と認められるすべての人の父となり、

 

[新共同訳] アブラハムは、割礼を受ける前に信仰によって義とされた証しとして、割礼の印を受けたのです。こうして彼は、割礼のないままに信じるすべての人の父となり、彼らも義と認められました。

 

 [文語訳]而して無割禮のときの信仰によれる義の印として割禮の徽を受けたり、これ無割禮にして信ずる凡ての者の義と認められん爲に、その父となり、

 

[塚 本訳]そしてアブラハムが(あとで)“割礼なる徴を”受けたのは、(まだ)“割礼をうけない”時、信仰によって義とされたことの証拠としてである。これは 彼が、(一方ではユダヤ人でない信者、すなわち)割礼なしで信じて義とみなされるすべての人の父になるためであり、"

 

 [前田訳]彼が割礼という徴を受けたのは、無割礼のときの信仰の義の保証としてです。それは彼が無割礼で信じて義と認められるものすべての父となるためです。  "

 

 (NCV) Abraham was circumcised to show that he was right with God through faith before he was circumcised. So Abraham is the father of all those who believe but are not circumcised; he is the father of all believers who are accepted as being right with God.

 

[解読の鍵]

創世記 17:10 男子はみな割礼をうけなければならない。これはわたしとあなたがた及び後の子孫との間のわたしの契約であって、あなたがたの守るべきものである。 (JCV)

 

出エジプト記 12:13 その血はあなたがたのおる家々で、あなたがたのために、しるしとなり、わたしはその血を見て、あなたがたの所を過ぎ越すであろう。わたしがエジプトの国を撃つとき、災が臨んで、あなたがたを滅ぼすことはないであろう。

 

出エジプト記 31:13 「あなたはイスラエルの人々に言いなさい、『あなたがたは必ずわたしの安息日を守らなければならない。これはわたしとあなたがたとの間の、代々にわたるしるしであって、わたしがあなたがたを聖別する主であることを、知らせるためのものである。 (JCV)

 

エゼキエル書 20:12 わたしはまた彼らに安息日を与えて、わたしと彼らとの間のしるしとした。これは主なるわたしが彼らを聖別したことを、彼らに知らせるためである。 (JCV)

 

コリント人への第二の手紙 1:22 神はまた、わたしたちに証印をおし、その保証として、わたしたちの心に御霊を賜わったのである。 (JCV)

 

ローマ人への手紙 4:13[塚本訳] このように義とされるのは割礼に関係がない。)なぜなら、ア

ブラハムとその子孫とが世界の相続人になるという約束(が与えられたの)は、(モーセ)

律法(を行ったこと)によるのではなく、信仰の義によるからである。"

 

ヘブル人への手紙 11:7[塚本訳] 信仰によって、ノアはまだ見ないもの[洪水]について(神の)お告げを受け、自分の家族を救うために恐れかしこんで箱船を造った。この信仰(の行い)のゆえに(残りの)世界の罪は決まり、彼は信仰による義の相続人となった。

 

ローマ人への手紙 4:16-18 このようなわけで、すべては信仰によるのである。それは恵みによるのであって、すべての子孫に、すなわち、律法に立つ者だけにではなく、アブラハムの信仰 に従う者にも、この約束が保証されるのである。アブラハムは、神の前で、わたしたちのすべての者の父であって、 17 「わたしは、あなたを立てて多くの国民の父とした」と書いてあるとおりである。彼はこの神、すなわち、死人を生かし、無から有を呼び出される神を信じたの である。

18 彼は望み得ないのに、なおも望みつつ信じた。そのために、「あなたの子孫はこうなるであろう」と言われているとおり、多くの国民の父となったのである。 (JCV)

 

ローマ人への手紙 9:6[塚本訳] (ところがイスラエル人は、この約束の成就であるイエス・キリストを十字架につけて殺してしまった。)しかしこれは、神の(約束の)言葉が反故になったな どというのでは決してない。なぜなら、(祖先)イスラエル[ヤコブ]から出た者が皆、イスラエル人だという訳ではないからである。

 

ルカによる福音書 19:8-10 ザアカイは立って主に言った、「主よ、わたしは誓って自分の財産の半分を貧民に施します。また、もしだれかから不正な取立をしていましたら、それを四倍にして返します」。

9 イエスは彼に言われた、「きょう、救がこの家にきた。この人もアブラハムの子なのだから。

10 人の子がきたのは、失われたものを尋ね出して救うためである」。 (JCV)

 

ヨハネによる福音書 3:14-17 そして、ちょうどモーセが荒野でへびを上げたように、人の子もまた上げられなければならない。 15 それは彼を信じる者が、すべて永遠の命を得るためである。

16 神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。 17 神が御子を世につかわされたのは、世をさばくためではなく、御子によって、この世が救われるためである。 (JCV)

 

ヨハネによる福音書 11:25-26 イエスは彼女に言われた、「わたしがよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。

26 また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない。あなたはこれを信じるか」。 (JCV)

 

ガラテヤ人への手紙 3:7[塚本訳] だから信仰の人は、アブラハムの子であることを、あなた達は知らねばならない。(ユダヤ人であると否とを問わない。)

 

ガラテヤ人への手紙 3:29[塚本訳] そしてキリストのものである以上、それこそあなた達はアブラハムの子であり、約束による相続人である。

 

 

 

ローマ人への手紙4章12節

 

[口語訳] かつ、割礼の者の父となるためなのである。割礼の者というのは、割礼を受けた者ばかりではなく、われらの父アブラハムが無割礼の時に持っていた信仰の足跡を踏む人々をもさすのである。

 

[新改訳] また割礼のある者の父となるためです。すなわち、割礼を受けているだけではなく、私たちの父アブラハムが無割礼のときに持った信仰の足跡に従って歩む者の父となるためです。

 

[新共同訳] 更にまた、彼は割礼を受けた者の父、すなわち、単に割礼を受けているだけでなく、わたしたちの父アブラハムが割礼以前に持っていた信仰の模範に従う人々の父ともなったのです。

 

 [文語訳]また割禮のみに由らず、我らの父アブラハムの無割禮のときの信仰の跡をふむ割禮ある者の父とならん爲なり。

 

 [塚本訳]また(他方ではユダヤ人の信者、すなわち)割礼があるだけでなく、わたし達の父アブラハムが割礼をうけない時(に信じて義と見なされたそ)の信仰の足跡を踏む、(まことの)割礼のある人たちの父になるためであった。"

 

[前田訳]そしてまた、割礼があるだけでなく、われらの父アブラハムの無割礼のときの信仰の跡に従う人々の父になるためです。"

 

 (NCV) And Abraham is also the father of those who have been circumcised and who live following the faith that our father Abraham had before he was circumcised.

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙 9:6-7[塚本訳]

06(と ころがイスラエル人は、この約束の成就であるイエス・キリストを十字架につけて殺してしまった。)しかしこれは、神の(約束の)言葉が反故になったなどと いうのでは決してない。なぜなら、(祖先)イスラエル[ヤコブ]から出た者が皆、イスラエル人だという訳ではないからである。

07またアブラハムの子孫だからとて、それが皆その子供とはかぎらない。(その証拠には、神は女奴隷ハガルとの間のイシマエルを正当の子とみなさず、“正妻サラとの間の約束の子)イサクから生まれる者が、あなたの子孫となるべきである”と(仰せられたと聖書に)ある。"

 

マタイによる福音書 3:9[塚本訳] 『われわれの先祖はアブラハムである(から大丈夫だ)』などと考えてはならない。わたしは言う、神はそこらの石ころからでも、アブラハムの子供を造ることがお出来になるのだ。"

 

ヨハネによる福音書 8:39-40[塚本訳] 彼らが答えて言った、「われわれの父はアブラハムだ。」イエスが言われる、「もしアブラハムの子供なら、アブラハムの(子供らしく、アブラハムと同じ)行いをするはずだ。"40ところがあなた達は、今わたしを殺そうとしている。神から聞いた真理を語っているこの人間を!アブラハムはそんなことはしなかった。"

 

ガラテヤ人への手紙 4:22-31 そのしるすところによると、アブラハムにふたりの子があったが、ひとりは女奴隷から、ひとりは自由の女から生れた。

23 女奴隷の子は肉によって生れたのであり、自由の女の子は約束によって生れたのであった。

24 さて、この物語は比喩としてみられる。すなわち、この女たちは二つの契約をさす。そのひとりはシナイ山から出て、奴隷となる者を産む。ハガルがそれである。

25 ハガルといえば、アラビヤではシナイ山のことで、今のエルサレムに当る。なぜなら、それは子たちと共に、奴隷となっているからである。 26 しかし、上なるエルサレムは、自由の女であって、わたしたちの母をさす。 27 すなわち、こう書いてある。「喜べ、不妊の女よ。声をあげて喜べ、産みの苦しみを知らない女よ。ひとり者となっている女は多くの子を産み、その数は、夫ある女の子らよりも多い」。 28 兄弟たちよ。あなたがたは、イサクのように、約束の子である。

29 しかし、その当時、肉によって生れた者が、霊によって生れた者を迫害したように、今でも同様である。30 しかし、聖書はなんと言っているか。「女奴隷とその子とを追い出せ。女奴隷の子は、自由の女の子と共に相続をしてはならない」とある。

31 だから、兄弟たちよ。わたしたちは女奴隷の子ではなく、自由の女の子なのである。

(JCV)

 

 

 

「贖罪」は虫のよい話

罪は原則として本人が罰せられる。重罪を犯して死刑を宣告される場合,国法では死

刑囚に代わってだれか池人が死刑にされるということはない。従って罪の処分は原則

として本人が負わなけれぱならない。だからイエスの死による「贖罪」は白己の罪を

イエスが身代わりになってくれるという虫のよい話である。

では他人のカに頼らない罪の処分の方法としてはいかなるものがあるのか。それは

悔い改め(反省)か自殺である。

悔い改め(反省)で罪が消えるか。しかしこれは理論でなく実際間題として過去の

罪の重荷は忘れようとしても忘れようとしてもそれが思い出されて心がさいなまれる

のである。反省しても悔い改めてもこの悩みから逃れられないのである。消えないの

である。消えれば間題はないのだが。そこで罪の処分の第一である悔い改め(反省)

は実験的に実際的に効果なく無理である。

では自殺で罪は消えるか。重罪を犯した場合、本人が自殺すれぱそれ以上追及しな

いのが国法であり,また被害者もそれで一応の満足をし、加害者の身内を殺すという

ことはできない。しかし罪は自殺すれば済むというものではない。被害者の家族のそ

の後の嘆き心痛が残るのだ。それを見るのがつらいとして自殺するとしたら、それは

甘い。人生、そう簡単には死なせてくれない。

罪とは何かということが根底の間題であるが、罪とは聖なる神の顔に泥を塗ること

である。神の顔をつぶす事である。だから人間の両者が同意の行為・・・・たとえば

婚前性交など・・・・でも神の聖なる目からすれば怒りと断罪の対象である。その結果

罪悪感にさいなまれるのも神の存在証明のひとつである。

ささいな事にも罪悪感にさいなまれるのは神が人間に対して聖なる者となるように要

求しているかららしい。その期待を裏切る行為に対しては神は烈火のごとく怒るので

ある。怒るのは神の人間に対する期待と愛からである。

そこで神はイエスの十字架で人間の罪を贖い、贖われた人は今度は神の奴隷(以前

は罪の奴隷)として残る生涯を喜びのうちに償いの生涯(感謝からの働き)を送るの

である。だから自殺は中途半端である。

自殺は罪の解決には足りない。(自殺しようと思ってもそう簡単には死ねないのはその

ためか)

罪は自殺だけでは済まされない。願罪は虫のよい話ではあるが、贖罪で贖われた人の

残りの生涯は神の奴隷として償いの労役(それは償われんがための苦役でなく感謝の

気持ちから)に服するのだ。だから「贖罪」は決して虫のよい話ではないのだ。「贖罪」

のあとがあるのだ。それが「救われた人の生涯」なのだ。しかしその労役がなくても

天国にいけるというのだから、イエスの十字架は「福音」なのだ。これをあまりにも

虫のよい話とかたずけられないほど、我々の罪の重荷、苦しみは大きく、自分の努力

ではどうしようもないものなのだ。どうにかできるという道があれぱ教えてもらいた

い。キリストの十字架抜きで罪の苦しみから脱却できて、心がさいなまれなくなる道

があれぱご教示願いたい。トルストイの「復活」は主人公ネフリュードフがカチュー

シャを犯して堕落させたのを悔い改め、生涯にわたって償おうとする話だが、福音の

香りがしない。十字架によって我々は努力なしに苦役なしに一瞬に救われるのだ。「か

たじけない」。

人生は実験である。自己の実験にもとづかないことは他人にしゃべることはできな

い。

2001.2.8 高橋照男

 

 

 

表 題・要 約

律法の行いによらない(4:13-17)…塚本訳

アブラハムの原型に倣う信仰に対してのみ約束は成就される(4:13-25)…ケーゼマン

神の約東は信仰に対して与えられる(4:13-25)…八木(講談社)

信仰は創造である(4:13-17)…バルト

神の約束とアブラハムの信仰(4:13-25)…フランシスコ会訳

不信心な者を義とされる神(4)…青野(岩波)

信仰によって実現される約束 (4:13-25)…新共同訳

義とみなされるのは神の約束による(4:13-17)…白井きく

信仰によって約束を受けたアブラハム(4:13-25)…アルトハウスNTD

万国民の父(4:13-17)…塚本註解

付  常識人アブラハムの信仰

聖書による信仰の義の証明(4:1-25)…ヴィルケンスEKK

律法の義ではなく、信仰の義と結合しているアブラハムヘの約東(4:13-16)

約束の成就への信頼としてのアブラハムの信仰(4:17-25)

アブラハムは約束を信じた(4:13-16)…黒崎註解

アブラハムの信仰の特質(4:17-25)…黒崎註解

アブラハムの信仰(4)…内非櫨三「ロマ書の研究」

アブラハムの信仰(4)…高橋三郎「新稿ロマ書講義上」

 

 

 

 

ローマ人への手紙413

 

[口語訳]なぜなら、世界を相続させるとの約束が、アブラハムとその子孫とに対してなされたのは、律法によるのではなく、信仰の義によるからである。

 

[新改訳]というのは、世界の相続人となるという約束が、アブラハムに、あるいはまた、その子孫に与えられたのは、律法によってではなく、信仰の義によったからです。

 

[新共同訳]神はアブラハムやその子孫に世界を受け継がせることを約束されたが、その約束は、律法に基づいてではなく、信仰による義に基づいてなされたのです。

 

[文語訳]アブラハム世界の世嗣たるべしとの約束を、アブラハムとその裔との與へられしは、律法に由らず、信仰の義に由れるなり。

 

[塚本訳] (このように義とされるのは割礼に関係がない。)なぜなら、アブラハムとその子孫とが世界の相続人になるという約束(が与えられたの)は、(モーセ)律法(を行ったこと)によるのではなく、信仰の義によるからである。

 

[前田訳]世界の相続人になるとの約束がアブラハムまたその末になされたのは、織去によらず、信仰の義によるものです。

.

[ 解読の鑓]

創世記12:3あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地のすべてのやからは、あなたによって祝福される」。(JCV)

 

創世記17:4-7「わたしはあなたと契約を結ぶ。あなたは多くの国民の父となるであろう。

5あなたの名は、もはやアブラムとは言われず、あなたの名はアブラハムと呼ばれるであろう。わたしはあなたを多くの国民の父とするからである。

6わたしはあなたに多くの子孫を得させ、国々の民をあなたから起そう。また、王たちもあなたから出るであろう。

7わたしはあなた及ぴ後の代々の子孫と契約を立てて、永遠の契約とし、あなたと後の子孫との神となるであろう。(JCV)

 

創世記17:16-19わたしは彼女を祝福し、また彼女によって、あなたにひとりの男の子を授けよう。わたしは彼女を祝福し、彼女を国々の民の母としよう。彼女から、もろもろの民の王たちが出るであろう」。

17アブラハムはひれ伏して笑い、心の中で言った、「百歳の者にどうして子が生れよう。サラはまた九十歳にもなって、どうして産むことができようか」。

18そしてアブラハムは神に言った、「どうかイシマエルがあなたの前に生きながらえますように」。

19神は言われた、「いや、あなたの妻サラはあなたに男の子を産むでしょう。名をイサクと名づけ

なさい。わたしは彼と契約を立てて、後の子孫のために永遠の契約としよう。(JCV)

 

創世記22:16-18言った、「主は言われた、『わたしは自分をさして誓う。あなたがこの事をし、あなたの子、あなたのひとり子をも惜しまなかったので、

17わたしは大いにあなたを祝福し、大いにあなたの子孫をふやして、天の星のように、浜べの砂のようにする。あなたの子孫は敵の門を打ち取り、

18また、地のもろもろの国民はあなたの子孫によって祝福を得るであろう。あなたがわたしの言葉に従ったからである』」。(JCV)

 

創世記28:10 -22さてヤコブはベエルシバを立って、ハランヘ向かったが、

11一つの所に着いた時、目が暮れたので、そこに一夜を過ごし、その所の石を取ってまくらとし、そこに伏して寝た。

12時に彼は夢をみた。一つのはしごが地の上に立っていて、その頂は天に達し、神の使たちがそれを上り下りしているのを見た。

13そして主は彼のそばに立って言われた、「わたしはあなたの父アブラハムの神、イサクの神、主である。あなたが伏している地を、あなたと子孫とに与えよう。

14あなたの子孫は地のちりのように多くなって、西、東、北、南にひろがり、地の諸族はあなたと

子孫とによって祝福をうけるであろう。(JCV)

 

 

 

ローマ人への手紙414

 

[口語訳]もし、律法に立つ人々が相続人であるとすれぱ、信仰はむなしくなり、約束もまた無効になってしまう。

 

[新改訳]もし律法による者が相続人であるとするなら、信仰はむなしくなり、約束は無効になって

しまレ、ます。

[新共同訳]律法に頼る者が世界を受け継ぐのであれぱ、信仰はもはや無意味であり、約束は廃止さ

れたことになります。

 

[文語訳]もし律法による者ども世嗣たらば、信仰は空しく約東は療るなり。

 

[塚本訳]律法を行う人たちだけが(世界の)相続人(になるの)であるなら、信仰はむだなものに

なり、約東は無になるのである。

 

[前田訳]律法によるものが相続人ならば、信仰はむなしく、約束は無になります。

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙4:16[塚本訳]そうであるから、(相続人にされるのは)信仰のゆえである。これは恩恵によらせるためであり、(アブラハムの)子孫全体に対して ――ただ律法の子孫

[ユダヤ人]だけでなく、アブラハムの信仰の(足跡を踏む)子孫[異教人]に対しても ――

 (神の)約束が不動であるためである。彼はわたし達すべての者の(信仰の)父である。

 

ガラテヤ人への手紙2:21[塚本訳1わたしは神の、恩恵をないがしろにしない。もし律法によって義が来るならぱ、それこそキリストの死は犬死である。

 

ガラテヤ人への手紙3:1824もし相続が、律法に基いてなされるとすれば、もはや約束に基いたものではない。ところが事実、神は約束によって、相続の恵みをアブラハムに賜わったのである。

19それでは、律法はなんであるか。それは違反を促すため、あとから加えられたのであって、約束されていた子孫が来るまで存続するだけのものであり、かつ、天使たちをとおし、仲介者の手によって制定されたものにすぎない。

20仲介者なるものは、一方だけに属する者ではない。しかし、神はひとりである。

21では、律法は神の約束と相いれないものか。断じてそうではない。もし人を生かすカのある律法が与えられていたとすれば、義はたしかに律法によって実現されたであろう。

22しかし、約束が、信じる人々にイエス・キリストに対する信仰によって与えられるために、聖書はすべての人を罪の下に閉じ込めたのである。

23しかし、信仰が現れる前には、わたしたちは律法の下で監視されており、やがて啓示される信仰の時まで閉じ込められていた。

24このようにして律法は、信仰によって義とされるために、わたしたちをキリストに連れて行く養育掛となったのである。(JCV)

 

ガラテヤ人への手紙5:4[塚本訳]律法によって義とされようとするあなた達は、実はキリストから離れ、恩恵から落ちているのである。

 

ピリピ人への手紙3:9律法による自分の義ではなく、キリストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基く神からの義を受けて、キリストのうちに自分を見いだすようになるためである。(JCV)

 

ヘブル人への手紙7:19[塚本訳]この律法は、(罪の赦しや神との和合などを)何一っ成しとげることが(でき)なかったからである。しかし他方では、(イエスによってレビの祭司職によるものに)まさった希望がもたらされ、わたし達はこの希望によって神に近づくのである。

 

ヘブル人への手紙7:28律法は弱さを持った人問を木祭司に任命しますが、律法の後になされた誓いの御言葉は、永遠に完全な者とされておられる御子を大祭司としたのです。(JMCV)

 

ローマ人への手紙3:31嫁本訳】それではわたし達は、信仰(による救いの道)によって(モーセ)律法を廃止することになるのか。もちろん、そうではない。(結果から見ると、)むしろ律法の効力を発揮させるのである。''

 

イザヤ書55:1013天から雨が降り、雪が落ちてただ帰らず、地を潤して物を生えさせ、芽を出させて、種まく者に種を与え、食べる者にかてを与える。

11このように、わが口から出る言葉も、むなしくわたしに帰らない。わたしの喜ぶところのことをなし、わたしが命じ送った事を果す。(JCV)

 

 

                                                       

ローマ人への手紙415

[口語訳]いったい、律法は怒りを招くものであって、律法のないところには違反なるものはない。

 

[新改訳]律法は怒りを招くものであり、律法のないところには違反もありません。

 

[新共同訳]実に、律法は怒りを招くものであり、律法のないところには趨0もありません。

 

[文語訳]それ律法は怒りを招く、律法なき所には罪を犯すこともなし。"

 

[塚本訳]律法(の目的)は、(人に罪を犯させ、神の)怒りをもたらす(ことにある)からである。

律法のない所には、その違反もあり得ない。"

 

[前田訳]律法は怒りをおこします。律法のないところには違反もありません。

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙2:5-6あなたのかたくなな、悔改めのない心のゆえに、あなたは、神の正しいさばきの現れる怒りの目のために神の怒りを、自分の身に積んでいるのである。

6神は、おのおのに、そのわざにしたがって報いられる。(JCV)

 

ローマ人への手紙3:19-20[塚本訳]ところでわたし達が知っているように、(右の)律法[聖書]

が言うことはみな、律法に生きる者(すなわちユダヤ人)に対して語られるものである。(しかし)こうして(ユダヤ人だけでなく)すべての(人の)口がふさがり、世界中の人が、神に対して罪なしと言うことはできないのである。

20というのは、律法が命ずる行いによっては“だれ一人神の前に義とされる者はない。"律法によって()罪を知る(ことができるだけで、人を罪から救うことはできない)からである。"

 

ローマ人への手紙513[塚本訳]なぜか。(律法のない噺犬、つまりアダム以後モーセ)律法

(のできる)までの間にも、罪はこの世にあったが、律法がないので、(たとえ罪に当たることをしても、)罪はその人の責任に帰せられ(ず、死の罰は受け)ないはずである。"

 

ローマ人への手紙5:20-21[塚本訳](それなら律法は人を義として永遠の命を与えるためには役立たないのか。その通り。)律法は、過ちを増し強めるために第二義的に来たのである。しかし(神に感謝する、人の犯す)罪が増し強まれば、、恩恵は豊かにあふれる。"

21これは罪が死を持って支配したように、、恩恵も義をもって支配し、わたし達の主イエス・キリストによって、(わたし達を)永遠の命に入れるためである。"

 

ローマ人への手紙7:7-11それでは、わたしたちは、なんと言おうか。律法は罪なのか。断じてそうではない。しかし、律法によらななければ、わたしは罪を知らなかったであろう。すなわち、もし律法が「むさぼるな」と言わなかったら、わたしはむさぼりなるものを知らなかったであろう。

8しかるに、罪は戒めによって機会を捕え、わたしの内に働いて、あらゆるむさぼりを起させた。すなわち、律法がなかったら、罪は死んでいるのである。

9わたしはかつては、律法なしに生きていたが、戒めが来るに及んで、罪は生き返り、

10わたしは死んだ。そして、いのちに導くべき戒めそのものが、かえってわたしを死に導いて行くことがわかった。

11なぜなら、罪の戒めによって機会を捕え、わたしを歎き、戒めによってわたしを殺したからである。(JCV)

 

ヨハネによる福音書3:36[塚本訳](だから従順に)御子を信ずる者は永遠の命を持つが、御子に不従順な者は命にはいることができないばかりか、神の怒りがその人からはなれない。」

 

使徒行伝17:30[塚本訳]ところで神は(こんな)無知な噺犬を大則こ見ておられるが、今や人類に対し、どこの者でも皆、悔改めねばならないことをお告げになっています。"

 

コリント人への第一の手紙15:56[塚本訳]・・死の剣は罪である、罪の力(の源)は律法である。・・

 

ガラテヤ人への手紙3:10律法の実行に頼る者はだれでも、呪われています。「律法の書に書かれているすべての事を絶えず守らない者は皆、呪われている」と書いてあるからです。(JNICV)

 

ガラテヤ人への手紙3:19[塚本訳]それでは、衛去は何のためにあるか。(わたしは答える。)律法は違反のため(、言いかえれぱ、罪を知らせてこれを犯させるために、あとから約束に)つけ加えられたものであり、しかも約束された子(なるキリスト)の来られる時まで(のもの)である。 (かつ、これは神が直接につけ加えられたものでなく、)天使たちをもって、仲介者(モーセ)の手をもって規定されたに過ぎない。

 

ローマ人への手紙2:12-13[塚本訳]すなわち、律法なしに罪を犯した者[異教人]はみな、律法なしに滅ぴ、律法の下に罪を犯した者[ユダヤ人]はみな、律法によって罰される。"

13なぜなら、律法を聞く者カ榊の剛こ義であるのでなく、律法を行う者が義とされるからである。"

 

 

 

ローマ人への手紙416

 

[口語訳]このようなわけで、すべては信仰によるのである。それは恵みによるのであって、すべての子孫に、すなわち、律法に立つ者だけにではなく、アブラハムの信仰に従う者にも、この約束が保証されるのである。アブラハムは、神の前で、わたしたちすべての者の父であって、

 

[新改訳]そ のようなわけで、世界の相続人となることは、信仰によるのです。それは、恵みによるためであり、こうして約東がすぺての子孫に、すなわち、律法を持ってい る人々にだけでなく、アブラハムの信仰にならう人々にも保証されるためなのです。「わたしは、あなたをあらゆる国の人々の父とした。」と書いてあるとおり に、アブラハムは私たちすぺての者の父なのです。

 

[新共同訳]従って、信仰によってこそ世界を受け継ぐ者となるのです。恵みによって、アブラハムのすべての子孫、つまり、単に律法に頼る者だけでなく、彼の信仰に従う者も、確実に約束にあずかれるのです。彼はわたしたちすべての父です。

 

[文語訳]この故に世嗣たることの恩恵に干らんために信仰に由るなり、是かの約東のアブラハムの凡ての裔、すなわち律法による裔のみならず、彼の信仰に赦ふ裔にも堅うせられん爲なり。''

 

[塚本訳]そうであるから、(相続人にされるのは)信仰のゆえである。これば恩恵によらせるためであり、(アブラハムの)子孫全体に対して ―― ただ律法の子孫[ユダヤ人コだけでなく、アブラハムの信仰の(足跡を踏む)子孫[異教人]に対しても ―― (神の)約束が不動であるためである。彼はわたし達すべての者の(信仰の)父である。"

 

[前田訳]それゆえ、この約束は(律法によらず)信仰によります。恩恵によって、彼の末すべてに、すなわち、律法による末だけでなく、アブラハムの信仰の末にも、約束が確保されるためです。彼はわれらすべての父です。

 

 [解読の鍵]

 

ローマ人への手紙3:24-26彼らは、価なしに、神の恵みにより、キリスト・イエスによるあがないによって義とされるのである。

25神はこのキリストを立てて、その血による、信仰をもって受くべきあがないの供え物とされた。それは神の義を示すためであった。すなわち、今までに犯された罪を、神は忍耐をもって見のがしておられたが、

26それは、今の時に、神の義を示すためであった。こうして、神みずからが義となり、さらに、イエスを信じる者を義とされるのである。(JCV)

 

ローマ人への手紙5:1[塚本訳]だから、わたし達は信仰のゆえに義とされたのであるから、わたし達の主イエス・キリストによって、いま神と平和ができた。"

 

ガラテヤ人への手紙3:7-12だから、信仰による者こそアブラハムの子であることを、知るべきである。

8聖書は、神が異邦人を信仰によって義とされることを、あらかじめ知って、アブラハムに、「あなたによって、すべての国民は祝福されるであろう」との良い知らせを、予告したのである。

9このように、信仰による者は、信仰の人アブラハムと共に、祝福を受けるのである。

10いったい、律渉の行いによる者は、皆のろいの下にある。「律法の書に書いてあるいっさいのこ

とを守らず、これを行わない者は、皆のろわれる」と書いてあるからである。

11そこで、律法によっては、神のみまえに義とされる者はひとりもないことが、明らかでおる。なぜなら、「信仰による義人は生きる」からである。

12律法は信仰に基いているものではない。かえって、「律法を行う者は律法によって生きる」のである。 (JCV)

 

ガラテヤ人への手紙3:22[塚本訳]しかし(律法は命を与えるものでなく、人を罪に閉じこめる力をもつだけである。)聖書はすべての人を(律法によって)罪の下に閉じこめ、イエス・キリストを信ずる信仰によって、信ずる者に約束が与えられるのである。(律法は約束に矛盾しない。むしろこれに導く家庭教師である。)

 

工ペソ人への手紙2:4-6しかるに、あわれみに富む神は、わたしたちを愛して下さったその大きな愛をもって、

5罪過によって死んでいたわたしたちを、キリストと共に生かし・・あなたがたの救われたのは、恵みによるのである・・

6キリスト・イエスにあって、共によみがえらせ、共に天上で座につカせて下さったのである。 (JCV)

 

ローマ人への手紙4:11[塚本訳]そしてアブラハムが(あとで)“割礼なる徴を"受けたのは、(

)`割礼をうけない"時、信仰によって義とされたことの証拠としてである。これは彼が、('

方ではユダヤ人でない信者、すなわち)割礼なしで信じて義とみなされるすべての人の父になるためであり、"

 

ローマ人への手紙9:8[塚本訳]すなわち、(アブラハムの)血筋を引く子供が、当然に(彼の子孫として約東にあずかる)神の子供ではなく、約束の(言葉によって生まれた)子供(だけ)が、(彼の)子孫と見なされるのである。"

 

 

 

ローマ人への手紙417

 

[口語訳]「わたしは、あなたを立てて多くの国民の父とした」と書いてあるとおりである。彼はこの神、すなわち、死人を生かし、無から有を呼び出される神を信じたのである。

 

[新改訳]このことは、彼が信じた神、すなわち死者を生かし、無いものを有るもののようにお呼ぴになる方の御前で、そうなのです。

 

[新共同訳]「わたしはあなたを多くの民の父と定めた」と書いてあるとおりです。死者に命を与え、存在していないものを呼ぴ出して存在させる神を、アブラハムは信じ、その御前でわたしたちの父となったのです。

 

[文語訳]彼はその信じたる所の神、すなはち死人を活し、無きものを有るものの如く呼びたまふ神の前にて、我等すべての者の父たるなり。録して『われ汝を立てて多くの國人の父とせり』とあるが如し。・

 

[塚本訳]“わたしはあなたを多くの国の人の父に決めた"と書いてあるとおりに。(ただし)それは、彼が信じた神、すなわち、死人を生かし、また無から有を呼び出される神の前においてである。

 

[前田訳]聖書に、「わたしはあなたを多くの民の父に定めた」とあるとおりです。それは、彼が信じた神、すなわち、死人を生かし、無いものを有るものとしてお呼ぴ出しになる方の前においてです。

.

[解読の鍵]

創世記17:45「わたはあなたと契約を結ぶ。あなたは多くの国民の父となるであろう。

5あなたの名は、もはやアブラムとは言われず、あなたの名はアブラハムと呼ばれるであろう。わたしはあなたを多くの国民の父とするからである。(JCV)

 

ヘブル人への手紙11:1112[塚本訳]信仰によって、アブラハムはまた(その妻)サラと共に、子孫をつくる力を受けた、(すでに年齢が)盛りを過ぎていながら。彼は約束された方を誠実であると考えたのである。

12だからまた、(たった)一人から、しかも(老いぼれて)死んだような者から、 “天の星のように数多く、また数えきれぬ海岸の砂のように子孫ができたのである。"

 

マタイによる福音書3:9自分たちの父にはアブラハムがおるなどと、心の中で思ってもみるな。おまえたちに言っておく、神はこれらの石ころからでも、アブラハムの子を起すことができるのだ。 (JCV)

 

ヨハネによる福音書5:21[塚本訳]それは、父上が(心のままに)死人を生き返らせて命を与えられるように、子も自分の欲する者に命を与えるからでおる。"

 

ヨハネによる福音書6:63[塚本訳]霊が命を与える。肉はなんの役にも立たない。いまわたしがあなた達に話した言葉は、霊である。だから、命である。''

 

エペソ人への手紙2:15さて、あなたがたは、以前は自分の過ちと罪のために死んでいたのです。

2この世を支配する者、かの空中に勢力を持つ者、すなわち、不従順な者たちの内に今も働く霊に従い、過ちと罪を犯して歩んでいました。

3わたしたちも皆、こういう者たちの中にいて、以前は肉の欲望の赴くままに生活し、肉や心の欲するままに行動していたのであり、ほかの人々と同じように、生まれながら神の怒りを受けるべき者でした。

4しかし、憐れみ豊かな神は、わたしたちをこの上なく愛してくださり、その愛によって、

5罪のために死んでいたわたしたちをキリストと共に生かし、・・あなたがたの救われたのは恵みによるのです・・(JNlCV)

 

コリント人への第一の手紙1:28[塚本訳]また世の身分の低いもの、軽蔑されているもの、(いや、あっても)無い(ように思われている)ものを神はお選びになった、ある(と思われている)ものを無にするためである。

 

 

 

もっとも悲しいことを拭う「贖罪」

 

「贖罪」は人生で最も悲しいことが拭われる人生の真理、実在の秘儀である。この秘儀の真理に出会って我々は人生のオアシスに遭遇したことになる。

人生で最も悲しいことは、この身が罪の身であると、その醜い姿が見えてしまったときである。自覚してしまったときである。アンデルセンの「醜いアヒルの子」は水面に移った自分の姿(灰色の毛)を見て悲しむ。それは生まれつきでどうにも直しようがないとあきらめる。

そ れに比べて、貧困や病気は人間的手立てで何とか回復できるものである。貧困はつらいことである。貧困ならば学校(高校・大学)にも行けないことがある。し かし人生において貧困はいつまでも続かないものであり、またその逆に裕福な状態も長続きしないものであることを私は知った。一時は隆盛な人も定年を迎える と淋しくなる。

病気や痛みもつらいことではあるが、しかしこれも医学の発展のおかげでなんとか直るケースが多くなった。

また「死の別れ」という悲しみがある。これも人間に備わっている宿命だと思えば諦めがつくものだ。死は早いか遅いかだけである。(あんまり長生きしてもつらいことが多いようである。)

現代においてのもっとも深い悩みは「むなしさ、淋しさ」である。内村鑑三の「キリスト信徒の慰め」は貧、病、死、迫害、であるが、現代ではこれに「むなしさ、淋しさ」を加えなければならない。それはキリスト信徒といえどもである。「俺は何なんだ」という迷子の悩みである。

こ の深い悩みは「あなたは私の愛する子である」という声を聞いて初めて充実し満足する。そんな道はあるのか。それは宗教的幻想ではないのか。幻想ではない。 実在であり同時に過去にも現在にも雲のような証人がいる。証言は自分の体験以外は語れない。ただ、「私の愛する子」と呼ばれるためには「罪の身が贖われ て」きれいにならなければならないのだ。しかし生まれつき灰色の毛の「醜いアヒルの子」は直りようがない。ところがである。それがイエスの贖罪で「真っ白 な毛」にさせられいつのまにか白鳥の姿になっているではないか。この奇跡、この喜び、この羽で飛べるようになった「自由」。

 

イザヤ書 1:18

主は言われる、さあ、われわれは互に論じよう。たといあなたがたの罪は緋のようであっても、雪のように白くなるのだ。紅のように赤くても、羊の毛のようになるのだ。 (JCV)

 

こ の真実に出会って人生は成功である。長生きをしなくても人生は充実である人生は長さではない。質である。高学歴、高い地位の確保と経済的安定、家庭の幸 福、仕事の成功、名声ではない。それはかげろうのごときもので、つかんだと思ってもまだ満足しない。それは空虚である。長続きしない。嘘だと思ったら実験 してみればよい。

真 の幸福は天地(あめつち)の造り主から個人的に!!愛されているというその充実感である。それは実にこの世の不幸を通して自覚するのだ。そのとき神の目が こちらに注がれていることを実感するのだ。神が私を見ていてくださる。神の目が私に注がれている。その心の交流。これが人間としての幸福の原点である。シ スティナ礼拝堂の天井壁画「天地創造」は神とアダムが手をつなごうとしているが、あれは目と目が合っているところに注目して見るべきものなのである。

2001.2.14       高橋照男

 

 

 

表  題 ・ 要  約

 

 

彼はわたしたち信ずる者の典型(4:18−25)・・・塚本訳

 

アブラハムの信仰(4章)・・・高橋三郎

 

アブラハムの信仰(4章)・・・内村鑑三

 

信仰によって約束を受けたアブラハム(4:18−25)・・・アルトハウスNTD

 

約束とアブラハムの信仰(4:18−25)・・・白井きく

 

約束の成就への信頼としてのアブラハムの信仰(4:17−25)・・・ヴィルケンスEKK

 

アブラハムの信仰の特質(4:17−25)・・・黒崎幸吉

 

信仰によって実現される約束(4:13−25)・・・新共同訳

 

不信心な者を義とされる神(4章)・・・青野(岩波)

 

神の約束とアブラハムの信仰(4:13−25)・・・フランシスコ会訳

 

神の約束は信仰に対して与えられる(4:13−25)・・・八木(講談社)

 

アブラハムの原型に倣う信仰に対してのみ約束は成就される(4:13−25)・・・ケーゼマン

 

 

 

ローマ人への手紙4章18節"

 

[口語訳] 彼は望み得ないのに、なおも望みつつ信じた。そのために、「あなたの子孫はこうなるであろう」と言われているとおり、多くの国民の父となったのである。

 

[新改訳] 彼は望みえないときに望みを抱いて信じました。それは、「あなたの子孫はこのようになる。」と言われていたとおりに、彼があらゆる国の人々の父となるためでした。

 

[新共同訳] 彼は希望するすべもなかったときに、なおも望みを抱いて、信じ、「あなたの子孫はこのようになる」と言われていたとおりに、多くの民の父となりました。

 

[文語訳]彼は望むべくもあらぬ時になほ望みて信じたり、是なんぢの裔はかくの如くなるべしと言ひ給ひしに隨ひて、多くの國人の父とならん爲なりき。"

 

[塚本訳](まことに)アブラハムは(神の力を確信して、)望み得ないことを望んで信じたので、“あなたの子孫はあのように、(空の星のように多く)なるであろう”と言われた言葉のとおり、“多くの国の人の父”になったのである。

 

[前田訳]彼は望みえないことを望みつつ信じました。それで、「あなたの末はかくも多かろう」と言われたとおり、多くの民の父になりました。"

 

(NCV)There was no hope that Abraham would have children. But Abraham believed God and continued hoping, and so he became the father of many nations. As God told him, "Your descendants also will be too many to count."

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙 4:19 すなわち、およそ百歳となって、彼自身のからだが死んだ状態であり、またサラの胎が不妊であるのを認めながらも、なお彼の信仰は弱らなかった。

(JCV)

 

ローマ人への手紙 5:5[塚本訳] そしてこの“希望は(必ず実現して、わたし達を)失望させることはない。”神はわたし達に聖霊を授け、それによって愛をわたし達の心の中に(いつも豊かに)注いでいてくださるからである。"

 

マルコによる福音書 5:35-36[塚本訳] イエスがまだ話しておられるところに、礼拝堂監督の家から人々が来て(監督に)言った、「お嬢さんはもうなくなりました。どうしてこの上、先生にご迷惑をかけられるのですか。」"

36イエスはそう言っているのをそばで聞いて、監督に言われた、「こわがることはない。ただ信じておれ。」"

 

ルカによる福音書 1:34-38 そこでマリヤは御使に言った、「どうして、そんな事があり得ましょうか。わたしにはまだ夫がありませんのに」。

35 御使が答えて言った、「聖霊があなたに臨み、いと高き者の力があなたをおおうでしょう。それゆえに、生れ出る子は聖なるものであり、神の子と、となえられるでしょう。

36 あなたの親族エリサベツも老年ながら子を宿しています。不妊の女といわれていたのに、はや六か月になっています。

37 神には、なんでもできないことはありません」。

38 そこでマリヤが言った、「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように」。そして御使は彼女から離れて行った。 (JCV)

 

ルカによる福音書 1:45 主のお語りになったことが必ず成就すると信じた女は、なんとさいわいなことでしょう」。 (JCV)

 

創世記 15:2-6 アブラムは言った、「主なる神よ、わたしには子がなく、わたしの家を継ぐ者はダマスコのエリエゼルであるのに、あなたはわたしに何をくださろうとするのですか」。

3 アブラムはまた言った、「あなたはわたしに子を賜わらないで、わたしの家に生まれたしもべが、あとつぎとなるでしょう」。 4 この時、主の言葉が彼に臨んだ、「この者はあなたのあとつぎとなるべきではありません。あなたの身から出る者があとつぎとなるべきです」。

5 そして主は彼を外に連れ出して言われた、「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみなさい」。また彼に言われた、「あなたの子孫はあのようになるでしょう」。

6 アブラムは主を信じた。主はこれを彼の義と認められた。 (JCV)

 

 

 

ローマ人への手紙4章19節

 

[口語訳] すなわち、およそ百歳となって、彼自身のからだが死んだ状態であり、また、サラの胎が不妊であるのを認めながらも、なお彼の信仰は弱らなかった。

 

[新改訳] アブラハムは、およそ百歳になって、自分のからだが死んだも同然であることと、サラの胎の死んでいることとを認めても、その信仰は弱りませんでした。

 

[新共同訳] そのころ彼は、およそ百歳になっていて、既に自分の体が衰えており、そして妻サラの体も子を宿せないと知りながらも、その信仰が弱まりはしませんでした。

 

[文語訳]かくて凡そ百歳に及びて己が身の死にたるがごとき状なると、サラの胎の死にたるが如きを認むれども、その信仰よわらず、

 

[塚本訳]すなわち彼は信仰が弱らずに、ほとんど百歳であったので、自分の体が死んでしまっており、(妻)サラの胎も死んでいるのをよく知っていながら、

 

[前田訳]百歳ほどであったので体が死んでおり、サラの胎も死んでいることを知りながら、信仰においては弱りませんでした。

 

(NCV) Abraham was almost a hundred years old, much past the age for having children, and Sarah could not have children. Abraham thought about all this, but his faith in God did not become weak.

 

[解読の鍵]

 

ローマ人への手紙 4:20-25

彼は、神の約束を不信仰のゆえに疑うようなことはせず、かえって信仰によって強められ、栄光を神に帰し、

21 神はその約束されたことを、また成就することができると確信した。

22 だから、彼は義と認められたのである。

23 しかし「義と認められた」と書いてあるのは、アブラハムのためだけではなく、

24 わたしたちのためでもあって、わたしたちの主イエスを死人の中からよみがえらせたかたを信じるわたしたちも、義と認められるのである。

25 主は、わたしたちの罪過のために死に渡され、わたしたちが義とされるために、よみがえらされたのである。 (JCV)

 

マタイによる福音書 6:30 きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。 (JCV)

 

マタイによる福音書 8:26[塚本訳]彼らに言われる、「なんでそんなに臆病なのか、信仰の小さい人たちよ!」それから起き上がって風と湖とを叱りつけられると、(たちどころに)大凪になった。

 

マタイによる福音書 14:31

イエスはすぐに手を伸ばし、彼をつかまえて言われた、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」。 (JCV)

 

マルコによる福音書 9:23-24[塚本訳]

イエスは言われた、「もしお出来になるなら(と言うの)か。信ずる者にはなんでも出来る。」

24即座にその子供の父親が叫んだ、「信じます。不信仰をお助けください。」"

 

マルコによる福音書 11:23[塚本訳] アーメン、わたしは言う、だれでもこの山に向かい、『立ち上がって海に飛び込め』と言って心に疑わず、自分の言うことは成ると信ずるならば、そのとおりになる。"

 

マタイによる福音書 17:19-20 それから、弟子たちがひそかにイエスのもとにきて言った、「わたしたちは、どうして霊を追い出せなかったのですか」。

20 するとイエスは言われた、「あなたがたの信仰が足りないからである。よく言い聞かせておくが、もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この山にむかって『ここからあそこに移れ』と言えば、移るであろう。このように、あなたがたにできない事は、何もないであろう。 (JCV)

 

ヨハネによる福音書 20:27-28 それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」 28 トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。 (JNICV)

 

ヨハネによる福音書 4:48-50 そこで、イエスは彼に言われた、「あなたがたは、しるしと奇跡とを見ない限り、決して信じないだろう」。 49 この役人はイエスに言った、「主よ、どうぞ、子供が死なないうちにきて下さい」。 50 イエスは彼に言われた、「お帰りなさい。あなたのむすこは助かるのだ」。彼は自分に言われたイエスの言葉を信じて帰って行った。(JCV)

 

創世記 18:11-14 さてアブラハムとサラとは年がすすみ、老人となり、サラは女の月のものが、すでに止まっていた。

12 それでサラは心の中で笑って言った、「わたしは衰え、主人もまた老人であるのに、わたしに楽しみなどありえようか」。

13 主はアブラハムに言われた、「なぜサラは、わたしは老人であるのに、どうして子を産むことができようかと言って笑ったのか。

14 主にとって不可能なことがありましょうか。来年の春、定めの時に、わたしはあなたの所に帰ってきます。そのときサラには男の子が生まれているでしょう」。 (JCV)

 

ヘブル人への手紙 11:11-19 信仰によって、サラもまた、年老いていたが、種を宿す力を与えられた。約束をなさったかたは真実であると、信じていたからである。

12 このようにして、ひとりの死んだと同様な人から、天の星のように、海べの数えがたい砂のように、おびただしい人が生れてきたのである。 13 これらの人はみな、信仰をいだいて死んだ。まだ約束のものは受けていなかったが、はるかにそれを望み見て喜び、そして、地上では旅人であり寄留者であることを、自ら言いあらわした。 14 そう言いあらわすことによって、彼らがふるさとを求めていることを示している。 15 もしその出てきた所のことを考えていたなら、帰る機会はあったであろう。 16 しかし実際、彼らが望んでいたのは、もっと良い、天にあるふるさとであった。だから神は、彼らの神と呼ばれても、それを恥とはされなかった。事実、神は彼らのために、都を用意されていたのである。 17 信仰によって、アブラハムは、試練を受けたとき、イサクをささげた。すなわち、約束を受けていた彼が、そのひとり子をささげたのである。

18 この子については、「イサクから出る者が、あなたの子孫と呼ばれるであろう」と言われていたのであった。 19 彼は、神が死人の中から人をよみがえらせる力がある、と信じていたのである。だから彼は、いわば、イサクを生きかえして渡されたわけである。 (JCV)

 

使徒行伝 14:9[塚本訳] この人がパウロの話を聞いていると、パウロはじっと見つめ、

(足が)直るに必要な信仰があるのを見て、"

 

ヘブル人への手紙 11:6 信仰がなくては、神に喜ばれることはできない。なぜなら、神に来る者は、神のいますことと、ご自分を求める者に報いて下さることとを、必ず信じるはずだからである。

(JCV)

 

 

 

ローマ人への手紙4章20節

 

[口語訳] 彼は、神の約束を不信仰のゆえに疑うようなことはせず、かえって信仰によって強められ、栄光を神に帰し、

 

[新改訳] 彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、

 

[新共同訳] 彼は不信仰に陥って神の約束を疑うようなことはなく、むしろ信仰によって強められ、神を賛美しました。

 

[文語訳]不信をもて神の約束を疑はず、信仰により強くなりて神に榮光を歸し、

 

[塚本訳]不信仰をもって神の約束を疑わないばかりか、かえって信仰が強くなり、神に栄光を帰した、"

 [前田訳]不信をもって神の約束を疑わないばかりか、信仰において力づけられ、神に栄光を帰しました。

 

 (NCV) He never doubted that God would keep his promise, and he never stopped believing. He grew stronger in his faith and gave praise to God.

 

[解読の鍵]

 

民数記 11:13-23 わたしはどこから肉を獲て、このすべての民に与えることができましょうか。彼らは泣いて、『肉を食べさせよ』とわたしに言っているのです。 14 わたしひとりでは、このすべての民を負うことができません。それはわたしには重過ぎます。 15 もしわたしがあなたの前に恵みを得ますならば、わたしにこのような仕打ちをされるよりは、むしろ、ひと思いに殺し、このうえ苦しみに会わせないでください」。 16 主はモーセに言われた、「イスラエルの長老たちのうち、民の長老となり、つかさとなるべきことを、あなたが知っている者七十人をわたしのもとに集め、会見の幕屋に連れてきて、そこにあなたと共に立たせなさい。 17 わたしは下って、その所で、あなたと語り、またわたしはあなたの上にある霊を、彼らにも分け与えるであろう。彼らはあなたと共に、民の重荷を負い、あなたが、ただひとりで、それを負うことのないようにするであろう。

18 あなたはまた民に言いなさい、『あなたがたは身を清めて、あすを待ちなさい。あなたがたは肉を食べることができるであろう。あなたがたが泣いて主の耳に、 わたしたちは肉が食べたい。エジプトにいた時は良かったと言ったからである。それゆえ、主はあなたがたに肉を与えて食べさせられるであろう。 19 あなたがたがそれを食べるのは、一日や二日や五日や十日や二十日ではなく、

20 一か月に及び、ついにあなたがたの鼻から出るようになり、あなたがたは、それに飽き果てるであろう。それはあなたがたのうちにおられる主を軽んじて、その前に泣き、なぜ、わたしたちはエジプトから出てきたのだろうと言ったからである』」。 21 モーセは言った、「わたしと共におる民は徒歩の男子だけでも六十万です。ところがあなたは、『わたしは彼らに肉を与えて一か月のあいだ食べさせよう』と言われます。 22 羊と牛の群れを彼らのためにほふって、彼らを飽きさせるというのですか。海のすべての魚を彼らのために集めて、彼らを飽きさせるというのですか」。

23 主はモーセに言われた、「主の手は短かろうか。あなたは、いま、わたしの言葉の成るかどうかを見るであろう」。

 

ルカによる福音書 1:18[塚本訳] ザカリヤが天使に言った、「(子をさずかる)その”証拠は何でしょうか。”わたしは老人で、妻ももう年を取っております。」

 

ルカによる福音書 1:45-48 主のお語りになったことが必ず成就すると信じた女は、なんとさいわいなことでしょう」。

46 するとマリヤは言った、「わたしの魂は主をあがめ、

47 わたしの霊は救主なる神をたたえます。

48 この卑しい女をさえ、心にかけてくださいました。今からのち代々の人々は、わたしをさいわいな女と言うでしょう、 (JCV)

 

コリント人への第二の手紙 12:10[塚本訳] それゆえわたしは弱いことを、虐待、艱難、また迫害と苦悩をうけることを、キリストの故に喜ぶ。わたしは弱い時には、(彼の力によってかえって)強いのであるから。"

 

コリント人への第一の手紙 16:13 目をさましていなさい。信仰に立ちなさい。男らしく、強くあってほしい。 (JCV)

 

 

 

ローマ人への手紙4章21節

 

[口語訳] 神はその約束されたことを、また成就することができると確信した。

 

[新改訳] 神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。

 

[新共同訳] 神は約束したことを実現させる力も、お持ちの方だと、確信していたのです。

 

[文語訳]その約し給へることを、成し得給ふと確信せり。

 

[塚本訳]神は約束を果たす力を持っておられる(ので、子をお授けになる)と確信することによって。"

 

[前田訳]神はお約束のことをなす力がおありと確信していたのです。

 

(NCV) Abraham felt sure that God was able to do what he had promised.

 

[解読の鍵]

ヘブル人への手紙 11:13-14 これらの人はみな、信仰をいだいて死んだ。まだ約束のものは受けていなかったが、はるかにそれを望み見て喜び、そして、地上では旅人であり寄留者であることを、自ら言いあらわした。

14 そう言いあらわすことによって、彼らがふるさとを求めていることを示している。 (JCV)

 

創世記 18:13-14 主はアブラハムに言われた、「なぜサラは、わたしは老人であるのに、どうして子を産むことができようかと言って笑ったのか。

14 主にとって不可能なことがありましょうか。来年の春、定めの時に、わたしはあなたの所に帰ってきます。そのときサラには男の子が生まれているでしょう」。 (JCV)

 

 

エレミヤ書 32:17 『ああ主なる神よ、あなたは大いなる力と、伸べた腕をもって天と地をお造りになったのです。あなたのできないことは、ひとつもありません。 (JCV)

 

マタイによる福音書 19:24-26 また、あなたがたに言うが、富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい」。

25 弟子たちはこれを聞いて非常に驚いて言った、「では、だれが救われることができるのだろう」。

26 イエスは彼らを見つめて言われた、「人にはそれはできないが、神にはなんでもできない事はない」。 (JCV)

 

マタイによる福音書 8:13[塚本訳] それからイエスは百卒長に言われた、「お帰り。あなたの信じたとおりに成れ。」するとちょうどその時に、下男は直った。"

 

マタイによる福音書 9:2[塚本訳]するとそこに、人々が寝床にねている一人の中風の者をつれて来た。イエスはその人たちの信仰を見て(驚き)、中風の者に言われた、「子よ、安心せよ、いまあなたの罪は赦された。」"

 

マタイによる福音書 9:22[塚本訳] イエスは振り向いて、女を見ながら言われた、「娘よ、安心しなさい、あなたの信仰がなおした。」するとちょうどその時から、女はなおった。"

 

マタイによる福音書 9:28-29 そしてイエスが家にはいられると、盲人たちがみもとにきたので、彼らに「わたしにそれができると信じるか」と言われた。彼らは言った、「主よ、信じます」。

29 そこで、イエスは彼らの目にさわって言われた、「あなたがたの信仰どおり、あなたがたの身になるように」。 (JCV)

 

マルコによる福音書 9:18-24 霊がこのむすこにとりつきますと、どこででも彼を引き倒し、それから彼はあわを吹き、歯をくいしばり、からだをこわばらせてしまいます。それでお弟子たちに、この霊を追い出してくださるように願いましたが、できませんでした」。

19 イエスは答えて言われた、「ああ、なんという不信仰な時代であろう。いつまで、わたしはあなたがたと一緒におられようか。いつまで、あなたがたに我慢ができようか。その子をわたしの所に連れてきなさい」。

20 そこで人々は、その子をみもとに連れてきた。霊がイエスを見るや否や、その子をひきつけさせたので、子は地に倒れ、あわを吹きながらころげまわった。

21 そこで、イエスが父親に「いつごろから、こんなになったのか」と尋ねられると、父親は答えた、「幼い時からです。

22 霊はたびたび、この子を火の中、水の中に投げ入れて、殺そうとしました。しかしできますれば、わたしどもをあわれんでお助けください」。

23 イエスは彼に言われた、「もしできれば、と言うのか。信ずる者には、どんな事でもできる」。

24 その子の父親はすぐ叫んで言った、「信じます。不信仰なわたしを、お助けください」。 (JCV)

 

ルカによる福音書 1:45 主のお語りになったことが必ず成就すると信じた女は、なんとさいわいなことでしょう」。 (JCV)

 

 

 

ローマ人への手紙4章22節

 

[口語訳] だから、彼は義と認められたのである。

 

[新改訳] だからこそ、それが彼の義とみなされたのです。

 

[新共同訳] だからまた、それが彼の義と認められたわけです。

 

 [文語訳]之に由りて其の信仰を義と認められたり。

 

[塚本訳]このゆえに、“そのことが彼の義と見なされた”のである。"

 

[前田訳]それゆえ、彼は義と認められました。

 

(NCV) So, "God accepted Abraham's faith, and that faith made him right with God."

 

[解読の鍵]

 

ローマ人への手紙 4:3[塚本訳]

では聖書は何と言っているか。“アブラハムは神を信じて、そのことが彼の義と見なされた”とある。(アブラハムが義とされたのは行いのゆえではなく、恩恵である。)"

 

ローマ人への手紙 4:5-7 しかし、働きはなくても、不信心な者を義とするかたを信じる人は、その信仰が義と認められるのである。

6 ダビデもまた、行いがなくても神に義と認められた人の幸福について、次のように言っている、

7 「不法をゆるされ、罪をおおわれた人たちは、さいわいである。 (JCV)

 

ローマ人への手紙 4:23-25

25しかし「義と認められた」と書いてあるのは、アブラハムのためだけではなく、

24 わたしたちのためでもあって、わたしたちの主イエスを死人の中からよみがえらせたかたを信じるわたしたちも、義と認められるのである。

25 主は、わたしたちの罪過のために死に渡され、わたしたちが義とされるために、よみがえらされたのである。

(JCV)"

 

 

 

ローマ人への手紙4章23節

 

[口語訳] しかし「義と認められた」と書いてあるのは、アブラハムのためだけではなく、

 

[新改訳] しかし、「彼の義とみなされた。」と書いてあるのは、ただ彼のためだけでなく、

 

[新共同訳] しかし、「それが彼の義と認められた」という言葉は、アブラハムのためだけに記されているのでなく、

 

 [文語訳]斯く『義と認められたり』と録したるは、アブラハムの爲のみならず、また我らの爲なり。

 

[塚本訳]しかし(“彼の義と)みなされた”と書いてあるのは、彼だけのためではなく、

 

[前田訳]聖書に「認められた」とあるのは、彼だけのためではなく、われらのためでもあります。

 

(NCV)Those words ("God accepted Abraham's faith") were written not only for Abraham

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙 15:4[塚本訳] なぜなら、(聖書に)前に書かれたほどのことはみな、(後の時代の)わたし達の教訓のために書かれたもので、わたし達が聖書のあたえる忍耐と慰めとをもって、希望を持ちつづけるためである。"

 

テモテへの第二の手紙 3:16-17 聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しく、義に導くのに有益である。

17 それによって、神の人が、あらゆる良いわざに対して十分な準備ができて、完全にととのえられた者になるのである。 (JCV)

 

 

 

ローマ人への手紙4章24節

 

[口語訳] わたしたちのためでもあって、わたしたちの主イエスを死人の中からよみがえらせたかたを信じるわたしたちも、義と認められるのである。

 

[新改訳] また私たちのためです。すなわち、私たちの主イエスを死者の中からよみがえらせた方を信じる私たちも、その信仰を義とみなされるのです。

 

[新共同訳] わたしたちのためにも記されているのです。わたしたちの主イエスを死者の中から復活させた方を信じれば、わたしたちも義と認められます。

 

 [文語訳]我らの主イエスを死人の中より甦へらせ給ひし者を信ずる我らも、その信仰を義と認められん。"

 

[塚本訳]わたし達のためでもある。主イエスを死人の中から復活させられたお方[神]を信ずるわたし達も、(信仰によって義と)みなされねばならないからである。"

 

[前田訳]われらの主イエスを死人たちから復活させられた方を信ずるわれらも、そう認められねばなりません。

 

(NCV) but also for us. God will accept us also because we believe in the One who raised Jesus our Lord from the dead.

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙 10:9-10 すなわち、自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。

10 なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである。 (JCV)

 

マルコによる福音書 16:16[塚本訳] 信じて洗礼を受ける者は救われ、信じない者は罰せられる。"

 

ヨハネによる福音書 3:14-16 そして、ちょうどモーセが荒野でへびを上げたように、人の子もまた上げられなければならない。

15 それは彼を信じる者が、すべて永遠の命を得るためである。

16 神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。 (JCV)

 

使徒行伝 2:24 神はこのイエスを死の苦しみから解き放って、よみがえらせたのである。イエスが死に支配されているはずがなかったからである。

(JCV)

 

使徒行伝 13:26-30 兄弟たち、アブラハムの子孫のかたがた、ならびに皆さんの中の神を敬う人たちよ。この救の言葉はわたしたちに送られたのである。

27 エルサレムに住む人々やその指導者たちは、イエスを認めず刑に処し、それによって、安息日ごとに読む預言者の言葉を成就した。

28 また、なんら死に当る理由が見いだせなかったのに、ピラトに強要してイエスを殺してしまった。

29 そして、イエスについて書いてあることを、皆なし遂げてから、人々はイエスを木から取りおろして墓に葬った。

30 しかし、神はイエスを死人の中から、よみがえらせたのである。 (JCV)

 

エペソ人への手紙 1:18-20 あなたがたの心の目を明らかにして下さるように、そして、あなたがたが神に召されていだいている望みがどんなものであるか、聖徒たちがつぐべき神の国がいかに栄光に富んだものであるか、

19 また、神の力強い活動によって働く力が、わたしたち信じる者にとっていかに絶大なものであるかを、あなたがたが知るに至るように、と祈っている。

20 神はその力をキリストのうちに働かせて、彼を死人の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右に座せしめ、 (JCV)

 

ヘブル人への手紙 13:20-21 永遠の契約の血による羊の大牧者、わたしたちの主イエスを、死人の中から引き上げられた平和の神が、

21 イエス・キリストによって、みこころにかなうことをわたしたちにして下さり、あなたがたが御旨を行うために、すべての良きものを備えて下さるようにこい願う。栄光が、世々限りなく神にあるよう、アァメン。 (JCV)

 

 

 

ローマ人への手紙4章25節

 

[口語訳] 主は、わたしたちの罪過のために死に渡され、わたしたちが義とされるために、よみがえらされたのである。

 

[新改訳] 主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです。

 

[新共同訳] イエスは、わたしたちの罪のために死に渡され、わたしたちが義とされるために復活させられたのです。

 

 [文語訳]主は我らの罪のために付され、我らの義とせられん爲に甦へらせられ給へるなり。";

 

 [塚本訳]このイエスこそ、わたし達の過ちのために死に引き渡され、またわたし達を義とするために復活された方である。"

 

 [前田訳]イエスはわれらの過ちのために死に渡され、われらが義とされるために復活させられた方です。"

 

 (NCV) Jesus was given to die for our sins, and he was raised from the dead to make us right with God.

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙 3:25[塚本訳] すなわち神は御自分の義を示すために、宥めの供え物としてキリストを提供された。これはキリストの血でなされたものであり、(人は)信仰によ(ってこの恩恵にあずか)るのである。このことは・・神が(長いあいだ)忍耐をもって過ぎし日に犯した罪を罰せずにおられたので・・

 

ローマ人への手紙 5:6-8 わたしたちがまだ弱かったころ、キリストは、時いたって、不信心な者たちのために死んで下さったのである。

7 正しい人のために死ぬ者は、ほとんどいないであろう。善人のためには、進んで死ぬ者もあるいはいるだろう。

8 しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである。 (JCV)

 

ローマ人への手紙 8:3[塚本訳] 律法が肉に妨げられて無力になったために出来なくなったことを、神は(御子によって)成し遂げてくださった。すなわち(わたし達の)罪の(征服の)ためにその子を罪の肉の形で(この世に)遣わし、その肉(を殺すこと)において罪を罰されたのである。"

 

ローマ人への手紙 8:32[塚本訳] 御自分の子をさえなんの惜しげもなく、わたし達みんなのために死に引き渡されたその神が、どうしてそれと共に、すべてのものをも賜わらないことがあろうか。

 

イザヤ書 53:5-6 しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲らしめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。

6 われわれはみな羊のように迷って、おのおの自分の道に向かって行った。主はわれわれすべての者の不義を、彼の上におかれた。 (JCV)

 

イザヤ書 53:10-12 しかも彼を砕くことは主のみ旨であり、主は彼を悩まされた。彼が自分を、とがの供え物となすとき、その子孫を見ることができ、その命をながくすることができる。かつ主のみ旨が彼の手によって栄える。

11 彼は自分の魂の苦しみにより光を見て満足する。義なるわがしもべはその知識によって、多くの人を義とし、また彼らの不義を負う。

12 それゆえ、わたしは彼に大いなる者と共に物を分かち取らせる。彼は強い者と共に獲物を分かち取る。これは彼が死にいたるまで、自分の魂をそそぎだし、とがある者と共に数えられたからである。しかも彼は多くの人の罪を負い、とがある者のためにとりなしをした。 (JCV)

 

マタイによる福音書 20:28[塚本訳] 人の子(わたし)が来たのも仕えさせるためではない。仕えるため、多くの人のあがない金としてその命を与えるためである。」

 

コリント人への第一の手紙 15:3-4[塚本訳] まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、"04葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること、

 

コリント人への第二の手紙 5:21[塚本訳] 神は罪を知らなかった方をわたし達の身代りに(十字架につけて)罪に定められた。わたし達がこの方において神の義(をいただく者)となるためである。"

 

ガラテヤ人への手紙 1:4[塚本訳] キリストはわたし達の父なる神の御心にしたがい、わたし達を悪い現在の世から救いだそうとして、わたし達の罪のために自分を与え(て十字架につけ)られたのである。

 

 

 

神の怒りと裁きが「贖罪」を要求する

 

神に怒りと裁きはあるのか。聖書に「神は愛なり」(ヨハネの第一の手紙 4:8)とあるから神には怒りはなく、また「裁くな」(マタイによる福音書 7:1)とあるから神に裁きなどはないのではないか。神は慈悲だけではないだろうか。神の愛と慈悲が人を救うのであって「贖罪」が人を救うのではないので はないか。これは異教国日本人の根本的な疑問質問である。かってわたしはこの疑問を教会で発して教会を困らせたことがある。仏教にはただ慈悲があるのみ。 どんな深い罪も仏の慈悲で赦され救われる。ところがキリスト教では神には怒りと裁きがあり、そのために十字架の贖罪を必要とするという。実にやっかいなめ んどうな宗教である。これさえなければキリスト教はもっとなじみやすく親しみやすく分りやすいのではないかとさえ思う。教会はよいところだと薦められるの で行くとすぐ「人間は罪人だ。お前は罪人だ。裁かれる身だ。」といやなことを言われると言う。これ日本人の共通の認識である。

 神に怒りと裁きがあるのかないのかは、これ体験と実験で知る以外にない。頭で考え理論で解そうとして も無理である。神の怒りは個々人に様々の形で迫ってくる。神は何を怒るかというと「罪」を怒るのであって,その罪は「行動」と一体となっている。わたしの 体験によれば神の怒りは心の苦しみ、霊魂の窒息状態によってもたらされた。それは「死ぬばかり」の窒息の苦しみである。そのときは「なりふりかまわず」に 救われたいと思うのである。この苦しみは経済的苦しみでもなく、医学的苦しみでもない。霊魂の苦しみである。この身が罪の黒い塊であることの自覚である。 自分の本当の姿が見えてしまったときの苦しみ、懊悩。この苦しみは「天然自然も父母も我を救えず」、いかにもなすすべがないのである。しかしありがたいこ とにこの霊魂の苦しみ、罪の自覚の苦しみは人類の普遍的な苦しみである。先輩がいる。

 パウロ「ロマ書7章」、アウグスチヌス「告白録」、バッハ「人よ罪に泣けBWV622」、内村鑑三 「求安録」など。そして彼らの実験としては罪の苦しみは十字架の贖罪によって初めて「楽になる」というのである。つまり神の怒りと裁きはキリストの上に激 しく下り,そのためにキリストは十字架で苦悶して死んだ。だからわれわれはこの身代わりの代罰のゆえに救われるのだという、実にヘンテコな時間的矛盾の責 任逃れの宗教を信じているのである。では現代のわれわれはこの先輩達が信じているヘンテコな無責任な「虫のいい」宗教を信じることができるか。受け入れる ことはできるか。自分の犯した罪は生涯をかけて自分で償うべきではないのか。いわく何、いわく何。そんな議論をしているうちはまだ「楽」である。

今にも窒息して死にそうにならないとあのヘンテコな時間的矛盾(過去の人物がなぜ今のこの私の罪を贖え るのか)のまた責任逃れの(自分の犯した罪は自分で償え)福音には心が向かない。「溺れるものは藁をもつかむ」である。パウロ、アウグスチヌス,バッハ、 内村鑑三ら諸先輩達はみな罪に溺れて、そこから「藁をもつかむ」思いで「なりふりかまわず」理性の疑問を振り切って「贖罪の福音」にすがりついたのだ。受 け入れたのだ。その結果、何の不思議か心の窒息状態から解放され「楽になった」のである。

それが「ロマ書」(パウロ)、「告白録」(アウグスチヌス)、「宗教曲」(バッハ)、「内村鑑三全集!!」(岩波書店、教文館)になったのだ。人生の極限の苦しみは「贖罪」によって「楽になる」。神の怒りと裁きは「贖罪」で逃れることができる。

 

 

2001.2.16 高橋照男

 

 

 

表  題 ・ 要  約

 

 

 

私達には最後の希望がある(5:1−4)・・・塚本訳

 

神との平和における逆説的立場(5:1−11)・・・ケーゼマン

 

新しい人間(5:1−11)・・・バルト

 

神の愛は救いの保証(5:1−11)・・・フランシスコ会訳

 

信仰によって義とされた者の歩み(5:1−11)・・・青野(岩波)

 

キリストによる、神との和解(5:1−11)・・・八木(講談社)

 

信仰によって義とされて(5:1−11)・・・新共同訳

 

恩恵の支配と勝利(5:1−11)・・・高橋三郎

 

平安、歓喜、希望の生涯(5:1−5)・・・黒崎幸吉

 

義とされた罪人の誇り(5:1−11)・・・ヴィルケンスEKK

 

恩恵の賜物(5:1−11)・・・白井きく

 

救いの希望(5:1−5)・・・塚本註解

 

義とされた者たちに宿る究極の救いの確信(5:1−11)・・・アルトハウスNTD

 

義とせらるゝ事の結果(5:1−11)・・・内村鑑三

 

 

 

ローマ人への手紙5章1節

 

[口語訳] このように、わたしたちは、信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストにより、神に対して平和を得ている。

 

[新改訳] ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。

 

[新共同訳] このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、

 

 [文語訳]斯く我ら信仰によりて義とせられたれば、我らの主イエス・キリストに頼り、神に對して平和を得たり。

 

[塚本訳]だから、わたし達は信仰のゆえに義とされたのであるから、わたし達の主イエス・キリストによって、いま神と平和ができた。

 

[前田訳]かく、信仰によって義とされて、われらは神に対して平和を得ています。これは主イエス・キリストのおかげです。

 

(NCV)Since we have been made right with God by our faith, we have peace with God. This happened through our Lord Jesus Christ,

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙 1:17 神の義は、その福音の中に啓示され、信仰に始まり信仰に至らせる。これは、「信仰による義人は生きる」と書いてあるとおりである。 (JCV)

 

ローマ人への手紙 3:22[塚本訳] この神の義は、イエス・キリストを信ずる信仰(だけ)によって、これを信ずるすべての者にあたえられる。(すべてというのは、そこに人間的の)なんの差別もないからである。"

 

ローマ人への手紙 3:26-28 それは、今の時に、神の義を示すためであった。こうして、神みずからが義となり、さらに、イエスを信じる者を義とされるのである。

27 すると、どこにわたしたちの誇があるのか。全くない。なんの法則によってか。行ないの法則によってか。そうではなく、信仰の法則によってである。

28 わたしたちは、こう思う。人が義とされるのは、律法の行いによるのではなく、信仰によるのである。 (JCV)

 

ローマ人への手紙 4:5[塚本訳] 反対に、仕事をしない者、すなわち(善い行いは出来ずとも、信ずれば)どんな悪人でも義とするお方(神)を信ずる者に対しては、その信仰が義と見なされるのである。"

 

ローマ人への手紙 4:24-25 わたしたちのためでもあって、わたしたちの主イエスを死人の中からよみがえらせたかたを信じるわたしたちも、義と認められるのである。

25 主は、わたしたちの罪過のために死に渡され、わたしたちが義とされるために、よみがえらされたのである。 (JCV)

 

ローマ人への手紙 9:30[塚本訳] すると、どういうことになるのだろうか。義を追い求めなかった異教人が(かえって)義を勝ち取った。すなわち(行いによらない)信仰による義である。

 

ローマ人への手紙 10:10[塚本訳] “心で信じて義とされ、口で告白して救われるからである。・・(こうわたし達は説いているのである。)"

 

ハバクク書 2:4 見よ、その魂の正しくない者は衰える。しかし義人はその信仰によって生きる。

(JCV)

 

ヨハネによる福音書 5:24[塚本訳] アーメン、アーメン、わたしは言う、わたしの言葉を聞き、わたしを遣わされた方を信ずる者は、(今すでに)永遠の命を持っていて、(最後の日に)罰を受けない。その人はもはや死から命に移っているのである。"

 

使徒行伝 13:38―39[塚本訳] だから兄弟の方々、このイエスによる罪の赦しがいまあなた達に宣べ伝えられていることを、知ってください。モーセ律法では義とされることが出来なかったどんなことからでも、"39信ずる者は一人のこらず、このイエスによって義とされるのです。"

 

ガラテヤ人への手紙 2:16[塚本訳] けれども、人は(モーセ)律法を行うことによっては(神の前

に)義とされない、ただキリスト・イエスを信ずる信仰によらねばならぬことを知ったの

で、わたし達も(ユダヤ人でありながら、)キリスト・イエスを信じたのである。律法を

行うことによらず、キリストを信ずる信仰によって義とされるためである。というのは、

律法を行うことによっては、人は“すべて義とされない”からである。"

ガラテヤ人への手紙 3:11-14 そこで、律法によっては、神のみまえに義とされる者はひとりもないことが、明らかである。なぜなら、「信仰による義人は生きる」からである。

12 律法は信仰に基いているものではない。かえって、「律法を行う者は律法によって生きる」のである。

13 キリストは、わたしたちのためにのろいとなって、わたしたちを律法ののろいからあがない出して下さった。聖書に、「木にかけられる者は、すべてのろわれる」と書いてある。

14 それは、アブラハムの受けた祝福が、イエス・キリストにあって異邦人に及ぶためであり、約束された御霊を、わたしたちが信仰によって受けるためである。 (JCV)

 

ガラテヤ人への手紙 3:21-25 では、律法は神の約束と相いれないものか。断じてそうではない。もし人を生かす力のある律法が与えられていたとすれば、義はたしかに律法によって実現されたであろう。

22 しかし、約束が、信じる人々にイエス・キリストに対する信仰によって与えられるために、聖書はすべての人を罪の下に閉じ込めたのである。

23 しかし、信仰が現れる前には、わたしたちは律法の下で監視されており、やがて啓示される信仰の時まで閉じ込められていた。

24 このようにして律法は、信仰によって義とされるために、わたしたちをキリストに連れて行く養育掛となったのである。

25 しかし、いったん信仰が現れた以上、わたしたちは、もはや養育掛のもとにはいない。 (JCV)

 

ガラテヤ人への手紙 5:4-6 律法によって義とされようとするあなたがたは、キリストから離れてしまっている。恵みから落ちている。

5 わたしたちは、御霊の助けにより、信仰によって義とされる望みを強くいだいている。

6 キリスト・イエスにあっては、割礼があってもなくても、問題ではない。尊いのは、愛によって働く信仰だけである。 (JCV)

 

ピリピ人への手紙 3:8-9[塚本訳]

否、 ただにそれ(らの特権)ばかりでなく、わが主キリスト・イエス(を知る)の知識が(余りにも尊く)優れているために、本当は(今は)一切合切のものを損だ と思っている。(実際)彼のために何もかも損してしまったのだが、(そんなものは皆)塵芥と思っている。これはキリスト・イエスを自分の有とし、"09彼に在ることが出来・・(もちろん)これは律法(を守ること)

から来る私自身の義によるのでなく、キリストの信仰による(義、)すなわち信仰に基づいて神から与えられる義によるのであるが・・"

 

ローマ人への手紙 5:10[塚本訳] なぜなら、(神の)敵であったのに、その御子の死によって神と和睦ができたくらいならば、すでに和睦をしたわたし達が、御子の(復活の)命によって救われるのは、もちろんである。

 

ローマ人への手紙 1:7 ローマにいる、神に愛され、召された聖徒一同へ。わたしたちの父なる神および主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。 (JCV)

 

ローマ人への手紙 14:17 神の国は、飲み食いではなく、聖霊によって与えられる義と平和と喜びなのです。 (JNICV)

 

ローマ人への手紙 15:13 希望の源である神が、信仰によって得られるあらゆる喜びと平和とであなたがたを満たし、聖霊の力によって希望に満ちあふれさせてくださるように。 (JNICV)

 

ローマ人への手紙 15:33 平和の源である神があなたがた一同と共におられるように、アーメン。

(JNICV)

 

ヨハネによる福音書 16:33[塚本訳] これらのことを話したのは、あなた達がわたしに(しっかり)結びついていて、平安を保つことができるためである。この世ではあなた達に苦しみがある。しかし安心していなさい。わたしがすでに世に勝っている。」"

 

コリント人への第二の手紙 5:18-20 これらはすべて神から出ることであって、神は、キリストを通してわたしたちを御自分と和解させ、また、和解のために奉仕する任務をわたしたちにお授けになりました。

19 つまり、神はキリストによって世を御自分と和解させ、人々の罪の責任を問うことなく、和解の言葉をわたしたちにゆだねられたのです。

20 ですから、神がわたしたちを通して勧められておられるので、わたしたちはキリストの使者の務めを果たしています。キリストに代わってお願いします。神と和解させていただきなさい。

(JNICV)

 

エペソ人への手紙 2:14-17 キリストはわたしたちの平和であって、二つのものを一つにし、敵意という隔ての中垣を取り除き、ご自分の肉によって、

15 数々の規定から成っている戒めの律法を廃棄したのである。それは、彼にあって、二つのものをひとりの新しい人に造りかえて平和をきたらせ、

16 十字架によって、二つのものを一つのからだとして神と和解させ、敵意を十字架にかけて滅ぼしてしまったのである。

17 それから彼は、こられた上で、遠く離れているあなたがたに平和を宣べ伝え、また近くにいる者たちにも平和を伸べ伝えられたのである。 (JCV)

 

コロサイ人への手紙 1:19-21 神は、御旨によって、御子のうちにすべての満ちみちた徳を宿らせ、

20 そして、その十字架の血によって平和をつくり、万物、すなわち、地にあるもの、天にあるものを、ことごとく、彼によってご自分と和解させて下さったのである。

21 あなたがたも、かつては悪い行いをして神から離れ、心の中で神に敵対していた。 (JCV)

 

コロサイ人への手紙 3:15 また、キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。この平和にあずからせるために、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。いつも感謝していなさい。 (JNICV)

 

テサロニケ人への第一の手紙 5:23 どうか、平和の神御自身が、あなたがたを全く聖なる者としてくださいますように。また、あなたがたの霊も魂も体も何一つ欠けたところのないものとして守り、わたしたちの主イエス・キリストの来られるとき、非のうちどころのないものとしてくださいますように。 (JNICV)

 

テサロニケ人への第一の手紙 5:23 どうか、平和の神御自身が、あなたがたを全く聖なる者としてくださいますように。また、あなたがたの霊も魂も体も何一つ欠けたところのないものとして守り、わたしたちの主イエス・キリストの来られるとき、非のうちどころのないものとしてくださいますように。 (JNICV)

 

 

 

ローマ人への手紙5章2節

 

[口語訳] わたしたちは、さらに彼により、いま立っているこの恵みに信仰によって導き入れられ、そして、神の栄光にあずかる希望をもって喜んでいる。

 

[新改訳] またキリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。

 

[新共同訳] このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。

 

 [文語訳]また彼によりて、今立つところの恩惠に入ることを得、神の榮光を望みて喜ぶなり。"

 [塚本訳]そうだ、キリストにより、信仰で、わたし達はいまいるこの恩恵の状態に入ることができ、また(最後の日に)神の(子になることを信じて、その)栄光にあずかる希望を誇っているのである。"

 

 [前田訳]彼のおかげでわれらは今立つところのこの恩恵へ信仰によって入れました。そして神の栄光への希望を誇りにしています。

 

(NCV)who has brought us into that blessing of God's grace that we now enjoy. And we are happy because of the hope we have of sharing God's glory.

 

[解読の鍵]

ヨハネによる福音書 10:9[塚本訳] (また、)わたしが(羊の出入りするための)門である。わたしを通って入る者(羊)は救われる。(いつもこの門を)入ったり出たりして、牧草を得るであろう。"

 

ヨハネによる福音書 14:6[塚本訳] イエスは言われる、「わたしが道である。また真理であり、命である。(手段であると同時に目的であるから。)わたしを通らずには、だれも父上の所に行くことはできない。"

 

使徒行伝 14:27[塚本訳] 彼らは(アンテオケに)着くと、集会の人々を集めて、神が自分たちと一緒にいてしてくださったことをのこらず、また異教人に信仰への門を開いてくださったことを、報告した。"

 

エペソ人への手紙 2:17-18エペソ人への手紙 2:17-18 それから彼は、こられた上で、遠く離れているあなたがたに平和を宣べ伝え、また近くにいる者たちにも平和を伸べ伝えられたのである。

18 というのは、彼によって、わたしたち両方の者が一つの御霊の中にあって、父のみもとに近づくことができるからである。 (JCV)

 

エペソ人への手紙 3:12 わたしたちは主キリストに結ばれており、キリストに対する信仰により、確信をもって、大胆に神に近づくことができます。 (JNICV)

 

ヘブル人への手紙 10:19-20[塚本訳] (わたし達は今や旧約の律法から解放されて、新約の時代に入った。)だから、兄弟たちよ、わたし達はイエスの血により、安心して聖所に入ることができるのである。20それは(イエスが)わたし達のために開かれた新しい生きた道である。わたし達は(彼自身である)幕、すなわち彼の肉体を通るのである。

 

ペテロの第一の手紙 3:18 キリストも、罪のためにただ一度苦しまれました。正しい方が、正しくない者たちのために苦しまれたのです。あなたがたを神のもとへ導くためです。キリストは、肉では死に渡されましたが、霊では生きる者とされたのです。 (JNICV)

 

ローマ人への手紙 8:24[塚本訳] なぜなら、わたし達は(最後の日に救いが完成されるという)望みをもって、救われているからである。目に見ることのできる望みは望みではない。人はいま現に見ているものを、なんでその上望む必要があろうか。

 

ローマ人への手紙 12:12[塚本訳] 希望をもって喜び、苦難に耐え、たゆまず祈れ。

 

 

 

ローマ人への手紙5章3節

 

[口語訳] それだけではなく、患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、

 

[新改訳] そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、

 

[新共同訳] そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、

 

[文語訳]然のみならず患難をも喜ぶ、そは患難は忍耐を生じ、

 

[塚本訳]そればかりではない。苦難をも誇る。苦難は忍耐を、

 

(NCV) We also have joy with our troubles, because we know that these troubles produce patience.

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙 8:35-37 だれが、キリストの愛からわたしたちを離れさせるのか。患難か、苦悩か、迫害か、飢えか、裸か、危難か、剣か。 36 「わたしたちはあなたのために終日、死に定められており、ほふられる羊のように見られている」と書いてあるとおりである。

37 しかし、わたしたちを愛して下さったかたによって、わたしたちは、これらすべての事において勝ち得て余りがある。 (JCV)

 

ルカによる福音書 6:22-23 人々があなたがたを憎むとき、また人の子のためにあなたがたを排斥し、ののしり、汚名を着せるときは、あなたがたはさいわいだ。

23 その日には喜びおどれ。見よ、天においてあなたがたの受ける報いは大きいのだから。彼らの祖先も、預言者たちに対して同じことをしたのである。 (JCV)

 

使徒行伝 5:41[塚本訳] さて、彼らは御名のために恥を受けるに足る者とされたことを喜びながら、法院から出ていった。

 

エペソ人への手紙 3:13エペソ人への手紙 3:13 だから、あなたがたのためにわたしが受けている苦難を見て、落胆しないでください。この苦難はあなたがたの栄光なのです。 (JNICV)

 

ピリピ人への手紙 1:29ピリピ人への手紙 1:29 あなたがたはキリストのために、ただ彼を信じるだけではなく、彼のために苦しむことをも賜わっている。 (JCV)

 

ピリピ人への手紙 2:17-18 そして、たとい、あなたがたの信仰の供え物を献げる祭壇に、わたしの血をそそぐことがあっても、わたしは喜ぼう。あなたがた一同と共に喜ぼう。

18 同じように、あなたがたも喜びなさい。わたしと共に喜びなさい。 (JCV)

 

ヤコブへの手紙 1:2 わたしの兄弟たち、いろいろな試練に出会うときは、この上ない喜びと思いなさい。 (JNICV)

 

ペテロの第一の手紙 3:14-18 しかし、義のために苦しみを受けるのであれば、幸いです。人々を恐れたり、心を乱したりしてはいけません。 15 心の中でキリストを主とあがめなさい。あなたがたの抱いている希望について説明を要求する人には、いつでも弁明できるように備えていなさい。

16 それも、穏やかに、敬意をもって、正しい良心で、弁明するようにしなさい。そうすれば、キリストに結ばれたあなたがたの善い生活をののしる者たちは、悪口を言ったことで恥じ入るようになるのです。 17 神の御心によるのであれば、善を行って苦しむ方が、悪を行って苦しむよりはよい。

18 キリストも、罪のためにただ一度苦しまれました。正しい方が、正しくない者たちのために苦しまれたのです。あなたがたを神のもとへ導くためです。キリストは、肉では死に渡されましたが、霊では生きる者とされたのです。 (JNICV)

 

ペテロの第一の手紙 4:16[塚本訳] しかしもしクリスチャンとして(受難するの)ならば恥じるな、むしろこの(クリスチャンたる)名において神の栄光を顕せ。

 

コリント人への第二の手紙 4:16-17 だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの「外なる人」は衰えていくとしても、わたしたちの「内なる人」は日々新たにされていきます。

17 わたしたちの一時の軽い艱難は、比べものにならないほど重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます。 (JNICV)

 

ヘブル人への手紙 12:5-6 また子たちに対するように、あなたがたに語られたこの勧めの言葉を忘れている、「わたしの子よ、主の訓練を軽んじてはいけない。主に責められるとき、弱り果ててはならない。 6 主は愛する者を訓練し、受けいれるすべての子を、むち打たれるのである」。

ある。いつたい、父に訓練されない子があるだろうか。あって、ほんとうの子ではない。

 

ヘブル人への手紙 12:11  すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる。しかし後になれば、それによって鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせるようになる。 (JCV)

 

 

 

ローマ人への手紙5章4

 

[口語訳] 忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているからである。

 

[新改訳] 忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。

 

[新共同訳] 忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。

 

[文語訳]忍耐は練達を生じ、練達は希望を生ずと知ればなり。

 

[塚本訳]忍耐は鍛錬を、鍛錬は希望を生むことを知っているからである。

 

 [前田訳]忍耐は訓練を、訓練は希望を生むことを承知ですから。

 

(NCV)And patience produces character, and character produces hope.

 

[解読の鍵]

コリント人への第二の手紙 1:4[塚本訳] どんな苦難の時にもわたし達を慰めてくださる神、こうしてわたし達自身も神に慰めていただくその慰めをもって、どんな苦難の中にいる人たちをも慰めることが出来るのである。"

 

コリント人への第二の手紙 4:8-12 わたしたちは、四方から患難を受けても窮しない。途方にくれても行き詰まらない。 9 迫害に会っても見捨てられない。倒されても滅びない。

10 いつもイエスの死をこの身に負うている。それはまた、イエスのいのちが、この身に現れるためである。 11 わたしたち生きている者は、イエスのために絶えず死に渡されるのである。それはイエスのいのちが、わたしたちの死ぬべき肉体に現れるためである。12 こうして、死はわたしたちのうちに働き、いのちはあなたがたのうちに働くのである。 (JCV)

 

コリント人への第二の手紙 6:7-10 [塚本訳] 真理の言葉により、神の力によってであり、(あるいは)右と左とに持つ義の武器をもって、08名誉と恥辱とをもって、悪評と好評とをもってである。

(あるいはまた)嘘つきと言われながら、真実な者として、09(世間では)無名人でありながら、(神の前では)有名人として、“死にかけてい”ながら、いまここに“わたし達は生きている!”“そしてまた(神に)こらしめられるが、殺されない者”として、"10悲しんでいるが、しかしいつでも喜んでいる者として、貧乏であるが、しかし多くの人を金持にする者として、何一つ持たないで、何もかも持っている者としてである。"

 

ペテロの第一の手紙 1:6-7 そのことを思って、今しばらくのあいだは、さまざまな試練で悩まねばならないかも知れないが、あなたがたは大いに喜んでいる。

7 こうして、あなたがたの信仰はためされて、火で精錬されても朽ちる外はない金よりもはるかに尊いことが明らかにされ、イエス・キリストの現れるとき、さんびと栄光とほまれとに変るであろう。 (JCV)

 

 

 

「贖罪」によって女性は美しく、男性は聡明になる

 

「贖罪」によってもたらされるのは霊魂の安らぎと平和である。聖書が御霊の実は愛、喜び、平和、希望、というのはそのことである。

 

ガラテヤ人への手紙 5:22-23

しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、

23 柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。 (JCV)

 

その結果どうなるかといえば、女性は美しくなり、男性は(女性もであるが)聡明になり、頭がよくなる。

 

なぜか。

女性の美しさは心から溢れる顔の気品である。いくら化粧品を塗りたくっても心が安らいでいて目が澄んでいなければ美しくないからである。

 

マタイによる福音書 6:21-23[塚本訳]

22目は体の明りである。だからあなたの目が澄んでおれば、体全体が明るいが、

23目が悪いと、体全体が暗い。だから(天に宝を積まないため、)もしあなたの内の光(である目、すなわち心)が暗かったら、その暗さはどんなであろう。"

 

男 性の魅力は聡明さである。これも心が澄んでいることからくる。心に邪念があると世の中や対人関係でつまらぬ邪推をする。今日の新聞記者や国会議員はみなこ れに陥っているからその邪推にもとづく発言は低級である。新聞記事や国会での野党の質問は実にレベルが低い。ところが今日クリスチャンの中にもこれがい て、常に国家批判、体制批判をしていてそれを神のため「地の塩」「預言者」の働きと誤解している輩がいる。彼らに決まって共通なことは顔つきがよくないの である。目がとがっていて澄んでいないのである。鏡で自分の顔を見てみよ!。彼らの働きで世の中はよくならない。「この世の改善」の活動の熱心さからすれ ば共産党かヒューマニストのほうがまだよい。

仕事でも邪念がなければ「よい発想」が湧く。それには祈りの清い生活が必要である。すると物事の核心を端的に直裁に捉えることができる。その結果仕事や学問が真の意味で発展し、「成功」する。

建築設計の仕事でも本質が見えてきやすい。デザインも直裁で力強いものになる。

塚本虎二先生は若い女性の集まりで「美しくなりたければ古典を読みなさい」と言ったといわれます。

また稲の博士といわれた松島省三先生は「学問上のよい発想は清い生活から生まれる」と言われました。どちらも至言であると考えます。「贖罪」によらなければ人間の発想はいつまでも「地のこと」であり、その水準は低くすぐ古びてしまい役に立たないことを現実に見てきました。

 しかし美、聡明、成功、は結果であって目的ではない。これらを目的として神に近づこうとしても得られ ない。かえって美、聡明(学問・頭のよさ)、成功とは縁がない悲しみ(失われた悲しみ)の中で真の美、真の聡明さ(頭のよさ、学問、知恵)、真の成功が神 により与えられるのである。

 

マタイによる福音書 5:4

 悲しんでいる人たちは、さいわいである、彼らは慰められるであろう。 (JCV)

2001.2.17 高橋照男

 

表  題 ・ 要  約

 

キリストの死がこの希望の確かなことを証しする(5:5−11)・・・塚本訳

 

死の力からの自由(5:1−21)

   神との平和における逆説的立場(5:1−11)・・・ケーゼマン

 

キリストによる神との平和(5:1−11)・・・八木(講談社)

 

信仰によって義とされた者の歩み(5:1−11)・・・青野(岩波)

 

神の愛は救いの保証(5:1−11)・・・フランシスコ会訳

 

黎明(5章)

  新しい人間(5:1−11)・・・バルト

 

信仰によって義とされて・・・新共同訳

 

義とせられし事の効果(5:1−21)

  平安、歓喜、希望の生涯(5:1−5)

  かかる生涯はキリストの賜物なり(5:6−11)・・・黒崎幸吉

 

恩恵の勝利と支配(5:1−11)・・・高橋三郎

 

救いとしての信仰の義(5:1−21)

  義とされた者たちに宿る究極の救いの確信(5:1−11)・・・アルトハウスNTD

 

神の愛の実証(5:6−8)・・・塚本註解

神を誇る(5:9−11)・・・・塚本註解

 

恩恵の賜物(5:1−11)・・・白井きく

 

義とされた罪人の誇り(5:1−11)・・・ヴィルケンスEKK

 

義とせらるゝ事の結果(5:1−11)・・・内村鑑三

 

 

 

ローマ人への手紙5章5節

 

[口語訳] そして、希望は失望に終ることはない。なぜなら、わたしたちに賜わっている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである。

 

[新改訳] この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。

 

[新共同訳] 希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。

 

[文語訳]希望は恥を來らせず、我らに賜ひたる聖靈によりて神の愛われらの心に注げばなり。"

 

[塚本訳]そしてこの“希望は(必ず実現して、わたし達を)失望させることはない。”神はわたし達に聖霊を授け、それによって愛をわたし達の心の中に(いつも豊かに)注いでいてくださるからである。

 

 [前田訳]この希望は恥をかかせません、われらに与えられる聖霊によって神の愛がわれらの心に注がれるからです。"

 (NCV) And this hope will never disappoint us, because God has poured out his love to fill our hearts. He gave us his love through the Holy Spirit, whom God has given to us.

 

[解読の鍵]

詩篇 22:2-5 わが神よ、わたしが昼よばわっても、あなたは答えられず、夜よばわっても平安を得ません。

3 しかしイスラエルのさんびの上に座しておられるあなたは聖なるお方です。

4 われらの先祖たちはあなたに信頼しました。彼らが信頼したので、あなたは彼らを助けられました。

5 彼らはあなたに呼ばわって救われ、あなたに信頼して恥をうけなかったのです。 (JCV)

 

ピリピ人への手紙 1:20-21 そこで、わたしが切実な思いで待ち望むことは、わたしが、どんなことがあっても恥じることなく、かえって、いつものように今も、大胆に語ることによって、生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストがあがめられることである。

21 わたしにとっては、生きることはキリストであり、死ぬことは益である。 (JCV)

 

テサロニケ人への第二の手紙 2:16-17 どうか、わたしたちの主イエス・キリストご自身と、わたしたちを愛し、恵みをもって永遠の慰めと確かな望みとを賜わるわたしたちの父なる神とが、

17 あなたがたの心を励まし、あなたがたを強めて、すべての良いわざを行い、正しい言葉を語る者として下さるように。 (JCV)

 

テモテへの第二の手紙 1:11-12[塚本訳] (そして)私はこの(福音の)ために宣教者、使徒また教師に任ぜられたのである。12そのためまたこの(縄目の)苦しみをもしなければならないのである が、私は(決してこれを)恥としない、誰に信じているかを知り、またその御方は私が委ねられたものを(最後の)かの日まで守り得給うことを確信しているか らである。"

 

ローマ人への手紙 8:28 神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。 (JNICV)

 

コリント人への第一の手紙 8:3[塚本訳] しかしもしある人が(愛があって)神を愛するならば、その人は(神を知っているのである。いや、)神に知られ(、選ばれ)ているのである。(まことの知識は神を愛する者に神から与えられる。)"

 

ヨハネの第一の手紙 4:19 わたしたちが愛するのは、神がまずわたしたちを愛してくださったからです。 (JNICV)

 

エゼキエル書 36:25 わたしは清い水をあなたがたに注いで、すべての汚れから清め、またあなたがたを、すべての偶像から清める。 (JCV)

 

コリント人への第二の手紙 1:22 神はまた、わたしたちに証印をおし、その保証として、わたしたちの心に御霊を賜わったのである。 (JCV)

 

コリント人への第二の手紙 3:18 わたしたちは皆、顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます。これは主の霊の働きによることです。 (JNICV)

 

 

 

ローマ人への手紙5章6節

 

[口語訳] わたしたちがまだ弱かったころ、キリストは、時いたって、不信心な者たちのために死んで下さったのである。

 

[新改訳] 私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。

 

[新共同訳] 実にキリストは、わたしたちがまだ弱かったころ、定められた時に、不信心な者のために死んでくださった。

 

[文語訳]我等のなほ弱かりし時、キリスト定りたる日に及びて、敬虔ならぬ者のために死に給へり。

 

[塚本訳]なぜなら、わたし達がまだ弱くあったとき、当時まだ不信心者の(わたし達の)ために、キリストは死んでくださったからである。"

 

[前田訳]キリストは、われらがなお弱かったときに、時をたがえず、不信のものたちのために死んでくださいました。"

 

(NCV) When we were unable to help ourselves, at the moment of our need, Christ died for us, although we were living against God.

 

[解読の鍵]

エゼキエル書 16:4-8 あなたの生れについていえば、その生まれた日に、へその緒は切られず、水で洗い清められず、塩でこすられず、また布で包まれなかった。

5 ひとりもあなたをあわれみ見る者なく、情けもってこれらのことの一つをも、あなたにしてやる者もなく、あなたの生まれた日に、あなたはきらわれて、野原に捨てられた。

6 わたしはあなたのかたわらを通り、あなたが血の中にころがりまわっているのを見た時、わたしは血の中にいるあなたに言った、『生きよ、

7 野の木のように育て』と。すなわちあなたは成長して大きくなり、一人前の女になり、その乳房は形が整い、髪は長くなったが、着物がなく、裸であった。

8 わたしは再びあなたのかたわらをとおって、あなたを見たが、見よ、あなたは愛せられる年齢に達していたので、わたしは着物のすそであなたをおおい、あなた の裸をかくし、そしてあなたに誓い、あなたと契約を結んだ。そしてあなたはわたしのものとなったと、主なる神は言われる。 (JCV)

 

エペソ人への手紙 2:1-5 さてあなたがたは、先には自分の罪過と罪とによって死んでいた者であって、

2 かつてはそれらの中で、この世のならわしに従い、空中の権をもつ君、すなわち、不従順の子らの中に今も働いている霊に従って、歩いていたのである。

3 また、わたしたちもみな、かつては彼らの中にいて、肉の欲に従って日を過ごし、肉とその思いとの欲するままを行い、ほかの人々と同じく、生れながらの怒りの子であった。

4 しかるに、あわれみに富む神は、わたしたちを愛して下さったその大きな愛をもって、

5 罪過によって死んでいたわたしたちを、キリストと共に生かし・・あなたがたの救われたのは、恵みによるのである・・ (JCV)

 

テトスへの手紙 3:3-5 わたしたちも以前には、無分別で、不従順な、迷っていた者であって、さまざまの情欲と快楽との奴隷になり、悪意とねたみとで日を過ごし、人に憎まれ、互に憎み合っていた。 4 ところが、わたしたちの救主なる神の慈悲と博愛とが現れたとき、 5 わたしたちの行った義のわざによってではなく、ただ神のあわれみによって、再生の洗いを受け、 (JCV)

 

ガラテヤ人への手紙 4:4-6 しかし、時の満ちるに及んで、神は御子を女から生れさせ、律法の下に生れさせて、おつかわしになった。 5 それは、律法の下にある者をあがない出すため、わたしたちに子たる身分を授けるためであった。 6 このように、あなたがたは子であるのだから、神はわたしたちの心の中に、「アバ、父よ」と呼ぶ御子の霊を送って下さったのである。 (JCV)

 

ヘブル人への手紙 9:25-26 大祭司は、年ごとに、自分以外のものの血をたずさえて聖所にはいるが、キリストは、そのように、たびたびご自身をささげられるのではなかった。

26 もしそうだとすれば、世の初めから、たびたび苦難を受けねばならなかったであろう。しかし事実、ご自身をいけにえとしてささげて罪を取り除くために、世の終りに、一度だけ現れたのである。 (JCV)

 

ペテロの第一の手紙 1:18-23 あなたがたのよく知っているとおり、あなたがたが先祖伝来の空疎な生活からあがない出されたのは、銀や金のような朽ちる物にとったのではなく、

19 きずも、しみもない小羊のようなキリストの尊い血によったのである。

20 キリストは、天地が造られる前から、あらかじめ知られていたのであるが、この終りの時に至って、あなたがたのために現れたのである。

 

ローマ人への手紙 4:25[塚本訳] このイエスこそ、わたし達の過ちのために死に引き渡され、またわたし達を義とするために復活された方である。

 

 

 

ローマ人への手紙5章7節

 

[口語訳] 正しい人のために死ぬ者は、ほとんどいないであろう。善人のためには、進んで死ぬ者もあるいはいるであろう。

 

[新改訳] 正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。

 

[新共同訳] 正しい人のために死ぬ者はほとんどいません。善い人のために命を惜しまない者ならいるかもしれません。

 

 [文語訳]それ義人のために死ぬるもの殆どなし、仁者のためには死ぬることを(いと)はぬ者もやあらん。"

 

[塚本訳](驚くべき神の愛!人間の世界では、)義人のために命をすてる者はほとんどあるまい。善人のためならば、惜しげもなく命をすてる者が、あるいはあるかも知れない。"

 

[前田訳]義人のために死ぬものはほとんどありません。善人のためには、あるいはいのちを惜しまぬものがあるでしょう。

 

(NCV)Very few people will die to save the life of someone else. Although perhaps for a good person someone might possibly die.

 

[解読の鍵]

 

ヨハネによる福音書 15:11-13 わたしがこれらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにも宿るため、また、あなたがたの喜びが満ちあふれるためである。

12 わたしのいましめは、これである。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。

13 人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。 (JCV)

 

ヨハネの第一の手紙 3:14-16 わたしたちは、兄弟を愛しているので、死からいのちへ移ってきたことを、知っている。愛さない者は、死のうちにとどまっている。

15 あなたがたが知っているとおり、すべて兄弟を憎む者は人殺しであり、人殺しはすべて、そのうちに永遠のいのちをとどめてはいない。

16 主は、わたしたちのためにいのちを捨てて下さった。それによって、わたしたちは愛ということを知った。それゆえに、わたしたちもまた、兄弟のためにいのちを捨てるべきである。 (JCV)

 

サムエル記下 18:2-3 次いでダビデは兵士を三部隊に分け、三分の一をヨアブの指揮下に、三分の一をツェルヤの子、ヨアブの弟アビシャイの指揮下に、三分の一をガト人イタイの指揮下においた。ダビデ王は兵士に言った。「わたしもお前たちと共に出陣する。」

3 兵士は言った。「出陣なさてはいけません。我々が逃げ出したとしても彼らは気にも留めないでしょうし、我々の半数が戦死しても気にも留めないでしょう。しかしあなたは我々の一万人にも等しい方です。今は町にとどまり、町から我々を助けてくださる方がよいのです。」 (JNICV)

 

詩篇 112:5 憐れみ深く、貸し与える人は善い人。裁きのとき、彼の言葉は支えられる。 (JNICV)

 

使徒行伝 11:24 バルナバは立派な人物で、聖霊と信仰とに満ちていたからである。こうして、多くの人が主へと導かれた。 (JNICV)

 

ローマ人への手紙 16:3-4 キリスト・イエスにあるわたしの同労者プリスカとアクラとに、よろしく言ってほしい。

4 彼らは、わたしのいのちを救うために、自分の首をさえ差し出してくれたのである。彼らに対しては、わたしだけではなく、異邦人のすべての教会も、感謝している。 (JCV)

 

サムエル記下 23:14-17 その時ダビデは要害におり、ペリシテびとの先陣はベツレヘムにあったが、

15 ダビデは、せつに望んで、「だれかベツレヘムの門のかたわらにある井戸の水をわたしに飲ませてくれるとよいのだが」と言った。

16 そこでその三人の勇士たちはペリシテびとの陣を突き通って、ベツレヘムの門のかたわらにある井戸の水を汲み取って、ダビデのもとに携えてきた。しかしダビデはそれを飲もうとはせず、主の前にそれを注いで、

17 言った、「主よ、わたしは断じて飲むことをいたしません。いのちをかけて行った人々の血を、どうしてわたしは飲むことができましょう」。こうして彼はそれを飲もうとはしなかった。三勇士はこれらのことを行った。

(JCV)

 

 

 

ローマ人への手紙5章8節

 

[口語訳] しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである。

 

[新改訳] しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。

 

[新共同訳] しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。

 

 [文語訳]然れど我等がなほ罪人たりし時、キリスト我等のために死に給ひしに由りて、神は我らに對する愛をあらはし給へり。"

 

[塚本訳]しかしわたし達が(義人でも善人でもなく、)まだ罪人(神の敵)であったとき、キリストが私たちのために死んでくださった。このことによって、神はわたし達に対する愛をお示しになったのである。"

 

[前田訳]しかし、まだわれらが罪びとであったときに、キリストがわれらのために死なれたことによって、神はわれらに愛を示されました。"

 

(NCV) But God shows his great love for us in this way: Christ died for us while we were still sinners.

 

[解読の鍵]

ヨハネによる福音書 15:13 人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。 (JCV)

 

エペソ人への手紙 1:5-8 わたしたちに、イエス・キリストによって神の子たる身分を授けるようにと、御旨のよしとするところに従い、愛のうちにあらかじめ定めて下さったのである。

6 これは、その愛する御子によって賜わった栄光ある恵みを、わたしたちがほめたたえるためである。 7 わたしたちは、御子にあって、神の豊かな恵みのゆえに、その血によるあがない、すなわち、罪過のゆるしを受けたのである。

8 神はその恵みをさらに増し加えて、あらゆる知恵と悟りとをわたしたちに賜わり、 (JCV)

 

エペソ人への手紙 2:3-8 また、わたしたちもみな、かつては彼らの中にいて、肉の欲に従って日を過ごし、肉とその思いとの欲するままを行い、ほかの人々と同じく、生れながらの怒りの子であった。 4 しかるに、あわれみに富む神は、わたしたちを愛して下さったその大きな愛をもって、

5 罪過によって死んでいたわたしたちを、キリストと共に生かし・・あなたがたの救われたのは、恵みによるのである・・

6 キリスト・イエスにあって、共によみがえらせ、共に天上で座につかせて下さったのである。

7 それは、キリスト・イエスにあってわたしたちに賜わった慈愛による神の恵みの絶大な富を、きたるべき世々に示すためであった。 8 あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である。 (JCV)

 

テモテへの第一の手紙 1:15-16[塚本訳] まことに)「キリスト・イエスは罪人を救うために世に来給うた」という言は信ずべく、また無条件に承認さるべきである。そしてこの私がその罪人の第一人者 である。"16しかし(罪人の第一人者たる)この私が(特に)憐れみを蒙ったのは、イエス・キリストが(まず救いの)第一人者として私にあらん限りの寛容 を示し、(私をして今後)彼を信じて永遠の生命に入ろうとする者の典型たらしめんために外ならなかった。"

 

イザヤ書 53:5-6 しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲らしめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。 6 われわれはみな羊のように迷って、おのおの自分の道に向かって行った。主はわれわれすべての者の不義を、彼の上におかれた。 (JCV)

 

ペテロの第一の手紙 3:18 キリストも、罪のためにただ一度苦しまれました。正しい方が、正しくない者たちのために苦しまれたのです。あなたがたを神のもとへ導くためです。キリストは、肉では死に渡されましたが、霊では生きる者とされたのです。 (JNICV)

 

ヨハネの第一の手紙 4:9-10 神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。

10 わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。 (JNICV)

 

 

 

ローマ人への手紙5章9節

 

[口語訳] わたしたちは、キリストの血によって今は義とされているのだから、なおさら、彼によって神の怒りから救われるであろう。

 

[新改訳] ですから、今すでにキリストの血によって義と認められた私たちが、彼によって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。

 

[新共同訳] それで今や、わたしたちはキリストの血によって義とされたのですから、キリストによって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。

 

[文語訳]斯く今その血に頼りて我ら義とせられたらんには、まして彼によりて怒より救はれざらんや。

 

[塚本訳]それならばキリストの血で義とされている今、わたし達がキリストによって(最後の日の神の)怒りから救われるのは、もちろんである。

 

[前田訳]まして、彼の血で義とされた今、彼によって怒りから救われるはずです。 

 

(NCV) So through Christ we will surely be saved from God's anger, because we have been made right with God by the blood of Christ's death.

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙 5:1 このように、わたしたちは、信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストにより、神に対して平和を得ている。 (JCV)

 

ローマ人への手紙 3:24-26 彼らは、価なしに、神の恵みにより、キリスト・イエスによるあがないによって義とされるのである。

25 神はこのキリストを立てて、その血による、信仰をもって受くべきあがないの供え物とされた。それは神の義を示すためであった。すなわち、今までに犯された罪を、神は忍耐をもって見のがしておられたが、 26 それは、今の時に、神の義を示すためであった。こうして、神みずからが義となり、さらに、イエスを信じる者を義とされるのである。 (JCV)

 

エペソ人への手紙 2:13 ところが、あなたがたは、このように以前は遠く離れていたが、今ではキリスト・イエスにあって、キリストの血によって近いものとなったのである。 (JCV)

 

ヘブル人への手紙 9:14 まして、永遠の”霊”によって、御自身をきずのないものとして神に献げられたキリストの血は、わたしたちの良心を死んだ業から清めて、生ける神を礼拝するようにさせないでしょうか。 (JNICV)

 

ヘブル人への手紙 9:22 こうして、ほとんどすべての物が、律法に従い、血によってきよめられたのである。血を流すことなしには、罪のゆるしはあり得ない。 (JCV)

 

ヨハネの第一の手紙 1:7[塚本訳] しかしもし神が光の中にあるように、わたし達も光の中を歩いているならば、(神と交わりを持ち、従って)互に(まことの)交わりを持つ(ことができる)の である。そして(たとい罪を犯すことがあっても)、その子イエスの血があらゆる罪から清めてくださる。(かくてわたし達は光の子となるのである。)

 

ローマ人への手紙 1:18[新改訳] というのは、不義をもって真理をはばんでいる人々のあらゆる不敬虔と不正に対して、神の怒りが天から啓示されているからです。

 

ローマ人への手紙 5:10[新改訳]もし敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させられたのなら、和解させられた私たちが、彼のいのちによって救いにあずかるのは、なおさらのことです。

 

ローマ人への手紙 8:1[塚本訳] (こうしてわたし達はみな救われている。)だから今では、キリスト・イエスにある者は絶対に罪を罰されることはない。"

 

ヨハネによる福音書 5:24[塚本訳] アーメン、アーメン、わたしは言う、わたしの言葉を聞き、わたしを遣わされた方を信ずる者は、(今すでに)永遠の命を持っていて、(最後の日に)罰を受けない。その人はもはや死から命に移っているのである。

 

テサロニケ人への第一の手紙 1:6-9 そしてあなたがたは、多くの患難の中で、聖霊による喜びをもって御言を受けいれ、わたしたちと主とにならう者となり、

7 こうして、マケドニアとアカヤとにいる信者全体の模範になった。

8 すなわち、主の言葉はあなたがたから出て、ただマケドニアとアカヤとに響きわたっているばかりではなく、至るところで、神に対するあなたがたの信仰のことが言いひろめられたので、これについては何も述べる必要はないほどである。

9 わたしたちは、どんなにしてあなたがたの所にはいって行ったか、また、あなたがたが、どんなにして偶像を捨てて神に立ち帰り、生けるまことの神に仕えるようになり、 (JCV)

 

 

 

ローマ人への手紙5章10節

 

[口語訳] もし、わたしたちが敵であった時でさえ、御子の死によって神との和解を受けたとすれば、和解を受けている今は、なおさら、彼のいのちによって救われるであろう。

 

[新改訳] もし敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させられたのなら、和解させられた私たちが、彼のいのちによって救いにあずかるのは、なおさらのことです。

 

[新共同訳] 敵であったときでさえ、御子の死によって神と和解させていただいたのであれば、和解させていただいた今は、御子の命によって救われるのはなおさらです。

 

 [文語訳]我等もし敵たりしとき御子の死に頼りて神と和ぐことを得たらんには、まして和ぎて後その生命によりて救はれざらんや。

 

[塚本訳]なぜなら、(神の)敵であったのに、その御子の死によって神と和睦ができたくらいならば、すでに和睦をしたわたし達が、御子の(復活の)命によって救われるのは、もちろんである。

 

[前田訳]敵でありながらみ子の死によって神と和解したのならば、まして和解したわれらはみ子のいのちによって救われるはずです。

 

(NCV) While we were God's enemies, he made friends with us through the death of his Son. Surely, now that we are his friends, he will save us through his Son's life.

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙 8:7 なぜなら、肉の思いに従う者は、神に敵対しており、神の律法に従っていないからです。従いえないのです。 (JNICV)

 

コリント人への第二の手紙 5:18-19[塚本訳] しかしこれらすべてのことは神から(の恩恵)である。神はキリストによってわたし達(人類)を御自分と和睦させ、わたし達(使徒)にこの和睦の(福音を伝 える)役目をお与えになった。"19すなわち神はキリスト(の死)において、この世を御自分と和睦させて、(世の)人々の過ちを彼らの勘定につけず、わた し達に和睦を告げる御言葉を賜わったのである。"

 

コリント人への第二の手紙 5:21[塚本訳] 神は罪を知らなかった方をわたし達の身代りに(十字架につけて)罪に定められた。わたし達がこの方において神の義(をいただく者)となるためである。

 

コロサイ人への手紙 1:20-21 そして、その十字架の血によって平和をつくり、万物、すなわち、地にあるもの、天にあるものを、ことごとく、彼によってご自分と和解させて下さったのである。

21 あなたがたも、かつては悪い行いをして神から離れ、心の中で神に敵対していた。 (JCV)

 

ヨハネによる福音書 6:40[塚本訳] 子(なるわたし)を見て信ずる者が皆永遠の命を持ち、わたしがその人を最後の日に復活させること、これがわたしの父上の御心であるから。(だから信じない者は、父上がわたしに下さらない人たちである。)」"

 

ヨハネによる福音書 6:57 生ける父がわたしをつかわされ、また、わたしが父によって生きているように、わたしを食べる者もわたしによって生きるであろう。 (JCV)

 

ヨハネによる福音書 11:25-26[塚本訳] イエスがマルタに言われた、「わたしが復活だ、命だ。(だから)私を信じている者は、死んでも生きている。"26また、だれでも生きている私を信じている者は、永遠に死なない。このことが信じられるか。」

 

ヨハネによる福音書 14:19[塚本訳] もう少しするとこの世(の人)はもはやわたしを見ることができなくなるが、あなた達は(間もなく)わたしを見ることができる。わたしは(死んでまた)生き、(それによって)あなた達も生きるからである。"

 

コロサイ人への手紙 3:3-4 あなたがたは死んだのであって、あなたがたの命は、キリストと共に神の内に隠されているのです。 4 あなたがたの命であるキリストが現れるとき、あなたがたも、キリストと共に栄光に包まれて現れるでしょう。 (JNICV)

 

 

 

ローマ人への手紙5章11節

 

[口語訳] そればかりではなく、わたしたちは、今や和解を得させて下さったわたしたちの主イエス・キリストによって、神を喜ぶのである。

 

[新改訳] そればかりでなく、私たちのために今や和解を成り立たせてくださった私たちの主イエス・キリストによって、私たちは神を大いに喜んでいるのです。

 

[新共同訳] それだけでなく、わたしたちの主イエス・キリストによって、わたしたちは神を誇りとしています。今やこのキリストを通して和解させていただいたからです。

 

[文語訳]然のみならず今われらに和睦を得させ給へる我らの主イエス・キリストに頼りて神を喜ぶなり。"

 

[塚本訳]そのことばかりではない。主イエス・キリストによって今すでにこの和睦を得たわたし達は、彼によって神を誇るのである。(自分を誇らない。キリストを誇り、神を誇る。)"

 

[前田訳]そのうえ、主イエス・キリストによって今和解を受けたわれらは、彼によって神を誇るのです。

 

(NCV) And not only that, but now we are also very happy in God through our Lord Jesus Christ. Through him we are now God's friends again.

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙 2:17-18 ところで、あなたはユダヤ人と名乗り、律法に頼り、神を誇りとし、

18 その御心を知り、律法によって教えられて何をなすべきかをわきまえています。 (JNICV)

 

ローマ人への手紙 3:29-30[新改訳] それとも、神はユダヤ人だけの神でしょうか。異邦人にとっても神ではないのでしょうか。確かに神は、異邦人にとっても、神です。30神が唯一ならばそうで す。この神は、割礼のある者を信仰によって義と認めてくださるとともに、割礼のない者をも、信仰によって義と認めてくださるのです。

 

詩篇 33:1詩篇 33:1 正しき者よ、主によって喜べ、さんびは直き者にふさわしい。 (JCV)

 

詩篇 43:4 その時わたしは神の祭壇へ行き、わたしの大きな喜びである神へ行きます。神よ、わが神よ、わたしは事をもってあなたをほめたたえます。 (JCV)

 

詩篇 104:34 どうか、わたしの思いが主に喜ばれるように。わたしは主によって喜ぶ。 (JCV)

 

ルカによる福音書 1:46-47 するとマリヤは言った、「わたしの魂は主をあがめ、

47 わたしの霊は救主なる神をたたえます。 (JCV)

 

ガラテヤ人への手紙 5:22[塚本訳] しかし霊の実は愛、喜び、平和、寛容、親切、善良、忠実、

 

ピリピ人への手紙 3:1[塚本訳] 最後に、(愛する)わが兄弟達よ、主に在って喜べ・・(こう喜べ喜べと言ってはうるさいかも知れないが、)このことを書くのは私には(少しも)うるさいことではなく、また君達には(苦難を喜ぶことが信仰を保つに最も)安全(な道)である(と思う。)

 

ピリピ人への手紙 3:3[塚本訳] (割礼は無いが、)私達こそ本当の割礼者である。(その証拠には、)私達は神の霊によって神に仕え、(ただ)キリスト・イエスを誇りとし、(決して)肉に、(人間の特権に)頼らないからだ・・"

 

ピリピ人への手紙 4:4[塚本訳] いつも主に在って喜べ!もう一度(繰り返して)言う、喜べ!"

 

ペテロの第一の手紙 1:8[塚本訳] 君達は彼を(目のあたり)見たことはないが、(これを)愛し、今も見ることは出来ないが、(これを)信じて、(既にかの日の)輝きに満ちた、言語に絶する喜悦を喜んでいる。"

 

コリント人への第二の手紙 5:17-19 だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。

18 しかし、すべてこれらの事は、神から出ている。神はキリストによって、わたしたちをご自分に和解させ、かつ和解の務をわたしたちに授けて下さった。

19 すなわち、神はキリストにおいて世をご自分に和解させ、その罪過の責任をこれに負わせることをしないで、わたしたちに和解の福音をゆだねられたのである。 (JCV)

 

 

 

負いきれぬ悩みを救う「贖罪」

 

人生において負 いきれぬ悩みに遭遇するときがある。負いきれぬ悩み。それは病気ではない。病気はいつのまにか直ってしまう。人間には自然治癒の内在的力が備わっているよ うだ。それは貧困ではない。貧困もまじめに働いていればいつのまにか解消されて行く。だから日本においては共産主義革命は起こらない。昨日貧乏な「小作 人」であっても今日は「地主」にもなりうる。またそれは学歴の低さではない。学歴で人を見たり判断する風潮は次第になくなりつつある。学歴があっても実際 の仕事に有能でない人がたくさん出現し始めたからである。ことに技術の世界では学歴は通用しない。実際やらせてみてもできないのだ。特に大学院を出た人は 人に接することがうまくできない例が多い。その原因はなるべく社会に出たくないのでずるずると大学に残っていたのだという動機で大学院へ行ったという人が 多いということを聞く。「労働は血の薬である」とはヒルティの言葉であるが至言である。肉体労働で汗をかくことが思想を清めるのだ。いまは欧米のように社 会人になってからも自由に学べて真の実力をつけることができるスクールが多く出始めてきた。

負 いきれぬ悩み、それは思いもかけず魔がさして「犯してしまった罪」である。それはこの自分のことでもあり、身内、親類縁者のことでもある。これはどうしよ うにもない暗い重い悩みである。これは医者でも、社会改革でも、教育改革でも癒しがたい悩みである。この悩みが少しでも軽くなるのは私の経験では「伴侶の 助け」であった。神はアダムに「助け手」としてのエバを与えたが、「助け手」の真の意味はここにあることを知った。

 

創世記 2:18 また主なる神は言われた、「人がひとりでいるのは良くない。彼のために、ふさわしい助け手を造ろう」。 (JCV)

 

妻の真の役目は 夫の精神的な苦悩を助けることにある。これは結婚制度の最大の目的ではないであろうか。しかしながらこれで悩みを打ちあけられる相手が得られて少しは気が 楽になっても真の解決にはならない。究極の救いは天地(あめつち)の造り主なる神の子の次の言葉を信じて受け入れることである。

 

マタイによる福音書 11:28[塚本訳] さあ、疲れている者、重荷を負っている者はだれでも、わたしの所に来なさい、休ませてあげよう。"

 

このように語ったイエスは、自ら十字架を負って、我々の重荷を軽くして、否、重荷を全く取り去ってくれたのだ。この贖罪の事実があって人生には希望がある。子供を生んで子孫を残す希望がある。そうでなければこの人生は暗く淋しくつまらないものだ。

 

2001.2.20 高橋照男

 

 

 

表  題 ・ 要  約

 

 

この希望はアダムによって罪が来たほど確実(5:12−14)・・・塚本訳

 

最後のアダムの支配(5:12−21)・・・ケーゼマン

 

新しい世界(5:12−21)・・・バルト

 

アダムとキリスト(5:12−21)・・・フランシスコ会訳

 

アダムとキリスト(5:12−21)・・・高橋三郎

 

アダムとキリスト(5:12−21)・・・黒崎幸吉

 

アダムとキリスト(5:12−21)・・・青野(岩波)

 

アダムとキリスト(5:12−21)・・・八木(講談社)

 

全人類を包括するキリストの救いの普遍性―――アダムとキリスト(5:12−21)

  ・・アルトハウスNTD

 

アダムとキリスト(5:12−21)・・・新共同訳

 

アダム・罪・死(5:12)・・・塚本註解

アダムからモーセまで(5:13−14)・・・塚本註解

 

新しい人と新しい人類(5:12−21)・・・白井きく

 

罪の支配を超える恵みの支配(5:12−21)・・・ヴィルケンスEKK

 

アダムとキリスト(5:12−21)・・・内村鑑三

 

 

 

 

ローマ人への手紙5章12節

 [口語訳] このようなわけで、ひとりの人によって、罪がこの世にはいり、また罪によって死がはいってきたように、こうして、すべての人が罪を犯したので、死が全人類にはいり込んだのである。

 

[新改訳] そういうわけで、ちょうどひとりの人によって罪が世界にはいり、罪によって死がはいり、こうして死が全人類に広がったのと同様に、――それというのも全人類が罪を犯したからです。

 

[新共同訳] このようなわけで、一人の人によって罪が世に入り、罪によって死が入り込んだように、死はすべての人に及んだのです。すべての人が罪を犯したからです。

 

[文語訳]それ一人の人によりて罪は世に入り、また罪によりて死は世に入り、凡ての人罪を犯しし故に、死は凡ての人に及べり。

 

[塚 本訳](この救いはキリストとアダムとを比較する時に、はっきりする。)すなわち、一人の人(アダム)によってこの世に罪が入ってき、罪によって死が入っ てき、こうして、(この人において)人は一人のこらず罪を犯したので、全人類に死が行き渡ったように──([一八節ニツヅク]一人の人キリストの正しい行 いによって、全人類に命を与える義が臨んだのである。)

 

[前田訳]それで、こういえます。ひとりの人によってこの世に罪が入り、罪によって死が入りました。こうして、すべての人が罪を犯したので、すべての人に死が行きわたりました。

 

(NCV)Sin came into the world because of what one man did, and with sin came death. This is why everyone must die -- because everyone sinned.

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙 5:19[塚本訳]すなわち、一人の人の不従順によって多くの人が罪人になったように、一人の人の従順によっても多くの人が義人になるのである。"

 

ローマ人への手紙 6:23[塚本訳]なぜなら、罪が(奴隷に)払ってくれる給料は死であり、(従う者に与えられる)神の賜物は、わたし達の主イエス・キリストにおいての永遠の命だからである。"

 

創世記 3:6 女がその木を見ると、それは食べるに良く、目には美しく、賢くなるには好ましいと思われたから、その実を取って食べ、また共にいた夫にも与えたので、彼も食べた。 (JCV)

 

創世記 3:22-24 主なる神は言われた、「見よ、人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るものとなった。彼は手を伸べ、命の木からも取って食べ、永久に生きるかも知れない」。

23 そこで主なる神は彼をエデンの園から追い出して、人が造られたその土を耕させられた。

 

コリント人への第一の手紙 15:20-22 しかし事実、キリストは眠っている者の初穂として、死人の中からよみがえったのである。 21 それは、死がひとりの人によってきたのだから、死人の復活もまた、ひとりの人によってこなければならない。 22 アダムにあってすべての人が死んでいるのと同じように、キリストにあってすべての人が生かされるのである。 (JCV)

 

 

 

ローマ人への手紙5章13節

 

[口語訳] というのは、律法以前にも罪は世にあったが、律法がなければ、罪は罪として認められないのである。

 

[新改訳] というのは、律法が与えられるまでの時期にも罪は世にあったからです。しかし罪は、何かの律法がなければ、認められないものです。

 

[新共同訳] 律法が与えられる前にも罪は世にあったが、律法がなければ、罪は罪と認められないわけです。

 

 [文語訳]律法のきたる前にも罪は世にありき、されど律法なくば罪は認めらるること無し。"

 

[塚本訳]なぜか。(律法のない時代、つまりアダム以後モーセ)律法(のできる)までの間にも、罪はこの世にあったが、律法がないので、(たとえ罪に当たることをしても、)罪はその人の責任に帰せられ(ず、死の罰は受け)ないはずである。"

 

 [前田訳]律法以前にも罪はこの世にありましたが、律法がなければ罪は教えられません。"

 

(NCV) Sin was in the world before the law of Moses, but sin is not counted against us as breaking a command when there is no law.

 

[解読の鍵]

 

創世記 4:7-11 正しい事をしているのでしたら、顔を上げたらよいでしょう。もし正しい事をしていないのでしたら、罪が門口に待ち伏せています。それはあなたを慕い求めますが、あなたはそれを治めなければなりません」。

8 カインは弟アベルに言った、「さあ、野原へ行こう」。彼らが野にいたとき、カインは弟アベルに立ちかかって、これを殺した。

9 主はカインに言われた、「弟アベルは、どこにいますか」。カインは答えた、「知りません。わたしが弟の番人でしょうか」。

10 主は言われた、「あなたは何をしたのです。あなたの弟の血の声が土の中からわたしに叫んでいます。

11 今あなたはのろわれてこの土地を離れなければなりません。この土地が口をあけて、あなたの手から弟の血を受けたからです。 (JCV)

 

創世記 6:5-6 主は人の悪が地にはびこり、すべてその心に思いはかることが、いつも悪い事ばかりであるのを見られた。

6 主は地の上に人を造ったのを悔いて、心を痛め、 (JCV)

 

創世記 6:11-13 この地は神の前に堕落し、不法に満ちていた。

12 神は地を御覧になった。見よ、それは堕落し、すべて肉なる者はこの地で堕落の道を歩んでいた。

13 神はノアに言われた。「すべて肉なるものを終わらせる時がわたしの前に来ている。彼らのゆえに不法が地に満ちている。見よ。わたしは地もろとも彼らを滅ぼす。 (JNICV)

 

創世記 8:20-21 ノアは主に祭壇を築いて、すべての清い獣と、すべての清い鳥とのうちから取って、燔祭を祭壇の上にささげた。

21 主はその香ばしいかおりをかいで、心に言われた、「わたしはもはや二度と人のゆえに地をのろわない。人が心に思い図ることは、幼い時から悪いからである。わたしは、このたびしたように、

 

創世記 13:13 ソドムの人々はわるく、主に対して、はなはだしい罪びとであった。 (JCV)

 

創世記 18:20-23 主はまた言われた、「ソドムとゴモラの叫びは大きく、またその罪は非常に重いので、21 わたしはいま下って、わたしに届いた叫びのとおりに、すべて彼らがおこなっているかどうかを見て、それを知ろう」。 22 その人々はそこから身を巡らしてソドムの方に行ったが、アブラハムはなお、主の前に立っていた。23 アブラハムは近寄って言った、「まことにあなたは正しい者を、悪い者と一緒に滅ぼされるのですか。 (JCV)

 

創世記 38:10 彼のした事は主の前に悪かったので、主は彼をも殺された。 (JCV)

 

ローマ人への手紙 4:15[塚本訳]律法(の目的)は、(人に罪を犯させ、神の)怒りをもたらす(ことにある)からである。律法のない所には、その違反もあり得ない。"

 

コリント人への第一の手紙 15:56-57 死のとげは罪であり、罪の力は律法です。

57 わたしたちの主イエス・キリストによってわたしたちに勝利を賜る神に、感謝しよう。 (JNICV)

 

ヨハネの第一の手紙 3:4 罪を犯す者は皆、法にも背くのです。罪とは、法に背くことです。 (JNICV)

 

 

 

ローマ人への手紙5章14節

 

[口語訳] しかし、アダムからモーセまでの間においても、アダムの違反と同じような罪を犯さなかった者も、死の支配を免れなかった。このアダムは、きたるべき者の型である。

 

[新改訳] ところが死は、アダムからモーセまでの間も、アダムの違反と同じようには罪を犯さなかった人々をさえ支配しました。アダムはきたるべき方のひな型です。

 

[新共同訳] しかし、アダムからモーセまでの間にも、アダムの違犯と同じような罪を犯さなかった人の上にさえ、死は支配しました。実にアダムは、来るべき方を前もって表す者だったのです。

 

","[文語訳]然るにアダムよりモーセに至るまで、アダムの咎と等しき罪を犯さぬ者の上にも死は王たりき。アダムは來らんとする者の型なり。

 

[塚 本訳]それにもかかわらず、アダムからモーセまでの間に、アダムと同じ(律法)違反の罪を犯さなかった(その時代の)人たちの上にも、死が王として支配し たからである。(従ってこの罪と死とがアダムによるものでなくてなんであろう。そして一人の人の行いが全人類に影響を及ぼす点において、)アダムは来るべ き者(である新約のアダム、すなわちキリスト)の型である。"

 

 [前田訳]しかし、アダムからモーセまで、アダムの背きと同じ罪を犯さなかった人々の上にも、死は王でした。アダムは来たるべきものの型なのです。"

 

(NCV)But from the time of Adam to the time of Moses, everyone had to die, even those who had not sinned by breaking a command, as Adam had. Adam was like the One who was coming in the future.

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙 5:17[塚本訳]一人の人によって、すなわち一人の人(アダム)の過ちによってすら死が支配するようになったくらいであるから、ましてあふれるばかりの 恩恵と義とされる賜物とを戴いた者が、一人の人イエス・キリストにより(永遠の)命をもって支配するのは、もちろんであるからである。・・"

 

ローマ人への手紙 5:21[塚本訳]これは罪が死を持って支配したように、恩恵も義をもって支配し、わたし達の主イエス・キリストによって、(わたし達を)永遠の命に入れるためである。"

 

創世記 4:8 カインは弟アベルに言った、「さあ、野原へ行こう」。彼らが野にいたとき、カインは弟アベルに立ちかかって、これを殺した。 (JCV)

 

創世記 7:22 すなわち鼻に命の息のあるすべてのもの、陸にいたすべてのものは死んだ。 (JCV)

 

創世記 19:24-26 主は硫黄と火とを主の所すなわち天からソドムとゴモラの上に降らせて、

25 これらの町と、すべての低地と、その町々のすべての住民と、その地にはえている物を、ことごとく滅ぼされた。26 しかしロトの妻はうしろを顧みたので塩の柱になった。 (JCV)

 

出エジプト記 1:6-7 そして、ヨセフは死に、兄弟たちも、その時代の人々もみな死んだ。

7 けれどもイスラエルの子孫は多くの子を生み、ますますふえ、はなはだ強くなって、国に満ちるようになった。 (JCV)

 

出エジプト記 12:29-30 夜中になって主はエジプトの国の、すべてのういご、すなわち位に座するパロのういごから、地下のひとやにおる捕虜のういごにいたるまで、また、すべての家畜のういごを撃たれた。 30 それでパロとその家来およびエジプトびとはみな夜のうちに起きあがり、エジプトに大いなる叫びがあった。死人のない家がなかったからである。 (JCV)

 

ローマ人への手紙 8:20-22 なぜなら、被造物が虚無に服したのは、自分の意志によるのではなく、服従させたかたによるのであり、21 かつ、被造物自身にも、滅びのなわめから解放されて、神の子たちの栄光の自由に入る望みが残されているからである。 22 実に、被造物全体が、今に至るまで、共にうめき共に産みの苦しみを続けていることを、わたしたちは知っている。 (JCV)

 

 

 

ローマ人への手紙5章15節

 

[口語訳] しかし、恵みの賜物は罪過の場合とは異なっている。すなわち、もしひとりの罪過のために多くの人が死んだとすれば、まして、神の恵みと、ひとりの人イエス・キリストの恵みによる賜物とは、さらに豊かに多くの人々に満ちあふれたはずではないか。

 

[新改訳] ただし、恵みには違反のばあいとは違う点があります。もしひとりの違反によって多くの人が死んだとすれば、それにもまして、神の恵みとひとりの人イエス・キリストの恵みによる賜物とは、多くの人々に満ちあふれるのです。

 

[新共同訳] しかし、恵みの賜物は罪とは比較になりません。一人の罪によって多くの人が死ぬことになったとすれば、なおさら、神の恵みと一人の人イエス・キリストの恵みの賜物とは、多くの人に豊かに注がれるのです。

 

 [文語訳]されど恩惠の賜物は、かの咎の如きにあらず、一人の咎によりて多くの人の死にたらんには、まして神の恩惠と一人の人イエス・キリストによる恩惠の賜物とは、多くの人に溢れざらんや。"

[塚本訳]しかし(神の)賜物は(アダムの)過ちと同じではない。なぜなら、一人の人(アダム)の過ちによってすら多くの人が死んだくらいであるから、まして神の恩恵と一人の人イエス・キリストによる恩恵の賜物とが、多くの人に満ちあふれるのはもちろんである。"

[前田訳]しかし(神の)賜物は過ちのごとくではありません。ひとりの人の過ちによってさえ多くの人が死んだのなら、まして神の恩恵とひとりの人イエス・キリストによる恩恵の賜物とが多くの人々に満ちあふれるわけです。

 

(NCV) But God's free gift is not like Adam's sin. Many people died because of the sin of that one man. But the grace from God was much greater; many people received God's gift of life by the grace of the one man, Jesus Christ.

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙 5:16-17[塚本訳] なお、(キリストの)賜物と一人の罪を犯した人の場合とは、同じではない。なぜなら、一人の人(の罪)に対する(神の)裁きは、(多くの人に)死の宣告を 下したのであるが、(神の)賜物は、多くの(人をその)過ちから(救い出して)義とするからである。"17一人の人によって、すなわち一人の人(アダム) の過ちによってすら死が支配するようになったくらいであるから、ましてあふれるばかりの恩恵と義とされる賜物とを戴いた者が、一人の人イエス・キリストに より(永遠の)命をもって支配するのは、もちろんであるからである。・・"

 

ローマ人への手紙 5:20[塚本訳](それなら律法は人を義として永遠の命を与えるためには役立たないのか。その通り。)律法は、過ちを増し強めるために第二義的に来たのである。しかし(神に感謝する、人の犯す)罪が増し強まれば、恩恵は豊かにあふれる。"

 

イザヤ書 55:8-9 わが思いは、あなたがたの思いとは異なり、わが道は、あなたがたの道とは異なっていると主は言われる。

9 天が地よりも高いように、わが道は、あなたがたの道よりも高く、わが思いは、あなたがたの思いよりも高い。 (JCV)

 

ヨハネによる福音書 3:16-17 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。

17 神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。

(JNICV)

 

ローマ人への手紙 5:12[塚本訳]","(この救いはキリストとアダムとを比較する時に、はっきりする。)すなわち、一人の人(アダム)によってこの世に罪が入ってき、罪によって死が入

ってき、こうして、(この人において)人は一人のこらず罪を犯したので、全人類に死が行き渡ったように──([一八節ニツヅク]一人の人キリストの正しい行いによって、全人類に命を与える義が臨んだのである。)"

 

ローマ人への手紙 5:18[塚本訳]従って、一人の人の過ちによって全人類に死の宣告が下されたと同じに、一人の人の正しい行いによって、全人類に命を与える義が臨んだのである。

 

マタイによる福音書 20:27-28 いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい。

28 人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのと同じように。」 (JNICV)

 

マタイによる福音書 26:28 これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。 (JNICV)

 

エペソ人への手紙 2:8 事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。 (JNICV)

 

ローマ人への手紙 6:23[塚本訳]なぜなら、罪が(奴隷に)払ってくれる給料は死であり、(従う者に与えられる)神の賜物は、わたし達の主イエス・キリストにおいての永遠の命だからである。"

 

ヨハネの第一の手紙 4:9-10 神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。

10 わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。 (JNICV)

 

 

 

ローマ人への手紙5章16節

 

[口語訳] かつ、この賜物は、ひとりの犯した罪の結果とは異なっている。なぜなら、さばきの場合は、ひとりの罪過から、罪に定めることになったが、恵みの場合には、多くの人の罪過から、義とする結果になるからである。

 

[新改訳] また、賜物には、罪を犯したひとりによるばあいと違った点があります。さばきのばあいは、一つの違反のために罪に定められたのですが、恵みのばあいは、多くの違反が義と認められるからです。

 

[新共同訳] この賜物は、罪を犯した一人によってもたらされたようなものではありません。裁きの場合は、一つの罪でも有罪の判決が下されますが、恵みが働くときには、いかに多くの罪があっても、無罪の判決が下されるからです。

 

 [文語訳]又この賜物は罪を犯しし一人より來れるものの如きにあらず、審判は一人よりして罪を定むるに至りしが、恩惠の賜物は多くの咎よりして義とするに至るなり。

 

[塚本訳]なお、(キリストの)賜物と一人の罪を犯した人の場合とは、同じではない。なぜなら、一人の人(の罪)に対する(神の)裁きは、(多くの人に)死の宣告を下したのであるが、(神の)賜物は、多くの(人をその)過ちから(救い出して)義とするからである。"

 

[前田訳]賜物はひとりの人が罪を犯した場合のごとくではありません。ひとりの人への裁きは処刑になりましたが、賜物は多くの過ちを義(無罪)にしました。

 

(NCV) After Adam sinned once, he was judged guilty. But the gift of God is different. God's free gift came after many sins, and it makes people right with God.

 

[解読の鍵]

創世記 3:16-19 神は女に向かって言われた。「お前のはらみの苦しみを大きなものにする。お前は、苦しんで子を産む。お前は男を求め彼はお前を支配する。」

17 神はアダムに向かって言われた。「お前は女の声に従い取って食べるなと命じた木から食べた。お前のゆえに、土は呪われるものとなった。お前は、生涯食べ物を得ようと苦しむ。

18 お前に対して土は茨とあざみを生えいでさせる野の草を食べようとするお前に。

19 お前は顔に汗を流してパンを得る土に返るときまで。お前がそこから取られた土に。塵にすぎないお前は塵に返る。」 (JNICV)

 

ガラテヤ人への手紙 3:10[塚本訳] なぜか。律法の行いによる人は、呪の下にある。(聖書に)こう書いてあるからである、“律法の書に書いてある一切のことを行なうため、これを守らない者はみな呪われている”と。

 

ルカによる福音書 7:47-50 だから、言っておく。この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない。」

48 そして、イエスは女に、「あなたの罪は赦された」と言われた。

49 同席の人たちは、「罪まで赦すこの人は、いったい何者だろう」と考え始めた。

50 イエスは女に、「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」と言われた。 (JNICV)

 

使徒行伝 13:38-39 だから、兄弟たち、知っていただきたい。この方による罪の赦しが告げ知らされ、また、あなたがたがモーセの律法では義とされえなかったのに、

39 信じる者は皆、この方によって義とされるのです。 (JNICV)

 

コリント人への第一の手紙 6:9-11 正しくない者が神の国を受け継げないことを、知らないのですか。思い違いをしてはいけない。みだらな者、偶像を礼拝する者、姦通する者、男娼、男色をする者、

10 泥棒、強欲な者、酒におぼれる者、人を悪く言う者、人の物を奪う者は、決して神の国を受け継ぐことができません。

11 あなたがたの中にはそのような者もいました。しかし、主イエス・キリストの名とわたしたちの神の霊によって洗われ、聖なる者とされ、義とされています。 (JNICV)

 

 

 

ローマ人への手紙5章17節

 

[口語訳] もし、ひとりの罪過によって、そのひとりをとおして死が支配するに至ったとすれば、まして、あふれるばかりの恵みと義の賜物とを受けている者たちは、ひとりのイエス・キリストをとおし、いのちにあって、さらに力強く支配するはずではないか。

 

[新改訳] もしひとりの人の違反により、ひとりによって死が支配するようになったとすれば、なおさらのこと、恵みと義の賜物とを豊かに受けている人々は、ひとりの人イエス・キリストにより、いのちにあって支配するのです。

 

[新共同訳] 一人の罪によって、その一人を通して死が支配するようになったとすれば、なおさら、神の恵みと義の賜物とを豊かに受けている人は、一人のイエス・キリストを通して生き、支配するようになるのです。

 

 [文語訳]もし一人の咎のために一人によりて死は王となりたらんには、まして恩惠と義の賜物とを豐かに受くる者は、一人のイエス・キリストにより生命に在りて王たらざらんや。"

 

[塚 本訳]一人の人によって、すなわち一人の人(アダム)の過ちによってすら死が支配するようになったくらいであるから、ましてあふれるばかりの恩恵と義とさ れる賜物とを戴いた者が、一人の人イエス・キリストにより(永遠の)命をもって支配するのは、もちろんであるからである。──"

 

[前田訳]ひとりの人によって、すなわちひとりの人の過ちによってさえ死が王となったのなら、ましてあふれる恩恵と義の賜物とを受けるものは、ひとりのイエス・キリストによっていのちのうちに王となるわけです。

 

(NCV) One man sinned, and so death ruled all people because of that one man. But now those people who accept God's full grace and the great gift of being made right with him will surely have true life and rule through the one man, Jesus Christ.

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙 5:12[塚本訳]この救いはキリストとアダムとを比較する時に、はっきりす

る。)すなわち、一人の人(アダム)によってこの世に罪が入ってき、罪によって死が入

ってき、こうして、(この人において)人は一人のこらず罪を犯したので、全人類に死が

行き渡ったように──([一八節ニツヅク]一人の人キリストの正しい行いによって、全

人類に命を与える義が臨んだのである。)

 

創世記 3:6 女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように(そそのか)していた。女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。 (JNICV)

創世記 3:19 お前は顔に汗を流してパンを得る土に返るときまで。お前がそこから取られた土に。塵にすぎないお前は塵に返る。」 (JNICV)

 

コリント人への第一の手紙 15:21-22 死が一人の人によって来たのだから、死者の復活も一人の人によって来るのです。 22 つまり、アダムによってすべての人が死ぬことになったように、キリストによってすべての人が生かされることになるのです。 (JNICV)

 

コリント人への第一の手紙 15:49[塚本訳] こうしてわたし達は土の人の姿を帯びたように、(復活の時は)天の人の姿を帯びるであろう。

 

ローマ人への手紙 5:20 律法が入り込んで来たのは、罪が増し加わるためでありました。しかし、罪が増したところには、恵みはなおいっそう満ちあふれました。 (JNICV)

 

ヨハネ福音書 10:10[塚本訳] 泥棒が来るのは、ただ(羊を)盗み、殺し、滅ぼすだけのためである。わたしは(羊に)命を持たせるため、あり余るほど(の命を)持たせるために来たのである。"

 

テモテへの第一の手紙 1:14-15[塚本訳] われらの主の恩恵が、信仰とキリスト・イエスにある愛と共に(私に)溢れ漲ったのである。"15(まことに)「キリスト・イエスは罪人を救うために世に来 給うた」という言は信ずべく、また無条件に承認さるべきである。そしてこの私がその罪人の第一人者である。"

 

ローマ人への手紙 6:23[塚本訳]なぜなら、罪が(奴隷に)払ってくれる給料は死であり、(従う者に与えられる)神の賜物は、わたし達の主イエス・キリストにおいての永遠の命だからである。"

 

イザヤ書 61:10 わたしは主によって喜び楽しみ、わたしの魂はわたしの神にあって喜び躍る。主は救いの衣をわたしに着せ、恵みの晴れ着をまとわせてくださる。花婿のように輝きの冠をかぶらせ、花嫁のように宝石で飾ってくださる。 (JNICV)

 

ピリピ人への手紙 3:9 キリストの内にいる者と認められるためです。わたしには、律法から生じる自分の義ではなく、キリストへの信仰による義、信仰に基づいて神から与えられる義があります。 (JNICV)

 

ローマ人への手紙 8:39 高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。 (JNICV)

 

マタイによる福音書 25:34 そのとき、王は右にいる人々に言うであろう、『わたしの父に祝福された人たちよ、さあ、世の初めからあなたがたのために用意されている御国を受けつぎなさい。 (JCV)

 

ヤコブへの手紙 2:5[塚本訳] 聴け、愛するわが兄弟達よ、神はこの世の貧乏人を選んで信仰における金持ちとし、神を愛する者に約束し給うた御国の相続人となし給うたではないか。"

 

ペテロの第一の手紙 2:9[塚本訳] しかし君達は“選ばれた種族、王なる祭司、聖き民族、”神の“所有物なる民”(である。そして君達がかく神の所有物となったのは、)君達を暗から驚くべき光へと召し給うたお方の“功業を宣べるためである”。"

 

 

 

ローマ人への手紙5章18節

 

[口語訳] このようなわけで、ひとりの罪過によってすべての人が罪に定められたように、ひとりの義なる行為によって、いのちを得させる義がすべての人に及ぶのである。

 

[新改訳] こういうわけで、ちょうど一つの違反によってすべての人が罪に定められたのと同様に、一つの義の行為によってすべての人が義と認められて、いのちを与えられるのです。

 

[新共同訳] そこで、一人の罪によってすべての人に有罪の判決が下されたように、一人の正しい行為によって、すべての人が義とされて命を得ることになったのです。

 

 [文語訳]されば一つの咎によりて罪を定むることの凡ての人に及びしごとく、一つの正しき行爲によりて義とせられ生命を得るに至ることも、凡ての人に及べり。"

 

[塚本訳]従って、一人の人の過ちによって全人類に死の宣告が下されたと同じに、一人の人の正しい行いによって、全人類に命を与える義が臨んだのである。

 

[前田訳]したがって、ひとりの人の過ちによってすべての人が処刑されたように、ひとりの人の義によってすべての人にいのちの義が与えられました。"

 

(NCV)So as one sin of Adam brought the punishment of death to all people, one good act that Christ did makes all people right with God. And that brings true life for all.

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙 5:12[塚本訳]この救いはキリストとアダムとを比較する時に、はっきりす

る。)すなわち、一人の人(アダム)によってこの世に罪が入ってき、罪によって死が入

ってき、こうして、(この人において)人は一人のこらず罪を犯したので、全人類に死が

行き渡ったように──([一八節ニツヅク]一人の人キリストの正しい行いによって、全

人類に命を与える義が臨んだのである。)"

 

ローマ人への手紙 5:15[塚本訳]しかし(神の)賜物は(アダムの)過ちと同じではない。なぜなら、一人の人(アダム)の過ちによってすら多くの人が死んだくらいである から、まして神の恩恵と一人の人イエス・キリストによる恩恵の賜物とが、多くの人に満ちあふれるのはもちろんである。"

 

ローマ人への手紙 5:19[塚本訳]すなわち、一人の人の不従順によって多くの人が罪人になったように、一人の人の従順によっても多くの人が義人になるのである。"

 

ローマ人への手紙 3:19-22 さて、わたしたちが知っているように、すべて律法の言うところは、律法のもとにある者たちに対して語られている。それは、すべての口がふさがれ、全世界が神のさばきに服するためである。

20 なぜなら、律法を行うことによっては、すべての人間は神の前に義とせられないからである。律法によっては、罪の自覚が生じるのみである。

21 しかし今や、神の義が、律法とは別に、しかも律法と預言者とによってあかしされて、現された。

22 それは、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、すべて信じる人に与えられるものである。そこにはなんらの差別もない。 (JCV)

 

コリント人への第一の手紙 15:22 つまり、アダムによってすべての人が死ぬことになったように、キリストによってすべての人が生かされることになるのです。 (JNICV)

 

ヘブル人への手紙 2:9[塚本訳] ただわたし達は、このイエスが“少しのあいだ(だけ)天使たちよりも小さくされ(て地上に遣わされ)た”が、死の苦しみのゆえに“栄光と栄誉との冠をさず けられた”のを見るのである。(そしてここに預言の実現がある。)彼が死ぬことは、神の恩恵によって、万人の(救の)ためであった。

 

 

 

ローマ人への手紙5章19節

 

[口語訳] すなわち、ひとりの人の不従順によって、多くの人が罪人とされたと同じように、ひとりの従順によって、多くの人が義人とされるのである。

 

[新改訳] すなわち、ちょうどひとりの人の不従順によって多くの人が罪人とされたのと同様に、ひとりの従順によって多くの人が義人とされるのです。

 

[新共同訳] 一人の人の不従順によって多くの人が罪人とされたように、一人の従順によって多くの人が正しい者とされるのです。

 

[文語訳]それは一人の不從順によりて多くの人の罪人とせられし如く、一人の從順によりて多くの人、義人とせらるるなり。

 

[塚本訳]すなわち、一人の人の不従順によって多くの人が罪人になったように、一人の人の従順によっても多くの人が義人になるのである。

 

[前田訳]すなわち、ひとりの人の不従順によって多くの人が罪びとになったように、ひとりの人の従順によって多くの人が義人になりましょう。

 

(NCV)One man disobeyed God, and many became sinners. In the same way, one man obeyed God, and many will be made right.

 

[解読の鍵]

 

ローマ人への手紙 5:14[塚本訳]それにもかかわらず、アダムからモーセまでの間に、アダムと同じ(律法)違反の罪を犯さなかった(その時代の)人たちの上にも、死が王 として支配したからである。(従ってこの罪と死とがアダムによるものでなくてなんであろう。そして一人の人の行いが全人類に影響を及ぼす点において、)ア ダムは来るべき者(である新約のアダム、すなわちキリスト)の型である。"

 

イザヤ書 53:10-12 しかも彼を砕くことは主のみ旨であり、主は彼を悩まされた。彼が自分を、とがの供え物となすとき、その子孫を見ることができ、その命をながくすることができる。かつ主のみ旨が彼の手によって栄える。

11 彼は自分の魂の苦しみにより光を見て満足する。義なるわがしもべはその知識によって、多くの人を義とし、また彼らの不義を負う。

12 それゆえ、わたしは彼に大いなる者と共に物を分かち取らせる。彼は強い者と共に獲物を分かち取る。これは彼が死にいたるまで、自分の魂をそそぎだし、とがある者と共に数えられたからである。しかも彼は多くの人の罪を負い、とがある者のためにとりなしをした。 (JCV)

 

コリント人への第二の手紙 5:21[塚本訳] 神は罪を知らなかった方をわたし達の身代りに(十字架につけて)罪に定められた。わたし達がこの方において神の義(をいただく者)となるためである。"

 

エペソ人への手紙 1:4-6 天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。

5 イエス・キリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです。

6 神がその愛する御子によって与えてくださった輝かしい恵みを、わたしたちがたたえるためです。

(JNICV)

 

ヨハネの黙示録 7:9-12 その後、わたしが見ていると、見よ、あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、数えきれないほどの大ぜいの群衆が、白い衣を身にまとい、しゅろの枝を手に持って、御座と小羊との前に立ち、

10 大声で叫んで言った、「救は、御座にいますわれらの神と小羊からきたる」。

11 御使たちはみな、御座と長老たちと四つの生き物とのまわりに立っていたが、御座の前にひれ伏し、神を拝して言った、

12 「アァメン、さんび、栄光、知恵、感謝、ほまれ、力、勢いが、世々限りなく、われらの神にあるように、アァメン」。 (JCV)

 

 

 

ローマ人への手紙5章20節

 

[口語訳] 律法がはいり込んできたのは、罪過の増し加わるためである。しかし、罪の増し加わったところには、恵みもますます満ちあふれた。

 

[新改訳] 律法がはいって来たのは、違反が増し加わるためです。しかし、罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました。

 

[新共同訳] 律法が入り込んで来たのは、罪が増し加わるためでありました。しかし、罪が増したところには、恵みはなおいっそう満ちあふれました。

 

 [文語訳]律法の來りしは咎の増さんためなり。されど罪の増すところには恩惠も彌増せり。"

 

[塚本訳](それなら律法は人を義として永遠の命を与えるためには役立たないのか。その通り。)律法は、過ちを増し強めるために第二義的に来たのである。しかし(神に感謝する、人の犯す)罪が増し強まれば、恩恵は豊かにあふれる。

 

[前田訳]律法が入ってきたのは過ちが増すためです。しかし、罪が増すところ恩恵が満ちあふれました。

 

(NCV)The law came to make sin worse. But when sin grew worse, God's grace increased.

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙 4:15[塚本訳]律法(の目的)は、(人に罪を犯させ、神の)怒りをもたらす(ことにある)からである。律法のない所には、その違反もあり得ない。"

 

ローマ人への手紙 6:13-14[塚本訳]またあなた達の肢体を不道徳の武器にして罪にまかせていてはならない。あなた達は死人の中から命によみがえった者であるから、自 分を神に、すなわち自分の肢体を義の武器にして神にまかせよ。14なぜなら、罪はもうあなた達の主人として支配することはないからである。あなた達は律法 の下にいるのでなく、恩恵の下にいるのである。

 

ローマ人への手紙 7:5-13 というのは、わたしたちが肉にあった時には、律法による罪の欲情が、死のために実を結ばせようとして、わたしたちの肢体のうちに働いていた。 6 しかし今は、わたしたちをつないでいたものに対して死んだので、わたしたちは律法から解放され、その結果、古い文字によってではなく、新しい霊によって仕 えているのである。 7 それでは、わたしたちは、なんと言おうか。律法は罪なのか。断じてそうではない。しかし、律法によらななければ、わたしは罪を知らなかったであろう。すな わち、もし律法が「むさぼるな」と言わなかったら、わたしはむさぼりなるものを知らなかったであろう。 8 しかるに、罪は戒めによって機会を捕え、わたしの内に働いて、あらゆるむさぼりを起させた。すなわち、律法がなかったら、罪は死んでいるのである。 9 わたしはかつては、律法なしに生きていたが、戒めが来るに及んで、罪は生き返り、 10 わたしは死んだ。そして、いのちに導くべき戒めそのものが、かえってわたしを死に導いて行くことがわかった。 11 なぜなら、罪の戒めによって機会を捕え、わたしを欺き、戒めによってわたしを殺したからである。 12 このようなわけで、律法そのものは聖なるものであり、戒めも聖であって、正しく、かつ善なるものである。 13 では、善なるものが、わたしにとって死となったのか。断じてそうではない。それはむしろ、罪の罪たることが現れるための、罪のしわざである。すなわち、罪 は、戒めによって、はなはだしく悪性なものとなるために、善なるものによってわたしを死に至らせたのである。 (JCV)

 

ヨハネによる福音書 15:22[塚本訳] もしわたしが(この世に)来て(何も)語らなかったら、(父上を知らぬことについて)彼らに罪はなかったが、(すでにわたしからそれを聞いた)今は、(父上に対し)その罪の弁解はできない。"

 

ガラテヤ人への手紙 3:19[塚本訳] それでは、律法は何のためにあるか。(わたしは答える。)律法は違反のため(、言いかえれば、罪を知らせてこれを犯させるために、あとから約束に)つけ加 えられたものであり、しかも約束された子(なるキリスト)の来られる時まで(のもの)である。(かつ、これは神が直接につけ加えられたものでなく、)天使 たちをもって、仲介者(モーセ)の手をもって規定されたに過ぎない。

 

ガラテヤ人への手紙 3:22[塚本訳] しかし(律法は命を与えるものでなく、人を罪に閉じこめる力をもつだけである。)聖書はすべての人を(律法によって)罪の下に閉じこめ、イエス・キリスト を信ずる信仰によって、信ずる者に約束が与えられるのである。(律法は約束に矛盾しない。むしろこれに導く家庭教師である。)

 

ローマ人への手紙 6:1[塚本訳] それでは、どういうことになるのだろうか。(罪が増せば恩恵も豊かになるならば、)恩恵が増し強まるために、わたし達は罪(の生活)を続けるべきであろうか。"

 

 

 

ローマ人への手紙5章21節

 

[口語訳] それは、罪が死によって支配するに至ったように、恵みもまた義によって支配し、わたしたちの主イエス・キリストにより、永遠のいのちを得させるためである。

 

[新改訳] それは、罪が死によって支配したように、恵みが、私たちの主イエス・キリストにより、義の賜物によって支配し、永遠のいのちを得させるためなのです。

 

[新共同訳] こうして、罪が死によって支配していたように、恵みも義によって支配しつつ、わたしたちの主イエス・キリストを通して永遠の命に導くのです。

 

 [文語訳]これ罪の死によりて王たりし如く、恩惠も義によりて王となり、我らの主イエス・キリストに由りて永遠の生命に至らん爲なり。"

 

 [塚本訳]これは罪が死を持って支配したように、恩恵も義をもって支配し、わたし達の主イエス・キリストによって、(わたし達を)永遠の命に入れるためである。"

 

 [前田訳]それは、罪が死をもって王であったように、恩恵も義をもって王となり、われらの主イエス・キリストによって永遠のいのちへ導くためです。"

 

(NCV)Sin once used death to rule us, but God gave people more of his grace so that grace could rule by making people right with him. And this brings life forever through Jesus Christ our Lord.

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙 5:14 しかし、アダムからモーセまでの間にも、アダムの違犯と同じような罪を犯さなかった人の上にさえ、死は支配しました。実にアダムは、来るべき方を前もって表す者だったのです。 (JNICV)

 

ローマ人への手紙 6:16 知らないのですか。あなたがたは、だれかに奴隷として従えば、その従っている人の奴隷となる。つまり、あなたがたは罪に仕える奴隷となって死に至るか、神に従順に仕える奴隷となって義に至るか、どちらかなのです。 (JNICV)

 

ヨハネによる福音書 1:16-17 わたしたちすべての者は、その満ち満ちているものの中から受けて、めぐみにめぐみを加えられた。

17 律法はモーセをとおして与えられ、めぐみとまこととは、イエス・キリストをとおしてきたのである。 (JCV)

 

テトスへの手紙 2:11-14 実に、すべての人々に救いをもたらす神の恵みが現れました。

12 その恵みは、わたしたちが不信心と現世的な欲望を捨てて、この世で、思慮深く、正しく、信心深く生活するように教え、 13 また、祝福に満ちた希望、すなわち偉大なる神であり、わたしたちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。

14 キリストがわたしたちのために御自身を献げられたのは、わたしたちをあらゆる不法から贖い出しだし、良い行いに熱心な民を御自分のものとして清めるためだったのです。 (JNICV)

 

ローマ人への手紙 5:17[塚本訳]一人の人によって、すなわち一人の人(アダム)の過ちによってすら死が支配するようになったくらいであるから、ましてあふれるばかりの 恩恵と義とされる賜物とを戴いた者が、一人の人イエス・キリストにより(永遠の)命をもって支配するのは、もちろんであるからである。・・"

 

ローマ人への手紙 8:10[塚本訳]しかしキリスト(の霊)があなた達におられるなら、(あなた達の)体は(アダムの)罪によって死んでいるが、霊は(キリストの)義によって生きている。"

 

ペテロの第二の手紙 1:1[塚本訳] イエス・キリストの奴隷また使徒(なる)シメオン・ペテロ(より、)我らの神と救い主イエス・キリストとの義によって私達と同じ(尊い)信仰を戴いた人達に(手紙を遺る)。

 

 

 

「贖罪」が美談とは違うように感じられるのはなぜだろうか

 

最 近JR新大久保駅ホームで酔ってホームから転落した人を助けようとして死んだ二人の人(一人は韓国人)の話題でもちきりである。美談である。これを記念し て日本は韓国からの留学生を10人受け入れるという。これに限らず人の身代わりとして自らの命を投げ出した「美談」は非常に多くある。

米 国の航空機事故のとき、ポトマック川で救助のはしごを他人に譲って自分は死んだ人。洞爺丸事故で浮き輪を人に譲って自分は沈んでしまった人。(私だったら そういうことをすることができるだろうか・・・)カレーの市民・・・国立西洋美術館の前庭にロダンの彫刻がある。ある町の代表として身代わりで死んだ人 達。・・・・農民の苦境を訴えて死んだ佐倉惣五郎(千葉 県)。コルベ神父(ナチによるユダヤ人収容所で妻子ある人の身代わりで自ら名乗り出て死んだ人)。また戦場における身代わりの実話などなど、これらはしば らくの間は美談としてもてはやされるものである。感心させられる話である。しかしいつのまにか忘れ去られる。これら数々の美談とイエスの死とはどこか受け る印象が違うのである。それはなぜであろうか。

 イエスはヒューマニズムの精神 で自らの命を投げ出したのではない。そうであったらそれは人間の世界での「美談」である。しかしイエスの死はそのような勇猛果敢なまた人間的美談ではない のである。しかしなぜイエスの死には今でも涙が出るのだろう。高校生のときイエス伝の映画を見たがイエスが十字架を背負って歩く場面のとき後ろの席で小声 で「泣く」声が聞こえたのでそっと振り返るとカトリックのシスター達がずらっと座っていた。これは最後列の安い席での出来事であった。

ルカによる福音書 23:26-28 彼らがイエスをひいてゆく途中、シモンというクレネ人が郊外から出てきたのを捕えて十字架を負わせ、それをになってイエスのあとから行かせた。

27 大ぜいの民衆と、悲しみ嘆いてやまない女たちの群れとが、イエスに従って行った。

28 イエスは女たちの方に振りむいて言われた、「エルサレムの娘たちよ、わたしのために泣くな。むしろ、あなたがた自身のため、また自分の子供たちのために泣くがよい。 (JCV)

 

  なぜイエスの死が今でも涙をそそられるのか。それは一方は人間の世界でのヒューマニズムの「美談」。一方は「神の業」としての宗教。神はイエスを殺してま で目を我々に向けるようになった。イエスはそんなことを知らずにただただ父なる神の「御用」をするために十字架の道をそれとは知らずに歩んだのだ。ここに おいてイエスの死の伝承とその意味を聞くと、今のわれわれに直接「神の愛」が迫ってくるのである。だから心打たれるのである。これが宗教である。人間の世 界のヒューマニズムの「美談」ではない。父なる神の愛が今このときに我々に働きかける(語られる)から感動するのである。イエスの十字架の死とその意味の 伝承は「美談」の伝承ではない。勇猛果敢な精神の伝承ではない。もしそれであったら人間崇拝の偶像礼拝である。

  今日無教会主義が若い者の間で振るわないということを聞くが、その原因は明快である。人間の「美談」の伝承、あるいは「無教会」の伝承をしていて「福音の 伝承」をしていないからである。永遠に変わらない神の愛の「贖罪」の伝承、そして人間礼賛でなく「理念」の同調でなく、神の礼賛こそが大切である。

2001.2.24 高橋照男

 

 

 

 

 

表  題 ・ 要  約

 

潔めらるゝこと(1)―――バプテスマの意義(6:1−14)・・・内村鑑三

 

洗礼によりキリストと一しょに死に一しょに生きる(6:1−14)・・・白井きく

 

キリスト教的生における洗礼の現実(6:1−14)・・・ヴィルケンスEKK

 

罪に死に、キリストに生きる(6:1−14)・・・新共同訳

 

義とされた者たちは罪の束縛から解放された。彼らはその受けたバプテスマによって、

(6:1−14)・・・アルトハウスNTD

 

洗礼によってキリストと一しょに死に一しょに生きるべきである(6:1−14)・・・塚本訳

 

キリストにある新生(6:1−14)・・・八木(講談社)

 

キリストの死への洗礼(バプテスマ)を受ける(6:1−14)・・・青野(岩波)

 

罪の支配からの解放(6章)・・・高橋三郎

 

罪に死んでキリストに生きる(6:1−14)・・・フランシスコ会訳

 

バプテスマによる死と生(6:1−11)

肢体を神にさゝげよ(6:12−14)

     ・・黒崎幸吉

 

復活の力(6:1−11)

服従の力(6:12−23)

・・・バルト

 

洗礼により罪に対して死んだ(6:1−11)

服従のために解放された(6:12−23)

                   ・・・ケーゼマン

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ローマ人への手紙6章1節

 

 [口語訳] では、わたしたちは、なんと言おうか。恵みが増し加わるために、罪にとどまるべきであろうか。

 

[新改訳] それでは、どういうことになりますか。恵みが増し加わるために、私たちは罪の中にとどまるべきでしょうか。

 

[新共同訳] では、どういうことになるのか。恵みが増すようにと、罪の中にとどまるべきだろうか。

 

 [文語訳]されば何をか言はん、恩惠の増さんために罪のうちに止るべきか、

 

[塚本訳]それでは、どういうことになるのだろうか。(罪が増せば恩恵も豊かになるならば、)恩恵が増し強まるために、わたし達は罪(の生活)を続けるべきであろうか。

 

 [前田訳]それならわれらは何といいましょう。恩恵が増すために罪にとどまるべきですか。"

 

So do you think we should continue sinning so that God will give us even more grace?

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙 3:5[塚本訳] しかしもしわたし達の不道徳が神の義を明らかにするならば、どういうことになるのだろうか、お怒りになる神の方が──これは人間的に言うのだが──間違っているのではなかろうか。

 

ローマ人への手紙 6:15[塚本訳] それでは、どうだろうか。わたし達は律法の下にいるのでなく恩恵の下にいるのだから、罪を犯そうではないかということになるのだろうか。もちろん、

そんなことはない。"

 

ローマ人への手紙 2:4 [塚本訳]それとも、神の豊かな慈愛と忍耐と寛容とを誤解し、憐れみ深いこのお方があなたを悔改めさせようとしておられることが、わからないのか。"

 

ローマ人への手紙 3:5-8 [塚本訳] しかしもしわたし達の不道徳が神の義を明らかにするならば、どういうことになるのだろうか、お怒りになる神の方が──これは人間的に言うのだが──間違っ ているのではなかろうか。"06もちろん、そうではない。もしそうだとすれば、どうして神はこの世をお裁きになることができよう。"07しかしもしわたし の(説いた福音が嘘であっても、その)嘘によって神の真実がいよいよ明らかになり、その栄光があらわれるとすれば、なぜそのわたしが、罪人としてなおも罰 されねばならないのか。"08そして──これをわたし達の言葉だと考えて中傷する者があるそうだが──「善いことを出かすために悪いことをしようではない か」ということにならないだろうか。この連中が罰されるのは当然である。"

 

ローマ人への手紙 3:31[塚本訳] それではわたし達は、信仰(による救いの道)によって(モーセ)律法を廃止することになるのか。もちろん、そうではない。(結果から見ると、)むしろ律法の効力を発揮させるのである。"

 

ローマ人への手紙 5:20-21[塚本訳] (それなら律法は人を義として永遠の命を与えるためには役立たないのか。その通り。)律法は、過ちを増し強めるために第二義的に来たのである。しかし(神 に感謝する、人の犯す)罪が増し強まれば、恩恵は豊かにあふれる。"21[塚本訳]これは罪が死を持って支配したように、恩恵も義をもって支配し、わたし 達の主イエス・キリストによって、(わたし達を)永遠の命に入れるためである。"

 

ガラテヤ人への手紙 5:13[塚本訳] 兄弟たちよ、あなた達は自由のために(神から)召されたのである。ただこの自由を(濫用して)肉を満足させる機会としてはならない。むしろ愛によって互に奴隷として仕えるべきである。

 

ペテロの第一の手紙 2:16[塚本訳] (しかし君達は自由の人であるから、)自由の人としてこれをせよ。ただその自由を悪の覆いとせず、かえって神の奴隷としてこれをせよ。"

 

ペテロの第二の手紙 2:14-19 その目は淫行を追い、罪を犯して飽くことを知らない。彼らは心の定まらない者を誘惑し、その心は貪欲に慣れ、のろいの子となっている。

15 彼らは正しい道からはずれて迷いに陥り、ベオルの子バラムの道に従った。バラムは不義の実を愛し、 16 そのために、自分のあやまちに対するとがめを受けた。ものを言わないろばが、人間の声でものを言い、この預言者の狂気じみたふるまいをはばんだのである。

17 この人々は、いわば、水のない井戸、突風に吹きはらわれる霧であって、彼らには暗いやみが用意されている。 18 彼らはむなしい誇りを語り、迷いの中に生きている人々の間から、かろうじてのがれてきた者たちを、肉欲と色情とによって誘惑し、 19 この人々に自由を与えると約束しながら、彼ら自身は滅亡の奴隷になっている。おおよそ、人は征服者の奴隷となるものである。

(JCV)

 

ユダの手紙 4 そのわけは、不信仰な人々がしのび込んできて、わたしたちの神の恵みを放縦な生活に変え、唯一の君であり、わたしたちの主であるイエス・キリストを否定しているからである。彼らは、このようなさばきを受けることに、昔から予告されているのである。 (JCV)

 

 

 

ローマ人への手紙6章2節

 

 [口語訳] 断じてそうではない。罪に対して死んだわたしたちが、どうして、なお、その中に生きておれるだろうか。

 

[新改訳] 絶対にそんなことはありません。罪に対して死んだ私たちが、どうして、なおもその中に生きていられるでしょう。

 

[新共同訳] 決してそうではない。罪に対して死んだわたしたちが、どうして、なおも罪の中に生きることができるでしょう。

 

 [文語訳]決して然らず、罪に就きて死にたる我らは爭で尚その中に生きんや。

 

[塚本訳]もちろん、そうではない。わたし達は罪との関係ではすでに死んでいるのに、、どうしてなお罪の中に生きていられよう。

 

[前田訳]断じて否です。罪に対して死んだわれらが、どうしてその中に生きえましょう。

 

(NCV) No! We died to our old sinful lives, so how can we continue living with sin?

 

[解読の鍵]

ヨハネの第一の手紙 3:1[塚本訳] 見よ、父はなんとすばらしい愛を賜わったことか、わたし達は神の子(たるべき特権を与えられたの)であり、否、事実上すでに神の子である!この世は神を知らないために、わたし達(が神の子であること)を(も)知らないのである。

 

創世記 39:9-10 この家にはわたしよりも大いなる者はありません。また御主人はあなたを除いては、何をもわたしに禁じられませんでした。あなたが御主人の妻であるからです。どうしてわたしはこの大きな悪をおこなって、神に罪を犯すことができましょう」。 10 彼女は毎日ヨセフに言い寄ったけれども、ヨセフは聞きいれず、彼女と寝なかった。また共にいなかった。 (JCV)

 

詩篇 119:104 わたしはあなたのさとしによって知恵を得ました。それゆえ、わたしは偽りのすべての道を憎みます。 (JCV)

 

ヨハネの第一の手紙 3:9[塚本訳] すべて神(の力)によって生まれた者は罪を犯さない。神の(霊の)種がその人に留っているからである。彼は神(の力)によって生まれた(者である)から、罪を犯すことが出来ない。

 

ローマ人への手紙 6:11[塚本訳]だからあなた達もそのように、自分を罪との関係では死んだ者、

神との関係ではキリスト・イエスにあって生きている者と考えよ。"

 

ローマ人への手紙 7:4[塚本訳]だから、わたしの兄弟たちよ、(あなた達と律法との関係も同じで

あ る。)キリストの体(が十字架の上で死んだこと)によって、あなた達も律法との関係では(一しょに)殺されたのである。これはあなた達が(古い夫である律 法の束縛をはなれ、)ほかの者、すなわち死人の中から復活された方、(新しい夫キリスト)のものになって、わたし達が神のために(善い)実を結ぶためであ る。"

 

ガラテヤ人への手紙 6:14[塚本訳] しかし少なくともわたしは、わたし達の主イエス・キリストの十字架以外に、誇ることがないように!この十字架によって、世はわたしに対し、わたしは世に対して、十字架につけられている。

 

コロサイ人への手紙 3:3[塚本訳] 君達は(既にこの世に)死んで、その生命はキリストと共に神の右に隠されているのだから。

 

ペテロの第一の手紙 2:24 そして、十字架にかかって、自らその身にわたしたちの罪を担ってくださいました。わたしたちが、罪に対して死んで、義によって生きるようになるためです。そのお受けになった傷によって、あなたがたはいやされました。 (JNICV)

 

コリント人への第二の手紙 5:14-17 なぜなら、キリストの愛がわたしたちを駆り立てているからです。わたしたちはこう考えます。すなわち、一人の方がすべての人のために死んでくださった以 上、すべての人も死んだことになります。 15 その一人の方はすべての人のために死んでくださった。その目的は、生きている人たちが、もはや自分自身のために生きるのではなく、自分たちのために死んで 復活してくださった方のために生きることなのです。 16 それで、わたしたちは、今後だれをも肉に従って知ろうとはしません。肉に従ってキリストを知っていたとしても、今はもうそのように知ろうとはしません。 17 だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。 (JNICV)

 

ペテロの第一の手紙 4:1-2 キリストは肉に苦しみをお受けになったのですから、あなたがたも同じ心構えで武装しなさい。肉に苦しみを受けた者は、罪とのかかわりを絶った者なのです。

2 それは、もはや人間の欲望にではなく神の御心に従って、肉における残りの生涯を生きるようになるためです。  (JNICV)

 

 

 

ローマ人への手紙6章3節

 

[口語訳] それとも、あなたがたは知らないのか。キリスト・イエスにあずかるバプテスマを受けたわたしたちは、彼の死にあずかるバプテスマを受けたのである。

 

[新改訳] それとも、あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスにつくバプテスマを受けた私たちはみな、その死にあずかるバプテスマを受けたのではありませんか。

 

[新共同訳] それともあなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスに結ばれるために洗礼を受けたわたしたちが皆、またその死にあずかるために洗礼を受けたことを。

 

 [文語訳]なんじら知らぬか、凡そキリスト・イエスに合ふバプテスマを受けたる我らは、その死に合ふバプテスマを受けしを。

 

[塚本訳]それともあなた達は知らないのか、キリスト・イエスへと洗礼を受けたわたし達はみな(彼のものになって、)彼の死へと洗礼を受けたのである。"

 

 [前田訳]それとも、あなた方は知りませんか、キリスト・イエスへと洗礼されたわれらは、皆彼の死へと洗礼されたことを。 

 

(NCV) Did you forget that all of us became part of Christ when we were baptized? We shared his death in our baptism.

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙 6:16[塚本訳] あなた達はこのことを知らないのか。──奴隷として服従するた

めにある人に自分をまかせれば、あなた達は服従するその人の奴隷であって、罪の奴隷になって死ぬか、それとも、(神に)従順の奴隷になって義とされ(て生き)るか、どちらかである。"

 

ローマ人への手紙 7:1[塚本訳] それとも、あなた達は知らないのか、兄弟たちよ、・・これは法律を知っている人たちに言うのだが・・法律は人が生きている間だけ人を支配するのである。"

 

コリント人への第一の手紙 3:16 あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。 (JNICV)

 

コリント人への第一の手紙 5:6[塚本訳] (こんな仲間がいる中で、)あなた達の自慢は誉めたことではない。(一人だけだと言うかも知れないが、)少しのパン種が捏粉全体を発酵させることを、あなた達は知らないのか。"

 

コリント人への第一の手紙 6:15-16 あなたがたは、自分の体がキリストの体の一部だとは知らないのか。キリストの体の一部を娼婦の体の一部としてもよいのか。決してそうではない。

16 娼婦と交わる者はその女と一つの体となる、ということを知らないのですか。「二人は一体となる」と言われています。 (JNICV)

 

コリント人への第一の手紙 6:19 知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。 (JNICV)

 

コリント人への第二の手紙 13:5[塚本訳] あなた達は(わたし達の使徒たる証拠を求めるより、)自分に信仰があるかどうか、自分自身を吟味し、自分自身をしらべてみよ。あるいは、もう(自分に信仰 があって)イエス・キリスト(の霊)が自分の中におられることが、わかっていないのではないか。それではあなた達(の信仰)は明らかにまがい物なのだ!"

 

ガラテヤ人への手紙 3:26 あなたがたはみな、キリスト・イエスにある信仰によって、神の子なのである。 (JCV)

 

ローマ人への手紙 6:4-5 すなわち、わたしたちは、その死にあずかるバプテスマによって、彼と共に葬られたのである。それは、キリストが父の栄光によって、死人の中からよみがえらされたように、わたしたちもまた、新しいいのちに生きるためである。

5 もしわたしたちが、彼に結びついてその死の様にひとしくなるなら、さらに、彼の復活の様にもひとしくなるであろう。 (JCV)

 

ローマ人への手紙 6:8[塚本訳] しかしキリストと一しょに死んだ以上は、一しょに生きることをもわたし達は信じている。"

 

ガラテヤ人への手紙 2:20-21 生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた神の御子を信じる信仰によって、生きているのである。

21 わたしは、神の恵みを無にはしない。もし、義が律法によって得られるとすれば、キリストの死はむだであったことになる。 (JCV)

 

 

 

ローマ人への手紙6章4節

  [口語訳] すなわち、わたしたちは、その死にあずかるバプテスマによって、彼と共に葬られたのである。それは、キリストが父の栄光によって、死人の中からよみがえらされたように、わたしたちもまた、新しいいのちに生きるためである。

 [新改訳] 私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。

 

[新共同訳] わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。

 

 [文語訳]我らはバプテスマによりて彼とともに葬られ、その死に合せられたり。これキリスト父の榮光によりて死人の中より甦へらせられ給ひしごとく、我らも新しき生命に歩まんためなり。"

 

[塚本訳]だからこの死への洗礼によって、彼とい一しょに(死んで一しょに)葬られたのである。これはキリストが父上の栄光によって死人の中から復活されたように、わたし達も(復活して)新しい命をもって歩くためである。

 

 [前田訳]実に、死への洗礼によってわれらは彼とともに葬られたのです。それは、父の榮光によってキリストが死人の中から復活されたように、われらも新しいいのちに歩むためです。

 

(NCV) When we were baptized, we were buried with Christ and shared his death. So, just as Christ was raised from the dead by the wonderful power of the Father, we also can live a new life.

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙 8:11[塚本訳]しかしイエスを死人の中から復活させたお方の御霊があなた達の中に住んでおられるなら、キリスト・イエスを死人の中から復活させたそのお方は、あなた達の中に住んでおられるその御霊によって、あなた達の死ぬべき体をも生かしてくださるであろう。"

 

コリント人への第一の手紙 6:14[塚本訳] そして神は主を生きかえさらせたばかりか、(最後の日には)わたし達(の体)をも御力をもって生きかえらせてくださるのである。"

 

コリント人への第二の手紙 13:4[塚本訳] ほんとうに、彼は弱さのゆえに十字架につけられ(て死なれ)たけれども、神の力によって、いま生きておられるからである。同様に、わたし達も彼と結びつい ているので弱いけれども、彼と共に、神の力により、あなた達に対して(強く)生きるだろうからである。"

 

ヨハネによる福音書 2:19-20 イエスは答えて言われた。「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる。」 20 それでユダヤ人たちは、「この神殿は建てるのに四十六年もかかったのに、あなたは三日で建て直すのか」と言った。 (JNICV)

 

ローマ人への手紙 12:1 兄弟たちよ。そういうわけで、神のあわれみによってあなたがたに勧める。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。それが、あなたのなすべき霊的な礼拝である。 (JCV)

 

エペソ人への手紙 5:8 あなたがたは、以前はやみであったが、今は主にあって光となっている。光の子らしく歩きなさい。・・ (JCV)

 

 

 

ローマ人への手紙6章5節

 

 [口語訳] もしわたしたちが、彼に結びついてその死の様にひとしくなるなら、さらに、彼の復活の様にもひとしくなるであろう。

 

[新改訳] もし私たちが、キリストにつぎ合わされて、キリストの死と同じようになっているのなら、必ずキリストの復活とも同じようになるからです。

 

[新共同訳] もし、わたしたちがキリストと一体になってその死の姿にあやかるならば、その復活の姿にもあやかれるでしょう。

 

 [文語訳]われらキリストに接がれて、その死の状にひとしくば、その復活にも等しかるべし。"

 

[塚本訳]なぜなら、わたし達が(洗礼によって)彼と合体してその死にあやかる者になった以上、復活にもあやかるのは当然だからである。

 

 [前田訳]もしわれらが彼の死の形にならって彼と合わされるならば、復活の形においてもそうでしょう。

 

(NCV) Christ died, and we have been joined with him by dying too. So we will also be joined with him by rising from the dead as he did.

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙 6:8-12 もしわたしたちが、キリストと共に死んだなら、また彼と共に生きることを信じる。

9 キリストは死人の中からよみがえらされて、もはや死ぬことがなく、死はもはや彼を支配しないことを、知っているからである。

10 なぜなら、キリストが死んだのは、ただ一度罪に対して死んだのであり、キリストが生きるのは、神に生きるのだからである。

11 このように、あなたがた自身も、罪に対して死んだ者であり、キリスト・イエスにあって神に生きている者であることを、認むべきである。

12 だから、あなたがたの死ぬべきからだを罪の支配にゆだねて、その情欲に従わせることをせず、

(JCV)

 

エペソ人への手紙 2:5-6 罪過によって死んでいたわたしたちを、キリストと共に生かし・・あなたがたの救われたのは、恵みによるのである・・

6 キリスト・イエスにあって、共によみがえらせ、共に天上で座につかせて下さったのである。 (JCV)

 

ピリピ人への手紙 3:10-11[塚本訳] かくて(ますます深く)キリストを知り、その復活の力を受け、

その苦難に与り、彼と同じような死様をして、"11あわよくば私も(最後に)死人の復活に達したいためである。"

 

詩篇 92:13-16 神に従う人はなつめやしのように茂り、レバノンの杉のようにそびえます。

14 主の家に植えられ、わたしたちの神の庭に茂ります。

15 白髪になってもなお実を結び、命に溢れ、いきいきとし

16 述べ伝えるでしょう、わたしの岩と頼む主は正しい方、御もとには不正がない、と。 (JNICV)

 

マタイによる福音書 15:13[塚本訳] イエスは答えられた、「わたしの天の父上がお植えにならないものは皆、引き抜かれる。"

 

ヨハネによる福音書 12:24[塚本訳] アーメン、アーメン、わたしは言う、一粒の麦は、地に落ちて死なねば、いつまでもただの一粒である。しかし死ねば、多くの実を結ぶ。(だからわたしは命をすてる。)"

 

ヨハネによる福音書 15:1-8 わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。

2 わたしにつながっている枝で実を結ばないものは、父がすべてこれをとりのぞき、実を結ぶものは、もっと豊かに実らせるために、手入れしてこれをきれいにな さるのである。 3 あなたがたは、わたしが語った言葉によって既にきよくされている。 4 わたしにつながっていなさい。そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよう。枝がぶどうの木につながっていなければ、自分だけでは実を結ぶことがで きないように、あなたがたもわたしにつながっていなければ実を結ぶことができない。

5 わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。 6 人がわたしにつながっていないならば、枝のように外に投げすてられて枯れる。人々はそれをかき集め、火に投げ入れて、焼いてしまうのである。

7 あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたにとどまっているならば、なんでも望むものを求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。

8 あなたがたが実を豊かに結び、そしてわたしの弟子となるならば、それによって、わたしの父は栄光をお受けになるであろう。 (JCV)

 

 

 

ローマ人への手紙6章6節

 

[口語訳] わたしたちは、この事を知っている。わたしたちの内の古き人はキリストと共に十字架につけられた。それは、この罪のからだが滅び、わたしたちがもはや、罪の奴隷となることがないためである。

 

[新改訳] 私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅びて、私たちがもはやこれからは罪の奴隷でなくなるためであることを、私たちは知っています。

 

[新共同訳] わたしたちの古い自分がキリストと共に十字架につけられたのは、罪に支配された体が滅ぼされ、もはや罪の奴隷にならないためであると知っています。

 

 [文語訳]我らは知る、われらの舊き人、キリストと共に十字架につけられたるは、罪の體ほろびて、此ののち罪に事へざらん爲なるを。

 

[塚本訳]わたし達はこのことを知っている。──(洗礼は十字架をあらわす。)古いわたし達は(キリストと)一しょに十字架につけられたが、これは罪の体がほろび失せて、わたし達がもう二度と罪の奴隷にならないためであると。"

 

 [前田訳]われらの知るとおり、われらの古い人が彼とともに十字架につけられたのは、罪の体が滅びて、もはや罪の奴隷にならぬためです。 

 

(NCV) We know that our old life died with Christ on the cross so that our sinful selves would have no power over us and we would not be slaves to sin.

 

[解読の鍵]

ガラテヤ人への手紙 2:20[塚本訳] わたしはもはや生きていない。キリストがわたしの中に生きておられる。いまわたしが肉体で生きるのは、わたしを愛し、このわたしのために自分をすてられた神の子を信ずる信仰によって生きているのである。

 

ガラテヤ人への手紙 5:24[塚本訳] キリスト・イエスのものである者は、肉と共に情熱をも欲をも十字架につけてしまった。

 

エペソ人への手紙 4:22-24 すなわち、あなたがたは、以前の生活に属する、情欲に迷って滅び行く古き人を脱ぎ捨て、 23 心の深みまで新たにされて、 24 真の義と聖とをそなえた神にかたどって造られた新しき人を着るべきである。 (JCV)

 

コロサイ人への手紙 3:9-11 互にうそを言ってはならない。あなたがたは、古き人をその行いと一緒に脱ぎ捨て、 10 造り主のかたちに従って新しくされ、真の知識に至る新しき人を着たのである。

11 そこには、もはやギリシヤ人とユダヤ人、割礼と無割礼、未開の人、スクテヤ人、奴隷、自由人の差別はない。キリストがすべてであり、すべてのもののうちにいますのである。 (JCV)

 

ローマ人への手紙 8:3[塚本訳] 律法が肉に妨げられて無力になったために出来なくなったことを、神は(御子によって)成し遂げてくださった。すなわち(わたし達の)罪の(征服の)ためにその子を罪の肉の形で(この世に)遣わし、その肉(を殺すこと)において罪を罰されたのである。"

 

ローマ人への手紙 8:13[塚本訳] その訳は、もしあなた達が肉によって生きれば、かならず死ぬからである。しかしもし(霊によって生き、)霊をもって体の働き[肉の行い]を殺せば、(永遠に)生きる。"

 

ローマ人への手紙 6:12[塚本訳](このようにあなた達と罪との関係は切れてしまった。)だから(いつまでも)罪をあなた達の死ぬべき体の王にして支配させ、その欲望に服従してはならない。"

 

ローマ人への手紙 8:4[塚本訳]これはわたし達が(もはや)肉によって歩かず、霊によって歩き、律法の要求することがわたし達において完全に果たされるためである。"

 

ヨハネによる福音書 8:34-36 イエスは彼らに答えられた、「よくよくあなたがたに言っておく。すべて罪を犯す者は罪の奴隷である。 35 そして、奴隷はいつまでも家にいる者ではない。しかし、子はいつまでもいる。 36 だから、もし子があなたがたに自由を得させるならば、あなたがたは、ほんとうに自由な者となるのである。 (JCV)

 

 

 

ローマ人への手紙6章7節

 

[口語訳] それは、すでに死んだ者は、罪から解放されているからである。

 

[新改訳] 死んでしまった者は、罪から解放されているのです。

 

[新共同訳] 死んだ者は、罪から解放されています。

 

[文語訳]そは死にし者は罪より脱るるなり。"

 

[塚本訳]"死んだ者は罪から解放されるからである。

 

 [前田訳]死んだものは罪から解放されているからです。

 

(NCV) Anyone who has died is made free from sin's control.

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙 6:2[塚本訳]もちろん、そうではない。わたし達は罪との関係ではすでに死んでいるのに、どうしてなお罪の中に生きていられよう。"

 

ローマ人への手紙 6:8-9 もしわたしたちが、キリストと共に死んだなら、また彼と共に生きることを信じる。 9 キリストは死人の中からよみがえらされて、もはや死ぬことがなく、死はもはや彼を支配しないことを、知っているからである。 (JCV)

 

ローマ人への手紙 7:2[塚本訳]たとえば、結婚した婦人は夫が生きているうちは法律によって(夫に)結びつけられているが、夫が死ねば、(彼女を夫に結びつける)夫の法律から解かれる。"

 

コロサイ人への手紙 3:1-3 このように、あなたがたはキリストと共によみがえらされたのだから、上にあるものを求めなさい。そこではキリストが神の右に座しておられるのである。

2 あなたがたは上にあるものを思うべきであって、地上のものに心を引かれてはならない。 (JCV)

 

ペテロの第一の手紙 4:1-2 このように、キリストは肉において苦しまれたのであるから、あなたがたも同じ覚悟で心の武装をしなさい。肉において苦しんだ人は、それによって罪からのがれたのである。 2 それは、肉における残りの生涯を、もはや人間の欲情によらず、神の御旨によって過ごすためである。  (JCV)

 

 

 

ローマ人への手紙6章8節

 

[口語訳] もしわたしたちが、キリストと共に死んだなら、また彼と共に生きることを信じる。

 

[新改訳] もし私たちがキリストとともに死んだのであれば、キリストとともに生きることにもなる、と信じます。

 

[新共同訳] わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることにもなると信じます。

 

[文語訳]我等もしキリストと共に死にしならば、また彼とともに活きんことを信ず。"

 

[塚本訳]しかしキリストと一しょに死んだ以上は、一しょに生きることをもわたし達は信じている。"

 

[前田訳]われらがキリストとともに死んだのならば、彼とともに生きようこともわれらは信じます。"

 

(NCV) If we died with Christ, we know we will also live with him.

 

[解読の鍵]

テモテへの第二の手紙 2:11次の言葉は確実である。「もしわたしたちが、彼と共に死んだなら、また彼と共に生きるであろう。

 

コロサイ人への手紙 3:3-4 あなたがたはすでに死んだものであって、あなたがたのいのちは、キリストと共に神のうちに隠されているのである。 4 わたしたちのいのちなるキリストが現れる時には、あなたがたも、キリストと共に栄光のうちに現れるであろう。 (JCV)

 

テサロニケ人への第一の手紙 4:14[塚本訳] 私達が信ずるようにもしイエスが死んで復活し給うたならば、神はイエスによって眠った者をも同様にイエスと共に連れ来たり給うであろうから。"

 

 

 

ローマ人への手紙6章9節

 

[口語訳] キリストは死人の中からよみがえらされて、もはや死ぬことがなく、死はもはや彼を支配しないことを、知っているからである。

 

[新改訳] キリストは死者の中からよみがえって、もはや死ぬことはなく、死はもはやキリストを支配しないことを、私たちは知っています。

 

[新共同訳] そして、死者の中から復活させられたキリストはもはや死ぬことがない、と知っています。死は、もはやキリストを支配しません。

 

 [文語訳]キリスト死人の中より甦へりて復死に給はず、死もまた彼に主とならぬを我ら知ればなり。

 

[塚本訳]キリストは死人の中から復活されたのであるから、もう二度と死なれることはなく、もう死が彼を支配することはできないことを、わたし達は知っているのである。

 

 [前田訳]われらの知るとおり、死人の中から復活されたキリストは、もはや死にたまわず、死はもはや彼を支配しません。

 

(NCV) Christ was raised from the dead, and we know that he cannot die again. Death has no power over him now.

 

[解読の鍵]

 

詩篇 16:9-11 このゆえに、わたしの心は楽しみ、わたしの魂は喜ぶ、わたしの身もまた安らかである。

10 あなたはわたしを陰府に捨ておかれず、あなたの聖者に墓を見させられないからである。

11 あなたはいのちの道をわたしに示される。あなたの前には満ちあふれる喜びがあり、あなたの右には、とこしえにもろもろの楽しみがある。 (JCV)

 

使徒行伝 2:24-28 神はこのイエスを死の苦しみから解き放って、よみがえらせたのである。イエスが死に支配されているはずがなかったからである。

25 ダビデはイエスについてこう言っている、『わたしは常に目の前に主を見た。主は、わたしが動かされないため、わたしの右にいて下さるからである。

26 それゆえ、わたしの心は楽しみ、わたしの舌はよろこび歌った。わたしの肉体もまた、望みに生きるであろう。

27 あなたは、わたしの魂を黄泉に捨ておくことをせず、あなたの聖者が朽ち果てるのを、お許しにならないであろう。

28 あなたは、いのちの道をわたしに示し、み前にあって、わたしを喜びで満たして下さるであろう』。

(JCV)

 

ヘブル人への手紙 7:16 この祭司は、肉の掟の律法によらず、朽ちることのない命の力によって立てられたのです。 (JNICV)

 

ヘブル人への手紙 7:25[塚本訳]

それゆえ彼はまた、彼によって神に近づく人々を完全に救うことが出来る。彼は人々のために(神に)執成をしようとして常に生きておられるからである。

 

ヘブル人への手紙 10:12-13[塚本訳]

彼(キリスト)は罪のために(ただ)一つの犠牲(として御自身)を捧げ、(天に入って)たえず“神の右に座っておられ”、13そのあとは、“彼の敵がその足台にされるまで、”(ただ)待っておられるのである。

 

ヨハネの黙示録 1:18 また生きている者である。一度は死んだが、見よ、世々限りなく生きて、死と陰府の鍵を持っている。 (JNICV)

 

ローマ人への手紙 6:14[塚本訳]なぜなら、罪はもうあなた達の主人として支配することはないからである。あなた達は律法の下にいるのでなく、恩恵の下にいるのである。"

 

ローマ人への手紙 5:14[塚本訳]なぜなら、罪はもうあなた達の主人として支配することはないからである。あなた達は律法の下にいるのでなく、恩恵の下にいるのである。"

 

 

 

ローマ人への手紙6章10節

 

[口語訳] なぜなら、キリストが死んだのは、ただ一度罪に対して死んだのであり、キリストが生きるのは、神に生きるのだからである。

 

[新改訳] なぜなら、キリストが死なれたのは、ただ一度罪に対して死なれたのであり、キリストが生きておられるのは、神に対して生きておられるのだからです。

 

[新共同訳] キリストが死なれたのは、ただ一度罪に対して死なれたのであり、生きておられるのは、神に対して生きておられるのです。

 

[文語訳]その死に給へるは罪につきて一たび死に給へるにて、その活き給へるは神につきて活き給へるなり。"

 

[塚本訳]なぜなら、彼が死なれたのは、一度かぎり罪との関係で死なれたのであり、いま生きておられるのは、神との関係で(永遠に)生きておられるのである。

 

[前田訳]彼が死にたもうたのは罪に対して一度だけ死にたもうたのであり、いま生きたもうのは神に対して生きたもうからです。"

 

(NCV) Yes, when Christ died, he died to defeat the power of sin one time -- enough for all time. He now has a new life, and his new life is with God.

 

[解読の鍵]

 

ローマ人への手紙 8:3[塚本訳]律法が肉に妨げられて無力になったために出来なくなったことを、神は(御子によって)成し遂げてくださった。すなわち(わたし達の)罪の(征服の)ためにその子を罪の肉の形で(この世に)遣わし、その肉(を殺すこと)において罪を罰されたのである。"

 

コリント人への第二の手紙 5:21[塚本訳] 神は罪を知らなかった方をわたし達の身代りに(十字架につけて)罪に定められた。わたし達がこの方において神の義(をいただく者)となるためである。"

ヘブル人への手紙 9:26-28 もしそうだとすれば、世の初めから、たびたび苦難を受けねばならなかったであろう。しかし事実、ご自身をいけにえとしてささげて罪を取り除くために、世の終りに、一度だけ現れたのである。

27 そして、一度だけ死ぬことと、死んだ後さばきを受けることとが、人間に定まっているように、

28 キリストもまた、多くの人の罪を負うために、一度だけご自身をささげられた後、彼を待ち望んでいる人々に、罪を負うためではなしに二度目に現れて、救を与えられるのである。 (JCV)

 

ペテロの第一の手紙 3:18[塚本訳] というのはキリスト(御自身)すら罪の(贖いの)ために、義しい人でありながら義しからぬ人々のために、ただ一度死に給うたのである。これは君達を神に連れ行くためで、彼は肉では殺され給うたが、霊では活かされ、"

 

ローマ人への手紙 6:11[塚本訳]

だからあなた達もそのように、自分を罪との関係では死んだ者、神との関係ではキリスト・イエスにあって生きている者と考えよ。"

 

ローマ人への手紙 14:7-9 すなわち、わたしたちのうち、だれひとり自分のために生きる者はなく、だれひとり自分のために死ぬ者はない。

8 わたしたちは、生きるのも主のために生き、死ぬのも主のために死ぬ。だから、生きるにしても死ぬにしても、わたしたちは主のものなのである。

9 なぜなら、キリストは、死者と生者との主となるために、死んで生き返られたからである。 (JCV)

 

ルカによる福音書 20:38[塚本訳] ところで神は死人の神ではなく、生きている者の神である。神に対しては、すべての者が生きているのだから。(してみるとアブラハム、イサクなども皆復活して、今生きているわけではないか。)」"

 

コリント人への第二の手紙 5:15[塚本訳] そして彼がすべての人の身代りに死なれたのは、(彼と一緒に死んで新しい命にいま)生きている者たちが、もはや自分のために生きず、身代りに死んで復活された方のために生きるようにというのである。"

 

ペテロの第一の手紙 4:6[塚本訳] 何故なら、肉体では人間的に(既に罪人として)審かれ(て死んだが、)霊では神に倣って(永遠に)生きるため、(陰府に在る)死者にも(キリストによって)福音が宣べ伝えられたからである。"

 

 

 

ローマ人への手紙6章11節

 

 [口語訳] このように、あなたがた自身も、罪に対して死んだ者であり、キリスト・イエスにあって神に生きている者であることを、認むべきである。

 

[新改訳] このように、あなたがたも、自分は罪に対しては死んだ者であり、神に対してはキリスト・イエスにあって生きた者だと、思いなさい。

 

[新共同訳] このように、あなたがたも自分は罪に対して死んでいるが、キリスト・イエスに結ばれて、神に対して生きているのだと考えなさい。

 

 [文語訳]斯のごとく汝らも己を罪につきては死にたるもの、神につきては、キリスト・イエスに在りて活きたる者と思ふベし。 

 

[塚本訳]だからあなた達もそのように、自分を罪との関係では死んだ者、神との関係ではキリスト・イエスにあって生きている者と考えよ。"

 

 [前田訳]そのように、あなた方も、自らを罪に対して死んだもの、神に対してキリスト・イエスにあって生きるものとお考えなさい。

 

 (NCV) In the same way, you should see yourselves as being dead to the power of sin and alive with God through Christ Jesus.

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙 8:18 [塚本訳](しかもこの苦しみは恐れることはない。)なぜなら、わたしはこう考える。今の世の苦しみは、わたし達に現われようとしている栄光(・・キリストと一しょに神の国の相続人になる最後の日の大いなる光栄・・)にくらべれば、言うに足りない。

 

ローマ人への手紙 6:2 [塚本訳]もちろん、そうではない。わたし達は罪との関係ではすでに死んでいるのに、、どうしてなお罪の中に生きていられよう。"

 

ローマ人への手紙 6:13 [塚本訳]もちろん、そうではない。わたし達は罪との関係ではすでに死んでいるのに、、どうしてなお罪の中に生きていられよう。"

 

ガラテヤ人への手紙 2:19-20 わたしは、神に生きるために、律法によって律法に死んだ。わたしはキリストと共に十字架につけられた。

20 生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた神の御子を信じる信仰によって、生きているのである。 (JCV)

 

コロサイ人への手紙 3:3-5 あなたがたはすでに死んだものであって、あなたがたのいのちは、キリストと共に神のうちに隠されているのである。

4 わたしたちのいのちなるキリストが現れる時には、あなたがたも、キリストと共に栄光のうちに現れるであろう。

5 だから、地上の肢体、すなわち、不品行、汚れ、情欲、悪欲、また貪欲を殺してしまいなさい。貪欲は偶像礼拝にほかならない。 (JCV)

 

ローマ人への手紙 6:23 [塚本訳]なぜなら、罪が(奴隷に)払ってくれる給料は死であり、(従う者に与えられる)神の賜物は、わたし達の主イエス・キリストにおいての永遠の命だからである。"

 

ピリピ人への手紙 4:7[塚本訳] そうすれば全く思いもよらぬ神の平安が君達の心と考えをキリスト・イエスにおいて守るであろう。"

 

ペテロの第一の手紙 2:5 この主のみもとにきて、あなたがたも、それぞれ生ける石となって、霊の家に築き上げられ、聖なる祭司となって、イエス・キリストにより、神によろこばれる霊のいけにえを、ささげなさい。 (JCV)

 

ヨハネによる福音書 20:3[塚本訳] しかし(ほんの一部分であるが、いま)これらのことを書いたのは、あなた達に、イエスは救世主で、神の子であることを信じさせるため、また、それを信じて、イエスの名によって(永遠の)命を持たせるためである。"

 

 

 

ローマ人への手紙6章12節

 

 [口語訳] だから、あなたがたの死ぬべきからだを罪の支配にゆだねて、その情欲に従わせることをせず、

 

[新改訳] ですから、あなたがたの死ぬべきからだを罪の支配にゆだねて、その情欲に従ってはいけません。

 

[新共同訳] 従って、あなたがたの死ぬべき体を罪に支配させて、体の欲望に従うようなことがあってはなりません。

 

 [文語訳]されば罪を汝らの死ぬべき體に王たらしめて其の慾に從ふことなく、

 

[塚本訳](このようにあなた達と罪との関係は切れてしまった。)だから(いつまでも)罪をあなた達の死ぬべき体の王にして支配させ、その欲望に服従してはならない。"

 

 [前田訳]それで、罪をあなた方の死ぬべき体の王にして、その欲に従わないように。"

 

So, do not let sin control your life here on earth so that you do what your sinful self wants to do.

 

[解読の鍵]

 

ローマ人への手紙 6:16 [塚本訳]あなた達はこのことを知らないのか。──奴隷として服従するた

めにある人に自分をまかせれば、あなた達は服従するその人の奴隷であって、罪の奴隷になって死ぬか、それとも、(神に)従順の奴隷になって義とされ(て生き)るか、どちら

かである。"

 

ローマ人への手紙 5:21 [塚本訳]これは罪が死を持って支配したように、恩恵も義をもって支配し、わたし達の主イエス・キリストによって、(わたし達を)永遠の命に入れるためである。"

 

ローマ人への手紙 7:23-24[塚本訳] わたしの肢体にもう一つの(わたし、罪の)法則(を喜ぶ外の人としてのわたし)があり、(その神の律法を行おうとする)わたしの理性の法則と戦って、肢体 にあるこの罪の法則の捕虜にすることを、経験するのである。24なんとわたしはみじめな人間だろう!だれがこの死の体から、わたしを救い出してくれるのだ ろうか。"

 

申命記 7:1-7 あなたの神、主が、あなたの行って取る地にあなたを導き入れ、多くの国々の民、ヘテびと、ギルカシびと、アモリびと、カナンびと、ペリジびと、ヒビびと、 およびエブスびと、すなわちあなたよりも数多く、また力のある七つの民を、あなたの前から追いはらわれる時、 2 すなわちあなたの神、主が彼らをあなたに渡して、これを撃たせられる時は、あなたは彼らを全く滅ぼさなければならない。彼らとなんの契約をもしてはならな い。彼らに何のあわれみをも示してはならない。 3 また彼らと婚姻してはならない。あなたの娘を彼のむすこに与えてはならない。かれの娘をあなたのむすこにめとってはならない。 4 それは彼らがあなたのむすこを惑わしてわたしに従わせず、ほかの神々に仕えさせ、そのため主はあなたがたにむかって怒りを発し、すみやかにあなたがたを滅 ぼされることとなるからである。5 むしろ、あなたがたはこのように彼らに行わなければならない。すなわち彼らの祭壇をこぼち、その石の柱を撃ち砕き、そのアシラ像を切り倒し、その刻んだ像 を火で焼かなければならない。 6 あなたはあなたの神、主の聖なる民である。あなたの神、主は地のおもてのすべての民のうちからあなたを選んで、自分の宝の民とされた。 7 主があなたがたを愛し、あなたがたを選ばれたのは、あなたがたがどの国民よりも数が多かったからではない。あなたがたはよろずの民のうち、もっとも数の少 ないものであった。 (JCV)

 

ヨシュア記 23:12-13 しかし、あなたがたがもしひるがえって、これらの国民の、生き残って、あなたがたの中にとどまる者どもと親しくなり、これと婚姻し、ゆききするならば、

13 あなたがたは、しかと知らなければならない。あなたがたの神、主は、もはや、これらの国民をあなたがたの前から、追い払うことをされないであろう。彼ら は、かえって、あなたがたのわなとなり、網となり、あなたがたのわきに、むちとなり、あなたがたの目に、とげとなって、あなたがたはついに、あなたがたの 神、主が賜わったこの良い地から、滅びうせるであろう。 (JCV)

 

士師記 2:1-4 主の使がギルガルからボキムに上って言った、「わたしはあなたがたをエジプトから上らせて、あなたがたの先祖に誓った地に連れてきて、言った、『わたしはあなたと結んだ契約を決して破ることはない。 2 あなたがたはこの国の住民と契約を結んではならない。彼らの祭壇をこぼたなければならない』と。しかし、あなたがたはわたしの命令に従わなかった。あなたがたは、なんということをしたのか。 3 それでわたしは言う、『わたしはあなたがたの前から彼らを追い払わないであろう。彼らはかえってあなたがたの敵となり、彼らの神々はあなたがたのわなとなるであろう』と」。 4 主の使がこれらの言葉をイスラエルのすべての人々に告げたので、民は声をあげて泣いた。 (JCV)

 

詩篇 119:132-133 み名を愛する者に常にされるように、わたしをかえりみ、わたしをあわれんでください。133 あなたの約束にしたがって、わが歩みを確かにし、すべての不義に支配されないようにしてください。 (JCV)

 

 

 

ローマ人への手紙6章13節

 

[口語訳] また、あなたがたの肢体を不義の武器として罪にささげてはならない。むしろ、死人の中から生かされた者として、自分自身を神にささげ、自分の肢体を義の武器として神にささげるがよい。

 

[新改訳] また、あなたがたの手足を不義の器として罪にささげてはいけません。むしろ、死者の中から生かされた者として、あなたがた自身とその手足を義の器として神にささげなさい。

 

[新共同訳] また、あなたがたの五体を不義のための道具として罪に任せてはなりません。かえって、自分自身を死者の中から生き返った者として神に献げ、また、五体を義のための道具として神に献げなさい。

 

 [文語訳]汝らの肢體を罪に獻げて不義の器となさず、反つて死人の中より活き返りたる者のごとく己を神にささげ、その肢體を義の器として神に獻げよ。  "

 

[塚本訳]またあなた達の肢体を不道徳の武器にして罪にまかせていてはならない。あなた達は死人の中から命によみがえった者であるから、自分を神に、すなわち自分の肢体を義の武器にして神にまかせよ。"

 

 [前田訳]また、あなた方の肢体を不義の武器として罪にまかせないように。死人の中から生きかえったものとして自らを神にまかせ、肢体を義の武器として神におまかせなさい、  "

 

(NCV) Do not offer the parts of your body to serve sin, as things to be used in doing evil. Instead, offer yourselves to God as people who have died and now live. Offer the parts of your body to God to be used in doing good.

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙 6:16[塚本訳]あなた達はこのことを知らないのか。──奴隷として服従するた

めにある人に自分をまかせれば、あなた達は服従するその人の奴隷であって、罪の奴隷になって死ぬか、それとも、(神に)従順の奴隷になって義とされ(て生き)るか、どちらかである。"

 

ローマ人への手紙 6:19[塚本訳](奴隷の例でこんな)人間的の言い方をするのは、あなた達の理

解力が(まだ)弱いからである。(わたしはこう言いたい。──かつて)あなた達が奴隷になって肢体を汚れと不法とにまかせて不法を行ったように、今度は(神の)奴隷になって肢体を義にまかせて聖くなれと。"

 

ローマ人への手紙 7:5[塚本訳]なぜなら、わたし達が(生まれたままの)肉にあっ(て生きてい)た時には、律法(の刺激)による罪の情熱が肢体の中に働いて、わたし達は死のために(滅びの)実を結んだからである。"

 

ローマ人への手紙 7:23[塚本訳]わたしの肢体にもう一つの(わたし、罪の)法則(を喜ぶ外の人としてのわたし)があり、(その神の律法を行おうとする)わたしの理性の法則と戦って、肢体にあるこの罪の法則の捕虜にすることを、経験するのである。

 

コリント人への第一の手紙 6:15[塚本訳] あなた達は知らないのか、あなた達の体は(すでに)キリストの器官であることを。(もちろん、知っているはずだ。)では、わたしはキリストの器官(であるこのわたしの体)を取って、遊女の器官にしてよいだろうか。もっての外だ。"

 

コロサイ人への手紙 3:5 だから、地上の肢体、すなわち、不品行、汚れ、情欲、悪欲、また貪欲を殺してしまいなさい。貪欲は偶像礼拝にほかならない。 (JCV)

 

 

 

ローマ人への手紙6章14節

 

口語訳] なぜなら、あなたがたは律法の下にあるのではなく、恵みの下にあるので、罪に支配されることはないからである。

 

[新改訳] というのは、罪はあなたがたを支配することがないからです。なぜなら、あなたがたは律法の下にはなく、恵みの下にあるからです。

 

[新共同訳] なぜなら、罪は、もはや、あなたがたを支配することはないからです。あなたがたは律法の下ではなく、恵みの下にいるのです。

 

 [文語訳]汝らは律法の下にあらずして恩惠の下にあれば、罪は汝らに主となる事なきなり。"

 

[塚本訳]なぜなら、罪はもうあなた達の主人として支配することはないからである。あなた達は律法の下にいるのでなく、恩恵の下にいるのである。

 

 [前田訳]罪はもはやあなた方を支配しませんから。あなた方は律法のもとにでなく、恩恵のもとにいるのです。

 

 (NCV)Sin will not be your master, because you are not under law but under God's grace.

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙 6:12[塚本訳](このようにあなた達と罪との関係は切れてしまった。)だから(いつまでも)罪をあなた達の死ぬべき体の王にして支配させ、その欲望に服従してはならない。"

ローマ人への手紙 5:20-21[塚本訳] (それなら律法は人を義として永遠の命を与えるためには役立たないのか。その通り。)律法は、過ちを増し強めるために第二義的に来たのである。しかし(神に感謝する、人の犯す)罪が増し強まれば、恩恵は豊かにあふれる。"21これは罪が死を持って支配したように、恩恵も義をもって支配し、わたし達の主イエス・キリストによって、(わたし達を)永遠の命に入れるためである。"

 

ローマ人への手紙 8:2[塚本訳]なぜなら、キリスト・イエスによる命の霊の法則が、死と罪との法則からあなたを自由にしたからである。"

 

詩篇 130:7-8 イスラエルよ、主によって望みをいだけ。主には、いつくしみがあり、また豊かなあがないがあるからです。

8 主はイスラエルをもろもろの不義からあがなわれます。 (JCV)

 

ミカ書 7:19-20 再びわれわれをあわれみ、われわれの不義を足で踏みつけられる。あなたはわれわれのもろもろの罪を海の深みに投げ入れ、 20 昔からわれわれの先祖たちに誓われたように、真実をヤコブに示し、いつくしみをアブラハムに示される。 (JCV)

 

マタイによる福音書 1:21[塚本訳] 男の子が生まれるから、その名をイエス(訳すると、神はお救いになる)とつけよ。この方がその民を罪からお救いになるのだから。」"

 

ヨハネによる福音書 8:36[塚本訳] だから、もし子(たるわたし)が(罪から)自由にしてやれば、あなた達は本当に自由になるのである。(そしていつまでも父上のところにおることができる。)

 

テトスへの手紙 2:14 このキリストが、わたしたちのためにご自身をささげられたのは、わたしたちをすべての不法からあがない出して、良いわざに熱心な選びの民を、ご自身のものとして聖別するためにほかならない。 (JCV)

 

ヘブル人への手紙 8:10[塚本訳] 「これこそわたしがイスラエルの家と結ぶ契約である、かの日の後に」と主は言われる、「わたしは彼らの悟りにわたしの律法を与え、彼らの心にそれを書きしるすであろう。わたしは彼らの神になり、彼らがわたしの民になるであろう。

 

ローマ人への手紙 3:19-20 さて、わたしたちが知っているように、すべて律法の言うところは、律法のもとにある者たちに対して語られている。それは、すべての口がふさがれ、全世界が神のさばきに服するためである。 20 なぜなら、律法を行うことによっては、すべての人間は神の前に義とせられないからである。律法によっては、罪の自覚が生じるのみである。 (JCV)

 

ローマ人への手紙 7:4[塚本訳]だから、わたしの兄弟たちよ、(あなた達と律法との関係も同じで

あ る。)キリストの体(が十字架の上で死んだこと)によって、あなた達も律法との関係では(一しょに)殺されたのである。これはあなた達が(古い夫である律 法の束縛をはなれ、)ほかの者、すなわち死人の中から復活された方、(新しい夫キリスト)のものになって、わたし達が神のために(善い)実を結ぶためであ る。"

 

ガラテヤ人への手紙 5:18[塚本訳] しかしもしあなた達が霊に導かれているならば、律法の(支配の)下にはいない。

 

 

 

「贖罪」愛は母の愛

 

聖書には「母の愛」という言葉も テーマもない。あの有名な「放蕩息子の譬話」(ルカ福音書15章11−32)にも母の姿が出てこない。この物語では母はすでに死んでいるのだろうか。「十 字架は義として見るより愛としてみたほうがよく分る」とは塚本虎二先生の言葉である。まことにそのとおりである。ではなぜ聖書には母の愛を描いたテーマが ないのであろうか。これは長い間の私の疑問であった。この問題は仏教の慈悲、キリスト教の「贖罪」の違いにもかかわる深い問題である。かって藤井武が救い には愛のみが必要で贖罪は必要ないと内村鑑三と論争したそうであるが(火災で関係資料を焼失したので出典を示せない。このような時いちいち出典を探してい ては文章は書けない。昨年の火災は生活や時間を単純化してくれた)、内村鑑三は激怒して必死に取り消させたという。わたしはこの内村の「激怒」に内村が神 の義を示したという深い意義を見出す。父の激怒は激怒したくないのに激怒せざるをえない贖罪の前提としての悲しみの激怒なのだ。つらい役回りなのだ。それ に対し母の愛には贖罪がないのではなくて、怒りの言葉や理論ではなく贖罪の「実行」で現れているのではないだろうか。放蕩息子が帰ってきたとき父は僕たち に次のように言う。

ルカによる福音書 15:22-23 しかし、父親は僕たちに言った。『急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。

23 それから、肥えた子牛を連れて来て屠りなさい。食べて祝おう。 (JNICV)

私はここで考える。いちばんよい服とか指輪とか彼の履物などは僕ではなく母がよく知っているものである.。 だから妻がいたら「おーい、次男が帰ってきたぞー」と家の奥に声をかけたに違いない。しかしすでにその妻(つまり放蕩息子の母)はすでにこの世にはいな い。そこで仕方なく僕に言いつけてこれら身の回りのものや食事の用意をさせたのではないかと思うのである。もしここでその母が生きていたらこれらの仕事を 「実行」したのであろう。すぐ家の奥に入って服や履物を用意し、台所に入って食事の用意(食事作りは愛の労苦)をしたであろう。(この読み込みはいささか 文学的に過ぎるか・・・・)もしこの読み込みが当たっていたら、こういう場合の母の愛が贖罪の「実行」なのである。母の愛は「実行」のみになって現れる。イ エスの父ヨセフの詳しいことは聖書には書いてないが、イエスが「父なる神」と祈ったそのことから、ヨセフはどんな人かを推し量ることができるという。こう いう読み方をすれば聖書には「母の愛」がいたるところにあるではないか。モーセの母は自分の身の危険を冒してまでもモーセをパピルスの籠に入れて川に流し て救った。(出エジプト1:22−2:3)イエスの母は「イエスの仲間」だとして捕らえられる危険を冒してまでも最後まで十字架の元にいたではないか。 (ヨハネ19:25)これらは危険を冒してまでの「労苦」である。ここにあらわれた母の愛に贖罪愛の精神を読み込むことができる。

母の愛には「贖罪」の労苦が入っているのだ。母の愛がそもそも「身代わりの苦」の愛なのだ。「赦すことが最大の裁きであり、最大の贖罪」である。十字架の贖罪は怒りでなく説教でなく「愛の実行」そのものであり、それは母の愛の実行に似ている。

母の愛のような赦しがかえって最もよく人を裁く。イエスも十字架にかかる前の「別れの言葉」(ヨハネ13:31−16:33)の中で自分の十字架の死を母親のお産の苦しみに譬えている。母の愛は贖罪愛なのだ。

 

ヨハネによる福音書 16:21[塚本訳]

女が子を産む時には、女の(宿命の)時が到来したので悲しみがあるけれども、子が生まれると、一人の人間が世に生まれ出た喜びのために、もはや(お産の)苦しみを覚えていない。"

 

2001.3.10 高橋照男

 

表  題 ・ 要  約

 

義の奴隷(6:15−23)・・・新共同訳

 

服従の力(6:12−23)・・・バルト

 

服従のために解放された(6:12−23)・・・ケーゼマン

 

罪の下僕から義の下僕へ!(6:15−23)・・・アルトハウスNTD

 

罪の僕と義の僕(6:15−23)・・・黒崎幸吉

 

罪の奴隷 義の奴隷(6:15−23)・・・フランシスコ会訳

 

罪の支配からの解放(6章)・・・高橋三郎

 

恵みのもとにあることの帰結(6:15−23)・・・青野(岩波)

 

キリストにある清潔(6:15−23)・・・八木(講談社)

 

罪の奴隷か義の奴隷か(6:15−18)

罪の給料と義の賜物 (6:19−23)・・・塚本註解

 

もはや罪の奴隷でなく義の奴隷(6:15−23)・・・塚本訳

  

義への奉仕におけるキリスト教的生(6:15−23)・・・ヴィルケンスEKK

 

自由と服従の新しい生涯(6:15−23)・・・白井きく

 

潔めらるゝ事=(2)僕役の生涯(3)恩恵の支配、(6:15−23)・・・内村鑑三

 

 

 

ローマ人への手紙6章15節

 

 [口語訳] それでは、どうなのか。律法の下にではなく、恵みの下にあるからといって、わたしたちは罪を犯すべきであろうか。断じてそうではない。

 

[新改訳] それではどうなのでしょう。私たちは、律法の下にではなく、恵みの下にあるのだから罪を犯そう、ということになるのでしょうか。絶対にそんなことはありません。

 

[新共同訳] では、どうなのか。わたしたちは、律法の下ではなく恵みの下にいるのだから、罪を犯してよいということでしょうか。決してそうではない。

 

 [文語訳]然らば如何に、我らは律法の下にあらず、恩惠の下にあるが故に、罪を犯すべきか、決して然らず。"

 

[塚本訳]それでは、どうだろうか。わたし達は律法の下にいるのでなく恩恵の下にいるのだから、罪を犯そうではないかということになるのだろうか。もちろん、そんなことはない。"

 

 [前田訳]それならどうでしよう。律法のもとでなく恩恵のもとにいるからとて、われらはこれからも罪を犯すべきでしょうか。断じて否です。

 

(NCV) So what should we do? Should we sin because we are under grace and not under law? No!

[解読の鍵]

ヨハネの第一の手紙 2:1 わたしの子たちよ、これらのことを書くのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。たとえ罪を犯しても、御父のもとに弁護者、正しい方、イエス・キリストがおられます。 (JNICV)

 

コリント人への第二の手紙 7:1[塚本訳] だから愛する者たちよ、こんな(神の)約束がわたし達にはあるのだから、肉と霊とのあらゆる汚れから自分を清め、神を恐れて完全に聖くなろうではないか。"

 

ガラテヤ人への手紙 2:17-18 しかし、キリストにあって義とされることを求めることによって、わたしたち自身が罪人であるとされるのなら、キリストは罪に仕える者なのであろうか。断じてそうではない。

18 もしわたしが、いったん打ちこわしたものを、再び建てるとすれば、それこそ、自分が違反者であることを表明することになる。 (JCV)

 

エペソ人への手紙 2:8-10 あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である。

9 決して行いによるのではない。それは、だれも誇ることがないためなのである。

10 わたしたちは神の作品であって、良い行いをするように、キリスト・イエスにあって造られたのである。神は、わたしたちが、良い行いをして日を過ごすようにと、あらかじめ備えて下さったのである。 (JCV)

 

テトスへの手紙 2:11-15 すべての人を救う神の恵みが現れた。

12 そして、わたしたちを導き、不信心とこの世の情欲とを捨てて、慎み深く、正しく、信心深くこの世で生活し、

13 祝福に満ちた望み、すなわち、大いなる神、わたしたちの救主キリスト・イエスの栄光の出現を待ち望むようにと、教えている。

14 このキリストが、わたしたちのためにご自身をささげられたのは、わたしたちをすべての不法からあがない出して、良いわざに熱心な選びの民を、ご自身のものとして聖別するためにほかならない。

15 あなたは、権威をもってこれらのことを語り、勧め、また責めなさい。だれにも軽んじられてはならない。 (JCV)

 

ユダの手紙 4 そのわけは、不信仰な人々がしのび込んできて、わたしたちの神の恵みを放縦な生活に変え、唯一の君であり、わたしたちの主であるイエス・キリストを否定しているからである。彼らは、このようなさばきを受けることに、昔から予告されているのである。 (JCV)

 

 

 

ローマ人への手紙6章16節

 

 [口語訳] あなたがたは知らないのか。あなたがた自身が、だれかの僕になって服従するなら、あなたがたは自分の服従するその者の僕であって、死に至る罪の僕ともなり、あるいは、義にいたる従順の僕ともなるのである。

 

[新改訳] あなたがたはこのことを知らないのですか。あなたがたが自分の身をささげて奴隷として服従すれば、その服従する相手の奴隷であって、あるいは罪の奴隷となって死に至り、あるいは従順の奴隷となって義に至るのです。

 

[新共同訳] 知らないのですか。あなたがたは、だれかに奴隷として従えば、その従っている人の奴隷となる。つまり、あなたがたは罪に仕える奴隷となって死に至るか、神に従順に仕える奴隷となって義に至るか、どちらかなのです。

 

[文語訳]なんぢら知らぬか、己を獻げ僕となりて、誰に從ふとも其の僕たることを。或は罪の僕となりて死に至り、或は從順の僕となり義に至る。 

 

 [塚本訳]あなた達はこのことを知らないのか。──奴隷として服従するためにある人に自分をまかせれば、あなた達は服従するその人の奴隷であって、罪の奴隷になって死ぬか、それとも、(神に)従順の奴隷になって義とされ(て生き)るか、どちらかである。"

 

[前田訳]このことをご存じありませんか。奴隷として服従するよう自らを人にまかせれば、あなた方はその奴隷として服従すべきであり、それは罪の奴隷として死に至るか、従順の奴隷として義に至るか、どちらかです。"

 (NCV)Surely you know that when you give yourselves like slaves to obey someone, then you are really slaves of that person. The person you obey is your master. You can follow sin, which brings spiritual death, or you can obey God, which makes you right with him.

 [解読の鍵]

ローマ人への手紙 6:13[塚本訳] またあなた達の肢体を不道徳の武器にして罪にまかせていてはならない。あなた達は死人の中から命によみがえった者であるから、自分を神に、すなわち自分の肢体を義の武器にして神にまかせよ。"

 

ヨシュア記 24:14-15 あなたたちはだから、主を畏れ、真心を込め真実をもって彼に仕え、あなたたちの先祖が川の向こう側やエジプトで仕えていた神々を除き去って、主に仕えなさい。

15 もし主に仕えたくないというならば、川の向こう側にいたあなたたちの先祖が仕えていた神々でも、あるいは今、あなたたちが住んでいる土地のアモリ人の神々でも、仕えたいと思うものを、今日、自分で選びなさい。ただし、わたしとわたしの家は主に仕えます。」 (JNICV)

 

マタイによる福音書 6:24[塚本訳] (わたし達の心は天か地かに引かれる。)だれも(同時に)二人の主人に仕えることは出来ない。こちらを憎んであちらを愛するか、こちらに親しんであちらを疎んじるか、どちらかである。あなた達は神と富とに仕えることは出来ない。"

 

ヨハネによる福音書 8:34-36 イエスは彼らに答えられた、「よくよくあなたがたに言っておく。すべて罪を犯す者は罪の奴隷である。 35 そして、奴隷はいつまでも家にいる者ではない。しかし、子はいつまでもいる。 36 だから、もし子があなたがたに自由を得させるならば、あなたがたは、ほんとうに自由な者となるのである。 (JCV)

 

ペテロの第二の手紙 2:19-22 この人々に自由を与えると約束しながら、彼ら自身は滅亡の奴隷になっている。おおよそ、人は征服者の奴隷となるものである。

20 彼らが、主また救主なるイエス・キリストを知ることにより、この世の汚れからのがれた後、またそれに巻き込まれて征服されるならば、彼らの後の状態は始めよりも、もっと悪くなる。

21 義の道を心得ていながら、自分に授けられた聖なる戒めにそむくよりは、むしろ義の道を知らなかった方がよい。 22 ことわざに、「犬は自分の吐いた物に帰り、豚は洗われても、また、どろの中にころがって行く」とあるが、彼らの身に起ったことは、そのとおりである。 (JCV)

 

ローマ人への手紙 6:12-14 だから、あなたがたの死ぬべきからだを罪の支配にゆだねて、その情欲に従わせることをせず、 13 また、あなたがたの肢体を不義の武器として罪にささげてはならない。むしろ、死人の中から生かされた者として、自分自身を神にささげ、自分の肢体を義の武器として神にささげるがよい。14 なぜなら、あなたがたは律法の下にあるのではなく、恵みの下にあるので、罪に支配されることはないからである。 (JCV)

 

 

 

ローマ人への手紙6章17節

 

  [口語訳] しかし、神は感謝すべきかな。あなたがたは罪の僕であったが、伝えられた教の基準に心から服従して、

 

[新改訳] 神に感謝すべきことには、あなたがたは、もとは罪の奴隷でしたが、伝えられた教えの規準に心から服従し、

 

[新共同訳] しかし、神に感謝します。あなたがたは、かつては罪の奴隷でしたが、今は伝えられた教えの規範を受け入れ、それに心から従うようになり、

 

[文語訳]然れど神に感謝す、汝等はもと罪の僕なりしが、傳へられし教の範に心より從ひ、

 

[塚本訳]しかし神に感謝する、あなた達は(かつて)罪の奴隷であったが、(神から信仰の)教えの型に入れられて心からそれに服従し、

 

 [前田訳]しかし神に感謝します。あなた方は罪の奴隷でしたが、教えの型に入れられてそれに心から従い、

 (NCV) In the past you were slaves to sin -- sin controlled you. But thank God, you fully obeyed the things that you were taught.

 [解読の鍵]

ローマ人への手紙 1:8 まず初めに、イエス・キリストを通して、あなたがた一同についてわたしの神に感謝します。あなたがたの信仰が全世界に言い伝えられているからです。 (JNICV)

 

マタイによる福音書 11:25-26[塚本訳]

25その時イエスは声をはげまして言われた、「天地の主なるお父様、(神の国の秘密に関する)これらのことを(この世の)賢い人、知恵者に隠して、幼児(のような人たち)にあらわされたことを、讃美いたします。"26ほんとうに、お父様、そうなるのがあなたの御心でした。

 

使徒行伝 11:18[塚本訳] これを聞いて人々は沈黙し、「それでは異教人にも、神は(永遠の)命を得させる悔改めをお与えになったのだ」と言って、神を讃美した。"

 

コリント人への第一の手紙 1:4 わたしは、あなたがたがキリスト・イエスによって神の恵みを受けたことについて、いつもわたしの神に感謝しています。 (JNICV)

 

ピリピ人への手紙 1:3-5 わたしはあなたがたを思うたびごとに、わたしの神に感謝し、 4 あなたがた一同のために祈るとき、いつも喜びをもって祈り、

5 あなたがたが最初の日から今日に至るまで、福音にあずかっていることを感謝している。 (JCV)

 

テサロニケ人への第二の手紙 1:3[塚本訳] 兄弟達よ、当然のことながら、私達がいつも君達のために神に感謝しなければならないのは、君達の信仰が著しく成長し、また互いの愛が君達一人一人に皆増し加わっていることであって、"

 

ヨハネの第二の手紙 4 [塚本訳]あなたの子供たちのうちで、わたしたちが父から受けた戒めどおりに、真理のうちを歩いている者があるのを見て、わたしは非常に喜んでいる。 (JCV)

 

ヨハネの第三の手紙 3[塚本訳]というのは、兄弟たちが(ここに)来て、あなたが真理に立っていること、(すなわち、)いかに真理を歩いているかを証ししてくれたので、わたしは非常に喜んだのである。

 

ローマ人への手紙 1:5 わたしたちは、その御名のために、すべての異邦人を信仰の従順に至らせるようにと、彼によって恵みと使徒の務とを受けたのであり、 (JCV)

 

テトスへの手紙 3:3-7 わたしたちも以前には、無分別で、不従順な、迷っていた者であって、さまざまの情欲と快楽との奴隷になり、悪意とねたみとで日を過ごし、人に憎まれ、互に憎み合っていた。 4 ところが、わたしたちの救主なる神の慈悲と博愛とが現れたとき、

5 わたしたちの行った義のわざによってではなく、ただ神のあわれみによって、再生の洗いを受け、

6 聖霊により新たにされて、わたしたちは救われたのである。この聖霊は、わたしたちの救主イエス・キリストをとおして、わたしたちの上に豊かに注がれた。

7 これは、わたしたちが、キリストの恵みによって義とされ、永遠のいのちを望むことによって、御国をつぐ者となるためである。 (JCV)

 

 

 

ローマ人への手紙6章18節

 

 [口語訳] 罪から解放され、義の僕となった。

 

[新改訳] 罪から解放されて、義の奴隷となったのです。

 

[新共同訳] 罪から解放され、義に仕えるようになりました。

 

 [文語訳]罪より解放されて義の僕となりたり。

 

[塚本訳]罪(の奴隷たる身分)から自由にされて、義の奴隷にしていただいたのである。"

 

[前田訳]罪から解放されて義の奴隷にされました。

 

(NCV)You were made free from sin, and now you are slaves to goodness.

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙 6:14[塚本訳]なぜなら、罪はもうあなた達の主人として支配することはないからである。あなた達は律法の下にいるのでなく、恩恵の下にいるのである。"

 

詩篇 116:16 主よ、わたしはあなたのしもべです。わたしはあなたのしもべ、あなたのはしための子です。あなたはわたしのなわめを解かれました。 (JCV)

 

詩篇 119:44-45 わたしがあなたの律法を守る者でありますように、常に、そしてとこしえに。

45 広々としたところを行き来させてください。あなたの命令を尋ね求めています。 (JNICV)

 

ルカによる福音書 1:74-75 わたしたちを敵の手から救い出し、

75 生きている限り、きよく正しく、みまえに恐れなく仕えさせてくださるのである。 (JCV)

 

ヨハネによる福音書 8:31-32 イエスは自分を信じたユダヤ人たちに言われた、「もしわたしの言葉にうちにとどまっておるなら、あなたがたは、ほんとうにわたしの弟子なのである。

32 また真理を知るであろう。そして真理は、あなたがたに自由を得させるであろう」。 (JCV)

 

ヨハネによる福音書 8:36[塚本訳] だから、もし子(たるわたし)が(罪から)自由にしてやれば、あなた達は本当に自由になるのである。(そしていつまでも父上のところにおることができる。)

 

 

 

ローマ人への手紙6章19節

 

 [口語訳] わたしは人間的な言い方をするが、それは、あなたがたの肉の弱さのゆえである。あなたがたは、かつて自分の肢体を汚れと不法との僕としてささげて不法に陥ったように、今や自分の肢体を義の僕としてささげて、きよくならねばならない。

 

[新改訳] あなたがたにある肉の弱さのために、私は人間的な言い方をしています。あなたがたは、以前は自分の手足を汚れと不法の奴隷としてささげて、不法に進みましたが、今は、その手足を義の奴隷としてささげて、聖潔に進みなさい。

 

[新共同訳] あなたがたの肉の弱さを考慮して、分かりやすく説明しているのです。かつて自分の五体を汚れと不法の奴隷として、不法の中に生きていたように、今これを義の奴隷として献げて、聖なる生活を送りなさい。

 

 [文語訳]斯く人の事をかりて言ふは、汝らの肉よわき故なり。なんぢら舊その肢體をささげ、穢と不法との僕となりて不法に到りしごとく、今その肢體をささげ、義の僕となりて潔に到れ。"

 

[塚 本訳](奴隷の例でこんな)人間的の言い方をするのは、あなた達の理解力が(まだ)弱いからである。(わたしはこう言いたい。──かつて)あなた達が奴隷 になって肢体を汚れと不法とにまかせて不法を行ったように、今度は(神の)奴隷になって肢体を義にまかせて聖くなれと。"

 

[前田訳]人間的ないい方をしますが、それはあなた方の肉の弱さのためです。肢体を奴隷としてけがれと不法にまかせて不法をしたように、今は肢体を奴隷として義にまかせて聖に向かいなさい。"

 

(NCV) I use this example because this is hard for you to understand. In the past you offered the parts of your body to be slaves to sin and evil; you lived only for evil. In the same way now you must give yourselves to be slaves of goodness. Then you will live only for God.

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙 6:13-16 また、あなたがたの肢体を不義の武器として罪にささげてはならない。むしろ、死人の中から生かされた者として、自分自身を神にささげ、自分の肢体を義の武器として神にささげるがよい。 14 なぜなら、あなたがたは律法の下にあるのではなく、恵みの下にあるので、罪に支配されることはないからである。 15 それでは、どうなのか。律法の下にではなく、恵みの下にあるからといって、わたしたちは罪を犯すべきであろうか。断じてそうではない。

16 あなたがたは知らないのか。あなたがた自身が、だれかの僕になって服従するなら、あなたがたは自分の服従するその者の僕であって、死に至る罪の僕ともなり、あるいは、義にいたる従順の僕ともなるのである。 (JCV)

 

コリント人への第一の手紙 15:33[塚本訳] 迷わされてはならない。(復活の信仰のない人との交際に注意せよ。)悪い交際は良い習慣をこわす。(と詩人も言っている。)

 

 

 

ローマ人への手紙6章20節

 

[口語訳] あなたがたが罪の僕であった時は、義とは縁のない者であった。

 

[新改訳] 罪の奴隷であった時は、あなたがたは義については、自由にふるまっていました。

 

[新共同訳] あなたがたは、罪の奴隷であったときは、義に対しては自由の身でした。

 

 [文語訳]なんぢら罪の僕たりしときは義に對して自由なりき。

 

[塚本訳]なぜなら、あなた達が罪の奴隷であった時には、義に対して自由(の身)であって(勝手放題な生活をしてい)たが、

 

 [前田訳]罪の奴隷であったとき、あなた方は義に対して自由でしたが、

 

(NCV) In the past you were slaves to sin, and goodness did not control you.

 

[解読の鍵]

 

ヨハネによる福音書 8:34[塚本訳]

イエスは答えられた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、罪を犯す者は皆罪の奴隷である。

 

ローマ人への手紙 6:16-18 あなたがたは知らないのか。あなたがた自身が、だれかの僕になって服従するなら、あなたがたは自分の服従するその者の僕であって、死に至る罪の僕ともなり、あるいは、義にいたる従順の僕ともなるのである。

17 しかし、神は感謝すべきかな。あなたがたは罪の僕であったが、伝えられた教の基準に心から服従して、

18 罪から解放され、義の僕となった。 (JCV)

 

 

 

ローマ人への手紙6章21節

 

[口語訳] その時あなたがたは、どんな実を結んだのか。それは、今では恥とするようなものであった。それらのものの終極は、死である。

 

[新改訳] その当時、今ではあなたがたが恥じているそのようなものから、何か良い実を得たでしょうか。それらのものの行き着く所は死です。

 

[新共同訳] では、そのころ、どんな実りがありましたか。あなたがたが今では恥ずかしいと思うものです。それらの行き着くところは、死にほかならない。

 

 [文語訳]その時に今は恥とする所の事によりて何の實を得しか、これらの事の極は死なり。"

 

[塚本訳]その時いったいどんな実を得たのであったか。今なら恥ずかしいものではないか。それらのものの最後は死だからである。

 

 [前田訳]そのころ何の実を得ましたか。今なら恥じ入るようなものでした。それらの極は死です。"

(NCV) You did evil things, and now you are ashamed of them. Those things only bring death.

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙 7:5[塚本訳]なぜなら、わたし達が(生まれたままの)肉にあっ(て生きてい)た時には、律法(の刺激)による罪の情熱が肢体の中に働いて、わたし達は死のために(滅びの)実を結んだからである

 

箴言 9:13-16 愚かな女は、騒がしく、みだらで、恥を知らない。

14 彼女はその家の戸口に座し、町の高い所にある座にすわり、

15 道を急ぐ行き来の人を招いて言う、

16 「思慮のない者よ、ここに来れ」と。また知恵のない人に向かってこれに言う、 (JCV)

 

ヨブ記 40:4 「見よ、わたしはまことに卑しい者です、なんとあなたに答えましょうか。ただ手を口に当てるのみです。 (JCV)

 

ヨブ記 42:5-6 わたしはあなたの事を耳で聞いていましたが、今はわたしの目であなたを拝見いたします。

6 それでわたしはみずから恨み、ちり灰の中で悔います」。 (JCV)

 

エレミヤ書 3:2-8 目を上げて裸の山々を見よ、お前が男に抱かれなかった所があろうか。荒れ野でアラビア人が座っているように、お前は道端に座って彼らを待つ。淫行の悪に よってお前はこの地を汚した。 3 雨がとどめられ、春の雨も降らなかったのはそのためだ。お前には遊女の額があり、少しも恥じようとしない。 4 「あなたは、わが父、わたしの若い日の夫」と、お前がわたしに呼びかけるのは、今が初めてだろうか。 5 「主はいつまでも憤り、限りなく怒り続けるだろうか」と、お前は言いながら悪を重ねる。それでもお前は平気だ。 6 ヨシヤ王の時代に、主はわたしに言われた。あなたは背信の女イスラエルのしたことを見たか。彼女は高い山の上、茂る木の下のどこにでも行って淫行にふけっ た。 7 彼女がこのようなことをしたあとにもなお、わたしは言った。「わたしに立ち帰れ」と。しかし、彼女は立ち帰らなかった。その姉妹である裏切りの女ユダはそ れを見た。 8 背信の女イスラエルが姦淫したのを見て、わたしは彼女を離別し、離縁状を渡した。しかし、裏切りの女であるその姉妹ユダは恐れるどころか、その淫行を続け た。 (JNICV)

 

エレミヤ書 31:18-19 わたしはエフライムが嘆くのを確かに聞いた。「あなたはわたしを懲らしめ、わたしは馴らされていない子牛のように、懲らしめを受けました。どうかわたしを立ち帰らせてください。わたしは立ち帰ります。あなたは主、わたしの神です。

19 わたしは背きましたが、後悔し、思い知らされ、腿を打って悔いました。わたしは恥を受け、卑しめられ、若いときのそしりを負って来ました。」 (JNICV)

 

ルカによる福音書 15:17-21 そこで、彼は我に返って言った。『父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどパンがあるのに、わたしはここで餓え死にしそうだ。

18 ここをたち、父のところに行って言おう。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。

19 もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と。』

20 そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。

21 息子は言った。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』 (JNICV)

 

コリント人への第二の手紙 7:11[塚本訳] 見よ。神の御心に沿ってあなた達が悲しんだこと、それがどれほどの熱心を、そうだ弁解を、そうだ(事件に対する)憤慨を、そうだ(わたしの怒りに対する) 恐れを、そうだ熱望を、そうだ熱誠を、そうだその処罰(の決意)を、あなた達にもたらしたことであろうか!あなた達はあらゆることで、あの事件に関して自 分の罪のないことを現した。"

 

 

 

ローマ人への手紙6章22節

 

 [口語訳] しかし今や、あなたがたは罪から解放されて神に仕え、きよきに至る実を結んでいる。その終極は永遠のいのちである。

 

[新改訳] しかし今は、罪から解放されて神の奴隷となり、聖潔に至る実を得たのです。その行き着く所は永遠のいのちです。

 

[新共同訳] あなたがたは、今は罪から解放されて神の奴隷となり、聖なる生活の実を結んでいます。行き着くところは、永遠の命です。

 

 [文語訳]然れど今は罪より解放されて神の僕となりたれば、潔にいたる實を得たり、その極は永遠の生命なり。 

 

[塚本訳]しかし今は、罪から自由にされて神の奴隷にしていただき、一つの実を得ている。この実はあなた達を聖め、最後は永遠の命に至らせるのである。"

 

 [前田訳]今や罪から解放されて神の奴隷にされ、あなた方は聖化への実を持っています。その極は永遠のいのちです。  "

 

(NCV) But now you are free from sin and have become slaves of God. This brings you a life that is only for God, and this gives you life forever

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙 8:2[塚本訳]なぜなら、キリスト・イエスによる命の霊の法則が、死と罪との法則からあなたを自由にしたからである。"

 

ヨハネによる福音書 8:32 あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」 (JNICV)

 

コリント人への第二の手紙 3:17[塚本訳]

(ここで)主(と)は御霊(のこと)である。主の御霊のあるところには自由が(あるから、ベールが取り除かれるので)ある。

 

ガラテヤ人への手紙 5:13[塚本訳]

兄弟たちよ、あなた達は自由のために(神から)召されたのである。ただこの自由を(濫用して)肉を満足させる機会としてはならない。むしろ愛によって互に奴隷として仕えるべきである。

 

コロサイ人への手紙 1:9-10 そういうわけで、これらの事を耳にして以来、わたしたちも絶えずあなたがたのために祈り求めているのは、あなたがたがあらゆる霊的な知恵と理解力とをもって、神の御旨を深く知り、

10 主のみこころにかなった生活をして真に主を喜ばせ、あらゆる良いわざを行って実を結び、神を知る知識をいよいよ増し加えるに至ることである。 (JCV)

 

ローマ人への手紙 7:25[塚本訳]・・神様、感謝します、わたし達の主イエス・キリストによって!・・従って、このわたしは理性では神の律法に仕えるが、肉では罪の法則に仕えるのである。"

 

マタイによる福音書 13:40 だから、毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終りにもそのとおりになるであろう。 (JCV)

 

マタイによる福音書 13:43 そのとき、義人たちは彼らの父の御国で、太陽のように輝きわたるであろう。耳のある者は聞くがよい。 (JCV)

 

マタイによる福音書 19:29[塚本訳] そしてわたしのために家や兄弟や姉妹や父や母や畑をすてた者は一人のこらず、(この世で)その幾倍を受け、また(来るべき世では)永遠の命をいただくのである。"

 

マタイによる福音書 25:46[塚本訳] こうして、“この(悪い)人たちは永遠の”刑罰に、正しい人たちは“永遠の命に”入るであろう。」"

 

ヨハネによる福音書 4:36[塚本訳]

すでに、刈る人は報酬を受けている。すなわち永遠の命にいたる実を集めている。まく人も刈る人も、同時に喜ぶためである。

 

 

 

ローマ人への手紙6章23節

 

 [口語訳] 罪の支払う報酬は死である。しかし神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスにおける永遠のいのちである。

 

[新改訳] 罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。

 

[新共同訳] 罪が支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命なのです。

 

 [文語訳]それ罪の拂ふ價は死なり、然れど神の賜物は我らの主キリスト・イエスにありて受くる永遠の生命なり。"

 

[塚本訳]なぜなら、罪が(奴隷に)払ってくれる給料は死であり、(従う者に与えられる)神の賜物は、わたし達の主イエス・キリストにおいての永遠の命だからである。

 

 [前田訳]それは、罪からの報酬は死であり、神からの賜物はわれらの主キリスト・イエスにあっての永遠のいのちだからです。

 

(NCV) When people sin, they earn what sin pays -- death. But God gives us a free gift -- life forever in Christ Jesus our Lord.

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙 5:12[塚本訳]この救いはキリストとアダムとを比較する時に、はっきりす

る。)すなわち、一人の人(アダム)によってこの世に罪が入ってき、罪によって死が入

ってき、こうして、(この人において)人は一人のこらず罪を犯したので、全人類に死が

行き渡ったように──([一八節ニツヅク]一人の人キリストの正しい行いによって、全

人類に命を与える義が臨んだのである。)"

 

創世記 2:16-17 主なる神はその人に命じて言われた、「あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べてよろしい。

17 しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう」。 (JCV)

 

創世記 3:19 お前は顔に汗を流してパンを得る土に返るときまで。お前がそこから取られた土に。塵にすぎないお前は塵に返る。」 (JNICV)

 

イザヤ書 3:10-11 正しい人に言え、彼らはさいわいであると。彼らはその行いの実を食べるからである。

11 悪しき者はわざわいだ、彼は災をうける。その手のなした事が彼に報いられるからである。 (JCV)

 

エゼキエル書 18:4 見よ、すべての魂はわたしのものである。父の魂も子の魂もわたしのものである。罪を犯した魂は必ず死ぬ。 (JCV)

 

エゼキエル書 18:20-21 罪を犯した本人が死ぬのであって、子は父の罪を負わず、父もまた子の罪を負うことはない。正しい人の正しさはその人だけのものであり、悪人の悪もその人だけのものである。

21 悪人であっても、もし犯したすべての過ちから離れて、わたしの掟をことごとく守り、正義と恵みの業を行うなら、必ず生きる。死ぬことはない。 (JNICV)

 

コリント人への第一の手紙 6:9-10 それとも、正しくない者が神の国をつぐことはないのを、知らないのか。まちがってはいけない。不品行な者、偶像を礼拝する者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者、盗む者、

10 貪欲な者、酒に酔う者、そしる者、略奪する者は、いずれも神の国をつぐことはないのである。

(JCV)

 

ガラテヤ人への手紙 3:10 いったい、律法の行いによる者は、皆のろいの下にある。「律法の書に書いてあるいっさいのことを守らず、これを行わない者は、皆のろわれる」と書いてあるからである。 (JCV)

 

ヨハネによる福音書 3:36[塚本訳] (だから従順に)御子を信ずる者は永遠の命を持つが、御子に不従順な者は命にはいることができないばかりか、神の怒りがその人からはなれない。」

 

 

 

汚い女と一緒の性倫理の乱れと血の「贖罪」のありがたさ

 

ルカによる福音書 15:30[塚本訳]

ところがあのあなたの息子、きたない女どもと一しょに、あなたの身代をくらいつぶしたあれがかえって来ると、肥えた小牛を御馳走されるのはどういうわけですか。』"

 

神 から離れていると決まって判で付いたようにその結末は性の倫理の乱れとなってあらわれる。性の倫理に対しては人間の勝手な考えにかかわらず天罰が何らかの 形(それは一族・・・親か子・・・にも)で下るので神はどうしようにもなく恐ろしい方なのだ。これは人生における動かしがたい事実である。神などないと いって性の倫理を無視して乱れた生活(低級な文学はこれを美化しているのだ)をしていると必ずといってよいほど人生は行き詰まる。キリスト教を捨てた有島 武郎の結末(中学高校のとき有島の自然主義に惹かれたがその最後を知ってがっくり来た)は人妻(?)との情死で首吊り自殺をしたが、発見されたときには綱 に無数の蛆虫(うじむし)が滝のように上下していたという。げに恐ろしき光景である。こんなとき、人間はいかに悔い改めても神の心は休まらない。放蕩息子 の父の心は玄関先でその息子の顔をガンと一発殴ったぐらいではすまないのだ。一喝して説教や小言を言ったぐらいではすまないのだ。血の粛清が求められるの だ。人間の犯す罪というのは血を流すことが必要なほどそれほど深く深刻なものなのだ。血は罪を清める。ありがたいのはイエスの贖罪の血である。罪の生活か ら無条件で清い光の平安な喜びの人生へと招き入れてくれるのだ。人生をやり直しさせてくれるのだ。過去を清算して清めて再出発させて下さるのだ。だからイ エスの贖罪は議論でなく人間世界の「要求」である。20001.3.15高橋照男

表  題 ・ 要  約

 

結婚の比喩(7:1−6)・・・新共同訳

 

宗教の限界(7:1−6)・・・バルト

 

霊の力による律法の終焉(7:1−8:39)

    律法からの自由(7:1−6)・・・ケーゼマン

 

合法的身分としてのキリスト信徒の律法からの自由(7:1−6)・・・アルトハウスNTD

 

キリストとの婚姻関係(7:1−6)・・・黒崎幸吉

 

律法からの解放(7:1−6)・・・フランシスコ会訳

 

律法の支配からの解放(7章)・・・高橋三郎

 

律法からの解放(7:1−6)・・・青野(岩波)

 

律法から解放され、聖霊に従う生(7:1−6)・・・八木(講談社)

 

新しい夫(7:1−5)

文字か霊か (7:6)・・・塚本註解

 

古い夫律法は死んで新しい夫はキリスト(7:1−6)・・・塚本訳

  

肉における存在から霊における存在へ(7:1−8:17)

支配の転換(7:1−6)・・・ヴィルケンスEKK

 

律法からの自由は正当である(7:1−6)・・・白井きく

 

潔めらるゝ事(4)=律法の廃棄(7:1−6)・・・内村鑑三

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ローマ人への手紙7章1節

 

[口語訳] それとも、兄弟たちよ。あなたがたは知らないのか。わたしは律法を知っている人々に語るのであるが、律法は人をその生きている期間だけ支配するものである。

 

[新改訳] それとも、兄弟たち。あなたがたは、律法が人に対して権限を持つのは、その人の生きている期間だけだ、ということを知らないのですか。――私は律法を知っている人々に言っているのです。――

 

[新共同訳] それとも、兄弟たち、わたしは律法を知っている人々に話しているのですが、律法とは、人を生きている間だけ支配するものであることを知らないのですか。

 

[文語訳]兄弟よ、なんぢら知らぬか、(われ律法を知る者に語る)律法は人の生ける間のみ之に主たるなり。

 

[塚本訳]それとも、あなた達は知らないのか、兄弟たちよ、──これは法

律を知っている人たちに言うのだが──法律は人が生きている間だけ人を支配するのであ

る。"

 

 [前田訳]それとも、ご存じありませんか、兄弟たちよ、わたしは律法を知る人々に申しますが、律法は人が生きている間だけ人を支配します。

 

(NCV)Brothers and sisters, all of you understand the law of Moses. So surely you know that the law rules over people only while they are alive.

 

[解読の鍵]

 

ローマ人への手紙 6:3[塚本訳] それともあなた達は知らないのか、キリスト・イエスへと洗礼を受けたわたし達はみな(彼のものになって、)彼の死へと洗礼を受けたのである。

 

ローマ人への手紙 2:17-18 もしあなたが、自らユダヤ人と称し、律法に安んじ、神を誇とし、

18 御旨を知り、律法に教えられて、なすべきことをわきまえており、 (JCV)

 

箴言 6:23 戒めはともしびである、教は光である、教訓の懲らしめは命の道である。 (JCV)

 

コリント人への第一の手紙 9:8 わたしがこう言うのは、人間の思いからでしょうか。律法も言っているではないですか。 (JNICV)

 

ローマ人への手紙 8:6[塚本訳] 肉を追い求めることは死をもたらすが、霊を追い求めることは命と平安とをもたらすからである。"

 

ローマ人への手紙 6:14[塚本訳]なぜなら、罪はもうあなた達の主人として支配することはないからである。あなた達は律法の下にいるのでなく、恩恵の下にいるのである。"

 

 

 

ローマ人への手紙7章2節

 

 [口語訳] すなわち、夫のある女は、夫が生きている間は、律法によって彼につながれている。しかし、夫が死ねば、夫の律法から解放される。

 

[新改訳] 夫のある女は、夫が生きている間は、律法によって夫に結ばれています。しかし、夫が死ねば、夫に関する律法から解放されます。

 

[新共同訳] 結婚した女は、夫の生存中は律法によって夫に結ばれているが、夫が死ねば、自分を夫に結び付けていた律法から解放されるのです。

 

 [文語訳]夫ある婦は律法によりて夫の生ける中は之に縛らる。然れど夫死なば夫の律法より解かるるなり。

 

 

[塚本訳]たとえば、結婚した婦人は夫が生きているうちは法律によって(夫に)結びつけられているが、夫が死ねば、(彼女を夫に結びつける)夫の法律から解かれる。

 

 [前田訳]すなわち、とついだ女は夫が生きている間は律法によって彼に結ばれていますが、夫が死ねば、夫の律法から解放されます。

 

(NCV) For example, a woman must stay married to her husband as long as he is alive. But if her husband dies, she is free from the law of marriage.

 

[解読の鍵]

 

創世記 2:23-24 そのとき、人は言った。「これこそ、ついにわたしの骨の骨、わたしの肉の肉。男から取ったものだから、これを女と名づけよう」。

24 それで人はその父と母を離れて、妻と結び合い、一体となるのである。 (JCV)

 

コリント人への第一の手紙 7:1-4 さて、あなたがたが書いてよこした事について答えると、男子は婦人にふれないがよい。

2 しかし、不品行に陥ることのないために、男子はそれぞれ自分の妻を持ち、婦人もそれぞれ自分の夫を持つがよい。

3 夫は妻にその分を果し、妻も同様に夫にその分を果すべきである。

4 妻は自分のからだを自由にすることはできない。それができるのは夫である。夫も同様に自分のからだを自由にすることはできない。それができるのは妻である。 (JCV)

 

コリント人への第一の手紙 7:39-40[塚本訳]

妻は夫が生きている間は、(夫に)束縛されている。しかしもし夫が眠ったなら、望みの人と結婚することは自由である。ただ主にあって(信者とだけ)すべきである。"40しかしもしそのままにしておれば、より仕合わせである。これはわたしの意見であるが、わたしも神の霊をいただいていると思う。"

 

 

 

ローマ人への手紙7章3節

 

[口語訳] であるから、夫の生存中に他の男に行けば、その女は淫婦と呼ばれるが、もし夫が死ねば、その律法から解かれるので、他の男に行っても、淫婦とはならない。

 

[新改訳] ですから、夫が生きている間に他の男に行けば、姦淫の女と呼ばれるのですが、夫が死ねば、律法から解放されており、たとい他の男に行っても、姦淫の女ではありません。

[新共同訳] 従って、夫の生存中、他の男と一緒になれば、姦通の女と言われますが、夫が死ねば、この律法から自由なので、他の男と一緒になっても姦通の女とはなりません。

 

 [文語訳]されば夫の生ける中に他の人に適かば淫婦と稱へらるれど、夫死なばその律法より解放さるる故に、他の人に()くとも淫婦とはならぬなり。

 

[塚本訳]従って、夫が生きているうちにほかの男のものになれば、姦婦と言われるけれども、夫が死ねば、たとえほかの男のものになっても、(夫の)法律から自由(の身)であるから、姦婦ではない。

 

 [前田訳]したがって、夫が生きている間に、ほかの男に行けば悪女と呼ばれますが、夫が死ねば、その律法から自由なので、ほかの男のものになっても悪女にはなりません。 

 

(NCV) But if she marries another man while her husband is still alive, the law says she is guilty of adultery. But if her husband dies, she is free from the law of marriage. Then if she marries another man, she is not guilty of adultery.

 

[解読の鍵]

出エジプト記 20:14 あなたは姦淫してはならない。 (JCV)

 

レビ記 20:10 人の妻と姦淫する者、すなわち隣人の妻と姦淫する者があれば、その姦夫、姦婦は共に必ず殺されなければならない。 (JCV)

 

申命記 22:23-24 もし処女である女が、人と婚約した後、他の男が町の内でその女に会い、これを犯したならば、

24 あなたがたはそのふたりを町の門にひき出して、石で撃ち殺さなければならない。これはその女が町の内におりながら叫ばなかったからであり、またその男は隣人の妻をはずかしめたからである。あなたはこうしてあなたがたのうちから悪を除き去らなければならない。 (JCV)

 

マタイによる福音書 5:32[塚本訳] しかしわたしはあなた達に言う、不品行以外の理由で妻を離縁する者は皆、その女に姦淫を犯させるのである。離縁された女と結婚する者も、姦淫を犯すのである。"

 

マルコによる福音書 10:6-12 しかし、天地創造の初めから、『神は人を男と女とに造られた。

7 それゆえに、人はその父母を離れ、 8 ふたりの者は一体となるべきである』。彼らはもはや、ふたりではなく一体である。 9 だから、神が合わせられたものを、人は離してはならない」。

10 家にはいってから、弟子たちはまたこのことについて尋ねた。 11 そこで、イエスは言われた、「だれでも、自分の妻を出して他の女をめとる者は、その妻に対して姦淫を行うのである。

12 また妻が、その夫と別れて他の男にとつぐならば、姦淫を行うのである」。 (JCV)

 

ヨハネによる福音書 8:3-5 すると、律法学者たちやパリサイ人たちが、姦淫をしている時につかまえられた女をひっぱってきて、中に立たせた上、イエスに言った、 4 「先生、この女は姦淫の場でつかまえられました。 5 モーセは律法の中で、こういう女を石で打ち殺せと命じましたが、あなたはどう思いますか」。 (JCV)

 

 

 

ローマ人への手紙7章4節

 

[口 語訳] わたしの兄弟たちよ。このように、あなたがたも、キリストのからだをとおして、律法に対して死んだのである。それは、あなたがたが他の人、すなわち、死人 の中からよみがえられたかたのものとなり、こうして、わたしたちが神のために実を結ぶに至るためなのである。

 

[新改訳] 私の兄弟たちよ。それと同じように、あなたがたも、キリストのからだによって、律法に対しては死んでいるのです。それは、あなたがたが他の人、すなわち死者の中からよみがえった方と結ばれて、神のために実を結ぶようになるためです。

 

[新共同訳] ところで、兄弟たち、あなたがたも、キリストの体に結ばれて、律法に対しては死んだ者となっています。それは、あなたがたが、他の方、つまり、死者の中から復活させられた方のものとなり、こうして、わたしたちが神に対して実を結ぶようになるためなのです。

 

 [文語訳]わが兄弟よ、斯のごとく汝等もキリストの體により律法に就きて死にたり。これ他の者、すなはち死人の中より甦へらせられ給ひし者に適き、神のために實を結ばん爲なり。

 

[塚 本訳]だから、わたしの兄弟たちよ、(あなた達と律法との関係も同じである。)キリストの体(が十字架の上で死んだこと)によって、あなた達も律法との関 係では(一しょに)殺されたのである。これはあなた達が(古い夫である律法の束縛をはなれ、)ほかの者、すなわち死人の中から復活された方、(新しい夫キ リスト)のものになって、わたし達が神のために(善い)実を結ぶためである。

 

 [前田訳]それゆえ、わが兄弟たちよ、キリストの体によってあなた方も律法に対して殺されたのです。これはあなた方がほかのもの、すなわち死人の中から復活された方のものになって、われらが神に対して実るためです。

 

(NCV) In the same way, my brothers and sisters, your old selves died, and you became free from the law through the body of Christ. This happened so that you might belong to someone else -- the One who was raised from the dead -- and so that we might be used in service to God.

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙 7:6[塚本訳]しかし今は縛られていた律法に対して死に、律法から解かれたので、(律法の)古い文字によらず、(福音の)新しい霊において(神に)仕えるのである。"

 

ローマ人への手紙 6:14[塚本訳]なぜなら、罪はもうあなた達の主人として支配することはないからである。あなた達は律法の下にいるのでなく、恩恵の下にいるのである。

 

ローマ人への手紙 8:2[塚本訳]なぜなら、キリスト・イエスによる命の霊の法則が、死と罪との法則からあなたを自由にしたからである。"

 

ガラテヤ人への手紙 2:19-20 わたしは、神に生きるために、律法によって律法に死んだ。わたしはキリストと共に十字架につけられた。

20 生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた神の御子を信じる信仰によって、生きているのである。 (JCV)

 

コロサイ人への手紙 2:14[塚本訳] すなわち(厳しい)規則をもって私達に敵し私達を責める証文(すなわちモーセ律法)に棒を引き、これを十字架に釘づけて取り除き給うた。"

 

 

 

ローマ人への手紙7章5節

 

[口語訳] というのは、わたしたちが肉にあった時には、律法による罪の欲情が、死のために実を結ばせようとして、わたしたちの肢体のうちに働いていた。

 

[新改訳] 私たちが肉にあったときは、律法による数々の罪の欲情が私たちのからだの中に働いていて、死のために実を結びました。

 

[新共同訳] わたしたちが肉に従って生きている間は、罪へ誘う欲情が律法によって五体の中に働き、死に至る実を結んでいました。

 

 [文語訳]われら肉に在りしとき、律法に由れる罪の情は我らの肢體のうちに働きて、死のために實を結ばせたり。"

[塚本訳]なぜなら、わたし達が(生まれたままの)肉にあっ(て生きてい)た時には、律法(の刺激)による罪の情熱が肢体の中に働いて、わたし達は死のために(滅びの)実を結んだからである。"

 

 [前田訳]それは、われらが肉にあったときには、律法による罪の欲情が肢体の中にはたらいて、われらが死への実りをしたからです。

 

(NCV) In the past, we were ruled by our sinful selves. The law made us want to do sinful things that controlled our bodies, so the things we did were bringing us death.

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙 8:9-10[塚本訳]しかしあなた達は肉にある者ではなく、霊にある者である、

(すでにキリストを信じて)神の御霊があなた達の中に住んでおられる以上は。しかし

(神の御霊すなわち)キリストの霊を持たないなら、その人はキリストのものではない。"10しかしキリスト(の霊)があなた達におられるなら、(あなた達の)体は(アダムの)罪によって死んでいるが、霊は(キリストの)義によって生きている。"

 

ヨハネによる福音書 3:6[塚本訳] 肉によって生まれたものは肉であり、霊によって生まれたものだけが霊である(から)。

 

ガラテヤ人への手紙 5:16-17 わたしは命じる、御霊によって歩きなさい。そうすれば、決して肉の欲を満たすことはない。

17 なぜなら、肉の欲するところは御霊に反し、また御霊の欲するところは肉に反するからである。こうして、二つのものは互に相さからい、その結果、あなたがたは自分でしようと思うことを、することができないようになる。 (JCV)

 

ガラテヤ人への手紙 5:24[塚本訳] キリスト・イエスのものである者は、肉と共に情熱をも欲をも十字架につけてしまった。

 

エペソ人への手紙 2:3[塚本訳] (否、)私達も皆かつてはこの人達に伍して自分の肉の欲の中に生活し、肉と欲望の欲するままに振舞って、他の(異教)人達のように生まれながら(神の)怒りの(審判に定められた)子であった。"

 

エペソ人への手紙 2:11-12 だから、記憶しておきなさい。あなたがたは以前には、肉によれば異邦人であって、手で行った肉の割礼ある者と称せられる人々からは、無割礼の者と呼ばれており、

12 またその当時は、キリストを知らず、イスラエルの国籍がなく、約束されたいろいろの契約に縁がなく、この世の中で希望もなく神もない者であった。 (JCV)

 

テトスへの手紙 3:3 わたしたち自身もかつては、無分別で、不従順で、道に迷い、種々の情欲と快楽のとりことなり、悪意とねたみを抱いて暮らし、忌み嫌われ、憎み合っていたのです。 (JNICV)

 

ローマ人への手紙 1:26[塚本訳] このゆえに神は彼らが恥ずべき肉欲におぼれるに任せられた。すなわち、女はその自然の交わりを不自然な交わりにかえ、"

 

 

 

ローマ人への手紙7章6節

 

 [口語訳] しかし今は、わたしたちをつないでいたものに対して死んだので、わたしたちは律法から解放され、その結果、古い文字によってではなく、新しい霊によって仕えているのである。

 

[新改訳] しかし、今は、私たちは自分を捕えていた律法に対して死んだので、それから解放され、その結果、古い文字にはよらず、新しい御霊によって仕えているのです。

 

[新共同訳] しかし今は、わたしたちは、自分を縛っていた律法に対して死んだ者となり、律法から解放されています。その結果、文字に従う古い生き方ではなく、“霊”に従う新しい生き方で仕えるようになっているのです。

 

[文語訳]されど縛られたる所に就きて我等いま死にて律法より解かれたれば、儀文の舊きによらず、靈の新しきに從ひて事ふることを得るなり。

 

[塚本訳]しかし今は縛られていた律法に対して死に、律法から解かれたので、(律法の)古い文字によらず、(福音の)新しい霊において(神に)仕えるのである。

 

[前田訳]今や縛られていた律法に対して死んで、律法から解放されたので、われらは古い文字によらず、新しい霊によって神に仕えるのです。 

 

(NCV)  In the past, the law held us like prisoners, but our old selves died, and we were made free from the law. So now we serve God in a new way with the Spirit, and not in the old way with written rules.

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙 7:4[塚本訳] だから、わたしの兄弟たちよ、(あなた達と律法との関係も同じで

ある。)キリストの体(が十字架の上で死んだこと)によって、あなた達も律法との関係

では(一しょに)殺されたのである。これはあなた達が(古い夫である律法の束縛をはな

れ、)ほかの者、すなわち死人の中から復活された方、(新しい夫キリスト)のものになっ

て、わたし達が神のために(善い)実を結ぶためである。

 

ローマ人への手紙 6:14-15 なぜなら、罪は、もはや、あなたがたを支配することはないからです。あなたがたは律法の下ではなく、恵みの下にいるのです。

15 では、どうなのか。わたしたちは、律法の下ではなく恵みの下にいるのだから、罪を犯してよいということでしょうか。決してそうではない。 (JNICV)

 

ガラテヤ人への手紙 3:13 キリストは、わたしたちのために呪いとなって、わたしたちを律法の呪いから贖い出してくださいました。「木にかけられた者は皆呪われている」と書いてあるからです。

(JNICV)

 

ガラテヤ人への手紙 3:23-25 信仰が現れる前には、わたしたちは律法の下で監視され、この信仰が啓示されるようになるまで閉じ込められていました。

24 こうして律法は、わたしたちをキリストのもとへ導く養育係となったのです。わたしたちが信仰によって義とされるためです。

25 しかし、信仰が現れたので、もはや、わたしたちはこのような養育係の下にはいません。 (JNICV)

 

ガラテヤ人への手紙 4:4-5 しかし、時が満ちると、神は、その御子を女から、しかも律法の下に生まれた者としてお遣わしになりました。

5 それは、律法の支配下にある者を贖い出して、わたしたちを神の子となさるためでした。 (JNICV)

 

ガラテヤ人への手紙 4:4-6 しかし、時の満ちるに及んで、神は御子を女から生れさせ、律法の下に生れさせて、おつかわしになった。 5 それは、律法の下にある者をあがない出すため、わたしたちに子たる身分を授けるためであった。 6 このように、あなたがたは子であるのだから、神はわたしたちの心の中に、「アバ、父よ」と呼ぶ御子の霊を送って下さったのである。 (JCV)

 

ローマ人への手紙 7:1[塚本訳]それとも、あなた達は知らないのか、兄弟たちよ、・・これは法律を知っている人たちに言うのだが・・法律は人が生きている間だけ人を支配するのである。"

 

ガラテヤ人への手紙 2:19[塚本訳] というのは、神に対して生きるために、わたしは律法によって律法(との関係)に(おいて)死んでしまったのである。キリストと一緒に十字架につけられたのである。

 

コリント人への第二の手紙 5:17[塚本訳] だから、キリストと結びついている者は、新しい創造物である。古いものは消え失せて、いまここに、新しくなってしまっている!"

 

コリント人への第二の手紙 3:6[塚本訳] 神はわたし達に、新しい契約のための世話役、(すなわち古い契約にある律法の)文字のためではなく、(神の)霊のための世話役たる能力をお与えになったのである。文字は殺すが、霊は命を与えるからである。"

 

エゼキエル書 36:26-33 わたしは新しい心をあなたたがたに与え、新しい霊をあなた方の内に授け、あなたがたの肉から、石の心を除いて、肉の心を与える。 27 わたしはまたわが霊をあなたがたのうちに置いて、わが定めに歩ませ、わがおきてを守ってこれを行わせる。 28 あなたがたは、わたしがあなたがたの先祖に与えた地に住んで、わが民となり、わたしはあなたがたの神となる。

29 わたしはあなたがたをそのすべての汚れから救い、穀物を呼びよせてこれを増し、ききんをあなたがたに臨ませない。 30 またわたしは木の実と、田畑の作物とを多くする。あなたがたは重ねて諸国民の間に、ききんのはずかしめを受けることがない。 31 その時あなたがたは自身の悪しきおこないと、良からぬわざとを覚えて、その罪と、その憎むべきこととのために、みずから恨む。

32 わたしがなすことはあなたがたのためではないと、主なる神は言われる。あなたがたはこれを知れ。イスラエルの家よ、あなたがたは自分のおこないを恥じて悔やむべきである。 33 主なる神はこう言われる、わたしは、あなたがたのすべての罪を清める日に、町々に人を住ませ、その荒れ跡を建て直す。 (JCV)

 

エゼキエル書 11:18-21 彼らは帰って来て、あらゆる憎むべきものと、あらゆる忌まわしいものをその地から取り除く。 19 わたしは彼らに一つの心を与え、彼らの中に新しい霊を授ける。わたしは彼らの肉から石の心を除き、肉の心を与える。 20 彼らがわたしの掟に従って歩み、わたしの法を守り行うためである。こうして、彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。 21 しかし、憎むべきもの、忌まわしいものに心を寄せている者には、彼らの行ってきたことが頭上にふりかかるようにする』」と主なる神は言われる。 (JNICV)

 

ローマ人への手紙 2:27-29 かつ、生まれながら無割礼の者であって律法を全うする者は、律法の文字と割礼とを持ちながら律法を犯しているあなたを、さばくのである。 28 というのは、外見上のユダヤ人がユダヤ人ではなく、また、外見上の肉における割礼が割礼でもない。 29 かえって、隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、また、文字によらず霊による心の割礼こそ割礼であって、そのほまれは人からではなく、神から来るのである。 (JCV)

 

ローマ人への手紙 6:3 それとも、あなたがたは知らないのか。キリスト・イエスにあずかるバプテスマを受けたわたしたちは、彼の死にあずかるバプテスマを受けたのである。 (JCV)

 

ローマ人への手紙 6:11[塚本訳] だからあなた達もそのように、自分を罪との関係では死んだ者、

神との関係ではキリスト・イエスにあって生きている者と考えよ。"

 

ローマ人への手紙 12:2 あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。 (JNICV)

 

 

 

表  題 ・ 要  約

 

内在する罪の問題(7:7−23)・・・新共同訳

 

自由

宗教の意味(7:7−13)・・・バルト

 

霊の力による律法の終焉(7:1−8:39)

    律法の仕業(7:7−13)・・・ケーゼマン

 

律法と罪(7:7−25)

罪に乗ぜられる律法(7:7−13)・・・アルトハウスNTD

 

律法は罪を除く能はず(7:7−13)・・・黒崎幸吉

 

律法と罪(7:7−13)・・・フランシスコ会訳

 

律法の支配からの解放(7章)・・・高橋三郎

 

私のうちなる罪(7:7−25)・・・青野(岩波)

 

 

律法論(7:7−25)(「律法は罪なのか」という問いに対して)

律法のもとなる人間(7:7−25)・・・八木(講談社)

 

律法と罪(7:7−8)

罪は罪にある(7:9−13)・・・塚本註解

 

律法は罪でなく聖であり善(7:7−13)・・・塚本訳

  

肉における存在から霊における存在へ(7:1−8:17)

過去――罪と死の律法の下にあったわたし(7:1−6)・・・ヴィルケンスEKK

     わたしに対する律法の支配(7:7−12)

     わたしの内における律法の支配の現実(7:13−25)

 

律法と罪(7:7−25)

   罪の支配下にある律法(7:7−12)

   罪によって変質された律法下の人(7:13−25)

・・・白井きく

 

潔めらるゝ事(5)=律法の性質(7:7−14)・・・内村鑑三

 

 

 

ローマ人への手紙7章7節

  [口語訳] それでは、わたしたちは、なんと言おうか。律法は罪なのか。断じてそうではない。しかし、律法によらなければ、わたしは罪を知らなかったであろう。すなわち、もし律法が「むさぼるな」と言わなかったら、わたしはむさぼりなるものを知らなかったであろう。

 

[新改訳] それでは、どういうことになりますか。律法は罪なのでしょうか。絶対にそんなことはありません。ただ、律法によらないでは、私は罪を知ることがなかったでしょう。律法が、「むさぼってはならない。」と言わなかったら、私はむさぼりを知らなかったでしょう。

 

[新共同訳] では、どういうことになるのか。律法は罪であろうか。決してそうではない。しかし、律法によらなければ、わたしは罪を知らなかったでしょう。たとえば、律法が「むさぼるな」と言わなかったら、わたしはむさぼりを知らなかったでしょう。

 

[文語訳]さらば何をか言はん、律法は罪なるか、決して然らず、律法に由らでは、われ罪を知らず、律法に『貪る勿れ』と言わずば、慳貪を知らざりき。

 

[塚 本訳]それでは、どういうことになるのだろうか。律法(自体)が罪であろうか。もちろん、そうではない。(しかし罪と無関係ではない。)むしろ律法によら なければ、わたしは罪を知らなかった。なぜなら、律法が“(人のものを)欲しがってはならない”と言わなければ、わたしは欲を知らなかったであろう。

 

[前田訳]それなら、われらは何といいましょう。律法は罪でしょうか。断じて否です。むしろ律法によらねばわたしは罪を知らなかったのです。律法が、「欲ばるな」といわねば、わたしは欲を知らなかったでしょう。 

 

(NCV)You might think I am saying that sin and the law are the same thing. That is not true. But the law was the only way I could learn what sin meant. I would never have known what it means to want to take something belonging to someone else if the law had not said, "You must not want to take your neighbor's things."

 

[解読の鍵]

 

ローマ人への手紙 4:1[塚本訳]それでは、わたし達(ユダヤ人の)肉の先祖アブラハムが得たものは、どういうことになるのだろうか、(何も得なかったことになるではないか、とある人は言うかも知れない。"

 

ローマ人への手紙 7:8[塚本訳]ところが(“人のものを欲しがってはならない”という掟が来ると、今まで眠っていた)罪は(目をさまし、)掟(に反抗しこれ)を利用して、ありとあらゆる欲をわたしの中に起こした。すなわち、律法がなければ罪は死んでいるのである。"

 

コリント人への第一の手紙 15:55-56[塚本訳] “死よ、どこに、お前の勝利は。死よ、どこに、お前の剣は”。56・・死の剣は罪である、罪の力(の源)は律法である。・・

 

マタイによる福音書 5:28[塚本訳]しかしわたしはあなた達に言う、情欲をもって人妻を見る者は皆、(見ただけで)すでに心の中でその女を姦淫したのである。

 

ルカによる福音書 12:15[塚本訳] 人々に言われた、「一切の貪欲に注意し、用心せよ。いかに物があり余っていても、財産は命の足しにはならないのだから。」"

 

 

 

ローマ人への手紙7章8節

 

[口語訳] しかるに、罪は戒めによって機会を捕え、わたしの内に働いて、あらゆるむさぼりを起させた。すなわち、律法がなかったら、罪は死んでいるのである。

 

[新改訳] しかし、罪はこの戒めによって機会を捕え、私のうちにあらゆるむさぼりを引き起こしました。律法がなければ、罪は死んだものです。

 

[新共同訳] ところが、罪は掟によって機会を得、あらゆる種類のむさぼりをわたしの内に起こしました。律法がなければ罪は死んでいるのです。

 

[文語訳]されど罪は機に乘じ誡命によりて各樣の慳貪(むさぼり)を我がうちに起せり、律法なくば罪は死にたるものなり。

 

[塚本訳]ところが(“人のものを欲しがってはならない”という掟が来ると、今まで眠っていた)罪は(目をさまし、)掟(に反抗しこれ)を利用して、ありとあらゆる欲をわたしの中に起こした。すなわち、律法がなければ罪は死んでいるのである。

 

[前田訳]しかし罪は掟によって機会を得、あらゆる欲をわがうちにおこしました。律法がなければ罪は死んだものです。

 

(NCV) And sin found a way to use that command and cause me to want all kinds of things I should not want. But without the law, sin has no power.

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙 7:11-13 なぜなら、罪の戒めによって機会を捕え、わたしを欺き、戒めによってわたしを殺したからである。

12 このようなわけで、律法そのものは聖なるものであり、戒めも聖であって、正しく、かつ善なるものである。

13 では、善なるものが、わたしにとって死となったのか。断じてそうではない。それはむしろ、罪の罪たることが現れるための、罪のしわざである。すなわち、罪は、戒めによって、はなはだしく悪性なものとなるために、善なるものによってわたしを死に至らせたのである。 (JCV)

 

ローマ人への手紙 7:17[塚本訳]そうすると、それをしているのはもはやこのわたしではなく、わたしの中に住み込んでいる罪である。"

 

ローマ人への手紙 4:15[塚本訳]律法(の目的)は、(人に罪を犯させ、神の)怒りをもたらす(ことにある)からである。律法のない所には、その違反もあり得ない。"

 

ローマ人への手紙 5:20[塚本訳](それなら律法は人を義として永遠の命を与えるためには役立たないのか。その通り。)律法は、過ちを増し強めるために第二義的に来たのである。しかし(神に感謝する、人の犯す)罪が増し強まれば、恩恵は豊かにあふれる。"

 

ヤコブへの手紙 1:14-15 むしろ、人はそれぞれ、自分自身の欲望に引かれ、(そそのか)されて、誘惑に陥るのです。 15 そして、欲望ははらんで罪を生み、罪が熟して死を生みます。 (JNICV)

 

ヨハネによる福音書 15:2[塚本訳] もしわたしが(この世に)来て(何も)語らなかったら、(父上を知らぬことについて)彼らに罪はなかったが、(すでにわたしからそれを聞いた)今は、(父上に対し)その罪の弁解はできない。"

 

ヨハネによる福音書 15:24[塚本訳] もしわたしがほかのだれもしたことのない業を彼らの間でしなかったら、彼らに罪はなかった。しかし今彼らは(わたしの言葉と業とによって)わたしをも父上をも見て、しかも憎んだのである。"

 

 

 

ローマ人への手紙7章9節"

  [口語訳] わたしはかつては、律法なしに生きていたが、戒めが来るに及んで、罪は生き返り、

 

[新改訳] 私はかつて律法なしに生きていましたが、戒めが来たときに、罪が生き、私は死にました。

 

[新共同訳] わたしは、かつては律法とかかわりなく生きていました。しかし、掟が登場したとき、罪が生き返って、

 

 [文語訳]われ曾て律法なくして生きたれど、誡命きたりし時に罪は生き、我は死にたり。

 

[塚本訳]かつて律法のない時には、(罪が死んでいて)わたしは(子供のように罪を知らずに)生きていた。しかし掟が来ると、(わたしの中の)罪が生きかえり、

 

 [前田訳]わたしはかつては律法なしで生きていました。しかし掟が来ると、罪が生きかえって、

 (NCV) I was alive before I knew the law. But when the law's command came to me, then sin began to live,

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙 3:20 なぜなら、律法を実行することによっては、だれ一人神の前で義とされないからです。律法によっては、罪の自覚しか生じないのです。 (JNICV)

 

ルカによる福音書 10:27-29[塚本訳] 学者が答えた、「“心のかぎり、精神のかぎり、力のかぎり、”思いのかぎり、 “あなたの神なる主を愛せよ。”また”隣の人を自分のように愛せよ”です。」"

28彼に言われた、「その答は正しい。“それを実行しなさい。そうすれば(永遠に)生きられる。”」"29すると学者は照れかくしにイエスに言った、「では、わたしの隣り人とはいったいだれのことですか。」"

 

 

 

ローマ人への手紙7章10節"

 

[口語訳] わたしは死んだ。そして、いのちに導くべき戒めそのものが、かえってわたしを死に導いて行くことがわかった。

 

[新改訳] それで私には、いのちに導くはずのこの戒めが、かえって死に導くものであることが、わかりました。

 

[新共同訳] わたしは死にました。そして、命をもたらすはずの掟が、死に導くものであることが分かりました。

 

 [文語訳](しか)して我は生命にいたるべき誡命の反つて死に到らしむるを見出せり。"

 

[塚本訳](今度は)わたしの方が(罪によって)死んでしまった。(こうして)命へ導く使命を持つ掟そのものが、(実際はかえってわたしを)死へ導くものになったことが、わたしにわかった。

 

 [前田訳]わたしは死にました。そして、いのちのための掟そのものが、死のためのものになったことがわたしにわかりました。

 (NCV) and I died. The command was meant to bring life, but for me it brought death.

 

[解読の鍵] エゼキエル書 20:21しかし、子供たちもわたしに背き、人がそれを行えば生きることができるわたしの掟に歩まず、わたしの裁きを守り行わず、わたしの安息日を汚した。それゆえ、わたしは荒れ野で彼らの上に憤りを注ぎ、怒りを浴びせる、と言った。  (JNICV)

 

 

 

ローマ人への手紙7章11節

 

 [口語訳] なぜなら、罪は戒めによって機会を捕え、わたしを欺き、戒めによってわたしを殺したからである。

 

[新改訳] それは、戒めによって機会を捕えた罪が私を欺き、戒めによって私を殺したからです。

 

[新共同訳] 罪は掟によって機会を得、わたしを欺き、そして、掟によってわたしを殺してしまったのです。

 

 [文語訳]これ罪は機に乘じ誡命によりて我を欺き、かつ之によりて我を殺せり。

 

[塚本訳]なぜなら、罪は掟を利用してわたしを惑わし、掟によって(わたしを)殺したからである。"

[前田訳]罪は掟によって機会を得てわたしを迷わし、掟によって殺しました。"

 

(NCV)Sin found a way to fool me by using the command to make me die.

 

[解読の鍵]

 

エレミヤ書 17:9-10 人の心は何にもまして、とらえ難く病んでいる。誰がそれを知りえようか。

10 心を探り、そのはらわたを究めるのは、主なるわたしである。それぞれの道、業の結ぶ実に従って報いる。 (JNICV)

 

 

 

ローマ人への手紙7章12節

 

 [口語訳] このようなわけで、律法そのものは聖なるものであり、戒めも聖であって、正しく、かつ善なるものである。

 

[新改訳] ですから、律法は聖なるものであり、戒めも聖であり、正しく、また良いものなのです。

 

[新共同訳] こういうわけで、律法は聖なるものであり、掟も聖であり、正しく、そして善いものなのです。

 

 [文語訳]それ律法は聖なり、誡命もまた聖にして正しく、かつ善なり。

 

[塚本訳]だから律法自体は聖であり、掟も聖であり、義であり善である。

 

[前田訳]それゆえ、律法は聖であり、掟も聖で義で善です。

 (NCV)So the law is holy, and the command is holy and right and good.

 [解読の鍵]

詩篇 19:7-9 主のおきては完全であって、魂を生きかえらせ、主のあかしは確かであって、無学な者を賢くする。

8 主のさとしは正しくて、心を喜ばせ、主の戒めはまじりなくて、眼を明らかにする。

9 主を恐れる道は清らかで、とこしえに絶えることがなく、主のさばきは真実であって、ことごとく正しい。 (JCV)

 

ローマ人への手紙 3:31[塚本訳] それではわたし達は、信仰(による救いの道)によって(モーセ)律法を廃止することになるのか。もちろん、そうではない。(結果から見ると、)むしろ律法の効力を発揮させるのである。"

 

 

 

ローマ人への手紙7章13節

 

[口 語訳] では、善なるものが、わたしにとって死となったのか。断じてそうではない。それはむしろ、罪の罪たることが現れるための、罪のしわざである。すなわち、罪 は、戒めによって、はなはだしく悪性なものとなるために、善なるものによってわたしを死に至らせたのである。

 

[新改訳] では、この良いものが、私に死をもたらしたのでしょうか。絶対にそんなことはありません。それはむしろ、罪なのです。罪は、この良いもので私に死をもたらすことによって、罪として明らかにされ、戒めによって、極度に罪深いものとなりました。

 

[新 共同訳] それでは、善いものがわたしにとって死をもたらすものとなったのだろうか。決してそうではない。実は、罪がその正体を現すために、善いものを通してわたし に死をもたらしたのです。このようにして、罪は限りなく邪悪なものであることが、掟を通して示されたのでした。

 

 [文語訳]されば善なるもの我に死となりたるか。決して然らず、罪は罪たることの現れんために、善なる者によりて我が内に死を來たらせたるなり。これ誡命によりて罪の甚だしき惡とならん爲なり。

 

[塚 本訳]それでは、善いものがわたしにとって死(をもたらすもの)になったのだろうか。もちろん、そうではない。罪は罪であることが現われるために、善いも のによって、(律法という善いものを悪用して、)わたしに死をもたらしたのである。これは掟によって、罪が一層はっきり罪になるためである。

 

 [前田訳]それなら、善がわたしにとっては死になったのでしょうか。断じて否です。罪が罪として現われるために善によってわたしに死をもたらしたのです。これは罪が掟によっていっそう罪らしくなるためです。"

 

(NCV)Does this mean that something that is good brought death to me? No! Sin used something that is good to bring death to me. This happened so that I could see what sin is really like; the command was used to show that sin is very evil.

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙 8:3[塚本訳]律法が肉に妨げられて無力になったために出来なくなったことを、神は(御子によって)成し遂げてくださった。すなわち(わたし達の)罪の(征服の)ためにその子を罪の肉の形で(この世に)遣わし、その肉(を殺すこと)において罪を罰されたのである。"

 

ローマ人への手紙 5:20[塚本訳](それなら律法は人を義として永遠の命を与えるためには役立たないのか。その通り。)律法は、過ちを増し強めるために第二義的に来たのである。しかし(神に感謝する、人の犯す)罪が増し強まれば、恩恵は豊かにあふれる。"

 

ヤコブへの手紙 1:13-15 誘惑に遭うとき、だれも、「神に誘惑されている」と言ってはなりません。神は、悪の誘惑を受けるような方ではなく、また、御自分でも人を誘惑したりなさらないからです。

14 むしろ、人はそれぞれ、自分自身の欲望に引かれ、唆されて、誘惑に陥るのです。

15 そして、欲望ははらんで罪を生み、罪が熟して死を生みます。 (JNICV)

 

 

 

なお罪の生活にとどまるべきか「贖罪」の道に行くべきか

 

わたし達は罪(の生活)を続けるべきであろうか。(ロマ書6章1節塚本訳)

 

退 廃の罪の生活、そのぬかるみにはまってしまうと清い生活に戻ろうとする願いさえ消えうせてしまう。そんな時ハッと我に返り、こんなことをしていては「まず い。このままでは一生を棒に振ってしまう」と目覚めるときがくればそれはその人の人生の夜明けである。罪の日常生活の惰眠から目覚めるときである。人間は やはり神の手の中にある。アウグスチヌスもそのような道を通った。ダンテ(神曲)トルストイ(復活)もドストエフスキー(罪と罰)もそれをテーマにした。 ワーグナー(楽劇ローエングリーン)、バッハ(マタイ受難曲)、ベートーベンの第9交響曲(合唱)も求道の音楽である。天罰が下り、人間が目覚める時がく ればそれは新しい誕生のときである。

「悔 い改めて福音を信ぜよ」(マルコ1:15)とは罪は悔い改めただけでは清まらない。だから福音を信ぜよというのである。イエスの十字架の血で過去を洗い流 せというのである。そして事実それが可能である。どんなにまずい見られない直視できないとんでもない恥ずかしい汚れた過去でもイエスの血はそれを全く消し てくださるのだ。だからありがたいのは「贖罪」の情報である。イエスの十字架の苦しみは我々が受けるべき罪の苦しみの身代わりである。イエスが代わって罪 の苦を受けてくださったのだ。神の「骨も砕けよとばかりの激しい峻厳な怒りの裁き」は一挙にイエスの十字架に下されたのだ。そのときに神の正義が貫徹さ れ、同時に罪の赦し真理である「福音」が開示証明されたのだ。これがあって人生にはなお生きる希望がある。その効力は今も続き、その真理は聖霊という実在 が今もなお今日の我々に教えるのだ。

2001.3.19        高橋照男

 

 

 

表  題 ・ 要  約

 

内在する罪の問題(7:7−25)・・・新共同訳

 

自由

宗教の現実(7:14−25)・・・バルト

 

霊の力による律法の終焉(7:1−8:39)

    奴隷にされている者の嘆き(7:14−25)・・・ケーゼマン

 

律法と罪(7:7−25)

罪をどうすることもできない律法の無力(7:14−25)・・・アルトハウスNTD

 

肉は罪の下にあり(7:14−25)・・・黒崎幸吉

 

心の中の戦い、律法の無力(7:15−25)・・・フランシスコ会訳

 

律法の支配からの解放(7章)・・・高橋三郎

 

私のうちなる罪(7:7−25)・・・青野(岩波)

 

律法論(7:7−25)(「律法は罪なのか」という問いに対して)

律法のもとなる人間(7:7−25)・・・八木(講談社)

 

7・14−25の「わたし」

二つの「わたし」・・・(7:14−20)

タライポーロス エゴー アンスローポス(7:21−25

律法の完成(7:25−8:4)             ・・・塚本註解

 

理性は律法を喜ぶが肉の中の罪の力が勝つ。みじめな人間よ!(7:14−25)・・・塚本訳

  

肉における存在から霊における存在へ(7:1−8:17)

    支配の転換(7:1−6)

過去――罪と死の律法の下にあったわたし(7:7−25)・・・ヴィルケンスEKK

     わたしに対する律法の支配(7:7−12)

     わたしの内における律法の支配の現実(7:13−25)

    現在――いのちの御霊の内にあるわたしたち(8:1−17)

 

律法と罪(7:7−25)

   罪の支配下にある律法(7:7−12)

   罪によって変質された律法下の人(7:13−25)

・・・白井きく

 

潔めらるゝ事(5)=パウロの二重人格(7:14−25)・・・内村鑑三

 

 

 

ローマ人への手紙7章14節

 

 [口語訳] わたしたちは、律法は霊的なものであると知っている。しかし、わたしは肉につける者であって、罪の下に売られているのである。

 

[新改訳] 私たちは、律法が霊的なものであることを知っています。しかし、私は罪ある人間であり、売られて罪の下にある者です。

 

[新共同訳] わたしたちは、律法が霊的なものであると知っています。しかし、わたしは肉の人であり、罪に売り渡されています。

 

 [文語訳]われら律法は靈なるものと知る、されど我は肉なる者にて罪の下に賣られたり。

 

[塚本訳](要するに罪は掟になく、私の中の罪にある。)その訳は、わたし達が知っているように、律法は(神から与えられた)霊的なものである。しかしわたしは肉的なものであり、(奴隷として)売られて罪の(支配の)下にいるからである。

 

 [前田訳]われらが知るように、律法は霊的なものです。しかしわたしは肉的なもので罪のもとに売られています。"

 

(NCV) We know that the law is spiritual, but I am not spiritual since sin rules me as if I were its slave.

 

[解読の鍵]

詩篇 51:6-11 見よ、あなたは真実を心のうちに求められます。それゆえ、わたしの隠れた心に知恵を教えてください。 7 ヒソプをもって、わたしを清めてください、わたしは清くなるでしょう。わたしを洗ってください。わたしは雪よりも白くなるでしょう。 8 わたしに喜びと楽しみとを満たし、あなたが砕いた骨を喜ばせてください。 9 み顔をわたしの罪から隠し、わたしの不義をことごとくぬぐい去ってください。 10 神よ、わたしのために清い心をつくり、わたしのうちに新しい、正しい霊を与えてください。 11 わたしをみ前から捨てないでください。あなたの聖なる霊をわたしから取らないでください。 (JCV)

 

マタイによる福音書 5:21-22 昔の人々に『殺すな。殺す者は裁判を受けねばならない』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。 22 しかし、わたしはあなたがたに言う。兄弟に対して怒る者は、だれでも裁判を受けねばならない。兄弟にむかって愚か者と言う者は、議会に引きわたされるであろう。また、ばか者と言う者は、地獄の火に投げ込まれるであろう。 (JCV)

 

マタイによる福音書 5:37-40 あなたがたの言葉は、ただ、しかり、しかり、否、否、であるべきだ。それ以上に出ることは、悪から来るのである。 38 『目には目を、歯には歯を』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。 39 しかし、わたしはあなたがたに言う。悪人に手向かうな。もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい。 40 あなたを訴えて、下着を取ろうとする者には、上着をも与えなさい。 (JCV)

 

ヘブル人への手紙 4:11-13 したがって、わたしたちは、この安息にはいるように努力しようではないか。そうでないと、同じような不従順の悪例にならって、落ちて行く者が出るかもしれない。12 というのは、神の言は生きていて、力があり、もろ刃のつるぎよりも鋭くて、精神と霊魂と、関節と骨髄とを切り離すまでに刺しとおして、心の思いと志とを見分けることができる。 13 そして、神のみまえには、あらわでない被造物はひとつもなく、すべてのものは、神の目には裸であり、あらわにされているのである。この神に対して、わたしたちは言い開きをしなくてはならない。 (JCV)

 

ローマ人への手紙 7:18-23 わたしの内に、すなわち、わたしの肉の内には、善なるものが宿っていないことを、わたしは知っている。なぜなら、善をしようとする意志は、自分にあるが、それをする力がないからである。 19 すなわち、わたしの欲している善はしないで、欲していない悪は、これを行っている。 20 もし、欲しないことをしているとすれば、それをしているのは、もはやわたしではなく、わたしのうちに宿っている罪である。 21 そこで、善をしようと欲しているわたしに、悪がはいり込んでいるという法則があるのを見る。 22 すなわち、わたしは、内なる人としては神の律法を喜んでいるが、 23 わたしの肢体には別の律法があって、わたしの心の法則に対して戦いをいどみ、そして、肢体に存在する罪の法則の中に、わたしをとりこにしているのを見る。 (JCV)

 

詩篇 119:25 わが魂はちりについています。み言葉に従って、わたしを生き返らせてください。 (JCV)

 

ローマ人への手紙 7:24-25 わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか。

25 わたしたちの主イエス・キリストを通して神に感謝いたします。このように、わたし自身は心では神の律法に仕えていますが、肉では罪の法則に仕えているのです。 (JNICV)

 

 

 

ローマ人への手紙7章15節

 

 [口語訳] わたしは自分のしていることが、わからない。なぜなら、わたしは自分の欲する事は行わず、かえって自分の憎む事をしているからである。

 

[新改訳] 私には、自分のしていることがわかりません。私は自分がしたいと思うことをしているのではなく、自分が憎むことを行なっているからです。

 

[新共同訳] わたしは、自分のしていることが分かりません。自分が望むことは実行せず、かえって憎んでいることをするからです。

 

[文語訳]わが行ふことは我しらず、我が欲する所は之をなさず、反つて我が憎むところは之を爲すなり。

 

[塚本訳](罪の命ずるままに動くだけで、)自分のしていることを知らないのである。(それは自分と結びつかない。)したいと思うことはせず、いやでたまらないことばかりしているのだから。

 

 [前田訳]わたしは自分がしていることがわかりません。欲することはせず、いとうことをこそしています。

 

(NCV) I do not understand the things I do. I do not do what I want to do, and I do the things I hate.

 

[解読の鍵]

 

詩篇 19:12-14 だれが自分のあやまちを知ることができましようか。どうか、わたしを隠れたとがから解き放ってください。

13 また、あなたのしもべを引きとめて、故意の罪を犯させず、これに支配されることのないようにしてください。そうすれば、わたしはあやまちのない者となって、大いなるとがを免れることができるでしょう。

14 わが岩、わがあがないぬしなる主よ、どうか、わたしの口の言葉と、心の思いがあなたの前に喜ばれますように。 (JCV)

 

伝道の書 7:20 善のみ行って罪を犯さないような人間はこの地上にはいない。 (JNICV)

 

ガラテヤ人への手紙 5:16―17[塚本訳] わたしの意味はこうである。・・霊によって歩け。そうすれば肉の欲を満たすことがないであろう。17なぜなら肉の欲するところは霊に反し、霊は肉に反す る。二つは互にさからうものであって、(肉の体をもつ)あなた達は、したいと思うことを、することができないからである。

 

ヨハネの第一の手紙 1:7―8[塚本訳] しかしもし神が光の中にあるように、わたし達も光の中を歩いているならば、(神と交わりを持ち、従って)互に(まことの)交わりを持つ(ことができる)の である。そして(たとい罪を犯すことがあっても)、その子イエスの血があらゆる罪から清めてくださる。(かくてわたし達は光の子となるのである。)08も しわたし達が自分に罪はない、と言うならば、自分をごまかしているのであって、真理はわたし達の中にない。

 

詩篇 97:10-12 主を愛する人は悪を憎む。主の慈しみに生きる人の魂を主は守り、神に逆らう者の手から助け出してくださる。

11 神に従う人のためには光を、心のまっすぐな人のためには喜びを種蒔いてくださる。

12 神に従う人よ、主にあって喜び祝え。聖なる御名に感謝をささげよ。 (JNICV)

 

箴言 8:13-16 主を恐れるとは悪を憎むことである。わたしは高ぶりと、おごりと、悪しき道と、偽りの言葉とを憎む。

14 計りごとと、確かな知恵とは、わたしにある、わたしには悟りがあり、わたしには力がある。

15 わたしによって、王たる者は世を治め、君たる者は正しい定めを立てる。

16 わたしによって、主たる者は支配し、つかさたる者は地を治める。 (JCV)

 

箴言 13:5 神に従う人は偽りの言葉を憎む。神に逆らう者は悪臭を放ち、辱められる。 (JNICV)

 

ユダの手紙 20-25 しかし、愛する者たちよ。あなたがたは、最も神聖な信仰の上に自らを築き上げ、聖霊によって祈り、 21 神の愛の中に自らを保ち、永遠のいのちを目あてとして、わたしたちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望みなさい。 22 疑いをいだく人々があれば、彼らをあわれみ、

23 火の中から引き出して救ってやりなさい。また、そのほかの人たちを、おそれの心をもってあわれみなさい。しかし、肉に汚れた者に対しては、その下着さえも忌みきらいなさい。

24 あなたがたを守ってつまずかない者とし、また、その栄光のまえに傷なき者として、喜びのうちに立たせて下さるかた、

25 すなわち、わたしたちの救主なる唯一の神に、栄光、大能、力、権威が、わたしたちの主イエス・キリストによって、世々の初めにも、今も、また、世々限りなく、あるように、アァメン。 (JCV)

 

 

 

ローマ人への手紙7章16節

 

[口語訳] もし、自分の欲しない事をしているとすれば、わたしは律法が良いものであることを承認していることになる。

 

[新改訳] もし自分のしたくないことをしているとすれば、律法は良いものであることを認めているわけです。

 

[新共同訳] もし、望まないことを行っているとすれば、律法を善いものとして認めているわけになります。

 

[文語訳]わが欲せぬ所を爲す時は律法の善なるを認む。

 

 [塚本訳]ところで、したくないと思うことばかりをしているのなら、律法が良いものであることを認めているわけである。

 

 [前田訳]しかし、欲しないことをしているなら、律法はよいものと認めているわけです。"

 

(NCV) And if I do not want to do the hated things I do, that means I agree that the law is good.

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙 7:12  このようなわけで、律法そのものは聖なるものであり、戒めも聖であって、正しく、かつ善なるものである。(JCV)

 

ローマ人への手紙 7:14[塚本訳] (要するに罪は掟になく、私の中の罪にある。)その訳は、わたし達が知っているように、律法は(神から与えられた)霊的なものである。しかしわたしは肉的なものであり、(奴隷として)売られて罪の(支配の)下にいるからである。"

 

ローマ人への手紙 7:22 [塚本訳] すなわち、(わたしの中に二つのわたしがあって、)内の人としてのわたしは神の律法を喜ぶが、

 

 

 

ローマ人への手紙7章17節

 

[口語訳] そこで、この事をしているのは、もはやわたしではなく、わたしの内に宿っている罪である。

 

[新改訳] ですから、それを行なっているのは、もはや私ではなく、私のうちに住みついている罪なのです。

 

[新共同訳] そして、そういうことを行っているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。

 

[文語訳]然れば之を行ふは我にあらず、我が中に宿る罪なり。

 

[塚本訳]そうすると、それをしているのはもはやこのわたしではなく、わたしの中に住み込んでいる罪である。

 

 [前田訳]すると、それをするのはもはやわたしではなく、わがうちに住む罪です。

 

(NCV) But I am not really the one who is doing these hated things; it is sin living in me that does them.

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙 7:23[塚本訳]わたしの肢体にもう一つの(わたし、罪の)法則(を喜ぶ外の人としてのわたし)があり、(その神の律法を行おうとする)わたしの理性の法則と戦って、肢体にあるこの罪の法則の捕虜にすることを、経験するのである。

 

 

 

ローマ人への手紙7章18節

 

 [口語訳] わたしの内に、すなわち、わたしの肉の内には、善なるものが宿っていないことを、わたしは知っている。なぜなら、善をしようとする意志は、自分にあるが、それをする力がないからである。

 

[新改訳] 私は、私のうち、すなわち、私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています。私には善をしたいという願いがいつもあるのに、それを実行することがないからです。

 

[新共同訳] わたしは、自分の内には、つまりわたしの肉には、善が住んでいないことを知っています。善をなそうという意志はありますが、それを実行できないからです。

 

[文語訳]我はわが中、すなわち我が肉のうちに善の宿らぬを知る、善を欲すること我にあれど、之を行ふ事なければなり。

 

[塚本訳]なぜなら、わたしの中には、すなわちわたしの肉の中には、(何一つ)善いものが住んでいないことを、わたしは知っている。良いことをしたいと思う意志はいつもわたしにあるが、(悲しいかな、)する力がないのである。

 

 [前田訳]わたしは知っています、わがうち、すなわちわが肉のうちには、善が住まないことを。意欲はわたしにあっても、善の実践がともないません。 

 

(NCV) Yes, I know that nothing good lives in me -- I mean nothing good lives in the part of me that is earthly and sinful. I want to do the things that are good, but I do not do them.

 

[解読の鍵]

 

創世記 6:5-7 主は人の悪が地にはびこり、すべてその心に思いはかることが、いつも悪い事ばかりであるのを見られた。 6 主は地の上に人を造ったのを悔いて、心を痛め、 7 「わたしが創造した人を地のおもてからぬぐい去ろう。人も獣も、這うものも、空の鳥までも。わたしは、これらを造ったことを悔いる」と言われた。 (JCV)

 

創世記 8:21 主はその香ばしいかおりをかいで、心に言われた、「わたしはもはや二度と人のゆえに地をのろわない。人が心に思い図ることは、幼い時から悪いからである。わたしは、このたびしたように、もう二度と、すべての生きものを滅ぼさない。 (JCV)

 

ヨブ記 15:14-16 どうして、人が清くありえよう。どうして、女から生まれた者が、正しくありえよう。15 神は聖なる人々をも信頼なさらず、天すら、神の目には清くない。16 まして人間は、水を飲むように不正を飲む者、憎むべき汚れた者なのだ。 (JNICV)

 

ヨブ記 25:4 それで人はどうして神の前に正しくありえようか。女から生れた者がどうして清くありえようか。 (JCV)

 

詩篇 51:5 見よ、わたしは不義のなかに生れました。私の母は罪のうちにわたしをみごもりました。

(JCV)

 

マルコによる福音書 7:21-23 すなわち内部から、人の心の中から、悪い思いが出て来る。不品行、盗み、殺人、

22 姦淫、貪欲、邪悪、欺き、好色、妬み、誹り、高慢、愚痴。

23 これらの悪はすべて内部から出てきて、人をけがすのである」。 (JCV)

 

ルカによる福音書 11:13 このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天の父はなおさら、求めて来る者に聖霊を下さらないことがあろうか」。 (JCV)

ペテロの第一の手紙 4:1-3 このように、キリストは肉において苦しまれたのであるから、あなたがたも同じ覚悟で心の武装をしなさい。肉において苦しんだ人は、それによって罪からのがれたのである。 2 それは、肉における残りの生涯を、もはや人間の欲情によらず、神の御旨によって過ごすためである。 3 過ぎ去った時代には、あなたがたは、異邦人の好みにまかせて、好色、欲情、酔酒、宴楽、暴飲、気ままな偶像礼拝などにふけってきたが、もうそれで十分であろう。 (JCV)

 

ヨハネによる福音書 3:6[塚本訳] 肉によって生まれたものは肉であり、霊によって生まれたものだけが霊である(から)。

 

テトスへの手紙 3:3 わたしたちも以前には、無分別で、不従順な、迷っていた者であって、さまざまの情欲と快楽との奴隷になり、悪意とねたみとで日を過ごし、人に憎まれ、互に憎み合っていた。

(JCV)

 

ガラテヤ人への手紙 5:16-17 わたしは命じる、御霊によって歩きなさい。そうすれば、決して肉の欲を満たすことはない。 17 なぜなら、肉の欲するところは御霊に反し、また御霊の欲するところは肉に反するからである。こうして、二つのものは互に相さからい、その結果、あなたがたは自分でしようと思うことを、することができないようになる。 (JCV)

 

ガラテヤ人への手紙 5:19-21 肉の働きは明白である。すなわち、不品行、汚れ、好色、 20 偶像礼拝、まじない、敵意、争い、そねみ、怒り、党派心、分裂、分派、 21 ねたみ、泥酔、宴楽、および、そのたぐいである。わたしは以前も言ったように、今も前もって言っておく。このようなことを行う者は、神の国をつぐことがない。 (JCV)

 

ガラテヤ人への手紙 5:16-17 わたしが言いたいのは、こういうことです。霊の導きに従って歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。

17 肉の望むところは、霊に反し、霊の望むところは、肉に反するからです。肉と霊とが対立し合っているので、あなたがたは、自分のしたいと思うことができないのです。

(JNICV)

 

ピリピ人への手紙 2:13 あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである。 (JCV)

 

詩篇 119:115-117 悪をなす者よ、わたしを離れ去れ、わたしはわが神の戒めを守るのです。

116 あなたの約束にしたがって、わたしをささえ、ながらえさせ、わが望みについて恥じることのないようにしてください。

117 わたしをささえてください。そうすれば、わたしは安らかで、常にあなたの定めに心をそそぎます。

(JCV)

 

ローマ人への手紙 13:14 主イエス・キリストを身にまといなさい。欲望を満足させようとして、肉に心を用いてはなりません。 (JNICV)

 

ローマ人への手紙 7:25 わたしたちの主イエス・キリストを通して神に感謝いたします。このように、わたし自身は心では神の律法に仕えていますが、肉では罪の法則に仕えているのです。 (JNICV)

 

 

 

ローマ人への手紙7章19節

 

 [口語訳] すなわち、わたしの欲している善はしないで、欲していない悪は、これを行っている。

 

[新改訳] 私は、自分でしたいと思う善を行なわないで、かえって、したくない悪を行なっています。

 

[新共同訳] わたしは自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている。

 

[文語訳]わが欲する所の善は之をなさず、反つて欲せぬ所の惡は之をなすなり。

 

[塚本訳]したいと思う善いことはせずに、したくないと思う悪いことばかりを、するからである。"

 

 [前田訳]欲する善はせず、欲しない悪をこそしています。

 

(NCV) I do not do the good things I want to do, but I do the bad things I do not want to do.

 

[解読の鍵]

ガラテヤ人への手紙 5:16-22 わたしは命じる、御霊によって歩きなさい。そうすれば、決して肉の欲を満たすことはない。

17 なぜなら、肉の欲するところは御霊に反し、また御霊の欲するところは肉に反するからである。こうして、二つのものは互に相さからい、その結果、あなたがたは自分でしようと思うことを、することができないようになる。

18 もしあなたがたが御霊に導かれるなら、律法の下にはいない。

19 肉の働きは明白である。すなわち、不品行、汚れ、好色、

20 偶像礼拝、まじない、敵意、争い、そねみ、怒り、党派心、分裂、分派、

21 ねたみ、泥酔、宴楽、および、そのたぐいである。わたしは以前も言ったように、今も前もって言っておく。このようなことを行う者は、神の国をつぐことがない。

22 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、 (JCV)

 

 

 

ローマ人への手紙7章20節

 

 [口語訳] もし、欲しないことをしているとすれば、それをしているのは、もはやわたしではなく、わたしの内に宿っている罪である。

 

 [新改訳] もし私が自分でしたくないことをしているのであれば、それを行なっているのは、もはや私ではなくて、私のうちに住む罪です。

 

 [新共同訳] もし、わたしが望まないことをしているとすれば、それをしているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。

 

[文語訳]我もし欲せぬ所の事をなさば、之を行ふは我にあらず、我が中に宿る罪なり。

 

 [塚本訳]ところで、したくないと思うことばかりをしているのだから、それをしているのはもはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪である。

 

 [前田訳]しかし、欲しないことをするのはわたしでなくて、わがうちに住む罪がそれをするのです。

 

 (NCV) So if I do things I do not want to do, then I am not the one doing them. It is sin living in me that does those things.

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙 7:17 そこで、この事をしているのは、もはやわたしではなく、わたしの内に宿っている罪である。 (JCV)

 

 

 

ローマ人への手紙7章21節

 

 [口語訳] そこで、善をしようと欲しているわたしに、悪がはいり込んでいるという法則があるのを見る。

 

[新改訳] そういうわけで、私は、善をしたいと願っているのですが、その私に悪が宿っているという原理を見いだすのです。

 

[新共同訳] それで、善をなそうと思う自分には、いつも悪が付きまとっているという法則に気づきます。

 

[文語訳]然れば善をなさんと欲する我に惡ありとの法を、われ見出せり。

 

[塚本訳]だから、わたしが良いことをしたいと思えば、かならず悪いことがわたしに生まれるという法則があることを、発見する。

 

 [前田訳]それで、善をなそうと欲するわたしに、悪をもたらす律法があることがわかります。"

 

(NCV) So I have learned this rule: When I want to do good, evil is there with me.

 

[解読の鍵]

 

ローマ人への手紙 7:23 わたしの五体にはもう一つの法則があって心の法則と戦い、わたしを、五体の内にある罪の法則のとりこにしているのが分かります。 (JNICV)

 

ローマ人への手紙 6:12[塚本訳](このようにあなた達と罪との関係は切れてしまった。)だから(いつまでも)罪をあなた達の死ぬべき体の王にして支配させ、その欲望に服従してはならない。"

 

ローマ人への手紙 6:14[塚本訳]なぜなら、罪はもうあなた達の主人として支配することはないからである。あなた達は律法の下にいるのでなく、恩恵の下にいるのである。"

 

ローマ人への手紙 8:2[塚本訳]なぜなら、キリスト・イエスによる命の霊の法則が、死と罪との法則からあなたを自由にしたからである。"

 

詩篇 19:13 知らずに犯した過ち、隠れた罪からどうかわたしを清めてください。 (JNICV)

 

ヨハネによる福音書 8:33-37 そこで、彼らはイエスに言った、「わたしたちはアブラハムの子孫であって、人の奴隷になったことなどは、一度もない。どうして、あなたがたに自由を得させ るであろうと、言われるのか」。 34 イエスは彼らに答えられた、「よくよくあなたがたに言っておく。すべて罪を犯す者は罪の奴隷である。 35 そして、奴隷はいつまでも家にいる者ではない。しかし、子はいつまでもいる。 36 だから、もし子があなたがたに自由を得させるならば、あなたがたは、ほんとうに自由な者となるのである。37 わたしは、あなたがたがアブラハムの子孫であることを知っている。それだのに、あなたがたはわたしを殺そうとしている。わたしの言葉が、あなたがたのうち に根をおろしていないからである。 (JCV)

 

エペソ人への手紙 6:11-13 悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。

12 わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです。 13 だから、邪悪な日によく抵抗し、すべてを成し遂げて、しっかりと立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。 (JNICV)

 

ペテロの第二の手紙 2:9-20 こういうわけで、主は、信心深い者を試練の中から救い出し、また、不義な者ども、 10 特に、汚れた情欲におぼれ肉にしたがって歩み、また、権威ある者を軽んじる人々を罰して、さばきの日まで閉じ込めておくべきことを、よくご存じなのであ る。こういう人々は、大胆不敵なわがまま者であって、栄光ある者たちをそしってはばかるところがない。 11 しかし、御使いたちは、勢いにおいても力においても、彼らにまさっているにかかわらず、彼らを主のみまえに訴えそしることはしない。 12 これらの者は、捕らえられ、ほふられるために生れてきた、分別のない動物のようなもので、自分が知りもしないことをそしり、その不義の報いとして罰を受 け、必ず滅ぼされてしまうのである。13 彼らは、真昼でさえ酒食を楽しみ、あなたがたと宴会に同席して、だましごとにふけっている。彼らは、しみであり、きずである。 14 その目は淫行を追い、罪を犯して飽くことを知らない。彼らは心の定まらない者を誘惑し、その心は貪欲に慣れ、のろいの子となっている。 15 彼らは正しい道からはずれて迷いに陥り、ベオルの子バラムの道に従った。バラムは不義の実を愛し、 16 そのために、自分のあやまちに対するとがめを受けた。ものを言わないろばが、人間の声でものを言い、この預言者の狂気じみたふるまいをはばんだのである。 17 この人々は、いわば、水のない井戸、突風に吹きはらわれる霧であって、彼らには暗いやみが用意されている。 18 彼らはむなしい誇りを語り、迷いの中に生きている人々の間から、かろうじてのがれてきた者たちを、肉欲と色情とによって誘惑し、 19 この人々に自由を与えると約束しながら、彼ら自身は滅亡の奴隷になっている。おおよそ、人は征服者の奴隷となるものである。20 彼らが、主また救主なるイエス・キリストを知ることにより、この世の汚れからのがれた後、またそれに巻き込まれて征服されるならば、彼らの後の状態は始め よりも、もっと悪くなる。 (JCV)

 

 

 

ローマ人への手紙7章22節

 

[口語訳] すなわち、わたしは、内なる人としては神の律法を喜んでいるが、

 

[新改訳] すなわち、私は、内なる人としては、神の律法を喜んでいるのに、

 

[新共同訳] 「内なる人」としては神の律法を喜んでいますが、

 

[文語訳]われ中なる人にては神の律法を悦べど、

 

[塚本訳]すなわち、(わたしの中に二つのわたしがあって、)内の人としてのわたしは神の律法を喜ぶが、

 

[前田訳]わたしは内の人によって神の律法をよろこびますが、

 (NCV) In my mind, I am happy with God's law.

 

[解読の鍵]

詩篇 1:2-3 このような人は主のおきてをよろこび、昼も夜もそのおきてを思う。 3 このような人は流れのほとりに植えられた木の、時が来ると実を結び、その葉もしぼまないように、そのなすところは皆栄える。 (JCV)

 

ヨハネによる福音書 4:34[塚本訳] イエスが言われる、「わたしの食べ物は、わたしを遣わされた方の御心を行い、

(任せられた)お仕事を成しとげることだ。

 

コリント人への第二の手紙 4:16 だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの「外なる人」は衰えていくとしても、わたしたちの「内なる人」は日々新たにされていきます。 (JNICV)

 

 

 

ローマ人への手紙7章23節

 

[口語訳] わたしの肢体には別の律法があって、わたしの心の法則に対して戦いをいどみ、そして、肢体に存在する罪の法則の中に、わたしをとりこにしているのを見る。

 

[新改訳] 私のからだの中には異なった律法があって、それが私の心の律法に対して戦いをいどみ、私を、からだの中にある罪の律法のとりこにしているのを見いだすのです。

 [新共同訳] わたしの五体にはもう一つの法則があって心の法則と戦い、わたしを、五体の内にある罪の法則のとりこにしているのが分かります。

 

[文語訳]わが肢體のうちに他の法ありて、我が心の法と戰ひ、我を肢體の中にある罪の法の下に虜とするを見る。

 

[塚本訳]わたしの肢体にもう一つの(わたし、罪の)法則(を喜ぶ外の人としてのわたし)があり、(その神の律法を行おうとする)わたしの理性の法則と戦って、肢体にあるこの罪の法則の捕虜にすることを、経験するのである。

 

[前田訳]わが肢体には別の律法が見えます。それがわが精神の律法と戦って、わが肢体の中にある罪の律法の中にわたしを捕えるのです。

 

(NCV) But I see another law working in my body, which makes war against the law that my mind accepts. That other law working in my body is the law of sin, and it makes me its prisoner.

 

[解読の鍵]

 

ローマ人への手紙 7:5[新改訳]私たちが肉にあったときは、律法による数々の罪の欲情が私たちのからだの中に働いていて、死のために実を結びました。

 

ローマ人への手紙 7:21[新改訳]そういうわけで、私は、善をしたいと願っているのですが、その私に悪が宿っているという原理を見いだすのです。

 

ローマ人への手紙 7:25[新改訳] 私たちの主イエス・キリストのゆえに、ただ神に感謝します。ですから、この私は、心では神の律法に仕え、肉では罪の律法に仕えているのです。

 

ガラテヤ人への手紙 5:17[塚本訳] なぜなら肉の欲するところは霊に反し、霊は肉に反する。二つは互にさからうものであって、(肉の体をもつ)あなた達は、したいと思うことを、することができないからである。

 

ヘブル人への手紙 12:4-11 あなたがたは、罪と取り組んで戦う時、まだ血を流すほどの抵抗をしたことがない。 5 また子たちに対するように、あなたがたに語られたこの勧めの言葉を忘れている、「わたしの子よ、主の訓練を軽んじてはいけない。主に責められるとき、弱り果ててはならない。

6 主は愛する者を訓練し、受けいれるすべての子を、むち打たれるのである」。 7 あなたがたは訓練として耐え忍びなさい。神はあなたがたを、子として取り扱っておられるのである。いつたい、父に訓練されない子があるだろうか。 8 だれでも受ける訓練が、あなたがたに与えられないとすれば、それこそ、あなたがたは私生子であって、ほんとうの子ではない。 9 その上、肉親の父はわたしたちを訓練するのに、なお彼をうやまうとすれば、なおさら、わたしたちは、たましいの父に服従して、真に生きるべきではないか。 10 肉親の父は、しばらくの間、自分の考えに従って訓練を与えるが、たましいの父は、わたしたちの益のため、そのきよさにあずからせるために、そうされるのである。 11 すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる。しかし後になれば、それによって鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせるようになる。 (JCV)

 

 

 

ローマ人への手紙7章24節

 

[口語訳] わたしは、なんというみじめな人間なのだろう。だれが、この死のからだから、わたしを救ってくれるだろうか。

 

[新改訳] 私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。

 

[新共同訳] わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか。

 

 [文語訳]噫われ腦める人なるかな、此の死の體より我を救はん者は誰ぞ。

 

[塚本訳]なんとわたしはみじめな人間だろう!だれがこの死の体から、わたしを救い出してくれるのだろうか。

 

 [前田訳]わたしは何とみじめな人間でしょう。だれがわたしをこの死の体から救ってくれましょう。

 

(NCV) What a miserable man I am! Who will save me from this body that brings me death?

 

[解読の鍵]

 

ローマ人への手紙 8:26[塚本訳]しかし(創造物やわたし達神の子が苦しんでいると)同じように、御霊も、弱いわたし達を助けてくださる。すなわち、(神のみ心にかなう には)どう何を祈るべきかわからないので、御霊自身が、無言の呻きをもって(わたし達の祈りを神に)執り成してくださるのである。

 

詩篇 38:2-4 あなたの矢がわたしに突き刺さり、あなたの手がわたしの上にくだりました。

3 あなたの怒りによって、わたしの肉には全きところなく、わたしの罪によって、わたしの骨には健やかなところはありません。

4 わたしの不義はわたしの頭を越え、重荷のように重くて負うことができません。 (JCV)

 

詩篇 38:9-10 もう立てないほど打ち砕かれ、心は呻き、うなり声をあげるだけです。

10 わたしの主よ、わたしの願いはすべて御前にあり、歎きもあなたに隠されていません。 (JNICV)

 

詩篇 77:3-4 苦難の襲うとき、わたしは主を求めます。夜、わたしの手は疲れも知らず差し出され、わたしの魂は慰めを受け入れません。

4 神を思い続けて呻き、わたしの霊は悩んでなえ果てます。 (JNICV)

 

詩篇 119:176 わたしが小羊のように失われ、迷うとき、どうかあなたの僕を探してください。あなたの戒めをわたしは決して忘れません。 (JNICV)

 

詩篇 130:1-3 【都もうでの歌】主よ、わたしは深い淵からあなたに呼ばわる。

2 主よ、どうか、わが声を聞き、あなたの耳をわが願いの声に傾けてください。

3 主よ、あなたがもし、もろもろの不義に目をとめられるならば、主よ、だれが立つことができましょうか。 (JCV)

 

マタイによる福音書 5:6[塚本訳] ああ幸いだ、(神の)義に飢え渇いている人たち、(かの日に)満足させられるのはその人たちだから。"

 

テトスへの手紙 2:14 キリストがわたしたちのために御自身を献げられたのは、わたしたちをあらゆる不法から贖い出しだし、良い行いに熱心な民を御自分のものとして清めるためだったのです。

(JNICV)

 

ローマ人への手紙 8:13[塚本訳]その訳は、もしあなた達が肉によって生きれば、かならず死ぬからである。しかしもし(霊によって生き、)霊をもって体の働き[肉の行い]を殺せば、(永遠に)生きる。"

 

コロサイ人への手紙 2:10-11 あなたがたは、キリストにおいて満たされているのです。キリストはすべての支配や権威の頭です。

11 あなたがたはキリストにおいて、手によらない割礼、つまり肉の体を脱ぎ捨てるキリストの割礼を受け、 (JNICV)

 

 

 

ローマ人への手紙7章25節

 

[口語訳] わたしたちの主イエス・キリストによって、神は感謝すべきかな。このようにして、わたし自身は、心では神の律法に仕えているが、肉では罪の律法に仕えているのである。

 

[新改訳] 私たちの主イエス・キリストのゆえに、ただ神に感謝します。ですから、この私は、心では神の律法に仕え、肉では罪の律法に仕えているのです。

 

[新共同訳] わたしたちの主イエス・キリストを通して神に感謝いたします。このように、わたし自身は心では神の律法に仕えていますが、肉では罪の法則に仕えているのです。

 

[文語訳]"我らの主イエス・キリストに頼りて神に感謝す、然れば我みづから心にては神の律法につかへ、内にては罪の法に事ふるなり。"

 

[塚本訳]──神様、感謝します、わたし達の主イエス・キリストによって!──従って、このわたしは理性では神の律法に仕えるが、肉では罪の法則に仕えるのであ

る。

 

[前田訳]われらの主イエス・キリストによって神に感謝します。結局わたし自身、精神では神の律法に、肉では罪の律法に仕えているのです。"

 

(NCV) I thank God for saving me through Jesus Christ our Lord! So in my mind I am a slave to God's law, but in my sinful self I am a slave to the law of sin.

 

[解読の鍵]

 

ローマ人への手紙 6:14[塚本訳]なぜなら、罪はもうあなた達の主人として支配することはないからである。あなた達は律法の下にいるのでなく、恩恵の下にいるのである。

 

ローマ人への手紙 6:17[塚本訳]しかし神に感謝する、あなた達は(かつて)罪の奴隷であったが、(神から信仰の)教えの型に入れられて心からそれに服従し、"

 

詩篇 107:15-21 どうか、彼らが主のいつくしみと、人の子らになされたくすしきみわざとのために、主に感謝するように。

16 主は青銅のとびらをこわし、鉄の貫の木を断ち切られたからである。

17 ある者はその罪の汚れた行いによって病み、その不義のゆえに悩んだ。

18 彼らは凡ての食物をきらって、死の門に近づいた。

19 彼らはその悩みのうちに主に呼ばわったので、主は彼らをその悩みから救い、

20 そのみ言葉をつかわして、彼らをいやし、彼らを滅びから助け出された。

21 どうか、彼らが主のいつくしみと、人の子らになされたくすしきみわざとのために、主に感謝するように。 (JCV)

 

詩篇 116:16 主よ、わたしはあなたのしもべです。わたしはあなたのしもべ、あなたのはしための子です。あなたはあたしのなわめを解かれました。 (JCV)

 

イザヤ書 12:1 その日あなたは言う、「主よ、わたしはあなたに感謝します。あなたは、さきにわたしにむかって怒られたが、その怒りはやんで、わたしを慰められたからです。 (JCV)

 

イザヤ書 49:8-14 主はこう言われる、「わたしは恵みの時に、あなたに答え、救の日にあなたを助けた。わたしはあなたを守り、あなたを与えて民の契約とし、国を興し、荒れす たれた地を嗣業として継がせる。 9 わたしは捕えられた人に『出よ』と言い、暗きにおる者に『あらわれよ』と言う。彼らは道すがら食べることができ、すべての裸の山にも牧草を得る。 10 彼らは飢えることがなく、かわくこともない。また熱い風も、太陽も彼らを撃つことはない。彼らをあわれむ者が彼らを導き、泉のほとりに彼らを導かれるから だ。 11 わたしは、わがもろもろの山を道とし、わが大路を高くする。 12 見よ、人々は遠くから来る。見よ、人々は北から西から、またスエネの地から来る」。 13 天よ、歌え、地よ、喜べ。もろもろの山よ、声を放って歌え。主はその民を慰め、その苦しむ者をあわれまれるからだ。 14 しかしシオンは言った、「主はわたしを捨て、主はわたしを忘れられた」と。 15 「女がその乳のみ子を忘れて、その腹の子を、あわれまないようなことがあろうか。たとい彼らが忘れるようなことがあっても、わたしは、あなたを忘れること はない。 (JCV)

 

マタイによる福音書 1:21[塚本訳] 男の子が生まれるから、その名をイエス(訳すると、神はお救いになる)とつけよ。この方がその民を罪からお救いになるのだから。」"

 

コリント人への第一の手紙 15:57 しかし感謝すべきことには、神はわたしたちの主イエス・キリストによって、わたしたちに勝利を賜わったのである。 (JCV)

 

コリント人への第二の手紙 9:15 言いつくせない賜物のゆえに、神に感謝する。 (JCV)

 

コリント人への第二の手紙 12:9-10 ところが、主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。

10 だから、わたしはキリストのためならば、弱さと、侮辱と、危機と、迫害と、行き詰まりとに甘んじよう。なぜなら、わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである。 (JCV)

 

ピリピ人への手紙 3:3-4 神の霊によって礼拝をし、キリスト・イエスを誇とし、肉を頼みとしないわたしたちこそ、割礼の者である。 4 もとより、肉の頼みなら、わたしにも無くはない。もし、だれかほかの人が肉を頼みとしていると言うなら、わたしはそれをもっと頼みとしている。 (JCV)

 

ピリピ人への手紙 4:6 何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。 (JCV)

 

ペテロの第一の手紙 2:9 しかし、あなたがたは、選ばれた種族、祭司の国、聖なる国民、神につける民である。それによって、暗やみから驚くべきみ光りに招き入れて下さったかたのみわざを、あなたがたが語り伝えるためである。 (JCV)

 

ガラテヤ人への手紙 5:16-25 わたしは命じる、御霊によって歩きなさい。そうすれば、決して肉の欲を満たすことはない。 17 なぜなら、肉の欲するところは御霊に反し、また御霊の欲するところは肉に反するからである。こうして、二つのものは互に相さからい、その結果、あなたがたは自分でしようと思うことを、することができないようになる。 18 もしあなたがたが御霊に導かれるなら、律法の下にはいない。 19 肉の働きは明白である。すなわち、不品行、汚れ、好色、 20 偶像礼拝、まじない、敵意、争い、そねみ、怒り、党派心、分裂、分派、 21 ねたみ、泥酔、宴楽、および、そのたぐいである。わたしは以前も言ったように、今も前もって言っておく。このようなことを行う者は、神の国をつぐことがない。 22 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、 23 柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。 24 キリスト・イエスに属する者は、自分の肉を、その情と欲と共に十字架につけてしまったのである。 25 もしわたしたちが御霊によって生きるのなら、また御霊によって進もうではないか。 (JCV)

 

 

 

性倫理の破綻と正しき道への門としての「贖罪」

 

人生には誘惑が多く、人生の航海は難破しやすい。特に若い者にとっては「性の倫理」が破綻しやすい。悪い者が待ち構えていて若者を地獄の奈落へ引きずり込むのである。

創世記 39:7 これらの事の後、主人の妻はヨセフに目をつけて言った、「わたしと寝なさい」。 (JCV)

 

世の中にはこういう悪い女性(男性)がいるのだ。

 

マタイによる福音書 18:6-7 しかし、わたしを信ずるこれらの小さい者のひとりをつまずかせる者は、大きなひきうすを首にかけられて海の深みに沈められる方が、その人の益になる。 7 この世は、罪の誘惑があるから、わざわいである。罪の誘惑は必ず来る。しかし、それをきたらせる人は、わざわいである。 (JCV)

 

ここでイエスが言っているように罪の誘惑は必ず来るのであるが、それをきたらせる悪い者はわざわいなのである。そういう輩は大きなひきうすを首にかけられて海の深みに沈められる方がよ いというのである。「地獄に落ちよ!」とイエスがいうのである。また誘惑に引っかかる方もよくない。そのためには「防衛」しなければならない。それは国防 より緊急を要する。そのためには悪いやつに「近づかない」ことがまず第一の方法である。それにはよい友達を選ぶのである。結婚はその最大のこと。

創世記 39:10 彼女は毎日ヨセフに言い寄ったけれども、ヨセフは聞きいれず、彼女と寝なかった。また共にいなかった。 (JCV)

ヨセフは共にいなかったと いう。これがまず最良の手段である。戦うな「離れよ」である。それから生活の習慣である。一週間に一度「聖書の集まり」など清い集まりに行く習慣をつける ことである。今日までキリスト教が存続してきたのは日曜日を聖なる清い日として守ってきたからであるといわれている。ユダヤ人の優秀さは土曜日には完全に 仕事をしないということにあるともいわれている。このように罪の生活に陥らないためには生活習慣という「防衛」が必要である。

しかしそれにもまして大切なことは「正しい結婚である」。こう言うと「正しい結婚とは何か」という問いがあるだろうが、それは簡単である。その結婚が多くの人に「祝福」されるようになるかどうかである。

この世は堕落しているがしかしなお民の声としての世論には間違いのないものがある。「しかめ面」されそうな結婚の道は悪い道で、当の本人(たち)には分らないがその人の人生は将来必ず堕落し破滅に向かうのだ。何せ神にも人にも承認されてないから。

 し かし、しかし、もし失敗しても立ち返る余地がある。それは「贖罪」の門をくぐることである。そこに入門(良い日本語だ)することである。人生いったん失敗 して堕落しても「贖罪」の門をくぐる。否、無理にでも「くぐらされた」その人はその後多くの人を慰め導くことができるのだ。アウグスチヌス、トルストイ、 内村鑑三。

ヨハネによる福音書 10:9(また、)わたしが(羊の出入りするための)門である。わたしを通って入る者(羊)は救われる。(いつもこの門を)入ったり出たりして、牧草を得るであろう。[塚本訳]

 

神の存在証明はできないが、人間は贖罪体験をして初めて神の存在を認識できるのだ。罪の生活にいるうちはその人にとって神は存在しない。盲になっているから。正しい道への救いの門としてのイエスの「贖罪」によって人生ははじめて開眼する。

2001.3.20                    高橋照男

表  題 ・ 要  約

 

 

霊による命(8:1−17)・・・新共同訳

 

・・・バルト

決断(8:1−10)

真理(8:11−27)

 

霊の自由の中に在る人間(8:1−39)

    霊に在ることとしてのキリスト者の生(8:1−11)・・・ケーゼマン

 

キリストの御霊によって与えられる罪と死からの自由(8:1−11)・・・アルトハウスNTD

 

霊肉の戦(8:1−11)・・・黒崎幸吉

 

聖霊によるいのちと生活(8:1−11)・・・フランシスコ会訳

 

御霊による生命(8:1−17)・・・高橋三郎

 

神の霊のもとにある歩み(8:1−17)・・・青野(岩波)

 

救いの完成(8:2−39)(「律法の要請はいかにしてみたされるか」という問いに対して)

御霊がもたらす解放と生命(8:2−17)・・・八木(講談社)

 

律法の完成(7:25−8:4)             ・・・塚本註解

肉と霊(8:5−8)

救いの確実性(8:9−11)

 

キリストの霊によって罪と死とから解放された(8:1−11)・・・塚本訳

  

肉における存在から霊における存在へ(7:1−8:17)

    現在――いのちの御霊の内にあるわたしたち(8:1−17)・・・ヴィルケンスEKK

     

 

御霊と新しい命(8:1−11) ・・・白井きく

 

救の完成(一)八章全体の大意  ・・・内村鑑三

〃  (二)八章一節の研究

〃  (三)八章一〜十一の研究

 

 

 

ローマ人への手紙8章1節

 

[口語訳] こういうわけで、今やキリスト・イエスにある者は罪に定められることがない。

 

[新改訳] こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。

 

[新共同訳] 従って、今や、キリスト・イエスに結ばれている者は、罪に定められることはありません。

 

 [文語訳]この故に今やキリスト・イエスに在る者は罪の定められることなし。

 

[塚本訳](こうしてわたし達はみな救われている。)だから今では、キリスト・イエスにある者は絶対に罪を罰されることはない。

 

[前田訳]それゆえ、今や、キリスト・イエスにあるものは何の罰も受けません。

 

(NCV)So now, those who are in Christ Jesus are not judged guilty.

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙 4:6-8 ダビデもまた、行いがなくても神に義と認められた人の幸福について、次のように言っている、 7 「不法をゆるされ、罪をおおわれた人たちは、さいわいである。 8 罪を主に認められない人は、さいわいである」。 (JCV)

 

ヨハネによる福音書 15:4[塚本訳] わたしに留っておれ。そうすればわたしもあなた達に留っている。ちょうど蔓が葡萄の木に留っていなければ、自分で実を結ぶことが出来ないように、あなた達もわたしに留っていなければ、実を結ぶことは出来ない。

 

コリント人への第二の手紙 5:17[塚本訳] だから、キリストと結びついている者は、新しい創造物である。古いものは消え失せて、いまここに、新しくなってしまっている!"

 

ガラテヤ人への手紙 5:16[塚本訳] わたしの意味はこうである。・・霊によって歩け。そうすれば肉の欲を満たすことがないであろう。

 

ガラテヤ人への手紙 5:24-25 キリスト・イエスに属する者は、自分の肉を、その情と欲と共に十字架につけてしまったのである。 25 もしわたしたちが御霊によって生きるのなら、また御霊によって進もうではないか。 (JCV)

 

 

 

ローマ人への手紙8章2節

 

[口語訳] なぜなら、キリスト・イエスにあるいのちの御霊の法則は、罪と死との法則からあなたを解放したからである。

 

[新改訳] なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。

 

[新共同訳] キリスト・イエスによって命をもたらす霊の法則が、罪と死との法則からあなたを解放したからです。

 

[文語訳]キリスト・イエスに在る生命の御靈の法は、なんじを罪と死との法より解放したればなり。

 

[塚本訳]なぜなら、キリスト・イエスによる命の霊の法則が、死と罪との法則からあなたを自由にしたからである。

 

[前田訳]キリスト・イエスにあるいのちの霊の律法が、あなたを罪と死の律法から解放したからです。"

 

(NCV)Through Christ Jesus the law of the Spirit that brings life made me free from the law that brings sin and death.

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙 3:27[塚本訳] それでは(ユダヤ人の)誇りはどうなるのか。誇ることは出来なくなった。なんの法則によって(出来ないの)か。行いの(完全を要求するモーセ律法の)法則によってか。そうではない、信仰の法則によってである。"

 

ヨハネによる福音書 8:36[塚本訳] だから、もし子(たるわたし)が(罪から)自由にしてやれば、あなた達は本当に自由になるのである。(そしていつまでも父上のところにおることができる。)

 

ローマ人への手紙 10:11[塚本訳] (なぜ信仰だけで救われるか。)“これ[キリスト]を信ずる者は”すべて、(最後の裁きの日に)“恥をかかないであろう”と聖書が言っているからである。"

 

ヨハネによる福音書 4:10[塚本訳] イエスは答えられた、「もし神の(賜わる最上の)賜物が何であるか、『飲ませてくれないか』と(今)あなたに言っている者がだれであるかがあなたにわかっていたら、あなたの方からその人に頼み、その人があなたに清水[命の水]を与えたであろうに。」

 

ヨハネによる福音書 4:14[塚本訳] わたしが与える水を飲む者は永遠に渇かない。そればかりでなく、わたしが与える水は、その人の中で(たえず)湧き出る水の泉となって、永遠の命に至らせるであろう。」

 

ヨハネによる福音書 6:63[塚本訳] 霊が命を与える。肉はなんの役にも立たない。いまわたしがあなた達に話した言葉は、霊である。だから、命である。"

 

ヨハネによる福音書 7:29-38 わたしはその方を知っている。わたしはその方のもとから来た者であり、その方がわたしをお遣わしになったのである。」

30 人々はイエスを捕らえようとしたが、手をかける者はいなかった。イエスの時はまだ来ていなかったからである。

31 しかし、群衆の中にはイエスを信じる者が大勢いて、「メシアが来られても、この人よりも多くのしるしをなさるだろうか」と言った。

32 ファリサイ派の人々は、群衆がイエスについてこのようにささやいているのを耳にした。祭司長たちとファリサイ派の人々は、イエスを捕らえるために下役たちを遣わした。

33 そこで、イエスは言われた。「今しばらく、わたしはあなたたちと共にいる。それから、自分をお遣わしになった方のもとへ帰る。

34 あなたたちは、わたしを捜しても、見つけることがない。わたしのいる所に、あなたたちは来ることができない。」

35 すると、ユダヤ人たちが互いに言った。「わたしたちが見つけることはないとは、いったい、どこへ行くつもりだろう。ギリシャ人の間に離散しているユダヤ人のところへ行って、ギリシャ人に教えるとでもいうのか。

36 『あなたたちは、わたしを捜しても、見つけることがない。わたしのいる所に、あなたたちは来ることができない』と彼は言ったが、その言葉はどういう意味なのか。」

37 祭りが最も盛大に祝われる終わりの日に、イエスは立ち上がって大声で言われた。「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。

38 わたしを信じるものは、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」 (JNICV)

 

コリント人への第一の手紙 15:45[塚本訳] (聖書にも)このように書いてある、「最初の“人”アダム“は魂だけの生きものになり”、最後のアダム[キリスト]は命を与える霊になった」と。

 

コリント人への第二の手紙 3:6[塚本訳] 神はわたし達に、新しい契約のための世話役、(すなわち古い契約にある律法の)文字のためではなく、(神の)霊のための世話役たる能力をお与えになったのである。文字は殺すが、霊は命を与えるからである。"

 

ローマ人への手紙 6:22[塚本訳] しかし今は、罪から自由にされて神の奴隷にしていただき、一つの実を得ている。この実はあなた達を聖め、最後は永遠の命に至らせるのである。"

ヨハネによる福音書 8:31-32 イエスは自分を信じたユダヤ人たちに言われた、「もしわたしの言葉にうちにとどまっておるなら、あなたがたは、ほんとうにわたしの弟子なのである。

32 また真理を知るであろう。そして真理は、あなたがたに自由を得させるであろう」。 (JCV)

 

コリント人への第二の手紙 3:17[塚本訳](ここで)主(と)は御霊(のこと)である。主の御霊のあるところには自由が(あるから、ベールが取り除かれるので)ある。

 

ガラテヤ人への手紙 2:18-19[塚本訳] なぜなら、もしわたしが一旦こわした(律法なる)ものをふたたび建てるならば、それこそ自分自身が(律法を)犯す者であることを表わすからである。(ケパ がしたことはこれではないか。)19というのは、神に対して生きるために、わたしは律法によって律法(との関係)に(おいて)死んでしまったのである。キ リストと一緒に十字架につけられたのである。

 

ガラテヤ人への手紙 5:1-2 自由を得させるために、キリストはわたしたちを解放して下さったのである。だから、堅く立って、二度と奴隷のくびきにつながれてはならない。

2 見よ、このパウロがあなたがたに言う。もし割礼を受けるなら、キリストはあなたがたに用のないものになろう。 (JCV)

 

ローマ人への手紙 5:21[塚本訳]これは罪が死を持って支配したように、恩恵も義をもって支配し、わたし達の主イエス・キリストによって、(わたし達を)永遠の命に入れるためである。"

 

ローマ人への手紙 7:21-23 そこで、善をしようと欲しているわたしに、悪がはいり込んでいるという法則があるのを見る。

22 すなわち、わたしは、内なる人としては神の律法を喜んでいるが、

23 わたしの肢体には別の律法があって、わたしの心の法則に対して戦いをいどみ、そして、肢体に存在する罪の法則の中に、わたしをとりこにしているのを見る。 (JCV)

 

ローマ人への手紙 7:24-25 わたしは、なんというみじめな人間なのだろう。だれが、この死のからだから、わたしを救ってくれるだろうか。

25 わたしたちの主イエス・キリストによって、神は感謝すべきかな。このようにして、わたし自身は、心では神の律法に仕えているが、肉では罪の律法に仕えているのである。 (JCV)

 

 

 

ローマ人への手紙8章3節

 

[口語訳] 律法が肉により無力になっているためになし得なかった事を、神はなし遂げて下さった。すなわち、御子を、罪の肉の様で罪のためにつかわし、肉において罪を罰せられたのである。

 

 [新改訳] 肉によって無力になったため、律法にはできなくなっていることを、神はしてくださいました。神はご自分の御子を、罪のために、罪深い肉と同じような形でお遣わしになり、肉において罪を処罰されたのです。

 

[新共同訳] 肉の弱さのために律法がなしえなかったことを、神はしてくださったのです。つまり、罪を取り除くために御子を罪深い肉と同じ姿でこの世に送り、その肉において罪を罪として処断されたのです。

 

 [文語訳]肉によりて弱くなれる律法の成し能はぬ所を神は爲し給へり、即ち己の子を罪ある肉の形にて罪のために遣し、肉に於て罪を定めたまへり。 

 

[塚本訳]律法が肉に妨げられて無力になったために出来なくなったことを、神は(御子によって)成し遂げてくださった。すなわち(わたし達の)罪の(征服の)ためにその子を罪の肉の形で(この世に)遣わし、その肉(を殺すこと)において罪を罰されたのである。"

 

[前田訳]律法が肉のため弱体になってできなくなったことを、神はなしとげられました。すなわち、(人の)罪のゆえにみ子を罪の肉の形でつかわし、肉において罪を罰せられたのです。

 

 (NCV) The law was without power, because the law was made weak by our sinful selves. But God did what the law could not do. He sent his own Son to earth with the same human life that others use for sin. By sending his Son to be an offering to pay for sin, God used a human life to destroy sin.

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙 7:5 というのは、わたしたちが肉にあった時には、律法による罪の欲情が、死のために実を結ばせようとして、わたしたちの肢体のうちに働いていた。 (JCV)

 

ヘブル人への手紙 10:14-17 彼は一つのささげ物によって、きよめられた者たちを永遠に全うされたのである。 15 聖霊もまた、わたしたちにあかしをして、 16 「わたしが、それらの日の後、彼らに対して立てようとする契約はこれであると、主は言われる。わたしの律法を彼らの心に与え、彼らの思いのうちに書きつけよう」と言い、 17 さらに、「もはや、彼らの罪と彼らの不法とを、思い出すことはしない」と述べている。 (JCV)

 

ローマ人への手紙 8:32[塚本訳] 御自分の子をさえなんの惜しげもなく、わたし達みんなのために死に引き渡されたその神が、どうしてそれと共に、すべてのものをも賜わらないことがあろうか。

 

ヨハネによる福音書 3:14-15 そして、モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない。

15 それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである。 (JNICV)

 

ガラテヤ人への手紙 4:4-6 しかし、時の満ちるに及んで、神は御子を女から生れさせ、律法の下に生れさせて、おつかわしになった。5 それは、律法の下にある者をあがない出すため、わたしたちに子たる身分を授けるためであった。 6 このように、あなたがたは子であるのだから、神はわたしたちの心の中に、「アバ、父よ」と呼ぶ御子の霊を送って下さったのである。 (JCV)

 

ヨハネの第一の手紙 4:10[塚本訳] わたし達が神を愛したことではなく、彼がわたし達を愛し、その子をわたし達の罪のための宥め(の供物)として遣わされたそのことに、愛があるのである。

 

ローマ人への手紙 9:3[塚本訳] ほんとうに、兄弟すなわち血を分けた同胞の(救われる)ためならば、このわたしは呪われて、救世主(の救い)から離れ落ちてもよいと、幾たび(神に)願ったことであろう。

 

マルコによる福音書 15:27-28 また、イエスと共にふたりの強盗を、ひとりを右に、ひとりを左に、十字架につけた。 28 [こうして、「彼は罪人たちのひとりに数えられた」と書いてある言葉が成就したのである。] (JCV)

 

コリント人への第二の手紙 5:21[塚本訳]神は罪を知らなかった方をわたし達の身代りに(十字架につけて)罪に定められた。わたし達がこの方において神の義(をいただく者)となるためである。"

 

ガラテヤ人への手紙 3:13 キリストは、わたしたちのために呪いとなって、わたしたちを律法の呪いから贖い出してくださいました。「木にかけられた者は皆呪われている」と書いてあるからです。

(JNICV)

 

ローマ人への手紙 6:6[塚本訳] わたし達はこのことを知っている。・・(洗礼は十字架をあらわす。)古いわたし達は(キリストと)一しょに十字架につけられたが、これは罪の体がほろび失せて、わたし達がもう二度と罪の奴隷にならないためであると。"

 

ペテロの第一の手紙 2:24 さらに、わたしたちが罪に死に、義に生きるために、十字架にかかって、わたしたちの罪をご自分の身に負われた。その傷によって、あなたがたは、いやされたのである。

(JCV)

 

ペテロの第一の手紙 4:1-2 キリストは肉に苦しみをお受けになったのですから、あなたがたも同じ心構えで武装しなさい。肉に苦しみを受けた者は、罪とのかかわりを絶った者なのです。

2 それは、もはや人間の欲望にではなく神の御心に従って、肉における残りの生涯を生きるようになるためです。 (JNICV)

 

ヘブル人への手紙 7:18-19 このようにして、一方では、前の戒めが弱くかつ無益であったために無効になると共に、 19 (律法は、何事も全うし得なかったからである)、他方では、さらにすぐれた望みが現れてきて、わたしたちを神に近づかせるのである。 (JCV)

 

ヘブル人への手紙 10:1-5 いったい、律法はきたるべき良いことの影をやどすにすぎず、そのものの真のかたちをそなえているものではないから、年ごとに引きつづきささげられる同じようないけにえによっても、みまえに近づいて来る者たちを、全うすることはできないのである。

2 もしできたとすれば、儀式にたずさわる者たちは、一度きよめられた以上、もはや罪の自覚がなくなるのであるから、ささげ物をすることがやまったはずではあるまいか。 3 しかし実際は、年ごとに、いけにえによって罪の思い出がよみがえって来るのである。 4 なぜなら、雄牛ややぎなどの血は、罪を除き去ることができないからである。 5 それだから、キリストがこの世にこられたとき、次のように言われた、「あなたは、いけにえやささげ物を望まれないで、わたしのために、からだを備えて下さった。 (JCV)

 

 

 

ローマ人への手紙8章4節

 

[口語訳] これは律法の要求が、肉によらず霊によって歩くわたしたちにおいて、満たされるためである。

 

[新改訳] それは、肉に従って歩まず、御霊に従って歩む私たちの中に、律法の要求が全うされるためなのです。

 

[新共同訳] それは、肉ではなく霊に従って歩むわたしたちの内に、律法の要求が満たされるためでした。

 

 [文語訳]これ肉に從はず、靈に從ひて歩む我らの中に、律法の義の完うせられん爲なり。

 

[塚本訳]これはわたし達が(もはや)肉によって歩かず、霊によって歩き、律法の要求することがわたし達において完全に果たされるためである。

 

[前田訳]それは、肉によらず霊によって歩むわれらの間に律法の要求が満たされるためです。"

 

(NCV) He did this so that we could be the kind of people the law correctly wants us to be. Now we do not live following our sinful selves, but we live following the Spirit.

 

[解読の鍵]

 

ガラテヤ人への手紙 5:22-24 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、

23 柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。

24 キリスト・イエスに属する者は、自分の肉を、その情と欲と共に十字架につけてしまったのである。 (JCV)

 

エペソ人への手紙 5:26-27[塚本訳] キリストは洗礼の水浴びにより、(その際述べられる告白の)言葉をもって、教会を潔めて聖なるものとなし、"27かくて汚点も皺もかかるものの何も無い、聖なる瑕なき輝かしい教会を自分で自分のために建てようとし給うたのである。――

 

コロサイ人への手紙 1:22 しかし今や、神は御子の肉の体において、その死によってあなたがたと和解し、御自身の前に聖なる者、きずのない者、とがめるところのない者としてくださいました。

(JNICV)

 

ローマ人への手紙 8:1 こういうわけで、今やキリスト・イエスにある者は罪に定められることがない。 (JCV)

 

マタイによる福音書 5:17-18 「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。

18 はっきり言っておく。すべてのことが実現し、天地が消えうせるまで、律法の文字から一点一画も消え去ることはない。

(JNICV)

 

 

 

ローマ人への手紙8章5節

 

[口語訳] なぜなら、肉に従う者は肉のことを思い、霊に従う者は霊のことを思うからである。

 

[新改訳] 肉に従う者は肉的なことをもっぱら考えますが、御霊に従う者は御霊に属することをひたすら考えます。

 

[新共同訳] 肉に従って歩む者は、肉に属することを考え、霊に従って歩む者は、霊に属することを考えます。

 

 [文語訳]肉にしたがふ者は肉の事をおもひ、靈にしたがふ者は靈の事をおもふ。

 

[塚本訳]なぜ(霊によって歩けばそれができる)か。肉による者[生まれながらの人]は肉のことを追い求めるが、霊による者[キリストを信ずる者]は霊のことを追い求めるからである。"

 

[前田訳]それは、肉に従うものは肉のことを、霊に従うものは霊のことを求めるからです。

 

(NCV) Those who live following their sinful selves think only about things that their sinful selves want. But those who live following the Spirit are thinking about the things the Spirit wants them to do.

 

 [解読の鍵]

ローマ人への手紙 12:13-16 貧しい聖徒を助け、努めて旅人をもてなしなさい。 14 あなたがたを迫害する者を祝福しなさい。祝福して、のろってはならない。16 互に思うことをひとつにし、高ぶった思いをいだかず、かえって低い者たちと交わるがよい。自分が知者だと思いあがってはならない。 (JCV)

 

ヨハネによる福音書 3:6-8 肉から生れる者は肉であり、霊から生れる者は霊である。は及ばない。

8 風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞くが、それがどこからきて、どこへ行くかは知らない。霊から生れる者もみな、それと同じである」。 (JCV)

 

コリント人への第一の手紙 15:48-50[塚本訳] 土の人たちはこの土の人(アダム)のようであり、天の人たちはこの天の人(キリスト)のようである。"49こうしてわたし達は土の人の姿を帯びたように、 (復活の時は)天の人の姿を帯びるであろう。50兄弟たち、わたしの言うのはこのことである。血肉の人間は神の国を相続することは出来ず、死滅が不滅を相 続することはない。

 

コリント人への第二の手紙 10:3[塚本訳] いかにも、わたし達は人間として歩いてはいるが、人間的には(歩いていない、)戦っていない。"

 

ペテロの第二の手紙 2:9-10 主は、信仰のあつい人を試練から救い出す一方、正しくない者たちを罰し、裁きの日まで閉じ込めておくべきだと考えておられます。

10 特に、汚れた情欲の赴くままに肉に従って歩み、権威を侮る者たちを、そのように扱われるのです。彼らは、厚かましく、わがままで、栄光ある者たちをそしってはばかりません。 (JNICV)

 

ローマ人への手紙 8:6-9 肉の思いは死であるが、霊の思いは、いのちと平安とである。

7 なぜなら、肉の思いは神に敵するからである。すなわち、それは神の律法に従わず、否、従い得ないのである。

8 また、肉にある者は、神を喜ばせることができない。

9 しかし、神の御霊があなたの内に宿っているなら、あなたがたは肉におるのではなく、霊におるのである。もし、キリストの霊を持たない人がいるなら、その人はキリストのものではない。 (JCV)

 

ローマ人への手紙 8:14 神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。 (JNICV)

 

ガラテヤ人への手紙 5:19-25 肉の業は明らかです。それは、姦淫、わいせつ、好色、

20 偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、仲間争い、

21 ねたみ、泥酔、酒宴、その他このたぐいのものです。以前言っておいたように、ここでも前もって言いますが、このようなことを行う者は、神の国を受け継ぐことはできません。

22 これに対して、霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、

23 柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません。

24 キリスト・イエスのものとなった人たちは、肉を欲情や欲望もろとも十字架につけてしまったのです。

25 わたしたちは、霊の導きに従って生きているなら、霊の導きに従ってまた前進しましょう。 (JNICV)

 

コロサイ人への手紙 3:1 さて、あなたがたは、キリストと共に復活させられたのですから、上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます。 (JNICV)

 

 

 

ローマ人への手紙8章6節

 

[口語訳] 肉の思いは死であるが、霊の思いは、いのちと平安とである。

 

[新改訳] 肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。

 

[新共同訳] 肉の思いは死であり、霊の思いは命と平和であります。

 

 [文語訳]肉の念は死なり、靈の念は生命なり、平安なり。"

 

[塚本訳]肉を追い求めることは死をもたらすが、霊を追い求めることは命と平安とをもたらすからである。

 

[前田訳]肉を求めれば死、霊を求めればいのちと平和です。

 

(NCV) If people's thinking is controlled by the sinful self, there is death. But if their thinking is controlled by the Spirit, there is life and peace.

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙 8:1213[塚本訳] (こんなに大きな恩恵をいただいているの)だから、兄弟たちよ、わたし達は義務がある。(もちろん)肉に対して、肉的に生きる義務があるのではない。(神に対して、霊によって生きる義務があるのである。)"13その訳は、もしあなた達が肉によって生きれば、かならず死ぬからである。しかしもし(霊によって生き、)霊をもって体の働き[肉の行い]を殺せば、(永遠に)生きる。"

 

ローマ人への手紙 6:20-23 [塚本訳]なぜなら、あなた達が罪の奴隷であった時には、義に対して自由(の身)であって(勝手放題な生活をしてい)たが、21その時いったいどんな実を得たのであったか。今なら恥ずかしいものではないか。それらのものの最後は死だからである。"22しかし今は、罪から自由にされて神の奴隷にしていただき、一つの実を得ている。この実はあなた達を聖め、最後は永遠の命に至らせるのである。"23なぜなら、罪が(奴隷に)払ってくれる給料は死であり、(従う者に与えられる)神の賜物は、わたし達の主イエス・キリストにおいての永遠の命だからである。"

 

ローマ人への手紙 7:5[塚本訳]なぜなら、わたし達が(生まれたままの)肉にあっ(て生きてい)た時には、律法(の刺激)による罪の情熱が肢体の中に働いて、わたし達は死のために(滅びの)実を結んだからである。"

 

ローマ人への手紙 7:9-11 わたしはかつては、律法なしに生きていたが、戒めが来るに及んで、罪は生き返り、

10 わたしは死んだ。そして、いのちに導くべき戒めそのものが、かえってわたしを死に導いて行くことがわかった。

11 なぜなら、罪の戒めによって機会を捕え、わたしを欺き、戒めによってわたしを殺したからである。 (JCV)

 

ローマ人への手紙 13:14 あなたがたは、主イエス・キリストを着なさい。肉の欲を満たすことに心を向けてはならない。

(JCV)

 

ローマ人への手紙 14:1-4 信仰の弱い者を受けいれなさい。ただ、意見を批評するためであってはならない。 2 ある人は、何を食べてもさしつかえないと信じているが、弱い人は野菜だけを食べる。 3 食べる者は食べない者を軽んじてはならず、食べない者も食べる者をさばいてはならない。神は彼を受けいれて下さったのであるから。 4 他人の僕をさばくあなたは、いったい、何者であるか。彼が立つのも倒れるのも、その主人によるのである。しかし、彼は立つようになる。主は彼を立たせることができるからである。 (JCV)

 

ガラテヤ人への手紙 6:8[塚本訳] というのは、肉に蒔く者は肉から滅亡を刈取り、霊に蒔く者は(最後の日に神の)霊から永遠の命を刈取るであろう。

 

ヨハネによる福音書 14:27 わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな、またおじけるな。 (JCV)

 

ガラテヤ人への手紙 5:18-25 しかし、霊に導かれているなら、あなたがたは、律法の下にはいません。 19 肉の業は明らかです。それは、姦淫、わいせつ、好色、20 偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、仲間争い、 21 ねたみ、泥酔、酒宴、その他このたぐいのものです。以前言っておいたように、ここでも前もって言いますが、このようなことを行う者は、神の国を受け継ぐこ とはできません。 22 これに対して、霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、 23 柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません。 24 キリスト・イエスのものとなった人たちは、肉を欲情や欲望もろとも十字架につけてしまったのです。25 わたしたちは、霊の導きに従って生きているなら、霊の導きに従ってまた前進しましょう。 (JNICV)

 

 

 

ローマ人への手紙8章7節

 

[口語訳] なぜなら、肉の思いは神に敵するからである。すなわち、それは神の律法に従わず、否、従い得ないのである。

 

[新改訳] というのは、肉の思いは神に対して反抗するものだからです。それは神の律法に服従しません。いや、服従できないのです。

 

[新共同訳] なぜなら、肉の思いに従う者は、神に敵対しており、神の律法に従っていないからです。従いえないのです。

 

[文語訳]肉の念は神に逆ふ、それは神の律法に服はず、否したがふこと能はず、

 

[塚本訳]というのは、肉を追い求めることは神への敵対である。肉は神の律法に服従せず、服従することも出来ないからである。"

 

[前田訳]肉を求めるのは神への敵対です。肉は神の律法に従わず、従えもしませんから。"

 

(NCV) When people's thinking is controlled by the sinful self, they are against God, because they refuse to obey God's law and really are not even able to obey God's law.

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙 1:28-31 そして、彼らは神を認めることを正しいとしなかったので、神は彼らを正しからぬ思いにわたし、なすべからざる事をなすに任せられた。 29 すなわち、彼らは、あらゆる不義と悪と貪欲と悪意とにあふれ、ねたみと殺意と争いと詐欺と悪念とに満ち、また、ざん言する者、 30 そしる者、神を憎む者、不遜な者、高慢な者、大言壮語する者、悪事をたくらむ者、親に逆らう者となり、 31 無知、不誠実、無情、無慈悲な者となっている。 (JCV)

 

ローマ人への手紙 5:10[塚本訳]なぜなら、(神の)敵であったのに、その御子の死によって神と

和睦ができたくらいならば、すでに和睦をしたわたし達が、御子の(復活の)命によって

救われるのは、もちろんである。

 

出エジプト記 20:4-6 あなたはいかなる像も造ってはならない。上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない。 5 あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。わたしは主、あなたの神。わたしは熱情の神である。わたしを否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問うが、 6 わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には、幾千代にも及び慈しみを与える。 (JNICV)

 

ヨハネによる福音書 7:7[塚本訳] この世はあなた達を憎むことはできないが、わたしを憎む。(あなた達はこの世のものだが、)わたしはこの世の(ものではなく、この世の人々の)することを悪いとはっきり言うからだ。"

 

ヨハネによる福音書 15:23-24 わたしを憎む者は、わたしの父をも憎んでいる。 24 だれでも行ったことのない業を、わたしが彼らの間で行わなかったなら、彼らに罪はなかったであろう。だが今は、その業を見たうえで、わたしとわたしの父を憎んでいる。 (JNICV)

 

エペソ人への手紙 4:17-19 そこで、わたしは主によって強く勧めます。もはや、異邦人と同じように歩んではなりません。彼らは愚かな考えに従って歩み、 18 知性は暗くなり、彼らの中にある無知とその心のかたくなさのために、神の命から遠く離れています。 19 そして、無感覚になって放縦な生活をし、あらゆるふしだらな行いにふけってとどまるところを知りません。 (JNICV)

 

ローマ人への手紙 8:4[塚本訳]これはわたし達が(もはや)肉によって歩かず、霊によって歩き、律法の要求することがわたし達において完全に果たされるためである。"

 

コリント人への第一の手紙 9:21[塚本訳] わたしは神の律法を知らないのではなく、むしろキリストの律法に縛られているのではあるが、律法を知らない者たちには律法を知らない者のようになった。律法を知らない者たちを得るためである。"

 

コリント人への第一の手紙 2:14 自然の人は神の霊に属する事柄を受け入れません。その人にとって、それは愚かなことであり、理解できないのです。霊によって初めて判断できるからです。

(JNICV)

 

ペテロの第二の手紙 2:14 その目は絶えず姦通の相手を求め、飽くことなく罪を重ねています。彼らは心の定まらない人々を誘惑し、その心は強欲におぼれ、呪いの子になっています。 (JNICV)

 

 

 

ローマ人への手紙8章8節

 

[口語訳] また、肉にある者は、神を喜ばせることができない。

 

[新改訳] 肉にある者は神を喜ばせることができません。

 

[新共同訳] 肉の支配下にある者は、神に喜ばれるはずがありません。

 

[文語訳]また肉に居る者は神を悦ばすこと能はざるなり。

 

[塚本訳]肉にある者は神をお喜ばせすることは出来ない。

 

[前田訳]肉にあるものは神をおよろこばせできません。

 

(NCV)Those people who are ruled by their sinful selves cannot please God.

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙 8:9[塚本訳]しかしあなた達は肉にある者ではなく、霊にある者である、(すでにキリストを信じて)神の御霊があなた達の中に住んでおられる以上は。しかし(神の御霊すなわち)キリストの霊を持たないなら、その人はキリストのものではない。"

 

ヨハネによる福音書 3:5-6[塚本訳] イエスは答えられた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、人は霊によって生まれなければ、神の国に入ることは出来ない。06肉によって生まれたものは肉であり、霊によって生まれたものだけが霊である(から)。

 

ヘブル人への手紙 13:21 イエス・キリストによって、みこころにかなうことをわたしたちにして下さり、あなたがたが御旨を行うために、すべての良きものを備えて下さるようにこい願う。栄光が、世々限りなく神にあるよう、アァメン。 (JCV)

 

 

 

ローマ人への手紙8章9節

 

[口語訳] しかし、神の御霊があなたがたの内に宿っているなら、あなたがたは肉におるのではなく、霊におるのである。もし、キリストの霊を持たない人がいるなら、その人はキリストのものではない。

 

[新改訳] けれども、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです。キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません。

 

[新共同訳] 神の霊があなたがたの内に宿っているかぎり、あなたがたは、肉ではなく霊の支配下にいます。キリストの霊を持たない者は、キリストに属していません。

 

[文語訳]然れど神の御靈なんぢらの中に宿り給はば、汝らは肉に居らで靈に居らん、キリストの御靈なき者はキリストに屬する者にあらず。"

 

[塚本訳]しかしあなた達は肉にある者ではなく、霊にある者である、(すでにキリストを信じて)神の御霊があなた達の中に住んでおられる以上は。しかし(神の御霊すなわち)キリストの霊を持たないなら、その人はキリストのものではない。"

 

[前田訳]しかしあなた方は、神の霊があなた方の中にお住いである以上、肉にでなく霊にあるものです。キリストの霊を持たねば、その人は彼のものではありません。

 

(NCV)But you are not ruled by your sinful selves. You are ruled by the Spirit, if that Spirit of God really lives in you. But the person who does not have the Spirit of Christ does not belong to Christ.

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙 8:2[塚本訳]なぜなら、キリスト・イエスによる命の霊の法則が、死と罪との法則からあなたを自由にしたからである。"

 

ヨハネによる福音書 3:6[塚本訳] 肉によって生まれたものは肉であり、霊によって生まれたものだけが霊である(から)。

 

ヨハネによる福音書 3:34-36[塚本訳] 神がお遣わしになった方は神の言葉を話される。神は(その方に)いくらでも霊をお与えになるからである。

35父上は御子を愛して、一切のもの(の支配権)をその手におまかせになった。

36(だから従順に)御子を信ずる者は永遠の命を持つが、御子に不従順な者は命にはいることができないばかりか、神の怒りがその人からはなれない。」

 

ガラテヤ人への手紙 4:4-8 しかし、時の満ちるに及んで、神は御子を女から生れさせ、律法の下に生れさせて、おつかわしになった。

5 それは、律法の下にある者をあがない出すため、わたしたちに子たる身分を授けるためであった。

6 このように、あなたがたは子であるのだから、神はわたしたちの心の中に、「アバ、父よ」と呼ぶ御子の霊を送って下さったのである。

7 したがって、あなたがたはもはや僕ではなく、子である。子である以上、また神による相続人である。

8 神を知らなかった当時、あなたがたは、本来神ならぬ神々の奴隷になっていた。 (JCV)

 

コリント人への第一の手紙 3:21-23[塚本訳] 従って、(自分の先生はだれだ、彼だなどと、)人間のことを自慢する者があってはならない。万物はあなた達のものではないか。"

22パウロでもアポロでもケパでも、世界でも命でも死でも、現在起こっていることでも将来起こることでも、万物はあなた達のものである。"

23しかしあなた達はキリストのもの、キリストは神のものである。"

 

 

 

ローマ人への手紙8章10節

 

[口語訳] もし、キリストがあなたがたの内におられるなら、からだは罪のゆえに死んでいても、霊は義のゆえに生きているのである。

 

[新改訳] もしキリストがあなたがたのうちにおられるなら、からだは罪のゆえに死んでいても、霊が、義のゆえに生きています。

 

[新共同訳] キリストがあなたがたの内におられるならば、体は罪によって死んでいても、“霊”は義によって命となっています。

 

 [文語訳]若しキリスト汝らに在さば、體は罪によりて死にたる者なれど、靈は義によりて生命に在らん。"

 

[塚本訳]しかしキリスト(の霊)があなた達におられるなら、(あなた達の)体は(アダムの)罪によって死んでいるが、霊は(キリストの)義によって生きている。"

 

[前田訳]しかし、キリストがあなた方の中におられるならば、体は罪によって死んでも、霊は義によって生きます。

 

(NCV) Your body will always be dead because of sin. But if Christ is in you, then the Spirit gives you life, because Christ made you right with God.

 

[解読の鍵]

ヨハネによる福音書 6:56-58 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者はわたしにおり、わたしもまたその人におる。 57 生ける父がわたしをつかわされ、また、わたしが父によって生きているように、わたしを食べる者もわたしによって生きるであろう。 58 天から下ってきたパンは、先祖たちが食べたが死んでしまったようなものではない。このパンを食べる者は、いつまでも生きるであろう」。 (JCV)

 

ヨハネによる福音書 14:20-21 その日には、わたしはわたしの父におり、あなたがたはわたしにおり、また、わたしがあなたがたにおることが、わかるであろう。 21 わたしのいましめを心にいだいてこれを守る者は、わたしを愛する者である。わたしを愛する者は、わたしの父に愛されるであろう。わたしもその人を愛し、その人にわたし自身をあらわすであろう」。 (JCV)

 

ヨハネによる福音書 14:23 イエスは彼に答えて言われた、「もしだれでもわたしを愛するならば、わたしの言葉を守るであろう。そして、わたしの父はその人を愛し、また、わたしたちはその人のところに行って、その人と一緒に住むであろう。 (JCV)

 

ヨハネによる福音書 15:5[塚本訳] わたしが葡萄の木、あなた達は蔓である。わたしに留っており、わたしもその人に留っている人だけが、多くの実を結ぶのである。あなた達はわたしを離れては、何一つすることは出来ないのだから。"

 

ヨハネによる福音書 17:22-23 わたしは、あなたからいただいた栄光を彼らにも与えました。それは、わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためであります。 23 わたしが彼らにおり、あなたがわたしにいますのは、彼らが完全に一つとなるためであり、また、あなたがわたしをつかわし、わたしを愛されたように、彼らをお愛しになったことを、世が知るためであります。 (JCV)

 

コリント人への第二の手紙 13:5[塚本訳] あ なた達は(わたし達の使徒たる証拠を求めるより、)自分に信仰があるかどうか、自分自身を吟味し、自分自身をしらべてみよ。あるいは、もう(自分に信仰が あって)イエス・キリスト(の霊)が自分の中におられることが、わかっていないのではないか。それではあなた達(の信仰)は明らかにまがい物なのだ!"

 

エペソ人への手紙 3:16-19 どうか父が、その栄光の富にしたがい、御霊により、力をもってあなたがたの内なる人を強くして下さるように、 17 また、信仰によって、キリストがあなたがたの心のうちに住み、あなたがたが愛に根ざし愛を基として生活することにより、 18 すべての聖徒と共に、その広さ、長さ、高さ、深さを理解することができ、19 また人知をはるかに越えたキリストの愛を知って、神に満ちているもののすべてをもって、あなたがたが満たされるように、と祈る。 (JCV)

 

コロサイ人への手紙 1:25-27 わたしは、神の言を告げひろめる努を、あなたがたのために神から与えられているが、そのために教会に奉仕する者になっているのである。 26 その言の奥義は、代々にわたってこの世から隠されていたが、今や神の聖徒たちに明らかにされたのである。 27 神は彼らに、異邦人の受くべきこの奥義が、いかに栄光に富んだものであるかを、知らせようとされたのである。この奥義は、あなたがたのうちにいますキリス トであり、栄光の望みである。 (JCV)

 

ローマ人への手紙 8:11[塚本訳] しかしイエスを死人の中から復活させたお方の御霊があなた達の中に住んでおられるなら、キリスト・イエスを死人の中から復活させたそのお方は、あなた達の中に住んでおられるその御霊によって、あなた達の死ぬべき体をも生かしてくださるであろう。"

 

コリント人への第二の手紙 4:10-11 わたしたちは、いつもイエスの死を体にまとっています、イエスの命がこの体に現れるために。 11 わたしたちは生きている間、絶えずイエスのために死にさらされています、死ぬはずのこの身にイエスの命が現れるために。 (JNICV)

 

コリント人への第二の手紙 5:1-4 わたしたちの住んでいる地上の幕屋がこわれると、神からいただく建物、すなわち天にある、人の手によらない永遠の家が備えてあることを、わたしたちは知っ ている。 2 そして、天から賜わるそのすみかを、上に着ようと切に望みながら、この幕屋の中で苦しみもだえている。3 それを着たなら、裸のままではいないことになろう。 4 この幕屋の中にいるわたしたちは、重荷を負って苦しみもだえている。それを脱ごうと願うからではなく、その上に着ようと願うからであり、それによって、死 ぬべきものがいのちにのまれてしまうためである。 (JCV)

 

ヘブル人への手紙 9:25-28 また、キリストがそうなさったのは、大祭司が年ごとに自分のものでない血を携えて聖所に入るように、度々御自身をお献げになるためではありません。26 もしそうだとすれば、天地創造の時から度々苦しまねばならなかったはずです。ところが実際は、世の終わりにただ一度、御自身をいけにえとして献げて罪を取り去るために、現れてくださいました。

27 また、人間にはただ一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっているように、 28 キリストも、多くの人の罪を負うためにただ一度身を献げられた後、二度目には、罪を負うためではなく、御自分を待望している人たちに、救いをもたらすために現れてくださるのです。 (JNICV)

 

ペテロの第二の手紙 1:13-16 わたしは、自分がこの体を仮の宿としている間、あなたがたにこれらのことを思い出させて、奮起させるべきだと考えています。 14 わたしたちの主イエス・キリストが示してくださったように、自分がこの仮の宿を間もなく離れなければならないことを、わたしはよく承知しているからです。 15 自分が世を去った後もあなたがたにこれらのことを絶えず思い出してもらうように、わたしは努めます。 16 わたしたちの主イエス・キリストの力に満ちた来臨を知らせるのに、わたしたちは巧みな作り話を用いたわけではありません。わたしたちは、キリストの威光を目撃したのです。 (JNICV)

 

ヨハネの黙示録 14:13 またわたしは、天からの声がこう言うのを聞いた、「書きしるせ、『今から後、主にあって死ぬ死人はさいわいである』」。御霊も言う、「しかり、彼らはその労苦を解かれて休み、そのわざは彼らについていく」。 (JCV)

 

コリント人への第二の手紙 5:21[塚本訳] 神は罪を知らなかった方をわたし達の身代りに(十字架につけて)罪に定められた。わたし達がこの方において神の義(をいただく者)となるためである。"

ピリピ人への手紙 3:9 律法による自分の義ではなく、キリストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基く神からの義を受けて、キリストのうちに自分を見いだすようになるためである。 (JCV)

 

 

 

ローマ人への手紙8章11節

 

 [口語訳] もし、イエスを死人の中からよみがえらせたかたの御霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリスト・イエスを死人の中からよみがえらせたかたは、あなたがたの内に宿っている御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも、生かしてくださるであろう。

 

[新改訳] もしイエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです。

 

[新共同訳] もし、イエスを死者の中から復活させた方の霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリストを死者の中から復活させた方は、あなたがたの内に宿っているその霊によって、あなたがたの死ぬはずの体をも生かしてくださるでしょう。

 

[文語訳]若しイエスを死人の中より甦へらせ給ひし者の御靈なんぢらの中に宿り給はば、キリスト・イエスを死人の中より甦へらせ給ひし者は、汝らの中に宿りたまふ御靈によりて、汝らの死ぬべき體をも活かし給はん。

 

[塚本訳]しかしイエスを死人の中から復活させたお方の御霊があなた達の中に住んでおられるなら、キリスト・イエスを死人の中から復活させたそのお方は、あなた達の中に住んでおられるその御霊によって、あなた達の死ぬべき体をも生かしてくださるであろう。"

 

[前田訳]イエスを死人たちから復活させた方の霊があなた方の中にお住まいならば、キリスト・イエスを死人たちから復活させたその方は、あなた方の中に住むその霊によって、あなた方の死ぬべき体をも生かされましょう。

 

(NCV) God raised Jesus from the dead, and if God's Spirit is living in you, he will also give life to your bodies that die. God is the One who raised Christ from the dead, and he will give life through his Spirit that lives in you.

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙 8:9[塚本訳]しかしあなた達は肉にある者ではなく、霊にある者である、(すでにキリストを信じて)神の御霊があなた達の中に住んでおられる以上は。しかし(神の御霊すなわち)キリストの霊を持たないなら、その人はキリストのものではない。"

 

コリント人への第一の手紙 6:14[塚本訳] そして神は主を生きかえさらせたばかりか、(最後の日には)わたし達(の体)をも御力をもって生きかえらせてくださるのである。"

 

コリント人への第二の手紙 4:14 主イエスを復活させた神が、イエスと共にわたしたちをも復活させ、あなたがたと一緒に御前に立たせてくださると、わたしたちは知っています。 (JNICV)

 

テサロニケ人への第一の手紙 4:14わたしたちが信じているように、イエスが死んで復活されたからには、同様に神はイエスにあって眠っている人々をも、イエスと一緒に導き出して下さるであろう。

 

ペテロの第一の手紙 3:18 キリストも、あなたがたを神に近づけようとして、自らは義なるかたであるのに、不義なる人々のために、ひとたび罪のゆえに死なれた。ただし、肉においては殺されたが、霊においては生かされたのである。 (JCV)

 

 

 

婚前交渉や不倫はなぜいけないのか

 

結婚前の男女の性交渉がなぜいけないのかは、親たちがその意味をはっきり理解で

きずにいて、またその親たちも青少年達に厳しく言えるだけの清い生活をしていない

から、どうしようもない混迷の中にある。結婚前の男女の性交渉や不倫がなぜいけ

ないのかは、理論はともかく実際間題として人間の感情に「汚れ」や「不潔感」を感

じさせ、いやな雰囲気を漂わせるが故に世の中に好ましくない印象を与えるのがその

根本的理由である。なぜかその理由はわからないが、人間の生理的感情はそのように

できているのだ。以下にその実際面を体験に基づいて記す。理論ではない。

 

杜会生活の実際面から

1・私の以前の勤務先での事。結婚していない男が恋人とオーストラリア旅行に行

ってきたといってその旅行写真を臆面もなく会杜で見せて回った。バカな男よ。会杜

での印象が悪くなり、会杜にいられなくなってやめざるを得なかった。あたりまえだ。

先目、彼と駅で偶然出会ったが、何か汚いものを見るようであった。彼には客に接す

る仕事(営業などの第一線の仕事)は任せられない。彼のようなだらしない性質は匂

いでわかり、目つきで分かり、客に好印象をもたれないのだ。彼が会杜から追放された

のは当然。本人のためにもなった。杜会全体は堕落していない、健全常識がある。

2・一人暮らしで大学に通っている女性を優良企業の人事担当者は採用しない。ど

こでどのように暮らしていたかを採用時にかなり厳しく聞く。なぜなら彼女達は判で

ついたように私生活が乱れていて、性に不純な生活をしているからである。もちろん

全員ではないのだろうが、統計的に経験的にそうであるらしい。優良企業の人事担当

者の経験と勘は鋭い。これは会杜の存亡にもかかわる重大なことである。そんな女を

入杜させると男を引っ掛けるので男が堕落して会杜の仕事にも影響するのだ。あと始

末が面倒。企業の人事担当者に私は言う。一人暮らしの女性の採用は止めたほうが良

い。堕落している率が多いのだ。これは採用行為の能率からくる「生活の知恵」だ。

もちろん皆とは言わない、その率が多いというのだ。ヒューマニズムの観点からその判

断は赦せないといっても、事は会杜の存亡、自己の存亡にかかわる必死の問題なのだ。

3・婚前の交渉がなぜいけないかの実際面として、不潔感の印象を周囲に与える。

ある結婚式で、すでに女性は妊娠していることが披露宴で司会者によってばらされた。

バカな結婚式だった。その場に瞬間にいやな空気が流れた。案の定、その結婚生活は

5年と続かず離婚、現在はドロドロの状態。子供が二人もいる。愛の性愛のといって

いる二人の生活に清潔感がなかったのが原因。結婚には清潔感が必要。内村鑑三は、

文明の程度は空気の清浄度にあると言って、讃美歌の時に聴衆に窓を開けさせた。

4・不倫は離婚の原因になる。不倫は感情的にどうしようもなく結婚生活を続けさ

せない。離婚は一族が苦しむ。子供が路頭に迷う。それに離婚はコストがかかるのだ。!

5・会杜での仕事がうまくいかない。私は建築が仕事であるが、不倫者にはなんと

なく仕事が任せられないのだ。見えないところをしっかりやるのが建築だが、不倫者は

見えないところでまずいことをやっているのだ。!不倫者には建築の仕事を任せにく

いのだ。それは婚前交渉者にもいえるのだ。見えないところでまずいことをやっている

人間に建築をやらせれば「手抜き工事」の可能性があり、不安である。私生活がしっ

かり出来ていない人間に基礎工事などをやらせられない。手抜き工事をやられては家

が傾く!!。

そんな彼らの経済生活には繁栄がない。なぜなら仕事を頼んでくる人が少ないからで

ある。私としても「女ぐせ」の悪い大工には家の建築を任せられないのだ。金を預けた

場合、それを女に貢がれても困るのだ。

 

医学面から

1・婚前交渉を経ての結婚は、なぜか長続きしないという実際面からの現実がある。

私の周囲にもそれがある。「愛欲」の原理がこの世で最高のものとの認識に立つのは、

医学的に見ても真の人間性認識に反している。人間は'性欲などの動物的原理が第一で

はない。バカな青少年よ。人間は犬猫とは違うのだ。愛や性欲を行動原理にしているそ

んな彼らの発言には「不倫美化」のいやなトークが頻繁に出る。心の痛みの故である。

2・離婚家庭は、「機能不全家庭」(医学用語)という状況から、子供の精神的発育

に支障をきたし、統計的にも「よくない」子供が育つ可能性が多いのだ。実際そうなの

だからいかんとも仕方がないのだ。離婚は次の世代の子供にも影響する罪悪なのだ。ヒ

ューマニズムのなんのといっても仕方がない。事は自己の存亡の問題だ。ヒューマニズ

ムや同情からこれに反対しても自分のためにも相手のためにもならないのだ。

3.トラウマ(心的傷害)に陥る。婚前の交渉がもたらす医学面からの実際は、婚

前の交渉(別の男との関係)記憶がフラッシュバックして現実の結婚生活をうまくい

かせない。心の清純さに欠ける。ああかわいそうな複数異性と交渉している現代の青

少年たちよ。お前の顔は泥だらけなのだ。気持ち悪くないのか。笑うものは笑え。し

かしきっとあとで泣くようになる。その汚れは石鹸でもベンジンでも落ちないのだ。

4.婚前交渉がなぜいけないかは、実際に「子供が出来てしまう」からだ!!。婚

前交渉を注意すると古い大人の世間体を気にしている発言だと言ってあざ笑う青年に

限つて、いざ彼女に子供が出来てしまうと青い顔をしてその世間体なるものを気にし

て「堕胎するにはいくらかかるか」とシャーシャーと聞いてくるという。彼らに世間

体を気にする感情がまだ少し残っているのがせめてもの幸いだ。前の発言と矛盾して

いるではないか。バカな青少年よ。

 

聖書的根拠

1・婚前の交渉や不倫は、神を第一にしないことから来る。神に対する恐れが欠如

しているからである。

2・それは「不浄」だからである。旧約聖書のレビ記がそれを言う。

3・実際、神に罰が下されるのだ。聖書で言う堕落はそのほとんどが性の堕落である。

 

結論

婚前交渉や不倫は、実際の杜会生活からも聖書的に見てもまた実利的にも「まずい

道」なのだ。一見面白そうに見えるが、一時は面白くてもやがて実際には面白くなくな

り、面倒なことぱかりが多くなるのだ。そして次の世代の子供にも悪影響を及ぼすのだ。

それでも敢えてその道を行く気をおこすほど今の青少年はバカではないと信ずる。そ

れは実利面からも決してよい道ではないのだ。教師や親は、道徳論では効き目がないな

らその道が経済的にも不利であることを教えたらよい。「婚前交渉や不倫はコストがか

かりすぎるのだ」!。コスト対効果(満足度)の率が悪いのだ。コストパフォーマン

スが悪いのだ。実際問題として彼らは遊んでぱかりいるので金が貯まらないのだ。!

彼らは家を持てないかもしれない。否、持ててはいけないのだ。家など与えられない

のだ。それでも愛の性のといってふらふらと迷い歩いたらその現代青少年の先はない。

同類の人間に逃げ場を作っても無駄。真の平安はこない。第一に世の中にそれに積極的に

同意する人間は幸い少ないのだ。いるようでいないのだ。またそんな青少年にもの

をいえないわが国の親や教育者の生活にも間題があるのだ。その原因は真の神に対す

る恐れがないからなのだ。しかし「贖罪」はこれら人間の過ちの悩みを一掃する。血で

清めてくれる。神は真の逃げ場を作ってくれている。だからその救いを拒否して自殺

するのは罪なのだ。それは自己美化なのだ。自分で自分の思想に酔っているだけなのだ。

2001.5.10高橋照男

 

 

表題・要約

 

霊による命(8:1-17)…新共同訳

 

真理(8:11-27)・・・バルト

 

霊の自由の中に在る人間(8:1-39)

子たる身分のうちに在ることとしての霊に在ること(8:12-17) …ケーゼマン

 

御霊にあって生きる者(8:12-17) …アルトハウスNTD

 

神の子の霊に生くるもの(8:12-17) …黒崎識零新約聖書

 

聖霊による神の子ら(8:12-17) …フランシスコ会訳

 

御霊による生命(8:1-17) …高橋三郎

 

神の霊のもとにある歩み(8:1-17) …青野(岩波)

 

聖霊の導き(8:12-17) …前田訳

 

救いの完成(82-39)(「律法の要請はいかにしみたされるか」という問いに対して)

聖霊がもたらす解放と生命(8:2-17)…八木(講談杜) 

 

直説法と命令法(8:12-13) …塚本註解

アバ、お父様(8:14-16)

苦難と栄光(8:17)

 

御霊に導かれることが神の子である証拠(8:12-17) …塚本訳

 

肉における存在から霊における存在へ(7:1-8:17)…ヴィルケンスEKK

過去―――罪と死の律法の下にあったわたし(7:1-6)

わたしに対する律法の支配(7:7-12)

わたしの内における倒去の支配の現実(7:13-25)

現在一いのちの御霊の内にあるわたしたち(8:1-17)

 

御霊と神の子(8:12-17) …白井きく

 

救の完成(4)

 (5)=(8:5-13) (8:14-17) …内村鑑三

 

 

 

ローマ人への手紙812

                                         

[口語訳]それゆえに、兄弟たちよ。わたしたちは、果すべき責任を負っている者であるが、肉に従って生きる責任を肉に対して負っているのではない。

 

[新改訳]ですから、兄弟たち。私たちは、肉に従って歩む責任を、肉に対して負ってはいません。

 

[新共同訳]それで、兄弟たち、わたしたちには一つの義務がありますが、それは、肉に従って生きなけれぱならないという、肉に対する義務ではありません。

 

[文語訳]されば兄弟よ、われらは負債あれど、肉に負ふ者ならねぱ、肉に從ひて活くべきにあらず。

 

[塚本訳](こんなに大きな恩恵をいただいているの)だから、兄弟たちよ、わたし達は義務がある。 (もちろん)肉に対して、肉的に生きる義務があるのではない。(神に対して、霊によって生きる義務があるのである。)

 

[前田訳]それゆえ、兄弟たちよ、われらには責任があります。しかし肉に対しての、肉によって生きる責任ではありません。

 

. [解読の鍵]

ローマ人への手紙6:12-15

12だから、あなたがたの死ぬべきからだを罪の支配にゆだねて、その情欲に従わせることをせず、

13また、あなたがたの肢体を不義の武器として罪にささげてはならない。むしろ、死人の中から生かされた者として、自分自身を神にささげ、自分の肢体を義の武器として神にささげるがよい。

14なぜなら、あなたがたは律法の下にあるのではなく、恵みの下にあるので、罪に支配されることはないからである。

15それでは、どうなのか。律法の下にではなく、恵みの下にあるからといって、わたしたちは罪を犯すべきであろうか。断じてそうではない。(JCV)

 

詩篇116:16-18

16主よ、わたしはあなたのしもべです。わたしはあなたのしもべ、あなたのはしための子です。あ

なたはあたしのなわめを解かれました。

17わたしは感謝のいけにえをあなたにささげて、主のみ名を呼びます。

18わたしはすべての民の前で主にわが誓いをつぐないます。(JCV)

 

 

コリント人への第一の手紙6:19-20

19あなたがたは知らないのか。自分のからだは、神から受けて自分の内に宿っている聖霊の宮であって、あなたがたは、もはや自分自身のものではないのである。

20あなたがたは、代価を払って買いとられたのだ。それだから、自分のからだをもって、神の栄光をあらわしなさい。(JCV)

 

ペテロの第一の手紙4:2-3

2それは、肉における残りの生涯を、もはや人間の欲情によらず、神の御旨によって過ごすためである。

3過ぎ去った時代には、あなたがたは、異邦人の好みにまかせて、好色、欲情、酔酒、宴楽、暴飲、気ままな倒象礼拝などにふけってきたが、もうそれで十分であろう。(JCV)

 

 

 

ローマ人への手紙813

 

 [口語訳]なぜなら、もし、肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬ外はないからである。しかし、霊によってからだの働きを殺すなら、あなたがたは生きるであろう。

 

[新改訳]もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬのです。しかし、もし御霊によって、からだの行ないを殺すなら、あなたがたは生きるのです。

 

[新共同訳]肉に従って生きるなら、あなたがたは死にます。しかし、霊によって体の仕業を絶つならば、あなたがたは生きます。

 

[文語訳]汝等もし肉に從ひて活きなば、死なん。もし霊によりて體の行爲を殺さぱ活くべし。

 

[塚本訳](その訳は、もしあなた達が肉によって生きれば、かならず死ぬからである。しかしもし (霊によって生き、)霊をもって体の働き[肉の行い]を殺せぱ、(永遠に)生きる。

 

[前田訳]あなた方が肉によって生きるなら、死にましょう。霊で体のはたらきを殺すなら生きましょう。

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙8:3-6律法が肉により無力になっているためになし得なかった事を、神はなし遂げて下さった。すなわち、御子を、罪の肉の様で罪のためにつかわし、肉において罪を罰せられたのである。

4これは律法の要求が、肉によらず霊によって歩くわたしたちにおいて、満たされるた

めである。

5なぜなら、肉に従う者は肉のことを思い、霊に従う者は霊のことを思うからである。

6肉の思いは死であるが、霊の思いは、いのちと平安とである。(JCV)

 

ローマ人への手紙6:23[塚本訳]なぜなら、罪が倣隷に)払ってくれる給料は死であり、(従う者に与えられる)神の賜物は、わたし達の主イエス・キリストにおいての永遠の命だからである。

 

ガラテヤ人への手紙6:8[塚本訳]というのは、肉に蒔く者は肉から滅亡を刈取り、霊に蒔く者は(最後の目に神の)霊から永遠の命を刈取るであろう。

 

ヤコブヘの手紙1:14-15人が誘惑に陥るのは、それぞれ、欲に引かれ、さそわれるからである。

15欲がはらんで罪を生み、罪が熟して死を生み出す。(JCV)

 

ローマ人への手紙8:2〔塚本訳〕なぜなら、キリスト・イエスによる命の霊の法則が、死と罪との法則からあなたを自由にしたからである。

 

コリント人への第一の手紙9:27[塚本訳]いや、自分の体を打ちたたいて征服する。人には(福音を)説きながら、自分では失格するようなことのないためである。

 

ガラテヤ人への手紙5:24[塚本訳]キリスト・イエスのものである者は、肉と共に情熱をも欲をも十字架につけてしまった。

 

エペソ人への手紙4:22-25すなわち、あなたがたは、以前の生活に属する、情欲に迷って滅び行く古き人を脱ぎ捨て、

23心の深みまで新たにされて、

24真の義と聖とをそなえた神にかたどって造られた新しき人を着るべきである。

25こういうわけだから、あなたがたは偽りを捨てて、おのおの隣り人に対して、真実を語りなさい。わたしたちは、お互に肢体なのであるから。(JCV)

 

コロサイ人への手紙3:5-8だから、地上の肢体、すなわち、不品行、汚れ、情欲、悪欲、また貧欲を殺してしまいなさい。食欲は倒象礼拝にほかならない。

6これらのことのために、神の怒りが下るのである。

7あなたがたも、以前これらのうちに目を過ごしていた時には、これらのことをして

歩いていた。

8しかし今、これらいっさいのことを捨て、怒り、憤り、悪意、そしり、口から出る

恥ずべき言葉を、捨ててしまいなさい。(JCV)

 

ペテロの第一の手紙2:11-12愛する者たちよ。あなたがたに勧める。あなたがたは、この世の旅人であり寄留者であるから、たましいに戦いをいどむ肉の欲を避けなさい。

12異邦人の中にあって、りっぱな行いをしなさい。そうすれば、彼らは、あなたがたに悪人呼ばわりしていても、あなたがたのりっぱなわざを見て、かえって、おとずれの目に神をあがめるようになろう。(JCV)

 

エペソ人への手紙4:30-31神の聖霊を悲しませてはいけない。あなたがたは、あがないの目のために、聖霊の証印を受けたのである。

31すべての無慈悲、慣り、怒り、騒ぎ、そしり、また、いっさいの悪意を捨て去りなさい。(JCV)

 

 

 

ローマ人への手紙814

 

[口語訳]すべて神の御霊に導かれている者は、すなわち、神の子である。

 

[新改訳]神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。

 

[新共同訳]神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。

 

[文語訳]すべて神の御露に導かるる者は、これ神の子なり。

 

[塚本訳]神の御霊に導かれている者はことごとく、神の子だからである。

 

[前田訳]神の霊に導かれるものは皆神の子です。

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙8:5[塚本訳]なぜ(霊によって歩けばそれができる)か。肉による者[生まれながらの人]は肉のことを追い求めるが、霊による者[キリストを信ずる者]は霊のことを追い求めるからである。

 

ローマ人への手紙8:9[塚本訳]しかしあなた達は肉にある者ではなく、霊にある者である、(すでにキリストを信じて)神の御霊があなた達の中に住んでおられる以上は。しかし(神の御霊すなわち)キリストの霊を持たないなら、その人はキリストのものではない。

 

ガラテヤ人への手紙5:16-17わたしは命じる、御霊によって歩きなさい。そうすれぱ、決して肉の欲を満たすことはない。

17なぜなら、肉の欲するところは御霊に反し、また御霊の欲するところは肉に反するからである。こうして、二つのものは互に相さからい、その結果、あなたがたは自分

でしようと思うことを、することができないようになる。(JCV)

 

ガラテヤ人への手紙5:18もしあなたがたが御霊に導かれるなら、律法の下にはいない。(JCV)

 

 

 

ローマ人への手紙815

 

[口語訳]あなたがたは再び恐れをいだかせる奴隷の霊を受けたのではなく、子たる身分を授ける霊を受けたのである。その霊によって、わたしたちは「アバ、父よ」と呼ぶのである。

 

[新改訳]あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父。」と呼びます。

 

[新共同訳]あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によってわたしたちは、「アッバ、父よ」と呼ぶのです。

 

[文語訳]汝らは再び懼を懐くために僕たる霊を受けしにあらず、子とせられたる者の霊を受けたり、之によりて我らはアバ父と呼ぶなり。

 

[塚本訳](なぜなら、あなた達が(神から)戴いた霊は、(あなた達を)もう一度(律法の支配の

下に置いて)びくびくさせる奴隷の霊でなく、(神の)子の霊である。(その証処には、)わたし

達は(祈るとき、)その霊によって「アバ(お父様)、お父様」と大声で呼ぶではないか。

 

[前田訳]あなた方はまたもやおそれさせる奴隷の霊を受けたのではなく、子としての霊を受けたのです。この霊によってわれらは、アバ、父上、と呼ぶのです。

 

解読の鑓

コリント人への第]の手紙2:12[塚本訳]

しかしわたし達はこの世の霊でなく、神から来るその霊を戴いた。それは、神から恩恵として賜わったもの(の何であるか)が、わかるためである。

 

テモテヘの第二の手紙1:7というのは、神がわたしたちに下さったのは、臆する霊ではなく、力と愛と慎みとの霊なのである。(JCV)

 

ヤコブヘの手紙2:19あなたは、神はただひとりであると信じているのか。それは結構である。悪霊どもでさえ、信じておののいている。(JCV)

 

ガラテヤ人への手紙4:5-7それは、律法の下にある者をあがない出すため、わたしたちに子たる身分を授けるためであった。

6このように、あなたがたは子であるのだから、神はわたしたちの心の中に、「アバ、父よ」と呼ぶ御子の霊を送って下さったのである。

7したがって、あなたがたはもはや僕ではなく、子である。子である以上、また神による相続人である。 (JCV)

 

マルコによる福音書14:35-36そして少し進んで行き、地にひれ伏し、もしできることなら、この時を過ぎ去らせてくださるようにと祈りつづけ、そして言われた、

36「アバ、父よ、あなたには、できないことはありません。どうか、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、みこころのままになさってください」。 (JCV)

 

ルカによる福音書11:2[塚本訳]彼らに言われた、「祈る時には、こう言いなさい。・・お父様、

お名前がきよまりますように。お国が来ますように。

 

ルカによる福音書22:42-44「父よ、みこころならぱ、どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、みこころが成るようにしてください」。

43そのとき、御使が天からあらわれてイエスを力づけた。

44イエスは苦しみもだえて、ますます切に祈られた。そして、その汗が血のしたたりのように地に落ちた。(JCV)

 

ヨハネによる福音書20:17[塚本訳]イエスが言われる、「わたしにすがりつくな。まだ父上の所に上っていないのだから。わたしの兄弟たち佛子たち」の所に行って、『わたしは、わたしの父上、すなわちあなた達の父上、わたしの神、すなわちあなた達の神の所に上る』と言いなさい。」

 

 

 

ローマ人への手紙816

 

[口語訳]御霊みずから、わたしたちの霊と共に、わたしたちが神の子であることをあかしして下さる。

 

[新改訳]私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。

 

[新共同訳]この霊こそは、わたしたちが神の子供であることを、わたしたちの霊と一緒になって証ししてくださいます。

 

[文語訳]"御霊みづから我らの露とともに我らが神の子たることをしょう證す。

 

[塚本訳](御霊自身が、今すでにわたし達が神の子供であることを、わたし達の霊に保証してくださるのである。

 

[前田訳]その霊自身がわれらの霊とともに証するように、われらは神の子どもです。

 

解読の鑓

ローマ人への手紙8:23[塚本訳]しかし(苦しんでいるのは)創造物だけではない。わたし達自身も、(神の子にされた証拠として)御霊なる初穂を持っているので、このわたし達自身も、

自分(のみじめな姿)をかえりみて、坤きながら、(正式に神の)子にされること、すな

わちわたし達のこの(罪の)体があがなわれ(て、朽ちることのない栄光の体にされ)

ことを、待っているのである。

 

ローマ人への手紙8:26[塚本訳]しかし(創造物やわたし達神の子が苦しんでいると)同じように、御霊も、弱いわたし達を助けてくださる。すなわち、(神のみ心にかなうには)どう何を祈るべきかわからないので、御霊自身が、無言の坤きをもって(わたし達の祈りを神に)執り成してくださるのである。

 

コリント人への第二の手紙1:22[塚本訳]

このお方がまた、わたし達に(御自分のものという)証印をおし、その手付けとして御霊をわたし達の心の中にくださったのである。

 

コリント人への第二の手紙5:4-5この幕屋の中にいるわたしたちは、重荷を負って苦しみもだえている。それを脱ごうと願うからではなく、その上に着ようと願うからであり、それによって、死ぬべきものがいのちにのまれてしまうためである。

5わたしたちを、この事にかなう者にして下さったのは、神である。そして、神はその保証として御霊をわたしたちに賜わったのである。 (JCV)

 

エペソ人への手紙1:13あなたがたもまた、キリストにあって、真理の言葉、すなわち、あなたがたの救の福音を聞き、また、彼を信じた結果、約東された聖霊の証印をおされたのである。 (JCV)

 

エペソ人への手紙4:30神の聖霊を悲しませてはいけない。あなたがたは、あがないの目のために、聖霊の証印を受けたのである。 (JCV)

 

ヨハネの第一の手紙4:12-13神を見た者は、まだひとりもいない。もしわたしたちが互に愛し合うなら、神はわたしたちのうちにいまし、神の愛がわたしたちのうちに全うされるのである。

13神が御霊をわたしたちに賜わったことによって、わたしたちが神におり、神がわたしたちにいますことを知る。 (JCV)

 

ヨハネの第一の手紙3:19-21それによって、わたしたちが真理から出たものであることがわかる。そして、神のみまえに心を安んじていよう。

20なぜなら、たといわたしたちの心に責められるようなことがあっても、神はわたしたちの心よりも大いなるかたであって、すべてをご存じだからである。

21愛する者たちよ。もし心に責められるようなことがなけれぱ、わたしたちは神に対して確信を持っことができる。 (JCV)

 

ヨハネの第一の手紙5:10[塚本訳](そしてこの神の証しによって)神の子を信ずる者は、(ただ

外の証しばかりでなく、)自分の中に(その)証しを持つのである。(これに反して)神を信じな

い者は、神を嘘つきにしたのである。神が御子について証しされた証しを信じなかったからである。

 

 

 

ローマ人への手紙817

 

[口語訳]もし子であれぱ、相続人でもある。神の相続人であって、キリストと栄光を共にするために苦難をも共にしている以上、キリストと共同の相続人なのである。

 

[新改訳]もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。

 

[新共同訳]もし子供であれば、相続人でもあります。神の相続人、しかもキリストと共同の相続人です。キリストと共に苦しむなら、共にその栄光をも受けるからです。

 

[文語訳]もし子たらば世嗣たらん、神の嗣子にしてキリストと共に世嗣たるなり。これはキリストとともに榮光を受けん爲に、その苦難をも共に受くるに因る。

 

[塚本訳]((すでに神の)子供であるならぱ、また相続人である。神の相続人であり、キリスト

と共同相続人である、(キリストと)一しょに栄光を受けるため、(こうして彼と)一しょに苦しんでいる以上は。

 

[前田訳]子どもである以上、世継ぎでもあります。キリストと栄光をも共にするように、彼と苦しみを共にする以上、神の世継ぎであり、キリストとともに世継ぎです。

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙8:29-30神はあらかじめ知っておられる者たちを、更に御子のかたちに似たものとしようとして、あらかじめ定めて下さった。それは、御子を多くの兄弟の中で長子とならせるためであった。

30そして、あらかじめ定めた者たちを更に召し、召した者たちを更に義とし、義と

した者たちには、更に栄光を与えて下さったのである。(JCV)

 

ローマ人への手紙5:9-10わたしたちは、キリストの血によって今は義とされているのだから、なおさら、彼によって神の怒りから救われるであろう。

10もし、わたしたちが敵であった時でさえ、,御子の死によって神との和解を受けたとすれば、和解を受けている今は、なおさら、彼のいのちによって救われるであろう。(JCV)

 

ガラテヤ人への手紙4:7[塚本訳]だからあなたはもはや奴隷ではなく、子である。子である以上、神(の恩恵)によって相続人である。

 

エペソ人への手紙3:6[塚本訳]異教人が福音により、キリスト・イエスにおいて(イスラエルと)共に(天上の王国の)相続人となり、共に一体となり、共に(恩恵の)約束に与る者となるということである。

 

テトスヘの手紙3:7[塚本訳]これはその(キリストの)一恩恵により義とされて、私達が望む永遠の生命の相続人となるためである。

 

マタイによる福音書25:21主人は彼に言った、『良い忠実な僕よ、よくやった。あなたはわずかなものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ』。(JCV)

 

マタイによる福音書25:21主人は彼に言った、『良い忠実な僕よ、よくやった。あなたはわずかなものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ』。(JCV)

 

ヨハネによる福音書17:24[塚本訳]お父様、あなたがわたしに下さいました者もわたしがおる所に一しょにいて、わたしの栄光を見るようにしてやりたいのです。あなたは世の始まる前に(すでに)わたしを愛して、この栄光をわたしに下さいました。

 

コリント人への第一の手紙3:22-23パウロも、アポロも、ケパも、世界も、生も、死も、現在のものも、将来のものも、ことごとく、あなたがたのものである。

23そして、あなたがたはキリストのもの、キリストは神のものである。 (JCV)

 

 

 

同棲と不倫はなぜいけないのか。逃れの岩なる十字架

同棲とか不倫はなぜいけないのか。これ今目最重要の課題と質間である。

これに対しキリスト教会もはっきりした見解を示せないでいるという話を聞く。

目本の(世界の)キリスト教はこの点で背骨を抜かれているのかもしれない。

このことに関して聖書は文字そのもので禁じているところはない。聖書に「自殺」は

いけないと禁じている文字がないのと似ている。これらに限らず現代の諸悪は、それ

がいちいち聖書に文字で書かれているかどうかということで判断はできない。聖書を

深く読みその精神で読むと聖書の文字に現れていなくても「同棲、不倫、自殺」は神

の前によくないことがわかる。

ではその「同棲と不倫」はなぜいけないのか、他人に迷惑をかける姦淫(出エジプト

20:12,17)とは違うから良いのではないか、 (本人同士のことだから)というまこと

に真撃な間いが昔も今も青少年からあがる。これに対してわれわれはその質問をいな

さずに正面から応答しなけれぱならない。

同棲と不倫(離婚はその結果)はなぜいけないのかの理由は単純である。それは神を

忘れさせるからである。神よりも異性(女、男)のほうが面白いと思うからである。

異性に惹かれ(仕え)て神を忘れ、その結果として神を憎み、神に反抗するようにな

るからである。これがいけない理由である。その本質である。それは不思議と両立で

きないようになっている。つまり同棲や不倫を行いつつ神の前には出られないのがそ

の現実の姿である。この場合、神を捨てれば悩みはなくなる。しかし神なきこの世に

も神の国の影があるので(これがバルト、ブルンナーの神学論争といわれていると聞

くが、神学論争ではなく現実として)「うしろめたさ」や「良心の各め」(ローマ2:

15)で苦しみが襲いかかり「平安」「安らぎ」がなくなるのが事実である。

同棲と不倫はなぜいけないかの理由を聖書の文字に求めず聖書の精神にその根拠を

求めれぱそれは「神と富とに仕えることはできない」(マタイ6:24)というイエスの

言葉になる。つまり人間は同時に二人の主人に使えることはできないというのである。

聖書がここでいう富とはマモンという別の神のことである。富そのものは悪くないの

だが、人間は富(マモン)という神に仕えて金儲けに一生懸命になるとそっちの方が

面白くなって真の神を忘れるのである。その果ては真の神の存在が邪魔になり憎むよ

うになる。イエスはそれを言うのだ。

 

マタイによる福音書6:24[塚本訳](わたし達の心は天か地かに引かれる。)だれも

(同時に)二人の主人に仕えることは出来ない。こちらを憎んであちらを愛するか、

こちらに親しんであちらを疎んじるか、どちらかである。あなた達は神と富とに仕えることは出来ない。

 

「不倫や同棲」がなぜいけないのはこのイエスの言葉から推し量ることができるので

ある。なぜならここに言われている「こちらを憎んであちらを愛するか、こちらに親

しんであちらを疎んじるか、どちらかである。」という部分が似ているのである。

つまり「同棲や不倫」を行っていると不思議に神やその戒めを「憎む」ようになるの

である。それは神やその戒めの存在が心に邪魔になり良心の各めに苛(さいな)まれ

るから真の神を「憎む」のである。その結果どのような行動に出るかというと「顔を

隠し」「離脱」「拒否」、神を離れるという歩みになる。人前に堂々と出られなくなる。

これが我々生きとし生けるものの深い悩みである。パウロはロマ書でそれを言うので

ある。「噫(ああ)われ悩める人なるかな、この死の体より我を救わん者は誰ぞ。」と。

(ローマ7:24文語訳)

 

創世記3:8-10彼らは、目の涼しい風の吹くころ、園の中に主なる神の歩まれる音を

聞いた。そこで、人とその妻とは主なる神の顔を避けて、園の木の間に身を隠した

9主なる神は人に呼びかけて言われた、「あなたはどこにいるのか」

10彼は答えた、「園の中であなたの歩まれる音を聞き、わ走しは裸だったので、恐れ

て身を隠したのです」。(JCV)

さて人間は誰もこの神の執鋤な罪の追求から逃れることはできない。しかし逃れ場

所がある。その逃れの岩はイエスの十字架である。そこで我々はイエスにかくまわれ

て安らうことができる。イエスは十字架という岩の裂け目こ我々をかくまって神の怒

りの目から逃れさせてくれるのだ。人間は人間(鼻から息の出入りするもの・・イザ

2:22)のもとに逃れても安らえない。時代風潮や同類者の思想に逃れても無理

真の平安は得られない。父母も大白然もましてや世間の風潮も彼を救うことはできな

い。ただイエスの流された血の願罪でのみ「良心の各め」から救われて我々は平安に

なれる。

出エジプト記3322わが栄光が通り過ぎるとき、わたしはあなたをその岩の裂け目に入れ、わたしが通り過ぎるまで、わたしの手であなたを覆う(JNICV)

イザヤ書221主が立って地を揺り動かされるとき、岩の洞窟、崖の裂け目に入るがよい、主の恐るべき御顔と、威光の輝きとを避けて(JNICV)

 

賛美歌262

十宇架のもとぞいとやすけき

あらしふく時のいわおのかげ

神の義と愛のあえるところ

荒れ野のなかなるわが隠れ家

2001.6.18高橋照男

 

表題・要約

 

将来の栄光(8:18-30)…新共同訳

 

真理(8:11-27)…バルト

 

霊の自由の中に在る人間(8:1-39)

希望のうちに在ることとしての霊に在ること(8:18-30)…ケーゼマン

救いの完成の確信(8:18-39)…アルトハウスNTD

この確信の具体的根拠(8:18-30)

 

被造物の呻き (8:18-22)…黒崎註解新約聖書

基督者の呻き (8:23-25)

霊の呻吟とその執成(8:26-27)

 

将来の栄光(8:18-30)…フランシスコ会訳

 

呻きと待ち望み(8:18-25)…高橘三郎

救いの根拠(8:25-39)

 

現在の苦難と将来の希望(8:18-39)…青野(岩波)

 

被造物のうめき(8:18-30)…前田訳

 

救いの完成(8:2-39)(「律法の要請はいかにしてみたされるか」という問いに対して)

キリストにおける救いの成就(8:18-30)…八木(講談社)

 

苦難は軽い(8:18)…塚本註解

万物の呻き (8:19-22)

信者の呻き (8:23-25)

聖霊の呻き (8:26-27)

 

創造物と神の子たちと御霊との呻きが、最後の目の栄光を保証する(8:18-27)・・塚本訳

 

希望の中での苦しみ(8:18-30)…ヴィルケンスEKK

 

全宇宙の産みの苦しみは、宇宙完成の目を保証する(8:18-30)…白井きく

 

救の完成(6)(7):(8:18-22)(8:22-27)…内村鑑三

 

 

 

ローマ人への手紙818

 

 [口語訳]わたしは思う。今のこの時の苦しみは、やがてわたしたちに現されようとする栄光に比べると、言うに足りない。

 

[新改訳]今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。

 

[新共同訳]現在の苦しみは、将来わたしたちに現されるはずの栄光に比べると、取るに足りないとわたしは思います。

 

[文語訳]われ思うに、今の時の苦難(くるしみ)は、われらの上に顯(あらわ)れんとする榮光

にくらぶるに足らず。

 

[塚本訳] (しかもこの苦しみは恐れることはない。)なぜなら、わたしはこう考える。今の世の苦しみは、わたし達に現われようとしている栄光(--キリストと一しょに神の国の相続人になる最後の日の大いなる光栄―--)にくらべれば、言うに足りない。

 

[前田訳]わたしは考えます。今の時の苦しみは、われらに現われようとする栄光に比べるというに足りません。

 

[青野・岩波]事実、私は、今この時の苦難は、私たちに啓示されるはずの来たるべき栄光に匹敵 (ひってき)するものではない、と考えている。

 

[フランシスコ会訳]現在の苦しみは、わたしたちに現わされるはずの栄光と比べると,取るに足りないとわたしは、思います。

 

[NTDアルトハウス・杉山好訳]思うに、いまの時の苦難は、これからわたしたちの上に啓示されようとしている栄光に比べれぱ、ものの数ではない。

 

[高橋三郎訳]今の時のもろもろの苦しみは、われわれに顕(あら)わされようとしている栄光に比べれば、物の数ではないと私は。思う。

 

[八木誠一訳]私が思うのに、今の時の苦しみ―――無理解や迫害、罪や世との闘い、またその間に降りかかるさまざまな艱難―――は、私達の上にやがてあらわれる栄光に比べれぱ数えるに足りないのです。

 

 [解読の鍵]

マタイによる福音書5:11-12

11わたしのために人々があなたがたをののしり、また迫害し、あなたがたに対し偽って様々の悪口を言う時には、あなたがたは、さいわいである。

12喜び、よろこべ、天においてあなたがたの受ける報いは大きい。あなたがたより前の預言者たちも、同じように追害されたのである。(JCV)

 

使徒行伝20:24しかし、自分の決められた道を走りとおし、また、主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすれぱ、この命すら決して惜しいとは思いません。(JNICV)

 

コリント人への第二の手紙4:17-18[塚本訳]

17なぜなら、現在の軽い苦難は、この上もなく素晴らしい、永遠に豊富な(神の)栄光をわたし達にもたらす(保証だ)からである。"

18このわたし達は見えるものに目を向けているのではなく、見えないものに目を向けているのである。見えるものは一時的、見えないものが永遠だからである。

 

ヘブル人への手紙11:24-26

24信仰によって、モーセは、成人したとき、パロの娘の子と言われることを拒み、

25罪のはかない歓楽にふけるよりは、むしろ神の民と共に虐待されることを選び、

26キリストのゆえに受けるそしりを、エジプトの宝にまさる富と考えた。それは、彼が報いを望み見ていたからである。(JCV)

 

ヘブル人への手紙11:35[塚本訳]婦人たちはその死んだ者を復活させてもらった。しかしほかの(男の)人々は、それにまさる復活に達するため、釈放を願わずに、車裂きにされた。

 

ペテロの第一の手紙1:3-7[塚本訳]

03讃美すべきかな、我らの主イエス・キリストの父なる神!彼は大なる憐欄により、イエス・キリストが死人の中から復活し給うたことをもって、私たちを活ける希望に新しく生み、

04君達のために天に保管されている、朽ちぬ、穢れぬ、萎まぬ相続財産に与らせ給うたのである。

05(そして)君達は最後の時に顕れる準備の(既に)出来ている救いに入るために、信仰によって神の力に護られる。

06(もちろん)その時には(大いに)喜ぶ(であろう)が、もし(御意により)必要ならば、今は少し様々な試練に(悩み)悲しまねばならない。

07これは君達の信仰が、人によって本物であると証明された(この世の)はかない金よりも尊い本物であることが判り、イエス・キリストの顕現の時に(君達の)面目また光栄また栄誉とならんためである。

 

コロサイ人への手紙3:2-4[塚本訳]

02(常にただ天)上のものを思え。地上のものに気を取られるな。"

03君達は(既にこの世に)死んで、その生命はキリストと共に神の右に隠されているのだから。

04(しかし今でこそ隠されているが、)私達の生命であるキリストが顯れ給う時には、君達もまた彼と共に栄光の裡に顯れるであろう。

 

テサロニケ人への第二の手紙1:7-11

7また、苦しみを受けているあなたがたには、わたしたちと共に休息をもって報いてくださるのです。主イエスが力強い天使たちを率いて天から来られるとき、神はこの報いを実現なさいます。

8主イエスは、燃え盛る火の中を来られます。そして神を認めない者や、わたしたちの主イエスの福音に聞き従わない者に、罰をお与えになります。

9彼らは、主の面前から退けられ、その栄光に輝く力から切り離されて、永遠の破滅という刑罰を受けるでしょう。

10かの日、主が来られるとき、主は御自分の聖なる者たちの間であがめられ、また、すべて信じる者たちの間でほめたたえられるのです。それは、あなたがたがわたしたちのもたらした証しを信じたからです。

11このことのためにも、いつもあなたがたのために祈っています。どうか、わたしたちの神が、あなたがたを招きにふさわしいものとしてくださり、また、その御力で、善を求めるあらゆる願いと信仰の働きを成就させてくださるように。(NICV)

 

テサロニケ人への第二の手紙2:12-14

12こうして、真理を信じないで不義を喜んでいた者は皆、裁かれるのです。

13しかし、主に愛されている兄弟たち、あなたがたのことについて、わたしたちはいつも神に感謝せずにはいられません。なぜなら、あなたがたを聖なる者とする""の力と、真理に対するあなたがたの信仰とによって、神はあなたがたを、救われるべき者の初穂としてお選びになったからです。

14神は、このことのために、すなわち、わたしたちの主イエス・キリストの栄光にあずからせるために、わたしたちの福音を通して、あなたがたを招かれたのです。(JNICV)

 

ペテロの第一の手紙1:13-15

13それだから、心の腰に帯を締め、身を慎み、イエス・キリストの現れる時に与えられる恵みを、いささかも疑われずに待ち望んでいなさい。

14従順な子供として、無知であった噺犬の欲情に従わず、

15むしろ、あなたがたを召して下さった聖なるかたにならって、あなたがた自身も、あらゆる行いにおいて聖なる者となりなさい。(JCV)

 

ペテロの第一の手紙4:13むしろ、キリストの苦しみにあずかればあずかるほど、喜ぶがよい。それは、キリストの栄光が現れる際に、よろこびにあふれるためである。(JCV)

 

ペテロの第一の手紙5:1-3

1そこで、あなたがたのうちの長老たちに勧める。わたしも、長老のひとりで、キリストの苦難についての証人であり、また、やがて現れようとする栄光にあずかる者である。

2あなたがたにゆだねられている神の羊の群れを牧しなさい。しいられてするのではなく、神に従って自ら進んでなし、恥ずべき利得のためではなく、本心から、それをしなさい。

3また、ゆだねられた者たちの上に権力をふるうことをしないで、むしろ、群れの模範となるべきである。(JCV)

 

ヨハネの第一の手紙3:2愛する者たちよ。わたしたちは今や神の子である。しかし、わたしたちがどうなるのか、まだ明らかではない。彼が現れる時、わたしたちは、自分たちが彼に似るものとなることを知っている。そのまことの御姿を見るからである。(JCV)

 

 

 

ローマ人への手紙819

 

[口言諏]被造物は、実に、切なる思いで神の子たちの出現を待ち望んでいる。

 

[新改訳]被造物も、切実な思いで神の子どもたちの現われを待ち望んでいるのです。

 

[新共同訳]被造物は、神の子たちの現れるのを切に待ち望んでいます。

 

[文語訳]それ造られたる者は、切に慕ひて神の子たちの顯れんことを待つ。

 

[塚本訳](そしてこの栄光は必ず与えられる。)その証拠(の第一)は、創造物が神の子たちの現われるのを、首を長くして待ちこがれていることである。

 

[前田訳]被造物は熱望して神の子たちが現われるのを待っています。

 

 [解読の鍵]

ローマ人への手紙8:23[塚本訳]しかし(苦しんでいるのは)創造物だけではない。わたし達自身も、(神の子にされた証処として)御霊なる初穂を持っているので、このわたし達自身も、自分(のみじめな姿)をかえりみて、呻きながら、(正式に神の)子にされること、すなわちわたし達のこの(罪の)体があがなわれ(て、朽ちることのない栄光の体にされ)ることを、待っているのである。

 

ピリピ人への手紙1:20[塚本訳]

そして私の切なる期待と望みは、私が何事にも恥をかかされず、かえって、いつものように今度も、キリストが正々堂々と私の体で、(私の)生によっても死によ

っても、(勝を得て)崇められ給わんことである。(然り、私の死によっても!)

 

ペテロの第二の手紙3:10-14しかし、主の日は盗人のように襲って来る。その日には、天は大音響をたてて消え去り、天体は焼けてくずれ、地とその上に造り出されたものも、みな焼きつくされるであろう。

11このように、これらはみなくずれ落ちていくものであるから、神の日の到来を熱心に待ち望んでいるあなたがたは、

12極力、きよく信心深い行いをしていなけれぱならない。その目には、天は燃えくずれ、天体は焼けうせてしまう。

13しかし、わたしたちは、神の約束に従って、義の住む新しい天と新しい地とを待ち望んでいる。

14愛する者たちよ。それだから、この日を待っているあなたがたは、しみもなくきずもなく、安らかな心で、神のみまえに出られるように励みなさい。(JCV)

 

ヨハネの黙示録21:1-5わたしはまた、新しい天と新しい地とを見た。先の天と地とは消え去り、、海もなくなってしまった。

2また、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意をととのえて、神のもとを出て、天から下って来るのを見た。

3また、御座から大きな声が叫ぶのを聞いた、「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、

4人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。

5すると、御座にいますかたが言われた、「見よ、わたしはすべてのものを新たにする」。また言われた、「書きしるせ。これらの言葉は、信ずべきであり、まことである」。(JCV)

 

マタイによる福音書25:31-46人の子が栄光の中にすべての御使たちを従えて来るとき、彼はその栄光の座につくであろう。

32そして、すべての国民をその前に集めて、羊飼が羊とやぎとを分けるように、彼らをより分け、

33羊を右に、やぎを左におくであろう。

34そのとき、王は右にいる人々に言うであろう、『わたしの父に祝福された人たちよ、さあ、世の初めからあなたがたのために用意されている御国を受けつぎなさい。

35あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせ、かわいていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し、

36裸であったときに着せ、病気のときに見舞い、獄にいたときに尋ねてくれたからである』。

37そのとき、正しい者たちは答えて言うであろう、『主よ、いつ、わたしたちは、あなたが空腹であるのを見て食物をめぐみ、かわいているのを見て飲ませましたか。

38いつあなたが旅人であるのを見て宿を貸し、裸なのを見て着せましたか。

39また、いつあなたが病気をし、獄にいるのを見て、あなたの所に参りましたか』。

40すると、王は答えて言うであろう、『あなたがたによく言っておく。わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである』。

41それから、左にいる人々にも言うであろう、『のろわれた者どもよ、わたしを離れて、悪魔とその使たちとのために用意されている永遠の火にはいってしまえ。(JCV)

 

 

 

ローマ人への手紙820

 

[口語訳]なぜなら、被造物が虚無に服したのは、自分の意志によるのではなく、服従させたかたによるのであり、

 

[新改訳]それは、被造物が虚無に服したのが自分の意志ではなく、服従させた方によるのであって、望みがあるからです。

 

[新共同訳]被造物は虚無に服していますが、それは、自分の意志によるものではなく、服従させた方の意志によるものであり、同時に希望も持っています。

 

[文語訳]造られたるものの虚無に服せしは、己が願によるにあらず、服せしめ給ひし者によるなり。

 

[塚本訳]なぜであるか。創造物は自分から(今のような)はかない運命に屈伏したのでなく、それは屈伏させたお方([]の御心)によるからである。(彼らはアダムの罪の責任を負わされたのである。)しかし(この屈伏には)望みがある。

 

[前田訳]被造物がむなしさに服したのは、自ら進んでではなく、服させた方によってです。

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙8:2[塚本訳]わたし達が知っているように、全造物は(かの目から)今まで、

一しょになって呻き、一しょになって産みの苦しみをしている。(父なる神がこの呻きに耳を傾けられないことがあろうか。)

 

創世記3:17-19更に人に言われた、「あなたが妻の言葉を聞いて、食べるなと、わたしが命じた木から取って食べたので、地はおなたのためにのろわれ、あなたは一生、苦しんで地から食物を取る。

18地はあなたのために、いぱらとあざみとを生じ、あなたは野の草を食べるであろう。

19あなたは顔に汗してパンを食べ、っいに土に帰る、あなたは土から取られたのだから。あなたは、ちりだから、ちりに帰る」。(JCV)

 

創世記5:29彼は、「主の呪いを受けた大地で働く我々の手の苦労を、この子は慰めてくれるであろう」と言って、その子をノア(慰め)と名付けた。(JNICV)

 

創世記6:13神はノアに言われた。「すべて肉なるものを終わらせる時がわたしの前に来ている。彼らのゆえに不法が地に満ちている。見よ。わたしは地もろとも彼らを滅ぼす。(JNICV)

 

ヨブ記12:6-10かすめ奪う者の天幕は栄え、神を怒らす者は安らかである。自分の手に神を携えている者も同様だ。

7しかし獣に問うてみよ、それはあなたに教える。空の鳥に問うてみよ、それはあなたに告げる。

8あるいは地の草や木に問うてみよ、彼らはあなたに教える。海の魚もまたあなたに示す。

9これらすべてのもののうち、いずれか主の手がこれをなしたことを知らぬ者があろうか。

10すべての生き物の命、およびすべての人の息は彼の手のうちにある。(JCV)

 

イザヤ書24:56地はそこに住む者のゆえに汚された。彼らが律法を犯し、掟を破り、永遠の契約を棄てたからだ。

6それゆえ、呪いが地を食い尽くし、そこに住む者は罪を負わねばならなかった。それゆえ、地に住む者は焼き尽くされ、わずかの者だけが残された。(JNICV)

 

エレミヤ書12:4いつまで、この地は乾き、野の青草もすべて枯れたままなのか。そこに住む者らの悪が鳥や獣を絶やしてしまった。まことに、彼らは言う。「神は我々の行く末を見てはおられない」と。(JNICV)

 

エレミヤ書12:10-12多くの牧者たちはわたしのぶどう畑を滅ぼし、わたしの地を踏み荒した。わたしの麗しい地を荒れた野にした。

11彼らはこれを荒れ地としてしまった。その荒れ地がわたしに向かって嘆くのだ。全地は荒れ地にされた。しかし、ひとりもこれを心に留める者はない。

12滅ぼす者どもが荒野のすべての、はげ山の上にきた。主のつるぎが、地の、この果から、かの果までを滅ぼすのだ。命あるものは安らかであることができない。(JCV)

 

ホセア書4:2-3ただのろいと、偽りと、人殺しと、盗みと、姦淫することのみで、人々は皆荒れ狂い、殺害に殺害が続いている。

3それゆえ、この地は嘆き、これに住む者はみな、野の獣も空の鳥も共に衰え、海の魚さえも絶えはてる。(JCV)

 

ヨエル書1:18-19なんという呻きを家畜はすることか。牛の群れがさまよい、羊の群れが苦しむのは、もはや、牧草がどこにもないからだ。

19主よ、わたしはあなたを呼びます。火が荒れ野の草地を焼き尽くし、炎が野の木をなめ尽くしたからです。(JMCV)

 

 

 

ローマ人への手紙821

 

[口語訳]かつ、被造物自身にも、滅びのなわめから解放されて、神の子たちの栄光の自由に入る望みが残されているからである。

 

[新改訳]被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由の中に入れられます。

 

[新共同訳]つまり、被造物も、いつか滅びへの隷属から解放されて、神の子供たちの栄光に輝く自由にあずかれるからです。

 

〔文語訳〕然れどなほ造られたる者にも滅亡の僕たる状より解かれて、神の子たちの光榮の自由に入る望みは存れり。

 

[塚本訳]創造物自身も、滅亡の奴隷になっている(現在の)状態から自由にされて、神の子供たちがうける栄光と自由とにあずかるのだから。

 

[前田訳]そこに望みがあります。被造物自身も滅びの奴隷状態から解放されて、神の子らの栄光の自由を与えられようからです。

 

 [解読の鍵]

ペテロの第二の手紙3:1しかし、主の日は盗人のように襲って来る。その日には、天は大音響をたてて消え去り、天体は焼けてくずれ、地とその上に造り出されたものも、みな焼きつくされるであろう。

11このように、これらはみなくずれ落ちていくものであるから、神の日の到来を熱心に待ち望んでいるあなたがたは、

12極カ、きよく信心深い行いをしていなけれぱならない。その日には、天は燃えくずれ、天体は焼けうせてしまう。

13しかし、わたしたちは、神の約束に従って、義の住む新しい天と新しい地とを待ち望んでいる。

14愛する者たちよ。それだから、この日を待っているあなたがたは、しみもなくきずもなく、安らかな心で、神のみまえに出られるように励みなさい(JCV)

 

ローマ人への手紙8:19被造物は、実に、切なる思いで神の子たちの出現を待ち望んでいる。(JCV)

 

ローマ人への手紙8:19被造物は、神の子たちの現れるのを切に待ち望んでいます。(JNICV)

 

ヨハネの黙示録22:3-5のろわるべきものは、もはや何ひとつない。神と小羊との御座は都の中にあり、その僕たちは彼を礼拝し、

4御顔を仰ぎ見るのである。彼らの額には、御名がしるされている。

5夜は、もはやない。あかりも太陽の光も、いらない。主なる神が彼らを照し、そして、彼らは世々限りなく支配する。(JCV)

 

ヨハネの黙示録22:3-5もはや、呪われるものは何一つない。神と小羊の玉座が都にあって、神の僕たちは神を礼拝し、

4御顔を仰ぎ見る。彼らの額には、神の名が記されている。

5もはや、夜はなく、ともし火の光も太陽の光も要らない。神である主が僕たちを照らし、彼らは世々限りなく統治するからである。(JNICV)

 

 

 

ローマ人への手紙822

                           

[口語訳]実に、被造物全体が、今に至るまで、共にうめき共に産みの苦しみを続けていることを、わたしたちは知っている。

 

[新改訳]私たちは、被造物全体が今に至るまで、ともにうめきともに産みの苦しみをしていることを知っています。

 

[新共同訳]被造物がすべて今目まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていることを、わたしたちは知っています。

 

[文語訳]我らは知る、すべて造られたるものの今に至るまで共に嘆き、ともに苦しむことを。

 

[塚本訳]わたし達が知っているように、全被造物は(かの日から)今まで、一しょになって呻き、一しょになって産みの苦しみをしている。(父なる神がこの呻きに耳を傾けられないことがあろうか。)

 

[前田訳]われらは知っています、全被造物が今にいたるまで、ともにうめき、ともに産みの苦しみをしていることを。

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙8:20[塚本訳]なぜであるか。創造物は自分から(今のような)はかない運命に屈服したのでなく、それは屈服させたお方([]の御心)によるからである。(彼らはアダムの罪の責任を負わされたのである。)しかし(この屈服には)望みがある。

 

マルコによる福音書16:15そして彼らに言われた、「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ。(JCV)

 

コロサイ人への手紙1:23た だし、あなたがたは、ゆるぐことがなく、しっかりと信仰にふみとどまり、すでに聞いている福音の望みから移り行くことのないようにすべきである。この福音 は、天の下にあるすべての造られたものに対して宣べ伝えられたものであって、それにこのパウロが奉仕しているのである。(JCV)

 

ヨハネによる福音書16:20-21はっきり言っておく。あなたがたは泣いて悲嘆に暮れるが、世は喜ぶ。あなたがたは悲しむが、その悲しみは喜びに変わる。

21女は子供を産むとき、苦しむものだ。自分の時が来たからである。しかし、子供が生まれると、一人の人間が世に生まれ出た喜びのために、もはやその苦痛を思い出さない。(JNICV)

 

詩篇48:6おののきは彼らに臨み、その苦しみは産みの苦しみをする女のようであった。(JCV)

 

詩編48:7そのとき彼らを捕らえたおののきは産みの苦しみをする女のもだえ(JNICV)

 

ヨハネの黙示録12:2この女は子を宿しており、産みの苦しみと悩みとのために、泣き叫んでいた。 (JCV)

 

エレミヤ書12:11彼らはこれを荒れ地としてしまった。その荒れ地がわたしに向かって嘆くのだ。全地は荒れ地にされた。しかし、ひとりもこれを心に留める者はない。(JCV)

 

コリント人への第一の手紙15:58だから、愛する兄弟たちよ。堅く立って動かされず、いっも全カを注いで主のわざに励みなさい。主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからである。(JCV)

 

コリント人への第一の手紙15:58わたしの愛する兄弟たち、こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい。主に結ぱれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです。(JNICV)

 

[新改訳]ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。

 

[塚本訳]だから、わたしの愛する兄弟たちよ、しっかりしておれ、動かずにおれ、いつも主の仕事にぬきんでよ骨折りが主にあってむだにならないことを、あなた達は知っているのだから。

 

負わされる十字架には潰されよ。「贖罪」死の精神

 

マタイによる福音書16:24-25[塚本訳]

24あとでイエスは弟子たちに言われた、「だれでも、わたしについて来ようと思う

者は、(まず)己れをすてて、自分の十字架を負い、それからわたしに従え。

25(十字架を避けてこの世の)命を救おうと思う者は(永遠の)命を失い、わたし

のために(この世の)命を失う者は、(永遠の)命を得るのだから。

 

十字架は負うものではなく負わされるものである。本能や理想の人生に反して恥の人

生、涙の人生、思わざる事件、みじめな目に合わされて負わされるものである。「自分

の十字架を負い、それからわたしに従え」というその十字架は負おうとして負えるも

のではない。十字架は無理に負わされるのである。いやいやながらそれを負わされる。

はねつけてもはねつけても無理に負わされる。追い込まれて負わされる。そして神に

負わされる自分の(その人独特の、神からの個人的な、神がねらいをつけた人のため

)十字架は重く重く、負いきれるものではない。潰される。そしてその人生は攻撃

や心労や病気などによって滅びる。そうだ、イエスさえ十字架を負いきれずに力尽き

てクレネ人シモンに負ってもらったのだ。しかしその十字架が神に負わされるものな

らぱそれに潰されても恥ではないのだ。否、潰されるとき神の義が貫徹するのだ。神

の目的の業が発揮されるのだ。しかし最後には、終末にはきっと勝利するのだ。神が

復讐報復するのだ。一粒の麦は死ななければそのままであるのだが、この人生潰され

て死ねば神によってきっと多くの実を結ぶのだ。イエスは自分の人生が罪の世に潰さ

れることを予感していた。それが「一粒の麦死なずぱ」の言葉になり、殺されて三日

目に復活するという受難予告になった。

 

ヨハネによる福音書12:24[塚本訳】

アーメン、アーメン、わたしは言う、一粒の麦は、地に落ちて死なねば、いっまで

もただの一粒である。しかし死ねぱ、多くの実を結ぶ。(だからわたしは命をすて

る。)

ヨハネによる福音書15:12-14

12わたしのいましめは、これである。わたしがあなたがたを愛したように、あな

たがたも互に愛し合いなさい。

13人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。

14あなたがたにわたしが命じることを行うならぱ、あなたがたはわたしの友であ

る。(JCV)

 

マルコによる福音書10:33-34

33「見よ、わたしたちはエルサレムヘ上って行くが、人の子は祭司長、律法学者た

ちの手に引きわたされる。そして彼らは死刑を宣告した上、彼を異邦人に引きわた

すであろう。

34また彼をあざけり、つぱきをかけ、むち打ち、ついに殺してしまう。そして彼

は三日の後によみがえるであろう」。(JCV)

 

マルコのこのイエスの受難予告は事後預言(一部の学者はそう言うが)などとは思え

ない。イエスは死を予感してそれが神よってなされることを思って自らを慰めたのだ。

この世の重荷の心労に潰されることが十字架を負うことなのだ。しかしその重みに潰

されることによって神の業が完遂する。十字架を負うとはその重みに耐えかねて潰さ

れる事なのだ。勇猛果敢な信仰によって十字架を我慢忍耐することではないのだ。「頑

張って」負う事ではないのだ。右の頬を打たれたら左の頬をも出せ、敵を愛せ、一マ

イル行けといわれればニマイル行け、下着を奪うものには上着をも与えてやれ(以上

山上の説教、マタイ5-6)などはそれを実行すればみな相手に征服支配されて潰

される事なのだ。相手を愛して相手の救いを祈るからそのような行動になるのだ。そ

れは命を奪われることなのだ。それがいやだと言う者は聖書は読まない方がよい。

 

マタイによる福音書5:39-47

39しかし、わたしはあなたがたに言う。悪人に手向かうな。もし、だれかがあな

たの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい。

40あなたを訴えて、下着を取ろうとする者には、上着をも与えなさい。

41もし、だれかが、あなたをしいて一マイル行かせようとするなら、その人と共

にニマイル行きなさい。

42求める者には与え、借りようとする者を断るな。

43『隣り人を愛し、敵を憎め』と言われていたことは、あなたがたの聞いている

ところである。

44しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。

45こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためである。天の父は、悪い

者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨

を降らして下さるからである。

46あなたがたが自分を愛する者を愛したからとて、なんの報いがあろうか。その

ようなことは取税人でもするではないか。

47兄弟だけにあいさつをしたからとて、なんのすぐれた事をしているだろうか。

そのようなことは異邦人でもしているではないか。(JCV)

 

また、国家の命ずるところには従えとか、とか、敵に食わせよ、などと言うことは

みな十字架の精神の展開である。十字架の意味を知らずして「国家の命ずるところに

従え」というローマ書131-2節の言葉は理解できない。当然である。それは生ま

れつきの本能(生命保存)に反することだからである。地上王国を追求している活動

家や地上の快楽を追求している姦淫者にはこの個所は矛盾であり、永久に分からない

個所である。否聖書全体が分からなくなるのである。この個所は前の12章から続け

て読まなければならない12章は山上の説教と同じ「愛敵」の精神が説かれている。

 

ローマ人への手紙12:14-20

14あなたがたを迫害する者を祝福しなさい。祝福して、のろってはならない。

15喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい。

16互に思うことをひとつにし、高ぶった思いをいだかず、かえって低い者たちと

交わるがよい。自分が知者だと思いあがってはならない。

17だれに対しても悪をもって悪に毅いず、すべての人に対して善を図りなさい。

18あなたがたは、できる限りすべての人と平和に過ごしなさい。

19愛する者たちよ。自分で復讐をしないで、むしろ、神の怒りに任せなさい。な

ぜなら、「主が言われる。復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する」

と書いてあるからである。

20むしろ、「もしあなたの敵が飢えるなら、彼に食わせ、かわくなら、彼に飲ませ

なさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃えさかる炭火を積むことにな

るのである」。(JCV)

 

ローマ人への手紙13:1-2[塚本訳]

01人は皆上に立つ(国家の)官憲に服従せねぱならない。神からではない官憲はな

く、玩存の官憲は(ことごとく)神から任命されたものであるから。

02従って官憲に反抗する者は、神の命令に違反する者である。違反する者は、自分

で自分に(神の)裁きを招くであろう。(この世で罰を受けるばかりでなく、最後

の目にも。)

 

つまり12章で「愛敵」の精神を説いたパウロは「だから」と論を進めて13章に

入るのである。12章と13章の間には「だから」という見えない一句が入っている

のだ。それを読まないで13章の1-2節だけを切り離して読むと、「もし国家が悪い

ことを命じてもそれに服従すべきか」というお決まりの質問が出てくる。それに対し

て私は答える。山上の説教とローマ書12章の「愛敵」の教えがわかれば131-

2節は納得できる。しかし納得できても実行ができるかどうかは別。実行ができない

からと言って真理ではないと拒否するのは聖書の読み方ではない。ボンヘッファーが

ヒトラー暗殺計画に加わったのはよかったのか悪かったのか、国家を批判する態度の

聖書的根拠をどこに求めるべきかなどと予断をもって聖書を研究する人たちにはロー

マ書131-2節の真の意味は理解できない。なぜなら12章最後の部分を読まず

131-2節だけを切り離して読めば、そのところは「人間はいついかなる場合

も国家権力に屈服せよということなのか」という疑間が湧く。そして「ローマ書13

1-2節を文字通り実行すれぱ国家権力の横暴に生命や国家や土地(農地)を奪わ

れてしまう。それでは困る」とすぐに本能と理性が猛然と反発する。しかし聖書は人

間生まれつきの本能と理性が納得するように読んでは分からないものなのだ。

また妻は夫に服従せよ(口語訳は「仕えなさい」)という言葉もこの愛敵の精神の観

点から読まないと分からない。

 

エペソ人への手紙5:22[塚本訳]妻達よ、主に対するように自分の夫に服従せよ。

 

夫が自分に気に入ったことを言った時(人であるとき)にだけ服従するという姿勢

を聖書は教えていない。夫()は敵なのだ!。だから「敵を愛せ」なのだ。それを

夫婦は動物的情愛や性格の一致が基礎であると教えている現代の風潮は誤りである。

米国の離婚率は高く、まもなく目本もそうなるであると言われている。結婚の聖書的

本質が真剣に教えられていない報いとしてこうなった。

 

十字架の意味を知らされていないものにローマ書131-2節や工ペソ書522節のことを言うと決まって、歯向かってくる人物に出会うから悲しい。否。肉の本

(地上王国を追求する活動家や快楽を追及している姦淫者の心の目的)からはそれ

は当然のことなのだ。それを知らずして真面目に説こうとする方が間違っている。そ

れは犬や豚に向かって空を飛べというほど無駄なことである。馬鹿である。イエスは

言う。「聖なるものを犬にやるな。きっと歯向かって噛み付くだけである」と。

 

マタイによる福音書7:6

聖なるものを犬にやるな。また真珠を豚に投げてやるな。恐らく彼らはそれらを

足で踏みつけ、向きなおってあなたがたにかみついてくるであろう。(JCV)

 

自分の命を救おうとする者(地上の国家、生命、土地の追及者や昧楽追求の姦淫者)

は永遠の命を失い、イエスのために地上の命を捨てる者は永遠の命を得る。という言

葉も十字架の意味の延長である。

 

マタイによる福音書10:34-39[塚本訳]

34地上に平和をもたらすためにわたしが来た、などと考えてはならない。平和では

ない、剣を、(戦いを)もたらすために来たのである。''

35わたしは子を``その父と、娘を母と、嫁を姑と''仲違いさせるために来たのだから。

36``家族が自分の敵となろう。

37わたしよりも父や母を愛する者は、わたし(の弟子たる)に適しない。わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたし(の弟子たる)に適しない。''

38また自分の十宇架を取ってわたしのあとに従わない者は、わたし(の弟子たる)

に適しない。''

39(十字架を避けてこの世の)命を得る者は(永遠の)命を失い、わたしのために

(この世の)命を失う者は、(永遠の)命を得るであろう。

 

われわれクリスチャンの人生は十字架で潰されるためにある。健康で長生きで(

なくとも人並みの平均寿命ぐらいまで生きて)ボケずに生きることを目標としてはな

らない。負わされた十字架の下で十字架の重みに耐えかねて悩みのうちに死ぬのでよ

いのだ。失敗の物笑いの人生でよいのだ。イエスさえ十宇架に架けられて物笑いとな

ったのだ。神による最後の勝利を見ずして死ぬのでよいのだ。あとは神の業だ。報復

復讐は神が行う(ローマ12:19)。イエスは死んで、神によって復活させられた。

勝利した。勝利の栄誉は神に帰せられるべきで、われわれに帰せられなくてもよいの

だ。神は勝利する。最後の日に。そのとき神に反抗し、福音をあざ笑った者は歯軋り

するのだ。しかし最後の日には地上で流した涙は神によって計画されたことが分かり、

それが全員の救いに役立ったことが分かるのだ。われわれはそれを「希望」して生き

るのだ。労苦は無駄に終わらない。!

 

コリント人への第一の手紙15:58だから、愛する兄弟たちよ。堅く立って動かされ

ず、いつも全カを注いで主のわざに励みなさい。主にあっては、あなたがたの労苦

がむだになることはないと、あなたがたは知つているからである。(JCV)

2001.6.3高橋照男

 

 

 

表題・要約

 

将来の栄光(8:18-30)…新共同訳 

 

真理(8:11-27)…バルト

 

霊の自由の中に在る人間(8:1-39)

希望のうちに在ることとしての霊に在ること(8:18-30)…ケーゼマン

 

救いの完成の確信(8:18-39)…アルトハウスNTD

この確信の具体的根拠(8:18-30)

 

被造物の呻き (8:18-22)…黒崎註解新約聖書

基督者の呻き (8:23-25)

霊の呻吟とその執成(8:26-27)

 

将来の栄光(8:18-30)…フランシスコ会訳

 

呻きと待ち望み(8:18-25)…高橋三郎

救いの根拠(8:25-39)

 

現在の苦難と将来の希望(8:18-39)…青野(岩波)

 

被造物のうめき(8:18-30)…前田訳

 

救いの完成(8:2-39)(「律法の要請はいかにしてみたされるか」という問いに対して)

キリストにおける救いの成就(8:18-30)…八木(講談社)

 

苦難は軽い(8:18)…塚本註解

万物の呻き (8:19-22)

信者の呻き (8:23'25)

聖霊の呻き (8:26-27)

 

創造物と神の子たちと御霊との呻きが、最後の目の栄光を保証する(8:18-27)・・塚本訳

 

希望の中での苦しみ(8:18-30)…ヴィルケンスEKK

 

全宇宙の産みの苦しみは、宇宙完成の日を保証する(8:18-30)…白井きく

 

救の完成(6)(7)=(8:18-22)(8:22-27)…内村鑑三

 

 

 

ローマ人への手紙823

 

[口語訳]それだけではなく、御霊の最初の実を持っているわたしたち自身も、心の内でうめきながら、子たる身分を授けられること、すなわち、からだのあがなわれることを待ち望んでいる。

 

[新改訳]それぱかりでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、心の中でうめきながら、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだの蹟われることを待ち望んでいます。

 

[新共同訳]被造物だけでなく、“霊"の初穂をいただいているわたしたちも、神の子とされること、つまり、体の蹟われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます。

 

[文語訳]然のみならず、御霊の初の實をもつ我らも自ら心のうちに嘆きて、子とせられんこと、即ちおのが軆の贖はれんことを待つなり。

 

[塚本訳]しかし(苦しんでいるのは)創造物だけではない。わたし達自身も、(神の子にされた証拠として)御霊なる初穂を持っているので、このわたし達自身も、自分(のみじめな姿)をかえりみて、呻きながら、(正式に神の)子にされること、すなわちわたし達のこの(罪の)体があがなわれ(て、朽ちることのない栄光の体にされ)ることを、待っているのである。

 

[前田訳]そればかりでなく、霊の初穂を持つわれら自身も、顧みてうめき、子とされることを、すなわちわれらの体のあがなわれることを待っています。"

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙8:15-16あなたがたは再び恐れをいだかせる奴隷の霊を受けたのではなく、子たる身分を授ける霊を受けたのである。その霊によって、わたしたちは「アバ、父よ」と呼ぶのである。

16御霊みずから、わたしたちの霊と共に、わたしたちが神の子であることをあかしして下さる。(JCV)

 

ローマ人への手紙5:5[塚本訳]そしてこの“希望は(必ず実現して、わたし達を)失望させることはない。”神はわたし達に聖霊を授け、それによって愛をわたし達の心の中に(いっも豊かに)注いでいてくださるからである。

 

コリント人への第二の手紙5:5[塚本訳]このことがわたし達に出来るようにされたお方は神であり、このお方がその手付けとして御霊を下さったのである。

 

エペソ人への手紙1:14[塚本訳]この聖霊こそ(実は)私達が神の王国を相続することの担保であり、私達を贖って神の所有とするのであって、(凡ては)神の栄光が讃美されんためである。

 

ローマ人への手紙8:26御霊もまた同じように、弱いわたしを助けて下さる。なぜなら、わたしたちはどう祈ったらよいかわからないが、御霊みずから、言葉にあらわせない切なるうめきをもって、わたしたちのためにとりなして下さるからである。(JCV)

 

ローマ人への手紙7:24[塚本訳]なんとわたしはみじめな人間だろう!だれがこの死の体から、わたしを救い出してくれるのだろうか。

 

コリント人への第二の手紙5:1-2[塚本訳]

01なぜ(こんな希望に生きることができるの)であろうか。もし地上の家であるわたし達のこのテント、(この肉体)がこわれるならば、天に、神の建てられた建物、(人間の)手で造らない永遠の家をいただいていることを、わたし達は知っているからである。

02どうしてであろうか。わたし達はこのテントにいて、天の住いを上に着たくてたまらずに呻いているからである。 (この憧れと呻きこそ、永遠の住いのある証拠ではないか。)

 

コリント人への第二の手紙7:5[塚本訳]

というのは、わたし達が(トロアスからこの)マケドニヤに来たときにも、体が全く休まらず、あらゆることに悩まされた、外には(福音の敵との)戦い、内には(愛する集会のための)心配があったのである。

 

ピリピ人への手紙1:21[塚本訳]

何故なら、私にとって生きることはキリスト(を生きること、彼が私に生き給うことである。否、彼が私の生命)である。そして死ぬることは完全にキリストと共に生きることであるから、私にはむしろ)利益である。

 

ペテロの第一の手紙1:2-9すなわち、イエス・キリストに従い、かつ、その血のそそぎを受けるために、父なる神の予知されたところによって選ぱれ、御霊のきよめにあずかっている人たちへ。恵みと平安とが、あなたがたに豊かに加わるように。

3ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神。神は、その豊かなあわれみにより、イエス・キリストを死人の中からよみがえらせ、それにより、わたしたちを新たに生れさせて生ける望みをいだかせ、

4あなたがたのために天にたくわえてある、朽ちず汚れず、しぼむことのない資産を受け継ぐ者として下さったのであ

る。

5あなたがたは、終りの時に啓示さるべき救にあずかるために、信仰により神の御力に守ら

れているのである。

6そのことを思って、今しばらくのあいだは、さまざまな試練で悩まねぱなら

ないかも知れないが、あなたがたは大いに喜んでいる。

7こうして、あなたがたの信仰はためされて、火で精錬されても朽ちる外はない金よりもはるかに尊いことが明らかにされ、イエス・キリストの現れるとき、さんびと栄光とほまれとに変るであろう。

8あなたがたは、イエス・キリストを見たことはないが、彼を愛している。現在、見てはいけないけれども、信じて、言葉につくせない、輝きにみちた喜びにあふれている。

9それは、信仰の結果なるたましいの救を得ているからである。(JCV)

 

ローマ人への手紙8:19[塚本訳] (そしてこの栄光は必ず与えられる。)その証拠(の第一)は、創造物が神の子たちの現われるのを、首を長くして待ちこがれていることである。

 

ピリピ人への手紙3:20[塚本調しかし(私達はそうであってはならない。)私達の故国は天にある。私達は主イエス・キリストが救い主として其処から来給うのを待っているのである。

 

ヘブル人への手紙9:28[塚本訳]キリストも、ただ一度“多くの人の罪を負う”ために捧げられ、 (それから)二度引に、(しかし今度は)罪と関係なく、救のため、彼を待っている者に自分をあらわされるのである。

 

 

 

ローマ人への手紙824

 

[口語訳]わたしたちは、この望みによって救われているのである。しかし、目に見える望みは望みではない。なぜなら、現に見ている事を、どうして、なお望む人があろうか。

 

[新改訳]私たちは、この望みによって救われているのです。目こ見える望みは、望みではありません。だれでも目で見ていることを、どうしてさらに望むでしょう。

 

[新共同訳]わたしたちは、このような希望によって救われているのです。見えるものに対する希望は希望ではありません。現に見ているものをだれがなお望むでしょうか。

 

[文語訳]我らは望みによりて救はれたり、眼に見ゆる望は望にあらず、人その見るところを爭でなほ望まんや。

[塚本訳]なぜなら、わたし達は(最後の目に救いが完成されるという)望みをもって、救われているからである。目に見ることのできる望みは望みではない。人はいま現に見ているものを、なんでその上望む必要があろうか。

 

[前田訳]われらはこの望みのゆえに救われているからです。見える望みは望みではありません。見えるものを、そのうえ何で望みましょう。

 

 [解読の鍵]

ローマ人への手紙5:2[塚本訳]そうだ、キリストにより、信仰で、わたし達はいまいるこの恩恵の状態に入ることができ、また(最後の日に)神の(子になることを信じて、その)栄光にあずかる希望を誇っているのである。

 

ローマ人への手紙12:12希望をもって喜ぴ、苦難を酎え忍ぴ、たゆまず祈りなさい。(JNICV)

 

ローマ人への手紙15:2-4おのおの善を行って隣人を喜ばせ、互いの向上に努めるべきです。

3キリストも御自分の満足はお求めになりませんでした。「あなたをそしる者のそしりが、わたしにふりかかった」と書いてあるとおりです。

4かつて書かれた事柄は、すべてわたしたちを教え導くためのものです。それでわたしたちは、聖書から忍耐と慰めを学んで希望を持ち続けることができるのです。(JNICV

 

ローマ人への手紙15:13[塚本訳]希望の源である神が、(彼を)信ずることにおいて来る無上の喜びと平安とであなた達を満たし、聖霊の力によって(豊かな)希望に溢れさせられんことを。

 

エレミヤ書17:7-8おおよそ主にたより、主を頼みとする人はさいわいである。

8彼は水のほとりに植えた木のようで、その根を川にのばし、暑さにあっても恐れることはない。その葉は常に青く、ひでりの年にも憂えることなく、絶えず実を結ぶ」。(JCV)

 

コリント人への第一の手紙13:13このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。(JCV)

 

ガラテヤ人への手紙5:5[塚本訳](キリストを信ずる)わたし達は、御霊によって、信仰により、

(最後の日に)義とされる希望をもって待っているからである。

 

コロサイ人への手紙1:4-6これは、キリスト・イエスに対するあなたがたの信仰と、すべての聖徒に対していだいているあなたがたの愛とを、耳にしたからである。

5この愛は、あなたがたのために天にたくわえられている望みに基くものであり、その望みについては、あなたがたはすでに、あなたがたのところまで伝えられた福音の真理の言葉によって聞いている。

6そして、この福音は、世界中いたる所でそうであるように、あなたがたのところでも、これを聞いて神の恵みを知ったとき以来、実を結んで成長しているのである。(JCV)

 

ペテロの第一の手紙1:3-4[塚本訳]讃美すべきかな、我らの主イエス・キリストの父なる神!彼は大なる憐憫により、イエス・キリストが死人の中から復活し給うたことをもって、私たちを活ける希望に新しく生み、

04君達のために天に保管されている、朽ちぬ、稼れぬ、萎まぬ相続財産に与らせ給うたのである。

 

ペテロの第一の手紙1:21-22あなたがたは、キリストを死者の中から復活させて栄光をお与えになった神を、キリストによって信じています。従って、あなたがたの信仰と希望とは神にかかっているのです。

22あなたがたは、真理を受け入れて、魂を清め、偽りのない兄弟愛を抱くようになったのですから、清い心で深く愛し合いなさい。(JNICV)

 

 

 

ローマ人への手紙825

 

[口語訳]もし、わたしたちが見ないことを望むなら、わたしたちは忍耐して、それを待ち望むのである。

 

[新改訳]もしまだ見ていないものを望んでいるのなら、私たちは、忍耐をもって熱心に待ちます。

 

[新共同訳]わたしたちは、目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望むのです。

 

[文語訳]我等もし其の見ぬところを望まぱ、忍耐をもて之を待たん。

 

[塚本訳]しかしわたし達が見ていないものを望むとすれば、忍耐をもって待たねぱならない。

 

[前田訳]われらに見えぬものを望む以上、忍耐して待つのです。

 

 [解読の鍵]

ローマ人への手紙8:23[塚本訳]しかし(苦しんでいるのは)創造物だけではない。わたし達自身も、(神の子にされた証処として)御霊なる初穂を持っているので、このわたし達自身も、

自分(のみじめな姿)をかえりみて、呻きながら、(正式に神の)子にされること、すなわちわたし達のこの(罪の)体があがなわれ(て、朽ちることのない栄光の体にされ)ることを、待っているのである。

 

ローマ人への手紙2:6-10神はおのおのの行いに従ってお報いになります。

7すなわち、忍而強く善を行い、栄光と誉れと不滅のものを求める者には、永遠の命をお与えになり、

8反抗心にかられ、真理ではなく不義に従う者には、怒りと憤りをお示しになります。

9すべて悪を行う者には、ユダヤ人はもとよりギリシア人にも、苦しみと悩みが下り、

10すべて善を行う者には、ユダヤ人はもとよりギリシア人にも、栄光と誉れと平和が与えられます。 (JNICV)

 

ローマ人への手紙12:12[塚本訳]希望をもって喜び、苦難に耐え、たゆまず祈れ。

 

創世記49:18主よ、わたしはあなたの救を待ち望む。(JCV

 

詩編37:7-9主の前にもだし、耐え忍びて主を待ち望め。おのが道を歩んで栄える者のゆえに、悪いはかりごとを遂げる人のゆえに、心を悩ますな。

8怒りをやめ、憤りを捨てよ。心を悩ますな、これはただ悪を行なうに至るのみだ。

9悪を行なう者は断ち滅ぼされ、主を待ち望む者は国を継ぐからである。(JCV)

 

詩編62:5-7わが魂はもだしてただ神をまつ。わが望みは神から来るからである。

6神こそわが岩、わが救、わが高きやぐらである。わたしは動かされることはない。

7わが救とわが誉とは神にある。神はわが力の岩、わが避け所である。(JCV)

 

詩編130:5-7私は主を待ち望みます、わが魂は待ち望みます。そのみ言葉によって、わたしは望みをいだきます。

6わが魂は夜回りが暁を待つにまさり、夜回りが暁を待つにまさって主を待ち望みます。

7イスラエルよ、主によって望みをいだけ。主には、いつくしみがあり、また豊かなあがないがあるからです。(JCV)

 

イザヤ書25:8-9死を永久に滅ぼしてくださる。主なる神は、すべての顔から涙をぬぐい、御自分の民の恥を地上からぬぐい去ってくださる。これは主が語られたことである。

9その日には、人は言う。見よ、この方こそわたしたちの神。わたしたちは待ち望んでいた。この方がわたしたちを救ってくださる。この方こそわたしたちが待ち望んでいた主その救いを祝って喜び躍ろう。(JNICV

 

イザヤ書26:9わが魂は夜あなたを慕い、わがうちなる霊は、せつにあなたを求める。あなたのさぱきが地に行われるとき、世に住む者は正義を学ぶからである。(JCV)

 

哀歌3:25-33主はおのれを待ち望む者と、おのれを尋ね求める者にむかって恵みふかい。

26主の救を静かに待ち望むことは、良いことである。

27人が若い時にくびきを負うことは、良いことである。

28主がこれを負わせられるとき、ひとりすわって黙しているがよい。

29口をちりにつけよ、あるいはなお望みがあるであろう。

30おのれを撃つ者にほおを向け、満ち足りるまでに、はずかしめを受けよ。

31主はとこしえにこのような人を捨てられないからである。

32彼は悩みを与えられるが、そのいつくしみが豊かなので、またあわれみをたれられる。

33彼は心から人の子を苦しめ悩ますことをされないからである。(JCV)

 

ルカによる福音書21:19[塚本訳]あなた達は忍耐によって、自分の(まことの)命をかち取ることができる。"

 

コロサイ人への季紙1:10-11すべての点で主に喜ぱれるように主に従って歩み、あらゆる善い業を行って実を結び、神をますます深く知るように。

11そして、神の栄光の力に従い、あらゆる力によって強められ、どんなことも根気強く耐え忍ぶように。喜びをもって、(JNICV)

 

テサロニケ人への第一の手紙1:2-4わたしたちは、祈りの度に、あなたがたのことを思い起こして、あなたがた一同のことをいつも神に感謝しています。

3あなたがたが信仰によって働き、愛のために労苦し、また、わたしたちの主イエス・キリストに対する、希望を持って忍耐していることを、わたしたちは絶えず父である神の御前で心に留めているのです。

4神に愛されている兄弟たち、あなたがたが神から選ぱれたことを、わたしたちは知っています。 (JNICV)

 

テサロニケ人への第二の手紙3:5どうか、主があなたがたの心を導いて、神の愛とキリストの忍耐とを持たせて下さるように。(JCV)

 

ヘブル人への手紙6:11[塚本訳]ただわたし達は、あなた達のひとりびとりが希望を完成するため、最後まで前と同じ熱心を示したらと思うのである。

12これはあなた達が怠け者とならずに、信仰と忍耐とをもって、(神の)約束(のもの、すなわちキリストによる救)を相続する人たちの真似をする者となるためである。

 

ヘブル人への手紙6:15-17こうして、アブラハムは根気よく待って、約束のものを得たのです。

16そもそも人間は、自分より偉大な者にかけて誓うのであって、その誓いはあらゆる反対論にけりをつける保証となります。

17神は約束されたものを受け継ぐ人々に、御自分の計画が変わらないものであることを、いっそうはっきり示したいと考え、それを誓いによって保証なさったのです。(JNICV)

 

ヘブル人への手紙10:36-38神の御心を行って約束されたものを受けるためには、忍耐が必要なのです。

37「もう少しすると、来るべき方がおいでになる。遅れられることはない。

38わたしの正しい者は信仰によって生きる。もしひるむようなことがあれば、その者はわたしの心に適わない。」(JNICV)

 

ヘブル人への手紙12:2-3信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見っつ、走ろうではないか。彼は、自分の前におかれている喜ぴのゆえに、恥をもいとわないで十字架を忍び、神の御座の右に座するに至ったのである。

3あなたがたは、弱り果てて意気そそうしないために、罪人らのこのような反抗を耐え忍んだかたのことを、思いみるべきである。(JCV)

 

ヤコブヘの手紙1:2-4わたしの兄弟たちよ。あなたがたが、いろいろな試錬に会った場合、それをむしろ非常に喜ばしいことと思いなさい。

3あなたがたの知っているとおり、信仰がためされることによって、忍而が生み出されるからである。

4だから、なんら欠点のない、完全な、でき上がった人となるように、その忍耐カを十分に働かせるがよい。(JCV)

 

 

 

ローマ人への手紙826

             

[口語訳]御霊もまた同じように、弱いわたしを助けて下さる。なぜなら、わたしたちはどう祈ったらよいかわからないが、御霊みずから、言葉にあらわせない切なるうめきをもって、わたしたちのためにとりなして下さるからである。

 

[新改訳]御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。

 

[新共同訳]同様に、“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。

 

[文語訳]斯くのごとく御璽も我らの弱を助けたまふ。我らは如何に祈るべきかを知らざれども、御霊みづから言ひ難き歎きをもて執成し給ふ。

 

[塚本訳]しかし(創造物やわたし達神の子が苦しんでいると)同じように、御霊も、弱いわたし達を助けてくださる。すなわち、(神のみ心にかなうには)どう何を祈るべきかわからないので、御霊自身が、無言の呻きをもって(わたし達の祈りを神に)執り成してくださるのである。

 

[前田訳]同じように、霊もわれらの弱さを共に助けに来ます。何を祈ったらよいかわかりませんが、霊自身が口でいいえぬうめきをもってとりなされます。

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙15:1[塚本訳]しかしわたし達強い(信仰をもつ)者は、強くない(信仰をもっ)者の弱さを負い、決して勝手なことをして)自分を喜ばせてはならない。

 

ヘブル人への手紙4:15この大祭司は、わたしたちの弱さを思いやることのできないようなかたではない。罪は犯されなかったが、すべてのことについて、わたしたちと同じように試練に会われたのである。(JCV)

 

ヘブル人への手紙5:1-4大祭司なるものはすべて、人間の中から選ぱれて、罪のために供え物といけにえとをささげるように、人々のために神に仕える役に任じられた者である。

2彼は自分自身、弱さを身に負うているので、無知な迷っている人々を、思いやることができると共に、

3その弱さのゆえに、民のためだけではなく自分自身のためにも、罪についてささげものを

しなけれぱならないのである。

4かつ、だれもこの栄誉ある務を自分で得るのではなく、アロンの場合のように、神の召しによって受けるのである。(JCV)

 

マタイによる福音書20:22[塚本訳]イエスが答えられた、「あなた達は自分で何を願っているのか、わからずにいる。(ヤコブとヨハネに聞くが、)わたしが飲まねぱならない(苦難の)杯を飲むことが出来るのか。」「出来ます」と二人がこたえる。

 

ヤコブヘの手紙4:3-4求めても与えられないのは、快楽のために使おうとして、悪い求め方をするからだ。

4不貞のやからよ。世を友とするのは、神への敵対であることを、知らないか。おおよそ

世の友となろうと思う者は、自らを神の敵とするのである。(JCV)

 

マタイによる福音書26:39[塚本訳]そしてなお少し(奥に)進んでいって、俯けに倒れ、祈って言われた、「お父様、出来ることなら、どうかこの杯がわたしの前を通りすぎますように。しかし、わたしの願いどおりでなく、お心のとおりになれぱよいのです。」

 

 

 

ローマ人への手紙827

 

[口語訳]そして、人の心を探り知るかたは、御霊の思うところがなんであるかを知っておられる。なぜなら、御霊は、聖徒のために、神の御旨にかなうとりなしをして下さるからである。

 

[新改訳]人間の心を探り窮める方は、御霊の恩いが何かをよく知っておられます。なぜなら、御霊は、神のみこころに従って、聖徒のためにとりなしをしてくださるからです。

 

[新共同訳]人の心を見抜く方は、“霊”の思いが何であるかを知っておられます。“霊"は、神の御心に従って、聖なる者たちのために執り成してくださるからです。

 

[文語訳]また人の心を極めたまふ者は御靈の念をも知りたまふ。御靈は神の御意に適ひて聖徒のために執成し給へばなり。

 

[塚本訳]しかし(人の)心を見抜くお方[]は、御霊が何を求めているか、すなわち、御霊が神の御心にかなうように聖徒たちのために執り成しておられることを、(もちろん)御存じである。

 

 [前田訳]こころごころを見抜く方は霊の思いが何かをご存じです。霊が神に従って聖徒のためにとりなされるからです。

 

[解読の鍵]

詩編7:9どうカ癌しき者の悪を断ち、正しき者を堅く立たせてください。義なる神よ、あなたは人の心と思いとを調べられます。(JCV)

 

詩編4421-22このような我らが、われらの神の御名を忘れ去り、異教の神に向かって手を広げるようなことがあれば

22神はなお、それを探り出されます。心に隠していることを神は必ず知られます.(JNICV)

 

箴言173銀を試みるものはるつぼ、金を試みるものは炉、人の心を試みるものは主である。(JCV)

 

エレミヤ書17:10-11心を探り、そのはらわたを究めるのは、主なるわたしである。それぞれの道、業の結ぶ実に従って報いる。

11しやこが自分の産まなかった卵を集めるように、不正に富をなす者がいる。人生の半ばで、富は彼を見捨て、ついには、神を失った者となる。(JNICV)

 

エレミヤ書20:12-13正しき者を試み、人の心と思いを見られる万軍の主よ、あなたが彼らに、あだを返されるのを見せてください。わたしはおなたに、わたしの訴えをお任せしたからです。

13主に向かって歌い、主をほめたたえよ。主は貧しい者の命を、悪人の手から救われたからである。(JCV)

 

マタイによる福音書67-8また、祈る場合、異邦人のように、くどくどと祈るな。彼らは言葉かずが多ければ、聞きいれられるものと思っている。

8だから、彼らのまねをするな。あなたがたの父なる神は、求めない先から、あなたがたに必要なものはご存じなのである。(JCV)

 

テサロニケ人への第一の手紙23-4いったい、わたしたちの宣教は、迷いや汚れた心から出たものでもなく、だましごとでもない。

4かえって、わたしたちは神の信任を受けて福音を託されたので、人間に喜ばれるためではなく、わたしたちの心を見分ける神に喜ばれるように、福音を語るのである。(JCV)

 

ヘブル人_の手紙4:12-13というのは、神の言は生きていて、力があり、もろ刃のつるぎよりも鋭くて、精神と霊魂と、関節と骨髄とを切り離すまでに刺しとおして、心の思いと志とを見分けることができる。

13そして、神のみまえには、あらわでない被造物はひとつもなく、すべてのものは、神の目には裸であり、あらわにされているのである。この神に対して、わたしたちは言い開きをしなくてはならない。(JC)

 

詩篇38:8-11わたしは衰えはて、いたく打ちひしがれ、わたしの心の激しい騒ぎによってうめき叫びます。

9主よ、わたしのすべての願いはあなたに知られ、わたしの嘆きはあなたに隠れることはありません。

10わたしの胸は激しく打ち、わたしの力は衰え、わたしの目の光もまた、わたしを離れ去りました。

11わが友、わがともがらはわたしの災いを見て離れ立ち、わが親族もまた遠く離れて立っています。(JCV)

 

ヤコブヘの手紙5:15-20信仰による祈りは、病んでいる人を救い、そして、主はその人を立ちあがらせて下さる。かつ、その人が罪を犯していたなら、それもゆるされる。

16だから、互に罪を告白し合い、また、いやされるようにお互のために祈なさい。義人の祈りは、大いに力があり、効果のあるものである。

17エリヤは、わたしたちと同じ人間であったが、雨が降らないようにと祈をささげたところ、三年六か月のあいだ、地上に雨が降らなかった。

18それから、ふたたび祈ったところ、天は雨を降らせ、地はその実をみのらせた。

19わたしの兄弟たちよ。あなたがたのうち、真理の道から踏み迷う者があり、だれかが彼を引きもどすなら、

20かように罪人を迷いの道から引きもどす人は、そのたましいを死から救い出し、かつ、多くの罪をおおうものであることを、知るべきである。(JCV)

 

ローマ人への手紙8:34塚本訳]

“だれが(わたし達を)罰することができるか。”キリスト・イエスが(わたし達の罪のために)

死んで、それだけでなく復活して、いま神の右においでになって、わたし達のために執り成していてくださるのに。

 

ヨハネによる福音書14:13[塚本訳]あなた達がわたしの名で願えぱ、なんでもかなえてあげるからだ。これは父上が子によって栄光をお受けになるためである。

 

ヨハネの第一の手紙3:21-23愛する者たちよ。もし心に責められるようなことがなければ、わたしたちは神に対して確信を持つことができる。

22そして、願い求めるものは、なんでもいただけるのである。それは、わたしたちが神の戒めを守り、みこころにかなうことを、行っているからである。

23その戒めというのは、神の子イエス・キリストの御名を信じ、わたしたちに命じられたように、互に愛し合うべきことである。(JCV)

 

 

 

O君さようなら「また会う日まで」

 

私が浦和に住んでいた時の中学生時代からの大親友O君が召された。

彼の死顔は苦痛の様相を示していた。今まで何度も葬儀をしてそのたびに棺の中の死

顔に接したとき、大抵は安らかな顔に接することが多かったが、O君のように苦しん

だ顔をしているのを見るのははじめてであった。一瞬暗然となった。

彼とは浦和において中学生のときに音楽を通じて友人となり、下校時間を過ぎても

音楽室の電気を消して真っ暗な中でレコードを聴いた。コンサートに行った。高校生

になり彼も私もキリスト教信仰の道に進んだ。彼は共助会に私は無教会に。お互いの

結婚式に友人として出席。しかし彼は人生の真昼時に「魔がさして」過ちを犯し、そ

れからは不遇の後半生であった。世の中から追われ、疎まれた。晩年に浦和の彼の家

が古くなったので、設計して数年前に完成。CD4000枚と大きなオーディオ装置

を収納する音楽室に力を入れた。故郷に建築を設計するのは非常な喜びであった。彼

はその音楽室で急性心不全で倒れた。56歳。早かった。私と順序が逆であった。

彼の遺骸の前に座ると、わたしはしぱし彼との思い出が走馬灯のように浮かんだ。

そして思った。晩年にもう少し「神の絶対恩恵」について語り合っておけぱよかった、

と。たしかに私は彼に対して満足の家を設計した。しかしそれで彼は本当に霊魂が安

らいだかというとそうではなかった。彼の苦しそうな死顔がそれを証明していた。人

は幸福というものを求めてあらゆるものを追求する。知識・学問、学歴、職場、天職、

生きがい、喜び、地位、富、経済的安定、異性の愛、恋愛、性、結婚、家庭、子供の

成長、家庭団簗、住まい、健康、長寿、などなど。しかしこれら「地上の幸福の形」

(これはイエスに言わせれぱ「異邦人の切にもとめるもの」…マタイ6:32

である。)では真の安らぎは得られない。身体と心の安らぎは得られるが、霊魂の平安

は得られない。罪の赦しの平安は得られない。結婚というものも身体と心の平安はあ

っても霊魂の救いには役立たない。これら「地上の幸福の形」は人間をついに罪の苦

しみから救ってくれない。わたしは彼のために地上の「快適な住まい」を設計した。

しかしそれでは彼には霊魂の平安はこなかった。棺のなかの彼の苦しそうな顔を見て

それが分かった。O君は人生の真昼時に「魔がさして」過ちを犯し、その事件のため

に不遇になった。その亡骸(なきがら)を前にして私はしまったと思った。「そうだ、

神の絶対―――恩恵どんな深い罪を犯したとしても神の絶対的な恩恵で救われ、神

に受け入れられること。―――これこそ彼が真に安らげる場所だったのだ。」それな

のに私は彼の過ちによる苦しみを知りながら、贖罪による安らぎの実在を音楽のこと

を熱心に語り合ったほどには語り合わなかった。十字架の贖罪に平安の場所があるこ

とを確認し合わなかった。それを切り出せなかった。O君にとってはそれが本当に「快

適な住まい」だったのだが。・・・亡骸の前にへたと座りそのことを悔いた。ゴメ

ンO君、私は本当に大切な「住まい」のことを君と話し合わなかった。気まずくて切

り出せなかった。怠慢だった。終末のとき、神はわたしのこの怠慢を赦してくださる

だろうか。O君は赦してくれるだろうか。人は「地上の幸福の形」を失うときに初め

て本当の安らぎはどこにあるのかということを探し求める。それを語り合うチャンス

があったのにわたしはそれを逃した。

夫人に依頼されて司った葬儀の式辞では音楽が好きだった彼のために讃美歌の解説

をした。

 

312

世の友我らを捨て去るときも、祈りに答えていたわりたまわん。

 

39

目くれて四方(よも)はくらくわがたま()はいとさびし、よるべなき身のたよ

る、主よともに宿りませ。

みさかえにさむるまで、主よともに宿りませ。 

 

320

うつし世をはなれて 天がける目きたらばいよよ近くみもとにゆき主のみかおを仰

ぎ見ん。

 

彼に可愛がられた末娘(高校3)のピアノ発表会が今年の9月に予定されていたが、

彼はそれを聴くことなく逝った。そこで献花の時にはその時に演奏するシヨパンの幻想即興曲を彼女が弾いた。皆が泣いた。O君聞こえたか?。棺の蓋を閉じるとき、その末娘は人目をはばかって影で泣いていた。私は思わず肩を抱いた。

○君さようなら。「また会う目まで」。わたしも間もなく行きます。もうすぐです。

そこは神の絶対恩恵で罪が贖われ、罪の悩みや苦しみがなく永遠の命の喜びです。わ

たしの怠慢も赦してもらいます。イエスの復活は歴史的事実でした。それは来世実在

の希望です。人間はイエスの十字架の贖罪の故に地上の生涯のどんな過ちや罪でも赦

され清められるのです。復活がその証拠です。わたしは残る生涯の一日一日を大切に

してこの絶対恩恵の真理を証していきます。これがO君に対する私の供養です。

 

神はどんなに深い罪を犯したとしても絶対恩恵でそれをことごとく赦して受け

入れてくださる。イエスの十字架の代償で罪を赦してくださる。この事実なく

して人生は絶望。

2001.7.9高橋照男

 

 

 

表題・要約

 

将来の栄光(8:18-30)…新共同訳

 

(8:28-30)…バルト

 

霊の自由の中に在る人間(8:1-39)

希望のうちに在ることとしての霊に在ること(8:18-30)…ケーゼマン

 

救いの完成の確信(8:18-39)…アルトハウスNTD

この確信の具体的根拠(8:18-30)

 

神の預定(8:28-30)…黒崎註解新約聖書

 

将来の栄光(8:18-30)…フランシスコ会訳

 

救いの根拠(8:25-39)…高橋三郎

 

現在の苦難と将来の希望(8:18-39)…青野(岩波)

 

被造物のうめき(8:18-30)…前田訳

 

救いの完成(8:2-39)(「律法の要請はいかにしてみたされるか」という問いに対して)

キリストにおける救いの成就(8:18-30)…八木(講談社)

 

すべてが役に立つ(8:28)…塚本註解

救いの予定(8:29-30)

 

これらすべては神の計画による(8:28-30)・・塚本訳

 

希望の中での苦しみ(8:18-30)…ヴィノレケンスEK

 

全宇宙の産みの苦しみは、宇宙完成の日を保証する(8:18-30)…白井きく

 

救の完成(8):(8:28-30)…内村鑑三

 

 

 

522ローマ人への手紙828

 

[口語訳]神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。

 

[新改訳]神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。

 

[新共同訳]神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。

 

[文語訳]神を愛する者、すなはち御旨によりて召されたる者の爲には、凡てのこと相働きて益となるを我らは知る。

 

[塚本訳]それぱかりではない。(わたし達の救いは次のことからも確かである。)わたし達が知っているように、神を愛する者、すなわち(神の)計画に応じて召された者には、すべてのことが救いに役立つのである。

 

[前田訳]われらは知っています、神を愛するものには神が協力してすべてを善になさることを。彼らは御旨に従って召されたものだからです。

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙8:35-39だれが、キリストの愛からわたしたちを離れさせるのか。患難か、苦悩か、迫害か、飢えか、裸か、危難か、剣か。

36「わたしたちはあなたのために終日、死に定められており、ほふられる羊のように見られている」と書いてあるとおりである。

37しかし、わたしたちを愛して下さったかたによって、わたしたちは、これらすべての事において勝ち得て余りがある。

38わたしは確信する。死も生も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、

39高いものも深いものも、その他どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の、愛から、わたしたちを引き離すことはできないのである。(JCV)

 

ローマ人への手紙5:3-4それだけではなく、患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、

4忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているからである。(JCV)

 

創世記50:19-21ヨセフは兄たちに言った。「恐れることはありません。わたしが神に代わることができましょうか。

20あなたがたはわたしに悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日のようにしてくださったのです。

21どうか恐れないでください。このわたしが、あなたたちとあなたたちの子供を養いましょう。」ヨセフはこのように、兄たちを慰め、優しく語りかけた。(JNICV)

 

申命記8:1-10わたしが、きょう、命じるこのすべての命令を、あなたがたは守って行わなければならない。そうすればあなたがたは生きることができ、かつふえ増し、主があなたがたの先祖に誓われた地にはいって、それを自分のものとすることができるであろう。

2あなたの神、主がこの四十年の間、荒野であなたを導かれたそのすべての道を覚えなければならない。それはあなたを苦しめて、あなたを試み、あなたの心のうちを知り、あなたがその命令を守るか、どうかを知るためであった。

3それで主はあなたを苦しめ、あなたを飢えさせ、あなたも知らず、あなたの先祖たちも知らなかったマナをもって、あなたを養われた。人はパンだけでは生きず、人は主の口から出るすべてのことばによって生きることをあなたに知らせるためであった。

4この四十年の間、あなたの着物はすり切れず、あなたの足は、はれなかった。

5あなたはまた人がその子を訓練するように、あなたの神、主もあなたを訓練されることを心にとめなければならない。

6あなたの神、主の命令を守り、その道に歩んで、彼を恐れなければならない。

7それはあなたの神、主があなたを良い地に導き入れられるからである。そこは谷にも山にもわき出る水の流れ、泉、およぴ淵のある地、

8小麦、大麦、ぶどう、いちじく及びざくろのある地、油のオリブの木、および蜜のある地、

9あなたが食べる食物に欠けることなく、なんの乏しいこともない地である。その地の石は鉄であって、その山からは銅を掘り取ることができる。

10あなたは食べて飽き、あなたの神、主がその良い地を賜わったことを感謝するであろう。(JCV)

 

申命記8:15-17あなたを導いて、あの大きな恐ろしい荒野、すなわち火のへびや、さそりがいて、水のない、かわいた地を通り、あなたのために堅い岩から水を出し、

16先祖たちも知らなかったマナを荒野であなたに食べさせられた。それはあなたを苦しめ、あなたを試みて、ついにはあなたをさいわいにするためであった。

17あなたは心のうちに『自分の力と自分の手の働きで、わたしはこの富を得た』と言ってはならない。(JCV)

 

詩篇46:1-3【聖歌隊の指揮者によって女の声のしらべにあわせてうたわせたコラの子の歌】神はわれらの避け所また力である。悩める時のいと近き助けである。

2このゆえに、たとい地は変り、山は海の真中に移るとも、われらは恐れない。

3たといその水は鳴りとどろき、あわだつとも、そのさわぎによって山は震え動くとも、われらは恐れない。(JCV)

 

エレミヤ書24:5-7「イスラエルの神、主はこう言われる。このところからカルデア人の国へ送ったユダの捕囚の民を、わたしはこの良いいちじくのように見なして、恵みを与えよう。

6彼らに目を留めて恵みを与え、この地に連れ戻す。彼らを建てて、倒さず、植えて、抜くことはない。

7そしてわたしは、わたしが主であることを知る心を彼らに与える。彼らはわたしの民となり、わたは彼らの神となる。彼らは真心をもってわたしのもとへ帰って来る。(JNICV)

 

ゼカリヤ書13:8-9この地のどこでもこうなる、と主は言われる。三分の二は死に絶え、三分の一が残る。

9この三分の一をわたしは火に入れ、銀を精錬するように精錬し、金を試すように試す。彼がわが名を呼べぱ、わたしは彼に答え、「彼こそわたしの民」と言い、彼は、「主こそわたしの神」と答えるであろう。(JNICV)

 

コリント人への第二の手紙4:14-16それは、主イエスをよみがえらせたかたが、わたしたちをもイエスと共によみがえらせ、そして、あなたがたと共にみまえに立たせて下さることを、知っているからである。

15すべてのことは、あなたがたの益であって、恵みがますます多くの人に増し加わるにつれ、感謝が満ちあふれて、神の栄光となるのである。

16だから、わたしたちは落胆しない。たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は目ごとに新しくされていく。(JCV)

 

ローマ人への手紙5:5[塚本訳]そしてこの“希望は(必ず実現して、わたし達を)失望させることはない。”神はわたし達に聖霊を授け、それによって愛をわたし逢の心の中に(いつも豊かに)注いでいてくださるからである。

 

出エジプト記20:5-6それにひれ伏してはならない。それに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神であるから、わたしを憎むものは、父の罪を子に報いて、三、四代に及ぼし、

6わたしを愛し、わたしの戒めを守るものには、恵みを施して、千代に至るであろう。(JCV)

申命記6:5あなたは心をっくし、精神をつくし、力をっくして、あなたの神、主を愛さなければならない。(JCV)

 

コリント人への第一の手紙2:9しかし、聖書に書いてあるとおり、「目がまだ見ず、耳がまだ聞かず、人の心に思い浮ぴもしなかったことを、神は、ご自分を愛する者たちのために備えられた」のである。(JCV)

 

ヤコブヘの手紙1:12試練を耐え忍ぶ人は、さいわいである。それを忍びとおしたなら、神を愛する者たちに約束されたいのちの冠を受けるであろう。(JCV)

 

ヨハネの第一の手紙4:10 [塚本訳]わたし達が神を愛したことではなく、彼がわたし達を愛し、その子をわたし達の罪のための宥め(の供物)として遣わされたそのことに、愛があるのである。

 

ヨハネの第一の手紙4:19[塚本訳]わたし達は(神を)愛しよう。彼が先にわたし達を愛されたのだから。

 

ローマ人への手紙8:30[塚本訳]そして(時が来ると)あらかじめお定めになった人たちを召し、

お召しになった人たちを義とし、義とした人たちには栄光をお与えになるだろう。

 

ガラテヤ人への手紙1:15-17ところが、母の胎内にある時からわたしを勤1jし、み恵みをもってわたしをお召しになったかたが、

16異邦人の間に宣べ伝えさせるために、御子をわたしの内に啓示して下さった時、わたしは直ちに、血肉に相談もせず、

17また先輩の使徒たちに会うためにエルサレムにも上らず、アラビヤに出て行った。それから再びダマスコに帰つた。(JCV)

 

エペソ人への手紙1:9-10御旨の奥義を、自らあらかじめ定められた計画に従って、わたしたちに示して下さったのである。

 

10それは、時の満ちるに及んで実現されるご計画にほかならない。それによって、神は天にあるもの地にあるものを、ことごとく、キリストにあって一つに帰せしめようとされたのである。(JCV)

 

テサロニケ人への第一の手紙5:9神は、わたしたちを怒りに定められたのではなく、わたしたちの主イエス・キリストによる救いにあずからせるように定められたのです。(JNICV)

 

テサロニケ人への第二の手紙2:13-14しかし、主に愛されている兄弟たちよ。わたしたちはいつもあなたがたのことを、神に感謝せずにはおられない。それは、神があなたがたを初めから選んで、御霊によるきよめと、真理に対する信仰とによって、救を得させようとし、

14そのために、わたしたちの福音によりあなたがたを召して、わたしたちの主イエス・キリストの栄光にあずからせて下さるからである。(JCV)

 

ペテロの第一の手紙5:10しかし、あらゆる恵みの源である神、すなわち、キリスト・イエスを通してあなたがたを永遠の栄光へ招いてくださった神御自身が、しばらくの間苦しんだあなたがたを完全な者とし、強め、力づけ、揺らぐことがないようにしてくださいます。(JNICV)

 

 

 

ローマ人への手紙829

 

[口語訳]神はあらかじめ知っておられる者たちを、更に御子のかたちに似たものとしようとして、あらかじめ定めて下さった。それは、御子を多くの兄弟の中で長子とならせるためであった。

 

[新改訳]なぜなら、神は、あらかじめ知っておられる人々を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです。それは、御子が多くの兄弟たちの中で長子となられるためです。

 

[新共同訳]神は前もって知っておられた者たちを、御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められました。それは、御子が多くの兄弟の中で長子となられるためです。

 

[文語訳]神は預じめ知りたまふ者を御子の像に象らせんと預じめ定め給へり。これ多くの兄弟のうちに、御子を嫡子たらせんが爲なり。"

 

[塚本訳]というのは、神は(世の始まる前に)あらかじめお選ぴになった人たちをぱ御子(キリスト)と同じ姿にすることを、あらかじめお定めになったからである。―――これは(こうして出来た)多くの兄弟たちの中で、彼を長男にするためである。―――

 

[前田訳]あらかじめご存じのものを、み子と像を同じくするよう神は予定されました。これはみ子が多くの兄弟の長子になられるためです。

 

[解読の鍵]

出エジプト記33:17主はモーセに言われた、「あなたはわたしの前に恵みを得、またわたしは名をもってあなたを知るから、あなたの言ったこの事をもするであろう」。(JCV)

 

詩編1:5-6神に逆らう者は裁きに堪えず、罪ある者は神に従う人の集いに堪えない。

6神に従う人の道を主は知っていてくださる。神に逆らう者の道は滅ぴに至る。(JNICV)

 

エレミヤ書1:5「わたしはあなたを母の胎内に造る前から、あなたを知っていた。母の胎から生まれる前に、わたしはあなたを愛して、諸国民の預言者として立てた。」(JNICV)

 

マタイによる福音書7:23そのとき、わたしはきっぱりとこう言おう。『あなたたちのことは全然知らない。不法を働く者ども、わたしから離れ去れ。』」(JNICV)

 

テモテヘの第二の手紙2:19しかし、神が据えられた堅固な基礎は揺るぎません。そこには、「主は御自分の者たちを知っておられる」と、また「主の名を呼ぶ者は皆、不義から身を引くべきである」と刻まれています。(JNICV)

 

ペテロの第一の手紙1:2すなわち、イエス・キリストに従い、かつ、その血のそそぎを受けるために、父なる神の予知されたところによって選ばれ、御霊のきよめにあずかっている人たちへ。恵みと平安とが、あなたがたに豊かに加わるように。(JCV)

 

エペソ人への手紙1:4-6天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。

5イエス・キリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです。

6神がその愛する御子によって与えてくださった輝かしい恵みを、わたしたちがたたえるためです。 (JNICV)

 

ペテロの第一の手紙1:18-21知ってのとおり、あなたがたが先祖伝来のむなしい生活から贖われたのは、金や銀のような朽ち果てるものにはよらず、

19きずや汚れのない小羊のようなキリストの尊い血によるのです。

20キリストは、天地創造の前からあらかじめ知られていましたが、この終わりの時代に、あなたがたのために現れてくださいました。

21あなたがたは、キリストを死者の中から復活させて栄光をお与えになった神を、キリストによって信じています。従って、あなたがたの信仰と希望とは神にかかっているのです。(JNICV)

 

 

 

ローマ人への手紙830

 

[口語訳]そして、あらかじめ定めた者たちを更に召し、召した者たちを更に義とし、義とした者たちには、更に栄光を与えて下さったのである。

 

[新改訳]神はあらかじめ定めた人々をさらに召し、召した人々をさらに義と認め、義と認めた人々にはさらに栄光をお与えになりました。

 

[新共同訳]神はあらかじめ定められた者たちを召し出し、召し出した者たちを義とし、義とされた者たちに栄光をお与えになったのです。

 

[文語訳]]又その預じめ定めたる者を召し、召したる者を義とし、義としたる者には光榮を得させ給ふ。

 

[塚本訳]そして(時が来ると)あらかじめお定めになった人たちを召し、

お召しになった人たちを義とし、義とした人たちには栄光をお与えになるだろう。

 

[前田詞これら予定されたものをばお召しにもなり、お召しのものをば義ともなさり、義となさったものをぱ栄化もなさいました。

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙1:6-7この異邦人の中に、イエス・キリストのものとなるように召されたあなたがたもいるのです。・・

7神に愛され、召されて聖なる者となったローマの人たち一同へ。わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。(JNICV)

 

.ローマ人への手紙9:23-24それも、憐れみの器として栄光を与えようと準備しておられた者たちに、御自分の豊かな栄光をお示しになるためであったとすれぱ、どうでしょう。

24神はわたしたちを憐れみの器として、ユダヤ人からだけではなく、異邦人の中からも召し出してくださいました。(JNICV)

 

イザヤ書41:9わたしは地の果から、あなたを連れてき、地のすみずみから、あなたを召して、あなたに言った、「あなたは、わたしのしもべ、わたしは、あなたを選んで捨てなかった」と。(JCV)

 

コリント人への第一の手紙1:1-2神の御旨により召されてキリスト・イエスの使徒となったパウロと、兄弟ソステネから、

2コリントにある神の教会、すなわち、わたしたちの主イエス・キリストの御名を至る所で呼び求めているすべての人々と共に、キリスト・イエスにあってきよめられ、聖徒として召されたかたがたへ。このキリストは、わたしたちの主であり、また彼らの主であられる。(JCV)

 

コリント人への第一の手紙1:8-9主もまた、あなたがたを最後まで堅くささえて、わたしたちの主イエス・キリストの目に、責められるところのない者にして下さるであろう。

9神は真実なかたである。あなたがたは神によって召され、御子、わたしたちの主イエス・キリストとの交わりに、はいらせていただいたのである。(JCV)

 

エペソ人への手紙4:4からだは一つ、御霊も一つである。あなたがたが召されたのは、一つの望みを目ざして召されたのと同様である。(JCV)

 

ヘブル人への手紙9:14-15[塚本訳]まして永遠の御霊の力によって傷のない自分自身を神に捧げたキリストの血が、わたし達の良心を死ぬ行いから清めて、生ける神を礼拝させないことがあるだろうか。

15このゆえに、彼(キリスト)は新しい契約の仲介者である。彼は最初の(旧い)契約の下に犯された違反をあがなうために死なれたのであるから、(そのあとは神に)召された者が(すべて)永遠の相続財産の約束をいただくのである。

 

 

 

行き悩む人生の「やみ路を照らす」復活伝承の光

 

人生が行き詰まり、行き悩み、八方ふさがりになることは良いことである。それは

「天罰」ではなく「神の招き」である。神がわざと両側に垣根をこしらえて人生を曲

がらないようにしてくださっているのである(ヒルティ)。とくに何処に行ってもどち

らを向いても道がふさがれるとき、それは恩恵である。いかなる人間的保証、人間的

応援、人間的慰めも得られなくなるときそれはさらに恩恵である。この世に逃げ込む

ところがなくなるときは「神の招き」が備えられている証拠だからである。人間でな

く神のみが受け入れてくださる。傷を癒してくださる。人生の傷は神が自ら傷を負っ

てくださることによって癒してくださる。傷なきものにしてくださる。きれいな者に

してくださる。失敗を贖ってくださる。

 

イザヤ書53:3-5彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。また顔をおおって忌みきらわれる者のように、彼は侮られた。われわれも彼を尊ぱなかった。

4まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。しかるに、われわれは思った、彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。

5しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲らしめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ(JCV)

 

心の重荷やハンディや淋しさは何か正しくないことの証拠なのだ。神の招きの「手」

なのだ。それを強がりを言ってツッパッテはならない。ギブアップ、降参、神には降

参しなけれぱならない。人間や教会にではなく神に直接赦していただけるのだ。人間

は罪を裁くが、神は罪を赦してくださるのだ。

私の父は若き目に結核を病み、人生が行き詰まったそのときに出会ったキリスト教

の讃美歌は「讃美歌87B」である。

 

めぐみのひかりは わがゆきなやむ

やみ路を照らせり 神は愛なり

われらも愛せん あいなる神を

 

人生には何度か「行き悩む」ことがある。卑近な例で、私の場合は火災による家の焼

失、脳出血による意識不明(救急車の中で「助けてくれ、俺にはまだ子供がいるのだ」

と叫んでいたという)での入院、その他にももっとつらい残酷なことが襲ってきた。

そのたびに地上の幸福の形が奪われたがかえって本当のものに目を向けさせられた。

火災では「天国の家は焼けない」という認識。脳出血ではこの肉体の命は完全に神の

手に握られているのだという認敵その他の残酷なつらいことでは「神の絶対恩恵に

よる罪の赦し」の認敵。そのたびに本当の幸福というものに目が向けられた。

本当の幸福とは罪が贖われ赦されて心が平安になり、心がすすがれてすがすがしく

なり、来世に生きる希望をもちながら貧しくとも前向きに生きることである。「生きる

喜ぴ」に満ちることである。

この幸福を知らせ伝承する人生のオアシスはイエスの復活伝承を担う人々の集団であ

る。そこには裁きや批判や断罪がなく、あるのはただ罪の赦しの感謝の喜びでありそ

の結果としての愛の交わりである。その集団の基盤は歴史的事実の復活伝承である。

禅宗のような個人の悟りではない。個人の宗教体験の集団ではない。信仰の思想集団

ではない。ただただ復活の伝承である。復活は神がこの世に発した「言葉」「捺印」で

ある。罪の赦しの証処、来世実在の希望の根拠である。

この集団は神によって建てられる。思想によっては立たない。宗教的偉人の思想でも

立たない。復活伝承を担う無名の人々によって立つ。胸が熱くさせられた人々によっ

てこの世に自然発生的に誕生する。

私は、小学校に上がる前に通っていた目曜学校の先生によって胸の中に福音の種が

蒔かれた。そのときキリスト教に対してよい印象を持った。40年後のある目、その

教会を訪ねて牧師に当時のその目曜学校の先生の消息を伺ったが、行方不明であった。

私を愛してくれたあの良い先生は「今いずこ!」。私にとって無名の人であったが、私

の胸に神の福音を蒔いてくださった。

高校生のとき同期のある女子が「照男さん。私にはまだ神様がいるかどうか分から

ないのです。」と私に告げた。30年後、彼女が聖路加病院で亡くなったということを

人づてに聞いた。なんでもクリスチャンになって死んだという。わたしは大急ぎでそ

の病院の井原司祭に事の次第を伺ったところ、彼女はガンになり妻の座を辞して離婚、

最後にガンは頭にまで進んだが、固く信仰を持って召されたという。わたしはそれを

聞き、神は人を信仰に導くためには何と残酷なことをするのかと思って泣いた。それ

を聞いた晩に彼女が夢に現れ「照男さん。私の生涯は短かったけれども、私の分まで

がんぱってください。」と話しかけた。昨年脳出血で聖路加病院に入院したとき私の病

室にその井原司祭が見えられて彼女のことを話してくれた。窓の外に見えた夏の入道

雲はあくまでも白かった。そうだ永遠の命、永遠の命。来世の実在。復活の希望。

2001.7.29高橋照男

 

表題・要約

神の愛(8:31-39)…新共同訳

 

霊の自由の中に在る人間(8:1-39)

勝利の現実としての霊に在ること(8:31-39)…ケーゼマン

 

救いの完成の確信(8:18-39)…アルトハウスNTD

キリストの者たる人間の自由を讃える結ぴ(8:31-39)

 

万物皆我有(8:31-34)…黒崎註解新約聖書

基督者の凱歌(8:35-39)

 

神の愛(8:31-39)…フランシスコ会訳

 

救いの根拠(8:25-39)…高橋三郎

現在の苦難と将来の希望(8:18-39)...青野(岩波)

 

神の愛の絶対(8:31-39)…前田訳

 

救いの完成(8:2-39)(「律法の要請はいかにしてみたされるか」という問いに対して)

キリストにある勝利(8:31-39)…八木(講談杜)

 

凱歌(8:31-39)…塚本註解

勝利の根拠(8:31-39)

 

信ずる者の勝利の凱歌(8:31-39)・・塚本訳

 

キリスト者の凱歌(8:31-39)…ヴィルケンスEKK

 

信ずる者の勝利の凱歌(8:31-39)…白井きく

 

救の完成(9)=(8:31-39)…内村鑑三

 

 

 

ローマ人への手紙831

 

[口語訳]それでは、これらの事について、なんと言おうか。もし、神がわたしたちの味方であるなら、だれがわたしたちに敵し得ようか。

 

[新改訳]では、これらのことからどう言えるでしょう。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。

 

[新共同訳]では、これらのことについて何と言ったらよいだろうか。もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか。

 

[文語訳]然れぱ此等の事につきて何をか言はん、神もし我らの味方ならば、誰カ峨らに敵せんや。

[塚本訳コすると、それはどういうことになるのだろうか。一一神がわたし達の味方である以上、だれがわたし達に敵対できるか。

 

[前田訳]それではわれらは何といいましょう。神がわれらの側ならば、だれがわれらに敵しましょう。

 

[解読の鍵]

創世記15:1これらの事の後、主の言葉が幻のうちにアブラムに臨んだ、「アブラムよ恐れてはならない、わた」まあなたの盾である。あなたの受ける報は、はなはだ大きいであろう」。(JCV)

 

民数記14:9ただ、主に背いてはならない。あなたたちは、そこの住民を恐れてはならない。彼らは我々の餌食にすぎない。彼らを守るものは離れ去り、主が我々と共におられる。彼らを恐れてはならない。」(JNICV)

 

詩編46:1-3指揮者に合わせて。コラの子の詩。アラモト調。歌

2神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる。

3わたしたちは決して恐れない、地が姿を変え山々が揺らいで海の中に移るとも(JNICV)

 

詩篇56:4わたしは神によって、そのみ言葉をほめたたえます。わたしは神に信頼するゆえ、恐れることはありません。肉なる者はわたしに何をなし得ましょうか。(JCV)

 

詩篇56:12神に依り頼めぱ恐れはありません。人間がわたしに何をなしえましょう。(JNICV)

 

詩篇118:6-8主はわたしの味方、わたしは誰を恐れよう。人間がわたしに何をなしえよう。

7主はわたしの味方、助けとなって、わたしを憎む者らを支配させてくださる。

8人間に頼らず、主を避けどころとしよう。(JNICV)

 

イザヤ書50:7-8主なる神が助けてくださるから、わたしはそれを潮りとは思わない。わたしは顔を硬い石のようにする。わたしは知っている、わたしが辱められることはない、と。

8わたしの正しさを認める方は近くいます。誰がわたしと共に争ってくれるのかわれわれは共に立とう。誰がわたしを訴えるのかわたしに向かって来るがよい。(JNICV)

 

イザヤ書54:17どのような武器があなたに対して作られても、何一つ役に立っことはない。裁きの座であなたに対立するすべての舌を、あなたは罪に定めることができる。これが主の僕らの嗣業、わたしの与える恵みの業だ、と主は言われる。(JNICV)

 

エレミヤ書1:19彼らはあなたと戦うが、あなたに勝つことはできない。わたしがあなたと共にいて、あなたを救うからである」と主は言われる。(JCV)

 

エレミヤ書20:11しかし主は、恐るべき勇士として、わたしと共にいます。それゆえ、わたしを迫害する者はつまずき、勝つことを得ず、成功することなく甚だしく辱めを受ける。それは忘れられることのないとこしえの恥辱でおる。(JNICV)

 

ヨハネによる福音書10:28-30わたしは、彼らに永遠の命を与える。だから、彼らはいつまでも滅びることがなく、また、彼らをわたしの手から奪い去る者はない。

29わたしの父がわたしに下さったものは、すべてにまさるものである。そしてだれも父のみ手から、それを奪い取ることはできない。

30わたしと父とは'つである」。(JCV)

 

ヨハネの第一の手紙4:4-6子たちよ、あなたがたは神に属しており、偽預言者たちに打ち勝ちました。なぜなら、あなたがたの内におられる方は、世にいる者よりも強いからです。

5偽預言者たちは世に属しており、そのため、世のことを話し、世は彼らに耳を傾けます。

6わたしたちは神に属する者です。神を知る人は、わたしたちに耳を傾けますが、神に属していない者は、わたしたちに耳を傾けません。これによって、真理の霊と人を惑わす霊とを見分けることができます。(JNICV)

 

 

 

ローマ人への手紙832

 

[口語訳]ご自身の御子をさえ借しまないで、わたしたちすべての者のために死に渡されたかたが、どうして、御子のみならず万物をも賜わらないことがあろうか。

 

[新改訳]私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ階しまずに死に渡された方が、どう.して、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。

 

[新共同訳]わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか。

 

[文語訳]己の御子を惜まずして我ら衆のために付し給ひし者は、などか之にそへて萬物を我らに賜はざらんや。

 

[塚本訳]御自分の子をさえなんの惜しげもなく、わたし達みんなのために死に引き渡されたその神が、どうしてそれと共に、すべてのものをも賜わらないことがあ。ろうか。

 

[前田訳]おのがみ子を惜しまずにわれらすべてのために死に渡された方が、どうしてみ子といっしょに万物をわれらに恵まれないでしょうか。

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[解読の鍵]

ローマ人への手紙5:6-10わたしたちがまだ弱かったころ、キリストは、時いたって、不信心な者たちのために死んで下さったのである。

7正しい人のために死ぬ者は、ほとんどいないであろう。善人のためには、進んで死ぬ者もあるいはいるだろう。

8しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである。

9わたしたちは、キリストの血によって今は義とされているのだから、なおさら、彼によって神の怒りから救われるであろう。

10もし、わたしたちが敵であった時でさえ、御子の死によって神との和解を受けたとすれば、和解を受けている今は、なおさら、彼のいのちによって救われるであろう。(JCV)

 

創世記22:12御使いは言った。「その子に手を下すな。何もしてはならない。あなたが神を畏れる者であることが、今、分ったからだ。あなたは、自分の独り子である息子すら、わたしにささげることを借しまなかった。」(JNICV)

 

イザヤ書53:10しかも彼を砕くことは主のみ旨であり、主は彼を悩まされた。彼が自分を、とがの供え物となすとき、その子孫を見ることができ、その命をながくすることができる。かつ主のみ旨が彼の手によって栄える。(JCV)

 

ヨハネによる福音書3:16神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅ぴないで、永遠の命を得るためである。(JCV)

 

コリント人への第二の手紙5:21[塚本訳]神は罪を知らなかった方をわたし達の身代りに(十字架につけて)罪に定められた。わたし達がこの方において神の義(をいただく者)となるためである。

 

ヨハネの第一の手紙4110わたしたちカ榊を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。ここに愛がある。 (JCV)

 

ローマ人への手紙4:25[新改訳]主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです。

 

 

 

ローマ人への手紙833

 

[口語訳]だれが、神の選ぱれた者たちを訴えるのか。神は彼らを義とされるのである。

 

[新改訳]神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるのです。

 

[新共同訳]だれが神に選ばれた者たちを訴えるでしょう。人を義としてくださるのは神なのです。

 

[文語訳]誰カ榊の選び給へる者を訴へん、神は之を義とし給ふ。

 

[塚本訳]だれが(わたし達)神の選ばれた者を告発することができるか。神が(裁判官として)“罪なしと宣告しておられるのに。”

 

[前田訳]だれが神に選ぱれたものを訴えましょう。義となさるものは神です。

 

 [解読の鍵]

ローマ人への手紙8:1[塚本訳](こうしてわたし達はみな救われている。)だから今では、キリスト・イエスにある者は絶対に罪を罰されることはない。"

 

ヨブ記1:9-11サタンは答えた。「ヨブが、利益もないのに神を敬うでしょうか。

10あなたは彼とその一族、全財産を守っておられるではありませんか。彼の手の業をすべて祝福なさいます。お陰で、彼の家畜はその地に溢れるほどです。

11ひとつこの辺で、御手を伸ばして彼の財産に角軌てごらんなさい。面と向かってあなたを呪うにちがいありません。」 (JNICV)

 

ヨブ記2:4-6サタンは答えた。「皮には皮を、と申します。まして命のためには全財産を差し出すものです。

5手を伸ばして彼の骨と肉に触れてごらんなさい。面と向かってあなたを呪うにちがいありません。」

6主はサタンに言われた。「それでは、彼をお前のいいようにするがよい。ただし、命だけは奪うな。」 (JNICV)

 

詩篇35:11-12不法の証人が数多く達、わたしを追及しますが、わたしの知らないことばかりです。

12彼らは私の善意に悪意をもってこたえます。わたしの魂を滅ぼそうとして、子供を奪いました。(JNICV)

 

ガラテヤ人への手紙3:8-13聖書は、神が異邦人を信仰によって義とされることを、あらかじめ知って、アブラハムに、「あなたによって、すべての国民は祝福されるであろう」との良い知らせを、予告したのである。

9このように、信仰による者は、信仰の人アブラハムと共に、祝福を受けるのである。

10いったい、律法の行いによる者は、皆のろいの下にある。「律法の書に書いてあるいっさいのこ

とを守らず、これを行わない者は、皆のろわれる」と書いてあるからである。

11そこで、衛去によっては、神のみまえに義とされる者はひとりもないことが、明らかである。なぜなら、「信仰による義人は生きる」からである。

12律法は信仰に基いているものではない。かえって、「律法を行う者は律法によって生きる」のである。

13キリストは、わたしたちのためにのろいとなって、わたしたちを律法ののろいからあがない出して下さった。聖書に、「木にかけられる者は、すべてのろわれる」と書いてある。(JCV)

 

ルカによる福音書18:4-7裁判官は、しばらくの間は取り合おうとしなかった。しかし、その後に考えた。『自分は神など畏れないし、人を人とも思わない。

5しかし、あのやもめは、うるさくてかなわないから、彼女のために裁判をしてやろう。さもない

と、ひっきりなしにやって来て、わたしをさんざんな則こ遭わすにちがいない。』」

6それから、主は言われた。「この不正な裁判官の言いぐさを聞きなさい。

7まして神は、昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちのために裁きを行わずに、彼らをいつまでもほうっておかれることがあろうか。(JNICV)

 

ペテロの第一の手紙1:2あなたがたは、父である神があらかじめ立てられた御計画に基づいて、“霊”によって聖なる者とされ、イエス・キリストに従い、また、その血を注ぎかけていただくために選ぱれたのです。恵みと平和が、あなたがたにますます豊かに与えられるように。(JNICV)

 

ローマ人への手紙3:26このように神は忍耐してこられたが、今この時に義を示されたのは、御自分が正しい方であることを明らかにし、イエスを信じる者を義となさるためです。                          (JNICV)

 

イザヤ書50:8-9わたしの正しさを認める方は近くいます。誰がわたしと共に争ってくれるのかわれわれは共に立とう。誰がわたしを訴えるのかわたしに向かって来るがよい。

9見よ、主なる神が助けてくださる。講がわたしを罪に定めえよう。見よ、彼らはすべて衣のように朽ち、しみに食い尽くされるであろう。(JNICV)

 

 

 

ローマ人への手紙834

 

[口語訳]だれが、わたしたちを罪に定めるのか。キリスト・イエスは、死んで、否、よみがえって、神の右に座し、また、わたしたちのためにとりなして下さるのである。

 

[新改訳]罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。

 

[新共同訳]だれがわたしたちを罪に定めることができましょう。死んだ方、否、むしろ、復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、わたしたちのために執り成してくださるのです。

 

[文語訳]誰か之を罪に定めん、死にて甦へり給ひしキリスト・イエスは神の右に在まして、我らの爲に執成し給ふなり。

 

[塚本訳]“だれが(わたし達を)罰することができるか。”キリスト・イエスが(わたし達の罪

のために)死んで、それだけでなく復活して、いま神の右においでになって、わたし達のために執り成していてくださるのに。

 

[前田訳]だれが罰しましょう。なくなった方、否、むしろ復活された方であるキリスト・イエスが神の右にいまして、われらにとりなしもなさいます。

 

[解読鍵]

詩編109:31主は貧しい者の右に立って、死罪にさだめようとする者から彼を救われるからです。 (JCV)

 

ローマ人への手紙4:25[塚本訳]このイエスこそ、わたし達の過ちのために死に引き渡され、またわたし達を義とするために復活された方である。

 

ローマ人への手紙5:6-10わたしたちがまだ弱かったころ、キリストは、時いたって、不信心な者たちのために死んで下さったのである。

7正しい人のために死ぬ者は、ほとんどいないであろう。

善人のためには、進んで死ぬ者もあるいはいるだろう。

8しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたので

ある。

9わたしたちは、キリストの血によって今は義とされているのだから、なおさら、彼によ

って神の怒りから救われるであろう。

10もし、わたしたちが敵であった時でさえ、御子の死によって神との和解を受けたとすれぱ、和解を受けている今は、なおさら、彼のいのちによって救われるであろう。(JCV)

 

マタイによる福音書20:28[塚本訳]人の子(わたし)が来たのも仕えさせるためではない。仕えるため、多くの人のあがない金としてその命を与えるためである。」

 

ガラテヤ人への手紙3:1314キリストは、わたしたちのためにのろいとなって、わたしたちを律法ののろいからあがない出して下さった。聖書に、「木にかけられる者は、すべてのろわれる」と書いてある。

14それは、アブラハムの受けた祝福が、イエス・キリストにあって異邦人に及ぶため

であり、約束された御霊を、わたしたちが信仰によって受けるためである。(JCV)

 

ヘブル人への手紙1:3御子は神の栄光の輝きであり、神の本質の真の姿であって、その力ある言葉をもって万物を保っておられる。そして罪のきよめのわざをなし終えてから、いと高き所にいます大能者の右に、座につかれたのである。(JCV)

 

ヘブル人への手紙9:11-14

11しかしキリストがすでに現れた祝福の大祭司としてこられたとき、手で造られず、この世界に属さない、さらに大きく、完全な幕屋をとおり、

12かつ、やぎと子牛との血によらず、ご自身の血によって、一度だけ聖所にはいられ、それによって永遠のあがないを全うされたのである。

13もし、やぎや雄牛の血や雌牛の灰が、汚れた人たちの上にまきかけられて、肉体をきよめ聖別するとすれば、

14永遠の聖霊によって、ご自身を傷なき者として神にささげられたキリストの血は、なおさら、わたしちの良心をきよめて死んだわざを取り除き、生ける神に仕える者としないであろうか。(JCV)

 

 

 

ローマ人への手紙835

[口語訳]だれが、キリストの愛からわたしたちを離れさせるのか。患難か、苦悩か、迫害か、飢えか、裸か、危難か、剣か。

 

[新改訳]私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患灘ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。

 

[新共同訳]だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。

 

[文語訳]我等をキリストの愛より離れしむる者は誰ぞ、患難か、苦難か、迫害か、飢か、裸か、危険か、剣か。

 

[塚本訳](このゆえに)だれがキリストの(わたし達を愛する)愛から、わたし達を引き離すことができるか。苦しみか、悩みか、迫害か、飢えか、裸か、危険か、剣か。

 

[前田訳]だれカミわれらをキリストの愛から離しましょう、苦難か、なやみか、迫害か、飢えか、裸か、危険か、剣か。

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙8:39高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。(JNICV)

 

詩編103:17-18しかし主のいつくしみは、とこしえからとこしえまで、主を恐れる者の上にあり、その義は子らの子に及ぴ、

18その契約を守り、その命令を心にとめて行なう者にまで及ぶ。(JCV)

 

エレミヤ書31:3遠くから、主はわたしに現れた。わたしは、とこしえの愛をもってあなたを愛し、変わることなく慈しみを注ぐ。(JNICV)

 

テサロニケ人への第二の手紙2:13-14しかし、主に愛されている兄弟たちよ。わたしたちはいつも、あなたがたのことを、神に感謝せずにはおられない。それは、神があなたがたを初めから選んで、御霊によるきよめと、真理に対する信仰とによって、救を得させようとし、

14そのために、わたしたちの福音によりあなたがたを召して、わたしたちの主イエス・キリストの栄光にあずからせて下さるからである。(JCV)

 

テサロニケ人への第二の手紙2:16-17わたしたちの主イエス・キリスト御自身、ならびに、わたしたちを愛して、永遠の慰めと確かな希望とを恵みによって与えてくださる、わたしたちの父である神が、

17どうか、あなたがたの心を励まし、また強め、いつも善い働きをし、善い言葉を語る者としてくださるように。(JNICV)

 

ヨハネの黙示録1:5-6更に、言臥、誠実な方、死者の中から最初に復活した方、地上の王たちの支配者、イエス・キリストから恵みと平和があなたがたにあるように。わたしたちを愛し、御自分の血によって罪から解放してくださった方に、

6わたしたちを王とし、御自身の父である神に仕える祭司としてくださった方に、栄光と力が世々限りなくありますように、アーメン。(JNICV)

 

ローマ人への手紙5:3-5それだけではなく、患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、

4忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているからである。

5そして、希望は失望に終ることはない。なぜなら、わたしたちに賜わっている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである。(JCV)

 

マタイによる福音書5:10-12義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。

11わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。

12喜びなさい。大いに喜ぴなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」(JNKCV)

 

 

 

ローマ人への手紙836

 

[口語訳]「わたしたちはあなたのために終日、/死に定められており、/ほふられる羊のように見られている」/と書いてあるとおりである。

 

[新改訳]「あなたのために、私たちは一目中、死に定められている。私たちは、ほふられる羊とみなされた。」と書いてあるとおりです。

 

[新共同訳]「わたしたちは、あなたのために/一目中死にさらされ、/屠られる羊のように見られている」と書いてあるとおりです。

 

[文語訳]録して、『汝のために我らは、終日ころされて、屠らるべき羊の如きものとせられたり』、とあるが如し。

 

[塚本訳]こう書いてある。―― “あなた[]のためにわたし達は一日中死の危険にさらされている、わたし達は屠られる羊のように考えられた。

 

[前田訳]"聖書にあるように、あなた()のためわれらはひねもす死に、ほふられる羊と見られています。

 

[解読の鍵]

詩篇44:22ところがわれらはあなたのためにひねもす殺されて、ほふられる羊のようにみなされました。 (JCV)

 

ヨハネによる福音書16:1-3わたしがこれらのことを語ったのは、あなたがたがつまずくことのないためである。

2人々はあなたがたを会堂から追い出すでおろう。更にあなたがたを殺す者がみな、それによって自分たちは神に仕えているのだと思う時が来るであろう。

3彼らがそのようなことをするのは、父をもわたしをも知らないからである。(JCV)

 

コリント人への第二の手紙4:11-12[[塚本訳]言い喚えれば、わたし達が生きながらイエスの故に絶えず死の手にゆだねられているのは、イエスの(復活の)命もわたし達の死ぬべき肉体に(すでにこの世で)現れるためである。

12従って死はわたし達に働くけれども、(そのことによってわたし達に溢れる)命があなた達に働くことになるのである。

 

イザヤ書53:7-8彼はしえたげられ、苦しめられたけれども、口を開かなかった。ほふり場にひかれて行く小羊のように、また毛を切る者の前に黙っている羊のように、口を開かなかった。

8彼は暴虐なさばきによって取り去られた。その代の人のうち、だれが思ったであろうか、彼はわが民のとがのために打たれて、生けるものの地から断たれたのだと。 (JCV)

 

使徒行伝8:32[塚本訳]読んでいた聖書の文句はこれであった。“屠り場に引いてゆかれる羊のように、毛を切る者の前に黙っている小羊のように、彼は口を開かない。

 

コリント人への第一の手紙15:30-31また、なぜわたしたちはいつも危険を冒しているのですか。

31兄弟たち、わたしたちの主キリスト・イエスに結ばれてわたしが持つ、あなたがたに対する誇りにかけて言えば、わたしは日々死んでいます。(JNICV)

 

 

 

ローマ人への手紙837

 

[口語訳]しかし、わたしたちを愛して下さったかたによって、わたしたちは、これらすべての事において勝ち得て余りがある。

 

[新改訳]しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。

 

[新共同訳]しかし、これらすべてのことにおいて、わたしたちは、わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています。

 

[文語訳]されど凡てこれらの事の中にありても、我らを愛したまふ者に頼り、勝ち得て鎗あり。

 

[塚本訳](もちろん、引き離すことのできるものはない。)それぱかりか、わたし達を愛して(

字架につけられて)くださった方により、これらすべての(苦難の)中にあって、わたし達は悠々と勝つことができる。

 

[前田訳]しかしこれらすべてのうちにも、われらを愛された方によって、われらはかち得てあまりあります。

 

[解読の鍵]

イザヤ書25:8-9死を永久に滅ぼしてくださる。主なる神は、すべての顔から涙をぬぐい、御自分の民の恥を地上からぬぐい去ってくださる。これは主が語られたことである。

9その目には、人は言う。見よ、この方こそわたしたちの神。わたしたちは待ち望んでいた。この方がわたしたちを救ってくださる。この方こそわたしたちが待ち望んでいた主。その救いを祝って喜ぴ躍ろう。(JNICV)

 

コリント人への第一の手紙15:54-56この朽ちるものが朽ちないものを着、この死ぬものが死なないものを着るとき、聖書に書いている言葉が成就するのである。

55「死は勝利にのまれてしまった。死よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。死よ、おまえのとげは、どこにあるのか」。

56死のとげは罪である。罪の力は律法である。(JCV)

 

コリント人への第一の手紙15:57-58しかし感詞げべきことには、神はわたしたちの主イエス・キリストによって、わたしたちに勝利を賜わったのである。

58だから、愛する兄弟たちよ。堅く立って動かされず、いつも全カを注いで主のわざに励みなさい。主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからである。(JCV)

 

コリント人への第二の手紙2:14[塚本訳]しかし神に感謝せねぱならない。神はいっでもわたし達をキリストによる凱旋行列に償として)引き回し、至る所でわたし達を通して御自分を知らせる知識の薫りをお広めになる。

 

コリント人への第二の手紙12:9[塚本訳]主は(その都度)言われた、「わたしの恩恵はあなたに十分だ。力は弱さの中に完成されるのだから。」、それでわたしはキリストの力がわたしに住みついてくださるように、大喜ぴで、むしろ(自分の)弱いことを自慢しよう。

 

ヨハネの第一の手紙4:4[塚本訳]子供たちよ、あなた達は神から出たので、(すでに)彼ら偽預言者に勝っているのである。というのは、あなた達の中におられるお方(すなわち神)は、(この)世に(権力を持って)いる者(すなわち悪魔)よりも、有力であるからである。

 

ヨハネの第一の手紙5:4-5神から生まれた人は皆、世に打ち勝つからです。世に打ち勝つ勝利、それはわたしたちの信仰です。

5だれが世に打ち勝つか。イエスが神の子であると信じる者ではありませんか。(JNICV)

 

ガラテヤ人への手紙2:20[塚本訳]わたしはもはや生きていない。キリストがわたしの中に生きておられる。いまわたしが肉体で生きるのは、わたしを愛し、このわたしのために自分をすてられた神の子を信ずる信仰によって生きているのである。

 

エペソ人への手紙5:2また愛のうちを歩きなさい。キリストもあなたがたを愛して下さって、わたしたちのために、ご自身を、神へのかんばしいかおりのささげ物、また、いけにえとしてささげられたのである。(JCV)

 

ヨハネの第一の手紙4:10[塚本訳]わたし達が神を愛したことではなく、彼がわたし達を愛し、その子をわたし達の罪のための宥め(の供物)として遣わされたそのことに、愛があるのである。

 

ヨハネの第一の手紙4:19[塚本訳]わたし達は(神を)愛しよう。彼が先にわたし達を愛されたのだから。

 

 

 

 

ローマ人への手紙838

 

[口語訳]わたしは確信する。死も生も、天使も支百暗も、玩在のものも将来のものも、力あるものも、

 

[新改訳]私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、

 

[新共同訳]わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、玩在のものも、未来のものも、力あるものも、

 

[文語訳]われ確く信ず、死も生命も、御使も、槽威ある者も、今ある者も後あらん者も、力ある者も、

 

[塚本訳]なぜなら、わたしは確信している、死〃でも命でも、天使でも支配(天使)でも、現在起こっていることでも将来起こることでも、権力(天使)でも、

 

[前田訳]わたしは確信します、死もいのちも、天使も司も、現状も未来も諸権力も、

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[解読の鍵]

テモテヘの第二の手紙1:12そのためにまた、わたしはこのような苦しみを受けているが、それを恥としない。なぜなら、わたしは白分の信じてきたかたを知っており、またそのかたは、わたしにゆだねられているものを、かの日に至るまで守って下さることができると、確信しているからである。(JCV)

 

ローマ人への手紙14:8-9わたしたちは、生きるのも主のために生き、死ぬのも主のために死ぬ。だから、生きるにしても死ぬにしても、わたしたちは主のものなのである。

9なぜなら、キリストは、死者と生者との主となるために、死んで生き返られたからである。

(JCV)

 

ヨハネによる福音書10:28わたしは、彼らに永遠の命を与える。だから、彼らはいつまでも滅びることがなく、また、彼らをわたしの手から奪い去る者はない。 (JCV)

 

コリント人への第一の手紙3:22-23パウロも、アポロも、ケパも、世界も、生も、死も、現在のものも、将来のものも、ことごとく、あなたがたのものである。

23そして、あなたがたはキリストのもの、キリストは神のものである。(JCV)

 

コリント人への第一の手紙15:54-55この朽ちるべきものが朽ちないものを着、この死ぬべきものが死なないものを着るとき、次のように書かれている言葉が実現するのです。「死は勝利にのみ込まれた。

55死よ、お前の勝利はどこにあるのか。死よ、お前のとげはどこにあるのか。」(JNICV)

 

コリント人への第二の手紙5:4-8[塚本訳]それで、わたし達のこのテントにいる者は、重荷に呻いている。これを脱ぎたい(つまり死にたい)のではなく、(天の住いを)上に着たいからである。これは死ぬべきものが命に飲み込まれるためである。

5このことがわたし達に出来るようにされたお方は神であり、このお方がその手付けとして御霊を下さったのである。

6だから、わだし達はいつも心強くあり、また、この体に同居しているあいだは主から離れて別居していることを知っている、

7・・というのも(いま)わたし達は(主を)見ることによってではなく、信仰によって歩い

ているからである。・・

8それで、わたし達は心強くはあるけれども、むしろこの体を離れて別居し、主の所に同居したいと望んでいる。

 

エペソ人への手紙6:11-13悪魔の策略に対抗して立ちうるために、神の武具で身を固めなさい。

12わたしたちの戦いは、血肉に対するものではなく、もろもろの支配と、権威と、やみの世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである。

13それだから、悪しき目にあたって、よく抵抗し、完全に勝ち抜いて、堅く立ちうるために、神の武具を身につけなさい。(JCV)

 

 

 

ローマ人への手紙839

 

[口語訳]高いものも深いものも、その他どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのである。

 

[新改訳]高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。

 

[新共同訳]高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。

 

[文語訳]高きも深きも、此の他の造られたるものも、我らの主キリスト・イエスにある神の愛より、我らを離れしむるを得ざることを。

 

[塚本訳]高い所のものでも低い所のものでも、その他どんな創造物でも、わたし達の主キリスト・イエスによる神の愛から、わたし達を引き離すことはできない。

 

[前田訳]高きも低きも、そのほかいかなる被造物も、われらの主キリスト・イエスにある神の愛からわれらを離せないことを。

 

[解読の鍵]

エペソ人への手紙3:18-19すべての聖徒と共に、その広さ、長さ、高さ、深さを理解することができ、

19また人知をはるかに越えたキリストの愛を知って、神に満ちているもののすべてをもって、あなたがたが満たされるように、と祈る。 (JCV)

 

テサロニケ人への第二の手紙2:2-4霊により、あるいは言葉により、あるいはわたしたちから出たという手紙によって、主の日はすでにきたとふれまわる者があっても、すぐさま心を動かされたり、あわてたりしてはいけない。

3だれがどんな事をしても、それにだまされてはならない。まず背教のことが起り、不法の者、すなわち、滅びの子が現れるにちがいない。

4彼は、すべて神と呼ばれたり拝まれたりするものに反抗して立ち上がり、自ら神の宮に座して、自分は神だと宣言する。 (JCV)

 

歳言20:5-8思い計らいは人の心の中の深い水。英知ある人はそれをくみ出す。

6親友と呼ぶ相手は多いが、信用できる相手を誰が見いだせよう。

7主に従う人は完全な道を歩む。彼を継ぐ子らは幸い。

8裁きの座に就いている王は、その目でどのような悪をもふるい分ける。 (JNICV)

 

ヨハネの黙示録13:1-8わたしはまた、一匹の獣が海から上って来るのを見た。それには角が十本、頭が七つあり、それらの角には十の冠があって、頭には神を汚す名がついていた。

2わたしの見たこの獣はひょうに似ており、その足はくまの足のようで、その口はししの口のようであった。龍は自分のカと位と大いなる権威とを、この獣に与えた。

3その頭の一つが、死ぬほどの傷を受けたが、その致命的な傷もなおってしまった。そこで、全地の人々は驚きおそれて、その獣に従い、

4また、龍がその権威を獣に与えたので、人々は龍を拝み、さらに、その獣を拝んで言った、「だれが、この獣に匹敵し得ようか。だれが、これと戦うことができようか」。

5この獣には、また、大言を吐き汚しごとを語る口が与えられ、四十二か月のあいだ活動する権威が与えられた。

6そこで、彼は口を開いて神を汚し、神の御名と、その幕屋、すなわち、天に住む者たちとを汚した。

7そして彼は、聖徒に戦いをいどんでこれに勝つことを許され、さらに、すべての部族、民族、国語、国民を支配する権威を与えられた。

8地に住む者で、ほふられた小羊のいのちの書に、その名を世の初めからしるされていない者はみな、この獣を拝むであろう。 (JCV)

 

 

 

 

贖罪の福音の伝播は罪の赦しの実在によって可能になる

 

戦後すぐの話。戦時中に軍に接収されていた教会堂の神父が、戦争が終わったので

教会堂を返して欲しいと目本軍の憲兵に申し出た。するとその憲兵は「生意気な」と

言ってその神父を射殺した。教会は警察に訴えて犯人を逮捕するようにも考えたが、

それで死んだ神父が戻ってくるわけでもなし、聖書に「七度を七十倍赦せ」とあるか

ら、この際一切を赦して犯人の救いを祈り続けようと決議。それから何十年もしてそ

の教会(カトリック吉洋寺教会)に佐々木某という男が訪ねてきて「私があのときの

犯人です。どうしたらよいでしょうか」と言ってきたと言う。万歳。神は実在する。

教会の罪の赦しと忍耐の勝利。神父は一粒の麦となって一人の人物を救った(ヨハネ

12:24一粒の奏、地に落ちて死なずぱ、唯一つにて在らん、もし死なば、多くの果を結ぶぺし。")

福音は罪の赦しという歴史的に感知できる実在の行為で伝わる。このような「赦し」

の場面は各自が身の回りに目々起こり得る可能性を秘めている。職場で家庭で。福音

は罪の赦しの実在の行為で伝わる。ハルナヅクの「最初三世紀のキリスト教の伝播」

という名著は読んでいないが、多分福音伝播の主たる内因はこのような実在の事件を

通じての「罪の赦し」の実話ではないだろうか。福音の伝播は教義の確立でも説教で

も教会組織による支配でもない。罪人を義に屈服させることでもない。日本を義に目

覚めさせることではない。ましてや大所高所からの天下国家の批判でもない。

「地の果てまで福音を宣べ伝えよ」という場合の地の果てとはアフリカや東南アジ

アの未開発国でなく、今各人がそこに立っているその場所が地の果てなのだ。そこに

おいて、この生涯において、この身において罪の赦しの行為が実現するときに福音の

香りが放たれるのである。しかしその罪の赦しは人間の努力では実行できず、神の強

要でいやおうなしに無理やりにこの世のゴタゴタを通して実現させられる。生きてい

る間に負わされる悲しいことはすべて神の御計画である。200182高橋照男

 

 

表題・要約

 

イスラエルの選び(9:1-18)…新共同訳

 

9章教会の危難…バルト

連帯性(9:1-5)

神の義とイスラエルの間題91節一1136

(1)   使徒パウロの嘆き(9:1-5)…ケーゼマン

 

2部神の義とイスラエルの運命(9:1-11:36)…アルトハウスNTD

(1)   イスラエルを思うパウロの心の痛み(9:1-5)

 

全人類の救ひ91-1136…黒崎註解新約聖書

(1)救いは神の預定なり(9:1-26)

(イ)パウロの愛国心(9:1-5)

 

ユダヤ民族の顚落(9:1-29)…高橋三郎

 

3部イスラエル不信の問題…フランシスコ会訳

神の自由な選び(9:1-18)

 

救済の歴史としてのイスラエルの選び(9:1-13)…青野(岩波)

 

同胞ゆえの痛み(9:1-5)…前田訳

 

イスラエルの救い(9:1-11:36)(「信仰によって義とされるなら、イスラエルに対する

神の約束はどうなるのか」という問いに対して)…八木(講談杜)

パウロの悲しみ(9:1-5)

 

全人類の救済9章一11章…塚本註解

愛国者パウロ(9:1_5)

 

パウロの悩み一同胞イスラエノレ人の不信仰(9:1-5)・・塚本訳

 

3選びの逆説的現実(9:1-11:36)…ヴィルケンスEKK

1選びの矛盾に直面して行うイスラエノレのための執り成し(9:1-5)

 

同胞イスラエルに対するパウロの悲しみ(9:1-5)…白井きく

 

ユダヤ人の不信と人類の救い(1)(9:1-5)…内村鑑三

〃         (2)(9-10)

 

 

 

ローマ人への手紙91

 

[口語訳]わたしはキリストにあって真実を語る。偽りは言わない。わたしの良心も聖霊によって、わたしにこうあかしをしている。

 

[新改訳]私はキリストにあって真実を言い、偽りを言いません。次のことは、私の良心も、聖霊によってあかししています。

 

[新共同訳]わたしはキリストに結ばれた者として真実を語り、偽りは言わない。わたしの良心も聖霊によって証ししていることですが、

 

[文語訳]我キリストに在りて眞をいひ虚偽を言はず、

 

[塚本訳]私はキリストにある者として本当のことを言う、嘘はつかない。わたしの良心も聖霊によって、(それが本当であることを)保証してくれる。

 

[前田訳]わたしはキリストにあって真実をいい、うそはいいません。わが良心も聖霊によって証します。

 

[解読の鍵]

コリント人への第二の手紙11:31主イエスの父である神、永遠にほめたたえられるべき方は、わたしが偽りを言っていないことをご存じです。(JNICV)

 

ガラテヤ人への手紙1:18-20その後三年たってから、わたしはケパをたずねてエルサレムに上り、彼のもとに十五日間、滞在した。

19しかし、主の兄弟ヤコブ以外には、ほかのどの使徒にも会わなかった。

20ここに書いていることは、神のみまえで言うが、決して偽りではない。(JCV)

 

ピリピ人への手紙1:8[塚本訳]実際、神が私の(ために)証人になって下さるように、私は(いつも)キリスト・イエスの愛情をもって君達皆を慕っているのである。

 

テサロニケ人への第一の手紙2:5[塚本訳]君達が知っている通り、私達はかつて(一度も)お世辞を使ったこともなく、また口実を設けて食ったこともない・・(これについては)神が証人であり給う。

 

テモテヘの第一の手紙2:4-7神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます。

5神は唯一であり、神と人との間の仲介者も、人であるキリスト・イエスただおひとりなのです。

6この方はすべての人の贖いとして御自身を献げられました。これは定められた時になされた証しです。

7わたしは、その証しのために宣教者また使徒として、すなわち異邦人に信仰と真理を説く教師として任命されたのです。わたしは真実を語っており、偽りは言っていません。(JNICV)

 

ローマ人への手紙2:13-16律法を聞く者が神の前で正しいのではなく、これを実行する者が、義とされるからです。

14たとえ律法を持たない異邦人も、律法の命じるところを自然に行えば、律法を持たなくとも、自分自身が律法なのです。

15こういう人々は、律法の要求する事柄がその心に記されていることを示しています。彼らの良心もこれを証ししており、また心の思いも、互いに責めたり弁明し合って、同じことを示しています。

16そのことは、神が、わたしの福音の告げるとおり、人々の隠れた事柄をキリスト・イエスを通して裁かれる目に、明らかになるでしょう。(JNICV)

 

ローマ人への手紙8:15-16あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によってわたしたちは、「アッバ、父よ」と呼ぶのです。

16この霊こそは、わたしたちが神の子供であることを、わたしたちの霊と一緒になって証ししてくださいます。(JNICV)

 

コリント人への第二の手紙1:12-13わたしたちは世の中で、とりわけあなたがたに対して、人間の知恵によってではなく、神から受けた純真と誠実によって、神の恵みの下に行動してきました。このことは、良心も証しするところで、わたしたちの誇りです。

13わ たしたちは、あなたがたが読み、また理解できること以外何も書いていません。あなたがたは、わたしたちをある程度理解しているのですから、わたしたちの主 イエスの来られる日に、わたしたちにとってもあなたがたが誇りであるように、あなたがたにとってもわたしたちが誇りであることを、十分に理解してもらいた い。(JNICV)

 

 

 

ローマ人への手紙92

 

[口語訳]すなわち、わたしに大きな悲しみがあり、わたしの心に絶えざる痛みがある。

 

[新改訳]私には大きな悲しみがあり、私の心には絶えず痛みがあります。

 

[新共同訳]わたしには深い悲しみがあり、わたしの心には絶え間なレ痛みがあります。

 

[文語訳]我に大いなる憂あることと心に絶えざる痛あることを、我が良心も聖靈によりて明證す。

 

[塚本訳](わたしが急にこんなことを言い出したら信じてくれないかも知れないが、)わたしに大きな悲しみと、心に絶えざる痛みとがあるのである。

[前田訳]それはわが心に大きな悲しみと絶えぬ痛みがあることです。

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙10:1[塚本訳]兄弟たちよ、彼ら[イスラエル人]が救われること、これがわたしの切なる望み、また彼らのための神への願いである。

 

詩篇119:135-139御顔の光をあなたの僕の上に輝かせてください。あなたの掟を教えてください。

136わたしの目は川のように涙を流しています。人々があなたの律法を守らないからです。

137主よ、あなたは正しく、あなたの裁きはまっすぐです。

138あなたは定めを与えられました。それはまことに正しく確かな定めです。

139わたしの熱情はわたしを滅ぼすほどです、敵があなたの御言葉を忘れ去ったからです。(JNICV)

 

エレミヤ書8:23-9:2わたしの頭が大水の源となり、わたしの目が涙の源となれぱよいのに。そうすれば、昼も夜もわたしは泣こう、娘なるわが民の倒れた者のために。

1荒れ野に旅人の宿を見いだせるものなら、わたしはこの民を捨て、彼らを離れ去るであろう。すべて、姦淫する者であり、裏切る者の集まりだ。

2彼らは舌を弓のように引き絞り、真実ではなく偽りをもってこの地にはびこる。彼らは悪から悪へと進み、わたしを知ろうとしない、と主は言われる。(JNICV)

 

エレミヤ書13:15-17聞け、耳を傾けよ、高ぶってはならない。主が語られる。

16あなたたちの神、主に栄光を帰せよ、闇が襲わぬうちに、足が夕闇の山でつまずかぬうちに。光

を望んでも、主はそれを死の陰とし、暗黒に変えられる。

17あなたたちが聞かなければ、わたしの魂は隠机た所でその傲慢に泣く。涙が溢れ、わたしの印ユ

涙を流す。主の群れが捕らえられて行くからだ。(JNICV)

 

哀歌1:12-13「すべて道行く人よ、あなたがたはなんとも思わないのか。主がその激しい怒りの目

にわたしを悩まして、わたしにくだされた苦しみのような苦しみが、また世にあるだろうか、尋ねて見よ。13主は上から火を送り、それをわが骨にくだし、網を張ってわが足を捕え、わたしを引き返させ、ひねもす心わびしく、かつ病み衰えさせられた。(JCV)

 

哀歌3:48-51わが民の娘の滅びによって、わたしの目には涙の川が流れています。

49わが目は絶えず涙を注ぎ出して、やむことなく、50主が天から見おろして、顧みられる時にまで及ぶでしょう。51わが目はわが町のすべての娘の最期のゆえに、わたしを痛ませます。(JCV)

 

エゼキエル書9:4-11主は彼に言われた。「都の中、エルサレムの中を巡り、その中で行われているあらゆる忌まわしいことのゆえに、嘆き悲しんでいる者の額に印を付けよ。」

5また、他の者たちに言っておられるのが、わたしの耳に入った。「彼の後ろについて都の中を巡れ、打て。慈しみの目を注いではならない。憐れみをかけてはならない。

6老人も若者も、おとめも子供も人妻も殺して、滅ぼし尽くさなければならない。しかし、あの印のある者に近づいてはならない。さあ、わたしの神殿から初めよ。」彼らは、神殿の前にいた長老たちから始めた。(JNICV)

 

ルカによる福音書19:41-44エルサレムに近づき、都が見えたとき、イエスはその都のために泣いて、

42言われた。「もしこの目に、お前も平和への道をわきまえていたなら……。しかし今は、それがお前には見えない。

43やがて時が来て、敵が周りに堡塁を築き、お前を取り巻いて四方から攻め寄せ、

44お前とそこにいるお前の子らを地にたたきつけ、お前の中の石を残らず崩してしまうだろう。それは、神の訪れてくださる時をわきまえなかったからである。」(JNICV)

 

ピリピ人への手紙3:17-20兄弟たち、皆一緒にわたしに倣う者となりなさい。また、あなたがたと同じように、わたしたちを模範として歩んでいる人々に目を向けなさい。

18何度も言ってきたし、今また涙ながらに言いますが、キリストの十字架に敵対して歩んでいる者が多いのです。

19彼らの行き着くところは滅びです。彼らは腹を神とし、恥ずべきものを誇りとし、この世のことしか考えていません。

20しかし、わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。(JNICV)

 

 

 

ローマ人への手紙93

 [口語訳]実際、わたしの兄弟、肉による同族のためなら、わたしのこの身がのろわれて、キリストから離されてもいとわない。

 

[新改訳]もしできることなら、私の同胞、肉による同国人のために、この私がキリストから引き離されて、のろわれた者となることさえ願いたいのです。

 

[新共同訳]わたし自身、兄弟たち、つまり肉による同胞のためならぱ、キリストから離され、神から見捨てられた者となってもよいとさえ思っています。

 

[文語訳]もし我が兄弟わが骨肉の爲にならんには、我みづから詛はれてキリストに棄てらるるも亦ねがふ所なり。

 

[塚本訳]ほんとうに、兄弟すなわち血を分けた同胞の(救われる)ためならぱ、このわたしは呪われて、救世主(の救い)から離れ落ちてもよいと、幾たび(神に)願ったことであろう。

 

[前田訳]肉にある同族の兄弟たちのためならば、わたし自身は呪われてキリストから離れても、と祈りつづけました。

 

 [解読の鍵]

出エジプト記32:30-35あくる目、モーセは民に言った、「あなたがたは大いなる罪を犯した。それで今、わたしは主のもとに上って行く。あなたがたの罪を償うことが、できるかも知れない」。

31モーセは主のもとに帰って、そして言った、「ああ、この民は大いなる罪を犯し、自分のために金の神を造りました。

32今もしあなたが、彼らの罪をゆるされますならば・・。しかし、もしかなわなければ、どうぞあなたが書きしるされたふみから、わたしの名を消し去ってください」。

33主はモーセに言われた、「すべてわたしに罪を犯した者は、これをわたしのふみから消し去るであろう。

34しかし、今あなたは行って、わたしがあなたに告げたところに民を導きなさい。見よ、わたしの使はあなたに先立って行くであろう。ただし刑罰の日に、わたしは彼らの罪を罰するであろう」。

35そして主は民を撃たれた。彼らが子牛を造ったからである。それはアロンが造ったのである。 (JCV)

 

ヨシュア記6:17この町と、その中のすべてのものは、主への奉納物として滅ぼされなければならない。ただし遊女ラハブと、その家に共におる者はみな生かしておかなけれぱならない。われわれが送った使者たちをかくまったからである。 (JCV)

 

ガラテヤ人への手紙1:8[塚本訳]しかし、わたし達自身でも、あるいは天の使でも、わたし達が伝えた福音に反する福音を伝えるならぱ、その人は呪われよ。

 

ガラテヤ人への手紙3:10-11いったい、律法の行いによる者は、皆のろいの下にある「律法の書に書いてあるいっさいのことを守らず、これを行わない者は、皆のろわれる」と書いてあるからである。

11そこで、律法によっては、神のみまえに義とされる者はひとりもないことが、明らかである。なぜなら、「信仰による義人は生きる」からである。(JCV)

 

ローマ人への手紙11:1[塚本訳]それで、わたしは考える、"神は御自分の民をお捨てになった"のではあるまいかと。もちろん、そうではない。その証処には、こう言うわたしもイスラエル人であり、アブラハムの子孫の出、ベニヤミン族の者であるの(に、キリストを信じているの)だから。

 

エステル記8:4-6王が金の笏を差し伸べたので、エステルは身を起こし、.王の前に立って、

5言っ た。「もしお心に適い、特別の御配慮をいただき、また王にも適切なことと思われ、私にも御目をかけてくださいますなら、アガグ人ハメダタの子ハマンの考え 出した文書の取り消しを書かせていただきとうございます。ハマンは国中のユダヤ人を皆殺しにしようとしてあの文書を作りました。

6私は自分の民族にふりかかる不幸を見るに忍びず、また同族の滅亡を見るに忍びないのでございます。」(JNICV)

 

 

 

ローマ人への手紙94

                           

[口語訳]彼らはイスラエル人であって、子たる身分を授けられることも、栄光も、もろもろの契約も、律法を授けられることも、礼拝も、数々の約束も彼らのもの、

 

[新改訳]彼らはイスラエル人です。子とされることも、栄光も、契約も、律法を与えられることも、礼拝も、約束も彼らのものです。

 

[新共同訳]彼らはイスラエルの民です。神の子としての身分、栄光、契約、律法、礼拝、約束は彼らのものです。

 

[文語訳]彼等はイスラエル人にして、彼らには神の子とせられたることと、榮光と、もろもろの契約と、授けられたる律法と、禮拝と、もろもろの約束とあり。

 

[塚本訳](言うまでもなく、)それはイスラエル人のことである。(彼らは神の)子たる身分(

与えられ、神の)栄光(はその中に住み、)かずかずの契約(は神との間に結ぱれ、比類のない)

律法、(荘厳な)礼拝、多くの(恩恵の)約束は、(ことごとく)彼らのものである。

 

[前田訳]彼らはイスラエル人です。(神の)子の資格、栄光、契約、律法、礼拝、約束は彼らのものです。

 

[解読の鍵]

申命記7:6-10あなたはあなたの神、主の聖なる民である。あなたの神、主は地のおもてのすべての民のうちからあなたを選んで、自分の宝の民とされた。

7主があなたがたを愛し、あなたがたを選ぱれたのは、あなたがたがどの国民よりも数が多かったからではない。あなたがたはよろずの民のうち、もっとも数の少ないものであった。

8ただ主があなたがたを愛し、またあなたがたの先祖に誓われた誓いを守ろうとして、主は強い手をもってあなたがたを導き出し、奴隷の家から、エジプトの王パロの手から、あがない出されたのである。

9それゆえあなたは知らなけれぱならない。あなたの神、主は神にましまし、真実の神にましまして、彼を愛し、その命令を守る者には、契約を守り、恵みを施して千代に及び、

10また彼を憎む者には、めいめいに報いて滅ぼされることを。主は自分を憎む者には猶予することなく、めいめいに報いられる。 (JCV)

 

イザヤ書41:8-9わたしの僕イスラエルよ。わたしの選んだヤコブよ。わたしの愛する友アブラハムの末よ。

9わたしはあなたを固くとらえ、地の果て、その隅々から呼び出して言った。あなたはわたしの僕、わたしはあなたを選び決して見捨てない。 (JNICV)

 

イザヤ書46:3-4ヤコブの家よ、イスラエルの家の残ったすべての者よ、生れ出た時から、わたしに負われ、胎を出た時から、わたしに持ち運ぱれた者よ、わたしに聞け。

4わたしはあなたがたの年老いるまで変らず、白髪となるまで、あなたがたを持ち運ぶ。わたしは造ったゆえ、必ず負い、持ち運び、かつ救う。(JCV)

 

出エジプト記4:22あなたはパロに言いなさい、『主はこう仰せられる。イスラエルはわたしの子、わたしの長子である。(JCV)

 

ホセア書11:1-10わたしはイスラエルの幼い時、これを愛した。わたしはわが子をエジプトから呼び出した。

2わたしが呼ばわるにしたがって、彼らはいよいよわたしから遠ざかり、もろもろのバアルに犠牲をささげ、刻んだ像に香をたいた。(JVC)

 

 

 

ローマ人への手紙95

 

[口語訳]また父祖たちも彼らのものであり、肉によれぱキリストもまた彼らから出られたのである。万物の上にいます神は、永遠にほむべきかな、アァメン。

 

[新改訳]先祖たちも彼らのものです。またキリストも、人としては彼らから出られたのです。このキリストは万物の上にあり、とこしえにほめたたえられる神です。アーメン。

 

[新共同訳]先祖たちも彼らのものであり、肉によれぱキリストも彼らから出られたのです。キリストは、万物の上におられる、永遠にほめたたえられる神、アーメン。

 

[文語訳]先祖たちも彼等のものなり、肉によれぱ、キリストも彼等より出で給ひたり。キリストは萬物の上にあり、永遠に讃むべき神なり、アァメン。

 

[塚本訳](また、アブラハム、イサク、ヤコブなどの偉大な)祖先たちは彼らのものであり、救世主も人間としては彼らから出られたのである。一切のものの上におられる神なる彼は、永遠に賛美すべきである、アーメン。

 

[前田訳]父祖たちは彼らのもの、肉によればキリストも彼らの出です。彼は万物の上にいます神としてとこしえに讃むべきです。アーメン。

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙11:28[塚本訳] (思えば不思議な神の計画である。)彼らは、福音の点から言えぱ、あなた達(の救い)のために(福音をしりぞけて神の)敵になっており、(神の)選びの点から言えば、先祖たち(に対する契約)のお蔭で(今もなお神に)愛される者である。

 

ロ一マ人への手紙1:3-4[塚本訳]その御子、すなわち、人間としてはダビデの末から生まれ、

04聖なる霊としては死人の中から復活して力ある神の子と定められた方、わたし達の主イエス・キリストに関するものである。

 

イザヤ書11:1エッサイの株から一つの芽が出、その根から一っの若枝が生えて実を結び、(JCV)

 

マタイによる福音書1:1アブラハムの子であるダビデの子、イエス・キリストの系図。(JCV)

 

ルカによる福音書3:23[塚本訳]このイエスは(伝道を)始められたとき、三十歳ぱかりであった。 (聖霊による子であったが、)世間ではヨセフの子と思われていた。ヨセフはヘリの子、

 

テモテヘの第二の手紙2:8ダビデの子孫として生れ、死人のうちからよみがえったイエス・キリストを、いつも思っていなさい。これがわたしの福音である。(JCV)

 

ヨハネの黙示録22:16わたしイエスは、使をつかわして、諸教会のために、これらのことをあなたがたにあかしした。わたしは、ダビデの若枝また子孫であり、輝く明けの明星である」。(JCV)

 

ローマ人への手紙10:11-12聖書は、「すべて彼を信じる者は、失望に終ることがない」と言っている。

12ユダヤ人とギリシヤ人との差別はない。同一の主が万民の主であって、彼を呼び求めるすべての人を豊かに恵んで下さるからである。 (JCV)

 

イザヤ書9:5-6ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、「驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君」と唱えられる。

6ダビデの王座とその王国に権威は増し、平和は絶えることがない。王国は正義と恵みの業によって、今もそしてとこしえに、立てられ支えられる。万軍の主の熱意がこれを成し遂げる。(JNICV)

 

 

 

復活の家

人間はみな家を求める。物理的な家屋(ハウス)や、中味としての結婚による家庭(

ーム)も、その目的は心が落ち着くところ、安らぐところを求めているのである。し

かし家屋(ハウス)を得ても結婚して家庭(ホーム)を得ても真の満足は得られない。

聖書で家の概念には、物理的家屋の他に、神の胸に安らい憩うという思想がある。イ

エスは自分のことを神殿と言った。人間は神の胸に憩う時に真の家に住むことになる。

 

ヨハネによる福音書2:19-22イエスは彼らに答えて言われた「この神殿をこわし

たら、わたしは三目のうちに、それを起すであろう」。

20そこで、ユダヤ人たちは言った、「この神殿を建てるのには、四十六年もかかっ

ています。それだのに、あなたは三目のうちに、それを建てるのですか。

21イエスは自分のからだである神殿のことを言われたのである。

22それで、イエスが死人の中からよみがえったとき、弟子たちはイエスがこう言

われたことを思い出して、聖書とイエスのこの言葉とを信じた。(JCV)

 

マタイによる福音書26:6061そこで多くの偽証者が出てきたが、証拠があがらなか

った。しかし、最後にふたりの者が出てきて、

61言った、「この人は、わたしは神の宮を打ちこわし、三目の後に建てることができ

る、と言いました」。(JCV)

 

タイによる福音書27:40言った、「神殿を打ちこわして三目のうちに建てる者よ。

もし神の子なら、自分を救え。そして十字架からおりてこい」。(JCV)

 

マルコによる福音書14:58「わたしたちはこの人が『わたしは手で造ったこの神殿を

打ちこわし、三目の後に手で造られない別の神殿を建てるのだ』と言うのを聞きまし

た。(JCV)

 

マルコによる福音書8:31それから、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司

長、律法学者たちに捨てられ、また殺され、そして三目の後によみがえるべきことを、

彼らに教えはじめ、

 

使徒行伝2:32[塚本訳]神は(救世主である)このイエスを(預言どおりに)復活させ

られました。わたし達は皆このことの証人です。(イエスの復活を目の当り見たのだか

ち。)

 

ローマ人への手紙8:11[塚本訳]しかしイエスを死人の中から復活させたお方の御霊が

あなた達の中に住んでおられるなら、キリスト・イエスを死人の中から復活させたそ

のお方は、あなた達の中に住んでおられるその御霊によって、あなた達の死ぬべき体

をも生かしてくださるであろう。

 

コリント人への第一の手紙15:3-4わたしが最も大事なこととレてあなたがたに伝え

たのは、わたし自身も受けたことであった。すなわちキリストが、聖書に書いてある

とおり、わたしたちの罪のために死んだこと、

4そして葬られたこと、聖書に書いておるとおり、三目則こよみがえったこと、(JCV)

 

ペテロの第一の手紙3:18キリストも、罪のためにただ一度苦しまれました。正しい

方が、正しくない者たちのために苦しまれたのです。あなたがたを神のもとへ導くた

めです。キリストは、肉では死に渡されましたが、霊では生きる者とされたのです。

(JNICV)

2001.8.5高橋照男

 

 

 

表題・要約

イスラエルの選び(9:1-18)…新共同訳

 

9章教会の危難…バルト

ヤコブの神(9:6-13)

 

神の義とイスラエルの問題91節一1136節…ケーゼマン

(2)   神的選びの権能と暫定的目標(9:6-29)

 

2部神の義とイスラエルの運命(9:1-11:36)…アルトハウスNTD

(2)神の自由の前に沈黙させられる人間の言い分(9:6-29)

aイスラエルヘの約束は、肉でつらなるイスラエノレのものではなくて、神の選びにあずかった霊のイスラエルのものである(9:6-13)

 

全人類の救ひ91-1136…黒崎註解新約聖書

(1)救いは神の預定なり(9:1-26)

()約束の子のみ真のイスラエルなり(9:6-13)

 

ユダヤ民族の顚落(9:1-29)…高橋三郎

 

3部イスラエル不信の問題…フランシスコ会訳

神の自由な選び(9:1-18)

 

救済の歴史としてのイスラエルの選び(9:1-13)…青野(岩波)

 

約束の子(9:6-13)…前田訳

 

イスラエルの救い(9:1-11:36)(「信仰によって義とされるなら、イスラエルに対する

神の約束はどうなるのか」という問いに対して)…八木(講談杜)

神の自由な選び(9:6-29)

全人類の救済9章一11章…塚本註解

神の独裁(9:6-13)

 

神の言葉が反故になったものではない(9:6-13)・・塚本訳

 

3選びの逆説的現実(9:1-11:36)…ヴィルケンスEKK

2人間には依存しなレ榊の義の存続(96-29)

a選抜としての選び(9:6-13)

 

選びと排斥(9:6-13)…白井きく

 

ユダヤ人の不信と人類の救い(2)(9-10章の大意)…内村鑑三

 

 

 

ローマ人への手紙96

 

 [口語訳]しかし、神の言が無効になったというわけではない。なぜなら、イスラエルから出た者が全部イスラエルなのではなく、

 

[新改訳]しかし、神のみことばが無効になったわけではありません。なぜなら、イスラエルから出る者がみな、イスラエルなのではなく、

 

[新共同訳]ところで、神の言葉は決して効力を失ったわけではありません。イスラエルから出た者が皆、イスラエル人ということにはならず、

 

[文語訳]それ神の言は廢りたるに非ず、イスラエルより出づる者みなイスラエルなるに非ず、

 

[塚本訳](ところがイスラエル人は、この約束の成就であるイエス・キリストを十宇架につけて殺してしまった。)しかしこれは、神の(約束の)言葉が反故になったなどというのでは決してない。なぜなら、(祖先)イスラエル[ヤコブ]から出た者が皆、イスラエル人だという訳ではないからである。

 

[前田訳]しかし神のことばが廃ったわけではありません。イスラエルの出が皆イスラエル人ではなく、

,

[解読の鍵]

ローマ人への手紙3:3[新改訳]では、いったいどうなのですか。彼らのうちに不真実な者があったら、その不真実によって、神の真実が無に帰することになるでしょうか。

 

ローマ人への手紙11:1-2[塚本訳]それで、わたしは考える、''神は御自分の民をお捨てになった"のではあるまいかと。もちろん、そうではない。その証拠には、こう言うわたしもイスラエル人であり、アブラハムの子孫の出、ベニヤミン族の者であるの(に、キリストを信じているの)だから。

"02〔塚本訳]“神は"あらかじめ選んだ''御自分の民をお捨てにならなかった"(と書いてある。)

それともあなた達は、聖書がエリヤの(ことを記した)所で何と言って

 

民数記23:19神は人のように偽ることはなく、また人の子のように悔いることもない。言ったことで、行わないことがあろうか。語ったことで、しとげないことがあろうか。(JCV)

 

イザヤ書55:11そのように、わたしの口から出るわたしの言葉もむなしくは、わたしのもとに戻らない。それはわたしの望むことを成し遂げ、わたしが与えた使命を必ず果たす。(JNICV)

 

マタイによる福音書24:35天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」(JNICV)

 

テモテヘの第二の手紙2:13たとい、わたしたちは不真実であっても、彼は常に真実である。彼は自分を偽ることが、できないのである。」(JCV)

 

ヘブル人への手紙6:17-18神は約束されたものを受け継ぐ人々に、御自分の計画が変わらないものであることを、いっそうはっきり示したいと考え、それを誓いによって保証なさったのです。

18それは、目指す希望を持ち続けようとして世を逃れて来たわたしたちが、二つの不変の事柄によって力強く励まされるためです。この事柄に関して、神が偽ることはありえません。(JNICV)

 

ローマ人への手紙2:28-29外見上のユダヤ人がユダヤ人ではなく、また、肉に施された外見上の割礼が割礼ではありません。

29内面がユダヤ人である者こそユダヤ人であり、文字ではなく""によって心に施された割礼こそ割礼なのです。その誉れは人からではなく、神から来るのです。(JNICV)

 

ローマ人への手紙4:16

従って、信仰によってこそ世界を受け継ぐ者となるのです。恵みによって、アブラハムのすべての子孫、つまり、単に律法に頼る者だけでなく、彼の信仰に従う者も、確実に約束にあずかれるのです。彼はわたしたちすべての父です。(JNICV)

 

 

 

ロ一マ人への手紙97

 

 [口語訳]また、アブラハムの子孫だからといって、その全部が子であるのではないからである。かえって「イサクから出る者が、あなたの子孫と呼ぱれるであろう」。

 

[新改訳]アブラハムから出たからといって、すべてが子どもなのではなく、「イサクから出る者があなたの子孫と呼ばれる。」のだからです。

 

[新共同訳]また、アブラハムの子孫だからといって、皆がその子供ということにはならない。かえって、「イサクから生まれる者が、あなたの子孫と呼ばれる。」

 

[文語訳]また彼等はアブラハムの裔なれぱとて皆その子たるに非ず『イサクより出づる者は、汝裔と稱へらるべし』とあり。

 

[塚本訳]またアブラハムの子孫だからとて、それが皆その子供とはかぎらない。(その証拠には、神は女奴隷ハガルとの間のイシマエルを正当の子とみなさず、“正妻サラとの問の約束の子)イサクから生まれる者が、あなたの子孫となるべきである"(仰せられたと聖書に)ある。

 

[前田訳]アブラハムの末が皆その子どもではありません。「あなたの末として召されるのはイサクの家系です」。

 

[解読の鍵]

ルカによる福音書[塚本訳] (ほんとうに悔改めたのか。)それなら(洗礼を受けるだけでなく、)悔改めにふさわしい実を結べ。『われわれの先祖はアブラハムである(から大丈夫だ)』などという考えを起してはならない。わたしは言う、神はそこらの石ころからでも、アブラハムの子供を造ることがお出来になるのだ。

 

ルカによる福音書16:24-25そこで声をあげて言った、『父、アブラハムよ、わたしをあわれんでください。ラザロをおつかわしになって、その指先を水でぬらし、わたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの火炎の中で苦しみもだえています』。

25アブラハムが言った、『子よ、思い出すがよい。あなたは生前よいものを受け、ラザロの方は悪いものを受けた。しかし今ここでは、彼は慰められ、あなたは苦しみもだえている。

(JCV)

 

ヨハネによる福音書8:37-39わたしは、あなたがたがアブラハムの子孫であることを知っている。それだのに、あなたがたはわたしを殺そうとしている。わたしの言葉が、あなたがたのうちに根をおろしていないからである。

38わたしはわたしの父のもとで見たことを語っているが、あなたがたは自分の父から聞いたことを行っている」。

39彼らはイエスに答えて言った、「わたしたちの父はアブラハムである」。イエスは彼らに言われた、「もしアブラハムの子であるなら、アブラハムのわざをするがよい。 (JCV)

 

ピリピ人への手紙3:3[塚本訳] (割礼は無いが、)私達こそ本当の割礼者である。(その証処には、)私達は神の霊によって神に仕え、(ただ)キリスト・イエスを誇りとし、(決して)肉に、(人間の特権に)頼らないからだ・・

 

創世記21:12-13神はアブラハムに言われた、「あのわらべのため、またあなたのはしためのために心配することはない。サラがあなたに言うことはすべて聞きいれなさい。イサクに生れる者が、あなたの子孫と唱えられるからです。

13しかし、はしための子もあなたの子ですから、これをも、一つの国民とします」。(JCV)

 

ヘブル人への手紙11:17-19信仰によって、アブラハムは、試練を受けたとき、イサクをささげた。すなわち、約束を受けていた彼が、そのひとり子をささげたのである。

18この子については、「イサクから出る者が、あなたの子孫と呼ぱれるであろう」と言われていたのであった。

19彼は、神が死人の中から人をよみがえらせる力がある、と信じていたのである。だから彼は、いわば、イサクを生きかえして渡されたわけである。 (JCV)

 

ルカによる福音書1630-31金持が言った、『いえいえ、父アブラハムよ、もし死人の申からだれかが兄弟たちのところへ行ってくれましたら、彼らは悔い改めるでしょう』。

31アブラハムは言った、『もし彼らがモーセと預言者とに耳を傾けないなら、死人の中からよみがえってくる者があっても、彼らはその勧めを聞き入れはしないであろう』」。(JCV)

 

 

 

ローマ人への手紙98

 

 [口語訳]すなわち、肉の子がそのまま神の子なのではなく、むしろ約束の子が子孫として認められるのである。

 

[新改訳]すなわち、肉の子どもがそのまま神の子どもではなく、約束の子どもが子孫とみなされるのです。

 

[新共同訳]すなわち、肉による子供が神の子供なのではなく、約束に従って生まれる子供が、子孫と見なされるのです。

 

[文語訳]即ち肉の子らは神の子にあらず、ただ約束の子等のみ其の裔と認めらるるなり。

 

[塚本訳]すなわち、(アブラハムの)血筋を引く子供が、当然に(彼の子孫として約束にあずかる)神の子供ではなく、約束の(言葉によって生まれた)子供(だけ)が、(彼の)子孫と見なされるのである。

 

[前田訳]すなわち肉の子どもが神の子どもではなく、約束の子どもが末と認められます。

 

 [解読の鍵]

ローマ人への手紙4:11-16そして、アブラハムは割礼というしるしを受けたが、それは、無割礼のままで信仰によって受けた義の証印であって、彼が、無割礼のままで信じて義とされるに至るすべての人の父となり、

12かつ、割礼の者の父となるためなのである。割礼の者というのは、割礼を受けた者ばかりではなく、われらの父アブラハムが無割礼の時に持っていた信仰の足跡を踏む人々

をもさすのである。

13なぜなら、世界を相続させるとの約束が、アブラハムとその子孫とに対してなされたのは、律法によるのではなく、信仰の義によるからである。

14もし、律法に立つ人々が相続人であるとすれば、信仰はむなしくなり、約束もまた無効になってしまう。

15いったい、律法は怒りを招くものであって、律法のないところには違反なるものはな

い。

16このようなわけで、すべては信仰によるのである。それは恵みによるのであって、すべての子孫に、すなわち、律法に立つ者だけにではなく、アブラハムの信仰に従う者にも、この約束が保証されるのである。アブラハムは、神の前で、わたしたちのすべての者の父であって、(JCV)

 

ガラテヤ人への手紙4:22-31そのしるすところによると、アブラハムにふたりの子があったが、ひとりは女奴隷から、ひとりは自由の女から生れた。

23女奴隷の子は肉によって生れたのであり、自由の女の子は約束によって生れたのであった。

24さて、この物語は比峨としてみられる。すなわち、この女たちは二つの契約をさす。そのひとりはシナイ山から出て、奴隷となる者を産む。ハガルがそれである。

25ハガルといえば、アラビヤではシナイ山のことで、今のエルサレムに当る。

なぜなら、それは子たちと共に、奴隷となっているからである。

26しかし、上なるエルサレムは、自由の女であって、わたしたちの母をさす。

27すなわち、こう書いてある。「喜べ、不妊の女よ。声をあげて喜べ、産みの苦しみを知らない女よ。ひとり者となっている女は多くの子を産み、その数は、夫ある女の子らよりも多い」。

28兄弟たちよ。あなたがたは、イサクのように、約束の子である。

29しかし、その当時、肉によって生れた者が、霊によって生れた者を迫害したように、

今でも同様である。

30しかし、聖書はなんと言っているか。「女奴隷とその子とを追い出せ。女奴隷の子は、自由の女の子と共に相続をしてはならない」とある。

31だから、兄弟たちよ。わたしたちは女奴隷の子ではなく、自由の女の子なのである。(JCV)

 

ヨハネによる福音書1:13[塚本訳]この人たちは、人間の血や、肉の欲望や、男の欲望によらず、神(の力)によって生まれたのである。

 

ガラテヤ人への手紙3:28-29もはや、ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もない。あなたがたは皆、キリスト・イエスにあって一つだからである。

29もしキリストのものであるなら、あなたがたはアブラハムの子孫であり、約束による相続人なのである。(JCV)

 

ガラテヤ人への手紙4:27-28[塚本訳]というのは、(聖書に)こう書いてある。・・“喜べ、産ま

ぬ石女よ、歓呼せよ、さけべよ、産みの苦しみせぬ者。そは孤独なる女の子は多いからである、夫をもつ女の子よりも。

28兄弟たちよ、(今のエルサレムに属しない)あなた達は(、ハガルの子ではなくして、サラの子)イサクと同じく、約束の(言葉によって生まれた)子である。

 

 

 

ローマ人への手紙99

 

 [口語訳]約束の言葉はこうである。「来年の今ごろ、わたしはまた来る。そして、サラに男子が与えられるであろう」。

 

[新改訳]約束のみことぱはこうです。「私は来年の今ごろ来ます。そして、サラは男の子を産みます。」

 

[新共同訳]約束の言葉は、「来年の今ごろに、わたしは来る。そして、サラには男の子が生まれる」というものでした。

 

[文語訳]約束の御言は是なり、日く『時ふたたび巡り來たらば、我きたりてサラに男子あらん』と。

 

[塚本訳]なぜなら、(イサクが生まれるについては、)次のような約束の言葉があるから。(“来

年の)今ごろわたしは(また)来る。するとサラに息子ができる。"(こうしてイサクが生まれな

い前に、神は彼をアブラハムの正当の子孫と見なすことを約束された。)

 

[前田訳]約束のことぱは、「この季節にまた来ましょう、そしてサラに息子ができるでしょう」です。

 

[解読の鍵]

創世記17:19-22神は言われた。「いや、あなたのしはまた彼と契約を立て、彼の子孫のために永遠の契約とする。

20イシュマエルについての願いも聞き入れよう。必ず、わたしは彼を祝福し、大いに子供を増やし繁栄させる。彼は十二人の首長の父となろう。わたしは彼を大いなる国民とする。

21しかし、わたしの契約は、来年の今ごろ、サラがあなたとの間に産む・イサクと立てる。」

22神はこう語り終えると、アブラハムを離れて昇って行かれた。(JNICV)

 

創世記18:10-19彼らの一人が言った。「わたしは来年の今ごろ、必ずここにまた来ますが、そのころには、あなたの妻のサラに男の子が生まれているでしょう。」サラは、すぐ後ろの天幕の入口で聞いていた。

11アブラハムもサラも多くの目を重ねて老人になっており、しかもサラは月のものがとうになくなつていた。

12サラはひそかに笑った。自分は年をとり、もはや楽しみがあるはずもなし、主人も年老いているのに、と思ったのである。

13主はアブラハムに言われた。「なぜサラは笑ったのか。なぜ年をとった自分に子供が生まれるはずがないと思ったのだ。

14主に不可能なことがあろうか。来年の今ごろ、わたしはここに戻ってくる。そのころ、サラには必ず男の子が生まれている。」

15サラは恐ろしくなり、打ち消して言った。「わたしは笑いませんでした。」主は言われた。「いや、あなたは確かに笑った。」

16その人たちはそこを立って、ソドムを見下ろす所まで来た。アブラハムも、彼らを見送るために一緒に行つた。

17主は言われた。「わたしが行おうとしていることをアブラハムに隠す必要があろうか。

18アブラハムは大きな強い国民になり、世界のすべての国民は彼によって祝福に入る。

19わたしがアブラハムを選んだのは、彼が息子たちとその子孫に、主の道を守り、主に従って正義を行うよう命じて、主がアブラハムに約束したことを成就するためである。」(JNICV)

 

創世記21:2-4彼女は身ごもり、年老いたアブラハムとの間に男の子を産んだ。それは、神が約束されていた時期であった。

3アブラハムは、サラが産んだ自分の子をイサクと名付け、

4神が命じられたとおり、八目目に、息子イサクに割礼を施した。(JNICV)

 

ヘブル人への手紙11:11-12信仰によって、不妊の女サラ自身も、年齢が盛りを過ぎていたのに子をもうける力を得ました。約束をなさった方は真実な方であると、信じていたからです。

12それで、死んだも同様の一人の人から空の星のように、また海辺の数えきれない砂のように、多くの子孫が生まれたのです。(JNICV)

 

ヘブル人への手紙11:17-19信仰によって、アブラハムは、試練を受けたとき、イサクを献げました。つまり、約束を受けていた者が、独り子を献げようとしたのです。

18この独り子については、「イサクから生まれる者が、あなたの子孫と呼ばれる」と言われていました。

19アブラハムは、神が人を死者の中から生き返らせることもおできになると信じたのです。それで

彼は、イサクを返してもらいましたが、それは死者中から返してもらったも同然です。(JNICV)

 

 

 

ローマ人への手紙910

 [口語訳]そればかりではなく、ひとりの人、すなわち、わたしたちの父祖イサクによって受胎したリベカの場合も、また同様である。

 

[新改訳]このことだけでなく、私たちの先祖イサクひとりによってみごもったリベカのこともあります。

 

[新共同訳]それだけではなく、リベカが、一人の人、つまりわたしたちの父イサクによって身ごもった場合にも、同じことが言えます。

 

[文語訳]然のみならず、レベカも我らの先祖イサクー人によりて孕りたる時、

 

[塚本訳]そればかりではない。(一人の女)リベカが、一人の男すなわちわたし達の祖先イサクによって孕んだ場合も、その一例である。

 

[前田訳]そればかりでなく、リベカもそうで、ひとりの男、すなわちわれらの先祖のイサクによって身ごもりました。

 

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[解読の鍵]

創世記25:21- 23イサクは妻が子を産まなかったので、妻のために主に祈り願った。主はその願いを聞かれ、妻リベカはみごもった。

22ところがその子らが胎内で押し合ったので、リベカは言った。「こんなことでは、わたしはどうなるでしょう」。彼女は行って主に尋ねた。

23主は彼女に言われた、「二つの国民があなたの胎内にあり、二つの民があなたの腹から別れて出る。一つの民は他の民よりも強く、兄は弟に仕えるであろう」。(JCV)

 

 

 

ローマ人への手紙911

 

[口語訳]まだ子供らが生れもせず、善も悪もしない先に、神の選びの計画が、

 

[新改訳]その子どもたちは、まだ生まれてもおらず、善も悪も行なわないうちに、神の選びの計画の確かさが、行ないにはよらず、召してくださる方によるようにと、

 

[新共同訳]12その子供たちがまだ生まれもせず、善いことも悪いこともしていないのに「兄は弟に仕えるであろう」とリベカに告げられました。それは、自由な選びによる神の計画が人の行いにはよらず、お召しになる方によって進められるためでした。

 

[文語訳]その子いまだ生れず、善も悪もなさぬ間に、神の選の御旨は動かず、

 

[塚本訳]なぜか。(同じ父母から生まれた二子であるのに、弟ヤコブの方が、兄エサウを差し置いて相続人になったのである。すなわち)二人がまだ生まれず、(従って)なんの善いことも悪いこともしない先に、一これは、神の選びの計画は不動であり、

 

[前田訳]ふたりがまだ産まれず、善も悪もしないうちに、神の選びによる予定は変らず、

 

 [解読の鍵]

ローマ人への手紙416-17そうであるから、(相続人にされるのは)信仰のゆえである。これは恩恵によらせるためであり、(アブラハムの)子孫全体に対して――ただ律法の子孫[ユダヤ人]だけでなく、アブラハムの信仰の(足跡を踏む)子孫[異教人]に対しても

(神の)約束が不動であるためである。彼はわたし達すべての者の(信仰の)父であ

る。

17“わたしはあなたを多くの国の人の父に決めた”と書いてあると 

おりに。(ただし)それは、彼が信じた神、すなわち、死人を生かし、また無から有を呼

び出される神の前においてである。

 

詩篇51:4-7わたしの咎をことごとく洗い、罪から清めてください。

5あなたに背いたことをわたしは知っています。わたしの罪は常にわたしの前に置かれています。

6あなたに、あなたのみにわたしは罪を犯し、御目に悪事と見られることをしました。あなたの言われることは正しく、あなたの裁きに誤りはありません。

7わたし咎のうちに産み落とされ、母がわたしを身ごもったときもわたしは罪のうちにあったのです。(JNICV)

 

エペソ人への手紙2:3[塚本訳](否、)私達も皆かつてはこの人達に伍して自分の肉の欲の中に生活し、肉と欲望の欲するままに振舞って、他の(異教)人達のように生まれながら(神の)怒りの(審判に定められた)子であった。

 

ローマ人への手紙8:28-30神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。

29神は前もって知っておられた者たちを、御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められました。それは、御子が多くの兄弟の中で長子となられるためです。

30神はあらかじめ定められた者たちを召し出し、召し出した者たちを義とし、義とされた者たちに栄光をお与えになったのです。(JNICV)

 

イザヤ書14:24万軍の主は誓って言われる。「わたしが計ることは必ず成り、わたしが定めることは必ず実現する。(JNICV)

 

イザヤ書46:10 -13わたしは初めから既に、先のことを告げ、まだ成らないことを、既に昔から約束しておいた。わたしの計画は必ず成り、わたしは望むことをすべて実行する。

11東から猛禽を呼び出し、遠い国からわたしの計画に従う者を呼ぶ。わたしは語ったことを必ず実現させ、形づくったことを必ず完成させる。

12わたしに聞け、心のかたくなな者よ、恵みの業から遠く離れている者よ。

13わたしの恵みの業を、わたしは近く成し遂げる。もはや遠くはない。わたしは遅れることなく救いをもたらす。わたしはシオンに救いを、イスラエルにわたしの輝きを与えることにした。(JNICV)

 

 

 

ローマ人への手紙912

 

[口語訳]わざによらず、召したかたによって行われるために、「兄は弟に仕えるであろう」と、彼女に仰せられたのである。

 

[新改訳]

「兄は弟に仕える。」と彼女に告げられたのです。

 

[新共同訳]前節に合節

 

[文語訳]行為によらで召す者によらん爲に『兄は次弟に事ふべし』とレベカに宣へり。

 

[塚本訳] (人の)行いによらず、召されるお方(の御心)による(ことを示す)ためであったが ――“兄は弟に仕える”と神はリベカに言われた。

[前田訳]それが(人の)行ないによらずお召しになる方によるようにと、「兄は弟に仕える」とリベカにいわれました。

 

[解読の鍵]

創世記25:2226ところが、胎内で子供たちが押し合うので、リベカは、「これでは、わたしはどうなるのでしょう」と言って、主の御心を尋ねるために出かけた。

23主は彼女に言われた。「二つの国民があなたの胎内に宿っており二つの民があなたの腹の内で分かれ争っている。一つの民が他の民より強くなり兄が弟に仕えるようになる。」

24月が満ちて出産の時が来ると、胎内にはまさしく双子がいた。

25先に出てきた子は赤くて、全身が毛皮の衣のようであったので、エサウと名付けた。

26その後で弟が出て来たが、その手がエサウのかかと(ケアブ))をつかんでいたので、ヤコブと名付けた。リベカが二人を産んだとき、イサクは六十歳であった。(JNICV)

 

 

 

ローマ人への手紙913

 

[口語訳]「わたしはヤコブを愛しエサウを憎んだ」と書いてあるとおりである。

 

[新改訳]「わたしはヤコブを愛し、エサウを憎んだ。」と書いてあるとおりです。

 

[新共同訳]「わたしはヤコブを愛し、/エサウを憎んだ」と書いてあるとおりです。

 

[文語訳コ『われヤコブを愛しエザウを憎めり』と録されたる如し。

 

[塚本訳](そして預言どおりにヤコブが選ぱれた。)“わたしはヤコブを愛したが、エサウを憎んだ”と書いてあるとおりである。

 

[前田訳]「わたしはヤコブを愛したがエサウを憎んだ」と聖書にあるとおりです

 

 

[解読の鍵]

 

創世記25:21-23イサクは妻が子を産まなかったので、妻のために主に祈り願った。主はその願いを聞かれ、妻リベカはみごもった。

22ところがその子らが胎内で押し合ったので、リベカは言った、「こんなことでは、わたしはどうなるでしょう」。彼女は行って主に尋ねた。

23主は彼女に言われた、「二っの国民があなたの胎内にあり、二つの民があなたの腹から別れて出る。一つの民は他の民よりも強く、兄は弟に仕えるであろう」。(JCV)

 

マラキ書1:23主は言われる、「わたしはあなたがたを愛した」と。ところがあなたがたは言う、「あなたはどんなふうに、われわれを愛されたか」。主は言われる、「エサウはヤコブの兄ではないか。しかしわたしはヤコブを愛し、

3エサウを憎んだ。かつ、わたしは彼の山地を荒し、その嗣業を荒野の山犬に与えた」。(JCV)

 

申命記21:15-21ある人に二人の妻があり、一方は愛され、他方は疎んじられた。愛された妻も疎んじられた妻も彼の子を産み、疎んじられた妻の子が長子であるならば、

16その人が息子たちに財産を継がせるとき、その長子である疎んじられた妻の子を差し置いて、愛している妻の子を長子として扱うことはできない。

17疎んじられた妻の子を長子として認め、自分の全財産の中から二倍の分け前を与えねぱならない。この子が父の力の初穂であり、長子権はこの子のものだからである。

18ある人にわがままで、反抗する息子があり、父の言うことも母の言うことも聞かず、戒めても聞き従わないならば、

19両親は彼を取り押さえ、その地域の城門にいる町の長老のもとに突き出して、

20町の長老に、「わたしたちのこの息子はわがままで、反抗し、わたしたちの言うことを聞きません。放蕩にふけり、大酒飲みです」と言いなさい。

21町の住民は皆で石を投げつけて彼を殺す。あなたはこうして、あなたの中から悪を取り除かねばならない。全イスラエルはこのことを聞いて、恐れを抱くであろう。(JNICV)

 

箴言13:24むちを加えない者はその子を憎むのである、子を愛する者は、つとめてこれを懲らしめる。(JCV)

 

箴言13:24鞭を控えるものは自分の子を憎む者。子を愛する人は熱心に諭しを与える。(JNICV)

 

箴言19-18望みのあるうちに息子を諭せ。死なせることを目指してはならない。(JNICV)

 

歳言22:14-15遊女の口は深い落し穴である、主に憎まれる者はその中に陥る。

15愚かなことが子供の心の中につながれている、懲らしめのむちは、これを遠く追いだす。(JCV)

 

箴言23:13-14子を懲らすことを、さし控えてはならない、むちで彼を打っても死ぬことはない。

14もし、むちで彼を打つならば、その命を陰府から救うことができる。(JCV)

 

歳言29:1517むちと戒めとは知恵を与える、わがままにさせた子はその母に恥をもたらす。

16悪しき者が権力を得ると罪も増す、正しい者は彼らの倒れるのを見る。

17あなたの子を懲らしめよ、そうすれば彼はあなたを安らかにし、またあなたの心に喜びを与え

る。(JCV)

 

ヘブル人への手紙12:6-8主は愛する者を訓練し、受けいれるすべての子を、むち打たれるのである」。

7あなたがたは訓練として耐え忍びなさい。神はあなたがたを、子として取り扱っておられるのである。いつたい、父に訓練されない子があるだろうか。

8だれでも受ける訓練が、あなたがたに与えられないとすれぱ、それこそ、あなたがたは私生子であって、ほんとうの子ではない。(JCV)

 

ルカによる福音書14:26[塚本訳]わたしの所に来て、その父と母と妻と子と兄弟と姉妹と、なおその上に、自分の命までも憎まない者は、だれもわたしの弟子になることは出来ない。

 

 

 

嫁ぎゆく娘に

'(2000115目東京聖書読者会にて語りしもの)

 

私事にわたり恐縮でございますが、本目の午後は娘・愛子の結婚式です。

花嫁の父は結婚式では何もしゃべ れず出番がないので、この席をお借りしまして、感謝のご報告をさせていただきます。といいますのは亡くなられた松島省三先生やまた山本政則さんも娘を嫁が せるときにこの席で「花嫁の父」としての感想を述べられたからであります。                 

今日の結婚式を迎えるまでに愛子と私はお互いに何度涙を流したか分かりません。

愛子が生まれたのは、今から25年前、1975年(昭和50年)1月 31目の明け方です。病院の廊下で徹夜で待っていたら、ドアが開いて助産婦さんが「女のお子さんですよ」と言って招き入れてくれました。そのとき私は顔が ほころんで自分の手で顔を抑えても戻らないくらいでありました。兄弟の上の二人は男であったので私としては女の子が生まれて欲しかったのです。

この25年の間には実に波風がありました。しかしすべては感謝でした。本日娘がわたしのもとを去るに当たって、わたしには一抹の寂しさと不安があります。それは信仰的な慰めの子がそばにいなくなるからであります。娘の思い出として忘れがたい四つの信仰的な出来事がりました。

第 一は、今から6年程前に愛子が集会からオルガンを頼まれたときのことです。うまく弾けるかどうか分からないので愛子にとっては大変重荷でありました。その とき愛子は「必至にお祈り」したといいます。これはわたしにとって大変なインスピレーションでありました。困難なことに出会ったときは「必至にお祈りす る」ことが大切であることを学びました。

第二は8年前の1992年(平成4年)、 わたしが腎臓結石で入院して手術をすることになったとき、危険を伴なうのでかなりの不安が生じ遺言書も書いたときのことです。愛子は集会の小寺利男さんか ら励ましの手紙を頂き、その返事に、「お父さんには神様がついているから大丈夫」と書いたといいます。これはあとで小寺さんがわたしに教えてくれました。

第 三は本年の7月に脳出血で倒れたときにことです。聖路加国際病院で、頭が痛くて激しく嘔吐を繰り返していた夜、愛子はわたしの背中をさすりながら、「おと うさんかわいそう。お父さんかわいそう。お父さんは何も悪いことをしていないのに。」と言いながら一緒に泣いてくれました。今回の脳出血の病気で一緒に泣 いてくれる人が何人かいました。そのような方々がこの世に存在することは私の喜びまた生きがいです。

第 四は結婚のことです。数年ぐらい前のあるとき、そのとき交際中であった今目新郎となる青年から家に竈舌がかかってきたときのことです。私は頭の中が真っ白 になり、「愛子と付き合うな、娘から手を引け」と怒鳴ったことがあります。それを知った愛子はその晩妻に「お母さん、どうしてあんなお父さんみたいな人と 結婚したの」と泣き崩れたといいます。しかし交際期間中に新「r若 者の聖書勉強会」に出席しています。しかしし先方ご一家はキリうト教とは全く縁のない方々であります。披露宴は先方の主催で自由になさっていただきます が、式だけはキリスト教、それも無教会式でということを愛子自身が強く条件を出したので、式は東京聖書読者会の方々の支援で執り行なうことの運びとなり、 感謝であります。司式を小新利男さん、介添え人に高木博義さんご夫妻が引き受けてくださいました。しかし背後には集会の皆様の深いお祈りがありますことを ひしひしと感じます。

先 日、聖路加国際病院の外来で脳のレントゲンを撮りましたところ、今度は脳梗塞の症状が発見され、今度発病したらすぐ死ぬと言われました。人間の死は、こと に脳の病気は突然にやってくるので不安です。しかしいかなる病気にせよ、人間はいつかこの世と別れを告げなければならない時がきます。先週冒険でしたが、 退院後としては初めて一人でインダス文明展とメソポタミヤ文明展に行くことができました。久しぶりに長く歩いたのでかなりくたびれました。どちらの文明も イエスが生まれる数千年前からあった文明であることに感慨深いものがありました。しかし両文明とも結局は「死」を克服したいという深い願望がその底にある ことを感じました。

ひ るがえってわれわれにはイエスの復活を通して、「永遠の命」の希望が与えられていることは感謝であります。人間の究極の願い、「永遠の命」。この希望を頂 いて私たちの地上の苦難は「信仰による忍耐」を持って対処できます。なぜか。来世への希望があるからです。復活があるからです。最後審判があるからです。 そ日、復活の日には地上の悲しみの涙には神の深い思い入れがあったという事がその時に初めて分かるのかも知れません。その目を望み見ます。

ホームページより修正再録   2001.8.15高橋照男

 

 

 

表題・要約

 

イスラエルの選び(9:1-18)…新共同訳

9章 教会の危難…バルト

エサウの神(9:14-29)

 

神の義とイスラエルの問題91節一1136節…ケーゼマン

(2)神的選びの権能と暫定的目標(9:6-29)

2神の自由な権能(9:14-23)

 

2部神の義とイスラエルの運命(9:1-11:36)…アルトハウスNTD

(2)神の自由の前に沈黙させられる人間の言い分(9:6-29)

b恵まんとする者をば恵み、怒りを注がんとする者に怒りを注ぎたもう神の自由

(9:14-29)

 

全人類の救ひ91-1136…黒崎註解新約聖書

(1)救いは神の預定なり(9:1-26)

()神は欲するまゝにあはれみ給ふ(9:14-18)

 

 

ユダヤ民族の顛落(91-29)…高橋三郎

 

3部イスラエル不信の問題…フランシスコ会訳

神の自由な選び(9:1-18)

 

エサウを憎んだ(9:14-18) …青野(岩波)

 

神意の純粋(9:14-18) …前田訳

 

イスラエルの救い(9:1-11:36)(「信仰によって義とされるなら、イスラエルに対する

神の約束はどうなるのか」という問いに対して)…八木(講談杜)

神の自由な選び(9:6-29)

 

全人類の救済   9章一11章…塚本註解

神の義   (9:14-18)

 

不公平でもない(9:14-18) ・・塚本訳

 

3選びの逆説的現実(9:1-11:36)…ヴィノレケンスEKK

2人間には依存しなレ榊の義の存続(9:6-29)

b怒りとあわれみにおける神の義の自由(9:14-29)

 

神の独裁と自由(9:14-29) …白井きく

 

ユダヤ人の不信と人類の救い (2) (9-10章の大意) …内村鑑三

 

 

 

ローマ人への手紙914

 

[口語訳]では、わたしたちはなんと言おうか。神の側に不正があるのか。断じてそうではない。

 

[新改訳]それでは、どういうことになりますか。神に不正があるのですか。絶対にそんなことはありません。

 

[新共同訳]では、どういうことになるのか。神に不義があるのか。決してそうではない。

 

[文語訳]さらば何をか言はん、神には不義あるか。決して然らず。

 

[塚本訳]するとどういうことになるのだろうか。神に不公平でもあるのか。もちろん、そんなことはない。

 

[前田訳]それならわれらは何といいましょう。神に不義がありますか。断じて否です。

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙3:3-5すると、どうなるのか。もし、彼らのうちに不真実の者があったとしたら、その不真実によって、神の真実は無になるであろうか。

4断じてそうではない。あらゆる人を偽り者としても、神を真実なものとすべきである。それは、「あなたが言葉を述べるときは、義とせられ、あなたがさばきを受けるとき、勝利を得るため」と書いてあるとおりである。

5しかし、もしわたしたちの不義が、神の義を明らかにするとしたら、

なんと言うべきか。怒りを下す神は、不義であると言うのか(これは人間的な言い方ではある) (JCV)

 

ローマ人への手紙2:4-5[新改訳]それとも、神の慈愛があなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と忍耐と寛容とを軽んじているのですか。

5 ところが、あなたは、かたくなさと悔い改めのない心のゆえに、御怒りの目、すなわち、神の正しいさぱきの現われる目の御怒りを自分のために積み上げているのです。

 

創世記18:25正しい者を悪い者と一緒に殺し、正しい者を悪い者と同じ目に遭わせるようなことを、あなたがなさるはずはございません。全くありえないことです。全世界を裁くお方は、正義を行われるべきではありませんか。」(JNICV)

 

申命記32:4-7主は岩、その御業は完全で、その道はことごとく正しい。真実の神で偽りなく、正しくてまっすぐな方。

5不正を好む曲がった世代はしかし、神を離れ、その傷ゆえに、もはや神の

子らではない。

6愚かで知恵のない民よ、これが主に向かって報いることか。彼は造り主なる父、あなたを造り、堅く立てられた方。

7遠い昔の目々を思い起こし、代々の年を顧みよ。あなたの父に問えば、告げてくれるだろう。長老に尋ねれぱ、話してくれるだろう。(JNICV)

 

歴代志下19:7今、主への恐れがあなたたちにあるように。注意深く裁きなさい。わたしたちの神、主のもとには不正も偏見も収賄もない。」(JNICV)

 

ヨブ記8:3-6神が裁きを曲げられるだろうか。全能者が正義を曲げられるだろうか。

4あなたの子らが、神に対して過ちを犯したからこそ、彼らをその罪の手にゆだねられたのだ。

5あなたが神を捜し求め、全能者に憐れみを乞うなら、

6また、あなたが潔白な正しい人であるなら、神は必ずあなたを顧み、あなたの権利を認めて、あなたの家を元どおりにしてくださる。(JNICV)

 

ヨブ記34:10-12さて、分別ある者は、わたしの言葉を聞け。神には過ちなど、決してない。全能者には不正など、決してない。

11神は人間の行いに従って報い、おのおのの歩みに従って与えられるのだ。

12神が罪を犯すことは決してない。全能者は正義を曲げられない。(JNICV)

 

ヨブ記34:18-19王たる者に向かって『よこしまな者』と言い、つかさたる者に向かって、『悪しき者』と言うことができるであろうか。

19 神は君たる者をもかたより見られることなく、富める者を貧しき者にまさって顧みられることはない。彼らは皆み手のわざだからである。(JCV)

 

ヨブ記35:1-2エリフは更に言った。

2「神はわたしを正しいとしてくださるはずだ」、とあなたは言っているが、あなたのこの考えは正当だろうか。(JNICV)

 

詩篇92:13-16神に従う人はなつめやしのように茂り、レバノンの杉のようにそびえます。

14主の家に植えられ、わたしたちの神の庭に茂ります。

15白髪になってもなお実を結び、命に溢れ、いきいきとし

16述べ伝えるでしょう、わたしの岩と頼む主は正しい方、御もとには不正がない、と。(]NICV)

 

詩篇145:17-20主の道はことごとく正しく、御業は慈しみを示しています。

18主を呼ぶ人すべてに近くいまし、まことをもって呼ぶ人すべてに近くいまし

19主を畏れる人々の望みをかなえ、叫びを聞いて救ってくださいます。

20主を愛する人は主に守られ、主に逆らう者はことごとく滅ぼされます。(JNICV)

 

 

 

ローマ人への手紙915

 

[口語訳]神はモーセに言われた、「わたしは自分のあわれもうとする者をあわれみ、いつくしもうとする者を、いつくしむ」。

 

[新改訳]神はモーセに、「わたしは自分のあわれむ者をあわれみ、自分のいつくしむ者を

いつくしむ。」と言われました。

 

[新共同訳]神はモーセに、/「わたしは自分が憐れもうと思う者を憐れみ、/慈しもうと思う者を慈しむ」と言っておられます。

 

[文語訳]モーセに言ひ給ふ『われ憐まんとする者をあはれみ、慈悲を施さんとする者に慈悲を施すべし』と。

 

[塚本訳]その証拠には、神は(かって)モーセにこう言われている、“わたしは憐れみたい者を憐れみ、慈悲をほどこしたい者に慈悲をほどこす”と。

 

[前田訳]モーセにいわれています、「わたしはあわれみたいものをあわれみ、いつくしみたいものをいつくしむ」と。

 

[解読の鍵]

 

ローマ人への手紙916[塚本訳] 従って(憐れみも慈悲も、)それは(人間の)願望にも努力にもよらず、ただ神の憐れみによるのである。

 

ローマ人への手紙918-20だから、神はそのあわれもうと思う者をあわれみ、かたくなにしようと思う者を、かたくなになさるのである。

19 そこで、あなたは言うであろう、「なぜ神は、なおも人を責められるのか。だれが、神の意図に逆らい得ようか」。

20 ああ人よ。あなたは、神に言い逆らうとは、いったい、何者なのか。造られたものが造った者に向かって、「なぜ、わたしをこのように造ったのか」と言うことがあろうか。

JCV)

 

出エジプト記33:19主は言われた、「わたしはわたしのもろもろの善をあなたの前に通らせ、主の名をあなたの前にのべるであろう。わたしは恵もうとする者を恵み、あわれもうとする者をあわれむ」。(JCV)

 

出エジプト記34:6-7 主は彼の前を過ぎて宣べられた。「主、主、あわれみあり、恵みあり、怒ることおそく、いつくしみと、まこととの豊かなる神、

7 いつくしみを千代までも施し、悪と、とがと、罪とをゆるす者、しかし、罰すべき者をば決してゆるさず、父の罪を子に報い、子の子に報いて、三、四代におよぼす者」。(JCV)

 

ミカ書718-20 だれかあなたのように不義をゆるし、その嗣業の残れる者のために/とがを見過ごされる神があろうか。神はいつくしみを喜ばれるので、その怒りをながく保たず、

19 再びわれわれをあわれみ、われわれの不義を足で踏みつけられる。あなたはわれわれのもろもろの罪を/海の深みに投げ入れ、

20 昔からわれわれの先祖たちに誓われたように、真実をヤコブに示し、いつくしみをアブラハムに示される。(JCV)

 

イザヤ書27:11枝は枯れて折れ、女たちが来てそれを燃やす。これは全く分別のない民だ。それゆえ、造り主は憐れみをかけず/その民を形づくられた方は恵みを与えられない。(JNICV)

 

 

 

ローマ人への手紙916

                                         

[口語訳]ゆえに、それは人間の意志や努力によるのではなく、ただ神のあわれみによるのである。したがって、事は人間の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるのです。

 

[新共同訳]従って、これは、人の意志や努力ではなく、神の憐れみによるものです。

 

[文語訳]されば欲する者にも由らず、走る者にも由らず、ただ憐みたまふ神に由るなり。

 

[塚本訳]従って(憐れみも慈悲も、)それは(人間の)願望にも努力にもよらず、ただ神の隣れみ

によるのである。

 

[前田訳]それゆえ、それは人の意欲や努力によらず、神のあわれみによります。

.

[解読の鍵]

イザヤ書65:1-2わたしに尋ねようとしない者にも、わたしは、尋ね出される者となり、わたしを求めようとしない者にも、見いだされる者となった。わたしの名を呼ばない民にも、わたしはここにいる、ここにいると言った。

2反逆の民、思いのままに良くない道を歩く民に、絶えることなく手を差し伸べてきた。(JNICV)

 

ヨハネによる福音書1:12-13しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。

13この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。(JNICV)

 

 

 

ローマ人への手紙917

 

 [口語訳]聖書はパロにこう言っている、「わたしがあなたを立てたのは、この事のためである。すなわち、あなたによってわたしの力をあらわし、また、わたしの名が全世界に言いひろめられるためである」。

 

[新改訳]聖書はパロに、「わたしがあなたを立てたのは、あなたにおいてわたしの力を示し、わたしの名を全世界に告げ知らせるためである。」と言っています。

 

[新共同訳]聖書にはファラオについて、「わたしがあなたを立てたのは、あなたによってわたしの力を現し、わたしの名を全世界に告げ知らせるためである」と書いてあります。

 

[文語訳]パロにつきて聖書に言ひ給ふ『わが汝を起したるは此の爲なり、即ち我が能力を汝によりて顯し、且わが名の全世界に傳へられん爲なり』と。

 

[塚本訳](反対に、憐れみを奪われる場合も同じである。)現に聖書は、パロ[エジプト王]にこう(神が仰せられたと)言っているではないか“わたしがあなたを(王として)立てたのは、(あなたの心を頑固にして私の命令にそかせ、)あなたによってわたしの力を示すため、また、わたしの名が全世界に知れわたるため、ただそのためであった“と。

 

[前田訳]聖書はパロにこういいます、「わたしがあなたを立てたのは、あなたによってわが力を示すため、またわが名が全地に伝わるためにほかならない」と。

 

[解読の鍵]

出エジプト記10:1-2主はモーセに言われた。「ファラオのもとに行きなさい。彼とその家臣の心を頑迷にしたのは、わたし自身である。それは、彼らのただ中でわたしがこれらのしるしを行うためであり、

2わたしがエジプト人をどのようにあしらったか、どのようなしるしを行ったかをあなたが子孫に語り伝え、わたしが主であることをあなたたちが知るためである。」 (JNICV)

 

出エジプト記14:17しかし、わたしはエジプト人の心をかたくなにするから、彼らはお前たちの後を追って来る。そのとき、わたしはファラオとその全軍、戦車と騎兵を破って栄光を現す。 (JNICV)

 

歳言16;4-7主はすべての物をおのおのその用のために造り、悪しき人をも災の日のために造られた。

5すべて心に高ぶる者は主に憎まれる、確かに、彼は罰を免れない。

6いつくしみとまことによって、とがはあがなわれる、主を恐れることによって、人は悪を免れる。

7人の道が主を喜ぱせる時、主はその人の敵をもその人と和らがせられる。(JCV)

 

 

 

ローマ人への手紙918

 

[口語訳]だから、神はそのあわれもうと思う者をあわれみ、かたくなにしようと思う者を、かたくなになさるのである。

 

[新改訳]こういうわけで、神は、人をみこころのままにあわれみ、またみこころのままにかたくなにされるのです。

 

[新共同訳]このように、神は御自分が憐れみたいと思う者を憐れみ、かたくなにしたいと思う者をかたくなにされるのです。

 

[文語訳]されば神はその憐まんと欲する者を憐み、その頑固にせんと欲する者を頑固にし給ふなり。

 

[塚本訳]従って神は思うままに、ある人を憐れみ、ある人を、“頑固にされる” (ことは明らかである。)

 

[前田訳]したがって神は思うままにあわれみ、思うままに頑になさいます。

 

[解読の鍵]

 

ローマ人への手紙9:15-16神はモーセに言われた、「わたしは自分のあわれもうとする者をあわれみ、いつくしもうとする者を、いつくしむ」。

16ゆえに、それは人間の意志や努力によるのではなく、ただ神のあわれみによるのである。

(JCV)

 

ローマ人への手紙5:2021律法がはいり込んできたのは、罪過の増し加わるためである。しかし、罪の増し加わったところには、恵みもますます満ちあふれた。

21それは、罪が死によって支配するに至ったように、恵みもまた義によって支配し、わたしたちの主イエス・キリストにより、永遠のいのちを得させるためである。(JCV)

 

ローマ人への手紙1:24-28ゆえに、神は、彼らが心の欲情にかられ、自分のからだを互いにはずかしめて、汚すままに任せられた。

25彼らは神の真理を変えて虚偽とし、創造者の代りに被造物を拝み、これに仕えたのである。創造者こそ永遠にほむべきものである、アァメン。

26それゆえ、神は彼らを恥ずべき情欲に任せられた。すなわち、彼らの中の女は、その自然の関係を不自然なものに代え、

27男もまた同じように女との自然の関係を捨てて、互にその情欲の炎を燃やし、男は男に対して恥ずべきことをなし、そしてその乱行の当然の報いを、身に受けたのである。

28そして、彼らは神を認めることを正しいとしなかったので、神は彼らを正しからぬ思いにわたし、なすべからざる事をなすに任せられた。 (JCV)

 

ローマ人への手紙117-8では、どうなるのか。イスラエルはその追い求めているものを得ないで、ただ選ばれた者が、それを得た。そして、他の者たちはかたくなになった。

8「神は彼らに鈍い心と、見えない目と、聞えない耳とを与えて、きょう、この日に及んでいる」と書いてあるとおりである。(JCV)

 

出エジプト記4:21主はモーセに言われた、「あなたがエジプトに帰ったとき、わたしがあなたの手に授けた不思議を、みなパロの前で行いなさい。しかし、わたしが彼の心をかたくなにするので、彼は民を去らせないであろう。(JCV)

 

ヨシュア記11:20彼らが心をかたくなにして、イスラエルに攻めよせたのは、もともと主がそうさせられたので、彼らがのろわれた者となり、あわれみを受けず、ことごとく滅ぼされるためであった。主がモーセに命じられたとおりである。(JCV)

 

イザヤ書63:17主よ、なぜ、われわれをあなたの道から離れ迷わせ、われわれの心をかたくなにして、あなたを恐れないようにされるのですか。どうぞ、あなたのしもべらのために、あなたの嗣業である部族らのために、お帰りください。(JCV)

 

マタイによる福音書13:14-15こうしてイザヤの言った預言が、彼らの上に成就したのである。『あなたがたは聞くには聞くが、決して悟らない。見るには見るが、決して認めない。

15この民の心は鈍くなり、その耳は聞えにくく、その印よ閉じている。それは、彼らが目で見ず、耳で聞かず、心で暦らず、悔い改めていやされることがないためである』。(JCV)

 

テサロニケ人への第二の手紙2:10-12また、あらゆる不義の惑わしとを、滅ぶべき者どもに対して行うためである。彼らが滅びるのは、自分らの救となるべき真理に対する愛を受けいれなかった報いである。

11そこで神は、彼らが偽りを信じるように、迷わす力を送り、

12こうして、真理を信じないで不義を喜んでいたすべての人を、さばくのである。(JCV)

 

 

 

重荷を負ってしまった友へ

 

人生の長き旅の途中で思わざることで「魔が差して」過ちを犯し、重荷を負ってしま

うことがある。それを「重荷ではない」と強がりを言う人は福音に聞かない。人生の

重荷は耐えがたいものである。それは「淋しさ」になって現れる。「悩み」になって現

れる。「苦悩」になって現れる。「ニヒリズム」になる。「喜びが失せる」ことになって

表れる。「生きる喜び」がなくなる。「ペシミズム(圧世的)」になる。「光」がなくな

る。神の裁きは絶対であって逃れようがないからである。神は何処までも執拗に徹底

的に追いかけて苦しみと重荷を与える。ごまかせない。逃げられない。人は見ていな

くても神は見ている。人には知られなくても神には知られている。神の追求の手は緩

まない。徹底的に断罪される。神の義は貫徹する。人間の断罪よりも具体的な罰や拷

問でそれが来る。亡くなられたT裁判長がわたしに言われた。「裁判所の判決が間違っ

ていても最後には神が真の裁きをするから安心だ。人間の判断には誤りがあっても背

後には神が厳然と存在していて、正しく裁く。間違いなく神御自身が裁く。だから私

は安心して裁判官をやっていられる」と。つまり人間が下す有罪との判決が誤りであ

ったとしても神は赦す。また人間が下す無罪との判決が間違っていたとしても神はあ

とで真に裁く。この世には神が存在していて、人が神を信じようが信じまいが罪を最

後の最後まで間違いなく追求する。人間が「なぜだ」と抗辮してもそれが神の前に正

しくなけれぱ厳重に断罪される。そしてその罪の価は「死」である。死は罪を清める。

人生はこのことを徹底的に教えられる「道場」なのだ。もし神など存在しないと言っ

て罪と罰の現実を否定しても人間には「良心」というものがあってこれが邪魔をして

自分を苦しめる。「良心」の存在を否定する人にはこの話は通じない。いま「良心」の

故になぜか心に重荷を負ってしまった人に言うのである。

神の厳しい裁きから逃れる道はある。神の厳しい裁きは「不当」であると考える人は、

まだ罪の恐ろしさを味わっていない。本当に自己の罪が神の光に照射されると「俺を

殺してくれ」と絶叫するようになるのだ。だから人に向かって「罪を自覚」させよう

とするほど無駄で徒労なことはない。人が人に罪を自覚させようとしても不徹底であ

る。不完全である。効き目がない。神が人に罪の自覚をさせるときは徹底的で激しい。

それに会うと苦しく窒息の拷間の責め苦にあう。しかしどんなに敏感な人でも机上で

自己の罪を自覚はしない。たいていは人生のゴタゴタでドロドロのうちにどうしよう

もなく身動きできなくなったとき「光と安らぎ」を求めるところから自己の罪が自覚

されるのである。わたしが言うのは自己の罪の恐ろしさにがたがたと震えている人に

言うのである。そのとき人は初めて神の声を受け入れる準備ができる。

 

 

凡て労する者・童荷を負ふ者、われに來れ、われ汝らを休ません

[文語訳]

 

すべて童荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。

[口語訳]

 

マタイによる福音書11:28

 

2001.8.9高橋照男

 

 

 

「人生って淋しいものですね」

 

人生とは淋しいものである。それは昔からのことである。

 

「幾山河越えさり行かぱ淋しさのはてなん国ぞ今日も旅行く」(若山牧水)

 

伝道の書12:1あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。悪しき日がきたり、

年が寄って、「わたしにはなんの楽しみもない」と言うようにならない前に、(JCV)

 

伝道の書121青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。苦しみの日々が来

ないうちに。「年を重ねることに喜ぴはない」と言う年齢にならないうちに。

(JNICV)

 

「人間とは何だろう?どこから来て、どこへ行くのか、あの金色に光る空の星のか

なたには誰が住んでいるのか?(ハイネ)

 

これはヒルティ幸福論第1巻の第8論文である。わたしは夜空を仰ぐたびにこの

言葉を思い出して寂蓼の感を禁じえない。人生は星の寿命、宇宙の寿命に比べて

あまりにも短い。

 

詩篇90:4-6あなたの目の前には千年も過ぎ去れぱきのうのごとく、夜の間のひと

時のようです。

5あなたは人を大水のように流れ去らせられます。彼らはひと夜の夢のごとく、あ

したにもえでる青草のようです。

6あしたにもえでて、栄えるが、夕ぺには、しおれて枯れるのです。

(JCV)

 

これは旧約の詩人の言葉。我々の人生はひと夜の夢のごとくでる。私は昨年25年間住み慣れた家を焼失して焼け跡に立った時その25年がまことにひと夜の夢のごとくに感じられた。

 

詩篇90:10われらのよわいは七十年にすぎません。あるいは健やかであっても八

十年でしょう。しかしその一生はただ、ほねおりと悩みであって、その過ぎゆ

くことは速く、われらは飛ぴ去るのです。

(JCV)

詩篇90:10人生の年月は七十年程のものです。健やかな人が八十牛を数えても、得

るところは災いにすぎません。瞬く間に時は過ぎ、わたしたちは飛び去ります。

(JNICV)

「人生って淋しいものですね」

 

これは小椋佳の作詞作曲になる「愛燦燦」という曲の一節。この歌詞はかなり良い。おすすめである。(はじめは美空ひばり、最近では天童よしみが歌っている。)

 

このように人生は昔も今も人間にとっては淋しいものである。4大文明もこの淋しさ

の解決に努カしているあとが見られる。現代の青少年はこの淋しさを癒そうとして異

性の愛を求めるがなぜか摘たされない。

ではどうすればよいのか。その究極の「癒し」は多言を要しない。「愛」に出会うこと

である。それも人間の愛ではなく、我々の本当の親なる造り主「神の愛」に出会うこ

とである。その愛のまなざしに出会うことである。

人生はこの出会いに向けられて旅をするように造られているようだが、その出会いに

到らないで死ぬ人が多くいる。これはどのように解したらよいのだろうか。ああ、人

生はやはり淋しいものである。

 

2001.8.18高橋照男

 

 

 

与えられないことのハンディ

人生を平安に喜ぴを持って生きていく上で大切なことは「信仰と健康とよき伴侶」で

あると思う。

このうち、健康は自分で注意すればあるいは人並みに長生きできるかもしれない。ま

たよき伴侶というのも真面目こ生活をしていれぱ「良縁」が舞い込むかもしれない。

しかし信仰だけはこれ人間の努カでは勝ち取れないものである。このことをパウロは

ローマ書9章で力説する。これは意外なことである。普通信仰はこれに導き、喚起す

れぱ本人がある時に目覚めて「求める」ようになって、それが神に喜ばれてついにキ

リスト信徒になると考えられる。だから人間の熱心による「伝道」が行われるのであ

る。しかしローマ書9章によって「救いや信仰」はこれ全く神の自由なる主権によっ

て人に与えられるものであるとパウロは言う。このように言わざるを得なくなったパ

ウロの背景には実に深刻なものであったのであろう。そしてパウロは言う。信仰が与

えられないのも神の御心、そのことも神の御計画。神はそのことをよくご存知である

と。パウロは自分で自分を慰めているのだ。パウロの家族のことは新約聖書からは詳

しいことは分からない。伝説によれば最後はどうやら首をはねられて死んだとも言わ'

れる。わたしはかってイタリヤに旅をして、一日ローマのコロッセオ円形劇場の中段

に一人座ったとき、(パウロはこのコロッセオで死んだのではないであろうが、)何処

からともなく「我思うに今のときの苦しみはやがて我らの上に現れる栄光に比ぶるに

足らず」(ローマ書818節文語訳)という言葉が聞こえて来た。

パウロは肉体にトゲがあったと言う。つまり健康でなかった。パウロは生涯に何度

かこのトゲを抜いて欲しいと祈ったがついに癒されなかった。また結婚にも到らなか

ったらしい。殉教が近いと思ってわざと結婚をしなかったのかもしれない。

 

コリント人への第二の手紙12.7-9そこで、高慢にならないように、わたしの肉体

に一つのとげが与えられた。それは、高慢にならないように、わたしを打つサタン

の使なのである。

8このことについて、わたしは彼を離れ去らせて下さるようにと、三度も主に祈っ

9ところが、主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたし

の力は弱いところに完全にあらわれる」。それだから、キリストの力がわたしに宿

るように、むしろ、喜んで白分の弱さを誇ろう。(JCV)

 

コリント人への第一の手紙9:5-6わたしたちには、ほかの使徒たちや主の兄弟たち

やケパのように、信者である妻を連れて歩く権利がないのか

6それとも、わたしとバルナバとだけには、労働をせずにいる権利がないのか。

(JCV)

 

健康が与えられないことも「よき伴侶」が与えられないことも、あるいは若くして

伴侶と死別したとしても、これまた神の御心だと言わざるをえない。「信仰と健康とよ

き伴侶」このいくつかが、あるいはすべてが(!!)与えられずにハンディの人生を

送ろうとも神はすべてをご存知で、人生を底の底で支えてくださるのだ。いざ行かん。

前向きで。

(早朝の散歩で昇り来る朝目を見ながらこのことを思う)

2001.8.17高橋照男

 

 

耐えがたき悩みからの解放としての代償苦の実在

 

人生の悩みのうち最も耐え難いものは同族身内とエクレシアの一員の罪である。その

一人が身近な者であればあるほど悩みと苦しみが大きい。特に罪を犯している本人が

その罪に気がついていない時の周囲の者たちの悩み苦しみは大きい。それはあたかも

身体が発熱するがごとくである。うめく。家族一同、エクレシアー同が発熱の苦しみ

を味わう。それは無言のうめきとなって現れる。心が病む。その耐え難い苦菌から救

われる道は、「神は代償苦をもって罪を帳消しにしてくださる」ということを知ること

である。罪はだれか池の人の代償苦で帳消しになる。つまり家族とかエクレシア全体

の悩み(うめき)ということ自体が代償苦なのだ。一人の人が罪を犯すと一族郎党が

悩み始める。エクレシアが悩む。これは人生の不思議な現象である。一人の犯した、

また犯しつつある罪は周囲の身内のまたはエクレシアの発熱に似たうめき悩みの苦で、

その苦の実在という代償でバランスがとられる。神は一人の罪の責任を一族におよぼ

す。旧約聖書創世記18章のソドムとゴモラの話は少数の罪人のために町全体が滅び

るということが前提になっている。このように一人の人の犯した罪また犯しつつある

罪またこれから犯すであろうという罪の不安のために家族の全員が悩み苦しむという

厳然たる事実がこの人生にはある。これは理論や理屈を通り越しての厳粛な事実であ

る。パウロはこのことを次のように言う。

d

コリント人への第一の手紙12:26もし一つの肢体が悩めぱ、ほかの肢体もみな共に

悩み、一つの肢体が尊ぱれると、ほかの肢体もみな共に喜ぶ。(JCV)

 

ローマ人への手紙826[塚本訳]しかし(創造物やわたし達神の子が苦しんでいる

)同じように、御霊も、弱いわたし達を助けてくださる。すなわち、(神のみ心にかな

うには)どう何を祈るべきかわからないので、御霊自身が、無言の呻きをもって(わた

し達の祈りを神に)執り成してくださるのである。

 

人生にはこの代償苦というものがあって息がつける。バランスが取れる。胸の波(

)がおさまる。苦悩と懊悩の嘆きがやむ。罪は罰があってはじめてバランスが取れ、

代償苦があって帳消しになる。これが人生の現実である。神は罪に対しては代罰を要

求する。家族の苦とエクレシアの苦はその代罰のあらわれである。本人にその罪の自

覚がないときは特にその家族やエクレシアの悩みが大きくなるという事実は、そこに

代償苦の実在が強く求められている証拠である。その時は悩みという発熱の度合いが

特に大きくなる。罪の本人は「知らず顔」ですごしていてもである。

 

賛美歌331

主にのみ十字架を負わせまつりわれ知らず顔にあるべきかは

 

家族とエクレシアに悩みが生じるということは神がその一員の人間の罪の代償を家族

とかエクレシヤに負わせている証拠である。体の発熱は体の中になにか悪い菌が入り

込んだ証処である。悪い罪の思想が入りこんだからそうなる。このとき身体としての

家族やエクレシアは発熱して悩み懊悩する。これが代罰の苦である。身体の発熱によ

って悪い菌は死ぬ。それは身体の防衛本能である。エクレシヤも犠牲の苦で悪い菌は

逃げ出す。エクレシアというのは罪の代罰を身に負う存在としての働きがその本質で

ある。教会の本質はこれである。友の罪を共に悩む存在、この世での実在集団、これ

がエクレシヤである。信者の友愛の本質は友の罪を代罰としてこの身に負うところに

ある。負わされるところにある。本当の愛というのは友のために悩み苦しみ代罰をこ

の身に負うことである。しかし十字架は自分では負えない。負おうとして負えない。

本能に反して無理に負わされるものである。恥を負わされるのである。十字架は恥じ

を負うことである。罪は愛の代罰で滅ぼされる。罪が帳消しになる。これがイエスの

十字架の真理。この真理があって人生は息がつける。ここから次の言葉が理解できる。

 

ヨハネによる福音書15:1314人がその友のために自分の命を捨てること、これよ

りも大きな愛はない。14あなたがたにわたしが命じることを行うならぱ、あなた

がたはわたしの友である。 (JCV)

 

マタイによる福音書10:38【塚本剥また自分の十字架を取ってわたしのあとに従わ

ない者は、わたし(の弟子たる)

に適しない。

 

マタイによる福音書16:24[塚本訳]あとでイエスは弟子たちに言われた、「だれで

、も・わたしについて来ようと思う者は・(まず)己れをすてて・自分の十辣を負

い、それからわたしに従え。

 

自らの意思(人生の希望)に反して重い十字架を負わされるとき、イエスのあとを歩

まされることになるのである。

2001.8.21高橋照男

 

 

人間の罪と汚れを清める神の愛

 

レビ記11:45わたしはあなたがたの神となるため、あなたがたをエジプトの国か

ら導き上った主である。わたしは聖なる者であるからあなたがたは聖なる者とな

らなければならない』」。(JCV)

 

 

旧約聖書の本質はこの一句に尽きる。そしてその実行としてキリストの十字架があっ

た。神は人間を罪汚れから清くせねぱやまず、清めんがために十字架の策を講じた。

神の愛は罪汚れを清めることになって表れた。新約聖書の本質はこの旧約聖書の目的

が実現されたと見るべきである。旧約は義、新約は愛に見えるが、実は旧約も新約も

神が人間を罪汚れから清めようとする努カの歴史である。ではイエス以後のその神の

業は何か。それは聖霊の働きである。聖霊という実在によって現代の我々は罪汚れか

ら清められる。聖霊という火によって罪が焼かれる。そこに神の愛の具体化が見られ

る。聖霊によって現代の我々は、過去に起こった十字架と復活の意味が示され、教え

られる。神の愛は我々の罪汚れを清める。神の愛の本質はそこにある。人間の最奥の

悩み悲しみは「罪汚れ」の悩みである。これだけは人間のいかなる方法(医学、哲学

思想)でも癒せない。その「罪汚れ」の苦悩懊悩を救うのが神の愛である。十字架の

啓示である。その実在である。最も深い「愛」それは罪汚れからの清めである。従っ

て巷で「好き」とか「ラブ」という言葉で表現される「愛」とは全然内容が違うもの

である。この本当の愛を知るためには自らが「罪汚れ」の苦におちいってそこから「清

められたい」という願いが本人自身に生まれなければ神の救いが実行されない。「自分

にはそんな罪汚れはない。関係ない」と思っている人には救いの光が差し込まない。

神とてもありがたがられない人、受け入れない人のところへは行かない。用はない。

建築設計も要請されてはじめて行うものである。医者もそうである。だからイエスも

次のように言う。

 

マルコによる福音書2:17イエスはこれを聞いて言われた、「丈夫な人には医者はい

らない。いるのは病人である。わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人

を招くためである」。(JCV)

 

しかし清められたいと思う心も神から与えられるものである。その時に到らないとき

 

には人間は「罪とは何か?」と涼しい顔をしているぱかりなのだ。これに対しては周囲

でとやかく言っても何の効果もない。しかし気が付くときがくれぱ昔のこと(過去

の歴史としての十字架と復活や、その昔親や教師に言われていたこと)を思い出すの

である。思い出すこと、贖罪の救いが分かること、それは聖霊の働きである。神の主

権による働きが実行されるときである。その神の実行の目が速やかに来ますように。

その日には「すべてのことが分かるであろう」。必ず。その時は必ず来るものと信ずる。

終末を祈る。

 

ヨハネによる福音書14:26[塚本訳]

(わたしが去ったあとで、)父上がわたしの名で遣わされる弁護者、すなわち聖霊

が、あなた達にすべてのことを教え、またわたしが言ったことをすべて思い出させ

るであろう。

 

祈り

神よこの私を「罪汚れ」から清めてください。家族一同を、親類縁者一同を清めてく

ださい。わが国同胞を清めてください。全人類を清めてください。悪を滅ぼしてくだ

さい。悪魔の業を実現させないでください。聖霊を下して我々同胞に清めの実行をし

てください。速やかに行ってください。さもなくぱ全員が滅ぴます。聖霊により同胞

に「十字架と復活の贖罪の秘儀」を啓示して、分からせてください。思い出させてく

ださい。終末が速やかに来ますように。世を終わらせてください。

2001.8.30高橋照男

 

 

 

思わざる十字架

 

人生には時に(いや必ず)「理想や希望に反して」思わざる十字架を負わされることが

ある。十字架とは他人の罪や苦悩を共にこの身に負わされることである。災害などの

不幸(火災や病気など)は十字架ではない。それは単なる物理的喪失である。自分の

苦しみである。自業自得である。十字架とは人の罪をわが身に負わされることである。

精神的なことである。それは非常に心に重い。いやな「負わされたくない」「恥ずかし

い」「世間体が悪い」「みっともない」「みじめな」「言いたくない」「隠しておきたい」

「敷居の外に出せない」「とんでもない」「人様に話せない」「とてもひどい」「驚くべ

き」「はしたない」「異常な」「断罪さるべき」「笑われる」「高見の見物をされる」こと

である。それは身内のことである。イエスが「自分の十字架を負え」とあるのはこの

ことである。十字架を負えとは国家的のまた世界的のことではない。そんなかっこい

い高邁なことではない。自分の夫の、妻の、子供の、兄弟の、親戚のことである。身

近なことである。だから「自分の十字架」なのである。

 

マタイによる福音書1038-40また旦地土圭袈をとってわたしに従ってこない者

はわたしにふさわしくない。

39白分の命を得ている者はそれを失い、わたしのために自分の命を失っている者

は、それを得るであろう。

40あなたがたを受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。わたしを受けい

れる者は、わたしをおつかわしになったかたを受けいれるのである。(JCV)

 

 

人道を外れて歩いているために嫌いになってしまった夫や妻や身内は「自分の十字架」

である。それは重い。その内容は親しき友にもとても「恥ずかしくて」言えない。普

通はこの場合身内を糾弾する。そこに最もな理由があるからである。しかしここでイ

エスは「十字架を負え」とある。これに対し本能はトンデモナイと思うのである。当

の本人が「罪を罪と思わない」で涼しい顔で平気でいるからである。「本人のためによ

くない」と思うからである。義憤が爆発する。そんなとき上記マタイ10:39は 慰めである。「自分の命」を得ているもの、つまり自分の「幸福」を得ようとするものは本当の幸福たる命を失うというのである。「自分のメンツを捨てよ」と いうのである。なんという深い言葉だろう。人間的のいわゆる人並みの幸福は幸福ではない。無理に十字架を負わされ身内の十字架を負う、身内の恥をかぶると いうことが真の幸福であるというのである。これがクリスチャンの道というのである。この部分、塚本訳は次

のようになっている。

 

マタイによる福音書10:39[塚本訳](十宇架を避けてこの世の)命を得る者は(

遠の)命を失い、わたしのために(この世の)命を失う者は、(永遠の)命を得るで

あろう。

 

この( )内の敷術は貴重である。われわれの本能は十字架を避けていわゆる人並み

の幸福の道を歩みたいと思う。この世的幸福を得たいと思う。しかしクリスチャンは

それではいけない。イエスの道を歩む者としてふさわしくない(塚本訳40)。クリ

スチャンとして思わざる十字架を負わされてこの世のいわゆる幸福を失ったものは永

遠の命を得るのである。喜び喜べというのである。人生はあるとき一回泣かなければ

ならない。総てを失って号泣しなければならない。男泣きに泣かなけれぱならない。

真のクリスチャンにはこの十字架が多い。あの人に、あの家庭にと思われるところに

言うに言われぬ不可解な十字架がある。「良い家庭に悩み多し」とは現実である。私は

その不可解な例を数件も見た。しかしその十字架にはきっと意味がある。

 

マタイによる福音書5:12喜び、喜べ、天においてあなたがたの受ける報いは大きい。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。(JCV)

 

ルカによる福音書6:21あなたがたいま飢えている人たちは、さいわいだ。飽き足りるようになるからである。あなたがたいま泣いている人たちはさいわいだ。笑うようになるからである。(JCV)

 

アコヤ貝は無理に入れられた異物(砂粒)に痛い痛いと涙を流しているとそれがいつの間にか美しい真珠になる。我々の人生も痛い痛いといって涙を流せば流すほど大きな奇麗な真珠がきっと天国で待っているのだ。きっと。これがパウロの言う「希望」だ。(コリント人への第一の手紙13:13)

 

ローマ人への手紙8:18現在の苦しみは、将来わたしたちに現されるはずの栄光に

比べると、取るに足りないとわたしは思います。(JNICV)

 

2001.8.31高橋照男

 

 

表題・要約

 

神の怒りと憐れみ(9:19-29)…新共同訳

 

9章教会の危難…バルト

エサウの神(9:14-29)

 

神の義とイスラエルの問題91節一1136節…ケーゼマン

(2)神的選びの権能と暫定的目標(9:6-29)

3神的選ぴの暫定的目標(9:24-29)

 

2 神の義とイスラエルの運命(9:1-11:36)…アルトハウスNTD

(2)神の自由の前に沈黙させられる人問の言い分(9:6-29)

b恵まんとする者をば恵み、怒りを注がんとする者に怒りを注ぎたもう神の自由

(9:14-29)

 

全人類の救ひ91-1136…黒崎註解新約聖書

(1)救いは神の預定なり(9:1-26)

()神は自由に選ぴ給ふ(9:16-26)

 

ユダヤ民族の顛落(9:1-29)…高橋三郎

 

3部イスラエル不信の問題…フランシスコ会訳

神の怒りとあわれみ(9:19-29)

 

神の主権(9:19-30)…青野(岩波)

 

あわれみの器(9:19-24)…前囲訳

 

イスラエルの救い(9:1-11:36)(「信仰によって義とされるなら、イスラエルに対する

神の約束はどうなるのか」という問いに対して)…八木(講談枇

神の白由な選び(9:6-29)

 

全人類の救済9章一11章…塚本註解

生意気な人間よ!(9:19-24)

人は神に抗議を申し出ることは出来ない(9:19-24)・・塚本訳

 

3選びの逆説的現実(9:1-11:36)…ヴィルケンスEKK

2人間には依存しなレ榊の義の存続(9:6-29)

b怒りとあわれみにおける神の義の自由(9:14-29)

 

神の独裁と自由(9:14-29)…白井きく

 

ユダヤ人の不信と人類の救い(2)(9-10章の大意)…内村鑑三

 

 

 

ローマ人への手紙919

[口語訳]そこで、あなたは言うであろう、「なぜ神は、なおも人を責められるのか。だれが、神の意図に逆らい得ようか」。

 

[新改訳]すると、あなたはこう言うでしょう。「それなのになぜ、神は人を責められるのですか。だれが神のご計画に逆らうことができましょう。」

 

[新共同訳]ところで、あなたは言うでしょう。「ではなぜ、神はなおも人を責められるのだろうか。だれが神の御心に逆らうことができようか」と。

 

[文語訳]さらぱ汝あるいは我に言はん『神なんぞなほ人を咎め給ふか、誰かその御定(みさだめ)に淳(もと)る者あらん』

 

[塚本訳]するとあなたはわたしに(抗議して)言うにちがいない、それでは、なぜ神はなおも人を咎められるのか。(御自身が人の心を頑固にされるのなら、)だれも神の意志に逆らうことはできない訳ではないかと。

 

[前田訳]そこであなたはいうでしょう、「なぜ神はなおも人をおとがめですか、だれがみ心にさか

らえますか」と。

 

 [解読の鍵]

 

ヤコブヘの手紙1:13誘惑に遭うとき、だれも、「神に誘惑されている」と言ってはなりません。神は、悪の誘惑を受けるような方ではなく、また、御自分でも人を誘惑したりなさらないからです。 (JNICV)

 

ローマ人への手紙3:5-6[塚本訳]しかしもしわたし達の不道徳が神の義を明らかにするならば、どういうことになるのだろうか、お怒りになる神方が―――これは人間的に言うのだが   ―――問違っているのではなかろうか。

06もちろん、そうではない。もしそうだとすれぱ、どうして神はこの世をお裁きになることができよう。

 

歴代志下20:6こう祈った。「わたしたちの先祖の神、主よ。あなたは天にいます神、異邦人の国をすべて支配しておられる方ではありませんか。御手にはカと勢いがあり、あなたに立ち向かうことのできる者はいません。(JNICV)

 

ヨブ記9:17-22神は髪の毛一筋ほどのことでわたしを傷つけ、理由もなくわたしに傷を加えられる。

18息つく暇も与えず、苦しみに苦しみを加えられる。

19力に訴えても、見よ、神は強い。正義に訴えても、証人となってくれるものはいない。20わたしが正しいと主張しているのに、口をもって背いたことにされる。無垢なのに、曲がった者とされる。

21無垢かどうかすら、もうわたしは知らない。生きていたくない。

22だからわたしは言う、同じことなのだ、と、神は無垢な者も逆らう者も、同じように滅ぼし尽くされる、と。(JNICV)

 

ヨブ記23:13-14神がいったん定められたなら、だれも翻すことはできない。神は望むがままに行われる。

14わたしのために定めたことを実行し、ほかにも多くのことを定めておられる。(JNICV)

 

詩篇76:8-10あなたこそ、あなたこそ恐るべき方。怒りを発せられるとき、誰が御前に立ちえよう。

9あなたは天から裁きを告知し、地は畏れて鎮まる。

10神は裁きを行うために立ち上がり、地の貧しい人をすべて救われる。(JNICV)

 

イザヤ書46:10-11わたしは終りの事を初めから告げ、まだなされない事を昔から告げて言う、『わたしの計りごとは必ず成り、わが目的をことごとくなし遂げる』と。

11わたしは東から猛禽を招き、遠い国からわが計りごとを行う人を招く。わたしはこの事を語ったゆえ、必ずこさせる。わたしはこの事をはかったゆえ、必ず行う。(JCV)

 

マルコによる福音書14:21[塚本訳]人の子(わたし)(聖書に)書いてあるとおりに死んでゆくのだから。だが人の子を売るその人は、ああかわいそうだ!生まれなかった方がよっぼど仕合わせであつた。」

 

使徒行伝2:23このイエスを神は、お定めになった計画により、あらかじめご存じのうえで、あなたがたに引き渡されたのですが、あなたがたは律法を知らない者たちの手を借りて、十字架につけて殺してしまったのです。(JNICV)

 

使徒行伝4:27-28まことに、ヘロデとポンテオ・ピラトとは、異邦人らやイスラエノレの民と一緒になって、この都に集まり、あなたから油を注がれた聖なる僕イエスに逆らい、

28み手とみ旨とによって、あらかじめ定められていたことを、なし遂げたのです。(JCV)

 

 

 

ローマ人への手紙920

[口語訳]ああ人よ。あなたは、神に言い逆らうとは、いったい、何者なのか。造られたものが造った者に向かって、「なぜ、わたしをこのように造ったのか」と言うことがあろうか。

 

[新改訳]しかし、人よ。神に言い逆らうあなたは、いったい何ですか。形造られた者が形造った者に対して、「あなたはなぜ、私をこのようなものにしたのですか。」と言えるでしょうか。

 

[新共同訳]人よ、神に口答えするとは、あなたは何者か。造られた物が造った者に、「どうしてわたしをこのように造ったのか」と言えるでしょうか。

 

[文語訳]ああ人よ、なんぢ誰なれぱ神に言ひ逆ふか、造られしもの造りたる者に封(むか)ひて『なんぢ何ぞ我を斯く造りし』と言ふべきか。

 

[塚本訳]ああ人よ、いったい君は何者なれば、神に口答えをするのか。“作られたものが作った者に向かって、「なぜ“わたしをこんなものに造ったか」と言えるだろうか”

 

[前田訳]ああ人よ、神にいいさからうとはいったいあなたは何ものですか。造られたものが造ったものに、「なぜこのようにわたしを造ったか」といえましょうか。

 

 [解読の鍵]

ヨブ記33:12-14見よ、わたしはあなたに答える、あなたはこの事において正しくない。神は人よりも大いなる者だ。

13あなたが『彼はわたしの言葉に少しも答えられない』といって、彼に向かって言い争うのは、どういうわけであるか。

14神は一つの方法によって語られ、また二つの方法によって語られるのだが、人はそれを悟らないのだ。(JCV)

 

ヨブ記36:22-23まことに神は力に秀でている。神のような教師があるだろうか。

23誰が神の道を見張り、「あなたのすることは悪い」と言えようか。(JNICV)

 

マタイによる福音書20:15[塚本訳]わたしのものを、わたしがしたいようにしてはいけないのか。それとも、わたしが親切をしてやったのが羨ましいのか。』

 

テトスヘの手紙2:9-10奴隷には、あらゆる点で自分の主人に服従して、喜ぱれるようにし、反抗したり、

10盗んだりせず、常に忠実で善良であることを示すように勧めなさい。そうすれば、わたしたちの救い主である神の教えを、あらゆる点で輝かすことになります。(JNICV)

 

コリント人への第一の手紙1:20知者はどこにいるか。学者はどこにいるか。この世の論者はどこにいるか。神はこの世の知恵を、愚かにされたではないか。(JCV)

 

テモテヘの第一の手紙6:3-5もし違ったことを教えて、わたしたちの主イエス・キリストの健全な言葉、ならびに信心にかなう教に同意しないような者があれば、

4彼は高慢であって、何も知らず、ただ論議と言葉の争いとに病みついている者である。そこから、ねたみ、争い、そしり、さいぎの心が生じ、

5また知性が腐って、真理にそむき、信心を利得と心得る者どもの間に、はてしのないいがみ合いが起るのである。(JCV)

 

イザヤ書29:15-16災いだ、主を避けてその謀(はかりごと)を深く隠す者は。彼らの業は闇の中にある。彼らは言う。「誰が我らを見るものか、誰が我らに気づくものか」と。

16お前たちはなんとゆがんでいることか。陶工が粘土と同じに見なされうるのか。造られた者が、造った者に言いうるのか、「彼がわたしを造ったのではない」と。陶器が、陶工に言いうるのか、「彼には分別がない」と。(JNICV)

 

イザヤ書45:9-11災いだ、土の器のかけらにすぎないのに、自分の造り主と争う者は。粘土が陶工に言うだろうか、「何をしているのか、あなたの作ったものに取っ手がない」などと。

10災いだ、なぜ子供をもうけるのか、と父親に言い、なぜ産みの苦しみをするのか、と女に問う者ば

11イスラエルの聖なる神、その造り主、主はこう言われる。あなたたちはしるしを求めるのか。わたしの子ら、わたしの手の業について、わたしに命ずるのか。(JNICV)

 

 

 

ローマ人への手紙921

             

[口語訳]陶器を造る者は、同じ土くれから、一つを尊い器に、他を卑しい器に造りあげる権能がないのであろうか。

 

[新改訳]陶器を作る者は、同じ土のかたまりから、尊いことに用いる器でも、また、つまらないことに用いる器でも作る権利を持っていないのでしょうか。

 

[新共同訳]焼き物師は同じ粘土から、一つを貴いことに用いる器に、一つを貴くないことに用いる器に造る権限があるのではないか。

 

[文語訳]陶工(すゑつくり)は同じ土塊(つちくれ)をもて、此を貴(たふと)きに用ふる器とし、

彼を賎しきに用ふる器とするの權なからんや。

[塚本訳]それとも、“陶器師こは、”同じ“粘土"の塊で、一っは尊い用途の、一つは卑しい用途の器を造る権利がないのだろうか。

 

[前田訳]それとも、陶器帥は、同じ粘土の塊からひとつを名誉への器、ひとつを不名誉への器にこしらえる権限を持ちませんか。

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙9:11-16まだ子供らが生れもせず、善も悪もしない先に、神の選びの計画が、

12わざによらず、召したかたによって行われるために、「兄は弟に仕えるであろう」と、彼女に仰せられたのである。

13「わたしはヤコブを愛しエサウを憎んだ」と書いてあるとおりである。

14では、わたしたちはなんと言おうか。神の側に不正があるのか。断じてそうではない。

15神はモーセに言われた、「わたしは自分のあわれもうとする者をあわれみ、いつくしもうとする者を、いつくしむ」。

16ゆえに、それは人間の意志や努力によるのではなく、ただ神のあわれみによるのである。(JCV)

 

'ローマ人への手紙9:1わたしはキリストにあって真実を語る。偽りは言わない。わたしの良心も聖霊によって、わたしにこうあかしをしている。(JCV)

 

歳言16:4主はすべての物をおのおのその用のために造り、悪しき人をも災の目のために造られた。 (JCV)

 

イザヤ書64:8されど主よ、あなたはわれわれの父です。われわれは粘土であって、あなたは陶器師です。われわれはみな、み手のわざです。(JCV)

 

エレミヤ書18:3-6わたしは陶器師の家へ下って行った。見ると彼は、ろくろで仕事をしていたが、

4粘土で造っていた器が、その人の手の中で仕損じたので、彼は自分の意のままに、それをもってほかの器を造った。

5その時、主の言葉がわたしに臨んだ、

6「主は仰せられる、イスラエルの家よ、この陶器師がしたように、わたしもあなたがたにできないのだろうか。イスラエルの家よ、陶器師の手に粘土があるように、あなたがたはわたしの手のうちにある。(JCV)

 

使徒行伝9:15-17しかし、主は仰せになった、「さあ、行きなさい。あの人は、異邦人たち、王たち、またイスラエルの子らにも、わたしの名を伝える器として、わたしが選んだ者である。

16わたしの名のために彼がどんなに苦しまなければならないかを、彼に知らせよう」。

17そこでアナニヤは、出かけて行ってその家にはいり、手をサウロの上において言った、「兄弟サウロよ、あなたが来る途中で現れた主イエスは、あなたが再び見えるようになるため、そして聖霊に満たされるために、わたしをここにおつかわしになったのです」。(JCV)

 

出エジプト記9:15-16わたしがもし、手をさし伸べ、疫病をもって、あなたと、あなたの民を打っていたならば、あなたは地から断ち滅ぼされていたであろう。

16しかし、わたしがあなたをながらえさせたのは、あなたにわたしの力を見せるため、そして、わたしの名が全地に宣べ伝えられるためにほかならない。(JCV)

 

 

 

ローマ人への手紙922

             

[口語訳]もし、神が怒りをあらわし、かつ、ご自身の力を知らせようと思われつつも、滅びることになっている怒りの器を、大いなる寛容をもって忍ばれたとすれば、

 

[新改訳]ですが、もし神が、怒りを示してご自分の力を知らせようと望んでおられるのに、その滅ぼされるべき怒りの器を、豊かな寛容をもって忍耐してくださったとしたら、どうでしょうか。

 

[新共同訳]神はその怒りを示し、その力を知らせようとしておられたが、怒りの器として滅びることになっていた者たちを寛大な心で耐え忍ばれたとすれぱ、

 

[文語訳]もし神、怒をあらはし權力(ちから)を示さんと思(おぼ)しつつも、なほ大なる寛容を

もて、滅亡に備(そなは)れる怒の器を忍び、

 

[塚本訳]それで、もし神が、(御自分の)怒りを示し御自分の力(の恐ろしさ)を知らせようとお

思いになるので、(今目まで)いとも気長に、“滅びのために”つくられた“怒りの器[滅びる人を辛抱された”とすれば、

 

[前田訳]もし神が怒りを示し、力を知らせようとお思いで、滅びのためにつくられた怒りの器を多くの寛容をもって忍ばれたとすると、

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙1:18神の怒りは、不義をもって真理をはばもうとする人間のあらゆる不信心と不義とに対して、天から啓示される。(JCV)

 

ローマ人への手紙2:4-5それとも、神の慈愛があなたを悔改めに導くことも知らないで、その慈愛と忍耐と寛容との富を軽んじるのか。

5あなたのかたくなな、悔改めのない心のゆえに、あなたは、神の正しいさばきの現れる怒りの目のために神の怒りを、自分の身に積んでいるのである。(JCV)

 

詩篇90:11だれがあなたの怒りの力を知るでしょうか。だれがあなたをおそれる恐れにしたがってあなたの憤りを知るでしょうか。(JCV)

 

歳言16:4主は御旨にそってすべての事をされる。逆らう者をも災いの目のために造られる。

(JNICV)

 

ペテロの第一の手紙3:18-20キリストも、あなたがたを神に近づけようとして、自らは義なるかた

であるのに、不義なる人々のために、ひとたび罪のゆえに死なれた。ただし、肉においては殺されたが、霊においては生かされたのである。

19こうして、彼は獄に捕われている霊どものところに下って行き、宣べ伝えることをされた。

20これらの霊というのは、むかしノアの箱舟が造られていた間、神が寛容をもって待っておられたのに従わなかった者どものことである。その箱舟に乗り込み、水を経て救われたのは、わずかに八名だけであった。(JCV)

 

ペテロの第二の手紙3:8-10愛する者たちよ。この一事を忘れてはならない。主にあっては、一日は千年のようであり、千年は日のようである。

9ある人々がおそいと思っているように、主は約束の実行をおそくしておられるのではない。ただ、ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔改めに至ることを望み、あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである。

10しかし、主の日は盗人のように襲って来る。その日には、天は大音響をたてて消え去り、天体は焼けてくずれ、地とその上に造り出されたものも、みな焼きつくされるであろう。

(JCV)

 

 

 

ローマ人への手紙923

                                                                                   

[口語訳]かつ、栄光にあずからせるために、あらかじめ用意されたあわれみの器にご自身の栄光の富を知らせようとされたとすれば、どうであろうか。

 

[新改訳]それも、神が栄光のためにあらかじめ用意しておられたあわれみの器に対して、その豊かな栄光を知らせてくださるためになのです。

 

[新共同訳]それも、憐れみの器として栄光を与えようと準備しておられた者たちに、御自分の豊かな栄光をお示しになるためであったとすれぱ、どうでしょう。

 

[文語訳]また光榮のために預じめ備へ給ひし憐憫の器に封(むか)ひて、その榮光の富を示さんとし給ひしならば如何に。

 

[塚本訳]またそれは、栄光のためにあらかじめ用意された憐れみの器[救われる人]に、御自分の豊かな栄光を知らせるためであったとすれぱ、どうだ。(かれこれ言うことはないではないか。)

 

[前田訳]そしてそれは、栄光のためあらかじめそなえられたあわれみの器に、自らの豊かな栄光をお知らせになるためであったとすると、どうでしょう。

 

[解読の鍵]

ローマ人への手紙2:4-8それとも、神の慈愛があなたを悔改めに導くことも知らないで、その慈愛と忍耐と寛容との富を軽んじるのか。

5あなたのかたくなな、悔改めのない心のゆえに、あなたは、神の正しいさばきの現れる怒りの日のために神の怒りを、自分の身に積んでいるのである。

6神は、おのおのに、そのわざにしたがって報いられる。

7すなわち、一方では、耐え忍んで善を行って、光栄とほまれと朽ちぬものとを求める人に、永遠のいのちが与えられ、

8他方では、党派心をいだき、真理に従わないで不義に従う人に、怒りと激しい憤りとが加えられる。(JCV)

 

ローマ人への手紙5:20-21律法が入り込んで来たのは、罪が増し加わるためでありました。しかし、罪が増したところには、恵みはなおいっそう満ちあふれました。

21こうして、罪が死によって支配していたように、恵みも義によって支配しつつ、わたしたちの主イェス・キリストを通して永遠の命に導くのです。(JNICV)

 

エペソ人への手紙1:17-18どうか、わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の父が、知恵と啓示との霊をあなたがたに賜わって神を認めさせ、

18あなたがたの心の目を明らかにして下さるように、そして、あなたがたが神に召されていだいている望みがどんなものであるか、聖徒たちがつぐべき神の国がいかに栄光に富んだものであるか、 (JCV)

 

エペソ人への手紙2:3-7また、わたしたちもみな、かつては彼らの中にいて、肉の欲に従って日を過ごし、肉とその思いとの欲するままを行い、ほかの人々と同じく、生れながらの怒りの子であった。

4しかるに、あわれみに富む神は、わたしたちを愛して下さったその大きな愛をもって、

5罪過によって死んでいたわたしたちを、キリストと共に生かし・・あなたがたの救われたのは、恵みによるのである・・

6キリスト・イエスにあって、共によみがえらせ、共に天上で座につかせせて下さったのである。

7それは、キリスト・イエスにあってわたしたちに賜わった慈愛による神の恵みの絶大な富を、きたるべき世々に示すためであった。(JCV)

 

エペソ人への手紙2:10-12わたしたちは神の作品であって、良い行いをするように、キリスト・イエスにあって造られたのである。神は、わたしたちが、良い行いをして日を過ごすようにと、あらかじめ備えて下さったのである。

11だから、記憶しておきなさい。あなたがたは以前には、肉によれば異邦人であって、手で行った肉の割礼ある者と称せられる人々からは、無割礼の者と呼ばれており、

12またその当時は、キリストを知らず、イスラエルの国籍がなく、約束されたいろいろの契約に縁がなく、この世の中で希望もなく神もない者であった。(JCV)

 

ルカによる福音書1:17[塚本訳](それぱかりか、)(預言者)エリヤの”霊とカとをもって主

(救世主)の免駆けをし、“父の心を(ふたたぴ)子に”(向けさせて家をきよめ、)また不従順

な者を義人と同じ考えに“立ち返らせて、”準備のできた民を主のために用意するであろう。」

 

 

 

ローマ人への手紙924

                           

[口語訳]神は、このあわれみの器として、またわたしたちをも、ユダヤ人の中からだけではなく、異邦人の中からも召されたのである。

 

[新改訳]神は、このあわれみの器として、私たちを、ユダヤ人の中からだけでなく、異邦人の中からも召してくださったのです。

 

[新共同訳]神はわたしたちを憐れみの器として、ユダヤ人からだけでなく、異邦人の中からも召し出してくださいました。

 

[文語訳]この憐憫の器は我等にして、ユダヤ人の中よりのみならず、異邦人の中よりも召し給ひしものなり。

 

[塚本訳]神はこの憐れみの器としてわたし達をも召されたのである。ただユダヤ人の中からだけでなく、異教人の中からも。

 

[前田訳]神はあわれみの器として、われらをもお召しでした。ユダヤ人からだけでなく、異邦人からもです。

 

[解読の鍵]

 

ローマ人への手紙3:29-30それとも、神はユダヤ人だけの神であろうか。また、異邦人の神であるのではないか。確かに、異邦人の神でもある。

30まことに、神は唯一であって、割礼のある者を信仰によって義とし、また、無割礼の者をも信仰のゆえに義とされるのである。(JCV)

 

ローマ人への手紙10:11-12聖書は、「すべて彼を信じる者は、失望に終ることがない」と言っている。

12ユダヤ人とギリシヤ人との差別はない。同一の主が万民の主であって、彼を呼び求めるすべての人を豊かに恵んで下さるからである。(JCV)

 

ローマ人への手紙11:11-13そこで、わたしは問う、「彼らがつまずいたのは、倒れるためであったのか」。断じてそうではない。かえって、彼らの罪過によって、救が異邦人に及び、それによってイスラエルを奮起させるためである。

12しかし、もし、彼らの罪過が世の富となり、彼らの失敗が異邦人の富となったとすれぱ、まして彼らが全部救われたなら、どんなにかすぱらしいことであろう。

13そこでわたしは、あなたがた異邦人に言う。わたし自身は異邦人の使徒なのであるから、わたしの務めを光栄とし、(JCV)

 

使徒行伝13:47-48主はわたしたちに、こう命じておられる、『わたしは、あなたを立てて異邦人の光とした。あなたが地の果までも救をもたらすためである』」。

48異邦人たちはこれを聞いてよろこび、主の御言をほめたたえてやまなかった。そして、永遠の命にあずかるように定められていた者は、みな信じた。(JCV)

 

使徒行伝2117-20わたしたちがエルサレムに到着すると、兄弟たちは喜んで迎えてくれた。

18翌目パウロはわたしたちを連れて、ヤコブを訪問しに行ったそこに長老たちがみな集まっていた。

19パウロは彼らにあいさつをした後、神が自分の働きをとおして、異邦人の間になさった事どもを一々説明した。

20一同はこれを聞いて神をほめたたえ、そして彼に言った、「兄弟よ、ご承知のように、ユダヤ人の中で信者になった者が、数万にものぼっているが、みん律法に熱心な人たちである。(JCV)

 

ガラテヤ人への手紙3:28もはや、ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もない。あなたがたは皆、キリスト・イエスにあって一つだからである。 (JCV)

 

エペソへの手紙2:11-13だから、記億しておきなさい。あなたがたは以前には、肉によれば異邦人であって、手で行った肉の割礼ある者と称せられる人々からは、無割礼の者と呼ばれており、

12またその当時は、キリストを知らず、イスラエルの国籍がなく、約束されたいろいろの契約に縁がなく、この世の中で希望もなく神もない者であった。

13ところが、あなたがたは、このように以前は遠く離れていたが、今ではキリスト・イエスにあって、キリストの血によって近いものとなったのである。(JCV)

 

コロサイ人への手紙3:11そこには、もはや、ギリシア人とユダヤ人、割礼を受けた者と受けてい

ない者、未開人、スキタイ人、奴隷、自由な身分の者の区別はありません。キリストがすべてであり、すべてのもののうちにおられるのです。(JNICV)

 

 

 

ローマ人への手紙925

 

[口語訳]それは、ホセアの書でも言われているとおりである、/「わたしは、わたしの民でない者を、/わたしの民と呼び、/愛されなかった者を、愛される者と呼ぶであろう。

 

[新改訳]それは、ホセアの書でも言っておられるとおりです。「わたしは、わが民でない者をわが民と呼ぴ、愛さなかった者を愛する者と呼ぶ。

 

[新共同訳]ホセアの書にも、次のように述べられています。「わたしは、自分の民でない者をわたしの民と呼び、/愛されなかった者を愛された者と呼ぶ。

 

[文語訳]ホゼヤの書に、『我わが民たらざる者を我が民と呼ぴ、愛せられざる者を愛せらるる者と呼ばん、

 

[塚本訳](異教人の中から憐れみの器が選ぱれることは、不思議ではない。)神がホセア書でも言っておられるとおりである。“わたしはわたしの民でない者をわたしの民と呼び、愛されぬ者を愛される者と呼ぶであろう。

 

[前田訳]「ホセア書」でもいわれています、「わが民でないものをわが民と呼ぴ、愛されぬものを愛されるものと呼ぼう。

 

[解読の鍵]

ホセア書2:23わたしはわたしのために彼を地にまき、あわれまれぬ者をあわれみ、わたしの民でない者に向かって、『あなたはわたしの民である』と言い、彼は『あなたはわたしの神である』と言う」。 (JCV)

 

ホセア書1:1-2ユダヤの王ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの世、イスラエルの王ヨアシの子ヤラベアムの世に、ベエリの子ホセアに臨んだ主の言蒐

2主が最初ホセアによって語られた時、主はホセアに言われた、「行って、淫行の妻と、淫行によって生れた子らを受けいれよ。この国は主にそむいて、はなはだしい淫行をなしているからである」。 (JCV)

 

ペテロの第一の手紙2:10あなたがたは、以前は神の民でなかったが、いまは神の民であり、以前は、あわれみを受けたことのない者であったが、いまは、あわれみを受けた者となっている。 (JCV)

 

ローマ人への手紙1:7ローマにいる、神に愛され、召された聖徒一同へ。わたしたちの父なる神および主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。 (JCV)

 

エゼキエル書16:8わ たしは再びあなたのかたわらをとおって、あなたを見たが、見よ、あなたは愛せられる年齢に達していたので、わたしは着物のすそであなたをおおい、あなたの 裸をかくし、そしてあなたに誓い、あなたと契約を結んだ。そしてあなたはわたしのものとなったと、主なる神は言われる。 (JCV)

 

ヨハネによる福音書16:27父ご自身があなたがたを愛しておいでになるからである。それは、あなたがたがわたしを愛したため、また、わたしが神のみもとからきたことを信じたためである。 (JCV)

 

 

 

ローマ人への手紙926

 

[口語訳]あなたがたはわたしの民ではないと、/彼らに言ったその場所で、/彼らは生ける神の子らであると、/呼ばれるであろう」。

 

[新改訳]『あなたがたは、わたしの民ではない。』と、わたしが言ったその場所で、彼らは、生け

る神の子どもと呼ばれる。」

 

[新共同訳]『あなたたちは、わたしの民ではない』/と言われたその場所で、/彼らは生ける神の子らと呼ばれる。」

 

[文語訳]「なんぢら我が民にあらず」と言ひし虚にて、彼らは活ける神の子と呼ばるべし』、と宣へる如し。

 

[塚本訳]「あなた達は私の民でない」と言われたその場所で、彼らは生ける神の子と呼ばれるであろう。

 

[前田訳]あなた方はわが民でない、といわれたその場所で、彼らは生ける神の子と呼ぱれよう」と。

 

[解読の鍵]

 

ホセア書1:9-10主は言われた、「その子の名をロアンミと名づけよ。あなたがたは、わたしの民ではなく、わたしは、あなたがたの神ではないからである」。

10しかしイスラエルの人々の数は海の砂のように量ることも、数えることもできないほどになって、さきに彼らが「あなたがたは、わたしの民ではない」と言われたその所で、「あなたがたは生ける神の子である」と言われるようになる。(JCV)

 

ホセア書1:9-2:1主は言われた。「その子を、口・アンミ(わが民でない者)と名付けよ。あなたたちはわたしの民ではなく、わたしはあなたたちの神ではないからだ。」

1イスラエルの人々は、その数を増し、海の砂のようになり、量ることも、数えることもできなくなる。彼らは、「あなたたちは、口・アンミ(わが民でない者)」と、言われるかわりに、「生ける神の子ら」と言われるようになる。(JNICV)

 

ローマ人への手紙8:16御霊みずから、わたしたちの霊と共に、わたしたちが神の子であることをあかしして下さる。(JCV)

 

イザヤ書43:6わたしは北にむかって『ゆるせ』と言い、南にむかって『留めるな』と言う。わが子らを遠くからこさせ、わが娘らを地の果からこさせよ。(JCV)

 

ヨハネによる福音書11:52ただ国民のためだけではなく、また散在している神の子らを一つに集めるために、死ぬことになっていると、言ったのである。(JCV)

 

コリント人への第二の手紙6:16-18神の宮と偶像となんの一致があるか。わたしたちは、生ける神の宮である。神がこう仰せになっている、「わたしは彼らの間に住み、かつ出入りをするであろう。

そして、わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となるであろう」。

17だから、「彼らの間から出て行き、彼らと分離せよ、と主は言われる。そして、汚れたものに触れてはならない。触れなければ、わたしはあなたがたを受けいれよう。

18そしてわたしは、あなたがたの父となり、あなたがたは、わたしのむすこ、むすめとなるであろう。全能の主が、こう言われる」。(JCV)

 

ガラテヤ人への手紙3:26あなたがたはみな、キリスト・イエスにある信仰によって、神の子なのである。(JCV)

 

ヨハネの第一の手紙3:1-3わたしたちが神の子と呼ぱれるためには、どんなに大きな愛を父から賜わったことか、よく考えてみなさい。わたしたちは、すでに神の子なのである。世がわたしたちを知らないのは、父を知らなかったからである。

2愛する者たちよ。わたしたちは今や神の子である。しかし、わたしたちがどうなるのか、まだ明らかではない。彼が現れる時、わたしたちは、自分たちが彼に似るものとなることを知っている。そのまことの御姿を見るからである。

3彼についてこの望みをいだいている者は皆、彼がきよくあられるように、自らをきよくする。 (JCV)

 

 

 

ローマ人への手紙927

 

[口語訳]また、イザヤはイスラエルについて叫んでいる、/「たとい、イスラエルの子らの数は、/浜の砂のようであっても、/救われるのは、残された者だけであろう。

 

[新改訳]また、イスラエルについては、イザヤがこう叫んでいます。「たといイスラエルの子どもたちの数は、海べの砂のようであっても、救われるのは、残された者である。

 

[新共同訳]また、イザヤはイスラエルについて、叫んでいます。「たとえイスラエルの子らの数が海辺の砂のようであっても、残りの者が救われる。

 

[文語訳]イザヤもイスラエルに就きて叫べり『イスラエルの子孫の敷は海の砂のごとくなりとも、救はるるはただ残の者のみならん。

 

[塚本訳](預言者)イザヤもイスラエル人について叫んでいる。“たとえイスラエル[ヤコブ〕の子孫の数は海の砂のように(多数)であろうとも、(信ずる少数の)残りの者(だけ)が救われる。

 

[前田訳]イザヤもイスラエルについて叫ぴます、「たとえイスラエルの子らの数が海の砂のようでも、残りのものだけが救われよう。

 

[解読の鍵]

 

イザヤ書10:20-23その日にはイスラエルの残りの者と、ヤコブの家の生き残った者とは、もはや自分たちを撃った者にたよらず、真心をもってイスラエルの聖者、主にたより、

21残りの者、すなわちヤコブの残りの者は大能の神に帰る。

22あなたの民イスラエルは海の砂のようであっても、そのうちの残りの者だけが帰って来る。滅びはすでに定まり、義であふれている。

23主、万軍の主は定められた滅びを全地に行われる。(JCV)

 

ローマ人への手紙11:4-6しかし、彼に対する御告げはなんであったか、「バアルにひざをかがめなかった七千人を、わたしのために残しておいた」。

5それと同じように、今の時にも、恵みの選びによって残された者がいる。

6しかし、恵みによるのであれぱ、もはや行いによるのではない。そうでないと、恵みはもはや恵みではなくなるからである。(JCV)

 

エズラ記9:14-15われわれは再びあなたの命令を破って、これらの憎むべきわざを行う民と縁を結んでよいでしょうか。あなたはわれわれを怒って、ついに滅ぼし尽し、残る者も、のがれる者もないようにされるのではないでしょうか。

15ああ、イスラエルの神、主よ、あなたは正しくいらせられます。われわれはのがれて残ること今日のとおりです。われわれは、とがをもってあなたの前にあります。それゆえだれもあなたの前に立っことはできません」。(JCV)

 

イザヤ書1:9-11もし万軍の主が、われわれに少しの生存者を残されなかったなら、われわれはソドムのようになり、またゴモラと同じようになったであろう。

10あなたがたソドムのつかさたちよ、主の言葉を聞け。あなたがたゴモラの民よ、われわれの神の教に耳を傾けよ。

11主は言われる、「あなたがたがささげる多くの犠性は、わたしになんの益があるか。わたしは雄羊の燔祭と、肥えた獣の脂肪とに飽いている。わたしは雄牛あるいは小羊、あるいは雄やぎの血を喜ばない。(JCV)

 

イザヤ書10:20-23その目にはイスラエルの残りの者と、ヤコブの家の生き残った者とは、もはや自分たちを撃った者にたよらず、真心をもってイスラエルの聖者、主にたより、

21残りの者、すなわちヤコブの残りの者は大能の神に帰る。

22あなたの民イスラエルは海の砂のようであっても、そのうちの残りの者だけが帰って来る。滅びはすでに定まり、義であふれている。

23主、万軍の主は定められた滅びを全地に行われる。(JCV)

 

イザヤ書11:11-12その日、主は再ぴ手を伸べて、その民の残れる者をアッスリヤ、エジプト、パテロス、エチオピヤ、エラム、シナル、ハマテおよぴ海沿いの国々からあがなわれる。

12主は国々のために旗をあげて、イスラエルの追いやられた者を集め、ユダの散らされた者を地の四方から集められる。(JCV)

 

 

 

ローマ人への手紙928

             

[口語訳]主は、御言をきびしくまたすみやかに、/地上になしとげられるであろう」。

 

[新改訳]主は、みことばを完全に、しかも敏速に、地上に成し遂げられる。」

 

[新共同訳]主は地上において完全に、しかも速やかに、言われたことを行われる。」

 

[文語訳]主、地の上に御言をなし了()へ、これを遂げ、これを速かにし給はん』

 

[塚本訳]なぜなら主は(間もなく約束の)御言葉を完了し打ち切って、(裁きと救いとを)地上に

実現されるからである。

 

[前囲訳]主はみことばをなしとげ、切りをつけて地に実現されようから」と。

 

[解読の鍵]

 イザヤ書10:25ただしぱらくして、わが憤りはやみ、わが怒りは彼らを滅ぼすからである。(JCV)

 

マタイによる福音書24:2そこでイエスは彼らにむかって言われた、「あなたがたは、これらすべてのものを見ないか。よく言っておく。その石一つでもくずされずに、そこに他の石の上に残ることもなくなるであろう」。(JCV)

 

使徒行伝17:31[塚本訳]神は一つの日を決め、その目に御自分の定めた一人の人(イエス)を使って“正しく()世界を裁こうと''計画しておられるからです。そして彼を死人の中から復活させて、すべての人に(彼が世界を裁くべき人であるという)その保証をお与えになったのであります。」

 

 

 

                                                                                   

ローマ人への手紙929

 

 [口語訳]さらに、イザヤは預言した、/「もし、万軍の主がわたしたちに/子孫を残されなかったなら、/わたしたちはソドムのようになり、/ゴモラと同じようになったであろう」。

 

[新改訳]また、イザヤがこう預言したとおりです。「もし万軍の主が、私たちに子孫を残されなかったら、私たちはソドムのようになり、ゴモラと同じものとされたであろう。」

 

[新共同訳]それはまた、イザヤがあらかじめこう告げていたとおりです。「万軍の主がわたしたちに子孫を残されなかったら、/わたしたちはソドムのようになり、/ゴモラのようにされたであろう。」

 

[文語訳]また、『萬軍の主われらに葡(すゑ)を遺し給はずぱ、我等ソドムの如くになり、ゴモラと等しかりしならん』、とイザヤの預言せしが如し。

 

[塚本訳]さらにイザヤは前もってこう言われている。“もし万軍の主がわたし達に(まことのイスラエルの)子孫を残されなかったなら、わたし達はソドムのようになりゴモラと同じになっ(て滅び)たにちがいない。” 

 

[前田訳]また、イザヤは預言しました、「もし万軍の主がわれらに末を残されなかったら、われらはソドムやゴモラと同じになったろう」と。

 

[解読の鍵]

 

イザヤ書1:9もし万軍の主が、われわれに少しの生存者を残されなかったなら、われわれはソドムのようになり、またゴモラと同じようになったであろう。(JCV)

 

イザヤ書6:13なお、そこに十分の一が残るがそれも焼き尽くされる。切り倒されたテレビンの木、樫の(JNICV)

 

創世記19:24-25主は硫黄と火とを主の所すなわち天からソドムとゴモラの上に降らせて、

25これらの町と、すべての低地と、その町々のすべての住民と、その地にはえている物を、ことごとく滅ぼされた。(JCV)

 

イザヤ書13:19国々の誉であり、カルデヤ人の誇である麗しいバビロンは、神に滅ぼされたソドム、ゴモラのようになる。(JCV)

 

エレミヤ書49:18主は言われる、ソドムとゴモラとその隣の(JCV)

 

エレミヤ書50:40主は言われる、神がソドムとゴモラと、その隣の町々を滅ぼされたように、(JCV)

 

哀歌4:6わが民の娘のうけた懲らしめは、ソドムの罰よりも大きかった。ソドムは昔、人の手によらないで、またたくまに滅ぼされたのだ。(JCV)

 

アモス書4:11「わたしはあなたがたのうちの町を神がソドムとゴモラを滅ぼされた時のように滅ぼしたので、あなたがたは炎の中から取り出された燃えさしのようであった。それでも、あなたがたはわたしに帰らなかった」と主は言われる。(JCV)

 

ペテロの第二の手紙2:6また、ソドムとゴモラの町々を灰に帰せしめて破滅に処し、不信仰に走ろとする人々の見せしめとし、(JCV)

 

ユダの手紙7ソドム、ゴモラも、まわりの町々も、同様であって、同じように淫行にふけり、不自然な肉欲に走ったので、永遠の火の刑罰を受け、人々の見せしめにされている。(JCV)

 

ルカによる福音書17:29[塚本訳]ロトがソドムから出た日に、“(神は)天から火と硫黄とを降らせて、`」人のこらず滅ぼしてしまわれた。”

 

 

 

渡れない川

9月の末に仕事を兼ねて徳島を訪れ、初めて鳴門海峡を見た。潮の干満で海水が瀬戸

内海に流れ込んだり逆に流れ出たりするときに潮の勢いが激しいので海峡が急流のよ

うになり渦ができる。瀬戸内海の島は大小多くあり、総て泳いで渡れそうな距離にあ

るため水泳が好きな私は泳ぎたくなる種働に駆られたが、この鳴門海峡だけは無理そ

うであった。渦が激しく、実際にここで溺れると浮かんでこないそうである。

昔は観光船で渦を見学したが、今は本州四国連絡橋の大鳴門橋(鳴門と淡路島間)

上から真下に渦潮を見ることができる。その激しい潮流を橋の上から見ていたら、一

人が乗った小さな漁船が舵をうまく操って渦の巻く潮流を乗り切っていった。

私はそのとき次の讃美歌を思い出した。これは集会の松島省三先生や長谷川新吉さん

の告別式のときに歌ったものである。

 

賛美歌482

4節 死の波路(なみじ)のやみのかなた

父なる岸べのかがやくみゆ

5節 父のかみよその波路(なみじ)

救いの舟にて乗りこえゆかん

 

我々は生きているときも死ぬときにも、渡れない川を前にして途方にくれることがあ

る。この罪と穢れの身は向こう岸に渡れないのだ。しかしそのときキリストの舟が向

こうから近づいて来てくれて無条件に乗せてくれる。それは「救いの舟」、「助け舟」。

キリストは贖罪の血を流してその舟に乗せてくれる。渡れない川を渡して下さる。み

じめな罪の人生の過去を間われることなく、「絶対恩恵の救い」で無条件で渡してくれ

るのだ。パウロはロマ書でそのことだけを言っているのだ。福音はその必要を感じさ

えすればそうむずかしいことではない。           2001.9.25高橋照男

 

 

 

表題・要約

 

イスラエルと福音(9:30-10:4)…新共同訳

 

10章 教会の罪責…バルト

認識の危機(930-103)

 

神の義とイスラエルの問題91節一1136節…ケーゼマン

(3)イスラエルの罪責と転落(9:30-10:21)

1テーマ(9:30-33)

 

2部神の義とイスラエルの運命(9:1-11:36)…アルトハウスNTD

 (3)その不信仰のゆえに躓き倒れたイスラエル(9:30-10:21)

a信仰の義を拒否して、律法の義を追い求めるイスラエノレ(9:30-10:3)

 

全人類の救ひ91-1136…黒崎註解新約聖書

(2)イスラエルの不信と義(9:27-11:12)

()イスラエルの救はれざるは信仰によらぬ故なり(9:27-33)

 

ユダヤ民族の罪責(9:30-10:21)…高橋三郎

 

3部イスラエル不信の間題…フランシスコ会訳

イスラエルと福音(9:30-10:4)

 

神の主権(9:19-33)…青野(岩波)

 

異邦人優先(9:25-33)…前田訳

 

イスラエルの救い(9:1-11:36)(「信仰によって義とされるなら、イスラエルに対する

神の約束はどうなるのか」という問いに対して)・・・八木(講談社)

 イスラエルも躓き(9:30-10:4

 

全人類の救済9章一11章…塚本註解

躓きの石石(9:30-33)

 

イスラエル人の躓きと異教人の救いとは聖書に預言がある(9:25-33)・・・塚本訳

 

3選びの逆説的現実(9:1-11:36)…ヴィルケンスEKK

3神の義に支けるイスラエノレの反抗(9:30-10:21)

aイスラエルは信仰の義に達しなかった(9:30-33)

躓きの石 (9:30-10:3)…白井きく

 

ユダヤ人の不信と人類の救い(2)(9-10章の大意)…内村鑑三



ローマ人への手紙930

 

 [口語訳] では、わたしたちはなんと言おうか。義を追い求めなかった異邦人は・義・すなわち、信仰による義を得た。

 

[新改訳]では、どういうことになりますか。義を追い求めなかった異邦人は義を得ました。すなわち、信仰による義です。

 

「新共同訳」では、どういうことになるのか。義を求めなかった異邦人が、義、しかも信仰による義を得ました。

 

[文語訳]然らば何をか言はん、義を追ひ求めざりし異邦人は義を得たり、即ち信仰による義なり。

 

[塚本訳]すると、どういうことになるのだろうか。義を追い求めなかった異教人が(かえって)義を勝ち取った。すなわち(行いによらない)信仰による義である。

 

[前田訳]それなら何といいましょう。義を求めなかった異邦人が義、すなわち信仰による義を得ました。

 

[解読の鍵 NESTRE=ALANT NOUNTESTAMENTUMGRAECE27版 & SCOFIELD STUDY参照]

 

ロマ10:20

[口語訳]イザヤも大胆に言っている、/わたしは、わたしを求めない者たちこ見いだされ、/

わたしを尋ねない者に、自分を現した」。

 

[新改訳] またイザヤは大胆にこう言っています。「わたしは、わたしを求めない者に見いだされ、わたしをたずねない者に自分を現わした。」

 

[新共同訳]イザヤも大胆に、/「わたしは、/わたしを探さなかった者たちに見いだされ、/わたしを尋ねなかった者たちに自分を現した」と言っています。

 

●解釈と感想、

求めないもの(尋ねないもの)にも神は姿を顕す。神の絶対恩恵の救いの極地。身内のあの人この人も救われる。罪人のあの人こそ救われる。キリスト教に反抗的なアイツも救われる。全員救われる。なぜか、それは本人の反省が大きいからではない。神の親心からか。最高の導き手である神(医者、教育者)の方から近づいてくださるのだから安心である。

 

口語訳ロマ1:17

1:17神の義は、その福音の中に啓示され、信仰に始まり信仰に至らせる。これは、「信仰による義人は生きる」と書いてあるとおりである。

 

口語訳ロマ3:21しかし今や、神の義が、律法とは別に、しかも律法と預言者とによってあかしされて、現された。

 

口語訳ガラ2:16

2:16人 の義とされるのは律法の行いによるのではなく、ただキリスト・イエスを信じる信仰によることを認めて、わたしたちもキリスト・イエスを信じたのである。そ れは、律法の行いによるのではなく、キリストを信じる信仰によって義とされるためである。なぜなら、律法の行いによっては、だれひとり義とされることがな いからである。

 

前田訳ガラ2:16

人が義とされるのは律法の行ないによるのでなく、ただキリスト・イエスのまことによると知って、われらもキリスト・イエスを信じました。それは律法の行ないによらずに、キリストのまことによって義とされるためです。律法の行ないによっては何びとも義とされないからです。

 

●解釈と感想、

この前田訳の「まこと」(ピスチス)は魅力的な訳だが、それは救われた者が「反省」として振り返ってする感慨感想である。人間、救われたいときには死に物狂いで、なりふりかまわず、ヤケクソ(三谷隆正)で信じ込むのである。キリストに病気を直されたものの姿は皆これであった。「汝の信仰汝を救えり」「からし粒ほどの信仰」である。

 

口語訳ガラ3:24-25

3:24このようにして律法は、信仰によって義とされるために、わたしたちをキリストに連れて行く養育掛となったのである。

3:25しかし、いったん信仰が現れた以上、わたしたちは、もはや養育掛のもとにはいない。

 

口語訳ピリ3:9律法による自分の義ではなく、キリストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基く神からの義を受けて、キリストのうちに自分を見いだすようになるためである。

 

 

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9章31節〜11章24節は工事中。もしその前にこのデータが必要ならば御連絡ください。紙での原本をコピーして無償でお送りいたします。2005.10.17

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 霊魂の苦しみからの解放の喜び

 

人生の旅路で、極度の苦し み悲しみに遭遇させられることがある。しかしその「深き淵」から不思議な力で心が解放されることがある。そのときの解放の喜びはたとえようがない。全身に 力が湧きあがる。神の霊が下って解放されたとしか言いようがない体験である。これは体験して見なければ分からないことである。このとき長い苦しみから自由 にされ、解放され、喜びが湧く。罪の悩みからの解放。自由。歓喜。その体験は人によって様々なようであるが、共通のことは不思議な力を得て喜びのうちに人 生を前に向かって「歩き出す」事である。主の霊のあるところに自由がある。喜びがある。解放の喜び。自由の喜び。それは贖罪の霊。神・キリスト・聖霊。救 いの霊の実在。

 

第二コリント3:17 

ここでいう主とは、“霊”のことですが、主ののおられるところに自由があります。

 

初代の使徒たちの活動の原点も主の霊が下ったことによる。使徒たちの活動の「実が結び」はじめたのはそのときからである。

 

口語訳 使  1:8

1:8 ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう」。

 

塚 本虎二先生は震災で夫人を亡くされるという極度の悲しみのときに「神は愛なり」という天からの声が響き、つまり聖霊が下り、立ち上がられた。塚本先生に多 くの「実が結び始めた」のはそのときからであった。多くの方々が先生のこの不幸なご体験に言い知れぬ感動を覚えて惹かれ神が先生を通して語る言葉に耳を傾 けた。

先生の悲しみと不幸は多くの人が「実を結ぶ」ための神のご計画であった。夫人の死はそのための「一粒の麦」「犠牲の死」であった。

 

新共同 使  1:8

1:8 あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」

 

2001.10.28 第28回塚本虎二先生記念会の日  高橋照男

 

 

 

表  題 ・ 要  約

 

イスラエルの再興(11:25−36)・・・新共同訳

第11章 教会の希望・・・バルト

 終局目的(11:25−36)

神の義とイスラエルの問題 9章1節―11章36節・・・ケーゼマン

    (4)救済史の秘儀(11:1−36)

     3 イスラエルの救い(11:25−32)

     4 賛歌的頌栄(11:33−36)

第2部 神の義とイスラエルの運命(9:1−11:36)・・・アルトハウスNTD

(4)   神がイスラエルに与えたもうた約束の成就(11:1−36)

c  イスラエル全体の救い(11:25−36)

全人類の救ひ 9章1−11章36・・・黒崎註解新約聖書

(3) 異邦人の救いとイスラエルの救いの関係(11:13−31)

(イ)   異邦人は救はれし事を誇るべからず(11:13−24)

(ロ)   イスラエルの救と異邦人の救とは相互関係あり(11:25−31)

 (4) 全人類の救と神の知識(11:32−36)

 

救済史の秘儀(11章)・・・高橋三郎   

第3部イスラエル不信の問題  ・・・フランシスコ会訳

       全イスラエルの救い(11:25−32)

       あわれみ深い神の知恵(11:33−36)

イスラエル人と異邦人(11:1−36)・・・青野(岩波)

全人類の救い(11:25−36)・・・前田訳

 

イスラエルの救い(9:1−11:36)(「信仰によって義とされるなら、イスラエルに対する神の約束はどうなるのか」という問いに対して)・・・八木(講談社)

       万人の救い(11:11−36)

 

万人の救い(11:25−32)・・・塚本訳

神の知恵の深さよ!(11:33−36)

 

全人類の救済   9章―11章・・・塚本註解

   全人類救済の秘儀 上(11:25−27)

   全人類救済の秘儀 下(11:28−32)

   栄光永遠に神にあれ(11:33−36)

選びの逆説的現実(9:1−11:36)・・・ヴィルケンスEKK

    4 神の義の奇蹟――終末におけるイスラエルの救い(11:1−32)

      c 神の義の逆説的な現実(11:25−32)

    5 神の義に対する賛美(11:33−36)

約束の成就(11:25−32)・・・白井きく

神の知恵の深さよ!811:33−36)

 

ユダヤ人の不信と人類の救い(3)(11章の大意)・・・内村鑑三

 

 

 

ローマ人への手紙11章25節

 

[口語訳] 兄弟たちよ。あなたがたが知者だと自負することのないために、この奥義を知らないでいてもらいたくない。一部のイスラエル人がかたくなになったのは、異邦人が全部救われるに至る時までのことであって、

 

[新改訳] 兄弟たち。私はあなたがたに、ぜひこの奥義を知っていていただきたい。それは、あなたがたが自分で自分を賢いと思うことがないようにするためです。その奥義とは、イスラエル人の一部がかたくなになったのは異邦人の完成のなる時までであり、

 

[新共同訳] 兄弟たち、自分を賢い者とうぬぼれないように、次のような秘められた計画をぜひ知ってもらいたい。すなわち、一部のイスラエル人がかたくなになったのは、異邦人全体が救いに達するまでであり、

 

[TEV] There is a secret truth, my friends, which I want you to know, for it will keep you from thinking how wise you are. It is that the stubbornness of the people of Israel is not permanent, but will last only until the complete number of Gentiles comes to God.

 

[文語訳]兄弟よ、われ汝らが自己を聰(さと)しとする事なからん爲に、この奥義を知らざるを欲せず、即ち幾許(いくばく)のイスラエルの鈍くなれるは、異邦人の入り來りて數滿つるに及ぶ時までなり。"

 

[塚 本訳]兄弟たちよ、この秘密を知らずにいてもらいたくない、あなた達(異教人諸君)が、自分は賢い(からこの特権を得た)などとうぬぼれることのないため に。一部のイスラエル人が頑なになって(キリストを信ぜずに)いるのは、異教人が(信仰に)入って定数に満ちるまでであり、

 

[前田訳]兄弟たちよ、この奥義を知らずにいないでください。それはあなた方が自分を賢いと思いあがらないためです。奥義とは、一部のイスラエルが頑になったのは異邦人の完成が訪れるときまでで、

 

[岩 波版・青野訳]兄弟たちよ、私はあなたがたが、以下の奥義を知らずにいてほしくない。〔それは〕あなたがたが自分自身〔で〕賢い者とならないためである。 〔その奥義とは、〕頑迷さが部分的にイスラエル人に生じたが、〔しかしそれは〕異邦人たちの〔救いの〕満ちる時がやって来るまでのことであって、

 

引照

[参考文献 NESTRE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 24,27版(独), SCOFIELD  STUDY BIBLE(米),

THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE(英), THE NEW JERUSALEM BIBLE(仏)新共同訳(日)]

 

新共同 ロマ 11:12 彼らの罪が世の富となり、彼らの失敗が異邦人の富となるのであれば、まして彼らが皆救いにあずかるとすれば、どんなにかすばらしいことでしょう。

 

[塚本訳]ルカ 21:24彼らは劔の刃にたおれ、あるいは捕虜となってあらゆる国々に散らされ、また “エルサレムは”(いわゆる)異教人時代が終るまで、“異教人に踏みにじられる”であろう。"

 

● 解釈と黙想  イエスの預言は的中している。いまやエルサレムは異教人に踏みにじられている。そして世界は今異教人時代ということになる。しかしこれが終わるのはいつのことだろう。

 

新改訳 ヨハ 10:16 わたしにはまた、この囲いに属さないほかの羊があります。わたしはそれをも導かなければなりません。彼らはわたしの声に聞き従い、一つの群れ、ひとりの牧者となるのです。

 

 

 

ローマ人への手紙11章26節

 

[口語訳] こうして、イスラエル人は、すべて救われるであろう。すなわち、次のように書いてある、/「救う者がシオンからきて、/ヤコブから不信心を追い払うであろう。

 

[新改訳] こうして、イスラエルはみな救われる、ということです。こう書かれているとおりです。「救う者がシオンから出て、ヤコブから不敬虔を取り払う。

 

[新共同訳] こうして全イスラエルが救われるということです。次のように書いてあるとおりです。「救う方がシオンから来て、/ヤコブから不信心を遠ざける。

 

[TEV] And this is how all Israel will be saved. As the scripture says, /"The Savior will come from Zion /and remove all wickedness from the descendants of Jacob.

 

[文語訳]かくしてイスラエルは悉(ことご)とく救はれん。録(しる)して、『救ふ者シオンより出で來りて、ヤコブより不虔(ふけん)を取り除かん、

 

[塚本訳]こうして(イスラエル人は異教人が妬ましくなり、悔改めて信仰に入り、)イスラエル人全部が救われる、ということである。(聖書に)書いてあるとおりである。“シオンから救済者が来て、ヤコブ(の子孫)から不信心を遠ざけるであろう。

"

[前田訳]こうして全イスラエルが救われよう、ということです。聖書に、「救い手がシオンから出、ヤコブから不信を遠ざけよう。

 

[岩波版・青野訳]そのようにしてすべてのイスラエル人が救われるであろう〔、ということである〕。次のように書かれている。

  シオンから救う者」がやって来るであろう。

  彼はヤコブから不信心を取り去るであろう。

 

引照

[参考文献 NESTRE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 24,27版(独), SCOFIELD  STUDY BIBLE(米),

THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE(英), THE NEW JERUSALEM BIBLE(仏)新共同訳(日)]

 

口語訳 マタ 23:39

23:39 わたしは言っておく、『主の御名によってきたる者に、祝福あれ』とおまえたちが言う時までは、今後ふたたび、わたしに会うことはないであろう」。

 

新共同 イザ 59:20-21

59:20 主は贖う者として、シオンに来られる。ヤコブのうちの罪を悔いる者のもとに来ると/主は言われる。

59:21 これは、わたしが彼らと結ぶ契約であると/主は言われる。あなたの上にあるわたしの霊/あなたの口においたわたしの言葉は/あなたの口からも、あなたの子 孫の口からも/あなたの子孫の子孫の口からも/今も、そしてとこしえに/離れることはない、と主は言われる。

 

新共同 詩  14:7

14:7 どうか、イスラエルの救いが/シオンから起こるように。主が御自分の民、捕われ人を連れ帰られるとき/ヤコブは喜び躍り/イスラエルは喜び祝うであろう。

 

      解釈と黙想  

主はご自分の民、捕らわれ人 を連れ帰る。とある。いまユダヤ人は流浪の民で苦難の生活をしているが、結局は神にその繁栄を回復されて終末が来るという。それまでユダヤ人は捕らわれて いるのである。虜になっているのである。異教人に「いじめ」られるのである。永い期間サタンに虜にされるが最終的には神に解放されて喜びに浸る。それまで 忍耐。我慢。その間に異邦人伝道をせねばならなかったパウロの気持ちを思うと感無量。パウロの心は最終的にはユダヤ人同胞の救い。

 

 

 

ローマ人への手紙11章27節

 

[口語訳] そして、これが、彼らの罪を除き去る時に、/彼らに対して立てるわたしの契約である」。

 

[新改訳] これこそ、彼らに与えたわたしの契約である。それは、わたしが彼らの罪を取り除く時である。」

 

[新共同訳] これこそ、わたしが、彼らの罪を取り除くときに、/彼らと結ぶわたしの契約である。」

 

[TEV] I will make this covenant with them /when I take away their sins."

 

[文語訳]われその罪を除くときに、彼らに立つる我が契約は是なり』、とあるが如し。

 

[塚本訳]──これが彼らと立てる私の契約である、”“彼らの罪をわたしが取り除くその時に。”

 

[前田訳]これこそ彼らとのわが契約、彼らの罪をわたしが除くそのときに」とあるとおりです。"

 

[岩波版・青野訳]そしてこれは、彼らに対する私からの契約となる、

         私がかれらの罪を取り除く時に――。

 

引照

[参考文献 NESTRE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 24,27版(独), SCOFIELD  STUDY BIBLE(米),

THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE(英), THE NEW JERUSALEM BIBLE(仏)新共同訳(日)]

 

新改訳 イザ 27:9

27:9 それゆえ、次のことによってヤコブの不義は赦される。祭壇のすべての石を粉々にされた石灰のようにし、アシェラ像と香の台をもう立てなくすること、これが、自分の罪を除いて得られる報酬のすべてだ。

 

口語訳 ヘブ 8:8-10

8:8 ところが、神は彼らを責めて言われた、/「主は言われる、見よ、/わたしがイスラエルの家およびユダの家と、/新しい契約を結ぶ日が来る。

8:9 それは、わたしが彼らの先祖たちの手をとって、/エジプトの地から導き出した日に、/彼らと結んだ契約のようなものではない。彼らがわたしの契約にとどまることをしないので、/わたしも彼らをかえりみなかったからであると、/主が言われる。

8:10 わたしが、それらの日の後、イスラエルの家と立て/ようとする契約はこれである、と主が言われる。すなわち、わたしの律法を彼らの思いの中に入れ、/彼らの心に書きつけよう。こうして、わたしは彼らの神となり、/彼らはわたしの民となるであろう。

 

口語訳 エレ 31:33-34

31:33 しかし、それらの日の後にわたしがイスラエルの家に立てる契約はこれである。すなわちわたしは、わたしの律法を彼らのうちに置き、その心にしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となると主は言われる。

31:34 人はもはや、おのおのその隣とその兄弟に教えて、『あなたは主を知りなさい』とは言わない。それは、彼らが小より大に至るまで皆、わたしを知るようになるからであると主は言われる。わたしは彼らの不義をゆるし、もはやその罪を思わない」。

 

口語訳 ヘブ 8:12

8:12 わたしは、彼らの不義をあわれみ、/もはや、彼らの罪を思い出すことはしない」。

 

      解釈と黙想

罪 は神のほうから腰を上げて積極的に取り除くとある。驚くべき事実。ありがたい福音。人間の業や願いや努力によらず、神ご自身の発意でイスラエルの罪は除か れる。救いは神の発意で実行される。だからユダヤの民の背きも最終的には神の側の一方的な赦しでその罪が取り除かれる。かくて終末。

 

 

 

ローマ人への手紙11章28節

 

[口語訳] 福音について言えば、彼らは、あなたがたのゆえに、神の敵とされているが、選びについて言えば、父祖たちのゆえに、神に愛せられる者である。

 

[新改訳] 彼らは、福音によれば、あなたがたのゆえに、神に敵対している者ですが、選びによれば、先祖たちのゆえに、愛されている者なのです。

 

[新共同訳] 福音について言えば、イスラエル人は、あなたがたのために神に敵対していますが、神の選びについて言えば、先祖たちのお陰で神に愛されています。

 

[TEV] Because they reject the Good News, the Jews are God's enemies for the sake of you Gentiles. But because of God's choice, they are his friends because of their ancestors.

 

[文語訳]福音につきて云へば、汝等のために彼らは敵とせられ、選につきて云へば、先祖たちの爲に彼らは愛せらるるなり。

 

[塚本訳](思えば不思議な神の計画である。)彼らは、福音の点から言えば、あなた達(の救い)のために(福音をしりぞけて神の)敵になっており、(神の)選びの点から言えば、先祖たち(に対する契約)のお蔭で(今もなお神に)愛される者である。

 

[前田訳]福音によれば、彼らはあなた方ゆえに(神の)敵となり、選びによれば祖父たちのゆえに(神に)愛されるものです。

[岩波版・青野訳]福音に従えば、〔イスラエル人たちは〕あなたがたのゆえに〔神の〕敵〔となっているの〕だが、しかし〔神の〕選びに従えば、彼らは、父祖たちのゆえに、〔神に〕愛されている者たちなのである。

 

引照

[参考文献 NESTRE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 24,27版(独), SCOFIELD  STUDY BIBLE(米),

THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE(英), THE NEW JERUSALEM BIBLE(仏)新共同訳(日)]

 

新改訳 ロマ 15:8 私は言います。キリストは、神の真理を現わすために、割礼のある者のしもべとなられました。それは先祖たちに与えられた約束を保証するためであり、

 

新改訳 民  23:19 神は人間ではなく、偽りを言うことがない。人の子ではなく、悔いることがない。神は言われたことを、なさらないだろうか。約束されたことを成し遂げられないだろうか。

 

新共同 Tサム15:29 イスラエルの栄光である神は、偽ったり気が変わったりすることのない方だ。この方は人間のように気が変わることはない。」

 

新共同 ヘブ 6:15-17

6:15 こうして、アブラハムは根気よく待って、約束のものを得たのです。

6:16 そもそも人間は、自分より偉大な者にかけて誓うのであって、その誓いはあらゆる反対論にけりをつける保証となります。

6:17 神は約束されたものを受け継ぐ人々に、御自分の計画が変わらないものであることを、いっそうはっきり示したいと考え、それを誓いによって保証なさったのです。

 

口語訳 ロマ 9:11-12

9:11 まだ子供らが生れもせず、善も悪もしない先に、神の選びの計画が、

9:12 わざによらず、召したかたによって行われるために、「兄は弟に仕えるであろう」と、彼女に仰せられたのである。

 

口語訳 ロマ 9:25 それは、ホセアの書でも言われているとおりである、/「わたしは、わたしの民でない者を、/わたしの民と呼び、/愛されなかった者を、愛される者と呼ぶであろう。

 

口語訳 詩  110:4 主は誓いを立てて、み心を変えられることはない、「あなたはメルキゼデクの位にしたがって/とこしえに祭司である」。

 

      解釈と黙想  イ スラエルは親の七光りで罪が赦される。救いはダイナミックである。本人の態度ではなく、先祖のおかげで放蕩息子やツッパリも救われる。だから今日でも「と りなしの祈り」が必要であり、効果もある。我々としても自分が悔い改める前に、多分だれか別人の執り成しがあって救われたのだ。その祈りは隠れた祈り。無 名の人。右手のすることを左手に教えない人。その人は誰だか天国に行っても分からないかもしれない。名乗り出ないであろう。だから我々も人のために祈ろ う。隠れた祈りは聴かれるとあるから。

 

口語訳 マタ 6:6

6:6 あなたは祈る時、自分のへやにはいり、戸を閉じて、隠れた所においでになるあなたの父に祈りなさい。すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう。

 

 

 

ローマ人への手紙11章29節

 

[口語訳] 神の賜物と召しとは、変えられることがない。

 

[新改訳] 神の賜物と召命とは変わることがありません。

 

[新共同訳] 神の賜物と招きとは取り消されないものなのです。

 

[TEV] For God does not change his mind about whom he chooses and blesses.

 

[文語訳]それ神の賜物と召(めし)とは變ることなし。

 

[塚本訳]神の賜物も招待も、(一旦与えられた以上は永遠に)取り消されないからである。

 

[前田訳]神の賜物も招きも取り消されないからです。

 

[岩波版・青野訳]なぜならば、神の恵みの賜物と召しとは、破棄されることがないものだからである。

 

引照

[参考文献 NESTRE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 24,27版(独), SCOFIELD  STUDY BIBLE(米),

THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE(英), THE NEW JERUSALEM BIBLE(仏)新共同訳(日)]

 

新共同 ロマ 9:6

9:6 ところで、神の言葉は決して効力を失ったわけではありません。イスラエルから出た者が皆、イスラエル人ということにはならず、

 

新共同 民  23:19 神は人ではないから、偽ることはない。人の子ではないから、悔いることはない。言われたことを、なされないことがあろうか。告げられたことを、成就されないことがあろうか。

 

新改訳 ロマ 8:28 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。

 

新共同 Tサム15:29 イスラエルの栄光である神は、偽ったり気が変わったりすることのない方だ。この方は人間のように気が変わることはない。」

 

新改訳 Tコリ1:26 兄弟たち、あなたがたの召しのことを考えてごらんなさい。この世の知者は多くはなく、権力者も多くはなく、身分の高い者も多くはありません。

 

新改訳 エペ 4:1 さて、主の囚人である私はあなたがたに勧めます。召されたあなたがたは、その召しにふさわしく歩みなさい。

 

口語訳 Uテサ1:11 このためにまた、わたしたちは、わたしたちの神があなたがたを召しにかなう者となし、善に対するあらゆる願いと信仰の働きとを力強く満たして下さるようにと、あなたがたのために絶えず祈っている。

 

口語訳 Uテモ1:9-10

1:9 神はわたしたちを救い、聖なる招きをもって召して下さったのであるが、それは、わたしたちのわざによるのではなく、神ご自身の計画に基き、また、永遠の昔にキリスト・イエスにあってわたしたちに賜わっていた恵み、

1:10 そして今や、わたしたちの救主キリスト・イエスの出現によって明らかにされた恵みによるのである。キリストは死を滅ぼし、福音によっていのちと不死とを明らかに示されたのである。

 

口語訳 ヘブ 7:21 この人の場合は、次のような誓いをもってされたのである。すなわち、彼について、こう言われている、「主は誓われたが、心を変えることをされなかった。あなたこそは、永遠に祭司である」。

 

口語訳 ヨハ 6:37 父がわたしに与えて下さる者は皆、わたしに来るであろう。そして、わたしに来る者を決して拒みはしない。

 

口語訳 ヨハ 6:39 わたしをつかわされたかたのみこころは、わたしに与えて下さった者を、わたしがひとりも失わずに、終りの日によみがえらせることである。

 

新共同 Uコリ7:10 神の御心に適った悲しみは、取り消されることのない救いに通じる悔い改めを生じさせ、世の悲しみは死をもたらします。

 

      解釈と黙想 

神は誠実。信用できる。心を変えない。だから信じ込めばよい。救われたら、こちらから契約を破棄しない限り人生の最後まで捨てられることはない。(この思想はイザヤ書に良く出ている。白髪になるまで神に負われる、と。ヒルティ「眠られぬ夜のために」T巻の[なおりたいのか]の論考はそのことを説明しているすぐれたもの)しかしこちらから契約を破棄するととんでもないことになる。どんなに取り繕っても修復は無理。それを回復する道は神の子の贖罪の血に預かる以外にない。

 

 

 

ローマ人への手紙11章30節

 

[口語訳] あなたがたが、かつては神に不従順であったが、今は彼らの不従順によってあわれみを受けたように、

 

[新改訳] ちょうどあなたがたが、かつては神に不従順であったが、今は、彼らの不従順のゆえに、あわれみを受けているのと同様に、

 

[新共同訳] あなたがたは、かつては神に不従順でしたが、今は彼らの不従順によって憐れみを受けています。

 

[TEV] As for you Gentiles, you disobeyed God in the past; but now you have received God's mercy because the Jews were disobedient.

 

[文語訳]汝ら前には神に從はざりしが、今は彼らの不順によりて憐まれたる如く、

 

[塚本訳]すなわち、かつては神に不従順であったあなた達が、今はこの人たちの不従順によって(神に)憐れみを施されたと同じに、

 

[前田訳]かつてはあなた方が神に不従順であって、今はこれらの人の不従順によってあわれまれたように、

 

[岩波版・青野訳]あなたがたはかっては神に対して不従順であったが、しかし今は、彼らの不従順のゆえに憐れみを受けている。

 

引照

[参考文献 NESTRE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 24,27版(独), SCOFIELD  STUDY BIBLE(米),

THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE(英), THE NEW JERUSALEM BIBLE(仏)新共同訳(日)]

 

新共同 ロマ 15:8-11

15:8 わたしは言う。キリストは神の真実を現すために、割礼ある者たちに仕える者となられたのです。それは、先祖たちに対する約束を確証されるためであり、

15:9 異邦人が神をその憐れみのゆえにたたえるようになるためです。「そのため、わたしは異邦人の中であなたをたたえ、/あなたの名をほめ歌おう」と書いてあるとおりです。

15:10 また、/「異邦人よ、主の民と共に喜べ」と言われ、

15:11 更に、/「すべての異邦人よ、主をたたえよ。すべての民は主を賛美せよ」と言われています。

 

新共同 ロマ 2:6-8

2:6 神はおのおのの行いに従ってお報いになります。

2:7 すなわち、忍耐強く善を行い、栄光と誉れと不滅のものを求める者には、永遠の命をお与えになり、

2:8 反抗心にかられ、真理ではなく不義に従う者には、怒りと憤りをお示しになります。

 

新改訳 ロマ 10:20-21

10:20 またイザヤは大胆にこう言っています。「わたしは、わたしを求めない者に見いだされ、わたしをたずねない者に自分を現わした。」

10:21 またイスラエルについては、こう言っています。「不従順で反抗する民に対して、わたしは一日中、手を差し伸べた。」

 

新共同 Tコリ6:9-11

6:9 正しくない者が神の国を受け継げないことを、知らないのですか。思い違いをしてはいけない。みだらな者、偶像を礼拝する者、姦通する者、男娼、男色をする者、

6:10 泥棒、強欲な者、酒におぼれる者、人を悪く言う者、人の物を奪う者は、決して神の国を受け継ぐことができません。

6:11 あなたがたの中にはそのような者もいました。しかし、主イエス・キリストの名とわたしたちの神の霊によって洗われ、聖なる者とされ、義とされています。

 

新共同 エペ 2:1 さて、あなたがたは、以前は自分の過ちと罪のために死んでいたのです。

 

新共同 エペ 2:12-13

2:12 また、そのころは、キリストとかかわりなく、イスラエルの民に属さず、約束を含む契約と関係なく、この世の中で希望を持たず、神を知らずに生きていました。

2:13 しかしあなたがたは、以前は遠く離れていたが、今や、キリスト・イエスにおいて、キリストの血によって近い者となったのです。

 

口語訳 ヘブ 5:8 彼は御子であられたにもかかわらず、さまざまの苦しみによって従順を学び、

5:9 そして、全き者とされたので、彼に従順であるすべての人に対して、永遠の救の源となり、

5:10 神によって、メルキゼデクに等しい大祭司と、となえられたのである。

 

      解釈と黙想 私達だってかってはみじめな姿状態であったのだ。それが神の主権の絶対恩恵のお情けですくわれたのだ。だから大きな顔はできない。威張ってはいけない。

 

 

 

ローマ人への手紙11章31節

 

[口語訳] 彼らも今は不従順になっているが、それは、あなたがたの受けたあわれみによって、彼ら自身も今あわれみを受けるためなのである。

 

[新改訳] 彼らも、今は不従順になっていますが、それは、あなたがたの受けたあわれみによって、今や、彼ら自身もあわれみを受けるためなのです。

 

[新共同訳] それと同じように、彼らも、今はあなたがたが受けた憐れみによって不従順になっていますが、それは、彼ら自身も今憐れみを受けるためなのです。

 

[TEV] In the same way, because of the mercy that you have received, the Jews now disobey God, in order that they also may now receive God's mercy.

 

[文語訳]彼らも汝らの受くる憐憫によりて憐まれん爲に、今は從はざるなり。

 

[塚本訳]この人たちも今はあなた達の受ける憐れみに対して不従順になっているが、これは今(すぐにも)憐れみを施されるためである。

 

[前田訳]これらの人も今はあなた方のためのあわれみに不従順ですが、それは彼らも、今あわれまれるためです。"

 

[岩波版・青野訳]そのように、彼らもまた今はあなたがた〔が受けた〕憐れみのゆえに不従順になったが、〔しかしそれは〕、彼らもまた〔今〕憐れみを受けるためなのである。

 

引照

[参考文献 NESTRE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 24,27版(独), SCOFIELD  STUDY BIBLE(米),

THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE(英), THE NEW JERUSALEM BIBLE(仏)新共同訳(日)]

 

新共同 創  3:22-23

3:22 主なる神は言われた。「人は我々の一人のように、善悪を知る者となった。今は、手を伸ばして命の木からも取って食べ、永遠に生きる者となるおそれがある。」

3:23 主なる神は、彼をエデンの園から追い出し、彼に、自分がそこから取られた土を耕させることにされた。

 

新共同 ロマ 11:11

11:11 では、尋ねよう。ユダヤ人がつまずいたとは、倒れてしまったということなのか。決してそうではない。かえって、彼らの罪によって異邦人に救いがもたらされる結果になりましたが、それは、彼らにねたみを起こさせるためだったのです。

 

新共同 ロマ 10:16

10:16 しかし、すべての人が福音に従ったのではありません。イザヤは、「主よ、だれがわたしたちから聞いたことを信じましたか」と言っています。

 

新共同 ロマ 11:15

11:15 もし彼らの捨てられることが、世界の和解となるならば、彼らが受け入れられることは、死者の中からの命でなくて何でしょう。

 

新共同 イザ 60:10

60:10 異邦の人々があなたの城壁を築き/その王たちはあなたに仕える。わたしは怒ってあなたを打ったが/今、あなたを憐れむことを喜ぶ。

 

新共同 イザ 40:1  慰めよ、わたしの民を慰めよと/あなたたちの神は言われる。

 

      解釈と黙想  

信仰がわからないと言って関 心を持たない人はなにかそれなりに深い意味があるのだから、無理にわからせようとしてはいけない。その人が神に不従順なのは神によってそのようにさせられ ているのだから。私達の説き方が悪かったり、親切の度合いが少なかったりするわけではない。彼らは神にとじこめられているのだ。神には神のご計画がある。 私達の努力で救われたら神の名誉が立たない。救いは神ご自身がなさる。救いには順序があるらしい。そこに先に救われた者の涙がある。苦悩がある。祈りがあ る。キリストの苦しみの欠けたるを補う労苦の仕事がある。その労苦が福音伝播の原因。それは聖書研究でも説教でもエクレシアの建設でもない。

 

新共同 コロ 1:24

1:24 今やわたしは、あなたがたのために苦しむことを喜びとし、キリストの体である教会のために、キリストの苦しみの欠けたところを身をもって満たしています。

 

 

 

ローマ人への手紙11章32節

 

[口語訳] すなわち、神はすべての人をあわれむために、すべての人を不従順のなかに閉じ込めたのである。

 

[新改訳] なぜなら、神は、すべての人をあわれもうとして、すべての人を不従順のうちに閉じ込められたからです。

 

[新共同訳] 神はすべての人を不従順の状態に閉じ込められましたが、それは、すべての人を憐れむためだったのです。

 

[TEV] For God has made all people prisoners of disobedience, so that he might show mercy to them all.

 

[文語訳]神は凡ての人を憐まんために、凡ての人を不順の中に取篭(とりこ)め給ひたり。"

 

[塚本訳]つまり神はすべての人を不従順の中に閉じこめられたが、これはすべての人に憐れみを施すためであった。

 

[前田訳]"神はすべての人を不従順へとお閉じ込めでしたが、それはすべての人をおあわれみになるためでした。

 

[岩波版・青野訳]神はすべての者を不従順へと閉じ込めたのだが、〔それは〕すべての者を憐れむためだったからである。

 

引照

[参考文献 NESTRE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 24,27版(独), SCOFIELD  STUDY BIBLE(米),

THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE(英), THE NEW JERUSALEM BIBLE(仏)新共同訳(日)]

 

新共同 ロマ 3:9

3:9 では、どうなのか。わたしたちには優れた点があるのでしょうか。全くありません。既に指摘したように、ユダヤ人もギリシア人も皆、罪の下にあるのです。

 

新共同 Tテモ2:4

2:4 神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます。

 

新共同 創  3:22-23

3:22 主なる神は言われた。「人は我々の一人のように、善悪を知る者となった。今は、手を伸ばして命の木からも取って食べ、永遠に生きる者となるおそれがある。」

3:23 主なる神は、彼をエデンの園から追い出し、彼に、自分がそこから取られた土を耕させることにされた。

 

      解釈と黙想

アダムの反抗は人類がいずれ の日にか「神の救いを知る者」となるためにあった。これを神の計画と考えるかアダムの責任(過失)と考えるか、それはむずかしいことだが、どう考えようと も結果として人類はアダムの罪を負って苦悩した後に第二のアダムたるキリストを通して神の恩恵による救いという愛を知るに至った。「失敗は成功のもと」と いう格言はクリスチャンにとっては「神にあっては失敗も成功のもとに変えられる」と言うべきである。「冬来たりなば春遠からじ」

口語訳 詩  126:5-6

126:5 涙をもって種まく者は、喜びの声をもって刈り取る。

126:6 種を携え、涙を流して出て行く者は、束を携え、喜びの声をあげて帰ってくるであろう。

 

新共同 ガラ 3:22

3:22 しかし、聖書はすべてのものを罪の支配下に閉じ込めたのです。それは、神の約束が、イエス・キリストへの信仰によって、信じる人々に与えられるようになるためでした。

 

      解釈と黙想

総 ての人を罪のもとに閉じ込めたとは意地悪な神のように思えるが、人間の努力や教育や躾や生活習慣では救いに到達できず、ただ神の主権による絶対恩恵によっ てのみ救われるという「やさしい」道を示すためには、一たん人間を全員罪の中に落とし込んで、しかもひどい罪、始末の悪い罪、回復修復不可能な絶体絶命の 重い罪に落とし込む必要があったのだ。かくして万人が恩恵によってのみ救われるという「簡単なやさしい、万人が救われる、勉強しなくても信じるだけで救わ れる」道が示された。

 

 

 

ローマ人への手紙11章33節

 

[口語訳] ああ深いかな、神の知恵と知識との富は。そのさばきは窮めがたく、その道は測りがたい。

 

[新改訳] ああ、神の知恵と知識との富は、何と底知れず深いことでしょう。そのさばきは、何と知り尽くしがたく、その道は、何と測り知りがたいことでしょう。

 

[新共同訳] ああ、神の富と知恵と知識のなんと深いことか。だれが、神の定めを究め尽くし、神の道を理解し尽くせよう。

 

[TEV] How great are God's riches! How deep are his wisdom and knowledge! Who can explain his decisions? Who can understand his ways?

 

[文語訳]ああ神の智慧と知識との富は深いかな、その審判は測り難く、その途は尋ね難し。"

[塚本訳]ああ、神の富と知恵と知識との深さよ!なんとその裁きの探り

がたく、(なんと)その(お歩きになる)道の不可解なことよ!

 

[前田訳]ああ、神の富と知恵と知識の深さよ、なんとその裁きのきわめがたく、その道のはかりがたいことでしょう。

 

[岩波版・青野訳]ああ、神の豊かさと知恵と知識の深さよ。

  神のさばきのなんと測りがたく、

  神の道のなんと探りがたきことか。

 

引照

[参考文献 NESTRE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 24,27版(独), SCOFIELD  STUDY BIBLE(米),

THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE(英), THE NEW JERUSALEM BIBLE(仏)新共同訳(日)]

 

新共同 イザ 45:15 まことにあなたは御自分を隠される神/イスラエルの神よ、あなたは救いを与えられる」と。

 

新共同 イザ 55:8-9

55:8 わたしの思いは、あなたたちの思いと異なり/わたしの道はあなたたちの道と異なると/主は言われる。

55:9 天が地を高く超えているように/わたしの道は、あなたたちの道を/わたしの思いは/あなたたちの思いを、高く超えている。

 

新共同 Tコリ1:21 世は自分の知恵で神を知ることができませんでした。それは神の知恵にかなっています。そこで神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです。

 

新共同 ヨブ 9:8-11

9:8 神は自ら天を広げ、海の高波を踏み砕かれる。

9:9 神は北斗やオリオンを/すばるや、南の星座を造られた。

9:10 神は計り難く大きな業を/数知れぬ不思議な業を成し遂げられる。

9:11 神がそばを通られてもわたしは気づかず/過ぎ行かれてもそれと悟らない。

 

口語訳 ヨブ 42:1-6

42:1 そこでヨブは主に答えて言った、

42:2 「わたしは知ります、/あなたはすべての事をなすことができ、/またいかなるおぼしめしでも、/あなたにできないことはないことを。

42:3 『無知をもって神の計りごとをおおう/この者はだれか』。それゆえ、わたしはみずから悟らない事を言い、/みずから知らない、測り難い事を述べました。

42:4 『聞け、わたしは語ろう、/わたしはあなたに尋ねる、わたしに答えよ』。

42:5 わたしはあなたの事を耳で聞いていましたが、/今はわたしの目であなたを拝見いたします。

42:6 それでわたしはみずから恨み、/ちり灰の中で悔います」。

 

      解釈と黙想 

神のご計画は人間の思いよりも高く深く完全。人知では計り知れない。それを悟れるか。困難。

 

 

 

ローマ人への手紙11章34節

 

[口語訳] 「だれが、主の心を知っていたか。だれが、主の計画にあずかったか。

 

[新改訳] なぜなら、だれが主のみこころを知ったのですか。また、だれが主のご計画にあずかったのですか。

 

[新共同訳] 「いったいだれが主の心を知っていたであろうか。だれが主の相談相手であっただろうか。

 

[TEV] As the scripture says, /"Who knows the mind of the Lord? /Who is able to give him advice?

 

[文語訳]『たれか主の心を知りし、誰かその議士(はかりびと)となりし。

 

[塚本訳]“だれが主の御心を知ったか。だれがその顧問になったのであるか。"

 

[前田訳]だれが主のみ心を知りましたか。だれが彼の相談役になりましたか。

 

[岩波版・青野訳]なぜならば、誰が主の思いを知っていたか。

  また誰が彼の助言者になったか。

 

引照

[参考文献 NESTRE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 24,27版(独), SCOFIELD  STUDY BIBLE(米),

THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE(英), THE NEW JERUSALEM BIBLE(仏)新共同訳(日)]

 

口語訳 イザ 40:13

40:13 だれが、主の霊を導き、その相談役となって主を教えたか。

 

新共同 ヨブ 15:7-8

15:7 あなたは最初の人間として生まれたのか。山より先に生まれたのか。

15:8 神の奥義を聞き/知恵を自分のものとしたのか。

 

新共同 エレ 23:18

23:18 誰が主の会議に立ち/また、その言葉を見聞きしたか。誰が耳を傾けて、その言葉を聞いたか。

 

新共同 Tコリ2:16

2:16 「だれが主の思いを知り、/主を教えるというのか。」しかし、わたしたちはキリストの思いを抱いています。

 

 

新共同 詩  139:6

139:6 その驚くべき知識はわたしを超え/あまりにも高くて到達できない。

 

新共同 伝  3:11

3:11 神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。それでもなお、神のなさる業を始めから終りまで見極めることは許されていない。

 

 

新共同 コロ 2:3  知恵と知識の宝はすべて、キリストの内に隠れています。

 

 

新共同 詩  139:17  あなたの御計らいは/わたしにとっていかに貴いことか。神よ、いかにそれは数多いことか。

 

新共同 イザ 55:8-9

55:8 わたしの思いは、あなたたちの思いと異なり/わたしの道はあなたたちの道と異なると/主は言われる。

55:9 天が地を高く超えているように/わたしの道は、あなたたちの道を/わたしの思いは/あなたたちの思いを、高く超えている。

 

新共同 出  33:19 主は言われた。「わたしはあなたの前にすべてのわたしの善い賜物を通らせ、あなたの前に主という名を宣言する。わたしは恵もうとする者を恵み、憐れもうとする者を憐れむ。」

 

新改訳 エレ 23:18 いったいだれが、主の会議に連なり、主のことばを見聞きしたか。だれが、耳を傾けて主のことばを聞いたか。

 

      解釈と黙想  

建築設計にあれこれと口出し する建築主がいる。そう言う人の家はよい設計ができない。任せてないからである。できても水準の低い平凡な建築になる。神のご計画も同じなのかもしれな い。人間がいろいろ心配する以上に神様が心配なさってくださるのだ。人生の設計は神様が設計図をひかれる。横から口出しするな、と神は思っておられるのか もしれない。

 

 

 

ローマ人への手紙11章35節

 

[口語訳] また、だれが、まず主に与えて、/その報いを受けるであろうか」。

 

[新改訳] また、だれが、まず主に与えて報いを受けるのですか。

 

[新共同訳] だれがまず主に与えて、/その報いを受けるであろうか。」

 

[TEV] Who has ever given him anything, /so that he had to pay it back?"

 

[文語訳]たれか先づ主に與へて其の報を受けんや』、

 

[塚本訳]だれがまず主に差し上げてそのお返しをいただくことができるか。”"

 

[前田訳]だれがまず主に差しあげて、そのお返しを受けえましょう。

 

[岩波版・青野訳]また誰が主にまず先に与えて、

 〔そのあとで〕自分に〔主から〕報いが与えられる〔ようにできる〕であろうか。

 

引照

[参考文献 NESTRE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 24,27版(独), SCOFIELD  STUDY BIBLE(米),

THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE(英), THE NEW JERUSALEM BIBLE(仏)新共同訳(日)]

 

口語訳 Tコリ2:16 「だれが主の思いを知って、彼を教えることができようか」。しかし、わたしたちはキリストの思いを持っている。

 

新改訳 ヨブ 35:7 あなたが正しくても、あなたは神に何を与ええようか。神は、あなたの手から何を受けられるだろうか。

 

口語訳 ヨブ 41:11 だれが先にわたしに与えたので、/わたしはこれに報いるのか。天が下にあるものは、ことごとくわたしのものだ。

 

● 解釈と黙想  神が各人に描いている人生の設計図に対して、我々は横から口出しできない。あまり口出しすると「勝手にしろ」と言われて、その結果水準の低い平凡な人生になる。

 

 

 

ローマ人への手紙11章36節

 

[口語訳] 万物は、神からいで、神によって成り、神に帰するのである。栄光がとこしえに神にあるように、アァメン。

 

[新改訳] というのは、すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。どうか、この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。

 

[新共同訳] すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっているのです。栄光が神に永遠にありますように、アーメン。

 

[TEV] For all things were created by him, and all things exist through him and for him. To God be the glory forever! Amen.

 

[文語訳]"これ凡ての物は神より出で、神によりて成り、神に歸すればなり、榮光とこしへに神にあれ。アァメン。

 

[塚本訳]すべては、彼から出て、彼によって保たれ、彼に帰する。栄光は永遠に彼のものである、アーメン。"

 

[前田訳]すべては彼から出、彼にたより、彼に帰します。栄光がとこしえに彼にありますように。ア−メン。"

 

[岩波版・青野訳]すべてのものは彼から〔出て〕、彼によって〔おり〕、そして彼へと〔向かっている〕からである。

  その彼に栄光がとこしえに〔あるように〕。アーメン。

 

引照

[参考文献 NESTRE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 24,27版(独), SCOFIELD  STUDY BIBLE(米),

THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE(英), THE NEW JERUSALEM BIBLE(仏)新共同訳(日)]

 

口語訳 Tコリ8:6 わたしたちには、父なる唯一の神のみがいますのである。万物はこの神から出て、わたしたちもこの神に帰する。また、唯一の主イエス・キリストのみがいますのである。万物はこの主により、わたしたちもこの主によっている。

 

口語訳 ヘブ 2:10 なぜなら、万物の帰すべきかた、万物を造られたかたが、多くの子らを栄光に導くのに、彼らの救の君を、苦難をとおして全うされたのは、彼にふさわしいことであったからである。

 

新共同 ロマ 16:27 この知恵ある唯一の神に、イエス・キリストを通して栄光が世々限りなくありますように、アーメン。

 

新共同 コロ 1:16 天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、王座も主権も、支配も権威も、万物は御子において造られたからです。つまり、万物は御子によって、御子のために造られました。

 

新共同 エペ 3:21 教会により、また、キリスト・イエスによって、栄光が世々限りなくありますように、アーメン。

 

新共同 Uテモ4:18 主はわたしをすべての悪い業から助け出し、天にある御自分の国へ救い入れてくださいます。主に栄光が世々限りなくありますように、アーメン。

 

新共同 Tペテ4:11 語る者は、神の言葉を語るにふさわしく語りなさい。奉仕をする人は、神がお与えになった力に応じて奉仕しなさい。それは、すべてのことにおいて、イエス・ キリストを通して、神が栄光をお受けになるためです。栄光と力とが、世々限りなく神にありますように、アーメン。

 

新共同 Uペテ3:18

3:18 わたしたちの主、救い主イエス・キリストの恵みと知識において、成長しなさい。このイエス・キリストに、今も、また永遠に栄光がありますように、アーメン。

 

 

 

 神に喜ばれる「ひたすらなる心」

 

最近、ある方から次のような手紙を頂いた「今私達は一歩一歩前に向かって、イエス様に向かって懸命に歩いております。」これを読んだわたしはこの「懸命なる心」に深く感動した。

信仰にはこの「ひたすらな る懸命な心」「一途の心」が必要である。イエスに駆け寄った人は皆この姿勢であった。そして「あなたなら私の病気は直せないはずはありません」と叫んだと たんにイエスは振り返って瞬時に病気を直した。このなりふりかまわずの心が大切なのである。体を傾け全身全霊ひたむきにすがるのである。なりふりかまわず イエスに向かうのである。

数 年前に埼玉県のある集会で「ナルドの香油」の話をした。その時は今井樟太郎(内村鑑三の弟子)の末裔の日本橋の香料店から実際にナルドの香油を入手して皆 に嗅いでもらった。よい香りがした。(もっとも当時のものと完全にそっくりのものではなかったが)。集会終了後の懇談会の席で、ある若い婦人から「私、死 んだらどうなるのでしょうか」と体当たりの真剣な顔で質問を受けた。すると主催者の方が私の耳元で「あの方はいまガンに冒されていて、死は間もなくなので す」と告げた。あのときのあの婦人の真剣なるひたすらなるまなざしが今も忘れられない。

 

イ エスの足に高価なナルドの香油を注ぎかけたマリヤも「ひたすらなる心」であった。真剣であった。懸命であった。イエスが最も愛した女性であった。復活後に イエスがはじめて声をかけたのは彼女であった。(そのマリヤかどうか学問的には確定しないが)イエスの復活を弟子達に告知したのは彼女であった。実に人類 への復活の告知は12使徒ではなく彼女がはじめてであった。その重大な告知の任務を神は彼女に負わせた。!。人の目にあらず、通念にあらず、神の前におい て彼女は聖人であった。

 もうひとつの感想。「間 もなくです」という言葉について。・・・・・私達は誰でも「間もなくです」との宿命を負っているのだ。人生70年、長くても80年。文字通り誰でも「間も なく」この世から飛び去るのだ。だから人生は苦しみや悲しみの連続でも(それは瞬時)、それによってイエス様に対してひたすらなる心が与えられ続けて永遠 の命に入るほうがよいのだ。だから皆が求めるこの世の幸福をひたすら願っているのは間違いだ。いたずらに「不幸」を願うわけではないが、この世的に満足な 人生はこのイエス様に向かっての「ひたすらなる心」が失われやすいと言えるようだ。

 

2001.11.2  高橋照男

 

 

 

表  題 ・ 要  約

 

キリストにおける新しい生活(12:1−12)・・・新共同訳

第12章―15章 根本的な震撼・・・バルト

     倫理学の問題(12:1−2)

 前提(12:3−8)

第6部 12章1節―15章13節 キリスト教的日常生活における神の義・・・ケーゼマン

(一)   12:1−13:14 一般的勧告――様々な次元におけるキリスト教的日常生活

1 序言――この世のただ中での礼拝(=神奉仕)(12:1−2)

2 きわ立ったカリスマを持つ者たちへの指示(12:3−8)

第3部 キリストの者たちへの生活訓(12:1−15:13)・・・アルトハウスNTD

(一)全体の基調をなす勧め(12:1−2)

(二)   集会の存立に不可欠な個々のメンバーの慎みと協力(12:3−8)

 

C 勧告(12:1−15:13)・・・ヴィルケンスEKK

一 愛の力による生(12:1−13:14)

    1 神への自己献身としてのキリスト者の行為(12:1−2)

    2 カリスマの基準(12:3−8)

W実行論 12章1節―15章13節 ・・・黒崎註解新約聖書

(一) 信仰より行為への通路(12:1−2)

(三)   愛と謙遜(12:3−21)

(イ)体と肢(てあし)(12:3−8)

信仰生活の基本(12章1−2節)・・・高橋三郎 

エクレシアの肢(えだ)として(12章3−8節)  

第2編 倫理的勧告  ・・・フランシスコ会訳

       キリストにおける新生活(12:1−8)

       

献身としての礼拝 12章・・・青野(岩波)

霊的な礼拝  12章・・・前田訳

 

第3部     信徒への使徒のすすめ ―― 個人、国家、教会にかかわるキリスト信徒の倫理

                  (第12章1節―第15章13節) ・・・八木(講談社)

    主題 キリストにある信徒へのすすめ(12:1−2)

    キリストのからだとしての教会における奉仕(12:3−8)

 

霊的な礼拝(12:1−2)・・・塚本訳

謙遜であれ(12:3−8)

 

霊的な礼拝(12:1−2)・・・白井きく

節度を守れ(12:3−8)

 

基督教道徳の根底(12:1)・・・内村鑑三

基督教道徳の性質(12:2)

基督教道徳の第一 謙遜(12:3−8)

 

 

 

ローマ人への手紙12章1節

 

[口語訳] 兄弟たちよ。そういうわけで、神のあわれみによってあなたがたに勧める。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。それが、あなたがたのなすべき霊的な礼拝である。

 

[新改訳] そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。

 

[新共同訳] こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。

 

[TEV] So then, my friends, because of God's great mercy to us I appeal to you: Offer yourselves as a living sacrifice to God, dedicated to his service and pleasing to him. This is the true worship that you should offer.

 

[文語訳]されば兄弟よ、われ神のもろもろの慈悲によりて汝らに勸む、己が身を神の悦びたまふ潔き活ける供物として獻げよ、これ靈の祭なり。

 

[塚 本訳](このように、神は偉大な計画によって人類を一人のこらず救おうとしておられるのであって、救いは確かである。)だから、兄弟たちよ、わたしは神の この慈悲を指してあなた達に勧める。あなた達の体を(感謝のしるしとして神に)捧げよ。この生きた聖なる犠牲こそ、神のお気に入るものであり、(霊なる神 を拝むにふさわしい、)あなた達の霊的な礼拝である。(あなた達の礼拝は動物を供えるような不合理なものでなく、全心全霊をささげる合理的な礼拝でなけれ ばならならない)

 

[前田訳]それゆえ、兄弟たちよ、神の慈悲にたよってあなた方に勧めます。あなた方の体を、生き生きとした、聖らかな、そして神のお気に召すいけにえとしておささげなさい。それがあなた方の霊的な礼拝です。

 

[岩波版・佐藤訳]そこで、兄弟たちよ。私はあなたがたに、神の慈悲によって勧めるが、あなたがたのからだを、生ける、聖なる、神に喜ばれる供え物として献げなさい。〔すなわち〕あなたがたの霊的な礼拝を〔なすようにしなさい〕。

 

引照

[参考文献 NESTRE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 24,27版(独), SCOFIELD  STUDY BIBLE(米),

THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE(英), THE NEW JERUSALEM BIBLE(仏)新共同訳(日)]

 

新共同 Uコリ1:3 わたしたちの主イエス・キリストの父である神、慈愛に満ちた父、慰めを豊かにくださる神がほめたたえられますように。

 

● 解釈と黙想 慈愛に満ちた神だからその愛の故にこの身を捧げようという気になる。義務からではなく愛のため。

 

新共同 ヨハ 4:24 神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。」

 

新共同 Tペテ2:5 あなたがた自身も生きた石として用いられ、霊的な家に造り上げられるようにしなさい。そして聖なる祭司となって神に喜ばれる霊的ないけにえを、イエス・キリストを通して献げなさい。

 

● 解釈と黙想 無教会主義は無祭司主義ではない。今や無教会には祭司がいないから伸びない。

 

口語訳 エペ 5:2  また愛のうちを歩きなさい。キリストもあなたがたを愛して下さって、わたしたちのために、ご自身を、神へのかんばしいかおりのささげ物、また、いけにえとしてささげられたのである。

 

      解釈と黙想 初代の殉教者たちのように一心に身を捧げる心意気が必要なのだが。・・・・・

 

 

 

ローマ人への手紙12章2節

 

[口語訳] あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである。

 

 [新改訳] この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。

 

[新共同訳] あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。

 

[TEV] Do not conform yourselves to the standards of this world, but let God transform you inwardly by a complete change of your mind. Then you will be able to know the will of God-what is good and is pleasing to him and is perfect.

 

[文語訳]又この世に效ふな、神の御意の善にして悦ぶべく、かつ全きことを辨へ知らんために、心を更へて新にせよ。

 

[塚 本訳]また、この世に調子を合わせてはならない。むしろ反対に、何が神の御心であるか、何が善であり、お気に入るものであり、また完全であるかを見分け得 るために、(御霊によって)心を一新されて自分を造りかえていただけ。(そうすれば来るべき世への準備ができる。)"

 

 [前田訳]また、この世の型にはまらず、新しい精神で自らを変容し、何が神のみ心か、善か、お気に召すか、完全か、を見わけうるようになさい。"

 

[岩 波版・佐藤訳]そしてあなたがたは、この世と同じ姿かたちにさせられてはならない。むしろ〔自らの〕思いを刷新することによって形造り直され、〔その結 果〕何が神の意志であり、善きことであり、そして〔神に〕喜ばれることであり、完全なことであるのかを、あなたがたは吟味するように〔しなさい〕。

引照

[参考文献 NESTRE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 24,27版(独), SCOFIELD  STUDY BIBLE(米),

THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE(英), THE NEW JERUSALEM BIBLE(仏)新共同訳(日)]

 

口語訳 ガラ 1:4 キリストは、わたしたちの父なる神の御旨に従い、わたしたちを今の悪の世から救い出そうとして、ご自身をわたしたちの罪のためにささげられたのである。

 

口語訳 テト 3:5 わたしたちの行った義のわざによってではなく、ただ神のあわれみによって、再生の洗いを受け、聖霊により新たにされて、わたしたちは救われたのである。

 

新共同 ピリ 3:21 キリストは、万物を支配下に置くことさえできる力によって、わたしたちの卑しい体を、御自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださるのです。

 

      解 釈と黙想 人間の努力でない。神のリードで自然に我が身が変えられる。この世と違う者とさせられる。つきあいにくい者とされる。堅物とさせられる。堅苦し い者とさせられる。「君がいると酒がまずくなる」と言われる信者もあるやに聞く。ナニくそっ!。我々は最後の日まで忍耐だ。

 

 

 

ローマ人への手紙12章3節

 

[口語訳] わたしは、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりびとりに言う。思うべき限度を越えて思いあがることなく、むしろ、神が各自に分け与えられた信仰の量りにしたがって、慎み深く思うべきである。

 

[新改訳] 私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりひとりに言います。だれでも、思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。いや、むしろ、神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい。

 

[新共同訳] わたしに与えられた恵みによって、あなたがた一人一人に言います。自分を過大に評価してはなりません。むしろ、神が各自に分け与えてくださった信仰の度合いに応じて慎み深く評価すべきです。

 

[TEV] And because of God's gracious gift to me I say to every one of you: Do not think of yourself more highly than you should. Instead, be modest in your thinking, and judge yourself according to the amount of faith that God has given you.

 

[文語訳]われ與へられし恩惠によりて、汝等おのおのに告ぐ、思ふべき所を超えて自己を高しとすな。神のおのおのに分ち給ひし信仰の量にしたがひ愼みて思ふベし。

 

[塚本訳]それでわたしは、(神から)賜わった恩恵、(この使徒の権威)によって、あなた達のひとりびとりに忠告する。思うべき限りをこえて思いあがらぬように、神がめいめいに分けあたえられた信仰の量を思って、謙遜な思いをもつように。"

 

 [前田訳]わたしは与えられた恩恵によって、あなた方ひとりひとりにいいます。思うべきことをこえて思いあがらぬように。神が分かたれた信仰の糧に従って節度ある思いをするように。"

 

[岩波版・佐藤訳]私に与えられた恵みによって、あなたがたのうちにいるすべての者に私は言うが、思うべきところを越えて思い上がることなく、むしろ、神が各自に信仰の尺度を分け与えられたように、慎しみ深さに導く思いをもつべきである。

 

引照

[参考文献 NESTRE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 24,27版(独), SCOFIELD  STUDY BIBLE(米),

THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE(英), THE NEW JERUSALEM BIBLE(仏)新共同訳(日)]

 

新改訳 Tコリ4:6 さて、兄弟たち。以上、私は、私自身とアポロに当てはめて、あなたがたのために言って来ました。それは、あなたがたが、私たちの例によって、「書かれていることを越えない。」ことを学ぶため、そして、一方にくみし、他方に反対して高慢にならないためです。

 

口語訳 マタ 25:15 すなわち、それぞれの能力に応じて、ある者には五タラント、ある者には二タラント、ある者には一タラントを与えて、旅に出た。

 

      解釈と黙想 私には節度がないらしい。人に口を出しすぎる。小学生の時の通信簿の人物評に「人の世話をやきすぎる嫌いがある」と書かれた。どうしたらよいか。世話のやきすぎもタラント?

 

 

 

ローマ人への手紙12章4節

 

[口語訳] なぜなら、一つのからだにたくさんの肢体があるが、それらの肢体がみな同じ働きをしてはいないように、

 

[新改訳] 一つのからだには多くの器官があって、すべての器官が同じ働きはしないのと同じように、

 

[新共同訳] というのは、わたしたちの一つの体は多くの部分から成り立っていても、すべての部分が同じ働きをしていないように、

 

[TEV] We have many parts in the one body, and all these parts have different functions.

 

[文語訳]人は一つ體におほくの肢あれども、凡ての肢その運用を同じうせぬ如く

 

[塚本訳]なぜなら、わたし達には一つの体に多くの器官があるが、すべての器官が同じ働きをしないと同様に、

 [前田訳]われらのひとつ体には多くの肢があり、すべての肢が同じはたらきをするのではないように、"

 

[岩波版・佐藤訳]ちょうど私たちが一つのからだのなかに多くの肢体をもっており、しかもすべての肢体が同じ働きをしてはいないように、

 

引照

[参考文献 NESTRE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 24,27版(独), SCOFIELD  STUDY BIBLE(米),

THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE(英), THE NEW JERUSALEM BIBLE(仏)新共同訳(日)]

 

口語訳 Tコリ12:12

12:12 からだが一つであっても肢体は多くあり、また、からだのすべての肢体が多くあっても、からだは一つであるように、キリストの場合も同様である。

 

口語訳 Tコリ6:15

6:15 あなたがたは自分のからだがキリストの肢体であることを、知らないのか。それだのに、キリストの肢体を取って遊女の肢体としてよいのか。断じていけない。

 

口語訳 Tコリ10:17

10:17 パンが一つであるから、わたしたちは多くいても、一つのからだなのである。みんなの者が一つのパンを共にいただくからである。

 

口語訳 Tコリ12:12

12:12 からだが一つであっても肢体は多くあり、また、からだのすべての肢体が多くあっても、からだは一つであるように、キリストの場合も同様である。

 

口語訳 Tコリ12:27

12:27 あなたがたはキリストのからだであり、ひとりびとりはその肢体である。

 

口語訳 Tコリ12:9-10

12:9 またほかの人には、同じ御霊によって信仰、またほかの人には、一つの御霊によっていやしの賜物、

12:10 またほかの人には力あるわざ、またほかの人には預言、またほかの人には霊を見わける力、またほかの人には種々の異言、またほかの人には異言を解く力が、与えられている。

 

      解釈と黙想 

実 際問題としてクリスチャンはどこかの集団に連なって生きることがかなり重要。人付き合いが嫌いで一人でぽつんと勉強していると信仰がかなり一人よがりとな る実例が多い。信仰は生命体である。しかしだからと言って集団に連ならなければならないことを律法的に命ずると教会主義となって「しっくりいかない」。無 教会は「しっくりいく」ので評判だが、それは「来る者を拒まず去る者を追わず」という神中心主義のよい伝統的雰囲気があるためである。しかし無教会の肢体 は頭だけが発達している火星人か。・・・プロテスタント教会は(牧師の)口だけが異常に発達している。  

伝 道はチームプレーのほうがよい。これは実感。集団にとけ込んでもらうのと効果がある。初めて来た人が抱えている問題は非常に多岐に渡っているからである。 その意味でエクレシアは頭も手足も口も総動員しなければならない。 人には向き向きがあるから、集会には多様性があって良い。

 

 

 

ローマ人への手紙12章5節

 

[口語訳] わたしたちも数は多いが、キリストにあって一つのからだであり、また各自は互に肢体だからである。

 

[新改訳] 大ぜいいる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです。

 

[新共同訳] わたしたちも数は多いが、キリストに結ばれて一つの体を形づくっており、各自は互いに部分なのです。

 

[TEV] In the same way, though we are many, we are one body in union with Christ, and we are all joined to each other as different parts of one body.

 

[文語訳]我らも多くあれど、キリストに在りて一つ體にして、各人たがひに肢たるなり。"

 

[塚本訳]わたし達(信者)も大勢が(全体としては)キリストにおいて一つの体であり、一つ一つとしては互が互の器官であ(って、互に補い合うからであ)る。

 

 [前田訳]大勢のわれらはキリストにあってひとつ体であり、おのおのが互いの肢です。"

 

[岩波版・佐藤訳]そのように私たちは、〔数は〕多くともキリストにあって一つのからだなのであり、おのおのは互いの肢体なのだからである。

 

引照

[参考文献 NESTRE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 24,27版(独), SCOFIELD  STUDY BIBLE(米),

THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE(英), THE NEW JERUSALEM BIBLE(仏)新共同訳(日)]

 

新共同 エペ 1:23

1:23 教会はキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方の満ちておられる場です。

 

新共同 エペ 4:4

4:4 体は一つ、霊は一つです。それは、あなたがたが、一つの希望にあずかるようにと招かれているのと同じです。

 

新共同 エペ 4:25

4:25 だから、偽りを捨て、それぞれ隣人に対して真実を語りなさい。わたしたちは、互いに体の一部なのです。

 

新共同 エペ 5:30-32

5:30 わたしたちは、キリストの体の一部なのです。

5:31 「それゆえ、人は父と母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。」

5:32 この神秘は偉大です。わたしは、キリストと教会について述べているのです。

 

新共同 コロ 3:15

3:15 また、キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。この平和にあずからせるために、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。いつも感謝していなさい。

 

新共同 ガラ 3:28 そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。

 

新共同 Tコリ12:20-27

12:20 だから、多くの部分があっても、一つの体なのです。

12:21 目が手に向かって「お前は要らない」とは言えず、また、頭が足に向かって「お前たちは要らない」とも言えません。

12:22 それどころか、体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。

12:23 わたしたちは、体の中でほかよりも恰好が悪いと思われる部分を覆って、もっと恰好よくしようとし、見苦しい部分をもっと見栄えよくしようとします。

12:24 見栄えのよい部分には、そうする必要はありません。神は、見劣りのする部分をいっそう引き立たせて、体を組み立てられました。

12:25 それで、体に分裂が起こらず、各部分が互いに配慮し合っています。

12:26 一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。

12:27 あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。

 

      解釈と黙想 

教会主義はこれらの言葉を律法として信者を縛るからいけない。これらの聖書の言葉より神の導きの方が上で重要である。その意味で聖書よりもまず神の存在である。神の霊である。聖書が律法になってはいけない。教会主義は新約聖書の字句を律法にして信者を縛っている。

 

 

 

ローマ人への手紙12章6節

 

[口語訳] このように、わたしたちは与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持っているので、もし、それが預言であれば、信仰の程度に応じて預言をし、

 

[新改訳] 私たちは、与えられた恵みに従って、異なった賜物を持っているので、もしそれが預言であれば、その信仰に応じて預言しなさい。

 

[新共同訳] わたしたちは、与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持っていますから、預言の賜物を受けていれば、信仰に応じて預言し、

 

[TEV] So we are to use our different gifts in accordance with the grace that God has given us. If our gift is to speak God's message, we should do it according to the faith that we have;

 

[文語訳]われらが有てる賜物はおのおの與へられし恩惠によりて異なる故に、或は預言あらば信仰の量りにしたがひて預言をなし、

 

[塚本訳](すなわち)わたし達は与えられた恩恵(の分量と種類と)に応じて、(ひとりびとりが)ちがった賜物を持っているのだから、(たとえば、)預言(の力)を持っているなら、信仰の量に応じて預言せよ。"

 

[前田訳]われらは与えられた恩恵に従って違った賜物を持っていますから、預言の賜物を持つならば信仰に応じてなさい。

 

[岩波版・佐藤訳]さて、私たちに与えられた恵みによって、私たちは異なった恵みの賜物をもっている。それが預言〔の賜物〕であるのならそれぞれの信仰に応じて、

 

引照

[参考文献 NESTRE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 24,27版(独), SCOFIELD  STUDY BIBLE(米),

THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE(英), THE NEW JERUSALEM BIBLE(仏)新共同訳(日)]

 

口語訳 Tコリ12:4

12:4 霊の賜物は種々あるが、御霊は同じである。

 

口語訳 ロマ 15:15

15:15 しかし、わたしはあなたがたの記憶を新たにするために、ところどころ、かなり思いきって書いた。それは、神からわたしに賜わった恵みによって、書いたのである。

 

口語訳 エペ 4:15

4:15 愛にあって真理を語り、あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達するのである。

 

口語訳 エペ 5:30

5:30 わたしたちは、キリストのからだの肢体なのである。

 

口語訳 Tコリ12:23-25

12:23 からだのうちで、他よりも見劣りがすると思えるところに、ものを着せていっそう見よくする。麗しくない部分はいっそう麗しくするが、

12:24 麗しい部分はそうする必要がない。神は劣っている部分をいっそう見よくして、からだに調和をお与えになったのである。

12:25 それは、からだの中に分裂がなく、それぞれの肢体が互にいたわり合うためなのである。

 

● 解釈と黙想  人によっ て賜物(得意得意)があるように、教会や集会にも得意分野がある。ある教会や集会は「預言や社会批判」が得意(専門?)。ある教会や集会は聖書研究が得 意。あるところは音楽だらけ。カトリックは儀式、プロテスタントは聖書。それぞれに賜物あり。これは人にも言える。人には個性がある。また職業上の働き分 野がある。この部分のケーゼマンの要約「様々な次元におけるキリスト教的日常生活」は名言。枝は多いが体なる幹はひとつ。それは頭なるキリスト。

 

 

 

ローマ人への手紙12章7節

 

[口語訳] 奉仕であれば奉仕をし、また教える者であれば教え、

 

[新改訳] 奉仕であれば奉仕し、教える人であれば教えなさい。

 

[新共同訳] 奉仕の賜物を受けていれば、奉仕に専念しなさい。また、教える人は教えに、

 

[TEV] if it is to serve, we should serve; if it is to teach, we should teach;

 

[文語訳]或は務あらば務をなし、或は教をなす者は教をなし、

 

[塚本訳](貧しい人の救済その他の)職務を持っているなら、その職務に、教師なら教育に、"

 

[前田訳]奉仕するなら奉仕に、教師ならば教育に、

 

[岩波版・佐藤訳]それが奉仕〔の賜物〕であるのなら奉仕において、教えをなす者であるのなら教えにおいて、

 

引照

[参考文献 NESTRE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 24,27版(独), SCOFIELD  STUDY BIBLE(米),

THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE(英), THE NEW JERUSALEM BIBLE(仏)新共同訳(日)]

 

新共同 Tペテ4:10

4:10 あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのですから、神のさまざまな恵みの善い管理者として、その賜物を生かして互いに仕えなさい。

 

      解釈と黙想 私の場合は建築技術を授かったのでそれで人に仕えた。信者の家やビルを造ることほど楽しいことはなかった。これ小事に忠であることで天国に通じる労働のような感じがした。

 

 

 

ローマ人への手紙12章8節

 

[口語訳] 勧めをする者であれば勧め、寄附する者は惜しみなく寄附し、指導する者は熱心に指導し、慈善をする者は快く慈善をすべきである。

 

[新改訳] 勧めをする人であれば勧め、分け与える人は惜しまずに分け与え、指導する人は熱心に指導し、慈善を行なう人は喜んでそれをしなさい。

 

[新共同訳] 勧める人は勧めに精を出しなさい。施しをする人は惜しまず施し、指導する人は熱心に指導し、慈善を行う人は快く行いなさい。

 

[TEV] if it is to encourage others, we should do so. Whoever shares with others should do it generously; whoever has authority should work hard; whoever shows kindness to others should do it cheerfully.

 

[文語訳]或は勸めをなす者は勸めをなし、施す者はをしみなく施し、治むる者は心を盡くして治め、憐憫をなす者は喜びて憐憫をなすべし。

[塚本訳]伝道なら伝道に、精を出せ。施す者は純粋に、世話をする者は熱心に、慈善を行う者は喜んで、しなければいけない。"

 

[前田訳]勧誘者なら勧誘に、応分の処置をなさい。施すものは純粋に、援助者は熱心に、慈善家はよろこんでなさい。

 

[岩波版・佐藤訳]勧めをなす者であるのなら勧めにおいて、施しをなす者は物を惜しまない純真さにおいて、指導をなす者は熱心さにおいて、慈善をなす者は快活さにおいて〔、それぞれの賜物を生かしなさい〕。

 

引照

[参考文献 NESTRE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 24,27版(独), SCOFIELD  STUDY BIBLE(米),

THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE(英), THE NEW JERUSALEM BIBLE(仏)新共同訳(日)]

 

新共同 Tテモ4:13

4:13 わたしが行くときまで、聖書の朗読と勧めと教えに専念しなさい。

 

新共同 Tコリ14:3

14:3 しかし、預言する者は、人に向かって語っているので、人を造り上げ、励まし、慰めます。

 

新共同 ヘブ 13:22

13:22 兄弟たち、どうか、以上のような勧めの言葉を受け入れてください、実際、わたしは手短に書いたのですから。

 

新共同 エペ 4:28

4:28 盗みを働いていた者は、今からは盗んではいけません。むしろ、労苦して自分の手で正当な収入を得、困っている人々に分け与えるようにしなさい。

 

口語訳 Uコリ8:2

8:2 すなわち、彼らは、患難のために激しい試錬をうけたが、その満ちあふれる喜びは、極度の貧しさにもかかわらず、あふれ出て惜しみなく施す富となったのである。

 

新改訳 Tテモ5:17

5:17 よく指導の任に当たっている長老は、二重に尊敬を受けるにふさわしいとしなさい。みことばと教えのためにほねおっている長老は特にそうです。

 

新改訳 マタ 6:3

6:3 あなたは、施しをするとき、右の手のしていることを左の手に知られないようにしなさい。

 

新改訳 Uコリ9:7 ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。

 

● 解釈と黙想 このような働きは狭い一教会や一集会の中だけのことに考えて説教されるからいわゆる「教会生活」が息苦しくなり、行き詰まるのである。これらの勧告はまずおのおのの職業領域、クリスチャンの人生の姿勢を説いているのである。

 

 

 

 神がその人に姿を顕すとき

 

キリスト教の救いは真理に 対する覚醒ではない。主の霊がその人に臨むときである。神がその人に姿を顕すこと、その時のことである。ローマ書7章はパウロが自分の罪の姿を見てしまっ て絶望したときに、理屈抜きに神の霊がパウロに臨んでその苦より解放されたいきさつが書かれている。そして8章になると「霊」という言葉が圧倒的に多く出 てくる。つまり救いとは真理に対する人間の努力による覚醒ではなくて、・・・・それは仏教をはじめとする多くの宗教。・・・・・神の絶対恩恵による神の側 の意志による救いである。では救いは神の掌中に握られていてどうしようもなく変更できないことかというと、人間の側での「熱心」によって神の心が変わるこ とも事実である。だから神の心を変えるために熱心に祈れとイエスは言う。(ルカ18:1−8)。

口語訳 ルカ 18:1

18:1 また、イエスは失望せずに常に祈るべきことを、人々に譬で教えられた。

 

 しかし人間の熱心と言っても、救いはあくまでも神の主権によるのである。 パ ウロの救いは神がパウロに姿を顕したことによる(使徒9、22章)。これはモーセに神が姿を顕したことと似ている(出エジプト記3章)。そして神はモーセ に自分は「ありてあるもの」(エゴーエイミ)だという。すなわち圧倒的実在者である。つまりその時に神は人間に対しウムを言わせずその実在を認めさせる。 人間の側から見ればウムを言わされずに神の実在と救いを認めさせられる。承認させられる。神がその人に臨むそのときに人間は罪の苦から解放されて真の自由 が与えられる。主の霊のあるところに自由あり。

 

第二コリント3:17「主は霊である。そして、の霊のあるところには、自由がある。」

 

で は主の救いがその人に発動されるのはいつのことか。姿を顕して下さるのはいつのことか。それは神の胸先三寸のことでわれわれ人間には分からないことだ。イ エスさえも父の計画の終末がいつなのかその時は分からないといった。(勤務先でも人事のことには周囲が容易に口出しできない。それは決定者自身にとっても 非常に神秘的なことなのである。)

 

口語訳 マタ 24:36

24:36 その日、その時は、だれも知らない。天の御使たちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる。

 

口語訳 使  1:6-7

1:6 さて、弟子たちが一緒に集まったとき、イエスに問うて言った、「主よ、イスラエルのために国を復興なさるのは、この時なのですか」。

1:7 彼らに言われた、「時期や場合は、父がご自分の権威によって定めておられるのであって、あなたがたの知る限りではない。

 

神 が人をお救いになるその時はいつか。それは私達にはわからないが、いつの日か必ずお救いくださる。救いは「真理への覚醒」ではないから、その時が来るまで は人間がまわりでやきもきしても救いはその人に臨まない。この認識がいわゆる「伝道」の姿勢の教会と無教会の行動の差になる。大挙伝道(ビリーグラハムな どの例)による一時的感動で「決心」してもしばらくすると潮がひくようにいなくなる。かっこよさにあこがれてのキリスト教式による結婚式も(現在キリスト 教式による結婚式の率はなんと50%)、式が終わると判でついたようにぴたっとキリスト教とは縁がなくなる。教会の(音楽的)心地よさでも人は救われな い。罪の自覚に目覚めさせようとしても無理。神が人に直接臨まない限り人に救いは訪れない。罪の自覚が起こらない。キリスト教を信ずるとこの世的に偉くな れたり、よい働きをすることができるという見せびらかしでも救いは訪れない。いくら名説教、名講演、名研究、名雑誌、名教会、名学校、名家庭、名人物、名 伝道者、名書籍、に出会っても救われない時は人は救われない。これらはきっかけ。時が来なければ救われない。しかし人が救われる時は、これら名人物がいな くても神が直接的にその実力で不思議な方法で、思いもよらない方法でご自分を顕される。「エゴーエイミ、ありてあるもの」と言って。それは不思議な方法。 不思議な時。思わざる時。かくして人ではなく神の名誉があがる。それは神の時。神の業がなされる時。時というものがもつ神秘。

パ ウロが同胞ユダヤ人の救いの心配で解決として得た到達点はこれであった。つまり同胞ユダヤ人はきっといつの日にか神によって救われると。パウロはそこに 「希望」をおいた。ローマ書11章はその聖書的根拠である。しかしパウロは同胞の救いの日を見ずに伝説によると首をはねられて殉教の死を遂げた。救いを宣 べ伝える者がその救いの日(実)を見ずに死ぬことは宿命である。モーセ然り。イエス然り。仕方がない。だからパウロは大切な要素として「希望」という言葉 を掲げる(第一コリント13:13)。そしてこれが終末の到来を早く望む心につながる。「主よ来たりませ」と。

ローマ書8章18節[文語訳] われ思うに、今の時の苦難(くるしみ)は、われらの上に顯(あらわ)れんとする榮光にくらぶるに足らず  2001.11.7 高橋 照男 

表  題 ・ 要  約

 

キリスト教的生活の規範(12:9−21)・・・新共同訳

第12章―15章 根本的な震撼・・・バルト

     積極的可能性(12:9−15)

 消極的可能性(12:16−20)

 

第6部 12章1節―15章13節 キリスト教的日常生活における神の義・・・ケーゼマン

(四)   12:1−13:14 一般的勧告――様々な次元におけるキリスト教的日常生活

3 カリスマ的教会(12:9−21)

 

第3部 キリストの者たちへの生活訓(12:1−15:13)・・・アルトハウスNTD

(三)キリスト信徒の生活綱領―その要諦としての愛(12:9−21)

 

C 勧告(12:1−15:13)・・・ヴィルケンスEKK

一 愛の力による生(12:1−13:14)

    3 善の基準としての愛(12:9−21)

 

W実行論 12章1節―15章13節 ・・・黒崎註解新約聖書

(一) 信仰より行為への通路(12:1−2)

(五)   愛と謙遜(12:3−21)

(ロ)   隣人愛の実行(12:9−13)

(ハ)   敵を愛せよ(12:14−21)

 

御霊(みたま)による勝利(12:9−21節)・・・高橋三郎

 

第2編 倫理的勧告  ・・・フランシスコ会訳

       生活の基本的原理である愛(12:9−21)

       

献身としての礼拝 12章・・・青野訳(岩波)

霊的な礼拝    12章・・・前田訳

 

第4部     信徒への使徒のすすめ ―― 個人、国家、教会にかかわるキリスト信徒の倫理

                  (第12章1節―第15章13節) ・・・八木(講談社)

    愛(12:9−21)

    

愛をもて(12:9−21)・・・塚本訳

 

愛のはたらき(12:9−21)・・・白井きく

 

基督教道徳の第二 愛(一)(12:9−10)・・・内村鑑三

  同      愛(二)(12:11−15)

同      愛(三)(12:16−18)

同      愛(四)(12:19−21)

 

 

 

ローマ人への手紙12章9節

 

[口語訳] 愛には偽りがあってはならない。悪は憎み退け、善には親しみ結び、

 

[新改訳] 愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善に親しみなさい。

 

[新共同訳] 愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善から離れず、

 

[TEV] Love must be completely sincere. Hate what is evil, hold on to what is good.

 

[文語訳]愛には虚僞あらざれ、惡はにくみ、善はしたしみ、"

 

[塚本訳]愛に偽りがないように。悪を忌みきらい、善にはしっかりくっついておれ。"

 

[前田訳]愛に偽りなく。悪をいとい、善に親しく。"

 

[岩波版・青野訳愛は偽りなきもの〔でなければならない〕。悪を憎悪し、善に結びつき、

 

引照

[参考文献 NESTLE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 24,27版(独), SCOFIELD  STUDY BIBLE(米),

THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE(英), THE NEW JERUSALEM BIBLE(仏)新共同訳(日)]

 

新共同 Uコリ6:6

6:6 純真、知識、寛容、親切、聖霊、偽りのない愛、

 

口語訳 Tコリ13:6

13:6 不義を喜ばないで真理を喜ぶ。

 

新共同 アモ 5:15

5:15 悪を憎み、善を愛せよ/また、町の門で正義を貫け。あるいは、万軍の神なる主が/ヨセフの残りの者を/憐れんでくださることもあろう。

 

新共同 詩  97:10

97:10 主を愛する人は悪を憎む。主の慈しみに生きる人の魂を主は守り/神に逆らう者の手から助け出してくださる。

 

口語訳 Tテモ1:5

1:5 わたしのこの命令は、清い心と正しい良心と偽りのない信仰とから出てくる愛を目標としている。

 

新改訳 Tテサ5:21

5:21 すべてのことを見分けて、ほんとうに良いものを堅く守りなさい。

 

新改訳 ロマ 13:8

13:8 だれに対しても、何の借りもあってはいけません。ただし、互いに愛し合うことについては別です。他の人を愛する者は、律法を完全に守っているのです。

 

新改訳 マタ 26:49

26:49 それで、彼はすぐにイエスに近づき、「先生。お元気で。」と言って、口づけした。

 

口語訳 Tヨハ3:18-20

3:18 子たちよ。わたしたちは言葉や口先だけで愛するのではなく、行いと真実とをもって愛し合おうではないか。

3:19 それによって、わたしたちが真理から出たものであることがわかる。そして、神のみまえに心を安んじていよう。

3:20 なぜなら、たといわたしたちの心に責められるようなことがあっても、神はわたしたちの心よりも大いなるかたであって、すべてをご存じだからである。

 

新改訳 Tペテ4:8

4:8 何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。

 

口語訳 詩  34:14 悪を離れて善をおこない、やわらぎを求めて、これを努めよ。

 

口語訳 詩  45:7 あなたは義を愛し、悪を憎む。このゆえに神、あなたの神は喜びの油を/あなたのともがらにまさって、あなたに注がれた。

 

口語訳 詩  97:10 主は悪を憎む者を愛し、その聖徒のいのちを守り、これを悪しき者の手から助け出される。

 

● 解釈と黙想   愛,純 潔、真理、喜び、善。神の霊が下るとこのキラキラした状態を賜る。この事実が退廃したロー目帝国にさわやかな風を吹かせた。そして枯野に火がつくごとく福 音が広まった。やはり人間である。人間はいつまでも闇にとどまってはいない。いられない。真理を求める。愛と自由と平安と純潔を求める。福音はそれ自身の 力で広まった。

 

 

 

ローマ人への手紙12章10節

 

[口語訳] 兄弟の愛をもって互にいつくしみ、進んで互に尊敬し合いなさい。

 

[新改訳] 兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。

 

[新共同訳] 兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。

 

[TEV] Love one another warmly as Christians, and be eager to show respect for one another.

 

[文語訳]兄弟の愛をもて互に愛しみ、禮儀をもて相譲(あひゆづ)り、

 

[塚本訳]親身の兄弟のように互に愛し合い、尊敬し合って互に(人を自分より)えらく思え。"

 

[前田訳]兄弟愛をもって互いに愛しあい、尊敬をもって互いをまさるとなさい。

 

[岩波版・青野訳]互いに対する兄弟愛において〔肉親間のように〕優しく愛する者〔となり〕、尊敬をもって〔互いを〕立て合い、

 

引照

[参考文献 NESTLE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 24,27版(独), SCOFIELD  STUDY BIBLE(米),

THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE(英), THE NEW JERUSALEM BIBLE(仏)新共同訳(日)]

 

新改訳 Tテサ4:9

4:9 兄弟愛については、何も書き送る必要がありません。あなたがたこそ、互いに愛し合うことを神から教えられた人たちだからです。

新共同 Tペテ2:17 すべての人を敬い、兄弟を愛し、神を畏れ、皇帝を敬いなさい。

 

● 解釈と黙想  

戦 時中に少年、青年時代をすごした先輩達は、天皇陛下と聞くだけでアレルギー反応を起こして全身が「反体制」の身構えをする。それは戦時中にいかに痛めつけ られ傷がついたかが計り知れないので致し方がないが、聖書は「皇帝を敬え」と書いてある。それはよい皇帝の場合だけではないのだ。皇帝が敵になった場合で も「敵を愛せ」なのだ。私のように戦中(昭和18年)生まれの者や戦後生まれの者に皇帝には常に「抵抗」という姿勢を説くのは聖書的ではない。ローマ帝国 による迫害のあった90年代に書かれたTペテロ(黙示録と同時代)が「皇帝を敬え」というのは重みがある。上に立つ者や、権威や、体制には常に「抵抗」の 姿勢をとれというのは聖書の教えるところではない。そのことを熱心に教えると「トッポイ」人間が育って、学校でも職場でも家庭でも上に立つ者が迷惑をす る。かく言う私は青少年時代に「教会主義」の悩みがあって無教会主義になったのだが、私の場合は教会が聖書の真理に基づかない「教会主義」の主張を発する のを聞くと今でも全身の血が逆流するのを感じる。人間は青少年時代に出会ったいやなことのために生涯を戦い抜くようである。だから無教会主義をはっきり認 識しない人に出会うと歯がゆい思いがする。その人は無教会を分かっていないと思う。戦争反対を叫ばない人がいるとその態度を歯がゆく感じる人がいるのと同 じである。しかし私の場合は私だけの問題だったのかもしれない。この年齢(58歳)になって思う。私は幼い時から教会に世話になったのだ。塚本先生曰く、 無教会に熱心な人も老人になると惚けてきて矛先が鈍る人がいると。

 

新共同 ロマ 13:7 すべての人々に対して自分の義務を果たしなさい。貢を納めるべき人には貢を納め、税を納めるべき人には税を納め、恐るべき人は恐れ、敬うべき人は敬いなさい。

 

口語訳 ピリ 2:3 何事も党派心や虚栄からするのでなく、へりくだった心をもって互に人を自分よりすぐれた者としなさい。

 

口語訳 ヨハ 13:34 わたしは、新しいいましめをあなたがたに与える、互に愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。

 

新改訳 Uペテ1:6-7 1:6 知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には敬虔を、1:7 敬虔には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。

 

新改訳 Uペテ1:5-7 1:5 こういうわけですから、あなたがたは、あらゆる努力をして、信仰には徳を、徳には知識を、1:6 知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には敬虔を、1:7 敬虔には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。

 

口語訳 Tペテ5:5 同じように、若い人たちよ。長老たちに従いなさい。また、みな互に謙遜を身につけなさい。神は高ぶる者をしりぞけ、へりくだる者に恵みを賜うからである。

 

●  解釈と黙想  これらの愛の徳目が律法としてふるまわれるとわざとらしくかつおせっかいとなる。それが教会主義のまずいところ。無教会はこの逆を行った から良かったのかもしれない。初めて集会に来られた方にも「よくいらっしゃいました」とは言わない。信仰は神とその人との関係であり、集会への人間的結び つきが目的ではないからである。おせっかいをしない。しかし無教会主義は無祭司主義になってはいけない。魂の看取りをする殉教的な人物が必要である。神に 祝福されて真の信仰があれば愛は律法でなくたくまずして外に自然に流れ出る。

 

 

 

ローマ人への手紙12章11節

 

[口語訳] 熱心で、うむことなく、霊に燃え、主に仕え、

 

[新改訳] 勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。

 

[新共同訳] 怠らず励み、霊に燃えて、主に仕えなさい。

 

[TEV] Work hard and do not be lazy. Serve the Lord with a heart full of devotion.

 

[文語訳]勤めて怠らず、心を熱くし、主につかへ、

 

[塚本訳]熱心で倦まず、(神の)霊に燃え、主に仕えよ。"

 

[前田訳]勤勉で捲まず、霊に燃え、主に仕え、

 

[岩波版・青野訳]熱心さにおいて遅れをとらぬ者〔となり〕、霊において熱くなり、主に隷従し、

 

引照

[参考文献 NESTLE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 24,27版(独), SCOFIELD  STUDY BIBLE(米),

THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE(英), THE NEW JERUSALEM BIBLE(仏)新共同訳(日)]

 

口語訳 使  18:24-25

18:24 さて、アレキサンデリヤ生れで、聖書に精通し、しかも、雄弁なアポロというユダヤ人が、エペソにきた。

18:25 この人は主の道に通じており、また、霊に燃えてイエスのことを詳しく語ったり教えたりしていたが、ただヨハネのバプテスマしか知っていなかった。

 

口語訳 コロ 3:23

3:23 何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心から働きなさい。

 

新改訳 使  20:19

20:19 私は謙遜の限りを尽くし、涙をもって、またユダヤ人の陰謀によりわが身にふりかかる数々の試練の中で、主に仕えました。

 

新共同 コロ 3:24

3:24 あなたがたは、御国を受け継ぐという報いを主から受けることを知っています。あなたがたは主キリストに仕えているのです。

 

口語訳 使  20:34

20:34 あなたがた自身が知っているとおり、わたしのこの両手は、自分の生活のためにも、また一緒にいた人たちのためにも、働いてきたのだ。

 

口語訳 ヤコ 5:16

5:16 だから、互に罪を告白し合い、また、いやされるようにお互のために祈りなさい。義人の祈は、大いに力があり、効果のあるものである。

 

口語訳 コロ 3:22-24

3:22 僕たる者よ、何事についても、肉による主人に従いなさい。人にへつらおうとして、目先だけの勤めをするのではなく、真心をこめて主を恐れつつ、従いなさい。

3:23 何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心から働きなさい。

3:24 あなたがたが知っているとおり、あなたがたは御国をつぐことを、報いとして主から受けるであろう。あなたがたは、主キリストに仕えているのである。

 

口語訳 Tペテ1:22

1:22 あなたがたは、真理に従うことによって、たましいをきよめ、偽りのない兄弟愛をいだくに至ったのであるから、互に心から熱く愛し合いなさい。

 

新共同 テト 2:6-9

2:6 -7同じように、万事につけ若い男には、思慮深くふるまうように勧めなさい。あなた自身、良い行いの模範となりなさい。教えるときには、清廉で品位を保ち、

2:8 非難の余地のない健全な言葉を語りなさい。そうすれば、敵対者は、わたしたちについて何の悪口も言うことができず、恥じ入るでしょう。

2:9 奴隷には、あらゆる点で自分の主人に服従して、喜ばれるようにし、反抗したり、

2:10 盗んだりせず、常に忠実で善良であることを示すように勧めなさい。そうすれば、わたしたちの救い主である神の教えを、あらゆる点で輝かすことになります。

 

● 解釈と黙想  真の信仰 を頂くと、信仰に熱心なばかりでなく、この世の仕事にも熱心になれる。しかしそれは神に仕える手段としての労働。金儲けが目的ではない。来世行きの準備と しての労働(ルカ16章)。かくしてその清い正しい労働観の故にこの世の人からも尊敬される。クリスチャンはキリスト教の中だけで通じるような熱心者で あってはならない。この世の職業者達の模範でもなければならない。しかしこれをはきちがえると、信仰を持てばこの世的にも出世するという誤解が生じる。無 教会の学歴主義がこれである。禍である。その認識に救いはない。それは教養主義である。サロンである。十字架と復活を伝承する集団ではない。そのような集 団は長続きしない。自然消滅する。あとが続かない。

 

 

 

ローマ人への手紙12章12節

 

[口語訳] 望みをいだいて喜び、患難に耐え、常に祈りなさい。

 

[新改訳] 望みを抱いて喜び、患難に耐え、絶えず祈りに励みなさい。

 

[新共同訳] 希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい。

 

[TEV] Let your hope keep you joyful, be patient in your troubles, and pray at all times.

 

[文語訳]望みて喜び、患難(なやみ)にたへ、祈を恆(つね)にし

 

[塚本訳]希望をもって喜び、苦難に耐え、たゆまず祈れ。

 

[前田訳]希望のうちによろこび、苦難に耐え、たゆまず祈り、

 

[岩波版・青野訳]希望において喜び、患難において忍耐し、祈りにおいて専念し、

 

引照

[参考文献 NESTLE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 24,27版(独), SCOFIELD  STUDY BIBLE(米),

THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE(英), THE NEW JERUSALEM BIBLE(仏)新共同訳(日)]

 

新共同 ピリ 4:6

4:6 どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。

 

新改訳 ピリ 4:6

4:6 何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。

 

口語訳 コロ 4:2 目をさまして、感謝のうちに祈り、ひたすら祈り続けなさい。

 

新共同 ルカ 18:1-18

18:1 イエスは、気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを教えるために、弟子たちにたとえを話された。

18:2 「ある町に、神を畏れず人を人とも思わない裁判官がいた。

18:3 ところが、その町に一人のやもめがいて、裁判官のところに来ては、『相手を裁いて、わたしを守ってください』と言っていた。

18:4 裁判官は、しばらくの間は取り合おうとしなかった。しかし、その後に考えた。『自分は神など畏れないし、人を人とも思わない。

18:5 しかし、あのやもめは、うるさくてかなわないから、彼女のために裁判をしてやろう。さもないと、ひっきりなしにやって来て、わたしをさんざんな目に遭わすにちがいない。』」

18:6 それから、主は言われた。「この不正な裁判官の言いぐさを聞きなさい。

18:7 まして神は、昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちのために裁きを行わずに、彼らをいつまでもほうっておかれることがあろうか。

18:8 言っておくが、神は速やかに裁いてくださる。しかし、人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見いだすだろうか。」

 

口語訳 ルカ 21:36 これらの起ろうとしているすべての事からのがれて、人の子の前に立つことができるように、絶えず目をさまして祈っていなさい」。

 

● 解釈と黙想

かっ て私に「お祈りなんかしていても何もならない。行動せよ。」と暴言を吐いた人がいた。彼はその後医者でも直りにくい重い病になった。わたしは言った「こう なったら仕方がないお祈りするより手がない」と。彼はそのとき何を考えたのかわからない。彼の病はまだ直らない。早く熱心に祈るようになればよいのになあ と思っている。ただし近代のデカルト以来の唯物教育では「お祈りなんか意味はない。そんなことをしている暇があったら行動する」というのが本音であろう。 しかし人生は行動や活動や人間の業ではどうしようもなくなって万策尽きることがあるものだ。そのときはお祈りに効果があるかどうか分からなくても「恥も外 聞も捨てて」はしたなくなりふりかまわず祈ればよい。人生は実験だ。試しだ。それで祈りが聴かれなければ祈りなどやめればよいのだ。ためしはタダだ。実験 もタダだ。ダメならやめればよい。ダメでもともとである。私に内緒でひそかに祈ってみるがよい。私達クリスチャンとて初めから祈りが聴かれるとは思っては いなかった。何回もの実験や験(ため)しを経験して「祈る」ことを覚えたのである。もし直った場合、本当に神のおかげだったと思うか思わないか(つまり偶 然に直ったのか)は本人の気持ち次第だ。

そんなことよりも祈りが聴かれるか聴かれないかは分からなくてもやみくもに祈ってみたほうがよい。

かって私が腎臓結石で立川病院に入院していて、明日が手術という不安(危険率が高かった)の日、病室の掃除に来たカトリックのおばさんとの対話。

カトリックのおばさん「旦那さん明日手術ですね。今晩マリヤ様にお祈りしておきます。」

無教会の私「どうぞマリヤ様にもよろしく言っておいてください。」

こういうのを「なりふりかまわずの祈り」という。

 

 

 

ローマ人への手紙12章13節

 

[口語訳] 貧しい聖徒を助け、努めて旅人をもてなしなさい。

 

[新改訳] 聖徒の入用に協力し、旅人をもてなしなさい。

 

[新共同訳] 聖なる者たちの貧しさを自分のものとして彼らを助け、旅人をもてなすよう努めなさい。

 

 [TEV] Share your belongings with your needy fellow Christians, and open your homes to strangers.

 

[文語訳]聖徒の缺乏(とぼしき)を賑(にぎは)し、旅人を懇(ねんご)ろに待(もてな)せ、

 

[塚本訳]力を合わせて聖徒の欠乏をおぎない、旅人の接待に努めよ。

 

[前田訳]協力して聖徒の欠乏を補い、旅人の接待につとめなさい。

 

[岩波版・青野訳]聖なる者たちの困窮を共に担い、旅人をあつくもてなす〔――不断にそのようになりなさい〕。

 

引照

[参考文献 NESTLE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 24,27版(独), SCOFIELD  STUDY BIBLE(米),

THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE(英), THE NEW JERUSALEM BIBLE(仏)新共同訳(日)]

 

新改訳 テト 1:8 かえって、旅人をよくもてなし、善を愛し、慎み深く、正しく、敬虔で、自制心があり、

 

新共同 ヘブ 13:2 旅人をもてなすことを忘れてはいけません。そうすることで、ある人たちは、気づかずに天使たちをもてなしました。

 

● 解釈と黙想  当時の伝 道者は家から家に渡り歩いていたので、旅人をもてなすということが大切であった。現代の日本は家が狭くて泊めることはなかなかできにくい。しかし統計によ れば日本の住宅面積は欧米に近づいてきた。(ただし米国は別格)。いわゆるウサギ小屋との批判からは脱出した。旅人をもてなせるかどうかは、要は心持であ るようだ。当時伝道者を心から迎えない家には何か問題があったのだろう。心の扉が閉じている人の家は広くても泊まりにくい。敷居が高い。福音は人から人へ 伝わるのである。現代の青少年は何かの理由で心の扉が閉じている。それは罪。

 

 

 

ローマ人への手紙12章14節

 

[口語訳] あなたがたを迫害する者を祝福しなさい。祝福して、のろってはならない。

 

[新改訳] あなたがたを迫害する者を祝福しなさい。祝福すべきであって、のろってはいけません。

 

[新共同訳] あなたがたを迫害する者のために祝福を祈りなさい。祝福を祈るのであって、呪ってはなりません。

 

[TEV] Ask God to bless those who persecute you-yes, ask him to bless, not to curse.

 

[文語訳]汝らを責むる者を祝し、これを祝して詛ふな。

 

[塚本訳](あなた達を)迫害する者に(神の)祝福を求め、祝福して呪うな。"

 

[前田訳]"あなたの迫害者を祝福し、祝福して呪いなさるな。

 

[岩波版・青野訳]〔あなたがたを〕迫害する者たちを祝福しなさい。〔然り、〕祝福しなさい、そして呪ってはならない。

 

引照

[参考文献 NESTLE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 24,27版(独), SCOFIELD  STUDY BIBLE(米),

THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE(英), THE NEW JERUSALEM BIBLE(仏)新共同訳(日)]

 

新改訳 マタ 5:44

5:44 しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。

 

新共同 Tコリ4:12-13

4:12 苦労して自分の手で稼いでいます。侮辱されては祝福し、迫害されては耐え忍び、

4:13 ののしられては優しい言葉を返しています。今に至るまで、わたしたちは世の屑、すべてのものの滓とされています。

 

新共同 ロマ 12:20

12:20 「あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ。そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積むことになる。」

 

新共同 ルカ 6:28

6:28 悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。

 

新共同 ルカ 23:34

23:34 〔そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」〕人々はくじを引いて、イエスの服を分け合った。

 

口語訳 Tペテ3:9

3:9 悪をもって悪に報いず、悪口をもって悪口に報いず、かえって、祝福をもって報いなさい。あなたがたが召されたのは、祝福を受け継ぐためなのである。

 

新共同 使  7:60

7:60 それから、ひざまずいて、「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と大声で叫んだ。ステファノはこう言って、眠りについた。

 

新共同 Tペテ2:21-23

2:21 あなたがたが召されたのはこのためです。というのは、キリストもあなたがたのために苦しみを受け、その足跡に続くようにと、模範を残されたからです。

2:22 「この方は、罪を犯したことがなく、/その口には偽りがなかった。」

2:23 ののしられてもののしり返さず、苦しめられても人を脅さず、正しくお裁きになる方にお任せになりました。

 

口語訳 ルカ 9:54-55

9:54 弟子のヤコブとヨハネとはそれを見て言った、「主よ、いかがでしょう。彼らを焼き払ってしまうように、天から火をよび求めましょうか」。

9:55 イエスは振りかえって、彼らをおしかりになった。

 

● 解釈と黙想  Tペテ3: 9「悪をもって悪に報いず」。これはキリスト教が果たしてきた歴史的貢献である。しかしその実行は肉のままの人間では無理。神からの霊を頂くときに初めて 可能となる。ロマ書の8章は「霊」という言葉が多く出てくるが、律法の示すところは人間の克己奮励努力では達成不可能で、ただ神からの聖霊を頂くときに可 能であることを示す。人を赦すという最大の愛も神の霊を頂いて初めて可能になる。それまではたかだか「やせ我慢」でしかない。それは思想信条のレベルであ る。

 

「悪 をもって悪に報いず」が国家レベルで行われれば戦争は止むのだが、肉の民衆(それはしばしば、否、大抵は愚衆。マスコミの世論調査は愚衆調査。)のご機嫌 をとっているから戦争は止まない。先日、私が寝言でブッシュ米国大統領に「説教」していたと妻に言われたが、肉の政治家に向かって「悪をもって悪に報い ず」と言っても無理だろう。それは思想の違いといって冷笑されるのみ。夢の中とはいえ私も馬鹿なことをしたものだ。ところで今、英米のキリスト教は何を やっているのだろうか。塩気を失った塩になったのか。そのうち神からの大鉄槌が下るであろう。英米には(特に米国においては)神の霊が枯渇しているのでは ないのだろうか。(英米がアフガニスタンに総攻撃を開始した日に記す)

 

 

 

ローマ人への手紙12章15節

 

[口語訳] 喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい。

 

[新改訳] 喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。

 

[新共同訳] 喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。

 

[TEV] Be happy with those who are happy, weep with those who weep.

 

[文語訳]喜ぶ者と共によろこび、泣く者と共になけ。

[塚本訳]喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣け。

[前田訳]よろこぶものとともによろこび、泣くものとともに泣きなさい。

[岩波版・青野訳]喜んでいる者たちと共に喜び、泣いている者たちと共に泣きなさい――

 

引照

[参考文献 NESTLE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 24,27版(独), SCOFIELD  STUDY BIBLE(米), THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE(英), THE NEW JERUSALEM BIBLE(仏)新共同訳(日)]

 

口語訳 ルカ1:58 近所の人々や親族は、主が大きなあわれみを彼女におかけになったことを聞いて、共どもに喜んだ。

 

口語訳 詩  35:13 しかし、わたしは彼らが病んだとき、荒布をまとい、断食してわが身を苦しめた。わたしは胸にこうべをたれて祈った、

 

●  解釈と黙想 「泣く者と共に泣け」はできるが、「喜ぶ者と共に喜べ」はできにくいのはなぜだろう。それは大抵「妬みや羨望」の気持ちになってしまう。問 題はその「喜び」なるものにある。この世的成功や幸福の喜びは他人から喜んでもらう価値のないことなのかもしれない。歴史的にも社会的にもそれは滓(か す)のことかもしれない。それよりは個人の悲劇のほうが人に多大の良い影響を他人に与えるのだろう。ヨブやイエスはその悲劇が故に人に訴える。しかしヨブ は最後に幸福が回復したが、そのところはわれわれいにとってはどうでも良いところで価値のないところ。ヨブ記は悲劇のままで終わってよかったのではないだ ろうか。チャイコフスキー「白鳥の湖」の原作は悲劇であったが、それではあまりにかわいそうだといので後代の人がハッピーエンドにしてしまった。余計なこ とをしたものだ。心から喜びを共にしてもらえることは「主の働き」を見る喜び。

我々の幸福と繁栄は来世で与えられればそれでよいのだ。その幸福と繁栄の回復をこの世で求めようとしている馬鹿な私よ、愚かな私よ。パウロに叱られる。私にはまた鉄槌が下るのかもしれない。

 

 

 

ローマ人への手紙12章16節

 

[口語訳] 互に思うことをひとつにし、高ぶった思いをいだかず、かえって低い者たちと交わるがよい。自分が知者だと思いあがってはならない。

 

[新改訳] 互いに一つ心になり、高ぶった思いを持たず、かえって身分の低い者に順応しなさい。自分こそ知者だなどと思ってはいけません。

 

[新共同訳] 互いに思いを一つにし、高ぶらず、身分の低い人々と交わりなさい。自分を賢い者とうぬぼれてはなりません。

 

[TEV] Have the same concern for everyone. Do not be proud, but accept humble duties. Do not think of yourselves as wise.

 

[文語訳]相互(あひたがひ)に心を同じうし、高ぶりたる思(おもひ)をなさず、反(かえ)つて卑(ひく)きに附(つ)け。なんぢら己(おのれ)を聰(さと)しとすな。"

 

[塚本訳]互に思いを同じくせよ。高くなろうと思わず、低い方に従え。”自分で賢いなどとうぬぼれてはならない。”"

 

[前田訳]互いに思いを同じくなさい。高きを思わず、低きにつきなさい。「みずから賢いと思うな」です。

 

[岩波版・青野訳]互いに同じ思いを抱き、高ぶった思いを抱かずに、むしろ〔身分の〕低い者たちと共に歩むように〔なりなさい〕。自分自身で賢い者とならないようにしなさい。

 

引照

[参考文献 NESTLE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 24,27版(独), SCOFIELD  STUDY BIBLE(米),

THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE(英), THE NEW JERUSALEM BIBLE(仏)新共同訳(日)]

 

新共同 ロマ 15:5-6

15:5 忍耐と慰めの源である神が、あなたがたに、キリスト・イエスに倣って互いに同じ思いを抱かせ、

15:6 心を合わせ声をそろえて、わたしたちの主イエス・キリストの神であり、父である方をたたえさせてくださいますように。

 

新共同 ロマ 11:20

11:20 そのとおりです。ユダヤ人は、不信仰のために折り取られましたが、あなたは信仰によって立っています。思い上がってはなりません。むしろ恐れなさい。

 

新共同 Tテモ6:17

6:17 この世で富んでいる人々に命じなさい。高慢にならず、不確かな富に望みを置くのではなく、わたしたちにすべてのものを豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置くように。

 

新共同 箴  3:7

3:7 自分自身を知恵ある者と見るな。主を畏れ、悪を避けよ。

 

新共同 イザ 5:21

5:21 災いだ、自分の目には知者であり/うぬぼれて、賢いと思う者は。

 

新共同 ロマ 11:25 兄弟たち、自分を賢い者とうぬぼれないように、次のような秘められた計画をぜひ知ってもらいたい。すなわち、一部のイスラエル人がかたくなになったのは、異邦人全体が救いに達するまでであり、

 

● 解釈と黙想 身分の高い人は廊下ですれ違った場合、こちらが挨拶しても会釈もしない。知者だとうぬぼれている人は建築設計を任せない。だからやりにくい。神とて同じ思いか。人生は神の手に握られている。自分の人生は自分で切り開くと思っている人には神は近づかない。

「思いを同じくする」とは「主にあって」のこと。この一致の喜びは人生で最高の喜び。同質の喜び。私はパウロに影響を与えた初代エルサレム教会の無名の信徒の面々と同質になりたいと思う。

 

 

 

ローマ人への手紙12章17節

 

 [口語訳] だれに対しても悪をもって悪に報いず、すべての人に対して善を図りなさい。

 

[新改訳] だれに対してでも、悪に悪を報いることをせず、すべての人が良いと思うことを図りなさい。

 

[新共同訳] だれに対しても悪に悪を返さず、すべての人の前で善を行うように心がけなさい。

 

[TEV] If someone has done you wrong, do not repay him with a wrong. Try to do what everyone considers to be good.

 

[文語訳]惡をもて惡に報いず、凡ての人のまへに善からんことを圖り、

 

[塚本訳]だれにも悪をもって悪に報いず、どんな”人の前でも善をするように心がけよ。”

 

[前田訳]だれにも悪をもって悪に報いず、すべての人の前でよいことを心がけなさい。

 

[岩波版・青野訳]誰にも悪に対して悪を報いることなく、すべての人々の前で良きことに配慮するようになりなさい。

 

引照

[参考文献 NESTLE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 24,27版(独), SCOFIELD  STUDY BIBLE(米),

THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE(英), THE NEW JERUSALEM BIBLE(仏)新共同訳(日)]

 

新共同 Tテサ5:15

5:15 だれも、悪をもって悪に報いることのないように気をつけなさい。お互いの間でも、すべての人に対しても、いつも善を行うよう努めなさい。

 

新共同 Tペテ3:9

3:9 悪をもって悪に、侮辱をもって侮辱に報いてはなりません。かえって祝福を祈りなさい。祝福を受け継ぐためにあなたがたは召されたのです。

 

口語訳 箴  3:3-4

3:3 いつくしみと、まこととを捨ててはならない、それをあなたの首に結び、心の碑にしるせ。

3:4 そうすれば、あなたは神と人との前に/恵みと、誉とを得る。

 

新共同 ピリ 4:8 終わりに、兄弟たち、すべて真実なこと、すべて気高いこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて名誉なことを、また、徳や称賛に値することがあれば、それを心に留めなさい。

 

新共同 箴  20:22 悪に報いたい、と言ってはならない。主に望みをおけ、主があなたを救ってくださる。

 

● 解釈と黙想 この部分米国のブッシュ大統領はどう読むか。民衆の人気を気にする政治家は気の毒。聖書も真正面から読めないのではないか。

 

新改訳 箴  24:29 「彼が私にしたように、私も彼にしよう。私は彼の行ないに応じて、仕返しをしよう。」と言ってはならない。

 

● 解釈と黙想   言ったら言い返す。これ夫と妻の家庭内戦争。しかしパウロが主人であったら気難しそうで夫人は大変なはず。パウロはしょっちゅうガミガミ言いそうだから。

 

新共同 ロマ 12:19 愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。「『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』と主は言われる」と書いてあります。

 

新共同 マタ 5:39 しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。

 

新改訳 Tコリ6:6 それで、兄弟は兄弟を告訴し、しかもそれを不信者の前でするのですか。

 

新共同 Tコリ13:4 愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。

 

新共同 Tテサ4:11-12

4:11 そして、わたしたちが命じておいたように、落ち着いた生活をし、自分の仕事に励み、自分の手で働くように努めなさい。

4:12 そうすれば、外部の人々に対して品位をもって歩み、だれにも迷惑をかけないで済むでしょう。

 

新共同 Uコリ8:21

8:21 わたしたちは、主の前だけではなく、人の前でも公明正大にふるまうように心がけています。

 

 

 

ローマ人への手紙12章18節

 

[口語訳] あなたがたは、できる限りすべての人と平和に過ごしなさい。

 

[新改訳] あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。

 

[新共同訳] できれば、せめてあなたがたは、すべての人と平和に暮らしなさい

 

[TEV] Do everything possible on your part to live in peace with everybody.

 

[文語訳]汝らの爲し得るかぎり力(つと)めて凡ての人と相和(あひやはら)げ。

 

[塚本訳]出来るなら、(少なくとも)あなた達の方では、どんな人とも仲良くせよ。"

 

[前田訳]できればせめてあなた方は、すべての人と平和を保ちなさい。

 

[岩波版・青野訳]もしも〔それが〕可能でありあなたがたと関わりのあることであるのなら、すべての人々と平和に過ごすようになりなさい。

 

引照

[参考文献 NESTLE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 24,27版(独), SCOFIELD  STUDY BIBLE(米),

THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE(英), THE NEW JERUSALEM BIBLE(仏)新共同訳(日)]

新共同 ロマ 2:24 「あなたたちのせいで、神の名は異邦人の中で汚されている」と書いてあるとおりです。

 

      解釈と黙想 いまやキリスト信者の生活は異邦人の中で穢れたものとされているとは厳粛なる事実。審きは信者からはじまるとは真理。

 

 

 

ローマ人への手紙12章19節

 

[口語訳] 愛する者たちよ。自分で復讐をしないで、むしろ、神の怒りに任せなさい。なぜなら、「主が言われる。復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する」と書いてあるからである。

 

[新改訳] 愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。」

 

[新共同訳] 愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。「『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』と主は言われる」と書いてあります。

 

[TEV] Never take revenge, my friends, but instead let God's anger do it. For the scripture says, "I will take revenge, I will pay back, says the Lord."

 

[文語訳]愛する者よ、自ら復讐すな、ただ神の怒に任せまつれ。録(しる)して『主いひ給ふ、復讐するは我にあり、我これに報いん』とあり。"

 

[塚本訳]"愛する者たちよ、自分で仕返しをするな、(裁きの日の神の)怒りにまかせよ。こう書いてあるではないか、「主は言われる、“仕返しはわたしのもの、”わたしが“報いをする”と。」"

 

[前田訳]"愛するものよ、自分で仕返ししなさるな。(神の)怒りにまかせなさい。聖書にあります、「主はいわれる、仕返しはわがもの、わたしが報いる」と。

 

[岩波版・青野訳]愛する者たちよ、あなたがたは自分自身で報復せず、むしろ〔神の〕怒りに場所を譲るようになりなさい。〔次のように〕書かれているからである。復讐は私のこと、私が報復する、と主が言われる。

 

引照

[参考文献 NESTLE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 24,27版(独), SCOFIELD  STUDY BIBLE(米),

THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE(英), THE NEW JERUSALEM BIBLE(仏)新共同訳(日)]

 

新共同 申  32:35

32:35 わたしが報復し、報いをする/彼らの足がよろめく時まで。彼らの災いの日は近い。彼らの終わりは速やかに来る。

 

新共同 レビ 19:18 復讐してはならない。民の人々に恨みを抱いてはならない。自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。わたしは主である。

 

新共同 マタ 5:39 しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。

 

新共同 ヘブ 10:30 「復讐はわたしのすること、/わたしが報復する」と言い、また、/「主はその民を裁かれる」と言われた方を、わたしたちは知っています。

 

新改訳 Uテサ1:6-8

1:6 つまり、あなたがたを苦しめる者には、報いとして苦しみを与え、

1:7 苦しめられているあなたがたには、私たちとともに、報いとして安息を与えてくださることは、神にとって正しいことなのです。そのことは、主イエスが、炎の中に、力ある御使いたちを従えて天から現われるときに起こります。

1:8 そのとき主は、神を知らない人々や、私たちの主イエスの福音に従わない人々に報復されます。

 

新共同 ルカ 18:3 ところが、その町に一人のやもめがいて、裁判官のところに来ては、『相手を裁いて、わたしを守ってください』と言っていた。

 

●  解釈と黙想   神は本当に実在して悪に報復するということを固く信ずるか否かがその人の行動様式となる。それを固く信じない人は「ヒューマニズム」と 何なら変わらない行動様式となり、「お祈りばかりしていても何にもならない」と批判する無神論者と何ら変わらない人物である。こういう人は異邦人の間にお いて祈りの力を世に示さない者であり、「神の名を汚す」者である。かく言う私も実はこのことを真に深く信じていなかった。苦難の時の慌てふためきがその現 われ。

 

 

 

ローマ人への手紙12章20節

 

[口語訳] むしろ、「もしあなたの敵が飢えるなら、彼に食わせ、かわくなら、彼に飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃えさかる炭火を積むことになるのである」。

 

[新改訳] もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたなら、飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです。

 

[新共同訳] 「あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ。そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積むことになる。」

 

[TEV] Instead, as the scripture says: "If your enemies are hungry, feed them; if they are thirsty, give them a drink; for by doing this you will make them burn with shame."

 

[文語訳]『もし汝の仇(あた)飢ゑなば之に食はせ、渇かば之に飲ませよ、なんぢ斯するは熱き火を彼の頭(かうべ)に積むなり』

 

[塚本訳]"むしろ、“あなたの敵が飢えているなら、食べさせてやれ。渇いているなら、飲ませてやれ。こうするのはその頭に炭火を積むことであるから、(いつかは恥じて悔改める。)”

 

[前田訳]"むしろ、敵が飢えているなら食べさせ、渇いているなら飲ませなさい。こうするのはその頭に炭火をつむことです。"

 

[岩波版・青野訳]むしろ、もしもあなたの敵が飢えているなら、彼に食べさせなさい。もしも渇いているなら、彼に飲ませなさい。なぜなら、そうすることによって、あなたは燃える石炭を彼の頭の上に積み上げるであろうからである。

 

引照

[参考文献 NESTLE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 24,27版(独), SCOFIELD  STUDY BIBLE(米),

THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE(英), THE NEW JERUSALEM BIBLE(仏)新共同訳(日)]

 

新共同 箴  25:21-22

25:21 あなたを憎む者が飢えているならパンを与えよ。渇いているなら水を飲ませよ。

25:22 こうしてあなたは炭火を彼の頭に積む。そして主があなたに報いられる。

 

新共同 出  23:4 あなたの敵の牛あるいはろばが迷っているのに出会ったならば、必ず彼のもとに連れ戻さなければならない。

 

新共同 マタ 5:44 しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。

 

新共同 ルカ 6:27 「しかし、わたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく。敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。

 

新共同 U列 6:22 エリシャは答えた。「打ち殺してはならない。あなたは捕虜とした者を剣と弓で打ち殺すのか。彼らにパンと水を与えて食事をさせ、彼らの主君のもとに行かせなさい。」

 

新共同 マタ 25:35 お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、

 

新共同 出  23:4-5

23:4 あなたの敵の牛あるいはろばが迷っているのに出会ったならば、必ず彼のもとに連れ戻さなければならない。

23:5 もし、あなたを憎む者のろばが荷物の下に倒れ伏しているのを見た場合、それを見捨てておいてはならない。必ず彼と共に助け起こさねばならない。

 

新共同 Tサム24:16-19

24:16 主が裁き手となって、わたしとあなたの間を裁き、わたしの訴えを弁護し、あなたの手からわたしを救ってくださいますように。」

24:17 ダビデがサウルに対するこれらの言葉を言い終えると、サウルは言った。「わが子ダビデよ、これはお前の声か。」サウルは声をあげて泣き、

24:18 ダビデに言った。「お前はわたしより正しい。お前はわたしに善意をもって対し、わたしはお前に悪意をもって対した。

24:19 お前はわたしに善意を尽くしていたことを今日示してくれた。主がわたしをお前の手に引き渡されたのに、お前はわたしを殺さなかった。

 

口語訳 Uテモ4:14 銅細工人のアレキサンデルが、わたしを大いに苦しめた。主はそのしわざに対して、彼に報いなさるだろう。

 

口語訳 詩  120:2-4

120:2 「主よ、偽りのくちびるから、欺きの舌から、わたしを助け出してください」。

120:3 欺きの舌よ、おまえに何が与えられ、何が加えられるであろうか。

120:4 ますらおの鋭い矢と、えにしだの熱い炭とである。

 

口語訳 詩  140:8-11

140:8 主よ、悪しき人の願いをゆるさないでください。その悪しき計画をとげさせないでください。〔セラ

140:9 わたしを囲む者がそのこうべをあげるとき、そのくちびるの害悪で彼らをおおってください。

140:10 燃える炭を彼らの上に落してください。彼らを穴に投げ入れ、再び上がることのできないようにしてください。

140:11 悪口を言う者を世に立たせないでください。乱暴な人をすみやかに災に追い捕えさせてください」。

 

● 解釈と黙想   「敵に 塩をやれ」ということである。敵の頭に爆弾をお見舞いするというのではない。パンを与えてやれというのである。これが真の爆弾。旧約では戦争の時に炭火を 投げつけたようだ(詩篇140:10)。しかしキリスト教的報復攻撃はパンという炭火を投げつけよというのである。兵糧攻めにするなというのである。

 いま米国がアフガニスタン に食料を投下しているのはこれか。否、民間人向けに投下しているのである。主たる敵のタリバンには食料投下をしていない。そこまでは米国といえどもできな いであろう。それをやったとしてもイスラムは米国の投下する「物資」には屈しないであろう。人間的作戦(兵糧攻めなど)で相手を屈服させようとしても無理 だが、人道的援助(食料投下など)でも平和はこない。少なくともイスラムはそれに屈しないはず。平和は人間の力ではなく、神の霊が下って初めて到来する。 「キリストが我らの平和」である。しかし最終的な真の平和は終末まで来そうにない。

 

新共同 エペ 2:14-16

2:14 実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、

2:15 規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、

2:16 十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。

 

 

 

ローマ人への手紙12章21節

 

[口語訳] 悪に負けてはいけない。かえって、善をもって悪に勝ちなさい。

 

[新改訳] 悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。

 

[新共同訳] 悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい。

 

[TEV] Do not let evil defeat you; instead, conquer evil with good.

 

[文語訳]惡に勝たるることなく、善をもて惡に勝て。

 

[塚本訳]"悪に勝たれるな、善によって悪に勝て。

 

[前田訳]悪に負けず、善によって悪に勝ちなさい。

 

岩波版・青野訳]あなたは悪に打ち負かされてはならない。むしろ善によって悪を打ち負かしなさい。

 

引照

[参考文献 NESTLE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 24,27版(独), SCOFIELD  STUDY BIBLE(米),

THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE(英), THE NEW JERUSALEM BIBLE(仏)新共同訳(日)]

 

新共同 マタ 5:39 しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。

 

新共同 ロマ 12:1-2

12:1 こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。

12:2 あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。

 

口語訳 詩  37:1 悪をなす者のゆえに、心を悩ますな。不義を行う者のゆえに、ねたみを起すな。

 

口語訳 詩  73:2-3

73:2 しかし、わたしは、わたしの足がつまずくばかり、わたしの歩みがすべるばかりであった。

73:3 これはわたしが、悪しき者の栄えるのを見て、その高ぶる者をねたんだからである。

 

口語訳 ルカ 6:27-30

6:27 しかし、聞いているあなたがたに言う。敵を愛し、憎む者に親切にせよ。

6:28 のろう者を祝福し、はずかしめる者のために祈れ。

6:29 あなたの頬を打つ者にはほかの頬をも向けてやり、あなたの上着を奪い取る者には下着をも拒むな。

6:30 あなたに求める者には与えてやり、あなたの持ち物を奪う者からは取りもどそうとするな。

 

口語訳 Tヨハ3:8 罪を犯す者は、悪魔から出た者である。悪魔は初めから罪を犯しているからである。神の子が現れたのは、悪魔のわざを滅ぼしてしまうためである。

 

新共同 Uコリ10:4-6

10:4 わたしたちの戦いの武器は肉のものではなく、神に由来する力であって要塞も破壊するに足ります。わたしたちは理屈を打ち破り、

10:5 神の知識に逆らうあらゆる高慢を打ち倒し、あらゆる思惑をとりこにしてキリストに従わせ、

10:6 また、あなたがたの従順が完全なものになるとき、すべての不従順を罰する用意ができています。

 

新共同 コロ 3:13 互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい。

 

新改訳 Tペテ2:12 異邦人の中にあって、りっぱにふるまいなさい。そうすれば、彼らは、何かのことであなたがたを悪人呼ばわりしていても、あなたがたのそのりっぱな行ないを見て、おとずれの日に神をほめたたえるようになります。

 

口語訳 Tペテ3:16 しかし、やさしく、慎み深く、明らかな良心をもって、弁明しなさい。そうすれば、あなたがたがキリストにあって営んでいる良い生活をそしる人々も、そのようにののしったことを恥じいるであろう。

 

新共同 箴  16:7 主に喜ばれる道を歩む人を/主は敵と和解させてくださる。

 

● 解釈と黙想  クリスチャンとして恥ずかしくない態度は何かと律法的に気を使うより、ひたすら自分自身が神に顔を向けて「主に喜ばれる道を歩」んでいれば「主は敵と和解させてくださる。」(箴  16:7)とある。総ては神が不思議な方法でよいようになさってくださる。

 

 

 

結婚は忍耐か

 

2001 年11月3日は私達の32回目の結婚記念日である。息子の一人から手紙で祝辞をもらったがその中で「結婚は忍耐ですか」という質問があった。そこで私が先 輩達から受けた無教会のよい結婚観をここに「伝承」しておこう。「無教会の」と言ったがそれは聖書の示す結婚観である。こういうよい習慣や風習も文化継承 の一つである。結婚は忍耐ではない。調和である。創造の秩序のハーモニーである。喜びと平安である。だからそこに流れる音楽はヘンデルの水上の音楽の中の 第5曲「Air」(エアー)がふさわしい。この曲は英国のロイヤルウェディングのときに流されていたのを聴いたと記憶している。さすが英国、本質をつかん でいる。結婚は神の備えた創造の秩序の一環である。厳粛なる儀式である。恐れをもって参加する神の業である。

で はその内容は?。男にとって伴侶は「オッつけられる」ものである。私の尊敬する無教会のA先輩は「わたしは女房を○○先生からオッつけられ(ママ)た」と 語っておられた。私の場合も高橋は集会の元老達に結婚を強要されたと評した人がいた。(その人はすでに召天。淋しい。)

し かし考えてみればアダムも神にイブをオッつけられたのである(創世記2章8節)。イサクもリベカを「オッつけられた」のである(創世記24章)。しかしこ の場合「オッつける」人の存在と考えは、男に(女ではないことに注目)伴侶をオッつけて「その男を一人前にしよう」という愛の思いなのである。神は男を一 人前にするために伴侶なる「女」をオッつけるのだ。それで男ははじめて一人前になるのだ。だから男は一人前になるために「彼に合う助け手」をオッつけられ るのだ(創世記24章18節)。かくて男は神の創造の秩序に従い、協力して神と人とに仕えるべく生かされるのだ。

私 の場合は、自分の意志に反して思わざる伴侶をオッつけられて人生が調和した。神は神の思いで良かれと思う人を、私に「合う」人を、私にふさわしい人を、与 えてくださった。妻は私の不足を補完してくれて来た。強めてくれた。神の前での調和である。人間レベルでのいさかいや喧嘩は絶えないがそれはキリストへの 旅の途中のこと、お互いがよそ見をしないようにとの喧嘩である。一般に男には「キツーイ女」がふさわしいのでそういう人を「オッつけられる」のだ。神のご 計画である。いまもなお継続する創造の一環である。

男 は意に反する人をおつけられて初めてその人が「私を補完してくれる」人であったということがわかる。忍耐ではない調和の感謝である。喜びである。女は補助 者、伴侶である。間違ってはいけないことは、女はあくまでも伴侶であり補助者であることである。それが創造の定めである(創世記3章。エペソ書5章)。そ の秩序を逆転して女が主導権を握る家庭も国家もうまくいかないとは中国の諺(失念)である。助け手があって初めて男は一人前になる。二人は一体である(創 世記2章24節)。わが国の言葉の「身を固める」とはよく言ったものだ。

し かしだからといって見合い結婚や親や先輩の紹介による結婚だけが神に喜ばれる創造の秩序かというとそうではない。この場合「オッつけ」ようと画策する人も 所詮人間である。これに反して恋愛結婚は自分の好みに合った人、「好きなタイプ」の人という考えで結ばれるが、これが問題。それは自分の名誉が上がるだけ で神の名誉があがらないのだ。だから時に神はその恋愛で知り合った二人の関係を「ぶち壊して」リコネクション(再構築)する。無教会のS先生のところに持 ち込まれた結婚式のうち、恋愛関係で知り合った人達の仲が「ぶち壊された」例を二組知っている。そのうちの一組はそのS先生に恋愛関係を壊された後にリコ ネクション(再構築)され、改めて神の手から相手を頂いてその後幸いな信仰生活を送られた。最近そのご主人は召天された。私が葬儀を任された。夫人はその 苦難の結婚のスタートのいきさつを話され、泣かれた。幸いな夫婦関係であった。結婚の際のこの神に対する厳しい姿勢がその後のお二人の人生の総てを律し た。人生は短い。スタートが大切。結婚は神に対する厳粛な姿勢である。それがあって初めて祝福された家庭が与えられる。ヒルティは夫人に先立たれたとき、 「自分はもう半人前で不完全である。もし天国というものが本当にあるならそこでは妻にだけ会いたい。」と言った。キリスト教の結婚観の極地をヒルティは歩 いた。ヒルティは夫人(ヨハンナ)を神から賜ったのである(箴言19:14)

神は男が神に仕える人生にふさわ しく歩めるように、その目的遂行にふさわしい人を人生の旅路の途中で良い時にきっと与えてくださる。「オッつけ」て下さる。出会わせてくださる。なぜなら それが神ご自身の創造の業の継続なのだから。それは神ご自身の名誉のため。私達はそれに参加するのだ。結婚は忍耐ではない。創造の秩序の神の業に参加する 喜びなのだ。最後に箴言の「妻」という言葉を列挙してみよう。ユダヤ人はすごい。さすがは神の特愛の民。結婚観が違う。

 

新共同 箴5:18   あなたの水の源は祝福されよ。若いときからの妻に喜びを抱け。

 

新改訳 箴  6:28-29

6:28 また人が、熱い火を踏んで、その足が焼けないだろうか。

6:29 隣の人の妻と姦通する者は、これと同じこと、その女に触れた者はだれでも罰を免れない。

新改訳 箴  12:4

12:4 しっかりした妻は夫の冠。恥をもたらす妻は、夫の骨の中の腐れのようだ。

 

新改訳 箴  18:22

18:22 良い妻を見つける者はしあわせを見つけ、主からの恵みをいただく。

 

新改訳 箴  19:13

19:13 愚かな息子は父のわざわい。妻のいさかいは、したたり続ける雨漏り。

 

口語訳 箴  19:14

19:14 家と富とは先祖からうけつぐもの、賢い妻は主から賜わるものである。

 

口語訳 箴  31:10-11

31:10 だれが賢い妻を見つけることができるか、彼女は宝石よりもすぐれて尊い。

31:11 その夫の心は彼女を信頼して、収益に欠けることはない。

 

新改訳 箴  31:10-11

31:10 しっかりした妻をだれが見つけることができよう。彼女の値うちは真珠よりもはるかに尊い。

31:11 夫の心は彼女を信頼し、彼は「収益」に欠けることがない。

 

 

2001.11.7  高橋照男

 

 

表  題 ・ 要  約

 

支配者への従順(13:1−7)・・・新共同訳

 

第12章―15章 根本的な震撼・・・バルト

      広大な消極的可能性(12:21−13:7)

 

第6部 12章1節―15章13節 キリスト教的日常生活における神の義・・・ケーゼマン

(六)   12:1−13:14 一般的勧告――様々な次元におけるキリスト教的日常生活

4 政治的権力との関係(13:1−7)

 

第3部 キリストの者たちへの生活訓(12:1−15:13)・・・アルトハウスNTD

(四)上に立つ権力への服従(13:1−7)

 

C 勧告(12:1−15:13)・・・ヴィルケンスEKK

一 愛の力による生(12:1−13:14)

    3 善の保護者としての官憲に対する服従(13:1−7)

 

W実行論 12章1節―15章13節 ・・・黒崎註解新約聖書

(一) 信仰より行為への通路(12:1−2)

(七)   愛と謙遜(12:3−21)

(八)   対社会関係(13:1−14)

1.  権を執る者に対する服従(12:1−7)

 

 

権威への服従(13:1−7節)・・・高橋三郎

 

第2編 倫理的勧告  ・・・フランシスコ会訳

       支配者に対する態度(13:1−7)

       

上位にある権威の尊重 (13:1−7)・・・青野訳(岩波)

権力への義務     (13:1−7)・・・前田訳

 

第5部     信徒への使徒のすすめ ―― 個人、国家、教会にかかわるキリスト信徒の倫理

                  (第12章1節―第15章13節) ・・・八木(講談社)

    国家権力に関して(13:1−7)

    

官憲に対する義務(13:1−7)・・・塚本訳

 

官憲に服従せよ(13:1−7)・・・白井きく

 

基督教道徳の第三 政府と国家に対する義務(13:1−7)・・・内村鑑三

  

 

 

ローマ人への手紙13章1節

 

[口語訳] すべての人は、上に立つ権威に従うべきである。なぜなら、神によらない権威はなく、おおよそ存在している権威は、すべて神によって立てられたものだからである。

 

[新改訳] 人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。

 

[新共同訳] 人は皆、上に立つ権威に従うべきです。神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべて神によって立てられたものだからです。

 

[TEV] Everyone must obey state authorities, because no authority exists without God's permission, and the existing authorities have been put there by God.

 

 [文語訳]凡ての人、上にある權威に服(したが)ふべし。そは神によらぬ權威なく、あらゆる權威は神によりて立てらる。"

 

[塚本訳]人は皆上に立つ(国家の)官憲に服従せねばならない。神からではない官憲はなく、現存の官憲は(ことごとく)神から任命されたものであるから。

 

[前田訳]人は皆、上に立つ権力に従うべきです。神によらぬ権威はなく、今ある諸権力は神によって立てられたものです。

 

[岩波版・佐藤訳]すべての人間は上位にある権威に服従しなさい。神によらない権威はないからであり、存在している権威は神によって定められてしまっているからである。

 

引照

[参考文献 NESTLE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 24,27版(独), SCOFIELD  STUDY BIBLE(米),

THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE(英), THE NEW JERUSALEM BIBLE(仏)新共同訳(日)]

 

新共同 Tペテ2:13-17

2:13 主のために、すべて人間の立てた制度に従いなさい。それが、統治者としての皇帝であろうと、

2:14 あるいは、悪を行う者を処罰し、善を行う者をほめるために、皇帝が派遣した総督であろうと、服従しなさい。

2:15 善を行って、愚かな者たちの無知な発言を封じることが、神の御心だからです。

2:16 自由な人として生活しなさい。しかし、その自由を、悪事を覆い隠す手だてとせず、神の僕として行動しなさい。

2:17 すべての人を敬い、兄弟を愛し、神を畏れ、皇帝を敬いなさい。

 

新改訳 テト 3:1   あなたは彼らに注意を与えて、支配者たちと権威者たちに服従し、従順で、すべての良いわざを進んでする者とならせなさい。

 

新共同 ヨハ 19:11  イエスは答えられた。「神から与えられていなければ、わたしに対して何の権限もないはずだ。だから、わたしをあなたに引き渡した者の罪はもっと重い。」

 

● 解釈と黙想 イエスにとっては上に立つ権威が神からのものであるときにのみその権威が自分に権限があると認識していた。

 

口語訳 箴  8:15 わたしによって、王たる者は世を治め、君たる者は正しい定めを立てる。

 

● 解釈と黙想  一般普遍的には上に立つ権威は神から与えられたもの。これは先生でも上司でも役人でも主人でも同じである。これを上に立つ者にはことごとく抵抗するように指導する一部キリスト者は間違っている。

 

新共同 ダニ 2:19-21

2:19 すると、夜の幻によってその秘密がダニエルに明かされた。ダニエルは天の神をたたえ、

2:20 こう祈った。「神の御名をたたえよ、世々とこしえに。知恵と力は神のもの。

2:21 神は時を移し、季節を変え/王を退け、王を立て/知者に知恵を、識者に知識を与えられる。

 

● 解釈と黙想 神は王を立てる。王は神に包含される。

 

新共同 使  4:19   しかし、ペトロとヨハネは答えた。「神に従わないであなたがたに従うことが、神の前に正しいかどうか、考えてください。

 

● 解釈と黙想  しかしいつもいつもどんな場合でも上に立つ者が神に従っていて正しいとは限らない。そこがむずかしいところ。

 

新共同 使 5:29  ペトロとほかの使徒たちは答えた。「人間に従うよりも、神に従わなくてはなりません。

 

●  解釈と黙想  皇帝や天皇や政府はいつも悪かというとそうではない。それが悪かどうかは各人が神から聖霊によって示しを受ける。だから体制反対の姿勢を 美化して行動指針を律法化しようとするのは誤り。今日の若いキリスト者までもが過去の先人の国家権力に対する抵抗の姿勢の美談を律法化、モデル化してそれ を模範として行動指針にしようと「美談の学習」をしているのは誤り。それは律法の学び。そうではなく常に神の霊に生きるべきである。そのことを学ぶべきで ある。いつまでも過去のボンヘッファー、内村、矢内原などの戦時中の戦い方、抵抗の方法を学んでいてはならない。感心していてはいけない。あれはあのとき のこと。抵抗すべきかどうかはそのときそのときに神によって示されるのだ。神の霊に生きていない人間に限ってこのような先人の抵抗の姿勢を美化律法化した がる。自己の行動指針としたがる。彼ら若者はその時々に神からの示しが実在するということを知らないからそうなるのである。キリスト者の生き方は先人の模 範を律法化してはならない。真に神の霊に生きる者は、いざとなったら黙っていても「人間に従うよりも、神に従わなくてはなりません。」(使  4: 19、5:29)と言うようになるのだ。その極限状態になったときはボンヘッファー、内村、矢内原などの美談の模範は力にならない。その極限時の力は人間 からではなく神からのみ来る。また来るべきである。神の名が上がるべきであって、人間の名が上がってはならない。いつまでもカビの生えた過去の人間の学習 をしていては無教会も先がない。

 

新共同 使  16:36-39

16:36 それで、看守はパウロにこの言葉を伝えた。「高官たちが、あなたがたを釈放するようにと、言ってよこしました。さあ、牢から出て、安心して行きなさい。」

16:37 ところが、パウロは下役たちに言った。「高官たちは、ローマ帝国の市民権を持つわたしたちを、裁判にもかけずに公衆の面前で鞭打ってから投獄したのに、今 ひそかに釈放しようとするのか。いや、それはいけない。高官たちが自分でここへ来て、わたしたちを連れ出すべきだ。」

16:38 下役たちは、この言葉を高官たちに報告した。高官たちは、二人がローマ帝国の市民権を持つ者であると聞いて恐れ、

16:39 出向いて来てわびを言い、二人を牢から連れ出し、町から出て行くように頼んだ。

 

口語訳 使  22:24-26

22:24 千卒長はパウロを兵営に引き入れるように命じ、どういうわけで、彼に対してこんなにわめき立てているのかを確かめるため、彼をむちの拷問にかけて、取り調べるように言いわたした。

22:25 彼らがむちを当てるため、彼を縛りつけていた時、パウロはそばに立っている百卒長に言った、「ローマの市民たる者を、裁判にかけもしないで、むち打ってよいのか」。

22:26 百卒長はこれを聞き、千卒長のところに行って報告し、そして言った、「どうなさいますか。あの人はローマの市民なのです」。

 

● 解釈と黙想 パウロはローマの権威を尊重している事がわかる。

 

口語訳 マタ 22:17-21

22:17 それで、あなたはどう思われますか、答えてください。カイザルに税金を納めてよいでしょうか、いけないでしょうか」。

22:18 イエスは彼らの悪意を知って言われた、「偽善者たちよ、なぜわたしをためそうとするのか。

22:19 税に納める貨幣を見せなさい」。彼らはデナリ一つを持ってきた。

22:20 そこでイエスは言われた、「これは、だれの肖像、だれの記号か」。

22:21 彼らは「カイザルのです」と答えた。するとイエスは言われた、「それでは、カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい」。

 

● 解釈と黙想 イエスも地上の権威を認めている。しかし神の権威はそれを上回るという意識がある。カイザルは神が立てた権威。神の権威はそれを包括する。

 

口語訳 ルカ 2:5 それは、すでに身重になっていたいいなづけの妻マリヤと共に、登録をするためであった。

 

● 解釈と黙想  世の中には些細なことに反対するキリスト者がいるが、それは異邦人の間で神の名を汚しているのだ。「登録」などの各種義務は善良な市民として文句を言わずに行うべきである。

 

口語訳 ダニ 2:21 神は時と季節とを変じ、王を廃し、王を立て、知者に知恵を与え、賢者に知識を授けられる。

 

新改訳 マタ 6:13 私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。』〔国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン。〕

 

●  解釈と黙想  「私たちを悪い国家の支配下におかないで下さい」。「悪い社会に引き込まないで下さい。」「自分の勤めている会社の上司が悪いことをしな いようにしてください。悪いことをしなくても食べていけますように。」と祈るべきである。企業内十字架(故藤田若雄氏の主張)などと言って常に上司を観察 して突っかかるような態度のキリスト信者は「地の塩」でもなんでもない。ただコウルサイだけのこと。それで神の名は汚されこそすれ名は上がらない。なぜな らその「運動」は無神論者のヒューマニズム,イデオロギー論争と同じであって、かつ彼らヒューマニストマルキスト 達より常に迫力がなく不徹底だから。わが国はそんなことでキリストの名はあがらない。我々の生涯は毎日がゲッセマネの祈りであるべきなのだ。この世に対し てこの世レベルでの闘いではない。ゲッセマネの祈りの闘いなのだ。パウロがローマから鞭を打たれたその痛みが結果的にローマ帝国にキリスト教が入った原因 である。パウロの痛みと涙が福音の伝播の原因である。パウロの神学が原因ではない。義の貫徹ではない。

 

新改訳 黙  1:5-6

1:5 また、忠実な証人、死者の中から最初によみがえられた方、地上の王たちの支配者であるイエス・キリストから、恵みと平安が、あなたがたにあるように。イエス・キリストは私たちを愛して、その血によって私たちを罪から解き放ち、

1:6 また、私たちを王国とし、ご自分の父である神のために祭司としてくださった方である。キリストに栄光と力とが、とこしえにあるように。アーメン。

 

新改訳 マタ 22:16-21

22:16 彼らはその弟子たちを、ヘロデ党の者たちといっしょにイエスのもとにやって、こう言わせた。「先生。私たちは、あなたが真実な方で、真理に基づいて神の道を教え、だれをもはばからない方だと存じています。あなたは、人の顔色を見られないからです。

22:17 それで、どう思われるのか言ってください。税金をカイザルに納めることは、律法にかなっていることでしょうか。かなっていないことでしょうか。」

22:18 イエスは彼らの悪意を知って言われた。「偽善者たち。なぜ、わたしをためすのか。

22:19 納め金にするお金をわたしに見せなさい。」そこで彼らは、デナリを一枚イエスのもとに持って来た。

22:20 そこで彼らに言われた。「これは、だれの肖像ですか。だれの銘ですか。」

22:21 彼らは、「カイザルのです。」と言った。そこで、イエスは言われた。「それなら、カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい。」

 

新改訳 Tテモ2:1-2

2:1 そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。

2:2 それは、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。

 

新共同 エレ 27:5 わたしは、大いなる力を振るい、腕を伸ばして、大地を造り、また地上に人と動物を造って、わたしの目に正しいと思われる者に与える。

 

新共同 知恵(旧約続編)6:3-4

6:3あなたたちの権力は主から,支配権はいと高き方から与えられている。主はあなたたちの業を調べ、計画を探られる。

6:4あなたたちは国に仕える身でいながら正しい審きをせず、掟を守らず、神の御旨にそって歩まなかった。新共同 Uコリ11:23-25

11:23 キリストに仕える者なのか。気が変になったように言いますが、わたしは彼ら以上にそうなのです。苦労したことはずっと多く、投獄されたこともずっと多く、鞭打たれたことは比較できないほど多く、死ぬような目に遭ったことも度々でした。

11:24 ユダヤ人から四十に一つ足りない鞭を受けたことが五度。

11:25 鞭で打たれたことが三度、石を投げつけられたことが一度、難船したことが三度。一昼夜海上に漂ったこともありました。

 

新共同 マタ 5:11 わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。

 

新共同 マタ 5:25 あなたを訴える人と一緒に道を行く場合、途中で早く和解しなさい。さもないと、その人はあなたを裁判官に引き渡し、裁判官は下役に引き渡し、あなたは牢に投げ込まれるにちがいない。

 

新共同 マタ 5:39 しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。

 

新共同 マタ 5:40

5:40 あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい。

 

● 解釈と黙想 パレスチナ問題は領土争い。イスラエルは周辺に土地などくれてやればよいのだ。ユダヤ人はこの地上に領土などなくても良いと思うのだが。甘いか。

 

新共同 マタ 5:41 だれかが、一ミリオン行くように強いるなら、一緒に二ミリオン行きなさい。

 

●  解釈と黙想 これがヒューマニストには分からない。彼らは「これでは命が危ない」といって猛然と反発する。無教会の若いキリスト教ヒューマニスト達に告 ぐ、「地上天国を造るな」。それはイエスの目指すところではない。土地が欲しければくれてやればよいのだ。奪わせればよいのだ。

 

新共同 マタ 26:51-54

26:51 そのとき、イエスと一緒にいた者の一人が、手を伸ばして剣を抜き、大祭司の手下に打ちかかって、片方の耳を切り落とした。

26:52 そこで、イエスは言われた。「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる。

26:53 わたしが父にお願いできないとでも思うのか。お願いすれば、父は十二軍団以上の天使を今すぐ送ってくださるであろう。

26:54 しかしそれでは、必ずこうなると書かれている聖書の言葉がどうして実現されよう。」

 

●  解釈と黙想 イエスの戦争観。戦争でやられることも神の御心。負けることに意味がある。神に知られていれば負けても勝ち。負けるが勝ち。それが十字架。 無神論者にはこれが分からないから「話にならない」。話になると思って思想レベルでこの「十字架の道」を説こうとしている若いキリスト信者や政治家がいる が、神も神の力も神の御心もワカッチャイナイ。この世は「十字架の道」は理解できないのだ。分からないのだ。分かると思って聖書をロクに読まないで本業 そっちのけで社会行動している一部無教会キリスト者若者達の信仰を問う。

 

口語訳 マタ 26:39 そして少し進んで行き、うつぶしになり、祈って言われた、「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」。

 

● 解釈と黙想 

イエスのこの祈り、パウロの苦難が世を救った。負けの苦難が人を救うことになるのだ。負けの痛みと流す涙が神に覚えられて世が救われるのだ。キリスト者は世を圧倒する「義」の貫徹で世に勝とうとしてはならない。それで勝っても神の名はあがらない。

 

口語訳 Tコリ15:58

15:58 だから、愛する兄弟たちよ。堅く立って動かされず、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからである。

 

●  解釈と黙想  我々の労苦は神に覚えられ、神の働きで世が回心するとパウロは言う。しかし生きているうちにはパウロはその「実」の多くを見られなかっ た。パウロは伝説によれば首をはねられて処刑。しかしこのパウロの労苦がキリスト教を救った。地上に定着させた。神の名が上がった。パウロへの報酬は天で 与えられた。

 

 

 

ローマ人への手紙13章2節

 

[口語訳] したがって、権威に逆らう者は、神の定めにそむく者である。そむく者は、自分の身にさばきを招くことになる。

 

[新改訳] したがって、権威に逆らっている人は、神の定めにそむいているのです。そむいた人は自分の身にさばきを招きます。

 

[新共同訳] 従って、権威に逆らう者は、神の定めに背くことになり、背く者は自分の身に裁きを招くでしょう。

 

[TEV] Whoever opposes the existing authority opposes what God has ordered; and anyone who does so will bring judgment on himself.

 

 [文語訳]この故に權威にさからふ者は神の定に悖(もと)るなり、悖(もと)る者は自らその審判(さばき)を招かん。

 

[塚本訳]従って官憲に反抗する者は、神の命令に違反する者である。違反する者は、自分で自分に(神の)裁きを招くであろう。(この世で罰を受けるばかりでなく、最後の日にも。)"

 

[前田訳]それで、権力にさからうものは神の命にそむくものです。そむくものは自かに裁きを招くでしょう。

 

[岩波版・佐藤訳]したがって、その権威に逆らう者は、神の定めに反抗することになり、それら反抗する者たちは、自分自身にさばきを招くであろう。

 

引照

[参考文献 NESTLE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 24,27版(独), SCOFIELD  STUDY BIBLE(米),

THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE(英), THE NEW JERUSALEM BIBLE(仏)新共同訳(日)]

 

口語訳 使  23:2-5

23:2 すると、大祭司アナニヤが、パウロのそばに立っている者たちに、彼の口を打てと命じた。

23:3 そのとき、パウロはアナニヤにむかって言った、「白く塗られた壁よ、神があなたを打つであろう。あなたは、律法にしたがって、わたしをさばくために座についているのに、律法にそむいて、わたしを打つことを命じるのか」。

23:4 すると、そばに立っている者たちが言った、「神の大祭司に対して無礼なことを言うのか」。

23:5 パウロは言った、「兄弟たちよ、彼が大祭司だとは知らなかった。聖書に『民のかしらを悪く言ってはいけない』と、書いてあるのだった」。

 

● 解釈と黙想  パウロが権威を尊重していた態度がここでわかる。

 

口語訳 Uペテ2:9-11

2:9 こういうわけで、主は、信心深い者を試錬の中から救い出し、また、不義な者ども、

2:10 特に、汚れた情欲におぼれ肉にしたがって歩み、また、権威ある者を軽んじる人々を罰して、さばきの日まで閉じ込めておくべきことを、よくご存じなのである。こういう人々は、大胆不敵なわがまま者であって、栄光ある者たちをそしってはばかるところがない。

2:11 しかし、御使たちは、勢いにおいても力においても、彼らにまさっているにかかわらず、彼らを主のみまえに訴えそしることはしない。

 

新共同 マタ 22:17-21

22:17 ところで、どうお思いでしょうか、お教えください。皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか。」

22:18 イエスは彼らの悪意に気づいて言われた。「偽善者たち、なぜ、わたしを試そうとするのか。

22:19 税金に納めるお金を見せなさい。」彼らがデナリオン銀貨を持って来ると、

22:20 イエスは、「これは、だれの肖像と銘か」と言われた。

22:21 彼らは、「皇帝のものです」と言った。すると、イエスは言われた。「では、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」

 

新共同 Tコリ6:7

6:7 そもそも、あなたがたの間に裁判ざたがあること自体、既にあなたがたの負けです。なぜ、むしろ不義を甘んじて受けないのです。なぜ、むしろ奪われるままでいないのです。

 

新共同 Tコリ7:21-22

7:21 召されたときに奴隷であった人も、そのことを気にしてはいけません。自由の身になることができるとしても、むしろそのままでいなさい。

7:22 というのは、主によって召された奴隷は、主によって自由の身にされた者だからです。同様に、主によって召された自由な身分の者は、キリストの奴隷なのです。

 

 

新共同 マタ 17:24-27

17:24 一行がカファルナウムに来たとき、神殿税を集める者たちがペトロのところに来て、「あなたたちの先生は神殿税を納めないのか」と言った。

17:25 ペトロは、「納めます」と言った。そして家に入ると、イエスの方から言いだされた。「シモン、あなたはどう思うか。地上の王は、税や貢ぎ物をだれから取り立てるのか。自分の子供たちからか、それともほかの人々からか。」

17:26 ペトロが「ほかの人々からです」と答えると、イエスは言われた。「では、子供たちは納めなくてよいわけだ。

17:27 しかし、彼らをつまずかせないようにしよう。湖に行って釣りをしなさい。最初に釣れた魚を取って口を開けると、銀貨が一枚見つかるはずだ。それを取って、わたしとあなたの分として納めなさい。」

 

● 解釈と黙想

税金はしっかり納めなければ ならない。(難癖をつけている人がキリスト教無教会の中にもいる)勤務先の社則はしっかり守らなければならない。先生の言うことはしっかり守らなければな らない。学則は守らなければならない。主人のいうことはしっかり守らなければならない。この最低の聖書的指針をわきまえないで聖書以外の流行の思想に振り 回されて、ことごとく権威とか規則にたてつくキリスト者がいるから今日のキリスト教は力がない。焦点がボケている。キリスト者にとってはなにが最も大切な ことかが分かっていない。

最近は教会の牧師が結婚式でエペソ書の次の個所を読まなくなったという。愚かなことである。この世に迎合している。

 

口語訳 エペ 5:21-23

5:21 キリストに対する恐れの心をもって、互に仕え合うべきである。

5:22 妻たる者よ。主に仕えるように自分の夫に仕えなさい。

5:23 キリストが教会のかしらであって、自らは、からだなる教会の救主であられるように、夫は妻のかしらである。

 

女 性にとっては「夫に仕える」ということがイヤな思想なのだという。キリスト教会の馬鹿な風潮よ。キリスト教が民主主義やフェミニズムやヒューマニズムに毒 されている。ここの意味は「主に仕える」が故に夫に仕えよというのである。それを読めない、また学ばない今日のわが国のキリスト教の風潮。こんなことでは この国にキリスト教が根付くはずはない。キリスト教はフェミニズムやヒューマニズムと同じ地上レベルのことではないのだ。禍なのは最近流行の女流神学者達 (無教会者のなかにもいるから困る)の説。聖書は「男の作」であるから読み直さなければいけないというそうである。聖書が読めてない。聖書は神の世界のこ とである。神学を専門にしていると、なるべく人とは違った暇なことを研究しないと存在価値がないらしい。われわれ素人はこんな暇な神学者達の論争に振り回 されてはならない。聖書は素人のほうが読み間違いがないとは内村・塚本先生の考え。これは実体験の真理。実生活上の感覚。その理由は素人は「聖書でメシを 食っていない」ので聖書を自由に素直に読めるからである。ああ素人でよかった。「聖書でメシを食う」職業でなくてよかった。無教会でよかった。

 

 

 

ローマ人への手紙13章3節

 

[口語訳] いったい、支配者たちは、善事をする者には恐怖でなく、悪事をする者にこそ恐怖である。あなたは権威を恐れないことを願うのか。それでは、善事をするがよい。そうすれば、彼からほめられるであろう。

 

[新改訳] 支配者を恐ろしいと思うのは、良い行ないをするときではなく、悪を行なうときです。権威を恐れたくないと思うなら、善を行ないなさい。そうすれば、支配者からほめられます。

 

[新共同訳] 実際、支配者は、善を行う者にはそうではないが、悪を行う者には恐ろしい存在です。あなたは権威者を恐れないことを願っている。それなら、善を行いなさい。そうすれば、権威者からほめられるでしょう。

 

[TEV] For rulers are not to be feared by those who do good, but by those who do evil. Would you like to be unafraid of those in authority? Then do what is good, and they will praise you,

 

 [文語訳]長(をさ)たる者は善き業の懼(おそれ)にあらず、惡しき業の懼(おそれ)なり、なんぢ權威を懼(おそ)れざらんとするか、善をなせ、然らば彼より譽(ほまれ)を得ん。

 

[塚本訳]役人が恐ろしいのは、善いことをする者でなく、悪いことをする者である。(だから)あなたは官憲を恐れたくなければ、善いことをせよ。そうすれば官憲から誉められる。"

 

[前田訳]支配者は、善をするものにではなく、悪をするものにおそれられます。あなたが権力をおそれたくなければ、善をなさい。そうすれば権力からほめられましょ。

 

[岩 波版・佐藤訳]支配者たちは、善き業〔をなす者〕にとっては恐れではなく、むしろ悪しき〔業をなす者〕にとって〔そうなのである〕。ところであなたは、権 威を恐れな〔くてもよ〕いことを欲している。〔それなら〕善きことを行ないなさい。そうすればあなたは、権威から賞讃を得るであろう。

 

引照

[参考文献 NESTLE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 24,27版(独), SCOFIELD  STUDY BIBLE(米),

THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE(英), THE NEW JERUSALEM BIBLE(仏)新共同訳(日)]

 

新共同 Tペテ3:12-13

3:12 主の目は正しい者に注がれ、/主の耳は彼らの祈りに傾けられる。主の顔は悪事を働く者に対して向けられる。」

3:13 もし、善いことに熱心であるなら、だれがあなたがたに害を加えるでしょう。

 

口語訳 Tペテ2:14 あるいは、悪を行う者を罰し善を行う者を賞するために、王からつかわされた長官であろうと、これに従いなさい。

 

口語訳 Tペテ4:15 あなたがたのうち、だれも、人殺し、盗人、悪を行う者、あるいは、他人に干渉する者として苦しみに会うことのないようにしなさい。

 

● 解釈と黙想  この「他人に干渉する者」は塚本訳では「おせっかい屋」である。名訳。

「罪人の恐怖」ということがある。「真実一路」で生きれば常に恐怖はない。これ職業生活の基本。

 戦後一時,マルキスト達は「我々の勤務態度のどこか悪いか」と開き直るほど生活が潔白だったいう。キリスト者もそうでなければならないのだ。

 

 

 

ローマ人への手紙13章4節

 

[口語訳] すべての人は、上に立つ権威に従うべきである。なぜなら、神によらない権威はなく、おおよそ存在している権威は、すべて神によって立てられたものだからである。

 

[新改訳] 人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。

 

[新共同訳] 人は皆、上に立つ権威に従うべきです。神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべて神によって立てられたものだからです。

 

[TEV] Everyone must obey state authorities, because no authority exists without God's permission, and the existing authorities have been put there by God.

 

 [文語訳]かれは汝を益せんための神の役者(えきしゃ)なり、然れど惡をなさば懼(おそ)れよ、彼は徒(いたづ)らに劍(つるぎ)をおびず、神の役者にして、惡をなす者に怒をもて報ゆるなり。"

[塚本訳]官憲はあなたの最善のためにつくす神の召使であるから。しかしもし悪事をすれば、恐れねばならない。見えのために剣をささげているのではないのだから。官憲は神の召使で、悪事を行う者に対して(神の)怒りをあらわす復讐者である。

 

[前田訳]権力はあなたに善をそなえる神の召使いですから。しかしあなたが悪をすれば、おそれねばなりませ。むなしく剣を帯びてはいませんから。権力は神の召使いで、悪をするものに怒りをおこす復讐者です。

 

[岩 波版・佐藤訳]その権威は神の奉仕者なのであり、あなたにとっては善となるものだからである。しかし、もしもあなたが悪を行なうなら、〔権威を〕恐れなさ い。その権威は無駄に剣を身に帯びているのではないからである。それは神の奉仕者として、悪をなす者に対しては、怒りをもって報いをなすものなのである。

 

引照

[参考文献 NESTLE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 24,27版(独), SCOFIELD  STUDY BIBLE(米),

THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE(英), THE NEW JERUSALEM BIBLE(仏)新共同訳(日)]

 

新共同 ロマ 13:6

13:6 あなたがたが貢を納めているのもそのためです。権威者は神に仕える者であり、そのことに励んでいるのです。

 

新共同 申  1:17

1:17 裁判に当たって、偏り見ることがあってはならない。身分の上下を問わず、等しく事情を聞くべきである。人の顔色をうかがってはならない。裁判は神に属する ことだからである。事件があなたたちの手に負えない場合は、わたしのところに持って来なさい。わたしが聞くであろう。」

 

新共同 T列 10:9

10:9 あなたをイスラエルの王位につけることをお望みになったあなたの神、主はたたえられますように。主はとこしえにイスラエルを愛し、あなたを王とし、公正と正義を行わせられるからです。」

 

● 解釈と黙想 ソロモンのこと。

 

口語訳 U歴 19:6 そして裁判人たちに言った、「あなたがたは自分のする事に気をつけなさい。あなたがたは人のために裁判するのではなく、主のためにするのです。あなたがたが裁判する時には、主はあなたがたと共におられます。

 

●  解釈と黙想  裁判官は神に任命された神聖な存在であることはわが国の一般認識である。しかし当の裁判官さえも自分の判断裁決に不安を持つという。真の 裁判はその背後にいます神のみ。だから人間の裁判官が赦しても神は赦さないことがあり、人間の裁判官が罪と定めても神が赦す場合もある。つまりこの世のこ とは最終決定ではないからこの世に生きている間はこの世の秩序に従うべきである。たとえ地上の権威者が自分の命を奪おうとしても最終的には神がどちらか悪 いほうをを裁く。

 

 

 

ローマ人への手紙13章5節

 

[口語訳] だから、ただ怒りをのがれるためだけではなく、良心のためにも従うべきである。

 

[新改訳] ですから、ただ怒りが恐ろしいからだけでなく、良心のためにも、従うべきです。

 

[新共同訳] だから、怒りを逃れるためだけでなく、良心のためにも、これに従うべきです。

 

[TEV] For this reason you must obey the authorities-not just because of God's punishment, but also as a matter of conscience.

 

 [文語訳]然(さ)れば服(したが)はざるベからず、啻(ただ)に怒(いかり)の爲のみならず、良心のためなり。

 

[塚本訳]だからかならず服従せねばならない。ただ怒りの(恐ろしさの)ためだけでなく、(それが信ずる者の義務であることを知っているあなた達は、自分の)良心のためにも。"

 

[前田訳]だから服従が必要です。怒りのためだけでなく、良心のためにも。

 

[岩波版・佐藤訳]それゆえに、服従する必要が〔あるのである〕。ただ単に怒り〔を恐れる〕ゆえにではなく、〔自らの〕良心のゆえにも――。

 

引照

[参考文献 NESTLE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 24,27版(独), SCOFIELD  STUDY BIBLE(米),

THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE(英), THE NEW JERUSALEM BIBLE(仏)新共同訳(日)]

 

新共同 Tペテ2:19

2:19 不当な苦しみを受けることになっても、神がそうお望みだとわきまえて苦痛を耐えるなら、それは御心に適うことなのです。

 

口語訳 使  24:16

24:16 わたしはまた、神に対しまた人に対して、良心を責められることのないように、常に努めています。

 

口語訳 ロマ 9:1 わたしはキリストにあって真実を語る。偽りは言わない。わたしの良心も聖霊によって、わたしにこうあかしをしている。

 

口語訳 Uコリ1:12 さて、わたしたちがこの世で、ことにあなたがたに対し、人間の知恵によってではなく神の恵みによって、神の神聖と真実とによって行動してきたことは、実にわたしたちの誇であって、良心のあかしするところである。

 

口語訳 Tテモ1:5 わたしのこの命令は、清い心と正しい良心と偽りのない信仰とから出てくる愛を目標としている。

 

口語訳 Tテモ1:18-20

1:18 わたしの子テモテよ。以前あなたに対してなされた数々の預言の言葉に従って、この命令を与える。あなたは、これらの言葉に励まされて、信仰と正しい良心とを保ちながら、りっぱに戦いぬきなさい。

1:19 ある人々は、正しい良心を捨てたため、信仰の破船に会った。

1:20 その中に、ヒメナオとアレキサンデルとがいる。わたしは、神を汚さないことを学ばせるため、このふたりをサタンの手に渡したのである。

 

口語訳 Tペテ2:13-14

2:13 あなたがたは、すべて人の立てた制度に、主のゆえに従いなさい。主権者としての王であろうと、

2:14 あるいは、悪を行う者を罰し善を行う者を賞するために、王からつかわされた長官であろうと、これに従いなさい。

 

新共同 Tペテ3:16 それも、穏やかに、敬意をもって、正しい良心で、弁明するようにしなさい。そうすれば、キリストに結ばれたあなたがたの善い生活をののしる者たちは、悪口を言ったことで恥じ入るようになるのです。

 

● 解釈と黙想 

パ ウロがこの世の権威に従えというのは、この世の権威者も神の懐のもの、神によりて創られた者、だからその人の地位と立場を尊重して彼を愛して従えというの である。もしその権威者が明らかに神の道に反するようなことがあったら、穏やかに弁明すべきだが、それでも聞かなかったら抵抗が彼への真の愛かもしれな い。しかしそれは一般論で規定できない。その時々に具体的に神の示しを受けて行動すべきである。反抗必ずしも神の道ではなく、服従必ずしも神の道ではな い。この点においてキリスト者は文字の律法に生きずに神の霊による導きで行動すべきである。

 

 

 

ローマ人への手紙13章6節

 

[口語訳] あなたがたが貢を納めるのも、また同じ理由からである。彼らは神に仕える者として、もっぱらこの務に携わっているのである。

 

[新改訳] 同じ理由で、あなたがたは、みつぎを納めるのです。彼らは、いつもその務めに励んでいる神のしもべなのです。

 

[新共同訳] あなたがたが貢を納めているのもそのためです。権威者は神に仕える者であり、そのことに励んでいるのです。

 

[TEV] That is also why you pay taxes, because the authorities are working for God when they fulfill their duties.

 

[文語訳]また之がために汝ら貢を納む、彼らは神の仕人にして此の職に勵むなり。

 

[塚本訳]それゆえに(同じ理由で、)あなた達は貢をも納めねばならない。

官憲は神につかえる者であり、いま言った職務に全力をそそいでいるからである。

 

[前田訳]それゆえ貢も納めるべきです。権力は神の奉仕人で、このことに力をつくしているのですから。

 

[岩波版・佐藤訳]かくしてそのために、あなたがたは税金をも納めているのである。支配者たちは神に仕える者として、まさにそのことに専念しているのだからである。

 

引照

[参考文献 NESTLE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 24,27版(独), SCOFIELD  STUDY BIBLE(米),

THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE(英), THE NEW JERUSALEM BIBLE(仏)新共同訳(日)]

 

新共同 イザ 61:6 あなたたちは主の祭司と呼ばれ/わたしたちの神に仕える者とされ/国々の富を享受し/彼らの栄光を自分のものとする。

 

口語訳 Tペテ2:19 もしだれかが、不当な苦しみを受けても、神を仰いでその苦痛を耐え忍ぶなら、それはよみせられることである。

 

口語訳 マタ 17:24-27

17:24 彼らがカペナウムにきたとき、宮の納入金を集める人たちがペテロのところにきて言った、「あなたがたの先生は宮の納入金を納めないのか」。

17:25 ペテロは「納めておられます」と言った。そして彼が家にはいると、イエスから先に話しかけて言われた、「シモン、あなたはどう思うか。この世の王たちは税や貢をだれから取るのか。自分の子からか、それとも、ほかの人たちからか」。

17:26 ペテロが「ほかの人たちからです」と答えると、イエスは言われた、「それでは、子は納めなくてもよいわけである。

17:27 しかし、彼らをつまずかせないために、海に行って、つり針をたれなさい。そして最初につれた魚をとって、その口をあけると、銀貨一枚が見つかるであろう。それをとり出して、わたしとあなたのために納めなさい」。

 

● 解釈と黙想 税金を納めるための努力。この「彼らをつまずかせないために」が意味深長。今日キリスト信者の中には世の中の人をわざと躓かせようと「軍事費納税拒否」という運動をしている人がいるが無駄。つまらない努力。キリスト教の評判を下げる以外の何物でもない。

 

新共同 Tペテ2:17-18

2:17 すべての人を敬い、兄弟を愛し、神を畏れ、皇帝を敬いなさい。

2:18 召し使いたち、心からおそれ敬って主人に従いなさい。善良で寛大な主人にだけでなく、無慈悲な主人にもそうしなさい。

 

● 解釈と黙想 無慈悲な主人であればあるほど服従が難しいのだが、イエスとパウロとステパノの例に学ぼう。

 

新共同 ルカ 20:21-26

20:21 回し者らはイエスに尋ねた。「先生、わたしたちは、あなたがおっしゃることも、教えてくださることも正しく、また、えこひいきなしに、真理に基づいて神の道を教えておられることを知っています。

20:22 ところで、わたしたちが皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか。」

20:23 イエスは彼らのたくらみを見抜いて言われた。

20:24 「デナリオン銀貨を見せなさい。そこには、だれの肖像と銘があるか。」彼らが「皇帝のものです」と言うと、

20:25 イエスは言われた。「それならば、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」

20:26 彼らは民衆の前でイエスの言葉じりをとらえることができず、その答えに驚いて黙ってしまった。

 

● 解釈と黙想  この世の秩序に従えというとき、それが神からのものかどうかと考えるのでなくて、上に立つ権威者も逆に下のものもすべて神の愛する者なので彼らの身になってその立場を尊重せよという思想に立てというのである。

 

イエスはこのカイザル問答で「彼らのたくらみを見抜い」た。こんなときは蛇のごとく立ち回るのが良い。

 

● 解釈と黙想

キリスト者は兵役に就くべきか。・・・・・この問題は2000年のキリスト教の苦闘の歴史である。戦争に対する初期キリスト者の立場に関しては「荒井献著作集5」所載「初期キリスト教における非戦の思想」に詳しく論じられている。その一部によれば

「信教の自由を直接侵されない限 り兵役に服し国家に仕えるという立場は、一世紀の末から四世紀の初期にかけてキリスト教の正統となった教父達、つまり使徒教父、弁証論者、あるいは初期教 父達に ―――後に述べるタティアン(あるいはタティアノス)を唯一の例外とすれば―――ほぼ共通して見られる基本的な立場である。」(p386)

その後、いつの時代も戦争に対す るキリスト者の立場は右(上記の立場を右とすれば)左(絶対非戦論)に極端に分かれて「いがみ合い」がある。教会内部でも無教会者の内部でもある。この問 題でキリスト教が分裂することがそもそも「贖罪と復活」の真の福音に立っていない証拠である。戦争に対する姿勢だけでいわば「リトマス試験紙」を使うよう な態度で人間を判断してはならない。それは平面的。神の目は違う。神は私達を「リトマス試験紙」を使って判断するようなことはなさらない。いきさつや当事 者でなければわからないようなことまでご存知でいてくださる。

平和の時代にこの左右の論争をするのは不毛。ローマ帝国のときとナチ支配化のドイツの場合とあるいはわが国の場合とを同一に論ずることはできない。背景と実態が異なる。だから行動指針を画一的に律法化できない。我々はその時々の神の導きというものにゆだねるべきである。

しかしイエスの納税の思想はいつの時代にも当てはまる共通の普遍的な指針である。それは官憲を「愛する」対象として捉えるという基本的な姿勢に基づくからである。

 

 

 

ローマ人への手紙13章7節

 

[口語訳] あなたがたは、彼らすべてに対して、義務を果しなさい。すなわち、貢を納むべき者には貢を納め、税を納むべき者には税を納め、恐るべき者は恐れ、敬うべき者は敬いなさい。

 

[新改訳] あなたがたは、だれにでも義務を果たしなさい。みつぎを納めなければならない人にはみつぎを納め、税を納めなければならない人には税を納め、恐れなければならない人を恐れ、敬わなければならない人を敬いなさい。

 

[新共同訳] すべての人々に対して自分の義務を果たしなさい。貢を納めるべき人には貢を納め、税を納めるべき人には税を納め、恐るべき人は恐れ、敬うべき人は敬いなさい。

 

[TEV] Pay, then, what you owe them; pay them your personal and property taxes, and show respect and honor for them all.

 

[文語訳]汝等その負債をおのおのに償へ、貢を受くべき者に貢ををさめ、税を受くべき者に税ををさめ、畏るべき者をおそれ、尊ぶべき者をたふとべ。

 

[塚本訳](彼らに対して、信ずる者には普通の人以上の、言わば借りがある。)すべての役人にこの借りを返しなさい。貢取りには貢を、官税取りには官税を、恐るべき者には恐れを、尊敬すべき者には尊敬を。"

 

 [前田訳]すべての人に債務を返しなさい、貢取りには貢を、税取りには税を、おそるべきものにはおそれを、尊敬すべきものには尊敬を。"

 

 [岩波版・佐藤訳]あなたがたは、すべての人に対して負債を返却しなさい。税金を〔納むべき〕人には税金を、関税を〔納むべき〕人には関税を、恐れを〔抱くべき〕人には恐れを、栄誉を〔与えるべき〕人には栄誉を〔与えなさい〕。

 

引照

[参考文献 NESTLE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 24,27版(独), SCOFIELD  STUDY BIBLE(米),

THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE(英), THE NEW JERUSALEM BIBLE(仏)新共同訳(日)]

 

新共同 ロマ 12:10

12:10 兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。

 

新改訳 ロマ 12:10

12:10 兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。

 

新改訳 ロマ 13:8

13:8 だれに対しても、何の借りもあってはいけません。ただし、互いに愛し合うことについては別です。他の人を愛する者は、律法を完全に守っているのです。

 

新改訳 Tペテ2:17-18

2:17 すべての人を敬いなさい。兄弟たちを愛し、神を恐れ、王を尊びなさい。

2:18 しもべたちよ。尊敬の心を込めて主人に服従しなさい。善良で優しい主人に対してだけでなく、横暴な主人に対しても従いなさい。

 

新共同 ルカ 20:22-25

20:22 ところで、わたしたちが皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか。」

20:23 イエスは彼らのたくらみを見抜いて言われた。

20:24 「デナリオン銀貨を見せなさい。そこには、だれの肖像と銘があるか。」彼らが「皇帝のものです」と言うと、

20:25 イエスは言われた。「それならば、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」

 

新共同 ルカ 23:2

23:2 そして、イエスをこう訴え始めた。「この男はわが民族を惑わし、皇帝に税を納めるのを禁じ、また、自分が王たるメシアだと言っていることが分かりました。」

 

新共同 マタ 17:24-27

17:24 一行がカファルナウムに来たとき、神殿税を集める者たちがペトロのところに来て、「あなたたちの先生は神殿税を納めないのか」と言った。

17:25 ペトロは、「納めます」と言った。そして家に入ると、イエスの方から言いだされた。「シモン、あなたはどう思うか。地上の王は、税や貢ぎ物をだれから取り立てるのか。自分の子供たちからか、それともほかの人々からか。」

17:26 ペトロが「ほかの人々からです」と答えると、イエスは言われた。「では、子供たちは納めなくてよいわけだ。

17:27 しかし、彼らをつまずかせないようにしよう。湖に行って釣りをしなさい。最初に釣れた魚を取って口を開けると、銀貨が一枚見つかるはずだ。それを取って、わたしとあなたの分として納めなさい。」

 

● 解釈と黙想  

キリスト信者は納税問題や兵役問題でこの世の人と争ってはならない。躓かせてはならない。いずれも愛の故に行動を律すべきである。神に命令に服することが第一。

「贖罪と復活」の真理のためにはいかなることをも辞さないというのが我々の最終的な態度であるべきだ。

 

 

 

男の転機

 

息子の一人から「お父さんが職場を変わったときのいきさつを教えてくれ」という質問があったので、そのときのことを思い出して所感をまとめる。

わたしは35歳のときに建設会社から建築設計事務所に転身、55歳のときにはその建築設計事務所から建設省(現在は国土交通省)の外郭団体(現在の職場)に転身した。しかし職場は変わったが、職業(建築士)は変えなかった。

い ずれも前段階の経験が生かされるところに招かれた。転身には二つの大切なことがある。第一はそれまでの経験が生かせるとことがよい。第二は招かれることで ある。この二つが満たされない限り「今の職場」にとどまるほうが得策である。現状がいやになって飛び出したら良いことはない。

し かし男には必ず「転機」というものが現われる。その時は何もかも打ち捨てて神の招きに応じなければならない。わたしの35歳の転機も55歳の転機も「神の 招き」と感じたのでそれをむんずと掴んだのである。その結果いずれも結果的に良かった。妻子を抱える身での転身は悩むが、いずれの場合も妻が「あなたの好 きなようにしてください」と言ってくれたのは感謝であった。

こ れは山本七平の本に出ていたのであるが、山本七平は次のように言う。・・・・・男は30歳台の前半(30〜35歳)に大転機が来る。その実例としては次の 人物。まずイエス。30歳頃母と家を捨てて33−35歳頃に処刑される。パスカルが数学者科学者の名声を捨ててキリスト教に没入したのが30歳直後。シュ バイツァーがこの世の名声を捨ててアフリカへ医療伝道に向かったのも30台前半。そして男は必ずといっていいほど30歳を過ぎる頃になると「転機」が自然 に訪れて、その神の招きに応ずると一切を振り捨てて与えられた使命に邁進するようになるという。そしてその転機が訪れるまでは自分が頭の中でどんなに新た なる人生設計をしてもうまくいかず、逆に天命としての転機が訪れれば万難を排してでもそれに飛び込むようにさせられるという。そして男はその天命に飛び込 めば、生きてきた甲斐があるという気分になる。その道はこの世的にはみじめな道かもしれないが(貧困かつ理解されないが)本人にとっては生きがいと喜びに 満たされる道である。・・・・・と。

  その他私なりにに思いつくまま、人生に転機が訪れて一切をかなぐり捨てて天命に邁進した人の例を挙げてみよう。ルターは雷に打たれて死に目にあい、「聖ア ンナ様ごめんなさい」と叫んで修道院に入ることを決心。アウグスチヌスは「取りて読め、取りて読め」という子供たちの歌に俄然と堕落「人生の惰眠から覚 め」(ヒルティの好きな言葉)、回心してその後カトリック教会の祖となる大きな働きをした。バンヤンの「天路歴程」の冒頭は主人公が両耳に指を突っ込んで 「永遠の生命!永遠の生命!」と叫びながら、妻子の止めるのを振り切って家を飛び出す場面からはじまる。その第二部はあまり知られていないが妻と子供が父 のあとを追って旅に出る。ダンテの「新曲」では人生の道の半ば(35歳とされる)に主人公ダンテが暗い森に迷い込んでいるのを自覚したときに、ヴァージル という師に出会い、それから三界を旅して天国へ向かう。ダンテの転機も人生の半ば(30歳台)であった。

男 にはこのように神の招きとも言うべき「転機」が自然に訪れるものである。その神秘的な大切な転機が訪れたときには金とか名声とかに目もくれずにその天命に 邁進すべきである。そのとき「金や名声や妻子」などを打ち捨てるだけの真の「教養」を磨くのが30歳頃までの勉強である。このとき「家庭の幸福」などの甘 い人生の目標を立てていると神にバシッとやられる。

か く言う愚鈍なる私は、「平穏な晩年」などと夢見ていた57歳の昨年に、家と財産を焼かれ、脳出血で意識を失わされ、一たんは命を取られた。その他にも苦境 に追い込まれる事件が起きた。「人生の惰眠」であった。バシッと打たれた。ザックリ傷つけられた。重い鉄槌が下った。しかしこれで心構えを整理させられ た。顔を固く前向きに固定された。転機であった。キリストへ、キリストへ。今後また脳出血で痛い思いをしてどうせ死ぬのなら「ありがたい贖罪と復活」の告 知邁進中に死んだほうがよいと思うようになった。人生「惚けても長生きがよい」などということを人生目標にすることはできない。若くして死んだ初代キリス ト教の殉教者達のことに思いが馳せる。

 

2001.11.10  高橋照男

 

 

表  題 ・ 要  約

 

隣人愛(13:8−10)・・・新共同訳

救いは近づいている(13:11−14)

第12章―15章 根本的な震撼・・・バルト

        広大な積極的可能性(13:8−14)

第6部 12章1節―15章13節 キリスト教的日常生活における神の義・・・ケーゼマン

(九)   12:1−13:14 一般的勧告――様々な次元におけるキリスト教的日常生活

5 一般的勧告の要約(13:8−14)

第3部 キリストの者たちへの生活訓(12:1−15:13)・・・アルトハウスNTD

   (五)律法を成就する愛(13:8−10)

   (六)「今のとき」にふさわしき「昼」の掟(13:11−14)

C 勧告(12:1−15:13)・・・ヴィルケンスEKK

一 愛の力による生(12:1−13:14)

    5 律法の成就としての隣人愛(13:8−10)

    6 勧告の終末論的地平(13:11−14)

W実行論 12章1節―15章13節 ・・・黒崎註解新約聖書

(十)   対社会関係(13:1−14)

         (ロ) 愛より外に何も負ふな(13:8−10)

 (ハ) 時近し備せよ(13:11−14)

 

愛の誡め(13:8−10節)・・・高橋三郎

時は迫っている(13:11−14節)

 

第2編 倫理的勧告  ・・・フランシスコ会訳

       隣人愛(13:8−10)

       キリスト再臨の切迫(13:11−14)

 

律法を満たす愛(13:8−14)・・・岩波版・青野訳

 

隣人愛(13:8−10)・・・前田訳

救いの時の近さ(13:11−14)

第6部     信徒への使徒のすすめ ―― 個人、国家、教会にかかわるキリスト信徒の倫理

                  (第12章1節―第15章13節) ・・・八木(講談社)

    律法の成就としての愛(13:8−10)

    “時”の到来(13:11−14)

 

隣の人を愛せよ(13:8−10)・・・塚本訳

日は近い、さめよ(13:11−14)

愛は律法の完成である(13:8−10)・・・白井きく

日は近い、眠りからさめよ(13:11−14)

 

基督教道徳の第四  社会の一員としての愛(13:8−10)・・・内村鑑三

日は近し               (13:11−14)

 

 

 

ローマ人への手紙13章8節

 

[口語訳] 互に愛し合うことの外は、何人にも借りがあってはならない。人を愛する者は、律法を全うするのである。

 

[新改訳] だれに対しても、何の借りもあってはいけません。ただし、互いに愛し合うことについては別です。他の人を愛する者は、律法を完全に守っているのです。

 

[新共同訳] 互いに愛し合うことのほかは、だれに対しても借りがあってはなりません。人を愛する者は、律法を全うしているのです。

 

[TEV] Be under obligation to no one-the only obligation you have is to love one another. Whoever does this has obeyed the Law.

 

[文語訳]汝等たがひに愛を負ふのほか何をも人に負ふな。人を愛する者は律法を全うするなり。"

 

[塚本訳](官憲ばかりでなく、)だれにも何も、借りがあってはならない。ただし、互に愛することだけは例外である。(この借りは、いつまでも返してしまわないように。)人を愛する者は(モーセ)律法を完全に果たしたのである。

 

[前田訳]互いに愛することのほか、だれにも何も借りなさるな。人を愛するものは律法を全うしたのです。

 

[岩波版・佐藤訳]互いに愛すること以外には、あなたがたは誰に対しても、また何も負債をもってはならない。なぜならば、他者を愛する者は、律法〔の要求〕を満たすに至っているからである。

引照

[参考文献 NESTLE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 24,27版(独), SCOFIELD  STUDY BIBLE(米),

THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE(英), THE NEW JERUSALEM BIBLE(仏)新共同訳(日)]

 

新共同 Tヨハ4:11 愛する者たち、神がこのようにわたしたちを愛されたのですから、わたしたちも互いに愛し合うべきです。

 

新共同 ガラ 5:13-14

5:13 兄弟たち、あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい。

5:14 律法全体は、「隣人を自分のように愛しなさい」という一句によって全うされるからです。

 

新共同 コロ 3:13-14

3:13 互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい。

3:14 これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです。

 

新共同 Tテモ1:5 わたしのこの命令は、清い心と正しい良心と純真な信仰とから生じる愛を目指すものです。

 

新共同 マタ 7:12 だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である。」

 

新共同 マタ 22:39 第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』

 

新共同 ヨハ 13:34 あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。

 

新共同 ロマ 13:10 愛は隣人に悪を行いません。だから、愛は律法を全うするものです。

 

新共同 ガラ 5:13-14

5:13 兄弟たち、あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい。

5:14 律法全体は、「隣人を自分のように愛しなさい」という一句によって全うされるからです。

 

口語訳 ヤコ 2:8 しかし、もしあなたがたが、「自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ」という聖書の言葉に従って、このきわめて尊い律法を守るならば、それは良いことである。

 

● 解釈と黙想  難解なロ マ書13章1節の「すべての者は上に立つ権威に従え」との言葉はこの8節を土台にして読めばわかりやすくなる。普通はこの1節を切り離して論じるから「い がみ合い」になる。またキリスト教のわからない不信者が読むと「キリスト教は奴隷の宗教だ」と言い、人権論者が読むと「自分の意見をちゃんと述べて自立し なさい」と言う。いずれもこの世の論理である。キリスト信者は神の奴隷である。キリストの奴隷である。だからきっちりと意見を持って自立して権威に服従し ているのである。耳のある者は聞け。

 

 

 

ローマ人への手紙13章9節

 

[口語訳] 「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな」など、そのほかに、どんな戒めがあっても、結局「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」というこの言葉に帰する。

 [新改訳] 「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな。」という戒め、またほかにどんな戒めがあっても、それらは、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」ということばの中に要約されているからです。

 

[新共同訳] 「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな」、そのほかどんな掟があっても、「隣人を自分のように愛しなさい」という言葉に要約されます。

 

[TEV] The commandments, "Do not commit adultery; do not commit murder; do not steal; do not desire what belongs to someone else"-all these, and any others besides, are summed up in the one command, "Love your neighbor as you love yourself."

 

[文語訳]それ『姦淫する勿れ、殺すなかれ、盜むなかれ、貪るなかれ』と云へるこの他なほ誡命ありとも『おのれの如く隣を愛すべし』といふ言の中にみな篭(こも)るなり。

 

[塚本訳]なぜなら、“姦淫をしてはならない、殺してはならない、盗んではならない、(人のものを)欲しがってはならない”など、このほかにどんな掟があっても、“隣の人を自分のように愛せよ”というこの一言に帰するからである。"

 

[前田訳]姦淫するな、殺すな、盗むな、もさぼるな、そのほかどんな掟があっても、隣びとを自分のように愛せよ、のひとことにまとまるからです。

 

[岩波版・佐藤訳]あなたがたは姦淫を犯してはならない、殺してはならない、盗んではならない、〔悪しき〕欲望をもってはならないということや、その他のどんな誡めも、あなたの隣人をあなた自身として愛するであろう、というこの言葉に要約されるからである。

 

引照

[参考文献 NESTLE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 24,27版(独), SCOFIELD  STUDY BIBLE(米),

THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE(英), THE NEW JERUSALEM BIBLE(仏)新共同訳(日)]

 

口語訳 申  5: 17-21あなたは殺してはならない。あなたは姦淫してはならない。あなたは盗んではならない。あなたは隣人について偽証してはならない。あなたは隣人の 妻をむさぼってはならない。また隣人の家、畑、しもべ、はしため、牛、ろば、またすべて隣人のものをほしがってはならない』。

 

口語訳 マタ 19:18-19

19:18 彼は言った、「どのいましめですか」。イエスは言われた、「『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証を立てるな。

19:19 父と母とを敬え』。また『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』」。

 

口語訳 レビ 19:18 あなたはあだを返してはならない。あなたの民の人々に恨みをいだいてはならない。あなた自身のようにあなたの隣人を愛さなければならない。わたしは主である。

 

口語訳 ガラ 5:14 律法の全体は、「自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ」というこの一句に尽きるからである。

 

● 解釈と黙想  愛の行動は律法で決められない。決めようと思うから「いがみ合い」となる。

 

 

 

ローマ人への手紙13章10節

 

 [口語訳] 愛は隣り人に害を加えることはない。だから、愛は律法を完成するものである。

 

[新改訳] 愛は隣人に対して害を与えません。それゆえ、愛は律法を全うします。

 

[新共同訳] 愛は隣人に悪を行いません。だから、愛は律法を全うするものです。

 

[TEV] If you love others, you will never do them wrong; to love, then, is to obey the whole Law.

 

[文語訳]愛は隣を害(そこな)はず、この故に愛は律法の完全なり。

 

[塚本訳]愛は隣の人に悪事を働かない。だから愛は律法の完成である。

 

[前田訳]愛は隣びとに悪をはたらきません。それゆえ愛は律法の完成です。

 

[岩波版・佐藤訳]愛は隣人に対して悪を働くことはない。それゆえに愛は律法の満たされたものなのである。

 

引照

[参考文献 NESTLE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 24,27版(独), SCOFIELD  STUDY BIBLE(米),

THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE(英), THE NEW JERUSALEM BIBLE(仏)新共同訳(日)]

 

口語訳 マタ 7:12 だから、何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ。これが律法であり預言者である。

 

      解釈と黙想  

しかし実際のところ生まれつきの肉のままではこれを実行できない。神の霊をいただかないと人を赦せず愛せない。だから新約が必要。十字架が必要。救いが必要。

 

 

 

ローマ人への手紙13章11節

 

[口語訳] なお、あなたがたは時を知っているのだから、特に、この事を励まねばならない。すなわち、あなたがたの眠りからさめるべき時が、すでにきている。なぜなら今は、わたしたちの救が、初め信じた時よりも、もっと近づいているからである。

 

[新改訳] あなたがたは、今がどのような時か知っているのですから、このように行ないなさい。あなたがたが眠りからさめるべき時刻がもう来ています。というのは、私たちが信じたころよりも、今は救いが私たちにもっと近づいているからです。

 

[新共同訳] 更に、あなたがたは今がどんな時であるかを知っています。あなたがたが眠りから覚めるべき時が既に来ています。今や、わたしたちが信仰に入ったころよりも、救いは近づいているからです。

 

[TEV] You must do this, because you know that the time has come for you to wake up from your sleep. For the moment when we will be saved is closer now than it was when we first believed.

[文語訳]なんぢら時を知る故に、いよいよ然(しか)なすべし。今は眠より覺(さ)むべき時なり。始めて信ぜし時よりも今は我らの救近ければなり。

 

[塚本訳]しかも、あなた達は今の時代を、すなわちもはや眠りからさめるべき時であることを、よく知っている(のだから、なおさらのことである。)今は、信仰に入った時よりも、わたし達の救いが近づいているのである。

 

[前田訳]ご存じのようにこの時代はすでにあなた方が眠りから覚めるべきときです。今は信仰に入ったときよりも、われらの救いは近いのです。

 

[岩波版・佐藤訳]以上のことを、あなたがたは時をわきまえつつ〔なすように努めなさい〕。すでにあなたがたが眠りから覚めるべき時節が〔来ている〕からである。今や私たちの救いは、私が信仰に入った時よりも、さらに近づいて来ている。

 

引照

[参考文献 NESTLE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 24,27版(独), SCOFIELD  STUDY BIBLE(米),

THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE(英), THE NEW JERUSALEM BIBLE(仏)新共同訳(日)]

 

新共同 マタ 26:45

26:45 それから、弟子たちのところに戻って来て言われた。「あなたがたはまだ眠っている。休んでいる。時が近づいた。人の子は罪人たちの手に引き渡される。

 

新共同 Tコリ7:29

7:29 兄弟たち、わたしはこう言いたい。定められた時は迫っています。今からは、妻のある人はない人のように、

 

新共同 エペ 5:14

5:14 明らかにされるものはみな、光となるのです。それで、こう言われています。「眠りについている者、起きよ。死者の中から立ち上がれ。そうすれば、キリストはあなたを照らされる。」

 

新共同 Tテサ5:5

5:5 あなたがたはすべて光の子、昼の子だからです。わたしたちは、夜にも暗闇にも属していません。

 

新共同 ヨハ 4:23

4:23 しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。

 

新共同 Tコリ10:11

10:11 これらのことは前例として彼らに起こったのです。それが書き伝えられているのは、時の終わりに直面しているわたしたちに警告するためなのです。

 

新共同 Tペテ4:7

4:7 万物の終わりが迫っています。だから、思慮深くふるまい、身を慎んで、よく祈りなさい。

 

新共同 Uペテ3:9

3:9 ある人たちは、遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです。

 

新共同 Uペテ3:11

3:11 このように、すべてのものは滅び去るのですから、あなたがたは聖なる信心深い生活を送らなければなりません。

 

新共同 Tヨハ2:18

2:18 子供たちよ、終わりの時が来ています。反キリストが来ると、あなたがたがかねて聞いていたとおり、今や多くの反キリストが現れています。これによって、終わりの時が来ていると分かります。

 

新共同 黙  1:3

1:3 この預言の言葉を朗読する人と、これを聞いて、中に記されたことを守る人たちとは幸いである。時が迫っているからである。

 

新共同 黙  22:10

22:10 また、わたしにこう言った。「この書物の預言の言葉を、秘密にしておいてはいけない。時が迫っているからである。

 

口語訳 マコ 13:37

13:37 目をさましていなさい。わたしがあなたがたに言うこの言葉は、すべての人々に言うのである」。

 

口語訳 Tコリ15:34

15:34 目ざめて身を正し、罪を犯さないようにしなさい。あなたがたのうちには、神について無知な人々がいる。あなたがたをはずかしめるために、わたしはこう言うのだ。

 

新改訳 エペ 5:13-14

5:13 けれども、明るみに引き出されるものは、みな、光によって明らかにされます。

5:14 明らかにされたものはみな、光だからです。それで、こう言われています。「眠っている人よ。目をさませ。死者の中から起き上がれ。そうすれば、キリストが、あなたを照らされる。」

 

● 解釈と黙想    人は人生の惰眠(ヒルティの好きな言葉)からいつ醒めるかは神の思いの内にあること。人間が呼び起こすことも呼び覚ますこともできない。そこが私達の悲しみと悩み。

 

口語訳 雅  2:7

2:7 エルサレムの娘たちよ、わたしは、かもしかと野の雌じかをさして、あなたがたに誓い、お願いする、愛のおのずから起るときまでは、ことさらに呼び起すことも、さますこともしないように。

 

● 解釈と黙想   これが難しい。一生祈って待っても信仰に目覚めないで死んでいく肉親がいる。つらく悲しい。どう考えたらよいのか、パウロ先生に伺いたい。

 

 

 

ローマ人への手紙13章12節

 

[口語訳] 夜はふけ、日が近づいている。それだから、わたしたちは、やみのわざを捨てて、光の武具を着けようではないか。

 

[新改訳] 夜はふけて、昼が近づきました。ですから、私たちは、やみのわざを打ち捨てて、光の武具を着けようではありませんか。

 

[新共同訳] 夜は更け、日は近づいた。だから、闇の行いを脱ぎ捨てて光の武具を身に着けましょう。

 

[TEV] The night is nearly over, day is almost here. Let us stop doing the things that belong to the dark, and let us take up weapons for fighting in the light.

 

[文語訳]夜ふけて日近づきぬ、然れば我ら暗黒(くらき)の業をすてて光明(ひかり)の甲(よろひ)を著(き)るべし。"

 

[塚本訳]夜がふけて、(最後の)日が近づいた。だから闇の業をぬぎすて、光りの武具をつけようではないか。

 

[前田訳]"夜がふけて、日が近づきました。闇のわざを脱ぎ捨てて、光の武具を身につけましょう。"

[岩波版・佐藤訳]夜はふけた。日が近づいて来ている。それゆえに私たちは、闇の業を脱ぎ捨てようではないか。〔そして〕光の武具を〔身に〕着けようではないか。

 

引照

[参考文献 NESTLE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 24,27版(独), SCOFIELD  STUDY BIBLE(米),

THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE(英), THE NEW JERUSALEM BIBLE(仏)新共同訳(日)]

 

新共同 エペ 5:10-12

5:10 何が主に喜ばれるかを吟味しなさい。

5:11 実を結ばない暗闇の業に加わらないで、むしろ、それを明るみに出しなさい。

5:12 彼らがひそかに行っているのは、口にするのも恥ずかしいことなのです。

 

新共同 Tヨハ2:8 しかし、わたしは新しい掟として書いています。そのことは、イエスにとってもあなたがたにとっても真実です。闇が去って、既にまことの光が輝いているからです。

 

新改訳 Uコリ10:4-6

10:4 私たちの戦いの武器は、肉の物ではなく、神の御前で、要塞をも破るほどに力のあるものです。

10:5 私たちは、さまざまの思弁と、神の知識に逆らって立つあらゆる高ぶりを打ち砕き、すべてのはかりごとをとりこにしてキリストに服従させ、

10:6 また、あなたがたの従順が完全になるとき、あらゆる不従順を罰する用意ができているのです。

 

口語訳 エペ 6:11 悪魔の策略に対抗して立ちうるために、神の武具で身を固めなさい。

 

口語訳 エペ 6:13-17

6:13 それだから、悪しき日にあたって、よく抵抗し、完全に勝ち抜いて、堅く立ちうるために、神の武具を身につけなさい。

6:14 すなわち、立って真理の帯を腰にしめ、正義の胸当を胸につけ、

6:15 平和の福音の備えを足にはき、

6:16 その上に、信仰のたてを手に取りなさい。それをもって、悪しき者の放つ火の矢を消すことができるであろう。

6:17 また、救のかぶとをかぶり、御霊の剣、すなわち、神の言を取りなさい。

 

口語訳 ヨハ 4:23 しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊とまこととをもって父を礼拝する時が来る。そうだ、今きている。父は、このような礼拝をする者たちを求めておられるからである。

 

口語訳 エペ 5:14 明らかにされたものは皆、光となるのである。だから、こう書いてある、/「眠っている者よ、起きなさい。死人のなかから、立ち上がりなさい。そうすれば、キリストがあなたを照すであろう」。

 

新共同 Tテサ5:6 従って、ほかの人々のように眠っていないで、目を覚まし、身を慎んでいましょう。

 

口語訳 使  19:2-4

19:2 彼らに「あなたがたは、信仰にはいった時に、聖霊を受けたのか」と尋ねたところ、「いいえ、聖霊なるものがあることさえ、聞いたことがありません」と答えた。

19:3 「では、だれの名によってバプテスマを受けたのか」と彼がきくと、彼らは「ヨハネの名によるバプテスマを受けました」と答えた。

19:4 そこで、パウロが言った、「ヨハネは悔改めのバプテスマを授けたが、それによって、自分のあとに来るかた、すなわち、イエスを信じるように、人々に勧めたのである」。

 

口語訳 Tコリ7:29-31

7:29 兄弟たちよ。わたしの言うことを聞いてほしい。時は縮まっている。今からは妻のある者はないもののように、

7:30 泣く者は泣かないもののように、喜ぶ者は喜ばないもののように、買う者は持たないもののように、

7:31 世と交渉のある者は、それに深入りしないようにすべきである。なぜなら、この世の有様は過ぎ去るからである。

 

口語訳 ヤコ 5:8 あなたがたも、主の来臨が近づいているから、耐え忍びなさい。心を強くしていなさい。

 

新改訳 Tペテ4:7 万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。

 

新共同 Uペテ3:9 ある人たちは、遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです。

 

新共同 Uペテ3:11 このように、すべてのものは滅び去るのですから、あなたがたは聖なる信心深い生活を送らなければなりません。

 

新共同 Tヨハ2:18 子供たちよ、終わりの時が来ています。反キリストが来ると、あなたがたがかねて聞いていたとおり、今や多くの反キリストが現れています。これによって、終わりの時が来ていると分かります。

 

新共同 黙  1:3 この預言の言葉を朗読する人と、これを聞いて、中に記されたことを守る人たちとは幸いである。時が迫っているからである。

 

 

口語訳 ヘブ 10:25 ある人たちがいつもしているように、集会をやめることはしないで互に励まし、かの日が近づいているのを見て、ますます、そうしようではないか。

 

口語訳 Tテサ5:8 しかし、わたしたちは昼の者なのだから、信仰と愛との胸当を身につけ、救の望みのかぶとをかぶって、慎んでいよう。

 

 

 

ローマ人への手紙13章13節

 

[口語訳] そして、宴楽と泥酔、淫乱と好色、争いとねたみを捨てて、昼歩くように、つつましく歩こうではないか。

 

[新改訳] 遊興、酩酊、淫乱、好色、争い、ねたみの生活ではなく、昼間らしい、正しい生き方をしようではありませんか。

 

[新共同訳] 日中を歩むように、品位をもって歩もうではありませんか。酒宴と酩酊、淫乱と好色、争いとねたみを捨て、

 

[TEV] Let us conduct ourselves properly, as people who live in the light of day-no orgies or drunkenness, no immorality or indecency, no fighting or jealousy.

 

[文語訳]晝のごとく正しく歩みて宴樂(えんらく)・醉酒(すいしゅ)に、淫樂(いんらく)・好色に、爭鬪・嫉妬に歩むべきに非ず。"

 

[塚本訳]昼間にふさわしく、きちんとして生活しようではないか、酒宴と酩酊でなく、淫楽と放蕩でなく、喧嘩と嫉妬でなく。

 

[前田訳]日のあるとき、折り目正しく歩みましょう、宴会と酩酊でなく、淫乱と放蕩でなく、争いと妬みでなく。

 

[岩波版・佐藤訳]日中におけるように、品位のある仕方で、私たちは歩もうではないか。酒宴や泥酔によってではなく、淫乱と放縦によってでもなく、争いや妬みによってでもなく――。

 

引照

[参考文献 NESTLE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 24,27版(独), SCOFIELD  STUDY BIBLE(米),

THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE(英), THE NEW JERUSALEM BIBLE(仏)新共同訳(日)]

 

● 解釈と黙想  この13 節と次の14節はアウグスチヌスが32歳に回心のときに読んだ有名な個所。「告白」第八巻12章。人は時が来るまで惰眠の中にあり、神の召したもうときに 目覚める。それはこの世でも次の世でも人間であればいつかその時がくるものと信じる。キリストを信じないで死んだ肉親も来世で回心のチャンスがあると信じ る。神は無駄に人間を創造しないはずだ。

 

口語訳 ルカ 21:34

21:34 あなたがたが放縦や、泥酔や、世の煩いのために心が鈍っているうちに、思いがけないとき、その日がわなのようにあなたがたを捕えることがないように、よく注意していなさい。

 

新共同 Tテサ4:12

4:12 そうすれば、外部の人々に対して品位をもって歩み、だれにも迷惑をかけないで済むでしょう。

 

新共同 ロマ 1:28-31

1:28 彼らは神を認めようとしなかったので、神は彼らを無価値な思いに渡され、そのため、彼らはしてはならないことをするようになりました。

1:29 あらゆる不義、悪、むさぼり、悪意に満ち、ねたみ、殺意、不和、欺き、邪念にあふれ、陰口を言い、

1:30 人をそしり、神を憎み、人を侮り、高慢であり、大言を吐き、悪事をたくらみ、親に逆らい、

1:31 無知、不誠実、無情、無慈悲です。

 

      解釈と黙想  

これがこの世の実態であり、 私の心の状態でもある。キリストを何年も信じているといえどもこの有様。いつまでたってもよくなれない。清くなれない。土の器。死ぬまでこのままかもしれ ない。しかし自己卑下ばかりしていては神に申し訳ない。神は土の器に天の宝を盛る。人間は死ぬまでよくはならないのだ。しかしこの身が土の器のようにみじ めで穢れた様であればあるほど神の絶対恩恵の救いが目立つようになる。人間は努力してもついによくなれない存在だ。私達は神の一方的な絶対恩恵で昼の子、 光の子にさせられたの「だから」しっかり歩こうではないかと言うのがパウロの言わんとするところ。キリストはわれわれの努力目標ではない。努力してもキリ ストのようになれるものではない。たとえ人間の努力でそうなれたとしても人間の名誉はあがっても神の名誉はあがらない。神の顔が立たない。

 

 

 

ローマ人への手紙13章14節

 

[口語訳] あなたがたは、主イエス・キリストを着なさい。肉の欲を満たすことに心を向けてはならない。

 

[新改訳] 主イエス・キリストを着なさい。肉の欲のために心を用いてはいけません。

 

[新共同訳] 主イエス・キリストを身にまといなさい。欲望を満足させようとして、肉に心を用いてはなりません。

 

[TEV] But take up the weapons of the Lord Jesus Christ, and stop paying attention to your sinful nature and satisfying its desires.

 

[文語訳]ただ汝ら主イエス・キリストを衣(き)よ、肉の慾のために備(そなへ)すな。

 

[塚本訳]主イエス・キリストを着なさい。肉をいたわるのはよいが、情欲に陥らないように。

 

[前田訳]"主イエス・キリストを着なさい。肉の思いを欲望にしないように。

 

[岩波版・佐藤訳]むしろあなたがたは、主イエス・キリストを着なさい。そして欲望をかき立てる肉の思いを抱くことのないようにしなさい。

 

 

引照

[参考文献 NESTLE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 24,27版(独), SCOFIELD  STUDY BIBLE(米),

THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE(英), THE NEW JERUSALEM BIBLE(仏)新共同訳(日)]

 

新共同 ガラ 3:26-27

3:26 あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。

3:27 洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。

 

●  解釈と黙想  キリストを着せられたとはありがたい言葉。ぼろの服から上等の服にかえられた。放蕩息子は帰ったきたとき父から最上等の着物を着せられ た。(ルカ15:22)。私達はぼろの醜い過去の人生を神によって精算していただける。そして清い服で新しく歩ませていただける。ああ、ありがたい。あり がたい。

 

口語訳 Tコリ9:27

9:27 すなわち、自分のからだを打ちたたいて服従させるのである。そうしないと、ほかの人に宣べ伝えておきながら、自分は失格者になるかも知れない。

 

新共同 コロ 2:23

2:23 これらは、独り善がりの礼拝、偽りの謙遜、体の苦行を伴っていて、知恵のあることのように見えますが、実は何の価値もなく、肉の欲望を満足させるだけなのです。

 

      解釈と黙想 

宗教的修行では肉の欲望を絶てない。人間にとって道徳的向上の努力のエネルギーは最大といわれる。しかし人間はいつまでも人間のまま。そこに人類の苦悩がある。福音はその人間苦から我々を解放する。

 

新共同 ヨブ 29:14

29:14 わたしは正義を衣としてまとい/公平はわたしの上着、また冠となった。

 

新共同 エペ 4:24

4:24 神にかたどって造られた新しい人を身に着け、真理に基づいた正しく清い生活を送るようにしなければなりません。

 

新共同 コロ 3:10

3:10 造り主の姿に倣う新しい人を身に着け、日々新たにされて、真の知識に達するのです。

 

新共同 コロ 3:12

3:12 あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。

 

口語訳 ガラ 5:16

5:16 わたしは命じる、御霊によって歩きなさい。そうすれば、決して肉の欲を満たすことはない。

 

● 解釈と黙想 この世の楽しみより神との交わりのほうが楽しく面白いということが現実になると本物。日曜日をどう過ごすかがバロメータ。パウロは酒宴と酩酊(13節塚本訳)というが、今日ではゴルフ, マージャンか。わたしはかって誘われて一回ゴルフをやったが生あくびばかりがでて、こんなにつまらないものはないと思った。案の定、何千万円もしたゴルフ の会員権は今日では紙くず同様。また各地方自治体もゴルフ場建設は規制している。結構なことである。羽田着陸前に千葉県を飛行機の上から見るとゴルフ場で 禿山だらけ、みっともない。美しくない。

 

新改訳 Tペテ2:11

2:11 愛する者たちよ。あなたがたにお勧めします。旅人であり寄留者であるあなたがたは、たましいに戦いをいどむ肉の欲を遠ざけなさい。

 

      解釈と黙想

 私達は旅人また寄留者。この旅人は楽しいところに向かって行くのでつぎのような歌は歌わない。

 

やまのあなたの空遠く

「幸」住むと人のいふ。

噫(ああ)、われひとと尋(と)めゆきて

涙さしぐみ、かへりきぬ。

山のあなたになほ遠く

「幸」住むと人のいふ。

 

これはカール・ブッセの詩で、上田敏の名訳である。「海潮音」。ソナタ形式になっているところが心に残る原因である。わたしは若い日にこの名訳の詩が好きだったが、クリスチャンになってから変わった。いまでは次の詩のほうが心満たされる。

 

口語訳 詩  107:1

107:1 「主に感謝せよ、主は恵みふかく、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない」と、

 

これ私達「キリストへの旅人」の歌である。

 

 

 

人は赦せるか

 

  キリスト教は「罪の赦し」の宗教である。しかしそれが人間にとって実行不可能であればイエスの贖罪死は無駄であった。果たして人は赦せるか。実行可能か。 結論を先にいえば人間の努力では無理。神の霊に満たされるときに「赦しとやわらぎ」(賛美歌501)の心が与えられる。これは不思議な現象で実在。パウロ のロマ書は12章以下でそのことを言うのである。12章の冒頭は「だから」ではじまる。11章までで救いの原理を説いたパウロは、救いは現実だ。「だか ら」人を赦せ。というのである。

あ なた達はすでに人を赦せるようになっているのだ、という。神の霊を頂かなければ人間はどんなに「努力」しても人を赦せない。赦したと思っていてもそれは高 々「無関心」でいるだけ。相手が不幸にでもなれば「天罰」とひそかに喜ぶ。これは人を心から赦していない証拠。赦さない、赦せないときの屁理屈というのは 「相手を反省させる。義を貫徹させる。何が正しいことかを目覚めさせてやる、相手のためにはそれがよい」などである。人生問題のゴタゴタは大抵この一点に 尽きる。今アメリカは頭では赦さなければならないと思っていても「体がいうことをきかない」のでさかんに「報復、復讐、ラディンを裁きの場に引き出す」と 叫んでいる。これを逆ギレという。

人はまず自分が十字架の血で罪を赦していただくとき初めて人を赦せる。神は人間の罪を「タダ」では赦さなかった。我が子を十字架で殺してその血で我々の罪を洗った。我々はそれを素直に受け入れて信ずれば罪の鎖、不自由な心の重荷から解放される。

 

2001.11.17        高橋照男

 

 

 

表  題 ・ 要  約

 

兄弟を裁いてはならない(14:1−12)・・・新共同訳

 

第12章―15章 根本的な震撼・・・バルト

      自由の危機(14:1−15:13)

 

第6部 12章1節―15章13節 キリスト教的日常生活における神の義・・・ケーゼマン

(二)   14:1−15:13 特殊的勧告――教会における強き者と弱き者

1 キリスト教的連帯性の範囲と限界(14:1−12)

 

第3部 キリストの者たちへの生活訓(12:1−15:13)・・・アルトハウスNTD

(七)信仰の弱い者たちと強い者たちの交わりを回復する道(14:1−15:13)

 a 両グループに告げられた指示――裁くことなく、互いを慰めよ! 君たちすべてがキリストの者ではないか(14:1−12)

 

C 勧告(12:1−15:13)・・・ヴィルケンスEKK

二 愛の戒めの具体化としての相互の受容(14:1−15:13)

    1 強き者と弱き者に対する勧告のキリスト論的基礎づけ(14:1−12)

 

W実行論 12章1節―15章13節 ・・・黒崎註解新約聖書

() 信仰より行為への通路(12:1−2)

(二)     愛と謙遜(12:3−21)

(三)     対社会関係(13:1−14)

(四)     信徒相互の関係(信仰の強弱)(14:1−15:13)

 

宗教改革的真理の全体的把握をめざして(14章序論)・・・高橋三郎

エクレシアの一致のために(14章1節―15章13節)

 

第2編 倫理的勧告  ・・・フランシスコ会訳

   兄弟を裁くな(14:1−12)

互いの受容(14:1−23)・・・岩波版・青野訳

 

すべては主のため(14:1−12)・・・前田訳

 

第7部     信徒への使徒のすすめ ―― 個人、国家、教会にかかわるキリスト信徒の倫理

                  (第12章1節―第15章13節) ・・・八木(講談社)

    信仰の強い者と弱い者のキリストにある一致(14:1−23)

    

信仰は人それぞれ、互いに裁くな(14:1−6)・・・塚本訳

すべては主のため(14:7−12)

互いに裁くな、寛容であれ(13:1−12)・・・白井きく

 

小問題の解決 (14章以下の精神)・・・内村鑑三

 

 

 

ローマ人への手紙14章1節

 

[口語訳] 信仰の弱い者を受けいれなさい。ただ、意見を批評するためであってはならない。

 

[新改訳] あなたがたは信仰の弱い人を受け入れなさい。その意見をさばいてはいけません。

 

[新共同訳] 信仰の弱い人を受け入れなさい。その考えを批判してはなりません。

 

[TEV] Welcome those who are weak in faith, but do not argue with them about their personal opinions.

 

[文語訳]なんぢら信仰の弱き者を容(い)れよ、その思ふところを詰(なじ)るな。

 

[塚本訳]信仰の弱い人をも(あなた達の)仲間に入れてやりなさい。(その人の)考えの違いをかれこれ言わずに。

 

[前田訳]信仰の弱いものをも受け入れなさい。異論をとやかくいわずに。"

 

[岩波版・佐藤訳]また、信仰において弱くなっている者を、あなたがたは受け容れなさい。〔彼らの〕考え方を非難することのないようにしなさい。

 

引照

[参考文献 NESTLE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 24,27版(独), SCOFIELD  STUDY BIBLE(米),

THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE(英), THE NEW JERUSALEM BIBLE(仏)新共同訳(日)]

 

口語訳 ロマ 15:1

15:1 わたしたち強い者は、強くない者たちの弱さをになうべきであって、自分だけを喜ばせることをしてはならない。

 

新共同 Tコリ8:9

8:9 ただ、あなたがたのこの自由な態度が、弱い人々を罪に誘うことにならないように、気をつけなさい。

 

口語訳 Tコリ9:22

9:22 弱い人には弱い者になった。弱い人を得るためである。すべての人に対しては、すべての人のようになった。なんとかして幾人かを救うためである。

 

口語訳 ロマ 15:7

15:7 こういうわけで、キリストもわたしたちを受けいれて下さったように、あなたがたも互に受けいれて、神の栄光をあらわすべきである。

 

新共同 ピレ 1:17

1:17 だから、わたしを仲間と見なしてくれるのでしたら、オネシモをわたしと思って迎え入れてください。

 

口語訳 Tテサ5:14

5:14 兄弟たちよ。あなたがたにお勧めする。怠惰な者を戒め、小心な者を励まし、弱い者を助け、すべての人に対して寛容でありなさい。

 

口語訳 使  28:2

28:2 土地の人々は、わたしたちに並々ならぬ親切をあらわしてくれた。すなわち、降りしきる雨や寒さをしのぐために、火をたいてわたしたち一同をねぎらってくれたのである。

 

塚本ロマ 11:15

11:15 もし彼らの捨てられることが、世界の和解となるならば、彼らが受け入れられることは、死者の中からの命でなくて何でしょう。

 

新共同 ロマ 14:3

14:3 食べる人は、食べない人を軽蔑してはならないし、また、食べない人は、食べる人を裁いてはなりません。神はこのような人をも受け入れられたからです。

 

●  解釈と黙想  ブルンナーが来日したとき、日本ではクリスチャンになろうとすると酒もたばこもやめなければならないという風潮があってそれが伝道を阻ん でいることを知り、「それはいけないYMCA当たりで正しい酒たばこの飲み方を教えたらどうだ」と言ったという。この節からすると酒を飲まない人は酒飲み を裁いてはいけないのだ。ただし教会堂に「禁煙」のサインがでるとは考えられないが。

 

新共同 ロマ 14:2

14:2 何を食べてもよいと信じている人もいますが、弱い人は野菜だけを食べているのです。

 

●  解釈と黙想  私はベジタリアン(魚は食べるので準ベジタリアン)になった。信仰と食事はかなり密接である。精神的姿勢として。ベジタリアンで著名な人 はガンジー、フランクリン、アインシュタイン、一説によるとヒルティ、ヒットラー。スポーツ選手では陸上のカール・ルイス、テニスのナブラチロワ、水泳の ローズ。まだ他にもたくさんいるらしい。ここでいう信仰の弱い人は野菜だけを食べるとはどういう意味か。

 

新共同 マタ 12:19-21

12:19 彼は争わず、叫ばず、/その声を聞く者は大通りにはいない。

12:20 正義を勝利に導くまで、/彼は傷ついた葦を折らず、/くすぶる灯心を消さない。

12:21 異邦人は彼の名に望みをかける。」

 

新共同 マタ 14:31

14:31 イエスはすぐに手を伸ばして捕まえ、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われた。

 

新共同 マタ 18:6

18:6 「しかし、わたしを信じるこれらの小さな者の一人をつまずかせる者は、大きな石臼を首に懸けられて、深い海に沈められる方がましである。

 

新共同 マタ 18:10

18:10 「これらの小さな者を一人でも軽んじないように気をつけなさい。言っておくが、彼らの天使たちは天でいつもわたしの天の父の御顔を仰いでいるのである。

 

新共同 マタ 10:40-42

10:40 「あなたがたを受け入れる人は、わたしを受け入れ、わたしを受け入れる人は、わたしを遣わされた方を受け入れるのである。

10:41 預言者を預言者として受け入れる人は、預言者と同じ報いを受け、正しい者を正しい者として受け入れる人は、正しい者と同じ報いを受ける。

10:42 はっきり言っておく。わたしの弟子だという理由で、この小さな者の一人に、冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける。」

 

新共同 ヨハ 13:20

13:20 はっきり言っておく。わたしの遣わす者を受け入れる人は、わたしを受け入れ、わたしを受け入れる人は、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。」

 

新共同 ルカ 24:38

24:38 そこで、イエスは言われた。「なぜ、うろたえているのか。どうして心に疑いを起こすのか。

 

● 解釈と黙想  信仰とい うのは経験を積んで徐々に形成されていくものらしい。段階がある。一気にはじめから使徒信条の全部が信じられるということではない。人生を通じて次第にそ いの真理に目覚めていくものだ。だから信仰の初期の人を裁いてはいけないと言うのである。使徒信条を信じるか信じないかが洗礼の資格や教会員たる資格のよ うに考えるところに教会制度の無理がある。

 

 

 

ローマ人への手紙14章2節

 

[口語訳] ある人は、何を食べてもさしつかえないと信じているが、弱い人は野菜だけを食べる。

 

[新改訳] 何でも食べてよいと信じている人もいますが、弱い人は野菜よりほかには食べません。

 

[新共同訳] 何を食べてもよいと信じている人もいますが、弱い人は野菜だけを食べているのです。

 

[TEV] Some people's faith allows them to eat anything, but the person who is weak in the faith eats only vegetables.

 

[文語訳]或人は凡ての物を食ふを可しと信じ、弱き人はただ野菜を食ふ。

 

[塚本訳](信仰は人それぞれで、たとえば、)ある人は(信仰が強くて肉でも)なんでも食べてよいと信じており、(信仰の)弱い人は野菜(だけ)を食べる。

 

[前田訳]ある人は何でも食べうると信じ、弱い人は野菜だけを食べます。

 

[岩波版・佐藤訳]ある者はすべてのものを食べること〔がゆるされていると〕信じているが、しかし弱くなっている者は野菜〔だけ〕をたべる。

 

引照

[参考文献 NESTLE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 24,27版(独), SCOFIELD  STUDY BIBLE(米),

THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE(英), THE NEW JERUSALEM BIBLE(仏)新共同訳(日)]

 

 

新共同 創  1:29

1:29 神は言われた。「見よ、全地に生える、種を持つ草と種を持つ実をつける木を、すべてあなたたちに与えよう。それがあなたたちの食べ物となる。

 

新共同 創  1:29

1:29 神は言われた。「見よ、全地に生える、種を持つ草と種を持つ実をつける木を、すべてあなたたちに与えよう。それがあなたたちの食べ物となる。

 

新共同 創  9:3

9:3 動いている命あるものは、すべてあなたたちの食糧とするがよい。わたしはこれらすべてのものを、青草と同じようにあなたたちに与える。

 

新共同 ロマ 14:14

14:14 それ自体で汚れたものは何もないと、わたしは主イエスによって知り、そして確信しています。汚れたものだと思うならば、それは、その人にだけ汚れたものです。

 

新共同 ロマ 15:1

15:1 わたしたち強い者は、強くない者の弱さを担うべきであり、自分の満足を求めるべきではありません。

 

新共同 Tコリ8:9

8:9 ただ、あなたがたのこの自由な態度が、弱い人々を罪に誘うことにならないように、気をつけなさい。

 

新共同 Tコリ9:22

9:22 弱い人に対しては、弱い人のようになりました。弱い人を得るためです。すべての人に対してすべてのものになりました。何とかして何人かでも救うためです。

 

新共同 テト 1:15

1:15 清い人には、すべてが清いのです。だが、汚れている者、信じない者には、何一つ清いものはなく、その知性も良心も汚れています。

 

● 解釈と黙想  信仰が形 を規定するようになると教派主義になって「いがみ合い」が生じる。また信仰が人生の「標準コース」なるものを決め出すとそれにはずれた者たちが排除され る。イエスはユダヤ教の規定や標準コースからはずれた生き方をしたので殺された。断食問答(マタイ9:14−17)洗わぬ手(マタイ15:1−20)。イ エスは酒を飲んだらしい(マタイ11:19)

 

 

 

ローマ人への手紙14章3節

 

[口語訳] 食べる者は食べない者を軽んじてはならず、食べない者も食べる者をさばいてはならない。神は彼を受けいれて下さったのであるから。

 

[新改訳] 食べる人は食べない人を侮ってはいけないし、食べない人も食べる人をさばいてはいけません。神がその人を受け入れてくださったからです。

 

[新共同訳] 食べる人は、食べない人を軽蔑してはならないし、また、食べない人は、食べる人を裁いてはなりません。神はこのような人をも受け入れられたからです。

 

[TEV] The person who will eat anything is not to despise the one who doesn't; while the one who eats only vegetables is not to pass judgment on the one who will eat anything; for God has accepted that person.

 

[文語訳]食(くら)ふ者は食(くら)はぬ者を蔑(なみ)すべからず、食(くら)はぬ者は食(くら)ふ者を審(さば)くべからず、神は彼を容(い)れ給へばなり。

 

[塚本訳](肉)を食べる人は食べない人を軽蔑してはならないし、(肉を)食べない人は食べる人を裁いてはならない。神はその人をも(聖徒の)仲間にお入れになったのだから。"

 

[前田訳](何でも)食べる人は食べない人をあなどらず、食べない人は食べる人を裁かないように。神はそのような人をもお受け入れですから。"

 

[岩波版・佐藤訳]食べる者は食べない者を軽んじてはならない。また食べない者は食べる者をさばいてはならない。なぜならば、神はその人を受け容れてくださったからである。

 

引照

[参考文献 NESTLE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 24,27版(独), SCOFIELD  STUDY BIBLE(米),

THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE(英), THE NEW JERUSALEM BIBLE(仏)新共同訳(日)]

 

口語訳 Tコリ10:25-27

10:25 すべて市場で売られている物は、いちいち良心に問うことをしないで、食べるがよい。

10:26 地とそれに満ちている物とは、主のものだからである。

10:27 もしあなたがたが、不信者のだれかに招かれて、そこに行こうと思う場合、自分の前に出される物はなんでも、いちいち良心に問うことをしないで、食べるがよい。

 

● 解釈と黙想  せっかく提供した梨に対し「農薬のにおいがする」と言って食べた人がいた。かって宣教師は出された苦手の刺身を目を白黒させながら食べたと言う。

 

新共同 コロ 2:16 だから、あなたがたは食べ物や飲み物のこと、また、祭りや新月や安息日のことでだれにも批評されてはなりません。

 

新共同 ロマ 14:13

14:13 従って、もう互いに裁き合わないようにしよう。むしろ、つまずきとなるものや、妨げとなるものを、兄弟の前に置かないように決心しなさい。

 

● 解釈と黙想 米国では社会生活で宗教と政治の話は禁句という。日本でも同じ。

 

新改訳 使  28:2

28:2 島の人々は私たちに非常に親切にしてくれた。おりから雨が降りだして寒かったので、彼らは火をたいて私たちみなをもてなしてくれた。

 

新改訳 マタ 18:10

18:10 あなたがたは、この小さい者たちを、ひとりでも見下げたりしないように気をつけなさい。まことに、あなたがたに告げます。彼らの天の御使いたちは、天におられるわたしの父の御顔をいつも見ているからです。

 

新共同 マタ 7:1-2

7:1 「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。

7:2 あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる。

 

 

 

ローマ人への手紙14章4節

 

[口語訳] 他人の僕をさばくあなたは、いったい、何者であるか。彼が立つのも倒れるのも、その主人によるのである。しかし、彼は立つようになる。主は彼を立たせることができるからである。

 

[新改訳] あなたはいったいだれなので、他人のしもべをさばくのですか。しもべが立つのも倒れるのも、その主人の心次第です。このしもべは立つのです。なぜなら、主には、彼を立たせることができるからです。

 

[新共同訳] 他人の召し使いを裁くとは、いったいあなたは何者ですか。召し使いが立つのも倒れるのも、その主人によるのです。しかし、召し使いは立ちます。主は、その人を立たせることがおできになるからです。

 

[TEV] Who are you to judge the servants of someone else? It is their own Master who will decide whether they succeed or fail. And they will succeed, because the Lord is able to make them succeed.

 

[文語訳]なんぢ如何なる者なれば、他人の僕を審くか、彼が立つも倒(たふ)るるもその主人に由れり。彼は必ず立てられん、主は能(よ)く之を立たせ給ふベし。"

 

[塚 本訳]いったい何者なれば、あなたは他人[主キリスト]の僕(であるその人)を裁くのか、(あなた自身も僕でありながら。)彼が立っているのも倒れるの も、その主人(の考え)によるのである。しかし彼はしっかり立っていることができるであろう。主人は彼を立てる力をもっているのだから。"

 

[前田訳]他人の僕を裁くとは、あなたは何ものですか。彼が立つも倒れるもその主人次第です。彼は立ちえましょう。主人には彼を立たせる力がありますから。

 

[岩波版・佐藤訳]他人の僕をさばいているあなたは、〔いったい〕何者なのか。彼は彼自身の主によって、立ちもし、あるいは倒れもするのである。しかし、彼は立たせられるであろう。主は彼を立たせることができるからである。

 

引照

[参考文献 NESTLE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 24,27版(独), SCOFIELD  STUDY BIBLE(米),

THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE(英), THE NEW JERUSALEM BIBLE(仏)新共同訳(日)]

 

新共同 マタ 7:1-2

7:1 「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。

7:2 あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる。

 

新共同 ロマ 11:20

11:20 そのとおりです。ユダヤ人は、不信仰のために折り取られましたが、あなたは信仰によって立っています。思い上がってはなりません。むしろ恐れなさい。

 

口語訳 ヘブ 4:11

4:11 したがって、わたしたちは、この安息にはいるように努力しようではないか。そうでないと、同じような不従順の悪例にならって、落ちて行く者が出るかもしれない。

 

口語訳 コロ 2:16

2:16 だから、あなたがたは、食物と飲み物とにつき、あるいは祭や新月や安息日などについて、だれにも批評されてはならない。

 

新共同 Tコリ10:12 だから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけるがよい。

 

新共同 ロマ 9:20 人よ、神に口答えするとは、あなたは何者か。造られた物が造った者に、「どうしてわたしをこのように造ったのか」と言えるでしょうか。

 

●  解釈と黙想  一人一人の主人は神である。神はその一人一人を立たせることができるとは、ありがたいことである。真の教育は神ご自身が直接して下さる。 悪いことは人間が注意しなくても神が直接注意してくださる。ちょうど良いときに的確な方法で。これを固く信じることがクリスチャンの処世術。人間がなまじ おせっかいを出すからうまく育たないのかもしれない。ほおっておくのではない、無関心でいるのではない、祈って自分が神にまっすぐ歩んでいれば自分の一番 好きな人に対して神は良くしてくださる。この原理は信仰の実験なくしてはとうてい信じられないこと。

 

 

 

ローマ人への手紙14章5節

 

[口語訳] また、ある人は、この日がかの日よりも大事であると考え、ほかの人はどの日も同じだと考える。各自はそれぞれ心の中で、確信を持っておるべきである。

 

[新改訳] ある日を、他の日に比べて、大事だと考える人もいますが、どの日も同じだと考える人もいます。それぞれ自分の心の中で確信を持ちなさい。

 

[新共同訳] ある日を他の日よりも尊ぶ人もいれば、すべての日を同じように考える人もいます。それは、各自が自分の心の確信に基づいて決めるべきことです。

 

[TEV] Some people think that a certain day is more important than other days, while others think that all days are the same. We each should firmly make up our own minds.

 

[文語訳]或人は此の日を彼の日に勝ると思ひ、或人は凡ての日を等(ひと)しとおもふ、各人おのが心の中に確(かた)く定むベし。

 

[塚本訳]また(たとえば)ある人はある日をほかの日よりも尊いと考え、ある人はどの日も同じと考える。(どちらでよろしい。ただ)ひとりびとりが、自分の心に確信もつことが必要である。"

 

[前田訳]ある人はこの日をかの日よりも重んじ、ある人はどの日も同じように見ます。おのおのが自分の心に確信すべきです。

 

[岩波版・佐藤訳]〔実際〕ある者は、〔ある〕日を〔他の〕日以上のものと判断し、他方である者は、すべての日を〔同じものと〕判断する。各自は自分自身の考えにおいて確信に満ちていなさい。

 

引照

[参考文献 NESTLE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 24,27版(独), SCOFIELD  STUDY BIBLE(米),

THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE(英), THE NEW JERUSALEM BIBLE(仏)新共同訳(日)]

 

口語訳 ガラ 4:9-11

4:9 しかし、今では神を知っているのに、否、むしろ神に知られているのに、どうして、あの無力で貧弱な、もろもろの霊力に逆もどりして、またもや、新たにその奴隷になろうとするのか。

4:10 あなたがたは、日や月や季節や年などを守っている。

4:11 わたしは、あなたがたのために努力してきたことが、あるいは、むだになったのではないかと、あなたがたのことが心配でならない。

 

口語訳 ロマ 4:21

4:21 神はその約束されたことを、また成就することができると確信した。

 

口語訳 イザ 58:13-14

58:13 もし安息日にあなたの足をとどめ、わが聖日にあなたの楽しみをなさず、安息日を喜びの日と呼び、主の聖日を尊ぶべき日ととなえ、これを尊んで、おのが道を行わず、おのが楽しみを求めず、むなしい言葉を語らないならば、

58:14 その時あなたは主によって喜びを得、わたしは、あなたに地の高い所を乗り通らせ、あなたの先祖ヤコブの嗣業をもって、あなたを養う」。これは主の口から語られたものである。

 

口語訳 ヨハ 16:2

16:2 人々はあなたがたを会堂から追い出すであろう。更にあなたがたを殺す者がみな、それによって自分たちは神に仕えているのだと思う時が来るであろう。

 

口語訳 コロ 2:16

2:16 だから、あなたがたは、食物と飲み物とにつき、あるいは祭や新月や安息日などについて、だれにも批評されてはならない。

 

●  解釈と黙想 キリスト教会は一般に日曜日を聖日とするが、その中でもセブンスデーアドベンチストという派は土曜日を聖日としている。無教会は毎日が聖日 との認識があるが、これが週一回の集まり(顔合わせ)を怠る原因でもある。どこかの集会かに属していない人の信仰は「独りよがり」になりやすい。これだけ は律法的に遵守すべきである。経験から言う。

 

 

 

ローマ人への手紙14章6節

 

[口語訳] 日を重んじる者は、主のために重んじる。また食べる者も主のために食べる。神に感謝して食べるからである。食べない者も主のために食べない。そして、神に感謝する。

 

[新改訳] 日を守る人は、主のために守っています。食べる人は、主のために食べています。なぜなら、神に感謝しているからです。食べない人も、主のために食べないのであって、神に感謝しているのです。

 

[新共同訳] 特定の日を重んじる人は主のために重んじる。食べる人は主のために食べる。神に感謝しているからです。また、食べない人も、主のために食べない。そして、神に感謝しているのです。

 

[TEV] Those who think highly of a certain day do so in honor of the Lord; those who will eat anything do so in honor of the Lord, because they give thanks to God for the food. Those who refuse to eat certain things do so in honor of the Lord, and they give thanks to God.

 

[文語訳]日を重んずる者は主のために之を重んず。食(くら)ふ者は主のために食ふ、これ神に感謝すればなり。食(くら)はぬ者も主のために食はず、かつ神に感謝するなり。

 

[塚 本訳]一定の日を(特別に尊く)思う人は、主のために(そう)思う。また(肉でもなんでも無頓着に)食べる人は、主のために食べる。(食事のとき)神に感 謝をささげるのだから、(肉は)食べない人も、主のために食べない。彼も(食事のとき)神に感謝をささげる。(結局、食べるものも食べないのも、主のため である。)"

 

[前田訳]−定の日を気にする人は主のために気にし、(何でも)食べる人は主のために食べます。彼は神に感謝するからです。食べない人も主のために食べないのです。彼も神に感謝するからです。"

[岩波版・佐藤訳]〔ある特定の〕日を重んずる者は、主のために重んずる。また、食べる者も、主のためにたべる。なぜならば、彼は主に感謝しているからである。また、食べない者も、主のために食べないのであり、そして〔やはり〕神に感謝している。

 

引照

[参考文献 NESTLE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 24,27版(独), SCOFIELD  STUDY BIBLE(米),

THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE(英), THE NEW JERUSALEM BIBLE(仏)新共同訳(日)]

 

新共同 Tコリ10:30 わたしが感謝して食べているのに、そのわたしが感謝しているものについて、なぜ悪口を言われるわけがあるのです。

 

口語訳 Tテモ4:3 これらの偽り者どもは、結婚を禁じたり、食物を断つことを命じたりする。しかし食物は、信仰があり真理を認める者が、感謝して受けるようにと、神の造られたものである。

 

      解釈と黙想  キリスト教は信仰の周辺の些細な作法のことで争いあって分派が起こる。その争いを起こすのは、大抵は職業宗教家達。しかし今日は無教会の伝道者達にもそれに似た現象があるから困る。信仰論、社会問題、文化論、教育論、言葉の問題など。みな暇な証拠。

信仰は素人が健全、真実、平和、自由。

 

 

 

ローマ人への手紙14章7節

 

[口語訳] すなわち、わたしたちのうち、だれひとり自分のために生きる者はなく、だれひとり自分のために死ぬ者はない。

 

[新改訳] 私たちの中でだれひとりとして、自分のために生きている者はなく、また自分のために死ぬ者もありません。

 

[新共同訳] わたしたちの中には、だれ一人自分のために生きる人はなく、だれ一人自分のために死ぬ人もいません。

 

[TEV] We do not live for ourselves only, and we do not die for ourselves only.

 

[文語訳]我等のうち己(おのれ)のために生ける者なく、己(おのれ)のために死ぬる者なし。

 

[塚本訳]なぜなら、(キリストを信ずる)わたし達はだれも、自分のためには生きない、また、だれも、自分のためには死なないからである。

 

[前田訳]なぜなら、われらはだれも自分のためには生きず、だれも自分のためには死にませんから。

 

[岩波版・佐藤訳]私たちのうちの誰も、自分自身のために生きてはおらず、また誰も、自分自身のために死にはしない。

 

引照

[参考文献 NESTLE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 24,27版(独), SCOFIELD  STUDY BIBLE(米),

THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE(英), THE NEW JERUSALEM BIBLE(仏)新共同訳(日)]

 

新共同 Uコリ5:15

5:15 その一人の方はすべての人のために死んでくださった。その目的は、生きている人たちが、もはや自分自身のために生きるのではなく、自分たちのために死んで復活してくださった方のために生きることなのです。

 

新共同 ガラ 2:20

2:20 生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです。

 

新共同 ロマ 8:38-39

8:38 わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、

8:39 高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。

 

新共同 Tコリ6:19-20

6:19 知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。

6:20 あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。だから、自分の体で神の栄光を現しなさい。

 

新共同 テト 2:14

2:14 キリストがわたしたちのために御自身を献げられたのは、わたしたちをあらゆる不法から贖い出し、良い行いに熱心な民を御自分のものとして清めるためだったのです。

 

新改訳 ピリ 1:20-24

1:20 それは、私がどういうばあいにも恥じることなく、いつものように今も大胆に語って、生きるにしても、死ぬにしても、私の身によって、キリストのすばらしさが現わされることを求める私の切なる願いと望みにかなっているのです。

1:21 私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。

1:22 しかし、もしこの肉体のいのちが続くとしたら、私の働きが豊かな実を結ぶことになるので、どちらを選んだらよいのか、私にはわかりません。

1:23 私は、その二つのものの間に板ばさみとなっています。私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです。実はそのほうが、はるかにまさっています。

1:24 しかし、この肉体にとどまることが、あなたがたのためには、もっと必要です。

 

      解釈と黙想 

死 ぬのも自分のために死なないとは驚くべき徹底。生きても良し、死んでも良しとは大平安。どんなことがあってもそれは主のためになるとのパウロの心境は徹底 している。生きがいの暮らしがいのと論じているレベルではない。パウロは死にがいに徹している。われわれは死にがいを追求しなければならない。死にがいの 発見が真の生きがいに通じる。

 

 

 

ローマ人への手紙14章8節

 

[口語訳] わたしたちは、生きるのも主のために生き、死ぬのも主のために死ぬ。だから、生きるにしても死ぬにしても、わたしたちは主のものなのである。

 

[新改訳] もし生きるなら、主のために生き、もし死ぬなら、主のために死ぬのです。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。

 

[新共同訳] わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。従って、生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものです。

 

[TEV] If we live, it is for the Lord that we live, and if we die, it is for the Lord that we die. So whether we live or die, we belong to the Lord.

 

[文語訳]われら生くるも主のために生き、死ぬるも主のために死ぬ。然(さ)れば生くるも死ぬるも我らは主の有(もの)なり。

 

[塚本訳]生きれば、主のために生き、死ねば、主のために死ぬのである。だから、生きるにせよ死ぬにせよ、わたし達は主のものである。

 

[前田訳]われらは生きれば主のために生き、死ねば主のために死ぬのです。生きようが死のうが、われらは主のものです。

 

[岩波版・佐藤訳]私たちは生きるにしても、主のために生きるのであり、死ぬにしても、主のために死ぬのだからである。それゆえに、私たちが生きるにしても死ぬにしても、私たちは主のものなのである。

 

引照

[参考文献 NESTLE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 24,27版(独), SCOFIELD  STUDY BIBLE(米),

THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE(英), THE NEW JERUSALEM BIBLE(仏)新共同訳(日)]

 

● 解釈と黙想  前田訳の「生きようが死のうが」は名訳。今の私の心境にぴったり。

 

新共同 ガラ 2:20  生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです。

 

口語訳 Tテサ5:10  キリストがわたしたちのために死なれたのは、さめていても眠っていても、わたしたちが主と共に生きるためである。

 

口語訳 ルカ 20:38  神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神である。人はみな神に生きるものだからである」。

 

● 解釈と黙想  「人はみな神に生きるもの」。これがクリスチャンの人生観。

 

口語訳 マタ 4:9 言った、「もしあなたが、ひれ伏してわたしを拝むなら、これらのものを皆あなたにあげましょう」。

 

● 解釈と黙想  サタンに頭を下げても世界は手中に入らないが、わが身が主のものになれば世界は我が物となる。(第一コリント3:22−23)

新改訳 Tコリ3:22-23

3:22 パウロであれ、アポロであれ、ケパであれ、また世界であれ、いのちであれ、死であれ、また現在のものであれ、未来のものであれ、すべてあなたがたのものです。

3:23 そして、あなたがたはキリストのものであり、キリストは神のものです。

 

口語訳 黙  14:13 またわたしは、天からの声がこう言うのを聞いた、「書きしるせ、『今から後、主にあって死ぬ死人はさいわいである』」。御霊も言う、「しかり、彼らはその労苦を解かれて休み、そのわざは彼らについていく」。

 

口語訳 詩  24:1 地と、それに満ちるもの、世界と、そのなかに住む者とは主のものである。

 

 

 

ローマ人への手紙14章9節

 

 [口語訳] なぜなら、キリストは、死者と生者との主となるために、死んで生き返られたからである。

 

[新改訳] キリストは、死んだ人にとっても、生きている人にとっても、その主となるために、死んで、また生きられたのです。

 

[新共同訳] キリストが死に、そして生きたのは、死んだ人にも生きている人にも主となられるためです。

 

[TEV] For Christ died and rose to life in order to be the Lord of the living and of the dead.

 

[文語訳]それキリストの死にて復(また)生(い)き給ひしは、死にたる者と生ける者との主とならん爲なり。

 

[塚本訳]キリストが死んで生き返られたのは、死んだ者と生きている者との主になるためであるから。

 

[前田訳]キリストが死んで生きられたのは、死者と生者との主になられるためです。

 

[岩波版・佐藤訳]事実キリストは、死者たちをも生者たちをも〔その主として〕治めるために、まさにそのために死なれたのである。

 

引照

[参考文献 NESTLE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 24,27版(独), SCOFIELD  STUDY BIBLE(米),

THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE(英), THE NEW JERUSALEM BIBLE(仏)新共同訳(日)]

 

新改訳 ヨハ 12:24 まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。

 

新改訳 Tコリ3:22-23

3:22 パウロであれ、アポロであれ、ケパであれ、また世界であれ、いのちであれ、死であれ、また現在のものであれ、未来のものであれ、すべてあなたがたのものです。

3:23 そして、あなたがたはキリストのものであり、キリストは神のものです。

 

新改訳 ルカ 24:26 キリストは、必ず、そのような苦しみを受けて、それから、彼の栄光にはいるはずではなかったのですか。」

 

新共同 黙  1:18 また生きている者である。一度は死んだが、見よ、世々限りなく生きて、死と陰府の鍵を持っている。

 

新共同 マタ 28:18 イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。

 

新共同 エペ 1:20-23

1:20 神は、この力をキリストに働かせて、キリストを死者の中から復活させ、天において御自分の右の座に着かせ、

1:21 すべての支配、権威、勢力、主権の上に置き、今の世ばかりでなく、来るべき世にも唱えられるあらゆる名の上に置かれました。

1:22 神はまた、すべてのものをキリストの足もとに従わせ、キリストをすべてのものの上にある頭として教会にお与えになりました。

1:23 教会はキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方の満ちておられる場です。

 

新共同 Uテモ4:1 神の御前で、そして、生きている者と死んだ者を裁くために来られるキリスト・イエスの御前で、その出現とその御国とを思いつつ、厳かに命じます。

 

新共同 Tペテ4:5 彼らは、生きている者と死んだ者とを裁こうとしておられる方に、申し開きをしなければなりません。

 

新共同 マタ 22:32 『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』とあるではないか。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。」

 

● 解釈と黙想  キリスト教は真理への覚醒ではない。思想ではない。生ける神に今ここで、この人生で支配されることである。そのとき罪から自由にされて「幸福」になれるのだ。人間は神に支配されて自由になり、幸福になれる。

 

 

 

ローマ人への手紙14章10節

 

[口語訳] それだのに、あなたは、なぜ兄弟をさばくのか。あなたは、なぜ兄弟を軽んじるのか。わたしたちはみな、神のさばきの座の前に立つのである。

 

[新改訳] それなのに、なぜ、あなたは自分の兄弟をさばくのですか。また、自分の兄弟を侮るのですか。私たちはみな、神のさばきの座に立つようになるのです。

 

[新共同訳] それなのに、なぜあなたは、自分の兄弟を裁くのですか。また、なぜ兄弟を侮るのですか。わたしたちは皆、神の裁きの座の前に立つのです。

 

[TEV] You then, who eat only vegetables-why do you pass judgment on others? And you who eat anything-why do you despise other believers? All of us will stand before God to be judged by him.

 

[文語訳]なんぢ何ぞその兄弟を審くか、汝なんぞ其の兄弟を蔑(なみ)するか、我等はみな神の審判(さばき)の座の前に立つべし。

 

[塚本訳]それなのに、あなたはなんで自分の兄弟を、(肉を食べるからとて)裁くのか。またあなたも、なんで自分の兄弟を、(野菜ばかり食べるとて)軽蔑するのか。(裁くお方は神、)わたし達は(最後の日に)一人のこらず、神の裁判席の前に出なければならないのである。

 

[前田訳]それなのにあなたはなぜ兄第を裁くのですか。また、あなたもなぜ兄弟をあなどるのですか。われらは皆、神の裁きの座の前に出ねばなりません。

 

[岩波版・佐藤訳]それなのに、なぜあなたは、あなたの兄弟をさばくのか。あるいは、なぜあなたもあなたの兄弟を軽んじるのか。事実、私たちはすべて神の〔さばきの〕座の前に立つであろう。

 

引照

[参考文献 NESTLE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 24,27版(独), SCOFIELD  STUDY BIBLE(米),

THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE(英), THE NEW JERUSALEM BIBLE(仏)新共同訳(日)]

 

口語訳 使  17:31 神は、義をもってこの世界をさばくためその日を定め、お選びになったかたによってそれをなし遂げようとされている。すなわち、このかたを死人の中からよみがえらせ、その確証をすべての人に示されたのである」。

 

口語訳 マタ 25:31 人の子が栄光の中にすべての御使たちを従えて来るとき、彼はその栄光の座につくであろう。

 

口語訳 Uコリ5:10 なぜなら、わたしたちは皆、キリストのさばきの座の前にあらわれ、善であれ悪であれ、自分の行ったことに応じて、それぞれ報いを受けねばならないからである。

 

口語訳 ロマ 14:3 食べる者は食べない者を軽んじてはならず、食べない者も食べる者をさばいてはならない。神は彼を受けいれて下さったのであるから。

 

口語訳 伝  12:14 神はすべてのわざ、ならびにすべての隠れた事を善悪ともにさばかれるからである。

 

口語訳 マタ 10:15 あなたがたによく言っておく。さばきの日には、ソドム、ゴモラの地の方が、その町よりは耐えやすいであろう。

 

口語訳 ロマ 2:16 そして、これらのことは、わたしの福音によれば、神がキリスト・イエスによって人々の隠れた事がらをさばかれるその日に、明らかにされるであろう。

 

口語訳 Tコリ4:5 だから、主がこられるまでは、何事についても、先走りをしてさばいてはいけない。主は暗い中に隠れていることを明るみに出し、心の中で企てられていることを、あらわにされるであろう。その時には、神からそれぞれほまれを受けるであろう。

 

● 解釈と黙想  人を裁いてはいけないのは、生ける神が各人の主人として実在しているから。

そうでなければ黙ってはいられないのだ。

 

 

 

ローマ人への手紙14章11節

 

[口語訳] すなわち、/「主が言われる。わたしは生きている。すべてのひざは、わたしに対してかがみ、/すべての舌は、神にさんびをささげるであろう」/と書いてある。

 

[新改訳] 次のように書かれているからです。「主は言われる。わたしは生きている。すべてのひざは、わたしの前にひざまずき、すべての舌は、神をほめたたえる。」

 

[新共同訳] こう書いてあります。「主は言われる。『わたしは生きている。すべてのひざはわたしの前にかがみ、/すべての舌が神をほめたたえる』と。」

 

[TEV] For the scripture says, /"As surely as I am the living God, says the Lord, /everyone will kneel before me, /and everyone will confess that I am God."

 

[文語訳]録(しる)して、『主いひ給ふ、我は生くるなり、凡ての膝(ひざ)はわが前に屈(かが)み、凡ての舌は神を讃(ほ)め稱(たた)へん』とあり。"

 

[塚本訳]こう書いてあるではないか。“主は(御自分を指して誓って)言われる、わたしは生きている!”“すべての膝はわたしの前にかがみ、すべての舌は神を讃美するであろう。”

 

[前田訳]聖書にあります、「主はいわれる、わたしは生きている。すべての膝はわが前にかがみ、すべての舌は神を賛美しよう」と。

 

[岩波版・佐藤訳]〔次のように〕書かれているからである。

  「この私は生きていると主は言われる。

  なぜならば、すべての膝が私に対してかがむであろうし、

  すべての舌が神〔を告白して〕讃えるであろうからである」。

 

引照

[参考文献 NESTLE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 24,27版(独), SCOFIELD  STUDY BIBLE(米),

THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE(英), THE NEW JERUSALEM BIBLE(仏)新共同訳(日)]

 

口語訳 イザ 49:18

49:18 あなたの目をあげて見まわせ。彼らは皆集まって、あなたのもとに来る。主は言われる、わたしは生きている、あなたは彼らを皆、飾りとして身につけ、花嫁の帯のようにこれを結ぶ。

 

口語訳 エレ 22:24

22:24 「主は言われる、わたしは生きている。ユダの王エホヤキムの子コニヤが、わたしの右手の指輪であっても、わたしはあなたを抜き取る。

 

口語訳 エゼ 5:11

5:11 それゆえ、主なる神は言われる、わたしは生きている。あなたはその忌むべき物と、その憎むべき事とをもって、わたしの聖所を汚したので、わたしは必ずあなたの数を減らす。わたしの目はあなたを惜しみ見ず、またわたしはあなたをあわれまない。

 

口語訳 イザ 45:23

45:23 わたしは自分をさして誓った、わたしの口から出た正しい言葉は帰ることがない、『すべてのひざはわが前にかがみ、すべての舌は誓いをたてる』。

 

口語訳 ピリ 2:10-11

2:10 それは、イエスの御名によって、天上のもの、地上のもの、地下のものなど、あらゆるものがひざをかがめ、

2:11 また、あらゆる舌が、「イエス・キリストは主である」と告白して、栄光を父なる神に帰するためである。

 

● 解釈と黙想  ローマ帝国は皇帝を「主」と呼ばせた。そんな時代に「イエスこそが主」と呼んだ初代キリスト教徒たちの苦労を思う。

 

 

 

ローマ人への手紙14章12節

 

[口語訳] だから、わたしたちひとりびとりは、神に対して自分の言いひらきをすべきである。

 

[新改訳] こういうわけですから、私たちは、おのおの自分のことを神の御前に申し開きすることになります。

 

[新共同訳] それで、わたしたちは一人一人、自分のことについて神に申し述べることになるのです。

 

[TEV] Every one of us, then, will have to give an account to God.

 

[文語訳]我等おのおの神のまへに己(おのれ)の事を陳(の)ぶベし。"

 

[塚本訳]従って、わたし達は(人を裁くどころか、裁きの日には)ひとりびとり、神に自分のことを弁明せねばならない。"

 

[前田訳]それゆえ、われらはひとりひとり自分について神に弁明せねばなりせん。

 

[岩波版・佐藤訳]したがって[それゆえに]、私たち各自は、[神に対して]自分自身についての弁明の言葉を語ることになるであろう。

 

引照

[参考文献 NESTLE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 24,27版(独), SCOFIELD  STUDY BIBLE(米),

THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE(英), THE NEW JERUSALEM BIBLE(仏)新共同訳(日)]

 

口語訳 ルカ 16:2

16:2 そこで主人は彼を呼んで言った、『あなたについて聞いていることがあるが、あれはどうなのか。あなたの会計報告を出しなさい。もう家令をさせて置くわけにはいかないから』。

 

新改訳 ガラ 6:4-5

6:4 おのおの自分の行ないをよく調べてみなさい。そうすれば、誇れると思ったことも、ただ自分だけの誇りで、ほかの人に対して誇れることではないでしょう。

6:5 人にはおのおの、負うべき自分自身の重荷があるのです。

 

口語訳 ヘブ 4:13

4:13 そして、神のみまえには、あらわでない被造物はひとつもなく、すべてのものは、神の目には裸であり、あらわにされているのである。この神に対して、わたしたちは言い開きをしなくてはならない。

 

新共同 マタ 12:36

12:36 言っておくが、人は自分の話したつまらない言葉についてもすべて、裁きの日には責任を問われる。

 

新共同 マタ 16:27

16:27 人の子は、父の栄光に輝いて天使たちと共に来るが、そのとき、それぞれの行いに応じて報いるのである。

 

新共同 マタ 25:19

25:19 さて、かなり日がたってから、僕たちの主人が帰って来て、彼らと清算を始めた。

 

新共同 ルカ 12:48

12:48 しかし、知らずにいて鞭打たれるようなことをした者は、打たれても少しで済む。すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、更に多く要求される。」

 

新共同 Tペテ4:4-5

4:4 あの者たちは、もはやあなたがたがそのようなひどい乱行に加わらなくなったので、不審に思い、そしるのです。

4:5 彼らは、生きている者と死んだ者とを裁こうとしておられる方に、申し開きをしなければなりません。

 

口語訳 エゼ 18:20

18:20 罪を犯す魂は死ぬ。子は父の悪を負わない。父は子の悪を負わない。義人の義はその人に帰し、悪人の悪はその人に帰する。

 

      解釈と黙想 

神 は思っているより厳しいお方である。愛ではないかもしれない。私は火災と脳出血でそれを感じた。罪は決して見逃さないお方で、徹底的に断罪される。どんな 些細な言葉も。生きてキリストを信じているから最後審判も大丈夫と考えてはいけないことが体験的に分かった。私は最後審判に絶えられない。しかしその時は 贖罪のキリストにすがろう。なりふりかまわずすがろう。全力で十字架にすがろう。その血で私の過去を洗っていただこう。清めていただこう。その希望をもっ て残りの生涯を歩んでいこう。

 

 

 

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14章13節〜15章33節はバックデータ紛失。幸い集会で配布したプリントは存在するので、今後時間があればそれをスキャナで写してここに掲載する。もしその前にこのデータが必要ならば御連絡ください。コピーして無償でお送りいたします。2005.9.12

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「私はモーだめでしょうか」「贖罪の道がある」

ある新しい通信回線の勧誘宣伝の電話の女性との対話。

 

女性「さらに詳しいことは次の日曜日にお電話してもよろしいでしょうか」

私 「日曜日は聖書の勉強の集まりに出かけるからだめだ」

女性「あのォ――― ひとつお伺いしてもよろしいでしょうか。わたし過去に好きな人と関係したことがあるのですが、私はモーだめでしょうか」

私 「そんなことはない。イエス様が罪の身の身代わりになって死んでくださったからそれで新しく生まれ変わることができる。」

女性「ああ、なるほど」

女性「教会は私のようなものでも行ってよいのでしょうか」

私 「初心者向きの入門講座がウィークデーの夜にでもあるはずです」

女性「ここは神戸ですが、こちらにもありますか」

私 「神戸には教会がたくさんあります。」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

わたしはこれで多くのことを学んだ。この女性には「私はモーだめか」という過去の過ちという汚れの意識が厳然としてある。人間はどんなに堕落してもこの汚れの身を何とかしたいという意識があるのだ。この悩みは、パウロの悩みであり、全人類の悩みでもあるのだ。

「私はモーだめか」という絶望の意識は正しい。なぜか、過ぎ去った過去は取り戻せないからである。汚点である。汚れである。人生のしみである。消せない。これだけはどうしようもないのである。しかし過去の罪を洗いたい。清まりたい気持ちがあることはどうしようにもない。

こ れに対する私の言葉。「イエス様が身代わりになって死んでくださった。それで新しく生まれ変わることができる。」という「伝承」は神学的に言えば物足りず 不備があるかもしれないが、この女性には感覚的に直感的にその意味が分ったらしい。その答えが、すかさず「ああ、なるほど」で返ってきたからである。

わたしはびっくりした。これだけでわかったのか。福音は、これを受け入れる人にはどんなにまずい説明でも伝わるのだ。

「ああ、なるほど」・・・実に手ごたえのある返事であった。全宇宙に木霊(こだま)した。言葉のもつ意味の重要さ、応答のありがたさ。救いは成就した。

「教会は私のようなものでも行ってよいのでしょうか」・・・日本の教会は敷居が高いのか。教会というものがこのように思われているのであったら大変だ。

生活に忙しく日曜日も働かなければならない人がいて、その人は「教会にもいけない」そんな人がかなりいることを知っている。教会はいつでも誰にでも接することができるように開かれていなければならないのだが、・・・・・敷居が高いらしい。

「教 会」という概念はこのようなときに「救いの手」「見える手」として必要なものである。それが「無」であったらどうであろう。救いを求めているこのような女 性はどこへ行ったらよいのであろうか。現代の「無」教会は「見えず」、見えても「教会」よりさらに敷居が高いのではないだろうか。イエスは教会を作ろうと されず、福音を拒否する人々(ユダヤ人)を避けてこのような気の毒な女性の中に入っていかれたのだ。

彼女の上に主の導きと恩恵あれ。彼女が訪れるかもしれない神戸の教会は彼女を受け入れ導いてほしい。期待する。私は彼女とはきっと来世で会えるであろう。いや会えなくても良い。私としては救いの事実を知らせたまでだ。  20001.4.4 高橋照男

表  題 ・ 要  約

 

ローマ訪問の計画(15:22−33)・・・新共同訳

 

第15章―16章 使徒と教団(15:14−33、16:1−24)・・・バルト

      

第8部 16章1―273節 付録 ――紹介状・・・ケーゼマン

(一) フィベの紹介(16:1−2)

(二) 使徒のあいさつ(16:3−16)

 

手紙の終結部(15:14−16:27)・・・アルトハウスNTD

(二)手紙を持参する一姉妹の紹介(16:1−2)

   (三)ローマの人たちへの名指しのあいさつ(16:3−16)

 

D 手紙の結び(15:14−16:27)・・・ヴィルケンスEKK

    3 フォイベ(16:1−2)

     4 挨拶(16:3−16)

 

X結尾 15章14節―16章27節 ・・・黒崎註解新約聖書

2   挨拶(16:1−(3         23)

(イ)フィベを薦む (16:1−2)

(ロ)ローマの友人への挨拶(16:3−16)

 

終わりの挨拶(16章)・・・高橋三郎

 

第2編 倫理的勧告  ・・・フランシスコ会訳

    あとがき

      フィベ推薦される(16:1−2)

      友人知人への挨拶(16:4−16)

 

ローマ教会員への個人的挨拶(16:1−27)・・・岩波版・青野訳

 

紹介と伝言(16:1−16)・・・前田訳

 

第16章省略ナシ      ・・・八木(講談社)

    )

 

紹介(16:1−2)・・・塚本訳

兄弟たちへのことづけ(16:3−16)

 

フィベの紹介と使徒の挨拶(16:1−16)・・・白井きく

 

第58講 パウロの友人録(16章1−24節)・・・内村鑑三

 

 

 

ローマ人への手紙16章1節

 

[口語訳] ケンクレヤにある教会の執事、わたしたちの姉妹フィベを、あなたがたに紹介する。

 

[新改訳] ケンクレヤにある教会の執事で、私たちの姉妹であるフィベを、あなたがたに推薦します。

 

[新共同訳] ケンクレアイの教会の奉仕者でもある、わたしたちの姉妹フェベを紹介します。

 

[TEV] I recommend to you our sister Phoebe, who serves the church at Cenchreae.

 

[文語訳]我ケンクレヤの教會の執事なる我らの姉妹フィベを汝らに薦む。

 

[塚本訳]ケンクレヤの集会の執事である、わたし達の姉妹のフィベを紹する。"

 

[前田訳]ケンクレアの集まりの執事である、われらの姉妹フィベを紹介します。

 

[岩波版・青野訳]さて、私はあなたがたに、ケンクレアイにある教会の執事である私たちの姉妹フォイベを推賞する。

 

引照

[参考文献 NESTLE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 24,27(), SCOFIELD  STUDY BIBLE(,

THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE(, THE NEW JERUSALEM BIBLE(,新共同訳]

 

新共同 使  18:27

18:27 それから、アポロがアカイア州に渡ることを望んでいたので、兄弟たちはアポロを励まし、かの地の弟子たちに彼を歓迎してくれるようにと手紙を書いた。アポロはそこへ着くと、既に恵みによって信じていた人々を大いに助けた。

 

新共同 使  18:18

18:18 パウロは、なおしばらくの間ここに滞在したが、やがて兄弟たちに別れを告げて、船でシリア州へ旅立った。プリスキラとアキラも同行した。パウロは誓願を立てていたので、ケンクレアイで髪を切った。

 

口語訳 Uコリ3:1-3

3:1 わたしたちは、またもや、自己推薦をし始めているのだろうか。それとも、ある人々のように、あなたがたにあてた、あるいは、あなたがたからの推薦状が必要なのだろうか。

3:2 わたしたちの推薦状は、あなたがたなのである。それは、わたしたちの心にしるされていて、すべての人に知られ、かつ読まれている。

3:3 そして、あなたがたは自分自身が、わたしたちから送られたキリストの手紙であって、墨によらず生ける神の霊によって書かれ、石の板にではなく人の心の板に書かれたものであることを、はっきりとあらわしている。

 

口語訳 マタ 12:50

12:50 天にいますわたしの父のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、また姉妹、また母なのである」。

 

口語訳 マコ 10:30

10:30 必ずその百倍を受ける。すなわち、今この時代では家、兄弟、姉妹、母、子および畑を迫害と共に受け、また、きたるべき世では永遠の生命を受ける。

 

口語訳 ルカ 8:3

8:3 ヘロデの家令クーザの妻ヨハンナ、スザンナ、そのほか多くの婦人たちも一緒にいて、自分たちの持ち物をもって一行に奉仕した。

 

  解釈と黙想  

ロ マ書は女性によって運ばれた。あの空の墓の復活の報告も女性であった。こう考えると2000年のキリスト教の歴史の実態も実は女性によって運ばれ続けてき たのであると思う。アウグスチヌスの母モニカ。コンスタンチヌス大帝の母、近くはゴルバチョフの母。キリスト教の進展の背後に信仰深い女性の祈りがあっ た。ただし今日のフェミニスト神学者たちの議論からはトッポイ女性は誕生してもなにも良いものは生まれない。

 

  解釈と黙想

ここにでてくるフィベという女性はただの配達人ではない。パウロの手紙の生きたる証明の人物である。クリスチャンは天からの手紙そのもの。生活それ自体が手紙の内容。イエスは「わたしをた者は、たのだ。」と言った。(ヨハネ14:9)

 

 

 

ローマ人への手紙16章2節

 

[口語訳] どうか、聖徒たるにふさわしく、主にあって彼女を迎え、そして、彼女があなたがたにしてもらいたいことがあれば、何事でも、助けてあげてほしい。彼女は多くの人の援助者であり、またわたし自身の援助者でもあった。

 

[新改訳] どうぞ、聖徒にふさわしいしかたで、主にあってこの人を歓迎し、あなたがたの助けを必要とすることは、どんなことでも助けてあげてください。この人は、多くの人を助け、また私自身をも助けてくれた人です。

 

[新共同訳] どうか、聖なる者たちにふさわしく、また、主に結ばれている者らしく彼女を迎え入れ、あなたがたの助けを必要とするなら、どんなことでも助けてあげてください。彼女は多くの人々の援助者、特にわたしの援助者です。

 

[TEV] Receive her in the Lord's name, as God's people should, and give her any help she may need from you; for she herself has been a good friend to many people and also to me.

 

[文語訳]なんぢら主にありて聖徒たるに相應しく彼を容れ、何にても其の要する所を助けよ、彼は夙くより多くの人の保護者また我が保護者たり。

 

[塚本訳]どうか聖徒にふさわしく主にあって彼女を歓迎し、彼女があなた達を必要とする事があれば、助力してもらいたい。彼女自身が多くの人の、またわたし自身の、援助者であったから。"

 

[前田訳]あなた方が聖徒にふさわしく主にあって彼女を迎え、彼女があなた方を必要とする場合には助けてください。彼女自身多くの人の、またわたしの、助け手でしたから。

 

[岩波版・青 野訳]〔それは、〕あなたがたが彼女を、聖なる者にふさわしい仕方で、主にあって迎え入れ、どのような課題に際してであれ、彼女が必要とする時には、あな たがたに彼女の脇に立ってもらいたいためである。実際、彼女は多くの人たちの援助者となったのであり、私自身の援助者ともなったのである。

 

引照

[参考文献 NESTLE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 24,27(), SCOFIELD  STUDY BIBLE(,

THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE(, THE NEW JERUSALEM BIBLE(,新共同訳]

 

新共同 ピリ 2:29 だから、主に結ばれている者として大いに歓迎してください。そして、彼のような人々を敬いなさい。

 

● 解釈と黙想 主に結ばれている人は無条件に信用できる。なぜなら神がついているのだから。

 

新共同 マタ 10:40-42

10:40 「あなたがたを受け入れる人は、わたしを受け入れ、わたしを受け入れる人は、わたしを遣わされた方を受け入れるのである。

10:41 預言者を預言者として受け入れる人は、預言者と同じ報いを受け、正しい者を正しい者として受け入れる人は、正しい者と同じ報いを受ける。

10:42 はっきり言っておく。わたしの弟子だという理由で、この小さな者の一人に、冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける。」

 

 

 

ローマ人への手紙16章3節

 

 [口語訳] キリスト・イエスにあるわたしの同労者プリスカとアクラとに、よろしく言ってほしい。

 

[新改訳] キリスト・イエスにあって私の同労者であるプリスカとアクラによろしく伝えてください。

 

[新共同訳] キリスト・イエスに結ばれてわたしの協力者となっている、プリスカとアキラによろしく。

 

[TEV] I send greetings to Priscilla and Aquila, my fellow workers in the service of Christ Jesus;

 

[文語訳]プリスカとアクラとに安否を問へ、彼らはキリスト・イエスに在る我が同勞者にして、"

 

[塚本訳]キリスト・イエスにあるわたしの共働者のプリスカとアクラとによろしく。"

 

[前田訳]キリスト・イエスにあるわたしの協力者のプリスカとアクラとによろしく。"

 

[岩波版・青野訳]キリスト・イエスにある私の同労者たちである〔ユダヤ人夫婦の〕プリスカとアクィラとに、〔よろしく、と〕挨拶するように。

 

引照

[参考文献 NESTLE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 24,27(), SCOFIELD  STUDY BIBLE(,

THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE(, THE NEW JERUSALEM BIBLE(,新共同訳]

 

      解釈と黙想 フィベは援助者、プリスカとアクラは同労者。単純な説明だが含蓄のある一生。

 

 

 

ローマ人への手紙16章4節

 

[口語訳] 彼らは、わたしのいのちを救うために、自分の首をさえ差し出してくれたのである。彼らに対しては、わたしだけではなく、異邦人のすべての教会も、感謝している。

 

[新改訳] この人たちは、自分のいのちの危険を冒して私のいのちを守ってくれたのです。この人たちには、私だけでなく、異邦人のすべての教会も感謝しています。

 

[新共同訳] 命がけでわたしの命を守ってくれたこの人たちに、わたしだけでなく、異邦人のすべての教会が感謝しています。

 

[TEV] they risked their lives for me. I am grateful to them-not only I, but all the Gentile churches as well.

 

[文語訳]わが生命のために己の首をも惜まざりき。彼らに感謝するは、ただ我のみならず、異邦人の諸教會もまた然り。

 

[塚本訳]彼らはわたしの命の代りに自分の首をも差しだした。わたしばかりでなく、異教人のすべての集会も、彼らに感謝している。

 

[前田訳]彼らはわたしのいのちのかわりにと自分の首をも差し出しました。わたしだけでなく、異邦人のすべての集まりも彼らに感謝しています。"

 

[岩波版・青野訳]彼らは私のいのちのために、彼ら自身の首を差し出してくれたのであり、その彼らには私が感謝しているのみならず、すべての異邦人たちの教会もまた〔感謝している〕。

 

引照

[参考文献 NESTLE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 24,27(), SCOFIELD  STUDY BIBLE(,

THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE(, THE NEW JERUSALEM BIBLE(,新共同訳]

 

口語訳 使  15:26

15:26 このふたりは、われらの主イエス・キリストの名のために、その命を投げ出した人々であるが、

 

口語訳 Tヨハ3:16

3:16 主は、わたしたちのためにいのちを捨てて下さった。それによって、わたしたちは愛ということを知った。それゆえに、わたしたちもまた、兄弟のためにいのちを捨てるべきである。

 

口語訳 ロマ 5:7

5:7 正しい人のために死ぬ者は、ほとんどいないであろう。善人のためには、進んで死ぬ者もあるいはいるであろう。

 

口語訳 使  18:2

18:2 そこで、アクラというポント生れのユダヤ人と、その妻プリスキラとに出会った。クラウデオ帝が、すべてのユダヤ人をローマから退去させるようにと、命令したため、彼らは近ごろイタリヤから出てきたのである。

 

新共同 Tコリ16:19

16:19 アジア州の諸教会があなたがたによろしくと言っています。アキラとプリスカが、その家に集まる教会の人々と共に、主においてあなたがたにくれぐれもよろしくとのことです。

 

新共同 Uテモ4:19

4:19 プリスカとアキラに、そしてオネシフォロの家の人々によろしく伝えてください。

 

  解釈と黙想

い つの時代にもプリスキラ(妻)とアクラ(夫)のような夫婦がいるものである。プリスキラの方が先に書かれているのは夫人の方が信仰に熱心であったのであろ う。キリスト教はいまでもこんな熱心な夫婦で担われている。世話人であったらしい。このような場合、アクラの助け手がプリスキラ、プリスキラの援助者がア クラ。幸いな家庭。幸いな夫婦。夫婦関係が他者のためにある。

 

 

 

ローマ人への手紙16章5節

 

[口語訳] また、彼らの家の教会にも、よろしく。わたしの愛するエパネトに、よろしく言ってほしい。彼は、キリストにささげられたアジヤの初穂である。

 

[新改訳] またその家の教会によろしく伝えてください。私の愛するエパネトによろしく。この人はアジヤでキリストを信じた最初の人です。

 

[新共同訳] また、彼らの家に集まる教会の人々にもよろしく伝えてください。わたしの愛するエパイネトによろしく。彼はアジア州でキリストに献げられた初穂です。

 

[TEV] Greetings also to the church that meets in their house. /Greetings to my dear friend Epaenetus, who was the first in the province of Asia to believe in Christ.

 

[文語訳]又その家にある教會にも安否を問へ。又わが愛するエパネトに安否を問へ。彼はアジヤにて結べるキリストの初の實なり。

 

[塚本訳]彼らの家の集会にもよろしく。わたしの愛するエパネトによろしく。彼は(回心して)キリストのものになったアジヤ(州)の初穂である。

 

[前田訳]彼らの家の集まりにもよろしく。わが愛するエパネトによろしく。彼はキリストを信じたアジアの初穂です。

 

[岩波版・青野訳]彼らの家にある教会にも〔よろしく、と挨拶するように〕。私の愛するエパイネトスに〔よろしく、と〕挨拶するように。彼はキリストへと〔回心した者のうちの〕アシア〔州〕の初穂である。

 

引照

[参考文献 NESTLE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 24,27(), SCOFIELD  STUDY BIBLE(,

THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE(, THE NEW JERUSALEM BIBLE(,新共同訳]

 

新共同 Tコリ16:19

16:19 アジア州の諸教会があなたがたによろしくと言っています。アキラとプリスカが、その家に集まる教会の人々と共に、主においてあなたがたにくれぐれもよろしくとのことです。

 

新共同 コロ 4:15

4:15 ラオディキアの兄弟たち、および、ニンファと彼女の家にある教会の人々によろしく伝えてください。

 

新共同 ピレ 1:2

1:2 姉妹アフィア、わたしたちの戦友アルキポ、ならびにあなたの家にある教会へ。

 

新共同 Tコリ16:15

16:15 兄弟たち、お願いします。あなたがたも知っているように、ステファナの一家は、アカイア州の初穂で、聖なる者たちに対して労を惜しまず世話をしてくれました。

 

新共同 使  16:6

16:6 さて、彼らはアジア州で御言葉を語ることを聖霊から禁じられたので、フリギア・ガラテヤ地方を通って行った。

 

新共同 マタ 18:20

18:20 二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」

 

新共同 Uヨハ1:10

1:10 この教えを携えずにあなたがたのところに来る者は、家に入れてはなりません。挨拶してもなりません。

 

● 解釈と黙想  人の紹介は一言でなされる。「アジアの初穂」なるエパネト。これで十分。「初穂」の言葉にパウロの万感の感謝の意味が込められている。。アジアでのというところに福音の世界的広がり、異邦にも福音が入ったというパウロの喜びが込められている。

 

 

 

ローマ人への手紙16章6節

 

[口語訳] あなたがたのために一方ならず労苦したマリヤに、よろしく言ってほしい。

 

[新改訳] あなたがたのために非常に労苦したマリヤによろしく。

 

[新共同訳] あなたがたのために非常に苦労したマリアによろしく。

 

[TEV] Greetings to Mary, who has worked so hard for you.

 

[文語訳]汝等のために甚く勞せしマリヤに安否を問へ。

 

[塚本訳]マリヤによろしく。彼女はあなた達のために非常に苦労したのである。

 

[前田訳]マリヤによろしく。彼女はあなた方のために多くの苦労をしました。

 

[岩波版・青野訳]あなたがたのために大いに労苦してくれたマリヤに〔よろしく、と〕挨拶するように。

 

引照

[参考文献 NESTLE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 24,27(), SCOFIELD  STUDY BIBLE(,

THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE(, THE NEW JERUSALEM BIBLE(,新共同訳]

 

口語訳 ロマ 16:12

16:12 主にあって労苦しているツルパナとツルポサとに、よろしく。主にあって一方ならず労苦した愛するペルシスに、よろしく。

 

新共同 ガラ 4:11

4:11 あなたがたのために苦労したのは、無駄になったのではなかったかと、あなたがたのことが心配です。

 

新共同 Tテサ5:12-13

5:12 兄弟たち、あなたがたにお願いします。あなたがたの間で労苦し、主に結ばれた者として導き戒めている人々を重んじ、

5:13 また、そのように働いてくれるのですから、愛をもって心から尊敬しなさい。互いに平和に過ごしなさい。

 

新共同 Tテモ5:17-18

5:17 よく指導している長老たち、特に御言葉と教えのために労苦している長老たちは二倍の報酬を受けるにふさわしい、と考えるべきです。

5:18 聖書には、「脱穀している牛に口籠をはめてはならない」と、また「働く者が報酬を受けるのは当然である」と書かれています。

 

新共同 Tコリ15:58

15:58 わたしの愛する兄弟たち、こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい。主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです。

 

  解釈と黙想 

こ こに出てくるマリヤとは誰か?それを調べるには時間がかかるし、わかってもすぐ忘れる。また学説というのは「ダロウ」とか「タブン」ということが多くつま らない。それよりもここではマリヤという人は「労苦した」人物なのだということを読めばよい。これを無教会の素人読みと言う。「労苦」とはこの世のいわゆ る「苦労」とは違う。ニュアンスが違う。クリスチャンの「労苦」は精神的重荷。重圧で精神的に押しつぶされる苦労。愛する人のために蔭(知られないところ で)で流す涙。聞かれない祈りの苦しさ。期待はずれ、裏切られる悲しみ。等々である。しかしこのクリスチャンに特有の労苦は決して無駄に終わらないことも 確か。パウロが体験的労苦の末にこういう。

「主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからである。」(Tコリ15:58)

クリスチャンの労苦は一緒にその労苦を負ってくれる人がいれば楽になる。このマリヤはパウロの労苦を一緒に負った人だったのだ。だからパウロにとっては忘れられない人だった。

人 の一生は一言で説明できる。また言えなければならない。肩書きをずらずらと並べたてなければ説明できないような人生はクリスチャンとしては恥。かってわた しにおそるおそる名刺を出された無教会の教授がいたが、なんと色々な大学の肩書きが名刺の幅せましと数行並んでいた。あの人はそのために天国には入りにく い。肩書きが多すぎて天国の門がつかえて入れまい。このマリヤは「労苦の人」。彼女についてはその労苦が肩書きで勲章。

 

 

 

ローマ人への手紙16章7節

 

[口語訳] わたしの同族であって、わたしと一緒に投獄されたことのあるアンデロニコとユニアスとに、よろしく。彼らは使徒たちの間で評判がよく、かつ、わたしよりも先にキリストを信じた人々である。

 

[新改訳] 私の同国人で私といっしょに投獄されたことのある、アンドロニコとユニアスにもよろしく。この人々は使徒たちの間によく知られている人々で、また私より先にキリストにある者となったのです。

 

[新共同訳] わたしの同胞で、一緒に捕らわれの身となったことのある、アンドロニコとユニアスによろしく。この二人は使徒たちの中で目立っており、わたしより前にキリストを信じる者になりました。

 

[TEV] Greetings also to Andronicus and Junia, fellow Jews who were in prison with me; they are well known among the apostles, and they became Christians before I did.

 

[文語訳]我とともに囚人たりし我が同族アンデロニコとユニアスとに安否を問へ、彼らは使徒たちの中に名聲あり、かつ我に先立ちてキリストに歸せし者なり。"

 

[塚本訳]わたしの同胞で同囚のアンデロニコとユニアスとによろしく。彼らは使徒の中で秀でた者であり、わたしより先にキリストを信ずる者になっていた。

 

[前田訳]わが同胞で同囚のアンデロニコとユニアスとによろしく。彼らは使徒の中ですぐれたもので、わたしより前にキリストを信じていました。

 

[岩波版・青野訳]私の〔ユダヤ人の〕同胞であり囚人仲間であるアンドロニコスとユニアとに〔よろしく、と〕挨拶するように。彼らは使徒たちのなかで秀でており、私よりも先にキリストにある〔者〕となった人たちでもある。

 

引照

[参考文献 NESTLE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 24,27(), SCOFIELD  STUDY BIBLE(,

THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE(, THE NEW JERUSALEM BIBLE(,新共同訳]

 

口語訳 ロマ 9:3 実際、わたしの兄弟、肉による同族のためなら、わたしのこの身がのろわれて、キリストから離されてもいとわない。

 

新共同 コロ 4:10 わたしと一緒に捕らわれの身となっているアリスタルコが、そしてバルナバのいとこマルコが、あなたがたによろしくと言っています。このマルコについては、もしそちらに行ったら迎えるようにとの指示を、あなたがたは受けているはずです。

 

新共同 ピレ 1:23 キリスト・イエスのゆえにわたしと共に捕らわれている、エパフラスがよろしくと言っています。

 

新改訳 ガラ 1:21-24

1:21 それから、私はシリヤおよびキリキヤの地方に行きました。

1:22 しかし、キリストにあるユダヤの諸教会には顔を知られていませんでした。

1:23 けれども、「以前私たちを迫害した者が、そのとき滅ぼそうとした信仰を今は宣べ伝えている。」と聞いてだけはいたので、

1:24 彼らは私のことで神をあがめていました。

 

●  解釈と黙想  投獄者のうちで同国人。これがポイント。単なる同国人だけではキリスト信者の結びつきは希薄。同じことが同県人、同じ学校。同じ信仰の先 生にも言える。それはつまらない唾棄すべき関係。そんな関係を強調することがキリスト教を腐らす。我々にとっては主にある仲間ということのみがつながりの 理由。またクリスチャンには先輩という意識が大切。アンドロニコスとユニアはパウロより先にキリストを信じたとある。パウロは彼らを先輩として立てている。

 

 

 

ローマ人への手紙16章8節

 

[口語訳] 主にあって愛するアムプリアトに、よろしく。

 

[新改訳] 主にあって私の愛するアムプリアトによろしく。

 

[新共同訳] 主に結ばれている愛するアンプリアトによろしく。

 

[TEV] My greetings to Ampliatus, my dear friend in the fellowship of the Lord.

 

[文語訳]主にありて我が愛するアンプリヤに安否を問へ。

 

[塚本訳]主にあってわたしの愛するアムプリアトによろしく。

 

[前田訳]主にあってわが愛するアムプリアトによろしく。

 

[岩波版・青野訳]主にあって私の愛するアンプリアトスに〔よろしく、と〕挨拶するように。

 

引照

[参考文献 NESTLE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 24,27(), SCOFIELD  STUDY BIBLE(,

THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE(, THE NEW JERUSALEM BIBLE(,新共同訳]

 

  解釈と黙想

ア ンプリアトはパウロに「主にあって愛された人」。主にあって愛するという概念はクリスチャンの間でのみ通用する独特の概念。主にあって愛する、また愛され る関係が永遠の愛。主にあって愛さない、また愛されない関係はこの世の価値による愛でいつかは褪せてくる。それは頭の良さ、女性の美しさ、金持ち、品性の 良さ、人格!!。これらはみなこの世のこと。それは異邦人の切に求めるもの(マタイ6:32)。神の前では何らの価値もない。アンプリアトは「主にあって パウロに愛された人」以外には知られていないがこれだけで十分。

 

 

 

ローマ人への手紙16章9節

 

[口語訳] キリストにあるわたしたちの同労者ウルバノと、愛するスタキスとに、よろしく。

 

[新改訳] キリストにあって私たちの同労者であるウルバノと、私の愛するスタキスとによろしく。

 

[新共同訳] わたしたちの協力者としてキリストに仕えているウルバノ、および、わたしの愛するスタキスによろしく。

 

[TEV] Greetings also to Urbanus, our fellow worker in Christ's service, and to Stachys, my dear friend.

 

[文語訳]キリストにある我らの同勞者ウルパノと我が愛するスタキスとに安否を問へ。

 

[塚本訳]キリストにあるわたし達の共働者のウルバノと、わたしの愛するスタキスとによろしく。

 

[前田訳]キリストにあるわれらの協力者ウルパノとわが愛するスタキスとによろしく。

 

[岩波版・青野訳]キリストにある私たちの同労者であるウルバノスと、私の愛する者であるスタキュスとに〔よろしく、と〕挨拶するように。

 

引照

[参考文献 NESTLE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 24,27(), SCOFIELD  STUDY BIBLE(,

THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE(, THE NEW JERUSALEM BIBLE(,新共同訳]

 

口語訳 ロマ 16:3

16:3 キリスト・イエスにあるわたしの同労者プリスカとアクラとに、よろしく言ってほしい。

 

口語訳 Uコリ5:17

5:17 だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。

 

  解釈と黙想

ウルバノは同労者、スタキスはパウロが愛した人。それ以上のことはわからない。しかしパウロの、福音の同労者というだけで最高の名誉。スタキスもパウロに愛された人という情報だけで十分。

それにしてもパウロの人脈は多かった。この人たちが皆ローマにいたのだろうか。パウロがローマに行きたがった理由がわかる。

 

 

 

ローマ人への手紙16章10節

 

[口語訳] キリストにあって錬達なアペレに、よろしく。アリストブロの家の人たちに、よろしく。

 

[新改訳] キリストにあって練達したアペレによろしく。アリストブロの家の人たちによろしく。

 

[新共同訳] 真のキリスト信者アペレによろしく。アリストブロ家の人々によろしく。

 

[TEV] Greetings to Apelles, whose loyalty to Christ has been proved. Greetings to those who belong to the family of Aristobulus.

 

[文語訳]キリストに在りて錬達せるアペレに安否を問へ。アリストブロの家の者に安否を問へ。"

 

[塚本訳]キリストにあって試練を経た者であるアペレによろしく。アリストブロの家の人たちによろしく。

 

[前田訳]キリストにあって試練を経たアペレによろしく。アリストブロの家の人たちによろしく。"

[岩波版・青野訳]キリストにあって適格者であるアペレスに〔よろしく、と〕挨拶するように。アリストプロスの〔家の〕者たちに〔よろしく、と〕挨拶するように。

 

引照

[参考文献 NESTLE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 24,27(), SCOFIELD  STUDY BIBLE(,

THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE(, THE NEW JERUSALEM BIBLE(,新共同訳]

 

口語訳 ロマ 8:11

8:11 もし、イエスを死人の中からよみがえらせたかたの御霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリスト・イエスを死人の中からよみがえらせたかたは、あなたがたの内に宿っている御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも、生かしてくださるであろう。

 

口語訳 ロマ 14:18

14:18 こうしてキリストに仕える者は、神に喜ばれ、かつ、人にも受けいれられるのである。

 

口語訳 Uコリ5:17

5:17 だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。

 

  解釈と黙想

ア ペレという人は信仰の道の苦労を知っていた人らしい。いつの時代にもそのような人がいて、多くの人から頼りにされるが、よく知ると本人が非常に苦難を負っ た人、人生の辛酸をなめた人であることがわかる。だから人を慰めることができるのだ。人生で最高の目標は「慰めの子」になることだとヒルティは言う。バル ナバ(これは慰めの子の意味、使徒4:36)になることを人生の目標にすることは良いことだ。塚本先生の前で多くの人が「号泣」した。若くして主人を亡く された婦人が先生の前で泣いたとき、先生は「タオルでは足りない、毛布がぐっしょりになるまで泣きなさい」とおっしゃられたと言う。先生ご自身がその苦労 をされたことがあるので慰めることができたのだ。

ア リストプロの家の人たち。かってある方の告別式に家族で行ったことがあるが、そのご家族から「挙家」ご参列いただいたことを感謝する、とのお礼をいただい た。家を挙げて信仰の道を歩むようになれるのは幸いである。「アリストプロの家の人たち」と言う言葉からそれを連想する。ただしこのような例は滅多にない のではないだろうか。現実を見ると、親が信仰に熱心であればあるほど子供は反発するのが普通である。伝道者や牧師の息子娘はなぜか信仰に反発する。これク リスチャンの親の「労苦」。しかしその労苦は神に覚えられ、無駄に終わらない。パウロがそう言う。(第1コリント15:58)

 

 

 

ローマ人への手紙16章11節

 

[口語訳] 同族のヘロデオンに、よろしく。ナルキソの家の、主にある人たちに、よろしく。

 

[新改訳] 私の同国人ヘロデオンによろしく。ナルキソの家の主にある人たちによろしく。

 

[新共同訳] わたしの同胞ヘロディオンによろしく。ナルキソ家の中で主を信じている人々によろしく。

 

[TEV] Greetings to Herodion, a fellow Jew, and to the Christians in the family of Narcissus.

 

[文語訳]わが同族ヘロデオンに安否を問へ。ナルキソの家なる主に在る者に安否を問へ。"

 

[塚本訳]わたしの同胞のヘロデオンによろしく。ナルキソの家の主にある人たちによろしく。"

 

[前田訳]わが同胞ヘロデオンによろしく。ナルキソの家の主にある人々によろしく。"

 

[岩波版・青野訳]私の同胞であるヘロディオンに〔よろしく、と〕挨拶するように。ナルキソスの〔家の〕者たちで主にある者たちに〔よろしく、と〕挨拶するように。

 

引照

[参考文献 NESTLE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 24,27(), SCOFIELD  STUDY BIBLE(,

THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE(, THE NEW JERUSALEM BIBLE(,新共同訳]

 

口語訳 ロマ 9:3

9:3 実際、わたしの兄弟、肉による同族のためなら、わたしのこの身がのろわれて、キリストから離されてもいとわない。

 

口語訳 ロマ 16:7

16:7 わたしの同族であって、わたしと一緒に投獄されたことのあるアンデロニコとユニアスとに、よろしく。彼らは使徒たちの間で評判がよく、かつ、わたしよりも先にキリストを信じた人々である。

 

口語訳 ロマ 16:21

16:21 わたしの同労者テモテおよび同族のルキオ、ヤソン、ソシパテロから、あなたがたによろしく。

 

  解釈と黙想

こ こでパウロが言う同族とはユダヤ人のこと。パウロは異邦への伝道者であったがパウロの心配は同族にあった。パウロのいう同族とは単にユダヤ人という意味で はなく「親類縁者」、具体的には親や兄弟のことではないのだろうか。推測。世界人類とか日本人全体とかのかけ声はむなしい。人間としての真の悲しみが伝わ らない。神はその独り子を殺すほどにこの世を愛したと言うとき、そこに親の悲しみを前提とする意識がある。パウロは親や兄弟を捨てて異邦に熱心であった が、その実、本当はユダヤ人のことが心配であったのだ。それがロマ書9章であった。ヘロデオンはユダヤ人で信仰に入った同労者。

ナ ルキソスの〔家の〕者たちで主にある者たち。・・・・・・ということから伺い知ることができるのは、その家の何人かだけがクリスチャンと言うこと。全員で はない。あるいは主人が未信者か、あるいは妻が未信者か、あるいは子供たちが信仰に反発しているのか。これいつの時代にも悲しみの原因。クリスチャンに なってかえって悲しみが増す原因。信仰の道はいつの時代も一人旅だ。夫にも理解されず、妻にも理解されず、子供に理解されないことが多い。パウロの悩みと 慰めがロマ書を産んだ。ユダヤ人はきっといつの日か神によって救われるだろうと。

 

 

 

ローマ人への手紙16章12節

 

[口語訳] 主にあって労苦しているツルパナとツルポサとに、よろしく。主にあって一方ならず労苦した愛するペルシスに、よろしく。

 

[新改訳] 主にあって労している、ツルパナとツルポサによろしく。主にあって非常に労苦した愛するペルシスによろしく。

 

[新共同訳] 主のために苦労して働いているトリファイナとトリフォサによろしく。主のために非常に苦労した愛するペルシスによろしく。

 

[TEV] My greetings to Tryphaena and Tryphosa, who work in the Lord's service, and to my dear friend Persis, who has done so much work for the Lord.

 

[文語訳]主に在りて勞せしツルパナとツルポサとに安否を問へ。主に在りて甚く勞せし愛するペルシスに安否を問へ。

 

[塚本訳]主にあって苦労したツルパナとツルポサとによろしく。愛するペルシスによろしく。彼女は主にあって非常に苦労したのである。

 

[前田訳]主にあって労苦したツルパナとツルポサとによろしく。愛するペルシスによろしく。彼女は主にあって多くの労苦をしました。 

 

[岩波版・青野訳]主にあって労苦しているトリュファイナとトリュフォサとに〔よろしく、と〕挨拶するように。愛するペルシスに〔よろしく、と〕挨拶するように。彼女は主にあって大いに労苦してくれた。

 

引照

[参考文献 NESTLE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 24,27(), SCOFIELD  STUDY BIBLE(,

THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE(, THE NEW JERUSALEM BIBLE(,新共同訳]

 

口語訳 ロマ 16:6 あなたがたのために一方ならず労苦したマリヤに、よろしく言ってほしい。

 

口語訳 マタ 9:38 だから、収穫の主に願って、その収穫のために働き人を送り出すようにしてもらいなさい」。

 

口語訳 Tコリ15:58 だから、愛する兄弟たちよ。堅く立って動かされず、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからである。

 

口語訳 Tコリ16:16 どうか、このような人々と、またすべて彼らと共に働き共に労する人々とに、従ってほしい。

 

口語訳 コロ 1:29 わたしはこのために、わたしのうちに力強く働いておられるかたの力により、苦闘しながら努力しているのである。

 

口語訳 Tテサ1:3 あなたがたの信仰の働きと、愛の労苦と、わたしたちの主イエス・キリストに対する望みの忍耐とを、わたしたちの父なる神のみまえに、絶えず思い起している。

 

口語訳 Tテサ5:12 兄弟たちよ。わたしたちはお願いする。どうか、あなたがたの間で労し、主にあってあなたがたを指導し、かつ訓戒している人々を重んじ、

 

口語訳 Tテモ4:10 わたしたちは、このために労し苦しんでいる。それは、すべての人の救主、特に信じる者たちの救主なる生ける神に、望みを置いてきたからである。

 

口語訳 Tテモ5:17

5:17 よい指導をしている長老、特に宣教と教とのために労している長老は、二倍の尊敬を受けるにふさわしい者である。

 

● 解釈と黙想  労苦を共にした人の列伝。クリスチャンの本当の友人は共に労苦している人。

 

 

 

ローマ人への手紙16章13節

 

[口語訳] 主にあって選ばれたルポスと、彼の母とに、よろしく。彼の母は、わたしの母でもある。

 

[新改訳] 主にあって選ばれた人ルポスによろしく。また彼と私との母によろしく。

 

[新共同訳] 主に結ばれている選ばれた者ルフォス、およびその母によろしく。彼女はわたしにとっても母なのです。

 

[TEV] I send greetings to Rufus, that outstanding worker in the Lord's service, and to his mother, who has always treated me like a son.

 

[文語訳]主に在りて選ばれたるルポスと其の母とに安否を問へ、彼の母は我にもまた母なり。

 

[塚本訳]主にあって選ばれたルポスとお母さんとによろしく。彼女はわたしのお母さんでもある。

 

[前田訳]主にあって選ばれたルポスとその母によろしく。彼女はまたわが母です。

 

[岩波版・青野訳]主にあって選ばれた者であるルフォスと、彼の母――それは私の母でもある――に、〔よろしく、と〕挨拶するように。

 

引照

[参考文献 NESTLE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 24,27(), SCOFIELD  STUDY BIBLE(,

THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE(, THE NEW JERUSALEM BIBLE(,新共同訳]

 

口語訳 マコ 15:21 そこへ、アレキサンデルとルポスとの父シモンというクレネ人が、郊外からきて通りかかったので、人々はイエスの十字架を無理に負わせた。

 

口語訳 ヨハ 16:16 しばらくすれば、あなたがたはもうわたしを見なくなる。しかし、またしばらくすれば、わたしに会えるであろう」。

 

口語訳 エペ 4:4-6

4:4 からだは一つ、御霊も一つである。あなたがたが召されたのは、一つの望みを目ざして召されたのと同様である。

4:5 主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つ。

4:6 すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのものの内にいます、すべてのものの父なる神は一つである。

 

口語訳 2:13 しかし、主に愛されている兄弟たちよ。わたしたちはいつもあなたがたのことを、神に感謝せずにはおられない。それは、神があなたがたを初めから選んで、御霊によるきよめと、真理に対する信仰とによって、救を得させようとし、

 

口語訳 Uヨハ1:13 選ばれたあなたの姉妹の子供たちが、あなたによろしく。

 

口語訳 マコ 3:34-35

3:34 そして、自分をとりかこんで、すわっている人々を見まわして、言われた、「ごらんなさい、ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。

3:35 神のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、また姉妹、また母なのである」。

 

口語訳 ヨハ 19:27 それからこの弟子に言われた、「ごらんなさい。これはあなたの母です」。そのとき以来、この弟子はイエスの母を自分の家に引きとった。

 

口語訳 Tテモ5:1-2

5:1 老人をとがめてはいけない。むしろ父親に対するように、話してあげなさい。若い男には兄弟に対するように、

5:2 年とった女には母親に対するように、若い女には、真に純潔な思いをもって、姉妹に対するように、勧告しなさい。

 

口語訳 Tテモ5:4 やもめに子か孫かがある場合には、これらの者に、まず自分の家で孝養をつくし、親の恩に報いることを学ばせるべきである。それが、神のみこころにかなうことなのである。

 

新共同 Tテモ5:8

5:8 自分の親族、特に家族の世話をしない者がいれば、その者は信仰を捨てたことになり、信者でない人にも劣っています。

 

● 解釈と黙想  パウロがルポスの母をわが母と言ったとき、パウロの実の母は(健在であったかどうかわからないが)淋しい思いがしたであろう。クリスチャンは肉親を主にあってそれまで以上に真の愛で愛さなければならないのだ。

 

 

 

 

 

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16章14〜27節はバックデータ紛失。幸い集会で配布したプリントは存在するので、今後時間があればそれをスキャナで写してここに掲載する。もしその前にこのデータが必要ならば御連絡ください。コピーして無償でお送りいたします。2005.9.17

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