企業ミュージアムを訪れる場合、それがとくに企業の歴史にかかわるものであるならば、歴史学習にとって大いに役立つに
初めて生産された電気洗濯機、初めて生産されたカラーテレビ 何よりも実物が存在するのが良い。
ミュージアムは「もの」が直接語りかける教育施設です。
昭和史学習を多角的、総合的にとらえるという点でも、企業ミュージアムの可能性は大きい。
企業ミュージアムの楽しみ方。さまざまな歴史的局面で、どのような舵取りがなされてきたか、決断と決定の場面が面白い。どこまで先が見えるか
大塩の乱に参加した門真の豪農「茨田郡士」邸跡、少し歩くと京街道57次守口宿、また水郷地帯特有の建物「段蔵」も散在。
昭和8年に松下電器産業は本社工場を門真に移転させる。
「なぜ、門真だったのですか」とお聞きしたところ、交通の便とともに、この地が大阪の鬼門にあたり、経済性豊かな土地であったという意味の答えがかえってきた。翌年、今日でいう社員教育のための「研修所」を開設しているわけだが、この種の施設への投資はまだ珍しい時代で、鬼門の選択とこの投資をあわせて考えると、先を見通した合理的判断であることがいっそうよくわかる。ミュージアム見学会
周辺は歴史ロマン豊かな地域です
水郷 守口・門真ミュージアムエリアが含まれる地域の旧国名は「河内(かわち)」です。淀川と旧大和川というふたつの大河の内の意味です。水との深い関係を象徴しています。かってはクリークが縦横に発達した水郷地帯でした。もっと水郷について知りたいというみなさんは、西三荘駅から門真市駅方面へ向かい、門真市立歴史資料館をお訪ねください。「段蔵」、水郷の交通・生産に大活躍した「三枚板(さんまいた)」と呼ばれる舟、さまざまな農耕具など水郷のくらしをしのばせる資料を見ることができます。 段 蔵
淀川の氾濫との対峙は、はるか古代から今日まで当地で続く人と自然との基本的関係であり、営みでした。段蔵(だんくら)は水害から財産を守るための工夫のひとつで基礎を大変高くしています。水郷地帯の名残で、独特の景観をつくっています。街の広がりと建物が高くなる中で目立たなくなってしまいましたが、守口門真ミュージアムエリアでもたくさん探すことができます。京阪電鉄西三荘駅周辺でも相当数見られます。茨田郡士邸跡
現状は公園です。大塩平八郎の乱に門真から参加した豪農の屋敷跡。さて、ここから守口宿まで歩いてみて下さい。大塩ゆかりの書院を残す「白井邸」が意外に近いのに驚かれるでしょう。あなたがたどった道は、大塩平八郎の講義をきくために茨田郡士が歩いた道かもしれません。