幕末維新ミュージアム・京街道を往く   京都 鳥羽・伏見U 

                                      歴史の転換点「鳥羽伏見の戦い」第2部

                   
                                             料亭「魚三楼」に残る弾痕              

               伏見は京の外港で水運・陸運の要衝でした。
              このために、幕末維新に際して、多くの事件の舞台になります。
          
                         
          
1 伏見の戦い(戦闘と経済)
 
鳥羽方面についで、伏見でも旧幕府軍と新政府軍との戦いが始まります。
   新選組は慶応3年12月から伏見奉行所で御香宮に布陣する薩摩軍と対峙していました。 
                                    
     薩摩軍
       


  
                                                        新選組等  

  

 

 @ 戦いの推移
     
 
「御香宮に布陣した薩摩軍に対して、伏見奉行所の会津・新選組は大変な苦戦を強いられる。技術的にも意識的にも立ち遅れていたからね」
  「ふうん・・・」
  「火砲や新式銃に向かって、刀をふるって突撃したそうなんだ。近代戦がわかっていなかったといえるよね」
 「なるほど」 
  「鳥羽方面でも伏見でも旧幕府軍は苦戦を強いられ、淀方面に後退することになる」

A 転機

 「さて、敬ちゃん。この戦いから新選組の転戦が始まるのね」
 「うん。鳥羽伏見の戦いの前に近藤勇は狙撃されて大坂城で治療中で、指揮官は土方歳三だったんだけど、この戦いは土方が近代戦における有能な指揮官に変身していく契機になる」
 「ここで戦死する隊士も多いけど、個々の隊士にさまざまな運命を強いる歴史の転換期の怖さが始まる戦いでもあるのよね」



 B 高度戦闘技術集団と時代の転換

   「抜刀隊」


  西南戦争時の警視庁抜刀隊の活躍が示すように、白刃を振るった白兵突撃そのものが決して拙劣な戦法というわけではない。戦機に応じた白兵突撃は有効なわけである。鳥羽伏見の戦いにおける新選組の白兵突撃は、敵の銃火制圧と関係なく闇雲に突撃したところに問題があるようである。新選組の白兵戦闘そのものより、その力を活用する指揮能力の次元で幕府軍は拙劣であったということになるのだろう。
  新選組は、銃火をものともせず白兵突撃する勇猛果敢さという優れた資質ゆえに敗北するという逆説を経験することになるわけである。
   
   「戦争の経済性」

  幕末の特色のひとつである草莽のエネルギーの台頭。これに深くかかわることになるすぐれた火器と戦術による兵制改
 革は軍事技術的な問題であるだけでなく、新しい武器と新しい用兵の経済性という問題にほかならない。
  新選組という高度戦闘技術集団熟練の戦士を養成するには膨大な時間とエネルギーを要したであろうが、火器の活用
  と新しい兵士養成のシステムははるかに短時間、小資金で新選組の戦闘能力を上回るシステムを構築することことにな
  るわけである。鳥羽伏見戦の本質は、戦闘熟練集団の時代が新しい火器の登場により変更を迫られた局面といえる。



2 伏見幕末散歩  

  


   
船宿「寺田屋」   消失後再建されたことが確認されました。2008年9月
 
  薩摩藩の定宿。坂本龍馬とのかかわりが深い船宿です。
    
                          寺田屋 
    
     
  


          観察と交通

        @ 酒蔵の町 
           伏見にはふしみ(伏水)の意があるといいます。美味しい水に支えられて優れたお酒が造られてきました。
           酒蔵がつくりだした景観も伏見散策の楽しみです。         

   

                            

     
 
 







  交通 京阪電鉄線 伏見桃山駅・中書島駅 近鉄腺 桃山御陵前駅