現代マンガ資料館の視点・主張B  その他

 

1  チャレンジをどう評価するか。就労に関して。 2006・7・11
 道への、旅立ち 2006・7・17
  歴史の怖さの共有とミュージアム活動 (現代マンガ資料館活動の再編成) 2007・3・27
  限界商店街について (増え続ける「貸店舗の貼り紙」) 2007・4・7
5  競争の深化 2008・12・28



              1 チャレンジをどう評価するか。就労に関して。


  リスク回避は当然の選択です。
  公務員志望の高まりはそうした流れの拡大を示していますし、小規模企業縮小の流れの中にもリスク回避的要素が含まれているのかもしれません。

  しかし、リスク回避が当然であるにしても、リスクをたぶんに含む挑戦・冒険という視点からみると、事情は複雑になります。挑戦・冒険という次元の活動が新たな可能性を開く突破口という役割を歴史的に果たしているからです。

  さて、このような視点から就労という問題をみると、どうもリスク回避の流れが投影されているように私には思われます。たとえば、就労が雇用として理解されがちであるところにもリスク回避の問題があるのではないか。つまり、雇用されるという就労形態には、社会の中ですでにある位置を確保している世界に入るという安心感があります。この意味では、リスクの少ない就労形態と意識されるのではないでしょうか。雇用先が、官公庁であったり、大企業であれば、いっそう良いとなるところに、この事情がはっきり見えているようです。  
   
注 同じ雇用先でも雇用形態が複雑になっていますが、ここではふれていません。

  これに対し、起業は、相対的にリスクの多い、チャレンジの次元の選択である場合が少なくないのではないでしょうか。青年の起業の場合、よりチャレンジの性格が強くなるでしょう。もっとも、起業の増大は、いうまでもなく雇用の拡大につながるわけで相互補完的に結びついています。起業は仕事を創り出す働きでもあるからです。私は、どんなものであれ、青年による起業の隆盛に期待しています。(2006・7・11)


  
とはいうものの、実際の起業は大変難しいようです。
  ある青年の古本屋、一ヶ月ほど行かなかった間に閉店していました。
  本の知識も豊富でお客さんと楽しそうに歓談しているようすが印象深く、期待する古本屋のひとつでした。
  家賃が重荷だったのでしょうか。推測しても始まらないことですが衝撃でした。
(2007・8・2)
    


        

             2 道への、旅立ち


体調を崩して大変困難な状況におかれた青年が、先日新しい世界を見つけて旅立ちました。 

  経済的にも精神的にも困難な局面で、 たまたま相談を受け、差し迫った難局を切り抜けるサポートをすることになりました。・・・なんとかクリアできましたが、これからどうなるか不安はどれほどでしたでしょうか。やがて・・・
 
 
  青年が見つけた活路は、地球環境保護にかかわる活動の場でした。
 
  「道」という仕事の発見と私には思えました。

  なにをやろうとしているか、語る青年にオーラが見えました。 
  と出会った青年のたくましさをこれほどに感じたのは久しぶりでした。

  日本国を洗濯しようと志して、幕末の風雲の中で、大きな仕事を成し遂げた坂本龍馬、洗濯という比喩の巧みさにふところの深さを感じますが、これも道の発見のように私には思われます。

  どれだけ大きくなっているか。
  いつか会うことがあれば、また、あらためて驚くことになるのでしょう。
(2006・7・17)

      

     3 歴史の怖さの共有とミュージアム活動(現代マンガ資料館活動の再編成)



青年の就労支援活動など一部活動を2007年3月で終了することにしました。青年問題に対する関心がなくなったわけではなく、むしろ青年がおかれた状況には危機感を深めています。ワーキングプアの問題などの実態は、青年の問題であると同時に私たち自身の問題でもあり、現在のみならず近未来社会のあり方にかかわる深刻な問題です。未来を食いつぶしつつあるかに見える現状が良いわけはなく、これからはより広い形で青年問題にかかわることになるでしょう。

  歴史の怖さはやり直しがきかないことでしょう。リセットしてもう一度・・・ということにはなりません。シミュレーション小説、とりわけ第二次大戦にかかわるものが大量に出版されていますが、歴史の怖さを薄める役割を果たすことにならなければ良いのですが・・・。

  歴史の怖さは、やり直しを許さないだけでなく、生み出したものが、将来のあり方に深く長くまた強く関わり続けることになることです。たとえば、先の戦争と戦後平和が生み出した団塊の世代は人口構成のみならず日本の社会のあり方に深い影響を与え続けることになりました。
  失われた世代と称される就職氷河期に就労期を迎えた世代の問題もまた、これからの日本社会のあり方に深い影響を与えつづけることになるのでしょう。偽装請負のみならず、不安定雇用の蔓延でふみつけにされた青年たちの涙の上に建てられた楼閣にどれだけの意味があるのか、と私は思ってしまいます。

  もうひとつの歴史の怖さは、大きな変化が小さな出来事の累積の帰結である場合が多く、何気ない変化の段階では気がつきにくいことでしょう。たとえば、生活習慣病が好例です。好ましくない量的蓄積が続いてある段階で質的な変化(発症)がおこります。

  日本の人口は2004年をピークに減少段階に入りました。しかし、
合計特殊出生率(注1)は1975年に2を割り込んでからも一貫して低下を続けていて以来30数年が経過したわけで、少子化問題は30数年の歴史を持つ問題ということになります。30年間対策を講じる機会が与えられていたにもかかわらず、残念ながら今日の段階があるということになります。この段階での対策は、事態が構造的なものになっているため、きわめて難しい状況といえるのではないでしょうか。たとえば、つぎのようにです。
 地域医療の崩壊しつつある現状が「産科」の深刻な状況を例に数日前に報道されていました。難しい出産ケースの方が受け入れる病院を探し回ったあげく、死去されたという痛ましいケースも最近の出来事でした。安心して出産できないという環境の出現は(
歴史がある出来事〈注2〉なのですが・・・)少子化問題にマイナスに働く要因といえるでしょう。構造化された段階では、危機がさまざまな形でこのように複合的に立ち現れると私は思っています。予想外の伏兵ということになるのかもしれません。しかも、この伏兵は、少子化問題にとどまらない副作用を起こす可能性があります。たとえば、団塊の世代の退職が始まり、団塊のエネルギーをどう活かすか、さまざまな動きがあるようですが、そのひとつに地方への移住期待というものがあるようです。受け入れ準備を進めている自治体も少なくないようです。しかし、私は、地域医療の危機が受け入れのための障壁になるのではないかと思っています。

  さて、歴史のこのような怖さをミュージアム活動を通して、青年たちと共有(たとえば、問題意識を持った資料の計画的組織的収集など)したいと思い、現代マンガ資料館および昭和史資料室の活動を再編成することにしました。冒頭で述べた青年の就労支援活動の終了(注3)もそのひとつです。

                                                  2007年3月27日


 注1 合計特殊出生率
 
 
一人の女性が一生に生む子供の数を示す指標。
 第一次ベビーブーム(団塊の世代を生む)時は4・5以上という高さで、70年代半ばには2を割り込み、2005年は1・26まで低下。70年代半ばに2を割り込んでからすでに30数年が経過。


 注2 地域医療危機の背景 

 
本田宏(NPO法人・医療制度研究会副理事長)氏などによれば、地域医療危機の背景に医師の絶対的不足があり、これは医師数抑制政策(1983年「医療費亡国論」の登場、医師養成抑制のスタート)の当然の帰結ということのようである。現在、日本の医師数はOECD加盟国平均値以下。
 

 注3 青年の就労支援活動の終了

 
一部活動は継続(情報提供と活動支援)しています。また、希望があれば職場体験受け入れも可能(関係団体、関係者の紹介が必要)です。しかし、職場体験という通念から限りなく遠ざかることになるかもしれません。それでも良ければ、いつでもどうぞ。



     4  限界商店街について(増え続ける「貸店舗の貼り紙」)


● 代マンガ資料館として本関連業種の定点観察めいたことを続けてきましたが、今、書店が減る(注1)だけでなく、さまざまな業種において「貸店舗の貼り紙」が増え続けている事態にいたるところで直面しています。

  閉店の理由はどこにあるのでしょうか。
  経営者の高齢化、後継者難などの主体的条件だけではなく、減り続ける労働分配率、可処分所得の縮小、商店街を包囲する複合大規模小売店などとの競争の激化、等々の外的条件が加わり、やむなく閉店というケースが多いのではないか、と愚考する日々です。
  大阪府の一隅における小さな見聞が、日本列島一円の街のようすにしっかり結びついているように感じられる日々でもあります。統計データから見ると、列島規模で小さな商店の淘汰が進んでいるように思われるからです。

  さて、貸店舗の貼り紙がある量的段階に達すればシャッター商店街となり、個店から商店街という形でひとつのエリア衰退の段階へと進みます。限界集落から限界自治体という用語まで生まれている昨今の地域社会の崩壊問題ですが、この概念を商店街の問題に転用することができるのではないでしょうか。

 限界集落とは、大野晃高知大学教授(当時)が1991年に提唱した概念で、65才以上の高齢者が50%をこえ、共同体としての働きが限界に達している集落と規定されています。事態が改善されなければ、機能を全く失い消滅集落へと進む危機的状況におかれている集落です。このような集落が現在の日本列島には相当数存在するようです。

 この限界集落の概念を転用した限界商店街という考え方
では、商店街をひとつの機能集落ととらえます。また、商店の消滅動向が機能喪失の指標になりうると考え、指標数値を人の年齢ではなく街に占める商店数にしています。たとえば、街を構成する店舗が街の建物の50%を切ったら準限界商店街、80%を切ったら、街を規定する要素としての商店ではなく、商店が点在する街に変わるというようにです。

  今、気になっている地域は、ある地下鉄駅至近の商店街ですが、シャッター街化していて荒廃した印象が目立つようになりました。この段階に至る経過で興味深いのは、荒廃が目立つ段階がきわめて速く進んだように思われることです。ダラダラと進行していて最後の段階が一気に進んだという印象です。シャッターが軒並みおろされた商店街は外観として普通の街でないことは歴然としています。商店という機能に特化した街だから当然なのでしょう。崩壊の過程は資産価値喪失の過程ですから、このような状況における商店街の評価は厳しいものになり、危機を加速させる要因になりうるのではないでしょうか。

  いまや、現代マンガ資料館の観測エリアにおける貸店舗の貼り紙の増大は、普通の出来事になっていて事態が幅広く進んでいることを物語ります。このような事態は、敗戦後の困難な時期、農業や多彩な小売業が復員した兵隊、外地から引き上げた人々、夫を兵火で失った女性
(注2)などを受け入れた懐の深さの喪失であって、家族の変貌も考慮しなければなりませんが、商店の衰退という雇用喪失は見かけ以上に大きなものになるのではないか、と懸念しています。このような視点からも商店街発展のためのさまざまな支援の重要性をあらためて痛感しています。

 さて、現代マンガ資料館では、青年の就労のひとつのあり方として、
起業を重視してそのための本関連業のノウハウの蓄積を心がけ、また情報の提供(インターネットを利用した本の販売など)をしてきました。しかし、厳しい事態に迎え撃たれているわけで、いっそうの研鑽と創意工夫を迫られていると受けとめています。
 
 
                                      
2007・3・27(4/7修正)
   
  
注1 中小書店の廃業進む

 
 「中小の転廃業が続き、この五年で三千店余り減った。」(府商連新聞2007年3月1日号)
  
  
注2 夫を兵火で失った女性の受け皿

  夫を兵火で失った女性の生業のひとつとして貸本屋がその役割を果たしたようです(東京)。




                 5 競争の深化



足繁く通った古書店が年の瀬にあいついで閉店した。不況をひしひしと感じる2008年末になった。

  現代マンガ資料館所在地域でも閉店、ないし貸店舗の貼り紙が着実に増大している。
  地域でも競争がかってなく深まっているのでは・・・。
  世界規模の競争の拡大は、同時に狭い地域における競争を鋭く深めているのではないか。

  私の周りにも派遣等不安定雇用で働く青年が多いが、現在の 派遣社員等の失職と社会的混乱の生起には愕然とする。「やばいからとにかく仕事を探してしがみつけ」とある青年におせっかいしたが急速な展開は脅威である。事態把握にまだまだ甘さがあったと痛感する。
  
  雇用の規制緩和の当然の帰着点ということになるのではと思いつつ、「だから言ったのに・・・」と今言うことができる先見性のある見識は出発の局面では、そもそも少数だった。そして、今、相当の時が経過して、社会の構造的変化の帰着点を見ている。変化の影響はむしろこれから本格化すると見るべきだろうから、先が思いやられる。
  
  労働分配率の下降する状況で、株は下がり、そして地域の不動産を含めたその他の資産の縮小にともなう、逆資産効果の影響もこれから鋭く顕在化するのではないか。
  それだけに競争は熾烈になるが、これまで以上に複雑なものになる。たとえば、近くの商店街同士、あるいは同業との競争は、近隣の大規模ショッピングセンターとの競争と重なる。前者の場合は、隣の商店街の同業者は競争相手であっても、後者の場合は連携するべき相手となる。ふたつのケースのみならず、次元の異なる競争が複雑にからみあって展開されていく。たとえば、大阪と東京の競争なども加わることになる。競争の深化は、競争の激化と複雑化がクロスして展開する事態である。それぞれの競争局面で魅力を構築することが必要という意味で、総合的魅力をどうつくり出すことができるかということになるだろう。  しかし、事態の動きは速く、与えられている時間は少ない。  

                                        (2008・12・28)