現代マンガ資料館の視点・主張A  ミュージアム・野外文化教育            


 @ 骨董市というユニークな空間の効用  2004年12月25日
 A エコミュージアムという視点1  <部分と全体の統合・大東市御領>       2005年 3月13日
 B エコミュージアムという視点2  <街頭紙芝居> 2005年 3月31日
 C グローバルな動きと私的経験(グローバル空間としての骨董市) 2006年 5月21日
 D エコミュージアムという視点3  <野外文化という存在とミュージアム>    予定
 E エコミュージアムという視点4  <飢えることの描写>    予定

 

             1 骨董市というユニークな空間の効用 


               太平洋戦争中の日本航空学会誌
                3月20日骨董市で入手「もうひとつの戦場として」展示予定


 系統的に展示された空間としてのミュージアムには、整理された空間であるがゆえの距離を感じるのは私だけでしょうか。一般的に視覚に頼る観覧であり、話題の展示会になると、混雑が大変です。 
 視点を変えると、もっと身近にミュージアムを楽しむことができます。
 たとえば、骨董市、とりわけ青空骨董市は、
  @五感を駆使できる(触れる、しゃべれる・・店主との対話など)
  A優品からなにがなんだかわからないものまで存在(全く整理されていない場合も少なくない)
  Bアカデミックな雰囲気・権威は全くない
  C混雑そのものが環境(ワイワイガヤガヤという雰囲気がない骨董市にはかえって距離感がある)
  D動きがある(観覧者と店主とのやりとり、誰かが買えば資料は消えるなど)

  要するに、スリリングな空間であり、自前の着眼点、発想で、資料価値(金銭的なものではない)を発見することが可能な所が骨董市ということができるでしょう。
  これはミュージアムではない、ということではなくて、このような観覧者の自由で気ままな行動が許されたユニークなミュージアムと考えてみたらどうでしょうか。
 観覧する方がその場で自前につくってしまえる(発見)ミュージアムということにしてしまえば、良いのです。


  柔軟な発想、着眼点の練習にもなるでしょう。
  あなたの町に青空骨董市があれば、ひやかしに行かれてはどうでしょうか。
  フィールドには、思いがけない発見と出会いがあります。         (2004年12月25日)

              

             2 エコミュージアムという視点1 部分と全体の統合(大東市御領)


             大東市御領  守口市梶町
   


  写真左は、大阪府大東市御領の一部です。水路に面した建物と浮かぶ舟(三枚板)。水郷の景観を具体的にとらえることができるでしょう。このうちの三枚板というひとつのファクターを保存することは、この景観を保持することに比べたら、はるかに容易といえるでしょう。

  三枚板をひとつの木とするならば、この景観は森ということになり、木を見て森を見ることができる現場というわけです。もっと一般化していえば、部分と同時に全体をとらえる(統合)ということになります。
  さまざまな資料の展示の本質は、「体験の拡大」であると現代マンガ資料館では考えていますが、残念ながら、展示はひとつのファクターの展示に傾斜しがちです。部分を包括した全体が遺存することが難しいからです。展示する場合、全体像をイメージできるように工夫に努めますが、どうしても限界が生じてしまいます。

 野外ミュージアムを重視する根拠です。
 部分と全体の統合の現場といえますし、観覧者にとって、対象をとらえるために多くの感覚を動員できるという意味で対象の全体に少しでも迫ることができるという長所があります。たとえば、水路に浮かぶ三枚板から三枚板の動きをイメージできるだけでなく、水路のにおい、ふきわたる風、くらしの音などを同時に知覚することができるでしょう。

 先日、河内平野をメソポタミア河内と称した新聞記事を拝見しました。いうまでもないでしょうが、チグリスとユーフラテス川の流域に誕生したメソポタミア文明に河内地域を重ねた興味深い見方です。メソポタミア河内を振り返る場合、水と能動的に向き合い、水郷を創造しえた人々の足跡を希有の営みで伝える大東市御領や、守口市梶町の水郷保存の活動も大きな手がかりになるでしょう。
 



     3 エコミュージアムという視点2 街頭紙芝居

   


 大阪市西成区(マンガ「じゃり子チエ」の活躍舞台)の一角に塩崎紙芝居博物館があります。戦後の一時期、一世を風靡した街頭紙芝居の所蔵で知られる博物館です。

 興味深いのは、紙芝居を展示するだけでなく、現在も街頭で紙芝居を往時そのままに続けているところです。紙芝居のおじちゃん、おばちゃんとこどもたちの会話も含めて、往時の街頭が再現される活動です。演じられてこそ、紙芝居と私は考えますから、これこそ野外ミュージアムです。

 街頭紙芝居というファクターは、街頭での上演という次元で、その本質を描写できるということでしょうか。
 演じ手がいて観覧者に語りかけるなど双方向性を重視した高度なコミュニケーション手段といえる街頭紙芝居の本質は、資料を展示することで描写することは困難というべきでしょう。

 昭和のある時期にひとつのエポックをつくりだした紙芝居は、語りのコミュニケーションですから、演じ手の存在も時代描写の対象になりえます。たとえば、軍隊帰りの青年が紙芝居屋さんにたくさんなったということですから、その服装は、軍服をつくりなおしたものだったり、軍服そのものだったりということが考えられるでしょう。戦時プロパガンダ目的の紙芝居を実演するためには、国民服のおっちゃんが適当でしょう。紙芝居そのものだけでなく、演じ手というファクターの存在は決して軽くなかった、と私は考えています。
 街頭紙芝居は、このように、展示のあり方を深めるうえで、大変示唆に富んだ存在です。

 街頭紙芝居による昭和20年代、30年代の再現は、大阪市平野区「平野町ぐるみ博物館」で、毎月第3日曜に実演されていますので、観覧をお勧めします。(2005年3月31日)

     

      4 グローバルな動きと私的経験(グローバル空間としての骨董市)


 2006年5月21日。

 ふたりの青年を案内して骨董市を訪ねました。
 幅のある発想、着眼点を楽しみ、大変嬉しい時間でした。

 さて、昨今の日本を訪れる観光客の増大は骨董市でも顕著のようです。しかし、今回は、骨董市において、外国の方が出店された店との出会い、ましてや「近代日本の史料」を購うという経験をしました。なるほど・・・・出店は、客として訪れる場合と比較すると、かなり踏み込んだ行動です。ここまできたか、というのが実感で、エネルギーと着眼点に脱帽というところでした。
 
 この日の商は稚拙と思われましたが、これからの可能性に満ちていると思いました。
 グローバル化とは、このような状況が一般化することをいうのでしょう。
 日本海海戦関連号外、敗戦後の選挙に立候補した女性候補を支援する作家川端康成(伊豆の踊り子などの作家)のはがき、軍事郵便などを購入しましたが、やはり、個々の史料の内容を掌握しているとは思えない状況でした。だからこそ、大胆不敵な行動といえるわけで、私的にはいっそう好感が持てました。
 
 骨董市を訪れる楽しみが広がったようです。