現代マンガ資料館の視点・主張@  読書・マンガ    

                        

 @ コミック著作権問題に関する現代マンガ資料館の基本的立場 2003年 3月14日
 A 豊かな読書と体験、そしてミュージアムの不可分なかかわりについて  2004年12月 6日
 B マンガの国際化について 2004年12月13日
 C コミック著作権問題の新しい段階について 2004年12月20日
 D 書店戦国時代<読書というこだわり、本という商品> 2004年12月31日
 E インターネット古書店「くまのほんやさん」の問題意識 2005年 6月12日
 F 観光資源としての古書店の可能性 2006年 9月 3日
 G 今、マンガを考える@ マンガという表現領域の相対化  2007年11月3日


              1 コミック著作権問題に関する現代マンガ資料館の基本的立場  

 
 「21世紀のコミック作家の著作権を考える会」のアピールを全面的に支持します。現在は創作基盤崩壊の可能性を内包する歴史的局面です。2003年3月14日

 コミック利用の新しい業態の出店ラッシュは、ふたつの意味で新しい局面を切り開いています。
 @ 新しい業態は自らの量的増加に加え、コミックの商業利用の幅を広げる先導的役割をになうことで影響力を拡大しています。
 A 新しい業態が読者の生活に深く浸透し始め、コミックの新しい読み方として定着しつつあります。
 主として大阪市内の変化を観察した印象です。再販の困難が生じているとするならば、このような流れの必然的結果といえそうですし、これはますます拡大する可能性があります。このような流れが奔流になった時、矛盾は新人マンガ家に集中していく可能性があります。創作基盤崩壊の可能性をないほう内包する歴史的局面と判断する理由です。
  「21世紀のコミック作家の著作権を考える会」のアピールはこの歴史的な危機的状況を打開するための不可欠な提起と思われます。
 
 一日も早い「貸与権」の確立を望みたい。


              2 豊かな読書と体験、そしてミュージアムの不可分なかかわりについて     

 現代マンガ資料館では、豊かな読書は体験と不可分にかかわると考え、読書への関心と意欲を高める鍵として体験と読書のかかわりを重視したミュージアム活動を行っています。この活動を複合展示と呼んでいますが、資料展示、体験、本の紹介(展示及びブックトーク)の組み合わせによる相乗効果をねらった活動です。
 複合展示の一形態である「野外ミュージアム」の一例では次のように行っています。

 ●こどもたちの関心が高い「恐竜の時代」をテーマにした活動
  ◆白亜紀後期などの化石発掘体験
  ◆現場で採集された化石の展示(化石とビジュアルな解説)
  ◆本の展示紹介
  を野外現場で行い効果を上げてきました。

 フランスの絵本「カロリーヌシリーズ」は現代マンガ資料館お勧めの絵本ですが、主人公カロリーヌが楽しいなかまと化石採集にチャレンジするものがあります。絵本には、カロリーヌたちが、化石を発掘しているようすや事件が描かれています。こどもたちの化石発掘体験は、カロリーヌの冒険をより深く楽しむきっかけになるようです。

 体験は、読書への関心・意欲を高め、こどもたちの世界を広げます。ミュージアムの役割は体験の拡大ですから、ミュージアムと読書のかかわりもまた不可分といえるでしょう。(2004年12月6日)

                

    
            
  3 マンガの国際化について      


 韓国の皆さんが日本のマンガ事情視察目的で来館。たのしく歓談。
 マンガが国境をこえるという現実を痛感しました。
 二ヶ月前には中国の方がお見えになり、名探偵コナンを購入。今中国では名探偵コナンが大人気なのだそうです。


 
マンガの国際化は日本のマンガ事情をこえて急速に進展しているように思われます。つまり、マンガ国際化のイニシアティーブの所在そのものの多様化が、マンガの国際化の特色ではないのか、という思いがしました。
 日本マンガの諸外国による吸収・消化・独自展開という要素は、マンガの国際化のひとつの柱という感じがします。マンガ・アニメはひとつの表現方法であり、伝達手段です。どのような情報をどのように表現するか、という実 際的展開においては、それぞれ固有文化に立脚した独自の展開が必然的に生まれます。それぞれに創造的な性格を持ち、独自のキャラクター、独自のストーリーをさまざまに生み出しながら、大変ダイナミックに展開していくように思われます。

  1990年代初め、ある大手出版社の雑誌で「
漫画亡国論」が特集されていましたが、わずか10年余の時間の動きには大変激しいものがあります。そしてこの動きは、加速化しているようにも思われます。興味深い展開です。たぶん、現在はひとつの変革期なのでしょう。 (2004年12月14日)
            

        
東京国際アニメフェア2004 韓国ブー  

              
               4 コミック著作権問題の新しい段階について      


  著作権法が改正され、書籍・雑誌の貸与権が確立されました。1984年の法律改正の段階で留保されていた問題があらためて適用され、書籍雑誌の著作権問題は新しい段階に入りました。
  貸与権の適用が留保された1984年段階の貸本業は、貸本と生産・出版のかかわりを完全に失っていましたが、消費・流通段階においても影響力を失いつつある状況で零細個人業の性格が基調でした。貸本隆盛の時代の名残をとどめるが、量質ともに風化が進む歴史的業種というもので、貸与権を適用するまでもない存在だったのでしょう。
 皮肉なことに、貸本業は、この頃、貸本のチェーン展開の動きが見られるように、少しずつ息を吹き返しつつありました。 しかし、新しい動 きは、コミック出版の隆盛、コミックのある生活の広がりを背景に、既存出版に全面的に依拠した消費・流通段階における一業態としての性格を濃厚にしていました。この段階においては、貸与権の適用留保は、一種の「すきま」としての可能性をコミックの商用利用に付与する役割をはたしたのではないでしょうか。この可能性は、以来、貸本にとどまらない、すきま商売としてのコミックの商用利用の幅を広げ、経営主体の多様化、経営規模の拡大などとも結びついて大きな影響力を持つにいたりました。このような流れは、本の出版から消費を含めた包括的業態として近世以来の歴史を保持し、また、戦後マンガ草創期にマンガ発展の一翼をになった貸本の歴史的遺産を断ち切る役割といえるでしょう。貸与権はこの流れのなかで浮上した問題であり、新しい局面への対応と して必要な措置のひとつでしょう。      
  法律改正にともなう諸改革がスタートしていますが、著作権の保護強化は、マンガの国際的位置からみても急務の課題であり、しっかりした基礎づくりを期待したいと思います。                                       
(2004年12月20日、21日一部修正)


              5 書店戦国時代<読書というこだわり、本という商品> 


 本関連業界を若者が働く場(自営)としてとても魅力的に描いた本にいくつか出会いました。紹介されている事例のひとつひとつが、とてもすばらしい活動です。「働く」という問題がさまざまに問われている昨今の社会ですが、私的には本関連業界が若者にとって魅力的な働く場であることを願っています。
  しかし、本の流通段階は苛烈な競争局面にあります。したがって、夢を描ききれずに消えていく店も多く、注意して地域の動きを見れば、浮沈の激しさを観察することができるでしょう。

           
      ※ 大阪市域の一行政区の一部地域という比較的狭い空間で近年閉じた古書店、若者が経営。極めて短期間の営業が印象深い。
  
 若者の起業コースとして本の流通関連業界は、新刊本屋、古本、貸本、新古書店、インターネット古書店、マンガ喫茶、マンガ図書館というように、業態の多様化という質的な変革の最中にあります。さまざまな要素がからみあう複雑さのために事態を見通すことがいっそう難しくなりつつあります。たとえば、マンガ図書館はビル2階など使いにくいとされた空間の活性化と結びついていますように、あるいは、インターネット古書店はPCと本(仕入能力)があれば開業可能というように、新しい業態と結びついた開業条件の拡大が競争促進に一役かうというようにです。インターネット古書店の場合、地理的商圏はなく、影響を予測することは事実上不可能です。
 
 複雑な群雄割拠は戦国のシンボルです。
 若者にとって、本関連の起業は、かってなく困難な局面と思われますが、だからこそ、チャレンジの価値があると私的には思います。本へのこだわり(テーマ)を持った十分な準備が必要とされでしょう。
                                            (2004年12月31日、2005年1月6日一部修正)     

             6 インターネット古書店「くまのほんやさん」の問題意識            

      

 
 インターネット古書店「くまのほんやさん」がスタートすることになりました。

  資本を持たない零細な個人(グループ)がチャレンジできる舞台が縮小しつつあるようです。この部分、この仕事は、個人のものという暗黙の住み分けがなされた時代は、社会的に寛容な時代でもありました。貸本業は、かってそのような舞台のひとつでした。貸与権の適用留保など法律的緩和策などもとられてきた歴史的経過にそのような事情が投影されています。貸与権の適用緩和をベースにして著作権保護のスキマが形成されましたが、スキマをつくることがわかっていて、なお歴史的社会的事情が考慮された背景にもこの寛容の問題が存在したものと私は理解しています。

 社会的住み分けの崩壊は、スキマをただ、ビジネスチャンスととらえる経済事情の厳しさがもたらしたものでしょう。住み難い社会になりつつある一例とみることもできるでしょう。

 インターネットは、社会的住み分けというよりも、個人の存在が相対的に保証された舞台としての可能性を有しています。余裕の乏しくなった社会的環境下で、「くまのほんやさん」は個人の可能性という次元で、さまざまな試みにチャレンジする予定です。(2005年6月12日)
  
           


              7 観光資源としての古書店の可能性


  久しぶりに大阪駅前の古書店に出かけました。
  駅前第一ビル1階の古書街が消えていました。
  天神橋筋商店街界隈でも、古書店が2店(私の知る範囲)閉じていました。
  先日の神戸元町高架下商店街でも実感したところですが、小さな古書店の経営は、大阪、神戸を問わず、厳しさが増しているようです。神戸訪問の楽しさが減ったというのが私的思いですが、古書店街には、一般的にも文化的観光資源としての可能性があるように思えますので、ボロボロと風化するように古書店が消えていく状況は残念なことです。

 東京神田、古書の街。この魅力はいったいなんなんでしょう。私の場合、東京に出かけると、ついつい神田に出かけてしまうことになります。また、神田に出かけるために東京に出かけます。
  また、骨董市を訪ねる外国からの観光客の皆さんの動きは、歴史的伝統的なものを扱う場が観光資源であることを如実に示しています。街の歴史的奥行きをマーケットという日常生活の次元で物語る存在だからです。マーケットで観光の皆さんが出会う「もの」には、展示された「もの」と異なる輝きがあるからだ、と私は思います。 
 


               8  今、マンガを考える@ マンガという表現領域の相対化

 
 最近、ある雑誌の中で漫画のルーツとして銅鐸などに描かれた図なども対象とするような見解を見た。これは間違いだろう。すくなくとも言い過ぎである。絵図という形のみにこだわると、あらゆる絵図に漫画の姿を見ることになるのではないか。

 漫画は、さまざまな批判の矢面にたたされることが多かった表現領域である。勉強の敵である云々ということで、焚書という危難も経験している。漫画を表現領域の中で相対化できずに絶対的に悪と考える悪しき見本である。どんな表現領域もその内容はさまざまであり、ある視点から見れば、悪いものもあれば良いものもある。漫画作品のすべてが悪いわけではない。こどもたちを引きつける魅力は、結果として勉強のジャマになったかもしれないが、漫画という表現領域の可能性を物語るものであった。言葉の壁を簡単に乗りこえた今日の漫画のグローバルな活躍の力をそこに見ることが出来なかった不幸な一例だろう。

 さて、漫画を悪とする漫画の絶対化ばかりでなく、先にふれた例のように、なんでもかんでも漫画の力と可能性を物語るものにしてしまう、という逆の絶対化もありうるといえるだろう。

 ふりこの針が逆にふれた時に往々としておこりやすい問題なのではないか。

 かって、現代マンガ資料館の前を通り過ぎた自転車から「漫画なんて読書じゃない」という悪罵を投げつけられた経験がある。同じ問題を一般化すると、「大の大人が恥ずかしくもなく電車内で漫画を読んでいるのは日本だけだ」なんていう批判になるだろう。読書を批判する人はまず少ないだろうから、漫画は読書じゃないという前提がないと、このような批判は生じないだろう。現代マンガ資料館の経験と電車内における漫画読みはけしからん、という問題の本質は同じなのだといえよう。


 このような批判に対して、現代マンガ資料館では、マンガを欠かすことができない表現領域のひとつとして位置づけ、さまざまな表現領域の中で対等平等に扱うことを基本として対応してきました。漫画の相対化です。
 
 グローバルな漫画の活躍は経済的成功の顔を持つことで、社会的地歩を確かなものにしたかに見える。このような段階だからこそ、漫画を絶対化しない謙虚さがいっそう必要という局面になるのではないか。自戒しなければなるまい。

                                      2007・11・3