みちこ&敬 守口門真歴史ミステリー探索11

「敬ちゃん。ダイナミックな大地の動きって面白い」
「写真はこの間取材した滋賀県の琵琶湖だよ。葦原の先に沿岸州を含めた帯状の広がりがみられるよね」
「うん」
「こんな陸域と水域の境界を水辺移行帯と呼んでいるんだけど、昔から人との関わりが深い所なんだ」
「ふうん」
「河内湖一帯に広がっていて、人々はたぶん魚捕りなど日常的に利用していただろうね」

「沿岸州はもっと発達すると、湿地帯の中の微高地というわけね」
「うん。もっと面白い使われ方もしているよ」
    
「なに・・・」
「剣街道の場合、河内国と攝津国との国境を決めるのに利用されている。政治的役割も果たしたといえるよね」
「ふうん。剣街道は国境の道なんだ」
「汀(なぎさ)線が利用されたんだけど、一般的にみても、自然条件は境界を画する条件として利用されることが多いものね」
「なるほど」
「ところで、みっちゃん。古代の景観をイメージしながら、古代のロマンを追ってみようと思うんだ」
「うみ辺の暮らしね・・・なぎさに打ち寄せる波、葦原、行き交う舟、彼方の台地・・・」
「うん・・・それもあるけど・・・」
「上町台地の一角、今の森之宮には大きな貝塚がたしかあったわ」
「上町台地は安定した土地だからね」

  

「さて、みっちゃん。逆に上町台地から守口門真方面はどのように見えただろうか」
 守口門真遠望(撮影城東区鴫野)
「うーん。難しいわ・・・」
「湖に注ぎ込む大河、陽に輝く湖面、生駒の山並み、葦原に縁取りされた緑の島・・・なんていう景色だったかもしれない。そして、ある時は荒れ狂う濁流にのみ込まれる大地」
「なるほど・・・でも敬ちゃん、“島”って何・・・」
「淀川の働きで生まれた三角州地帯が支流で分断されて、ひとつの島を形成したと考えられるのさ。湖に浮かぶひとつの島」
「ふうん・・・」

 

 「みっちやん。古代の歴史書“古事記”の記述に、難波に関係するいくつかの“島”が出てくるんだけど、その中に“ヒメ”がある。大阪平野の歴史について貴重な業績を残されている梶山・市原というお二人の学者が面白い指摘をしているんだ」
「どんなこと」
「西淀川区の姫島が伝承のヒメ島と考えられていたんだけど、古地理の復元が進んで、大阪湾内に位置する姫島ではなく、海峡の内側の三角州地帯で支流により分断されて島状の地形を形成した旭区から守口にかけての一帯がヒメ島ではないかという指摘をされているんだ。ヒメ島が海峡の内側に存在するという前提は、伝承の中で大変はっきりしている。こんな話は想像がふくらむよね」
「ふうん」




河内湖U時代 5世紀頃“梶山・市原原図

「では、みっちゃん。伝承の世界に出かけてみようか」
「うん。楽しみ」


「古代朝鮮半島の新羅(しらぎ)という国の王子“天之日矛(アメノヒボコ)”の妻“阿加流比賣(アカルヒメ)”が夫のわがままを怒って、夫を捨ててヒメ島にやって来るんだ。左は古事記の応神天皇紀の一部で天之日矛にふれたものだよ」
「へぇ・・・」

「自分のわがままから妻に逃げられたアメノヒボコはアカルヒメ恋しさに探しに難波に来るんだけど、難波の海峡の神様に邪魔されてしまうのさ」
「何があったのかしら」
「そこまで書かれていないけど、王子は、あきらめきれずに日本の但馬地方に住み着いてしまう(帰化)ことになる」

「ふうん。壮大な夫婦喧嘩の物語というわけね」
「そういう見方もできるよね。もっと政治的にいうと、アカルヒメの渡来は一種の亡命。難波津の国際的位置を示している話だよね」
「なるほど。王子が難波津に来たのもそういうことよね」
「うん。海峡の神様が邪魔したのが、アカルヒメの亡命受け入れと保護を示していると考えたら面白いよね」

「それから、王子と姫はどうなったの」
「伝承は、ふたりの関係に直接ふれていないんだ。アカルヒメを祭神とする神社が存在したけど、現在確認できない」
「ふうん。結局いっしょになれなかったのね。王子もかわいそうね。妻に逃げられたのが渡来の理由なんて歴史に残って・・・」
「うん。でも人間的で良いんじゃない」

「・・・アカルヒメはヒメ島でどうしていたのかしら」
「ヒメ島のなぎさで、アメノヒボコのことや、新羅でのくらしを考えていたかもしれないね」
「ふうん」
「ヒメ島のなぎさで見る景観は海の交通と深い関わりをもっていたと思うんだ。たとえば、舟の出入りとかね」
「なるほど・・・朝鮮半島との地理的つ
ながりを感じさせる所なんだわ」
「うん」
「なぎさにて・・・イメージが広がるわね」




参考文献
 日本古典文学大系1「古事記」岩波書店 昭和33年
 大阪平野のおいたち 梶山彦太郎・市原実 青木書店 1986 
 新訂「古事記」 武田祐吉・中村啓信 角川文庫 昭和52年


写真

 
滋賀県琵琶湖 2003年11月撮影 堅田浜
 
城東区鴫野から見た守口門真遠景 2003年11月撮影

古地理復元図

 河内湖Uの時代 梶山・市原原図に着色

古事記応神紀部分図 
  日本古典文学大系1「古事記」 岩波書店より

追加データ“近日予定”
 森之宮遺跡などの遺跡群
 ミュージアムなどの紹介
 その他
 
 河内湖三部作が完成しました。時の彼方の存在である河内湖のイメージをつかむために人の息吹を描写することを目指しました。湖のイメージを人の息吹の描写によって深めることができたでしょうか。
 湖のイメージを描写するため、琵琶湖の情景を取り入れました。もちろん、沿岸州を含めた水辺移行帯の記録が主目的でしたが、河内湖のイメージもたぶんこんなものではなかったかと自信を深めています。そして、今回は紹介できませんでしたが、水辺移行帯と人々のくらしと生業のかかわりなども、十分参考になるのではないかと考えています。

 守口門真遠望写真は、ほとんど建物で埋め尽くされた光景です。古い景観をイメージするためには、建物をきらめく湖面に置き換える必要があります。時のうつろいを把握していただくことも目的でした。つまり、守口門真遠望とはいうものの、ほとんどが旧河内湖の部分を紹介しているということになります。撮影地鴫野も河内湖内に存在した地点です。

 伝承の解釈を楽しみました。
 また、取材にあたっては、多くのみなさんのお世話になりました。御礼申し上げます。