みちこ&敬 守口門真歴史ミステリー探訪H

       「みっちゃん、風林火山って知っている」
       「もちろんよ。戦国時代の武将武田家の旗印でしょ。風にも林にも火にも山にも意味があるのよね」
       「そうなんだ。武田騎馬軍団の威風堂々、疾風怒濤、緩急自在の戦い振りをイメージできることばだよね」
       「あたし、このことばすきよ」
       「・・・・ふうん。」               

       「動かざること山のごとし、少々のことでは動じない、でもいったん動いたら疾風のごとし・・・」
       「でもね、みっちゃん、山が動かないというのはどうかな。本当は動いているんだけど」
       「敬ちゃんて、ロマンのわからない人ね」
       「大地も動いているというのが真理だよね。大陸そのものが移動して現在の形になっている(大陸移動説)わけで、不動の
        大地とも言ってるけど、あくまで見かけの安定と考えるべきだよね」
       「はい、はい」
       「大地はダイナミックに動いているのさ。人の手で変えられる場合も含めてね。守口門真で大地のミステリーを追ってみな
        い」
       「面白そうね」
             
        
                                   鶴見新山山頂からの守口門真遠望

       「鶴見新山の山頂、標高40,8mから眺めると守口門真のようすがよくわかるよね」
       「見渡す限りの平地に造られた人造の山塊。動かざること山のごとしどころか、人が山を造った物語なのねぇ・・・」
       「山になる前はクリーク(水路)が発達して、田んぼや蓮池がある湿地帯だったそうだ」
       「ふうん」
       「国際花と緑の博覧会会場として使われて、いまやすてきな文化ゾーンだよね」
       「花博の施設がたくさん残る面白い空間ね」
       「ここに来たのは、大地の変化のシンボルとして見ているからだけど、もうひとつあるんだ」
       「えっ・・・?」
       「かってのクリークが発達した湿地帯の本質、つまりなぜ湿地帯だったのかということを考えてみようと思うんだ」
       「ふうん」
       「そこから大地の動きと人の営みが見えてくるかもしれない」
               

            
  「あっ、これこれ。この道路、花博公園を南北に縦断しているけど、この道   
  が大地の動きを知る手がかりになる」
  「????」
  「この道は古い街道のひとつで剣街道と呼ばれていたものだよ。もっとも
  旧街道の幅がこんなにあるはずがない。旧街道は歩道部分で、バイクの
  走る車道は湿地帯の水路部分で、あわせて現在の道になっているんだ」
  「ふうん。なんとかイメージできるわ」

  「少し時代をさかのぼって、大地の動きを追ってみようか」
      
 
  
  
 
  「大阪平野にはかって内湾の時代があり、やがて河内湖と呼ばれる湖の時代
  
あったということはみっちゃん知っているよね」
  「旧石器時代のウルム氷期に陸地だったけど、温暖化に伴う縄文海進で河内湾に
  になって、それがやがて河内湖になるという歴史よね」
  「で今は見ての通りさ。河内湖は消失している」
  「大阪平野だものね」
  「うん。河内湖は少しずつ縮小していくんだけど、これは湖が動いていくことだよね。
  どんなふうに動いたか興味があるね」
  「へえ・・」
  「この道路は、湖がどう動いたか、どのように消えていったのか、を考える手がかり
  になるのさ」


内湾の時代の証人
  「牡蠣」守口市庭窪浄水場出土
沿岸州  5世紀頃の大阪平野(斜線部水域)
                                    河内湖Uの時代「梶山・市原1985年」図部分
「みっちゃん、沿岸州って知っている」
「ぜんぜんわからない」
「沿岸州の州は中州≪なかす≫のスだよ。中州というのは川の中に土砂が堆積してつくられた陸地をいうんだけど、中之
島をイメージしてもらったらよくわかるよ」
「なるほど」
「沿岸州というのはね、海岸などに沿って砂が堆積してできあがった州なんだけど、波が砂を運んでつくりあげたものだか
ら、海岸に平行して帯状の高地ができるのさ。だから、岸と沿岸州との間には岸に沿った浅い水路帯ができることになる
んだけど、上の図はそれをイメージしたものだよ」
「ふうん。かっての河内湖でも沿岸州がつくられたんだ」

「この道(上写真)が沿岸州の名残だよ」
「ふうん。湿地帯の中の小高い土地だものね。利用しない手はない」
「そうだよね」
「このあたりの河内湖は次々南北に走る沿岸州をつくりながら、西へ後退していくんだけど、汀の後退につれて沿岸州の
背後の浅い水路帯は沼やクリーク(水路)が発達した後背湿地帯と呼ばれる土地になっていくんだ」
「なるほど」
「沿岸州が南北に走り、後背湿地帯も南北に広がる、このあたりの古い道が南北に走って、水路が南北に流れているの
も、こういう地理的、自然的状況から考えると納得できるよね」
「面白いね」
「この道(剣街道)の西に明治になってから、中高野街道と呼ばれた新道ができて、この道はさびれてしまうんだけど、新道
ももちろん沿岸州を利用した南北道というわけさ」
「面白いわね。湖がどう動いたか、本当によくわかったわ」
「動かざること山のごとし、という考え方が大地の見かけの安定を前提にした考え方であることが鮮明になったよね」
「うん。勉強になった。守口門真っていろいろあるのね・・・」
「ほんとだね。守口宿の街道の形状から封建時代の姿が見えてきたけど、剣街道の形状から大地の動きが見えてくるとは
ね・・・」                    
 参考文献
  「大阪平野のおいたち」 梶山彦太郎・市原実 1986 青木書店 
  「鶴見区昔ばなし」 昭和59年 ローカル通信社 
  また、剣街道などの調査については多くの皆さんのお世話になりました。お礼申し上げます。
  なお、守口門真の視点から問題を整理しましたが、本テーマに関しては、大阪市鶴見区、旭区の地域も深くかかわっている問題でもあります。たとえば、剣街道は鶴見区、旭区等を経由して守口にいたる街道です。これは、ある時期の河内湖の形状でもあるわけで、本テーマからみれば、一体的地域といえるでしょう。このような視点から問題をご理解ください。

          交通と周辺のミュージアム
○ 京阪線 西三荘駅からミュージアムロードを経て花博公園
 松下電器「歴史館」・山岡金属工業「夢工房技術館」・「守口市立現代南画美術館」。花博記念公園では「咲くやこの花館」などのミュージアム。
○ 大阪市営地下鉄 鶴見緑地駅すぐ 
 花博公園、剣街道の確認、ミュージアムロード散策、西三
荘駅という逆コースも楽しい。