悲しみの刻印

                    みちこ&敬 の守口門真歴史ミステリー探訪E

                    難宗寺景観

       「敬ちゃん、このお寺元和元年(1615)の兵火で焼かれているんだね。ここに書いてあるわよ」
       「大坂夏の陣だよね」
       「豊臣氏が滅んだ戦いね」
       「うん、難攻不落の大坂城も堀を埋められて裸城にされて、意外に短期間にやられてしまったよね」
       「このお寺、どうして焼かれたのかしら・・・戦いがここであったのかしら」
       「たぶん大坂方に焼かれているよ。堺のようにね」
       「ふうん、なぜなの」
       「もちろん、徳川方に利用されないようにだよ。皮肉なことにね、夏の陣の勝利を確信していた徳川方は大坂方の逃げ口とし
        てこの方面をあけているんだ。つまり全く戦闘がなかったんだ」
       「ふうん」

       「落城後、たくさんの人々がこちらに逃げてきているよ。たとえば、豊臣秀頼公の忘れ形見国松君が捕縛されたのも伏見だし、
        京都でもたくさんつかまっているよ。凄まじい落武者狩りが行なわれているからね。それにね、淀殿の妹にあたる常高院の
        一行も守口まで逃げてきたという記録があるんだけど、この方のお供に淀殿付の侍女"おきく"がいて、脱出体験を残してい
        るのでわかるんだ」
       「へえ・・・逃げ切ったんだ」
       「うん、なかなかの女性だよね。近江浅井家の家臣の娘だから、淀殿(浅井長政の娘)とは深い関係があった女性といえるよ
        ね。それにもかかわらず、落城に際してさっさと逃げ出したり、傷ついた侍が手当てを頼んでいるのに無視して逃げるなどし
        ているから、薄情でドライな娘とみなされてきた人だよ」
       「ドライで冷たい女性(ひと)なの・・・」
       「おきくの体験談はおきく物語として刊行されてるんだけど、豊臣家の主従関係が浮薄でだらしないものだった、ということに
        なるんだよね。つまり、豊臣秀頼も淀殿もその程度の君主でしかない、という主家豊臣家を滅ぼした徳川方にとって歓迎で
        きる内容といえるよね。逆に忠義の侍女の活躍物語ということだったら、とても刊行できなかっただろうね」
       「なるほど・・・でもそれだけでは、おきくさんがドライで冷たいということを否定できないわ」
       「そうだよね。でもね、おきく物語を読むと不可解であいまいな記述が少なくないんだ。だから、後世の解釈も混乱している場
        合もあるほどだよ」
       「ふうん」

       「とくにね。5月7日、最後の総攻撃も敗れた大坂城最後の日で、おきく脱出の日でもあるんだけど、どんなに早くても守口着、
        そして徳川方の指示を待ってそれが出るのは、もう日が落ちた時間と考えられるんだ。目的地が京都として、そんな時間か
        ら、またそんな状況で京都に向けて出立するのは難しいと考えざるをえない。せっかく守口で受入れられているんだからね。
        ふつう、落人をほいほい受入れてくれるところはないよ。事実、その後はそれで困ったという記述があるほどなんだ。つまり、
        守口に泊まった可能性が極めて高い。しかし、この点は全く記載がない。おまけに、この夜は大坂落城の炎が燃え盛った
        夜でもある。おきくにとって終生忘れがたい痛恨の夜でもあったと思えるんだけど、この夜については徹底してあいまいなん
        だ」
                  元和元年5月7日夜 守口 (東津応画)

       「事情があるとしか考えられないわ。あいまいにしておきたかったのかしら・・・」
       「うん、明確にするとかえって困る事情の存在を示唆しているよね」
       「この日から京都の誓願寺までの行程や感慨は適当にあいまいにしておきたかった、のではないか・・・おきくさんは秀吉の
        側室のひとりで近江浅井家とも関係の深い松の丸殿(京都誓願寺にいた)を頼って誓願寺に行くんだけど、しばらくして、国
        松君が京都で処刑され、その遺骸をひきとっているのが誓願寺なんだよね。ぼくは、このことからもおきくさんの忠義を疑わ
        ないね。また、ドライにさっさと逃げ出していて、浅井家の縁を頼って松の丸殿を頼るということはありえないのではないか、
        と思うんだ」
       「そうだよね・・・真相は隠されているんだ」
       「生きのびるためにね」

       「ねえ、敬ちゃん、おきくさんて賢くて素敵な女性だったのでしょうね。いったいどこに泊まったのかしら・・・」
       「元和元年5月7日、守口の夜は、おきくさんにとって忘れ難い悲しみの刻印された日といえるだろうね。こんな日を語る
        言葉を人は持たないのかもしれない。生きのびるためではなくてね。封印されたミステリーでいいのかもしれないよ」
       「・・・・・・・・・・・・」