第14回フィールドノート 2006・1・1、3  三都物語

   

                     四条通
              

                    「義経の時代と地域」関連取材と初詣をかねたフィールドワークを楽しみました。



      1 逆櫓社(朝日神明社)跡へ

                  

                 大阪市中央区神崎町南大江公園

      

 
  のどかな元旦を迎えました。私の三都物語は、大阪上町台からスタートしました。
  逆櫓論争ゆかりの地です。詳しくは「義経の時代と地域」第5話をご覧ください。


                   

     2 官者殿社


                 京都市下京区四条寺町東入ル南側


  八坂神社の末社。正月の四条通りは、ラッシュアワー。ようやくたどりついた小さな社(やしろ)には冠者殿社の別名があります。
  土佐坊昌俊(堀川館夜討ちの指揮官)関連の社でもあります。どうして土佐坊なのか。詳しくは、義経の時代と地域第6話で語る予定ですが、ヒントを申し上げますと、「誓文払い」に関連しています。



   3 八坂神社へ



                        
    


  ふたつ目的がありました。
  ひとつは王朝の「かるたとり」の観覧、もうひとつは破魔矢です。少しかっこよく事情を説明すると次のようになります。

     

  弓矢に付託されてきた人々の歴史的な思いを受けとめること。たとえば、源頼政の鵺は弓矢で射落とされますが、射落とされるところにポイントがあるようです。弓矢であればこそ・・・という問題であり、破魔矢の役割と深くかかわることになるのです。

  矢に託された破魔の思い、つまり幸せを手繰り寄せる力を弓矢に祈る思いは、私見ですが、ひょっとしたら、石器時代から連綿と続くものではないだろうか、と思っています。弓矢という技術は、それほどに革新的な発明であったであろうと私には思われます。私の仕事のひとつに石器づくりがありますが、私は石鏃を縄文の祈りが形になったものと考えています

 さて、 この思いの系譜の中で、弓矢にかかわる武者の存在というものを考えてみたいと思います。たとえば、屋島の合戦における那須与一の弓矢に鵺退治の頼政の弓矢を重ねてみると、いったい何が見えてくるでしょうか。
 
 那須与一のエピソードに平家物語はいったい何を託しているのか。第6話で私の考えを整理する予定です。
 
  雅なかるたのようすはすばらしいものでした。昨今のちまたのかるた会、棒読みが目立ちますが、さすがでした。ありがとうございました。              



    4  知恩院へ


                               

    


  知恩院の階段。正月の楽しみになってしまいました。
  千姫のお墓に詣でました。
  東山から見る京都市街。雪がちらつく寒さでしたが、やはり良いものです。
   
             



   5 須磨寺


                 
   


  意欲ばかりは、須磨寺へと思っていたのですが、謡曲「敦盛」と「忠度」でご勘弁ください。



                                              2006・1・7

  義経の時代と地域 第5話、第6話関連取材でした。第5話公開済。第6話近日公開。