淀川紀行B
街道は旅が流れる連続した空間です。
この流れに変化を加え、旅人に強い印象を与える地点、いわば結節点ともいうべき地点は街道の景観と強く結びついて
いるようです。城見坂、富士見坂というように城や富士山を臨む地点の呼称は景観と地点の関係を物語っています。また、
一里塚は単に距離を表わすだけでなく、塚という景観をつくって距離をいっそう強く印象付けるものになっています。
このような地点は、さまざまな人々のさまざまな思いが重なる空間をつくり、歴史的ロマンを強く感じることができる空間
に発展していくように思われます。
守口宿一里塚跡
このような地点の中で、宿駅はシステムとしても特別、景観としても特有な姿をみせる典型的な結節点といえるでしょう。
たとえば、宿駅には旅籠や本陣があり、そこで人々は旅の一夜をあかすことができます。そして、旅籠は普通町屋に許され
ない二階建が許されていますので、旅籠がつくりだす特有の景観が宿駅の印象を強いものにするということになります。
宿駅は街道の強い分岐点であるわけですが、さまざまな人々が受け入れられ、交じり合う開かれた空間という役割がいっ
そう強く、いわばロマンチック交差点と現代マンガ資料館では呼称しています。
A 歴史空間「ロマンチック分岐点」を「京橋」界隈に訪ねて
みましょう
「大坂夏の陣」
● 探訪地点 京阪線、JR線、地下鉄線 京橋近くの京街道
● 事例@
元和元年(西暦1615年)5月7日の京橋 大坂夏の陣、豊臣家滅亡の日
大阪城天守閣(この時すでに炎上)
この日、午後、豊臣方最後の総攻撃が失敗し真田幸村が戦死、大坂城は絶望的状況を迎えます。
淀殿の侍女「おきく」は、京橋口から城を脱出します。京橋口を出たとたん盗賊に襲われますが、しばらくして淀殿の妹
である常高院の一行に出会い、いっしょに落ちのびるという幸運に恵まれます。
炎上する大坂城、銃声、兵士の突撃の声、悲鳴、戦いの音が渦巻く戦場至近の出会いでした。常高院は豊臣・徳川の
和平を進めるという立場から大坂城にいた人で、しかも徳川方の京極家ゆかりの人でしたから、おきくにとって大変ラッキ
ーな出会いでした。
この時、おきくは、炎上する大坂城を見据え、万感の思いを込めて秀頼・淀殿にわかれを告げたことでしょう。
この歴史的舞台は、京橋口を出てしばらくの京街道地点、現在の京阪モール、新京橋商店街、京橋中央商店街が位
置するあたりと考えて良いでしょう。
「常高院との出会い」
● 事例A
慶応4年1月6日〜7日 鳥羽伏見の戦いに敗れて敗走する新選組、旧幕軍
ロマンチック分岐点到達時の思いはどんなものだったのでしょうか・・・・
マンガ「白虎隊」表紙 (作 小島剛夕)
※申し上げるまでもないでしょうが、白虎隊そのものは直接かかわりがありません。
B 歴史空間「ロマンチック交差点」を訪ねて
ロマンチック交差点宿駅はロマンチック分岐点のひとつです。
ただし、街道という連続がいったん区切られて、新しい段階に入ったというほどに強い印象を残す結節点といえる
でしょう。
事例@ 元和元年5月7日 大坂夏の陣 豊臣家最後の日
淀殿の侍女「おきく」たちが、戦場からの脱出を実感できたのは、守口でしたでしょう。
恐怖からの脱出でもあり、脱出行が新しい段階に入ったことを感じることができたでしょう。なにしろ、ここでようや
く落ち着くことができ、食事もすることができました。
宿駅は、とりあえずの終止符であり、そして新しい出発のスタート地点でもあります。
「おきく」は、忘れ難い一夜を過ごし、これからの脱出行を共にする朋輩を得るとともに、生き延びることをあらため
て決意したことでしょう。
「忘れ難い一夜」
お願い
@ ここでは、ロマンチック分岐点とロマンチック交差点という考え方の概要を整理しています。
実例として、ロマンチック分岐点として「大坂・京橋」界隈、ロマンチック交差点として「守口宿」界隈を取り上げました。
このような視点から、京街道各地を訪ねます。要は、街道に歴史人の息吹を聞きたいというところでしょうか。
歴史的大河「淀川」とあわせて、自由に散策探訪します。順番というものはありません。
幕末維新ミュージアム・京街道で取り上げたところは省略する場合がありますのでご了解ください。
A ビジュアルな紹介を原則とし、写真も適時差し替える予定です。
観察と交通のポイント
● ロマンチック分岐点京橋界隈
京阪線、JR線、地下鉄線 京橋すぐ
● ロマンチック交差点
京阪線、地下鉄線 守口すぐ