平治物語  源頼政の旗@



           プロローグ 橋上の出会い



            
                              五条橋(現松原橋)・鞍馬山方面遠望

                                                      

 

 五条橋における牛若丸と弁慶の出会い。
 渡辺橋における袈裟御前と盛遠の出会い。

 いずれも、次の舞台の波乱万丈につながる出会いでした。
 橋が橋渡しの言葉そのものの役割を果たしています。
 どうやら、橋上の出会いという設定は、偶然ではなく、橋という存在のイメージ(異なる世界を結びつけることで、新しいものを生み出しうる役割)が投影され、近未来の劇的な展開を予測させるものになっているように思われます。
 
 さて、牛若丸と弁慶の出会いとそれからの展開、また、これにかかわる源頼政と渡辺党の動き、さらには袈裟と盛遠の出会いがもたらしたその後の動きについて、次の「頼政挙兵」で振り返ります。ここでは、その前に、橋上での牛若丸と弁慶の出会いをもたらす背景になった「平治の乱」を振り返ってみることにしましょう。

    

        1 平治の乱概要
 

                                           
                      平氏の拠点六波羅第(2005年)           源氏の拠点六条堀川2005年
   



  平清盛が熊野詣に出かけたすきに、藤原信頼、源義朝が武力蜂起し、藤原信西を殺害し、天皇・上皇を軟禁。急を聞き帰洛した平清盛は、天皇・上皇の奪回、クーデター派鎮圧に成功します。これにより、平氏の天下が到来します。

  武力クーデター派である「源義朝・藤原信頼」派は、平氏「平清盛・重盛」にさまざまな面で立ち遅れ、惨敗を喫することになるのですが、政治的戦略的目的があいまいであるばかりか、戦術的にも稚拙で、敗退は当然という印象を受けます。たとえば、政治的目的があいまいであったことから、天皇、上皇を軟禁するという反乱の性格を濃厚にする致命的失敗を犯します。また、自らが武力に依拠しながら相手の武力である平氏との対決のあいまいな認識は、平氏の拠点「六波羅第」を攻めきれないという経過に示されていますが、平氏の反攻を保証することにつながってしまいます。

  このような状況で、平清盛・重盛たちは、ゆうゆう帰洛し、六波羅第に入りただちに反撃を開始することになります。

     
           五条大橋西詰めから見る六波羅方面



  平氏反攻のポイントは、軟禁された天皇、上皇の奪回によりクーデター派を朝敵、つまり反乱軍として認知させることでした。これに成功し、第二段階である軍事的制圧にかかります。
  軍事作戦は、クーデター派が立てこもる御所における攻防で始まりました。戦いのエピソードとして、平重盛と悪源太義平の対決が有名ですが、結果的にクーデター派は御所から誘い出され、軍事的決戦は六条河原に舞台を移していきます。このあたり、清盛・重盛派の作戦通りという印象です。
   

         鴨川東岸


  鴨川河原における決戦は、六波羅(鴨川東岸)の平氏、西岸の源氏(六条堀川拠点)というように展開。結果的に源氏は六波羅を攻めきれず敗退します。この時、源頼政軍が東岸に布陣しているのを見て、悪源太義平が執拗に攻撃し、このため肝心の六波羅攻めに立ち遅れるという失態が生じますが、戦いの主導権は平氏側が握り、勝敗の行方はもはや決定的ともいえる段階に至っていましたから、悪源太義平のエピソードはこのような局面を物語っているのかもしれません。      


   
       2 源頼政の旗
 


                        
 
   



  戦略的目的があいまいで、戦術的にも切れの悪い行動に終始するクーデターでしたが、朝敵になった時点が決定的な転換点でした。
  この時、源頼政はクーデター派と袂を分かつ、おそらく、苦渋の決断を下したのでしょう。
  後年の平家討滅の挙兵に際しても貫かれる頼政の矜持でした。頼政と渡辺党の武勇は、この時の戦い振りに示されていますが、圧倒的に優勢な平家軍に対して、自らの原則を貫くことが堅持されています。このことからも平治の乱における頼政の決断の次元を推察できるでしょう。 

  頼政の掲げた旗は、橋上の出会いが予測する波乱の時代へと展開し、源氏再興の旗と重なっていきます。
  文覚上人が頼朝挙兵を促し、挙兵した頼朝のもとに義経が参上(義経の誕生)します。渡辺橋の出会いと五条橋の出会いの交錯です。この交錯が歴史を揺るがしていくことになります。

       渡辺橋(袈裟と盛遠の橋) 

    
                                
2005年11月20日
          

        次回は、「頼政の挙兵」(頼政の旗A)です。  
      

  ○ 第12回フィールドノートをご参照ください。主な史跡について交通などの情報を提供しています。