第1話A 恋塚浄禅寺
  

       京都上鳥羽に袈裟御前、文覚上人ゆかりの恋塚寺(恵光山浄禅寺)を訪ねました。        


     1 恋塚浄禅寺


           

 

   
      袈裟御前顕彰碑      袈裟御前恋塚
   

             京都市南区上鳥羽岩ノ本町93 075−691−3831 



      2 鳥羽離宮
   


          
恋塚寺至近に鳥羽離宮が所在しました。往時は、北面の武士たちの往来も盛んでしたでしょう。


          
安楽寿院     院政の地の碑

       
            鳥羽離宮復元図が安楽寿院近くで見られました。水とのかかわりの深さが想像される復元図です。      



                           

        

   
  恋塚浄禅寺も水とのかかわりが深く、また都の出入り口、鳥羽離宮隣接地という要衝に立地しています。 水とのかかわり、都の出入り口、という地理的条件は、摂津渡辺との距離の近さ、深さを推測させます。
  たとえば、この地が熊野詣のスタート地点であり、水運の終着点が摂津渡辺であるようにです。 
  また、たとえば、袈裟御前と遠藤武者盛遠の出会いは、摂津渡辺の「渡辺橋」の橋供養にあります(源平盛衰記)が、このような事情を考慮すると、この立地は、恋塚寺に大変ふさわしいように私には思われます。 

 
橋供養・・・橋をかける工事が完了後、その橋上で行われる供養のことですが、「3月上旬に渡辺橋の橋供養」が行われ、遠藤武者盛遠はそこで袈裟御前にであってしまいました。   
      

                   
                   


        ちょっと休憩

 渡辺橋  現在の天満橋と天神橋の中間あたりにかかっていたとされる橋。現在の渡辺橋はもっと下流(大阪市役所西約500メートル堂島川)です。

   渡辺橋

 袈裟御前と出会った当時、遠藤武者盛遠は橋奉行(架橋工事の指揮者)を務めていたようです。もし、渡辺橋なかりせば・・・ 
 

       

 ○ 長かった暑さのため取材が大変遅れてしまいました。ご了承ください。

 ○ 謡曲「女郎花」の舞台探訪をかねた取材になりました。
   フィールドノート及びユニークミュージアム体験「八幡市立松花堂美術館・庭園」をご参照ください。

 ○ 次回は、「平治の乱」、副題「源頼政の旗@
 
  
     

                                              2005年10月28日